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2002年10月26日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 冷たい雨が降っていたが晴れてきた。久しぶりに目覚ましをかけずに寝た。昼からカウンセリング2ケース。

 人を理解しようとするとき、私はこうだからきっとあの人もこうだろう、と推測すると当たっていないことが多い。そんなふうにしか推測できないのだが、なんとかして相手の立場に立ってみなければ理解できない。掲示板でなまけたろうさんが紹介されている方法がおもしろいと思った。

○女優(俳優)になった気持ちになる。
○その人の立場を想像する。
○その人の状況を想像する。
○その人の気持ちを想像する。
ただし、これらは順番に組み立てていかなければなりません。そして、
○自分の幼少時代を思い出す。
○その自分をその立場、状況、気持ちに当てはめる。


 昨日、書いた話の続きとしては人間には自由意志があってすべてが決定されているわけではないということを書くことになるのが既に別の文脈で書いたので少し違う視点から。

 ジッハーは、"conformity"(一致)と"adaptability"(適応性)という言葉を区別している。同じようにする(conform)ことだけが重要であるなら、人間社会は、蟻や蜂の社会と何ら変わることはない。蟻や蜂の社会は何も変化していない。他方、人間の社会は大いに変化してきている。アドラーがいっているように、変わりつつある状況に適応する(adapt)こと、状況の変化に適切に対処できる能力こそ重要であり、ジッハーはこれを適応性(adaptability)と呼んでいる。

 ジッハーによれば、人間は、基本的な欲求を満たすということだけが問題になる存在的面(existential plane)だけでなく、本質的面(essential plane)に生きている。「基本的な欲求を満たすこととは別に、人間であると感じ、人間になるために何かそれ以上のものが必要である」。ただ生きるのではなく、人生の本質的なもののために生きなければならない、といっている。

 この言葉は、プラトンが『クリトン』という対話篇の中でソクラテスに次のように語らせているのを想起させる。
「大切にしなければならないことは、ただ生きることではなくて、善く生きるということなのだ」
善く生きることは単なる生存ではなく、ジッハーのいう「人生の本質的なもののために生きる」ということに対応している。

 また、クライトンが病気についてそのことの責任を認めた方が自分には無関係である、と考えるよりも「より善く生きることになる」といっていることに対応する(9月1日日記 「善く生きる」 参照)。

 このことを可能ならしめるのは、人間の「創造力」(creative power) であり、その力が単なる生存のレベルを超えて、人生を価値のあるもの、目的のあるものにする。創造力を使って何か新しいものを作り出し、適応し、状況をより善きものにする。進化はこのようにしてのみ起こるのである。

 要は、人はただ生きているだけではなく、より善く生きることをめざしていることから、当然、同じことをするだけではなく、逸脱があるということ、しかし、逸脱ではあるけれども、状況の変化に対処できるとすれば、その能力のことを「適応性」とジッハーは名づけている。

 ジッハーは前に進むことがノーマルな精神的に健康な方向であり、逸脱は神経症の兆候である、と見ているが、逸脱が進化を促すことがあるとすれば、逸脱を必ずしも否定的に見る必要はなく、いわば正の逸脱を認めることができるだろう。





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最終更新日  2002年10月26日 17時02分55秒
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Re:共感/適応/逸脱(10/26)  
風鈴 さん
岸見先生
 いつも逸脱してしまう私ですが、適応するのもわりと早いかもしれません。過度に適応しそうになり逸脱してまた戻る・・という感じですか。そして、これが私なんですね~。と自分に言っています。はちゃめちゃです( ;^^)ヘ..。エモーショナルな獣(ヒグマなど)は適応性がなければ捕食以外に寂しくて死んでしまうのだそうです。人間は適応性がないだけでは死なない環境にいますね。それならばやはり善く生きたいですし、善く生きた方が善いと思います。 (2002年10月27日 02時14分57秒)

Re:共感/適応/逸脱(10/26)  
やまじゆみこ さん
>逸脱を必ずしも否定的にみる必要はなく、いわば正の逸脱を認められるだろう。

  ここが非常に興味深いと思いました。 (2002年10月27日 10時18分44秒)

Re:Re:共感/適応/逸脱(10/26)  
風鈴さん
 過度に適応することの弊害はあります。ここでは適応という言葉を肯定的な意味でとらえています。今日の日記をご参照いただけたらうれしいです。 (2002年10月27日 18時34分45秒)

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