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2003年10月30日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 本の方はいよいよ出版に向けて始動。原稿を書き終えてからもたくさんすることがある。本の装丁もこんなふうなのにしてほしいという希望を伝えた。一週間くらいするとサンプルができるとのこと。僕の仕事のうち最初の二冊の翻訳はシリーズ物だったので色が変わっただけ、『アドラー心理学入門』は新書のシリーズの一冊だったので、題字と著者名意外は基本的に他のとデザインは一緒だった。『人はなぜ神経症になるのか』は単行本でデザインもこの本のためにしてもらった。非常に気に入っている。さて、今度の書き下ろし本はどうなるか。楽しみでもあり、不安でもある。

 あとがきも書かないといけない。字数がどれくらいになるかは明日中に判明の予定。僕の本の買い方としてあとがきを最初に読んで買うか買わないか決めることがあるので(あとがきを本文より先に読んでいけないという理由はない)、気合い入れて書かねばと思うと傑作意識が働いてきっと書けなくなるだろうから、何か月か前に書いたあとがき用覚え書きを見てさっと書いてしまった方がいいのだろう。

 僕が書いたものなのに書いた途端、僕の手元を離れてしまったような気がしてさびしい気がしている。今は僕の手元にはゲラもない。何もない。ワープロ原稿はもちろんあるが校正の段階で手を入れたのでこれとはもう別のものなのである。さてどんな姿で再び僕の前に現れるだろう。

 二十歳の男性が同居していた女性の娘の頭を手でつかんで突き飛ばし、この女の子とは頭を強く打って重体になっているという。「部屋を散らかしたり、うるさかったりしたのでやった」と男性は容疑を認めている。体罰であれ折檻であれ虐待であれ、僕がそれらに反対する理由の一つは、子どもが親と同じことをするということである。想像するに、この男性の親は、この男性が子どもの頃、うるさくしていた時、力を使って黙らせようとしたのではないか。子どもが生まれてすぐにわかった。子どもが夜泣きして泣きやまない時どうしたらいいのか、うるさくした時どうしたらいいのかわからないのである。その時、おぼろげながらかつて自分の親が自分にしてきたことを思い出した。僕は父に一度(だけだと思う)殴られたことがあるが(父は覚えていないと思う)、それは例外だった。普段の親は二人とも穏やかだった。いうことをきかない子どもを前にして途方に暮れた時、親が力でその場の問題をおさめていたとしたら、そのような対応の仕方がモデルになっていたであろう。

 何が困るかといって、と学校の先生に話を聞いたことがある、子どもが真似をするのです、と。十年前も生徒同士が喧嘩をすることはあった、でも、今は小学校一年生の生徒が喧嘩をする時に椅子をふりかざすことがあるらしい。子どもたちに力ではなく言葉で問題を解決するようになってほしいし、大人はそのためのモデルになりたい。





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最終更新日  2003年10月30日 22時47分25秒
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