死というものを考えるとき、それが納得のいくものであるかどうかがかなり大きなことではないかと思えるようになりました。理不尽な死というものを迎えたときに、それをどう受け入れるかと言うことは、どう生きるかという問題と同じくらいに大きな問題であるように思います。

藤井誠二さんというノンフィクションライターが書いた「子供たちに消された人生」という題名の本だったでしょうか、少年犯罪の被害者を追った本がありました。この本では、理不尽な死を、被害者家族がどう受け止めているかというのがルポされていました。

それはとても受け止められないことですが、受け止めないでは生きることの意味がなくなってしまうというくらい、壮絶なものに見えました。少年犯罪の問題は、厳罰化よりも、この被害者感情をどうするのかということの方が大きな問題だと思いました。死を納得するというのは、生き残った者の問題なんだと思いました。

自らの理不尽な死をどう納得させるかという問題は、特攻隊員の遺書などに見られるのかなとも思います。今日の日記で、このような連想が浮かんできました。 (2004年01月06日 23時16分04秒)

Welcome to Ichiro’s Home Page

Welcome to Ichiro’s Home Page

PR

プロフィール

Ichiro_Kishimi

Ichiro_Kishimi

コメント新着

チワワ@ Re:受診/鷺草(08/29)  先生ご無沙汰しています。 ハンドル名…
Ichiro_Kishimi @ Re[1]:受診/鷺草(08/29) ちばちゃんさん  そんなふうに考えたこ…
Ichiro_Kishimi @ Re:鳥、翻訳、マラソン(08/26) ちばちゃんさん  敵意といっても意識的…
Ichiro_Kishimi @ Re:アドラーに学ぶ(08/23) ちばちゃんさん  フランクルは一時アド…
ちばちゃん@ Re:受診/鷺草(08/29)  写真でしか見たことがありませんが、坂…

フリーページ

仕事は誰のためにするのか


占いを恐れないということ


自己成就予言


いわなければ伝わらない


薔薇が咲いた頃に


あの時の声を知らなければ


何が二人に起こったのか?


負けてもいいじゃない


嫌われるのは恐い


愛された思い出


報いを求めない愛


人生は苦そのものである


シンプルで優しいこの人生


子どもたち~ゆるしと信頼


今は大丈夫


「邂逅」するということ


誰も支配せず、支配されないということ


言葉で頼んでみよう


自由に楽しく生きよう


きょうだい関係のこと


抑制のない人類はどこへ?


人間の「自然」への介入


落穂拾い(1)


息子との日々


娘との日々


歌をつくりたい


神話的時間を生きる


グライダーのように


人にはいえてもあなたにいえないこと


立ち直る神谷美恵子


生きかたの問題


その日を摘め


瀬戸内寂聴の法話を聴いて


若い人に何を教えるか


優越性、完全性の目標を具現する神


人との距離~二・五人称の視点


スポーツにおける”まとまり”と自立心


アンフェアだが関係をよくするためのヒント


目標にフォーカスするということ


自分を変える若干分量の勇気


向田邦子の恋


現実を超える力~「言葉の箱」


人を信じること


自由に生きるということ


証を求めない愛


村上春樹『海辺のカフカ』人名索引


滑稽な愛情のエゴイズム


親しいからこそ


二人の関係をよくするために


よい対人関係について


子どもをほめてはいけない


私に与えられた棘


「ありがとう」を期待してはいけない


このままの私でいいのか


努力することについて


おじ、おばの距離


My favorite songs


ページ内検索にあたっての注意


2004年01月05日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 哲学者の三木清がいっている。人間は執着があるからこそ死ねるのだ。逆説的な表現だが当たっているかも知れない。人の一生というものは完結して終わるより何かやり残すものだと最初から思っておいたほうがいい。道半ばという言い方をするが、そういう表現が妥当しない、人生についての見方を今度の本では提案してみた。

「沖縄島最南端の喜屋武岬の断崖に追いつめられて、いよいよそこで最後を遂げて、岩かげに朽ちはててしまうのかと思ったときほど、さびしかったことはなかった」

 戦争で殺された女性の手記を編んだ仲宗根政善の報告の中で見つけた言葉だが、多くの沖縄の人がこんな思いで死を選んだであろうことを思うと万感交々至る。

「おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにゆかぬなり生は」(斉藤史)

 ドラマ『向田邦子の恋文』の中で、最後に自死を選んだ男の母と恋人が縁側で泣きながらこの歌を繰り返す場面があった。

 あなたが甘やかせるからあの子は働かないのだ、という言葉を母親が息子の恋人に語る場面があった。脳梗塞の後遺症で思うように働くことができない彼を向田が経済的に支えていたようである。

 演出の久世光彦は「今回は少しわかり難い話だったかもしれない」といっているが、向田をして「ここにこなければ一行だって書けないのよ」といわしめたN氏の魅力がほとんど描かれていないように思った。僕には向田のいっている意味がわかるように思う。

 誰かに貸して手元にないと思い込んでいた『向田邦子の恋文』(向田和子、新潮社)を見つけた。もう一度読んでみようと思う。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2004年01月06日 03時07分55秒
コメント(5) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:「おいとまをいただきますと…」(1/5)  
keiko さん
Ichiro様
 個人的には、「おいとまをいただきますと・・・」この場面が一番感動しました。逝ってしまった息子を愛する母と、一人の男性を愛する邦子さんとの重なった部分の愛がみえたように思えました。 (2004年01月06日 00時29分02秒)

Re:「おいとまをいただきますと…」(1/5)  
はじめまして♪pooh-tontonさんの所から来ました。

自死という言葉をココではじめて見ました・・・・自殺という言葉はよくないよ~と聞いていても実際に使われるのを見たのは はじめてです。
人の死を(それも 身内の)たくさん見てきた者ですが 自分でなるほど~と思うのは『人が死を恐れるのはそれが体験者の語る事のない 未知の世界だから』と言うのがあります~著者 度忘れ(--;

(2004年01月06日 09時01分40秒)

Re:Re:「おいとまをいただきますと…」(1/5)  
Ichiro_Kishimi  さん
アイリー++さん
 柳田邦男氏の本で初めてこの言葉が使われているのを見ました。「殺」という言葉にはネガティブな意味がつきまといますから。
 臨死体験は死体験ではありませんから、実のところ誰も死がどういうものかは知らないのです。3人称の死、2人称の死は体験できますが1人称の死、つまり、自分の死を体験してそのことを他者に報告することはできません。
 戦争で死ぬとはいいません。英語と同様、戦争で殺される、といいます。 (2004年01月06日 12時44分41秒)

Re:「おいとまをいただきますと…」(1/5)  
秀0430  さん

Re:Re:「おいとまをいただきますと…」(1/5)  
Ichiro_Kishimi  さん
秀0430さん
 どんな死でも理不尽でないものはないのではないか、とまで思います。残された者の感情ですが。とりわけ殺人の被害者になった人の家族には理不尽という感情はずっとつきまとうでしょうね。僕の母は病気で亡くなりましたが、49歳という年齢であったので、その死を受け入れることができるまでに長い時間がかかりました。もとよりもっと若く、あるいは、幼くして亡くなる人もあるわけですから、充分長く生きたといわれたらそれまでなのですが。
 学徒出陣をした若い人たちの遺書を読むと、自分の死が理不尽なものではなく、意味のあるものであると言い聞かせようとしていて、読みのが辛いです。 (2004年01月07日 00時11分05秒)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: