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おじ、おばの距離


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2004年02月19日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 いくかの締切のある仕事が重なり、少し追いつめられた感じがする。一番、早い締切があって、しかも、仕事の結果が一番早く出るのは、前にも日記に触れた「MOKU」三月号の記事。定期購読者のみに配布されるので書店では手に入らないのは残念だが、それでも僕の感覚では多くの人の目に触れるので、僕の新刊の『不幸の心理 幸福の哲学』に興味を持つ人があればうれしい。今日、「幸福と不幸を分ける「私自身」」という題の原稿が届いた。先日の三時間余りのインタビューをまとめたものである。原稿もメモもなしに話したものが文章になっているので、はたして論理的に話せているか気になる。原稿用紙(四百字詰め)に換算して三十枚くらい。

 昨日、書いたサンドバッグについて反響があったので少し付け加えておくと、カウンセリングの時は決してこんなふうにはならない。あくまでもプライベートでの話である。在る意味で信頼関係があることは必要で、僕自身は人に感情的になってぶつかるとか、今自分が話している相手を、今関わっていてうまくいかない当の人のいわば身代わりとして見て、代理喧嘩のようなことは決してしないが、相手がそんなふうに思って僕にぶつかってきても受けることはある。

 鈴木大拙の『禅と日本文化』(岩波新書)が本棚にあった。1971年発行の第31刷である。この年に買ったのかはわからないが、1971年なら15歳の時である。あちらこちらに書き込みがある。それらを見ると、どうやら禅のモットーである「言葉に頼るな」(不立文字)に興味を持ったようだ(p.7)。今は、この立場とは対極のところにいるのだが。この本を読んだ後かなりしてからギリシア哲学に学んだ結果である。今読み返したら高校生の頃とはまったく違った理解をすることになるだろう。

 稀に、月を指さした時に、指の先を見てはいけない、その指が示す月を見ないと、という話をすることがある。この話は『禅と日本文化』にあった記憶があるが違うかもしれない。言葉を離れて思考することはできないが、言葉に囚われてしまうと本質を見失うということはあるだろう。だからといって一気に言葉はいらないということにはならないのだが。

 昼から中根先生のところで鍼。疲れてますね、と今日もいわれてしまった。81歳の大拙と15歳の美穂子さんとの邂逅の話を先生としていたら、「それは恋愛というより愛ですね」と先生。そこで話は終わったけれど、僕は帰る時、考えていた。今の僕の年で80歳を超えた自分を想像することはできないけれど、身体はともかく精神的にはその年になっても今とそう変わってないのではないか。もし、今、僕が若い人に恋愛感情を持つことがあるとしたら、大拙くらいの年に若い人に恋愛感情を持つとしても少しも不思議ではないだろう、と。あるいは、大拙のような人であれば、若い時から、中根先生がいうような「愛」で人に接していたということは考えられる。それならば恋愛と愛を区別するのはあまり意味がないかもしれない、等々。

 iBlogの日記に 「愛と所持、あるいは所有との関係について」 少し書いてみた。





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最終更新日  2004年02月19日 23時50分17秒
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