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2004年02月21日
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 午前中のカウンセリングの予約がキャンセルになったので安心して遅くまで仕事をしたていたら案の定朝起きられなかった。一度だけ必ず目が覚めるがその後の眠りは深い。夢を見ているようだが目が覚めた時何も覚えていないし、朝起きた時ふと感じる陰鬱な気分はなくなった。生活がまた仕事を中心にめぐるようになったことは大きいかもしれない。

 iBlogの日記に 「知の飛び火」 という題で「わかる」とか「知る」ことについて少し書いてみた。「突如として」知が「飛び火」(プラトン)のように飛び込んできて、なるほどそういうことがわかるということがある。プラトンの師であるソクラテスは言葉で対話することを重視したので意外な感じがしないわけではないが何かの拍子にふとわかるという感じはよくわかる。

 本の原稿を書いている時はよくあることである。翻訳の仕事だと初めからゴールが見えていて、原著の最終ページまで訳さないと終わらない。ところが本を書く時は違う。もちろん原稿用紙にして300枚くらい書かないといけないわけだから一日や二日では当然書き上げることはできないが、何日も何日も一行も書けないままに苦しい日を続けていると、ある日、ふいにすべてが見えてしまう。その後もそれほど簡単にはことはすまないけれども、わかったという思える瞬間が訪れないといつまでも書き終えることはできない。締め切りがあれば多少はこのような瞬間が早く訪れることもあるが、締め切りが過ぎても書けないことはありうる。締め切りを守らないと社会的生命を抹殺されるからそんなことは許されないのだが。

 ではわかったと思えたらそれで終わりかといえばそうではない。わかったことを書く必要がある。プラトンは(前にどこかに書いたが)知と無知の間に「正しい思わく」を設定する。これは例えば、道を聞かれた時にわかっているけれども言葉で説明できないようなものである。道を知っているから過たずその場所に他の人を案内することはできても、言葉で説明できなければ、真に知っていることにはならない、とプラトンはいう。「説明する」という言葉はギリシア語ではλογον διδοναι(logon didonai)という。「言葉」(λογοs ロゴス)を与える、という意味である。言語のロゴスは、理性という意味もある。書けなければわかっていることにはならない。わかっていることだけが書ける(しかし、逆に、書けてもわかっていないことはある)。

 友人と話している中でこんな話になったことがある。私は感情移入が激しすぎる、だから映画を観てもひどく疲れる、と。「では、カウンセリングとかは無理かも」といったのだが、アドラーであれば相手の立場に身を置くということはそんなに簡単なことではない。覚めた人なら映画を観て泣く人を他人事なのにと笑うかもしれないが、感情移入する人は冷静には観られない。カウンセリングの場合は、しかし、あまりに感情移入が激しいと冷静な判断はできなくなるかもしれない。僕はもともと哲学を学んできたからあまり感情的にならないかもしれない、と話を聞いていて思った。そう思いながらけっこうこたえることがあって、僕を殺すには刃物はいらないな、と思うことがよくある。

 掲示板で愛と恋愛について話題になっているが、ソクラテスならそれぞれの言葉の意味を最初にはっきりさせようとするだろう。愛についていえば、愛といわれる様々なケースを通じて同一のものを見て取らなければならない。ソクラテスが登場するプラトンの対話篇を読んでおもしろいと思うのは、このような定義を求める試みが必ずしも成功しないということである。最後には定義を求めたけれどもその試みは失敗して終わる。ではそれまでの対話がすべて無意味だったかといえばそうではない。このような対話を通じて、わかる、わからないは、経験の有無には関係しない。経験があることは理解の助けにはなるかもしれないが、経験があるからわかるわけではない。大拙と美穂子さんが年齢があれほど違っても語り合え、また、僕が恋愛の経験が貧しくとも恋愛について語れる所以である。





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最終更新日  2004年02月22日 00時36分46秒
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