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2004年05月24日
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 てらのうち診療所内の女性健康センター(5.23日付けの朝日新聞に記事が掲載された)で四月からカウンセリングをしている。最近、僕よりも年輩の方のカウンセリングをすることが多い。僕の父や母と同い年くらいであったりする。僕は人生の先輩を前にしてどぎまぎする。母が生きていたらこんな感じで話をしているのだろうか、とふと思ったりする。

 持つ様式は敵意と争いをもたらすが、個人にあてはまることは国家間にも相当することをフロムは指摘する(p.100)。持つことと貪欲を主たる動機づけとする人々が国家を構成している限り、戦争をしないわけにはいかない。「彼らは必ず他の国家が持っているものを切望し、戦争や、経済制裁や、おどしによって、ほしいものを得ようと試みる…国家が戦争をするのは経済的に苦しんでいるからではなく、より多くを持ち、制服しようという欲求が、社会的性格の中に深くしみ込んでいるからである」。国交正常化といっても敵意を隠しもしていないようではとても望めないように思う。握手をする時も決して両手を差し出さない、ハグしない、笑わないというようなことが事前に取り決めてあったという記事を読み驚いた(別のことだが、日本にきた人の中で、日本にくることを拒んだ人もあったようだ。しかし「命令」によってこの願いは聞き入れなかった)。

 フロムは愛について、それは何よりも与えることである、という(『愛するということ』紀伊國屋書店、p.43)。基本的に非生産的な性格の人は、与えることは貧しくなることだと思う。喜んで与えることがあるが、見返りがある時だけである。これに対して、生産的な性格の人にとっては、与えることは自分の持てる力のもっとも高度な表現であり、力が漲り、生き生きとし、心がはなやぎ、喜びを覚える。与えることは自分の生命力の表現である。このような意味で愛するためには、性格が生産的な段階に達していなければならない(p.48)。また、これまで見てきたような「ある」様式において経験される時だけで与えるという意味で愛することができる。このようなあり方に「愛」という名をつけているので、「愛」という実体が与えるという行為に先行してあるわけではない。このように名づけられた中身は一般的に使われている愛とは違うことはありうる。





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最終更新日  2004年05月24日 23時28分55秒
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