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2004年07月28日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 明治東洋医学院で今日も講義。クーラーが入っていても暑く、昼からの講義は話す方も聴く方も大変であるが、粘り強く聴いてくれる学生がいるので話し続けることができる。後、一日。教務の人に、昨日はお疲れではなかったですか、と声をかけられた。朝早く出かけたので十分眠れてなかったのである。

 中島らもが亡くなったという記事を読むと、人はいかにあっけなく死ぬものか、と驚いてしまう。エロイーズがアベラールにこんなことを書き送っている(『アベラールとエロイーズ』pp.101-2)。私にひどい悲しみを与える死は、もしもそれがどうしても避けられない事柄であれば、突然起こる方が望ましい、と。僕はこの考えに与することはできない。長く患った後に逝った母のことを思うと、たしかに長い間に心の準備ができたともいえないことはないが、突然、亡くなっていたらその悲しみは大変なものだったであろう、と想像するのは難くない。

 アベラールの真意は、もちろん、エロイーズの死を願っているわけでは当然なくて、次のようにいう。

「しかしそうは申しても、あなたを失ってしまったら、何の望むところが私に残るでしょう。またそうなったら、この世の旅をつづけて行く何の理由がございましょう。この世にはあなた以外のどんな慰めも持たない私ですのに。しかも、その慰めというのも、ただあなたが生きていらっしゃるという思いだけなのです」

 フロムは死について比較的簡単に論じている。死ぬことを恐れを克服するのは、生命に執着しないこと、生命を所有として経験しないことである、と。しかし、注の中で、議論を死ぬことの恐れそのものに限定していて、死が我々を愛する人に及ぼすであろう苦しみを想像するという苦痛という解決しがたい問題の論議には入らない、といっている。愛する人を残す者も、残される者にとっても死は容易な問題ではありえないのである。

 石川啄木のこと。なぜローマ字で書いたか。一つは読まれたくないということがあったかもしれない。しかし他の、おそらくより大きな理由はローマ字に新しい表現の可能性を見出したということがあるだろう。ローマ字で書き出してから、啄木の日記は急に描写が精密になり、心理分析も深くなったことを桑原武夫は指摘する(p.251)。あまり精密すぎて辟易するといってもいいくらいである。

 昔の日記を読んでいたら二十歳の頃、ローマ字論者のラテン語の先生に学んでいたことがわりあい細かく書いてあった。当時ですらローマ字で表記するというような考えは時代錯誤に思えたが、ローマ字で表記することで日本語そのものの改革をめざしたことが先生の論文を読むことでわかった。啄木も、むつかしい雅語や漢字の表現から脱却することが可能、あるいは不可避になったであろう(桑原、p.253)。

 当時の日記を読むと、その頃学んでいた外国語で書いている。もちろん、わずかではあるのだが。例えばラテン語を学んでいた頃は、Inter multas curas librum legere non possumというような具合(心配事がこうなくさんあっては、本も読めない)。もしラテン語がもっと書けたら、全部の記述をラテン語に切り換えたかもしれない。
---


(Plato, Lg.803e)





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最終更新日  2004年07月28日 23時11分21秒
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Re:突然の死(07/28)  
かすみ草 さん
フロムってエーリッヒ・フロムのことですか?
先生が翻訳されたアドラーの伝記は、アドラーギルドの本の紹介にあるフォービギナーシリーズの「アドラー (英文)」ですか?
(2004年07月29日 21時22分45秒)

Re:突然の死(07/28)  
shoko さん
一人称の死の場合は「突然」の方がいいと思えるのですが、二人称の場合は心の準備期間がほしいと勝手なことを考えてしまいます。父の場合は癌告知から2年という歳月があり、きちんとお別れができたように今は思えます。「死」の問題は簡単には割り切れないとても難しいことですね。 (2004年07月29日 21時33分27秒)

Re[1]:突然の死(07/28)  
Ichiro_Kishimi  さん
かすみ草さん
 違います。Edward Hoffman, The Drive for Selfの訳で、金子書房から出版されます。 (2004年07月29日 22時26分32秒)

Re[1]:突然の死(07/28)  
Ichiro_Kishimi  さん
shokoさん
一人称の死についてもむずかしい問題をはらんでいるように思います。29日の日記を読んでいただけるとありがたいです。 (2004年07月29日 22時27分46秒)

Re[2]:突然の死(07/28)  
かすみ草 さん
Ichiro_Kishimiさん
>かすみ草さん
> 違います。Edward Hoffman, The Drive for Selfの訳で、金子書房から出版されます。
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失礼しました。
楽しみにしています。
何か違う気がしてお尋ねしました。 (2004年07月29日 22時37分15秒)

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