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2004年09月29日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 台風の被害が出ているようで心が痛む。前の家に住んでいた時はこれだけの雨風だと家が揺れ、雨がもれたり大変だった。マンションだと窓を閉めていると気配もわからないが、台風がくるたびに毎年のように浸水していた頃のことを今でも思い出さないわけにはいかない。

 朝方まで眠れなかった。今日はカウンセリングの予約などが入ってなかったので、通勤に4時間かかったと考えて、その分、休もうと決心してゆっくりすることにした。またいつものように身体が熱くなって目が覚めたのだが。夕方頃、ようやく机に向かう気になった。

 星の王子さまははたして自分の星に戻れたのか、あの薔薇と再会しただろうか。薔薇は素直に思いをあらわせるようになれただろうか、と浅い眠りの中で考えていた。

 眠れなかったのは一つは本の構想を練っていたからである。森有正が書簡体の本を書いているが、四部作の(になるはずだった)中の一冊である『砂漠に向かって』について、「わたくしは全体の不統一をまだうまく消し去れないので、この本にはかなり不満である」と書いている(『アリアンヌへの手紙』書簡45)。しかし書簡体だと最初から統一というようなことは無理なのではないか、と考え始めてしまった。どうしたら統一ができるのか、そもそも初めからそんなことを考えないほうがいいのではないか。森は《潜在的な》構造を《ねり上げる》仕事という表現をしているが、これなら少しわかるような気がする。膨大な原稿を前に途方にくれている。後は、個人的な心配事。いつも心配ばかりしている。

 辻邦生が、私が書くのは自分の思念を正確に表現するためで名文を書くためではない。できる限り、文章を透明にし、私が考えたこと、感じたことが、じかに、あたかも文章なぞ仲介になっていないかのように、相手に伝わっていくようにしたい、といっている(『パリの手記』1、p.7)ことを思い出した(前にも日記の中で引いた)。文章を透明にするなど今の僕にはできないし、自分の文体を意識しているように思う(思うように書けないことを意識するという意味だが)。

「各人の辿る道は、実際、予見不可能である」という森の言葉を引いたが、予見不可能であるし、道を辿っていくことは、他の人が代わることができない。予見不可能であるから怖い。なんとなく決められた道を歩くというのではないのである。導きがあっても(それはありがたいことである)なお歩むのは自分でしかありえないという現実は変えられない。





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最終更新日  2004年09月30日 01時35分00秒
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