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2006年01月18日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 今日は予約などがなくてゆっくりできたこともあって、体調、気分ともよく、外出することもできた(といっても近くの喫茶店で原稿を書き進めたということだが)。年末、年始、ずっとこもって一歩も外に出なかったが、また外に出られるようになると、気分転換もできていいようだ。

 ライフスタイルを知るために早期回想をたずねることがある。アドラー自身は次のような回想を語っている。

「私には私の人生と緊密に結びついた空想上の早期回想がある。私は三十五歳になるまでこの回想を胸の内にしまっていた。私はこの回想を誇りにしていたのである。国民小学校にはいった時、私は五歳でした。その学校は、ディースターベーグ小路のペンツィングにあった。私の早期回想は、私と級友は毎日墓地を通って学校へ行かなければならなかったというものである。私はこの墓地を通っていく時に気持ちよくなかったし、いつも胸が締めつけられるような思いだった。ところが私の級友たちは楽しそうに通っていったのである。(中略)私は墓地を超えて行くことを大きな重荷に感じていた。このような不安から自分を解放しよう、と私は決心した。そこで次に級友と一緒に墓地に着いた時、私は級友たちから遅れて鞄を墓地の柵にかけ、一人で歩いて行って、墓地を最初は急いで、それからゆっくり行ったりきたりして、ついに恐怖をすっかり克服した、と感じられるようになった」(『学校における個人心理学』)

 ところが、三十五歳の時、一年生の時に同級生だった人に出会って、この墓地のことをたずねた。「あのお墓はどうなっただろうね」。そのように問うアドラーに友人は答えた。「そこにお墓なんかなかった」。この回想をアドラーは空想していただけだった。それにもかかわらず、この記憶はアドラーにとって「心の訓練」になった。子どものアドラーが訓練することでいかに困難を克服しようとしたか、子ども時代の勇気を思い出すことで、現実のその後の人生における困難を克服することに役立ったのである。

 アドラーは、困難な課題に直面した時に、この時のことを思い出しては、苦境を乗り切ったのであり、数ある記憶の中でこの記憶をアドラーは選び出したわけである。

 もっともその回想は事実とは違った。このように他の人の証言があって、そのような墓場が事実としてなかったということが判明することはたしかにあるが、このようにはっきりとはしなくても、以前に書き留めた過去の回想を後になって読み返したら、細部が、今、現在思い出している過去の記憶とは、微妙にあるいはかなり異なったものになっていることに気づき驚くことがある。

 カウンセリングの場面で、カウンセリングが進んでから、相談にこられた人にもう一度早期回想をたずねることがある。たとえ同じ回想であっても、もしもその時語られる記憶の細部が違ったものになっていれば、その違いに注目することでカウンセリングの進行具合がわかる。

『アドラー心理学入門』では、忘れられていた記憶がよみがえり、そのストーリーが付加されることによって、回想の意味そのものが変わってしまった例を引いた(pp.105-6)。





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最終更新日  2006年01月19日 05時23分12秒
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