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2006年01月19日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 今日は朝からカウンセリング。診療所でのカウンセリングが最近はメインのようになっていて、自室ではあまり最近予約を入れていないのだが、予約が少ないがゆえに、その分、気持ち的には余裕があるといえるかもしれない。

『人はなぜ神経症になるのか』の第5刷決定。

 4月からも聖カタリナ女子高校での講義をすることになった。どこの学校でも非常勤は毎年更新なので、この時期になると落ち着かない。

 明治東洋医学院から試験の答案が届く。火曜日には採点して発送しないといけない。時間がない。

 何か人知を超えた、偶然とは思えないようなことに遭遇すると、運命を信じたくなる。アドラーは、何か恐ろしいことに遭遇しながら傷つくことなく助かった人は、運命があらかじめ定まっていると思うようになることがある、という。たしかにこんなことはあると思う。

 次のような経験を語った人の例をアドラーは挙げている。ある時ウィーンの劇場に行こうとしていたのだが、その前に別のところに行かなければならないことになった。ようやく劇場に着くと、劇場は焼け落ちていた。何もかもなくなったのに、彼は助かった。このような人が自分が何か高い目的へと運命づけられていると思うようになるのは容易なことである、とアドラーはいう。問題は、このような人がその後の人生においてそのような来たいとは違った結果に終わる経験をした時である。勇気をくじかれ、重要な支えを失ってうつ状態になることもあるからで(アドラー『個人心理学講義』pp.130-1、岸見『不幸の心理 幸福の哲学』p.205)。

 運命を信じると、自らの責任で決めなければならないことを運命に委ねてしまうことがある。何もかも決まっているとしたら、努力することはないだろうし、他方、努力しても「人間万事偶然のみ」で、いかなる幸福も長続きしないと考えるならば、人間を超えるように見える力の前でただ立ち尽くししかないことになる。

 プラトンは次のようなことをいっている。

「運命を導くダイモーン(神霊)が、汝らを籤で引き当てるのではない。汝ら自身が、みずからのダイモーンを選ぶべきである」(『国家』617e、藤澤令夫訳)



「責(せめ)は選ぶ者にある。神にはいかなる責もない」(『国家』617e)

 こんなふうに思えたら、と思う。人は誰も自分のためになるという意味での善を欲するとプラトンはいう。時に人はこの善を実現するための手段の選択を誤ることはたしかにあるけれども、選択する時には、「それで善いのだ」という諦観ではなく、「それが善い」という積極的な、あるいは主体的な選択をしたい。そしてその選択に伴う責めを誰かや何ものかに帰するのではなく、この自分で引き受けたい。





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最終更新日  2006年01月20日 03時27分15秒
コメント(15) | コメントを書く


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ダイモーン  
シーナさん  さん
「ダイモーン」という名前は少し怖い感じがしますが、私もダイモーンを選んでいるように思いました。それぞれの人に、それぞれの神様がいて、その自分だけの神様と、いつも相談しあっているように思っています。「ダイモーン」かぁ~。 (2006年01月20日 19時27分12秒)

Re:ダイモーン(01/19)  
Ichiro_Kishimi  さん
シーナさんさん
 ソクラテスはそのダイモーンの声が聞こえたといっています。ただし、何かをせよ、ではなく、何かをしてはいけないという声が。これがどういうものだったか研究している学者はたくさんいるわけです。 (2006年01月20日 20時49分33秒)

Re[1]:ダイモーン(01/19)  
シーナさん  さん
Ichiro_Kishimiさん
-----
なぜダイモーンはソクラテスに、してはいけないことを、聞こえるように言わなかったのでしょうか?
それとも聞こえたのに、ソクラテスが自分の心にしまったのでしょうか? (2006年01月20日 21時02分55秒)

Re[2]:ダイモーン(01/19)  
Ichiro_Kishimi  さん
シーナさんさん
 わかりにくい説明でしたか? してはいけないという声が聞こえたのです。実際にどんなふうであったかはよくはわからないのですが。例えば、どこかに行こうとした時、ストップがかかるわけです。
 補足ですが、日記に引いた責(せめ)は選ぶ者にある。神にはいかなる責もない」というのは、あの世にいる人たちがまたこの世に戻ってくる時に、どんな人生を選ぶかという話なのです。そんなの選べるのかといいたくなるかもしれませんが。 (2006年01月20日 21時13分02秒)

Re[3]:ダイモーン(01/19)  
シーナさん  さん
Ichiro_Kishimiさん
-----
「責め」の部分はエドガーケイシーが言っている事と似ていると思いました。

「してはいけない」と、声が聞こえた時に、ソクラテスは「何をしてはいけないのか」理解できなかったのですか? (2006年01月20日 22時18分59秒)

Re[4]:ダイモーン(01/19)  
Ichiro_Kishimi  さん
シーナさんさん
 いえ、もちろんわかります。出かけようとする時に声が聞こえたりするわけだから。
(2006年01月20日 22時29分21秒)

Re[5]:ダイモーン(01/19)  
シーナさん  さん
Ichiro_Kishimiさん
-----
すいません、やっと分かりました。(^-^;)例えば自分の中のダイモーンが右に曲がってはいけないと言ったので、ソクラテスが左に曲がった。そういうことが「ソクラテスにはあった」という事ですね。
(2006年01月20日 22時46分27秒)

Re[6]:ダイモーン(01/19)  
Ichiro_Kishimi  さん
シーナさんさん
 よかった。でも右に行くなとダイモーンが行っても、では左に行けとはいわなかった(ややこしくなりました?)。 (2006年01月20日 22時51分11秒)

Re[7]:ダイモーン(01/19)  
シーナさん  さん
Ichiro_Kishimiさん
-----
いえ、あまり深くは理解できていないと思うので、ややこしくはなっていないです。
最初にこんがらがったのは、ダイモーンを自分の中にある神様みたいな位置づけで理解したつもりだったのですが、「沢山の学者が研究している」と言うのを読んだ途端に、ソクラテスからの投げかけだと、思い込んだようです。(妄想族なもので^^;)
別に投げかけではなくて、そういう声がソクラテスには聞こえたという、事実なんだと、元の理解に戻ってきた感じです。 (2006年01月20日 23時26分10秒)

Re[7]:ダイモーン(01/19)  
シーナさん  さん
Ichiro_Kishimiさん
でも右に行くなとダイモーンが行っても、では左に行けとはいわなかった(ややこしくなりました?)。
-----
道を選ぶのはソクラテス自身だからですね。
(2006年01月20日 23時27分51秒)

Re[8]:ダイモーン(01/19)  
Ichiro_Kishimi  さん
シーナさんさん
 このことについてはあれこれ研究がされています。ソクラテスは哲学者の代表格のような人で、合理的なはずの哲学にはこのような宗教的な要素は無縁のように考える人もあるわけです。 (2006年01月20日 23時29分19秒)

Re[9]:ダイモーン(01/19)  
シーナさん  さん
Ichiro_Kishimiさん
-----
そうなんですか。哲学について何も知らない私です。哲学者には疑問なのですね。
先生は哲学者だから疑問ですか?今読んでいて疑問でないような感じがしました。疑問に思わない哲学者もありですか?
(2006年01月20日 23時47分16秒)

Re[10]:ダイモーン(01/19)  
Ichiro_Kishimi  さん
シーナさんさん
 もちろんありでしょうね。でも、僕は宗教と哲学をきっちり区別したいので、哲学者としてはなんでもありというふうには考えていません。 (2006年01月21日 20時33分58秒)

回想か空想か?  
チワワ   さん
私もよく昔のことを回想します。
自分の性格の形成に関係あったのか?など気になる時など、子供の時のことを思い出したりします。
でも、私もそうなのです。
うろ覚えだし、記憶が曖昧なのです。
親に聞いてもそんなことなかったとか言われると
ますますわからなくなってしまします。
そこで、私は、思いました。
あったかなかったかわからない事を、事実かも確認できないのに思い出すよりも、これからの出来事を大事にしようと、、、
確かに、出来事って、人格形成に関わるのかもしれないけど、出来事ってこれからもいろいろ起こってくるから、これからのことを記憶に残すようにがんばろうと思いました。
過去は、何人かいて、現実にあったことでも、みんなが忘れてしまったら、確かめようがないけど、これからだったら、日記につけておけばいいもんね。^。^
考えても疲れるばっかりなので、そうやって、
これからの記憶でだけでも、確実にしようと思う私であった。
自分で、書いていて何かいてるんだろうとも思うけど、本当に記憶って曖昧になったり、忘れてしまったり、どうだっだか思い出せなくなってしまったりするので、これからは、空想かもしれない回想よりも、現実を一日一日積み重ねていくのだ!決意しました。
年をとってから、年寄りの話だから、わからんね~~~と言われないようになったりとか、何かと
良いので、がんばります!
(2006年01月21日 22時17分17秒)

Re:回想か空想か?(01/19)  
Ichiro_Kishimi  さん
チワワ  さん
「あったかなかったかわからない事を、事実かも確認できないのに思い出すよりも、これからの出来事を大事にしよう」といわれること僕も賛成です。
 自分が直面している課題に立ち向かう際、それから逃れたいと思っていると、空想かもしれない過去の記憶を思い出すことがあります。あの時、うまくいかなかったら今もうまくいかないだろう、と思いたいわけです。
 本文にあげたケースはこれとは反対なのですけどね。 (2006年01月22日 17時47分23秒)

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