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今年のクリスマスイブは、1965年以来47年ぶりに、東京、名古屋、大阪などで小雪が舞うのではないかと予想されましたが、小雪は降りませんでした。 代わりに、北国にどか雪が降ったようです。 クリスマスは、イエス・キリストの降誕を祝う祭です。 いまでは12月25日に祝われていますが、正教会のうちユリウス暦を使用するものは、グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝うそうです。 ユリウス暦は、地球が太陽の周りを回る周期を基にして作られた暦法で、太陽暦の一種です。 ユリウス・カエサルによって制定され、紀元前45年1月1日から実施されましたが、暦法としての不備が指摘され、グレゴリオ暦に改暦されました。 改暦では、ユリウス歴1582年10月4日の翌日を、グレゴリオ暦10月15日と定めています。 イエス・キリストは、ギリシア語でキリストであるイエス、またはイエスはキリストであるという意味です。 キリスト教においては、ナザレのイエスをイエス・キリストと呼んでいます。 ナザレのイエスは、紀元1世紀の28年ごろから30年ごろにかけて、パレスティナのユダヤの地、とりわけガリラヤ周辺で活動したと考えられています。 聖書等にはキリストの誕生日についての記述はなく、4月~9月の間とされているそうです。 イエスの降誕は、”マタイによる福音書”と”ルカによる福音書”のみに書かれています。 それによると、住民登録のために処女マリアとともに先祖の町ベツレヘムへ赴き、そこでイエスが生まれました。 ベツレヘムは古代イスラエルの王ダビデの町で、メシアはそこから生まれるという預言がありました。 ベツレヘムの宿が混んでいたため泊まれず、イエスを飼い葉桶に寝かせました。 そのとき、天使が羊飼いに救い主の降誕を告げたといいます。 その時期について確定できているのは、12月の寒い時期ではないということだそうです。 それまで、各宗派がそれぞれに日付を定めてキリストの生誕を祝っていましたが、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、336年にミトラ教の祭である冬至祭の日であったこの日を、イエス・キリストの降誕の日と定めたそうです。 清しこの夜星は光り 救いの御子は馬槽の中に 眠り給ういと安く 清しこの夜御告げ受けし 牧人達は御子の御前に ぬかずきぬかしこみて 清しこの夜御子の笑みに 恵みの御代の朝の光 輝けりほがらかに
2012.12.25
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坂本龍馬は、1836年生まれの江戸時代末期の志士、土佐藩郷士です。 土佐藩を脱藩した後、志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中を結成しました。 薩長同盟の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど、倒幕および明治維新に影響を与えました。 1891年、大政奉還成立の1ヶ月後に近江屋事件で暗殺されました。 ”坂本龍馬の「贋金」製造計画”(2010年5月 青春出版社刊 竹下 倫一著)を読みました。 聖人君子ではない人間・坂本龍馬の知られざるエピソードを公開しています。 竹下倫一さんは、1967年福岡県生まれ、西南学院大学経済学部中退、歴史研究家、フリーライターで。 大蔵省職員、出版社勤務を経て、2000年に執筆活動を始め、歴史、経済、ビジネス関係の雑誌、書籍に多数寄稿しています。 坂本龍馬が贋金製造を計画し実行しようとしていたことは、多くの史料、文献が示す事実だそうです。 しかし、龍馬のイメージを壊すということで、一般にはあまり取り上げられてきませんでした。 実際のところは、海賊の親分のような人物だったそうです。 当時、薩摩藩は、幕府から許可を得て琉球通宝を作っていましたが、こっそり天保通宝の偽物を作っていたといいます。 1863年に生麦事件に端を発した薩英戦争があり、その後、薩摩とイギリスの講和が成立し、薩摩がイギリスに賠償金を支払うことで妥結しました。 薩英戦争によって、薩摩藩は財政が深刻になり、これを契機に天保通宝の偽造を始めたそうです。 贋金は幕府が鋳造していた天保通宝と二分金の二種類だったようです。 当時、贋金鋳造は薩摩藩だけではなく、戊辰戦争が始まると外国からの武器の購入などの戦費捻出のため、奥羽越列藩同盟の会津藩、仙台藩、二本松藩などが贋金を鋳造し始め、続いて、土佐藩・芸州藩・宇和島藩などの官軍諸藩もこれに続いたといいます。 龍馬が薩摩藩の贋金作りの事実を察知して、岡内俊太郎にニセの二分金を持ってくるように命令しました。 龍馬は、土佐藩の出兵に要する莫大な軍費を贋金づくりで賄おうと考えたらしいのです。 最初、藩は躊躇していましたが、結局、贋金作りを行いました。 最初は大阪の土佐藩邸で行い、やがて土佐に移されたようです。 明治になってから、外国の貿易で支払われた代金に贋金が混じっていて国際問題になったそうです。 常識を超えた発想で現状を突破することが龍馬たる部分であり、後の薩長同盟や大政奉還につながって行きました。 本書では、悪の魅力も含めた人間・龍馬の魅力が紹介されています。1章 歴史を動かした龍馬の言葉―たった1人の反対者を説得できず何が出来るんだ2章 龍馬、人生を語る―商人はずる賢くて当たり前3章 龍馬、友を語る―小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く4章 龍馬、戦略を語る―弱い兵は集団でかたまるので狙い撃ちにされる5章 龍馬、家族への愛を語る―40歳までは修行の身と思ってください6章 龍馬、夢を語る―私は新国を開くのが夢でした
2012.12.18
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このところ、日本経済は先行きがきわめて不透明になっています。 それだけに、明るい未来を展望したいものです。 ”三度目の奇跡 日本復活への道”(2011年5月 日本経済新聞出版社刊 日本経済新聞社編集)を読みました。 明治維新、第二次大戦敗戦からの復興に続く三度目の奇跡についての方策を探っています。 奇跡は起きるものではなく起こすものという観点から、日本の置かれた厳しい現実を直視し、第三の奇跡を起こすための処方箋を探っています。 2011年元旦からの日本経済新聞の特集記事を元に、緊急出版されたものです。 1991年は日本の成長が止まった年で、バブル経済が崩壊した年に当たります。 豊かさに慣れてた中で問題の先送りを続けてきた結果、日本は今も低成長にあえいでいます。 さらに、人口減、高齢化、財政難に大震災と原子力事故が加わり、いま、日本は危機的な状況を迎えつつあります。 しかし、財政、年金、医療など、いまのまま突き進めば、遠からず制度が破綻すると分かっているはずのに、誰も本気で変えようとしません。 それは、多くの人が今の豊かさという既得権を手放せないからではないでしょうか。 思えば、バブル経済が崩壊した年、日本は三度目の奇跡に向かって踏み出すべきでした。 そうしないでいるうちに失われた20年になり、さらに大震災が襲いかかり、いっそう困難な時代になりましたが、まだ復活は不可能ではありません。 しかし、これまでに築きあげた成功モデルを踏襲するだけでは、いまの豊かさはすぐにでもこぼれ落ちてしまいます。 だから、国民一人ひとりが不断の自己変革を通じて、この難局を乗り切るしかありません。 これができれば、明治維新、第二次大戦敗戦からの復興に続く、三度目の奇跡となるでしょう。 決して神がかり的な僥倖を期待するのでなく、厳しい現実に背を向けず、多くの無名の日本人の目に見えない努力と生き様が、復活の原動力になるはずです。 我々日本人は、大震災と原発事故の困難から立ちあがり、本当に奇跡を起こさなければなりません。 それが日本復活への道です。第1章 大震災にひるまず-「奇跡」を起こせ-第2章 平均年齢45歳の国の未来図-第3章 いまこそかじを切れ-
2012.12.03
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