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5月最後の日曜日。今日はA美が参加しているGuides(ガールスカウト)の毎年恒例のイベントの開催日でした。まぁFund Raisingが主な目的なんですが、周辺の子供づれ家族達にとってはちょっとした縁日気分。チープなゲームや福引きなんかもあり、週末を安く過ごしたい家庭にはうってつけのイベントでした。動物達との触れ合いコーナーもあり。これはアルパカかな。子供達に一番人気の、1回20セントの福引。しかし当たりの賞品はチップスの小袋や風船が1個など、原価率が異常に低い、Productivityの高い商売です。そうこうしているうちに、A美の名前がコールされ、いよいよ本日のメインイベントのダービーに「出走」です。偶然遊びに来ていた職場仲間のタナーラの大声援を受け、見事に2着に入賞しました。クリックするとYoutubeの動画にリンクします。音が出ます。日中は半袖に短パンで十分なこの地方ですが、それでも朝夕はだいぶ冷え込んできました。みかんが美味しくなってくると、いよいよこの地方も、冬の到来です。
2010.05.30
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ブータン旅行から帰ってきてからというもの、5月は怒涛のように過ぎて行き、気がついたら今月はもう終わろうとしています。日本では年度末に向けて、1月は「行く」、2月は「逃げる」3月は「去る」などと言いますが、こちらでは6月の年度末に向けて、引き続き4月は「死ぬほど忙しく」、5月は「ごっつう忙しく」そんな日々が続いています。6月が「無茶苦茶忙しく」なるのが目に見えているようで・・・・。同様に、この数ヶ月嫁はんは嫁はんで、これまた人手不足で、パートながら忙しい日々を送ってきており、今年はなんと、夫婦揃って大事な結婚記念日を忘れる始末。気がついたのがその日を2週間ほど過ぎてから、という現実に夫婦揃って笑って誤魔化すしかありませんでした。4年前こそ、バタバタで過ごしていたにもかかわらず、しっかりその日を頭にインプットしていたのですが、それ以降の3年間、実は我々夫婦、不幸にも同じ屋根の下で結婚記念日を過ごす事がなかったんですよね。3年前は嫁はんが先にオーストラリア。おいらはまだ日本で残務整理中。2年前はおいらのシドニー出張。そして去年は嫁はんが日本へ帰省中と、今年が4年ぶりに夫婦そろった結婚記念日のはずでした。しかしさすがに丸3年も結婚記念日を祝っていないと、お互いその存在すらを忘れてしまうんですね。今年、間違いなく夫婦で結婚記念日を迎えたのですが、お互い「ただの週末」として完全スルーしてしまっていました。結婚11年目ともなると、どこの夫婦もこんなもんなんでしょうかね。諸先輩方のご意見を是非お伺いしたいところです。来年はしっかり、ケータイやパソコンにリマインダーを仕掛けておかなくては。
2010.05.29
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【5月5日(水)本日の行程】ブリスベン15:15→(DJ1245)→16:30ロックハンプトンブリスベン空港国際線ターミナルでは、カンタス、ヴァージンブルーともに国内線のチェックインサービスを行っています。しかしこの日は昼前という中途半端な時間帯であった為、このサービスの実施時間外だったらしく、結局国内線ターミナルへ移動しなくては搭乗手続と荷物の預け入れが出来ませんでした。パロの空港で厳重に「セキュリティシールされた」バゲージ。梱包テープをハサミで切らないとかばんが開けられませんでした。電車で国内線ターミナルへ行き、搭乗手続を済ませてようやく身軽に。すぐさま、往路にも利用したT-Busに乗ってアウトレットモールへ向かいます。ショッピング利用客はこのバスはフリーでの利用が可能。出発の日の夜と同じ乗り場から出発。国際線ターミナルを経由します。約5分程で到着。このDFOは、オーストラリアの東海岸に複数のアウトレットショッピングセンターを持つチェーン。ブリスベン空港近くに数年前にオープンしましたが、いつも横目でその存在を見ながらも行く機会を逃していました。今回はようやく視察が実現したという所でしょうか。数々の有名ブランドが入店した大きなショッピングモールと、カーパークを挟んで向かい側にはウールワースやボトルショップが入ったビルディングがあります。入口すぐにあるフードコート名の通ったスポーツ・ファッションブランドのショップが立ち並びます。暫く目にしていなかった溢れかえる程のモノの豊かさに目がくらくらしました。煩悩は捨ててきたはずなのに・・・・特価品のフリースを1点お買い上げ。向かい側のビルディングへ移動し、見つけた和食モドキの店でカツカレー丼を賞味。蕎麦屋のカレーみたいで美味しかったです。洋服買って、ファーストフードで食事するなんて、あぁ、やっぱりおいらはストイックに生きることは出来ないんだなぁ。と帰国直後の自分の行動に反省・・・。まぁしかし、「豪」に入れば「豪」に従う、っていう事で。(えらく立ち直りも早い)バスは日中10分おきの運行。ロッキー行きの出発時刻も迫っていたので、ターミナルへ戻る事にしました。ロケーションも空港至近だし、バス代はかからないので、買い物目的でなくても、ここは格好の時間つぶしの場所になりそうです。今回の旅行8区間目。最後のボーディングです。ロッキーの空港には、職場から直接来てくれた嫁はんと、これまた学校から直接来てくれたA美の出迎えを受けました。さらにサプライズな事に、昔この地に住んでいた時にすごくお世話になったミツエさんが妹さんと一緒に旅行でこの地を訪れており、10年ぶりくらいの嬉しい再会を果たしました。ミツエさんには、ここヤップーンでも、その後転勤した東京でも、我が家は家族ぐるみでお世話になっていました。残念ながらうちの社員だった旦那さんは数年前に他界されたのですが、昔と変わらない元気なお姿と素敵な笑顔に旅の疲れも吹っ飛んで、癒された気持ちになりました。ミツエさん、制服姿の嫁はん&A美と一緒に。赤いシャツを着ていたおいら、バンコクの街に行かなくて良かった。当日はこれまた偶然にも妹さんのお誕生日。お友達のお宅での、こちらもサプライズのバースディケーキに妹さんもいたく感激されていました。おいらもちょっぴり君からもらい泣き。by一青窈赤ちゃんだった頃には、ミツエさんにベビーシッターもしていただいたA美です。また遊びに来てね~。長かったブータン旅行記ですが、家族の笑顔でシメとさせていただきます。お付き合い、ありがとうございました。(これでもサマライズしたんだけどなぁー)
2010.05.05
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【5/4(火)本日の行程】パロ08:20→(KB400)→09:05カトマンズカトマンズ13:30→(TG320)→18:15バンコクバンコク23:59→(TG473)→11:50+1ブリスベン「コンコンコン」朝5時。部屋のドアをノックする音に目覚めました。二日酔いの目を擦りながらドアを開けると、満面の笑みで佇むホテルスタッフのお兄ちゃんが。「おはようございます。モーニングコールです。」うぅ・・確かに、モーニング「コール」だこりゃ。部屋に電話機が無い事に、この時初めて気がつきました。ゆっくりと朝食を済ませ、カッちゃんタンちゃんの出迎えを受け、ホテルを後にしました。今日はしっかり時間通りに出発です。楽しいブータン旅行も今日でおしまい。そして、3日間お世話になったカッちゃんタンちゃんとも今日でお別れです。「今度は家族を連れて来るからね」としっかり約束をして2人に見送られ、空港へ入りました。パロ空港のチェックインカウンター。ここにも国王の肖像画が。カトマンズ行きのボーディングパスイミグレを通過し、出発待合室へ。帰りはオンタイムの出発予定のようです。ほっ。この待合室で、やはり日本人で一人旅をしていたタケダさんとゆっくり話をする機会が持てました。彼もおいらと同じ行程で、往路のカトマンズ空港で話しかけられたのですが、2泊3日の行程中あちこちで顔を合わす事があり、道中なんとなく一緒に旅行をしていた感じでした。彼ももともと一人旅が好きで、モンゴルやアフリカなど、あちこちを旅して回った事があるそうです。先日結婚をしたそうですが、奥さんが妊娠中という事で、今回も一人旅だったそうな。ちなみに奥さんはJICA(国際協力機構)のスタッフとの事で、こういった旅行にはヒジョーに理解があるんだとか。お互いの連絡先などを交換し、「今度はオーストラリアに来て下さいね」としっかりセールス。こちらは近距離線用のATR42-500です。こちらがおいらの搭乗機、A319です。タケダさんにお願いして、搭乗機前で記念撮影。プッシュバックタグ名残惜しいですが乗り込みます。中途半端に現地通貨が残っちゃいました。下は現国王。しつこいようですがアントニオ猪木ではありません。ちなみに上は先代国王。劇団ひとりではありません。いよいよテイクオフです。最後のブータンの空からの映像は、動画でお楽しみ下さい。クリックするとYoutubeの動画にリンクします。音がでます。窓からヒマラヤの高い山々も見えました。往路と全く同じミール。デジャヴかと思った(笑)。ドゥルクエアーでは一切の連帯運送をしない為、カトマンズで一旦手荷物を受け取り、ネパールへの入国となります。先日取得したビザで入国し、直ちにバンコク行きの搭乗手続きを済ませます。カトマンズに宿泊するタケダさんともここでお別れし、おいらはネパール滞在わずか4時間で、バンコクへ向けて出発しました。行きと同じルートで、再びバンコクへ向けて出発です。搭乗率は8割くらいといったところ。驚いた事にこの路線では和食のチョイスがありました。海老のすり身のカツにトンカツソースがかかったのがメインの、幕の内弁当風メニュー。これは嬉しい誤算でした。そして、この区間でしっかり「おくりびと」の鑑賞も完了です。バンコクへも予定通り到着。ブリスベン行きまでの出発までには5時間あります。久しぶりのオフラインからの復帰で、まずはターミナル内のインターネットサービスでメールチェックをし、向かった先はこちら。はい、タイと言えばマッサージです。この歳になると、カラダに反応が出るのは1日半あと。前日午前中のトレッキングがようやく筋肉痛となって出てきたために、1時間US20ドルのフットマッサージに飛び込んだわけです。費用対効果が十分にある、心地よいマッサージでした。手持ちのシンガポールドルで、Pad Thai(タイ風焼きそば)をいただきました。ボーディングパスに見慣れた「BRISBANE」の文字が。旅が終わりに近づいている事を実感します。夜食は魚料理をチョイス。Tub-tim Fish with Sundried Tomato ButterParsley Potatoes, French Bean and CarrotRoll, ButterPumpkin Delight with Fruit JellyCoffeeこちらは到着前の朝食サービスFresh Fruit, YoghurtCheese Omelet, Pan-fried Pork SausageReesti PotatoBaked Half Tomato with Olive Oil and OreganoRoll Butter, JamCoffeeタイ航空、結構細部に渡るまで抜かりないなぁと思いました。機内食は本当にどの区間でも美味しくいただく事が出来ました。ブリスベンへも予定より少し早めに到着。入国審査、税関検査もあっさり通過しました。一応タイで乾燥めんやチョコレートなどのお土産を買っていたので、食べ物持込で申告したのですが、検査前の係官から「何持ってるチョコレートじゃあもうあっちから出て良いよ」と完全スルー。こんな事ならバンコクの空港でミスドを大量に買えば良かった、と後悔。無事にブリスベンへ到着し、旅はほぼ9割終了。しかしロッキー行きの飛行機には乗継に余裕を持って手配していた為、3時間ほどの自由時間が。せっかくの旅行最終日。つまんないブリスベン空港でくすぶるのも勿体無い。という事で、空港から程近いアウトレットモールを取材に行く事にしました。(旅の日記はしつこくもまだまだ続く)
2010.05.04
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心温まるアマンとの交流を終え、気分もほっこり。アラの影響もあってふわふわ夢見心地でパロの町をドライブします。「こんだけ国が平和なら、警察もヒマでしょ」とおいらが質問すると、確かに、カッちゃんが知る限りで、殺人事件なんてのはこれまでに2件あったかなかったか、という事でした。1件は土地の境界線かなんかの紛争で、1件は夫婦間のトラブル(いわゆるフリン)ブータンの警察の大きな仕事は、町の交通整理と、野良犬が夜中に元気に動き回るのを取り締まる事、らしいです。おいらこの国結構、というかかなり好きかも。時は夕方近く。パロの小さなストリートで、最後の自由散策をさせてもらう事にしました。ほろ酔い気分という事もありましたが、小さな町全体がいとおしく、みんな本当に幸せそうに見えました。民族衣装の制服に身を包んだ、学校帰りの子供たち。店先で井戸端会議にいそしむご婦人方。民族衣装の「ゴ」や「キラ」の反物を織る機織の音。昭和時代の懐かしい音や風景が、2010年の今でもこの目と耳に、優しく届いてきます。面白そうだね。オジサンにやり方見せてよ。いいよ。こうやってやるんだよ。クリックするとYoutubeの動画にリンクします。音が出ます。参拝者が鳴らすマニ車の鐘の音。弟妹の面倒を看ながら家の仕事を手伝うお姉ちゃん。心の豊かさが、音に、そして表情になって表れているんだろうなぁ。クリックするとYoutubeの動画にリンクします。音が出ます。ブータンが提唱している、GNH(Gross National Happiness:国民総幸福量)は、4つのエレメンツを柱とした、精神的な幸福感を示すものなんだそうです。すなわち、1. Socioeconomic Development(持続可能かつ公正な社会経済学的発展)2. Environmental Conservation(環境の保全)3. Preservation of Culture (文化の保護と促進)4. Well Governance(良い統治)これらをバランスよく実現する為に、諸外国の文化や技術、新しい考えをその成功や失敗を教科書にしながら少しずつ、少しずつ取り入れて、国民とともに国を成長させていこうというのがブータンのフィロソフィなんだそうです。4つの柱のどれかひとつが突出していても、バランスが取れた成長は出来ないという事なんですね。民芸品屋さんにて競争社会の中で優位に立つ、という豊かさは勿論幸せの指標の一つですが、この国はそれを望んでいない。幸せは、もっと身近な場所に。家族と一緒の食事の時間を過ごす、幸せ。今年もあの垣根に綺麗な花が咲いた、幸せ。隣のおじさんがうちの家の前も掃除してくれていた、幸せ。「ありがとう」を言える幸せ、「ありがとう」を言われる幸せ。おいらは、毎日の仕事や生活に忙殺されて、そんな事にすら気がついていなかった、いや、気づいていながら、振り向こうとはしなかったのかも知れない。本日の夕食。まずは豆と野菜のクリーム仕立てのスープ。子供の頃に教わった、「小さな親切」「人にやさしく」「おはよう、ありがとう、失礼します、すみません」ブータンの人たちは、こんな基本的な道徳心(モラル)が身にしみついている。だからこそ、みんなが気持ちよく、幸せに過ごす事が出来るのかも。よその国みたいに、目まぐるしい程の新しい物事と、それを取り締まる法律がイタチゴッコになる事はないんでしょう。メインは野菜の天ぷら。中央は大好きな「ニガウリ」。美味しい!白ご飯、魚の塩漬けの焼いたの、アスパラのクリーム煮、どれも美味しかったです。ブータン王国には、「瞳の澄んだピュアな子供」に共通した印象がありました。諸外国(大人)に少しずつ生きる術を教わりながら、世界の中でマイペースに成長している。欺くとか、駆け引きとか、打算とか、そんなのまだよくわかんない。だけど情報は恐ろしい程のスピードで、この国にも押し寄せてくる。それに流される事なく取捨選択をしながら、これからもゆっくりと、国のIdentityを守りつつ成長していって欲しいと願っています。何か我が子の成長を願う親の気持ちと共通しますけど。山菜の油いため。素朴な料理の数々に感激です。家族的で日本の民宿にいるよう。このご飯やおかずも、農家や料理人さんなど、多くの人達を通じて、この食卓にあがってきているんですよね。そう思うとなんとなく合掌。教わる事、考えさせられる事がすごく多かった今回の旅行。おいらの中では、人生の中でもとても貴重な経験になりました。甘いスイカのデザートです。うーん、昼間からの酔いがまだまだ続いているようです。でもこんな気持ちよい酔い方が出来たのも、みんなのおかげなんだなぁ。幸せな気分で床についたおいらでした。そんないとおしい夜があけると、明日はもうブータンを離れる日です。
2010.05.03
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カッちゃんのガイドのもとに、あらためてパロ市内の散策へ出発。まずはブータン最古の寺院のひとつである、キチュ・ラカンへ。本堂の中は撮影禁止でしたが、床の一部が、人の足型に凹んでいるのがわかりました。繰り返しご本尊様に礼拝する人のためにそうなったのだとか。あらためて、この国の信仰心の厚さを感じ取る事が出来ました。さて、寺社巡りはこれくらいにして、次はパロにある一軒の農家を訪れる事になりました。気分は渡辺篤史の「お宅訪問」です。こちらの家は、典型的なブータンの専業農家。お邪魔したご自宅の1階は倉庫で、2階部分が居住スペースになっていました。急な外階段を上がってお邪魔します。この日ご自宅を案内してくれたアマン(お母さん)です。優しそうでしょ。こちらがキッチン。歴史資料館でしか見たことがないよう鍋窯類が、現役バリバリで使われています。この天秤も現役。「日本でも昔、米や酒を量るのに使ってたよ」というおいらにアマンも驚き。次は、偉い人や一家の長老、お坊さん達が使うと言う部屋へ。その向かい側には仏間がありました。日本のように仏壇をしつらえているのではなく、部屋自体が仏様の為にあるまさに「仏間」です。梯子のような階段をさらに上がるとそこは屋根裏部屋になっており、刈り取った稲を干すスペースとして使われていました。ブータンの農業は、1964年に農業指導者として派遣された西岡京治氏により大きく改良され、その功績が称えられた西岡氏は国王から最高爵位であるダジョーの称号を与えられたそうです。(外国人で唯一)だから、ブータンの人々は日本人に対してとりわけ、とてもいい印象を抱いている、という事のようです。ひととおり家の中を案内された後は、リビングルームでもてなしを受ける事になりました。アマンの子供は3人。一番上の女の子はもう成人して、町で働いているのだとか。「そうかー、じゃあじきにお嫁さんに行っちゃうんだねー。」とおいらが言うと、「へっ」とカッちゃん。よくよく聞いてみたら、ブータンでは女が家を継ぐのが普通。女が家に居る絶対的な時間が長いから、女が婿を取って家を守り続けていくのがreasonableなんだそうです。なるほどねぇー。お国が違えば、こんな所でも文化の違いがあるんだなぁーと目からウロコが100枚落ちました。と談笑しつつ、振舞われたのが、ブータンの自家製焼酎「アラ」です。ひそかにバター茶が出てくる事を期待していたのですが、「イケる口」と見られてしまったのか、この強いお酒を薦められる事になってしまいました。皆さんご承知の通り「下戸」としてはオリンピック日本代表レベルのおいら。しかし事前にカッちゃんから、「薦められたら極力飲み干して下さいね」と念押しされていたため、意を決して盃を空にする覚悟を決めたのでした。しかし、一口含むと、これが意外や意外、香ばしい穀物系(米やトウモロコシ)の香りが際立って、こりゃあ旨い、と感じたのでした。お酒の類が美味しいと感じたのは、本当に久しぶりです。しかも口当たりも水のようにクリアで、すすすいっと飲む事が出来たのでした。これはお酒の「アテ」として出された、お米を炒った食べ物。歯ごたえがありますが、あられのような米自体の風味があり、これも非常に美味しかったです。「なんだ、おいらもしかしたら『アラ』だったら飲めるのかも」と思って、ついつお酌にも気軽に応じてしまい、後先考えずに結局この盃(結構大きめ)で2杯いただいてしまったのでした。おもてなしいただいたアマンに丁寧に御礼をし、お宅を後にしました。さぁ、ブータン最後の観光は、パロの町の散策です。んなんか足元がふらつくけど、気のせいか、な
2010.05.03
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タクツァン僧院は17世紀に出来た由緒ある僧院だそうで、ブータンに仏教をもたらしたとされるグル・リンポチェが瞑想をした場所に建てられたと伝えられています。英語でこの場所はTigers Nest (虎のねぐら)と言われています。この僧院はしかし不審火で1998年に焼失してしまったそうで、今はその後に修復された僧院の姿を展望することが出来ます。登山口はホテルから車で約15分くらい走ったところ。ここの段階で既に標高は2500m。ここから一路、展望台を目指して出発します。風景はまるで屋久島。風も心地よく、森林のパワーを感じながらのトレッキングです。カッちゃんの代わりに案内してくれたのはホテルの支配人。しかしここでも、彼の名前を聞くタイミングを逸してしまい、これまた支配人がおいらの知人に似ていたので、勝手に「ナカジマさん」と命名する事にしました。ナカジマさんに「展望台まではどれくらい」と聞くと、「まーだいたい、人にもよるけど1時間あれば登れるんじゃないかな。」との事。そうか、1時間くらいなら雑談しながらでも着いちゃうね、とおいらは完全にナメきっていました。だっておいら、通勤に使っている靴で来ちゃったし、リュックの中には水さえ持っていませんでしたし。しかし、忘れていたのは、ここが標高の高いところにあるという事と、おいらここ1年くらい、「運動」と名のつくものをまったくしていなかった事。間もなく、おいらは日頃の運動不足を心から後悔する事になるのでした。息は上がり、口数は少なくなり、5分歩いちゃ5分休憩し、の繰り返し。ナカジマさんから「Take it easy」と励ましの声を掛けてもらいながら、這うようにして登山道を登っていくのでした。写真では、美しい景色に、五色の旗がはためいていますが、「こんな風景あったっけ」と、全く記憶にありません状態です。すれ違う下山客に「あとどんくらい」って聞いても、「聞かないほうがいいよ、dissapointしたくなかったら」なんていわれる始末。結局おいら達は山の頂にあるTea Houseまで、2時間近くもかかってたどり着きました。到着寸前、山を下っていく馬を発見。「これに乗って登山も出来るんですよ」とナカジマさん。聞けば、片道ひとり10USドルとの事。そんなオプションがあるんなら最初に言ってくれよ~、てな心境でした。(まぁでも、初めに聞いてても自分の足で登ったでしょうけどね。)断崖絶壁に建つのがタクツァン僧院です。その下にあるのがTea House(茶店)。茶店の入口前にはマニ車もありました。こちらが茶店の入口です。やっとの思いで茶店に到着。ここで海抜3000mくらいだそうです。ここには50代くらいの日本人10名程度のグループがいて、日本語ガイドが彼らをアテンドしていました。話を聞くとみんな特に苦労も無くすいすい登ってきたとの事。さすがにこの年代の皆さん、おいら達世代よりもずっと健脚です。とりあえず、登った証拠。ついでにナカジマさんともパチリ。another小1時間程トレッキングをすれば、もう少し間近にタクツァン僧院を観る事も出来たのですが、既に時間は午後に入っていたし、これからパロ市内観光も残っていた為、登山口駐車場へ引き返す事にしました。下りは余裕のよっちゃん。ナカジマさんとの会話も弾みます。ナカジマさんは昔ツアーガイドとしてカッちゃんの先輩として働いていましたが、今はホテルを経営しているという事。トレッキングガイドは久しぶりだったそうな。でもこういう事でもないと登る機会もないから、今日は自分にとっても良かった、と言ってました。ナカジマさんのホテルへ戻り、一緒に昼食。登山後で疲れていたので、簡単なものでいいですよ、と言ったら、厨房のスタッフがささっと焼ソバを作ってくれました。おかずに大好きなアスパラのソテーも添えて。もしかしておいらのアスパラ好き、このホテルにも情報が伝わっていたのかも。食後くつろいでいると、ようやくカッちゃんがやって来ました。どうやら「今日は仕事がない」と思い込んでいたらしく、まさにタンちゃんの言うとおり、メモリープロブレムだったようです。「本当に、大変申し訳ございませんでした。」と、カッちゃん平謝り。いやいや、連絡が取れないっていう時、カッちゃんの身に何かあったんじゃないかってタンちゃんと心配してたんだけど、何事も無くて良かった良かった。という事で、またまた3人での珍道中の再開となったわけであります。
2010.05.03
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タンちゃん「ガイドの携帯にさっきから連絡するんですけど、電源が入ってないんすよ」おいら「そうなんだ、まぁでももうちょっと待ってみようよ」30分後・・・タンちゃん「ボスに連絡したら、とりあえずパロのホテルに行けっていう事だったんで、これからパロまで俺が連れて行きます。」おいら「わかった。でも心配だね。連絡が取れないなんて」タンちゃん「彼はごくたまにこういう事があるんすよ。何て言うのかな、自分で勝手に思い込むって言うか・・」おいら「それってメモリープロブレム(記憶障害)、って事」タンちゃん「そうそう、それそれ、メモリープロブレム」運転中もボスと連絡をとりあうタンちゃんの図タンちゃん「うちのボス(ソナム)がお客様と話したいって言ってますんで、代わってもらえます?」おいら、タンちゃんより携帯を渡される。おいら「もしもし、あぁソナムさん、この度は旅行のアレンジありがとうございます」ソナム「あぁ、かちょー。さんですか、ソナムです。今日は本当申し訳ない」おいら「いやいや、おいらは大丈夫ですよ。タンちゃんがちゃんと面倒見てくれてるんで」ソナム「これからドライバーが、今日宿泊予定のホテルへ連れて行きますんで、そこの支配人にトレッキングガイドをするようにアレンジしときました。すんませんが彼と一緒にTigers Nestへ行ってもらえませんやろか」おいら「あぁ、了解しました。こちらは大丈夫ですよ。それよりカッちゃんどうしちゃったんでしょうね。心配ですね。」ソナム「いやー、お恥ずかしい。とにかく連絡がつき次第、あいつをホテルへ寄越しますんで、すみませんがドライバーと一緒に移動してください」何も知らずに呑気にハイウェイを歩く牛たちの図つう事で、パロまでの道のりは、タンちゃんと2人で仲良くドライブとなりました。せっかくなので、道中タンちゃんに色々とインタビューしてみましょう。おいら「タンちゃん、家族は」タンちゃん「俺すか俺は両親と弟2人と一緒にティンプーに住んでます」おいら「じゃあ独身なんだ。ガールフレンドは」タンちゃん「いっぱいいますよ。へへへ。」おいら「この仕事はどれくらい」タンちゃん「今で2年ですかね。俺はフリーのドライバーで、Bhutan Excursionから仕事を請け負っているんです。でもいずれ経験が積めれば(日本で言う)大型二種の免許が取れるんで、そうしたらバスも運転できるんですけどね。」おいら「そうなんだー。休みの日とかは何するの彼女とどっかデートに行ったりするの?」タンちゃん「休みの日は、町のレストランに食事に出かけたり、山や川に遊びに行ったりしますね。」そんな他愛のない会話をしているうちに、ようやくカッちゃんから電話。タンちゃん 「☆○△$#&<@!!!」 (←おそらく、「お前何してんだよ客待たせやがって今どこなんだよとにかくこっちはパロのホテルに向かってるから、早く来いよわかったな」てな類の事を現地語で言ってたんだろうと勝手に推測)タンちゃん「やっぱ記憶違いしたたようっす。後で合流させますんで。とりあえずトレッキングは予定通りホテルのマネージャーが案内します。」いやー。あのしっかり者に見えたカッちゃんがねぇー。意外なところに驚きでした。まぁそれもご愛嬌。午前中はタンちゃんと2人でのんびりドライブを楽しみましょう。車は素晴らしい田園風景を抜け、昨日到着した空港を通過してパロの市街地へと入りました。こちらは「パロ・ゾン」伝統様式の寺院と渡り橋は、フランス映画「リトル・ブッダ」の舞台となったそうです。本当に美しい川の流れです。しばらく走ると、街中でアーチェリーに興じる人々の姿が。タンちゃんにちょっと車を停めてもらい、しばし見学させてもらいました。競技する人々は、民族衣装の「ゴ」に身を包んでいました。はきものがスニーカーっていうところがミスマッチで可愛らしい。左端に見える的までの距離、なんと130mもあるんだそうな。レーシックで視力2.0になったおいらにも、的が肉眼では見えません。でも矢を放った数秒後、明らかに的を射る「コツン」という音が聞こえました。ものすごい命中率です。的に矢が当たった時、皆がエイヤ~コラヤ~と喜びのダンスをするのが印象的でした。そしてホテル「Tenzinling Resort and Spa」に到着。とりあえずウェルカムドリンクをいただいて、一旦客室へ。独特の建築様式のレセプション棟木の温もりを感じるレセプションとメインロビー客室は戸建ヴィラスタイルです。部屋の入口にもお釈迦様の姿が。おいらの部屋は右側のドアです。コテージ風の明るくて広い部屋でした。という事で、なんだか訳のわからないまま、このホテルの総支配人とともに、Tigers Nest(タクツァン僧院)へのトレッキングへ出かけることとなったのでありました。(続く)
2010.05.03
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ホテルに到着した後は、翌日の日程についてカッちゃんとディスカッション。「それでは明朝、少し早いですが8時半の出発で、トレッキングに行きましょう。」と言われ、へいへい了解ですぜ助さん、と言いこそしませんでしたが、その日はそこでお開きとなりました。しかし早朝のカトマンズを出発してからここまで、ホント内容の濃い1日でした。この日だけで日記が5回に渡っている事がその証です。ランチが15時頃と遅かった為、この日の夕飯は20時にセットしてもらいました。ホテル内のメインダイニングで、おひとり様でしたが優雅なディナーです。おいらの他には、台湾からと思われる15人弱のグループと、3人連れのパーティが食事をとっていました。テーブルクロスにテーブルマットもブータンの織物が使われています。この風合いもすごくいいですよね。どっしりとした、それでいてどこかはんなりとした色使いと紋様。和、洋どちらのスタイルにもしっくり合いそうです。まずはアスパラガスのクリームスープがサーブされました。ほっこりと優しい味です。そのほかのフードはビュッフェスタイルでいただきました。インド風の豆のカリーやナンのほか、シンガポール風ヌードルや中華風の鶏から揚げなどなど。純然たるブータン伝統料理、って訳ではありませんでしたが、美味しくいただきました。デザートはフルーツカクテルとコーヒー。ランチが結構ヘビーだったので、料理はたくさんはいただけませんでしたが、全体を通じて大変美味しかったです。部屋に戻るともう21時過ぎ。娯楽と言ってもこの国ではテレビを観るくらい。ブータンは1999年からテレビとインターネットが解禁され、今では24時間、衛星チャンネルでCNNを始めとする世界各地の放送を観る事が出来ます。自国の放送局も3局ほどあるようですが、多くは宗教的な放送か、どこぞの高校の学芸会を延々と放送するような、極めてローカル色の強い内容でした。その他はインドのテレビチャンネルが多く、あっちをひねってもこっちをひねってもインド人がストーリーとは関係なく踊りまくる映画ばっかり。気がついたらおいらは深い眠りに落ちていました。【5月3日(月)本日の行程】終日 ブータン観光宿泊:Tenzinling Resort Paro歳を取ると早起きになっちまってねぇー。この日は何と、5時半に完全に覚醒してしまいました。いよいよ爺さんへの第一歩でしょうか。窓を開けるとすがすがしい高原のような朝霧。特に朝はいっそう爽やかで新鮮な空気が漂います。こんな朝にじっとしているのは勿体無いので、周辺の散歩に出かける事にしました。おいらがブータンに入国する直前まで、ティンプーでは第16回南アジア地域協力連合サミット(SAARC)が開催されていたとの事。その名残が、町のあちこちで見られました。おいらが泊まったホテルミグマールも、来賓者の宿泊施設になっていたようです。道理でゴージャスなわけだ。ホテルより歩いてすぐのところに国営アパートが立ち並んでいました。団地の周辺をしばし散策。朝ごはんの支度をしている家庭あり、洗濯ものを干している家庭あり。異国のこうした生活の一部が見えるのも、旅の楽しみのひとつです。しっかしこの国、やたらめったら犬が多い。よくよく聞いてみると、犬は誰が飼っている、という訳ではなく、近所のみんながエサを与えて、みんなで育てているんだそうです。だから町のあちこちに犬が多いわけですね。町の中を美しい川が流れます。隼人に住んでいた頃の、天降川の清流を思い出しました。おや、こんな所にバス停が。しかしバスが走っている姿は、滞在中一度も見かける事はありませんでした。町には至るところに、こうした仏様が祭られており、市民は学校や仕事に行く前に、この周辺を何回も巡りながらお参りします。年配の人に混じって、高校生らしき若者の姿もありました。本当に信仰の厚い国です。1時間ほどの散策を終え、ホテルに戻ったら丁度レストランのオープン時間のタイミングでした。すでにおいらのテーブルはセッティング済み。まずは温かいコーヒーでおめざです。朝食もビュッフェスタイル。シリアルにトースト、ソーセージ、ゆで卵、ビーンズ、フルーツ。優雅な朝食時間を過ごした後は、部屋をチェックアウトし、待ち合わせ時間まで、地元の新聞を読みながらカッちゃんを待つ事にしました。しかし、待ち合わせ時間を過ぎてもカッちゃんの来る気配がありません。フロントの兄ちゃんも、「今日は何時に待ち合わせしたんですか?」と心配顔。そうこうしていると、ロビーに、「すいません、カッちゃんと連絡がとれないんです・・・」と、ドライバーのタンちゃんが駐車場から焦った様子でやってきたのでした。(続く)
2010.05.02
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美味しい料理でお腹が満たされた後はティンプーの市内観光へ出発。ティンプーは人口10万人のブータンの首都。ブータンの人口が約70万人ですから、国民のおおよそ1割強の人口がティンプーにいるわけです。まずはそのティンプー市民の「台所」とも言うべき、バザール(マーケット)へ出掛けました。この日は日曜日。午後でしたが結構な賑わいでした。日用雑貨・衣類やある程度の食料品は町の商店で購入できるものの、こうした生鮮品はこのようなマーケットで購入するのが一般的なんだとか。ブータン人は辛いものが大好き。この赤唐辛子は、「野菜」として油で炒めたり、スープの「具」として食べられるそうです。様々な種類の香辛料。食文化はインドの影響も強く受けています。バターはこうして売られていました。酪農がさかんで、この国ではこうした乳製品は貴重なたんぱく源としてふんだんに料理に利用されます。ヤクの乳から出来た干しチーズ。まるで石のように硬かったです。ブータンの人々はこれをガムのようにクチャクチャと時間をかけて食べるんだそうです。川を渡って、向こう岸の民芸品コーナーへ。こうした民芸品や雑貨は、インドやバングラデシュなどの隣国からの輸入品が多いのだそう。次に向かったのは、ブータンの政治・宗教の中枢をなす「タシチョ・ゾン」です。ここの半分は観光客へ一般公開されていますが、残り半分には国王の執務室などがあるアドミニストレーションオフィスで、立入が制限されていました。カッちゃんはここでは、民族衣装の上にスカーフのような白いサッシュを肩からまとい、正装での入場。美しい外観の木造建築は、釘を1本も使っていないそうです。どことなく飛鳥や平安などの古都を思い出させる建築様式。Artificial Colour、いわゆる人工着色は一切使わない天然着色だそうで、気が遠くなるくらいの期間を要したそうです。公式行事を行う広場。中央のシートに国王やロイヤルファミリーが鎮座するんだそう。これはParliament(国会議事堂)。ティンプーチュ(川)をはさんだ対岸にあります。次に訪問したのは「メモリアル・チョルテン」1972年に病死した第3代国王の功績を称えて建造された仏塔です。入場してすぐ左側には、大きなマニ車が並んでいました。このマニ車には経文が刻まれており、1回まわすとお経を1回唱えた事になるそうです。仏塔の周囲をお経を唱えながら時計回りに周回する人々。これが参拝のスタイルのようです。タシチョ・ゾンの見学を終えたおいら達は、夕暮れ迫るブータンの中心街へと向かいました。「ここがブータン最大のメイン・ストリートです」とカッちゃんが説明してくれたその交差点には・・・手信号、いまだ健在。ではその見事な車さばき具合を、動画でご紹介しましょう。(↑クリックするとYoutubeの動画にリンクします。音が出ます。)適当な場所で車を停めてもらい、1時間ほどフリーで街を散策させてもらう事にしました。さしずめ東京で言うと、銀ブラならぬ「ティンブラ」ってとこでしょうか。ちょっと響きが危ないですが・・・。昔、学校の地図帳にはブータンの首都「チンプー」って表記されてたんですよね。モロに「チ○ブラ」になってしまうところでした。(↑いい加減この話題から離れなきゃ)伝統的建造物が今も息づく街並。さすがに市街地では、洋服を着た若者達の姿も。お店の一軒一軒が絵になります。ブータンスイーツのお店。割と普通のケーキやエクレアが並びます。気圧の低いお国だからでしょうか。ポテチの袋はパンパンです。映画館。国産映画やインド映画が主流のようです。昔の日本は、酒屋や金物屋、衣料品店など、いろんな商店が集まってひとつの町が成り立っていましたよね。ティンプーの街はいかにもそんな感じでした。店主との会話を楽しみながら、買い物をし、売る側も買う側も、町全体が顔なじみ。そりゃあモノの質やバラエティは限りがあるけれど、今の日本やオーストラリアには見られない、コミュニケーション溢れる町の風景を見たような気がしました。割と新しい日本の小型車がよく走っていました。道路ではちゃあんと、歩行者優先で車が停まってくれます。マナー最高。また、町歩きをしながら感じた事は、とにかく町自体の清潔な事。首都のメインストリートでさえも、タバコの吸殻などはおろか、ゴミひとつ落ちていません。車の通行量がそれなりにあるこの地区ですら、十分に美味しい空気を感じとる事が出来ました。ブータンでは、タバコの販売と公的な場所での喫煙を法的に全面禁止しています。タバコは自宅での喫煙のみしか認められず、国外からの持込には100%の関税がかけられるそうです。清清しい空気には、こういう所にも理由があるんですねー。おいらにとっては、ますます魅力的な国になりました。商店の軒先のあちらこちらでは、ボードゲームを楽しむオジサン達の姿をよく見かけました。(↑クリックするとYoutubeの動画にリンクします。音が出ます)これはボード上の平たい駒を、別の駒をヒットさせて四隅のポケットに落とす、ビリヤードに近いような娯楽のようでした。ティンプーのタイムズ・スクエアでカッちゃんタンちゃんと待ち合わせ。日も暮れてきたため、本日の観光はこれにておしまい。明日はいよいよTigers Nest(タクツァン僧院)へ向けてのトレッキングです。
2010.05.02
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本日のおいらの気分はこちらの音源でお楽しみ下さい。パロを出発したおいら達は一路首都ティンプーへ向けて車を走らせます。車窓に広がるのは、どこか懐かしい田園風景。なんとなく、鹿児島の田舎で車を走らせていた時の風景を思い出してしまいます。ここはチュ・ゾムと呼ばれる、パロチュ(「チュ」は「川」の意味)とティンプーチュの合流地点。ブータンでは、川が合流したり、分離したりする地点は神聖な場所であると同時に、重要な交通の要衝なんだそうです。川のほとりには3つの仏塔が建てられており、それぞれネパール様式、インド様式、ブータン様式で建造されています。カッちゃんの話によると、この国では山あいの地形と豊富なヒマラヤの雪解け水を利用した水力発電による電力が国の大事な財源だそうで、その60%を国内で消費し、40%を外貨獲得の為に隣国インドへ輸出しているそうです。そうして得た外貨で、国の医療費や教育費の無料制度を実現している訳なんですねー。(↑益田由美アナウンサーの口調で)しかしどこへ行っても空気がさわやか。この国はとにかくマイナスイオンパワーが充満しています。気分はすこぶる快適。ブータンの風と美しい風景を楽しみながらの心地よいドライブ。しかし飛行機が2時間遅れてしまった為、首都ティンプーへ到着した頃はすでに午後2時過ぎになっていました。とりあえず本日宿泊予定のホテルで先にチェックインをし、ホテルのレストランで遅めのランチをとる事になりました。本日のお宿「ホテル・ミグマール」です。神々しい造りの外観。デコは豪華ですが派手さは感じられません。まるで美術品のようなエントランスです。こちらがレセプションメインロビーの家具もとにかく王朝風です。壁面には、こちらも又歴代キングの肖像画が。第5代 ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王です。ちょっとアントニオ猪木&坂上忍が入ってますが、凛々しいですね。30歳独身だそうです。そこの未婚女性のあなた、国王夫人の座を狙ってみては?では、客室へ入りましょう。新しいながらも、重厚感のある廊下を抜けて・・・ティンプー市内では最新のホテルの一つだそうです。薄型テレビをはじめ、近代的な設備が整っています。清潔感のあるバスルームとりあえず荷物だけ部屋に放り込んだ後で、ガイドのカッちゃんと一緒にしばしランチタイム。では、この機会にいろいろとカッちゃんへインタビューしてみる事にしましょう。インド風のカレーや、中華風の炒め物など。野菜が中心。外国人用に辛さはマイルドに抑えてあるそうです。カッちゃんは30歳で、息子2人が上は小学生で下は3歳。もともとはブータンの東側にある町で生まれ、今はティンプーで家族と共に暮らしているそうです。ツアーガイドになって6年目。当初はトレッキング専門ガイドでしたが、今はトレッキングだけではなく、観光地全体をアテンドしているとの事。英語の学習は小学生から、っていうか、授業自体が英語で行われるのだそうです。つまり、国の言語として「ゾンカ(ブータン語)」の存在はありますが、実質的な公用語は英語なんです。これも国王の方針。道理で英語ペラペラな訳ですね。でもカッちゃん自身は、意外にも一度も海外へ出た経験がないんだそうです。現国王とは、「同級生でした」とあっさり。でも存在感、というかオーラがぜーんぜん違ったんだとか。会話をしながら、仏様を、国王を、親を、そして目上の人を尊敬し、日々信仰心厚く過ごしている、というカッちゃんの姿勢が窺えました。自分の存在は人々の支えと自分の精進によって初めて成り立つ。何に対しても常に「ありがとう」の気持ちを持つ事が大事なんですね。バナナとスイカのデザート。うーん。30歳とは思えない、この落ち着きと悟りよう。さすがブータニーズガイ。おいらへの質問も、「日本の伝統と文化は」とか「最近のメディア媒体は」とか非常に真面目で向学心旺盛な青年でした。それにひきかえ、四十を過ぎていまだヘラヘラしているおいらからの質問と言えば、「民族衣装の下には何を穿いているの」とか「夜は何して遊んでるの」とか、そんな下世話なものばかり。あぁ、もっと文化的な話をすれば良かった・・・と後悔。カッちゃんの中の、日本人の印象がサゲサゲにならなかった事を祈るばかりです。ちなみに民族衣装「ゴ」の下ですが、(←まだこだわっている)今の時代は普通に「パンツ」を穿いているそうですが、その昔は「ノーパン」だったんだそうな。さぞかし「おさまり」が悪かったろうなぁ、と推測します。首都「ティンプー」とは良く言ったもので・・・・はっ失敬。御婦人になりかわって、捨て身でガイドブックには載っていない有益な情報を引き出しました。(←いらん情報)ご飯も美味しかった~。高原野菜のアスパラガスは、特産品のひとつだそうです。「オーストラリアはアスパラ高いから、嫁はんが買ってくれない」と言うと、「全部召し上がって下さい」とカッちゃんは皿ごとおいらにすすめてくれました。そして、「今度は家族と一緒にいらして、お腹いっぱいアスパラガスを食べさせてあげて下さい」と。もったいない、ありがたきお言葉。おいらの家族さえも気にかけてくれるカッちゃんに後光がさしていたような気がしました。
2010.05.02
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長い旅路を経て、ようやく憧れの国ブータンへの第一歩です。とにかく、降り立った瞬間に感動したのが、この国は、何て空気がおいしいんだろう、という事でした。これまでにも北海道や軽井沢、霧島高原などを訪れた際、なんとな~くそれを感じる事はありましたが、空気のキレイさを、感覚的にこれほどはっきりと認識したのは生まれて初めてでした。後にガイドをして、「ブータンはアジアのスイスと言われている」と言わしめた理由が十分理解できたような気がしました。一歩足を踏み入れた瞬間からの感動。この先の3日間、この国への期待に胸がふくらむばかりです。パロ空港のターミナルビル外観です。シップ前ではあちこちで大撮影会。誰も入国手続に行こうとしません。こんな光景、よその国ではありえないですよね。民族衣装の「ゴ」をまとったランプスタッフ。カッコイー。歴代の国王もお出迎えです。一番右が、4年前に即位した現国王、若干30歳です。ひとしきりブータンの空気を肌で感じた後で、ようやく乗客がぼちぼちとイミグレーションへと向かうのでした。イミグレーションはランプエリアからこの入口と直接繋がっていました。世界中の空港では、「イミグレ」イコール「その国で最も険しい顔をした人たち」という印象がありますが、ここブータンに至ってはイミグレの人たちですら慈愛に満ちた顔をしていました。入国待ちの列。観光客も和気あいあいと笑顔で入国待ちです。担当官から「Welcome to Bhutan」の声をかけてもらい、おいらも無事にブータン王国への入国を果たしました。以前日記に書いた通り、この国ではまだ個人が観光目的で直接ビザ申請をする事が出来ず、必ず国が認定したエージェントを通じてビザを取得し、ガイド付きで旅行をしなければなりません。という事で、観光客はそれぞれ、自分が手配したガイドと合流し、それぞれの車での観光をスタートします。おいらも、手配をお願いしたBhutan Excursionからのガイドと無事合流。おいら1人に対して専属のドライバーとガイドがつくという、まるで殿様のようなツアーを楽しんでまいりました。おいらの左手がドライバーのタンジンくん29歳。そして右手がガイドくん30歳です。しかしどうしてもガイドくんの名前が何と発音しているのか聞き取れず、彼が屋久島にいるおいらの友人に似ているので、勝手においらの中で、「カッちゃん」と呼ぶことにしました。カッちゃん、タンちゃんを助さん格さんのように従え、おいらの珍道中がここから始まったわけです。人生楽ありゃ苦もあるさ~。でもこの国には、その苦楽の先に必ず幸せがあること、そしてその幸せを感じる方法を誰もが知っている、そんな気がしました。さぁ、それではこれから、未知なる王国の旅へと皆様をご案内しましょう
2010.05.02
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【5/2(日)本日の行程】カトマンズ09:45→(KB401)→11:00パロ宿泊:Hotel Migmarここからのおいらの頭の中のBGMはこれでした。皆さんもこの雰囲気をどうぞご一緒に。早朝6時にホテルをチェックアウトし、送迎車で空港へ向かいます。この日もメーデー絡みの集会があちこちで開かれており、道路によっては人間バリケードで封鎖されている箇所もありました。ツーリストは優先的に通過させてくれるものの、何十人もの民衆が送迎車の中を外から取り巻くようにチェックする為、平静を装ってはいたものの、生きた心地がしませんでした。ターミナルビル入口の行列カトマンズ、トリブバン国際空港へ到着。何故かターミナルビルへ入る前からすごい行列。どうやら搭乗客以外はターミナルビルへ入る事が出来ないようで、入口でパスポート及び搭乗券の確認、セキュリティチェックが行われます。まぁ国際空港とはいえ、ビル内には送迎客用の飲食施設などもないし、ビル外には客引きがもの凄い数でしたから、ある意味適切な措置かも知れません。乗客以外はビル内立入禁止の表示が。「麻薬犬?」と思いきや、ただの野良犬。本当にこの国は野良犬が多かったです。お前もここから立入禁止だってよ(笑)。首都の国際空港とは思えない薄暗いチェックインカウンターでドゥルクエアーの搭乗手続を行います。乗客の国籍も様々。さすがにブータンへ行く人々は、旅慣れた、というか「旅の玄人」を彷彿させる風貌の人たちが多いような気がしました。こちらがボーディングパス。まるで高速バスの乗車券のようなペーパーチケットです。地上業務はネパール航空が代行しているようですね。ビルには本当にキオスク1軒しかなかったので、ビル内散策という選択肢もなく、すぐに2階のイミグレーションへ。出国スタンプを押印してもらい、出発ロビーへと進みます。15日間のツーリストビザと出入国証。ネパールの電力事情の悪さを物語るような朝から既に薄暗い国際線出発ロビーです。一応、お土産品店やちょっとしたコーヒースタンドはありました。チョコレートやチップスの品揃えはオーストラリアとほぼ一緒でした。ホテルは朝食付でしたが、出発が早朝だった為、ホテル側がミールボックスを用意してくれました。(業界通称「朝欠サンド」と言います)これがホールケーキのパッケージ並みのデカさ。さて中身は・・・。ジャムサンド、マフィン、ゆで卵2個、リンゴ、バナナ2本チーズ、パック入りジュースです。お猿になった気分・・・。とりあえず食べられるだけ食べ、残りはリュックに詰め込みました。出発ロビーから搭乗ゲートへ向かうまでは、さらにセキュリティチェックがあります。ここでボディチェックとかばんの開被検査を受けた後に、ボーディングパスに検査済のスタンプをもらい、ようやく搭乗ゲートへ向かいます。日本やオーストラリアではイミグレーション前でこのような検査を受けますが、ネパールではイミグレでこの検査がない分、ゲート前で行われる訳ですね。国によってセキュリティシステムが違う事にちょっと驚きでした。こちらが出発ゲートです。ここへ入る際にも、再度ボーディングパスの提示が求められます。ゲート前の待合スペースさて、出発時刻までの一時を、持参した小説などを読みながら過ごしていたのですが、しばらくすると係員の兄ちゃんがやってきて、「パロ行きは遅れるから、あっちのコーヒーショップでパンとコーヒーをもらっておいで」と言いました。「どれくらい遅れるの」と聞いたところ、肩をすくめて、「さぁ」との事。まぁあんたに聞いてもしゃあないから、言われた通りにコーヒーサービスを受けて待つ事にしましょう。待合ブースの隣のコーヒースタンドでは、遅延客の対応に大忙し。おいらも並んで、チーズのサンドイッチとコーヒーの配布を受けました。まぁ特にトランジットがある訳でもないので、気長に待つ事にしました。結局待つ事2時間。ようやく出発ゲートがオープンし、搭乗開始です。そして目の前に、いよいよ現実となったサンダードラゴンの翼が。ドゥルクエアーはブータンの国営航空。そしてブータン唯一の国際空港であるパロに乗り入れする唯一の航空会社。つまり、陸路を除いてブータンへ入国する人は100%この飛行機に乗らなくてはなりません。1983年初就航。2004年からこの最新鋭A319が導入されています。就航25周年の記念ステッカー搭乗時の機内の様子出発準備も整い、いよいよ隣国ブータンへ向けて出発です。国際線ながら、飛行時間は僅か50分の短い空の旅です。「離着陸の際にはデジタル機器の使用はお控え下さい」と言うアナウンスを聞きながら、あちらこちらのシートではカメラ撮影が行われていました。さすが観光路線とも言うべきか。CAも黙認状態です。という訳で、おいらも「元航空人」としては風上にも置けない行為ですが、こっそりとこの記念すべき空の旅をカメラに収めさせていただきました。カトマンズ離陸直後チーズクロワッサンとデニッシュの機内食。この日すでに3食目のパン(泣)。雲の向こうにヒマラヤ山脈が見えました。画像では見づらいですが。僅かな水平飛行の後、間もなくランディングです。窓の外に緑豊かなブータンの国土が広がります。ランディングまでの風景は、Youtubeの動画でお楽しみ下さい。(クリックすると動画にリンクします。音が出ます)さぁ、いよいよ幸せの国、ブータンへの入国です。(しかしおいらも引っ張るねぇー)
2010.05.02
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ブリスベンからバンコクの便ではほぼ皆無だった日本人が、この便ではあちこちで見受けられました。おそらく東京、大阪、福岡あたりからのゴールデンウィーク利用の観光客がバンコクで乗り継いで、ここからカトマンズへと向かうのでしょう。それに加え、ヨーロッパからの乗客が多いのもこの便の特徴。彼らは一様にでっかいバックパックを抱えてのボーディング。この路線が、単に観光路線ではなく、ヒマラヤ登山客のメインルートになっているものと思われます。おいらは予約の段階で右側の最後尾の座席を確保。天気が良ければ、ヒマラヤ山脈が見れるかも、と密かな期待。カトマンズまでは3時間のフライト。キャパの大きいB777の座席はほぼ埋まっていたため、サービスも切れ目無くてきぱきと進んで行きます。ドリンクサービス。ソルトカシューナッツがおつまみ。食べ終わった瞬間、CAが気を利かせて2袋目をサービスしてくれました。最後尾のシートって、こういう時に得ミールサービス。CAの男性がチョイスの内容を説明してくれたのですが、その英語がどうしても聞き取る事が出来ず、唯一聞き取れた「ベジタリアンミール」を食べる事になりました。宗教色の強い南アジアでは、特別ミールでも予備が搭載されているんでしょう。豆腐のグリーンカレーカリフラワーのレッドカレーサフランライス アーモンドスライス添えセロリのサラダココナッツと小豆のライスケーキロールパン、ナンさすがにインド大陸が近くなるにつれ、料理も辛くなってくるような・・・(気のせい?)しかしこのココナッツと小豆の餅米デザート。これがまるでタイ風おはぎ、みたいな感じで意外や意外、甘くて美味しかったです。一緒についてきたかわいいアルミ缶の中身は、タイ風のココナッツ入りチョコロールクッキーが入っていました。タイ国際航空50周年の記念クッキーだそうです。窓の外には、ヒマラヤ山脈がうっすらと見えました。雲のように見えるのですが、その上から雪に覆われた山の頂がはっきり見えましたよ。そして順調に飛行を続けたB777は、ネパール、カトマンズ空港へ無事に到着しました。ネパールへの入国にはビザが必要ですが、観光ビザは空港到着時に取得できます。税関では、パスポートとともに機内で記入した入国書類とビザ申請書を提出します。手続待ちで並んでいる間に、事前に用意したパスポートサイズの顔写真を、税関前の職員がサービスで申請書にホッチキス留めしてくれるのですが、こいつが躊躇なく、写真の顔面のど真ん中に「バチッ」と針を刺してくれるため、思わず「痛ッ」と声が出てしまう程でした。観光客は一様に、目が点になっていました。US25ドル也を支払ってビザが発給され、無事入国。ガイドやタクシーの客引きが溢れる到着口よりホテルからの送迎車も難なく見つかり、カトマンズ市内にあるホテルへ移動しました。これがカトマンズの国際線空港ターミナルです。空港から市内までは通常なら20分少々らしいのですが、あいにくこの日は5月1日。あちらこちらでメーデーの決起集会やパレードが行われており、封鎖された道路を避けるように走らなければならず、思った以上に時間がかかりました。そんな中、ドライバーは次から次に抜け道を駆使し、まるでインディなんとかレースのように、路地裏を時速80kmくらいのスピードで駆け抜けていくのでした。この国の交通法規は、左側通行という事以外はほぼ無法地帯。僅かな隙間を縫うように走る車、横入りや幅寄せは当たり前。10秒に1度はけたたましく鳴らされるクラクション。まるで国民総暴走族、っていう感じです。道中生きた心地がしませんでしたが、そうやってたどり着いたのがここ、The Shanker Hotelです。昔の宮殿をホテルとして使っているそうで、古い建物ですが重厚感があります。趣のあるロビーと廊下を抜けて、客室へ。チェックインの際に宿帳をちらっと見たのですが、なぜかおいらは「VIP」扱いになっており、シングルルームを予約していたにもかかわらず、通されたのはスイートルームでした。広々とした客室。80平米はあったでしょうか。程なく、フルーツとフラワーの差し入れまでいただく事に・・・。料金は勿論シングルルーム代でしかチャージされなかった為、未だになぜおいらがVIP扱いになっていたのかは不明です。しばらく落ち着いた後、街の散策へ。フロントで地図をいただき、10分程歩いたところにあるタメルの街をブラブラ歩きました。人力車なんかもありましたが、とりあえず自分の足で散策をする事に。タメルの街は、大通りから少し中に入ったツーリストやトレッカー達の情報交換場所であり、トレッキングの為のツアーエージェントや、バックパックや登山用品などのトレッキングギアを取り扱う店舗がたくさんありました。またネパール料理をはじめ、いろんなレストランやカフェ、お土産屋や書店も並び、色んな国の人々が行き交う、まさに「喧騒」「混沌」といった言葉が似合う街でした。「オニイサン ニホンカラ? ハッパ イラナイ?」と声をかけられたのもこの街です。大通りも散策したのですが、とにかくものすごい土埃り。しかもゴミやガレキもあちこちに放置されたまま。ジモティですらマスク着用で歩いている人が多く、1日で鼻毛が伸びてしまうんじゃないかしらというくらい、空気の汚れた街だという印象を受けました。あまり健康的ではなかった散策を2時間ほどで切り上げ、ホテルに戻って、プールサイドガーデンでお茶をしながらしばしのんびり。夕方はここで読書をしながら過ごしました。部屋に戻り、ちょっとウトウトするつもりが、ふと気がついたら夜の9時。街灯も無い夜の街へ歩いて行くのは危険だし、かといってお腹もそんなに空いていないので、この日は差し入れのフルーツをつまみ、早朝出発の翌日に備えるのでした。部屋は電力不足の為、全体的に薄暗い、っていう感じ。さらにバスタブにお湯を張ると、水道水はお茶のようなにごり水。こりゃあ水道水が飲めないっていうのは理解できるなぁと日本や豪州のインフラ環境をあらためて有難く思った夜なのでした。
2010.05.01
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【5/1(土)本日の行程】バンコク10:15→(TG319)→12:25カトマンズ宿泊:The Shanker Hotelこのスワンナプーム国際空港は、つい2006年に開業したばかりの新しい空港。シンガポールのチャンギや、ソウルの仁川に匹敵するほどの施設の充実ぶりに目が覚めるような驚きを覚えました。まずは到着フロアから、入国審査場ではなく、トランジットブースへと向かいます。簡単な手荷物X線検査を終えると、そこはもう出発フロア。でもゆっくり散策する前に、念のため次便の情報入手をする事にしましょう。さすがシンガポールに並ぶ、アジア屈指のハブ空港だけあって、夥しい数の出発便が表示されています。さて、おいらが次に乗るカトマンズ行きは・・・・と。よしよし。定刻の出発予定です。ではいざ、安心してエアポート散策に出かける事にしましょう。タイはもとより、アジア各国のお土産品店が立ち並びます。勿論空港ならではの、貴金属店や免税品店などのファッショナブルな店も。ん欧米かっオメガでした。こんな煌びやかなモニュメントもあり、さすが仏教国って感じです。HJ(ハングリージャックス)も、一歩オーストラリアを出ると「バーガーキング」に。と、目の前に現れたのは、♪いい事あるぞーぉ、でおなじみの・・・日豪以外の第三国に来た時、日本食や日本でしか食べられなそうなものが目の前に現れた場合、おいらはその国の名物に走るか、日本食に走るかいつも悩んでしまうのですが、この日は迷う事なくミスドに「ご入店」でした。大好きな「ポン・デ・リング」で優雅なモーニングティータイムです。このモチモチ感がたまらない。クリスピークリームドーナツに行列を作っている皆さんに、ミスドの方が100倍美味しいですよ、とおいらは声を大にして言いたいです。そうこうしているうちに、ボーディングタイムが近づいきたので、事前にチェックしておいた指定ゲートへと向かいます。ショッピングエリアからエスカレーターで1フロア下ったところがボーディングゲートへの入口です。下に見えるのがゲート前の待合室。こちらがゲート前待合室です。「どこを切っても金太郎」じゃないですが、行くトコ行くトコ真新しくて本当に綺麗な空港です。窓の外に、搭乗予定のB777が見えます。そしてそのシップの向こう側には、タイ航空旧塗装のジャンボが駐機されていました。最近はレトロブームで、確か全日空もモヒカン塗装が復刻しましたよね。タイ航空の以前の塗装は知ってましたが、ここまで古いバージョンは初めて見ました。ここからは一路、ネパールへ向けて約3時間のフライトです。せっかく確保した右の窓側。ヒマラヤの山々が見えるといいなぁ。
2010.05.01
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