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月曜日。いろいろなことが一斉に始まった。道路工事、リフォーム仕上げ、原稿締め切り、リハビリ、入浴ケアである。なんでこんなに忙しいんだろう、と思うけど、予定の方がどんどん入ってくる。どれも必要なものだったりする。削れないし動かせない~。おまけに、父は仕事で超忙しくて夜中帰りだし、祖父母は秋の旅行で留守だ。分担していことも事務員が引き受ける。当然ぼやきが増える。ぼやきを通り越して、すでに、宣言というか、おどしに近いときもある。 なので、私としては、被害が拡大する前に早めに座薬協力を申し出た。生活が忙しくなると、なぜか弟も、こだわり、いつものようにスムーズにいかなくなる。そんなときじんましんになる。生活のテンポが速すぎるのだろう。きっと、みんな、気持ちのどこかで影響しあってバランスをとっているのだ。風穴をあけないと、まずいナーと思う。ま、私にできることは、静かにしていることだ。とうとう、二つのことを同時進行しないとこなせなくなってきた。ので、リハビリしながらリフォーム仕上げである。なるべく、リハビリに集中するのが私の仕事。同時に両方に対応するのが事務員の仕事だ。わたしは今まで、環境の影響をとても大きく受け、自分の意思とは離れて、音や会話に過敏に反応してしまった。少しは必要な刺激のみを受け取ることができるようになっているとは思う。 集中しようと思って、思ったとおりにできたら、苦労はない。そこんところを、できるようになりたい。とりあえず、工事の音を聞かないようにして、周辺の音や動きに惑わされず、リハビリに集中すること。やってみた。
2008.09.30
私の疲れは、丸二日よく寝てだいぶ回復しました。回復してくると、自信も回復してくる。と、けっこう単純である。そのうちに事務員がグロッキーでダウンした。疲れてくると、気持ちがわるくなってくるようだ。昨日も今日も機能不全である。その様子を書こうとしたら、拒否された。励ますつもりでも、本人がいやなこともある。良かれと思って、という難しさは弟のときも感じたが、そう思うほど、なんだか自由にモノをいえなくなってきてしまった。それでも、一つのことを見るとき、必ず両面からの意見があるものだ。その目線がどこにあるかと、どちらに向いて発言するかで、まったく違う結果になる。人のことを書く、というのは難しいものである。 そろそろ新米の季節だ。新米が大好きな事務員は、きっとそれで元気が出るでしょう。単純だ。
2008.09.28
センターに平日通うようになって2回目だ。朝8時半からケアが始まり、夕方5時まで休みなしだ。昨日は夕方の入浴はできなかった。すっかりへとへと。で、シャワー浴にしてもらった。こういう希望が通じるというのは、ほんとうに、ほんとうに助かる。これで通じないと、いつものように入浴になり、疲れを防ぐことができないだろうから。シャワーにしたけど、夜、久しぶりに吐いた。あー、せっかくシャンプーした髪に顔面キャッチだった。かなり久しぶりだっただけに、ものすごく落ち込んだ。もう、かなりいいのでは?と自分で自信を持ちかけた病気に、また振り落とされる感じだ。それまでのよかった事が帳消しになる。もちろん全部が帳消しになっているわけではないんだけど、奮い立つ元気をチャージするのが大変。なんか、ガンの再発みたいだ。未経験世界だが、丁寧に丁寧に付き合って回復したものが、がらがらがら、と音を立てる。ここまでか?と思ったりする。ホント落ち込む。闘病が長くなると、精神的に自分で自分を支えるのが大変だと思う。20歳までにかなりよくなる、というのを支えにしてきた。次のステップに行くときは、まだ少しずつなんだあ、と思い知った。物事がよくなっているときは、無限にどんどん夢が実現しそうな気になる。でも、無限ということはないのだなあ。調子にのるな、という戒めなのかもしれない。とりあえず、今日は身体を休めることに集中しますかね。あーあ。
2008.09.27
昨日は久しぶりに怒った記事で、失礼しました。今日は少し、時間がたって冷静になっていたけど、やっぱり怒っているのは同じだ。コメントをいただいて、それぞれ最もだと思う。どれか一つが理由の全てではない。いろんなことが関係して、一瞬の火花が散るように事件が起こるのかもしれません。しかし、子どもがモンクをいうのはけっこう当たり前だし、それで、親が真に受けてむかっときて、喧嘩になることもよくある。けど、殺さないでほしい。子どもと一緒にムカついて喧嘩になる親をわるいとは言えない。ウチの親だって、しょっちゅう子どもに八つ当たりする。この状況でも、ゲンコツくらいはするだろう。でも、一応、殺されることはないと信じている。とはいえ、大人もモンクをいっていいと思うくらい大変な日常でもある。そろそろ、後期の行事が錯綜してきて、毎日のケア計画をパズルのように調整している事務員は、年中体中が痛いといっている。でも、代わってくれる人がいないんだから、しょうがない。お金もかかるし。私の通所が金曜になった。これまた弟のケアとの両立が難しくなってきた。私は週に一度の外出をなんとか保証しようと思っているが、お願いする方だから、なんか、ここ一番で強く言えない。ぶすぶすしたきもちを抱えながら、結局ガマンする方向へいく。追い詰められてもう選択肢がない。協力していると思うようにしても、限度がある。選ばせてもらっているようでいて、答えはもう決まっているのだ。父はあっさり、両立しようとするから無理なのだ。と切り捨てる。そこをなんとか全部やろうと事務員はぼやく。しわ寄せが行きやすいところは、いつも同じ。弱い人、真面目な人、やさしい人、言えない人、などなど。父の仕事と、弟の学校は最優先になりやすい。私の医療がすこし一段落して、最、最優先課題が減ったともいえる。親も必死なのはわかる。子どもも必死だ。どっちもそれなりにガマンして、生活が成り立っているのですねえ。
2008.09.26
事件の犠牲になった子どもに障害があったと聞いて、すんごく頭にきている。しかも、母親が犯人だというのだから、また、さらに頭にきた。私はとっても怒っている。みんな、それなりに怒っているのだろう。親にも事情があったのだろう。それでも私は子どもの立場の一人として、超怒っている。障害があったのは、本人のせいではない。なにも悪くないのに、なんで、殺されなくてはならないのだ。子どもはものすごく悲しい気持のままでいるだろう。死んでしまっても、なんで?と今も思っているだろう。かわいそうではすまない。すごく怒っていいと思う。死んでからでも怒っていい。いつもこういう事件で思うのは、何で、助けを求めなかったのか、ということだ。大変さを感じる感じ方は一人一人違うとは思うけど、助ける人は絶対にいる。なんで、助けてほしい、といわないのだろう。いわなければわからない。そこのハードルが高いのだ。でも、どんなにハードルが高くても、子どもは何も悪くない。やっぱり悪くない。どう考えても悪くない。子どもは親を選べない。それなのに、親は子どもを選ぶのだ。条件をつけて選ぶのだ。
2008.09.25
朗読図書を読んでいる。(聞いている)。初めて時代ものだ。今の言葉とは違うリズムや言い方を聞いていると面白い。はじめはなかなか馴染まないのだが、だんだん、進んでいくと、自分も江戸時代の娘っ子になる気分だ。これは、昔よく聞いた、水戸黄門の世界の言い回しだ。なぜだか、弟も、時代劇をよく見ている。するってーと、とか、親分とか、おかっぴきとか。調子がよいからだろうか?それで、昔の詩(文語)はというと、なんだかまた違ういい方で、時代が違うと本当に言葉が違う。書き言葉と話しことばと、身分とかでも違っている。するってーと、なにかい、おまえさんという詩もおもしろそうじゃあござんせんか。
2008.09.24
歌えない小鳥 森で遊ぶ歌鳥が藪の中に落ちた狩の弾に飛び込みのどをかすめて落ちた傷ついたのど笛さえずることはないもう二度と歌わないあの美しい歌 次の季節ふと聞いた美しい歌声聞いたことのない調べ森の中に響くこもれ日のその先に狩人がひとり切り株にすわり一休みして歌う 歌えない小鳥の目に一粒の涙悲しみ恐れ憧れ一度にあふれた傷ついたのど笛さえずることはないもう二度と歌わないあの美しい歌 澄み渡る声広がり木々の若葉ゆらし枝先をふるわせ小さなのどを包んだ新しく流れたあたたかい涙許し受け入れ小鳥は飛び立ち消えた 歌が大好きだった私は、歌えなくなって、とても悲しかった。けれど、歌によって癒されることも知った。音楽はどんなときにも力を与えてくれる不思議で、かつ、すごいものだ。そんな、すごいものがあって、本当によかったと思う。
2008.09.23
秋の入り口の雨が降っている。しとしとと静かに落ちている。植物の葉っぱに落ちる音と、地面に落ちる音と、屋根に落ちる音が混ざっている。時々、虫が鳴いて、参加する。コンサートのようでもある。今日はこまくさ苑でコンサートが開かれる。初めてテノール王子が私の詩の歌を演奏してくれるという。こまくさ苑には実習に行ったこともあるので、そこで、なんて、うれしいことだ。耳をすます、という言葉が好きだ。耳をすましていると、いろんな音が聞こえるのだ。もちろん生活の音とか、郵便やさんの音とか、それだけではなくて、静かなときにも聞こえないはずの何かが聞こえてくるような気がしてくる。今日のコンサートには私は参加できないけど、耳をすましていると、その時間、その場所にいなくても、ちゃんと聞こえてくるような気がしてくる。 つい数日前に明け方、自分が泣いているのでびっくりして起きてしまった。介護の父も、トイレか、吸引かと、あちこちチェックしたけれど、なんでもない、というので心配をかけた。当の自分でもよくわからないので、夢を見たか?という結論になった。 でも、わたしは、こういう気分を前に味わったことを後から思い出した。寝るのがものすごく恐ろしくて、寝ている間になにものかに連れて行かれそうになる、という底なし恐怖だ。もう、ずい分、健康になったつもりで、自信もついてきたかのような気持でいたのに。なんだったのだろう?と考える。のだけど、原因なんてすっきりわかるわけもない。 夢をみるなら、必ずその理由があると、聞いたことがある。自分で納得していないことでも、頭の中には何かが痕跡を残すのかもしれない。それが、寝ている間とか、意識がないときに大きくなったりあばれたりするのかも?と思うだけで、とっても怖い。理由がわからない行動を自分がしてしまうこと、は、麻痺以上につらい。夢か現実か、とよく言うけど、たぶんどっちも本当の自分なのだろうから、両方の言い分をよく聞きたい、とは思う。 といっても、想像したり、創り出したり、ということをいつも考えていると、現実のジブンと境目がなくなるのだろうか?ちょっと怖いなーと思っている。 で、本当に夢を見たのか?本当は何かを言いたい自分がいたのか?自分の音によく耳をすませてみた。すると、今日は、痰の音も、息の音も、とても静かで何も聞こえない。聞こえるのは雨の音だけ。
2008.09.22
センターの通所日が変わりました。平日に。しかも付き添いなし、のひとり立ちだ。長い道のりだったなあ、としみじみした。活動内容も、メンバーも、それほど違いはないが、私にとっては、大きな進化だ。朝からヘルパーさんに出かける準備を手伝ってもらった。モーニングケアは弟の実習期間に経験済み。でも、今回は自分が出かけるためのモーニングケアだ。朝から、定期通所のために準備するのは、通学していたとき以来なんだなあ、とちょっとしみじみした。といっても、じーんとするヒマはない。どんどんケアが進む。ヘルパーさんと母の二人で1時間。合わせて2時間分の仕事だ。運転の母は、センターについてほっと、ぼーっとしていた。どうやらそれくらい緊張したらしい。いつもだって一人で運転していたのに。頼るものがいないという状況の違いだろう。 今回は、自宅に帰ったときの移乗をヘルパーさんと待ち合わせ、そのまま入浴ケアだ。一日の活動分量が私にしてはかなり多い。私自身も、やってみないとわからない。ので、ちょっとどきどきだったりする。ついでに、自宅はまだ、工事が終わっていないので、いろんな人が同時進行でわらわらと動き、めまぐるしかった。同時に弟も帰ってきた~結果、ものすごく神経を使って5時。みんなバタンキューだった。時間刻みで10人も出入りした。私が平日でかけるとは、こういうことである。 慣れるのか。慣れたい。慣れなければ次へ進めない。・・・大変だなあ。でも、絶対軌道に乗せたいと思っている。事務員はギブアップで早々と寝てしまった。私は、じーん、としつつも、疲れすぎで寝るまでが大変でした。今ある制度は全部使っている。いまのところ、これで最高である。大変だなあ~。
2008.09.21
事務員多忙につき更新がままならず、心配をおかけしているようで。すみません。明日は必ず。ちなみに、わたしは元気です
2008.09.20
食べ物の中に毒が入っているという。聞いただけで吐きそうになる。私は全て、身体に入るものは他人がコントロールしている。これ、やだな、と思ってもいやと言えない。薬も、食べ物も、世話をしてくれる人の判断にかかっている、と改めて思う。怖いな、これは。その人が間違える、ということもある。けど、信用して任せないと私は生きていけない。介護の操作には間違いがしょっちゅうある。介護人の母は、いつも神経を使っているが、この頃疲れたー、という回数も増えたし、注入がカラになることもよくある。というか、増えた。多少空気が入って、オナラになるくらいならすぐには死なないけど、たとえば、身体に入るもの、そもものが腐っていたり毒が入っているのなら、本当に困る。防ぐことができない。一応じかに接する介護の人は、その人の顔をみて信用することができる。食べ物や薬を作る人たちの一つ一つの仕事をどうやって信用するのか見えないのだから、信用が大前提になっているはずだった。ほとんどの人が真面目に仕事をしているのに、ひとつ、一人、一箇所、信用が揺らぐと全体が信用できなくなる。顔が見えないということは、そうやって一気に不安が大きくなる。誰も信用できなくなる。へたすると。自給自足しかありえなくなる。それでも、わざとでなかったとしても、薬のせいで病気になる人もいるのだ。死んでしまった人もいる。あやまってもいのちはとりかえすことができない。人間が生きているうち、失敗しないということはない。絶対失敗する。のだが、失敗をゆるすのは信用しかない。その信用を作り上げるのはものすごく時間も努力も必要だ。そして、それは、壊れるのだけがあっという間だ。それでも、また、一日ずつ積み上げるしかない。うんと疲れる。けど、それをできる強さがあることも信じたい。結局、正直に、まっとうに復活するしか方法はないのだ。ただし、チャンスは1回しかない。
2008.09.18
天気もよい秋の季節、工事にはちょうどよいらしい。あっちもこっちも、トン、カン、がりがり、とにぎやかだ。とはいっても、耳のすぐ横の工事は、なかなかすごかった。音楽もかき消されるし、朗読も落ち着いて聞いていられない。というわけで、作詞に挑戦した。想像中の美しい場面が、音が出ると戦場!?に一変する。でも、また静かになると、切り替わる。いそがしいけど、テレビのコマーシャルのつもりで一日過ごした。作品はもう一息。騒音は疲れる。弟が学校から帰ってくると、興味しんしんではりついて作業を見ていた。ちょうど、学校の勉強では木工でニスをぬっているので、職人さんの仕事が身近なのだ。「観察してくるから」、といいながらうれしそうだ。モノにこだわる弟は、家の中で何かがほんの少し変わっても気がつく。新しいお菓子の包み紙とか、物の位置とか。なので、工事となったら大イベントだ。スロープから家に入ることひとつ、うれしそうだ。でも、次の瞬間、靴をどこにおくか、ヘルパーさんはどこから入ってくるか、いちいち心配がつきない。玄関が新しくなって、鍵がかわった。操作を覚えて、父に教える役を任された。うれしさ最高潮である。いつもの行動が半分のスピードになった 日常のいろいろなことが変わるのは不安の種であはある。でも、変化を楽しめるときは、チャレンジの意欲がわく。小さいことでも、不安を楽しみに変えることができたら、毎日はかなり面白くなる。その分量が増えれば、多少の失敗の不安もカバーできるだろう。日常はどんどん流れて、どんどん変化していく。その変化を楽しめるようになるには、毎日すぐ身の回りにころがっているささやかなことを、感じとる力がいる。ぼんやり過ごしていると、見逃してしまうのだ。今日は左官屋さんが来ている。昨日と聞こえる音が全然違う。何してる音だろう?気になる。
2008.09.17
大切に使ってきた玄関が壊れた。ので、今日から今週は大工事です。私のベッドは玄関の隣。壁ひとつだ。そりゃ、朝から速攻で工事が始まり、いろんな音が次々と鳴り出した。居間の一部も直すので、私は工事のど真ん中に寝ている。今は何の音かな?と想像して楽しもう・・とも思ったが、そうもいかなそうだ。音に包まれている感じ。一日ガンバります。
2008.09.16
気温の変化が感じられる季節の変わり目。ちょっとした温度差が体調に影響を与えるので、何を着るか、何枚ふとんをかけるか、窓を開けるか、扇風機をつけるか、いちいちビミョーだ。特にわたしは、みんなの体温感覚とはずれているし、緊張していときは力が入って体温も上がる。だらっとすると、いきなり寒い。寝ている背中は暑い。手足は寒い。気をつけることが山ほどあって、本人と観察者の感覚も違うのだら、体調管理は大切かつ緊張する仕事だ。冬に向かって、転がり落ちるように寒くなる。だいぶ体力がついたとはいえ、気が抜けない。空気が乾燥して、カニューレの中の痰が固まる。こないだは、いきなり膜のようになった痰が一気に固まり、息がつまりそうになった。こういうことは、いつ起きるか予測できない。で、親はしょっちゅう衣替えをする。というか、出したりひっこめたり、忙しい。これで入院すると、冬でも急に夏物が必要になる。秋のうちに一冬分の衣類を調達しておく必要がある。ぼやっとしていると、街は冬物しか売らなくなって、私には暑すぎる。なので秋ものバーゲンは最重要課題だ。去年のチュニックが出てきた。お気に入りだ。すぐにでも着たい。なのに、この一年の上半身の発達(というのか?)のせいで、着られるかどうかビミョーだ。腕が太くなったし、胸郭が厚くなった。それをいいことに、このごろ、事務員が私のお下がりを貸して!というのだが、納得いかない。人のものを勝手に着るな。第一、若作りだって言っているのに、自覚が乏しい。勘違いだ腕のリハビリをするしかない。誰かに譲るにはまだ悔しいお気に入りなのだ。衣替えの度にリハビリを決意する。おしゃれのためなら、頑張る。
2008.09.15
慢性疾患のきょうだいがいる子どもたちがいます。重い病気のきょうだいのそばでは、いつも静かにしていなくては、とか、治療に走り回る親の手伝いもしたり、がまんしたり。兄弟ならではの悩みがたくさんある。弟は、自分も障害がある本人だけど、私の障害が重いものだから、きょうだいの悩みもたくさんあるだろう。そのみんなを、思いっきり遊ばせるキャンプが開かれている。NPO法人ワンダーポケット。その中にらっこの会というきょうだいを支援する会がある。この週末弟は初めての宿泊キャンプに参加している。高校生は最年長で、最近はみんなを助けるボランティアの気持で参加している。行き先は鬼首だ。人の役にたつのは、すごくうれしいことだ。たぶん、障害のないちびっこの方がしっかりしているのかも知れないが、そこは、病気や障害があるきょうだいと一緒に暮らしているみんなだ。きっとお互いに、協力しながらうまくやっているのだろう、と思う。今朝は、とても静かな我が家である。
2008.09.14
あとりえと東北福祉大学のアロマサークルデコぽんさんとの企画、第3弾。アロマ石鹸作りを行いました。今回は近所の友達のお母さんたちも参加して、盛り上がった。6月のハッピーアロマ企画でのときに友達をさそったら、なんと、彼女もサークルのメンバーになっていた!一緒に懐かしい話もできた。石鹸のもとをビニール袋の中でコネコネして、好きなアロマオイルをたらす。私はローズマリーとグレープフルーツでさわやかにした。クッキーの型にはめて、ハーブをくっつける。バラの花びらをオイルでくっつけたら、なかなかよい。2週間陰干しで完成。はやく使いたいなあ~。ビニールのコネコネは簡単だし、すぐ完成するから楽しい。みんなも是非挑戦してみて。みんなの話を聞いていると、本当に大学生活が楽しそうだ。自分の夢に向かっているなあ、と感じる。一人暮らしの人もいて、いいな~、と思う。一人一人大変なことがちがうけど、同じくらいの年齢で、自由に生活している。ほんと、いいな~とまたあこがれちゃった。大学生。ほんと、いい響きである。健康だったらなあ~、体力があったらな~、一人でおしゃべりができたらな~。封印していた気持がちょっと煙のように湧き上がる。でもなあ。うらやんでいてもしかたがない。やっぱり、足元をよく見て、自分ができることからするしかないのだ。もちろん、そうするつもりだけど、やっぱり、いいなあ~、と思うのが今日の素直な気持だ。パソコンの大魔王先生を思い出した。特別ゼミ生にしてくれたんだっけ。お願いして行ってみようかな、と思う。
2008.09.13
自分の障害について考えはじめている弟である。ふと、母が、こうしてブログに自分が登場することについていいの?と訪ねた。うーん、と少し考えて。いやだなあ。と弟。がーん!そっか!そうだよ!言われてみれば、私だって、勝手に、というほどではないけど、自分のことをなんだかんだと他人に話す親があんなに、いやだったじゃないか。いままで私は、姉の立場で、あたたかい目線で書いてきたつもりだ。もちろん応援しているし、がんばれの気持で書いている。でも、しかし。弟の本当の気持を聞いてみたことがなかった。うれしい話は、もちろん本人だって歓迎だろうが、失敗談はちょっと、だよ!すると同じように、暖かい目線で周囲と話していたのであろう親の気持も実感してわかってしまった。親と兄弟は少し違うけど、兄弟が、兄弟の障害のことを、どのように他人に話すか、という新しい課題があることに気がついちゃったよ~。弟の頑張っていることをみんなに知ってほしいのだが、そのためには、多少は障害のことも言わないと通じないし、本人の気持にもこれくらいならいいけど、これはいや、とか基準もあるだろうから、なんともビミョーになってきた。なので、本人の考えを尊重して、これからはもっと細かく承諾を得てから書こうと思います。なんか、ものすんごく、わるいことした、と愕然。良かれと思って、という、今まで一番自分がいやだったことを、私もしていた。ショックだ。ごめん
2008.09.12
夏休み中のある日のこと。母は突然弟に言った。そのこだわりがあんたの障害だ。これが障害の特徴だよ、と。こういう話は考えに考えて言うのかと思っていた私は、突然のことに焦った。パニックがおきそうな、地雷を踏みそうな一瞬の出来事である。薄々感じていたのに違いない障害のことだ。この直接的な言葉を、弟はどう受け止めるのだろうか?超心配した。 案の定弟は落ち込んで泣いたりしてた・・・・。でも、二人とも、今までと何かがちょっと違った。 それまでも、失敗したり、問題が起きるたびに、教えられていた弟だが、弟は自分の失敗が「自分のせい」だけど「自分のせい」でもないことを知った。少しだけ自分をよく理解したのではないかと思う。こんなとき、母はすぐに私をダシにする。歩けないから手伝ってもらうけれど、オテンバをなおそうとリハビリしているでしょ、という。ちょっとムカつく。けど、弟にはわかりやすいかも。そして、ちょっとだけ弟に任せるようになった。目標も具体的になって、わかりやすくなった。そして、すかさずほめている。でも必ず一言ダメ出しがある。ほめすぎ注意なのだ。9月になってから弟はとても張り切っている。パニックになりそうなとき、それを自分でなんとかしようと頑張っている。障害がある人は、助けが必要だ。だから養護学校に行くことを理解している弟でも、「できない」から「助けてもらう」ということは弟のプライドをとても傷つけるようである。障害があることに助けをもらうことは全然わるいことではない。でも、そのことの、本当の意味を弟がちゃんと理解するのは、まあ、かなり難しいことかもしれない。でも、昨日のフォローはいつもとちがった。「障害があったってへっちゃらだよ」という一言で終わった。こりゃあいい。障害なんて、ほんと、へっちゃらなのである。なんか妙に弟はすっきりした印象である。励ましは成功だったようだ。しかし神経戦の母は、けっこうくたびれるらしく、夜になると疲れて、私にヤツあたりする。わたしだっていつまでも受け止めないからね。これだけは言っておく。
2008.09.11
秋の嵐 雨風に立ち向かうたび試される小さな虫の真剣勝負片足をなくしてもなおあこがれる空に向かいてバッタ飛ぶ秋花びらのくぼみにつかまりバッタ乗る落とさぬようにユリ風を読む行く夏の大きな獲物抱えつつ子どもの蜘蛛は今日生きのびるただ一人いのちをつなぐみなしごの蜘蛛をかくまい母となるユリ青空に雲ひとつない晴天は宇宙が自然を弔う一日
2008.09.10
プロレスに押されて、つい、後回しになってしまいましたが、忘れてません。もちろん、秋のおしゃれセンターのお祭りですから、当然「どうすんのTシャツ」をユニフォーム代わりに着るところですが、今回は事務員に着てもらうことにして、私はお気に入りのチュニックを着ることにした。なんと言っても、いただきものの超美しいビーズのラリエットをしなくっちゃ!このラリエットは手作りで私ののどに合わせて長めに作ってくれたというから感動だ。しかも、私の大好きな青だ。なんでわかるんだろう???のどには気管切開のカニューレがあるから、ネックレス系は短すぎて、しなかった。それがラリエットというのは自由に結べるのだから、バッチグーだった!ものすんごく気に入った。青のチュニックにラリエットで、メイクはもちろん青のアイシャドーにしてもらった。仕上げのネイルはラメ入りで。メイク専門学校の人たちにそれぞれやってもらった。 ネイルのラインストーンは緊張のせいですぐにとれてしまったが、シールを貼りなおしてなかなかよい。秋の青です。やっぱり、私は青が好きだな~。
2008.09.09
やっとやっと太陽のまぶしい朝です。月曜の朝にふさわしい感じ。今週もがんばろう!と思うよ。昨日は障害者福祉センターのお祭りで、ひっじょーに有意義な一日を過ごした。しょっぱなからあとりえ・ローリエのステージで詩を発表し、速攻でワンポイントメイクコーナーで化粧とセットとネイルをし、さらに思いがけない体験へ・・・。初めてプロレスを見た。目の前で!メイクで美しくなって、ではそろそろ帰り支度?というときに、障がい者プロレスの呼び込みを聞いてしまったのだ。なんと5分後にゴングである。さらになんと、先輩が選手なのだ。聞いてはいたけど、まさか、今日ここで試合とはこれは応援するしかないでしょう!というわけで、みんなをかき分けて一番前に陣取り、3試合を見た。プロレスというのは見たことがないけど、障がいがある人が、いったいどうやって試合をするのだ?と始まるまでいっぱい考えた。リングはマットで、車椅子から降りて、二人の選手の真剣勝負だ。お互いに麻痺で動きにくいわけだが、得意技を最大限利用して、闘った。吠えたり、たたいたり、体中で体当たりしたりして、すんごい迫力。つい真剣に見てしまった。のっかられたり、首を絞められたりしても、きたえているからびくともしない。いつもは、にこにこしている先輩だが、ホンキで闘っていた。3試合連続出場である。すごすぎる。結局全試合最後まで見た。お客さんが帰りだしても、まだ去りがたく、先輩と写真をとって帰ってきた。もう、いつもの表情になっていた。 こんなスポーツがあるとは、なかなか面白い。動きにくい人だって、動けるように動いて、スカッとしそうだ。かなりストレス発散になりそう。で、女子はないの?と質問している事務員。おいおいメイクとおしゃれでプロレス観戦というのは、本当に反対の世界みたいだった。でも、どっちも元気にさせてくれる世界だった。障がい者スポーツを見て、元気になる人がたくさん増えればいいと思う。感動した!
2008.09.08
朝の月 静かに夜が明けてゆく白い月が遠のく深い悲しみに沈んだ闇に閉ざされた夜心の鉛ひとかけら月になる涙なら訪れる朝陽は光る今ここから生きてゆこう 新しい時が流れて白い月を動かす悲しみの殻を溶かして少しだけ前へゆく苦しみを小船に乗せて時の河に流せば密やかないのちが灯る今ここから生きてゆこう
2008.09.06
パラリンピックが始まる。パソコンの先生のとっしーがなんと中国に行っているはず。選手団の応援だ。開会式のチケットが買えなくて、応援の試合のチケットも買えるかどうかも「?」らしい。それでも、現地で、世界の選手たちがどんな風にスポーツに挑戦しているのか、自分の目で見てくることができるだろう。すごすぎ。いいなー!!!リハビリの成果からもう、本格的な競技になってきている障害者スポーツだそうだ。私はもちろんスポーツからかなり縁遠くなってしまったようにも思うけど、応援したり、見たりすることも参加である。 小学生のとき、教頭先生に抱えられてスキーを体験した。たった一度のその体験を今でも鮮やかに思い出す。そりで思いっきり滑ったスピードも忘れない気管切開をする前に、プールでふわふわした気持ちよさや、乗馬でぽくぽく歩いたリズムなんかも、身体にしみついている。たった一度か二度の体験でも、体のどこかにしっかりと記憶になってしまわれた。それは、今、ベッドから見たり聞いたりする生活になっても、華々しい気持のよい気分とともに一緒になってわくわくできるのだ。 最近体力がついてきた私は、ベッド柵で毎日筋トレをしている。今までは、そう冷やかされて、ふん!と思っていたが、自主的に取り組むと、それはそれなりに意味が出てくるように思えてくるから不思議だ。リハビリでも、目線を意識して利用するとうまく体が動くことを習った。でも、もうすでに、長い年月まひとは付き合っているが、もういいや、と少々投げやりになっていた。今さらという気分が強くて、あんまりヤルキが出なかった。筋トレもリハビリも、何か目標があるといいかもしれない。いきなりパラリンピックはもちろん無理だが、ちょっとできるようになるとものすごくうれしいものだ。 というわけで、最近がんばっていることは、顔を洗うときにまっすぐ上を向くことと、手をなるべく下げていることだ。そうすると、石鹸も目に入らないし、気が短い母と喧嘩しなくてよいのである。筋トレしながら、とっしーの報告を楽しみにしている。
2008.09.05
将来の住み方について、どんな支援が必要かアンケートがきた。障害がある人は分量はいろいろだが何らかの支援がないと生活できない。ということは、何らかの支援があれば生活できる、ということでもある。これまでは障害が軽い人がどんどん地域生活にチャレンジしている。いよいよ、障害が重い私たちの番だ。と、思うと、ちょっとわくわくする。今は在宅で家族と社会資源の助けをかりて生活している。そもそも、医療の分量が多くてやっとこさ在宅になったくらいなのだ。障害が軽い人がどんどん社会参加できているのは超うらやましいことである。でも、そろそろ重い人も自分の考えをちらっと言ってみてもいいかなあ~?という雰囲気になってきた。それはかなり希望があります。 将来の家にはグループホームのように何人かが集まって暮らしながら、ケアも受けるというのが考えられている。いろいろな障害の人がごちゃっと暮らすのが楽しそうだ。中には障害がない人もいたりすると楽しそうだ。まあ、そんな人はもの好きかもしれません。 一人暮らしにはあこがれるけど、自分の障害の重さを考えると、それを組み立てる労力や安全度に無理がある。理想と現実である。今のところまだ、何歳になったら家から出よう、と具体的ではないけど、親の老後の前には目標を設定したいものである。老後をみてあげるのも子どもの役割のひとつでもあるし。と、やってみたい気持と、現実の厳しさがものすごく開いている。できるとこから、といってもどれくらい時間がかかるかため息である。でも、なんとなくイメージできるし、イメージしているとできそうな気になってくるものだ。 なんといっても、自分の部屋で、全部好きなようにしていいのだから、超わくわくだ。もちろん、ローラにする予定ですけど、ローラに囲まれただけでは生活できない。家と病院の近くならできそうな気がする。で、やっぱりお金だなあ。・・・ため息。
2008.09.04
福田総理大臣のニュースでもちきりの一日だった。私が二度寝している間も、政治の世界はてんてこまいである。みんなやめると聞いてビックリした分、自分勝手とか、無責任とかの感想が多い。でも、よくニュースを聞いてみると、無理もないかなあ、という状況だったことがわかってきた。首相はどんな人でも、孤独だ、というコメントを聞いた。わたしには一番響いたコメントである。 人と人は助け合って、協力し合って、暮らしているけれど、いろいろな考え方の人がいる。それらは、微妙なバランスで成り立ってるが、ちょっとしたことでぐらりと崩れることもある。安定していたかのように見えていた関係も、お互いの気持のずれやタイミングの違いで、全く違う方向へ進んでいくことがある。私もたくさん経験している。それを収束させたり、発展させたりするのが、中心となる人だが、私がいつも、自分の願いはニーズなのかわがままなのかを悩むように、「国民のため」とか、「政党のため」「政策のため」とかの間で、悩みぬくのが総理大臣か。表情ひとつをマスコミに追われ、動きひとつで詮索されているのだから、すごい重圧だろう。それでも健康に気をつけて頑張れる人は本当にすごいなあ、と素直に尊敬する。 重圧に負けたというよりは、孤独の中でも、いろいろなことを考えて決断したという印象を持った。冷静だと人ごとといわれ、熱いと敵も多くなる。仲間をたくさんつくっても、本当の信頼がなければ敵ばかりだ。人が複数集まれば、もういろいろな違いが生まれる。話し合って微妙なずれを小まめに修正する方法はいいと私は思う。でも、その方法が通用する人ばかりではない。それぞれのよさがあるのだが、違いを知ってもなお、お互いを尊重して尊敬するというのは、人間に感情がある限り、とっても難しいことだとも思う。 私も病気が悪いときは、ものすごく孤独を感じた。人間、最後は、どうしたって一人だ。その究極の自分と向き合える力を持ちたいと思う。
2008.09.03
朝雨降りでどよんと目がさめる日が続いている。急に夏の勢いから秋の落ち着きが漂ってくる。朝の雨はしとしとして、草花も、まだ目が覚めていない。私もみんなを送り出して、二度寝体制となる。ピアノの名曲を聴いていると、その音がつぶつぶになってふって来るようだ。テレビもラジオも消して、洗濯機の音も静まると、庭の草花も一緒に音楽に耳を傾ける。 今日はアロマもヒノキにして、静かにしてみる。と、小さな音で秋の虫の声が聞こえます。すると、手足がほかほかしてくる。ベッドごと、霧のかかった湖のそばにワープしている。眠くなってきた・・・。
2008.09.02
今日から9月。今日は紫雲先生の誕生日だ。おめでとうございます。ちなみに昨日は事務員の誕生日で、二人は年も誕生日も近いので、単純に感動していました。おばさんになると、ささやかなことを喜びたくなるらしい。一緒に年をとるというのは、心強いのかもしれませんね。ところで、今日は久しぶりにマクトスの話題です。マクトスというのは、脳派のベーター波を読み取ってスイッチオンする、パソコンの脳はスイッチのことです。とっしーと練習している。今回、初めて、環境制御にチャレンジすることになった。スイッチオンで電化製品を動かすのだ。試しに、扇風機だ。 扇風機というととっても懐かしい。小学生の時、手で押すスイッチの練習で小型の扇風機を車椅子の上において、頑張った。風、というのはとっても気持ちよいし、わかりやすい。今度は、リモコン操作のできる、扇風機を利用した。リモコンをマクトスに繋いで、「動け!」と命令を念じると、ピッと動き出すしかけである。カーソルを選択するのや、ゲームももちろんおもしろいけど、なんと言っても現実の何かが動くのだからコーフンする。パソコンの中の世界ではないのだから。 動け!とまれ!動け!とまれ!と、大成功である。つい何度もスイッチを動かして遊んでしまった。小さい子がデンキのスイッチとかを、ぱちぱちいたずらする面白さは、これだったのか!麻痺の腕を一生懸命必死に動かすのとちがって、スパスパ操作できる。モードを変えて、弱→普通→強風、とこちらも超おもしろい自分がやっている、ということが痛快だ。いやー、おもしろい 家にある電化製品をあれこれ試してみたいところだが、案外単純明快なリモコンが少ないものだとわかった。当面、扇風機でいいや。これができれば、お化け屋敷で風を送って怖がらせる係りも夢ではない。うっひっひ。そんな仕事があったらいつでも呼んでほしい。
2008.09.01
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