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社会人1年生が終わろうとしている。終わろうとしながら、もう2年目への準備も始まっている。少しずつだし、時間もかかっているのだけれど、大体自分が思う方向にじりじりと進んでいるような気がしてきた。自分が自分になる前に、自分が自分だ、ということを周りの人たちにわかってもらいたかった。・・・のだけど、その方法が見つからなくて、とても苦しんだ。こんなもんか、しょうがない、とあきらめてみたり、気持を切り離して考えないようにしてみたり、いろいろと苦しまない方法を工夫した。でも、結局それらは、あんまり効果がなくて、やっぱり、自分の本当の姿を知ってほしくなるものなのだね。たまたま詩やブログが私の大切な方法になったが、それだって、たまたまのようで、たまたまではない。子どもの時からのものすごく小さなことが、積み重なっている。そのときは、本当にそれが役立つかはわかっていないのだけれど、自分が行きたい方向には嫌でも進んでいるようである。どうも、これは違うな、と思うことも、ぴったりする居心地のよい道をみつけるためには必要だった。沈むから浮くことができる。雨がふるから晴れもさわやかだ。いいことばっかりだったら、つまんないかもしれない。だいたい、大変なことのほうが多いものだ。と、案外、何とかなるさと思えるようになってきた。自分でもちょっと意外。そうなれたきっかけは、なんだろう?やっぱり社会人と呼ばれるようになったから?思うに私の性格は、案外いいかげんで、そのわりにはしつこいからかな?とも分析中。だいたいがんばるけれど、どんどんいくと、めんどくさくなる。でも、ちょっとすると、やっぱりくやしい、と思う。だから、またやってみるか、と思うのだね。学生時代にはわからなかった。体調にあわせてもらっていたし、締め切りもない。回りの人や時間に合わせなくてはならなくて、気持ちとずれると、むかついていたことも待てるようになった。でも、実は案外あきらめていないのだ。しつこいのだ。めんどくさいと、しつこい。自分が今どっちか、それを見ている自分をみつけた。めんどくさくてもしつこくても、どっちの気持でいても、今は今できることからはできる。社会人2年目の道は、どっちへ行こうかな。選べるのは楽しい。
2008.02.29
本のカバーの見本が届きました。ぐぐぐぐっ、と喜びがこみ上げて、感動中・・・・・・。超かわいい!かわいすぎて、うるっとしてしまった。私の思っていることと、ぴったり、ばっちり、そのとおり、というデザインだ。くまのぞうさん、すごすぎる。やっぱりプロフェッショナルだ。ううー、みんなにもはやく見せたい。でも、まだですよ。ものすんごく、かわいくて、すてき、とだけ教えておこう。うひゃひゃっ
2008.02.27
あとりえと大学のアロマサークル「デコぽん」さんと協力して、企画を始めた。障害がある人と家族やそれを助ける人たちが、アロマを利用して生活に生かすイベントである。アロマがいいのは、入院していたときからよく知っていたのだけれど、大学祭に行ってデコポンのサロンでハンドマッサージを体験してみたら、私のやりたいこととどんぴしゃりであった。デコぽんのみんなが遊びにきてくれました。まずは、アロマの勉強である。実際にいろいろな話を聞いてみると、役立ちそうなことがたくさんあった。おしゃれや美容ではすでによく知られているアロマだけれど、介護や気持のリラックスなどにきっといいと思う。体調や目的でいろいろな利用のしかたがあるのを、みんなで体験できたらいいなーと思っている。さっそく手と、足をマッサージしてもらった。喜びすぎて緊張が入ってしまったが、夜はゆっくり眠れました。大学生のみんなは私とも年が近いし、一緒に協力して何かを計画するのは、すごく楽しみ。6月にセンターを会場にアロマの会を開きます。お知らせしますから、お楽しみに~. 。
2008.02.25
うらないの話はあまり信じない私だが、ストレスを感じているときは、神頼み、うらない頼み、なんでもありだ。人相とか、手相とか、ほくろとか、ほんとかー?と半分思いながらも、ちょっともしかして、ということもある。自分にとっていい話は信じることにするか。最近わたしのおでこの真ん中にほくろが出てきた。ほくろ占いによると、人と違った発想ができる人。芸術分野で成功する、とあった!やったー!!弟はものすごい手相なんだそうだ。珍しくよい手相らしい。天下統一の手相だそうだ。徳川家康と同じだという。ひょー。私はお金がたまらない手相らしい。ちぇっ。弟が天下統一したら気楽で気ままな世の中になりそうだ。なんでもありか!?よく考えてみたら、弟みたいな人を助けてみんなが協力したら、本当によい天下になったりして。そう考えると、手相もけっこう意味があるかも。
2008.02.24
締め切りを抱えている仕事があるのだけれど、次々に生活に入り込んでくる予定で中断されたり追い立てられたりして、なかなかすすみません。・・・と書くと、すごくいっぱい仕事をしているようだけれど、数、というより、質である。締め切りのある詩を作ろうとしている。で、ずーっとふってくるのを待っているのだが、今回はなかなか難しい。ピンとこないというか、すっきりとしない。本の表紙をデザインしてくれるくまのぞうさんはイメージが固まるまでを「まっしろ」とよく表現しますが、私の今は、どろの沼が、一見表面は静かに平らなのに、中はずぶずぶ沈んでいくような密度がある。長靴がずぶっと入って、ぬけない感じである。って、長靴でどろの中を歩いたことなんてないので、全部イメージなんだけどね。で、すっぽーん!と長靴がぬけたときに、どろの粒がはねるように、言葉の粒が飛び散ることを期待している。実は、どろの粒のように見えて、きらっと光る、澄んだ水のしずくなのだ。たぶん。はねるためには、一度しずまないと。しずみっぱなしはまずいので、ちょっと休養して足を引っ張るタイミングをまっている。とはいっても、締め切り、というのがあると、ほんと焦ってくる。沼のそこから何かが狙っているようだ。うまく行っていないときの長靴は悪意のかたまりだ。
2008.02.23
障害のある人を助ける相談の仕事をしている人たちの研修会に参加させてもらうことになった。仕事だ!こんなふうに自分の意見を言える機会をいただくことは、とてもとてもありがたいと思う。しかも、そのことを仕事にしている人たちに聞いてもらうのだから、必ず、多くの人に役に立つはずである。障害のある本人のメッセージを発信するコーナーだ。なんと、ことばのアーティストと紹介してくださるそうである。めちゃくちゃ照れる。かっこよすぎる。母には、ちょっとずうずうしくないか?とつっこまれている。なにしろアーティストである。ひゃー。アーティストとは芸術家のことだ。芸術家とは、美を表現する人間の活動と辞書にでていた。ますますことばの重みを感じる。だけど、私はどんな人も、美に限らず表現する力を持っていると思っているので、一流というのには程遠いが、自分が感じることはやっぱり表現したいと思っている。そのことを伝えるためには、もちろん支援が必要なので、そのことを伝えられればいいなあ、と思っている。みんな生きている意味をしょっているのだ。なので、初ことばのアーティストと名乗っていくことばの重さに負けないように、自分の意見を確認しようと思います。仕事やことばや立場が人を作るというけど、ホントだな。名前負け、ってことにならないようにしたいものだ。興味がある人はローリエまで!
2008.02.22
2年前に「ふきのとう」という詩を作った。雪の下に出てきた春だ。3月2日にふきのとうが演奏されることになった。初演だ。女性合唱に編曲してもらって、初めてお客さんの耳に届く。春にちょこんと芽を出したふきのとうが時間をかけて、歌になって、誰かに広がっていく。楽譜が昨日届いた。庭に新しい芽が出ていた。少しずつ日差しが春に近づいている。友達を送る。新しい芽が生まれる。生まれ変わりのようにいのちが循環している。失うことを受け入れながら生まれる。そして、また前に進む。「ふきのとう」を聞くたびに、彼女を思い出して、きっと私は、また、前へ進もう、と思うのだろうな。ふきのとうは、かわいい曲だったけど、ちょっと悲しい曲になった。
2008.02.20
病気が重い私たちは小さいときからある日突然友達を送る、という経験をする。小さいときは、それらがよくわからないうちに、過ぎてしまうが、だんだん、色々なことがわかってきます。とても悲しいことを、受け止めるときには、静かにする、とか、あまりずけずけとことばにしない、とか、当事者が語りたくなるまでそっと見守ってあげるとか。それでも、病気の当事者の私は、一番怖くて聞きたくて知りたいことのひとつに別れること、があった。誰かに全部話したかった。以前、自分がその間近まで具合が悪いとき、弟はなにがなんだかわからないうちに点滴をたくさんつけた私に会ってびっくりしていた。びっくりして、私だとわからなかったくらいである。大人はそれぞれに、状況を予想してそれに会ったことばや行動ができるけれど、弟には大変な経験だったと思う。その後も、友達をおくることになって、そのたびに、悲しんで泣いたり、思い出したりしている。別れの状況は弟にとっては印象的な出来事なので、こだわりにつながって、一日中思考から離れないときもある。学校ではあまりこだわらないようにがんばって過ごすのだろう、家につくといろいろな思いを話し出す。人と人の別れは、人と人の関係の数だけ、それぞれの言い方もスタイルもあるだろう。弟も少し大人になって、落ち着いてうけとめられるようになっているのだと思う。私は私で、少し前なら、悲しすぎて体調を崩すところだ。悲しいのは同じでも、とてもよかった思い出もよく浮かべることができる。(といっても、本当に苦しいところを見ていないからかもしれない。)一人一人の思いの分だけ、お別れの言い方があるだろう。弟は弟なりに受け止めようとしているし、私は私なりに色々なことを考える。私が別れるときもくる。親をおくるときもくる。彼女は心の中で最後になんと言ったのだろう。私は自分の最後になんと言うだろう。
2008.02.19
友達が亡くなりました。17歳です。とても悲しい。数日前に久しぶりにアルバムの中で彼女の姿を見たばかりのことだ。普段もなかなか直接会えない私たちだから、たった1枚の写真がとても貴重だ。体が大きくなってきて、維持していくのが大変になってきた、とお父さんが話していたのは夏のことだ。彼女もその体と一生懸命つきあっていた。彼女と同じ病気の友達が5歳で亡くなった。もうずっと前のことだ。小学生になるのが難しい病気だと聞いた。ということなら、高校生になるまでがんばった彼女も、家族も、お医者さんもよくやったということなのだろうか。それでも17歳は、健康な人にとっては青春まっただなかの輝かしい季節だ。私たちにとっては成長する体といやでも向き合う大変な季節だ。17歳で何人も友達が亡くなってしまった。私も17歳の冬は厳しかった。生きのびた、というのがふさわしい。彼女には苦しい時間が多かったかもしれないが、楽しい時間もあったはずだ。たくさん手術や入院をしたが、24時間細心の注意をはらって家族に愛されてきた。大変な状態で在宅生活もした。たくさんの人に希望を与えた。全ての日を精一杯生きたということを、かかわった人は全員知っている。彼女が教えてくれるいのちの意味は何か。悲しみの中に必ず潜んでいる貴重な光がある。悲しみの中にいても、刻々と過ぎる時間を私たちは過ごしていかなければならない。自分の分をしっかり果たすことしかできないのだけれど、ひとり、またひとり、と友達が星になるのは、いつもいつも、とっても悲しい。病気との闘いはうんと疲れたことでしょう。痛みのない世界でゆっくり休んでください。私はもうちょっとがんばってみるよ。
2008.02.18
昨日はなぜだかものすごく緊張が強くて、首がすっかり肩とくっついて、磁石の力でくっついたようになった。当然、体中力の入れっぱなしで、つらかった。汗びっしょりになった。とうとう夕方になって、問答無用の座薬を入れられた。いくらかおさまったが、なぜだかこころの緊張がほぐれなかった。緊張しているのに、もやもやとして、痛みを感じるのだ。実際の筋肉と体の痛みに加えて、こころの痛みである。確かに最近の私は、活動して、疲れていたことはある。けれど、かなり時間をとっているのに、どうも、スッキリとした休養にならない。原因を、一日考えてみた。どうやら、最近のスイッチオン、は弟の行動なのではないかと思うようになった。高校入学を前に、ものすごく色々なことを、心配している弟である。まだ決定していないことも、予想されることも、ありうることも、全部同じ切迫感と現実味を帯びて襲いかかっているのではないかと思うのだ。すぐ先のことも、ずっと後のことも、小さなことも、大きなことも、全部いっぺんに押し寄せる不安と来たら、大変な脅威だ。周りの人は、優先順位や、時間的な前後や、問題の重要性を自動的に頭の中で分類して、考えることができる。だから、不安の分量にみあった安心で包むことができるのだ。弟は、時間の距離をとるのが苦手だ。ずっと先の不安の中の小さなピースが今襲いかかる。後で考えても大丈夫だということを、知らせてあげたいのだけれど。さらに、忘れてしまう。今、この瞬間不安に思うことに引き込まれて、突然思考停止になる。それでも、周りの時間はどんどん流れている。そのストレスをこっちも感じて、次に、急にやってくるパニックを避けたいと思ううちに、私自身の中でも私の意識が抵抗しようとして緊張するのかもしれない。それが母は、ひざの痛みに出る。弟に対処した後痛くなる。いつくるかわからない災難に備える家族は、神経を尖らせることになる。ストレスが感じるこころの痛みは、本当に体の痛みとなるようだ。自分自身が理解する前に、体が自動的に反応する。体のしくみは、えらいというか、そうやって知らせている、というところに意志を感じる。家族の抱えている問題のどれかひとつが解決しただけで、芋づる式によくなることもあるが、その逆もある。みんなが、今どの状況にあるかを丁寧に考えて、みんなで協力しないといけないこともある。そういう、家族みんなの役割の中に、どんな問題が潜んでいるかを見つけるのも大変だ.でも、変えるのはもっと大変だ。
2008.02.15
バレンタインデイの今日、みんなには色々なことが起こるのかも、起こらないのかも、しれません。私は、みんなに感謝する日にすることにしています。毎年、毎年、一人一人にカードを書いて、ありがとうを伝えてきた。手術してもらったお医者さんとか、学校の先生とか、そのうち、クラスの男子とか、仲良しの友達とか。とか、とか、とか、と拡大、拡大。だんだん、ものではないのでは?と感じるようになって、ありがとうメッセージのカードになっていきました。それも、メールになって、今年はブログです。普段なかなか会えない人に、どれだけお世話になっているかと思うと、やっぱり、ものの形はだんだん小さくなってきた。ものをもらっても、もらわなくても、あげても、あげなくても、ありがとうを伝えられることがありがとう、だ。そんなことを言えば、何も、今日でなくてもいいはずだ。でも、ほんのちょっと会った人や、あえなくても考えて、どうしてるかなーと思い出す人にも、ありがとうは言いたいな。ともチョコとか、いろいろというけれど、マイチョコといって、自分のために高級品を買う人もいるようだ。がんばってくれた自分に、ありがとう、っていうことなのだろう。私は自分の分は、今日一日たっぷりの休養をあげます。よく働いている体には、一番ありがとうである。今日、ブログを見てくれたみなさんへ。一人残らず、ありがとう!いい日になるといいね。
2008.02.14
小学校のときお世話になった先生がやってきた。ものすごく久しぶり!6月のコンサート以来だ。担任してきた6年生を卒業させるそうだ。その最後の心に残る授業に道徳をやりたいそうである。なんと、わたしの話を取り上げてくれるというのだ。ひゃー。思い出すと私が小学生のとき、未熟児で生まれた話を道徳で聞いてもらったことがあります。そのとき、みんなにいろんな感想文をもらって、うんとうれしかった。そのころは、まだ話もできない。みんなとくらべればとてもちっちゃい私が、赤ちゃんのとき一生懸命泣いた話をきいて、一生懸命生きようとしていることを感じ取ってもらった。元気なみんなは何でもできるし、未来もたくさん用意されているように思えて、うーんとうらやましく思ったりしていた。私のように、生きるか死ぬか、みたいな子どものことはわかってもらえるのかな?と思ったりしていた。その昔の授業を、もう一度、6年生のみんなと計画しているそうである。ずっと後輩になるみんなだけれど、私の気持を感じ取ってくれるといいなー、と思っている。私が6年生のときから、今まで、13年もたった。6年生のときは、病気が重くて、一番苦しい時期だったなあ。そのあとの13年も、いろんなことがあったのだけれど、あの6年生は一度しかないわけで、それを、今、振り返っていられるのだから、なんか、しみじみ、ありがたい。私の最後の授業って、なんだったっけ?苦しくて、ちゃんと覚えてない。かしわっこ先生がせっせと病室にきてくれたのに!すいません。でも、卒業式のことは、一生忘れない。みんなにとっても、小学校の思い出がきっと、これから先の時間を支えることだろう。その端っこに、私の話がチョビットひっかかってくれたら、とてもうれしいです。私のことを思い出してもらって、そんなに大事な授業で話をしてもらえるなんて、うれしいよ。一応、先輩なんで、みんなに心からエールを送るよ!
2008.02.13
東京から編集のぱふぃんさんがやってきて、ゲラ原稿の打ち合わせをした。今日のタイトルを書いて、おおっ、仕事らしくなってきた!とうれしい。その様子を、取材しにきてくれた記者さんとカメラさんを含めて、楽しい午後であった。取材だから、勝負服できてね、といったっとおり、ぱふぃんさんは超かわいい春の服できてくれた。ふわふわのスカートがぴったり~。なのに、話は、ビシバシといつもどおりで、どんどん進む。ひとつひとつの言葉チェックを確認しながら、意味や説明を考えたりする。私はいつも、耳からの言葉だし、原稿を書くときも話し言葉の延長に近い。点の場所や漢字を統一したりするのは、紙の上ならではの仕事だ。はっきり言って、漢字のミスは、秘書のガイド母のまちがいである。山ほどあった。今ではパソコンがあるが、昔ゲラの活字で仕事をしていたときは、大変だったろうね。せっかくそろえた箱を、ひっくり返してバッシャーン!!とか。うちの秘書ならぜったいやるだろう。現代でよかった。そして超うれしいこと。契約書を作ってもらって私が署名することになった。慣例では口頭で決めることが多いという。わたし用に、サインのスペースは特大に作ってもらうことにしましたよ。成人してなくても契約できるんだって。超歓迎。うひゃうひゃっ。休憩もはさみながら、取材クルーのみなさんの話を聞いたり、有名作家のうわさ話をしたり、うんと楽しかった。カメラをのぞかせてもらったし、報道の大変さとか、仕事の話はどれもおもしろすぎ、だ。映像と活字の仕事の人が同じ、伝える、ということをしている。それぞれ役割があって、得意なところを生かしている。私も私の役割で何かを伝えることになる本になってほしいと思う。そうそう、カメラはのぞくと白黒だった。なんでだ?
2008.02.12
うひゃひゃっ久しぶりに高校の担任だったぽっぽさんが遊びにきてくれました。そして、卒業アルバムをやっと、届けてもらいました。これで、やっと卒業できた。一人の生徒の私のために、ぽっぽさんは手作りで2冊もアルバムを作ってくれたのです。1冊目は1,2年版。そして3年生の大切な1年がつまった最後の1冊をとうとうもらいました。待ってたのだー。1年たって今、ページをめくると、一つ一つがものすごく懐かしく思い出されます。卒業の時にもらうのもいいけど、こうやって、後から、っていうものいいかもしれないね。ちょうど、ともだちのぴーちゃんと、修学旅行で枕投げをしているところを見ていたら!ピーちゃんから、メール着信。すごい!偶然!びっくりした。アルバムのことを返信したら、なつかしがってた。ぽっぽさんから、誕生日に、とローラのブレスレットをもらいました。感激した。大人っぽい渋い輝きだ。先生にも、私たちにも、それぞれにもう、時間がどんどん流れている。1年しかたっていない高校生活が、どんどん思い出になる。そして、思い出を確認したら、どんどん前へ進むのだ。思い出を確認するたび、今の自分を確認する。ローラの落ち着きに近づける自分になりたい、と思いました。
2008.02.11
馬の詩を読んだ音楽室さんが、じつは私の喪失の悲しみを読み取ってくれていたことが後からわかって、びっくりした。肉体の一部をなくしてもなお、記憶が残っていて、あたかもそこにまだ、その一部があるかのような痛みや苦しみを感じることがあるという。音楽室さんはそのエピソードを、重ねて、なくしてしまったものに対する思いを音にしてくれたのです。曲はとってものどかで、あかるい感じ。でも、詩の底にながれる悲しみをよく表現していると思います。人間の脳はほんとうに不思議。自分でもとっくに忘れていたことが、ふとしたことで、よみがえるし、毎日毎日繰り返していることは、自動的に行動してしまったりする。弟のように、大切なことをすぐ忘れてしまって困ったり、また、それは嫌なことを忘れられて気分を変えられる長所にもなる。まあ、これは、記憶と行動だけど。肉体と意識の関係も、毎日毎日付き合うのだから、ほとんど、あたりまえで、意識もしないくらい肉体は自分の物になっている。それが私のように、勝手なまひで動いて、本当の私(精神)が肉体に対して怒っていたとしても、その中にわずかでも自分の意思で1ミリ動かせる部分を発見するとき、肉体は自分のものになる。わたしは一応、肉体は全部ついている。機能は悪いが。あるべきものがない、という気持は想像するばかりだ。ある日突然、肉体の一部がなくなって、意識だけはとりのこされている。自動的に記憶になった感覚が急になにかのきっかけでよみがえる。これは、ものすごい恐怖や苦しみを、気持の中に押し込めて、思い出さないようにしていたのに、勝手にフラッシュバックするのとも似ている。長い時間をかけて作られた記憶を自分のものにとりもどすのには、また、同じような時間がかかるだろうな。わたしが、わたしの肉体に感じる感覚と、音楽室さんが感じた感覚は、同じではない。だけど、想像して感じた音を通じて共感できたのではないかなあ、と思う。馬を書いたとき、まだ私は今より若くて、案外単純に乗馬の喜びを書いた。それなのに時間をはさんで、自分でも変化していた意識の部分をもう一度思いかえしている。音楽はこうして、すごく不思議な瞬間をもたらすところがある。深いねえ。
2008.02.10
新曲「馬」が届きました!放課後の音楽室さん作曲です。ひつじに引き続き、馬。あまり動物の作品はなかったのだけれど、二曲も作ってもらったところで、動物にちょっと目しっかり向けてみようかな、という気持が起こってきました。それくらい、馬は、馬の感じがよく表現されている。初めて馬に乗って、始めはおっかなびっくりだったのが、だんだん楽しくなった思い出がよみがえった。始めて馬に乗った、6,7歳の頃のことだ。歩いたことがない私は、馬の背中で歩くリズムを初めて感じた。なっつかしい。すごく大きくなって、リベンジで去年また馬に乗った。側湾もきつくなったねじれた身体を支える乗馬の人も大変だったと思う。私は昔の楽しかった記憶を頼りに馬に揺られたけれど、もう、昔のようにはいかなかった。大きく、重く、自由がきかずにくっついている手足は重りのようだった。馬のリズムのたびに重りが揺れた。支える関節がつらかった。ので、小さな身体をきゅっと縮めてひとつのかたまりで今のリズムを感じることができた昔はよかったなあ、と思った。ちょっと、寂しい気持になった。またひとつ、捨てた。それが、馬の新曲によって、思い出の楽しい気持がよみがえった。形にして残してもらった。乗馬のわくわく感と馬のぶるるん、という息遣いがすぐそこで聞こえた。確かに体験したあの感覚を喜びとともに残してもらった。馬の背中でボールのように弾むことはもうないだろう。でも気持は音といっしょに弾むことができます。ほんと、感動した。いつかみんなに聞いてもらいたい、すごくかわいい曲です。
2008.02.09
連続5日活動した。さすがのわたしも、グロッキーだ。何かをしているときも、何もしていないときも、誰かのお世話になっている。そのお世話の人の様子や人柄や体調の影響をかなり受ける。気持ちよく仕事をしてもらえるように、気を使ったりもする。誰でも多少は人と関わって気を使うのだろうが、時々、とっても負担に感じるときがある。せめて休みたいときに休みたい。でもその日のケアをその日にしないと・・・。全部計画をたてて人を頼んで生活していると、そうそう自由気ままにはいかない。というわけで、今日はぽっかりと休みの日だ。今日は寝るぞ!
2008.02.08
このところ、私はとってもがんばっている。毎週外出しているし、そうそう体調も崩していない。しかも2月!雪の中だってヒヤヒヤしなくなってきた。・・・母の運転だけがヒヤヒヤなくらいである。ずっと前から、どんな人も行けるデイサービスというのが富山にあると聞いていた。お年よりも障害者も子どももなんでもオッケーだというのだ。もちろん医療のある人も。そんな居場所を目指しているデイサービスができたというので、さっそくお邪魔しました。自宅を改造して家族みんなで始まったという。おいちゃん家である。(仙台市袋原)おいちゃん家のおかあさんは、なんと私が4歳の時に一度会っていた。ということが判明して、どひゃー!である。覚えていてくれたのというので、またまたどひゃー!である。(私はさすがにそのときのことは忘れました。すいません。)このごろ、こうやって、出会いなおす経験がよくある。これは、たぶんそうなるようになっているのだが、本人たちは気がついていなかったりする。でも、同じ方を向いている人たちはやっぱり似ていることを考えているものだ。多少時間のずれがあったりしても、ちゃんとその大きな流れに乗っているのだ。波のしぶきでお互いが見えないだけ。乗っている舟も小さい。普通の家にみんながごちゃっといるのは、なかなか楽しいし、馴染むほどにくつろぐ場所になるだろう。入院が長いときに、自宅に外泊して、何よりよいのは、家族がだらっとくつろぐ場所と時間に「自分もいる」、ということだった。それを、本当に自分の自宅で提供する方のスタッフは生活の境目がなくてとても大変だと思う。けれど、その仕事を楽しそうにやっているところがすごくいいなあーと思う。お年寄りのデイサービスだったけれど、私はこれからどんなふうに社会参加したらいいのか考え中なので、うんと勉強になりました。さっそく営業ボランティアに採用してもらったので、ブログにて紹介しました。くわしくはローリエまで!弟もボランティアで働きたいそうです。こっちもよろしく。
2008.02.07
めでたく高校生になれそうな弟のおまつり気分はそろそろおしまいだ。進学に向けた準備が始まった。うかうかしていられないよ。わたしも。登校の練習をするのにも、全体の介護の組み換えが必要だ。いままでいろいろパターンを考えてきたけれど、やっぱり母が付き合って練習することになった。なので、芋づる式に私の介護体制も含めて全面見直しである。ケアマネさんが訪問してくれた。久しぶりに会ってまた元気をもらって、感謝している。心強いプランをいろいろ提案してもらった。私や弟や家族のことをよく知ってもらっているので、かゆいところに手が届く相談であった。そこへ、ヘルパーさんと弟も帰ってきて、ヘルパーさんの意見も聞くことができた。みんなが一緒に考えるのがとてもいいと思う。もちろん弟も一緒に聞いていたのだから、責任とヤルキがひしひしと出てきたようである。不安というより、挑戦する楽しみが出てきたような感じだ。みんなに応援されているのが目に見える形でわかったのだと思う。と、側で見ている私も十分当事者となって協力する所存である。ヘルパーさんと過ごす時間が長くなる。その間わたしはわたしの仕事をする。母の介助がなくても介護を安心して受けられるように、自分の気持ちをちゃんと伝える練習をしたいと思う。私が安心して過ごせるということが、弟や家族の時間を助けることになる。というふうに、意識的に協力するというのは、なかなか嬉しいものである。わたしにもできることがあるのだから、ヤルキがでる。ヘルパーさん、看護師さん、ボランティアさん、センターに家族。といろいろ入り乱れるプラン作りである。これから2ヶ月準備期間始動です。うまくやりたい。
2008.02.06
週末の疲れがあっても、月曜に登校するみんなは偉いと思う。しかも寒い朝だと、気力がいる。日曜の夜から天気予報を見て、あーとか、えーとか、気持の準備をしている父と母だ。案の定、弟は帰ってくるなり、どっと疲れて、パニックになりそうだった。ヘルパーさんに迎えてもらう弟は、それなりに、まだ外の顔でがんばっているのだろう。それが、玄関に入って家モードになるのだが、ヘルパーさんが帰って、家族だけになったときに、本当にほっとしている。それは私も同じ。家にいても、リハビリの時はリハビリ室だし、お客さんによる緊張モードになって気持ちが切り替わる。それは、元気なときにはとても楽しいけど、疲れることでもある。実は。一日何度も色んな人が出入りする自宅は、自宅のようで自宅でもなく、その日の用事が終わると私も母もバタンキューである。本日の営業、終わり!というのが母の口癖だ。家にいる私たちも、外から帰る弟や父も、夜になるとやっと気が抜ける空間になる。とはいえ、父は夜も吸引の付き添いだから、なかなか気が抜けないだろうけど。本当は私も、まったく気が抜けた状態でぼーっとしてみたい。いつも吸引を気にしているのは疲れる。いつもいつも気を張っているのは弟も同じだ。そのデリケートな気持を誰かにヨイショしたり、励ましたり、盛り上げたりしてもっらて朝が始まる。今日も一日、がんばりましょう。生活するのは、それぞれに大変だ。
2008.02.05
お世話になった人へ感謝するパーティーへ出かけた。雪がちらついていたってなんのその。おしゃればっちり、体調もよし。大きな会場のパーティーは2回目だ。たくさんたくさん人が集まった。360人もいたんだそうだ。難病の子どもと家族のためのキャンプというのがある。もう13回も続いている。そのキャンプで始めからお世話になってきたお医者さんのパーティーである。もちろん小児科の先生だから医療の人や看護の人などがたくさん集まった。私を取り上げてくれた助産師さんやお医者さんにも会えた!病気の19年のおかげで出あえた人たちの同窓会だ。大きくなったとか、大人っぽくなったとか、多くの人に声をかけていただいて嬉しく思った。両親の知り合いや、私を知っていたけど始めて会えた人。次々と挨拶した。なんだか社会人デビューって感じ。こんなとき、本当にどんどん自分で話ができたらどれほど楽しいかと思う。ついでに、車椅子ももっと高い位置にあって、みんなの顔が見えたらなー、と思う。立食パーティーは話が上空で飛び交う。それでも、先生の人柄や、まつわるエピソードを聞きながら、人の願いは人によってつながり、どんどん形になるのだと確認した。種を蒔くときは心細かったり大変なことばかり目立つけれど、続けていくことや広げていくことの大切さを感じました。すごく寒い日にすごい人ごみに長時間いることができた。夜も吐かなかったしよく眠れた。私にしたら超進歩だ。体力がついてきたことを実感してじーんとした。でも、同時に、入院してしまったという友達の話も聞いた。元気な人もそうでない人も、今日の今を一生懸命過ごしている。心がひきしまった。先生にはますますよい時間を過ごしてもらいたいです。ありがとうございました。ついでに、出会いはないか?と思ったけど、おじさん中心でした。しょうがないか。弟はごちそう食べ放題。一番ハッピーだったはずかも。
2008.02.04
本つくりをしている。そしてゲラが届いた。うれしくてゲラゲラ!なんでゲラ?と思ったので編集のぱふぃんさんに質問してみた。すると、昔は活字を拾って原稿を作っていて、その活字を入れる箱をゲラといったことから、校正用の印刷物をゲラというようになったそうだ。ほほーっ。いちいち面白い。知らなかった世界の言葉だ。ゲラになって初めてデザイナーのくまのぞうさんの頭の中が見えてきた!そのまま。字の大きさとか、活字ひとつもイメージひとつで決まる。ことばが活字という目に見える形になるとき、音や思いは見える姿になる。紙の色とか厚さとか、全部まとまっていく先は、わたしがみんなに伝えたいメッセージだ。そのまたイメージは色とか空気とか、温度とか、目に見えない感覚を含んで本を手にとる人の心の中で拡散するのだ。しゅわっと。じわっと。どかんと。ゆれたり、熱かったり、アップダウンしたり、止まったり、じっと潜んだりするだろうか。私たちがいる今の一瞬を紙の上に閉じ込める。紙は残るけど、その紙さえ時間とともに変化する。人のいのちのものさしよりはずっと永い。本つくりとはとても不思議で、深い世界だなあ、と前よりもっと思うようになった。
2008.02.03
雪のちらつくサムーイ日。しかし、高等部の後輩たちが、今週はバザーをしている。応援に行かなくては!去年は私も制服を着て販売していたのだ。2時間外に出るので、もう精一杯で、モールの人ごみも恐怖に近いものがあったな~。それからもう1年。今度は一般の御客さんになって、みんなのお店を訪問している。お年玉をごっそり持って、大人買いした。(といっても、バザーだから安い)来年からは弟が参加すると思うと、また、違う目線で買い物にくるのだろう。半年ぶりのモールである。センターの近くで、いつも行けるなあ、と思っていたけれど半年もたってしまった。案外勢いが必要だ。私の外出は、ふらり、というわけになかなかいかない。目的をもって、よしっ!というイベント優先だ。せっかくのモールだ。速攻でウインドウショッピングをした。春の新作や流行のチェック。久しぶり、当然目力が違う。春のパーティーバックを見つけた。即断即決。いいものはすぐ決める。レースのピンクを白い毛糸のワンピースにあわせてみた。いいねえ!はやくパーティーに行きたいな。
2008.02.01
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