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本日再び登場しました。今度こそレポートです。(さっきは、事務員がアップの最後に全部消した!のだ。機械のせいにしているが、わたしは疑っている)で、頭を冷やしてもう一回。じゃじゃーん、と、とうとう本屋さんに行く日になった。朝から平常心を装って、わたしは、ふつーの顔をしていた。なんで?っていうと、なんか照れくさいというか、恥ずかしいというか、うーん、どういう態度をとったらいいのか、迷ったのだ。まずは、平常どおり、センターへ。師匠が自分のことのように喜んでくれているので、かえってちょっと客観的に喜んだ。内心はうへへへ、っていう感じ。午後になって、取材のせいたかのっぽさんたちと待ち合わせをしていたのだけれど、時間より早く到着しちゃった。すぐ、本屋さんに直行したいような、本当に並んでいるのかちょっと不安になったり、見た目平常心のまんまでいろいろ考えた。久々のショッピングモールを歩いて、春のおしゃれリサーチをする。意識の先はすっかり本屋さん。せっかくの春の新作おしゃれを気もそぞろで見る。なんか、見ても全然見えていない。ピンポーン。エレベーターが開く。本屋さん。本屋さん。車椅子を押す父の歩みが、スピードアップだ。ちょっとぐるぐる探して・・・。あったー!ピンクのひつじが「積んで」ありました。この瞬間、わたしは本当に著者になった。残念なことに、車椅子から下の本はよく見えない。ので、両親の中継により、その状況を知る。見える見える。本の草原の中に、ひつじがいる。たっくさんある本の中に、それぞれの著者の気持が見えない袋を抱えて潜んでる。買った人にしか開けられない袋である。その中で、わたしのピンクのひつじだけが、「メー」と一声ないた。わたしのきもちは、ここだよーん。k書店では新刊本、ノンフィクション、東北の本、と3箇所においてもらっていました。父とレジへ行き、記念すべき1冊を買う。車椅子だしカメラのメガネさんも一生懸命撮ってくれていたのだから、ひっそり買う、というわけには行きませんでしたが、なるべく平常心の顔で買った。なんか、うれしいんだけど、ただうれしいのとも違う。 ノンフィクションの「著者」となってしまった。著者として自分の言葉が社会に少しだけ居場所を分け与えられた。その重みと責任をずしんと感じた。本当に本屋さんで見るまでは、本当に本当なのか????実感が実感としてちょっとあやふやでした。ゲラになって、見本の本になって、だんだん責任の形が目に見えるようになっていく・・・。なのに、本屋さんで他の本と並ぶということは、こんなに重いものなんだと急に思った。ひつじくんが背負っていく見えないメッセージ袋はもうわたしの手からは離れていった。だけど、袋の中身の責任者はわたしだ。しかし、ぱふぃんさんたちと頑張って生み出したひつじ君ですから、少々のことではへこたれないはずである。なんと取材の記者せいたかのっぽさんは朝から一度チェックしてくれたそうである。朝積んであったのに減ってますよ~、と教わった。うひゃ~。 師匠も駆けつけてくれて、さっそく買ってもらいました。もしかしてお買い上げ第1号かもね。感謝。カメラのメガネさんもにこにこ撮ってくれたし、のっぽさんたちの元ボスご夫婦も本屋さんにかけつけてくださって、ピンクの花束をいただいた。思いがけなくて、一気に感動した。平常心終わり。改めて、みんなのおかげでうまれた本なのだとじーんとしました。ひつじくんが、これから、歩き出し、山を越え、海を越え、どこへ行くのか。産みの親としては旅先で大きく育つことを案ずるばかりである。ひつじくんの一人旅。旅立ちの時だ。花束をいただいて、一挙に感動モードになってしまった瞬間、電波のようにぴぴっとおしゃれスカートを今買うと決めた。さっき、うわのそらでながめていた1枚がひらひらっとよってきた。なんでかなー、と帰りの車で考えた。本に出てくるスカートそっくりなのだ。思い出の1枚が記念の1枚になった。みなさん、「きもちのこえ」のひつじ君と会ったらよろしくお願いします。おまけ・・・・のっぽさんとメガネさんの放送は4月1日の夕方6:00の地方ニュースですって。エイプリルフールだけど、ほんとだよ!
2008.03.30
つつついに、この日だ。本の発売日。ややや、やったーわくわくどきどき=わくどきの日。本当に本当に本屋さんに本がありました。うううー。うれしい。今日中にくわしくレポートするから、ちょっとまってね
2008.03.30
養護学校の離任式に参加した。朝から冷たい雨。急に気温が下がった一日でした。たぶん、この雨はみんなの別れの涙。春休みになって頼れる弟に手伝ってもらって、出かける用意をした。母一人ではもう重たいわたしなので、初めて弟が移乗ケアデビューである。はっきりって、わたしは、不安+緊張。でも、一生懸命身体を柔らかくして協力した。弟に足を持ってもらって移動。チューブもあるけど、よく注意して運んできれた。なかなかうまい。これなら大丈夫だ。久しぶりの学校で、たくさん懐かしい人に会って、離任式の前からジーンとした。たくさんお世話になった先生たちのあいさつの声を聞いて、時がたったことを実感した。先生たちの話を、実際体育館で聞くことができたことをうれしく思う。苦情処理係りさんや、ネイチャー先生や、だいすき先生たちを見送ることができた。こんな雨の日に、学校に行き、最後までいることもできた。直接会って、ありがとう、さよなら、また会おう、を言えてうれしい。ピアニスト先生があいさつに演奏したショパンの「別れの曲」が頭に残っています。先生たち、新しい生活も元気で送ってください。
2008.03.28
今日は弟の誕生日。わたしの本も、発送が始まる日です。15歳になった弟は、一日ずつ、高校生への希望をふくらませている。ふくらませすぎて、妄想になるときもある。けど、希望に燃えて前を向く気持は、とてもいいと思う。わたしもやるぞ、という気持になる。そして午後は師匠がやってきた。来年度のセンターの利用をお願いして、個人面談もした。次の目標をいろいろ確認した。お世話になった先生たちが異動する。それぞれの春。始まります。
2008.03.25
お待たせしました。できました。届きました。感動しました。うれしすぎました。かわいい本をめざしたら、本当にかわいい本になった。表紙のひつじはわたしが描いた。ひつじの周りの○には深い深い意味があります。さらに裏表紙は弟の絵ですよ。「きもちのこえ」毎日新聞社。1500円+税です。土曜日発売ですよ。よろしくお願いいたしまっす。アマゾンでも買えます。ところで、本というのは1冊売れるごとに、印税というのが著者にいただけるのだそうです。わたしの仕事の収入として、契約書にもサインするのです。(これはこれからの予定)。マジ社会人だ。わたしは、こっそり、本屋さんに見に行こうと思っています。うーん、しかし、こっそり、といっても車椅子で目立つかな~。ゲラ原稿で印刷になって、ビックリ感動。本の表紙ができてこれまた、ビックリ感動。本の形になって、めちゃめちゃビックリ感動です。ぱらぱらっとページをめくると、本当に本なのだ。活字にも紙にも色にも、情熱がこもっています。ことばひとつひとつにはぱふぃんさんと一緒に気を配りました。何度もチェックしました。やっぱり、形になると超うれしい。一生懸命書いたから、みんなに読んでほしいです。メッセージは読んでからのお楽しみ。今週は著者から謹呈するという仕事をします。なんか、すごすぎてちょっと緊張している。おじいちゃんに見せたかったけど、これは、速攻でお供えした。ぱふぃんさんとか、くまのぞうさんとか、本のプロのおかげでできあがったし、その出会いを作ってくれたまっちさんのおかげでもあります。ほんと、みんなに感謝しています。深々と、礼。
2008.03.24
ついにやった。一人で単独で自分だけでセンター利用者となった。ほんと、ついにやった。長い時間がかかった。医療ケアを受けながら半日を安全にすごした。たった日のことだ。だけど、わたしには大きな大きな意味のある時間だ。10年前に小学校に通ったとき、まだ胃ろうも吸引もなかった。障害が重かったけれど一人で学校に行くことができた。入院が増えて胃ろうができて、それでも、給食のときだけ母が学校に来た。せっかく学校にいるのに、おかあさんつき、なんて、かっこ悪かった。それから、長い長い10年だった。入院週はもちろん、退院してからも医療のケアは家族のお世話になった。24時間のほとんどから、少しずつ元気を取り戻す時間と、社会のしくみと歩み寄るのにまたまた、長い時間がかかったなあ。センターで過ごした4時間は、いつものようにまったりと落ち着いて流れた時間である。でも、ものすんごく意味のある4時間だった。かえってきてから、10年のいろんな時間を思い出した。家族3人はこれまた10年ぶりにわたしに縛られずに4時間を過ごした。3人で街を歩いてきた。いつもかわりばんこでわたしをケアしている両親が弟といっしょにいてあげることができた。街にはそんな家族があふれていたことだろう。そんな普通の時間がとうとう過ごせた。小市民の時間を母は超感動した。まだたくさんハードルはあるが、まずは一歩踏み出した。この一歩にはたくさんの人の熱意と愛情がこもっている。当事者のわたしは、ほんとにほんとにほんとにうれしい。ほんとにうれしい。ありがとう。
2008.03.23
みんなにいろいろな疲れが出てきた。なのに、わたしだけは元気である。弟がパニックを起こした。4ヶ月ぶりのことだ。いろいろな変化に頑張って合わせてきたのだ。パニックのスイッチも、ささいなことだ。器に少しずつためていく液体が、とうとうこぼれて、一気に器ごと倒れた。みんな疲れていたところで、2時間コースは厳しい。土石流の後始末のように、静まったあとでも後味がとっても悪い。どろ水のぐちゃぐちゃの中で、ぼーっとしてしまう。子供だったり、性格だったりったりして、気持を撒き散らせる人は幸せである。周りはへとへとになる。受け止めている人が必ずいるのだ。もうすぐ高校生の弟は今までよりははっとして、その後の行動がよくなった。それは感心。というか、もはやあたりまえだ。反省するくらいなら、その前に気をつけろと言いたい。見守っていくしかないのだけれど、周囲の被害が大きくなってきた。扉が少し壊れた。みんなにどれくらい迷惑をかけているかを反省してほしい。今までは、かわいそうだとも思ったけれど、これからはそうもいかないのだ。障害があったとしても、自分を育ててほしいと願っている。弟にはできるはずだ。障害やつらいことを理由に逃げられるほど、世の中そんなに甘くない。そんなことを静かに分析しているわたしは、いまのところ余裕だ。体調がよい。みんなわたしを気遣って疲れないようにしてくれたおかげなわけで。要は箱入り娘なのだ。世間の荒波から守られている。ちょっと申し訳ない。人間余裕があると、落ち着いて物事を考えられる。忙しい春だ。みんなの余裕をとりもどすためにも、わたしは元気でいなければと思う。
2008.03.22
本の仕事がほぼ終了だ。デザイナーのくまのぞうさんと、とてもよい出会いがあった。動物好きのくまのぞうさんの影響で、弟もたくさん動物の絵をかくようになったし、わたしはつい動物のきもちを、考えるようになってしまった。動物は言語の言葉はないけれど、きもちはたくさんもっている。それを、動きや行動で表現している。同じ生き物としては、動物がどんなきもちのこえをもっているかが、なーんだか気になってきた。と思っていたら、くまのぞうさんから、動物たちが届いた。一匹だった、くまのぞうさんが、急に仲間に囲まれて、うれしそうである。首をひょいひょいふって、周りを眺める。やっぱり、仲間と一緒がよい。それぞれ親子になっているのだから。さらによい。くまのぞうさんには、おかあさんがやってきた。他の動物はみんな親子だ。にくいね~。というわけで、近くに八木山動物園。そして、我が家に新しく八木山南動物園ができた。暖かくなったら動物園に行こう!
2008.03.21
少しずつ日常の時間がもどってきた。いろいろな手続きで忙しくしていた父も今日から仕事にでかけた。わたしの時間は、もういつものようになった。わたしが死んだら、誰に連絡しようかとか、葬儀で誰に言葉を言ってもらおうか、とか、そんなことを考えて過ごした。送る言葉を言ってほしい人はたくさんいるので、お願いする人を決めるのが大変そうだ。それから、コンサートまではいかなくても、何か音楽を流そうかな、とか、詩を用意しておこうかとか、そんなことも思う。ついでに、親が死んだら、どうしてもらいたいか、聞いておいてあげよう。おじいちゃんの使っていたものの片付けも始まっている。わたしは吸引器をもらった。わたししかもらえない、わたしにピッタリの形見分けである。
2008.03.19
おじいちゃんのお葬式に参列した。初体験である。人を送る儀式の一つ一つを聞きながら、最後の大切な場所にわたしも行くことができてとてもうれしい。とにかく厳粛な場面である。痰の音や緊張やいろいろなことを心配してしまった。一番心配だったのは、しーんとしているところで、人工鼻を飛ばしてしまったらどうしようということだ。わたしは遺族なので一番前の席だし、すぐとりにいくわけにもいかない。今まで、卒業式でもコンサートでもやってしまったので、本当に心配した。会場の係りの人とわたしの場所や吸引のことを打ち合わせしてもらった話を聞いて、ますます緊張してしまった。とても厳粛で、お経の30分はどうしてもがまんしなければならない感じだ。前の日からがんばってお通じもしたし、当日は緊張をとる座薬にも協力した。精一杯努力して、30分のお経を聞いた。お経の流れに耳をすます。次が予測できないので、どきどきした。急にゴーンと鳴って、ちょっとビックリした。歌のように言葉が続くお経を初めて聞いた。時々聞き取れる言葉があったり、メロディーがついたり。人を送る大切な言葉だ。わたしも孫の代表で詩と歌を贈った。おじいちゃんにわたしの歌を初めて聞いてもらうことができた。会場の人やお坊さんも目頭を押さえていたというので、きっとおじいちゃんにも届いたことだろう。みんなが黒い服を着て、「喪に服す」。わたしも生まれて初めて全部黒い服を着た。今まで、自分が黒い服を着るとき、自分が死んでしまうような気持になってしまうので、避けていた。けれど、こうして送る人になって黒を着たとき、とても気持が改まった。おじいちゃんの知らせを聞いたとき、わたしがお葬式にいくかどうか、家族が話し合った。わたしが参加するということは、準備も段取りもいろいろなことが大変になる。ただでさえ大変な状況なのだから、留守番していてもよかったのかもしれない。でも、わたしの気持を聞いてくれて、そして、わたしも孫の一人としてちゃんと出させてもらったことがとてもうれしいと思う。家について、ひとつまたわたしにもできた、とほっとしました。今度はおじいちゃんと姉の墓参りにいきます。
2008.03.17
おじいちゃんが入院しているときわたしは元気で、おじいちゃんが元気なとき、わたしは入院していた。二人とも冬は風邪をひかないようにしたし、二人ともヘルパーさんや看護師さんにお世話になって、二人とも家で在宅介護をうけた。二人とも、障害は重いので、いつでもどこでもぱっと出かけられない。だから、私達が会うのは記念すべき行事の時だ。二つよく覚えていることがある。1つはわたしが退院して家を引っ越したとき、おじいちゃんを招待した。実現するまで大分かかったけれど、家の居間でみんな大集合した。もうひとつは、去年の春に金婚式のお祝いをした。みんなで色紙を書いて贈り物もできた。わたしはやっと外に出られるころで、車椅子を並べて写真をとった。おじいちゃんと会うときはわたしの車椅子を反対側にむけて、握手する。二人ともまひがあるけど、ちゃんと握手する。おじいちゃんの手は大きかった。気管切開もなかまだ。吸引もなかまだ。デイサービスもなかまになった。リハビリで書いた字やきれいな花の絵をもらった。わたしもいっしょうけんめい、字の練習をした。ふたりとも、だんだん字が小さくなって上手になっていった。おじいちゃんのように、色鉛筆の花をかきたいとおもったけど、わたしにはちょっと難しかった。細かいところまで丁寧に塗ってきれいだった。これからは、わたしの双子の姉と一緒だ。もう一人の孫と初めて会う。
2008.03.16
弟の卒業式の朝、おじいちゃんが亡くなった。うれしいことと悲しいことがいっぺんに起こった。弟はとっても立派に式を終え、中学校を締めくくった。おじいちゃんのことを知りながら、こだわらないで卒業式に集中できたというのだから、立派だ。おじいちゃんは、弟が生まれるときに倒れて、それ以来介護を必要としてきた。弟が15歳のぶん、おじいちゃんも15年がんばったのだ。朝、静かに冷たくなっていたという。弟は卒業式の帰り道に証書を見せに行った。ひょっとして、弟の卒業式も空から見に行ったのかもしれない。わたしももうすぐ20年の障害者キャリアだから、おじいちゃんとは15年ともに、病気と闘ってきた。車椅子同盟である。お互いに自由にいつでも会えなかったけれど、会えた時にはいつもかわいがってもらった。にわかに葬儀の準備であわただしくなった。わたしもいつ、どのようにお別れできるのだろう。みんな、無理しなくていいよ、と気遣ってくれるのだけれど、わたしもおじいちゃんにちゃんと挨拶がしたい。お通夜の前におじいちゃんの家で会ってきた。お棺に入ったおじいちゃんはいつもの顔をしていた。車椅子から見えないので、写真に撮ってもらって会った。お気に入りの着物を着ておしゃれしたそうである。わたしは心の中でいろいろと話をしてきた。中身はヒミツである。生活の流れの中に、うれしいことも、悲しいことも次々におこる。重なることもあるし、突然なこともある。それでも、みんな、それぞれの日常の時間の中で、出来事を切り取って、自分の分量で喜んだり悲しんだりする。そうやって、生きている人も、亡くなった人も、自分の役割を果たしていくのだ。喪主の父は忙しそうだ。わたしは明日、お葬式に初めて参加します。
2008.03.15
高等部の卒業式がおわり、私のひとつ下の学年のみんなが、新しく社会人になる。おめでとう。今年のみんながそれぞれ進路をきめて、新しい生活を始めることでしょう。福祉の制度がかわって、いろいろなサービスが変化している。就職していく人は一般就労だし、福祉施設で働く人にもいろいろな種類がある。このへんは、私も勉強不足でまだまだよくわからないことがいっぱいある。今年は自分の進路や働くということの意味を考えるのでいっぱいでね。ところが、春には弟が高等部になるので、つい、先輩モードで弟のことが心配になってきた。私より障害が軽いのだから、いろいろなことにチャレンジできそうだが、弟にもたくさん課題があると思う。弟は弟なりの目標をたててがんばってもらいたい。自分のこととは違って、家族を見守る立場になってみると、それはそれで心配だ。見守るって、すごく忍耐と努力を必要とする。人を変えるのはものすんごく大変だ。その気にさせないと、その人の本当の力が発揮できない。やらされても、意味なしだ。弟は私のように体調管理に多くのエネルギーを割かなくてよいのだから、それだけ、有利ともいえる。体調がよい、ということは、なににおいても、よいことだ。元気でいろいろなことに自由に参加できることの、ありがたみを感じてほしい。比較ではないのだけれど、私の社会人1年をふりかえると、仕事に参加しながら同時に体調も安定した。センターに出かけるという、物理的な体力だけではなくて、本を書くとかブログを大切にするという仕事で、気持がとっても落ち着いた。身体も心もつながっているが、別々の居場所があってもいいなあ、とも感じている。自分のエネルギー配分やよりどころの切り替えを、自分自身が自分の命令でコントロールするのだ。それがうまく行くときは心身の役割がうまくはたらいて、もっとよい自分になる。締め切りに襲われた気分のときは、侵入されるようで体調も悪くした。でも、少し考え方を変えて、自分の核を意識して感じるようにしたら、外からの力もそれほど脅威に感じなくなった。それで、治療も自分の意思で決められたのだと思う。自分に自信をもつ、といったって、裏づけがないとできないことだ。思い込みは危ないし、人の顔色を見続ける自己も苦しいものだ。そのバランスが微妙なほど、ちょうどいい自分の場所がみつかったとき、とてもラクになれるだろう。社会の海で浮いたり沈んだりしながら、それでも、ちゃんと生きていける強さを人間は持っていると思います。卒業のみんな、がんばらないでがんばっていくのがいいと思うよ。
2008.03.13
暖かくなってきた。ベッドに入る日差しも、黄色が増えてきた。ついでに、乾燥しているときは、ちょっとほこりっぽい。さらに、春を感じるのは、野良猫!わたし用の特性スロープを歩き出す。そしてフンをするから、ホンキで怒る。 真冬の洋服を片付けた。たんすの中から、どっさりベッドサイドに運ばれた服の中から、来年も着るものともうさようならするものを、判断するのが私の役目である。さっさと決める。瞬時に決定する。ポイント着やすさと温度だ。上半身が固くなってきたので、デザインによっては脱ぎ着が苦しくなったものは、さようなら。温度は、どんなに気に入っていても、ベッドの上では背中が暑くなってしまうのはだめ。大好きでどうしてもまた着たいのは、リフォームしてでも、また着る。てなわけで、どんどんさばいて、だいぶ減った。で、次の計画である。 今年はきれいな色で、花柄だそうだ。でも、カタログを見る限り、なかなか着やすそうなのがみつからない。そろそろホンキで探そうと思う。・・・・ていうか、気管切開によくて、まひにもよくて、かわいくて、というのを自分で考えて、というのもいいかもです。でも、あとりえの事務員は、これ以上仕事ふやすなー、といっています。 んー。ブランドローリエか。おもしろそうなんだけど~。
2008.03.12
みなさんに心配かけまして、すみません。リハビリのぽんたさんも、ヘルパーのゆーさんも、訪問するなり「大変でしたね!」から、会話開始である。ブログを読んでもらったことがわかっただけで、うんと安心する。マジで焦ったわりには、救急車も呼ばないし、そのまま、日常の流れが再開した。昨日はリハビリもしたし、通院もした。1日安静で復活したのだから、我ながら力がついたものだと感心した。ぽんたさんには、酸素飽和度と血中の酸素取り込みの関係を教えてもらって勉強になったし、仕事中の危ない経験もきいてしまった!ゆーさんのショックな話も聞いちゃった。特にいのちを扱う仕事だと、怖い部分もあるだろう。でも、その怖さに負けてしまうと、仕事そのものを続けられないことになる。実際、背負うものの大きさにやめてしまう人たちもいるのだそうだ。訪問の仕事はそれが大切でもあり、重たいところでもある。でも私のように、在宅で生活しようとするときに、その命綱がないと不可能になってしまう。家族だからという理由で、大きなリスクをしょってもらっているし、たくさんの訪問の人たちに助けてもらっているのだ。自分でも気をつけられることは、しようと思うが、危ないことや不安なところばっかり有名になると、ハードルを高くしてしまうだろう。かといって、平気平気、とハードルを下げると、緊張感がなくなる。いいかげんは困る。ちょうどいいバランスをとるのが肝心でもあり、難しくもある。午後の通院で、ちよこ先生にざんげしてきた。やっぱり、注意して見守るしかないのだ。いまのところ。赤ちゃんのときに、カニューレがぬけてしまって亡くなった友達を思いだして複雑な気持になった。元気でいても、たったの15分で死んでしまうことはあるのだ。いつも発見してもらったおかげだ。編集のぱふぃんさんが神様に守られていたのですね、と言ってくれました。それなら、きっと、今回のは本の神様にちがいない。もうすぐ本当に本が本屋さんに並ぶ日が来る。本屋さんで本を見ることができなかったら、超心残りになるところだった。そしたらうんと売れたりして、ときつい冗談を言う両親である。まったくむかついた。
2008.03.11
今年最後のケア会議が開かれた。今年は自分なりにがんばったし、センターでもいろいろな活動を充実してできたと締めくくった。医療ケアのある私も、いよいよ一人でセンター利用が叶いそうである。やったー!と、ここまではよかった。が、またやっちゃった。カニューレを抜いて、呼吸困難になった。今回はチアノーゼを通り越して、真っ白になってしまった。発見の親、かなり動揺。マジで危険を伴ってしまった。私は意識がきれぎれで、でも、まだ音は聞こえて、名前を呼ぶのがわかった。今回はビンタはなし。要望が聞き入れられていた。でも、本当にあとちょっとで意識がなくなるくらい、超苦しくて、酸素を最大で送ってもらったけど、どうしても反応できなかった。体のどこも動かせなかった。抜き方を分析・反省すると、ピッタリのどをふさいでしまうという、最悪の場所になってしまったのだ。その上、このところ緊張が強くて、服を腕で巻き取って引っ張ってしまう分、のどの部分を押し付けてしまったようである。いつも、どうせ抜くならしっかり引っ張ってちゃんと抜け、といわれているのだけれど、焦るうちにやっぱりできなかった。両親は隣の部屋で食事をしていて、ほんの短い時間でもそばにいなくて発見した父の声がひっくり返っていた。15分くらいか?。このところ、自分でも安定していたし、たまにカニューレがぬけても、うまい位置に抜けて息はできたので、ちょっと油断していた。やっぱり、私には、リスクがあるのだ。自分でそのことを、少し軽く考えていたことを、反省した。紐で引っ張るとかテープで固定するとか、いろいろ提案されるのだが、そのストレスがどうしても嫌だ。と、ノーを主張する分、家族には危険を強いているのだということに気づいた。遅すぎ!といわれたけど。もうちょっと安全な、長いカニューレとか、痛くない固定とか、ないんだろうか。じっとしていたも手が届いてしまうんだから。今回は、本当に危なくて、自分でもひやっとした。このまま反応しなかったらどうする、どうする?、とマジで親が話しているのが聞こえた。一生懸命目を開けようとした。5分くらいして、ぴくっと口が動かせたとき、二人ともう~~んとほっとした。特に父は、大騒ぎ。一日、酸素を最大に流して、やっと安心してきた。だんだんドキドキしてきて、また恐怖を味わった。母は緊急時は案外落ち着いて行動してくれるのだけれど、ちょっとしてから、父に「動揺がうつるでしょ!」「だってー!」と二人で言い合っていた。あー、心配をかけてしまったのだなあ、とまた思った。呼吸が苦しくなって、誰にも伝えられなくて、そして、意識がだんだん薄れるときは、本当に怖い。復活して、よかったです。ほんと。恐れることはない、でも元気なことに慣れてはいけない。それが私たち医療ケアの必要な人たちの生活なのだと、深く反省しました。
2008.03.09
無事に授業を終えて事務員母到着。なんと花束をいただいてきた。ピンクのフリージアのいい匂いで居間が包まれた。6年生からは、いのちの意味や、いのちの役割について気がつく、とてもいい意見がたくさんでてきたそうである。今健康で、今元気に育っている子どもたちにしてみたら、私のような状況や姿はかなり違うだろうし、想像力を働かせるだけでは、ぴんとこないかもしれないね。私だって、6年生のときは、自分のことで精一杯だったし、世の中にいろんな人がいることも、知らなかった。なにかと、ムカついていたし。高校を卒業する頃になって、やっと周りが見えてきて、それと一緒に自分のことも見えてきた。だから、落ち着いてこんなことをいえるのも今だからなのだ。そうはいっても、子どもだって、子どもなりに、大変なことを体験しているはずだ。親も選べないから、子どもは自分で自分の環境(状況)を変えることはできない。そこが弱者でもある。それでも、生きていることに、絶対意味があるし、大変なことも、考えようによっては、こんちくしょう!とばねになることだってあるのだ。世の中には、必ず、自分と心が響きあう人がいるのだし、今でなくても、出会うようになっているのがいのちの意味でもある。だから、12歳のみんなが、私をちらっと想像してくれることが、いつか役にたつかもしれないね。わたしは私の時間を大切にする。みんなはみんなの時間を大切にしてほしい。同じ街に住んでいるのだから、どこかでちらっと会うかも知れないしね。雲の模様の車輪がついた車椅子にのっている美人がいたら、それはわたしですよ。(がはは)卒業おめでとう!先生にも、ありがとう。
2008.03.07
とっしーと久しぶりに会いました。パソコンのマクトス練習である。とっしーが卒業の論文を書くので、年末からしばらくお休みしていたのです。とっしーの論文の中に、わたしは「事例3」で登場している。わたしが本を一生懸命書いているとき、とっしーも一生懸命論文を書いていたのだね。お互いに、ご苦労さん!と拍手である。3ヶ月ちかく会っていない間、みんな髪の毛が伸びた。3年生のジョージアさんも一緒に、ひっさしぶりのマクトスだ。相変わらず、始めの方はなかなか、脳波のタイミングを合わせるのが難しいのだけれど、3ヶ月もしなかった割には、思い出すことができてほっとした。このとことろの体の緊張で、少しよけいな力が入ってしまうのが、たまにきずだ。でも、20分集中してもそれほど疲労感がなかった。少し休んでまた15分くらいチャレンジした。後半戦は、明らかによけいな力がなくなって、集中してスイッチが入りました。なのに、ほんのすこしで、ありゃりゃ、と思うくらい入力できなくなった。こっちはホンモノの、疲れらしい。その疲労感の違いを、まだ、自分で察知できないでいる。練習が終わって、午後は、どかんと疲れてきた。やっぱり。頭を使うと疲れるのだ。もう少し、その、疲れ具合とか、体の中、脳の中、の使い方ができればいいのだろうけどねえ。そこまで、自分の身体をまだまだ知り尽くしていないなあ、と思う。さらに、コントロールするのはまだまだ、修行がいるようだ。でも、ヤルキもでた。マクトスもだけれど、パソコンを使ったほかの可能性も目標にしたいと思う。今年は何かを作ってみたい。大学3年生は、今、就職の活動で忙しくしているようだ。会社の説明や試験や面接や。話に聞くばかりだけど、面白い。私たちの進路決定とは大分違う。自分の力で開拓して、探して、決断するのだ。会社との出会い、仕事との出会い。がんばってほしいです。そうそう、とっしーとはまだまだ、いろいろできるというので、ものすんごくほっとしました。すごく充実のパソコン1年を、続けられるのがうれしいです。
2008.03.06
6年生の最後の授業がいよいよ明日である。私の話を聞いて、みんなどんなことを考えてくれるかな?と楽しみだ。私のわくわくコンサートの話を聞いてもらう。高等部と津業と社会人はじまりのコンサートだった。小学校を卒業して、それぞれの道を考えはじめるみんなだね。みんなは何が好きで何になりたいのだろう。私は6年生の時に何を考えていたっけ。(何になりたいか、なんて、何も考えていなかったと思う)ただ、元気になりたかった。それだけ。大変なときは、余裕がなくて、夢もやりたいことも、思いつかないかもしれないなあ。でも、それは、「ない」わけではないく、「ある」ことに気がついていないだけだった。夢ややりたいことは別に子どもでなくても、大人でも、おじいさんでも、持っていいものだ。「ある」のだから、「持ち」続ければよい。生きている間はおしまいではないからだ。ついでに考えると、死んだ後も、「夢ややりたいこと」は別の人に受け継がれることもある。そうやって、人は大河の一部になっていく。そう思うと、自分の分をやっとけば、案外満足感が得られるような気がする。また、話がおおきくなってしまった。6年生が大河を感じなくてもいいさ。自分の世界で大切にしたいものを見つけてほしい。それはとっても力になるものだ。私のことを知らない人に知ってもらう。そのことが、私の力にもなっている。私も役にたっているかな、と思える。今回は事務員母が担当している。最近すぐ号泣するから、ちょっと頼りない。私の思いと母の思いでは、号泣のツボが全く違っているのだ。みんなの感想文を楽しみに待つことにします。
2008.03.05
居間のベッドに寝ていると、料理の音ともにいいにおいが漂ってくるのが楽しみである。献立を推測して楽しんでいる。このところ、二回連続して、きな臭い香が漂った。焼き肉にしては静かだし、香ばしい感じでもない。母がすっ飛んできた。鍋を焦がしたのであった。しかも2回連続だ。やだねー。しばらく部屋が臭い。アロマキャンドルでごまかそうとしても無駄である。そうこうしているうちに、顔面の神経まひだという。どうも春が近いとみんな、気が緩むし、乾燥して火事も多い。高齢者の交通事故も多い。何かを始める季節はうきうきするけれど、鍋焦がしは危険である!ベッドに寝ていて、ヒヤヒヤする人の身にもなってもらいたい。
2008.03.04
合唱団ドリームシンガースの定期演奏会で、ふきのとうが演奏されました。初演です。今回は家族が代表ででかけた。地面のふきのとうを、私は自分の目でみたことがない。実は。私は目の10センチくらい近くに物を近づけてもらってやっと見える弱視です。なので、地面の近くや遠くは見えません。たいてい、写真に撮ってもらって見ることができるわけ。あとは実際採って来てもらう。せっかく出てきたふきのとうをとるのはかわいそう。で、写真だ。(母はいつ食べようかと見ているようだ)なので、ふきのとうを見たときはどれが芽かわからないくらい小さくて、色も茶色で、ちょこっと黄緑を見つけたときは土のしたのエネルギーをすごく感じた。それを伝えたくてずっと入院している友達に写真をつけて贈った。それから数年たって、歌になって、また時間がったって、合唱曲になって、そして、演奏された。女声合唱は初めてだ!いつも母が鼻歌で歌うメロディーが、合唱になると力強い。人が集まる歌声にはいつも、いつも、力強さと魂を感じる。スポンジになってぐんぐん吸い込む。ふきのとうはかわいい曲だ。でも。実は、すごく力強い歌だ。それが、初めてのお客さんの心に伝わったかな。なんでも、何もないところから始まる。でも始まるために、見えないところに始めるための力が少しずつ集まっている。それが、ものすごく小さな力でも、ゆっくりと芽を出すときがくる。ドリームシンガースは夢を歌う人たちだ。夢は歌い続けるうちに形につながる。いろいろなことが始まる春に、夢を歌っていただいた。次回は是非私もコンサートに行ってみたい。ひとりひとりが、はるみっけ。
2008.03.03
市のケアマネジメントの研修会で発表者という仕事をしてきました。わたしのポジションは障害が重い人である。夢や希望を話した。人の前で話をするのは2回目だ。初体験も緊張したけど、1回目はインタビューで答える方法だったので会話に近かった。2回目ももちろんど緊張。会場は広いし、人も多いし、マイクで話す声が響き渡る。弱視のわたしには、その雰囲気はかなりプレッシャーだ。いつもお世話になっている相談支援事業の人々や懐かしい人たちに会えたので、やっと気持がほぐれました。わたしの時間は30分だ。30分しゃべるのはかなり長い。筆談で書くのはすごく体力も使う。へらへら、おしゃべりするのなら、あっという間の1時間だけど、発表となると構成しなくてはならない。わたしは、紙を見ながら、というわけにもいかないので、全部頭の中でしなくてはならない。大体の時間とか、話す順番とか。それを、じっくり考えた。途中スライドでみんなにちょっとほっとしてもらうことにした。資料を作るのは事務員の母なので、センスはおまかせである。でも、使うものは、あれとあれ、と指示を出すのはわたしだ。資料、めんどくさーい、とぼやくところを、お願いして、作ってもらうのも一苦労である。結局これは、出かける直前にできた。でも、わたしの話はゆっくりで、聞く人も集中したら疲れるだろうから、スライドは欠かせない。せっかくだから音楽も聞いてもらって、よかったと思う。コンサートではないのだし自分でいうのもヘンだけど、自分の音楽を聞いてリラックスした。私のように話をする人を初めて見る人は、どんな感想をもつのかなあ、といつも不安になる。私を知っている人なら、麻痺の苦しさや、生活の不自由さや、話ができる喜びを想像する材料があるだろう。あまりにも自分と違いすぎると、想像力をはたらかせることも、難しいかもしれない。だから、理解してもらうとか、知ってもらうことは、とても大切なのだけれど、私の姿や会話の方法を先入観なしに受け止めてほしいといつも願っている。初めて会った人が、ビックリしたり、ちょっと距離をもちたい、ととっさに壁をつくる雰囲気はわかってしまうものだ。声の響きや、動きの気配などで、すぐにわかる。目が見えなくても、空気がそれらをすぐ伝えてしまう。それが、私には時には厳しいと思うときがある。たとえ、相手が会話や動きで理解を示してくれようとしていても、ホンネやその人のマイナスの気持はわかってしまうのだ。それをわかってしまうことが、申し訳ないと思う。わかってしまうと、私も、笑顔を作りながらとてもつらい。気持と異なる行動をしてしまう相手に、合わせなくては、と瞬時に思ってしまうのだ。相手の心に壁があることを、感じた私が、自分でもその壁を支えようとしてしまう。そうするわたし自身をまた、自分がやだなーと思うのだ。たくさんの人の中に入ると、その人の集団の色や空気を感じる。昨日の空気はふわふわしていて、あたたかさを感じた。わたしはローリエです、と始めのひとことで、なんと拍手が沸いたのだ!すんごくうれしかった。ズッコケの笑いのツボでは、ちゃんとくすくすっ、と笑ってくれたみなさん。すべると、本当に寒くなるものなのですう~。私は、もう、自分のことをみんなに話すのはなんでもない。でも、どう受け止められるかはとっても怖くて、それによって誤解をうけるのはもっと怖い。修復できないような誤解に立ち向かえう勇気はまだないな。でも、今回のように知らない人に私の気持をわかりやすく伝えることは、私にできる仕事かもしれないと思った。私のことは私にしか言えない。昨日のみなさんには、うまく伝わっただろうか。私としてはがんばりました。もっと体力をつけて、いろんなところにでかけて、いろんなものを見て、いろんな人に会いたいと思った。おまけ・・・私の体力を考えて食事を済ませてでかけた両親が、おいしそうなお弁当だったなあ、と残念そうに言うのを聞いた。今度は昼食を食べられる時間をとってあげよう。
2008.03.02
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