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中村あゆみがデビューしたときは覚えている。抜き出た歌唱力が小柄な彼女から響き渡っていた。 ずっとそのままがいいと思えることは人生ではよくあることだ。そう思えるような人だったけど、こうして今の彼女の曲が流れるのも感慨無量だ。
Nov 30, 2013
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これもとても美しい。これはでも、プレゼントされたものだ。仲が良かったのに、あることでこじれてしまった。あることというのは、別なある人との関係が原因だった。別なある人のプライバシーのために、僕はそのことは口にはしなかったのだったけど、それが分かってしまったことでこじれてしまった。今もメールは通じるけれど、よくいえば礼儀正しく、実は覚めた感じになった。原因となった事柄は、ほんとはこじれてしまう必要はなかったのに、そういう感情は不可逆性がある。こじれる必要はなかったのに、というのは男の言い分なのかもしれないけれど、惜しいことなのだ。 ジェラシーは男性にもあるけれど、女性のそれは狂おしさが含まれている。まあそれも男性の言い分かもしれないけれど、厄介でどうしようもない代物だ。 女性は、女性同士の意識がとても強いと僕も思う。ファッションもメイクも男性へのアピール表現である以上に女性同士の競争心のほうが動機としては強いと誰かが言っていた。そうかも思った。そうかもと僕も思ったからには、今僕もここで非難を浴びるだろう。略奪愛も女性のほうが強いとこれは僕も昔から思っている。 人間だけじゃなく、とかく生きものは性差に支配されている面が強い。ライオンのオスは群れに君臨して左うちわらしいけれど、トップになれないオスは群れから離れないといけない日が来て、一人で生きていかなければならなくなるそうだ。そして他の群れのトップの座を力で奪って乗り移らないと孤独で悲劇的な日々が続くという。ということは、君臨してもやられないようにしなければならない日々が続き、君臨できなければ路頭にさまよう日々が続き、どちらにしても生死が崖っぷちな生涯が続くことになる。ざっとそんなことらしいよ。 いつか元旭山動物園長が話していた。ライオンたちを囲いから開放するとき、躊躇してなかなか出ようとしない群れの中で最初に飛び出したのはメスだったそうだ。オスは最後に出て行って、でもメスが確保した場所に後からなのに偉そうに収まるのだそうだ。弱虫なのに、ずるい奴なのだ。 もちろん、人間も実は男は弱い。実は男は依存性が強い。 なんだか情けない話になった。 寒いからオワリ。
Nov 29, 2013
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今度会ったら、いのちについて話しましょうね、といわれたら少し戸惑わないか。 みどりさんは、そう切り出す人だった。バリ島へ行ったら帰ってこなくなる人で、友人たちが連れ戻しに行ったこよもあると聞いた。服飾のデザインセンスのある、どこか育ちのよさそうな人なのに、結婚相手にDVで悩んで別れて仕事のために東京に去って行った。僕が仲よくしていた人の無二の親友だったのだけど、不思議なことばを残す人だった。心配してもしなくても結果は同じよ、というのも僕には深かった。二周りも若いのに。 街はずれのエスニックな空間の店に連れて行ってくれたことがある。そこでガムランの音色にマッチしたこういう灯りがあった。今はもう遠い昔の一時期に繋がっているだけだけど、そういえばもっともっと昔、日本人のルーツはバリにあるという話を聞いたことがある。
Nov 28, 2013
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これは唯一、新品じゃないアンティークものを買ったのだった。日本で作ったものではないように思う。素性は分からないから市場に出品できない。このシェードは何かの皮に絵付けされている。どれもそうだけれど、点けて初めて生きた感じになるし、それがまたもらってもらうと嬉しい理由でもある。 モノが少ないすっきりした部屋の隅で、床の上で灯すのがいいいと思う。モノだらけな自分の身の回りではついにそういうシーンになる機会がなかった。モノの場合には自分ではどうしようもないから持ち主が機会を作ってあげなければならないのに、反省である。モノ、という言い方は少し突き放した言い方に聞こえるかもしれないけれど、それはちがう。モノは人間が作っている。モノは人の営みの表現だし、心も乗り移ってもいる。
Nov 26, 2013
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お天気が崩れるごとに、冬に向かっていく。カレンダー的にも、予定が混み合い始めて、もう加速度がつく予感がしている。 人生もまた同じような位置にあるのだろう。 映画はエンドロールが印象的だけれど、エンドロールが始まると立ち上がる人もいる。エンドロールは僕はもっと長くてもいいと思うぐらいなのだ。 このスタンドも使ってくれる人ができた。 嬉しい。
Nov 25, 2013
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この和風ライトは、大阪天神橋筋のロング商店街の中で見つけた。そこは老舗風陶器の店のサブショップのような隣接店で雑貨をセレクトしていた。そのとき出てきた女性は僕は陶器店の娘さんだと思う。そのとき陶器店に置いていた本も買ったのだけど、その本には天神橋筋商店街の足取りが書いてあった。spの店主はそれに尽力なさった方で著者でもあるのだけど、ぼくばその女性はたぶんその娘さんだと思った。自分なりのこともしたいと思ったセレクトショップだと想像した。 それは当たっていないかもしれないけれど、でもどちらでもいいことだ。このライトはイサム・ノグチのデザインだと彼女は言った。僕はそうかだろうと思った。 市場とか商店街は好きだ。日本独自かなあとも思うけれど。アジアの国に行っても商店街や市場を探しあてるととても高揚する。
Nov 23, 2013
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長年百貨店に勤めながらその間は商品音痴で無関心だった。有料老人ホームに転身してから、仕事環境が生活そのものだったから、やっとモノに関心が向かった。そして退任後すぐ着手した輸入業では、モノの連続だった。最初は妻と同じ好みであったタイシルクでスタートし、それからはバッグが主流で妻任せだったし、たまに直売催しに出ても、バッグはどうしても自分らしく説明できなかった。そうしたなかでこれは例外だった。オーストラリアの羊毛敷きマットなのだけど、2層構造になっていて、芯地は圧縮された羊毛だった。裏側はキルティングされているので、リバーシブルに使えるので、晩春から初秋までは起毛側を下にすると通気性とクッション性のいい敷きマットになった。晩秋から春までは羊毛のフワフワ感で快適だった。起毛側はもちろん快適そのものだ。 あるとき直売をしていたら、オーストラリア在住経験のあるお客さまがダブルとシングルを両方お買いになった。ダブルを掛け布団にするの、と言われたのだった。 もちろん長年この敷きマットを使っているのだけど、在庫がもうそれぞれ1ダースほどしかないので、最近妻も僕も初めてダブルを上掛け用に自家使用に踏み切った。 というわけで、下が長年使っているシングル敷きマット、上が今回おろした掛け用ダブルだ。 めっちゃ快適。羊と寝てるみたいだよ。
Nov 22, 2013
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僕が持ってる明かり(電気スタンド)の中で、最もカッコいいけど実用性に問題があるのが、これだ。画像では見えにくいけれど、足元にはハイヒールが一足あって、貴婦人風の帽子が洒落ている思い切ったデザインなのだ。帽子型のシェードはガラス製で重いから、少し取り扱いにくいのだけれど、これも、一目見たとき欲しいと思った。でも、最初から今までお蔵入りなのはこれもそうだ。ふさわしいシーンがえられないからだ。これはショップのショーウインドーがいい。ショップをしたことはあっても、これにふさわしいショーウインドーはなかった。 このスタンドの居場所を見つけようと思う。 ひとつ、候補が浮かんでいる。
Nov 20, 2013
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神戸の雑貨店でこれを見たとき、持って帰るしかないなあと思った。そのとき、もう増やすのやめようと立ち去ったら、これは今どうなっているのだろうか。 この亀の明かりにとってのそれは分岐点だった。 ・・・ イチロー選手はメジャーに入って最初の日、3打席目までヒットは出なかった。3打席目なんか三振だった。クールなイチローもものすごいプレッシャーだったはずだ。相手チームの投手はエースだっったから、四面楚歌の状況だった。ところが、アメリカ式野球では、エースでも100球越えたら交代するのが普通なので、投手が交代した4打席目に初めてイチローになった。彼はあとで振り返っている。もしあのとき日本のようにエースが完投したら、自分は5打席ノーヒットで、その後のメジャー生活はなかったかもしれない、と。それほどに、アメリカのメジャーにはものすごく大勢のすごい選手が裾野に広がっているからだそうだ。 人は皆、人生でなんども分岐点がある。その結果が今だから、分岐点での別な道は永遠に分からない。
Nov 19, 2013
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秋のクライマックスはここが圧巻なのだ。 ここは、最初見つけた時とても感動した。マイシークレットスポットだった。というのは、当時は有料老人ホームの館長で、職場まで30分ほど歩くことが多かった。きっかけは顧客であるご入居者のひとりが歩いておられるのをバスから見たことだった。その方は少し難しいほうのお客様だったのだけど、後日、おみかけしましたと言うと、毎日ウォーキングしているのでというお話だった。それに軽い感動を覚えて、バスじゃなく歩くことにしたのだった。 そのおかげで、このシークレットスポットを見つけたのだ。もちろん、知る人は知っている場所だったし、わざわざ訪れる人が年々増えていった。 この場所を知ってから16~7年経つけど、その間二度死線を越えそうになった。だから、秋になると見たくなるのは、また見れたというかすかな喜びと、今年も見ておきたいという感傷的な気持ちが重なるのだ。 妻も気に入ったようだし、娘も気に入ったらしいので、娘の子供が小さい時にも連れて行ったけど、子供は上のほうは見ないで下ばかり見ていた。今年はもうTWO BOYSだし上の子はどうかなと思ったけど、ふたりともはしゃいで凶暴化してはいたけど紅葉には関心がなかったようだ。 そうだな。紅葉は未来しかないような世代には響かないようだ。紅葉はどこかセンチメンタルなものなんだな。 帰って駅に降りたら、5歳になったばかりの子が、「ながたびだったなあ、」と言った。
Nov 17, 2013
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これお宝のひとつなんだ。 今日もWindows7ではこの画像は出なかった。古いVISTAで出たのだった。 かな漢字変換でもいつも不意にできなくなり、設定しなおさないと戻らない。電話サポートの助言でも決して解決しない。不便でも我慢したら使えるから使っている。普通の商品だったらこんなのアウトなのに、パソコンの世界はおかしいと思う。 iPhoneでも文字入力が頻繁にカタマるのだけど、解決しない。誰でもそういうわけではなさそうだから、出荷段階の状態に戻してインストールしなおすしかない、みたいな結論にされてしまうのだ。 妻のパソコンにも異変があった。メールの受送信ファイルの最適化をするかとシステムから問われて、いつものようにしたらしい。そうすると、ひと月以上の分が消えちゃったらしいのだ。でも、会社のサーバーに残っているので調べてもらうと、その消えた最初のメールは解読不能になっていたという。それは、イスラエルの友達からのだった。最適化で纏めて消滅したことも異変だが、そのたぶん冒頭のメールが解読不能の潰れた状態だったのだ。 さすがにIT戦争の時代だ。警戒の走査線が一般人にも及んでいる。
Nov 16, 2013
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同じ楽天ブログなのに、VISTAならこの画像が出るのに7ではなんど同じ操作をしても画像が出ないという現象が昨日から生じている。実に不思議なんだけど、不思議なことはパソコン世界では避けられないね。 ネットと電話とテレビの接続会社を切り替え中なので、ここ二三日電話サポートに何度も世話になっているのだけど、電話サポートの人も???となってしまうことも稀ではない。 ????いいぱいの世界で、その解決の仕事も日夜大変なことでもあるけど、ふと我に返るとこんなことで大変だなんて些細過ぎる。 4号機からの取り出しが始まる。
Nov 15, 2013
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どういう方法で作ったものでも、人間が作った ものにはいのちが感じられる。ましてや、それを使ったり持っていたり好きだったりという時間が経過するからいのちは、二層になる。 結局は身の回りはモノだらけになって、どうしたものかという時期が訪れる。僕にもそれは訪れている。 このグランドピアノ型の明かりは音楽関係の人がもらってくれそうだ。 よかった。
Nov 14, 2013
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2泊3日の寒気団が来ているという。もうクリスマスかという感じの寒気が来ているので、八重咲インパチェンスを屋内に退避したところだ。 自然が怒っている。フィリピンを襲った台風30号は物凄すぎる。東日本並みの被害になってる気がする。 今日の昼、安藤忠雄さんの講演を聞く機会があって、超多忙な安藤さんの多彩な話のなかから、30号が瞬間90メートルもあって、犠牲者が1万と知った。おそらくもっと多いと分かると思うけれど、人類は未踏の境地にさしかかっている気がする。 安藤さんの話にはなんども爆笑した。実におもしろい。トークだけでもいける人だ。でも、世界中にいっぱい仕事を抱えていて、今たったひとつしか大阪には仕事がないという中で、たぶん3時間ぐらいおられたと思う。あれだけの業績をあげながら、どう時間のやりくりができるのか、ほんとうに不思議だ。できるからこそ偉業を成し遂げているのだけれど、こういうのって、生涯解けない不思議のひとつだ。 もちろん僕もビジネス社会の一隅に長年いたから、仕事は忙しい人に頼めとは知っている。忙しい人は敏腕の結果だから、ますます敏腕になるプラスのスパイラルになる。そういうのは分かっているのだけど、安藤さんとかいわゆる著名人の場合はそれだけじゃ理解できないスケールというか、次元の違いみたいなものがある。 30人もスタッフがいるから? いや、そういう要因は大きいけれど、30人ともかかわらなければならない負荷だって重い。なのに、世界をかけめぐり、各界のVIPと頻繁にかかかわってもいる。 密着取材できたらなあ。 興味津々。
Nov 11, 2013
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いつも聞いているラジオで、水道橋博士が言っていた。最近こどもが熱帯魚を飼いはじめて可愛いのだという。熱帯魚が可愛いというのは自分にはなくて、熱帯魚を可愛がるこどもの姿が可愛い、と。 とても自然なオーソドックスな感じ方なのだけど、そこから僕の想念が彷長年の疑問を彷徨ったのだった。 結婚している夫婦でも、結婚していない男女でも、相手が夢中になっている対象には無関心でも、夢中になってるその有様がいいなと思うことも多い。でも、その対象が趣味や好きなタレントなどではなく、相思相愛の第三者だったらどうだろう。もちろん、最悪な事態だ。関係に暗雲が垂れ込め、嫉妬で人格も変容するようなことになりがちだ。 愛する相手なら、その相手がその第三者を愛する姿も諸共に愛する、ということができないのだろうか。 ネバーエンディングストーリーかな。
Nov 10, 2013
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6年前の今日、不覚にも僕は脳出血を起こした。道の向こうから来る人が不意に消えるし、信号機の3色がどれか消えたりした。土曜日だった。友人とレストランに入ってメニューが読めなかった。日曜日も仕事の約束で、少し体を使う作業もしたが、その日もメニューは読んでもらった。月曜日もまだ半信半疑だったから、朝テニスクラブへ行こうとして家を出た。ボールが見えなかったら、もうどうしても異常だろうと思った。でもさすがに、家から20メートルぐらいで思い直して戻った。念のためかかりつけの眼科に行き、うすうす内心感じていた通りこれは眼科じゃなかった。CTで分かったことだが、3.5センチも出血していた。そして緊急入院して、9日間病院にいた。半盲になっているから、直らないけど慣れるということはあるということだった。僕は内心、そんなことはないかもしれないと思った。最初の半年ぐらいは、なんとなく視界が暗かったし、なぜか文字列の左端が消えて見えなかった。19,800円がえ?9,800円?!やった~~という有様だった。年々症状は緩和していった。幸い発語や体の麻痺がなかった。 もちろん、被災跡地の復興のようには体はなっていないと思う。年明け2月5日にはまたMRIで見てもらうことになっている。 命はきわどいものだけど、考えてもどうなるものでもない。生活改善はかなりしたと思う。つまらなくなった気もするけれど、生きていなければ何もないもんね。生きてさえいれば、楽しいことは空の星のようにいっぱいだからね。 明かりのコレクションその2はこれ。
Nov 9, 2013
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工房の隣は昔からの酒屋さんで、よく時候のやりとりをするのだけど、暗くなるのが早いから一日が長いですねえ、と店主が言ったので、そうですよねえ、とは言ったもののえ?とも思った。 一日が長いと感じるのはとてもいいことだから、それはいいのだけど、人にはいろいろな感じ方があるものだなと思う。 それはともかく、早く暗くなると、明かりが恋しくなる。 人類は月と星の明かりしか頼れなかった長い時代には、早く暗くなると一日が長く感じたかもしれない。あるいは、そうじゃなくて、夜は不便すぎて作業も遊びも昼間だけだとすれば、一日が短く感じたのかもしれないとも思う。 神戸に民間経営の明かりの博物館のようなのがあって、そこは僕のすきな場所のひとつだけど、明かりっていいよね。僕の雑貨コレクションにもいくつかある。 そのひとつ。
Nov 8, 2013
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yumingのコンサートに行ったことないのに、オープニングにこれが始まるイメージが僕の中には住み込んでいる。 彼女がまだ22歳ぐらいのときにこの中で彼女は私が今死んでも、と3度も結んでいる。うら若い女性が私が今死んでも、と唄う輝きがこの歌が長年胸に残った理由だと思う。この時のこの印象深いパイプオルガンは松任谷正隆だ。 死は 歳をとると生き始める。
Nov 2, 2013
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