東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約
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「三つの世界」 甲斐慎一郎 詩篇73篇1-28節 聖書は、「心が聖くて正義を行う者は幸福になり、心が汚れて罪を犯す者は不幸になる」と記しています(1節)。世の中の道徳や倫理も同じことを教えています。しかし現実の世界は、これとは反対に、この詩篇の記者アサフが述べているように「悪人が栄え、義人が苦しんでいる」のです。これはどのように考えたならばよいのでしょうか。 一、肉眼で見える世界の限界(2~12節) アサフは「誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見」て、つまずきました(3節)。私たちに目がある以上、悪人が繁栄し、義人が苦難を受けているという矛盾した現実の世界を見ずに済ませることはできないでしょう。しかしたとえこのことを見ても、すべての人がつまずくわけではありません。 どのような人が矛盾した現実の世界を見ると、つまずくのでしょうか。それは、肉眼で見える世界がすべてであって、目に見えないものは実在せず、真理ではないと主張し、目に見えるもの以外は信じない人です。 このような人は、良いことを見ている間は問題がありませんが、矛盾した悪いことを見ると、つまずいてしまいます。しかし私たちが肉眼で見える世界しか信じなかったならば、悪いことを見る度につまずいてしまうのは当然ではないでしょうか。 二、理性で考える世界の限界(13~16節) アサフは、心と行いを聖くし、まじめに生活しているのに(13節)、一日中、神の懲らしめを受けるだけで、何の利益もありませんでした(14節)。これに対して悪人は、罪を犯していながら、「いつまでも安らかで、富を増してい」ます(12節)。彼は、いくら考えても分からず(16節)、つまずいただけでなく、もしこのままを述べるなら、後世の人たちを誤らせてしまったであろうと述べています(15節)。 私たちに頭脳がある以上、悪人が繁栄し、義人が苦難を受けるのはなぜであろうかと考えずに済ますことはできないでしょう。しかしたとえこのことを考えたとしても、すべての人がつまずいて、後世の人たちを誤らせるわけではありません。 どのような人が矛盾した現実の世界を考えると、つまずいて、後世の人たちを誤らせてしまうのでしょうか。それは、理性や頭脳的な知識で理解できる世界がすべてであって、理性で考えられないものは実在せず、真理ではないと主張し、理性で理解できるもの以外は信じない人です。 このような人は、理性で考えられる良いことが起きている間は問題がありませんが、理性では考えられない矛盾したことが起きると、つまずいてしまいます。理性で考えられないようなことが数多く起きるのがこの世であり、理性で理解できる世界しか信じなかったならば、悪いことが起きる度につまずいてしまうのは当然ではないでしょうか。 三、信仰の世界による解決(17~28節) しかし幸いなことにアサフは、「神の聖所にはいり、ついに、彼らの最後を悟」りました(17節)。最も狭い肉眼で見える世界とそれより少し広い理性で考える世界よりも、もっと広く全体を教えてくれる神の世界、霊の世界、信仰の世界というものがあります。 信仰の世界には次の3の特徴があります。 1.第一は、物事を近視眼的に見ず、最後まで見極める「永遠の世界」です(17~19節)。 悪人の繁栄は長続きせず、その最後は滅びなのです。 2.第二は、物事の影や夢を見ず、本体を見極める「実体の世界」です(20節)。 悪人の繁栄は影や一時的な夢に過ぎず、その実体は滅亡なのです。 3.第三は、神から与えられる祝福や恵みよりも、その与え主である神ご自身をとらえる「臨在(神がともにおられること)の世界」です(23~28節)。 人間は、神をとらえているなら、すべてのものを持っているに等しく、反対に神をとらえていなければ、持っているすべてのものも零に等しく、すべてを失ってしまうのです。 私たちは、どの世界に生きているでしょうか。
2006.06.16
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