ーーー 複刻記事 ーーー
普天間基地周辺の密集民家の形成が一目でわかる航空写真
2010.05.12
この記事は、2010年の5月に書いた古い記事なのだが
長らく、私のブログの中では、ベストセラー(笑)の記事の中のひとつである
つまり、アクセスが常に多いのだ
それにしても、昨日のアクセスが特に多い
● 昨日のアクセス数 354
ちなみに、今までのアクセス総計は下記である
● トータルのアクセス数 11,690
とにかく、注目を集めている記事という事になる
実は、私は、古い記事なので、私が間違った事を書いていた
可能性もあるかと恐れて(笑)
読み直していないのだが
自分で言うのも何だが
この記事を見れば、普天間基地周辺の民家の密集殿変遷がひとめでわかる
航空写真には、有無を言わさぬものがある
事実を映像でもって語らしめているのである
内容紹介を兼ねて
記事の冒頭を引用してみよう
―――― 記事の冒頭部分 ――――
しかしそれにしても、普天間基地の問題点は,密集した民家に取り囲まれていて,危険だと言うことに尽きる
それでは、いかにして基地周辺に民家が建ち並んだのか? 時系列順の航空写真によって、基地および周辺地区の変遷の様子を検証してみよう
普天間基地のある宜野湾市のHPがある
そこに宜野湾市の時代別の空中写真が掲載されている
これをリンクしてみるので、みなさん、ご自身でご判断ください
ーーーー
宜野湾市のHPに掲載された普天間飛行場の空中写真
( 1) 米軍上陸前の宜野湾 昭和19年(1944)米軍が上陸作戦用に撮影
(2)米軍が上陸、建設された飛行場 昭和20年(1945)
(3)最近の普天間飛行場
私は,航空写真の専門家では無いので、正確な読み取りは出来ない
ただ、この三枚の空中写真を見ると,少なくとも、だいたいの見当がつくように思う
昭和19年の,(1)の、まだ米軍上陸以前の映像では、大部分がのどかな農地・農園のようだ
ただやはり、その中に数カ所、民家らしいものが認められる
つまり、村人は確かに住んでいた
ただし、現在の(3)のような密集した住宅地とは、人口的に桁違いである
少なくとも人口が二桁は違うのではないか?
いや、三桁ほど違いそうだ
仮に、人口が1000倍に増えたとすると,現人口の9割は,新規移入者・移住者と言うことになる
(後略)
―――― ◇ ――――
この記事の核心部分は、下記の3枚の航空写真である
(1) 米軍上陸前の宜野湾 昭和19年(1944)米軍が上陸作戦用に撮影
(2)米軍が上陸、建設された飛行場 昭和20年(1945)
(3)最近の普天間飛行場
過去ログ本体では、この(1)(2)(3)の部分をクリックすると
航空写真にリンクする仕組みになっているのだが
この複刻記事にしてしまうと、うまくリンクされない
しかし、この航空写真を見てもらわないと、私の記事の意味が無い
そこで
コメント欄に、オリジナル記事の URL を置くので
それをクリックして航空写真を見てみて欲しい
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