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安倍内閣のもとで強行採決によって改悪された教育基本法を、元に戻すよう求める投書が、8月7日の朝日新聞に掲載された; 来る総選挙で各党に願うことがある。2006年安倍政権下で「教育改革」として制定された教育諸法への対応だ。改正教育基本法には「愛国心」条項が盛られたが、これは基本的人権、思想信条の自由を侵すものと考える。 これらの法律やそれに伴う教育行政は現場に深刻な影響をもたらしているし、これからさらに大きな影響力を持つことになるであろう。たとえば、教員免許更新制は現在はほば全員が更新できる状況ではあるが、運用によっては、教員に対する国家統制のシステムになる可能性を否定できない。「愛国心」教育を否定する教員を排除するようなことに力を発揮する恐れがあると危惧(きぐ)している。 各党がこの4年間の教育政策をどう検証するか注目している。政権交代が実現するなら、当時の国会で改正に反対していた民主党には、旧教育基本法の復活と教員免許更新制廃止を実現してほしいと私は願っている。2009年8月7日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-『愛国心』盛った法、改正望む」から引用 安倍内閣は民意を反映していたとは言えない面があり、その期間に実施された政策はつぶさに再検討し、歪められた部分は正常な姿に戻すべきである。
2009年08月31日
麻生首相の「年寄りは働く以外に能が無い」という放言について、5日の朝日新聞は読者からの怒りの投書を掲載した; 麻生首相が「高齢者は働くことしか才能がない」と話されたという。私は自分のことを言われたようで悲しかった。44歳の時に夫を亡くし、3年前には頼りにしていた長男を病気で亡くした。家を支え続け、今また自分のために働いている。 国民年金はさまざま引かれて、月に5万円を切る状態である。私たちには首相のようなあふれる財産も、安心できる介護の態勢もない。どこかの国のように国民が安心できる老後を保障してくれるのなら、私だって趣味三昧(ざんまい)で暮らしたい。首相の言葉は、病気になった時のために高齢者が体にむち打って働いていることを笑っているようにしか聞こえない。 敗戦の混乱から今日の繁栄まで、日本を立て直すために懸命だった私たちを「働くことしか…」と見る、私たちの苦労に報いる言葉を知らぬ首相には即、やめて欲しい。私は絶対に自民党には投票しないだろう。2009年8月5日 朝日新聞朝刊 13版 14ページ「声-働く78歳、首相の言葉悲しい」 麻生首相自身には悪気があったのではないと思われるが、聞く人によってはこのように心を傷つけられる場合もあるわけで、公人ともなれば言葉使いには慎重でなければならない。その辺がコントロールできない麻生氏は、やはり首相の器ではなかったということだ。そういう人物を選挙目当てに総裁に担ぎ出したら、返って票を減らすことになった自民党はいいツラの皮である。
2009年08月30日
政府がイラクに陸上自衛隊を派遣したときに、動員された民間人は21人であるというのが防衛省の公式発表であったが、同じ案件を情報公開法によって情報請求したところ、ほぼ2倍の人数になったと、3日の朝日新聞が報道している; イラクで人道復興支援活動を行う自衛隊の装備品を修理・整備するため、周辺地域に派遣された民間技術者について、防衛省が公表した人数と回数よりも、情報公開法で開示された数の方が約2倍多いことがわかった。未公表分の大半は特殊なテロ対策機器にからむものだった。 人道復興支援は特別措置法に基づき、04年から08年まで行った。この間、防衛省の要請で民間企業の技術者らがイラク周辺地域に出向き、航空機や車両などの修理や整備にあたった。規模について、防衛省は昨年4月、共産党の国会議員の問い合わせに応じる形でデータを公表。「監視装置の部品交換」「通信装置の試験」などの名目で、04年3月~07年7月までに6回、計21人が派遣されたとしていた。 ところがジャーナリストの古田敏浩さん(アジアプレス)が今年、情報公開法で同じ内容の文書を請求したところ、同省は派遣場所が一部記載された文書を開示。民間技術者の派遣は14回で、計39人となり、公表内容と違った。 開示文書によると、陸自の場合、派遣場所はクウェートや同国内の米軍基地、空自の場合はC130輸送機が拠点とした同国のアリ・アッサーレム空軍基地とわかった。 防衛省の公表になかった8回分のうち7回は、陸自が安全対策用に導入した2種類の米国製の対テロ機材にからむもので、文書には「コンテナスキャナ定期巡回整備」と「車両搭載対策器材本体の据付・調整」とあった。 同省の説明では、前者はX線を使ってイラクの宿営地でコンテナの中身を確認する車載型の検査機器の点検。後者は、路肩爆弾を無力化するための電子機器の自衛隊車両への取り付けや調整という。 食い違いが生じた理由について、防衛省側は「『民間技術者』を日本人に限り、『修理』の定義も故障の修復や部品交換と考え、監督や取り付け、定期点検などの作業は除外したため」と話す。 今回の結果について、8日に開かれる緊急報告集会「拡大する民間人の戦地派遣」(主催・重工産業労組、造船重機連絡会)で詳しく説明する。午後1時半から、東京都文京区本郷1丁目の全水道会館で。(編集委員・谷田邦一)2009年8月3日 朝日新聞朝刊 14版 30ページ「イラク支援-民間人派遣 公表の倍」から引用 イラクに派遣された自衛隊が現地で何をしていたのか、国民はあまり詳しく知らされていないが、動員された民間人の数が正確には何人だったのか、詳しい情報は労働組合が主催する集会で発表される。このように活動する労働組合の存在は、市民社会にとっても大変有益であると言える。
2009年08月29日
生活困窮者がカネのために自衛隊に入るようなことがあってはならないと訴える投書が、8月3日の朝日新聞に掲載された; 北朝鮮脅威論が喧伝(けんでん)されるなか、憲法9条改正と軍備強化、海外派兵を主張する者がいる。彼らは、海外紛争が起きた場合、実際に派兵される人たちのことを親身に考えているのだろうか。自分自身が戦闘地域に行く覚悟はあるだろうか。憲法9条改正の仕方によっては自衛隊の戦闘行為への参加が可能になることを、私は常に懸念している。 アメリカでは、貧困層が国内よりもましな賃金を得るために入隊し、イラクにも送られた。学費を稼ぐため、あるいは家計を支えるため、彼らは戦闘地域へ赴くという構図が現実にある。そして心身共に傷ついて帰ってくるのだ。 先日、不安定雇用者のための労働組合作りを目指す私のもとに、一本の電話がかかってきた。「退職勧告や解雇通告され、組合へ相談に訪れた人たちを自衛隊へ勧誘したい。その広報を手伝ってくれないか」という自衛隊の自衛官募集担当者からの電話だった。もちろん、丁重にお断りした。日本を、社会的弱者が生活の糧を得るために、自衛隊へ入らざるを得ない、という国にしてはならない。2009年8月3日 朝日新聞朝刊 12版 9ページ「声-雇用不安に便乗する自衛隊」から引用 もとより職業の選択は個人の自由であるが、社会的弱者が生活に困って自衛隊に入るというようなことは無いようにしたいものである。どちらかと言えば、富裕層や政治家、高級官僚の子弟に、優先的に自衛隊入隊を義務付けるという制度が望ましい。
2009年08月28日
プリンスホテルが日教組の集会を拒否した事件の裁判でプリンスホテルが敗訴したことに関連して、3日の朝日新聞には読者の次のような投書が掲載された; プリンスホテルが日教組の教研集会への会場使用を拒否した問題を巡る訴訟で、東京地裁は7月28日、ホテル側全面敗訴の判決を言い渡した。 私は問題が起こる以前は、妻と2人で大みそかにプリンスホテルに宿泊して元旦を迎えたり、レストランで母親の古希を祝ったり、あるいはランチを食べに行ったり、愛用してきた一人である。しかし昨年初め、この問題が報じられて以来、一切、プリンスホテルの使用をやめた。 同ホテルの行為は、労働組合活動に対する敵対行為であり、憲法で保障された「集会の自由」を侵すものとして断じて許すことができない。 ホテル側が挙げた混乱は、警察の協力を得れば防げると裁判所は判断した。ホテルは控訴したが、それが一層社会的信頼とイメージを損なうことに気付かないのか。ホテルが判決を尊重し、全面的に反省、謝罪するよう期待する。 今回の問題は、プリンスホテルが会場使用を認める東京地裁・高裁の再三の命令を無視した結果、起きた。法治国家における司法機関の決定を無視した者に対する制裁、懲罰的な賠償制度も検討されるべきではないだろうか。2009年8月3日 朝日新聞朝刊 12版 9ページ「声-集会利用拒んだホテル、謝罪を」から引用 いくら右翼が怖いからといっても、やはり法治国家に住んでいながら裁判所の命令を無視したのはまずかった。
2009年08月27日
7月に開催された国際シンポジウム「テレビがつなぐ東アジアの市民」について、5日の読売新聞コラム「記者ノート」は次のように報告している; 韓流ドラマだけではなく、中国や台湾の「華流」ドラマも国・地域を超えて放送される今、興味深い国際シンポジウムが7月17日、東京で開かれた。放送文化基金が主催した「テレビがつなぐ東アジアの市民」だ。 「番組交流をきっかけに、東アジアの視聴者の意識や関係がどう変わったのかを考えたい」。岩渕功一・早大教授が意図を説明した。 東京、ソウル、北京で計3000人に実施した調査結果によると、やはりドラマの人気が高い。ソウルでは日本製の番組、北京では韓国製がよく見られている。東京で韓国製を見るのは60代女性が多く、ソウルでは20代の男女が日本製、30~40代男性は日本、中国製を視聴している。北京では、20~50代女性が韓国製をよく見ている。 国の印象はどう変わるのか。北京では、韓国の好感度が高まり、日本に対しては「進んでいる」「行ってみたい」が目立った。ソウルでは日本の印象が良くなり、東京でも「韓国や中国への関心が高まった」。 研究者らの討議からも、相互理解の深まりが裏付けられた。中国の女性研究者は「改革・開放後、日韓とのつながりが強まった。その国の番組を見て、『自分たちはこれでいいのか』と反省するようになった」、韓国の女性研究者は「娯楽的な番組でも、その国への偏見や固定観念がこれほど変わるのかと驚いた。ナショナリズムや排他主義から一歩退き、対話の土台が築かれている」と発言した。 パネリストの安部裕子さんは「ドラマを通して韓国が好きになり、何度も訪韓し、仕事にもなった」と言う。今は韓国ドラマ通のライターだ。「語学に取り組むきっかけになった」などとの影響も挙げられた。 「交流から対話に向けて」との副題については、「お互いに番組が放送されなければ、視聴者は見ることができない」という各国間の輸出入の不均衡も指摘された。大衆文化に国境はなく、潮の流れのように自由に行き来すればいい。 (編集委員 鈴木嘉一)2009年8月5日 読売新聞朝刊 12版 15ページ「日中韓 ドラマで親近感」から引用 テレビドラマを通じて日本と中国、韓国の人々が理解しあうのは大変良いことだと思います。
2009年08月26日
世間では国会議員の地位が世襲されることに対する批判が高まっているが、3日の読売新聞は、世襲の候補者の言動を次のように紹介している; 「政治家の世襲は、歌舞伎役者や落語家みたいなものではない。有権者が当選させて初めて成立する」 三浦半島の三崎港近く、三浦市民ホールで7月28日夜に開かれた、神奈川11区の公開討論会。自民党の小泉進次郎は、他の候補予定者からの世襲批判に苦笑を浮かべながら反論した。 親の地盤を引き継ぐ政治家の世襲は、有能で幅広い人材の政界進出を妨げる障壁だ--。世襲批判の高まりを受け、自民党は今春の一時期、すでに公認が内定していた小泉純一郎元首相の次男、進次郎を含め、世襲新人候補公認の是非を検討した。だが、「公認内定を取り消せば、現場の反発と混乱を招く」として、本格的な世襲制限は次々回衆院選から、で落ち着いた。 民主党は神奈川11区を「小泉100年王朝」と掛撤する。曽祖父は通信相を務めた又次郎、祖父は防衛長官だった純也で、4代目の進次郎は「世襲候補」の代名詞というわけだ。 進次郎陣営は世襲の長所、短所を計算しつつ、戦術を組み立てる。 進次郎は6月下旬まで街頭に立つのを控えていた。「先代からの支援者あいさつが先」と党県連幹事長の竹内英明ら陣営幹部が抑えてきたたのだ。 しかし、6月28日の横須賀市長選で父、純一郎が支援した現職が敗れると、危機感は高まり、進次郎も街頭へ飛び出した。 街頭演説をする進次郎の周りには、常に多くの人だかりができる。世襲問題を巡る報道は、進次郎の知名度アップにつながった。ただ、上滑りを警戒する進次郎は8月2日、横須賀市での事務所開きで「厳しい声を浴びない日はない」と険しい表情で訴えた。 父、純一郎だけでなく、兄で俳優の幸太郎についても、進次郎は「応援はあり得ない」と明言。公明党へ推薦願も出さず、比例との重複立候補も拒否し、退路を断った。ひ弱、親の七光りという世襲のマイナスイメージを払拭(ふっしょく)したいとの思いがにじむ。 民主党の横粂勝仁とは、全国で唯一の自民、民主両党の新人20歳代対決となる。 横粂は集会で「相手が世襲候補では太刀打ちできない、そんな政治を直すのが私の役目だ」と力説する。 進次郎とは若さ以外、共通点は少ない。横粂は愛知県出身で、「小泉改革の発祥地で自民党政治を問い直すべきだ」として、縁もゆかりもない神奈川11区からの出馬を決めた。 「トラック運転手の息子」という庶民性、1日30キロ以上を自転車で走り回る運動量で、「小泉王朝」に挑む。 ◇ 東京湾に近い千葉市の「美浜ふれあい広場」。7月29日朝、ゲートボール大会に集まった年配の女性約30人を前に臼井正一はマイクを握った。 「父の日井日出男は28年間務め、引退しました。私も地べたにはいつくばってでも国のため頑張ります」 あえて世襲候補であることに言及しなのは「高齢者の前では、父のことに触れないと『親不孝者』と思われる」(正一)との判断があった。父は衆院議員を8期、祖父の故荘一も衆・参院議員を務め、「臼井党」を自任する年配の支援者も少なくない。「世襲問題はマイナスだけではない。(自分の)知名度は上がった」と正一も前向きにとらえている。 だが、街頭演説などで日出男や世襲に触れることはほとんどない。3日朝、JR西千葉駅前に立った正一は、「いよいよです。よろしく」と通行人に声をかけながら、重点政策やプロフィルを記した三つ折りの名刺を配るだけだった。「世襲をあまり表に出せば批判を浴びる」(陣営)からだ。 民主党の田嶋要は7月26日、千葉市での民主党の会合で「安倍、福田の政権の投げ出しを見れば、世襲の弊害は明らかだ」と訴え、正一をけん制した。だが、田嶋陣営も、世襲批判は「ネガティブキャンペーンと見られかねない」として、民主党内の会合などに限定して発信していく構えだ。 (敬称略)2009年8月3日 読売新聞朝刊 14版 4ページ「政権選択の夏-世襲ゆえに悩む」から引用 この記事は実にもってナンセンスである。世襲の候補者は世間の逆風に晒されて可哀想だとでも言いたげな論調であるが、それは突き詰めれば、こそ泥で捕まった容疑者に対して「微罪なのに大げさに騒がれて、可哀想だ」と言っているようなものではないか。 記事の冒頭に紹介されている進二郎氏の発言も「・・・有権者が当選させて初めて成立する」と、まるで当選させる有権者がいるから世襲はなくならないんだと、これは開き直りか。 また、「進次郎陣営は世襲の長所、短所を計算しつつ、戦術を組み立てる。」との文章もあるが、これなどは書いた記者は何を考えているのか、実に疑問である。「世襲の長所」と言えば、それは世襲ではない候補にくらべて有利に選挙戦が戦える点であり、自分にとっての「長所」であって、世の中にこれだけ貢献できますと胸を張れる「長所」ではない。そして「短所」と言えば、世間からアンフェアな選挙戦を批判されるという点である。これらを組み合わせれば、世襲問題に関心の無い有権者の前では大いに親の七光りを自慢し、そうではない有権者の前では世襲に関してはダンマリを決め込むという戦術が出てくるだけのことである。 この記事には二人の世襲候補者が紹介されているが、二人とも自分には世間から批判されるようなコトは何も無いと、世間に向かって胸を張るには、せめて親と同じ選挙区からの出馬を取りやめることである。親の財産と後援会組織を引き継いで、公正であるべき競争を不正に有利に戦おうとしている点には、当の候補者も読売新聞も触れようとしない。読売のレベルの低さを露呈した記事と言うほかはない。
2009年08月25日
自民党は衆院選に向けてマニフェストをまとめるに当たり、7月31日に最後の議論を行ったと朝日新聞が報道している; 自民党は31日午前の総務会で、衆院選の政権公約(マニフェスト)を了承した。公務員制度改革について「不十分」との意見が相次ぎ、天下りを認めない姿勢を強める修正をしたうえで認めた。天下り問題への強い姿勢を示す必要があると判断したものだ。麻生首相(総裁)が同日夕の記者会見で正式発表する。 国会議員の世襲候補を次の次の総選挙から公認・推薦しないとする項目についても、「公正な予備選挙をすればいい」「世襲は日本の文化」などと異論が出たが、原案のまま了承となった。2009年7月31日 朝日新聞夕刊 4版 12ページ「『天下り』『世襲』巡り最後の議論」から引用 これからの政治について議論するときに、「世襲は日本の文化」だなどと言い出す人間の知能を私は疑う。伝統芸能や民間の、例えば大工とか八百屋とか様々な家業を親から継承することには何の問題もないが、権力の世襲は民主主義に反する。民主主義は日本の文化ではないと言うなら、話はそれで終わりだが・・・。
2009年08月24日
7月30日の朝日新聞「ザ・コラム」は、憲法を変えてはならない理由について、次のように述べている; また、戦争の記憶がよみがえる夏が来た。あわただしく1年をすごしていても、夏がくれば、戦争のことを思い出す。 戦後、旧満州から引き揚げてきた羽田澄子さんがつくった映画「鳴呼(ああ) 満蒙開拓団」を見た。「満州国」建設の夢に踊らされた農民の悲劇を、「いつかは作らなければならない。いまラストチャンス」と羽田さんが心をこめて撮ったドキュメンタリーである。 戦前、冷害飢饉(ききん)、繭の暴落で極貧におちた農民に、政府は「行け満州へ 拓(ひら)け満州を」とあおりたてた。だが、敗戦、ソ連兵の侵攻で、開拓農民はあわただしく逃げなければならなかった。 軍人の家族はいちはやく列車で逃げた。取り残されて歩き疲れて死んでいく老人、殺される赤ちゃん、水とビスケットを持たせて野原に置き去りにされる男の子。中国人に預けられた残留孤児、身を寄せた残留婦人。満州に果てたこれら農民もまた「日本軍国主義の犠牲者」として「日本人公墓」をつくってくれた周恩来。 羽田さんが訪ね歩いて聞いた人々は、いま日本の街や村ですぐ隣に生きている人々である。ああ、国策の誤りによって、こんな苦しみを胸に秘めて戦後を生き抜いたんだなと思うと、私は、「政治」というものの責任の重さを改めて噛(か)みしめるのである。 敗戦から65年目、日本は「政権選択」をかけた天下分け目の夏である。政権政党である自民党に、かくも逆風が吹いている選挙はかつてない。衆院解散か麻生おろしか、自民党のゴタゴタにようやく決着をつけた21日の両院議員懇談会で最後に発言した古賀誠氏の発言が耳に残った。 「国を守るには平和でなければならない。あの愚かな戦争で、250万の命を失い、ヒロシマナガサキの犠牲を生んだ。戦後の平和を守ってきたのは自民党だ。勇気と自信をもってがんばろう」 古賀氏は、東国原英夫宮崎県知事かつぎだしの失敗でミソをつけた。統治能力も落ちた自民党にあって、しかし、誇るべきはともかくも「平和」を維持してきたということかもしれない。 心配なのは、民主党である。あんなに反対したインド洋への給油の自衛隊派遣を、「政権を取った翌日に、帰ってこいなんてできるわけがない」と、つまりは容認とのことである。福田康夫首相は民主覚の抵抗でいったん自衛隊を撤収する羽目になって」もうあんな「ねじれ」の苦労はしたくないと辞任した。野党だったら反対、政権を取ったら容認という態度は借用できようか、「現実路線」などと言いくるめないでほしい。 非核三原則はやはりいかさまだったらしい、アメリカ艦船の核持ち込みをこっそり認める密約が国民への背信であることはいうまでもない。だが、鳩山由紀夫民主党代表が口走ったように、じゃ、これからは密約でなく、核持ち込みには「現実的対応」で、となれば非核三原則は崩れることになる。 この「現実論」というやつが曲者だ、目の前の現実に対応しているうちに戦争に突っ込んでしまったのが大日本帝国の歴史である。またそれを繰り返すとまでは言わないが、福島瑞穂社民党党首が「自民はだめ、民主は危ない」と心配するのもわかる。 あれは16年前の夏、1993年の総選挙で、宮沢喜一首相率いる自民党政権は過半数割れ、下野して、細川護熙首相の「非自民」連立政権ができた。あのとき外交安保政策はどうだったろう。取材ファイルをひっくり返してみる。連立を組む8党会派の「合意事項」というペーパーがでてくる。全5項目の第2項にこうある。 「憲法の理念及び精神を尊重し、外交防衛等、国の基本施策について、これまでの政策を継承しつつ……」とある。そうだった、自衛隊違憲、日米安保反対の社会党も「政策を継承」の言葉をのんで政権に加わった。政権交代の波に乗って、自らのアイデンティティーをないがしろにしたところから、社会党は壊れたのだった。 取材ファイルから、退陣を前にした宮沢首相がオフレコで番記者に語ったメモがみつかった。宮沢氏も亡くなったいま、もう公表してもいいだろう。 「みなさん、これだけはお願いしたい。いいですか、憲法は変えない方がいい。守ってください。二度と戦争はしちゃいけないんです。僕は憲法ができたいきさつは知っているんです。あれは翻訳だ。日本語じゃない。それでも憲法は変えちゃいかんのです」 「私と後藤田(正晴)さんは、憲法を変えちゃいけないという最後のジェネレーションなんです。占領は屈辱ですよ。ドイツ人は忘れっぽいからまた(国際貢献の名で)戦争をしようとしている。小沢なにがしってのは、僕にとって何でもないんです。でも、憲法を変えるといったら、それだけは断固許さない」 政権交代はあっていい、だが、変えてはいけないものがある、「平和」という原理は壊さないでほしい。宮沢氏がほろ酔いで語った言葉は、戦後保守の知性の究極の思いだったかもしれない。2009年7月30日 朝日新聞朝刊 12版 15ページ「ザ・コラム-変えちゃいけないものもある」から引用 戦争は二度としてはいけません。武力による国際紛争の解決は、わが国憲法の許すところではありません。したがって、わが国の外交は常に、問題が武力衝突の方向へ進むことの無いように、四六時中注意を払う必要があるわけです。戦後60数年、自民党政府はそのような努力を怠ることなく平和主義を貫いてきました。今後、自民党にとって代わる政党にも、同じ努力を継承してもらいたいものです。
2009年08月23日
河野洋平衆議院議長は、核兵器廃絶に関する考えを7月30日の朝日新聞で、次のように述べている; -4月にプラハでオバマ米大統領が核廃絶を目指すと演説しました。 歴史的でしたね。とくに核を使用した唯一の核保有国としての道義的責任に触れたくだりを聞いて、もしかするとベロシ下院議長の広島訪問が演説の下地にあったかな、と思いました。民主党の実力者ですから。 -昨年9月に河野さんが開いたG8諸国の下院議長サミットですね。 ぺロシさんは広島の現実をしっかり見て驚き、感じ入った様子で「大変印象深い旅でした。この次は家族を連れてきたい」と言ってくれた。残念なのは福田首相の辞任表明が重なり、ニュースが少しかすんでしまったことです。 -次は、オバマ大統領が広島に来るかどうかです。 広島に来れば、自分の発言は間違いなかった、核廃絶の方向は正しかったと確信をもつ可能性があるから、これはとても大事なこと。一方、プラハ演説のあとオバマさんは国内保守勢力の圧力を感じているだろうし、欧州の核保有国も若干冷ややかみたいだから孤立が心配です。広島には来ないかも知れないし、ついでに立ち寄るような中途半端な形でない方がいいのだが。今は様子を見ています。 -6月末に国会で核廃絶への決議が採択されたのは、河野議長の肝いりでしょ。 できてよかったと感謝していますが、オバマ演説に打てば響く感じで決議がすぐできればもっとよかった。オバマ演説をはっきり支持し、唯一の被爆国としての責務を強調することによって国際社会の流れをリードしてほしかったのですが、中身もそこまで鮮明ではなかったのが少し残念ですね。 -「非核」は河野さんの悲願。国連でも核廃絶をうたう決議を採択させましたね。 15年前、村山政権の外相になって間もないころです。米国を気づかって尻込みする出先を叱咤(しった)激励し、絶対に降りるなと言い続けてやらせた。それから毎年同じ決議を通しているんだけれど、中身はほとんど進んでない。そろそろ作戦変更も考えないと。 -いま、北朝鮮が核の保有国を目指しています。 北朝鮮をいさめる国際世論を高めることは大事ですが、圧力だけであの国を変えるのは無理のようだし、まずは核保有国が核軍縮を進めなければ説得力もない。それに米国はいつの間にかインドの核保有を容認してしまったが、これでは北朝鮮だって誤解するだろう。 こういうご都合主義には日本も物を言わなければいけない。もちろん拉致問題にも真剣な取り組みが必要ですが、唯一の被爆国として核廃絶の先頭に立つべき日本としては、6者協議でもっと役割を果たすべきでしょう。 -ところで、核を積んだ米艦船の沖縄寄港を認める密約が日米にあったと、元外務事務次官が明かしました。文書は廃棄されたとも。外相時代に知っていたのでは。 いや、僕のころには聞いたこともなかった。だから正直言って分からないんです。 -衆院解散前、外務委員長だった長男の河野太郎さんが、外務省に密約を明かせと迫っていました。民主党も政権をとれば、密約は全部出させると。 密約はないに越したことはないし、いま存否を調べるのはいいが、いずれにしてもかなり昔のことです。いやなのは、これをチャンスとばかり非核三原則を変えさせようという動きがあること。武器輸出禁止三原則もそうですが、平和を大切にする日本の基本政策は崩すべきではない。 -9条をはじめ護憲の考えに変わりありませんか。 もちろん。とてもよい憲法ですから。 (聞き手・若宮啓文)2009年7月30日 朝日新聞朝刊 14版 4ページ「オバマ氏は広島に来るか」から引用 昨日引用した記事に見る「イラク戦争に対する懐疑的な見方」といい、上に引用した記事の「核廃絶を主張するのにアメリカに遠慮は必要ない」という考え方といい、河野氏の平和に対する姿勢にはスジが通っている。こういう政治家をこそ、我々は首相にするべきであった。それに比べると、小泉・安倍のアメリカ追随姿勢は、政治手法として幼稚で話にならない。特に小泉政権で、わが国は内政外交共に、大きく国益を損なったのではないだろうか。人材が払底した自民党が採用した奇手である「変人」を起用したツケである。そのツケが、今や自民党を野党に追いやろうとしている。
2009年08月22日
衆議院議長在任最長記録を更新した河野洋平氏は、朝日新聞のインタビューに応えて、次のように述べている; -社会党を担いだ村山政権はハト派の河野総裁ならではですが、奇策でした。 自民党も政権を取り戻そうと必死でしたからね。非自民8党派による細川政権のあと羽田政権では社会党が抜け、少数与党の不安定な連立に。そこで、政治の混乱は第1党と第2党で解決するしかないと呼びかけたら、村山さんが分かってくれたのです。 -いま振り返って歴史的な意味は何だったと。 僕には二つの思いがあります。一つは村山・河野・武村(さきがけ代表)の3者が手を握り、戦後50年の村山首相談話を作ったこと。戦争への反省、アジアへの謝罪を明確にしたのは日本にも国際社会にとっても極めて重要で、村山政権でなければできなかった。もう一つは、あの政権を作ったことで平和主義を掲げた社会党を結局つぶしてしまったこと。政治のバランスを崩して全体の右傾化を招いたと悔いが残ります。 -社民党として続きましたが、今はミニ政党です。 そもそも社会党は細川政権に参加して小選挙区制を推進したのだから、自分の首を絞めてもいたんです。 -アジア外交の基盤になった村山談話は、従軍慰安婦をめぐる宮沢内閣の河野官房長官談話と同様、右から「国賊もの」と攻撃されます。 視野の狭い考えですね。あれだけの戦争をして内外の膨大な人命を奪い、植民地支配で屈辱を与えたのだから、けじめをつけてアジアの安心と信頼を得るのは日本の国益にかなうのに……。 -議長時代は歴代首相を集め、小泉首相の靖国参拝に物申したことも。 小泉政権で議長にという要請があったとき、右傾化する政治の中で大事な場面がくるかもしれないし、議長だと政治的に不自由だから断ろうと思ったんです。だけど相談した宮沢喜一さんがぜひ受けなさい、と。それで受けたのですが、何かの時は、という気持ちはもっていました。 -靖国でその時が。 日中関係が日に日に悪化して05年春に中国各地で激しいデモ。欧米の新聞には、日本が靖国神社を重視してサンフランシスコ講和条約をひっくり返そうとしているかのような記事も出始めた。これはいかんと決心し、歴代首相の合意を形成して小泉さんに伝えることを考えたのです。中曽根元首相は出席してもらえなかったが、考えは間違っていないと言ってくれました。 -それでも小泉さんは聞きませんでした。 そうだろうとは思ったが、日本の歴代首相が必ずしも参拝に賛成じゃないと内外に伝わることが重要でした。 -毎年、戦没者追悼式で戦争の責任に触れましたね。 それがニュースになるほど全体の流れは違っていたということです。だから年1回、何を言うかを考えていた。 -昨今、ハト派は劣勢でした。 古くは大平首相の死が痛かった。ハト派一辺倒じゃなかったけれど、懐の深い人でしたから。宮沢政権が早く幕を閉じたのも大きかった。 -ハト派の河野さんと加藤紘一さんが手を組めず、力がそがれた面も感じます。 加藤さんの考えには共感することが多いけれど、かつて政治行動では食い違いが多かったですね。それより、世界の右傾化の流れも少し変わってきた。さらに、オハマ大統領の登場が世界の潮流を変えるかもしれない。 -イラク戦争の挫折が大きかったのでしょう。 あの戦争は最初から問題だと思ったから「日本が支持を表明するのは反対だ。せいぜいやむを得ないぐらいが限度では」と、当時、小泉さんに言ったんですけどね。 (聞き手・若宮啓文)2009年7月29日 朝日新聞朝刊 14版 4ページ「『村山談話』はよかったが」から引用 歴史の真実から目をそむけて、軍の命令書が発見されていないから日本政府には責任が無いなどと主張するのは、視野の狭い考え方であると、河野氏も言っています。
2009年08月21日
東京地裁がプリンスホテルに賠償命令を出したことについて、7月29日の朝日新聞は次のような解説記事を掲載した; 裁判所の再三の決定にもかかわらず、会場使用を拒み続けたプリンスホテルに3億円近い賠償が命じられた。原告の請求全額のほか、謝罪広告掲載まで命じたのは異例だ。判決は、日本有数のホテルチェーンのコンプライアンス(法令順守)に厳しい視線を投げかけた。 東京高裁が会場使用を認めたのは、使用予定日の2日前。被害が回復できなくなる前に、暫定的な救済を命じる仮処分などの民事保全手続きは、今回のように、本訴訟で判決を得るまでの時間がない場合の手続きとして有効だ。この判断が不服なら、本訴訟に移行して争うことになる。 だが、ホテル側はその判断に使用拒否という「実力行使」で抵抗し、その結果、日教組は全体集会が開催できなくなる回復不能な損害を受けた。判決は、ホテル側の使用拒否が「民事保全法の予定しない手段で保護されるべき利益を侵害した」と認定。使用契約を破ったという債務不履行の責任だけでなく、法律を公然と破るという行為自体に違法性が著しいと非難した。 「病院や受験会場が周囲にあり、警察の警備があっても迷惑をかける」というホテル側の反論は「自己の判断が裁判所の判断に優越すると主張するようなもので、司法制度を否定している」と切り捨てた。集会が開けなかった実害だけでなく、慰謝料分などで日教組に約1億1千万円のほか、約1900人の原告組合員にも1人あたり約5万円の賠償を命じた。米国のような懲罰的賠償制度がない中で、最大限の責任を認めたと言えるだろう。 (河原田慎一)ホテルの原点見失う 大宮法科大学院大学教授の久保利英明弁護士(会社法)の話 プリンスホテル側の債務不履行が厳しく批判された。判決は賠償以外に、謝罪広告の命令まで出した点で異例と言えるが、司法判断を無視し続けた不法行為をそれだけ重大と見たのだろう。 ホテル側の判断を見ると、法令順守以前に、ホテル業の原点と使命を見失っていると言うしかない。「客を守る」と言いながら右翼の妨害を防ぐ努力もせず、闘う相手を間違えている。控訴すれば、さらに信頼とイメージを損なうことになるだろう。2009年7月29日 朝日新聞朝刊 14版 34ページ「司法無視に厳しい視線」から引用 裁判所が「警察と協力して妨害を防ぎなさい」と言ったことに対して、ホテルが「そんなことでは防げないから」と反論するのは司法制度の否定である、というところが、この記事のポイントです。
2009年08月20日
裁判所の命令を無視してまで日教組の会場使用を拒否したプリンスホテルに対して賠償命令が出たことに関連して、7月29日の朝日新聞社説は次のように述べている; 右翼の街宜車が集まり、耳をつんざくような大音量で演説を繰り返す。一種の暴力だ。それに屈せず、社会の自由を守るために皆が力を合わせたい。あらためて、そう考えさせる判決がきのう、東京地裁であった。 被告はプリンスホテル。訴えたのは日本教職員組合(日教組)だ。同社が経営する都心のホテルは、昨年の日教組の教育研究全国集会に会場を貸すことと参加者の宿泊を引き受けていた。 だが、右翼の街宣活動などがあれば宿泊客や周辺の迷惑になるとして、契約を一方的に破棄した。裁判所は、きちんと贅備すれば大丈夫だという日教組の訴えを認めて会場を使用させるよう命令したが、ホテル側はこれも拒否し、全体集会は開けなかった。 判決があったのは、この損害賠償を求める民事裁判だ。地裁は日教組の主張を全面的に認め、約2億9千万円の賠償と謝罪広告の新聞掲載を命じた。 右翼の街宣活動は教研集会のたびに行われてきた。集会を妨害するだけでなく、会場を貸す側にも圧力をかけ、開催できなくさせようという意図があったと考えるのが自然だ。それにホテルが屈してしまった。 会場貸しの契約破棄どころか、法令に反して参加者の宿泊も拒み、さらに裁判所の命令まで無視するというのは尋常ではない。企業の社会責任をまったく放棄するものであり、経営者の責任は極めて重い。 同時に指摘したいのは、街宣車の無法ぶりだ。それが人々を怖がらせ、結果として言論、表現の自由などが侵害され、社会が萎縮(いしゅく)する。警察による厳しい取り締まりが必要だ。 迷惑がる気持ちも、分からないではない。ホテル周辺の中学校長からは、おかげで入試が円滑にできたと感謝する手紙がホテルに寄せられたという。 ただ、圧力に属して自由が引っ込むような社会が、子どもに対して胸を張れるものでないことは確かだろう。 集会などの会場が外部からの抗議で使用拒否になる事例は少なくない。教研集会が中止された2カ月後には、中国人監督がつくったドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映を予定していた映画館が中止するという事態も起きた。 こうしたことが続くと、今の日本は自由に集い、自由にものを言える社会なのか、疑問に思えてくる。 ホテルに会場使用を命じた裁判所は「日教組や警察と十分打ち合わせをすれば、混乱は防げる」と指摘していた。実際、今年の広島市での教研集会では、初日に街宣車が集結したが、警察が取り締まると激減した。 戦うのは勇気のいることだ。ホテル業界の雄でもあるプリンスホテルが、もっと断固とした姿勢を示してくれればと、残念でならない。2009年7月29日 朝日新聞朝刊 13版 3ページ「社説-ホテルが負う重い代償」から引用 市民社会の自由を脅かす右翼の恫喝に対しては、ホテルでも新聞社でも出版社でも、我々は戦わなければなりません。右翼の行動が法を犯すものであった場合は警察が取り締まるのは当然のことです。
2009年08月19日
いよいよ政権選択の選挙であるが、これまで自民党を支持してきた人々の中には動揺が広がっている。7月29日の朝日新聞は、その様子を次のように報道している; 「小泉構造改革」で傷んだ地方の現場には、自民党への不満がくすぶる。推し進めた2人の元首相のおひざ元も揺れている。 25日、安倍元首相の地元、山口県下関市。金子勝・慶応大教授(57)がJA下関の総代研修会で講演した。痛烈な構造改革批判で知られ、「反体制」イメージが強い地域経済の専門家だ。 「小泉構造改革は政策もビジョンもなく、市場に任せろというだけ。地方の中小零細企業や小規模農家は切り捨てられ、地域経済はぼろぼろになった」。組合員ら約600人は真剣な表情で耳を傾け、金子氏が「自民党の派閥の長は、ほとんど選挙で落ちると思う」と声を張り上げると、笑いが広がった。 県農政連はこの総選挙でも自民支持を決めており、JA下関も離反はしない。だが、小規模農家は疲弊し、不満がたまっている。辻久男組合長(66)は「自民党に反省して立ち直ってもらいたい」との思いも込め、金子氏を招いた。 今年になって金子氏は月に4、5回、各地のJAや信用金庫、信用組合で講演している。信金、信組業界には政治連盟はないが、地域社会に根ざし、自民党支持層とかかわりの深い伝統的な組織だ。 だが、不満の矛先は自民党にも向かう。 昨年秋、ある信金で講演した金子氏に、参加した経営者が耳打ちしてきた。「ここにいるのは全員、○○議員の支持者です。そして全員、面従腹背です」 挙げたのは地元選出で、旧大蔵省出身の実力者の名だった。その経営者は「中小企業は苦境にあえいでいるのに、先生は何もしてくれない」と不満をぶちまけた。 信金の中央銀行的な存在、信金中央金庫の今年3月期連結決算は、純損益が1825億円の赤字になった。赤字の計上は初めて。信金の顧客は地元の中小零細企業。その不振に、米国発の金融危機が追い打ちをかけた。 小泉元首相の地元、神奈川県横須賀市。大手メーカーの工場が合理化を進めて次々と撤退し、人口はこの5年間で約1万人減った。駅前の目抜き通りにはシャッターを下ろした商店が目立つ。 ここに本店を置く湘南信用金庫で1年前まで理事長を務めた服部真司氏(75)は、小泉氏が「構造改革」を打ち出したのを機に自民党支持をやめた。「頼母子講の流れをくむ信金は、地域の弱小企業を助けるためにある。優勝劣敗の論理とは相いれない」と考えたからだ。 先月の市長選でも小泉氏が推す現職でなく、劣勢とされていた対立候補を応援した。「チェンジ!」の文字が躍るマニフェスト作りを手伝い、連日、選挙事務所に詰めた。結果は大方の予想を覆す勝利。服部氏は「小泉構造改革に地元がはっきりノーを突きつけた」と感慨にふけった。 衆院を解散した21日、麻生首相は記者会見で「行き過ぎた市場原理主義から決別する」と明言した。構造改革への不満が募る地域経済の担い手たちは、この発言をどう受け止めるのだろうか。 報道で知った服部氏は、冷ややかな感想を漏らした。「もし本当に構造改革を全面否定するなら、首相を支持するのだが……。国民の反応も違っただろう」2009年7月29日 朝日新聞朝刊 13版 3ページ「小泉改革おひざ元もノー」から引用 小泉改革のお陰でわが国経済は戦後最長と言われる好景気を実現したのであったが、その恩恵にあずかったのは大企業と一部の富裕層だけで、大部分の中小企業と一般国民はますます生活が苦しくなってしまった。こんな結果をもたらした政党を支持する理由は、もはや無い。国民に残された選択肢は「政権交代」である。
2009年08月18日
クラスメートに在日朝鮮人がいたことを後年の同窓会で初めて知った読者の投書が、7月17日の朝日新聞に掲載された; 還暦を過ぎて初めての同窓会に参加した。70人の同窓生が一人ひとり、近況を語った。日本人だと思っていたH君は「私の本名はイ・ソンスンです」と、話し始めた。会場のざわめきは一瞬に消え、次の言葉に固唾(かたず)をのんだ。 彼は初めて本名で話した時の経験を語った。隣にいた日本人が「どこの国から難民で来たの?」と聞いたそうだ。彼は「私が日本にいるのは難民だからではない」と説明したという。 会で「私たち在日朝鮮人は好きでこの国に来たのではない」「日本人は正しく歴史を教えられていない」「60年住んでも参政権もない」「戦争は絶対にいけない。苦しむのは庶民だから」とも語った。 彼の発言で楽しいはずの場は一変した。しかし、日本人の私たちの話ときたら、退職後の農作業と孫の世話と病気のことばかり。 H君が、昭和20年に生まれた私たちの同窓会に一番ふさわしいスピーチだったのではないだろうか。2009年7月17日 朝日新聞朝刊 13版 16ページ「声-同窓会で知った友人の本名」から引用この投書に書かれているとおり、私たち日本人は歴史を正しく教えられていない部分があるのは確かにそのとおりだ。少し前までは、在日朝鮮人は健康保険や年金からも除外されていたが、その点は近年改善されたので、やがては参政権も当然の権利として認められるべきである。
2009年08月17日
日教組の会場使用を拒否したプリンスホテルに対する東京地裁の判決について、7月31日の読売新聞社説は次のように論評している; 日本教職員組合が、会場の使用を拒んだプリンスホテルに対し、約3億円の損害賠償などを求めた訴訟で、東京地裁は、訴えを全面的に認める判決を言い渡した。 判決は、使用させるよう命じた裁判所の仮処分決定に従わなかったホテルの姿勢について、「司法制度を否定するもの」と厳しく非難した。ホテル側は控訴した。 裁判は、紛争を解決する重要な手段だ。その結論に従わなくてよいのであれば、法治国家は成り立たない。判決は当然だろう。 訴訟の発端となったのは、東京都港区のプリンスホテルが、教育研究全国集会の全体集会の場所として契約した会場を、一転して日教組に使わせなかったことだ。 判決によると、遅くとも一昨年5月には、日教組とホテル側で会場の使用契約が成立した。 ところが、半年後、ホテル側は一方的に解約を通告した。「調査の結果、例年、右翼団体の街宣車などで騒音にさらされる実態を確認した」という理由だった。 日教組は会場の使用を求めて仮処分を申し立て、東京地裁、東京高裁はいずれも認めた。それでもホテル側が応じず、昨年2月の全体集会は中止に追い込まれた。 判決は、「集会は参加者が様々な意見や情報に接し、自分の思想や人格を形成する場」と述べ、参加者には法律で保護すべき利益があると判断した。その上で、参加者個人への慰謝料も含め、請求通り約3億円の賠償を命じた。 憲法が保障する「集会の自由」の重要性を踏まえたものだろう。 さらに、会場の使用拒否について「集会の運営を阻害する違法なもので、その程度も著しい」とし、社長らの責任を認めた。 どんな集会であれ、合法的なものである限り、保障されるのが民主主義社会だ。もちろん反日教組の集会でも、同様である。 ホテル周辺には学校も多く、集会の時期は受験シーズンだった。だが、第三者に迷惑をかけることを理由に使用を拒むのなら、契約すべきではなかった。 いったん契約し、会場費の半額の支払いも受けながら、突如、使用拒否を通告するのは、商道徳に反する。しかも、仮処分の結論が出る前に別の予約を入れるなど、司法軽視も甚だしい。 ホテル側は警察などと打ち合わせ、混乱を防ぐべきだった。街宣活動などを恐れ、対応を変えたのなら、右翼団体の思うつぼだ。妨害行為を助長しかねない。社会的責任を自覚すべきだ。2009年7月31日 読売新聞朝刊 13版 3ページ「社説-司法無視のホテル 敗訴は当然」から引用 この社説にもあるように、日教組の集会は参加する先生たちにとって様々な意見や情報に接することができて、自分の思想や人格を形成する上で大変有意義な場であるから、これを右翼が威力で妨害することを許してはならないわけです。 この事件が起きてすぐに当ブログで、プリンスホテルの対応を批判したところ、常連コメンテーター氏の中には「一民間企業にどうやって右翼の妨害行為に対抗しろと言うのか」と、まるで右翼が武装して襲撃でもして来るかのような心配をする人もいたが、警察と連携して右翼の妨害を排除するべきというのが、私と裁判所と読売新聞社の共通の見解である。
2009年08月16日
政府の有識者懇談会が、アイヌ政策を立案する審議機関を設置するべきとの答申をまとめ、このたび政府に提出したと、7月30日の読売新聞が報道している; 政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(座長=佐藤幸治・京大名誉教授)は29日、アイヌ民族の地位向上などに関する報告書をまとめ、首相官邸で河村官房長官に提出した。政府は8月中にも内閣官房にアイヌ政策を推進する新たな組織を、今秋にはアイヌ民族も加わった政策の審議機関を設置し、生活支援策や、その裏付けとなる新法の検討に入る方針だ。ただ、施策の具体化、実現までには課題も多い。 「政府としてはアイヌの方々の苦難の歴史を厳粛に受け止めながら、報告書の実現に向けて取り組んでいきたい」。報告書の提出を受け、河村官房長官はこうあいさつした。 報告書では、アイヌ民族の歴史について、国の政策が独自の文化や伝統的な生活を衰退させ、今もアイヌ民族と他の国民との間に生活格差などを生じさせているとした。報告書に国による支援の必要性が盛り込まれたのは、こうした格差を解消するのが目的だ。 北海道は、独自にアイヌ民族に対する奨学金や職業訓練の制度を設けており、懇談会の委員らの間には、これらの制度を全国規模に広げ、国が実施すべきとの意見もあった。ただ、道関係者は「北海道では可能でも、すぐに全国で実施するのは難しい」と指摘する。 支援を行うにあたって「一番難しい部分」(懇談会委員)は、アイヌ民族かどうかの個人認定だ。北海道では、アイヌ民族で組織する最大の団体である北海道アイヌ協会が事実上、この役割を担っている。道外ではそうした組織がなく、公平な個人認定を行うためには今後、新たな仕組みを作り出す必要がある。 一方、アイヌ民族側には、生活支援のための個人給付を求める声もある。無年金の高齢者も少なくないため、「文化の伝承者としてアイヌ民族の高齢者を対象に給付する」といった案もあるが、「アイヌ民族だけを特別に扱うことが、新たな差別を生むのではないか」との懸念も出ている。2009年7月30日 読売新聞朝刊 14版 36ページ「アイヌ政策 審議機関」から引用 政府が有効なアイヌ政策を実現し、アイヌの人々が独自の伝統文化を再建し我々同様に豊かな文化生活を送れる社会が来ることを希望します。
2009年08月15日
日教組にホテルを使用させなさいという裁判所の命令を無視したプリンスホテルに、このたび厳しい判決が出たことについて、7月29日の日本経済新聞は次のような解説記事を掲載した; 日教組の全体集会の会場使用拒否を違法とした28日の東京地裁判決は「集会の自由」を尊重する内容となった。仮処分命令を無視したプリンスホテル側の姿勢を非難し、コンプライアンス(法令順守)の重要性を迫る判断を示したといえる。 憲法21条は集会の自由を保障。判決は自己の思想や人格を形成する場として集会の重要性を評価し、「使用拒否は周辺に損害が生じることを防ぐため」としたホテル側の主張を退けた。 日教組によると、教研集会会場の使用が拒否されたケースは過去4回あったが、いずれも裁判所が使用を命じる仮処分を出したことを受け、集会は開催された。「仮処分命令に従わなかったのはプリンスホテルが初めて」(日教組)という。 今回の問題では当時の法相が「裁判所の判断を無視し、あえて反する行動をとるとすれば法治国家にあるまじき事態」と批判。判決も「司法制度を否定する主張といわざるを得ない」と言い切った。2009年7月29日 日本経済新聞朝刊 14版 39ページ「仮処分無視に厳格姿勢」から引用 戦前の日本は、集会を開くと必ず警察官がやってきて、政府を批判するような発言があるとその場で集会を止めさせるなどという野蛮なことをやっていた。戦後はそれを反省し、現在のわが国憲法は集会の自由を保障しているわけである。 また、今回の報道のポイントは、司法が日教組の集会を組合員が人格・思想形成する場であることを認め、法律的に保護する価値があると判断したという点である。日ごろから日教組を誤解したり無理解だったりする世間のみなさんには、よく勉強してほしい点である。
2009年08月14日
日教組の集会を拒否し、その「拒否せずに集会を開かせなさい」と裁判所から命令されても従わなかったプリンスホテルに、2億9000万円の賠償金を支払うようにと、東京地裁から判決が出た。7月29日の日本経済新聞は、次のように報道している; 会場の使用契約を一方的に解除され、教育研究全国集会(教研集会)の全体集会を開催できなかったとして、日本教職員組合(日教組)らがプリンスホテル(東京)などに対し、約2億9000万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は28日、ホテル側に請求全額の支払いと全国紙への謝罪広告の掲載を命じた。ホテル側は控訴する方針。 判決理由で河野清孝裁判長は「ホテル側が正当な法的根拠もなく会場の使用を拒否したことは、債務不履行に当たる」と指摘。日教組に会場を使わせるよう命じた裁判所の仮処分命令の決定に従わなかったホテル側の姿勢について「司法制度を無視するもので容認できない」と批判した。 その上で、判決は教研集会を「参加者が様々な意見や情報に接することで、思想や人格を形成・発展させる場」と位置づけ、「集会に参加する利益は法律上保護されるべきだ」と判断。会場の使用拒否が不法行為に基づく賠償責任を負うと結論づけた。 また、ホテル側がホームページに教研集会に関する日教組の説明が正しくなかったと記載したことなどについて「正確性を欠き、不当な表現。右翼団体の違法な妨害行為を助長する内容で許されない」と認定。記載が日教組の社会的評価を低下させ、名誉棄損に当たると判断した。 判決によると、日教組は2007年5月、グランドプリンスホテル新高輪(東京・港)の宴会場を教研集会の全体集会の会場として使用する契約を締結。同日月、ホテル側が「右翼団体の街宣活動などでほかの客らに迷惑がかかる」として契約解除を通知した。日教組側は会場使用を認めるよう仮処分を申し立てたが、ホテル側は会場使用を命じた東京地裁、高裁の決定に従わなかった。 全体集会の使用拒否を巡っては、日教組の告訴を受けた警視庁が今年3月、プリンスホテルの社長ら4人と法人としての同社を旅館業法違反容疑で書類送検している。 記者会見した日教組の中村譲中央執行委員長は「教育研究活動の重要性と集会の自由の保障を明確に認めた判決で、高く評価する」と話した。近隣の迷惑配慮 主張触れられず プリンスホテルの話 近隣住民やホテル利用者の迷惑を防ぐため、やむなく断ったという当社の主張に全く触れられていない。仮処分命令の決定が確定してから、教研集会まではごくわずかな時間しかなく、開催できなかったのは不可抗力だった。ホームページや記者会見で、当社の考えを述べたことが名誉や信用を棄損するという認定も納得しかねる。控訴の方向で検討する。集会の価値認めた判決 川岸令和・早稲田大教授(憲法学)の話 私人同士の契約なので直接憲法問題とはならないが、自己の思想や人格を形成する場という集会の憲法的価値を認めた判決だ。プリンスホテルは「宿泊者や周辺地域の安全・安心を守るため」と主張したが、司法制度は自由で民主的な社会を維持するために必須であり、仮処分命令を無視した行為は「安全・安心」を掘り崩しかねず反省すべきだ。一方の日教組も、実際に集会を開けず参加者が研修できない損害は金銭で解決できないのだから、法律問題とは別に何か代替措置がなかったのだろうか。2009年7月29日 日本経済新聞朝刊 14版 39ページ「日教組集会拒否 2億9000万円 賠償命令」から引用 隣近所や他のホテル利用者に迷惑がかかるからといって日教組の集会を拒否するというのは、間違った行為である。隣近所への迷惑に配慮するというのは、一定のモラルではあるが、「集会の自由」は市民生活のモラルというレベルをはるかに凌ぐ、高度の民主主義を支える鉄則だからである。右翼の卑劣な妨害行動に対しては、ホテルは警察と協力して民主主義を守るべく戦うべきであった。それが、企業の社会的責任というものである。
2009年08月13日
今月1日に開催された「東京大空襲訴訟の勝利をめざす8・1集会」を、7月28日の読売新聞は次のように紹介していた; 今秋にも東京地裁で判決が言い渡される「東京大空襲訴訟」の原告団が8月1日、「東京大空襲訴訟の勝利をめざす8・1集会 日本の戦後処理を問う」と題した集会を台東区民会館(花川戸2)で開く。 訴訟は、1945年3月の大空襲の被災者ら計131人が、「旧軍人・軍属に補償しなのに、民間人の被災者には何ら援助をしなかった」などとして、国を相手取り、1人1100万円の損害賠償と謝罪を求め、今年5月に結審した。 集会では、中山武敏弁護団長の司会で、上原公子・前国立市長ら5人をパネリストに、国の戦後処理の現状と問題点を議論する。午後1時半から。-資料代500円。2009年7月28日 読売新聞朝刊 14版 30ページ「『東京大空襲訴訟』原告団が来月集会」 政府が勝手に起こした戦争で国民は筆舌に尽くしがたい迷惑を被ったのだから、損害賠償と謝罪は当然である。今は故人となったのでもはや手遅れであるが、本来であれば昭和天皇も死ぬ前に一言、国民に謝罪するのが筋というものであった。
2009年08月12日
民主党が発表した「2009衆院選 民主党政権公約」を掲載した7月28日の読売新聞の記事に、民主党の憲法に対する考え方があった。民主党の考え方は次のとおりである; 「憲法とは公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範である」というのが近代立憲主義における憲法の定義だ。憲法とは決して一時の内閣が、その目指すべき社会像やみずからの重視する伝統・価値をうたったり、国民に道徳や義務を課すための規範ではない。「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という現行憲法の原理は国民の確信によりしっかりと支えられていると考えており、これらを大切にしながら、真に立憲主義を確立し、「憲法は国民とともにある」という観点から、現行憲法に足らざる点があれば補い、改める点があれば改めることを国民に責任を持って提案していく。2005年秋にまとめた「憲法提言」をもとに、国民と自由闊達(かったつ)な憲法論議を各地で行い、国民の多くが改正を求め、かつ、国会内の広範かつ円満な合意形成ができる事項があるかどうか、慎重かつ積極的に検討していく。2009年7月28日 読売新聞朝刊 10ページ「国民の自由闊達な憲法論議を」から引用 この記事が言うように、憲法とは国民に道徳を教えたり義務を課すために制定するものではない。これは世間の常識なのだが、世の中には、これがわかっていない人が結構いるので、よく勉強してほしいと思う。
2009年08月11日
7月のわが国論壇をダイジェストした7月27日の読売新聞「2009思潮7月」は、国会議員の世襲について次のように述べている;(前略) 一方、早稲田大特別研究員の上久保誠人氏は「『世襲』総理を育んだ自民党長期政権」(『中央公論』)で、2大政党制の先輩に当たる英国から日本政治を照らし出す。氏によれば、政権交代が常態化している英国では、野党が次回総選挙で勝利するためにフレッシュな若手を抜擢(ばってき)するため、世代交代が進む。また与党と野党の頻繁な交代は、政党内の年功序列(当選回数至上主義)という人事システムの崩壊、利益誘導の困難による政治家個人の後援会の弱体化をもたらすという。 これらの論考は政権交代を意識して論を展開するが、政権維持を図る側にも「内部修復」のヒントになるかもしれない。(後略)2009年7月27日 読売新聞朝刊 12版 10ページ「2009思潮-日本の転機 政治の今」から引用 政権交代が常態化すると世代交代が進み、政党内の年功序列が無くなり、利益誘導の政治が困難になり、その結果、政治家の後援会は弱体化して世襲議員は出にくくなる。 こういうことであるから、今度の総選挙はやはり民主党に投票するべきである。
2009年08月10日
イギリス人ジャーナリストのビル・エモット氏は、7月15日の朝日新聞に寄稿し、民主主義国の政権交代について次のように述べている; 変化のとき--。民主主義の国では、選挙につきものの感覚だ。ひとつの党が長年政権を握る場合はなおさらだ。日本は長い間、その例外だった。しかし今回の総選挙は違う。政権交代が現実味を帯びている。日本を愛する観察者の一人として、変化の可能性は大歓迎だ。 私の期待は、民主党への思い入れや敬意に根ざすものではない。民主主義の単純な効用に基づく。民主主義は良い政府を実現するための方法ではない。むしろ、説明責任を導き出したり、悪い政府を罰したりするための方法だ。良くない政府は罰を受けるべきなのだ。 政治や官僚機構は、野放しにされたり、説明責任に無関心だったりすると、独りよがりになり、腐敗する。政治の安定は望ましい。だが、93年から94年にかけての細川、羽田両内閣を除き、自民党が55年の結党以来ほぼ一貫して政権の中枢にあるという安定は、あまりにも長すぎて、日本にとって良くなかった。 おそらく一つの政党が10年程度は政権を担うのが理想的なのだろう。私の母国・英国では、79年の総選挙でサッチャーが勝利して以降、後継者のメージャーとあわせて保守党政権が18年続いた。その後、ブレアとブラウンの労働党政権が12年継続している。その間、政府は一貫した政策を実行できた。そして政府が腐敗したり、手腕のなさが明らかになったりすると、有権者は政権を罰してきた。英国では2010年6月までに総選挙が行われるが、労働党が保守党によって政権から追われる可能性が高い。 民主党に政権担当の準備は整っているのか、と誰もが問う。間違った質問だ。そんな用意ができていた野党など、どこの国にもない。議会での野党の仕事が、政権担当のための訓練や経験につながることは決してない。野党議員であることと閣僚であることはまったく異なる仕事だ。民主党は英保守党のように、政権奪取直後から、とにかく仕事を覚えなければならないというだけのことだ。 民主党には政策がないではないか、との批判もよく聞く。これも正しくない。民主党は社会保障から道路、防衛に至るまで広範な政策を持っている。問題は、政策のいくつかが別の政策と相反したり、党内で反目するグループによって支持されたりしていることだ。さらに言えば、政府債務残高が国内総生産(GDP)の1・7倍に達する日本の財政状態を考えると、民主党があらゆる政策をただちに実行することは不可能だ。 これは世界中の野党の典型例だ。政権党になれば、政策を選択し、優先順位をつけて、限られた資金をどうすれば最も有効に活用できるか答えを出さなければならない。有権者もメディアも民主党も、実際に政権を取るまでは、どんな優先順位でどんな選択を行うのかはわからない。英保守党もまったく同じだ。 私は「新自由主義者」「市場原理主義者」などと非難されてきた。そんな私だが、民主党の政策のいくつかは09年の日本経済・社会に必要だと信じている。 日本が抱える問題点を考えてみよう。経済的には消費が弱く、生産性の伸びが鈍い。社会的には格差が拡大し、悪いことに貧困層が増大している。こうした問題は互いに結びついている。景気が悪いために賃金は減っており、パートタイマーや非正規労働者はさらに低い報酬しか受け取れない。年金や失業保険などの恩恵にあずかることも難しい。こうした状況が個人消費の低迷につながり、企業も投資に二の足を踏んでいる。格差と貧困は、道徳的に混乱し、社会秩序が乱れる危険をはらむだけでなく、将来の経済成長に悪影響を及ぼす。 日本政府は伝統的に、規制や指導、場合によっては国有化などの方法で、経済に積極的に介入してきた。一方、社会福祉については、欧州諸国に比べてひどく消極的だった。民主党の政策の本質は、この不均衡を変えようということだ。2年間で21兆円という財政出動は、家計や社会保障に回るよう設計されている。財源が他の予算のやり繰りで賄えるなら、民主党の野望は十分な意味を持つ。 民主党が政権を取っても、すべての公約を実行することはできないかも知れない。それでも、変化の兆しと新政権誕生という事実は、内政だけでなく、外交面でも効果をもたらすだろう。 中国とインドの躍進で、アジアは刻々変化している。こうした状況のなかで、日本は小泉首相の退陣以来、法案を着実に通すことができないばかりか、政権が続くことの正統性さえ疑問視されるという頼りない政府に悩まされてきた。 政権交代があっても、状況を一晩で変えられるわけではない。新しい党が政権を取っても、新たな不祥事まみれの大臣を寄せ集めた新内閣によって、新しい失政が始まるだけだと皮肉られるかもしれない。だが政権交代により、日本が変わるというはっきりしたシグナルを他国に示すことができる。日本の民主主義がきちんと機能していると訴えることができる。 変化の直後は、混乱と矛盾かもしれない。だが刷新は、新たな人材と新しい考え方をもたらす。日本を愛する外国人の一人として、いま訪れつつある機会はおそろしく刺激的だ。2009年7月15日 朝日新聞朝刊 12版 15ページ「政権交代を問う-準備のできた野党などない」から引用 ビル・エモット氏が言うように、民主党は政権担当能力があるのだろうかという質問は間違っている。民主党に任せて取り返しのつかない失敗をしたらどうしようという心配も馬鹿げている。私は民主党支持ではないが、今度の選挙で民主主義の機能を発揮させるために、有権者は民主党に投票するべきだと思う。自民党は、格差社会と貧困層の出現を招いた責任を取って下野するべきである。
2009年08月09日
カナダに旅行した経験がある読者が、7月14日の朝日新聞に次のような投書をしている; 天皇が訪問先のカナダで、戦時中の日系人の苦難に言及したとの記事(7日夕刊)を見て、4年前の夏のカナダ旅行を思い出した。 たまたま立ち寄った二つの町、ブリティッシュコロンビア州のポート・エドワードとダンカンで、カナダ政府によって敵性外国人として財産を没収され移住を強いられた日系人たちの苦難の歴史が語り継がれているのを知った。 ポート・エドワードでは、1942年に、漁業を支えた日系労働者全員が無蓋(むがい)のポロ舟で連行され、その日をもって村の人口が半減したことが、国の歴史遺産「漁業村」の展示に詳しく示されていた。 トーテムポールで知られる町ダンカンの宿泊施設で見た町史には、製材労働者や農業で暮らしを立てていた日系人の追放に至る経緯や背景が14ページにわたって描かれていた。 戦後、カナダ政府は不当な扱いを認め謝罪したが、こうした汚点を隠そうとしない懐の深さも感じた旅だった。2009年7月14日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-日系カナダ人の迫害隠さず」から引用 史実を誤魔化そうとしないカナダの人々を、この投書は懐が深いと言っているが、翻ってわが国の場合は、自国に都合の悪い史実をブログに書いただけでも「自虐的だ」「反日だ」などと言われる始末である。単に「懐の深さ」の問題だけではないような気がする。
2009年08月08日
日本政府の内部では、国民に内緒でどのように機密文書が処理されているのか、7月11日の朝日新聞は次のように報道している; 60年の日米安保条約改定にともなう「核密約」関連文書の破棄を幹部が指示していた-。国民への説明責任をないがしろにする姿勢が朝日新聞の取材で明らかになった外務省。その廃棄文書の量は省庁の中で突出している。しかも、01年の情報公開法の施行前に急増するという「駆け込み」だ。情報公開を求める団体は「法の施行を前に、入念に準備して捨てた疑い」を指摘する。 (谷津憲郎) 中央省庁が機密文書を処理する主な方法は、(1)書類ごとにシュレッダーにかける(2)書類を詰めた段ボールごと大型機械で破砕する(3)書類を水に溶かして固まりにする-の三つだ。 例えば法務省は、まず、地下にある大型シュレッダーで書類を刻む。それを回収業者が工場に運んで水に溶かしている。(1)と(3)の合わせ技だ。他に、(1)を徹底して粉状になるまでシュレッダーにかけている省もある。 外務省は(3)だ。関係者によると、地下にある大型機械で、機密文書を水に溶かし、紙粘土の粒のような固まりに加工する。処理能力は1日約2トンという。書類と水を半分ずつの割合で混ぜ合わせる→パルプ繊維がほどけて書類の形が崩れる→文字が見えなくなったところで、パチンコ玉ほどの大きさに丸める→回収業者に引き渡すという手順だ。これを引き取った業者はトイレットペーパーなどに加工。その一部は再び省内で使われているという。 こうした中央省庁による文書廃棄の実態を知ろうと、NPO法人「情報公開クリアリングハウス」が情報公開法を使って、各省庁の00年度の廃棄量を分析したところ、最も多くの文書を捨てていたのが外務省だった。約1280トン。2番目の財務省(約620トン)と比べてもケタ違いに多かった。00年度は、同法の施行直前にあたる。 さらに外務省の年度ごとの廃棄量をみると、97年度は約200トンと他省庁並みだったのに、法案が成立した99年度から急増。00年度にピークに達するが、01年度以降は再び減少傾向になる=グラフ。 クリアリングハウスの三木由希子理事は「法の施行を前提に『公開を迫られるくらいなら捨ててしまえ』と入念に準備した可能性がある」と指摘する。60年の「核密約」関連文書問題と同様に、72年の沖縄返還に伴って日米間で交わされたとされる「密約文書」をめぐる情報公開訴訟を手がける小町谷育子弁護士は「国民への説明責任も果たさず、重要な文書を捨てるという行為は許し難い。政策の検証もできないまま、真相はやぶの中だ。国民が怒りの声をあげないと、同じことが何度でも繰り返される」と話す。 外務省は、再三の取材申し入れに対し、「担当者から連絡させる」としたまま、10日夜までに回答しなかった。歴史に対する冒潰 石井修・一橋大名誉教授(外交史)の話 米国では、政府高官の電話での会話すらテープにとったうえで公文書におこして残す。内容を非公開とする場合でも、文書そのものが存在することは明示される。「公文書は国民のものである」という真摯(しんし)な態度があるからだ。それに引き換え、今回のように公文書を捨ててしまえと指示するというのは歴史に対する冒涜(ぽうとく)であり、納税者に対する犯罪である。怒りがこみ上げてくる。2009年7月11日 朝日新聞朝刊 39ページ「機密文書 トイレ紙に変身」から引用 官僚が国民に内緒で勝手に機密文書を処分してしまうのは、官僚が腹の中で自分たちは国民より偉いんだから、国民が安心して暮らせるのはオレたちのお陰なんだから、という思い上がりがあるからである。しかし、それはとんでもない心得違いというものである。官僚が国民より偉いわけが無い。官僚は公僕であり、国民に奉仕する立場の人間であることを自覚するべきだ。この国の主権者は国民であり、官僚は主権者の使用人に過ぎない。その使用人が重要書類を勝手に処分したということであれば、これは明らかに犯罪だ。厳重に処分するべきである。 ところが、残念なことに当ブログの常連コメンテーター諸氏にみられるように、わが国では「お上を批判するのはいけないことだ」という気分の人間が相当数存在する。こういう連中がいるから、官僚もそれに呼応して「そうだ、オレたちは偉いんだ」と思い込んでしまうわけである。政府のお役人は偉いから国民は黙って平伏しているべきだと、まるで江戸時代から戦前までの日本の雰囲気で、金正日氏ひきいる現在の朝鮮とよく似ているのではないだろうか。
2009年08月07日
日本政府は表向き非核三原則を掲げながら、裏ではアメリカ軍が日本に核兵器を持ち込むことを容認したアメリカとの密約の文書を、国民に知られてはまずいとの判断から勝手に破棄してしまったことについて、7月11日の朝日新聞社説は次のように論評している; 1960年の日米安保条約改定の際、核兵器の持ち込みをめぐる日米密約が交わされた問題で、またもや新たな証言が飛び出した。 情報公開法が施行された01年ごろ、当時の外務省幹部が密約の関連文書をすべて破棄するよう指示していた。元政府高官が匿名を条件に朝日新聞にそう明らかにしたのだ。 これまで政府は、核艦船の一時寄港などは持ち込みとはみなさないというような密約は「存在しない、従って文書も存在しない」と繰り返し国会で答弁してきた。 だが、最近になって、80年代後半に外務事務次官を務めた村田良平氏が密約の存在を認め、「事務用紙1枚に書かれて、封簡に入っていた」という文書が、歴代事務次官に引き継がれていたと語った。 これに続く「破棄指示」の証言である。本当に破棄されたかどうかまでは確認されていないという。 これは、国民に対する許し難い背信行為ではなかろうか。国益がからむ外国政府との交渉で密約が必要だったとしても、それは後年、国民に公開し、妥当性について説明するのが政府の責任であるはずだ。もう昔のことだ、世界は変わったのだからいいではないか、ではすまない。密約の内容、そして隠し続けたことへの批判に向き合わねばならない。 主権者である国民に対して、政府が重大な事実を隠し、その証拠も処分してしまう。これではとても民主主義とは言えないではないか。 この指示に、時の首相や外相、官房長官らは関与していたのだろうか。政治家抜きで、つまり官僚だけの判断で破棄が指示されたとすれば「官の暴走」と言うよりない。 それなのに中曽根外相はきのう、問題を調査する考えはないと述べた。密約自体は半世紀も前の話だとはいえ、破棄が指示されたのは01年ごろのことだ。現役官僚も関与しているかもしれない。なぜ真剣に調べようとしないのか、納得できない。 米国の公開公文書や関係者の証言で、密約の存在はすでに明らかになっている。それを「存在しない」と国民にうそをつき続け、さらには破棄指示の証言にまで無視を決め込む。麻生政権のこの態度は、無責任を通り越したものだ。 麻生首相は間近に迫った総選挙をにらんで、自民党の政権担当能力を強調している。ここは事実関係の調査に乗り出し、長年の一党支配によるうみを出してみせたらどうか。 民主党は、政権をとれば密約を含めて徹底的に情報公開をするといっている。総選挙を前に噴き出したこの間題は、日本の民主主義の成熟度を根底から問いかけている。2009年7月11日 朝日新聞朝刊 14版 3ページ「社説-国民への背信ではないか」から引用 かつて、厚生労働省がそのような文書は存在しないと頑なに言い張っていたのに、担当大臣が厳しく追及したら、無かったはずの文書が出てきたという、ふざけた話があった。あれも、自民党が選挙に負けて野党だった時だった。担当大臣とは当時の菅直人厚生大臣である。菅氏の努力のお陰で、多くのHIV感染被害者に救済の手が差し伸べられることになった。ことほど左様に長年政権の座にあぐらをかいてきた自民党を下野させると、過去の悪事が多数暴かれることになる可能性が大きい。だから、こんどの衆院選は是非とも民主党に投票してほしい。 しかし、もしここで麻生首相が奇跡的に指導力を発揮して、機密文書が破棄されたいきさつなどを、投票日前に調査して公表し、政府として反省の意を表明するなどということが実現すれば、自民党に対する逆風が、突如順風になるということもあり得るのだが・・・。
2009年08月06日
憲法違反の海上自衛隊ソマリア沖派遣について、わが国の将来を憂慮する投書が、7月11日の朝日新聞に掲載された; 今国会で成立した「海賊対処法」に基づく、ソマリア沖への派遣部隊となる海自の護衛艦2隻が出港しました。 十分な国民合意のないソマリア押派兵の出港式に、こともあろうに「軍艦行進曲」が流れたのには驚かされました。戦時中の軍国主義の象徴的な曲で、今の平和憲法にもなじみません。このままだと「暁に祈る」「海行かば」などの軍歌が流れるのも、そう遠くないような気がします。 海賊対処法は参院で否決されたにもかかわらず、与党が衆院の3分の2を使い強引に成立させました。海賊と見なせば正当防衛でなくても戦闘行為を容認し、集団的自衛権を拡大して海外派兵に道を開く危険極まりないものです。 戦後、憲法9条があればこそ戦争に巻き込まれず、一人の犠牲者も出さずにきたのに、国会の事前承認もなしに派兵できるなら、今後は政府の判断で、アフガン、イラン、北朝鮮などにも簡単に出兵することになるのでしょうか。2009年7月11日 朝日新聞朝刊 13版 16ページ「声-軍艦行進曲流し自衛艦出撃」から引用 海上自衛隊が式典の際に「軍艦行進曲」を演奏するのは、今に始まった話ではないが、やはりこの投書が言うように、昔の忌まわしいイメージを甦らせるような曲目は、公序良俗に反するので、今後は慎んだほうが良い。
2009年08月05日
戦争体験者が若者に自らの体験を伝えたいとブログを立ち上げたところ、ことのほか反響があったとして、7月11日の朝日新聞に次のように投書している; 命あるうちに、若い人たちに戦争体験を伝えたいと思った。朗読会も考えたが、聴衆は大抵お年寄りで、それでは若い人々に伝えようがない。そこでブログを思いつき、今春、「80ばあちゃんの戯言(たわごと)」「80ばあちゃん」を相次いで立ち上げた。 1945年5月25、29日の横浜空襲の惨状や、戦後、進駐軍の米兵に追いかけられた話などをアップ。11歳の私が予備役将校の父に、「お前も気概を持て」と訓示された思い出を綴(つづ)った「日米開戦の日」は、最新の戦争体験談だ。 周囲には「今の若い人なんて読んでくれないよ」という声もあったが、実際始めてみると「もっと聞かせて」「自分の親からは聞いたことがない話ばかりだ」などの反響が届き、びっくり。 コメントを寄せてくれる若者の中には、ブログ初心者の私に手ほどきをしてくれる人も現れ、本当にありがたくて嬉(うれ)しくて、涙を流すこともしばしばだ。2009年7月11日 朝日新聞朝刊 13版 16ページ「声-戦争体験ブログに若者反響」から引用 戦争体験者のブログを多くの若者が閲覧することを推奨したいと思います。
2009年08月04日
ある中学校の校長先生は、夏休みのシンガポール研修旅行について次のような感想を、7月11日の朝日新聞に投書している; 愛知県に隣接する長野県下伊那郡の根羽中学校では、村主催の夏休みシンガポール研修旅行が恒例になっている。今年で13回目になる。一昨年に続き私は2度日の参加だ。 交流している現地の中学校の資料館には、植民地時代のイギリス国旗、太平洋戦争で日本に占領された時期の日の丸、そして、現在に至るまでの7本の旗が展示されている。シンガポールの人々が独立を勝ち取るために、どれほどの努力を重ねてきたか一目で分かるようになっている。 空港に近いチャンギ刑務所では、旧日本軍による悲惨な統治の実態を知ることになる。一昨年は「ひどいことをしたんだね」とつぶやく私に、生徒たちは「僕たちが新しい歴史を作ります」と胸を張った。未来への希望を感じることができて嬉(うれ)しかった。 今年も中2の8人全員が23日、4泊5日の旅に出発する。未来は彼らに任せるしかない。研修旅行を通して歴史を学び、未来への平和の大道を築いて欲しい。安穏な道ではないが、強い心で困難に立ち向かうことを願うばかりだ。2009年7月11日 朝日新聞朝刊 13版 16ページ「声-生徒と歴史学び、未来築く旅へ」から引用 将来を担う児童生徒に平和の大道を築くことを期待するためには、正しい歴史認識と平和の尊さを知りうる教育環境が必要だと思います。あれは自存自衛の戦争だったなどと教える「つくる会」教科書などは、有害無益と知るべきです。従軍慰安婦の記述が教科書から無くなって良かったなどと言っている政治家がいることも、実に有害です。
2009年08月03日
今年の6月に大阪の箕面市議会と東京の三鷹市議会が、あいついで日本政府に対して戦時中の従軍慰安婦問題への誠意ある対応を求める意見書を可決した。たとえば、三鷹市議会の意見書は次のとおりである;日本軍「慰安婦」問題に関する意見書 かつての戦争において、日本が近隣諸国の人々に多大な被害を与えてから既に64年がたつが、人々の戦争被害の傷はいやされていない。日本軍「慰安婦」問題はその象徴的なものといえる。 アジア各地で被害にあった元日本軍「慰安婦」の方々の多くは既に80歳を超え、被害者の訃報が相次いでいる昨今である。日本政府は1993年に河野内閣官房長官談話を発表し、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」とおわびと反省の気持ちをあらわした。 この談話に対し、被害者の女性たちからはさらに日本政府が「公的に責任を認め、公的に謝罪しなければ、自分たちの真の名誉と尊厳の回復にはつながらない」との声が相次いだ。 また、国際社会から2007年には、アメリカ、オランダ、カナダ、EUなどの議会において、また、2008年にはフィリピン、韓国、台湾などでそれぞれ日本政府に対し、「慰安婦」問題の責任を認め、公的に謝罪することなどを求める決議が採択された。 被害者の女性たちの真の願いは、戦争を遂行するために女性の性が侵害されることが二度と起こらないように、また、未来の多くの女性たちのためにも過去に行ったことには公的なけじめをつけてほしいというものである。 1993年の河野談話は、第一次、第二次調査を経て、「われわれは、このような歴史の真実を回避することなく、むしろ教訓として直視し、歴史研究、歴史教育を通じ永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を表明し、今後とも民間の研究を含め十分に関心をはらっていきたい」旨の発表がなされている。 今、この精神を維持・発展させて、内容を具体化することこそがアジアの人々の戦争被害の傷をいやし、和解して、平和的に共存していく道筋をつくることにつながることと確信する。被害者の存命中に名誉につながる納得できる解決が急がれる。 よって、本議会は、政府に対し、下記の項目について、国の誠実な対応を強く求めるものである。 記1 被害者の声に耳を傾け、真相究明を行うこと。2 「慰安婦」問題の責任を認めて、政府は公的に謝罪すること。3 過ちを繰り返さないために、学校などで歴史教育を通じて次世代に事実を伝えること。上記、地方自治法第99条の規定により、意見書を提出する。 平成21年6月23日 三鷹市議会議長 田中順子 この意見書には、戦後の日本人としての侵略戦争に対する厳しい反省と将来へ向けての平和志向の固い決意が表明されており、平均的日本人の認識を表している。日本政府はこのような市民の声をよく聞き、平和国家としての道を進むべきである。 なお、箕面、三鷹両市議会の意見書は下記のブログにも紹介されている;http://ono-blog.cocolog-nifty.com/sikou/2009/06/post-d881.html
2009年08月02日
国旗・国歌をめぐる埼玉県知事の発言について、7月8日の朝日新聞に次のような投書が掲載された; 上田清司・埼玉県知事が1日、県立学校での国歌斉唱時に起立しない教員について「国旗や国歌が嫌いな教員は辞めるしかない」と発言した。教員の基本的人権を考えると、疑問の残る発言だ。 そもそも都道府県立の学校における式典で、国旗を掲揚、国歌を斉唱する必然性はどこにあるのか。国旗も国歌も国の象徴だ。都道府県立校の式典では、その都道府県歌を歌い、旗を掲げるのが筋ではないか。国同士が競うスポーツの国際試合における国旗国歌とは意義や必然性が違う。 私は仏教系の中高一貫私立校の出身だ。入学式や卒業式では宗派の歌と校歌を斉唱、国旗は掲揚しなかった。私は信者ではなかったが、そこには合理性を認めていたため、特に違和感を感じなかった。 埼玉県知事発言には、少数派を排除した戦前の国家主義のにおいを感じてしまう。様々な考え方を持った国民が、仲良く共存する民主主義の社会であって欲しいものだ。2009年7月8日 朝日新聞朝刊 13版 16ページ「声-県立学校なら県旗・県歌では」から引用 この投書は筋が通っている。日の丸や君が代が嫌いな者は教員を辞めろ、というのは職業選択の自由をないがしろにした暴言であり、自治体首長の発言としては極めて不適切である。考えの異なる者同士でもお互いの存在を認め合って暮らすのが、民主主義の社会である。
2009年08月01日
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