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厳粛な神事の場である土俵上で、優勝が決まった瞬間、両手を挙げて喜びを表現した横綱朝青龍を、横綱審議委員が批判したことについて、十五年戦争を体験した老読者が1月31日の朝日新聞の投書欄で次のように述べている; 初場所で見事優勝した朝育龍がモンゴル相撲の優勝者さながらに両腕を上げ喜びを表した行為はひんしゅくを買った。横綱審議委員からは「品格ゼロ」の悪評だったが、そうだろうか。 日本の相撲に外国人が入って久しいが、すべてを日本人並みにすることが品格あり、といったような意見を聞くと私は戦中の日本を思い出す。 朝鮮半島にも旧満州にもはるか南の島にも日本式の神社を建て、現地の人々に参拝を強制した事実はいまだに心が痛む。今回の「品格ゼロ」の評価は、これと同じ発想ではないかと背筋が寒くなる。私には国際化の逆行とさえ思えるのである。 国際化とは、それぞれの国の相違を尊重する側面を持つはずである。お相撲さんは国際化してもそれを受け入れる我々が国際化しないのでは、将来が危ぶまれる。国技とはいえ、我々は、それぞれのお国ぶりの相違をむしろ楽しむ余裕を持って観戦したいと思うが、どうだろうか。2009年1月31日 朝日新聞朝刊 13版 16ページ「声-相撲もやめよ押しつけ文化」から引用 これはまことに以ってもっともな意見だと思います。
2009年02月28日
「週刊金曜日」2月13日号に掲載された投書は、横綱朝青龍の魅力について次のように述べている; 大相撲初場所の朝青龍の復活優勝は見事だった(通算23回目)。 朝青龍の魅力は、抜群の運動神経と、勝負を決める瞬間の力強さだ。ただ勝つのではなく、強さを強烈に印象付ける。勝負が終わると同時に思わず「強い・・・」とつぶやいてしまう。緊張が一気にほどけるこの瞬間、スポーツ観戦の最上の喜びを感じる。私は大鵬の時代から相撲を見ているが、これほど胸のすくような鮮やかな勝ち方をする力士を知らない。 ろくに稽古(けいこ)をしないで優勝してしまうのも痛快である。地道に努力した者が報われるなどという凡庸な物語をわれわれはスポーツに期待しない。常識を覆(くつがえ)し退屈な日常を吹っ飛ばす驚異的な人間に出会うことこそスポーツ観戦の醍醐味である。 彼がモンゴルでサッカーをしている映像を(数秒)見たが、あの動きのよさはやはり並の人間ではない。表情も魅力的だし、広いところで体を動かす喜びが全身から伝わってくる。多くの人に笑顔をもたらすに違いないあの傑作映像が日の目を浴びないのは本当に残念である。メディアでは彼の品格のなさとか素行の悪さなどがよく話題になるが、一観客の本音を言えば、土俵の上で立派なら(十分立派だ)あとはどうでもいい。 かつて横綱審議委員(横審)の一人が引退を勧告する発言をした。しかし横審などというのは誰でもいい、いくらでも取り替えのきく存在である。一方、朝青龍は決して取り替えのきかない『至宝』なのだ。いくらでも取り替えのきく存在が絶対に取り替えのきかない存在に物を言うときには言い方というものがあるだろうし、彼の価値を正当に評価できない人間に横審を務める資格はない。メディアも土俵の外の枝葉末節を報道する暇があったらもっと彼の相撲そのものの魅力を伝えるよう努力すべきだ。相撲それ自体よりもゴシップの方がネタとして売れるのだとしたら、少しは文化水準が上がるように知恵を絞れと言いたい。 もちろん朝青龍の行動には問題が多い。相撲の伝統を守るためには時に苦言を呈する必要もあるだろう。しかし私が思うに、日本社会(特に相撲の社会)のスケールに比べて彼は人間として大きすぎるのだ。どうしてもはみ出してしまう部分があるのだ。そのはみ出す部分をあげつらうことに私は何の興味もわかない。 今や相撲界は外国人で成り立っており、何らかの変容が生じるのは必然なのに、文化背景の違う人間に相も変わらず完全同化を求めるのは見ていて息苦しい。みみっちいことを言わずに、この日本社会に収まりきれない朝青龍の「大きさ」をもっと楽しもうではないか。 活躍できる期間はもうそれほど長くないかもしれないが、彼のような傑出したアスリートがこの島国に来てくれた幸せをかみしめつつ、モンゴルの人たちとともにこれからも彼を応援しようと思う。2009年2月13日 「週刊金曜日」738号 61ページ「論争-朝青龍礼賛」から引用 この投書は、概ね私の言いたいことを代弁してくれているので、気に入った一文である。
2009年02月27日
先月の大相撲初場所で見事に優勝した朝青龍を賞賛する記事が、1月30日の朝日新聞に掲載された; 久しく相撲に興味が薄れていたが、場所前に朝青龍騒ぎがあり、本場所を興味深く見守った。胸のすくような結果で優勝した朝青龍には最大の賛辞を送りたい。 逆に以前から朝青龍の土俵外の一挙手一投足、言動の細かい一つ一つに揚げ足を取って騒ぎ立てた評論家、マスコミは謝るべきだ。いたずらにヒール(悪役)をつくるスタンスは改めて欲しい。 大相撲は、厳粛な神事だとか、横綱は品格が大事だとか、小難しい理屈が聞こえた。それが誤りだとは言わない。しかし大観衆環視の興行であり競技である。とりわけ勝敗が地位を左右する非常にシンプルな競技だ。本分は勝つこと。それを土俵上で立派に示した朝青龍は見事であった。土俵外の声を吹き飛ばした精神力は称賛に値する。 一方、5人もいながら10勝を挙げたのはただ一人という大関にこそ職務怠慢の責がある。2場所連続負け越しで陥落というルールへの甘えが感じられる。朝青龍の復活でせっかく盛り上がりを見せた相撲界だが、大関に喝を入れる新しい工夫こそ必要ではないか。2009年1月30日 朝日新聞朝刊 13版 16ページ「声-勝利こそ本分 朝青龍は見事」から引用 私は、この投書の意見に賛成です。厳粛な神事だとか国技だとか言う考えは古いと思います。もしそんなに伝統文化である点が大事だというなら、歌舞伎や能のように、世襲制にして外国人力士の入門は認めないというルールにするべきだったと思います。しかし、それでは興行収入が見込めなくなるから、外人力士にも門戸を広げたのであって、それに伴って今までとは異なる文化が少しずつ浸透してくるのは仕方のない話であり、また、当然の帰結だと思います。
2009年02月26日
戦争へと至った昭和史の実相に迫るノンフィクションを数多く発表した功績をたたえられて「朝日賞」を受賞した作家の澤地久枝氏は、1月29日の朝日新聞で、受賞の感想を次のように述べている; 昨年末のある日まで「朝日賞」は全く私には縁のないものでした。「朝日賞には無縁だけれど(正賞の)忠良さんのブロンズは欲しい」と制作者の佐藤忠良さんに申し上げてから、何年たったでしょう。 この数年、時に空虚な気分に襲われました。一生けんめいに生きてきたけれど、一人の人間にできることは、こんなにもささやかだったのかという実感からです。人生とはこうしたものだと思いつつふっとむなしくなったのです。 「昭和」という秘密とタブーずくめの怪物の時代に取りくみ隠れた事実の掘り起こしをしようとしてきました。おびただしい数の忘れられた死者たちに寄り添ってきましたがまだなすべきことは多く、命の持ち時間との競争では私に勝ち目はなさそうです。 いいことはどんでん返しを伴うことを経験で知っています。1月28日が来る前に死ぬのではと、内心、思いました。しかし、実に豊かな人の縁に恵まれて生きてきて今日、ここに立てて幸せです。78歳になっていただくこのご褒美を分不相応とわきまえつつ。感謝します。2009年1月29日 朝日新聞朝刊 12版 23ページ「豊かな縁に恵まれた」から引用 澤地氏は戦前に朝鮮半島か満州でお生まれになり、日本の敗戦で引き上げてくるときに大変なご苦労をされました。その体験から、少なくとも日本は二度と戦争はしてはいけないという固い信念をお持ちになり、今日「9条の会」の発起人としてご活躍です。私たちの日本が300万人もの人々の尊い犠牲の上で手にした憲法9条を、考えの足りない軽薄な政治家どもの手で改悪させてはなりません。澤地氏の呼びかけに応えて、私たちは憲法9条を守っていきたいと思います。
2009年02月25日
裁判員制度の何がもっとも本質的な問題か、13日発行の「週刊金曜日」の投書は、次のように述べている; 本誌でも裁判員制度についてさまざまな意見が出ている。大方が不賛成で私も同様だ。ただ、その理由がいろいろあるのに、私と同じなのは一つもない。なぜ三日間なのかとか、日当9000円は安いとか、刑事被告人の人権保護が欠落しているとか、専(もっぱ)ら運用面の問題点を論じているが、最も根本的な、なぜ強制されねばならぬのか、という疑問がない。 実は戦前にはそれがあった。治安維持法という法律の下、実際に罪を犯さなくても、それを考えただけで罪になった。 つまり国家の名で拘束されたのである。 それから60年、血と炎の体験を経てようやくわれわれ個人は、実際に罪を犯さない限り己れの24時間を己れの意に反して国の拘束を受けることはない。今日われわれの享受している権利はそれほど貴重なものなのだ。 それを国は、この制度によって指名した個人を、数日間にわたり、当人と全く無縁の法廷に閉じこめ、全く無縁の事件の判断を強いる。否応なくである。従わなければ罪だ。 これほど明白な人権侵犯はないだろう。考えようによっては、戦前の徴兵と全く変りない。或は、今日の権力がねらっている改憲、再軍備、徴兵制に対する心理的地慣しではないか。易々(やすやす)と生命まで差し出させられた戦前回帰の一石ではないかと老人は思う。 こうして国の命じたものを理由なく優先する習慣を復活させれば、軍事国家の復元は容易だ。そうでなくても改革の二字で公の意見を強制する今日、われわれは決して油断できない。朝野(ちょうや)ともに知って知らぬ振りでなければよいと考えるのは私一人だろうか。2009年2月13日 「週刊金曜日」738号 63ページ「投書-裁判員制度は徴兵制と同じだ」から引用 裁判員制度の話を初めて聞いたとき、私は漠然とした不快感を感じたが、何を不快に感じたのか論理的に説明ができなかった。しかし、この投書を読んで目から鱗が落ちた。国家権力が我々の身体の自由を制限しようとする策謀を、この投書は見事に見抜いている。
2009年02月24日
評論家の奥田恵二(おくだけいじ)氏は、まもなく始まる裁判員制度について憲法に抵触する可能性を指摘し、法律の改正を提案している; 裁判員制度がいよいよ今年5月から実施されるにあたり、賛否両面にわたりさまざまな意見が述べられてきた。しかし、反対論の多くが、この制度が実生活におよばす差し障りや、不慣れな環境に身を置くことへの不安を論点としていて、より基本的な問題に立ち入っていないように思える。 司法制度にはまったくの門外漢である私も、裁判員になる可能性がある国民の一人として自省するとき、反対論にくみする。だが、論拠は異なる。「人を裁かない権利と自由」が、すべての日本国民に認められてしかるべきだという観点に立つからである。 日本国懇法第19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と規定しているし、第18条は「何人も……その意に反する苦役に服させられない」と規定している。裁判への参加が「苦役」だと感じるか否かは、個人の主観の問題で、一概に言えるものではなかろうが、自分の良心に照らし合わせて、自分には「裁き人」である資質あるいは資格が無いと断ぜざるを得なくなったとしたらどうか。これは、国家ですら動かすことのできない最終的な個人の判断である。それにもかかわらず裁判への参加が求められるとしたら、その時点で、国家権力による個人への苦役の強要になり、倍数の自由を侵すにも等しい行為になると思う。 もし、裁判員制度の導入が不可避ならば、「良心的兵役拒否」の制度を実施している国々にならい、「良心的裁判員拒否」制度を施行してしかるべきだと思う。時間的拘束を逃れるための単なる言い訳のために「良心」が悪用されるおそれがあるのだったら、諸外国で良心的兵役拒否者に課されるのと同じような代替奉仕活動を課すこともできるのではなかろうか。自分が選ぶ時間に、事務作業や労務作業など「無色」の労働への従事を求めることにより、国家に対する国民の義務が果たせることになり、卑怯(ひきょう)者の汚名を着せられるおそれもなくなる。 今回施行される裁判員制度は、殺人や強盗致傷などの重罪を扱う裁判に適用されることになるという。日常的に冤罪や、やり直し裁判の報道に触れている一般国民にとっては、専門の裁判官ですら判断に苦慮する事件にかかわれと言われても、そう簡単に引き受ける覚悟ができないのは当然であろう。 しかし、もっと恐ろしいのは、自らの良心に探りを入れることもなく、気軽に裁判員を引き受けた人物が、ゲーム感覚で裁判に参加し、軽々な判断を示すことにより、取り返しのつかない結果を招くことである。憲法第37条第1項は「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と定めているが、はたして新制度のもと、「公平な裁判」が保証されるか、非常に危倶(きぐ)されるところである。 私はアメリカ音楽の研究者として1960年代から70年代にかけて、ベトナム戦争下でのアメリカで暮らした。自らの良心に照らし合わせ、理不尽と断ぜざるを得ない戦闘への参加を国家が求めたとき、それへの不服従を市民として表現するために、良心的兵役拒否を訴えた若者が少なくなかった。 裁判員制度について、どうしても同調できない者のために良心的拒否を制度化し、国民一人ひとりの「心の自由」を保証する道筋を開いておくのが、民主国の政府の責任だと思う。2009年1月29日 朝日新聞朝刊 13版 17ページ「私の視点-裁判員制度『良心的拒否』の導入を」から引用 奥田氏の指摘はもっともな話だ。良心的拒否の制度は必要である。
2009年02月23日
13日の読売新聞「編集手帳」は、もうすぐ始まる裁判員制度に疑問を呈して次のように述べている; 短編小説を書く作業をたとえて、「空気を搾り、一滴の水をしたたらす」と評したのは司馬遼太郎さんである。それほどのエネルギーが要る、と。作家の心組みを語って見事である。 同じ形容も、作家ではなく国家の仕事にあてはめると、いくらか趣が異なる。空気を搾って水をしたたらせるような政策には誰しも、「水が欲しければもっと効率のいい方法があるでしょうに・・・」と首をひねるだろう。 あと3か月ほどで「裁判員制度」が始まる。刑事裁判に市民の常識を反映させるという。反映させたければ、研修や内省を通して裁判官がみずからの心に井戸を掘り、常識という水をく汲み上げれば済むことで、日本全土の空気を搾るまでもあるまい。 視力に自信がなくて患者の症状を見逃すのが心配なお医者さんはメガネをかけるだろう。目のいいご町内のみなさまに医療知識のイロハを教え、守秘義務の順守を誓わせ、交代で診察を手伝わせるようなことはしない。裁判員制度では、それをする。 選ばれたときには、微力ながらも誠実に務める心づもりはできている。「水の作り方」に納得したかどうかは別である。2009年2月13日 読売新聞朝刊 14版 1ページ「編集手帳」から引用 私も「裁判員制度」はおかしいと思うし、ここに引用した意見に賛成である。しかし、あと3ヶ月で始まるという時点になってこんなことを言うのではなく、何年か前に国会で法案審議が始まった時点で「それはおかしいだろ」というキャンペーンを張ってほしかった。
2009年02月22日
海上保安庁OBを名乗る読者が、ソマリア沖の海賊対策は海上保安庁の仕事であるとする主旨の投書を、1月28日の朝日新聞にしている; 自衛艦による海賊対策を容認した24日社説を読み、海上保安庁OBの私は納得できません。海賊は誘拐や身代金を要求する刑事犯罪であり、対策は治安官庁である海保の巡視船の責務です。 同庁長官が昨年10月、「総合的に勘案すると(海保の)巡視船を派遣することは困難」と答弁しました。それが今の海上自衛隊の派遣論議につながっています。 海保の巡視船は世界一周航海ができ、欧州から日本までプルトニウム運搬船の護衛経験があり、北朝鮮不審船対応の武器、防護能力もあります。長官は配下の能力を理解せぬまま責務を回避した格好です。答弁内容をマスコミや国会は精査せず、まず自衛艦派遣ありきとする政治家の言説に利用されています。 前航空幕僚長の論文や政治家の自衛艦派遣を叫ぶ最近の動きは、金融恐慌から5・15、2・26事件、太平洋戦争に進んだ社会状況に酷似し不安です。戦後平和主義を体現してきた本紙は本質を見極め、平和主義の立場に復帰すべきだと思います。2009年1月28日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「声-海賊対策には海保派遣が筋」から引用 海賊行為がソマリアの国家機関の仕業であれば、国対国の問題であるから外交手段ということで自衛隊という理屈は成立するかもしれないが、どうもソマリアの場合は民間人の仕業のようであるから、これは単なる刑事事件であり自衛隊というよりは海上保安庁の仕事と考えるほうが理に適っている。
2009年02月21日
安易に増税に賛成する社説を掲載した朝日を痛烈に批判する投書が、1月27日の朝刊に掲載された; 社説「消費税の扱い付則に明記し決意示せ」(17日朝刊)を読んだ。本当にそうだろうか。 小泉政権で「改革に痛みが伴う」と国民に負担を強いた。その痛みが、今噴出している。そして国の借金は雪だるまのように増えている。福祉の社会保険庁を格下げ、軍事の防衛庁を格上げという改革が続いた。一方、正社員を非正社員に置き換え、企業は膨大な利益をため込んだ。それを福祉に回すという富の再分配を考えず、なぜ消費増税の準備が必要なのか。 「福祉を安定させるために、その費用を国民が増税で広く負担することは避けて通れない」という根拠はなんなのか。富の再配分を考え直さない限り、国民に痛み、金持ちに蜜という流れは変わらない、と思う。 累進課税や相続税を元に戻し、証券優遇税制の延長もやめればいい。財源が確保でき、福祉は安定するのではないか。 消費増税しても、福祉に回すという税金が、そのうち金持ち減税に回りはしないか。実際、定額給付金騒ぎの陰で、証券優遇税制の延長など金持ち優遇策が決まっている。ほかにも同様のことが起きていないか、と勘ぐりたくなってしまう。2009年1月27日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「声-富の再分配で福祉の安定を」から引用 この投書は正論を述べている。朝日新聞はいつから金持ちの肩を持つようになったのか。
2009年02月20日
ソマリア沖の海賊対策に海上自衛隊を派遣しようと画策する政府を批判する投書が、1月27日の朝日新聞に掲載された; 政府が今国会に海賊対策の新法案を提出しようとしています。これまで正当防衛などに限られていた自衛隊の武器使用基準を緩和し、海賊を取り締まる目的のために、武器使用を認めることを検討しているそうです。 この報を聞き、『動物農場』(ジョージ・オーウェル著)を思い出しました。この小説の動物たちは、平等な社会という理想の下、横暴な農場主の人間を追放し、法律をつくりました。しかし、指導者格の豚は、自らの権力を強化するため、次々と理想をねじ曲げ、法律に「例外」を付け加えていきました。やがて農場は混乱と恐怖に陥り、豚たちは農場の中で、自滅の道をたどりました。 憲法が禁じている海外での武力行使の道を開こうとする、この報に大きな不安を抱きます。現在の日本政府とこの物語の豚が重なって見えて仕方ないからです。自らの首をしめる「例外」づくりを日本政府には絶対にしてほしくありません。2009年1月27日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「声-武器使用緩和 新法案に不安」から引用 海上自衛隊をソマリア沖に派遣などはやめたほうがいい。それよりも、ソマリアに経済支援を行って、現地の人々が海賊行為をしなくても生活できるように環境整備をしてあげるほうが、よっぽど現地の人たちに感謝されるというものである。
2009年02月19日
企業経営者が直接利害の絡む政府の審議委員の職に就き、退任後に有利な条件で国有財産の払い下げを受けるという限りなく黒に近い灰色の事態を、「当然である」と論評した朝日新聞社説を痛烈に批判する投書が、1月27日の朝日に掲載された; かんぽの宿をオリックス不動産へ譲渡することについて、社説は「かんぽの宿 筋通らぬ総務相の横やり」(18日朝刊)と主張した。同時に、オリックスを率いる宮内義彦氏が公職に就いて規制緩和を進めた過去を擁護した。これに私は強い違和感を覚えた。その後、「かんぽの宿『109億円売却』疑問次々」(24日朝刊)を読み、社説こそ筋が通らないのではと思った。 宮内氏は、90年代半ばから規制改革の政府組織のトップに君臨、論議をリードしてきた。小泉構造改革でも「規制緩和」に尽力。そして、06年10月に村上ファンド事件や小泉元首相の退陣を機にその役職を辞任した。 彼は在任中、右手で規制緩和の門戸をこじ開けながら、左手で真っ先にその分野に新規参入したことで知られる。 それだけに「待った」をかけた鳩山総務相の発言は、小泉構造改革のまやかしにメスを入れる動きとして評価したい。 むしろ問われるべきは、直接利害の絡む企業トップを審議委員に起用してきた政府や、その立場を利用する企業人の倫理観ではないか。2009年1月27日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「声-政府や企業の倫理観を問え」から引用 本来であれば、社会正義の観点から朝日は宮内氏のやり方を批判するべきであったが、やはり商業新聞の悲しさ、そんなことをやればオリックスの広告は二度と掲載できない事態を招くので、それはできない。しかし、だからと言って社説で「宮内氏の行動は当然だ」などと、そこまでして広告主に媚びへつらうこともないだろうと思う。
2009年02月18日
ソマリア沖に海上自衛隊を派遣しようと目論む政府を批判する投書が、1月26日の朝日新聞に掲載された; 日本政府は地球規模で白衛隊の派遣先を探しているようだ。イラクから帰ったら海賊対策でソマリア沖への海自派遣という。海の安全確保は海上保安庁の仕事だろうに。 英仏からのプルトニウム運搬を護衛した巡視船は海賊のロケット砲や携帯用ミサイルにも耐え得ると聞く。護衛の船が現場海域にいるだけで抑止効果があるなら、巡視船で十分なはずだ。 3月にも海自派遣のため、海上警備行動を発令するという。日本近海の不審船問題で過去2回例があるというが、今回は具体的な被害もまだない遠い海だ。新大統領との初の日米首脳会談に向けての、国際貢献アピールを見込むのか。 本紙によれば、ソマリアの対岸に位置するイエメン沿岸警備隊作戦局長は、「高い効果は期待できず必要ない。むしろ我々の警備活動強化に支援を」と、言っている。 長年の内戦で政治、経済が乱れ、漁民の生活崩壊が背景にあるというのだから、この立て直しにこそ世界の国々は手を貸すべきだ。 平和憲法を持つ日本の国際貢献が、その先頭に立つべきだ。2009年1月26日 朝日新聞朝刊 13版 12ページ「声-海賊対策には復興支援策で」から引用 諸外国が軍艦を派遣しているから日本も、という発想はあまりにも軽率でものごとを考えていない姿勢である。これでは、イラク派遣と同じ誤りをすることになる。海上自衛隊派遣には反対である。
2009年02月17日
新聞の報道に関する読者の要望を聞く朝日新聞の「紙面モニター」に、次のような要望が掲載された; 契約を打ち切られ、住居を奪われる人たちの実態ばかりが紹介されているが、雇用する側の企業の具体的な状況の報道が足りない。自動車業界が空前の利益をあげ、好景気にわいていたのはつい最近のことだ。 朝日新聞も巨額の利益をあげる企業を賛美するような取り上げ方をしていた。派遣労働者などの首切りをする企業はどれだけの内部留保があり、首切りしないと本当に倒産するのか、労組はなぜ、動こうとしないのかなど、もっと踏み込んだ取材と報道が必要だ。2009年1月26日 朝日新聞朝刊 13版 12ページ「紙面モニター-空前の利益どこ 状況を具体的に」から引用 去年までは数兆円の内部留保を溜め込んだトヨタ自動車が、2年や3年連続して赤字計上したところで、倒産するわけがない。しかし、朝日を初めとする商業新聞がそんなことを書けるわけがない。もし書いたら、莫大な広告料収入を失うことになって、今度は新聞社が社員をリストラする羽目になるからである。やはり、真実の報道は広告収入に依存しない「しんぶん赤旗」や「週刊金曜日」に期待するしかないのではないか。
2009年02月16日
朝日新聞ロンドン支局の大野博人記者は、1月25日の朝刊にイラク戦争について、次のように書いている; 米英などがイラク戦争の準備を進めていた03年2月、フランスのテロ捜査幹部に会ったことがある。事務所は避けてくれというので待ち合わせたパリ市内のホテルのカフェに出向くと、いらだちをあらわにした。 「今イラクに戦争なんか仕掛けたら、小ビンラディンみたいなやつをさらに100人も作ることになってしまう」 彼は01年の9・11米同時テロ以来、欧州のイスラム過激派の摘発に全力を注いでいた。だが、イラクとのつながりはまったく出てこなかった。正当化できない戦争はかえって連中を勢いづかせる口実になると心配していた。 6年前のことを思い出したのは、英国のミリバンド外相の新聞への寄稿を読んだからだ。「対テロ戦争(Waron terror)は間違いだった」と書いていた。 インド・ムンバイでのテロはカシミール紛争が背景にある。中東ではパレスチナ問題やイスラム教の宗派対立がからむ。ところが「対テロ戦争」という考え方は、複雑な事情を抱える多くの問題を二者対立の構図に単純化してしまった。その結果、本来はばらばらだった過激な勢力を結集させることになり、逆効果だったという。 アフガニスタン、イラク、パキスタン、インド……。その後登場した「小ビンラディン」は100人で済まない。 米ブッシュ政権が重要な「対テロ戦争」と位置づけたイラクへの武力行使で、反対派の先頭に立ったフランスを米英は激しく非難した。当時のリチャード・パール米国防政策諮問委員長は「フランスはサダム・フセインの側についた」と決めつけた。英大衆紙はテロと戦わない腰抜けと罵倒(ばとう)した。 当たり前のことだがフランスなど反戦派の欧州諸国はフセイン政権を支持したわけでもなく、テロを容認したわけでもない。テロの撲滅に異論などあるはずもない。 意見が違ったのは、その方法だった。「何をするか(What to do)」ではなく「どのようにするか(How to do)」だ。武力介入は「逆効果の方が大きく危険だ」という点に尽きた。 そして今まさに、英外相が「逆効果の方が大きく危険だった」と書く。さらにテロ対策で大事なのは「どのように(How)だ」とさえいう。 たちの悪い冗談でも聞かされているようだ。あの捜査幹部なら「何を今さら」と吐き捨てるように言ったかもしれない。6年も前にわかりきっていたことを、と。 わからなかったのではない。わからないふりをしていただけだろう。テロ問題への取り組みというだれも否定できない「目的」と武力介入という問題の多い「手段」をひとまとめにして同調を迫る。 「対テロ戦争」という言葉はそういう場合に便利だ。「手段」に異議を示す者をテロ撲滅の大義に反対する敵であるかのように非難し、憎悪をあおることができる。 9・11の後、当時のブッシユ大統領は「これは善と悪との戦いになる。そして善が勝つ」と演説した。「対テロ戦争」は世界を敵と味方に分けて自分の戦略に巻き込むためのレトリックだった。 実は英国政府は2年余り前からひそかに「対テロ戦争」という言い方をやめていた。米国の政権交代で、外相が気がねなく明言できるようになったのだろう。 英王立国際問題研究所のロビン・ニプレット所長によると、クリントン米国務長官も指名承認の議会公聴会で「テロと闘う(fight)」という意味の広い言い方はしても「対テロ戦争」という言葉は口にしなかった。「米国でもあの言い方は廃棄されたのだろう」 世界は三流のハリウッド映画のような勧善懲悪の悪夢から抜け出せるだろうか。2009年1月25日 朝日新聞朝刊 4ページ「風-100人の『小ビンラディン』」から引用 テロリストに味方しただの腰抜けだのと罵倒されてもなお、イラクに対する武力行使に反対する姿勢を貫いたフランスは立派である。それに引き換え、テロリストと戦うのか彼らの味方をするのかというブッシュ前大統領の単純な二分法に、何の考えもなく即座に賛同して未だに反省の弁もない小泉氏については、こういう者を一時期わが国のトップの座に据えたのは、かえすがえすも残念なことであった。
2009年02月15日
神戸女学院大学教授・内田樹(うちだたつる)氏は、モンスターペアレントの問題について、1月25日の朝日新聞で次のように述べている; 「モンスター」という言葉をメディアが使い始めた時点で、この問題は収束に向かい始めたと思う。いまモンスターと呼ばれている人たちは、そんな呼び名が登場する前は、メディアが後押ししてくれるという期待のもとに、公的機関に不合理なクレームを押しつけてきた。メディアが態度を翻してモンスター批判に転じれば、火が消えたようにおとなしくなる。 新聞をはじめ日本のメディアは、学校や病院、行政という「強者」に対し、「弱者」である市民は全力を挙げてその非をあげつらうべきだという論を張り続けてきた。公的な機関は厳しく批判すればするほど機能が向上するという、経験上明らかにウソのアナウンスを流し続け、モンスターたちを励ましてきた。 メディアに限らず日本社会は今世紀に入って以来、問題点を指摘し、責任者を糾弾し、変革を求めることが、この国をよくする最良の処方箋(せん)だという考えにとりつかれてきた。足元をクールに分析しようとせずに、システムを全否定する。小泉元首相は「自民党をぶっ壊す」と言い、安倍元首相は「戦後レジームからの脱却」を唱えた。両氏を首相に据えたのは自民党であり、戦後レジームであることをかえりみない主張だ。そのころにクレーマーが出現したのは、決して偶然ではない。 変革という病にみんなが浮足立つ中で、すべての市民は同時に公民であり、公共サービスをよくするには自分たちが身銭を切り、汗をかかなければならないことが忘れ去られた。批評は攻撃に転化し、「さじ加減」は失われた。 ゼロか100かという変革の主張の根底には、グローバル資本主義の「リソース(資源)は無限だ」という前提がある。マーケットもシステムも無限だから、気に入らないものは全部壊して、一からつくり直せという発想だ。 だが、それらが無限でないことは、今回の経済危機が証明した。ようやく、有限のリソースを食い延ばしていこうという声が現れ始めた。 官僚を非難しておびえさせるだけでは、仕事はしない。全面変革のために教育制度を一時停止させれば、1世代を知的に破壊することになる。医僚機能が一時マヒすれば、患者を救えない。ならば、手持ちのシステムを使い回して「やり繰り」するしかない。面と向かって誰が悪いとののしるより、協力をとりつける努力が大切だと気づく。 グローバル資本主義のもとで、連帯と共生は根こそぎにされた。だが、今のように貧しくて厳しい社会では、どう連帯するかが問われる。 誰が悪いかより、自分に何ができるのか。周りに困っている人がいたらとりあえず手を差し伸べようと、人々のマインドは変わってきた。「年越し派遣村」の実践に、「微温的で根本解決を遅らせる」と大所高所から懐手でするようなヤジは飛ばせない。 連帯と共生のために、自分の孤立的な欲望をどう抑え、他人の考え方や生活習慣をどう許容するか。一言でいえば、どう我慢するかが、問題としてせり上がってくる時代だ。もはや、モンスターが出てくる余地はない。 (聞き手・今田幸伸)2009年1月25日 朝日新聞朝刊 12版 7ページ「耕論-『変革の病』去り、絶滅へ」から引用 この主張は、「論」としては面白いが、基本的認識に問題があるような気がする。例えば、公的な機関は厳しく批判すればするほど機能が向上するという考えは経験上明らかなウソであると言っているが、どのような経験からウソであると言えるのか、具体的な説明がほしいものだ。 さらにまた、「官僚を非難しておびえさせるだけでは、仕事はしない」などと自分は大所高所にいて関係ないとでも言いたげな表現だが、足元をよく見れば、国民は官僚をうまくコントロールしてまじめに仕事をさせるノウハウなど持っておらず、逆に官僚から甘い汁を吸い取られているという事実の認識が欠落しているのではないだろうか。
2009年02月14日
米国のブッシュ前大統領は任期を終える直前の記者会見で、誤った情報に基づいてイラク戦争を開始したことを後悔する発言をしたが、「自衛隊が存在する場所を非戦闘地域というのだ」などと強弁を繰り返し、挙句の果てには野党の反対を強行採決で押し切って自衛隊を派遣した小泉元首相は、このことについて一言も発言をしていない。そのような小泉氏の態度を批判する投書が、1月20日の朝日新聞に掲載された; 米ブッシュ政権の8年間が終わります。小泉元首相、あなたも次の総選挙を機に政界を引退します。しかしあなたは、その前に答えなければならないことがあります。 ブッシュ氏のイラク侵攻を真っ先に支持したあなたは、イラク戦争の総括を語るべきです。「誤情報だった」とブッシュ氏も認めた大量破壊兵器の存在は、いまだに確認されていません。かつて「見つからなくても無いとは言えない」とおっしやいました。引退後はライフワークとして、イラクに行って大量破壊兵器が見つかるまで探されたらいかがでしょう。それがあなたの言う「自己責任」ではないですか。 ブッシュ氏に加担し、罪の無いイラク国民に取り返しのつかない犠牲を強い、希望を閉ざしました。今も続く痛み悲しみを、あなたは想像できないでしょうか。 また、非戦闘地域に人道支援に行くのに、なぜ武装自衛隊でなければならなかったのですか。自衛隊が行ったことで、かえって日本の民間人による援助活動は危険にさらされることになりました。あなたは逃げずに今、お答えになる責務があります。2009年1月20日 朝日新聞朝刊 13版 14ページ「声-米追随の総括 小泉氏よ語れ」から引用 このような国民の良心の問いかけに対し、小泉氏はおそらく無視するだけであろう。小泉純一郎とは、そういう人間だからである。今さらながらではあるが、国民はとんでもない人物を首相にしたことを反省するべきである。
2009年02月13日
オリックス「かんぽの宿」一括購入に待ったをかけた鳩山総務相を批判する朝日新聞や日本経済新聞を、評論家の佐高信氏は次のように論評している; 『朝日新聞』経済部の思想ならぬ「皮相」を問題にする。宮内義彦率いるオリックス・グループの不動産屋が「かんぼの宿」を一括購入しようとしていることに関してである。 民営化ならぬ会社化、規制緩和ならぬ安全媛和を「改革」と称して、小泉純一郎や竹中平蔵と共にその旗を振ってきた宮内が、それの果実を手に入れるのはあまりにあさましいと私は思うが、それに「待った」をかけた総務大臣の鳩山邦夫に対して、『朝日』は1月18日付の社説で「筋通らぬ総務相の横やり」と異議を唱えた。多分、経済部出身の論説委員が書いたものだろう。「過去の経歴や言動を後になってあげつらうのでは、政府に協力する民間人はいなくなってしまう」と言うが、この言い方は翌19日付の『産経新聞』に竹中が書いた「いったん政策が決められたとして、それに関係する経済活動がその後できないとなると、民間人はだれも政府の委員会メンバーになどならなくなる」と酷似する。9日付の『日本経済新聞』の社説にも同じような表現があったが、これは「政府に協力する民間人」がいずれも『役得』目当てであることを問わず語りに告白しているということではないか。とりわけ『朝日』の経済面と『日経』の論調は見分けがつかないほどに似通っている。小泉・竹中の「新自由主義」支持ということで一致しているのである。それで私は『サンデー毎日』のコラムで「日経『竹中』新聞」と「朝日『オリックス』新聞」と皮肉った。いわゆる派遣切りの問題を社会面などで大きく取り上げても、それが小泉、竹中、そして宮内らの「改革」が生んだものだと経済部が指摘しなければ、そのバラバラは読者を惑わすだけである。 竹中はメディアを操縦する。NHKやテレビ朝日での金子勝とのガチンコ対決が騒がれたが、高杉良によれば、あるテレビ局から打診された竹中との対談をOKしたら、竹中サイドが断ってきたという。金子とのそれを承諾したのはなぜか? 金子は私との対談『誰が日本経済を腐らせたか』(角川文庫)で、竹中の弟分の木村剛(たけし)について「考え方が違うけれども、不思議なくらい意見が一致」すると語った。日本振興銀行会長としての木村の情実融資は問題にしないわけだが、そこに『朝日』の経済部と同じく金子の弱点があるのではないか。2009年1月30日「週刊金曜日」736号 9ページ「風速計-『朝日新聞』経済部の皮相」から引用 民間人が政府の仕事に協力するのは、民間人ではあるが国家のために貢献しようという崇高な志から出てくるものと、普通の人はそう考えるから、宮内さんはボランティ精神旺盛な立派な人物と思ったに違いない。ところが、ふたを開けてみたら何のことは無い、郵政省管轄だった温泉宿泊施設を安い値段で手に入れようという下心があったというのでは、甚だ情けない話だ。しかも、そういうモラルの欠如を、産経新聞ならまだしも、朝日や日経までが宮内氏の下心を肯定するのだから、あきれた話だ。日ごろ物議をかもす鳩山総務相だが、この件に関しては、私は鳩山総務相の主張が正論だと思う。
2009年02月12日
ジャーナリストの中嶋啓明(なかじまひろあき)氏は、天皇制に無批判な新聞各紙を次のように批判している; 元日、『読売新聞』朝刊の一面に次のような見出しの記事が載った。「両陛下 節目の年 即位20年結婚50年」。リードはこうだ。《天皇陛下は1月7日、即位から20年を迎えられる。皇后さまと結婚されてから50年の金婚式も4月に迎えられ、今年は二つの節目に慶祝ムードが広がりそうだ》 今年は、明仁(あきひと)が1989年、天皇の地位についてから満20年、皇太子だった当時の1959年4月10日、現皇后の美智子と結婚してから満50年になるというのだ。政府は、「即位の礼」が行なわれた11月12日に記念式典を開くことを、昨年中に閣議で決定した。今年1年、ばか騒ぎが続くのかと思うと、暗い気分にならざるを得ない。その皮切りが、先の記事だ。『読売』は同日、一つの紙面全面を割いた特集記事も掲載した。見出しをいくつか拾(ひろ)ってみると、「皇室に新風 半世紀」、「お人柄伝わる 『ふれあい重視』」、「平和願われ国内外で慰霊」。これに編集委員井上茂男の 「平成流二人三脚で」と題した署名記事などが加わる。見出しだけで内容が分かる、中身のないただのオベンチャラ記事。 『産経新聞』もオピニオン欄「正論」で「新年シリーズ 天皇の20年」と銘打ち、元日から四回にわたり、このテーマを取り上げた。 その後、共同通信も特集記事を配信。「即位」からちょうど20年になる1月7日には、『毎日新聞』までもが見開きの二面を使った企画特集を載せ、『産経』とともに社説に取り上げた。「『国民とともに』を実践した」とタイトルに掲げた『毎日』社説はこう述べている。《陛下は、憲法に従い国民とともにある「象徴天皇」像を誠実に実践し、そのあり方は定着したといえよう》「憲法に従い(略)『象徴天皇』像を誠実に実践し」ただって? この社説や、各紙の特集記事が盛んに強調するのは、明仁が「即位」後、美智子とともに全都道府県を回り、地震などによる被災地を訪問して被災者、被害者らと接したほか、外国訪問を繰り返し、沖縄やサイパンなどへの「慰霊の旅」を重ねたなどといったことだ。「三大行幸」と呼ばれる国体、植樹祭、海つくり大会などで地方を訪問することが、被災地を訪問して被害者らと接することが、さらには「慰霊の旅」を含む外国訪問が、「憲法に従」った行為なのだろうか。憲法がいつ、「象徴天皇」にそんな行為を許したのか。 各紙、各報道が意図的にか、隠していることがある。 イラクへの自衛隊派遣が『国論』を二分し、現地の武装勢力に日本人ボランティアが誘拐(ゆうかい)された2004年、訪日した当時の米副大統領チエイニーに明仁は「自衛隊は給水や医療活動など、復興支援のために派遣されたものであり、イラクの人々の幸せに貢献することを願っております」と述べた。 その後、2006年には、イラクやインド洋に派遣された自衛隊員らを皇居に招き、慰労した。明らかに明仁は、日本の派兵国家化を後押しし続けているが、そうしたことに各紙は触れない。 あるいは、天皇制と日本国家の戦争責任をあいまいな形で清算し、被災者を慰撫(いぶ)して復興を歌い上げることで、都市計画などでの失政を隠蔽(いんぺい)する。折々の政府の政策や方針を権威づけ、お墨付きを与える。そんな役割が、明仁らの行動には込められているのだ。 なのにメディアは、これら憲法違反の行為を無批判に「公務」と称し、絶賛するのみ。違憲の「象徴天皇」像を「定着」させたのはメディア自身なのだ。 この間、明仁の体調不良も取りざたされている。一連のキャンペーンが、明仁のXデーとその後を視野に入れているのは間違いない。狙いは、さらなる派兵国家化に資する新たな天皇制像の確立だろう。天皇制に無批判な報道が、派兵国家化の現実を隠蔽する。2009年1月30日「週刊金曜日」736号 45ページ「人権とメディア-天皇『在位』20年-隠される派兵国家化へのお墨付き」から引用 天皇として日本国憲法を遵守するつもりなら、天皇は憲法に明記された国事行為以外のことに関する言動は慎むべきである。自衛隊の海外派遣などは、与野党で意見が相違し国論が二分されているのであるから、その片方に肩入れするような言動は、あってはならない。また、マスコミも天皇や皇族が海外に出かけることを「皇室外交」などと言って持てはやすが、わが国憲法は天皇や皇族に外交権を認めていないのであるから、マスコミが憲法違反を助長するような表現をするのは止めるべきである。
2009年02月11日
共産党に対する人々の認識について、1月17日の朝日新聞の投書は次のように述べている; 「ルポにっぽん 失職・・・そこに共産党」(11日朝刊)を読んで日本の社会もようやく変わりつつあると感じました。 かつて近所のおばあさんが「わたしは共産党が街頭演説しているときは、おっかないから裏道を通って帰る」と話しているのを聞いて苦笑したことがありましたが、戦前、共産党は軍部や政府から目の敵にされ、「アカだ」「恐ろしいから近づくな」という宜伝が国を挙げてなされたため、多くの国民は意識の中にそうしたイメージを刻み込まれてきたのです。60年以上もそれを引きずるおばあさんの言葉を聞いた時、国家がはるレッテルの怖さを感じました。 討論番組を見ても、つい最近までは共産党の議員が発言するたび「また共産党か…」と冷笑する議員が映される場面が多く、「国民の声を代弁していいことを言っているのにどうして?」という思いを無党派層の私でも持っていました。 しかし今は「いいものはいい」と、特に若者の意識が変わり、レッテルに惑わされなくなりました。国民こそが主人公だと自覚し、いい国をつくっていきたいものです。2009年1月17日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「声-若者に薄れた反共の固定観」から引用 一昔まえは、共産党と聞いただけで意味も無く敵意をむき出しにする人間は多かったが、この投書が指摘するように、最近は偏見に囚われずに共産党の主張に素直に耳を傾ける人が増えたことは喜ばしいことである。
2009年02月10日
朝鮮大学校の卒業生が司法試験に合格し、弁護士登録したと1月27日の神奈川新聞が報道している; 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の民族学校である朝鮮大学校(東京都小平市)の卒業生二人が法科大学院を経て司法試験に合格、2008年12月に弁護士登録した。同校出身の弁護士は初めてで、同校では「日本と在日コリアンの懸け橋になる活動を」と卒業生の法曹界進出に期待している。 弁護士登録したのは裴明玉(ペミョンオク)さん(28)=朝鮮籍、仙台市青葉区出身=と金敏寛(キムミングァン)さん(28)=韓国籍、北九州市八幡東区出身=。いずれも朝鮮大学校政治経済学部法律学科を卒業し、裴さんは南山大(名古屋市)、金さんは成蹊大(東京都武蔵野市)の法科大学院にそれぞれ進学した。二人は法科大学院修了者を対象とした07年新司法試験に合格、司法修習を終えて弁護士登録した。 愛知県弁護士会に所属する裴さんは、今後の目標に「(朝鮮大学校と同じく法律上は各種学校とされている)ブラジル人学校など、外国人学校の制度的な保障の実現」を挙げる。今後については「先輩たちや支援してくれた日本の方々がいたからこそ、この道に進めた。私自身が正しいと信じたことを粘り強くやり遂げたい」と話した。また、金さんは福岡県弁護士会に所属。「法曹を目指す後輩によい刺激になった。在日特有の問題を解決する弁護士になりたい」としている。 二人を在学中に担当した同校の朴三石(パクサムソク)教授(法社会学)は「朝鮮学校の在校生たちに豊かな夢を与えてくれた。社会的弱者の人権を守る弁護士になってほしい」と話している。 朝鮮大学校は1956年に設立。文部科学省から大学としての認可を受けておらず、法律上は各種学校扱いになっている。8学部17学科を持ち、在籍者数は約850人。法律学科は99年に創設され、昨年の新司法試験でも一人が合格した。2009年1月27日 神奈川新聞朝刊 A版 22ページ「朝鮮大学校で初 弁護士2人誕生」から引用 在日で医師や大学教授になった人は大勢いるが、弁護士は初めてとは、意外に遅かったなあと思った。
2009年02月09日
ジャーナリストの田畑光永(たばたみつなが)氏は、1月26日の神奈川新聞に寄稿して、高等学校の日本史必修化について次のように述べている; 去る17日の本紙一面トップは「横浜市立高 全校で日本史必修化」であった。県教委ではすでに2013年度から全県立高校で日本史を必修とすることを決めているが、それに先立って市立11校は10年度から必修とするという内容である。 本記の横に、市立高校生徒の日本史履修率が約65%にとどまることと、必修化には賛否両論があることを伝える田口要記者署名の解説が付されている。 私はこの紙面づくりを大いに多としたい。なぜなら、近年(のことではない?)、若者の歴史知識のお粗末さには恐るべきものがあるからだ。 例の田母神前空幕長の日本は侵略国家ではなかったという所説の支持者には若者が多いと聞く。その田母神氏の論文「日本は侵略国家であったのか」の冒頭部分にはこうある。「日本は19世紀後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。」 これを読んで、私は目を疑った。19世紀後半以降の日本軍の対外進出は明治7年の台湾出兵に始まり、27年の日清戦争、33年の義和団事件、37年の日露戦争、大正に入って3年の青島占領、7年のシベリア出兵、昭和になると2年、3年の第一次、第二次山東出兵、6年の満州事変における在朝鮮日本軍の越境出撃、8年の在満州日本軍の華北侵攻、12年の日中戦争開始時の「北支那方面軍」、「中支那方面軍」の派遣・・・。16年の真珠湾奇襲以前に主なものだけでこれだけの軍事行動があるが、このうち「相手国の了承を得て」のものなど一件もない。すべて「一方的に軍を進めた」ものだ。こんなことは歴史の常識だ。 田母神氏はいったい歴史をどう読んで、その奇怪千万な歴史観を作り上げたのか不可解だが、それより問題は、世間にというか、あるいは国民にもうすこしきちんと歴史知識が定着していれば、笑いものになるだけのこの珍説が結構もてはやされていることだ。それも若者たちに。 17日の本紙解説には、日本史必修化に批判的な意見として、「愛国心教育につながりかねない。歴史から何を学ぶかは生徒の問題」という教科書執筆者の声や「教育課程の編成権をがんじがらめにするもの」という高教組幹部の声が紹介されている。その限りではもっともである。 しかし、この国の一員として最低限身につけるべき基本的知識を欠いた人間を世に送り出すことは、社会そのものの怠慢ではないか。 日清、日露の戦争も、韓国併合も、日中戦争、太平洋戦争も、まともに勉強したことがない人間が増えることは想像するだに恐ろしい。2009年1月26日 神奈川新聞朝刊 6ページ「メディア時評-歴史の基本学ぼう」から引用 国民が正しい歴史認識を持たず、田母神論文に同調するなどというのは由々しき問題である。なんらかの対策は必要であり、日本史を必修科目にするのも一つの方法かもしれない。
2009年02月08日
法政大学教授の須藤春夫(すどうはるお)氏は、1月25日の「しんぶん赤旗」のコラムでNHKのテレビ番組について、次のように論評している; 年末年始のテレビニュースは、都心の日比谷公園に設けられた「年越し派遣村」の様子を連日報じた。炊き出しとテント宿泊を求めて列をなす映像は、派遣切りがいかに理不尽で、生存権を奪う深刻な社会問題であるかを一挙に知らせるインパクトがあった。 NHK総合テレビ「ドキュメント にっぽんの現場」(1月17日放送)は、その派遣村のきっかけをつくった労働但合「派遣ユニオン」の書記長と二人のボランティアの活動に焦点をあて、派遣切りで路頭に迷う労働者への相談とその救済に密着した内容だった。 番組は派遣ユニオンが昨年11月下旬に設けた派遣切り電話相談会から始まる。2日間で472件にのぼった電話には、突然に解雇通告を受け賃金と住まいを同時に失った派遣労働者の切実な声が寄せられた。解雇された労働者が、ユニオンに加盟して会社との団体交渉にのぞみ、雇用や住居が確保される成果も描かれている。 12月に入ると派遣切り問題は、雇用だけではなく命と生活にかかわる深刻な事態となる。公園での野宿生活を強いられ、自殺も考えた元派遣社員の男性は、年末に派遣ユニオンに駆け込み、スタッフの援助を受けて生活保護の申請をして認められる。だが役所からの帰路、男性は突然路上で倒れる。 カメラはその瞬間をとらえた。画面から映像は消え、文字のみで男性が過労による衰弱で意識を失い病院に運ばれたことを告げる。これは衝撃的な瞬間だ。派遣切りは人間を「生きる」限界ぎりぎりの生活に追い込むのだ。 派遣村が終わった5日、ユニオンの事務所に1本の電話が入る。派遣村に来た人で就職が決まったとの知らせだ。カメラはそれを聞く書記長の目にあふれる涙をとらえる。 取材班の目線からは、連帯の温かさと団結の素晴らしさが視聴者に響いてくる素晴らしい番組だった。2009年1月25日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-『派遣村』ドキュメント」から引用 私はこの番組を見る機会は無かったが、NHKにはこのような迫真の報道番組を期待したいもである。
2009年02月07日
大企業で派遣社員として働いていた人が、突然解雇されて共産党に入党するいきさつを、1月11日の朝日新聞が次のようにルポしている; 「派遣切りは許せません」 1月5日午前8時。三菱電機名古屋製作所(名古屋市東区)前で出勤してくる従業員にビラを配る人の中に、佐藤剛さん(仮名)がいた。 キャバクラ嬢のスカウトや客引きの経験があるというだけあって、声がよく通る。両手をポケットに突っ込んだまま完全無視を決め込む人には少しカチンとくるが、よく考えたら自分も1カ月前まではああだったな、と思う。 昨年12月5日夕。仕事を終え家路を急いでいると、「ハケンギリ」という言葉が耳をかすめた。出所を探し、辺りを見回す。ビラを配っている人たちがいることに気づき、引き返して、もらった。 その3日前、まさに切られた。5月から三菱で派遣社員として働き、2月末までの雇用契約を更新したわずか3日後、1月9日付での解雇と寮からの退去を通告された。 北海道出身の33歳。地元の高校を卒業後、職を転々とし、3年半前に愛知県へ。三菱では1日約8時間、製品検査などの流れ作業をこなした。手取りは月約10万円。 寮の自室でビラを開いた。「派遣・期間工・契約社員でも期間途中の一方的解雇は違法」に衝撃を受けた。 正社員でないから「雇用の調整弁」扱いされることは覚悟していた。解雇を通告された時、真っ先に去来したのは「予想より早かったな」というあきらめだった。何の補償もなく職も家も奪われて放り出されても、派遣だから仕方ないかと思っていたが、そうか。だまされてたんだ1。 「やり方が汚い」。このまま泣き寝入りしたくない。携帯電話を取り出し、ビラに載っている番号を押した。そこには「相談はどんなことでも日本共産党へ(無料)」とあった。 翌日、共産党の名古屋北西地区委員会で、専従職員の石田進さん(36)に相談に乗ってもらった。1人でも誰でも入れる労働組合をつくり、三菱や派遣会社と闘っていくことを決めた。1週間後、石田さんに入党を誘われた。選挙には一度も行ったことがない。ただ、派遣労働を原則自由化する99年の法改正に唯一反対したと聞き、「入れて下さい」と即答した。 「年末より人が減ってませんか」。5日、三菱の前での新年初のビラ配りの合間に佐藤さんが耳打ちすると、石田さんは「派遣の人が相当切られてる感じだね」。それでも1時間で500部のビラがはけた。1年前は20部がやっと。昨秋以降、空気が劇的に変わったという。 昨年12月下旬、佐藤さんらは「名古屋北部青年ユニオン」を立ち上げ、三菱に団体交渉を申し入れた。同じように派遣切りにあった人から連日、「声をあげてくれてうれしい」「私も闘いたい」というメールがユニオンに舞い込む。自身は寮にとどまって職を探している。先行きは明るくない。 こんなゆがんだ社会はいつか根底から変わらざるを得なくなるぞと夢想してきた。しかし、傍観者としてその時を待つより、自ら動いた方がはるかに楽しい。 「社会を変えたい。オバマじゃないけど、『チェンジ』ですよ」 ◇ 世界的な経済危機の影響で雇用情勢が悪化し、「貧困」が深刻化する中、政治に目覚め、共産党に入党する人が増えている。なぜ、共産党なんですか? (高橋純子)2009年1月11日 朝日新聞朝刊 14版 1ページ「解雇・・・そこに共産党」から引用 社会的弱者のために闘う共産党の姿勢を人々が理解し、党勢が拡大することを希望します。
2009年02月06日
イスラエル軍はブッシュ政権退陣間際にパレスチナ自治区を襲撃し、オバマ政権がスタートすると、それまでの無法な暴虐を突然停止して撤退した。イスラエル軍が無法の限りを尽くしている最中の1月10日の朝日新聞には、次のような投書が掲載された; イスラエルが激しい爆撃に続いてパレスチナ自治区ガザに地上侵攻し、国連運営の学校まで攻撃しています。ロケット攻撃を続けるイスラム過激派に対する自衛の行動と称していますが、一般市民多数が犠牲になっており、その言い分を認めることはできません。 私もナチスドイツのジェノサイド(集団殺害)で多くの同胞を失ったユダヤ人に同情し、アンネの日記に涙しました。しかし建国したイスラエルは民主政体とはいえ、パレスチナ占領を解消せず、アメリカに支援された圧倒的な武力で4度の中東戦争を勝ち抜き、1人殺されたら100人殺し返すような強硬体質です。自衛権を主張すれば反対者の抹殺が許されるというのでは、倫理的にジェノサイドとどう区別できるのでしょう。 周辺国を圧迫しつつアメリカの支援だけで国が成り立つ状態は不自然です。両国を除き世界中のほとんどが眉をひそめるような乱暴な行動は、歴史の中でとがめを受けるでしょう。日本は先頭に立って、イスラエルをいさめるようアメリカを説得すべきです。信義ある外交こそ、あえて核兵器を持たない大国日本の使命ではないでしょうか。2009年1月10日 朝日新聞朝刊 13版 16ページ「声-自衛と言えば無法通るのか」から引用 国際貢献と言えば自衛隊派遣しか思いつかない諸君は、こういう投書を読んで、アメリカを説得する仕事も重要な国際貢献であることを知るべきである。 それにしても、パレスチナ問題はまた、いろいろなことを示唆している。例えば、アメリカの全面的なバックアップを得て最新鋭の兵器で武装していても、しかもそれを使ってガザ地区を攻撃してみても、イスラエル国民は平和を手にすることが出来ていないという現実である。つまり、武力で平和は得られないという教訓である。
2009年02月05日
NHKと民放で作る第三者機関「放送倫理・番組向上機構」が、裁判ではNHK勝訴となった「番組改変事件」について、再検討することになったと、1月10日の朝日新聞が報道している; 旧日本軍の慰安婦問題を扱ったNHK教育テレビの番組(01年1月放送)が放送直前に改変された問題で、NHKと民放で作る第三者機関「放送倫理・番組向上機構」(BPO)の放送倫理検証委員会(委員長・川端和治弁護士)は9日、この問題を審議することを決めた。川端委員長は「改変された過程が、NHKの自立性に疑問を持たせるという意味で放送倫理上の問題があった」と述べた。NHKに質問状を送り、意見書をまとめる。 川端委員長は「NHK自身が言っている内容から見て(自立性に)疑問がある」と指摘。今後出すNHKへの質問状の回答にもよるが「(現時点では)全く問題がないという結論にはならないだろう」とも述べた。NHKがこれまでに公表した番組改変の経緯や、改変問題をめぐる訴訟で認定された事実をもとに議論し、新たな証拠調べはしないという。 市民団体「放送を語る会」などが昨年、委員会に検討を申し入れていた。 NHK広報局は「今の段階で特に申し上げることはない。委員会の審議には誠実に対応する」としている。2009年1月10日 朝日新聞朝刊 13版 33ページ「番組改変『NHKの自立性疑問』BPO審議へ」から引用 この事件は一審、二審とも原告勝訴であったが、最高裁では今は退職した横尾和子裁判長が、番組の編集権はNHKにあるのだから被取材者は番組内容に100%期待することはできない、などとお粗末な判決で体制側に迎合し、定年を待たずに退職している。したがって、第三者機関で問題の洗い直しをすることは、大変重要である。
2009年02月04日
個人の政治献金ならまだしも、企業の政治献金はある意味後ろめたい行動であるにもかかわらず、白昼堂々と政治献金の目安を発表した日本経団連を痛烈に批判する投書が、1月22日の朝日新聞に掲載された; 日本経団連は、会員企業が政治献金をする際の目安となる政党評価項目「優先政策事項」(10項目)を発表した(15日朝刊)。政治に対する批判や意見は自由だが、そこに巨額のカネが絡むところに問題がある。国民のための政治という原点から見たとき、どうしても違和感を禁じ得ない。 「政治はカネで左右できる」という倣慢(ごうまん)な姿勢は政党への侮辱ではないか、というのが国民多数の感覚だが、これに抗議したとの報道もないので、当の政治家はそうは考えないようだ。衿持(きょうじ)や倫理などの徳目は、カネの前にはかなく消えてしまうものらしい。 献金自粛の時期もあったが、いつの間にかまたぞろ復活した。かつて金権政治からの決別をめざし、企業の政治献金の見直しに合わせて政党交付金が導入された。以来15年、企業献金はそのまま温存され、利権政治が依然として健在である。 自分の利益だけに固執する財界の姿勢は、議会制民主主義の原理や哲学を否定し、やがては自らの存立の基盤をも危うくするのではないか。2009年1月22日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-政治をカネで左右するのか」から引用 財界が議会制民主主義の原理や哲学を否定すると、やがては自らの存立基盤を危うくするとは、カネの力で自分に都合の良い政治ばかりやっていると、その為に生活が困窮する国民大衆が反撃に立ち上がって、資本金を含むあらゆる生産手段の私有財産化を認めない社会の到来を招くであろうという意味である。調子に乗っている経団連は、自省が必要なのではないだろうか。
2009年02月03日
家族で東京に転勤して4年ほど暮らして帰国した東亜日報記者の千光岩(チョングァンアム)氏は、22日の朝日新聞に寄稿して、滞在中の体験を次のように述べている; 東京での4年近い生活を終え、帰国した。今、思い出すのは、日本で出会った人たち。なかでも忘れられないのは、長男の幼稚園の担任だったキクチ先生だ。 異国での生活を始めるにあたり我が家の一番の心配は、5歳の息子の教育だった。幼稚園では受付の職員から「園は日本人ばかり。外国のお子さんがいましたが、4カ月泣いているだけで、おやめになりました」と言われ、不安に駆られた。 入園の日、キクチ先生が息子にカードをくれた。なんとハングルで「初めまして。よろしくお願いします」と書いてあり、私の心配は吹き飛んだ。「お子さんの不安を和らげようと、韓国語の本を買って勉強しています」という手紙もくれた。「幼稚園の先生がここまでしてくれるとは」と感動した。 一般に韓国人にとって日本は嫌いだが、学ぶことの多い国だといえる。日本に関する記事で韓国の読者の反響を呼んだのは、創業100年を超える、しにせ企業や、高い技術を持つ町工場の連載だった。小規模でも伝統を守り、きちんと仕事をする日本人。そうした職人意識は称賛に値するもので、経済大国の秘密と言える。キクチ先生も単なる好意からではなく、幼稚園教輸としてのプロ意識のかたまりなのかもしれない。 任期中は韓日が領有権を争う独島(日本名、竹島)問題が何度か火を噴き、記事を書いた。韓国や中国の反対にもかかわらず、小泉元首相は靖国神社参拝を強行した。何人もの日本の首相が植民地支配を謝罪しても、それを否定する動きが繰り返される。過去の歴史をありのままに見つめない日本に韓国人はいらだちを覚える。韓国では、たとえ日本が好きであっても、公の場で「好きだ」とは、なかなか言えない。それは、植民地支配の歴史とそれを正当化しようとする日本の態度のためだ。 しかし古代からの両国の交流の歴史をみると、閑係が悪かった時期は、それほど長くない。江戸時代、たびたび日本を訪れた朝鮮通信使は、文化交流使節というべき存在で、平和な友好開係を象徴するものだった。 07年は、約260万人の韓国人が日本を訪れ、両国の人の往来は、年間480万人余りにのぼった。大規模な交流の時代が始まったと言えよう。その中には、私のように人情昧あふれる日本人に出会った韓国人もたくさんいるだろう。 政治家は、短期間に成果を求めがちだ。しかし両国の経済連携協定(EPA)がすぐに結ばれなくても焦ることはない。大切なのは、小さな交流を積み重ね、真心を伝え、お互いが理解すること。それが両国関係をよくするのだ。 「千さんが堂々と日本を好きです、と言えるような国になるよう努力したい」。ある送別会の席で、そう言ってくれた日本人の言葉を信じている。2009年1月22日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「私の視点-小さな交流の積み重ねこそ」から引用 千氏が指摘するように、日韓関係は友好的だった時間のほうが長いので、近代の不幸な一時期の記憶をできるだけ早期に克服して、元の友好関係を復活させたい。そのためには、正しい歴史認識が不可欠であり、日本の首相が謝罪しても、それを自覚の足りない一部国民がくつがえすというような、愚かな状況を改善する必要がある。
2009年02月02日
小樽商科大学教授・荻野富士夫(おぎのふじお)氏は、月刊誌「世界」2月号に寄稿して、作家・小林多喜二虐殺事件のいきさつと歴史的背景を論じているが、その冒頭は次のような記述になっている; 例年、雪深い2月20日、北海道小樽市奥沢の小林家の墓前で、警視庁の特高警察によって虐殺された小林多喜二追悼の墓前祭がおこなわれる。その開始の時刻は、1933年2月20日、東京赤坂で検挙され、築地警察署での取調・拷問が始められたと推測される午後2時である。 多喜二虐殺後の、戦前・戦時下の「共産主義運動」とみなされた事件の多くでは、「横浜事件」のフレーム・アップに代表されるように、「小林多喜二の二の舞を覚悟しろ!」(木村亨『横浜事件の真相』)などと脅された後、拷問による「自白」の強要が繰りかえされた。公式には拷問を否定し、「心臓麻痺による急死」と強弁する一方で、特高警察は自らの手になる多喜二虐殺をその後も有効に活用しつづけた。 多喜二が虐殺されるに至る理由の一つは、小樽で自ら見聞した特高警察による3・15の大弾圧の実態と非道性を、「一九二八年三月十五日」という小説に暴露したからである。主要な登場人物の一人「渡」に対する拷問は、「畳屋の使う太い針を身体に刺す。一刺しされる度に、彼は強烈な電気に触れたように、自分の身体が句読点位にギユンと瞬間縮まる、と思った。彼は吊されている身体をくねらし、くねらし、口をギュツとくいしばり、大声で叫んだ。『殺せ、殺せーえ、殺せーえ!!』」と描かれる。 この暴露は、特高警察の多喜二に対する「怒りとにくしみ」をかき立てた。33年2月初めの出来事として、江口渙は警視庁特高課の中川成夫警部の、「われわれは天皇陛下の警察官だ。共産党は天皇制を否定する。つまりは天皇陛下を否定する。おそれ多くも天皇陛下を否定するやつは逆賊だ。そんな逆賊はつかまえしだいぶち殺してもかまわないことになっているんだ。小林多喜二もつかまったが最後いのちはないものと覚悟していろと、きみから伝えておいてくれ」という、多喜二への伝言を聞いている(『たたかいの作家同盟記』下)。そして、多喜二は約二週間後の2月20日に検挙され、この予告どおり中川らによる陰惨な拷問によって殺された。2009年1月発売 岩波書店「世界」2月号 294ページ「なぜ小林多喜二は虐殺されたのか」から引用 小林多喜二は、警視庁特高課の中川成夫警部とその部下らによって殺害されたが、殺人犯である中川らが起訴されることはなかった。わが国の戦前は、思想・心情の自由とか表現の自由は認められず、その思想によっては殺されても文句は言えないという恐ろしい社会であった。「天皇陛下を否定するやつは逆賊だから、ぶち殺してもかまわない」などという発言は、今の常識からみて明らかに「狂人」としか思えないが、当時の人々は「教育勅語」による教育を受けて、中川のような「狂人」がいても、それを異常だとは感じず、かえって警視庁の警部としてちょうどいいと考えるような社会であった。したがって、戦後になって「教育勅語」が廃止されたのは当然のことであった。
2009年02月01日
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