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ドイツには、ナチス時代の自国軍が何をしたのかを展示した資料館があり、制服姿のドイツ軍兵士が見学していたという、日本ではあり得ない光景を体験した読者が、4日の朝日新聞に投書している; 私は11月9日、独・ベルリンのブランデンブルク門であった「ベルリンの壁」崩壊20周年式典の見学ツアーに参加し、式典開始を待つ群衆の中にいた。その前2日間は、ポツダム会談の舞台となった宮殿などを見学した。ベルリン郊外にあるユダヤ人強制収容所跡の資料館では、兵服の若者たちが真剣な表情で展示物を見つめていた。どちらから来られたのか尋ねると「ドイツ国内」との返事だった。現役の兵士が、ナチスの犯した自国の加害の事実を刻印する場に学んでいることに驚かされた。 ヨーロッパ全体のホロコースト犠牲者を追悼するホロコースト・メモリアルには、中学生ぐらいのフランスの子どもたち数十人が、先生に引率されて訪れていた。ドイツの歴史教育者との懇談では、自国の過去を直視することの大切さを教わった。2009年12月4日 朝日新聞朝刊 13版 18ページ「声-自国の過去を直視する独兵士」 日本にも、遊就館のような過去を賛美するだけの施設ではなく、そこに展示された武器でどのような残虐行為が行われたのか、史実を直視できるような戦争資料館が必要と思います。自衛隊員を含む国民がそういう資料館で自国の加害の事実を学ぶことによって、同じ過ちを繰り返さないためのコンセンサスが作られてゆくことでしょう。
2009年12月31日
あまりの評判の悪さに必要な人数の応募が得られない東京都教育委員会は、地方で不合格になった人材に応募を働きかけることになったというニュースがあったが、それに関連した投書が4日の朝日新聞に掲載された; 都の小学校教員採用で都教委は2010年度に実施する試験から、他県と協定を結び地元で不合格になっても東京で合格できる、という取り組みを行うという。この就職難の時期に、都の教員がなぜ魅力的でないかをしっかりと分析しての都教委の案であったのか。 そもそも教員仲間では、都教委の教師に対する締め付けは目に余るものがあり、都では働きたくないと言われている。また、地方の教員になりたくてなれないから都でしばらく働いて、というのは都の教育を軽視してないか。仮にこの取り組みで新規採用になった教員には「他県の不合格者」などの目に見えないレッテルが張られることは想像でき、それが生徒・保護者の関心事にならないと誰が言えよう。ますます現場がぎくしゃくする。為政者をおもんばかって高圧的な指導をしたり処分をしたりすることをやめ、都民のためという原点に立って教育を考えるべきである。2009年12月4日 朝日新聞朝刊 13版 18ページ「声-教員なぜ不足 都教委は考えよ」から引用 この投書の言うとおりである。都の教育委員は石原慎太郎のおかげで教育委員になれた者ばかりだから、児童生徒のための教育行政ではなく、石原慎太郎のご機嫌を損ねないようにという点にだけ注意を集中しているのであろう。日の丸君が代で起立しない職員を処分するとか、職員会議での議決禁止とか、ろくでもないことばかりやっているから、このていたらくだ。人選を行った石原慎太郎の責任である。
2009年12月30日
ピザの宣伝チラシを配るのはいいが共産党のチラシを配るのは犯罪だ、という馬鹿げた最高裁判決を批判する投書が、4日の朝日新聞に掲載された; 郵便受けが敷地内に設置してあり、それにチラシを投函(とうかん)したことが犯罪になるとは。 マンションに限らず我が家にも宣伝のチラシが毎日のように入る。必要なければ捨てればいいだけの話である。過去に宅配サービスや安売りなどのチラシを投函して有罪となった例はあるまい。となれば、共産党の都議会報告が問題にされたわけだ。共産党が気に入らなかったと読めるような極めて政治的な判決だったと考えられる。 国民の政治不信、政治離れが言われて久しい。自分のことをみても、足元でどんなことが話題になっているとか、税金の使い方はどうなっているとかほとんど知らない。政党や議員の議会だよりなど読まないし、どれだけ配布されているのかも知らない。 考えてみれば、政党が政治のことを住民に知らせる努力を怠り、住民の声に耳を懐けてこなかったことが政治不信を生んできたのだと思う。今回の最高裁判決は、愚民をつくるようなものであって、決して住民の平穏を保証するようなことにはならない。2009年12月4日 朝日新聞朝刊 13版 18ページ「声-政党ビラ排除の政治的判決だ」から引用 新聞報道によると、共産党のチラシ配布にいちゃもんをつけたマンション住人は、ピザや寿司のチラシにも文句を言うという人ではなく、日ごろから共産党にだけ目を付けていた人物らしい。共産党が嫌いならそのチラシをゴミ箱にでも捨てればいいのであって、マンションの他の住人にチラシを届けることまで止めさせる権利は無いはずだ。こういう偏向判決を出したのは、最高裁判所判事・今井功である。次回の裁判官国民審査では、バツを付けなければならない。
2009年12月29日
来年は日本が韓国を併合して100年目に当たることに関連して、奈良女子大学名誉教授・中塚明氏は、13日の「しんぶん赤旗」日曜版で次のように述べている; 来年2010年は、日本が朝鮮半島を植民地にした「韓国併合」から100年です。それってどういうこと? 明治の時代に日本と韓国の間に何があったのか。 「併合」とは・・・。「この歴史を知ることは私たちが明日をどう生きるのかということと結びついている」。こう語る中塚明奈良女子大学名誉教授(日本近代史)に聞きました。 隅田哲記者帝国の長年の狙い 「韓国併合」とは1910年8月22日、日本が朝鮮(韓国)を滅ぼして自国の領土にしたことです。1945年、アジア・太平洋戦争で日本が敗北するまで続きました。 「併合」は100年前突然おこなわれたものではありません。1909年の日本政府の閣議決定にあるように、「帝国百年の長計」=「日本の長年の計画」でした。 はじめは、1875年の江華島事件です。日本は軍艦を派遣し、朝鮮の首都ソウルからわずか50キロの江華島を砲撃、砲台を占領しました。その結果、「日朝修好条規」という不平等条約を朝鮮に押しつけました。日本の治外法権を認めさせるほか、欧米諸国が幕末の日本に押し付けたものよりひどい内容でした。 日清戦争(1894-95年)、日露戦争(1904-05年)を通じて、日本は朝鮮の植民地化への道をいっそう進めました。 日清戦争は朝鮮支配をめぐり日本と中国が争ったとされますが、最初の武力行使は日本軍による朝鮮王宮の占領でした。朝鮮国王を捕虜にして、日本のいいなりになることを無理やり承諾させました。戦争が終わってからも、日本人が王宮に侵入し、朝鮮王妃を殺害する事件(開妃(ミンピ)殺害事件=1895年)まで起こしました。朝鮮駐在の日本公使館や日本軍が深くかかわっていたことが明らかになっています。 日露戦争は朝鮮半島と「満州」(中国東北部)が戦場になりました。日本は、中立宣言をしていた朝鮮を軍事占領しました。戦争が終わると、朝鮮の外交や財政を日本の監督下に置きました。 こうした経過をへて日本は韓国を「併合」したのです。抵抗運動の先駆け しかし韓国は黙って日本の植民地になったのではありません。世界の民族運動の先駆けともいえる抵抗運動をくりひろげました。 社会の改革をめざす東学農民を主力とする抗日闘争が、日本軍の王宮占領に抗議して朝鮮各地で起きました。抵抗運動が周辺国に知られることを恐れた日本軍は皆殺し作戦を展開し、犠牲者だけでも3万人を超えるとみられています。 日本軍の激しい弾圧にもかかわらず、抗日民族闘争はその後も続きました。日露戦争後には、日本軍の記録を見ても、1907年から1911年まで、2852回、のベ14万人以上の自発的に決起した抗日義兵と交戦した、とあります。 「韓国併合」は朝鮮の民族運動を軍事的に抑えつけてやっと実現したといっていいでしょう。 「併合」の翌年、日本は関税自主権を回復し、欧米諸国に押しつけられた不平等条約から完全に解放されました。朝鮮が滅ぼされ日本の植民地になったのと、日本が欧米諸国から「対等の国」と認められたのがほぼ同時だったのです。『坂の上の雲』問題 こうした経過にもかかわらず今もなお、日本政府は「韓国併合は合法」という立場をとり続けています。これは日本政府の歴史認識が問われる大問題です。「韓国併合」を正当化、合理化する議論も根強くあります。 NHKが司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』をドラマ化し、放映を始めました。原作には見過ごせない問題があります。日清・日露戦争を含め「明治時代はすばらしい時代」として描いていることです。朝鮮侵略の事実を書かず、朝鮮の民族運動も無視しています。 他国を踏みにじって安全と平和は保たれなかったことは、日本が「韓国併合」後、アジア諸国に侵略戦争を拡大していった歴史からも明らかです。私たち一人ひとりが歴史の真実を学ぶことが大切ではないでしょうか。2009年12月13日 「しんぶん赤旗」日曜版 29ページ「他国を賄みにじり平和は保たれたか」から引用 司馬遼太郎は歴史学者ではないので、彼の作品が史実を正確に描いていないからといって、彼の責任を追及しなければならないというものではありません。「坂の上の雲」は、実在の人物をモデルにしてはいるが、歴史的背景の描き方という点では重要な史実を見落としているので、全体としてはこれはただの「作り話」に過ぎません。それを、あたかもこの「作り話」が事実であったかのように喧伝して、大金をつぎ込んでスペシャル・ドラマを制作したNHKの歴史認識に問題があると言えます。私たちは、韓国併合100年に当たり、かつてわが国の政府が隣国に何をしたのか、正確な史実を学ぶ必要があると思います。
2009年12月28日
ついに年内決着は見送りとなった普天間飛行場問題について、移設先でもめるのはおかしいぞという投書が、11月28日の朝日新聞に掲載された; 米軍普天間飛行場の移設先を巡って新政権が苦しんでいます。しかし、そもそも普天間問題は「移設」ではなく「全面返還」だったはずです。 95年の米海兵隊員による少女暴行事件で沖縄の怒りが爆発した翌年、普天間全面返還が日米合意されました。当初米側は代替の「ヘリポート」の既存基地内移設を求めただけ。岡田克也外相が推し、いま米側が拒む嘉手納案は一時米側からも出たものです。交渉の紆余曲折(うよきょくせつ)でいつの間にか移設は大規模滑走路を伴う公共事業に変容したようです。そんなことで辺野古の自然が壊されるのは理不尽です。 普天間移設は機能分散が現実的だと私は考えます。一時は一部機能を岩国基地に移し普天間返還を求める案もあったように、岩国や三沢基地のみならず騒音問題が少ない関空などの民間空港利用案もあながち突飛(とっぴ)とは思えません。普天間問題も、例の体育館に米軍を呼びしっかり仕分けできたらと考えてしまいます。2009年11月28日 朝日新聞朝刊 12版 「声-普天間、元は『返還』交渉のはず」から引用 わが国がどうしても米軍への協力が必要なのだと言うのであれば、やはりここは、沖縄にばかり負担をかけないで、関西空港に移設するのが一番いいと思います。米軍がらみの公共事業で一儲けしようと企んだ人たちには不満でしょうが、そっちのほうは「事業仕分け」で無しということで納得してもらうしかないでしょう。
2009年12月27日
先月アメリカのオバマ大統領が来日したとき、日米両首脳が同盟を深化させるという考えで一致したと報道されたが、それに対する異論が、11月27日の朝日新聞の投書欄に掲載された; 14日朝刊で日米両首脳が日米安保50周年に向け、日米同盟深化のための協議を進めると報道された。しかし深化の前にこの50年間を反省する必要があるのではないか。 同盟という考えは、19世紀の勢力均衡政策で生まれた。他国への不信を前提としており、軍拡競争と世界大戦を招いた。この反省から20世紀に集団安全保障の考えが生まれ、国際連盟が発足。我が国も国連中心主義を掲げ紛争の平和的な解決を目指してきた。21世紀の今、日米同盟深化とはいささか時代錯誤だ。 同盟とは対等な国家が主体的に協力すること。しかしアメリカは軍隊を駐留、巨額の基地維持費を負担させ、イラク戦争に巻き込んだ。今こそ、安保条約を再考し、対等健全な関係を模索すべきだ。2009年11月27日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-日米同盟深化より反省が先」から引用 国際紛争を武力で解決するしか能がなかった時代ならいざ知らず、これからの世界は無駄な流血やエネルギーの消耗を避けて、話し合いで解決する方向へ進むのが人類の英知というものです。今でこそ世界のトップを誇るアメリカの軍事力も、アメリカ自身が人類の進む道を見誤った場合は、やがて自ら三等国に落ちこぼれて行くことでしょう。わが国は、この投書が提案するように、時代錯誤の同盟などは店仕舞いして、未来に向けて対等健全な日米関係を模索するべきだと思います。
2009年12月26日
日韓両国の歴史学者が参加する歴史共同研究の事業を、今後も継続するべきであると韓国政府が日本側に意思表示したと、11月27日の朝日新聞が報道している; 【ソウル=牧野愛博】韓国政府は26日までに、日韓の学者が参加する歴史共同研究の継続を求める考えを日本側に非公式に伝えた。韓国政府関係者が明らかにした。歴史共同研究は、07年春からの第2期研究活動が28日にソウルで開く最終全体会合でほぼ終了する。日本側は政権交代の影響から回答を保留している。 日韓両政府は08年4月の首脳会談などで歴史共同研究事業を評価してきた。韓国政府は「歴史認識問題は短期間で解決できる問題ではない」(関係者)として、第2期研究の終了後も事業を続ける必要性があると判断。研究テーマの更新や研究委員の交代などで研究の拡充を強調していきたい考えだ。 来年が日本による韓国併合100周年にあたり、日韓間で歴史認識問題が再び争点になる可能性もある。このため、日本側に来年のなるべく早い時期に新たな研究事業を立ち上げるよう呼びかけていく方針だ。 日本側は、研究継続の可否も含めて回答を保留している。民主党政権が誕生し、自民党政権が始めた共同研究事業をどう見直すのか、結論が出ていないためとみられる。 また、第2期研究では、しばしば日韓の学者間で意見対立が起きたとされ、研究事業の円滑な推進のための改善策が必要との意見も、関係者の間で出ているという。第2期歴史共同研究は、第1期同様に古代、中近世、近現代の3分科会を設けたほか、新たに教科書小グループをつくり、研究を続けてきた。来年早々に報告書を公表する予定だ。2009年11月27日 朝日新聞朝刊 14版 9ページ「日韓歴史研究『継続を』韓国 日韓歴史共同研究の事業は自民党政権下で始まったものではあるが、日韓両国の将来にはプラスになるものであるから、今後も継続するのが良いと思います。日本側研究者の中には、研究の進め方に疑問を唱える人もいるそうですが、共同研究は相互の信頼がベースになるべきであって、多少なりとも疑問があるのであれば、討議を尽くして解決していく努力が望まれます。疑問があるからもう止めたというのでは、未来を明るくすることができません。
2009年12月25日
日本大学教授で国際関係論が専門の小代有希子(こしろゆきこ)氏は、戦前日本の委任統治領だったサイパンについて、11月25日の朝日新聞に寄稿して、次のように述べている; リゾート地として知られるサイパンと日本を結ぶきずなが消えつつある。太平洋戦争の激戦地となった同島は、戦前日本の委任統治領でもあった。当時皇民化教育を受け、日本語を学んだ先住民族のチャモロやキャロリニアンの人々は、今や若くても70歳代半ば。高齢化が進んでいる。 ある神社がジャングルの中にたつ。戦前同島にたてられた神社の多くは朽ち果てたが、ここは今でも日本語を話すチャモロ人G氏に守られ保存状態が良い。チャモロ料理店主Eさんは流暢(りゅうちょう)な日本語で、戦前の女学校時代や戦争中の思い出を語り、童謡「赤い靴」とそのチャモ口語の替え歌を聞かせてくれる。公立マナムコ敬老センターではお年寄りがお手玉や軍歌、教育勅語まで披露してくれる。 「戦前日本はサイパンの開発に尽くしたから、懐かしがってくれている」と考えるのは早計だ。日本統治下、彼らは「三等国民」「土人」として扱われた。当時の日本人の差別意識を指摘する老人もいる。彼らは日米の戦争の巻き添えとなり、苦難と犠牲を強いられた。戦後米国が島の新たな支配者になると、彼らは米国流を取り入れ、英語を学んだ。Eさんは「結局私たちは日米のほざまで翻弄(ほんろう)されてきた」とつぶやく。戦前日本統治に協力した父を持つG氏は、複雑な思いからか、なぜ神社を守るのか語らない。 戦後日本人は植民地の記憶を封印し、海外にまいた日本文化の種を振り返らなかった。一方、サイパンの人々は日本への相反する思いを抱えながらも日本文化を継承してきてくれた。今「日本の国際化」を叫ぶなら、まず彼らに問いかけるべきではないか。「私たちはいかに感謝し、謝罪すべきでしょう」と。 残された時間は少ない。戦前日本の製糖工場が所有していた木造日本家屋の社宅には、父が工場で働いていたというキャロリニアンのCさんが住み、維持に努めてきた。だが彼女は今夏老衰で亡くなった。G氏も、自分の死後、息子が神社を守ってくれるかどうかわからないそうだ。 植民地支配を媒介とした日本の国際化は未熟なものだった。今、真正面からそれを考え直すために、生き証人の言葉を記録し、風化する一方の日本統治時代の建造物を保存する手立てを考える必要がある。祖父母の代から日本人の血を引くチャモロの若者も珍しくない。日本のポップカルチャーに関心が高く、過去にこだわらない彼らに「消えゆく統治時代の日本文化」のことを振り返る機会を提供し、ともに前向きに「過去」を考えることもできる。 観光業の低迷など財政の逼迫(ひっぱく)に苦しむサイパンは、歴史保存に到底手が回らない。日本の官民双方による知恵と資金の提供が強く望まれる。2009年11月25日 朝日新聞朝刊 12版 19ページ「私の視点-『日本の記憶』残す手立てを」から引用 自国の近現代史をあまり詳しく勉強していない日本人には分かりにくいことであるが、サイパンの人たちにも日本は謝罪しなければならない過去があるということである。
2009年12月24日
駐デンマーク大使の近藤誠一(こんどうせいいち)氏は、政権交代を実現した日本の将来について、11月25日の朝日新聞に寄稿して次のように述べている; 今回の政権交代をどう評価するかは国民次第だが、いま最も問われていることは、国のあり方を国民が自分の問題としてとらえ、国づくりに能動的にかかわっていく姿勢ではないか。日本は戦後、欧米をモデルとして経済発展を遂げた。しかし、それを主導したのは政府であり、国民はひたすら勤勉に働くことで支えてきた。いま、日本社会は高齢化対策など福祉の充実と低炭素社会への移行という課題に直面しているが、国民がこうした受け身の姿勢に慣れたあまり、難問にダイナミックに取り組む力が社会に十分現れていないように見える。 私が勤務するデンマークは徹底した民主主義と自由経済のもとで、高福祉・高負担のモデルをつくり上げた。 デンマークでは、企業が比較的自由に労働者を雇用・解雇できるが、失業者には国が手厚い手当を支給しつつ再教育・再訓練を行う。そのため失業者は平均6カ月という短期間で新しい職に就くことができる。一方で企業は、出産や育児のために休暇をとる従業員を解雇できず、職場復帰時の条件を保障しなければならない。「フレクシキュリティー」と呼ばれる、この柔軟なシステムが、無料の子育てや教育、介護などを労働市場の側面から下支えしている。 また、デンマークは石油危機の直後から、風力発電の導入など脱石油への取り組みを始めた。いま、発電量全体に占める再生可能エネルギーの割合は27%に達している。さらに遠くない将来にはバイオマスなどの導入によって、化石燃料への依存をゼロにする計画を立て、気候変動対策で世界のリーダーになった。 ここで学ぶべきはこうしたデンマークのモデルそのものではない。国民が自らそれをつくったということである。 独特な労働市場システムは労働者、企業、政府の3者が話し合ってつくった。再生可能エネルギーの導入には電力インフラの地域分散が必要だが、これも地域の住民主導で行われた。自分たちが納得してつくったモデルだから、誇りをもち、維持するために協力する。有権者の80%以上が選挙で投票し、高い税金もいとわないのはそのためだ。 このメカニズムが実際にうまく機能していることは、生活レベルや経済競争力の高さに表れている。幸福度の調査でデンマークがしばしば1位になるのは、自分たちでつくったシステムがうまく機能しているという自信と、その下で安心して毎日を暮らせるという実感があるからである。 欧米モデルそのものをまねることはもはや適切でなく、中国などの新興国もモデルを提供してくれるわけではない。政権が代わった節目の今こそ、日本の姿は国民が自らつくるという能動性をもつ良い機会ではないか。2009年11月25日 朝日新聞朝刊 12版 19ページ「私の視点-国民自ら国づくりの主役に」から引用 この論文はなかなか鋭い洞察をしている。なぜか日本人はお上に与えられたものを守るという発想から抜け出しきれないでいるのではないか。日の丸も君が代も、いつまでもお上に決めてもらったものでやっていくのではなく、これからの民主主義は自分たちで運営していくのだという自覚の下に、新しい国旗と国歌を制定するのは意義深いことと思われる。 デンマークでは育児休暇に入った者を解雇してはならないとか、復職するときは元の条件を保障するとか、企業に厳しい条件を課しているという点も大変興味深い。派遣労働は全面禁止にするべきだ、などと言うと、企業にそのような厳しい条件を課すと海外に逃げ出して国内の失業率が上がるなどと詭弁を弄する者もいるが、デンマークの例がそのような珍説を否定している。
2009年12月23日
天皇が即位して20年たったことを機会に新しい国旗・国歌を待望する投書が、11月26日の朝日新聞に掲載された; 平成も20年を過ぎた今、新たな国旗・国歌を制定してはいかがでしょう。 毎年、卒業式・入学式のシーズンが来る度に悲しく思うのは、心からの祝福をもって国旗を掲げ国歌を歌うことができないことです。 私は非常に素朴な気持ちで「日の丸」を美しいと思い、「君が代」を愛して歌う人々の中で育ちました。一方で、「日の丸」「君が代」の強制に反対する人たちの主張も理解できます。第2次世界大戦当時、この旗を掲げる人々にどんなむごい仕打ちを受けたか語り尽くせぬ人々の思いは、私たちの憩像を超えるのでしょう。 それならば、平和日本を象徴する国旗・国歌を制定してはいかがでしょうか。歌いたくない人に強制的に歌わせ、見たくない人に掲揚を強制して、何の愛国心でしょう。誰もが母国を愛する心を込めてその歌を歌い、その旗を振る。そんな日を迎えたいと思うのです。2009年11月26日 朝日新聞朝刊 13版 20ページ「声-新たな国旗・国歌制定しては」から引用 日の丸や君が代から忌まわしい記憶が蘇えるという世代は時と伴に数が減っていきますが、卒業式・入学式はお祝いの儀式ですから、それを歌や旗で心を曇らせるようなことのないように、新しい国旗・国歌を考える必要がある、これは正論だと思います。日の丸と君が代は、一部に強制したがる者がいるという点に問題があります。本来、国旗や国歌は国民が自分の国を誇りに思う気持ちが表れていて然るべきと思います。フランスの国歌やアメリカの国歌がそうであるように。日の丸や君が代は、天皇制政府が国民に押し付けたものであり、侵略戦争のシンボルとなった一時期もあったわけで、民主主義と平和の精神にはそぐわない面があることは否定できません。新しい国旗・国歌が待望される所以です。
2009年12月22日
新政権が事業仕分けで無駄な予算をカットする作業の真っ最中に、研究費がカットされたノーベル賞受賞の学者が仕分け批判声明を発表するという一幕があったが、いかにノーベル賞学者とは言え、あの声明はおかしいぞと私は思った。その私の疑問を代弁してくれる投書が、12月11日の「週刊金曜日」に掲載された; 連日メディアを賑わした事業仕分けが終わったが、国家予算を透明化したことは有意義だった。さて、スーパーコンピューター開発の事実上の凍結に象徴される科学技術分野の減縮問題を考えてみよう。 11月24日、東大、京大をはじめ北大、東北大、名大、阪大、九大などの旧帝大と早大、慶大の九大学の総長、塾長が一堂に会して仕分け批判の声明を発表した。続いて11月25日、ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈氏、利根川遊民、野依良治氏、小林誠氏とフィールズ賞受賞の森重文氏5人と発起人の石井紫郎(法制史)東大名誉教授が仕分け批判の緊急声明を発表した。いずれも、危機を訴えるのみで中身はなかった。 そんな中(11月27日)、浜田剛長崎大学助教が3800万円で演算速度日本一のスーパーコンピューターを製作したとのニュースが飛び込んできた。上記の人たち、さあ、どうする! 上記旧帝大は国の補助金の大半を使ってきたし、早大と慶大も私学では補助金額の最上位を争ういわゆる「名門校」であり、まず、これまでの国の補助金をどう使ってきたかの説明責任があろう。野依氏は、25日午前中に自民党の文部科学部会に出席してから緊急声明にのぞんでいる。氏はまた、理化学研究所理事長でありながら、7年間にわたって3200万円の海外収入の記載漏れを指摘された納税意識の低い人でもある。 上記の人たちは、本来社会的に信頼される立場にいながら、旧政権との関係も深く、既得権を享受してきたが、政権交代によって失うものの大きさにおののいているのではなかろうか。また、旧政権側も、このような「名士」を表にたてて新政権を揺さぶろうとの魂胆であろう。それに乗ったノーベル賞受賞者たちも愚か者と思う。2009年12月11日 「週刊金曜日」779号 60ページ「投書-愚かなノーベル賞受賞者たち」から引用 仕分け作業を担当した議員が「世界一でなければならない理由は何ですか? 二位ではダメなんですか?」と質問していたが、もっともな疑問である。研究開発費などというものは、最低限の生活ができて余裕があるときに出せるものであり、予算の3分の1が借金、というのは異常事態であり、とても研究だの開発だのと言ってる場合ではない。借金してでも世界一のスーパーコンピューターを目指すべき、などと言ってるようでは、国民を餓えさせえておいて核兵器の開発に血道をあげる、どこぞの国の指導者を批判できまい。
2009年12月21日
今月は、南京大虐殺をテーマにした映画で日本未公開だったものを、ボランティア・グループの尽力で初めて公開されるという出来事があった。公開直前の東京新聞は次のように報道している; 旧日本軍による南京大虐殺(1937年)をテーマにした日本未公開の映画を集めた「南京・史実を守る映画祭」が13日、東京都の世田谷区民会館ホールで開かれる。20~30代の十数人が「配給会社が公開しないのなら、自分たちで上映したい」と企画した。 上映作品は、当時の映像や生存者のインタビューで構成される「南京」(米国、2007年)や「アイリス・チャン」(カナダ、07年)、「チルドレン・オブ・ホアンシー 遥(はる)かなる希望の道」(オーストラリア・中国・ドイツ、08年)の国内で配給されていない3作品と、今年公開された元日本兵らの証言をまとめた「南京・引き裂かれた記憶」(日本)。 実行委員の荒川美智代さん(35)は「事件を否定する人たちも出てきて、事件を語ること自体がタブーになりつつある」と危機感を感じている。来日した高齢の被害者が「うそつき女」と暴言を浴びる光景も目にした。「怒りで涙が止まらなかった」と悔しがる。 1998年には同じように南京大虐殺を扱った映画を横浜市の映画館で上映中、スクリーンが切り裂かれる事件も起きたが、荒川さんは「多くの人に史実を知ってほしい。暴力には屈しない」と話している。映画祭は午前10時から、入場1作品につき999円。2009年12月12日 東京新聞朝刊 12版 27ページ「南京大虐殺 史実知って-日本未公開の3作品など上映」から引用 南京大虐殺について、一般の日本人が知ったのは東京裁判において、であった。それまでは、日本軍や日本政府はもちろんのこと、新聞も一切報道しなかったので、無理も無いことであった。例外として、作家の石川達三は小説に書いて発表したことがあったが、直ちに発禁処分となっている。 東京裁判で事件が明らかになって、責任者は処刑され、中国人民間人や捕虜を殺害した日本兵の一部はB・C級戦犯として処刑された者もいるが、大部分の兵士は訴追されることも無く日本に帰還し、戦後は何食わぬ顔をして一般市民として生活し、未だ存命の者もいるはずである。 このようにして戦争中、国際法を犯して中国の民間人を殺害した日本人が、戦後口を閉じて何も発言しないのをいいことに、右よりの者が「南京大虐殺なんてウソだ」と言い出すということが、何回も繰り返されている。私が知っている範囲では、70年代に評論家の鈴木明という者が月刊誌「諸君」に書いたことがあった。最近では亜細亜大学教授の東中野修道である。これらの「南京大虐殺はウソだ」と主張する連中の「ウソのつき方」には決まった論法があり、歴史学者の分析によると13のパターンに分類できるそうである。詳しくは、南京事件調査研究会編著「南京大虐殺否定論13のウソ」(柏書房刊)を参照されたい。 しかしながら、最近は歴史学研究も進み、そのようなウソがもはや通用しない時代になりつつある。特に、若い世代に史実を直視しようという機運が高まりつつあることは大変頼もしい。
2009年12月20日
先月訪米して「普天間飛行場の移設先は辺野古しかない」などと勝手な発言をした松沢神奈川県知事に対して、沖縄県の読者から怒りの投書が、11月19日の朝日新聞に掲載された; 在日米軍基地を抱える14都道県の知事でつくる「渉外知事会」会長として訪米した松沢成文神奈川県知事が「米軍普天間飛行場の移設先は、名護市辺野古しかない」と発言したそうです(6日夕刊)。 沖縄では先の総選挙で、県内移設に反対する候補者が全議席を占めました。その沖縄の民意を平気で踏みにじるような発言を米国まで行ってしたのです。同じ米軍基地の被害に苦しむ県民の姿を見ている知事の言葉とは信じがたく、沖縄人の一人として強い怒りを感じます。 日本の国土面積の0・6%しかない沖縄に米軍専用施設の約74%が集中しています。その沖縄に米軍基地を移設することは県民の基地負担を軽減するどころか、更なる苦しみを半永久的に強いることになります。 松沢知事の発言は、基地被害を沖縄県内だけにとどめようとしたものだといわざるをえません。しかし考え合わせれば、北沢俊美防衛相、岡田克也外相そして今回の松沢知事の一連の発言は、日本人の本音そのものなのではないでしょうか。米軍基地が日米関係において不可欠の存在なら、沖縄だけにその犠牲を強制するのでなく、日本人全体に自らも痛み分けをする覚悟があって欲しいと思います。2009年11月19日 朝日新聞朝刊 12版 18ページ「声-松沢発言にみた日本人の本音」から引用 いくら前政権が約束したこととは言え、現政権がどうするのか検討している最中に一県知事が、国内でならまだしも、わざわざアメリカまで出かけて行ってよけいなことを言ったのは軽率のそしりを免れない。投書が訴えるように、米軍基地が不可欠であるという判断があるのなら、この際普天間飛行場を、関西空港の空いている滑走路を提供することも検討するべきである。そのような声があることについて、大阪府の橋下知事は「もし国からそのような打診があれば、検討する」旨の発言をしており、なかなか頼もしい。
2009年12月19日
民主党の小沢幹事長が永住外国人の参政権について、早期に法制化する考えであると11月17日の朝日新聞が報道している; 民主党の小沢一郎幹事長は16日の記者会見で、永住外国人に地方参政権を付与する法案について「政府の姿勢を鮮明にする意味から政府提案が望ましい」と述べた。山岡賢次国会対策委員長が早期解決に向け今国会に議貞立法として提出する意向を6日に示していたが、11日の政府・民主党首脳会議で小沢氏への対応一任が決まっている。小沢氏は会見で提出時期については言及を避けた。2009年11月17日 朝日新聞朝刊 14版 4ページ「外国人参政権法案『政府提案望ましい』」から引用 永住外国人に参政権を認めないというのは異常な事態です。これを改善するべきであるとする小沢氏の意見に私は賛成です。もし、これに異議ありと言うのであれば、それは民主主義に異議ありということになるわけです。
2009年12月18日
民主党の小沢幹事長は、今まで自民党支持だった仏教界を民主党支持にしたいという熱意から、不用意にキリスト教批判などとしてしまって、キリスト教関係の人たちから批判されるという一幕があったが、それに対して、小沢氏本人は自らの宗教観・文明観を、次のように説明したと11月17日の朝日新聞が報道している; 民主党の小沢一郎幹事長=写真=が16日の記者会見で、仏教観と文明観を改めて披露した。 10日に和歌山県の高野山金剛峯寺を訪れた際に、キリスト教を「排他的」「独善的」と指摘。これに対し、「日本キリスト教連合会」が「キリスト教に対する一面的理解に基づく、それこそ『排他的』で『独善的』な発言」と抗議文を送っている。 これを受けて小沢氏は16日、「(仏教の世界観では)生きながら仏にもなれるし、死ねば皆、仏様。ほかの宗教で、みんな神様になれるところがあるか。根本的な宗教哲学と人生観の違いを述べた」と説明。さらに、エベレストに挑んだ登山家の「そこに山があるから」という発言を引用し「西洋文明は自然も人間のために存在する考え方。(エベレストの)地元では霊峰としてあがめられて、征服しようという考え方はアジア人にはほとんどない」と語り、西洋思想は人間中心だが、東洋思想は人間が自然の一部だと強調。最後は「僕も君も、死にゃ仏になれるんだ、だから」と締めくくった。2009年11月17日 朝日新聞朝刊 14版 4ページ「小沢氏、宗教・文明観を改めて披露」から引用」 人は死んだらみな仏様になるという考え方は、わが国に古来からある伝統的な考え方であると言えます。ところが、数年前に、当時の首相だった小泉純一郎氏が周辺諸国の抗議を無視して靖国神社参拝を強行して、その理由を新聞記者に問われて「日本では古来から、人は死んだら誰でも神様になると言われており、それがわが国の伝統だ」と発言したことがありました。これは、当人の教養の無さを暴露した一幕であったのですが、その点を何故、会見中の記者諸君は追及しなかったのか、わが国ジャーナリズムの未熟さをつくづく感じたのでありました。
2009年12月17日
東京都教育委員会がやっている日の丸・君が代の児童生徒や教職員への強制が、如何に間違った行為であるか、4日の「週刊金曜日」の投書は次のように述べている; 10月、「全国豊かな海づくり中央大会」の開会式が放映されました。「君が代斉唱」、司会者は起立を求めましたが「差障りのある方はそのままでお願いします」と一言加えました。 常識的な対応です。起立・斉唱を強要し、従わぬ者を処分する東京都がいかに、民主的礼儀に反しているかがわかります。 立場・状況に応じて、処遇するのが円熟した、豊かな社会です。「女が家事をするのが普通だ」「起床は六時、これがまともな家庭だ」などと自分のあり方を常識と決め付け、他を排除するのは想像力が「貧しく」包容力に「乏しい」のです。つまり「人間」が貧乏なのです。 靖国神社をなくすべきと考えますが、戦場に倒れた将兵を慰霊する気持ちを理解します。伯父が眠っていますので、参拝もしました。しかし、戦争遂行の精神的根拠を与えた歴史的経緯から、靖国の存続に、そして、「日の丸・君が代」にも反対です。 横浜市では、ある歴史教科書だけを使わせるためのルール変更が行なわれました。多様性の混在を許せない偏狭さは、バイ菌をすべて殺さなければ清潔とは認めない潔癖症に似ています。都の「君が代」への対応も同じです。こうではなく、私たちはお互いを目的とし、尊敬し合う社会を求めています。 2004年の園遊会で、東京都教育委員の米長邦雄(よねながくにお)さんが、すべての学校に国旗国歌を尊重させたい、と話すと天皇は「やはり強制になるということでないことが望ましいですね」と述べられました。しかし、その後も強制は続いています。 彼は天皇を尊敬しているのではなく、利用しているように見えます。2009年12月4日 「週刊金曜日」778号 「投書-差障りある方はそのままで」から引用 多様な価値観の存在を認めるのが民主主義ですから、日の丸君が代を命より大事だなどと考える人たちを、私は否定をするつもりはありませんが、自分がこう思っているのだからオマエも同意しろという「強制」には異議を唱える必要があると思います。
2009年12月16日
小泉首相が訪朝して拉致問題が公になったとき、ひときわ強硬論をぶち上げて人気を博し総理大臣にまでなった安倍晋三は、しかし、総理にはなったものの、拉致問題は何も進展しなかった。その辺のところを、太田昌国と蓮池透の対談では次のように語られている;太田 蓮池さんの近くには、ずいぶん政治家たちが寄ってきたでしょう。やはり、安倍氏や中川氏あたりが筆頭ですかね。蓮池 そうですね。安倍さんは「俺は昔から拉致問題には取り組んでいたんだ」と言っていましたし、家族にもっとも信頼されている政治家でした。ですから、総理になった時は相当期待していました。一年で投げ出してしまいましたが。太田 蓮池さんは、それでも「世話になった」という気持ちをお持ちでしょうから、私が言います。拉致問題に一見熱心な取り組みを見せた政治家が、安倍晋三氏や中川昭一氏であったことは、不幸なことだった。拉致問題とは、すぐれて歴史的かつ政治的な課題です。冷静な歴史観、透徹した政治哲学が必要です。情緒と感情にまかせた発言しかできない政治家に耐えうる任ではない。安倍氏は、拉致問題なくして首相になれる人ではなかった。小泉氏の後任の総裁選挙が話題になると、NHKは率先して、安倍氏の上に「国民的人気の高い」という枕詞を置くようになった。選挙のことしか頭にない自民党員は、その気になって、安倍氏を総裁に選出しました。対北朝鮮強硬派の登場で、家族会の期待も大きかったでしょう。でも、一年足らずの首相在任期間中、対北朝鮮外交は1ミリも動かなかった。この間題が社会の前面に出てきた時期に、官房副長官や首相を務めた人なのだから、安倍氏には具体的な成果が問われて当然でした。なぜ、何事もなしえなかったのか。日本の国内では「人気が高い」らしいが、世界に通用する歴史観も政治哲学も欠いた人物だから、です。 2000年に開かれた「国際女性戦犯法廷」の内容を報じたNHKテレビのETV特集のために作られた番組の改窺(かいざん)問題で、放映直前のNHKに圧力をかけたと言われているのが、安倍・中川両氏であったことは、意味深長です。これを報道したのは2005年1月12日付けの朝日新聞でした。中川氏の主張によれば、彼がNHK関係者に会ったのは事後であったということですが。この報道に反駁するためにテレビ出演した安倍氏は、事実に反することをまことしやかに言ったり、「法廷」とこの番組報道に関わったNHKと朝日新聞内部のスタッフを相関図めいたパネルで説明したり、論理以前の水準で居直るだけでした。ほとんどのキャスクーは勉強不足だから、「法廷」のことも知らず、安倍氏の詭弁を見抜けないから、黙って聞くだけだったのです。筑紫哲也氏を除いては。 彼はまた、自滅的な辞任劇の直前には、頼りとしている米国の政府、議会、メディアから、その二枚舌ぶりを批判されました。自国民が拉致された事件には熱心だが、日本帝国が行なった強制連行や従軍慰安婦問題に関する正確な事実認識と責任意識を欠いているのは二重基準だと言われたのです。問題の当事者(この場合は、旧慰安婦の方たち)に批判されても答えぬ(かつ、堪えぬ)人物なのに、米国支配層に批判されると、ひとたまりもないのですね。彼は自分のダブル・スタンダードを、頼みにしている米国から批判されたことで、神経がもたなくなったのだと思います。蓮池透+太田昌国著「拉致対論」太田出版刊 106ページ「安倍晋三と中川昭一の罪」から引用 安倍晋三や故・中川昭一のうわべの強硬論では何も解決しないことが、よくわかると思います。
2009年12月15日
アメリカ政府のイスラム政策を研究するためにアメリカに滞在している東京大学準教授の池内恵(いけうちさとし)氏は、アメリカ人が日本をどう見ているか、11月30日の読売新聞に寄稿して次のように述べている; 米国ワシントンDCのウッドロー・ウィルソン・センターに客員研究員として滞在している。オバマ政権の対イスラーム世界政策を研究し、米国の中東研究の最先端に触れると共に、中東やイスラーム世界をめぐる国際問題のような、グローバルな共通の課題に対して、日本が米国と共に有意義に関与していく道を探るのが、究極のテーマである。 ワシントンで感じるのは、日米の政治的なコミュニケーションの経路が、「ジャパン・ハンド」と呼ばれる、米国の少数の日米関係専門家に過度に偏っている点である。オバマ大統領の訪日に先立っても見られた、日本に対しては「ワシントンの忍耐も限界」と脅し、米国の政権には「自分が日本政府を動かしてみせる」と触れ込む議論は、日本の世論の底に不快感を蓄積させてきた。(*引用者注-まったくその通りだっ!)英語情報に依拠 少数の「ジャパン・ハンド」が過度に発言力を持つ原因は、米側で日米関係への関心が薄く、日本語メディアから日本の世論や政策決定と実施の過程を読みこなせる人材が米側に多く育っていないことだろう。米国では、英語での限られた情報に依拠して、気の利いたコンセプトを立てて議論することが、専門家の対外政策論として通用する。 日本はエリートが主導する社会ではなく、分厚い中間層の世論が政治を根底で規定する。政策を「決定」するのは政治家や官僚だが、それを「実施」する過程は世論の支持なしには進まない。エリートの政策論争と政争が、世論の潮流と合流し、調和やコンセンサスの地点を探りながら進展する日本政治の進路を読みとれない対日政策論者は、あたかも日本の意思決定過程が非合理的で、実施する機構が崩壊した掛艦国家であるかのような議論に流れやすい。「敵国」の後遺症 米国では非西洋の諸地域を対象とする政治研究は、多くがその地域の出身者か、移民の子孫によって担われている。この趨勢(すうせい)と異なるのが日本政治研究で、日本出身者や日系米国人は中心ではない。 背景には、第二次世界大戦で敵国であったことが今でも響いている。移民国家としての米国の歴史は、新たに移民したエスニック集団が権利を主張し、権力を得ていく「エンパワーメント」の連続だった。しかし戦時中に財産の没収や強制収容の苦難を嘗(な)めた日系米国人は、戦中・戦後に、米国社会に最大限の忠誠を表そうとし、日系人としての主張を控え、日本と距離を置いたため、エスニックな集団としての政治的エンパワーメントを求める機会を逸した。 不幸な過去だけではなく、戦後日本の経済成長により米国への移民の波が止まったことも、日系人の政治的影響力を弱めている。日本からの留学生も減り続け、留学しても永住せず、日本に帰って就職するのが通常である。少なくとも日本研究に関する限り、日本の大学の方が水準は高い。これは、優秀な学生が米国で自国を研究し、就職と永住を目指す、多くの非西洋諸国の趨勢と対照的である。脅威ないために しかしこれは国民国家としては本来の姿である。もし日本の生活環境が快適でなく、治安が崩壊し、教育制度が脆弱(ぜいじゃく)で、就職先がなければ、日本から米国に優秀な学生が押し寄せ、日本語能力や日本研究を足掛かりに米国社会での永住と階層上昇を目指すだろう。対日政策を動かして故国に影響力を及ぼそうとするかもしれない。 同様に、米国の対外政策で日本が軽視されるのも、日本が脅威とならない国だからである。もし日本で核武装論が高まり、紛争やテロリズムが続発すれば、対日政策は米国の主要課題となり、日本の言語や社会や政治を徹底的に理解しようとするだろう。もちろんこれは日米関係の望ましい姿ではない。2009年11月30日 読売新聞朝刊 12版 15ページ「対日政策 軽視の深層」から引用 アメリカが日本をどう見ているのか、大変参考になります。特に当ブログ常連のみなさまにとって、貴重な判断材料を提供しているのではないかと思います。
2009年12月14日
先月は天皇即位20年の式典が催されたが、式典に先立って記者会見した天皇は、次のような所感を話している; 天皇陛下即位20年を祝う政府主催の記念式典が12日、天皇、皇后両陛下を迎えて開かれる。これに先立ち、両陛下は記者会見に臨んだ。天皇陛下は戦争に至った歴史が風化することへの懸念を示し、平和への思いを強調した。=23~25面に特集、33面に会見要旨 陛下は、即位以来の歴史を振り返ってまず頭に浮かぶこととして「平成元年、1989年のベルリンの壁崩壊に始まる世界の動き」を挙げた。冷戦終結による世界平和を期待したが、その後は「残念ながら平和を推進する方向には進んでいきませんでした」として、米国の同時多発テロやイラク戦争などに触れた。 北朝鮮による拉致問題についても触れ、「家族の苦しみはいかばかりであったかと思います」と語った。 国内では、まず思い起こされるのは阪神大震災だとして「誠に痛ましい状況でした」と振り返った。そして、「今日、日本では高齢化が進み、厳しい経済情勢と相まって、人々の暮らしが深く案じられます」と述べた。 日本の将来への心配を問われ、陛下は「私がむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです」と切り出して、第2次世界大戦に至る昭和前半の道のりを回顧。「昭和の六十有余年は様々な教訓を与えてくれます。過去の歴史的事実を十分に知って、未来に備えることが大切と思います」と締めくくった。皇后さまは「陛下とともにこの国の人々の資質を信じ、これからも人々とともに歩んでいきたいと思います」などと述べた。2009年11月12日 朝日新聞朝刊 14版 1ページ「心配なのは、歴史が忘れられていくこと」から引用 私もまったく同感です。自民党政権下では、直接戦争責任を問われる立場の者やその子弟が多くいたせいで、戦前の日本が何をやったのか、詳細を国民に教えようとせず、従軍慰安婦問題を教科書に記述することに圧力を加えて、歴史を隠蔽しようとしたりしており、このような状態では本当の歴史が忘れられてしまうのではないかと心配になるのも無理はありません。新政権では、このような状況を改善し、児童生徒と学生に、真実の歴史を学ぶ環境を整備していただきたいものでございます。
2009年12月13日
日本の新政権の活動を、アメリカの帝国主義者はどのように見ているか。11月8日の朝日新聞コラムは次のように伝えている; 「鳩山政権は、昔の日本に逆戻りしたいんだろう」 日本に住んだこともあるワシントンの研究者の最近の発言だ。官僚が牛耳ってきた政策の意思決定を「政治主導」に変えることを看板にしている、とは説明したが、どうもピンとこないらしい。郵政民営化を見直す方針を打ち出したことを「後退」と受け止めていた。 米有力シンクタンク、ピーターソン国際経済研究所のハーグステン所長も「市場志向の戦略が必要だ。新政権が違う方向に向かっているかもしれないと懸念している」と明言する。人口減に直面する日本が、それを補う生産性向上にむけた改革を行わず、どう国力や経済成長を維持できるのか分からないという疑問が米国側にはあるようだ。 日本はもう「失われた10年(ロスト・ディケード)」ではなく、「20年(ディケーズ)だ」との話も飛び交う。米経済界の関心は日本を離れ、むしろ、経済危機後の世界で成長を牽引(けんいん)する中国に向かっている。 11月初めのワシントンでの日米財界人会合には、日本側は主要企業のトップがずらりと並んだが、米側は大半が日本担当の役員クラス。中国関連の同種の会合での米国の力の入れようとは差が歴然だ。「それが今の日本の実力なんでしょうね」。日本企業関係者のつぶやきが印象に残った。 (ワシントン=尾形聡彦)2009年11月8日 朝日新聞朝刊 14版 5ページ「気流-鳩山新政権『改革が後退』米の懸念」から引用 アメリカ帝国主義にとって、郵政民営化は、日本国民が営々として蓄えた財産を自分のものにするまたと無いチャンスだったのだから、これを見直すと言い出した新政権には不満であるに違いない。しかし、見直しを公言した新政権の方針は正しい。郵政事業は、他の商業活動とは違って、過疎地に住む国民への行政サービスという性格を持ち合わせているので、少々コストが嵩んでも実施しなければならないわけで、市場経済にはなじまないものである。そういう面を無視して市場開放すれば、我々の社会は荒廃してしまうのであって、それを防ぐのは当然政治の仕事である。大企業だけが繁栄を謳歌する野蛮な自由主義経済にブレーキをかけて、地方の中小零細企業もそれなりに生きてゆける社会を創る、これが新政権の使命である。
2009年12月12日
中米のエクアドルからアメリカ軍基地が撤退したと、ジャーナリストの布施祐仁(ふせゆうじん)氏が「週刊金曜日」に報告している; スペイン語で「赤道」を意味するエクアドル。マンタは、この国の西部、太平洋に面した港町だ。海岸沿いに広大なエクアドル空軍の基地が広がっている。米軍はそこを10年前より、FOL(前進作戦拠点)として使用してきた。 同国のコレア大統領が、今年11月に期限切れを迎える基地貸与協定を延長しないことを通告したため、米軍は7月17日を最後に同基地からの作戦飛行を停止していた。そして9月18日、最後の駐留部隊が撤退し、これまで米軍が使用していた区域や施設はすべてエクアドルに返還された。「米軍撤退は主権と平和の勝利。二度とエクアドル領内に外国軍基地は置かせないし、主権の旗を売り渡すこともない」 この日基地内で開かれた式典で、ファルコニ外相は、こう力強く宣言した。一方、ボンセ国防相は「(コレア政権の)選挙公約と憲法を守れてよかった」と胸をなでおろした。 この日は首都キトでも、市民団体「エクアドル反基地連合」が祝賀コンサートを開催。会場となった円形劇場には200人以上の市民が集まり、ラテンらしく陽気に、歌とサルサで米軍撤退を祝い合った。日本をはじめ、世界各地の反基地運動から寄せられた祝賀メッセージが読み上げられると、参加者から大きな拍手が送られた。 スライドを映しながら、これまでのたたかいをふり返った同連合のコーディネーター、ヘルガ・セラノさんはこう強調した。「これはエクアドル国民のみならず、外国軍事基地の撤去のためにたたかってきた南米大陸と世界中のネットワークの勝利です」コロンビア介入の拠点に 米国は1999年、「麻薬の密輸取締」を口実として、当時のマフアド大統領に10年間の基地貸与協定にサインさせることに成功する。以後、マンタ基地には、AWACS空中警戒管制機やP3C哨戒機などが配備され、最も多いときで約400人の米兵が駐留した。 9月18日の式典に出席した米国のユース大使は、10年間で中南米にある他のFOLとも連携して計1700トン、価格にして351億ドルの麻薬を押収したことを報告し、「エクアドル当局との協力の下で良い仕事ができた」と語った。 しかし、エクアドル麻薬取締局のパレデス長官の見方は違う。「わが国はこの10年間、米軍のマンタでの作戦から何も利益を得なかった。そもそも、この基地の真のねらいは、隣国コロンビアの内戦にわが国を巻き込むという地政学的な戦略と関係があった」 マンタ基地の貸与協定が結ばれたのと同じ年、コロンビアの親米政権は反政府武装勢力コロンビア革命軍(FARC)の掃討作戦「プラン・コロンビア」をスタートさせる。その後、2001年に米国が世界中で「テロとの戦い」を始めると、「プラン・コロンビア」もその一環として位置づけられるようになる。 FARCに対する掃討作戦が強化されると、戦闘地域はエクアドルとの国境地帯にまで拡大。米軍の支援を受けたコロンビア国軍は、「麻薬撲滅」を口実に空から除草剤を大量散布し、エクアドル側住民の健康や農業にも深刻な被害を与えた。 マンタ基地周辺では、性産業が拡大し、地位協定によって免責特権を与えられた米兵による犯罪が増加するなど、女性や若者への被害が広がった。また、マンタ港にたびたびやってくる米海軍の艦船によって、漁船や移民を乗せた船がエクアドル領海内で攻撃、拿捕(だほ)される事件も相次ぎ、国民の米軍への不信感は徐々に増大していった。憲法で外国軍基地を禁止 こうしたなか、06年に地元で米軍基地に反対するグループと全国的な人権団体や農民、先住民、青年、学生組織などが集まり、「エクアドル反基地連合」が結成される。そして、同年11月の大統領選で、基地貸与協定の更新拒否を公約に掲げるコレア氏が当選すると、基地撤去への期待はいっきに高まった。 翌07年3月には、新政権の支援も受けて、国際的な反基地運動のネットワークによる「第一回外国軍事基地撤去国際大会」がキトとマンタで開催される。選挙で新憲法制定を公約に掲げたコレア大統領は、同年四月に制憲議会の招集について国民投票を実施し、国民の承認を得る。「エクアドル反基地連合」は、新憲法草案の起草委員会に対し、外国軍基地の設置を禁ずる条項を入れるよう提案する。 新憲法制定のプロセスは、徹底した「参加型民主主義」のもとで進められた。2月に始まる制憲議会を前に、地域社会や学校などで討論会が重ねられていった。その結果、約3500の提案が制憲議会に提出され、会期中も国民が参加してのフォーラムがいくつも開かれた。 さらに、翌08年3月1日、コロンビア国軍が、国境近くのエクアドル領内にあったという「FARCのキャンプ」を越境攻撃し、25人を殺害するという事件が起こる。 この数日後、米南方軍のスタブリディス司令官は「私はコロンビア国境におけるエクアドルとベネズエラの軍の行動を監視していた。米国の継続的支援を受けたコロンビア軍は、武装勢力との激しい戦闘に勝利した」と、米議会で証言した。この作戦に、マンタ基地の米軍が直接的、あるいは間接的に関与していたのは明らかであった。「コロンビア内戦への介入の拠点」というマンタ基地の本質が改めて浮き彫りになるなか、制憲議会は4月1日、反基地連合が提言した外国軍基地禁止の条項を、ほぼそのまま新憲法案に盛り込むことを賛成多数で可決。憲法案は、同年9月28日に国民投票にかけられ、投票率約94%、約64%の賛成で承認された。米軍基地のない南米大陸へ マンタ基地から米軍が完全撤退した9月18日の記念式典で、ファルコニ外相は「あらゆる形の従属を拒否する新しい展望と深い変革が、いまラテンアメリカ全体に開けつつある」と語った。 長年「米国の裏庭」と呼ばれ続けてきた南米大陸だが、対米従属から脱却し、米国が押し付けてきた新自由主義経済の克服を目指す国が、まるで「ドミノ倒し」のように広がっている。マンタ基地から米軍が追い出されたのも、底流にはやはりこの大きな流れがある。 今年1月にはボリビアでも、外国軍基地の設置を禁止する新憲法案が、国民投票で承認された。 一方、米国とコロンビア政府は8月、マンタ基地の代替地として、7つの国軍基地を向こう10年間にわたって米軍が使用することで合意した。 これに対し、コロンビアも含む南米12カ国で構成する南米諸国連合(UNASUR)は、アルゼンチンで開いた首脳会合で、「外国軍の駐留は、南米各国の主権と領土保全、域内の平和と安定を脅かしてはならない」との決議を採択。さらに、その保障措置として、UNASURによる「軍事基地への査察」も今後具体化するとしている。 キトで開かれた祝賀コンサートには、コロンビアの運動団体からも代表が参加し、その場で「エクアドル反基地連合」からエクアドルとコロンビア両国の国旗が描かれたボートが贈られた。 反基地連合のヘルガさんは言う。「ボートには、これから私たちのたたかいをコロンビアに移す思いが込められています。私たちは現在、ラテンアメリカからすべての米軍基地をなくし、この地域を平和の地域と宣言する目標に向かって、国境を越えた共同の戦略を打ちたてようと議論を始めています」2009年11月20日 「週刊金曜日」776号 54ページ「米軍を完全撤退させたエクアドル」から引用 表向きは麻薬の取り締まりなどと言いながら、実はエクアドルの隣国の反政府勢力の鎮圧が目的だった可能性が高い。アメリカがベトナム戦争に介入したのも、南ベトナムに自分のいいなりになる政権を残すことが目的だったわけで、どちらもコロンビアとベトナムの主権を犯す侵略行為であった。南アメリカからは全ての米軍基地を撤去させるべきである。将来的には日本はもちろんのこと、東アジアからも米軍基地を撤退させるほうが、地域の安定に貢献すると思われる。
2009年12月11日
政権交代した結果、戦後一党独裁を行ってきた自民党政権下で行われていた密約が暴かれることになって、11月26日の読売新聞は次のような社説を掲載した; 核持ち込みなどに関する「日米密約」の真相究明は、日本外交への国民の信頼を回復するために重要だ。だが、その結果、米軍の核抑止力を低下させる事態は避けねばなるまい。 密約問題を検証する外務省の有識者委員会の初会合が27日に開かれる。外交文書に関する内部調査結果を基に、外務省OBらの附き取り調査も実施し、来年1月に報告書を岡田外相に提出する。 検証対象は、1960年の日米安保条約改定時に、核搭載の米軍艦船や航空機の日本寄港・通過を事前協議の対象外としたとされる件など四つの密約問題だ。 核持ち込みについては既に、公開された米外交文書や元外務次官らの最近の証言により、「密約はない」とする政府見解の維持が困難となっていた。さらに、今回の外務省調査で、密約の存在を裏付ける文書が見つかったという。 政権交代を機に、岡田外相が密約の調査・検証を始めた意義は小さくない。政府が、その結果を踏まえて、密約の存在を正式に認めることが、国民の不信感を解消する一歩となろう。 ただ、政府が東西冷戦期に、国民の核アレルギーに配慮しつつ、米国の「核の傘」の実効性を確保するため、密約を結ばざるを得なかった事情は理解できる。 有識者委員会は、当時の時代背景も踏まえて、密約締結の経緯をきちんと検証してほしい。 外交交渉には秘密が付き物だ。相手国との信頼関係を維持し、関係者への意影響を避けるため、すぐには公開できない情報は多い。一定期間の後、どんな条件の下で公開するのが適当なのか、議論を深めることが大切だろう。 今後、重要なのは、核を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則のあり方の議論だ。 北朝鮮が核保有を公言するなど現在の日本の安全保障環境は厳しい。米軍の核抑止力を維持、向上させることが求められる。 米国は91年に米軍艦船・原潜から戦術核を撤去した。当面は、核持ち込みの事態は想定されにくくても、中長期的に、近隣国が核や生物化学兵器で日本の安全を脅かす事態がないとは限らない。 様々な事態の変化に対応できるよう、軍事面の柔軟性を確保することが、安全保障の要諦(ようてい)だ。 核を「持ち込ませず」のうち、陸上への核配備の禁止は継続しても、核搭載艦船や航空機の寄港・立ち寄りは可能とする「非核2・5原則」の採用を、前向きに検討していいのではないか。2009年11月26日 読売新聞朝刊 13版 3ページ「社説-核抑止力の低下は避けよ」から引用 密約を肯定するこの社説はおかしい。江戸時代の瓦版や戦前の新聞ではあるまいし、政府が国民を欺くことに理解を示すというのは、民主主義の世界にはあり得ない話だ。こんな社説を書いてるようでは、読売新聞は国賊新聞であると言っても過言ではない。
2009年12月10日
国民の税金を無駄に消費する国の事業を止めさせる「事業仕分け」は、今まで国民に知らされてこなかった「予算無駄使い」の実態を白日の下にさらけ出している。11月27日の東京新聞社説は次のように論評している; 行政刷新会議の事業仕分けがヤマ場を迎えている。予算編成の透明化が進んだのは画期的だ。一方で、与党議員が要求側と査定側に分かれ「政権の意思」が見えにくい難点も浮かび上がった。 会場となった東京都新宿区の国立印刷局体育館には連日、多くの人々が傍聴に詰めかけている。小学生を連れた母親は「この子が『気になるニュース』を日記に書いているので、見学に来た」と語る。白熱した議論をレシーバーで聞いた女の子にとってナマの財政や政治に触れるこれ以上の機会はないに違いない。 これまでの議論を通して、霞が関の役所が配下にある独立行政法人や公益法人に多額の基金を積み立て、天下りした役人OBに高額の給料を支払っていた仕組みが明らかになった。 たとえば、食生活改善事業に農林水産省と厚生労働省が別々に法人の事業費を要求する。国民から見れば、縦割りの省庁がそれぞれのOBを養うために法人をつくっているとしか映らない。こうした構造は霞が関全体に広がっているが、実態が覆い隠されてきた。 「モデル事業」として始まった仕事が目立った成果を挙げないのに、何年たっても終了せず、実質的に恒久化されている例も経済産業省資源エネルギー庁をはじめ次々と明らかになった。一度手にした予算は翌年度以降も手放さない役所仕事の悪弊である。 今回の仕分け対象になった以外の事業でも、こうした例はたくさんあるはずだ。ことし限りにせず、来年度以降も残る事業の見直しをぜひ続けてほしい。 副大臣や政務官として政府に入った与党議員は刷新会議の仕分け人とは反対に、予算獲得を目指す発言が目立っている。要求官庁の一員として当然かもしれないが、無駄や非効率の根絶を掲げた政権を担う立場からはどうなのか。 本来は政治家が仕切るべき仕事を権限のない民間人が仕分けしている。もとはといえば、政治家が要求段階で十分に削減できなかったからだ。作業の手順や政と官、民間仕分け人の役割をあらためて見直す余地がある。 科学技術予算の削減について、ノーベル賞受賞者らが「科学技術で世界をリードする方針と整合性がない」と批判している。たしかに、どんな研究が花開くのか、費用対効果を事前に見極められない分野もある。このあたりも仕分け作業を受けて、政治が判断する領域である。http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2009112702000071.html から引用 自民党政権時代の、族議員と官僚、業界が癒着して国民の税金を食い物にしてきた実態を暴く「事業仕分け」に対する国民の期待は大きい。今年に限らず、来年も再来年も事業仕分けは徹底してやっていくべきである。それにしても、新聞やその他報道機関はどうして今まで、こういう予算の実態を報道してこなかったのだろうか? 少なくとも「国家予算の透明化」を主張するくらいの努力は必要だったのではないだろうか?
2009年12月09日
自民党が党勢回復のために、党名変更を論議し始めたと、11月26日の読売新聞が報道している; 自民党は25日、政権奪回に向けた、党の基本理念や党名・綱領の変更について本格的な論議を始めた。 党政権構想会議の議長代理を務める伊吹文明・元幹事長は25日、党本部で園田博之幹事長代理らと会談した。同会議が12月中に提出する予定の第2次勧告の原案に、(1)資本主義制度を円滑に機能させる(2)民主主義を堅持する(3)社会の安定を確保する-の三つを柱とした新たな基本理念を盛り込むことを決めた。また、27日の同会議に、党名・綱領の変更を検討課題として示すことで一致した。 同会議では、「自民党という名前が嫌がられているから話を聞いてもらえない」と党名変更を求める声があり、「自由新党」「和魂党」などの候補も挙がっている。党名変更は1993年に野党に転落した際も取りざたされた経緯がある。議題となること自体、党の苦境を示しているとしいえそうだ。 また、党が2005年に採択した新綱領に掲げた「小さな政府」に関し、同会議には「大きさには触れず、『効率的な政府を目指す』とすべきだ」という意見がある。一方、「小さな政府」の看板を下ろすことは改革路線の否定と受け取られかねないという声もあり、議論になりそうだ。2009年11月26日 読売新聞朝刊 14版 4ページ「党名変更の論議開始」から引用 自民党という名前が嫌がられているから党名を変えて、支持を集めようという考えは、あまりにも姑息で、とても今まで政権を担当していた政党とは思えない凋落振りで、ヒトごとながら情けない気持ちになってしまう。そもそも党名を変えて支持を集めようという考えは間違っている。そんな姑息なことを考えずに、生まれ変わった自民党であると、堂々と世論に訴えて支持を得るべきなのだ。党名は変わったけど中身は相変わらず昔のままの自民党ですというのでは、単に有権者を欺くだけで、悪質なサギみたいなものだ。そうではなくて、新しい綱領と新しい政策をかかげて、有権者から「自民党さんも変わったね」と評価されるような道を進むべきだ。そのためにはどうするか。先ずは第一に、政権を担当した戦後60年間の功罪を振り返りしっかりと過去を総括する作業が必要である。その上で、今回の総選挙で敗北した理由は何だったのかを仔細に分析し、今後の国民生活向上のために自民党はどのような方針で臨むのか、そういう有権者にも分かりやすい討論と方針の策定をするべきである。そのような活動があって初めて有権者の信頼を得ることが可能になるはずである。 なお、後日の新聞報道によると、さすがに党名変更はしないということになったらしい。
2009年12月08日
ブッシュ前大統領がイラク戦争を始める口実は、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていることとテロ組織アルカイダと連携しているということだったが、今ではこれが全くのウソであったことが判明しており、アメリカによるイラク攻撃は侵略戦争であったことが明らかになっている。そのような不正義の戦争に協力したイギリスでは、参戦を決めた経緯に問題が無かったのかどうか、検証が始まったと11月25日の読売新聞が報道している; 【ロンドン=大内佐紀】英国が2003年のイラク戦争に参戦した経緯を検証する独立調査委員会の公聴会が24日、ロンドン市内で始まった。参戦を決めたブレア前首相や、ブラウン首相も来年1月ごろ、証人喚問される予定だ。一連の証言で、ずさんな作戦計画や装備の不備が明るみに出る見込みで、支持率低迷にあえぐブラウン政権には新たな打撃となりそうだ。 公聴会開始にあたり、ジョン・チルコット委員長は「何が誤っていたかを解明し、今後の政策決定に役立てたい」と述べた。この日は外務省、国防省、情報諸機関の4人の元幹部が質問を受けた。委員会は、関係者の喚問を続け、来年末をめどに報告書をまとめる。 公聴会に先立ち、22日付のサンデー・テレグラフ紙は、政府の極秘文書に基づき、(1)開戦時の英軍の装備はお粗末で、一部の兵士には銃弾が5発しか支給されなかったり、陸軍の無線が高温のため昼間には使用不能になったりした(2)外務省は開戦直前の03年2月末にようやく戦後復興計画立案に着手した(3)ブレア政権は、02年2月にはフセイン政権打倒を目的とする軍事作戦の立案に入っていたにもかかわらず、同年を通じ開戦準備の事実を否定し続けた-といった問題が明らかになったと報じた。 今後、公聴会などを通じてこうした問題が裏付けられれば、ブレア政権を引き継いだブラウン政権の不人気に拍車がかかる可能性がある。 ブラウン首相は今夏、野党・保守党と世論に押し切られ、01年から09年までを調査対象とする同委員会の設置を決めた。報告書の発表が、来年6月までに実施される総選挙の後とされたことについて、保守党や有識者からは「政治的な配慮」との批判も上がっている。2009年11月25日 読売新聞朝刊 14版 7ページ「英『お粗末参戦』検証」から引用 わが国でもアメリカによるイラク侵略に対し、小泉政権が憲法を無視して自衛隊を派遣するという暴挙に出たという重大な問題がある。国家予算を無駄に使う事業の仕分け作業が済んだら、この問題も徹底検証してもらいたいものである。
2009年12月07日
普天間飛行場の移設について、沖縄県にこれ以上の負担をさせないために、大坂の関西空港を利用してはどうかという投書が、11月6日の朝日新聞に掲載された; 本紙「経済気象台」の「関西空港再生論」(10月17日)に共鳴した。関西空港は膨大な負債を抱えて経営難に陥る一方で、沖縄の米軍基地移転問題が難抗している。そこで、基地を関空に移転、有効活用してはどうかと提案していた。 私は安全保障や航空行政の専門知識は皆無だ。だがかねて、もし米国がOKなら大阪空港(本来、廃止されてなければならない空港)か神戸空港(本来、造ってはいけなかった空港)に米軍基地を移転させ、沖縄の負担を軽減させるべきだと考えていた。 米軍普天間飛行場の移設問題で腹立たしいのは、圧力をかける米国や優柔不断な日本政府だけではない。むしろ沖縄に負担を押しつけていることを「仕方ない」と思っている本土のメディアや国民の「ずるさ」である。 もし日本の安全を守るために米軍基地が必要不可欠というなら、基地に伴うリスクと苦痛は本土も等しく背負わなければフェアでないと思う。2009年11月6日 朝日新聞朝刊 13版 16ページ「声-米軍の『関空移転論』に共鳴」から引用 在日米軍基地の75%が沖縄県にあるというのは異常な事態である。どうしても、米軍基地がわが国の安全保障上必要であるというなら、その負担は沖縄県民にだけ負わせるのではなく、できるかぎり国民全体で公平に負担するべきである。その一方で、民間空港としては経済的に成り立たない空港が存在するのであるから、これを有効に利用するのは、ある意味、理にかなっていると言えるのではないだろうか。
2009年12月06日
鳩山首相は自民党のタカ派議員の質問に対して、次のような回答をしたと11月6日の朝日新聞が報道した; 5日の衆院予算委では、自民党のタカ派の論客として知られる下村博文、稲田朋美両議員が質問に立ち、永住外国人への地方参政権付与や選択的夫婦別姓などに対する鳩山由紀夫首相の考えをただした。民主党内でも意見が割れるテーマだけに、首相は慎重な答弁に終始した。 稲田氏は、首相が民主党幹事長だった4月、インターネットの動画サイトで「日本列島は日本人だけの所有物ではない」と発言し、永住外国人への地方参政権付与に意欲を示したことを取り上げ、「総理の外国人参政権付与、これは友愛政治の帰結か」と聞いた。 首相は「外国人地方参政権の問題も前向きに考えていきたい」「もっと開かれた日本をつくっていかない限り、この国の大きないくつかのテーマの解決は極めて困難なのではないかとも考えている」と持論を述べた。ただ「強引に押し通すことを思っているわけではない」と、今後の議論を見守る考えを示した。 さらに稲田氏は、選択的夫婦別姓について首相の考えをただした。首相は「(家族の)きずなが薄められてしまうのではないかとの指摘もある。国民的な議論を深めていくことが大事だと思っており、無理やりに押し通すことはいかがなものか」と慎重な姿勢を見せた。 下村氏に国旗、国歌に対する考えを聞かれた首相は「いわゆる日の丸、君が代は国民にとって大変大事なものだと思っている」と答弁。ただ、学校における指導については「児童・生徒の内心に対してまで立ち入って強制する趣旨のものではない」と述べた。2009年11月6日 朝日新聞朝刊 14版 4ページ「外国人地方参政権・夫婦別姓-首相議論見守る考え」から引用 日本列島は日本人だけの所有物ではない。出入国管理法を守った上で、日本人が世界のどこに居住しようと自由であるのと同様、どこの国の人が日本に住居を構えるのも自由である。当たり前のことだ。国籍が無いからといって、職業選択の自由を規制したり選挙権を制限するのは民主的ではないので、今後改善される必要がある。また、国旗国歌は大切なもので、これが国旗でこれが国歌であると児童生徒に教えることも、これは教育上必要なことである。しかしまた、本人の意に反して起立や歌唱を強制されたときは抵抗する権利もあるということを教えるのは、民主主義の基本として重要である。したがって、「児童・生徒の内心に対してまで立ち入って強制する趣旨のものではない」という鳩山首相の認識はきわめて当然である。
2009年12月05日
平野官房長官が憲法解釈について、過去の内閣法制局長官の発言にしばられないと発言したことが、11月5日の朝日新聞に報道された; 平野博文官房長官は4日の記者会見で、鳩山政権が、政府の憲法解釈を国会で示してきた内閣法制局長官の過去の答弁にしばられないとの見解を示した。憲法9条などの解釈は、今後内閣が政治判断で行う考えも表明。鳩山由紀夫首相は同日夜、記者団に「法制局長官の考え方を金科玉条にするのはおかしい」と述べた。=33面に関係記事 歴代政権は、内閣法制局の了解がなければ、事実上、憲法解釈の変更には踏み込まなかった。今回の発言は、憲法解釈も政治主導で行う原則を示したとみられるが、時の政権の都合で憲法解釈が安易に変更される恐れもある。 平野氏は会見で「これまでの法制局長官の憲法解釈には内閣はしぼられないのか」と問われ「もちろんそういうことだ」「政治主導だから、政治判断で解釈していく」と述べた。集団的自衛権の行使を違憲とするこれまでの政府解釈については「現時点では過去に解釈されたことを踏襲する」と述べた。 首相は4日夜、記者団に対し、「(憲法解釈を)変えるためには極めて慎重じゃなきゃいけない。変えるためには当然、国民的な世論というものもしっかり見定める必要もあると思う」とも述べた。 (金子桂一)2009年11月5日 朝日新聞朝刊 14版 1ページ「憲法解釈も『政治主導』-法制局答弁と一線」から引用 もともと「政治主導」とは、政策決定を官僚に丸投げしていた過去の政治のあり方を反省して出てきたものであったはずである。政治家も官僚以上に政策に通じていなければならないという主旨で、国会答弁を官僚にやらせることは止めるということになったのであるが、これが調子に乗って、政府がその内部の専門部局である「内閣法制局」の見解を無視して行動するというのは、いささか悪乗りというものではないだろうか。そんなことがまかり通るのでは、内閣法制局は一体何のために存在するのか。
2009年12月04日
選択的夫婦別姓制度に反対する意見に対し、よけいな心配は必要ないとする中学生の投書が、11月5日の朝日新聞に掲載された; 「心待ちにした選択的夫婦別姓」(10月31日)に、親子別姓を心配して反対している人もいるとありました。私の場合は両親の離婚の際、母が名字を戻したことによる別姓なのですが、親と姓が違う子どもの意見として参考にしてもらえるとうれしいです。 私の両親が離婚したのは、私が小学校に入学する少し前のことです。当時は周りからも、親子が別姓だと学校に入ってからいじめられるかもしれないということで、同姓にするようすすめられたらしいのですが、必要性を感じなかった母は、断ったそうです。 別姓になって6年余りになりますが、私はそのことで不自由を感じたり、不愉快な思いをしたりしたことは一度もありません。 そもそも、親と別姓の子どもが特別に心配されるのは、親子は同姓でなければならないという固定観念があるからではないでしょうか。それを取り払わないと、この問題の解決は難しいと思います。2009年11月5日 朝日新聞朝刊 13版 18ページ「声-『親と別姓』でも不自由しない」から引用 この中学生の投書は、文章として理路整然としており、大変立派です。「夫婦別姓」に反対する自民党議員のみなさんは、この投書が指摘するように、一度固定観念を取り払っていただくようにお願いしたいものです。
2009年12月03日
米国発の金融危機は、またたくまに世界に波及し、いまも市民生活に痛みを与えている。金融の暴走は、どうして止められなかったのか。東京大学と朝日新聞社は10月23日、東京都文京区の東大・安田講堂でシンポジウム「資本主義の将来」を開き、日米の識者が市場経済の課題を明らかにし、危機防止の手がかりを探った。冒頭発言で、米国スタンフォード大学経営大学院学長を務めたロバート・ジョス氏は、次のように発言している; 資本主義の将来は、明るく良いものであるはずだ。 危機のさなかだけに、肯定的に考えにくいかもしれないが、過去60年を振り返ると、ずいぶん印象が違う。中国などは計画経済から市場経済で国を引っ張ることに変えた。経済制度の中で、資本主義にかなうものはない。危機の頻度を減らすために、資本主義の改善が必要なのだ。 金融は規制されなければならない。今回のグローバルな危機の原因は金融の間違いだ。借用リスクを過小評価するなど無責任な人たちがどうしても短期的にもうかってしまうのが金融だ。この2年間の痛みは、当局の監督があれば防止できたはずだ。 そして、経済政策に金融を織り込むべきだ。政策立案者は従来、持続可能で健全な「債務負担能力」をチェックするという視点が欠けていた。物価や雇用と同様に、債務を管理しなければならない。債務の国内総生産(GDP)に対する比率こそ、中央銀行のような当局者が注目するべき指標だ。 さらに、民主政治によって資本主義経済をコントロールするべきだ。民主制度の下では1人1票で意思決定される。1ドル1票、1円1票ではない。経済発展とともに、全体的な公平感を生み出す役割を政治に期待する。2009年11月4日 朝日新聞朝刊 12版 11ページ「金融危機の教訓 生かせ」から引用 さすがに帝国主義本国の経済学者らしく、経済制度の中で資本主義にかなうものはないと先に大前提を設定しているが、その欠点を政治によって補正するべきだと発言した時点で資本主義制度が完璧ではないことを証明している。彼が「資本主義にかなうものはない」と発言する根拠は「ソ連型社会主義」の挫折であると推測されるが、そもそも社会主義は「ソ連型」が唯一ではないし、マルクスは「資本論」に「革命は成熟した資本主義社会の労働者階級によって担われる」と書いたのだが、レーニンがロシアで革命を起こしたとき、ロシアの資本主義はまだ未発達で、革命を担えるような力のある労働者階級は存在しなかった。そのような困難な状況で始まった革命が失敗に帰したからといって、社会主義経済はダメとする根拠にはなり得ない。ロバート・ジョス氏が言うように、資本主義経済制度に政治の力で様々な規制を課して、資本家階級がそれを従順に受け入れるならうまくいくかもしれないが、「資本論」によれば、資本家は自らの人間としての価値観で行動するのではなく、「資本」に支配され「資本」の論理で行動するらしいから、多分、将来的には「政府による規制」から「人民による規制」に移行する時が来るに違いない。
2009年12月02日
拉致被害者家族会の事務局長を務めたこともある蓮池透氏は、民族問題研究家の太田昌国氏との対談で、次のように述べている;太田 拉致問題は、北朝鮮にとって、いわばアキレス腱です。私の考えでは、拉致事案の最終的責任は、金正日総書記に行き着かざるを得ない。1977年11月の横田めぐみさん失踪事件と、1978年6月の李恩恵こと田口八重子さん失踪事件の間に挟まれた1978年2月、旅先の香港で何者かに誘拐された韓国女優、崔銀姫さんが快速艇で行き着いたのは北朝鮮の南浦港桟橋です。そこに出迎えた男は、「ようこそ、よくいらっしゃいました。崔先生、私が金正日です」と挨拶しているのですから、推して知るべし、です(崔銀姫・申相玉『闇からの谺』上下、文春文庫、1989年)。 別な観点からこれを捉えるなら、先に触れた父親・金日成に倣って、金正日は、拉致を正当な戦術だと考えていた時期があるということです。韓国とは一時的に休戦しているだけで、敵対している。その国から自分たちに役立ちそうな人物を時に応じて連行するのは非難されるべきことではない。また日本は、かつて朝鮮を植民地支配し、その間に、土地取り上げ、強制連行、従軍慰安婦連行、徴用なとあらゆる悪行を行なった。戦後になっても歴代政権はその償いをするどころか、そのような日本近代史を肯定する政治指導者が絶えることはない。過去、日本に受けた仕打ちを考えれば、わずかな数の日本人を拉致・連行しようと構わないじゃないか、という考えがあるでしょう。私は、この考え方を肯定しませんが、二国間問題の解決法を模索する上では、参照すべき事柄だと思います。ことばを換えるなら、拉致問題に関して相手を問い詰めるためには、自らの過去にも向き合い、その責任をとるという意思を具体的に示すべきだということです。「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」という日本側が主張する原則は、その意味で、二国間交渉の道を閉ざすものです。 この点は、私が『「拉致」異論』で行なった蓮池さん批判に連なってきます。「北朝鮮が拉致問題に対して何の誠意も示さないのに、なぜ日本が先に低姿勢で食糧援助の要請に応じなければならないのか」(『奪還』)という論理では、北朝鮮側の「日本が植民地支配問題に対して、58年間もの長いあいだ何の誠意も示さないのに、なぜ共和国が先に低姿勢で拉致問題解明の要請に応じなければならないのか」という論理に対抗できないのです。両国政府が持ち出すこの国家論理はいずれも醜悪だと思いますが、この隘路を突破しなければならない。いま蓮池さんはどうお考えですか。蓮池 私も無知なのですが、太田さんが話されたような日本の植民地支配などの問題は、今の日本ではほとんど教育されていないと思います。高校の教科書を見ても、3学期になってようやく明治維新に入ったくらいで終わってしまう。どうやって若い人たちに歴史観を身につけさせるかといえば、教育しかありません。ですが、うちの娘たちに訊いてもそんなことは全然知りません。妻も、会社の同僚も、日本が何をしてきたかを誰も知りません。 私はいつも思うんですが、昔日本が何をやったのか、強制連行や従軍慰安婦、そういう話題になるとすぐイデオロギーの問題が入ってきてしまうんです。私はそれが非常に苦手です。右寄りの人は「そんな事実はなかった」と言う。左寄りの人は「絶対あったんだ」と言う。そういう不毛な議論を繰り返していてもダメです。これは政府が曖昧にしているのではないかと思っています。責任逃れなのか何なのか分かりませんが、日本政府はそれを長い間、現在に至るまで曖昧にしてきました。 日本政府はピョンヤン宣言の中で「過去の清算をします」と言いました。でも、「あなたがたに対してこういう被害を与えたからこういう清算をします」という文章はありません。具体化がまるでなされていない。ですから、政府が責任を持って何があったかを示し、日本国民がそれに沿った歴史観を共有するということが一番大切だと思います。強制連行や従軍慰安婦がなかったとか、植民地支配の責任がないという方針はもうありえないと思います。日本はピョンヤン宣言でも村山談話でも責任を認めているんですから。だったらそれを具体化して世に知らしめる責任があります。 これは、自虐史観を植え付けるとか、そういう問題ではないと思います。それぞれの国益に沿った歴史になるのは仕方がないとしても、やはりあったものはあったと、客観的な歴史を教えるべきです。 日本がかつてやったことを日本人が知っていれば、一方的に北朝鮮を責めることはできないと思います。戦争という有事の枠の中で行われたことと平静時に行なわれた拉致は違うとはいえ、やはり北朝鮮、韓国の人たちがどういう感情を日本に対して持っているか、それをきちんと把握しなければなりません。今も「ミサイルが飛んできた。北朝鮮はけしからん。制裁だ!」と、感情的になる人が多くて、読売新聞の世論調査では8割近くが制裁肯定だとありましたが、それは過去の問題がすっぽり抜けてしまっている人がほとんどだと私は今思っています。蓮池透+大田昌国著「拉致対論」(太田出版刊)94ページから引用 前の自民党政権は「拉致問題の解決なくして国交回復なし」などと妙な理屈をこねて世論に迎合していたが、それでは解決しないことが現実によって証明されている。問題は複雑にからみあってしまっているが、基本的には過去の歴史を正しく認識した上で、双方誠意をもって解決の道を探る必要がある。
2009年12月01日
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