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政府が自衛隊をシナイ半島に派遣する計画であることを批判する投書が、7日の東京新聞に掲載された; 自衛官募集をめぐる自治体への協力要請がニュースになるとは思ってもみませんでした。平成が終わろうとする時期に、おかしな足音が聞こえてくる気がします。私の単なる妄想であることを願うばかりです。 本紙には元気な女性陣のコラムが多く掲載され、励まされます。男性陣の記事も、もちろん読ませていただいていますが、私は女性が率直にものを言える環境こそ、平和への近道だと思っています。喜んで戦場にわが子を送り出す母親などどこにもいませんから。 災害が起こると駆り出される自衛隊の方々には、その都度頭が下がります。政府は安保法を初めて適用しエジプト・シナイ半島での停戦監視のため陸上自衛隊員を今春にも派遣する方針といいますが、私は海外の危険地域での任務拡大は論外だと思います。2019年3月7日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-自衛隊任務の海外拡大反対」から引用 平成が終わろうとする時期になっておかしな足音がすると感じているのは、この投書の筆者だけではないと思いますが、考えて見ればかつての戦争を遂行した官僚がほとんどそのまま戦後も政府を形成してきたのですから、いずれこうなることはある程度予測ができたことではないかと思います。しかし、戦後の70余年も憲法9条を擁して戦争に巻き込まれることなく暮らして来ることができたのは幸いでした。出来ることなら、これまでの平和国家としての路線をこれからの若い世代に引き継いでいきたいものです。安倍政権は強行採決した「戦争法」の実績作りのために自衛隊をシナイ半島に派遣する意向と考えられます。日頃は自衛隊員が可哀相だから憲法改正をなどと言う割に、十分な法律のバックアップもないままに自衛隊を危険な地域に派遣するのは「欺瞞」というほかありません。私たちは平和国家の路線を継続するためにも、無謀な自衛隊の海外派遣に反対するべきです。
2019年03月31日
首相官邸の記者会見の場で東京新聞の記者の質問を官邸側が妨害している事件に関連して、7日の東京新聞に次のようなコラムが掲載された; 菅宣房長官会見で官邸報道室長が本紙・望月衣塑子記者の質問を制限する行為を巡り、読者部にご意見や投稿が続いています。 先月20日朝刊で「検証と見解」を特集し、臼田信行編集局長が「会見は国民のためにある」と訴えました。以降、賛否を含む議論の輪は大きく広がり、本紙への電話やメール、手紙の声は660件に上ります。 「編集局長の決意が伝わってきた」(静岡県男性)、 「政権を監視する報道の使命を果たして」(東京都男性)、 「一国民の代弁者として知る権利の質問代行をお願いしたい」(埼玉県女性)などと激励が大半でした。 一方で読者でないとみられる遠方の男性から厳しい声も。 「国民の知る権利と言うが、記者は全国民を代表しているつもりか」(仙台)、 「私の見るネットでは記者批判が多い。会見には出すな」(札幌)。電話応答に「すぐに回答を」といら立つ方もいますが、ご意見はすべて関係各部に伝えています。 古参の記者として官邸にひと言申します。記者クラブへの申し入れなどで望月記者の名前を避けていますが、本紙に「特定の記者」はいません。会見では名乗り、署名入りの記事を書いています。社内外で活躍する「普通」の記者の一人です。特定扱いへの黙認は報道の危機を「人ごと」にしてしまいます。自戒し、緊張感ある質疑応答が「普通」であることを願っています。(野呂法夫)2019年3月7日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「読者部だより-本紙に『特定の記者』はいない」から引用 記者会見の場で質問する記者は普通の市民として疑問に思うことを質問し、それに対する政府側の受け答えを記事にして報道することによって、全国の市民が政府の方針や考えを知ることができるのは事実ですから、これを持って「記者は国民を代表して質問をしている」と表現することは何ら間違いではありません。一部報道されたところによると、窮地に立った政府側は「記者が国民を代表しているという根拠を示せ」と主張したらしいが、これはまるで子どもじみた発想であり、安倍政権の知的レベルを露呈したと言わざるを得ません。この記事に紹介されている「記者は全国民を代表しているつもりか」という仙台の人物などは、江戸時代風の「お上に楯突くのはけしからん」というマインドからの発言であり、こういう人がいるうちは日本の民主主義もまだまだだなぁと思います。
2019年03月30日
東京新聞が望月記者の件で首相官邸から不当な圧力を受けていたことを長い間報道しないでいたことについて、6日の同紙には次のような投書が掲載された; 菅(すが)官房長官の定例会見で質問する本紙の望月衣塑子(いそこ)記者に対し、官邸側か妨害行為を続けている問題を巡る2月20日朝刊7面「検証と見解」を読んだ。 会見進行役の官邸報道室長は望月記者の質問中に「簡潔に」などとせかし、1分半の質疑で7回も遮ったことがある。もはやハラスメント(いじめ、嫌がらせ)だ。 官邸側はわずか1年半の間に、本紙に質問に絡んだ9件もの申し入れをした。それに本紙側か反論するなど水面下の攻防があったことに大きな衝撃を受けた。 望月記者が講演会で、時には菅氏の口調やしぐさをまねたりしながら記者会見の様子を軽妙に明かす語り口からは、これほど深刻な事態を想像しなかった。官邸側は、取材の自由を十分尊重に値するとした憲法21条の精神を軽視しており、違法性さえ感じる。 菅氏は質問妨害をやめさせ、本紙や記者に謝罪するべきだ。一方、社会問題化後も、会見を主催する内閣記者会の態度は見て見ぬふりに映る。いじめと同根だ。 官邸の嫌がらせに引き下がらず、望月記者を会見に踏みとどめさせた本紙の姿勢は、評価したい。だがマスメディアへの信頼が揺らぎ、政治との距離や癒着がしばしば問われている今日、長期間、社内だけで処理してきた本紙の対応に疑問を感じる。 本紙はなぜ、もっと早く経緯を明らかにできなかったのか。取材の自由を巡る議論を広げたり、望月記者がなぜ質問を続けるのかを紙面で報告したりして、読者の理解と支持を求めるべきだった。 検証特集で、そうした反省が語られなかったのは残念だ。2019年3月6日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「ミラー-『質問妨害』検証深めて」から引用 私はこの投書の趣旨に賛成です。数年前の選挙が始まる直前に、自民党が都内のテレビ各局を回って「公平な報道を」と訴えた「事件」がありましたが、あの時はすぐに新聞沙汰になり「報道機関への圧力ではないか」との批判が起きたものでしたが、望月記者の件で官邸が記者クラブや新聞社に圧力をかけるのは、言論報道の自由を保障した憲法に違反する行為であり、政府がそのような行動に及んだときは直ちに報道して警鐘を鳴らすのが報道機関の使命です。それを東京新聞が「実は1年半の間、報道せずにいた」ことが分かったときは、「この新聞は場合によっては読売新聞のような路線に切り替える選択肢も温存しておきたかったのかな」と思ってしまいました。そんなことでは報道機関としての存在意義がなくなりますので、読者としても闘う新聞をしっかり支援していく姿勢を伝える必要があるのだと思います。
2019年03月29日
昨日の日記に紹介した師岡カリーマ氏のコラム記事について、感想を綴った次のような投書が、23日の東京新聞に掲載された; 16日特報面「本音のコラム」、師岡カリーマさんの「いつになったら」は、大いに勉強になった。なぜ、イスラエルのパレスチナ人民に対する横暴を批判することが、「反ユダヤ主義」というレッテルを貼られることになるのか、私は今まで理解に苦しんできた。 もちろん、ユダヤ民族の長い苦難の歴史には理解と同情の気持ちを持つ。しかし、現在のイスラエルによるパレスチナ人民に対する行為は、かつて自分たちが受けた苦難を相手に押し付けているのと同じことではないか。苦難の歴史を持つイスラエルなのだから何をしても許される、というわけにはいかない。 師岡さんが、ユダヤ人ジャーナリストの論説を引用してくださったことで、ユダヤ人の中にも、こういう考え方の人がいるということを知った。ほっとするとともに、「反ユダヤ主義」のレッテル貼りによって、イスラエルへの批判が葬り去られることを恐れる。2019年3月23日 東京新聞朝刊 12版 5ページ 「発言-『反ユダヤ』の決めつけNO」から引用 この投書の筆者のパレスチナ認識は正鵠を射ていると言えます。「反ユダヤ主義」という民族差別は否定されなければならないのは当然ですが、さりとて現在のイスラエルが武力でパレスチナの人々の住んでいた土地と建物を強奪したことは、国連憲章に照らしても明らかな犯罪であり許されないことを確認しておきたいと思います。
2019年03月28日
イスラエルによるパレスチナ侵略を批判した米下院議員、I・オマル氏を米議会がこぞって「反ユダヤ主義だ」と批難・攻撃した事件について、中東情勢に詳しいエッセイストの師岡カリーマ氏は、16日の東京新聞コラムに次のように書いている; いつになったら米国人と欧州人は「反ユダヤ主義」のレッテルにおびえるのをやめるのか。いつまでイスラエルとユダヤ系団体は(実存する)反ユダヤ主義を盾にして批判を回避し続けるのか。いつになったら世界は、不当な占領に対する正当な批判と、反ユダヤ主義とを区別する勇気を持つのか・・・。これらは私の言葉でも、イスラエル軍の占領下にあるパレスチナ人の言集でもない。イスラエルのハーレツ紙に掲載されたユダヤ人ジャーナリスト、G・レヴィの論説からの引用である。 ムスリム女性として米国議会に初当選したソマリア移民、I・オマルが、政治におけるイスラエル系圧力団体の巨大な影響力を批判し、その発言が反セム主義すなわちユダヤ人差別だと共和・民主両党議員からすさまじい非難を浴びた。その彼女に、逆にエールを送ったユダヤ人のひとりがレヴィだった。「彼女は真実を語っただけだ」と。 「米国の政治家が親イスラエルなのは関連圧力団体からの献金のためで、彼らは自国ではなく外国(イスラエル)への忠誠を要求される、これはおかしい」。この主張のどこがユダヤ人差別なのか、という理性の声が当のユダヤ人から上がっても、米議会には届かない。大胆にも真実を語ったオマル議員は「一筋の希望」だとして「くじけるな。成功を祈る」とレヴィは試練の新米議員を激励した。(文筆家)2019年3月16日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-いつになったら」から引用 西欧には古くからユダヤ人を差別する風潮があり、その「差別」を最大限に悪用して戦争遂行のために国民を団結させる手段にしたのがヒトラーであった。ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺がトラウマになって、欧米では「反ユダヤ主義」は善良な市民にはあるまじき態度ということになっているらしい。しかし、ユダヤ人は概して昔から商売が上手でかなりの財産をため込んでいる、そのカネのチカラで米議会に対して強力なロビー活動を行なっており、その成果でイスラエルのパレスチナ侵略も「お咎めナシ」になっている。これは、誰が見ても「異常」な事態であり、I・オマル議員がユダヤ人ロビイストやイスラエルを批判するのは当然であり、当のイスラエルにさえ、良識をわきまえたG・レヴィ氏のようなジャーナリストは、I・オマル議員の発言を支持している。ところが、その後に伝えられたところでは、アメリカの議会は束になってI・オマル議員に圧力をかけ、遂に同議員に謝罪をさせたというのであるから、どうもアメリカの議会もわが国自民党並みに「劣化」しつつあるのかなぁと、つくづく考えた次第です。
2019年03月27日
投票所に足を運んだ有権者の7割が「基地建設反対」に投票した沖縄県の県民投票について、ジャーナリストの青木理氏は3日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 沖縄県民投票は、投票日を含め、数回取材に行きました。投票率52・48%は、雨の中で、しかも自民、公明が投票そのものを無視していたことから考えると、極めて高いといっていい。先の総選挙での全国の投票率と大差ありません。しかも県民投票の反対票は、知事選での翁長雄志氏の約36万票、玉城デにー氏の約39万6千票を大きく超え、43万4千票となりました。これまでを上回る民意が上書きされたといえます。 「共同」の出口調査では、自民、公明の支持層でも「反対」が「賛成」を上回っています。沖縄の民意は、どこをとっても「反対」が圧倒しているのです。 安倍晋三首相は「真摯(しんし)に結果を受け止める」といいながら、新基地建設の計画は変えないといっています。これだけの民意を尊重しない日本は、果たして民主主義国家といえるのでしょうか。 故・翁長雄志前知事にインタビューしたとき、彼はこう憤っていました。”今までの政権も米軍基地を押しつけてきた。それでも最低限、沖縄の歴史を知り、痛みを理解し、話し合いを積み重ねようとする姿勢は持っていた。しかし安倍政権にはそんな態度がみじんもない” 辺野古の新基地建設は、大浦湾側で大規模な軟弱地盤の存在が判明し、工事は不可能に近い。強行しても十数年かかり、費用も2兆数千億円に膨れ上がる、との指摘があります。 新基地建設は民主主義の点からも、技術面からも、財政面からも大破たんに直面しています。政府にできることはただちに工事を中断することしかありません。 この事態を受けてそれでも辺野古に米軍新基地をつくるのか、本当に米軍基地が必要なのか-。日本全体に突き付けられています。 沈黙は、安倍政権の行為を認めることになります。私たちが沖縄の民意をどう受け止めて、私たち自身の民意をどう示すかが問われています。2019年3月3日 「しんぶん赤旗」日曜版 5ページ 「民意を尊重しない日本は民主主義国家といえるか」から引用 政府が県民投票の結果を無視して埋め立てを強行する辺野古の海は、軟弱な地盤が深さ90メートルもあると一時は報道されましたが、政府はその後「あれは70メートルだから、数万本の杭を打つことで問題は解消できる」などと言ってます。しかし、にわかに信用できる話ではありません。民意を無視してまで基地建設を強行する様子は、無理を承知で予算を注ぎ込んで、結局何の成果も得られなかった「もんじゅ」を思い起こさせます。膨大な予算と人手をかけて工事を強行しても、やがては工事を断念せざるを得ない時がきて、海を汚して自然環境を破壊し、税金をムダに浪費しただけで終わることになると思います。被害を最小限に食い止めるには、なるべく早く政権交代をするしかありません。
2019年03月26日

総理大臣の国会答弁が、質問に真摯に応えたものか、論点をすり替えたデタラメな答弁なのかを判定するブログが評判を呼んでいると、3日の東京新聞が報道している; 安倍晋三首相らの国会答弁を青、黄、赤色などに分類、判定するブログが注目を集めている。質問内容に答えていれば「青信号」、質問と無関係な答えや論点すり替えは「赤信号」と判定。「赤」でも止まらず話し続けた場合は「信号無視話法」と見なす。独自の分析手法は、国会審議でも取り上げられた。(川田篤志) ブログ筆者は横浜市の会社員犬飼淳さん(33)。昨年春、生活苦に悩む友人のために国の社会保障制度を調べる中で国会中継を見て、質問と回答がかみ合わない議論に「社会保障の欠陥を改める気持ちが見えない」と不満を感じた。 不誠実な答弁を視覚的に示し国民の関心を高めたいと、ブログでの発信を開始。昨年5月の首相と立憲民主党の枝野幸男氏との党首討論を分析したブログは閲覧数が7万を超え、後に枝野氏が国会で「信号無視話法という言葉が出回った」と取り上げた。 本紙は犬飼さんに、衆院予算委員会の答弁を分析してもらった=図参照。 2月13日に、首相が語った、自衛官の息子が父親に「お父さんは違憲なの」と尋ねて涙ぐんだとのエピソードを巡るやりとりがあった。 野党議員は、実話なのかやいつ誰から聞いたのかを質問し、首相は防衛省から聞いた実話だと答えた。内容の正確さではなく、質問に正面から答えたかどうかで判定するので、この回答は「青」。続いて野党議員の「私の実感と違う」との問いに、首相が「うそだと言っている。極めてひどい話だ」と反論したのは「赤」と判定した。 約2分半の首相答弁のうち「青」は19%、「赤」は65%。残り16%は不要な言葉や似た言葉の繰り返しの「灰色」だった。 2月4日には「青」と、質問の経緯や背景を説明する「黄」、「灰色」の合計が30%なのに対し、「赤」が70%を占めた首相の答弁もあった。犬飼さんは両日の首相答弁を「信号無視話法」だと見なした。 犬飼さんは「感情的な答弁で時間を浪費し、質疑が終わるのはひどい。不誠実な答弁はダメだという有権者の声が政治家の意識を変える。多くの人に現状を知ってほしい」と語る。ブログは「犬飼淳 note 答弁視覚化」で検索できる。2019年3月3日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「首相答弁を判定ブログ」から引用 政府側が野党の質問をはぐらかすような答弁をすることが、過去になかったわけではありませんが、安倍政権ではほとんど毎回のように野党の質問に真っ直ぐに答えることをせず、直接には関係ない話をして質疑の時間をつぶすという悪質な手法がまかり通っている。これでは議論が深まらないどころか、議論に何の意味も無いということにもなりかねません。国民の批判的な声がないから、政府与党はこのような無法を働くわけで、これではダメだという声を大きくしていきたいものです。
2019年03月25日
辺野古の基地建設に関する県民投票で「建設反対」が圧倒的多数になったことに関連して、法政大学教授の山口二郎氏は3日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 沖縄県民投票では、辺野古基地建設に対する圧倒的な反対の意思が表明された。これに対して、安倍政権とその意を体した全国メディアは、この民意を矮小(わいしょう)化するために見苦しい努力を払っている。 NHKやいくつかの新聞は、住民投票の結果についてなぜか突然、絶対得票率を使って反対派が県民有権者全体の中での少数派であることを浮き彫りにしようとした。最低投票率が規定されていない選挙では、棄権者はカウントしないのがルールである。全有権者中の一部の意思だなどと言い出したら、安倍政権だって正統性がないことになる。 岩屋防衛大臣は、沖縄には沖縄の、国には国の民主主義があり、辺野古基地建設は進めると述べた。選挙で勝利した安倍政権が進めている政策だからといって、民主主義の仕組みを経たと胸を張って言えるのか。行政不服審査を使って県知事の埋め立て許可撤回を無効にするという姑息(こそく)な手を使い、技術的な可能性、予算の膨張など当然の疑問に対しても何ら説明はないままである。 建設賛成の人も含めて過半数の有権者が投票に参加して県民投票に正統性を与えたことは、沖縄県民が民主主義を大事にしていることの表れである。国政の指導者は、真摯(しんし)に受け止めると虚言を並べるだけで、民主主義を蔑視している。(法政大教授)2019年3月3日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-沖縄の民主主義」から引用 防衛大臣の言い方では沖縄の民主主義と国の民主主義は別物であるかのような表現であるが、それは虚言であって、国の民主主義と沖縄県の民主主義が別物であるはずがありません。政府の方針と沖縄県民の意志の間に齟齬が発生したのは、沖縄の基地問題に無関心だった沖縄県以外の国民が不注意に自民党政権を選択したのが原因であり、全国の有権者に沖縄の基地問題が認識された今となっては、全国の有権者の多くが県民投票の結果を尊重すべきであると考えているのですから、前の選挙で勝利した安倍政権といえども直近の沖縄県の県民投票の結果を、新たな事態と認識した上で従来の基地建設方針をどのように修正するべきか、再検討するのが、普段から安倍首相がよく発言する「真摯な態度」というものでしょう。
2019年03月24日
文在寅大統領の三・一独立運動100年記念式典における演説について、2日の東京新聞は次のような解説記事を掲載した;【ソウル=中村彰宏】 文大統領は演説で、直接的な対日批判はしなかった。元徴用工訴訟や慰安婦問題などで日韓関係は冷え込んでいるが、政策の柱とする南北融和の進展が見通せない中、不必要な外交摩擦は避けたいとの思惑が見える。 「親日残滓(ざんし)の清算は、長く先送りにされてきた宿題だ」。文氏は演説で、国民にそう語りかけた。韓国で「親日」とは、独立運動家を弾圧するなど日本の植民地支配に協力した人たちを指す。日韓関係ではなく、政治的に対立する保守派勢力を意識した国内向けの発言だ。 文氏はその上で、「今さら傷をほじくり返して分裂や葛藤を引き起こそうというのではない。親日残滓の清算も外交も、未来志向的でなければならない」と主張した。 日韓関係について「朝鮮半島の平和のために日韓の関係も強化する」と述べ、関係改善に意欲をみせる一方、「被害者たちの苦痛が実質的に癒やされる時、韓国と日本は心が通じる真の友人になれる」と暗に問題の解決を要求。元慰安婦や元徴用工、世論への配慮もにじんだ。 演説の後半は、「新たな朝鮮半島体制」の構築に向けた意思表明に費やした。経済政策の失敗で支持率が低迷する文政権にとって、南北融和が最重要課題。これ以上の外交問題を抱えることは政権運営上、得策ではない。国民大の李元徳(イウォンドク)教授は「政権にとっても国民にとっても、南北関係が最も大事な問題。日本への関心は薄い」と指摘する。 米朝首脳会談の事実上の決裂で、南北融和はさらに見通せない状況となったが、演説文をつくる段階で、すでに日本を刺激する表現は避けるとの判断があったという。 文氏は演説を通して独立運動の意義を説きながら、南北の経済協力や南北統一にも言及。「南北関係の発展が米国と北朝鮮、日朝関係の正常化につながり、北東アジアの新たな平和安保秩序として広がっていく」と強調した。2019年3月2日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「摩擦回避へ 批判弱める」から引用 韓国の人々が言う「親日派」とは、単に「日本に友好的な人」という意味ではなく、日本が植民地支配をした時代に支配者である日本政府に協力した、韓国の人々にしてみれば「同胞を裏切った者」であり、本来日本が敗戦により植民地支配が終了した時点で「親日派」も責任が問われるべきであったものが、当時の社会の混乱の中で十分な責任追及ができずに今日に及んでいるわけで、韓国ではこれから時間をかけてこの問題を解決していくものと思われます。
2019年03月23日
韓国の文在寅大統領が三・一独立運動の記念式典で演説した内容を、2日の東京新聞は次のように報道している; 【ソウル=中村彰宏】 韓国は1日、日本の植民地支配に抵抗して1919年に起きた「三・一独立運動」から100周年を迎え、各地で記念行事を開いた。文在寅(ムンジェイン)大統領は、ソウル中心部の光化門広場での政府式典で演説し、「朝鮮半島の平和のために日本との協力も強化する」と述べ、日韓関係の改善に努力する姿勢をアピールした。 文氏は元徴用工訴訟や慰安婦問題など、日韓関係悪化の要因となっている歴史問題について、「力を合わせ、被害者たちの苦痛が実質的に癒やされる時、韓国と日本は心が通じる真の友人になれる」と表現。昨年の演説で慰安婦問題を「反人道的な犯罪行為」としたような直接の批判は避けた。 演説では「新たな朝鮮半島体制」にも言及した。「これからの100年は、過去とは質的に異なる100年になる」と強調。南北の経済協力を進めるとともに、「統一の準備をしていく」と表明した。 ハノイで開かれた米朝首脳会談にも触れ、事実上の決裂に終わった結果を「より高い合意に進む過程だと考えている」と評価。「米国、北朝鮮と緊密に協力し、完全な合意を必ず実現させる」と意欲をみせた。金剛山(クムガンサン)観光と開城(ケソン)工業団地の再開を目指し、米国と協議する意向も示した。 このほか、元慰安婦らが参加した行進や万歳三唱の再現など、さまざまな行事が開かれた。南部の釜山では、市民団体が日本総領事館前で元徴用工像の設置を試みたが警察に阻止され、約100メートル離れた場所に像を置いた。【韓国大統領の演説要旨】 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が1日に行った「三・一独立運動」式典の演説要旨は次の通り。一、植民地統治に協力した親日派の清算は長く先送りされてきた宿題。隣国との外交で葛藤の要因をつくろうとするものではない。清算も外交も未来志向的に成し遂げるべきだ。一、力を合わせて(日本の植民地支配の)被害者たちの苦痛を実質的に癒やしたとき、韓国と日本は心の通じる真の友人になる。一、朝鮮半島の平和のために日本との協力を強化する。一、ベトナム・ハノイでの米朝首脳再会談は長時間の対話を交わし、相互理解と信頼を高めたことだけでも意味のある進展だった。一、韓国は米朝と緊密に協力し、両国間対話の完全な妥結を必ず成し遂げる。一、次の100年は対立を終え、新たな平和協力共同体である「新朝鮮半島体制」となる100年になる。北朝鮮の非核化が進展した場合、南北の「経済共同委員会」を発足させる。一、南北関係の発展が、米朝関係と日朝関係の正常化につながり、北東アジアの平和構築に貢献する。(共同)2019年3月2日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「文大統領 日韓関係努力アピール」から、【韓国大統領の演説要旨】は同紙7ページから引用 「力を合わせ、被害者たちの苦痛が実質的に癒やされる時、韓国と日本は心が通じる真の友人になれる」という文大統領の言葉は真実を言い表していると思います。日本政府のように、65年の条約締結のときに相応のカネを払ったから後は知らないという態度では、永遠に問題は解決しません。また、「親日派の清算」という問題も、部外者の我々には理解が難しい面もありますが、過去の清算という意味で重要な作業と考えられます。その点、日本では戦争指導者の極一部のみ法の裁きを受けただけで、その他大勢の戦争遂行勢力が一時期公職追放にあっただけで、その後ほとんどが「復活」して政府の要職を担当し、ついには戦犯容疑者やその孫が総理大臣になるという大変屈折した進路を辿ってきており、わが国民主主義が抱えた課題は、韓国の比ではないなあとつくづく考えてしまいます。
2019年03月22日

戦前の朝鮮に生まれ育ち、日本の敗戦まで当時の朝鮮の国民学校で働いた経験をもつ人が、東京新聞の取材に応えて植民地支配下の朝鮮の様子について、次のように回想している; 植民地下の朝鮮に生きた日本人にとって、朝鮮の「独立」はどう映っていたのか。「敗戦まで朝鮮人が独立を求めていたなど知らなかった。私たち日本人は内地人と呼ばれ、朝鮮は日本だと思っていました」 1921(大正10)年に朝鮮半島で生まれ、45年の敗戦まで慶尚北道大邱(テグ)市に暮らした杉山とみさん(97)=富山市=は裕福な子ども時代を過ごした。日本人街で親が営む帽子屋は繁盛し、進学した京城女子師範学校は朝鮮人と共学だったが、みんな日本語を話し、誰が朝鮮人なのか分からない。日本語の世界だった。 師範学校を卒業後は、朝鮮人の子どもが通う大邱市達城国民学校の教員となった。「校門をくぐると朝鮮語は一切禁止。朝礼では『皇国臣民の誓詞』を全員で暗唱する。日本人のように名を変え、皇民化教育を徹底する。立派な日本人を育てようと懸命だった」 ある日杉山さんは、子どもたちが足をひっかけあう遊びで朝鮮語を話しているのを聞いた。転んだ子どもが「どいつだ」と言うと、「いーたりだ」と返す。ドイツとイタリアにかけているのかと思ったら、「いーたり」は「この足」という意味の朝鮮語だった。「彼らなりの抵抗心だったんでしょう。朝鮮の文化を奪って心を変えようとして。支配者として子どもに与えた傷は深い。謝罪しきれません」と杉山さんは涙ぐむ。 「独立」の言葉を聞いたのは終戦が近づいたある晩。寄宿舎で夜中、同室の朝鮮人学生が声を潜めて話しているのを聞いた。「アメリカが朝鮮の独立を応援してくれるって」。独立への思いを初めて知る瞬間だった。<デスクメモ> 一方の日本。政府は昨年、「明治150年」で旗を振り、「明治の精神に学び、日本のさらなる発展を目指す」とうたった。その歩みには成功も失敗もある。教訓は失敗から学ぶことが多いのに、そちらの取り組みはお寒い限り。自画自賛に踊る人が少なかったのは幸いだった。(裕)2019年3月1日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「日本が与えた傷 深い」から引用 この記事は貴重な体験談だと思います。三・一独立運動が日本軍によって武力鎮圧されて数年後に生まれた人で、周りの朝鮮人たちもみな日本語を話していたとなると「ここは日本だ」と思ったのも無理はありません。私たちは、このような植民地支配の実態をあまりにも知らなすぎると思います。学校教育でしっかりと取り組んではいないのですから、知らないのは当たり前ですが、同じ過ちを繰り返さないためにも私たちは歴史を学ぶ必要があります。歴史修正主義者が総理大臣をやっている間は無理としても、真の日韓友好、日朝友好を実現して東アジアに平和を確立するために、私たちの過去にはどのような「誤り」があったのか、しっかりと歴史に向き合うことが大切と思います。
2019年03月21日
日本による朝鮮の植民地支配と戦後の対応について、法政大学准教授の慎蒼宇氏は1日の東京新聞で、次のように述べている; 三・一独立運動を捉え直す研究も進んだ。在日3世の慎蒼宇(シンチャンウ)法政大准教授(朝鮮近現代史)は「朝鮮の独立をめぐる葛藤は1919年からではなく、その50年前、日本が朝鮮支配を始めた明治維新からと捉えるべきだ」と語る。 日本は1876年、朝鮮に力で開国を迫って「日朝修好条規」を締結。関税自主権を認めない不平等条約だった。その後一貫して朝鮮の保護国化を狙い、1904年には朝鮮の権益をめぐって日露戦争が勃発。朝鮮を軍事占領すると、外交権を剥奪した。内政でも財務、軍事にも介入を深めていった。07年には朝鮮の次官ポストを日本人が占めたという。 不当な支配に民衆が立ち上がった。東学農民戦争(1894年)などでは、日本軍が迫害と大量虐殺を繰り返した。日本の憲兵警察は民衆の生活を監視し、処罰を強めていく。1912年施行「警察犯処罰規則」は道路掃除の怠惰、生業なく徘徊、流言浮説など87項目の行為を処罰した。 「植民地支配に対する民衆の抵抗が続き、そのピークに達したのが三・一独立運動。その本質は日本の不法性と暴力を世界に告発することだった」。4年後の関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺も偶発的な出来事ではない。「日本の官民が朝鮮の民族独立運動を『暴徒』としてしか見られなかったからだ」 100年前に告発された植民地支配の問題は、今の日韓関係にも影を落とす。日本政府は韓国の「併合」を今も「合法だった」との立場だ。国交正常化を定めた65年の「日韓基本条約」でも植民地支配への謝罪はしていない。 「国家賠償は正式な謝罪があった上で、それに基づき個人補償をすべきだ。しかし、日韓基本条約はそのようなものではなく、経済支援の準賠償で『解決済み』にした」と慎氏は言う。 在日コリアンヘのヘイトスピーチや高校無償化の朝鮮学校適用除外など、民族差別は収束しない。「これも歴史修正主義的な植民地支配観が底流にあるからだ」として慎氏は続ける。 「日本が植民地支配の責任に向き合うことなくして、差別の克服も日韓関係の改善もできない。朝鮮民主主義人民共和国を取り巻く平和問題でも、存在感を発揮できない。日本の『解決済み体制』はもう限界に来ているのです」2019年3月1日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「政府の解決済み体制 もう限界」から引用 この記事が主張するように、植民地支配に対する国家賠償は正式な謝罪の上で、それぞれの被害を検証し保障を行なうべきですが、65年の日韓基本条約の場合は、東西冷戦に対応する必要があってアメリカが日韓両国に交渉を急ぐように圧力をかけて、十分な検証をすることもなく締結された条約であったために、慰安婦問題のような重大な問題が後になってから発覚したり、徴用工問題で裁判が始まったりしている。65年の条約で解決済みであるとする日本政府の「方針」がもはや限界にきていることは誰の目にも明らかというものであり、近い将来、日韓両国政府は65年の条約で取りこぼした問題について、新たな交渉を始めるべきと思います。
2019年03月20日
100年前の朝鮮半島で始まった独立運動について、3月1日の東京新聞は次のように書いている; 今年は三・一独立運動から100年。日本が朝鮮半島を植民地支配していた1919年、現在の韓国・ソウルで独立宣言文が読み上げられ、民衆が朝鮮全土で立ち上がった。その直前には東京でも朝鮮人の留学生らが独立を宣言していた。支配した日本と支配された朝鮮と2国間の問題にとどまらない。帝国主義を批判し、アジアの脱植民地を求める先駆けとなった三・一運動は、今日に何を語りかけるのか。(安藤恭子、石井紀代美、佐藤直子) 「2000万の民族を代表し、正義と自由の勝利を得た世界万国の前に、わが独立を期成せんことを宣言する」。1919年2月8日、東京・神田の在日本東京朝鮮YMCA会館(現在の在日本韓国YMCA)。大雪に見舞われたこの日、数百人が詰め掛けた講堂で、朝鮮民族の日本からの独立が高らかにうたわれた。 翌月の京城(現在のソウル)での「三・一独立運動」の先駆けとも言える、宣言を起草、署名したのは、早稲田や慶応などの東京の大学に通っていた22~30歳の留学生11人。10年の日韓併合で、日本の統治下に置かれた朝鮮全土から集まった若者だった。 「当時の東京は、アジアや西欧の文化や情報が伝わる先進地でもあった。ロシア革命や大正デモクラシー、そして民族の運命は自ら決めるという第一次大戦後の『民族自決主義』の広がりは、抑圧された留学生たちにも希望を与えていた」。YMCA「2・8独立宣言記念資料室」の田附(たづけ)和久室長(51)は、当時の状況をこう説明する。 宣言をめぐり、署名者の9人や参加学生が逮捕された。署名した一人は、宣言書を隠し持って朝鮮に事前に渡り、現地の指導者らと接触。二・八宣言の精神は、その後の三・一運動に影響を与えたとされる。 宣言がなされたYMCAの建物は、4年後の関東大震災で焼失。現在は600メートル離れた千代田区猿楽町に移転した。今年新装された資料室には、二・八宣言に署名した李光洙(イガンス)ら11人の写真パネルや、逮捕された留学生の裁判を無償で引き受けた、布施辰冶弁護士らの資料が並ぶ。 田附さんは「留学生たちが官憲の目をくぐって宣言書を刷り、独立を求めたのがYMCA。この場が100年たった今、在日コリアンを支え、日韓の文化の懸け橋となっているのは奇跡。今も対立の中にある人たちの希望となれば」と願う。 二・八宣言は、日本の支配の不当性を訴え、朝鮮民族の独立と民族自決主義の適用を日本だけでなく世界各国に求めた。朝鮮民族にも覚醒を訴えていた。 「逮捕のリスクを覚悟で、宗主国の中で宣言された希有(けう)なものだ」と評価するのは李省展(イソンジョン)・恵泉女学園大名誉教授(東アジア近代史)だ。「宣言は日本の武断統治への批判や、言論や信教の自由が侵されているという権利意識、国際情勢への認識に触れている。大正デモクラシー下の日本で教育を受けた若きエリートならではの、鋭い感覚にあふれている」と指摘する。 二・八宣言に関わった留学生の多くは朝鮮に戻り、独立運動に加わったが、その後「親日」に転向した者もいた。「宣言は『内に立憲主義、外に帝国主義』という日本の植民地支配の矛盾をついた。民族自決の精神や、平和や文化、民主主義を追い求めた留学生たちの視点は、今の世界を生きる私たちへの問い掛けでもある」と李氏は話す。 【三・一独立運動】 日本の植民地支配からの解放を求め、1919年3月1日から朝鮮各地で行われた抗日独立運動。1日に京城(現在のソウル)の旧パゴダ公園で宗教人らによる独立宣言が読み上げられた。太極旗を振りながら「独立万歳」を叫ぶデモ行進は、朝鮮全土に広かったが、日本の軍や警察が武力で弾圧。5月末までに約200万人が参加したとされ、多数の死傷者や逮捕者が出た。2019年3月1日 東京新聞朝刊 11版 24ページ 「三・一独立運動 現代への問いかけ」から引用 わが国は戦争に負けるまで朝鮮半島を植民地支配していたことは、学校の授業でも少し学習するので、まったく知らないわけでもありませんが、その「植民地支配」がどのようなものであったか、朝鮮半島の人々は「植民地支配」をどう思い、どのように行動したのか、あまり詳細は分かっていないのが実情ではないかと思います。上記のような記事も、百年目の記念だからと言わず折に触れて「植民地支配」の実態が明らかにされるべきだと思います。
2019年03月19日
先月実施された沖縄県の県民投票をメディアはどう報道したか、文芸評論家の斎藤美奈子氏は2月27日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 7割が辺野古(沖縄県名護市)の埋め立てに反対した24日の沖縄県民投票。この投票で同時に露わになったのが、本土の報道各社の意思である。最小限の報道でお茶を濁したテレビ局には意思がないらしいので放っとくとして新聞は? 在京6紙中、25日の1面トップでこの件を伝えたのは東京、朝日、毎日の3紙。社説でも、東京は「沖縄の思い受け止めよ」、朝日は「結果に真摯に向きあえ」、毎日は「もはや埋め立てはやめよ」の見出しを立てて投票結果を尊重するよう政府に求めた。 以上3紙が「反対」派だとすれば、産経は完全に「賛成」派だ。「投票結果は極めて残念」とし「国民を守る安全保障政策を尊重し、移設容認に転じるべきである」と知事に説教する社説。なかなか頓珍漢(とんちんかん)である。 おもしろいのが日経で「国と沖縄は対話の糸口探れ」と提言するも右往左往する社説はほぼボヤキ。これが「どちらでもない」ってやつか! 一日遅れの26日にしぶしぶ(?)社説を出したのが読売だ。「そもそも条例制定を推し進めたのは、玉城氏の支持勢力」などのネガキャンに努める読売は投票自体を否定する棄権組? という例外はあっても地方紙各紙の論調も多くは「反対」寄りだった。投票結果は本土も動かした。分断から共闘へ。流れはここで変わるかもしれない。(文芸評論家)2019年2月27日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-メディアの意思」から引用 コマーシャル収入への影響を恐れて常識的な意見表明を憚るテレビの姿勢は残念なことですが、東京、朝日、毎日の各紙が沖縄県民の意思表示を真摯に受け止め、工事を中止するべきと主張したのは、まともな人間の正常な判断であったと思います。しかし、普通の記事を書いたのでは誰も読まない産経新聞は、奇をてらうように「国の安全保障」持ち出して新基地建設を容認するように主張するのは、政府の主張を代弁して安倍支持層のウケを狙ったと考えられますが、沖縄の現状を無視した主張では全体として世の中を良くする方向には貢献しないと思います。そして肝心の政府の姿勢が産経新聞レベルというのが、現代日本の最大の課題です。在京3紙と常識的な判断を社説に書いた多くの地方紙が、チカラを合わせてわが国の政治をまともな路線に戻すように努力してほしいと思います。
2019年03月18日
安倍首相が自身の立場も顧みずに「言論の自由だ」などと愚かな発言をしたことに関連して、東京新聞論説委員の桐山桂一氏が2月26日の同紙に、次のように書いている; 「言論の自由だ」-。12日の衆院予算委員会で飛び出した安倍晋三首相の言葉に違和感を持っている。 発端は自民党大会で首相が「悪夢のような民主党政権」とののしったことだ。だから、元民主党代表たった立憲民主党会派の岡田克也氏が撤回を求めた。 そこで首相が持ち出したのが「言論の自由」だ。子どもじみた言葉の使い方である。もし「悪夢のような安倍政権」と面罵されたら、言論の自由は棚に上げて、撤回を求めかねない人だから。 それにかつては権力が国民の言論・思想を弾圧した歴史を持つ。だから言論の自由は今は憲法が国民に保障する大事な権利となっている。かたや首相は憲法の縛りを受ける権力そのものだ。 いつまた言論統制の野心を持つかもしれない存在ともいえよう。だから、その当人が言論の自由を持ち出すと、いささか奇妙に聞こえるのだ。むろん私人としての自由、議場の自由はあるのだが。 しかし、肝心の自由は安倍政権になって窮屈になっている。例えば国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」が示した報道自由度ランキングでは、2017年は何と日本は世界72位だった。 10年には11位なのに、14年に59位、15年に61位と評価はがた落ちだ。自由は危険水域なのだ。国境なき記者団は指摘した。 <自由な報道活動が続いていた先進国でも『フェイクニュース(偽のニュース)』の拡散、権力者による恣意的な報道規制など憂慮すべき傾向が目立つ> 直近の出来事では、NHKの番組で「辺野古の海のサンゴを移植した」との発言は、首相がどう言い繕おうとフェイクだろう。「自衛官募集に6割の都道府県が協力を拒否している」との発言もフェイクである。事実に反する。権力による報道規制は、官房長官会見での本紙記者の質問制限が典型例になろう。 なぜ、こんな統制まがいの振る舞いなのか。恐らく政権発足当時から「お友達」を要所に送り込んで、対抗勢力の芽を摘む政治手法を使っていることと関係すると思う。 内閣法制局に、日銀に、NHKに・・・統治システムに仕組まれたコントロールを否定する手法なのだ。つまり権力に対するブレーキ役の存在を破壊しつつ進んできた。 集団的自衛権の閣議決定のときは、憲法学者が「法学的なクーデターだ」と語った。これも統治システムの破壊である。忖度と萎縮が増殖し、公文書の改ざんも起きる。コントロールが効かない権力の暴走の姿を私たちは見ているのだと思う。 首相は改憲を熱望し、9条を変えたい人である。だが、自衛官の子どもが「お父さん、違憲なの?」のレベルの話で改憲の根拠になるはずがない。国会は言論の府だが、首相の言論には良識という自制がなくては、健全な議論が成り立つはずがない。2019年2月26日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「視点-良識という自制が必要」から引用 その気になれば言論を統制することも可能な地位にある者が、己の不適切な発言を指摘されて「言論の自由だ」などと口走れば、聞く者は「この人、自分がどんな立場なのか、分かっていないのか」と驚く。それはまた、そんなことも分からないような者に、この国の政治を任せていたのかという自責の念にも繋がりかねません。実際に安倍首相は内閣法制局に、日銀に、NHK、その他数々のポストに自分のイエスマンを据えて、わが国の民主主義はほとんど機能不全になっている。国会が開かれていると言っても、野党の質問にまともに答弁せず、関係ない話で時間を潰して終わるのでは、国会は開かれていないのと同じです。このまま自公に任せておいては、この国の民主主義は終わるという自覚を持つことが必要です。
2019年03月17日
沖縄の民意を無視する安倍政権を、ルポライターの鎌田慧氏は2月26日の東京新聞で、次のように批判している; 辺野古への米軍基地建設は反対。安倍内閣が「唯一の解決策」と主張する重要策に、沖縄県民投票が突きつけた72%の圧倒的な反対の声。安倍首相はどう聞いたのか。それでも無視するのか。 なにがあっても「史上最長政権」の記録樹立が政権維持の動機、かつ最大の欲望であるかのような、まるで迷惑な憲法感覚。祖父岸信介の遺恨・憲法改悪と軍事力強化への突進は、けっして支持されていない。 米軍基地の新設工事は世界北限のジュゴンや豊かなサンゴ礁が成育する海を殺し、水深30メートルの海底の下、マヨネーズ状の軟弱地盤に、7万7千本もの巨大な砂杭(ぐい)を埋めて、なお完成するかどうか。経費は2兆5千億円以上。それもすべて日本のおもてなし予算。 アメリカの専門家でさえ、在沖海兵隊は規模が小さ過ぎて戦略的価値はない。米本国に置くよりも駐留費が50から60%安いからだ、と明言している。 「海を潰(つぶ)し、自然の命を殺戮(さつりく)し、人間を殺すための軍事基地をつくる。これは人間の道を踏み外す、罰当たりの所業である」と私は投票前、週刊誌に書いた。沖縄は日米安保と日米地位協定の最大犠牲者だ。沖縄いじめの首相が一方では米大統領のノーベル平和賞推薦の使い走り、ご機嫌とりに終始しているのは選挙民の屈辱だが、沖縄の抵抗運動に沈黙するのは共犯だ。(ルポライター)2019年2月26日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-トラの威を借りる」から引用 県民投票が突きつけた圧倒的な反対の声を、安倍首相はどう聞いたのか。多分、彼はこういう声を聞きたくなかっただろうから、仲間の自民党議員に指示して沖縄県内の自民党所属の市長や市議に「県民投票の予算を議会で否決するように」などと裏工作をしたのであったが、そんな企ても若者のハンガーストライキで覆されて、結局県民投票は実施されたのであった。今日の沖縄の事態について、安倍首相はどのように対処するか、彼は政治家としてのノウハウを持っていないため、無視して辺野古の埋め立てを続行するしかないわけである。しかし、その埋め立ても無理矢理続行して何かの役に立つのかと言えば、これまた軟弱地盤の問題が控えており、巨額の税金を注ぎ込んで工事を続行してもやがては工事を断念する羽目になることは、今から分かっているのに、それでも今ここで勇気を出して「工事中止」の英断を下す能力は、安倍氏にはない。敗戦が明らかなのに、なかなか戦争終結を決断できなかった敗戦直前の日本政府と同じ状況だ。もはや政権交代によってしか、新しい展望は開けないと考えるしかないと思います。
2019年03月16日
近頃の自民党政治について、法政大学教授の山口二郎氏は2月24日の東京新聞コラムに次のように書いている; 通常国会が始まって以来、安倍政権の国会質疑や記者会見への対応の仕方は常軌を逸しており、その滅茶苦茶(めちゃくちゃ)ぶりはエスカレートしている。 問題一。辺野古の珊瑚(さんご)を移植した、地方自治体の6割が自衛隊員募集に協力しないなど、首相の虚言を訂正せず、屁理屈(へりくつ)をこねて正当化する。 問題二。官房長官記者会見で事実誤認の質問をするなとすごみ、新聞社が抗議すると、新聞記者が国民の代表である根拠を示せと逆切れ。 問題三。自民党所属議員が女性への暴行で離党したら、党のベテランがわからないようにやれと、犯罪の悪質性を全く理解しない発言をする。 これだけ愚行や失態が続けば、国民の方が愛想をつかすはずだが、そうなっていない。インフレターゲットは経済政策としては失敗したが、政治の世界ではスキャンダルのインフレを起こすことに成功した。最高権力者は嘘(うそ)をつくのが、官房長官は説明を拒否するのが、自民党の政治家は女性の人権を無視するのが当たり前。人々は、自民党の政治はこんなものだと慣れてしまった。 安倍政権の6年間、日本の民主政治はゆでガエル状態で、本来であればびっくりして跳び上がるような問題も、あまりに積み重なることで、人々はあるまじきとは思わない。このまま民主政治が死滅していくことを、我々は放置してよいのか。(法政大教授)2019年2月24日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-ゆでガエルの政治」から引用 安倍政権は何回選挙をしてもいつも勝っているとは言うものの、これまでの選挙の自民党の得票数は民主党に政権を奪われた麻生内閣の下での得票数を、安倍内閣で上回ったことはないのが現実で、自民党は毎回着実に得票数を減らしている。この記事が指摘するように、自民党政治はこんなものだと慣れてしまったり諦めている人もいると思うが、愛想を尽かした勢力も確実に存在するわけであるから、私たちは自民党批判をより一層強めて、野党を応援するべきと思います。
2019年03月15日
アイヌ民族支援法案が国会に提出されたことについて、2月22日の東京新聞は次のように報道している; 政府が今国会に提出しているアイヌ民族を支援する新法案。法律で初めてアイヌを「先住民族」と明記し、文化振興や観光のための交付金制度も設けられた。一方、差別の禁止は記載されたものの、それを保障する生活改善に関する権利はほとんど盛り込まれていない。(片山夏子) アイヌ民族は現在は北海道を中心に全国に居住。独自の伝統を持ち、固有の文化を発展させてきたが、江戸時代の松前藩の支配や明治以降の北海道開拓で土地を奪われ、長く差別や貧困に苦しんできた。1899年に制定された「北海道旧土人保護法」で和人への同化政策が進められ、1997年に同法が廃止されアイヌ文化振興法が制定された後も、奪われた権利は戻らなかった。 法案は目的に「アイヌの人々が民族としての誇りを持って生活でき、誇りが尊重される社会の実現を図る」ことを掲げる。国や地方公共団体はアイヌ施策を策定・実施する責務があり、アイヌ文化の保存や継承、観光や産業の振興に関わる事業に交付金を出すとしている。また儀式や文化振興のため、国有林野での林産物の採取を認め、河川での伝統的なサケ捕獲の許可を取りやすくする。 政府は2019年度予算案に10億円を計上。20年4月には、北海道白老町に国立アイヌ民族博物館などのアイヌ文化の振興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開設される。 北海道大のアイヌ・先住民研究センターの常本照樹センター長は「差別解消が法でうたわれた意義は大きい。北海道だけでなく、全国的な視点で政策を実施すべきだとした点も評価できる。現状では、民族共生を目指して地域全体を豊かにする交付金制度は、産業・観光振興だけでなく、アイヌ民族の地位向上や生活改善にも活用できる現実的方策だ」と評価する。 アイヌ民族初の国会議員萱野茂さん(06年死去)の次男で、萱野茂二風谷アイヌ資料館の萱野志朗館長も「法に先住民族と記したのは一歩前進。交付金の財源確保も評価できる」と話す。 ただ、法案は、文化振興や観光施策に力を入れている一方、土地に関する権利や、制限を設けないサケ漁の権利、自治権などは盛り込まれていない。 恵泉女学園大の上村英明教授(国際人権法)は「先住民族とは書き込まれたが、アイヌ民族の立ち位置や先住民族の権利が基本的に認められていない。アイヌのこれまでの歴史や文化に正面から向き合うものではない」と言い切る。 萱野氏も「政府が取ってきたアイヌ民族政策への総括が必要だ。先住民族として権利実現を求めた場合、土地や自治権、アイヌ語を使用する権利を求めることになる。政府は根本的な権利回復は認めたくないので、交付金制度で自治体に施策を丸投げした状態といえる。国連で採択された『世界の先住民族権利宣言』の内容に沿った権利回復をすべきだ」と訴える。 常本氏は「2020年東京五輪に向けた国の予算措置が終わった後もアイヌ政策を安定的に継続するために、関係大臣で構成するアイヌ政策推進本部が設置される意義は大きい。新法に基づくウポポイによって、社会におけるアイヌの歴史や文化の理解が深まれば、次のステップに進むことができる」と期待する。2019年2月22日 東京新聞朝刊 11版S 24ページ 「アイヌ 生活改善に課題」から引用 一昔前は土人保護法などという、まったく失礼極まりない価値観を晒していたわが国政府も、近年人権思想をよく理解するようになり、この度アイヌが先住民族であることを明記した法案を審議する運びとなったのは、良かったと思います。国連が推奨するようなレベルにはまだかなりの距離があるようですが、これからは私たちのアイヌに対する理解を深め、やがて将来は北海道の一部地域をアイヌの人々の自治区にして、私たちと共存共栄していく体制にするのが理想的だと思います。
2019年03月14日
2回目の米朝首脳会談はさしたる結果を得ずに終わったが、会談直前の東京新聞は、次のような論評を掲載していた; ここ数年、朝鮮戦争(1950~53年)に関心を持っている。北朝鮮の南侵をきっかけに始まり、朝鮮半島全域で戦闘が展開された。 決着がつかないまま休戦となったが、民間人を合わせ、500万ともいわれる多大な犠牲者を出した。 朝鮮戦争で日本は戦場になっておらず、米軍の後方支援に専念した。しかし、大きな影響は受けている。 戦争中に自衛隊の前身である「警察予備隊」が発足、旧・日米安全保障条約が結ばれている。 安全保障は米国に依存し、軽軍備の国家として経済発展を図る方向が確定した。 参戦国も、この戦争の影を長く引きずった。 中国は、中朝国境に米韓軍が迫ったことに危機感を抱き、大量の志願軍を派遣した。軍事費は、当時の国家予算を大きく圧迫した。 建国(49年)直後でありながら米国と互角に戦ったことで、最高指導者毛沢東の権威は飛躍的に高まったが、経済的には大混乱する。 共産主義の広がりを警戒して朝鮮戦争に参戦した米国は、軍事予算を大幅に拡大し、核兵器の開発に力を入れた。その後はベトナム戦争の泥沼に巻き込まれていく。 北朝鮮との厳しい軍事的緊張にさらされた韓国は、国防を最優先する独裁政権が続き、民主化は後回しにされた。北朝鮮も軍事優先路線に進み、核開発にも着手した。 今月下旬にベトナムで開かれる米朝首脳会談を通じ、米国側は、休戦中の朝鮮戦争に何らかの形で区切りをつけようとしているようだ。 北朝鮮との交渉窓口、米国のビーガン北朝鮮担当特別代表が、「トランプ大統領は、この戦争を終わらせる準備ができている」と述べていることからもうかがえる。 もちろん、終戦には北朝鮮の非核化の実現が前提だ。 そして米国、北朝鮮、中国と韓国が相互不可侵などを盛り込んだ「平和協定」を結ぱなければならない。 しかし、米朝間でまず相互不可侵をうたったり、お互いに連絡事務所を設置する案が検討されているという。 すでに南北間では、昨年9月に軍事分野での合意が交わされ、緊張緩和の具体策が取られてきた。これもミニ終戦宣言といえる。 トランプ氏が、終戦を目指すのは、70年近く続いた対立を終わらせるという歴史的な使命感ではない。在韓米軍の財政的負担を減らすという現実的な理由からだろう。 安倍晋三首相は、トランプ氏の姿勢を評価しノーベル平和賞に推薦したらしいが、日本は動かなくていいのか。 朝鮮半島で始まった平和定着の努力を、どう後押しするか。そして、新しい安保環境の中で、日本はどんな役割を果たすのか。 残念ながら、そのビジョンが今の安倍政権からは、十分伝わってこない。2019年2月21日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「日本の役割が見えない-朝鮮戦争の『終戦』」から引用 米朝首脳会談が不発に終わったことは残念であったが、交渉が決裂したわけではないという点は救いです。かつてのような共産主義陣営を拡大しようという野望も、それを実行する組織も、今はなくなっており時代は変わってしまったのですから、国際社会も新しい時代に即した関係を築いていくべきです。朝鮮民主主義人民共和国が米国との国交正常化を希望しながらも非核化に慎重な理由は、うっかり先に非核化を実行した後に米軍の侵略を受ける危険性が排除できない点にあると思います。一方、米国が交渉に慎重な理由は、米国が国交正常化から経済支援へと進むその裏で、共和国側が密かに核兵器を隠し持つ危険性を疑っているからと思われます。このようにして膠着した状態は、どのように解消できるか。一つの方法は、圧倒的に実力の勝る米国が譲歩して、一挙に非核化実現を要求するのではなく、段階的な非核化に対応して経済制裁を軽減していくことだと思います。共和国は一度核兵器を手放してしまえば、何時米国の侵略を受けるか分からないという危機感があるのに対し、米国側は一度制裁を緩めたとしても、必要があればすぐまた「制裁強化」に逆戻りできるというアドバンテージがあるのですから、交渉を進めるも止めるも米国の一存によると考えるのが妥当と思います。
2019年03月13日
さいたま市の公民館が憲法9条を読み込んだ俳句を広報紙に掲載することを拒否して裁判になった件について、2月21日の東京新聞は次のように書いている; 2月から読者部に勤務し、「発言」欄を担当しています。前任地のさいたま支局では、一通の投稿がきっかけで大きなニュースの報道にかかわりました。 5年前の6月。さいたま市の女性から読者部への投稿メールが、さいたま支局に転送されてきました。読者部のデスクが「これは二ユースだ。取材して記事にするべきだ」と声を上げたのです。 投稿者の母は、市内の公民館で活動する句会で梅雨空に「九条守れ」の女性デモと詠んだ。句会が秀句に選んで公民館だよりに掲載することにしたのに、公民館から「この句は載せられない」と言われた。何かいけないのか-。強い憤りを伝える内容でした。 当時の支局デスクだった私も驚き、記者3人に取材を頼みました。公民館を管轄する市教育委員会の言い分は「掲載すれば、公民館が政治的に中立でないと誤解される」。記者たちも私も「載せないことで中立性を損なったのでは?」と納得できません。 間もなく本紙で報じました。作者の女性は訴訟を起こし、「掲載拒否は違法」との判決が確定。市教委はついに、今月の公民館だよりに〈梅雨空に~〉の句を載せたのです。 問題の背景には、改憲派からの批判を恐れた公務員の「事なかれ主義」があったと思います。それを一通の投稿が打ち破った。私はそう確信しています。(杉本慶一)2019年2月21日 東京新聞朝刊 12版 5ページ 「読者部だより-9条俳句掲載 投稿が行政動かす」から引用 問題になった俳句は、読む者に「憲法を護ろう」と呼びかけるものではなく、客観的に憲法擁護を訴えるデモ隊が通る様子を表現しただけですから、これを「政治的だ」と言うには少々無理があるように思います。しかし、当初さいたま市教育委員会が主張したように、この俳句を掲載することによって「公民館が護憲派に味方してる」と”誤解”する自民党市議などは、その辺にざらにいるように思われます。本来であれば、市教委や公民館がそのような”誤解”に基づいて異議を申し立てるような輩を説得するべきだったと思いますが、そこが上の記事が指摘するように、市教委や公民館は「事なかれ主義」で自主判断を避けて裁判所に委ねた、というのが今回の一件であったと思います。いずれにしても、行政の権限で市民の言論表現の自由を規制してはならないという、民主主義の原則が確認されたのは良かったと思います。
2019年03月12日
首相官邸が東京新聞・望月記者を排斥するような文書を記者クラブに提出した問題について、弁護士やジャーナリストのグループが官邸を批判する声明を発表したと、2月20日の東京新聞が報道している; 沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設に関する本紙記者の質問を巡り、首相官邸が「事実誤認」「度重なる問題行為」と内閣記者会に文書で伝えた問題で、弁護士やジャーナリストらが19日、「官邸による取材・報道の自由侵害に抗議する緊急声明」を発表し、文書の撤回を求めた。 声明は梓沢(あずさわ)和幸弁護士、早稲田大の田島泰彦非常勤講師、立教大の服部孝章名誉教授が呼び掛け、4日間で346人が賛同した。新基地建設について「政府と野党の認識が鋭く対立している。政府の一方的認識を前提として、質問者の事実認識を『事実誤認』と断定し、説明を免れ、質問を抑圧することは許されない」と指摘した。 さらに「表現の自由、知る権利に関心を寄せる私たちは、この問題について深刻な憂慮を表明するとともに、政府に対しこの文書をただちに撤回するよう要求する」と結んでいる。 呼び掛け人らは19日夕、都内で記者会見した。梓沢氏は声明について「司会者の制約と、そこに存在する無言の圧力に抗して努力を続ける記者の孤独な健闘に対し、これを捨て置くことは良心に照らして許されない、という意思の表明。すなわち良心の連帯の表明だ」と強調した。 声明に賛同した日本体育大の清水雅彦教授は「一記者の問題ではなく、メディア全体が脅かされる問題。国民の知る権利が脅かされるという意味では、国民全体の問題だ」と述べた。2019年2月20日 東京新聞朝刊 11版S 28ページ 「官邸は要請文撤回を」から引用 首相官邸が記者クラブに出した要請文の何が問題なのか、この記事は詳しく説明している。多くの国民はテレビで辺野古の海が赤土で埋め立てられて周辺が汚染されている映像を見て「これでいいのか?」と疑問を感じている。その疑問を晴らすべく望月記者は質問をしたわけである。従って、もし望月記者の認識が「誤認」であるなら、根拠を示して「誤認」であると説明すれば問題は解決するのであるが、実際のところ「誤認」であることを証明する根拠は存在しないし、それどころか違法な赤土を埋め立てに使用したのは事実であるため、官邸としてはこういう質問には答えたくない。そのため、記者の質問は事実誤認だから答える必要はないと、勝手な理屈をこねて、その上この記者はこういうことを繰り替えているから記者クラブから排除しろと、こういう乱暴なことを官邸は言っているわです。そうすると、この件はどう考えても首相官邸が100%悪いのであって、これを捨て置くことは良心に照らして許されないという結論に到達するのは当然のこととなるわけです。
2019年03月11日
経済界の要人の発言について、2月20日の東京新聞は次のように書いている; 福島の大事故からまもなく8年。次の扉を開こうとする音かもしれない―と耳をそばだてた発言が経済人から続いた。 1人は原発メーカー日立製作所の会長でもある中西宏明経団連会長。 「国民が反対するものはつくれない」 「全員が反対するものを・・・無理やりにつくるということは、民主国家ではない」 年初のインタビューでそう述べて原発、エネルギー政策に国民的な討論を求めた。 そして経済同友会、小林喜光代表幹事の2月初めの記者会見。 「あの時点からテクノロジー、経済性という意味で相当変化してきた。(原発の発電コストは)1キロワット5円などといわれたが、気が付いてみると10円を超えている。一方で太陽光は10円以下という国もある」 「原子力を使わないにしろ、原子炉は40基以上ある。廃炉産業は人類にとって重要で、次の産業として成り立つ」 エネルギー資源を求めた戦争のあげくに広島、長崎を経験し、その原子エネルギーを資源にと試みて大切な古里を失った。 あれから8年。デジタル革命で世界は未知の領域にある。多くの国民が反対する原発に拘泥して次の扉を開けなければ、産業も経済も立ちゆかなくなる。2人の発言は局面変化の証しと思いたい。もしそうなら、脱原発はそこまできているのかもしれない。(安田英昭)2019年2月20日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「私説・論説室から-失われた古里」から引用 この記事に引用された経団連、中西会長の発言は、まるで野党の政治家のような真っ当な意見で、何か安倍政権に喧嘩を売るような「文脈」にも見えて、初めて聞いたときは何が始まったのかと思いましたが、それから2~3日して「再稼働はどんどんやるべき」などと真逆な発言をして財界代表としてはバランスをとったようですが、「本音」はどの辺にあるのか、いまだに謎です。原発事故で汚染された地域は通り一遍の「除染」作業を終えたからという理由で批難解除された格好になってますが、除染作業をしたのは家屋の屋根や地面など、人の手が届く範囲に過ぎず、家々の周りの高い樹木の葉などは手つかずですから、少し風が吹けば放射能にまみれたホコリが舞い降りるのですから、うっかり帰還するわけにもいかず、避難先に留まる人々も多くいるとのことです。行政は避難者への支援を打ち切りたいために、除染だ、批難解除だと言っているように見えますが、人々が納得して帰宅するまでは避難者支援を続けるべきで、政府と東京電力は責任をもって支援を継続するべきです。それにしても、この記事によると経済同友会、小林氏は「廃炉産業は次の産業として成り立つ」と発言していますが、これは疑問です。産業というものは、需要を満たすための生産活動のことです。しかし、廃炉作業は既に存在する原子炉を解体して廃棄するだけであって、何かを生み出したり作り出したりするわけではありませんから、これを「産業」と呼ぶことはできないのではないでしょうか。廃炉作業によって安全な環境を提供するという「理屈」は可能かもしれませんが、そのようにして提供された環境を誰が「購入」するのか。もともと福島県は安全に生活できる環境だったのであり、それを破壊して危険な環境にしたのは東京電力と政府の責任であり、廃炉作業はその責任の下に行なわれるべき作業であり、誰かに対価を要求できる「産業」にはなり得ないと思います。
2019年03月10日
敗戦直後の日本人が戦力不保持を定めた憲法と遭遇したときの様子について、東京新聞記者の高山晶一氏が2月19日の同紙に、次のように書いている; 「幼い思考で、そのときは死ぬしかないと思い定めた」 先日、84歳で亡くなった母の遺品の中から、一冊の大学ノートが出てきた。新聞の読者欄に投稿しようとしたらしい文章の下書きが書き留められていた。 題材は、太平洋戦争の終戦から2年後の1947年、戦力不保持を定めた9条を柱とする日本国憲法が施行されたころの、ある夜の記憶。13歳だった母は、父親(記者の祖父)がおいと酒を酌み交わしながら「軍を持たないでどうやって国を守ればいいのだろう」と張り詰めた空気で語り合うのを見て、子ども心に死を覚悟したという。 下書きで母は「新憲法が戦力の保持を認めない、となったときの、人々が受けた衝撃は大きかった」と回顧。心配が杞憂に終わり、日本が「戦争のない70年」を歩んで「世界に平和の国としてしっかりうけ入れられた」ことを「誇らしく、いとおしく思う」とも記している。 政治の話をあまりしなかった母が、こんなことを考えていたのかと驚いた。同時に感じたのは、戦後の教育を受けた記者の世代にとって当たり前の、軍隊を持たないという選択は、外国と戦争をする時代に育った当時の日本人にとつて当初、死を連想するほど衝撃的なものだったこと。結果として平和をもたらした憲法を、戦争体験を持つがゆえに強く支持していたことだ。 母はこんなことも書いていた。「(今の憲法は)アメリカによって決められたといわれ、改憲の話がくすぶっている」。改憲の動きを憂慮していたに違いない。 9条に限らず、今の憲法は太平洋戦争の反省に立ち、権力の暴走を抑えることによって戦争を二度と起こさないという思想に貫かれている。安倍晋三首相が主導する改憲は、その本質を台無しにする恐れが大きい。 自民党が掲げる改憲4項目のうち、首相が最重視するのは自衛隊の存在を明記する改憲。最近は、自衛官の募集事務を拒否する自治体がある状況に終止符を打つためにも必要と訴えている。 戦力不保持を規定した現行の9条は維持するとしているが、例外規定を設けることで死文化するとの懸念は強い。他国を武力で守る集団的自衛権を行使でき、違憲の疑いがある安全保障関連法を追認する改憲という批判も。 闘病中の母に、幼いころの思い出を尋ねたことがある。途切れ途切れに出てきた言葉は、友達と遊んだ思い出ではなく、戦争下の世相だった。 「戦争がどんどん熾烈(しれつ)になるにつれて、世の中全体、色彩が乏しくなった」 「一致団結みたいなことを叫びながら、だんだん自分のことは遠慮するようになった」―。 軍隊を持たず、外国と戦争しないという今の常識が、いつまたひっくり返されるか分からない怖さを、母は伝えようとしていたのではないか。2019年2月19日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「視点-亡き母の杞憂と懸念」から引用 生まれて物心ついた頃から国が戦争をしていた時代の人々にとって、憲法が戦力不保持を定めたとなれば、それはどんなに大きな衝撃であったか、この記事によく現れていると思います。しかし、その後の70余年を憲法が定めた通りに政治をおこなってきた、この実績は何ものにも代えがたい国民の誇りであり、私たちが自信をもって子孫に継承できる財産だと思います。
2019年03月09日
国会でトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦したことを質問されても否定はしなかった安倍首相について、2月19日の東京新聞は次のように書いている; かのヒトラーがノーベル平和賞の候補になったことがあると聞けば驚く人もいるだろう。ドイツがポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が勃発する直前の1939年のことだそうだ。 推薦したのはスウェーデン国会議員のエリック・ブラント。推薦文がふるっている。「ヒトラーは平和への希望」「地球平和のプリンス」。絶賛の限りを尽くしているが、無論ヒトラーへの痛烈な皮肉。この人、反ナチズムの政治家で平和賞への推薦でヒトラーをからかいたかったらしい。 その種の皮肉や冗談ではなく、どうやらマジメな推薦らしいと聞いて複雑な気分になる。安倍首相がノーベル平和賞にトランプ米大統領を推薦しているそうだ。 北朝鮮の核・ミサイル実験停止などでの功績を評価してということになろうが、問題の先行きは見えぬままで、それを評価するのは気が早かろう。ましてや世界を翻弄(ほんろう)する「分断の人」を「平和」と名の付く賞に推薦することへの違和感が消えぬ。 どういう経緯で推薦となったのかは分からない。米側の要請があれば断りにくい日本側の事情も理解できないではないが、平和賞への推薦は日本がトランプ政治を手放しで称賛しているように見えまいか。 首相は昨日の国会で推薦したかどうかを明確にしなかった。安倍さん自身、胸の張れる推薦ではないことをよく分かっていらっしゃるようにも見える。2019年2月19日 東京新聞朝刊 12版 1ページ 「筆洗」から引用 トランプ大統領を安倍首相がノーベル賞候補に推薦したという話には、いろいろ考えさせられる。トランプ大統領と言えば、与党の共和党内ですら評判はあまり良くないため協力者が少なく、政府の必要なポジションにも欠員が埋まらない有様であるが、それでも唯々諾々とトランプ氏の指示に従い、日本政府にノーベル賞の推薦を依頼してくる政府高官がアメリカにもいるわけで、それはあたかも日本政府内にも、立憲主義を無視した違法な法律を次々と強行採決した安倍政権の下で、少々疑問を感じつつも黙って働く官僚がいるのと同じ構図のように思われます。それにしても、国民の前で堂々と「誇りをもって大統領を推薦した」と言えない総理大臣には少なからずがっかりさせられます。
2019年03月08日
首相官邸が記者会見の場から東京新聞・望月記者を排除しようと画策した事件について、武蔵大学教授の永田浩三氏は、2月17日の東京新聞で次のように述べている; 市民の知る権利に奉仕する記者の尊厳を新聞社、他メディア、市民はどう守るのか。 2月6日朝刊24面に2段の記事が掲載された。「本紙記者質問に『誤認、問題』 新聞労連、官邸に抗議」とあった。首相官邸が、内閣記者会という記者クラブに対して、東京新聞記者が菅義偉(すがよしひで)官房長官による会見で、事実誤認による質問や度重なる問題行為を行ったという理由をつけて、記者の仲間に問題意識を共有するよう要請したことについて、5日に新聞労連が抗議したという記事だ。 これは新聞労連の行為を記事にしているが、東京新聞の社としての覚悟が示されている。加古陽治編集局次長の談話。「今後とも読者の『知る権利』に応えるため、本紙記者が取材等で知り得た事実関係に基づき質問に臨む方針に変わりありません」。簡潔で明快な意思表明だ。 官邸が問題視したのは、昨年12月26日の望月衣塑子記者による質問。沖縄県名護市辺野古の埋め立て現場に赤土が広がっているとして、政府の対応をただした。この質問に官邸はブチ切れた。「事実に基づかない質問は厳に慎む」よう東京新聞に要請するとともに、内閣記者会にもなんとかしろと迫ったのだった。朝日新聞によれば、記者会側は「質問の制限などできない」と毅然(きぜん)と?伝え、官邸側も「(制限できないことは)分かっています」と答えたという。 2月7日朝刊26面は、この事態に、野党の議員2人が、官邸報道室の上村秀紀室長らに事実確認を行ったことを伝えた。ここでも上村室長は、「事実に基づく質問をしてください」と言い、加古編集局次長は、事実誤認とは考えておらず、国は実態を把握できていないのではと語った。 2月10日朝刊23面の山口二郎氏の「本音のコラム」の論は鮮やかだった。何を聞いても「問題ない」を繰り返す官房長官に対して「主観で事実を覆い隠す記者会見を繰り返しながら、記者は事実に基づいて質問しろとは何事か」。ブーメランという例えがあるが、事実を無視し、質問を妨害してきたのは官邸の側だ。相手に道を説くのであれば、まず自身から襟を正すのが筋ではないか。 2月13日朝刊3面では、国会での衆院予算委での菅氏と野党議員のぶつかり合いを伝えた。官邸は一切非を認めない。 一連の出来事は、メディアへの圧力を強める政権の体質を浮かび上がらせた。記者は市民の知る権利の代行者。記者が黙らされることは、民主主義が破壊されることだ。そのためには、メディア同士の連帯が不可欠だ。その連帯の方向は、菅氏ら官邸が求める「集団的排除」では断じてない。(武蔵大学社会学部教授)2019年2月17日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「新聞を読んで-記者の尊厳を守る」から引用 この記事によれば、首相官邸が望月記者の発言を問題視したのは「辺野古の埋め立て現場に赤土が広がっている」と発言したためであるとのことだが、記者がどのような質問をしようと、それが事実に基づいていないのであれば、そのように指摘して終わりになるわけで、ぶち切れる必要はまったくありません。ところが、埋め立て現場の海に赤土が広がっているのは新聞でも報道された「事実」であったために、菅官房長官は記者に対し「そのような事実はない」と言えなかった。そうかと言って、うっかり質問にまともに答えたのでは「赤土の投入を政府も認める」と新聞に書かれるので、それもまずい。どうしたらいいか分からないのでブチ切れた、というのが事の真相のようです。やはり、行政を担う者は主権者である国民に正直に言えないことをしたり、やってしまったことを認めないでシラを切ることばかりやっていると、菅官房長官のように行き詰まってブチ切れるしか道はないということになります。しかも、ブチ切れたからといって問題が解決するわけでもありませんから、正直に言えないような政治はやめるほうが、本人のためでもあり国のためでもあるわけです。
2019年03月07日
各種世論調査でモリカケ問題や憲法改正など、安倍政権のやり方は納得できないとする意見が過半数に上るにも関わらず、政権支持率は高止まりしていることについて、法政大学教授の山口二郎氏は2月17日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 通常国会では予算委員会の論戦が始まり、毎日、安倍政権の失態がこれでもかと明るみに出ている。野党議員との論戦における安倍首相の逆切れ、はぐらかしを見ていると、こんな人物が我が国の最高指導者を務めていることに、絶望的な気分になる。 しかし、一連の不祥事は政権に対する信頼を低下させているわけではない。2月のNHKの世論調査では、内閣支持率は微増して、44%となった。NHKといえども世論調査のデータ捏造(ねつぞう)はしないだろう。我々はこの現実を受け入れなければならない。個々の政策問題については、安倍政権のやり方を是認する声が多数派というわけではない。景気回復を実感せず、行政の不正に怒る普通の人が、それでもこの政権を支持するのはなぜか。 内閣府が毎年行っている社会意識調査を見ると、2011、12年あたりを境に、日本社会の現状に対する満足感は高まり、中国や韓国に対する親近感は低下し、財政や格差に対する危機感は低下していることがわかる。この変化の原因についてはさらに考察が必要だが、民意の変化が先にあって、安倍政権は後からその現状肯定的な民意にサーフィンしているというのが今のところの仮説である。 厳しい現実から目を背け、根拠のない多幸感に逃げ込む民意に迫ることが、政治転換の鍵となる。(法政大教授)2019年2月17日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-支持率の怪」から引用 少し前は自動車メーカーが新車の性能試験のデーターを改ざんし、マンション工事の杭の長さの不正など、データーの改ざんは民間企業の問題と思っていたら、今度は政府の統計データーも、アベノミクスの失敗がバレないように調査対象を恣意的に選定するなど、今や官民の区別無くデーターの改ざんが行なわれる世の中ですから、「いくらNHKでも世論調査までは捏造しないだろう」などと推測する根拠はないと思います。世論調査の結果など、NHK以外には分からないことですから、14%しかない支持率を「44%ありました」とニュースで流すなど、NHKにとっては朝飯前だと思います。しかも、内閣府が毎年行なっている社会意識調査も2011年、12年あたりを境に現状に対する満足感が高まっている、これは取りも直さず「第二次安倍政権の介入でデーターが改ざんされた」と見るのが正解であり、これを否定する根拠があるなら是非提示していただきたいものだと思います。
2019年03月06日
ブルドーザーの製造販売で有名な「コマツ」が陸自車両の開発を止めることになった経緯について、2月22日の東京新聞は次のように報道している; 自衛隊の車両などを生産する大手建設機械メーカー「コマツ」(東京都港区)が、自衛隊車両の新規開発を行わない意向を、防衛省側に伝えていたことが分かった。開発コストなど採算性の問題という。政府は国内防衛産業の強化を掲げているが、米国製の兵器輸入が増大する中、国内企業の苦しい状況が浮かんだ形だ。 防衛省の2017年度の中央調達実績では、同社と280億円の契約を結んでおり、企業別契約額で7位。過去5年でもいずれも10位以内に入っている。軽装甲機動車(LAV)やNBC(核・生物・化学兵器)偵察車、りゅう弾などの弾薬を手掛けている。 同社や防衛省関係者によると、防衛省側は一昨年ごろから、陸上自衛隊を中心に配備されているLAVの改良版の調達を打診。合わせて将来的な新規開発も協議していた。 これに対しコマツ側は調達量が見込めないとして昨秋「現状が続く限り車両の新規開発は行わない」と断った。改良版についても引き受けていない。担当者は「採算性がなければ開発や生産基盤を維持できない」と話す。NBC偵察車と弾薬の生産は続けるという。 LAVは旧防衛庁とコマツが開発。防弾性能や火器の搭載機能を備え、01年度から配備が開始。イラク派遣など国連平和維持活動(PKO)でも活用された。これまで2000両を導入し、最盛期は年間200両を調達していたが、17年度は約40両となっている。1両あたり3千万~4千万円。 防衛装備の調達を巡っては、第2次安倍政権になって以降、米国製兵器のFMS(対外有償軍事援助)調達が急増。契約ペースで、12年度に1381億円だったのが、19年度は約5倍の7013億円に膨れており、国内産業への圧迫が指摘されている。(原昌志)2019年2月22日 東京新聞朝刊 12版 1ページ 「コマツ、陸自車両開発中止」から引用 「コマツ」が軍需産業から手を引くことになったのは、日本の健全な企業の在り方として評価できると思います。アメリカのように軍需産業が巨大な組織になってしまうと、作ってしまった在庫を一掃するために必要もないのに世界のどこかに紛争を作って無理矢理介入して住民の被害をムダに大きくする危険性があり、世界の厄介者になりかねませんから、今のうちにそのような危うい進路を断ち切ることは良いことです。これからの平和は武力に依存するものではなく、戦争以外の外交交渉によって継続されるべきであり、そういう理想を憲法に書き込んだ日本こそが、武力に依存しない平和の実現に邁進するべきです。漏れ聞こえるところでは、安倍政権はトランプ大統領の言いなりで高額の武器を次々購入し、その支払いを優先するために、既存の自衛隊の装備のメンテナンスの費用の支払いが先延ばしされ、国内各駐屯地の装備のメンテナンスも中止されているため、もし火急の事態が発生しても「専守防衛」の対応すらできない状態が発生しているらしいですが、折しも朝鮮半島の核やミサイルの実験は凍結され、米韓軍事演習も中止になっており、武力に依存した平和の時代は遠ざかりつつあると言えます。
2019年03月05日
現在上映中の映画「金子文子と朴烈」について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は、2月13日の東京新聞に次のように書いている; 「何が私をこうさせたか」は、関東大震災後に連行され、獄中で23歳の生涯をとじた金子文子の獄中手記だ。 金子文子は今日でいう児童虐待の犠牲者といってもいいだろう。出生届が提出されず、子ども時代は無籍者たった。ゆえに小学校にも通えず、親たちの都合で親戚の家を転々とし、9歳からの7年間は父方の親戚に引き取られ、朝鮮半島ですごした。祖母や叔母の虐待に加えて、朝鮮人の使用人に対する容赦ない仕打ち。そんな悲惨な少女時代なのに、手記はおそろしく明晰かつ率直で、みるみる引き込まれる。 その金子文子と彼女のパートナー朴烈(パクヨル)を主人公にした韓国映画「金子文子と朴烈」(イージュンイク監督)が16日から公開になる(東京、京都、大阪。その後全国各地で順次公開予定)。 手記は彼女が上京し、朴烈と出会うあたりで終わるのだが、映画が描くのはその先だ。おでん屋でバイトをしていた文子は朴の詩に惹かれて求愛し、同居して不逞社なる結社を立ち上げた。が、関東大震災後、彼らは保護の名目で拘束され「皇太子暗殺」などの容疑で死刑を宣告される。 国家権力に抵抗した若者たちの物語でありつつも、青春群像劇や恋愛映画の要素も含んだ快作。韓国の女優チェ・ヒソが演じる快活な文子はすばらしくチャーミングだ。本と映画、どっちもおすすめ。(文芸評論家)2019年2月13日 東京新聞朝刊 11版S 29ページ 「本音のコラム-金子文子って誰?」から引用 私はこの記事を読んで数日後に、映画を見に行きました。斎藤先生がおすすめするだけあって、中々面白い映画です。関東大震災が起きて、あちこちで朝鮮人の虐殺事件が発生し、あせった警察は「保護」の名目で大量の朝鮮人を収監し、その中から法務大臣と検察庁長官が相談して、普段から政治活動をしていた朴烈と金子文子を大逆罪で起訴する。しかし、朴烈は裁判を受けることを拒否する。そこで検察側は、何でも言うことを聞くから条件があるなら言ってくれと折れると、裁判を朝鮮語でやること、裁判長に見下ろされるのは気分が悪いから被告席と同じ高さにしろ、自分は朝鮮民族を代表して裁判を受けるからには朝鮮の正式な礼服を用意しろなどと要求します。しかし、検察側は初めの2つは、法廷の秩序を維持する上でちょっと無理だなどといい、3つめの朝鮮人の正装は要求どおりに用意したのでした。私は、これは映画を面白くするための「脚色」だろうと思ったのですが、後で調べて見たら、金子文子と朴烈は実際に朝鮮の正装で被告席に座っている写真が残っていることが分かり、びっくりしました。植民地支配の不当性を主張する朴烈の法廷陳述も、筋が通っていて感銘を受けました。
2019年03月04日
今年の「建国記念の日」の「しんぶん赤旗」は、次のような論説を掲載した; きょうは「建国記念の日」です。この日はもともと、天皇を神格化した戦前の「紀元節」を復活させたものです。◆戦前の「紀元節」の復活 「紀元節」は、明治政府が1873年、天皇の専制支配に神話による権威を与えるため、初代天皇とされる神武天皇の即位の日が紀元前660年2月11日だったとしてつくりあげたもので、なんの科学的・歴史的根拠もありません。そのため戦後、国民主権や思想・学問の自由、信教の自由と政教分離を定めた日本国憲法のもとで、1948年に廃止されました。 ところが66年、当時の佐藤栄作内閣が祝日法を改悪して「建国記念の日」を定め、同年、政令でその日を2月11日と決めました。明治の「紀元節」を自民党政権がよみがえらせたのです。それは天皇元首化など憲法改悪や軍国主義復活の意図と結びついたものでした。日本共産党は一貫して「建国記念の日」反対を主張してきました。 天皇一代に一つの元号をあてる「一世一元制」も、1868年に明治新政府が定めたものです。日本の歴史上、最初の元号は645年の「大化」だとされています。それから江戸時代まで、元号は天変地異などを機にしばしば改められました。つまり「一世一元制」も明治以後の「伝統」にすぎません。それが1979年の元号法制定によって固定化されたのです。 今年は現天皇の退位に伴う「代替わり」があります。安倍晋三内閣は昨年4月、今回の「代替わり」儀式の「基本方針」を閣議決定しました。そこでは「各式典は、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとする」と記し、前回の「代替わり」儀式の「基本的な考え方や内容は踏襲されるべき」としています。この方針には重大なまやかしがあります。 89年の昭和天皇から現天皇への「代替わり」では、戦前の登極令(とうきょくれい)(09年)をほぼ踏襲した儀式が実施されました。それ自体、憲法の国民主権と政教分離の原則に反するものでした。 安倍内閣は「皇室の伝統」の名で、それを踏襲しようとしています。しかし、幕末まで即位式は中国風の衣装をつけ、神仏習合的な形で行われていました。神道式に”純化”したのは、たかだか明治以後の百数十年のことです。 今回「代替わり」儀式を5月と10月の2回行うのも、神話にもとづく「三種の神器」を受け渡す「践祚(せんそ)」の儀式と、大嘗祭(だいじょうさい)の神事と結んで日本国の統治権を継ぐ「即位」の儀式を、二つとも登極令から引き継いでいるためです。 天皇は日本国憲法に規定された憲法上の存在です。新天皇の即位にあたっても、その行事は憲法の国民主権と政教分離の原則に沿って行われるべきです。安倍内閣が国会でまともに議論もせず、戦前の「代替わり」儀式を踏襲しようとしているのは問題です。◆憲法に沿ったあり方を 秋篠宮が昨年11月(宗教的儀式である大嘗祭について「国費で賄うことが適当か」と述べ、皇室の私費(内廷費)で行い「身の丈に合った儀式」にすべきだと語りました。この発言自体は憲法の原則にかなっています。 国民の祝日や元号についても、明治政府がつくった「伝統」から脱却し、憲法原則にもとづいたあり方を考え、議論すべき時です。2019年2月11日 「しんぶん赤旗」 2ページ 「主張-明治以後の『伝統』から脱却を」から引用 この記事が主張するように、建国記念の日即ち紀元節は皇室で古くから執り行われていた儀式ではなく、明治の政府が「天皇の権威付け」のために考えついた「演出」に過ぎないということです。従って、私たちは「建国記念の日」などというものがわが国の伝統だなどという迷信を、捨てるべきだと思います。古事記や日本書紀には、神武天皇の伝説などの記述はあるにしても、それはあくまでも「神話」であって、史実ではありません。江戸時代までの為政者は、事実と神話をはっきりと区別し、神話と史実を取り違えて国を挙げて記念日とするなどという愚かな政治はしませんでした。その点では江戸幕府のほうが明治政府よりは立派だったと言えます。このような観点から、私たちは政治権力がむやみに天皇の権威を強調する姿勢を批判するべきで、権力が「伝統文化」などと言い出したときには注意してその意図を見抜く必要があると思います。共産党は昔から天皇制に反対する方針で活動してきており、将来のあるべき姿としては天皇制を廃止するべきだという姿勢ですが、政治的立場としては現行憲法を擁護する意味で、積極的に天皇制廃止運動を行なう方針を転換しており、国民の大多数が天皇制廃止に賛成する時代になるまで、積極的に廃止を訴える運動は差し控えるという考え方であり、私は共産党のそのような柔軟な姿勢は民主的な市民社会の政党として真っ当な在り方だと思います。
2019年03月03日
先月10日の開かれた自民党大会について、翌日の「しんぶん赤旗」は次のように報道している; 安倍晋三首相(自民党総裁)は10日の党大会で「憲法にしっかりと『自衛隊』と明記して、違憲論争に終止符を打とう」と述べ、改憲に向けた強い執念を改めてあらわにしました。◆草の根策動強め 大会で採択された運動方針には改憲に向け「国民世論を呼び覚ます」と明記。はっきりと”草の根”での改憲策動を強める方針を打ち出しています。3000万人署名運動をはじめ草の根の安倍改憲阻止の力を認めざるを得なくなり、正面対決を挑んでいます。 二階俊博幹事長は大会の党務報告で、同党改憲推進本部が都道府県と政令都市の議員に「自衛隊明記」の9条改憲を含めた同党改憲案について研修会を行ってきたと説明し、「県連や支部単位での研修会の積み重ねによって憲法改正の機運がおのずと高まる」と述べて取り組み強化を訴えました。 下村博文・自民党改憲推進本部長も党大会前日の9日、都道府県連の改憲推進本部長らを前に「憲法改正に向けて大きく前進できるよう、国全体で議論を盛り上げることが必要だ」と述べ、「統一地方選や参院選でも、憲法改正に向けた大きなムードになるよう、ぜひお願いしたい」と要請。その後記者団に対して「憲法改正の意義などを説明するチラシやパンフレットを作成した」と語りました。小選挙区単位での改憲推進本部の立ち上げも日本会議と一体で進められています。◆国民投票視野に 地方選、参院選と一体に改憲論議を盛り上げるという、「二正面」の取り組みを打ち出しているのです。改憲の国民投票を視野に入れた動きです。 しかし世論は改憲を望んでいません。直近の世論調査でも安倍首相の下での改憲に「反対」は56・7%を占めました(共同通信、4日付「東京」など)。先の臨時国会では、三権分立にも反する首相の国会への改憲号令や、憲法審査会に側近や盟友を並べた「改憲シフト」が国民世論と野党の激しい反発を招き、改憲案提示の断念に追い込まれました。 ”草の根”の対決姿勢を強める自民党の動きは、世論に対する警戒感や焦りにほかなりません。(日隈広志)2019年2月11日 「しんぶん赤旗」 2ページ 「地方選・参院選と一体に 改憲機運盛り上げ狙う」から引用 今年は春に統一地方選挙、夏には参議院選挙があります。上の記事によれば、それらの選挙において自民党候補者は諸政策の中に「憲法改正」の訴えも盛り込むことになるようです。過去の事例では、自民党は憲法改正を言い出したときは必ず議席を減らしてましたが、今年の選挙では有権者がどのように反応するか、見ものです。
2019年03月02日
首相官邸が記者会見のときの記者の質問の仕方に関連して特定の記者を攻撃する文書を発表したことについて、法政大学教授の山口二郎氏は2月10日の東京新聞に、次のように書いている; 昨年末、首相官邸の報道室長が内閣記者会に対して、名指しはしないものの本紙の望月衣塑子記者を標的に、事実に基づかない質問は厳に慎むようにという文書を送り付けた。この事実は「選択」という会員制雑誌で明らかにされ、にわかにマスメディアの報じるところとなった。この間、報道各社は何をしていたのかという疑問もあるが、最も悪いのは首相官邸である。 官房長官の記者会見で政府の政策や見解について事実根拠や法律適合性を問われても、菅官房長官は「問題ない」「適切に処理している」と、人を小ばかにした、木で鼻をくくったような返答を繰り返してきた。「問題ない」も「適切」も、しょせん菅氏の主観である。記者会見で質問されたら、事実や法的根拠を示し、政府の正当性を、記者やその背後にいる国民に納得してもらうのがスポークスマンの仕事である。 官房長官の主観で事実を覆い隠す記者会見を繰り返しながら、記者は事実に基づいて質問しろとは何事か。公文書改ざん、統計不正、すべて握りつぶし、責任逃れをしてきた政府が、事実という言葉を使うとは、恥知らずの極みである。 望月記者がこんな言いがかりでひるんでいるはずはないと思う。ことは、報道の自由にかかわる。報道界全体が政府と対決する時である。(法政大教授)2019年2月10日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-報道の自由」から引用 首相官邸が東京新聞の望月記者を排斥する文書を記者クラブや東京新聞に送付した事件は、月刊誌「選択」が報道するまで、我々は知らなかったが、菅官房長官が毎日、望月記者の質問に対して事実や法的根拠を示しもしないで「問題ない」「適切に処理している」などと不誠実な応答を繰り返していることは、その動画が毎日のようにツイッターに投稿されていたので我々はよく知っていた。そのような投稿に対し「質問者に対して菅官房長官が、あのような失礼な対応をしたなら、周りにいる記者たちは何故官房長官を批判しないのか」という投稿が相次いでいたし、望月記者以外の記者たちは官房長官の顔を見ることもなく、ひたすらパソコンの入力作業に没頭しているのはおかしい、というような投稿も度々見られました。それ以外の情報はないので、我々は望月記者が孤軍奮闘しているばかりで、官邸記者クラブは権力に飼い慣らされているのかという印象を持ったものでしたが、最近は少しずつ実態が判明するようになっていて、問題の文書を官邸の担当者が記者クラブに持ってきたときは記者クラブ側は「このような特定の記者を排斥するような文書は受け取れません」と突き返したのだが、翌日来てみると、その文書が会見室の掲示板に張り出されていたのだったという経緯も知られるようになりました。望月記者以外の記者たちにも、菅官房長官の態度や官邸のメディア対応には問題があるという認識が共有されていることは心強いことですが、そういう問題意識をもっと社会に強く訴える記事を書いてほしいものです。
2019年03月01日
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