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笠原十九司著「増補 南京事件論争史」(平凡社刊)について、10日の東京新聞は次のような書評を掲載している;◆過ちを直視 記者の仕事をしていると多くの方に会う。初対面で怒られることもある。「前にあんたとこの先輩にひどいことをされた」などと、詳細が分からない場合、反論も弁解もしない。「同じ過ちはしないよう、気を付けますね」と答える。 私が記者として毎日働いていられるのも、多くの先輩がこの新聞を守り育ててきたおかげなのだ。その人たちの良い遺産も「負の遺産」も、ともに引き継がねばならないだろう。 ここで「先輩」を「父母や祖父母の世代」と置き換え「新聞」を「国」と置き換えれば、ほぼ日本の戦争責任に対する私の態度-特に、私たち戦争を知らない世代の取るべき態度への考え方となる。この国を築いてきた先達(せんだつ)も、時に数々の過ちを犯してきたのだ。 だが、その過ちを決して直視したくない人がいて、たとえば「南京大虐殺はなかった」と言う。日中両国の共同研究でも事実だと認められたのに? 歴史の修正主義というかヽ改竄(かいざん)主義というか、そうした人に贈りたいのが本書。事件の実相を豊富な史料で詳述し、「否定論」の問題点を明確に指摘する。重要な労作だ。平凡社ライブラリー・1620円。(三品信)2019年2月10日 東京新聞朝刊 9ページ 「記者の1冊-『増補 南京事件論争史』」から引用 南京大虐殺は無かったとか、慰安婦問題は虚構だという主張をする人たちは、何故そのような虚しい主張を繰り返すのか。それは多分、祖先から受け継いだ祖国に、そのような負の歴史があったなどという不名誉な言説を認めるわけには行かないという、間違った「愛国心」があるのではないかと思います。しかし、実際には朝鮮半島を植民地として支配し中国大陸を侵略した事実は歴然と存在するわけで、それを言を左右にして否定しても何の意味もありません。これからの国際社会を平和に維持していくためにも、私たちは「歴史」と正面から向き合う姿勢が大切と思います。
2019年02月28日
福島県の原発事故によって放射能汚染を受けた地域について、ルポライターの鎌田慧氏は5日の東京新聞に、次のような体験を書いている; 見知らぬ女性から1冊の本が送られてきた。なにげなく読みだして止まらなくなった。140ページほどの手記なのだが、著者は送り主の弟で、1年半前、死後数日たった遺体で発見されていた。 タイトルは「毒砂」。著者の安西宏之さんは福島県庁に勤めていたが、原発事故後、定年を前に早期退職、自費で放射線測定器を購入、住んでいた郡山市内を憑(つ)かれたように測定して歩いた。この本は弟の遺志を継いで昨年暮れ姉が自費で出版した悲痛な記録である。 安西さんは東西20数キロ、南北20数キロ、ほぽ市全域をひとりで歩いて測定していた。それらは発表・報道される各地のモニタリングポストの値とは無関係に、局所的に線量の高いところが無数にあった。 さらに風のような放射線の移動ではなく、雨の跡等放射線量の高い、砂か苔(こけ)のような黒い物質を発見するようになった。 しかし、素人が調査を公表する責任、公表しても解決策がなく「住民の不安を煽(あお)るだけ」との批判への対処ができない。基準以上の汚染地が多い。しかし、解決策がない。このジレンマに苦しみ、夢に被曝者(ひばくしゃ)の顔があらわれ、眠れなくなった。 「毒砂の存在を隠して帰還を奨励するこの国や県の無責任は必ず誰かが糾弾しなければならない」 巻末に著者が測定した地点と測定値が、16ページにわたって掲載されてある。(ルポライター)2019年2月5日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-『毒砂』」から引用 放射線量を測定する場合、測定値は測定器と地表や建物との距離によって大きく変化するため、国や公共機関が測定して発表する線量と素人が勝手に計って記録する線量に違いが生じるのは当然であり、どちらか一方が正しく他方が間違いだという議論は成立しない。しかし、雨が降った後に放射線量の高い物質を見かけたという「情報」は、これまで報道されたこともなく、福島県外に住む者にとっては知る由もない新しい情報である。メディアは些細な問題として放置することなく、調査してほしいものである。
2019年02月27日

鵜飼秀徳著「仏教抹殺」(文春新書)について、作家の高瀬千図氏が3日の東京新聞に、次のような書評を書いている; 昨年は明治維新から150年ということで、各地で記念行事が行われた。しかし、明治維新とは何であったのか、明治新政府が発布した神仏分離令、つづいて出された神仏判然令とは具体的にはいかなるものであったのか。 浄土宗の僧侶でもある著者は廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の行われた現場に足を運び、その痕跡を探し、実地検証しつつ、かくも激しい破壊が行われた理由と背景を探り出そうとしている。 周知のとおり、明治政府は1200年にわたるこの国の神仏混淆(こんこう)とその習俗を排斥しようとした。古代より引き継がれてきた仏教文化さえも旧態依然とした徳川幕府による宗教体制として嫌悪した。その理由のひとつに、天下は取ったものの明治新政府にはいかなる展望もなかったこと、それゆえにこの国と民を一括りにするだけの強力な国体論を持つことが何より急がれたという事情がある。 徳川幕府を否定するための思想的基盤として、水戸学はじめ神道による国体論が脚光を浴びることになった。王政復古、祭政一致を求める天皇制権力構造の下、国家神道を確立させることこそ、明治政府が目指した近代国家像であった。以来、国民には徹底して明治維新を肯定し、美化する教育がなされた。これは太平洋戦争終結まで続いた。 しかし、疑問は残る。仏教的要素の排斥を命じた明治新政府に、なぜこの国の大衆は易々(やすやす)と従ったのか。比叡山延暦寺はじめ興福寺すら例外ではなく、ついに天皇家の菩提寺(ぼだいじ)にまで破壊の手は伸びた。 明治元(1868)年、神祇(じんぎ)事務局から各神社に出された通達には、「僧形の別当、社僧などは復飾(還俗・げんぞく)の上、僧位僧官を返上せよ」と書かれている。僧侶までがこの命令に抵抗しなかった。 廃仏毀釈により破壊された国宝的文化財の数は、先日他界された梅原猛氏によれば「現在の国宝の約3倍」にのぽるという。しかし、一般の人々がここまでの暴虐を働いたことには、それだけの理由がなくてはならない。本書は我々の信仰のあり方までも問う一冊となっている。(高瀬千図)鵜飼秀徳著「仏教抹殺」(文春新書・950円)鵜飼秀徳(うかいひでのり)1974年生まれ。ジャーナリスト・僧侶。著書『寺院消滅』『無葬社会』など。2019年2月3日 東京新聞朝刊 9ページ 「読む人-そして国民は易々と従った」から引用 この記事が紹介する文春新書「仏教抹殺」は興味深い。明治の新政府が天下を取りはしたものの、これといった展望をもっていたわけではなかったので、取り急ぎ国と民を一括りにする国体論を必要としていた。そこに出てきたのが「廃仏毀釈」であったという説明は説得力がある。また、この記事は、何故一般の庶民が大量の文化財破壊という暴虐を働いたのかと書いてるが、その理由は明治政府の暴力支配に抵抗する手段も意志も持たなかったために、民衆の破壊衝動が権力に利用されたと考えるのが妥当ではないかと思います。
2019年02月26日
日本の景気回復が戦後最長になったと政府が発表したことに関連して、法政大学教授の山口二郎氏は3日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 基幹統計のずさんさが明らかになり、アベノミクスが効果を上げているかどうか、疑念が広がっている。統計疑惑のさなか、政府は1月29日に月例経済報告を公表し、景気回復が戦後最長となったと見られるとした。 景気回復の実感がないという話は各紙も伝えていた。回復どころか、むしろ日本の経済力が衰弱していることこそが、大問題である。 30日の他紙に、経済同友会代表幹事、小林喜光氏のインタビューが載っていた。その中で、安倍政権の6年間、見かけ上の企業業績改善の陰で、日本では何の新産業も生まれておらず、日本を引っ張る技術がないことに強い危機感を表明している。日本は老いているという指摘に、門外漢の私も共鳴した。 安倍政治の最大の罪は、世の中に根拠のない多幸感をまき散らしていることである。こんなでたらめな政治を容認する人々が国民の半分前後いること自体が国難である。国の衰退を止める特効薬はない。社会や経済の活気は多事争論の気風から生まれる。 バブル崩壊以来、日本は誤った道を進んできたのだから、己の失敗を厳しく認識することからしか、再建は始まらない。愛国心やら日本人らしさやらを学校で若い人に教えこむのはやめた方がよい。自画自賛の人間を育成するのは、将来を危うくする。(法政大教授)2019年2月3日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-景気回復の虚妄」から引用 昔は景気が良くなると給料が上がりボーナスも多く出るので、サラリーマンも「景気が良いというのは、こういうことなんだ」と実感したものであったが、現代では官僚がテキトーに数字を操作することによって景気不景気を表現することになっているらしく、そのため景気不景気はサラリーマンの収入の増減とは関係ない話になってるようです。官僚が統計数字を「操作」しても誰も責任を取らない政治は間違っています。間違った政治に異議を唱えない国民というのもかなりおかしい。この記事も指摘するように、学校で愛国心だの日本人らしさだのというフィクションを教えるのは止めるべきです。昔は教育勅語を根拠に道徳教育が行なわれましたが、現代では安倍内閣が改悪した教育基本法を根拠に道徳教育が行なわれていますが、これは間違った教育と言うほかありません。これからの人間に必要なのは道徳教育ではなく、人権教育です。国の衰退が極限まで進まないうちに、政権交代を実現し教育改革に着手するべきだと思います。
2019年02月25日
組織の中で部下がセクハラ事件を起こした場合、上司はどのように対応するべきか。エッセイストの師岡カリーマ氏は米上院議員、バーニー・サンダース氏の例を引いて、2日の東京新聞コラムに次のように書いている; 2016年の米大統領選挙において、民主党の予備選で善戦したバーニー・サンダース上院議員。格差解消を訴える庶民の味方であり、人権派であるはずのサンダース陣営で選挙中、一部の女性がセクハラ被害にあっていたことが告発された。本人の罪ではなくても究極的には候補者の責任問題だ。彼はどう反応したか。 声明を要約すると(1)政治・経済エリートに立ち向かい、働く世帯の権利を守るため、選挙をともに闘った陣営を誇りに思う(2)だが一部で、女性がハラスメントや不適切な待遇を受けていたことが分かった(3)あってはならないことだ。声を上げてくれた女性たちに心の底から礼を言う(4)予防策が不十分だったことを、私は被害者に謝罪する(5)現在は全米で最も厳しい予防策を採用しており、被害者が声を上げやすいよう努めている(6)職場における意識改革には、文化的革命が必要だ。私は積極的にコミットしていく。 ああ、なぜこの人が大統領じゃないのだ。これこそ、部下のセクハラが告発されたりーダーの取るべき姿勢だろう。被害者への敬意、監督者としての謝罪、再発予防策。日本では、似た立場にいた大臣のコメントが、昨年の政治家ワースト問題発言に選ばれた。サンダース議員のような対応は、それほど難しいものだろうか。(文筆家)2019年2月2日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-バーニーはかく語りき」から引用 セクハラやパワハラという概念は取りざたされるようになって、まだ日が浅いせいか、日本ではサンダース氏のように潔い対応ができる組織や人物は、あまりいないのではないかと思います。財務省の高官による女性記者へのセクハラが問題になったときは、「無断で録音を撮って勝手に公開するのは卑怯だ」と被害者をバッシングしたり「はめられた」などと加害者に同情する発言が出たりしたのは、まるで未開社会を見るような気分だった。上の記事で筆者は「なぜこの人が大統領じゃないのだ」と嘆いているが、わが国財務大臣にもサンダース氏のような見識をもってほしいと思います。
2019年02月24日
安倍首相が繰り返す「虚偽発言」について、1日の東京新聞は次のように書いている; 安倍晋三首相のごまかし発言が止まらない。看板政策「アベノミクス」の成果の根拠になっていた毎月勤労統計の不正が分かり、賃金の伸び率について首相は「(アベノミクスの)成果だと強調したことはない」と語った。権力者と書いて「うそつき」と読むべきか。(中沢佳子) 「下方修正した(18年の賃金伸び率の)数値のみを示して、成果だと強調したことはない」。1月29日の参院本会議。アベノミクス成功の根拠は勤労統計の不正調査で崩れたと、風間直樹氏(立憲民主)に指摘された首相は、そう言ってのけた。連合が実施した賃金調査を持ち出し「5年連続で最高水準の賃上げが継続している。所得環境は改善しているとの判断に変更はない」とも語った。31日の参院の各党代表質問でも同様に強調した。 勤労統計を巡っては、2018年6月の現金給与総額が前年同月比3・3%増になったと公表された。「21年5ヵ月ぶりの伸び率」とされたが、不正が発覚すると、下方修正された。野党が「成果偽装」をただすのは、首相がアベノミクスの成果として強調した「賃金上昇傾向」に疑いが出たからだ。だが首相は、18年の伸び率という一時期に狭めて「成果を語っていない」とかわした上、別のデータを根拠にアベノミクスの成果を言い張った。 28日の施政方針演説はどうだったか。安倍首相は「(アベノミクスの)3本の矢」でデフレマインドに立ち向かったとし「企業の設備投資は14兆円増加し、20年間で最高となった。人手不足が深刻となって人材への投資も息を吹き返し、5年連続で今世紀最高水準の賃上げが行われた。経団連の調査では冬のボーナスは過去最高だ」と胸を張った。18年の伸び率に触れず、アベノミクスと「5年連続の賃上げ」を結び付けている。 ちなみに首相は、新卒者内定率や有効求人倍率の数値をもとに、雇用環境の改善も強調する。だがこれが、政策効果でなく人口減少に伴う人手不足が要因なのは言うまでもない。 真偽を突っ込まれると矮小化(わいしょうか)したりすり替える発言は数え切れない。その一つが森友学園の国有地取引を巡る問題。17年2月の衆院予算委員会で首相は「私や妻が関わっていれば、首相も国会議員も辞める」と言い切った。誰もが「関与」とは、国有地払い下げにまつわる口添えなどを考える。だが、財務省などの公文書改ざんや廃棄が発覚し、疑惑が色濃くなると、首相は昨年5月の衆参両院の予算委で「贈収賄ではない」「お金のやりとりがあって頼まれて行政に働き掛けたという意味での関わりはない」と述べ、「関与」の意味を贈収賄に狭めた。 今年1月のNHK番組でのサンゴ移植発言もそうだ。首相は沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設を巡り、「土砂を投入するに当たり、あそこのサンゴは移している」と語った。聞いた人は、土砂を投入中の海域のサンゴだと思うだろう。だが移したのは、計画区域の約7万群体のうち、投入現場ではない区域の9群体。場所もケタも違う。首相は30日の衆院本会議で「埋め立て海域南側に生息する保護対象のサンゴは移植した」と言い換え、土砂投入中の海域のサンゴではないと認めた。 発言の数々は「軌道修正」か。うその一種か。明治大の西川伸一教授(政治学)は「首相はファクト(事実)を精査せず、印象操作や自分の願望に沿う思い込みの発言をし、間違いを指摘されると修正で言い逃れる。ファクトを決めるのは自分だ、という思い上がりがある」と見る。西川氏は安倍首相が13年、東京五輪招致に当たり、福島第一原発の汚染水を巡り「アンダーコントロール(制御下)にある」と演説し、国際社会にうそをついたことを挙げる。そして警鐘を鳴らす。「今やうそをついている自覚さえないだろう。私たちは権力者の言葉を疑ってかからなくては」2019年2月1日 東京新聞朝刊 12版 22ページ 「首相、うそか軌道修正か」から引用 政治家がウソをつくのは残念なことですが、それを国民が問題視しないのは国の先行きを不安にする由々しい問題です。この記事は珍しく安倍首相の虚偽発言を取り上げていますが、読者がさらに政治家のウソに厳しく接するためには、メディアが政治家の虚偽発言をもっと素早く詳細を報道し、任期中に何回繰り返しているかというような情報がすぐに出てくるような環境を構築するべきと思います。
2019年02月23日
辺野古の海に土砂を投入する動画の前で「あそこのサンゴは(土砂投入の前に)移植している」と虚偽の発言をした安倍首相は、その後「実はサンゴは移植していない」ことを認めたと、1月31日の東京新聞が報道している; 安倍晋三首相は30日の衆院本会議で、沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、現在土砂投入をしている海域に生息していたサンゴはすでに移植したとの趣旨のNHK番組での発言を事実上修正した。「南側の埋め立て海域に生息している保護対象のサンゴは移植した」と言い換え、土砂投入中の海域のサンゴは移していないことを認めた。 首相は6日放送のNHK番組で「土砂投入に当たって、あそこのサンゴは移植している」と語った。現在土砂を投入している海域でサンゴを移植したと取れる発言だった。 しかし、政府が既に移植した希少サンゴ9群体は別の海域にあったため、玉城デニー知事は「現実にはそうなっていない」と批判した。 首相は、今後埋め立てる海域で軟弱地盤があり、工事の難航が予想されていることについて「沖縄防衛局が地盤の検討に必要なボーリング調査の結果を踏まえ、所要の安定性を確保して行うことが可能と確認した」と説明。工事は進められるとの認識を示した。(島袋良太)2019年1月31日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「サンゴ発言 首相が修正」から引用 先月末に安倍首相が自らの虚偽発言を訂正していたとは知らなかった。何しろ、ウソの発言は日曜日の午前中という目立つ時間帯に天下のNHKが堂々と放送したのに対し、「訂正」のほうは新聞の2面の最下段に目立たないように控えめなタイトルの小さな記事だから、これでは「実は首相の発言は虚偽だった」という「事実」はかすんでしまい、結局世の中には「安倍さんはよくやってる」という印象が残るだけだ。安倍政権は民主党政権以上に「悪夢の政権」であるが、メディアの対応にも大きな問題があると言わざるを得ない。
2019年02月22日
次の日曜日に迫った沖縄県の県民投票について、ルポライターの鎌田慧氏は先月末の東京新聞コラムに、次のように書いていた; 来月24日、沖縄の県民投票が行われる。辺野古新米軍基地建設に賛成か反対か、投票で決められる。自民党の影響力が強い宜野湾市など5市の市長が反対していた。それでは全県有権者の3割が参加できない、と懸念されていた。 県民投票を呼びかけた若者のハンガーストライキなどがあって世論が動き、「賛成」「反対」のほかに「どちらでもない」の一択を付ける、との妥協案で無事に全県実施ができることになった。ほっとする想いである。 辺野古新基地は「世界一危険」な普天間飛行場の代替であり、沖縄の負担軽減、唯一の選択肢。これが安倍内閣の殺し文句。ところが、辺野古に軍港や弾薬庫などを備えた滑走路2本の新基地をつくる計画は、1966年から米軍にあった(真喜志好一ほか著『沖縄はもうだまされない』)。 辺野古に移設しなければ、普天間に固定化される、と安倍政権が宜野湾市長にいわせている。しかし、もともと米軍の安全基準にさえ達しない普天間は、運用停止か米国に引き取るべきだ。 これから県民投票に向けて官邸の攻勢が強まろうとしている。「正直、公正、謙虚で丁寧な政治をつくりたい」とは、石破茂氏の総裁選挙に臨んだ抱負の言葉だった。ところが自民党内部からそれは安倍首相への個人攻撃だとして封印させられた。ああ、正直な政治がほしい。(ルポライター)2019年1月29日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-正直な政治」から引用 この記事では県民投票に向けて官邸の攻勢が強まろうとしていると、鎌田氏は警告しているが、その後の報道には具体的な「官邸の攻勢」が明示されていない。その代わりに菅官房長官が「県民投票の如何に関わらず、埋め立て工事は続行する」と、民意を無視する意向であることを早々と表明している。辺野古の基地建設問題については、国と県は同じ立場にあるのだから、本来であれば話し合って物事を進めていくのが日本国憲法の立場であるが、国があたかも県よりも上位にあって県に対し命令する立場であるかのように振る舞う安倍政権は、もしかしたら大日本帝国憲法を念頭に行動しているのかも知れない。
2019年02月21日

青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場の安全性を審査していた原理力規制委員会が最後の会合を終了し、再処理工場に対し「適合」の結論を出す見通になったと、1月29日の東京新聞が報道している; 原発の使用済み核燃料を化学処理(再処理)して、燃料に再利用するプルトニウムなどを取り出す日本原燃の再処理工場(青森県六ヶ所村)を巡り、原子力規制委員会は28日、審査会合を開いた。本格稼働に必要な審査では昨年9月に主要な議論を終えたが、その後、再処理工場に特有の事故対策を確認する必要が生じ、原燃に追加説明を求めていた。会合では異論が出ず、これで審査適合確実の見通しとなった。 審査で議論した安全対策全般を事務局がまとめる「審査書案」の作成作業は詰めの段階となり、作成後、規制委が会合で了承すれば事実上の適合となり、意見公募などを経て正式適合となる。 再処理工場は、使用済み燃料を再利用する国策「核燃料サイクル」の中核施設。1993年の着工後、トラブルなどで完成が20年以上遅れているが、原燃は2021年度上半期の完成を目指している。総事業費は13兆9300億円の見通し。審査に正式合格しても本格稼働は完成以降になる。 使用済み燃料から抽出したプルトニウムは、核兵器に転用可能とされるが、再利用したプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料は、燃やす原発の再稼働が進まない。そうした現状で再処理工場が稼働すればプルトニウムの大量保有につながりかねず、国際社会から厳しい目を向けられる可能性がある。 原燃は会合後、規制委に指摘された事故対策の事項などを反映させた「補正書」を遅くとも3月末までに提出する意向を示した。 これまでの審査では規制委が昨年9月、地震や津波対策などに関する主要な議論を終え、事務局の原子力規制庁が審査書案の作成に入った。2019年1月29日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「再処理工場 適合へ最終盤」から引用 六ヶ所村の再処理工場が規制委員会の審査をパスすると言っても、これは書類上のことであり、2021年に稼働といっても、いざ動かしてみるとまたどんなトラブルが出てくるかも分からないという大きな不安があります。今までにも様々なトラブルで、当初の予定から20年も竣工予定が先延ばしされてきており、油断はできません。しかも、再処理工場が稼働しても、それで出てきたプルトニウムは今のところ、どこにも使う当てがなく、単に保有するだけでは危険物の在庫が増えるだけです。これからは再生可能エネルギーによる発電がどんどん進みますから、ムダな経費をかけて国民生活を脅かすような発電はしないほうがいいと思います。
2019年02月20日
参議院選挙が近づくとそれに合わせて衆議院を解散するのではないかとの噂が取りざたされるようになって久しいが、今年の参院選の場合はどうなのか、1月28日の東京新聞コラムは次のように書いている; 7月に予定される参院選に合わせて衆院解散・総選挙を行う「衆参同日選拳」はあるのかないのか、政界内が騒がしくなり始めた。 「解散権者」とされる安倍晋三首相は「私自身、頭の片隅にもない」と否定するが、甘利明自民党選対委員長が「可能性はかなり低いと思うが、ゼロではない」と述べるなど、首相に近い同党議員から同日選論が相次ぐ。 同じ与党でも、同日選を回避したい公明党の山口那津男代表が「リスクにさらし、日本を危機に陥れることもないとは限らない」と強くけん制するのも、ある程度、現実味を感じ取っているからだろう。 自民党政権は過去2回、同日選に踏み切った。1980年の大平正芳、86年の中曽根康弘両首相で、いずれも自民党圧勝だった。 3年に一度、半数が改選される参院選のたびに、衆参同日選が取り沙汰されるのも、過去2回の成功体験があるからに違いない。 内閣の判断で衆院を解散する「憲法7条解散」は慣例化しているとはいえ、行政府の長である首相が、参院選に勝つために衆院議員の地位を奪うとしたら乱暴極まりない。 衆院解散は内閣の不信任以外、国論を二分する争点が浮上し、国民に信を問う必要がある場合に限るべきだ。その必然性に乏しい問題を無理やり争点化し、解散を正当化する2017年の「国難突破解散」のような振る舞いも避けるべきは当然である。(豊田洋一)2019年1月28日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「私説・論説室から-衆参同日選の無理筋」から引用 この記事が述べるように、内閣不信任以外に衆議院を解散するのは、国論を二分する争点が浮上し、国民に信を問う必要がある場合に限るべきです。首相が解散権を乱用した甚だしい事例は小泉首相の時に、郵政民営化法案が参議院で否決されたために、それを理由に衆議院を解散したことだったと記憶します。あの時に、同じ自民党でも民営化に反対の候補者には党の公認を出さずに「刺客」候補を立てるなど、「品格に欠ける自民党政治」が始まったのはあの時ではなかったかと思います。衆参同日選挙は過去に2回しかしていないというのは以外ですが、それだけ過去の自民党政治は、民主主義を守るための最低限の「常識」をわきまえていたということだと思います。しかし、今となっては政治の私物化が進行し憲法解釈は勝手に変更するし、内閣法制局や日銀の人事には恣意的な介入をするし、憲法違反の法律もどんどん通す。こういうデタラメがはびこっても誰も責任を取らない事態になってますから、この先の日本政治はどこまで転落するのか、危機的状況だと思います。
2019年02月19日
日韓両国政府の間に持ち上がった問題が解決されないままになっていることに関連して、ソウル大学教授の朴吉吉煕(パクチョルヒ)氏は1月27日の東京新聞に寄稿して、次のように述べている; 日韓関係は先行きが不透明なまま長期化している。前例のない状態であり、極寒期に入ったという評価まである。文在寅(ムンジェイン)政権が発足して以来、慰安婦合意の批判的検討、国際観艦式での旭日旗掲揚を巡る衝突に続いて、「和解・癒やし財団」の解散、元徴用工に関する大法院の最終判決があり、最近は韓国海軍艦艇と海上自衛隊の哨戒機によるレーダー照射問題が発生した。ほとんどは韓国により提起されたこともあり、日本側からは「またか」「我慢できない」など厳しい声が聞こえてくる。このような状態が望ましくないという考えは共通しているが、明るい展望が見えない。悲しい現実であろう。 私は双方の努力不足が原因であると思う。信頼が失われ、意思疎通が不可能な状態に達してしまっている点が残念である。レーダー問題の摩擦は防衛当局の相互信頼があれば、ここまで対立が深刻化しない事案であった。しかし相手に責任転嫁する言動か先走った。背景には政府間のコミュニケーションが円滑ではないこと、政治家による懸案管理メカニズムが作用しなかった事実がある。日韓のパイプがほとんど皆無になったため、衝突しても構わないという放任に走ってしまう。 両国で問題解決ができないならば、第三者に任せるしかないという心理も働いているようだ。日韓基本条約に基づいて、両国間の異見を仲裁や国際司法裁判所に委託すべきであるという主張が現れ始めた。一つの解決策であるかもしれないが、寂しい感が拭えない。「他人任せ」で収めようという諦めの解決策のようだ。外交を通じた解決ができないのを内外に宣言するようなものである。結果が出たとしても、第三者の決定を双方が素直に受け入れるか、疑念が湧く。実現性のあるリスク管理対策の有無についても、予測できないところもある。 日韓間の葛藤を見ると、互いに外交ではなく国内政治を優先している感じがする。相手の立場を熟慮して行動を自制するのではなく、国内の政治的支持基盤と声高な市民団体の反応をうかがっているのではないか。慰安婦問題を批判的に扱ったり、元徴用工判決に対して韓国政府が最終的な判断を下さずにいるのがそうであるし、哨戒機レーダー照射問題のデータを先に公開する官邸の決定もそうだ。民族主義が独り歩きすると、国際協調が後ろ向きになるのは当たり前である。 過去の問題を取り上げ日本に謝罪や反省、補償を求める韓国の市民社会は歴史問題の捕虜になっている。被害者意識から抜け出せないこのような考え方は、日韓関係に葛藤をもたらす原因になっている。一方で過去の歴史の事実に対して謙虚な姿勢で誠実に対応する先人の知恵を踏襲できなければ、問題は拡大する一方である。歴史だけを見る韓国も、歴史を直視しない日本も結局は歴史の捕虜だ。 衝突をいとわない姿勢はあまりに内向的である。北朝鮮問題や中国への対応、米国との同盟管理など日韓がともに取り組まなければならない課題が山積しているだけでなく、日韓の葛藤が両国以外の周辺国にとって漁夫の利となる事実を前に、葛藤を野放しにする姿は無責任である。日韓両国の指導層は、一日も早く戦略的意思疎通を強化し、信頼回復を目指し葛藤を適切に処理ないし管理する方法に立ち返るべきである。(ソウル大学国際大学院教授)2019年1月27日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「時代を読む-日韓相互不信の脱却を」から引用 この記事は日韓両国政府の間に生じた問題を論じるにあたって、一方に肩入れすることなく客観的に問題を分析している。朴氏は両国の為政者が外交よりも内政を優先していると指摘しているが、そしてそれは事実でもあるのだが、これは日韓両国に限らずロシアもアメリカも同様である。レーダー問題については、双方の防衛当局間にそれなりの信頼関係があれば、ここまで深刻化する事案ではなかったと述べているが、これはまったくその通りであって、実際にはこの程度のトラブルを話し合いで解決する程度の「信頼関係」は問題発生当時には存在しており、日本の防衛省はその線で一件落着させる方針であったにも関わらず、これを利用して「韓国叩き」を煽って自分の支持率向上に利用しようと企んだ安倍首相の「鶴の一声」でここまでこじらせることになった事実は、日本人として認識する必要がある。
2019年02月18日
「新潮45」が休刊に追い込まれる原因を作った記事の一つを書いた文芸評論家の小川栄太郎氏について、同じく文芸評論家でリベラルの論客と言われ朝日新聞の文芸時評を担当したこともある高橋源一郎氏が、月刊「新潮」の18年11月号に次のように書いている;(前半省略) 正直にいう。おれは、小川さんのことを、「新潮45」論文のような文章を書く方だと思っていた。だが、まるで違うのである。小川さんが「私の人生そのものである」という『小林秀雄の後の二十一章』の中の小川さんは、ひとことでいうなら、「文学が好きで好きでたまらない、いい人」だ。いや、小林秀雄と並んで、小川さんが深く敬愛する江藤淳に触れた文章では、「私自身の不器用な生き方にも通じる」とか「だが、この人の野心、そして病ゆゑの焦り、しかし、もし仮に、病でなかったとしても、焦慮の中で己の身を焦し、その焦熱の為に自滅したかとさへ思はれる子規の人間の精彩と悲惨とは、どこか、私の半生に重ならぬこともないやうである」とか「私は、石村ら、文學の志を同じくする何人かの人間と商売を始め、麹町の汚いビルに雑魚寝をしながら、先の見通しもまるでないまま文學をやる為だけに、生にしがみついてゐた。見えない希望に歯を噛みながら力みかへつてゐた」と書いている。小川さんの青春が透けて見えるような文章だ。おれより十五も若くて、こんな純粋な文学青年がいたのかと思うと、ほんとに泣けてくる。他人事ではない。おれだって、小川さんと同じような文学青年だったんだから。江藤淳、勝海舟から、ルソーにドストエフスキー、フルトヴェングーフーから平野啓一郎まで、小川さんの文学愛が炸裂するような重厚な文章がこれでもかと押し寄せてくる。正直にいって、自分の文章に陶酔しすぎ、という側面が感じられないわけではない。でも、過剰なほどの文学への愛に免じて、おれは目をつぶるつもりだ。そして、これは、もしかしたら無意識で書いているのかもしれないが、小川さんは、実によく自分のことを理解しているのである。 「強がつてゐなければ、彼らは、外側から容赦なく襲ひかゝる侮蔑と、内側から来る自奪心の崩壊に、耐へられない」(小川栄太郎「ドストエフスキー『死の家の記録』」より) いや、もっと驚くのが、こちらだ。 「その最大の懸念の一つが、匿名の私語を公的に流通させられることから来る、他者感覚の鈍麻であるのは、間違ひない。他者性への畏れや盧りを忘れゝば、人々の内面は、たとへやうもなく荒廃し始める。我々が、実際の言語生活で、他者へのどれ程の配慮を必要としながら生きてゐるかを、考へてみるがいゝ。相手との関係や状況により言葉の所作にその都度気を配る、さうした盧りを抜きに、他者と共にあることは、どんな無神経な、どんな傍若無人な人でも、決してできない」(小川栄太郎「平野啓一郎『決壊』」より) 「新潮45」の文章を読んでから、この文章を読んで(逆でもいいけど)、驚かないやつはいないだろう。同じ人間の文章とは思えない。「他者感覚の鈍麻」がダメつて書いてんのに、「他者感覚」が完全に鈍麻した文章を書いてる……って、まるで二重人格ではないか。その通り。おれは、小川さんの全著作を読み、ここに、ふたつの人格があるように思った。ひとりは、文学を深く愛好し「他者性への畏れや慮りを忘れ」ない「小川栄太郎・A」だ。そして、もうひとりは、「新潮45」のような文章を平気で書いてしまう、「無御経」で「傍若無人な」「小川栄太郎・B」だ。まるで藤子不二雄のようではありませんか。あの場合は、ほんとうにふたりで書いていたわけだけれど。(後半省略)月刊「新潮」 2018年11月号 194ページ 「『文芸評論家』小川栄太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた」から引用 私は文学方面には疎いので、小林秀雄が書物に書いたという「他者への慮り」がどんなに素晴らしい思想か、全く知りませんが、その「小林秀雄」への造詣が深く文学が好きでたまらない人物だから小川栄太郎は「いい人」なのだという高橋源一郎の主張には、大きな失望を禁じ得ません。いくら「他者への慮り」を理解し文学への造詣が深くても、LGBTを満員電車の中の痴漢と同列に論じる主張を公の出版物に掲載した時点で、そういう人物の評価は決まると、私は考えます。上の記事では、小川栄太郎を二重人格などと書いていますが、そんなものを持ち出さなくても、例えてみれば、ステージ上では可憐なアイドルを演じても、実は楽屋をのぞいたらシミーズ一枚であぐらをかいてタバコを吸っていた、というような現象として説明できるのではないか。仕事として、小林秀雄や平野敬一郎について立派な評論を書いても、小川栄太郎の本音は最後の「新潮45」に書いた通りなのだと理解するのが正解だと私は思います。ちなみに上の記事を掲載した「新潮」11月号が出た翌月に出た月刊「Hanada」12月号に小川栄太郎本人が「小川栄太郎独占手記 私を断罪した者たちへ」を書いており、その中で小川氏は上に引用した記事について「そんなものは、自分は相手にしない」とにべもなく否定しています。
2019年02月17日
古新聞の山を片付けていたら、なかなか気の利いた記事を発見しました。世間を騒がせて休刊となった『新潮45』に差別記事を書いた杉田水脈議員と小川栄太郎について、ジャーナリストの青木理氏は昨年10月14日の「しんぶん赤旗」に次のようなコメントを掲載している; 今回問題になったものはどれも文章とも呼べない差別落書きです。なぜそのようなものが伝統ある出版社の雑誌に載ったのか。 出版不況で本や雑誌が売れないなか、ネット右翼的なものには一定数の読者がいるという情けない事情があるのでしょう。 しかし、差別や排外主義といったものは、あおれば手に負えなくなる病のようなものです。人類はそれで何度も大失敗を経験してきました。少なくとも知識人や責任あるメディアはそれをやってはいけない。今回はそういう最低限の衿持(きょうじ)も捨てた編集だったと思います。 重要なのは、今回の騒動の登場人物が、安倍政権の応援団ばかりだということです。 自民党の杉田水脈議員は、昨年の衆院選で中国ブロックの比例単独最上位候補になって返り咲きました。こんな扱いを受けたのは、安倍晋三首相かその周辺の意向がなければありえません。 10月号の特集でLGBTと痴漢を同列視した自称文芸評論家は、安倍首相をほめちぎる著書で世に出た人物です。その本は安倍首相の政治団体などが何千部も買い取ったこともあってベストセラーとなりました。要は首相のちょうちん持ちです。 こういう人々と安倍政権が共鳴する形で、日本社会に差別や排外主義をまん延させているわけです。今回の問題は、表層的には『新潮45』問題ですが、実態としては「安倍政権問題」だと思っています。2018年10月14日 「しんぶん赤旗」日曜版 32ページ 「『新潮45』休刊-実態は『安倍政権問題』」から引用 杉田水脈議員といえば、彼女は参議院選挙の山陰地方の比例代表名簿のトップに名前が挙げられて安全圏内で当選した議員ですが、同じ地方に選挙区をもつ自民党内でも有力者である石破議員が、そのことを知ったのは党本部が名簿を発表した後のことで、事前の相談も打診もなかったとのことだった。安倍執行部が党内のルールも無視して暴走していることを裏付けるエピソードだと思いました。
2019年02月16日
子育てしながら働く人たちの環境改善について、ジャーナリストの小林美希氏は1月27日の東京新聞に、次のように書いている; 新春1月5日の1~3面を飾ったのは「超党派ママパパ議員連盟」代表者の華やかな座談会だった。女性国会議員4人が「おかしな永田町を変える」と本音を語った。 約20年前、半世紀ぶりの国会議員の妊娠、出産となった橋本聖子さんは「国会議員が妊娠するのか」と驚かれ、欠席届に書く理由は出産ではなく「その他(突発的な事故)」として扱われたという。子育て中の議員は増え、78人の議連メンバーが中心となって子育てしやすく変えていこうとしている姿に、希望が見えてくる。 政界と似ているのが医療界だ。妊娠中や子育て期に夜勤や当直ができないと一人前扱いされず、冷遇されて辞めていく。今もなお病棟で働く看護師の間では、妊娠すると「妊娠者が出た」とまるで罪人扱い。産休や育児休業をとろうとすると「事故欠が出る」と言われる現場が存在する。 医師の働き方改革にもスポットが当たるなか、19日21面の「あの人に迫る」では、産婦人科医の桑江千鶴子さんのインタビューが掲載されている。桑江さんは、女性の医師が出産や育児のために仕事を辞めていかずに済むようにと2006年、日本産科婦人科学会に要望書を提出した功績を持つ。同じ年、福島県の産婦人科医が医師一人体制というなかで帝王切開手術を行い、産婦が死亡したことで執刀医が逮捕された結果、お産の現場を離れる医師が急増する厳しい時期でもあった。 その2年後、都内の妊婦が脳出血を起こすと、救急搬送の受け入れ先がすぐに決まらず死亡したため、「妊婦たらい回し」報道が過熱した。国が重い腰を上げ、妊娠期から新生児をみる周産期医療体制の見直しが図られた。 しかし、医療崩壊の窮地に立たされていた産科や新生児科の医師たちは「この国は、人が死ななければ動かない」と失望していた。その頃に筆者は、周産期医療整備に関する有識者会議を取材。偶然、帰り道が一緒になった桑江さんと、女性の働き方について熱く語ったことがある。それから10年あまり。人の命や生活を守る職業を大切にする機運は高まったのだろうか。 24日1面は、東京都が本年度50億円もの予算をかけたベビーシッター補助1500人枠で、たった8人しか利用者がいなかったというスクープ。制度の内容を詳しく見ると、利用者より事業者にとってメリットがあるとも受け取れるものだった。今年10月から実施予定の幼児教育の無償化政策でもシッターは対象になっている。密室で1対1の保育となるシッター業を後押しするよりも、安全基準のしっかりした保育所整備を優先させるべきではないのか。「権力に厳しく 人に優しく」(3日「論説特集」)に尽きる。(ジャーナリスト)2019年1月27日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「新聞を読んで-権力に厳しく 人に優しく」から引用 この記事は最近の新聞を読んだ感想を述べているので、子育て環境についても国会議員と医療の業界を取り上げている。しかし、一般の企業でも育児休業の制度は政府の肝いりで出来上がってはいるものの、これを実際に利用するのはかなりのリスクがあり、周囲の冷たい視線を振り払って無理に申請して休業明けにスムーズに仕事を再開するのが困難になっているケースもあるように聞いていますので、国会議員や医療業界の事例が世間の話題になって育児休業制度への理解がもっと深まれば、子育て環境も改善されていくと思います。そうでなくても、少子化で人口減少が心配されるのですから、私たちは子育て環境の整備にもっと神経を使うべきです。
2019年02月15日
メディアが大騒ぎをしたにも関わらず不発に終わった日ロ首脳会談について、法政大学教授の山口二郎氏は1月27日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 世の中の出来事について、こうなるだろうとかこうなって欲しいが主観で、こうだが客観である。この2つの区別を忘れ、外に対しても内においても、主観が客観を圧伏するのが安倍政治である。 内では、統計のずさんな調査が問題となっている。医者が血圧などの数値を正確に測定する意欲を失ったら、医療は成り立たない。統計をなおざりにする政治家や官僚は、日本社会や経済の病気を悪化させることに加担している。文書改竄(かいざん)、働き方改革の際のデータ捏造(ねつぞう)から統計のごまかしは一続きの腐敗である。 外では、ロシアとの北方領土交渉で、主観に引きずられる政策論議の愚かさが浮き彫りになった。安倍首相の訪ロ直前のロシア外交関係者の発言を見れば、日本に譲歩する可能性は低いことは明らかだった。しかし、政府もマスコミの多くも、安倍首相とプーチン大統領の親密な関係が事態を打開するトップダウンの新方針をもたらすと根拠のない期待をまき散らした。しかし、国内のメディアはコントロールできても、大国ロシアの首脳には安倍首相の主観的願望は通用しない。 内でも外でも、自分たちにとって不都合なものであっても事実を直視し、冷静に理解することは、何よりジャーナリズムの使命である。権力を恐れず、事実を伝えるという原点に戻ってもらいたい。(法政大教授)2019年1月27日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-主観と客観」から引用 厚生労働省の統計の不正はまだ国会で野党が追及している最中であるが、問題の核心には統計をなおざりにする自民党政治によって作業を担当する職員の人数削減があり、十分なデーターが集められなかった、そこで少ないデーターで全体を予測する作業をしているうちに、そういう作業をするなら政権に都合のいい結果が出るようにも出来るということで不正が始まった疑いが濃厚である。したがって、国会で責任者を追及することも大切であるが、根本的には統計作業に従事する人員を増員する必要がある。行き過ぎた人員削減で、国家財政の健全度判断ができなくなってしまうのでは本末転倒であるから、ポスト安倍政権では厚生労働省の人員増にしっかり取り組んでほしい。
2019年02月14日
同性婚を認めてLGBTばかりになれば国が潰れるなどと暴言を吐いた平沢勝英議員の件について、エッセイストの師岡カリーマ氏は1月26日の東京新聞コラムに、次のように書いている; LGBTばかりになったら国が潰れるという議員発言以来、頭を離れない思い出がある。日本に来て間もないころ、電車で英字新聞を読んでいたら、隣のおばあさんが言ったのだ。「あ、英語だ。やだやだ。いつか、みんなが英語で話して、標識も全部英語になったらどうしよう」 四半世紀経った今も、日本人は比較的英語が苦手なままだ。彼女の嘆きに現実的根拠はなかったわけだが、激しく変わる社会で居場所を失うという漠然とした不安は尊重しなければならない。 議員発言は差別的である点でおばあさんとは異なるが、根拠のない不安は同じだ。議員ではなく身近なおじちゃんの言葉と仮定してみた。 「でもさ、同性愛者の権利が認められたからって、今まで女に欲情していた男が、急に男に欲情するわけないじゃん。台湾やタイの方が生きやすいと言って、才能豊かな性的少数派がこぞって移住しちゃったら、それこそ国が潰れるよ。それに、子どもを欲しかっているLGBTも大勢いるんだ」「へえ、そうかあ」なんて会話もありうる。 失言をたたくのは時に逆効果。議員だからといって責任や重みのある発言を期待せず、親戚だと思って話してみては? 当然、普通の人だからもう「先生」と呼ばない。ついでに報酬は法定最低賃金と比例させれば、最低賃金も上かって貧困対策になるかも。(文筆家)2019年1月26日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-でもね、おじちゃん」から引用 結局、平沢議員の暴言は本人がLGBTとは何で、何が問題なのかという認識がなかったために出た失言であった。一昔前なら、国会議員に立候補ともなれば、高い見識とリーダーシップを発揮できる有能な人物であることが自他共に認める暗黙の了解事項であったから、晴れて当選した人物には周囲が尊敬の念をもって先生呼ばわりしていたのであるが、現代では少しカネを持った者は誰でも立候補できて、憲法とは何なのかを理解していないような政治オンチでも有名な政治家の孫だからというだけで総理大臣になってしまう社会なのだから、この記事が皮肉っているように、政治家を先生呼ばわりする時代ではなくなったということのようです。
2019年02月13日
先月下旬に開かれた日ロ首脳会談について、元外務官僚の佐藤優氏は、1月25日の東京新聞コラムに次のように書いている; 22日、モスクワで日ロ首脳会談が行われた。会談後の安倍晋三首相との共同記者発表でロシアのプーチン大統領は、「シンガポールの会談で、安倍首相と1956年の日ソ共同宣言を基礎に交渉の過程を加速することを約束した。この宣言は第一義的に平和条約締結を想定している」と述べた。これまでプーチン氏は、「合意した」(ダガバリッツア)という言葉を用いたが、今回は「約束した」(ウスロービッツア)というより強い言葉を用いている。 歯舞群島と色丹島をロシアが日本に引き渡すことを約束した日ソ共同宣言に基づき、北方領土問題解決への意欲を示した。発表で安倍氏も「私とプーチン大統領のりーダーシップのもとで力強く進めていく」と述べた。 プーチン氏は「この先に、相互に受け入れられる決定に至る条件を定めるための長期間にわたる、綿密な作業があることを強調する」とも述べている。主権に関し、歯舞群島と色丹島は日本、国後島、択捉島はロシアにあることを確認し、日ロ間の国境線を画定するには時間がかかるというニュアンスが出ている。 日本の外交攻勢に対して、ロシア外務省が抵抗するのは、外交交渉の性格上、当然のことだ。日ソ共同宣言を履行するための条件をまとめる交渉を加速する戦略を、首相官邸と外務省が連携して構築してほしい。(作家・元外務省主任分析官)2019年1月25日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ 「本音のコラム-国境線画定に向けて」から引用 日本語には「奥歯に物が挟まったような言い方」という表現があるが、この記事はその表現に相応しいような気がします。第一に、今回の会談に関するプーチン大統領の説明が前回シンガポールでの会談の説明になっており、今回はそれを再度確認したと言っているだけで、その通りに解釈すれば「今回は特に得るものはなかった」という意味になります。安倍首相の発言にも、取り立てて言うべき「今回の成果」はありません。これは、本当に何も成果がなかったのか、それとも重大な成果に到達する寸前なので、ここで妙なハプニングに遭遇することのないように日ロ双方が慎重な姿勢になっているところなのか、興味深いところです。しかし、安倍首相が首脳会談に出かける前のメディアは「返還されるのは2島なのか4島なのか」と、あたかも返還が目前になっているかのような騒ぎ方でしたが、この会談後の記者会見の報道は、まるで何も無いという無様な状態で、あの騒ぎはなんだったのかという疑問だけが残されました。
2019年02月12日

アメリカのカリフォルニア州で、小中高校の教職員が賃上げや教育環境の改善等を要求してストを決行し勝利したと、1月24日の「しんぶん赤旗」が報道している;【ワシントン=遠藤誠二】 賃上げや少人数学級化など教育環境の改善、公教育の縮小中止を掲げ14日からストライキを行っている米西部カリフォルニア州ロサンゼルスの教職員組合とロサンゼルス統一学区教育委員会は22日、組合側の要求にほぼそった内容で妥結に至りました。南部オクラホマ州、東部ウェストバージニア州など昨年から続く教員のストは、全米第2の都市口サンゼルスでも教員側の勝利で終結となりました。 ストは、ロサンゼルス教職員組合(UTLA)が呼びかけていたもの。22日、記者会見したアレックス・カプートパールUTLA委員長は、「われわれは、多くの課題で合意することができた。学級規模の縮小、養護教員や図書館司書などの増員、賃金(引き上げ)などだ」と説明しました。 UTLAによると、妥結案には、▽6%の賃上げ▽今後4年間で1学級当たりの生徒数4人減▽すべての学校にフルタイムの養護教員配置▽中学以上のすべての学校に図書館司書の配置-など組合側の要求のほとんどが盛り込まれました。 組合員は22日夜、妥結案受け入れの票決を行いました。暫定集計段階で「圧倒的多数」が賛成票を投じたことが明らかとなり、カプートパール委員長はスト終結を宣言。23日から授業が再開されるもようです。 交渉の仲介にあたった同市のガルセッティ市長は、「(双方が)合意に至り、教師たちが学校にもどることを発表できて光栄だ」と話しました。 14日から、30年ぶりのストを実施したUTLAは、「全米で一番裕福な州で生徒一人当たりに使う教育予算は50州中43位だ」「学区がため込んできた19億ドル(約2000億円)の余剰金を環境改善にまわせ」などと主張。 スト中、学区側は代用教員を当て対応しましたが、十分な授業はできませんでした。教員ストに対しては、保護者・生徒、地域コミュニティーも支持を寄せ、米国内の多くの教職員組合、労働組合が賛同を寄せました。 教員ストはカリフォルニア州オークランド、コロラド州デンバーなどでも計画されています。米国は今年に入っても「教師のたたかい」が熱気を帯びています。【ロサンゼルス統一学区】 ロサンゼルス市と周辺31自治体およびロサンゼルス郡の一部で構成する学区。ニューヨーク市に次ぐ全米第2の規模で、就学前から高校生までの生徒数は60万人にのぼります。2019年1月24日 「しんぶん赤旗」 7ページ 「米教員スト また勝利」から引用 労働組合がストライキを決行して勝利したというニュースは、私たちを勇気づけます。日本でも70年代までは労働組合に勢いがあって、当時の国鉄と私鉄が交互にストを打つことがありました。私鉄がストのときは、独身寮の門前に会社がチャーターした大型バスが来て、それに載って出勤した記憶があります。また、別の年には国鉄だけがストで止まってしまった日、動いている私鉄で池袋に出て、そこから徒歩で事務所のある四谷まで行った記憶もあります。いつもの時間に寮を出たので当然遅刻ですが、なにせ国鉄が全部止まっているので、顧客のほうも似たように状態で混乱してましたから、自分の会社が顧客に迷惑をかけるようなことにはならなかったように記憶してます。アメリカの先生たちは元気があって宜しいと思います。日本の先生たちも、政府主導の「働き方改革」などに甘んじていないで、日教組に結集して発言力を増していってほしいと思います。
2019年02月11日
自民党は全国の衆議院小選挙区支部に宛てて「憲法改正推進本部を設置するように」と指示する文書を送付したと、1月24日の「しんぶん赤旗」が報道している; 自民党が全国にある衆院小選挙区支部の全てに「憲法改正推進本部」の設置を進めていることについて同党は23日、各選挙区支部で本部長決定を急ぐよう通知したことが分かりました。本紙が入手した同党の内部文書で判明しました。(井上拓大、岡素晴) 問題の内部文書は、「選挙区支部『憲法改正推進本部』設置連絡について」とする事務連絡です。自民党憲法改正推進本部事務局が、党所属の関係事務所や各都道府県連事務局あてに送ったもの。これまでに本部長決定の連絡がない各支部に対し、速やかに本部長を決定した上で同本部事務局まで連絡するよう求めています。 自民党は、昨年10月29日に山口泰明組織運動本部長、下村博文憲法改正推進本部長の連名で、各小選挙区支部に対し、年内をめどに本部長を選任し、連絡するよう求めるなどの要請文を送っていました。 今回の事務連絡では、現時点で選挙区支部本部長決定の連絡について「確認できない事務所がある」と指摘。関係者は、「本部長が決まっていない支部に対してプレッシャーをかけている」と説明します。 自民党は、小選挙区支部ごとに憲法改正推進本部の設置を進める狙いを「憲法改正への国民の理解を得るため、都道府県支部連合会や選挙区支部主催の憲法研修会を積極的に開催する」ためとしています。 昨年の臨時国会では、憲法審査会を動かし、改憲の発議を画策した安倍晋三首相のもくろみはとん挫しました。新たな通知は、改憲論議が進まないことへの危機感と焦りの一方、仕切り直しで小選挙区ごとの態勢構築を急ぎ、改憲への執念を強めているものとみられます。2019年1月24日 「しんぶん赤旗」 1ページ 「改憲本部設置 せかす自民」から引用 この記事によれば、自民党は本来、去年のうちに全国の小選挙区支部に「改憲推進本部」を設置する予定だったのだが、一生懸命なのは安倍晋三の取り巻きだけに過ぎず、地方の支部も支持者も生活に直結しない改憲など、やる気はまったく無いので、中央の目論見通りに進まなかった様子がうかがえます。もともと憲法改正は、全国の有権者や支持者が「憲法を変えてほしい」と党支部に話を持ち込んで、それが中央に伝わって国会議員が立ち上がるのが正しい筋道というのに、これを逆方向から話を始めるという点に無理があります。こういうデタラメな憲法改正を許してはなりません。
2019年02月10日
安倍首相の虚偽発言をそのまま放送し、他のメディアから虚偽を指摘されても尚、政治家の発言についてコメントする立場ではないなどと開き直ったNHKの態度について、月刊「マスコミ市民」編集委員の高野真光氏は、同誌2月号で次のように厳しくNHKを批判している; 政権広報化が一段と顕著になってきたNHKの報道で、新年早々見逃せない事態が発生した。発端は、1月6日に放送された「NHK日曜討論」での安倍首相の発言である。辺野古埋め立てをめぐる質問に対して「土砂投入にあたって、あそこのサンゴは移しております」と、あたかも国が土砂投入区域のサンゴを移植したかのような印象を与える発言をしたのである。ネットでは「事実ではない」という指摘が相次ぎ、沖縄県の玉城知事は、その日のうちにツイッターで「それは誰からのレクチャーでしょうか。現実はそうなっておりません」と、首相の発言に反論した。沖縄の県紙、琉球新報は、事実関係を調べた上で、8日付の紙面で「土砂投入海域の移植はゼロだった」ことなど、安倍首相の発言内容の誤りを具体的に明らかにする記事を掲載した。翌9日には社説で「首相サンゴ移植発言 フェイク発信許されない」とのタイトルで、安倍首相の発言の問題性を指摘するとともに、NHKがそのまま放送したことについても厳しく批判している。この件について10日の定例会見で記者から質問されたNHKの山内編成局計画管理部長は「番組内での政治家の発言についてNHKとして答える立場にはなく」「事実と異なるかどうかという他社の報道についてもコメントする立場にはない」と、他人事のようなそっけない回答をしたとされる。この間、NHKは安倍首相の発言が事実に反することについて全く報じていなかったが、11日になって「サンゴの移植が進んでおらず、防衛省が沖縄県との調整を急いでいる」という政府の視点からのニュースを放送した。ここでも安倍首相の発言が事実に照らして誤っているという印象は、巧みに薄められていた。 この安倍首相の”虚偽発言”の扱いについて、NHKは報道機関としていくつもの誤りを犯しているように思われる。まず、番祖収録時に安倍首相がこの発言をした時に、インタビュアーの解説副委員長が問い返さなかったこと。この発言に疑問を抱かなかったとしたら、辺野古で起きていることについて不勉強だと言われてもおかしくない。次に、6日の「日曜討論」は収録番組でチェックの時間はあったはずなのに、そのまま放送したことである。そこまではやむを得ない事情があったかもしれない。だが、放送後に各方面から批判や疑問の声が上がったにも拘らず、それを受け止めてニュースとして放送することを怠り、首相発言の真偽を確認しようともしなかったことは、大きな落ち度だと指摘したい。さらには、定例会見での質問に対して木で鼻をくくったような官僚的な回答をしたことも問題であろう。 この問題は、NHKに対して報道とは何かという根源的な問いを投げかけているように思われる。山内部長の発言によれば「政治家の発言した内容をそのまま”事実”として伝えるのが報道であり、その際、発言内容の真偽は二の次である。それは視聴者が判断すればよい」というのがNHkの立場だと受け取ることができる。それは視聴者が判断すればよいというのがNHKの立場のようである。しかし、それでは報道の役割を果たしたことにはなるまい。事実を客観的に報道することは、政治家の虚偽発言をそのまま伝えることではないはずだ。それでは、詐欺の片棒を担ぐようなものである。視聴者国民にとって重要なのは発言の中身が真実かどうかである。そこを検証しないなら、単なる政府広報であって報道とは言えない。真偽の検証こそが報道機関に課せられた本来の役割である。わかりやすい例えで言えば、首相が「1足す1は3です」と言った時にそのまま伝えればいいのかということである。首相はこう語ったが、「1足すIは2が正しい」ということを指摘しなければ、権力をチェックするという報道の役割を果たしたことにはならない。それだけではなく、視聴者を欺くことにもなろう。今回のケースに即して言えば、NHKは少なくとも放送後に自ら検証した上で、琉球新報が伝えたような形で首相発言の誤りを伝えるべきであった。それを怠れば、政府が辺野古の環境対策をしっかり進めているかのような印象を視聴者の間に定着させる手助けをしてしまうことになる。真偽の検証は、報道の重要な役割である権力の監視と密接不可分の関係にあるのだ。 NHKのこうした政治報道のあり方は、今回に限ったことではない。これまでも、政治家の問題発言などについては、NHKが独自に真偽を検証してその結果を報道することはほとんどなかった。他メディアや国会などで取り上げられ、公に問題化してからそれを後追いで伝えるのが常であった。このような報道姿勢を変えることがなければ、今後も同じような問題が起きることが絶えないだろう。それは、公共放送としてのNHKの役割を果たせない状況を放置することになる。 ではどうすればよいのか。現実的に考えられる一つの案は、NHK報道局の中にファクトチェックを行う仕組みを作ることである。「政治家が話した」という”ファクト”だけを伝えるのではなく、話した中身の真偽をチェックすることをルーティーン業務に組み込むのである。こうした取り組みは既に朝日新聞などいくつかの新聞社で始まっている。様々なフェイク発信が社会問題ともなっている今、ファクトチェックはメディアの世界では時代の趨勢となっていると言ってもおかしくない。NHKもいずれは取り組みの開始を迫られることになるだろう。今から始めても、決して早すぎることにはならない。折しも今年の新聞労連ジャーナリズム大賞に選ばれたのが、琉球新報の「沖縄知事選に関する情報のファクトチェック報道」であった。この取り組みは、知事選挙の期間中から注目されていたが、NHKがファクトチェックを始める上での良いお手本になるはずだ。 今の日本では、政治家の嘘に対する国民の感度が極端に鈍化しているように私には見えている。その背景には、政治家の嘘に対するメディアの追及の甘さがある。この傾向は、陰に陽にメディアに対する圧力をかける安倍政権に入って以降、顕著に見られる。しかし政治家の嘘を放置することは民主主義の基盤の腐食にもつながる重大な問題である。国民が政治を判断するうえで誤った情報を与える事になるからだ。そのような明確な認識が、今どれだけNHKにあるだろうか。今回の件をきっかけに、「政治家の嘘を放置しない」という報道機関として当たり前のことをできるような体制作りを進めることは、視聴者に対する義務でもあると言えるのではないか。それは公共放送NHKの自治能力をより確かなものにすることにも貢献するはずである。月刊「マスコミ市民」 2019年2月号 61ページ 「メディア時評107-NHKもファクトチェックの取り組みを」から引用 この記事でも触れているが、政府がらみの不祥事の報道についてNHKはいつも他の報道機関の様子をうかがいながら、政府も不祥事を認めたときに始めてその件をNHKも報道するというようなことを、私も過去に何度も体験したような気がします。いくら予算の執行権を国に握られているとは言え、ここはやはり予算は予算、仕事は仕事と割り切って報道機関としての使命を果たすのが「プロの道」と言うものではないでしょうか。国民が政治を判断する上で、メディアが提供する情報は大きな影響力を持ちますから、メディア自身によるファクトチェックは重要だと思います。
2019年02月09日
安倍首相の憲法に対する姿勢を批判する投書が、1月23日の東京新聞に掲載された; 今年も安倍晋三首相は改憲、特に憲法に自衛隊の存在を記述する「9条の2」新設に執心しているようだ。しかし、首相本人は「これによって自衛隊の任務や権限に変更が生じるものではない」と国会で答弁している。つまり、首相の頭の中では「9条の2」には実際的な効果はなく、象徴的な意味しかないことになる。 今年は、改元や大型選挙、消費税増税など、人々の生活に関するさまざまな変化のある年にもかかわらず、首相は人々の生活にほとんど意味のない「9条の2」新設を進めようとしているのだ。国会の限られた時間と予算を、首相の自己満足的な改憲の審議に割くことには、全く納得できない。 そもそも、首相は現行憲法を「米国の押し付け」と批判して改憲を掲げているのに、対日貿易赤字を抱える米政権のために米国から高額な兵器を大量購入している。首相の行動からは、対米独立という一貫性も感じられない。 また、首相の説明と反対に、「9条の2」がいかに日本の平和主義を骨抜きにしかねないか、7日本紙の「9条自民案逐語点検」でよく分かった。さらに言えば、昨年国会で取り上げられた防衛省文書「機動展開構想概案」で、「戦場での住民保護は自衛隊の主担任ではない」といった説明がされていたことも心配だ。 つまり、今の自衛隊は人々の命を守るとは限らないのだ。そのような防衛省の姿勢を放置したまま、集団的自衛権行使容認等を進めてきた政府の改憲に賛成するのは危険だろう。「9条の2」新設の無意味さと懸念を認識し、政府の動向を見張らなくてはなるまい。2019年1月23日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「ミラー-首相の改憲志向に警戒」から引用 50年代に保守合同と称して自民党が結成された当時、自主憲法制定というのは米国に依存しない自主独立の日本となるためには、安全保障政策でも米国依存を脱却する必要があるという意味で、日本も他の普通の国のように軍隊を持つ必要がある、だから今の憲法は改正するべきだ、という主張だったと思います。しかし、その後、日本は朝鮮戦争のときにアメリカに言われて自衛隊を発足させはしましたが、その自衛隊に武力行使を命令することなく今日まできたことは、上手に外交政策を展開することによって平和を維持することは可能であることを示しています。安倍首相は、少し前までは「自衛隊員の子どもは親に、お父さんは憲法違反なの?と聞かなければならないような、可哀相な状態にあるから、憲法に自衛隊の文言を明記するべきだ」と、改憲が必要な理由を述べていましたが、石破議員から「今どき、そんな子どもはいません」と一蹴されて、今度は「現行憲法に自衛隊の文言を書き加えるだけで、別に何かが変わるわけではない」などと言い出してますが、これも「何も変わらないなら、今のままでいいだろ」などと言われる始末です。結局、国民にとっては今すぐ憲法を変えなければならない理由は存在せず、安倍氏の個人的な道楽に過ぎないことは明らかですから、今後は安倍政権が数のチカラでゴリ推しを始めることのないよう、しっかり監視していく必要があると思います。
2019年02月08日
経団連会長の原発に関する発言について、ルポライターの鎌田慧氏は1月22日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 「再稼働をどんどんやるべきだ」。中西宏明経団連会長の進軍ラッパだ。原発存廃の勝負はついた、あとは一日も早い終戦と撤退だ、とわたしは考えている。ところが日本財界の最高司令官は、まるでヤケのヤンパチ、玉砕覚悟の突撃命令だ。 そのわずか前、報道各社とのインタビューで中西会長は「国民が反対する(原発)はつくれない」と仰(おっしゃ)っていた。福島原発事故のあと、厭戦(えんせん)気分が蔓延(まんえん)している市民と自治体にいらだち、むりやり反対意見をねじ伏せたいこころ。しかし世界をみてほしい。賢明なるドイツ政府はすでに急速な脱原発をすすめ、核からの脱却と自然エネルギーへの転換が、あらたな経済成長と希望の道となっている。 それにひきかえ、日本政府の原発輸出政策は、東芝、三菱重工業、日立製作所ともに軒並み採算がとれず敗退、破綻。中西氏が会長の日立はアラブ首長国連邦、リトアニア、台湾、そして英国と海外戦線は全滅。すでに勝敗はあきらかなのに、敗北の鬱憤(うっぷん)を国民への挑戦で突破するつもりか。 経団連会長の再稼働至上主義は、かつての軍部の戦闘至上主義を思い起こさせる。被爆地は疲弊し物資は欠乏。国民の戦意喪失は深い。が、どんどん往(ゆ)け、と兵士を戦地に送りこんだ。その無謀、無責任のDNAが財界指導者に残っているようだ。ついに本土決戦の悪夢か。(ルポライター)2019年1月22日 東京新聞朝刊 12版 27ページ 「本音のコラム-『本土決戦』?」から引用 福島の原発事故が潮目となって、西欧も中東も東南アジアも軒並み原発を断念しているのに、「火元」の日本がまだこれをどこかに売り込もうとしているのは、何やら異様です。より安全で持続可能な自然エネルギーへ転換するほうが、国民も安心して暮らせるのに、危険でコストもかかる原発に何故拘るのか、不思議です。
2019年02月07日
安倍政権が沖縄県の民意を無視して辺野古に基地を建設するのは憲法違反だという声明を出す準備を、120人を超す憲法学者がすすめていると、1月22日の東京新聞が報道している; 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設を巡り、安倍政権が名護市辺野古で進める新基地建設は「憲法違反だ」とする声明を憲法研究者の有志がまとめた。24日に東京都内で記者会見し、発表する。120人超の憲法研究者が声明に賛同している。(小椋由紀子) 声明は、昨年9月の沖縄県知事選で新基地建設に反対の民意が示されたにもかかわらず、安倍政権が建設を強行していると指摘。「基本的人権の尊重や平和主義、民主主義、地方自治という日本国憲法の重要な原理を侵害、空洞化するものだ」と批判する。 その上で「憲法違反の実態や法的問題を社会に提起することが憲法研究者の社会的役割」と訴える。賛同者は21日現在で、名古屋学院大の飯島滋明教授、学習院大の青井未帆教授、早大法学学術院の水島朝穂教授、名古屋大の本秀紀教授、一橋大の山内敏弘名誉教授ら120人。 沖縄大の小林武客員教授は本紙の取材に「安倍政権の沖縄政策全体が憲法を無視している。沖縄の各選挙で新基地建設拒否を貫く民意を一顧だにせず民主主義や地方自治に反している」と語った。聖学院大の石川裕一郎教授は「新基地建設は憲法前文の平和的生存権や環境権も侵害していることを訴えたい」と話した。2019年1月22日 「憲法学者120人超 声明へ」から引用 安倍政権の下では集団的自衛権や共謀罪など憲法に抵触する法律が次々と成立しており、今回、辺野古の基地建設強行が引き金になって憲法学者の皆さんがようやく腰を上げたようですが、これを機会に憲法学の立場から、安倍政権の6年間を徹底チェックしてほしいものです。特に、総理大臣が所信表明で憲法改正に言及することの是非などは国民も関心が高いのではないかと思います。
2019年02月06日
昨年暮れに韓国海軍の駆逐艦が自衛隊機にレーダーを照射したとされる問題は、両国の担当者同士の話し合いで解決するはずだったところに、突如安倍首相が介入して故意に問題をこじれさせたことについて、1月18日の「週刊金曜日」は次のように論評している; 昨年12月20日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の漂流船舶を救出中の韓国海軍駆逐艦「広開土大王(クアンゲトデワン」が、能登半島沖で日本の海上自衛隊の哨戒機P-1に火器管制用のレーダーを照射したとされる問題が、日韓両国の間で深刻な対立を引き起こしている。 現時点で両国の言い分は依然隔たりがあるが、最大の問題は両国間の協議で十分解決できるトラブルであったものを、安倍晋三首相や日本側が対立感情を煽る方向に誘導した事実だ。韓国側は同日、軍関係者が「人道主義的救助のための措置だったことを東京駐在武官を通じて日本政府に十分説明した」(韓国の「ハンギョレ」ウェブ日本語版12月21日付)という。だが、翌21日夕方、岩屋毅防衛大臣が両国間の確認作業も済ませないうちに記者会見を開き、一方的に同艦が「火器管制用レーダー」を照射したとして、「実際に火器を使う直前にする行為だ。これは予想できない事態を招きかねない」などと韓国政府を批判した。 それでも24日に日韓外交担当者の会合が開催され、防衛省は翌25日にホームページで「日韓防衛当局間の連携を損なうことがあってはならず、今後、日韓防衛当局間で必要な協議を行っていく考え」だと発表。続いて27日、両国の実務級によるテレビ会議が開かれ、韓国国防部は「会議は友好的かつ真摯な雰囲気の中で行われ、今後、関連実務協議を続けていくことで一致した」と説明している。 この時点では、互いの協議で再発防止策やトラブルの原因究明について何らかの結論が出る可能性は残されていた。だが安倍首相は翌28日に、映像の公開に踏み切る。「時事通信」の同日の配信記事は、「防衛省は当初、映像公開について『韓国がさらに反発するだけだ』(幹部)との見方が強く、岩屋毅防衛相も否定的だった」が、「方針転換は27日、首相の『鶴の一声』で急きよ決まった」と報じた。 これに対し、韓国国防部が「韓日の当事者間の速やかな協議を通じ、相互の誤解を払拭させ、国防分野の協力関係発展を模索する趣旨でテレビ会議を開いてからわずか1日後に映像を公開したことについて、深い憂慮と遺憾を表明する」と発表したのは、当然だろう。 韓国側も今年1月4日に映像を公開し、両国間の応酬は感情的な色彩を強めて問題解決の前途は不透明だ。だが、ここまで事態を悪化させたのは、安倍首相の話し合いによる解決を最初から意図的に妨害する姿勢であるのは疑いない。(成澤宗男・編集部)2019年1月18日 「週刊金曜日」 1216号 29ページ 「レーダー照射で対立感情煽る日本側」から引用 防衛省幹部や岩屋防衛大臣はそれなりに防衛政策について研究しており専門家であるが、安倍首相はその点、まったくの素人に過ぎない。本来であれば、シビリアン・コントロールと称して武官を指導する立場にある総理大臣なのだが、その実態は常識をわきまえず、専門家に任せておけば収まる問題を文官が問題を大きくしているのだから、わが国の文民統制は本末を転倒している。徴用工裁判のときも、安倍政権は和解に応じるはずの企業に圧力をかけて故意に厳しい判決を出させるように誘導して問題を大きくしている。こういうことばかりやっている政権には、そのうち天罰が下るのではないかと思量する次第である。
2019年02月05日
沖縄県の米軍基地建設に関連して、県が実施を決めた住民投票に対し一部の自治体が不参加を表明した問題について、東京大学教授の宇野重規氏は1月20日の東京新聞に、次のように書いている; 沖縄県で2月24日に実施される住民投票について、奇妙な事態が起きている。 この投票は米海兵隊普天間飛行場の名護市辺野古への移設をめぐってなされる。ところが、普天間飛行場がある宜野湾市をはじめ、いくつかの自治体が投票を実施しない決定を行い、結果として3割を超える沖縄県民が投票に参加できないというのである。沖縄市に住民票を置く玉城デニー知事自身、投票できないという。 反発する市民からは「投票権を侵害した」として、宜野湾市を提訴する動きも生じている。県が決めた住民投票について、その実施事務を担う自治体が不参加を決め、県民投票であるにもかかわらず、投票権を持つ県民が7割を切るというのは、いかにも異常な事態である。なぜ、このような事態が生じてしまったのか。 この住民投票は、市民グループによる署名活動から始まっている。必要数を大幅に上回る署名が集まった結果、直接請求がなされ、沖縄県議会で条例が制定され、住民投票の実施が決まった。問題はその先である。投開票事務の一部は市町村が担うが、住民投票のための補正予算案がいくつかの自治体の議会で否決され、当該の自治体の長が住民投票への不参加を決めたのである。 このような事態はきわめて異例ではあるが、現行の法制度的には想定可能である。県が反対する市町村に執行を強制することは実際上、難しい。しかし、問題はこのことの政治的意味であろう。特に民主主義という視点において、このような事態はどのように理解されるべきか。 この住民投票を支持する側からすれば、今回の事態は、すでに触れたように「投票権の侵害」に当たる。直接民主主義の貴重な機会を奪われたことに対しては、憲法違反を訴える声も少なくない。ある意味で、住民の権利が、その住民を代表する自治体の議会や首長によって否定されたことは、きわめて皮肉な事態にほかならないであろう。 逆に、住民投票への反対派からは、国政レベルの問題であり、自治体の判断すべき対象としてはふさわしくないという意見がある。また、賛成論の裏返しとなるが、住民を代表する議会や首長が反対した以上、住民投票への不参加を決めることは可能だという議論もありえる。 しかしながら、現代の民主主義において、きわめて重要なのは、異議申し立ての機会を十分に確保することであるのではないか。 今日、政治上で争点になることの多くは、負担やリスクをどのように社会的に配分していくかに関わる。基地問題はまさしく日本全体の問題であるが、その負担をどの地域に担わせるかについての決定の正当性は、どれだけ異議申し立ての機会があり、その意見が十分に考慮されたかにかかっている。 現在、民主主義について、さまざまな議論がある。住民投票と議会による決定の関係も難しい問題である。が、少数派の異議申し立ての機会と、その納得を得るための丁寧な説得の過程こそが民主主義の最後の砦であることだけは間違いない。その一線が脅かされるとき、民主主義の形骸化がとめどなく進むであろう。今回、異議申し立ての声を示す機会すらも奪われかねない事態に、深刻な脅威を感じざるをえない。(東大教授)2019年1月20日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「時代を読む-民主主義の最後の砦」から引用 この記事は沖縄県の住民投票問題のポイントは何かという点について、分かりやすく解説されていると思います。政府が国防の必要姓から基地を沖縄県に建設すると決めるのであれば、沖縄県の意見に十分耳を傾け住民の意思を尊重する、それが民主主義のルールである。しかし、安倍政権になってからは、このルールが無視されて久しい。安倍首相は何度か「丁寧な説明をして理解を得て参ります」などと発言しているが、いまだかつて一度も実行した試しがない。共謀罪の法律や戦争法、働き方改革法など、少数派の野党の意見にはまったく耳を傾けず、野党の質問に対して答弁に立った総理大臣もその他の大臣も、関係ない話を延々と続けて質問時間をつぶし、最後は強行採決で法案成立という暴挙を繰り返しており、もはや国会は存在しないに等しい状況になっており「深刻な脅威を感じざるをえない」と言うレベルは、既に通り過ぎている、と私は思います。
2019年02月04日
最近の新聞を読んだ感想について、武蔵大学社会学部教授の永田浩三氏は1月20日の東京新聞に、次のように書いている; 正月早々フェイク発言を疑う出来事が起きた。舞台は6日放送のNHKの政治番組「日曜討論」。安倍晋三首相は、沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設現場の土砂投入について触れ、「あそこのサンゴは移している」と発言し、「環境への負担をなるべく抑える努力をしている」ことを強調した。そんな話は初耳だ。椅子から転げ落ちそうになった。 9日朝刊24面「こちら特報部」は、この出来事を大きく取り上げた。昨年7月から9つの群体を移植しているのは事実のようだ。しかし、それは工事区域ではない。東京経済大の大久保奈弥准教授(海洋生物学)は「厳密に言うと間違い。事実とは異なる」とコメントした。 11日は朝刊1面でスクープを掲載する。防衛省は、埋め立て用の土砂の仕様を、沖縄県に無断で変更し、赤土の混入を防ぐ手だてを怠っている実態が明らかになったのだ。投入する土の粒子が細かいほど、海は濁り、生物は死滅する。県は現場の調査を進めたい意向だが、防衛省は応じていない。いずれにしても、環境への配慮や、県民に寄り添うこととは真逆のことが進んでいるようなのだ。 これまでもNHKは、生放送で首相が好き勝手に語る機会を提供してきた。部分ではなく全体を伝えるという意向かもしれないが、でたらめの言い放題はまずい。だが今回は記者会見ではない。解説委員室の副委員長が尋ねるかたちをとった。疑問が発生すれば、いくらでも尋ねることはできたはずだ。わたしは「クローズアップ現代」で国谷裕子キャスターとの仕事が長かったが、国谷さんなら聞かないで我慢するはずはなかったのではないか。しかも今回は生放送ではなく収録番組だ。放送現場ではどんな議論があったのか、上からの圧力はなかったか、疑問に答えるべく検証してほしい。 東京新聞は新年から、「メディアと世界」のシリーズを連載した。6日の朝刊4面には、オランダ生まれの「コレスポンデント」の取り組みを紹介している。これまでの扇情主義や速報へのこだわりから決別し、問題の本質を掘り下げる新しいメディアが好評だ。広告は一切ない。運営費のすべてを購読料でまかなう。読者とともに真相を深く追及する姿勢に支持が集まり、輪が広かっている。オランダでの成功を受けて、ニューヨークでも今年半ばから本格稼働が始まる。 さて今回の騒動。NHKの見解は、何の問題もなく、これからも「自主自立」を貫くと言う。なんと空虚な言葉だろう。忖度の時代はいつまで続く。NHKが知らぬ存ぜぬを貫くなら、「コレスポンデント」に登場願うか。それとも東京新聞のさらなる追及に期待するか。(武蔵大学社会学部教授)2019年1月20日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「新聞を読んで-忖度の時代 追及に期待」から引用 出演した者が真っ赤なウソを発言し、地元の首長や新聞が発言が事実と相違していることを証言しても、その「ウソ」について放送局は知らぬ存ぜぬを貫いていいものなのか、これは私たちは社会の問題として議論する必要があると思います。普通の人間であれば、日頃からウソをついていれば周囲の仲間の信用を失い、この人にはうっかりものを頼めないというレッテルを貼られるわけですが、総理大臣であれば、そうはならないというのは、如何なる社会現象として説明できるのか、大変興味深い問題です。
2019年02月03日
官房長官記者会見の場における菅官房長官の日々の言動について、法政大学教授の山口二郎氏は1月20日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 日本政府の要路の人々から、政策について国民に対して筋道立てて説明するという常識が廃れて久しい。その大きな理由の一つに、菅義偉官房長官の記者会見があると思う。 本紙の望月衣塑子記者が重要な案件についての政府見解をただすべく奮闘しているが、菅長官は「問題ない」と木で鼻をくくるような返答をすることが多い。 最近の事例では、安倍首相がテレビで辺野古のサンゴを移植したと発言したことの真偽を問われても、この返答を繰り返した。 首相が、実現不可能なサンゴの移植を口実に辺野古への土砂投入を正当化するのは、犯罪的な虚言である。なぜ問題ないのか、その根拠を望月記者とその背後にいる国民は知りたいのだ。官房長官が問題ないという主観を語れば、現存する問題は消滅するとでも言いたいのか。そのうち、安倍首相が2足す2は5だと言い出しても、官房長官は問題ないと言うのだろう。 権力者がこれだから、お偉方はみなそれをまねる。オリンピック招致を巡る賄賂疑惑について、竹田恒和JOC会長は、自分は関与していないと一方的に主張する「記者会見」を開いた。しかし、主観的な正当化は外国のジャーナリズムには通用しない。 「問題ない」の蔓延は、日本の信用と国力を損なう。(法政大教授)2019年1月20日 東京新聞朝刊 11版 29ページ 「本音のコラム-『問題ない』という大問題」から引用 安倍首相のサンゴ発言は移植した場所が埋め立て区域とは別の場所であること、サンゴは7万株もあるのに移植した数は9株に過ぎないから「既に移植した」という表現は「ほとんどウソ」であることと、2つの問題がある。安倍首相がこれを言い放しにし官房長官が「問題ない」と言うのであれば、これは政府ぐるみのウソだということになる。これでは国際社会で信用を失いのみであり、既にロシアの大統領などは安倍首相の足下を見て交渉してくるから、北方領土問題に対する日本の立場は益々不利になるばかりである。安倍政権がこのまま続けば日本の損失は益々拡大するばかりである。
2019年02月02日
昨年5月に放送されたNNNドキュメント’18「南京事件Ⅱ~歴史修正を検証せよ」について、元NHKディレクターの戸崎賢二氏が翌月の6月10日の「しんぶん赤旗」に寄稿して、次のように批評している; アジア・太平洋戦争中の旧日本軍の加害行為が伝えられるとき、いつもあなたはどう受け止めるかと厳しく問われる思いがします。 日本テレビ制作のNNNドキュメント’18「南京事件Ⅱ~歴史修正を検証せよ」(5月14日)はまさにそのような問いを突き付ける番組でした。◆一次資料もとに 2015年10月、この番組ワクで「南京事件兵士たちの遺言」が放送され大きな反響を呼びました。そのとき、「番組は捏造(ねつそう)」などと非難する言説がネットにあふれました。今回の「南京事件Ⅱ」はこの番組の続編で、事件を否定する歴史修正主義を反駁(はんばく)することが意図されています。 1937年、日本軍が中国の南京市を攻略した際、捕虜や住民の殺害、強かん、略奪を大規模に行ったことは、歴史的事実として確定しています。しかし日本では、自民党政権の政治家を含む右翼勢力が執拗(しつよう)にこの事件を否定してきました。 南京侵攻の際、日本軍が中国人捕虜を揚子江河畔に連行して大量虐殺したことが知られていますが、この事実に対しても否定したり事実をゆがめたりする言説があります。 番組は、37年12月16、17日の捕虜虐殺事件に焦点を絞り、兵士の生前の証言や陣中日記など一次資料で、組織的な捕虜虐殺の実態を詳細に明らかにしました。 後ろ手に縛った数千人の捕虜を揚子江に向かって座らせ、機関銃で一斉射撃し、掃射のあと日本兵が倒れ伏した捕虜の中に入り、軍刀で生存者を刺して回ります。中には老人も子どももいた、と記した陣中日記も紹介されました。 この事件については、捕虜たちが暴動を起こしたのでやむを得ず発砲したという「自衛発砲説」が流布されてきました。 番組はこの説のルーツをたどり、それが捕虜殺害を行った連隊の連隊長が62年に地方紙に語った話であることを突き止めます。連隊長は虐殺現場を見ていなかったことも明らかになり、手記はとうてい一次資料とは言えないものでした。 2回にわたる番組を担当した清水潔ディレクターは、桶川ストーカー事件で真犯人を突き止め、足利事件の冤罪(えんざい)を証明するなど、調査報道で著名なジャーナリストです。 前回に続いて使われた兵士の日記や証言は民間研究者の小野賢二氏が収集したものです。この仕事がなければ番組は成立しなかったでしょう。◆戦後世代の責任 南京事件以後に生まれた我々戦後世代には事件に直接の責任はありません。しかし、歴史の事実を直視し、修正しようとする勢力を許さないという責任はあります。 この番組で示された地をはうような調査報道と、長期にわたる歴史資料の収集は、南京事件否定の歴史修正主義に対するたたかいそのものであり、戦後世代の責任の果たし方の貴重な成果と言えるでしょう。(とざき・けんじ=元NHKディレクター)2018年6月10日 「しんぶん赤旗」日曜版 30ページ 「歴史修正とたたかう」から引用 この記事が述べているように、日本軍が南京攻略の際に捕虜や一般市民を大量に虐殺したことは既に確定した事実です。にも関わらず、戦後の日本では「あれはウソだ」という言説が何度も繰り返され、その都度歴史学者が史実を挙げて反論してきましたが、この度は民間研究者が史料を収集し、学者ではない番組制作者が地道な調査報道を行なうことによって、歴史修正主義を完璧に論破した成果は賞賛されるべきと思います。歴史修正主義を許さないということが、戦後生まれの日本人の「使命」であり責任です。
2019年02月01日
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