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新しい元号が万葉集を出典としていることについて、次のような投書が2日の東京新聞に掲載された; 令和は「和を上位者が命令する」と読めます。上から目線の発想であり、「れい」は冷たい感じがします。出典の万葉集は明治政府により古事記・日本書紀とともに「国典」に位置づけられ、「忠君愛国」の教育に利用されてきました。 また万葉集の「海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば草生(む)す屍 大君の 辺(へ)にこそ死なめ 顧(かえり)みはせじ・・・」は、アジア太平洋戦争の中で、国民に歌われました。まさに万葉集は、戦争と共にあったのです。 万葉集の作者には庶民もいるといいますが、あくまでも天皇・貴族を中心とする歌集なのです。 令和制定が、北東アジアの近現代史を踏まえ、日本の歴史の中で、万葉集を真剣に学び直すよい機会になればと考えます。2019年5月2日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「発言-万葉集と近代 学び直す好機」から引用 私が万葉集を知ったのは多分、高校の国語か古文の授業だったと思います。60年代でしたから、敗戦から20年足らずの、戦争の犠牲とか悲惨さが人々の脳裏にこびりついていた時代だったせいか、授業では先生は「海行かば」には一切触れることがなかったので、こういう人間性のかけらも無い、天皇に媚びへつらうだけの歌が万葉集にあることを知ったのは、だいぶ後になってからのことでした。戦前はこの「海行かば」に荘厳なメロディーをつけてNHKラジオで放送して大ヒットし、日本人として生まれたからには、天皇のために戦って死ぬのが当然であるという価値観を国民の心に叩き込んだであろうことは想像に難くありません。 私が中年のサラリーマンになった頃、仕事の帰りにJR渋谷駅のそばの赤提灯に入って酎ハイを飲んでいると、敗戦のとき小学生だったという年配の方が常連で顔なじみだったせいか何かと話しかけてきて、小泉政権が自衛隊をイラクに派遣するのには反対だと力説するので、さすがは戦争体験者だなと思って聞いていたのに、流しのギターが来ると決まって「海行かば」をリクエストするので、世の中は複雑だなぁとしみじみ思ったものでした。
2019年05月31日
本年4月発売の文芸雑誌に掲載された記事について、文芸評論家の糊沢健氏が4月30日の「しんぶん赤旗」に、次のような批評を書いている; 「国史は、皇紀945年に百済から王仁が文字と暦とを伝えたとしていますが、文字も暦もない千年も前に行われた神武天皇の即位式が、現在の2月11日に当る正月元旦だと、どうして解ったのか不思議ですね。しかし、こういうことは大人になれば解ります」 近本洋一「逆立ちした塔-伊勢神宮と保田輿重郎(やすだよじゅうろう)・三島由紀夫・中野重治」(『すばる』)には、皇紀2600年に中学生だった建築家の川添登が、当時先生から聞いたというそんな言葉が紹介されている。この「大人になれば解ります」の「大人になる」とは、虚構の「ごまかしを受け入れられること」、すなわち「何も知らない『子ども』がイニシエーションにより集団の暗黙の了解を共有する」ことを意味している。文化人類学者マイケル・タウシグの「公然の秘密」と「否認の務め」という概念を引きながら、近本はそれをこう解説している。◆暴かれた虚構 一層深く隠す 「ある社会において何かが《公然の秘密》となっていることがある。つまり何かについての虚構が”信じられている”ことになっているが、誰もがそれが虚構だという真理を知っていることがある。その時に『それは嘘だ』という暴露を行うことは決して『それが嘘だということが真理になる』という結果をもたらすことにならない。そこでは、その暴露行為、あるいは露呈した虚構に対し『なるほど嘘かもしれない、しかしそれなら真理はより深く隠されているということだ』という心理的反応、すなわち《否認の務め》が作動してしまい、暴かれた虚構の内実が一層深く隠された位相へ置き直されるのだ」 虚構=秘密に疑いをもち、暴くことが、逆に虚構にリアリティーを与え、強化することにつながってしまう。暴露を通じて人々は虚構にいっそう深く拘束され、支配されることになる。ごまかしと知りつつ、それを信じるとは、そのような倒錯した事態を指すといえる。日本社会は、たえず暴かれることで現前する天皇制という「公然の秘密」をその核心に置いた部族社会にほかならない。そして、このような日本社会の存在様式を可視化したのが、「死と破壊に条件づけられた同一性の永遠の循環」を反復する伊勢神宮の式年遷宮であると近本は言う。 いま日本で進行中の「退位」と「改元」をめぐる狂騒と向き合い、思考するための重要な視点が提示されている。◆大人への儀式 異様さに焦点 同じく信じていないが虚構を受け入れることで「大人」になる儀式(神前結婚式と披露宴)の異様さに焦点をあてたのが古谷田奈月「神前酔狂宴」(『文芸』)である。明治の軍神を祀る神社の結婚式場が舞台。乃木希典(まれすけ)がモデルと思しき椚(くぬぎ)萬蔵、東郷平八郎がモデルの高堂伊太郎は、明治天皇の下、戊辰戦争から日露戦争を戦い、ともに軍神となった。しかし天皇に殉じて祀られた椚と、そもそも神社に祀られることに反対していた高堂とのあいだには微妙な温度差が横たわる。それはいまなお椚神社と高堂神社、椚会館と高堂会館のあいだの抗争、覇権争いにまで尾を引いている。 物語は、派遣社員として高堂会館で働きはじめた2人の青年の視点から、「伝統主義による女性差別と商業主義による男性差別、この2つをかけ合わせて粉飾した現代の婚礼」の矛盾と愚かしさを容赦なくえぐり出す。◆福島から避難 一家をも翻弄 たなかもとじ「大地の歌ごえ」(「赤旗」2018年9月1日~19年3月21日)の連載が完結した。福島第1原発事故で富岡町からいわき市、さらに東京へ避難した一家族が、苦難に押しつぶされることなく、危機を一つ一つ乗り越えていく。原発もまた、天皇制と同じく「公然の秘密」によって支えられたシステムだ。安全ではないことを誰もが知っているのに、暗黙の秘密にして、人々は知らないふりをする。里美たち一家は、暗黙の秘密を共有する日本社会そのものに翻弄される。これこそまさにいま現実で起きている悲劇にほかならない。 天皇制と同じく、原発もまた民衆を支配し、日本社会をコントロールするために欠かせない権力の道具なのである。枚数が尽きたが、ユネスコ世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の”茶番”を迷宮的にたどった山形暁子「軍艦島へ」(『民主文学』)が爽快だ。(くるみさわ・けん 文芸評論家)2019年4月30日 「しんぶん赤旗」 7ページ 「文芸時評-天皇制と原発 虚構への視点」から引用 この記事はなかなか知的刺激に富んでいる。集団の中で誰かがウソを暴いても、それによってウソをついた本人が断罪されるのではなくて「確かにウソかも知れないが、しかし、真実はもっと奥深いところにあるのだ」ということでウソを暴いた者は無視され、ウソは依然としてそのまま通用することになる。集団のチカラというのは困ったものです。なんだか、モリカケ問題で首相のウソを暴いてもテキトーに誤魔化される仕掛けに通じるところがあるような気がします。近本洋一「逆立ちした塔」は「すばる 5月号」に掲載されています。「文芸 5月号」掲載の古谷田奈月「神前酔狂宴」も興味津々ですが、気がついたのが5月末では本屋さんの店頭にあるわけないので、図書館で探してみようと思います。
2019年05月30日
今はドイツで仕事をしている評論家の辛淑玉氏は、ドイツの若者の気質について4月26日の「週刊金曜日」に、次のように書いている; 日本に一時帰国した同僚が髪を染めて帰ってきた。他の同僚が「なんか、ヤンキーみたい」と言ったら、その場にいたドイツ人青年が「ヤンキーって何?」と聞いてきた。 支配に対する抵抗の姿、とか言おうとしたが、ドイツ語で説明できない私はさっさと沈黙。すると誰かが「不良のこと」と言った。「なんで髪を染めると不良なの?」。 そこで、「校則に逆らって、制服を改造して学ランを長くしたり、うんこ座りしたり、授業中に出て行っちゃったり、やたら先生に質問して授業妨害したり、授業中にものを食べたり……」と、日本出身の大人たちは必死に説明しようとした。 しかし、全く通じない。 そもそもドイツの学校には制服がない。人によって肌の色も、髪の色も、目の色も違う。髪を染める生徒もいるし、不思議な髪型にしたり編み込みにする生徒もいる。 着こなしを注意されることも想像ができない。どんな格好でもOKだからだ。化粧もしてくるし、ピアスも開けてくる。タトゥーを入れている生徒もいればヒジャブをかぶっている生徒もいる。 授業中何か食べたり飲んだりなんて当たり前だし、授業の進行が止まることもしょっちゅうだ。教室は先生と生徒が一緒になって作るものなので、予定通りにはいかない。予定調和の、ご意見拝聴しましたといった一方通行の授業ではないのだ。 苦しくなって、「あのね、ヤンキーって、酒飲んだりして暴れるんだよ」と大人組は力説したが、これまたドツボ。ドイツでは16歳から酒が飲めるのだ。「教室の物を壊したりするんだよ」と言っても、「えっ、黒板壊したりとか、そんなのしょっちゅうだよ。じゃ、僕たち全員ヤンキーなの?」ときた。焦る大人たち。で、「不純異性交遊」と誰かが口にしたところで、この「不純」が全くもって説明できない。 こちらでは、国民保険に入っていれば、18歳まではピルが無料で提供される。20歳までは、処方箋代金だけで薬代は無料だ。性的に成熟することは肯定されている。ちなみに、日本で言うラブホテルなどないから、自宅で堂々と関係を紡いでいるのだ。日本の若者が抑圧されている仕組みは、ここには皆無だと言っていい。 追い詰められた私たちは、とうとう「みんなと違うことをする子のこと」と最後の一手を放った。すると、「あー、学校に毎日時間通りに来て勉強ばかりしている子のことだね」と。これは確かにみんなと違う。しかし、それはヤンキーではない。 だから、彼らには「そんな格好しているから痴漢に遭う」とか「痴漢」というものを理解できない。 レイプや小児性愛は世界共通の犯罪として認識されているが、公共交通機関での「痴漢」なんて想像ができない。だいたい、痴漢できるほど混んでいる車両がない。 隣りの座席に座った人が足を押し付けてきたり手を伸ばしてきたりしたら、女性も黙っていない。もちろん、周囲も、そんな動きを見過ごすことはない。子どもの頃から徹底的に自分の尊厳を教えられ、主張することを学んでいるのだから、痴漢が撃沈されるのは目に見えている。 そ、ドイツの女性は強い。 だから、女性を支配したい男ほど「日本女性」を求めるという。フジヤマゲイシヤの日本女性は従順だというステレオタイプは、ここドイツでも健在なのだ。あーぁ。2019年4月26日 「週刊金曜日」 1230号 51ページ 「辛淑玉のドタバタ ドイツ日記-日本の『ヤンキー』はドイツの『カタギ』」から引用 この記事を読むとドイツの若者がいかに自由に伸び伸びと育てられているか、よく分かります。それに比べて日本の若者は幼少の頃から色々と細かいルールに縛られて、窮屈に育てられていることか。学校の教室では先生が主に話をし、生徒は静粛にして先生の話を拝聴しなければならないというルールのために、日本の生徒はどんなに窮屈な思いをしていることかと思います。中には、そのように躾けたほうが学習効率が上がるという人がいるかも知れませんが、実際のところ、自由に放置されている(ように日本人には見える)ドイツの学校の卒業生と、日本の学校の卒業生の間にそれほど大きな学力の「差」があるわけではありませんから、あまり窮屈な思いをさせないほうが人間性の成長という点でメリットがあるのではないかと思います。
2019年05月29日
22日の蘭に引用した上丸洋一著「『諸君!』『正論』の研究」(岩波書店)の記事の続きは、歴史家・秦郁彦氏の戦争責任論について、次のように論述している; 歴史学者の秦郁彦も山本七平同様、東条英機の敗戦責任を問題にする。秦は『南京事件』『盧溝橋事件の研究』などの著書をもつ軍事史の専門家だ。『諸君!』『正論』誌上では、南京虐殺事件や慰安婦問題など論争性の高いテーマについてしばしば論文を発表したり、座談会で発言したりしてきた。 上記(9)の論文「東条英機の『戦争責任』」で、秦はまず「A級戦犯は、事後法である東京裁判の条例で有罪とされたがゆえに、無実の罪の犠牲者と考える人もいるようだが、もし彼らを既存の国内法で裁いたらどんな求刑と判決が出ただろうか」と問う。そして、東条の政治家、軍人としての実績を振り返るが、秦の東条評価は低い。 さらに小田村四郎が「もし東条首相が被告席に坐らなかった場今、果して誰が日本の正義を弁明し得たであらうか」「東条氏なき場合、果して陛下の御出廷を防ぎ得ただらうか」などと述べて東条を評価したのに対し、秦は次のように反論する。 「終戦直後に下村定(さだむ)陸相は東条を招き、戦犯裁判で天皇の『身代り』役となるため生きていて欲しいと要請したが、東条は従わず自決をはかる。幸か不幸か未遂に終ったからこそ、法廷で『身代り役』をつとめることも可能になったのだが、それはヒョータンから出た駒の偶然にすぎない」 米英は裁判開廷前に天皇を出廷させないことで合意していたのであり、「東条が天皇の盾になったという解釈は、幻想ないし神話にすぎない、といえそうだ」と秦は述べる。 そして、「もし東京裁判がなく、代りに日本人の手による国民裁判か軍法会議が開かれた、と仮定した場合」も「刑法、陸軍刑法、戦時刑事特別法、陸軍懲罰令など適用すべき法律に不足はなかった」のであり、容疑対象としては関東軍参謀長だった37年、独断で兵を動かしたとみられる件(チャハル出兵)やインパール作戦、サイパン防衛戦の失敗などがあげられるという。 「有罪となれば、靖国神社への合祀もありえなかったはずだが、東京裁判は結果的に東条たちの『罪』を浄化し、『殉難者』に仕立てる役割を果」たした、と秦は分析。山本七平と同じように、東条は東京裁判以前に国内の法律で極刑に処せられたはずの人物であり、靖国神社への合祀も本来ありえなかった、との見解を示す。 A級戦犯合祀を当然とみる『諸君!』『正論』の論者たちは、秦の批判に、どう答えるのだろうか。 『諸君!』誌上での論争は、産経新聞の「正論」欄にも波及した。 反共、反ソ連の主張をこの欄で展開してきた京大教授の勝田吉太郎は主張した。 「戦争最高指導者たちをカミに祭る神社であるからには、首相の公式参拝に深刻な制約となるのは当然のことでないか。中国人ならずとも外国がこれをみて日本人はあの戦争に何の責任も感じていないようだ、またぞろ戦争をやり出すかも知れぬ、などとあらぬ疑いと誤解をしてもおかしくはない。それをおかしいと反発する方が、よほどおかしい。靖国公式参拝は、従って『本当の国内問題』とすますわけにはいかないのだ」(87年1月10日付、『正論』87年4月号に収録) 東大名誉教授の西義之も次のように論じた。 「私は少なくとも満州事変を自衛戦争の一環としては考えられない。東条英機氏は戦争犯罪人でないかも知れぬが、A級戦争責任者であることは疑いをいれぬ」(同2月6日付、『正論』87年5月号に収録) これに対し文芸評論家の村松剛が「東条家の言い分」を全面的に擁護する立場から反論し、論争となった。『正論』87年7月号には、勝田と村松の対談「日本のアイデンティティ『靖国』 公式参拝を実現するために」が掲載されているが、主な争点は『諸君!』誌上のそれと重なる。 80年代後半、『諸君!』『正論』誌上において、靖国をめぐって多様な言論が存在したことを確認しておきたい。 保守の多様性はその後、両誌からほとんど姿を消す。上丸洋一著「『諸君!』『正論』の研究」(岩波書店) 145~147ページから一部を引用 秦郁彦氏の主張は筋が通っていて分かりやすい。連合国側が東京裁判を開かなかったとしても、当時の日本には戦争指導者の責任を問う法律は整っていたという指摘は重要です。それらの法律に照らして戦争指導者の有罪が決まれば、彼らは当然のことながら靖国神社に合祀する対象にはなり得なかったのであり、なまじ「東京裁判」という敵国人による裁判だったために、あたかも被害者であるかのような視線が注がれたのは、その後の日本にとって不幸な「道」を選択してしまったと言えます。日本人が侵略戦争を反省するはずの東京裁判が、反省どころか戦争責任者を「神様」にしてしまったのは、これは明らかに間違いだったのであり、遠からず私たちはこの問題を克服しないことには東アジアとの「真の和解」は達成できないと思います。
2019年05月28日
押し入れの古新聞の束から2003年5月の東京新聞夕刊が出てきた。当時は小泉政権下で有事法制が審議されている最中で、北海道大学教授(当時)の山口二郎氏が憲法9条を空洞化するような国会の議論に警鐘を鳴らしている; 前回説明したように、有事法制には日本の安全を確保する手段という意味はほとんどない。むしろ、この法案には国内政治上の意味が込められているということができる。 有事法制は、非常事態の際に、自衛隊や行政が取る行動を合法的なものにするために作られようとしている。国民に対しては、非常時といえども政府の機関が違法、無法な行動を取るわけに行かないので、こうした法体系が必要だと説明される。 仮に日本が不当な侵攻を受けたとき、これに反撃する自衛隊に対して国民が法律の遵守を要求するはずはない。また、自衛隊が国内法規を遵守しながら敵と戦うはずはない。ほとんど起こりえない「本土決戦」を前提に、自衛隊や行政を拘束するための法律を作るというのは、全く無意味である。 では何のための有事立法なのだろうか。ここで、我々は法には2つの側面があることを思い起こす必要がある。一つは、我々自身が守ることで、お互いの自由と安全を実現する法である。交通法規などがその典型である。 もう一つは、我々の自由と安全を守るために、政府が守るべき法である。警察、税務署など政府は強制力を持っており、それを濫用されては我々の自由は損なわれる。だからこそ、政府が守るべき法が多くの分野で整備されている。そして、憲法こそは、政府が守るべき最も根本的な法である。 今議論されている有事法制は、非常事態において国民の側に土地の収用、物資の徴発、報道の規制などで義務や制約を課すものであり、国民が守るべき法である。政府には、非常事態の際に国民の基本的人権に配慮するなどというまどろっこしいことをするつもりはなさそうである。そのことは、いわゆる権利保護法制なるものが有事法制の添え物のように遅れて提案されたことにも表れている。 有事法制を推進する政府の指導者は、日本は法治国家だから有事にも法体系が必要だという。法治主義の意味を取り違えられては困る。法治主義とは、国民が従順に法を守る統制のとれた国のことではなく、政府が国民に対して権力を発動するときに必ず法に従うという意味である。 しかし、今までの日本の行政は、まじめに法を守ってきたとは言えない。相次いだ警察や刑務所の不祥事は、法を執行すべき行政がほしいままに権力を振るってきたことの一例である。また、こうした違法行為の横行に対して責任を取らない政府の指導者もまた、法をまじめに守っているとは言えない。そんな政府が本土決戦の時だけ法を守るといっても、説得力はない。 憲法9条に対するシニシズムが蔓延(まんえん)する中で、有事法制に対する反対は決して強いものではない。専守防衛の原則のもとで、自衛隊は合憲とされてきた。しかし、今やその枠さえも取り払われ、自衛隊は米軍の支援のためにインド洋にも行ける時代となった。憲法9条は、ほとんど空文化している。このような事態に対し、国民、特に若い世代の多くは、法を無視した政府に反発するよりも、政府を縛る「たが」としての機能を失った憲法の方を侮るようになった。 憲法の有り難みについて、今さら説教をしたいとは思わない。憲法を守れと叫んでも、空しいだけである。ただ、憲法を侮るものは、必ず近い将来、権力の暴走というしっぺ返しを受けるだろうと予言しておきたい。政府も、日本を戦争のできる国にしたいのならば、有事法制などと回りくどいことを言わないで、正面から憲法改正を提起すべきである。また、国民も日本をどのような姿の国にしたいのか、考え、選択すべきである。 私自身は、もちろん、紛争解決の手段としての軍事力は役に立たないと宣言した憲法に賛成である。だからこそ、憲法九条をたかにして、自衛隊の役割を縮小する道を追求したい。(やまぐち・じろう=北大大学院法学研究科教授)2003年5月7日 東京新聞夕刊 9ページ 「転機の戦後日本-思考停止からの脱却を(下)」から引用 この記事のタイトルには(下)と書かれているので、この前日か前週の紙面には(上)があったはずですが、残念ながら(上)の記事は発見できませんでした。それにしても、今から16年前に書かれた記事で既に、若い世代が法を無視した政府に反発するよりも、政府を縛る「たが」としての機能を失った憲法の方を侮るようになったことが指摘されていたとは驚きです。現代の安倍政権がどんなに不祥事を重ねても、若い世代の政権支持率は一向に下がることはないという現象は、すでに16年前から始まっていたわけで、若者が自分たちの判断で世の中をよくしていこうと考えたのは60年代、70年代までだったという現実を、私たちは再検証し、国民主権をどのように立て直すか、考えていかなければなりません。
2019年05月27日
かつて炭鉱労働者として働いた経験を持つ人物が炭鉱労働の実態を記録した個人誌を発行し続け、この度最終号を完成させたと、ルポライターの鎌田慧氏が4月30日の東京新聞コラムに書いている; 47年間、一人で発行され続けてきた個人誌『労働者』が送られてきた。最終号という。 「第一部の出発点で、鎌田さんが『労働情報』創刊号に熱い期待と激励のお言葉を載せて下さったのです。その時予定は7000枚でしたが、14、000枚に・・・」 扉の前に挟まれた畑中康雄さんの手書きの手紙を読んで、私は思わず「ああぁ」と声をあげた。1万4千枚! 炭鉱労働者の記録を残そう、という執念が書かせてきたのだ。 畑中さんは北海道歌志内市の土木労働者から出発して、芦別の三井炭鉱で掘進夫として働き、閉山になって東京に出てきて自動車工場で働いていた。ある雑誌で自動車工場の労働状態について対談し、知り合った。石炭はいま地球温暖化の元凶とされ、批判の的だが、地底で働いていた膨大な人々の生き死にがさっぱり忘れ去られている。 「ぼくは炭鉱の遺産で、何が一番重要であり必要であるかと問われれば、ためらうことなく、労働者の闘いである、と答える。さらに言えば、労働組合に指導されたものではなく、労働者の独創的な、会議を前提とした自主的な闘いである。炭鉱労働者はまだ萌芽の段階とはいえ、それを確実に残した。これを丁寧に記録し、後世に残すこと。これがぼくが到達した炭鉱の遺産である」 ひとりの炭鉱労働者の遺言と言うべきか。(ルポライター)2019年4月30日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-『動労者』の夢」から引用 昔は主な産業エネルギーは石炭で、生産地だった九州や北海道には多くの労働者が働いておりました。しかし、戦前から戦後にかけて世の中には「労働者の権利」というような意識が希薄で、厳しい労働環境を改善するには労使間の話し合い等という生やさしい交渉では埒があかず、デモやストライキという運動が必要だったものと思います。労働者の待遇改善には、労働者の団結が必要であるということを後世に伝えることは大事だと思います。
2019年05月26日
ジャーナリストの木村太郎氏は、平成時代の世界の動向を振り返って、4月30日の東京新聞に次のように書いている; 今回は「平成」最後の日の掲載になったので、この時代の世界を振り返ってみたい。 私にとっての「平成」は、1989(平成元)年12月にマルタ島で行われた米ソ首脳会談を取材した記憶に始まる。 米国のブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ最高会議議長は、この会談で第二次大戦後の世界を支配していた冷戦の終結を宣言し平和な時代を迎えることを期待させた。 当時、米国の政治経済学者フランシス・フクヤマ氏は「歴史の終わり」という書物を著し、民主主義と自由経済が勝利して世界はもはや戦争やクーデターなど歴史的大事件は起きないと分析した。 確かにその後の世界では自由が謳歌(おうか)され、国境を超えてヒト、モノ、カネが行き交う「ブローバリゼーション」が加速した。 92(平成4)年2月には欧州連合(EU)の創設を定めたマーストリヒト条約が締結され、その2年後には国際貿易を推進する世界貿易機関を設立するためのマラケシュ協定が結ばれた。 その一方で、95(平成7)年にはマイクロソフト社がその名も「ウィンドウズ95」を発表してパソコンの利用が革命的に簡便になり、その新しい環境の中でネット通販の「アマゾン」が発足した。 ネット関連のベンチャー起業が相次ぎ、株式を公開した創業者は莫大(ばくだい)な富を手にし「ドットコム・バブル」と呼ばれたが、その恩恵に浴したのはごく少数にすぎなかった。 やがてこのような格差に抗議する動きが顕在化し、2000(平成12)年には米国の首都ワシントンで国際通貨基金(IMF)と世界銀行の年次総会に対して1万人を超すデモ隊が「グローバリゼーション反対」を叫んで押しかけた。 一方国際社会では国家間の衝突の危機は少なくなったものの、民族間、宗教間の対立は逆に激化しテロという形で拡散し、さらにそれを逃れる難民が欧州に押しかけて住民とのあつれきが増した。 つまり、冷戦が終わってフクヤマ氏が予言したような自由な社会が訪れはしたものの、ある意味で人のエゴも解放してしまい、経済的格差が拡大、民族間の衝突も増加する「分断化」が進んだように思える。 その結果「アメリカ第一」を標榜(ひょうぼう)するトランプ大統領が出現したのではなかろうか。 つまり、世界的に見ると「平成」の時代は、冷戦を終えたばかりに新たな混迷を迎え入れてしまったのかもしれない。 次の「令和」の時代にはその答えを見つけられるのだろうか。(木村太郎、ジャーナリスト)2019年4月30日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「太郎の国際通信-平成の世界」から引用 木村太郎氏は、この記事の結論で「冷戦を終えたばかりに新たな混迷を迎え入れてしまったのかもしれない」と述べているが、私は木村氏のこの分析は間違っていると思います。そもそもこの記事の冒頭でフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」に書かれた「民主主義と自由経済が勝利して世界はもはや戦争やクーデターなど歴史的大事件は起きない」という文章を「前提」にしたために、間違った分析に至ったものと思います。ソ連が崩壊して東西冷戦が終了したとき、勝利したのは「民主主義と自由経済」だったというのは虚構であり、実際に勝利したのは労働者を搾取する資本主義体制です。曲がりなりにも社会主義体制を目指す「ソ連」が存在したときは、西側諸国の資本家はテキが労働者優遇を旗印にしている関係上、露骨な労働者搾取ができず、労働組合との話し合いを通じて待遇を決める必要があり、その延長線上に日本の「一億総中流」も実現することができました。しかし、「ソ連」崩壊で恐いものがなくなったブルジョア階級は「多様な働き方」などという美辞麗句で労働者を騙して、大幅な賃下げに成功し、その結果出てきたのが「格差の拡大」であり、コンピュータの普及で恩恵に浴したのが一部に限定されたために「格差が拡大」したというのは、真実を「糊塗」するものの見方だと思います。ニューヨークのビルがテロの襲撃にあったのも、中東の紛争が絶えないのも、すべては欧米が搾取した結果、貧困に追いやられた側の「反撃」なのであって、欧米の今日の「繁栄」は中東の石油を安く買い叩いた結果であり、本来は中東の石油によってもたらされる恩恵は、欧米の人々にも中東の人々にも平等に分けられて然るべきものを、富が欧米に偏在することを放置するから移民が増えるのは当たり前です。こういう現実から目を反らして「民主主義と自由経済が勝利した」だの、紛争はエゴの現れだのという「空論」を吐いても意味はないと思います。
2019年05月25日
明仁天皇の退位が国民に何を訴えたものであったか、政治学者の白井聡氏は4月30日の東京新聞に、次のように書いている; 「平成」は天皇自身の決断により、本日、幕を閉じる。「一億総中流」が過去のものとなった平成期は「国民統合」の分解が止めどもなく進行した時代となった。2016年の「おことば」で自らの考えを国民に直接訴え掛けた天皇の行動には、統合の危機に対する憂慮がにじんでいたと私は見た。 天皇たる者、ただ生きて存在しているだけでは不十分であり、「動き」、国民との交流を深め、それに基づいた「祈り」を実行することによってのみ「国民統合の象徴」たりえる、との認識を「おことば」は強く示した。天皇の「動きと祈り」は、天皇の高齢化に伴い衰弱する。その力が弱まれば、国民統合は弱まってしまう。ゆえに、体力の限界を迎えた天皇はその位を去り、新しい天皇が祈りを更新すべきなのだ、と。 なぜ平成期に国民統合の危機は深まったのか。それは、日米安保条約を基盤とする対米従属体制が、冷戦の終焉にもかかわらず延命されてきたことによる。沖縄・辺野古問題に表れているように、この体制は、国民の分断に対して何らの痛痒(つうよう)をも覚えないその受益者たちの利害のために維持されている。 私は、自著『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)で、この対米従属体制を「戦後の国体」と呼んだ。かつて「戦前の国体」のもとで、国民はあたかも天皇の所有物であるかのように扱われ、破滅の戦火に投げ込まれた。敗戦、占領を経て、国体は「菊から星条旗へ」と内実をかえて、残存した。その「戦後の国体」がいま、社会の中身を腐蝕(ふしょく)させながら再び自滅的衰亡の道を突っ走っている。 対米従属体制が国体化するとは、究極的には米国が事実上の「天皇の役割」を担うことを意味する。今年2月、安倍首相は野党に対して次の趣旨の発言をしている。「御党も政権を奪取するつもりならば、米国の大統領に対してもっと敬意を払うべきだ」と。「この国で政権を担当したければ米国に媚(こ)びを売れ」と現職の首相が公言する国に、私たちの国はなった。 だから、本来厳粛であるべき新元号発表においても、安倍首相は自らの政策と元号を関連づけてみせ、「政治ショー」を公然と演出した。背後に米国の威光を持つ者は、何を(元号をも)私物化しても許される。 こうした時代に、国民に向けて発された究極の問いかけが「おことば」だった。私たちに、互いの幸せを願う、一定のまとまりを持った国民であろうとする意思があるのか。日本人を、日本国を存続させる意思はあるのか。国民に統合の意思がもうないのなら「国民統合の象徴」に居るべき場所はない。 落日の時代の偉大な帝(みかど)は今日、表舞台を去る。巨大な問いを私たちに預けて。(京都精華大学専任講師)2019年4月30日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「視点-『統合の危機』問う退位」から引用 白井先生の記事は表現が抽象的なためか、私には中々理解が難しい。冒頭で「平成期は国民統合の分解が進行した」と書いているが、「一億総中流」が過去のものとなったのは企業経営者が労働者の福祉よりも内部留保の増大を優先した結果であって、それが原因で天皇制の支持率が減少したわけではないから、何を言おうとしているのか分からない。しかし、戦前は国体と言えば「日本を支配する皇室」のことで、ポツダム宣言を受諾するに当たり当時の政府(及び天皇)は「国体が護持されるのかどうか」大変気にしたものであったが、これが戦後は「皇室」ではなく「米国」になったのだという「白井説」は、よく分かります。安倍首相の振るまいも、自分は「国体」の支持を得ているという自覚があるため、恐いものはなく、自分が気に入ったイデオロギーの持ち主には国有地を8億円も値引きしたり、優秀な実績をもつ大学の獣医学部申請をもみ消して友人が経営する大学の獣医学部を認めるというような「政治の私物化」を堂々とやれるわけで、米国の支持さえあれば、本来はこの国の「権威」の一つであった「元号」も、自分の趣味で決めたのだというような振る舞いが可能になるわけです。このような安倍氏の振る舞いはナショナリズムに根ざした右翼思想とは明らかに異なるもので、皇室に対する崇敬の念は存在せず幕末の長州藩士と同様、己の政治活動に有利になるように皇室を利用していることに、国民は気づくべきと思います。
2019年05月24日
元号が新しくなった今月1日の東京新聞に、次のような投書が掲載された; 新元号制定フィーバーが一段落したところで冷静に考えたい。海外メディアからは、安倍政権のナショナリズムを反映しているとか、「和することを命令する」ととらえる否定的な解釈もあった。 万葉集の序文が原点だとすれば、単に美しい月を眺め春風にあたりながら歌詠みの宴(うたげ)を持とう、という意味にすぎない。しかし、大伴旅人(おおとものたびと)のこの序文は中国の後漢時代の官僚、張衡の漢詩「帰田賦(きでんのふ)」からの本歌取りだ。原詩は当時の政治腐敗に嫌気をさし、田舎に帰って釣りをし、月を眺めながらいい季節を楽しみたいものだ、という内容だ。 笑止千万なのは安倍首相が自慢げに日本の国書から取ったとか、自分の政治信条をとうとうと語った点だ。年号の政治利用などあってはならないが、これで安倍内閣の支持率が上がったことは確かだ。日本人は言霊信仰が強い。首相の「美しい日本」と「令和」を結びつけ、国民をミスリードしないでいただきたい。2019年5月1日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「発言-制定について冷静に考える」から引用 総理大臣の任期は長くても9年しかないのに、何十年も続くはずの「元号」をその時たまたま総理の座にあった者が自分の好みで決めるというのでは、「元号」に対して国民が感じる「権威」というものを著しく低下させると思います。そうならないように、昔は神前でクジをひくとか亀の甲羅で占うというような「儀式」で演出したもので、その辺の配慮が欠けているという点がいかにも「教養の無さ」の為せる技であるように思えてなりません。
2019年05月23日
私が知っている山本七平氏は創刊間もない頃の雑誌「諸君!」誌上で日本軍による百人切り競争を巡って本多勝一氏と論争した右派の論客という印象で、「諸君!」の論争では本多氏に軍配が上がったので、その後の山本氏の著作にはまったく無関心できておりました。この度、上丸洋一著「『諸君!』『正論』の研究」を押し入れから発見して徒然に読んで見ると、次のような興味深い記述を発見しました;(前半は省略) 次に、上記(8)の山本七平の論文「指揮官の責任 東条英機と乃本希典」をみてみよう。 山本は42年に近衛野砲兵連隊に入隊、フィリピンで終戦を迎え、捕虜になった経験をもつ。自身の戦争体験をもとにした『私の中の日本軍』『一下級将校の見た帝国陸軍』など多数の著作がある。 山本は(8)の論文で、陸軍予備士官学校の区隊長から次のような話を聞いた、と語る。 日露戦争のあと、乃木希典大将は戦勝祝賀会で人々を前に深々と頭を垂れ、「皆様方の子弟を殺した乃木でございます」と言って涙を浮かべ、あとは無言であった、と。そして、(1)の「東条家の言い分」のなかで、東条輝雄は「『先の大戦は侵略戦争になってしまうではないか』と言われたが、侵略戦争だ解放戦争だという前に、重要な視点が欠落している。それは国土を灰燼に帰した徹底的な敗戦であったということだ」「自らを敗戦の責任者と考えた人、杉山元参謀総長夫妻、阿南陸相、東部軍司令官田中静壹など多くの人が自裁された。この方々は戦死でも法務死〔刑死〕でもないから合祀されていないのであろう」と述べ、こう指摘する。 「敗戦の責任者はその国の法律、陸軍ならば天皇が公布した陸軍刑法によって処断される。これは多くの国の常識であろう。軍法会議で処刑された者はもちろん靖国神社には祀られていない」 東京裁判以前に、敗戦の責任者は陸軍刑法によって裁かれ、その結果処刑された者は靖国神社に合祀されない。東京裁判がどうであれ、東条ら敗戦の責任者は合祀されるべきでない、というのだ。 そして山本は「日本軍の国民に対する敗戦責任すら見失わせてしまったのが東京裁判である。そして東京裁判のもつこの一面は、きれいに忘れられているので東条輝雄氏のような発言が出てくる」と批判する。 「戦犯裁判の大きな問題点はここにもある。いわば軍人を強く拘束し、それによって処断すべきで天皇が公布した陸軍刑法も消えてしまったことである。そこで『戦犯法廷は非合法だ、認められない』といえば、すべての戦犯が、国民に対して全く責任がなかった犠牲者のように立ち現われてくる。『東条家の言い分』には、東条英機ですらはっきりと認めた国民への責任という意識は全く欠如し、靖国神社の権宮司は〔A級戦犯刑死者、獄死者を〕すべて一括して『昭和殉難者』にしてしまう。陸軍刑法でも極刑になったであろうと山下大将が言った者が『殉難者』であろうか」 A級戦犯は東京裁判の被害者、という図式を山本はこうして覆す。小田村が目を背けた戦争指導者の敗戦責任に着目して、山本はA級戦犯合祀肯定論を批判した。 ただし、山本の論理には大きな限界がある。ひとつには山本は、東条が軍人として日本に敗戦をもたらした責任(敗戦責任)を問題にするが、国民に多大な苦難を強いたことに対する責任については直接には何も言及しない。この点で十分な責任追及とは言えない。より大きな問題は、日本の侵略責任について何も述べていないことだ。「他者の不在」という点では山本も、小川村や江藤淳とかわるところはない。 にもかかわらず、山本の批判が一定の有効性をもつのは、次のような事情による。 「東条ら戦犯刑死者は殉難者である」「靖国神社参拝は日本固有の伝統文化であり、他国がとやかく言う筋合いはない」といった内向きの論理は、それが内向きであるだけに外(例えば、中国)からの批判に対して身を固くして強く反発するが、「東条の敗戦責任」という同じ内向きの論理に対しては対抗する論理をもたない。山本の批判はA級戦犯合祀肯定論をいわば内側から食い破る。 山本は、中国が批判するから、というような他律的な状況に依拠するのではなく、日本の法に照らして自律的に合祀を批判する。その自律性はさらに指摘した「他者の不在」という限界と表裏をなす。 山本自身は、A級戦犯合祀に対する中国の反発について何も論評していない。しかし、山本の論理で言えば、中国が反発しようがしまいが、それ以前に東条の責任が問われねばならず、合祀肯定論者の「内政干渉」批判は意味をなさなくなる。(日本の国内問題であるのに、政治家が中国に陳謝するのは不見識」(東条輝雄)といった批判は、陸軍刑法に照らして東条は死刑だ、という山本の論理の前では成り立たない。 ところで、教科書裁判で知られる歴史家の家永三郎は、戦争責任について次のように述べている。 「十五年戦争は(略)日本の国法を無視した国内法的犯罪の累積でもあり、(略)歴史的可能性は別として、純理論的に考えるならば、日本国内法による戦争犯罪の責任が追及されねばならなかったはずである」(「極東裁判についての試論」思想68年8月号) 立場の異なる家永と山本が、意外なことに、よく似た考えを持っていたことになる。上丸洋一著「『諸君!』『正論』の研究」(岩波書店) 142~144ページから一部を引用 この記事に出てくる「東条輝雄」とは、A級戦犯として刑死した東条英機の二男のことで、戦後は実業家として成功した人物で、靖国神社へのA級戦犯合祀が世間で問題になったとき、右翼の誰かが気を回して数軒の戦犯遺族を訪ね回って「合祀取り下げの了解」を取り付けて歩いたところ、唯一「合祀取り下げ」に同意しなかった、そのために「合祀取り下げ」の話が立ち消えになった、というエピソードがあるらしい。いずれにしても、上に引用した記事に見られる山本七平氏の論理は明快です。日本は、国家として敗戦の責任を総括していない、という指摘は重要だと思います。右翼も右翼なりに筋が通っており、中国や韓国からとやかく言われる以前に、日本は国として敗戦の責任をはっきりさせる必要があったのであり、国を敗戦に導いてしまった戦争指導者は日本国の責任で断罪するべきだったと思います。
2019年05月22日
沖縄と大阪の衆議院補欠選挙で敗北した安倍政権について、ルポライターの鎌田慧氏は4月23日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 結局、安倍首相は沖縄へ出かけなかった。衆議院補欠選挙で、維新に敗北した大阪12区には、自公候補の応援に行ったが、辺野古米軍基地建設に対して抵抗運動め強い、名護市を含む沖縄3区へ出向いて「真摯に」選挙民を説得する勇気を示すことはなかった。 辺野古基地建設を強行する安倍内閣が推す候補は、翁長雄志知事、玉城デニー知事に連続敗北。今年2月の県民投票での「辺野古ノー」の民意に次いで、今回の選挙でも完全敗北となった。これだけの反対を受けても政策を変えないのは、判断できない「病膏肓(こうもう)に入る」の状態、もしくは独自に意思決定できない従属状態、あるいはその複合体、としか考えられない。 安倍内閣は、「世界一危険な」普天間米軍海兵隊飛行場をこのまま認めるか、その代わりに辺野古に新基地を建設させるのかと沖縄県民に詰めよっている。しかし、敵陣に突進する海兵隊を太平洋地域に展開するのは今どき戦略的価値はないというのが1990年代海兵隊本部の結論のはずだ。 危機を煽って政治を進めるのは独裁者のやり方だ。総工費2兆5500億円以上。それだけかけても完成するかどうかわからない。ドブにカネを捨てる。珊瑚の海をドブにする罪深い工事だ。戦時中の戦艦大和、戦後の原子力船「むつ」。「もんじゅ」、六ヶ所村の核再処理工場。それと並ぶ天下の愚挙だ。(ルポライター)2019年4月23日 東京新聞朝刊 11版S 29ページ 「本音のコラム-壮大なゼロ政治」から引用 沖縄県の選挙では何度も「辺野古ノー」の民意が確認されているのに、政府がこれを無視し続けるのは異常です。その異常の原因が総理大臣の個人的なものか、それとも沖縄の民意を無視するように米軍や米国政府に言われているのか。上の記事によれば、太平洋地域に海兵隊を展開することに戦略的価値はないと海兵隊本部が90年代に結論を出しているとのことで、つい最近も米軍高官が、海兵隊を沖縄に置いておくのは世界中のどの場所よりも経費が安く済む(日本が負担してくれる)からだと発言していることからも確認できます。そうなると、辺野古の基地建設を強行する理由は安倍首相の個人的な事情からということになります。漏れ聞こえてくるところによると、辺野古に土砂を投入する仕事を請け負っている沖縄の建設会社は、安倍首相の親族が取締役を務める宇部興産の子会社であるとのことですから、利益相反の疑いがあると言えます。原子力船「むつ」も「もんじゅ」も実質的に何の役にも立たず、「むつ」は廃船になりましたが、「もんじゅ」は無事に廃炉できるかどうか。核再処理工場などは、工場完成が何十年も延期されているうちに再処理した燃料を使うはずだった「もんじゅ」の廃炉が決まってしまったのだから、なんだか支離滅裂というのはこのことではないかと思います。それもこれも税金を注ぎ込んでいるのですから、国民ももう少し税金の使い道に注意を払う必要があるのではないでしょうか。
2019年05月21日
映画「主戦場」を見た感想を、評論家の雨宮処凜氏は17日の「週刊金曜日」に次のように書いている; 話題の映画『主戦場』を観た。 一度目はゴールデンウィーク中。二度目は連休後。どちらも満席で、立ち見の人も出る大盛況ぶりには驚いた。 日系人の監督、ミキ・デザキ氏のデビュー作となる『主戦場』は、「慰安婦」問題を真っ向から扱ったものだ。初めて予告編を観たのは、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムに『金子文子と朴列(パクヨル)』を観に行った時だったと思う。なにかすごい映画が出てきたのだと思った。が、その時はもしかしたら、保守やネトウヨと呼ばれる側の言い分をふんだんに盛り込んだ映画なのではないかと身構えた。予告編に登場するのは櫻井よしこ氏や杉田水脈(すぎたみお)氏、ケント・ギルバート氏などだったからだ。で、どうだったのかと言えば、保守やネトウヨと呼ばれる人々の言い分はふんだんに盛り込まれている。盛り込まれてはいるものの、監督は膨大な一次資料にあたりながら、彼らの言い分をファクトチェックしていく。 映画では、「慰安婦」について「性奴隷ではない」と主張する人たちが「否定論者」と呼ばれる。観ながら戦慄するのは、否定論者たちの「雑」さだ。「日本人は、嘘をついちゃいけないと教えられる。だけど韓国人は違う」というような根拠のない決めつけ。「フェミニスト」は「ブサイク」で、「誰にも相手にされないような女性」と断言してしまう感覚。「慰安婦」の証言を信じられないと言っているのに、証言ですらない「伝聞」を堂々と国会質問に使って悪びれない神経。そうして登場した「ラスボス」は、「慰安婦」問題について正しい歴史を伝える歴史家だと自称しつつも、「人の書いたものは読まないので」とやはりちっとも悪びれずに答える。「慰安婦」の研究者たちが書いたものを読まない歴史家は、韓国を「育ちの悪い子ども」にたとえて「かわいらしい」と笑う。 笑うということが、これほどの「侮辱」になるのだということも、『主戦場』を観て気づいたことだ。対して「慰安婦」の研究者や学者たちは、慎重に、言葉を選びながら話す。よって笑う余裕はほとんどない。しかし保守派はよく笑う。笑いながら、時に耳を覆いたくなるようなことを口にする。 この10年以上、格差や貧困が深刻化するこの国の現状について、「底が抜けたような」という表現を使ってきた。しかし、これほどに歴史が歪められ、多くの人を貶めるような言説が一定数の支持を受け、しかもそれが政権と連動しているというこの状況は一体なんだろう。もはや「底が抜ける」どころでは済まされない事態だ。 『主戦場』を観て勇気付けられたものの、ではこの状況をこれからどうしていけばいいのか、それを本気で考えると暗澹たる気持ちも襲ってきたのだった。2019年5月17日 「週刊金曜日」 1232号 37ページ「らんきりゅう-『主戦場』を観て考えた」から引用 この雨宮氏の文章も、映画「主戦場」を紹介する文章として大変優れていると思います。歴史修正主義者の言説が一定の支持を受け、政権と連動している現在の状況は、戦前のファシズムが復活する兆候であろうと、私は思います。したがって私たちが、この状況を現行憲法に明記された権利を行使して改善し、ポリティカルコレクトニスを実現するか、それとも安倍政権が画策する憲法の改悪を容認しファシズムの復活を許すのか、私たちは今その岐路にいるのだと思います。
2019年05月20日
映画「主戦場」について、元NHKプロデューサーで映像ジャーナリストの桜井均氏がゴールデンウィークの「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 日本軍「慰安婦」問題に焦点をあてたドキュメンタリー映画「主戦場」を外国人記者クラブで見た。監督はミキ・デザキ、若い日系アメリカ人である。観賞中、ずっと頭にあったのは、18年前、「女性国際戦犯法廷」を取材したNHKのETV2001「問われる戦時性暴力」が大幅に改変された事件のことである。その真相解明はまだ済んでいない。監督とスタッフは慰安婦に関する多くのファクトをかき集め、それらを「主戦場(パトルグラウンド)」に乗せたのである。 映画は、慰安婦被害を認める側(支援派)と否定派のパドル形式なのだが、会場の外国人記者たちからは、右派「論客」の発言に対し、しばしば失笑の声が上がった。「論客」たちは、はじめのうちは、慰安婦の数や証言のあいまいさを厳しく追及するが、あとの方になると、自制心を失ったかのように、ヘイト表現に終始した。記者会見で、デザキ監督は「右派の人々の取材をするなかで、人間として何か正しいのか気持ちが揺れた。それはつらい時間だった」と告白した。 歴史修正主義者たちの典型的な話法はこうだ。慰安婦の20万人という数に執拗(しつよう)にこだわり、「兵士は毎日6回もセックスをしなければならない」などと極論を述べ、「強制連行」という言葉については、暴力で拉致監禁するという狭義に限定して語る。また、「性奴隷」については、「奴隷がどうして金をもらえるのか」と言い募り、慰安婦の存在自体を否定しようとする。 デザキ監督は、それらを「主戦場」で慰安婦支援派の研究者たちの意見とぶつけた上で、自分の認識を以下のようにまとめた。(1)慰安婦の数は、両陣営から政治的意図をもって利用されてきた。修正主義者は数字の算出方法を理解していないようだ。数について実際のデータは存在しない(2)戦争中の記録は70%が焼却・廃棄された。証拠がないことは強制連行を否定する理由にはならない(3)国際法では、他者による全的支配を奴隷制と定義する-等々。◆違和感が募り デザキ監督が慰安婦問題に関心を持つようになったきっかけは、自らがYouTuberとして、「日本における人種差別」に関する動画を配信したところ、日本のナショナリストたちから猛烈な攻撃を受けたことだという。日韓のあいだに横たわる深い溝にそって取材を進めていくと、彼らは、日系アメリカ人であるデザキ監督を説得しようと、日本のメディアに対するのとは別の”熱意”をもって語りかけた。それには理由があった。 カリフォルニア州グレンデール市の慰安婦像撤去を求める日米のグループは、日本政府から、「(撤去は)日本の国益の中核である」という意見書を取り付け、訴訟を進めていたのである。アメリカの小さな都市での裁判に、日本政府が支持表明していることに監督の違和感が募った。そこで、日本の修正主義者の「国家は謝罪してはいけない」という断言に、第2次大戦中の日系人強制収容に対し公式謝罪をしたレーガン大統領の映像を対置した。そして、慰安婦問題の本質は、「国」と「国」の対立ではなく、「人権」と「人権」の対立であるという原点に立ち返る。 注目点はナショナリストだった日系人主婦の告白である。彼女はナショナリストが性差別者であり、人種差別主義者であることに気づき、ある事実を明かす。米政府が7年の歳月と膨大な資金を投じて、ナチス・ドイツの戦争犯罪に関する調査報告をまとめた。彼女がそれを深く読まずに内容を誤解して、日本が女性に対して罪を犯した証拠はないと雑誌などに書いたところ、それが彼らの宣伝に使われたのだという。また慰安婦に否定的な情報を高額で入手したとも告白。監督がそのことを著名な「論者」に質問すると、「とても複雑なので」と口を濁した。◆新しい可能性 映画は、最後まで慰安婦問題に関する支援派と否定派がぶつかる「主戦場」を提供し続ける。そして対立のプロセスをダイナミックに見せる。この手法を支えているのはテレビのニュース映像などを公共目的のために自由に使えるアメリカの「フェアユース」制度である。歴史認識をめぐる難問には調査報道のバリエーションとして、このようなアーカイブ型ドキュメンタリーがあってもいいのではないか。そんな可能性を予感させた。ドキュメンタリー映画「主戦場」否定派:櫻井よしこ、ケント・ギルバート、杉田水脈など。支援派:渡辺美奈、吉見義明、中野晃一など。2019年4月28日・5月5日合併号 「しんぶん赤旗」日曜版 31ページ 「『慰安婦』問題の本質に迫る」から引用 この記事が指摘するように、NHKのETV2001「問われる戦時性暴力」が大幅に改変された事件はいまだにその真相が解明されたとは言えず、遠からず事件を再検証する必要があると思います。この映画では、元外交官が言葉巧みに「国家は謝罪してはいけないのです」などと大写しになったスクリーンから言われると、私などはうっかり「なるほど、そういうものかな」などと騙されかけたのですが、次の瞬間、レーガン大統領(当時)が登場して第二次世界大戦の折に日系人を強制収容したのは国家として誤りであったと真摯に謝罪する映像が流れて「そうだ、こっちが本当の、あるべき姿なのだ」と気づかされたのでした。この映画は実に見る価値のある映画です。
2019年05月19日
映画「主戦場」の監督であるミキ・デザキ氏は、週刊金曜日のインタビューに応えて4月19日の同誌で次のように述べている;日本軍「慰安婦」問題の渦中に飛び込み、日・米・韓の論争の中心人物たちを訪ね歩いた異色のドキュメンタリー。日系米国人監督のミキ・デザキさんに聞いた。――映画を作ろうと思った動機からお聞かせください。 元『朝日新聞』記者の植村隆さん(現、韓国カトリック大学校客員教授・小誌発行人)が日本軍「慰安婦」の記事で中傷されていることを知りました。「慰安婦」問題がなぜ日韓の間で論争になっているかを理解したいと思いました。調べていく過程で、日韓双方のメディアが問題の全体像をきちんと伝えていないことに気づかされました。争い続けているのは情報が足りないからで、2時間かけて伝えれば、互いが理解していなかった部分の情報を知ることができると考えたのです。――なぜ『主戦場』という夕イトルにしたのですか。 「慰安婦」問題を調べるうちに、歴史修正主義者と言われる人たちが「米国こそがこの歴史戦の主戦場だ」と言っているのを聞きました。なぜ彼らは米国人を説得しようとするのか、に興味を持ちました。――映画には「慰安婦」支援派から否定派まで二十数人が登場しますが、両論併記を目指したのですか。 フェアであることが大事でした。両方の議論を公平に見せたいと思っていました。最初はオープンに、フェアに両論を聞こうとしている私の態度を見てとっていただけると思いますが、だんだんとどちらの理屈に根拠があるかが見えてくる構成になっていると思います。――テキサス親父ことトニー・マラーノ氏、ケント・ギルバート氏(弁護士・タレント)ら米国人がなぜ、日本の右派と一緒に「慰安婦」問題を攻撃するのですか。 米国対日本という構図ではなく、右対左という対立になっているからだと思います。米国の右派はすごく日本が好きだったりする。日本はあまり移民を受け入れませんよね。非常に秩序だった、保守的な国だと彼らは考えるわけです。――それは非常に面白い視点ですね。ところで映画では「性奴隷」問題も鋭く追究していますね。デザキさん自身は「慰安婦」=性奴隷だと考えていますか。 映画のなかで国際法学者の阿部浩己(あべこうき)氏が、「慰安婦の状態にさせられた人たちが・・・全的支配を受けていたということであれば、それは奴隷制」という話をしていましたよね。「性奴隷」は法律的な言葉であることを定義とともに語ってくれています。その意味合いで言うならば、私の回答はこうです。 「はい、彼女たちは性奴隷でした」 観客の皆さんには、映画を体験し、その体験を通して自分なりの結論を発見してほしいと思います。【聞き手・撮影/文聖姫(編集部)】【ミキ・デザキ監督】 ドキュメンタリー映像作家、ユーチューバー。1983年生まれの日系米国人2世。ユーチューバーとして、コメディビデオや日本、米国の差別問題をテーマにした映像作品を数多く公開。『主戦場』は初映画監督作品。2019年4月19日 「週刊金曜日」 1229号 44ページ 「きんようぶんか-『慰安婦』論争の中心人物 訪ね歩いた日系米国人」から引用 普段は映画に興味がない私も、この映画は面白そうなので見に行きました。予想に違わず、実に面白い映画でした。多分、デザキ監督はインタビューで述べている通り、初めは中立を心掛けて撮影するつもりだった、そういう雰囲気が画面から伝わりました。ところが、インタビューを重ねていくうちに櫻井よしこ氏や加瀬秀明氏の発言が前言と矛盾したりダブルスタンダードだったりして、監督が「これは変だぞ」と気がつく様子もインタビューの態度から伝わったりして、しまいには慰安婦問題を歴史学の立場から研究した論文の存在をどう考えますかという問いに、加瀬氏は「そのようなものがあるなんて、知らない。秦郁彦先生は友人の一人だが、彼の論文は読んだことないし、彼と慰安婦の話をしたこともない」とのことで、彼は単に安直な「日本人の名誉」のために慰安婦否定論を主張しているだけというお粗末な実態が明らかになり、映画館の客席から失笑が聞こえる有様でした。
2019年05月18日
最近何かと話題になる韓国の小説について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は4月17日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 韓国の小説が話題を集めている昨今。キム・ヘジン『娘について』(古川綾子訳・亜紀書房)は同性愛者の娘を持った母の物語である。 ひとり暮らしをしながら介護施設で働く母のもとに、失職した娘が転がりこんでくる。7年間つき合っている恋人を連れて。不当解雇された友人のための活動もしている娘。ついに母はブチ切れた。<30を過ぎた女が職場もない、結婚するつもりもない、どこからか変な女を家に引っ張りこんでくる、それでもまだ足りなくて、今度は諍(いさか)いを起こすなんて> しかしもちろん、娘にも言い分はある。お前には夫も子どももいないじゃないかという母に娘は反論する。<どうして夫や子どもだけが家族になるの? 母さん、レインは私の家族よ><私にとっては夫で、妻で、子どもなんだって。私の家族なんだってば> 母は60代。娘は30代。LGBTの当事者はみな、似たような葛藤を経験しているのではないか。15日、東京地裁で開かれた同性カップル6組の口頭弁論でも、訴えの中心は、法的な家族になれないことの苦痛と生活上の不利益だった。 小説の中の母は、ラスト近くで娘のパートナーを受け入れる方向に傾くが、それは生活の中で醸成された信頼関係ゆえだった。家族は本来、多様なものだ。同性婚を認めたら誰が困るの? おせーて!(文芸評論家)2019年4月17日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-家族のかたち」から引用 この記事はLGBTの問題を理解する上で大変役に立つと思います。現行の異性の間にしか婚姻関係を認めないという法制度は、同性をパートナーとして生活する人たちには何かと不都合があることは容易に理解できます。どのような人にも平等に権利を認めるという憲法の精神に照らして、同性婚を認めるための法改正は必要だと思います。 似たような問題に「選択的夫婦別姓」という問題があると思います。「別姓」に反対する人たちの主な言い分は「別姓にすると家族の絆が失われる心配がある」というものでしたが、これは何か勘違いしていると思います。別姓で絆が心配だと思うなら、そういう人は今まで通り「夫婦同姓」を選択すればいいだけのことで、他人の家庭がどっちを選択しようとそっちの勝手であり、余分な口出しをする権利はないのに、変な議論をしているなぁと思ったものでした。
2019年05月17日
不祥事が相次ぐ日本の産業界について、ルポライターの鎌田慧氏は4月16日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 「メード・イン・ジャパン」。ドイツ製と並ぶほどに安定的な品質を誇ってきた、日本ブランドもついに斜陽なのか。三菱自動車、日産自動車、スバルなどの燃費や検査の不正の発覚につづいて、スズキの200万台もリコールと決まった。 ブレーキやハンドル検査は、安全性つまりは人命に関わるもっとも重要な工程だが、ここが人員削減、手抜きされているのは儲けファースト、事故が発生しても構わない思想のあらわれだ。 人間の命を守る住宅でも、レオパレス21に続いて、最大手の大和ハウスが販売した、賃貸アパート、一戸建て2000棟で建築基準法違反の恐れが発覚。これも人命尊重より儲け主義のあらわれである。企業内に人間尊重の思想と教養、そしてそれを守るチェック機能、たとえば労働組合がない。 国際競争に勝ち抜くための社内の非民主主義的風潮が社員を萎縮させ、国際競争から脱落させる。「日の丸液晶」と言われた、官民挙げてのジャパンディスプレイ(JDI)の経営が悪化、中国と台湾資本の傘下入りが、日本製斜陽の象徴か。 庶民感覚とほど遠い「アベノミクス成功」とは、統計の不正、改ざんによって、検査工程で書き換えられたもので、リコールに相応する。官民一体となった偽装主義は「森羅万象すべてを担当する」と豪語する総理大臣にも責任があると思う。(ルポライター)2019年4月16日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-偽装の官民一体」から引用 国際競争に勝ち抜くために労使一丸となって努力するのは美談ですが、一丸となって安全性試験をテキトーに誤魔化してしまったのでは本末転倒です。欧米の労働者は有給休暇も日本より長く、夏期休暇も1か月は普通と聞きます。日本ではお盆の前後に4~5日休むのがせいぜいで、よく働くのに、労働生産性は欧米に比べて低いと言われるのも不思議な話です。やはり、上司のいいなりになるのではなく、職場の効率を上げるにはどういう工夫が必要なのか、上司も部下も忌憚のない意見を言い合える民主的な職場作りが必要ではないかと思います。
2019年05月16日
韓国が福島県を中心とする東北地方・太平洋側の水産物を輸入禁止にしているのをWTOが容認することになった事態について、4月13日の東京新聞は次のように報道している; 韓国による水産物輸入禁止措置を巡る世界貿易機関(WTO)の紛争処理手続きで日本が逆転敗訴し、東日本大震災からの復興を最優先と位置付けてきた政府にとって大誤算となった。安全性を訴えても世界に届かず、被災地の漁業再生に水を差すことになりかねない。■沈痛な政府 「日本の外交交渉能力のなさが恥ずかしい」「深刻な結果だ。また(東京電力福島第一原発事故後の)風評被害のもとになる」。12日に開かれた自民党の水産関連会合では、議員らが政府に厳しい言葉を浴びせた。政府関係者によると、外務省は直前まで「当然勝訴」と自信を示していたが、ふたを開ければまさかの敗訴。「首相官邸も激怒している。誰かが責任を取らされるのでは」(同関係者)との声すら上がる。 被災地を傷つける失言で桜田義孝前五輪相が更迭されたダメージも癒えないさなかの「失態」に、農林族議員は「統一地方選後半戦や衆院補選にも打撃だ」と険しい表情を浮かべた。■事故終わらず 日本政府としては、厳しい禁輸措置を崩さない韓国に勝訴することで、被災地の食品が安全だと世界にPRする腹づもりだった。福島産の水産物に対する放射性セシウム検査で2015年4月以降、出荷制限をかける国の基準値を超えた事例は1件のみ。水産庁は、韓国の禁輸には「科学的な根拠がない」として撤廃を求めてきた。 WTOの今回の判断は日本の食品が安全かどうかには触れず「必要以上に貿易制限的」とは言えないことなどを理由に韓国の措置を容認した。日本はこれをもって一審の安全認定が維持されたと説明しているが、分かりにくさは残る。専門家からは「国際社会は福島での原発事故を終わったものとみていない」(農林中金総合研究所の石田信隆客員研究員)とし、政府は海外対応を再考する必要があるとの指摘が上がった。■輸出伸び悩み 復興への取り組みを続ける被災地にも衝撃が広がった。水産業の現場では「品質には自信がある。禁輸解除の前提で、これから頑張ろうという機運だったのに」(宮城県内の漁協)と落胆の声が聞かれた。 貿易統計などによると、日本から韓国への水産物輸出は10年が174億円だった。震災後に急減し、18年は159億円まで戻したものの震災前の水準を下回ったままだ。水産庁の担当者は「日本食ブームで輸出が増えつつあるが、韓国向けは禁輸が響いて伸び悩んでいる」と語る。 各産地は安全性の担保に躍起で、福島県漁業協同組合連合会は国の基準より厳しい独自基準を満たした魚だけを出荷している。12日、福島県相馬市の漁港でアンコウやナマコの水揚げを見守っていた相馬双葉漁協の立谷寛治(たちやかんじ)組合長は「厳重に検査しており、安全性は保証されている。それなのに、この結果とは納得できない」と嘆いた。2019年4月13日 東京新聞朝刊 21版 2ページ 「大誤算 復興の妨げに」から引用 韓国の輸入禁止の件は問題の本質がどこにあるのか、上の記事を読んだだけでは中々理解が難しい。福島県の水産物でも安全性に問題はないというのは、WTOも認めているわけだが、輸入を許可するかしないかは韓国政府が自主的に判断して決めるものであり、如何なる国も「安全だから輸入禁止を解除しろ」と韓国政府に命令する権限はないという点がポイントなのかも知れません。日本政府はWTOに訴えて、韓国政府の政策の不当性を指摘して禁輸政策を改めさせようとしたわけですが、そういう「力づく」ではなく、誠意をもって説得してお願いするという「道」をいくしかない、ということではないでしょうか。
2019年05月15日
昨日の蘭に引用した宮子あずさ氏のコラムに対し、共感を表明する投書が11日の東京新聞に掲載された; 6日特報面「本音のコラム」で宮子あずさ氏が「天皇制の本質は差別」と書いておられた。天皇の代替わりを無批判的に報道するマスコミにふさぎ込んでいた私だが、氏の発言で曇天の空に日が差し込んだ気分となった。「生まれながらに尊い人がいる」という日本政治の枠組みに違和感を持ったのは小学校で基本的人権を学んだ時。民主主義と天皇制の併存はダブルスタンダードだと感じた。 国家の正統性は国民にあり、国民意識の共有に象徴天皇という権威を借りる必要はないと思う。むしろ「日本には一木一草に天皇制がある」と中国文学者の竹内好(たけうちよしみ)が言ったように、天皇という権威は国民の無意識に働きかけ、人権意識を弱めてきたともいえる。 職業選択の自由、国籍離脱の自由など基本的人権のない存在を、国民統合の象徴として社会の安定のために認めてしまっているのはその表れであり、これこそ権力による権威の利用ではないだろうか。国民が権力を批判しきれないのも、国民以外に権威が存在し、それを傷つけてはいけないという忖度(そんたく)が働くからではないか。改憲論議で第一条の見直しを求める意見が聞こえてこないのは残念だ。 一瞬でもよいので天皇制のない日本を想像してみてほしい。私は自国に対する責任意識が毅然(きぜん)として湧いてくる。非戦の信念も、被災者に寄り添うのも、外国人労働者と共に生きるのも国民である自分の責務だ。私はこれまで天皇制について本心を語ることを恐れてきたが、宮子氏の発言で勇気を得て、今度は忖度せずに意見を言っていこうと思った。2019年5月11日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「ミラー-天皇制 忖度せず語ろう」から引用 この投書を書いた人は小学校で基本的人権を学んで、民主主義と天皇制の併存はダブルスタンダードと感じたと書いており、さすがは都会の小学生だったんだなと思いました。それとも、私より10歳若い人なので時代的な差異があるのかも知れませんが、私が憲法の国民主権、基本的人権、平和主義を学んだのは中学生になってからだったように記憶してます。この投書が言うように、日本は「国民主権」でありながら「天皇」というものが「権威」として存在しているために、国民が権力を批判しきれていません。これからは、無用な忖度を克服して「言論の自由」を実践していくべきと思います。
2019年05月14日
天皇制の本質について、看護師でエッセイストの宮子(みやこ)あずさ氏は6日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 政府は秋以降、安定的な皇位継承策について、検討を開始するという。皇室典範には、父方に天皇の血を引く「男系男子」による継承が定められているが、現在これを満たす皇族は3人しかいない。継承の条件を見直さない限り画期的な案はなさそうだが、安倍首相は「男系」継承に固執しているようだ。 皇位継承に関する議論を聞けば、天皇制はそれ自体が差別だとわかる。生まれながらに尊い人がいるなんて、憲法に保障された平等の原則に反する。また、「男系男子」による継承の限定は、明確な性差別である。 こうした指摘に対しては、「日本古来の伝統」を免罪符とし、男系が望まれる理由を説く人がいる。これはもう信心の領域。聞けば聞くほど「性差別教」の信者なんだとわかる。現在世論調査では、8割程度が女性天皇を容認する。それでも「男系」に固執するオールドボーイズが変わるとは思えない。 繰り返すが、天皇制の本質は差別である。今は権力を握る政治家が下品で高圧的。ゆえに皇族が品良く民主的に見えたりもするが、皇族個々の人間性と制度は分けて考えねばならない。 だが、天皇制廃止を叫ばずとも、「男系男子」へのこだわりによって皇室は終わりに近づく。いかに性差別が道理に合わぬものかを体現しながら。これが皇室最後の役割になろう。(看護師)2019年5月6日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-皇室最後の役割」から引用 この記事では皇位継承の条件を満たす皇族は3人となっているが、これは今は上皇となった明仁天皇から見て継承者が3人ということで、4月のうちに原稿を書いたので、こういう間違いになったのではないかと思います。天皇制の本質は「差別」であるという宮子氏の見方に、私は賛成です。これから先も天皇制を続けていくのであれば、「男系男子」などという前近代的なルールを改正して、性別に拘らず地位を世襲するというルールにするほかないと思います。しかし、この記事が述べるように「生まれながらに尊い人がいる」という発想は日本国憲法の趣旨に反するものですから、これからは政府ももっと人権教育に力を入れて「生まれながらに尊い人がいるという考えは間違っている」というコンセンサスを広く国民の間に確立し、その上で「天皇制は歴史的使命を終えた」ということで憲法第一条を廃止するという手続きに入るのが良いと思います。そのような憲法改正であれば、私も反対する理由はありません。また、この記事には「今は権力を握る政治家が下品」という、実に的確な表現があり、正にその通りと思いました。下品に見える原因の一つとして教養がない、端的に言うと漢字が読めないという問題があります。先日も新天皇即位の儀式で、安倍首相は「天皇皇后両陛下がお健やかであらせられますことを,,,,,あれせられますことを願っていません」などと挨拶してました。原稿を読んでいただけだったのに、その原稿が「・・・願って已みません」となっていて、これが読めなかったというのですから、呆れてしまいます。国民も、少しでも天皇を敬愛する気持ちがあるのなら、こういう粗相がないように、日頃から総理大臣にはもう少し教養のある人物を選ぶように心掛けたいものでございます。※ この記事をアップロードしたところ、皇位継承の条件を満たす皇族は3人で間違いではないとのコメントがありました。天皇の弟とその息子の他に、第3の継承者は天皇の叔父に当たる人物であるとのことで、上に引用した宮子氏の記述に間違いがないことを確認しました。
2019年05月13日
フジ産経グループの「議長」に就任し、戦後日本の右傾化を促進した雑誌「正論」を創刊した鹿内信隆氏について、「『諸君!』『正論』の研究」(岩波書店刊)は次のように論評している; 早大政経学部経済学科に入学してからは毎日、図書館に通った。卒論のテーマは「ケメラー・オン・マネ―の批判的研究」。ケメラー教授の貨幣論についての批判的研究という意味のようだ。古本屋で『国富論』の原書を買ったら、なかから十円札が出てきたというエピソードは出てくるが、学生時代にどんな本を読み、どんな思想にふれたかは『泥まみれの自画像』(引用者注:鹿内信隆氏の自伝、1988年に扶桑社から上・下巻が発行されている)には書かれていない。 2・26事件のあった36年春、鹿内は、早大を卒業して倉敷絹織(現クラレ)に入社。その後、金属研磨用の回転砥石を開発していた三徳工業に移り、38年秋に召集で札幌の歩兵第25連隊に入隊した。幹部候補生試験に合格し、経理将校の候補者として東京の陸軍経理学校へ。「野戦の指揮官より、主計将校を選んだのは、このほうが戦争で殺される可能性が少なかろうと思ったから」だった。ここで会計学を学んだことが、のちの経営者人生の土台になったという。 陸軍経理学校では「主計将校の”教養科目”として「P屋の設置基準」まで教えられた。「P屋」とはいわゆる慰安所である。 「念のいったことに、P屋の設置要綱まで試験問題になったと記憶している。掘っ立て小屋の大きさ、ムシロのかけかた、将校と兵隊の所要時間差、料金設定、日本と外地の女性との耐久頻度、そんなところまで野戦向きのノウハウがあるのだった」 鹿内はそう振り返る。 ちなみに『正論』はのちに、軍と慰安所の間には直接の関係はなかった、慰安所を営んだのは民間業者だ、という趣旨の論陣を張るが、それが誤りであることは鹿内の証言からも明らかだ。 鹿内は41年に陸軍経理学校を卒業し、戦中は陸軍省需品本廠に勤務した。軍用資材の調達を担当し、調達品の原価計算に従事した。のちに日清紡社長、日経連会長を務める桜田武や水野成夫らと出会うのはこのころだった。その後、レーダーなどの「電波兵器」の開発を業務とする日本電子工業の設立に参加、取締役企画部長に就いた。敗戦は、工場疎開の準備で訪れていた福島県で迎えた。 満州事変が始まった31年、鹿内は19歳だった。終戦時は34歳である。この間、鹿内は、一度も海外に出ることはなかった。 ただ、終戦間際に憲兵隊に引っ張られ、「10日間もぶちこまれた」ことがあるという。軍隊に在籍したころの上司に汚職の容疑がもたれ、関連が疑われたらしいが、自分にはまったくかかわりがなかった、と書いている。B29の襲来で逃げろと命令され、そのまま「微罪釈放」になったというから、たいしたことではなかったのだろう。 こうした経歴をみるかぎり、鹿内は幸運にも戦争をわりに安閑とやりすごしたようにみえる。「進んで国に命を捧げた英霊たち」をたたえてやまない雑誌『正論』の創刊者が、実は「戦争で殺される可能性」が少ない方に賭けた人物であったことに、私はすこしほっとする思いがする。上丸洋一著「『諸君!』『正論』の研究」(岩波書店) 66~67ページから一部を引用 鹿内信隆氏が陸軍経理学校で慰安所運営のノウハウを学んだというエピソードは、本人が別の所で中曽根康弘元首相と対談したときにも自分で話しており、その時には中曽根氏も南洋のある島に日本軍兵士として駐屯したおりに現地の有力者と話をつけて、村の若い女性を集めて慰安所を設置したのだという自慢話をしている。慰安所設置が自慢話として通用した時代は、日本も(多分、韓国も)まだ、売春防止法はあったとは言え、昔は公娼が当たり前だったという認識があり、そういう職業の女を蔑視する風潮があり、そのために戦時中に慰安婦だった女性はよほどのことがない限り自分の身の上を秘匿して生きるしかなかったわけです。そういう世の中にあって初めて実名で名乗り出た金学順氏の勇気は賞賛に値します。90年代に金学順氏を初めとして次々に元慰安婦の女性が名乗り出たとき、雑誌「正論」やその他の右派系雑誌が日本政府や軍は慰安所と関係ないという論陣を張りましたが、あの時、他のメディアは鹿内信隆氏や中曽根康弘氏にインタビューすれば、無駄な騒ぎをしないで済んだのではなかったかと思います。
2019年05月12日
押し入れを整理していたら、買ったまま読まずにしまい込んでいた「『諸君!』『正論』の研究」(岩波書店、2011年刊行)が出てきた。400ページもある分厚い本なので読むのを躊躇しているうちに押し入れの中に入ってしまったらしい。読んでみると、やっぱり中々面白い本で、中曽根首相(当時)が靖国神社を公式参拝したときの新聞論調を、次のように論評している; 読売新聞は参拝前の(引用者注:1985年の)8月10日付の社説で「靖国神社公式参拝への疑念」を論じていた。 前日の8月9日、官房長官の私的諮問機関である「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」(略称・靖圃懇)が、1年あまりの審議を経て報告書を提出。靖国神社は「我が国における戦没者追悼の中心的施設」であり、政府は「内閣総理大臣その他の国務大臣の公式参拝を実施する方途を検討すべきである」と提言した。 10日付読売社説はこの提言を批判。「将来に向かって、公共のため殉職した人たちも含めた、宗教にかかわりのない慰霊のあり方を検討してもらいたい」と政府に注文した。さらにA級戦犯合祀についてもふれ、次のように指摘した。 「第二次大戦で310万人もの同胞を死に至らした東条元首相らは、戦争の犠牲者というよりは、加害者ともいうべき指導者で、多くの遺族の中にも拒否反応は強いはずである」 ただし、読売は、A級戦犯が日本人に犠牲を強いたことだけを問題にしており、近隣諸国には目が向いていなかった。 一方、毎日新聞は8月15日付の社説「40回目の8・15と国の座標」で、「『他者』が目に入らぬ身勝手な国から『他者』を意識した国際社会の一員へと変身したのが、40年前の『8・15』の意義だった」「いま、日本人の意識の中で『他者』はどのようにとらえられているか」と問うたうえで、次のように論じた。 「私たちは敗戦後、世界にはさまざまな正義があることを知った。靖国の霊だけでなく、他国、とくに日本に侵略されたアジアの国々の死者、日本人として戦場で死んだ朝鮮、台湾の人々の『死』をも視野に入れることによって、戦争による死者の霊ははじめて安らぐだろう」 「中曽根首相以下の閣僚は15日、靖国神社に初の公式参拝を行うという。『靖国』は、アジア諸国から日本軍国主義のシンボルとみなされている存在であり、中国外務省はあらかじめ不快感を表明した。アジアは、首相や閣僚の視界から『他者』の存在が欠落していることに、怒っているのである。 いま私たちは、戦争を知らず、死者の思い出も持たぬ戦後世代に、あの戦争の意味を語りつがねばならない。被害者としての悲惨な体験だけでなく、日本が加害者の立場にあったことを正確に伝え、この世界には、平和にまさるいかなる価値もあり得ないことを知らせねばならない。 その根幹に『他者の痛み』への共感を据えたい。それこそが、苦い過去の歴史の断章を、現在と未来に生かす道である」 この社説が書かれてから長い年月がすぎた。しかし、靖国神社をめぐって排外的、感情的な主張ばかりが目立つようになったいま、毎日新聞の主張は、幾度も読み返されるべき意義をもつ、と私は考える。上丸洋一著「『諸君!』『正論』の研究」(岩波書店) 114~115ページから一部を引用 著者の上丸氏は当時の読売社説が侵略被害国の犠牲者が視野に入っていないことを批判しているが、私の印象としては、日頃から安倍応援団の姿勢を明確にしている読売にしては首相の靖国参拝に対する認識は意外に「まとも」だなぁと思いました。また、著者が訴えているように、若い世代に対し私たちは「日本が加害国であったこと」を適切に伝えていかなければならないと思います。しかし、現状の学校教育ではそれが必ずしも実行されておらず、将来に大きな禍根を残しているのではないかと思います。
2019年05月11日
安倍政権下では様々な不祥事が発覚するとその都度政権批判の声が上がるものの、内閣支持率がそれによって下落することはないという奇妙な現象は、有権者の如何なる心理状態に起因するものか、同志社大学教授の浜矩子氏は、4月26日の「週刊金曜日」に次のように書いている; 安倍政権に対する支持率はなぜもっと下がらないのか。この質問をよく頂戴する。傾向的にみれば、支持と不支持が拮抗していて、実は通念的にイメージされているほどの高支持率政権ではない。だが、モリカケ問題や閣僚・準閣僚の不審発言の連発ぷりをみれば、確かに不思議だ。もっと劇的な支持率急落に見舞われていておかしくない。なぜ、そうならないのか。 その要因は三つある。かねがね、筆者はそう考えてきた。一に確信犯的右翼要因。二に迷える若者たぢ要因。三に状況変化待ち経営者要因。一については多言を要しない。国粋主義的愛国精神に燃える人々だ。二は先行き不安に怯えているから「強い日本を取り戻す」や「一億総活躍社会」などの元気出る風メッセージに引き寄せられてしまう人々である。そして三は、苦しい経営環境を何とか変えてほしい、変えてくれるまではこの政権を支持し続けるほかはないと観念している人々だ。 この読みが大きくはずれているとは思わない。ただ、ごく最近、第四の要因があることが解った。これも経営者要因だ。ある講演会で質問を受けている時に判明したものである。 1人の質問者から、概略、次の通りの質問を頂戴した。「講師の安倍政権批判はよく解る。だが、本日の話はむしろ野党政治家たちに聞かせてほしい。彼らが、安倍政権による政策の軌道修正につながるような提案ができるよう、方向付けしてやっていただきたい」こう力説された後、質問者は次のように続けた。「ここにいるのは皆、中小企業経営者だ。つまり保守派である。政権交代を望んでなどいない。政策がまともになってさえくれればそれでいい。講師も、結局は同じですよね?」 講師は、決してそうではない。この政権が退場しなければ、政策は絶対にまともにはならないと確信している。だから、そう申し上げた。そこは見解の相違ということで円満に終わった。 だが、それはそれとして、この質問者の発言は実に示唆的だ。それを裏打ちしている論理の脈絡は、次の通りだ。まず出発点として、中小企業経営者である以上、保守派でなければいけないという認識がある。保守政治を守り抜くことは必須。それが大前提となっている。だが、安倍政権の主張や姿勢には、どうも危うさを感じる。それは否定できない。だが、この安倍政権の危うさが政権交代を招いてしまうのは、絶対的にまずい。だから、安倍政権に何とかまともな保守政権らしくなってほしい。そうなるまで、支持を止めるわけにはいかない。 この論法でいくと、どうなるか。それは、安倍政権を巡って失策や醜聞、傲岸不遜や傍若無人が明らかになればなるほど、より強くこの政権を支持しなければならないという行動論理につながっていく。世論が総じて安倍政権から離反しそうになればなるほど、自分たちが頑張ってサポートしなければならない。それが保守派たる中小企業経営者の使命だ。そういう思い込みが募る。こうした皆さんの必死の思いにつけ込んで、支持率を積み上げている。それが安倍政権だ。ますます、許し難い。はま のりこ・エコノミスト。「アホノミクス」という言葉の生みの親。「洗脳された日本経済」(日本文芸社)など著書多数。2019年4月26日 「週刊金曜日」 1230号 11ページ「浜矩子の経済私論-安倍政権を支える保守の守護神たち」から引用 この記事に書かれた「有権者の心理分析」は中々興味深いが、第三の要因と第四の要因は、私には似たもののようにしか見えない。「状況が変化するまでこの政権を支持し続けるほかない」というのは、自己矛盾ではないかと思います。安倍政権に期待して6年間もやってきたが、状況が良くなるどころか返って悪くなっていることを素直に認めて、これを改善するには政権交代するべきだというふうに前向きに考えるべきではないでしょうか。浜先生に質問した中小企業経営者の認識も、少しおかしいと思います。政権交代は臨まないが今の政権の姿勢ではダメなのは分かっている。なんとかまともな政策に進路を切り替えてもらいたいと、これは典型的な「ないものねだり」であって、安倍政権に望んでもかなうことはないでしょう。安倍政権にできることはここまでであって、後はやるとしたら憲法改正くらいですが、憲法を変えるなどということは元号を変えるのと同じで、それによって世の中が変わることを期待するのは無理であり虚しいことです。また、中小企業経営者は保守だから政権交代は臨まないというのも了見の狭い、というか何か誤解があるように思います。第一に、安倍政権が保守であるという認識がおかしい。日銀総裁や内閣法制局長官の人選について、歴代自民党政権はポストの重要性を考慮し特別に配慮して決して自分のイエスマンを抜擢するなどという露骨な干渉を控えてきたものを、その伝統を無視し、集団的自衛権に関する伝統的憲法解釈も破棄し、元号は代々漢籍から採用するという伝統も壊す、これらはとても保守政治家のすることではありません。一方で、安倍政権の前の民主党政権がどうであったかというと、それ以前の自民党政治に欠けていた点を補おうとする政策にチカラを入れたとは言え、社会を変革するような革新的な政策に取り組んだわけではなく、どこをどう見ても自民党の保守政治を継承したとしか言いようがなかったものです。政権交代を忌避する意識は、多分にネットに流布されているデマに惑わされたものであろうと思います。
2019年05月10日
評論家の辛淑玉氏は、安倍極右政権の下で劣化が進む日本人社会について、月刊「マスコミ市民」で次のように論評している; コンビニでコーヒー(100円)のカップにカフェラテ(150円)を注いだ人が逮捕・勾留されたというニュースを聞いて、涙が止まらなかった。そんなことをニュースとして流すマスコミ人も、人間としてどうかと思う。 イタリアでは、『飢えに耐えかねて食べ物を盗むことは犯罪には当たらない』という最高裁判決が出て久しい。貧しさは努力でどうにかなるものではないのだ。 わすか50円の盗みを糾弾する社会は、お上の犯罪には寛容だ。甘利をはじめ、数百万、1千万の賄賂を受け取った大臣たちはすぺてお咎めなし。アベトモに8億以上の不当値引きをした関係者もお咎めなし。もちろん、主犯の安倍もお咎めなし。いまでは森羅万象すべてを担当していると口にするほど万能感にあふれている。 年金を与えず70歳まで働かせろという社会で、生きることの意味を問うこと自体が間違っているのだろう。「子どもを作らないのは無責任」と言いながら、この国の政治は、子どもを産んで育てていける環境を作ろうとはしない。 力のある者は罪を問われないとでもいうように、アベ友なら性犯罪を犯しても逮捕すらされず、警官が5人で集団暴行しても「証拠不十分」で不起訴。金持ちの親を持つ慶応大生なら、ごう姦の常習犯でも在籍し続けられるし起訴もされない。 しかし、考えてみれば、先の大戦の戦争責任すら追及していないのだから、権力者・責任者を裁くという発想自体がこの国にはないのだろう。 日露戦争時の脚気による大量死のような明らかな失敗でも、責任者が裁かれることはなかった。当の責任者の森鴎外(陸軍医務局長)が調査会の会長となって「問題なし」の結論を出して終わり。検証が難しいほどの大失敗なら、いつまでだっても検証などしない。 すぺてを精神論で片付けて、嘘だらけの「神聖なる歴史」が作られる。そんな妄想の歴史の中で生きる日本は、社会の劣化が凄まじい勢いで進んでいる。 いま、韓国の文在寅大統領に対して、日本の政治家や官僚たちは「日韓の国益を損ねる」と口汚く非難している。韓国で民主主義が確立すれば植民地時代から続く日韓既得権益層の利権が危うくなるし、沖縄が県民投票で民意を固めれば日米の軍事利権構造が危うくなる。韓国や沖縄が民主主義を求めることは日本の「国益」にはならないと、日本の官僚も政治家も言い続けているのだ。 もっと平たく言えば、米国に屈従する状況に追い込まれているというのに、オレより下にいる奴らが「オレ様」に逆らうことは許さないということであり、「韓国や朝鮮、沖縄にまでバカにされたくない」という、くそオヤジ的発想なのだ。 思い起こせば、帝国日本は、いつも朝鮮を「女」のように、教え導かなければならないものとして扱ってきた。その「女」が、自立して口答えしてくるから許せないのだろう。 で、なりふり構わず、自分の力の確認作業をしている。「立派で強いオレに逆らうな」と。哀れなDV男の末路だ。 アメリカの手前、いまは北朝鮮を叩けないし、中国は怖すぎる。いま安心して叩けるのは韓国だけだが、やがてそのネタも尽きたら、今度は間違いなく国内の敵を探し始める。そのとき、日本という井戸の中の蛙として生きることを強いられてきた「在日」は、格好の餌食にされるだろう。 しかし、従順な在日でも生き延びられなくなれば、その次は従順な日本人も生き延びられなくなるのだ。歴史は繰り返す。 50円で逮捕勾留されるのは、次はあなただ。月刊「マスコミ市民」 2019年4月号 82ページ 「山椒のひとつぶ-次はあなたですよ」から引用 日露戦争の時に日本軍が脚気で大量死を出した問題について、森陸軍医務局長が調査委員会のトップに就いて「軍当局に問題はない」という結論をだしたというエピソードは、森友問題で公文書を改ざんしたのは当時の理財局長が一存でやったことで、首相も財務大臣も一切責任を問われることがなかった「事件」と構図がよく似ていると思います。「脚気で大量死」事件は森陸軍医務局長が「お手盛り」の結論を出した疑いが濃厚であり、森友問題の公文書改ざんは佐川局長(当時)に如何なる動機があって実行したのであったかは明らかになっていない。そういうことを考えると、私たちの日本は憲法が変わって「国民主権」になったというのは建前に過ぎず、国民の心情は戦前も戦後も変わっていないというのが実情ではないかと思います。
2019年05月09日
昨日の蘭に引用した記事は梅原猛氏ともう一人、作家の丸谷才一氏にもインタビューしており、丸谷氏は次のように述べている; ■戦争認識をめぐる昨夏からの動きをどう見ます? 丸谷 この間の戦争が侵略戦争でなかったと言いたがる人がよくいるでしょう。僕は、実に明々白々と侵略戦争だったと思うんですよ。それなのに、違うと言い張る人が、えらい人たちの中にもいる。非常に不思議な感じがするんだな。 不思議がってぱかりいちや駄目だから、想像力を働かし、推測してみると、損害賠償は嫌だという気持ちもかなりある。それから、明治の初めから昭和20年8月まで続いた明治国家の体制、人民を怖がらせ、人権を無視して、国の言うことを聞かせるという仕組み、それが怖い、という感じ。これは国民の記憶に強烈に残っている。戦後生まれの人たちにも遺伝みたいに残っているでしょう。 それと、我々曰本人は19世紀に、全く異質の西洋文明に出合った。その西洋は素晴らしくて、すごいもんだ、という思い込みは大変強い。 だが、西洋の19世紀は植民地獲得のための帝国主義の時代です。だから、我々は近代国家というものを学んで、つくろうとした時に、植民地獲得がその一目標であるような気持ちで学び、20世紀になっても一生懸命やった。 エチオピア戦争のことをイタリアの小説家モラヴィアが「時代遅れの帝国主義」と言ってますが、まさにそれ。19世紀的西洋に日本人は弱い。だからあの戦争もいいんだ、というのかもしれない。 ■その時代遅れぶりを批判される時に、侵略という言葉が強い反応を呼ぶのはなぜでしょう。 丸谷 一番大きな理由は御霊(ごりょう)信仰だと僕は思う。それは日本人の古代からの一番持続的で、深い所にある信仰です。 これは非業の最期をとげた人の霊はたたるというんだな。で、霊を祭って、酒、うまいもの、音楽、見せ物などを供えて機嫌をとる。すると御霊はたたるのをやめ、逆に、祭った人を庇護(ひご)してくれる。 菅原道真の霊が雷になって清涼殿に落ちて焼き、醍醐天皇もやけどがもとで死んだ。御霊の一番すごいやつで、以後代々の帝(みかど)は北野神社にお参りし、道真にたたられないようにした。 明治にも西郷の霊を祭って上野に像を建てた。隆盛の霊が怖かったからです。 ■今もそれは生きてる? 丸谷 そう。非業の最期をとげた人の霊は祭らねばならない。これは2000年続く日本人の宗教なんです。 この間の戦争で親兄弟、いとこ、おじさん、いろんな人が戦死した。彼らの霊が浮かばれないでいる。心の底でそう感じている日本人は多いはずです。で、その霊を慰め、喜ばせなければ、災厄が訪れる。単に自分だけじゃなく、共同体がやられるというぼんやりした不安がある。そこから飛躍するんだな、たぶん。 あの戦争は意味のある、有意義な戦争だったといえば、霊たちは満足するだろう。あの戦争は侵略戦争であったと言えば、霊たちは怒ってたたるだろう。そういう気持ちが、例の犬死に論になるのですね。 侵略戦争だったとすれば死んだ父親がかわいそうで仕方ない。だから意味をつけたい。大東亜解放のためだったとか、いろんな国が独立したじゃないか、と。 これは話が逆なんで、肉親の死を正当化するために歴史をねじ曲げるわけです。歴史論が歴史の研究でなく、宗教的行為になっているんだ。 宗教的行為としての歴史論。これが一国民全体の意識の下にひそんでいる。 ■だから、侵略という言葉がタブーになる。 丸谷 はっきり意識化することが大事なんです。御霊信仰を放っておいて、ただあの戦争は間違いだとだけ言っても駄目なんです。 ■靖国もタブーですね。 丸谷 これも御霊信仰と関係がある。無残な死に方をした人の霊を祭って慰めたいと思うのは、人間の優しさとして当たり前です。 だが、靖国神社という仕組みは非常におかしい。国家主義と結びついてつくられたし、個人の信仰を大事にしていない。それに残念なのは敵軍の将兵、及び敵国人を祭る発想がないことです。昔の日本人は外国との戦争でも、蒙古来襲、朝鮮侵略の時も、敵味方の死霊を弔い、祭っている。 明治以前の日本人の方がずっと心が優しかった。昔の人の方が、死者に対する態度が立派だったんです。 ■社会党党首の村山首相もいったん公式参拝自粛を言いながら、すぐ引っ込めました。この夏も閣僚や議員が参拝するでしょう。 丸谷 御霊信仰だからですよ。一番いけないのは、こういう事情を明確に意識化しないことです。 ■そう意識していればこのままでいいのですか。 丸谷 もちろん大臣の靖国参拝はやめなければならない。侵略戦争だと教科書に明記しなければならない。 しかし根本的には、われわれの心の底によどむ前近代的な信仰を明らかにして、それを、払拭(ふっしょく)するのはむずかしいにしても、近代社会にふさわしいものに直していかなければならない。そうしない限り、この問題はまだまだ続くことでしょう。※ 【丸谷 才一】敗戦の日、青森の歩兵砲隊。山中の壕掘りは病人続出、中止されていた。徴兵忌避、君が代、忠臣蔵、新聞社など社会の「いわれてみればタブー」を扱う作品を書き続ける。68歳。1994年8月12日 朝日新聞朝刊 12版 4ページ 「『侵略戦争』という言葉 なぜタブー」から一部を引用 丸谷才一氏のこの議論も、25年前の話とはとても思えない、現代にそのまま通用する議論のように感じられます。「あの戦争は間違っていた」「あれは侵略戦争だった」「兵隊にとられた国民は無駄に死んだ」というような議論を嫌がる人々は、歴史を議論しているつもりで実は宗教行為をしているのだというのは、大変鋭い指摘であり目からウロコが落ちるような気分です。
2019年05月08日
押し入れを片付けていたら古新聞の束が出てきて、紙が茶色に変色しているとは言え捨てるにはもったいない記事なので、日記に書き写すことにしました。哲学者の梅原猛氏が、今から約25年前の朝日新聞のインタビューに応えて、次のように述べています; 敗戦から50年目の、ひときわ暑い夏。 同じ大正末生まれの哲学者と作家は、あの夏、本土の南と北の端で、敵の上陸に備え、爆弾を抱えて体当たりの演習をし、みせかけの壕(ごう)を掘っていた。戦争の終わりの年に召集された戦中派最後の世代。2人の戦後を貫いたのは、たぶん、太い反戦の思想だ。 「あの戦争は侵略戦争だった、問違った戦争だった」という、昨夏の細川元首相の発言から1年になる。冷戦構造の崩壊。昭和の終焉(しゅうえん)。戦争の後に生まれた世代がもう50歳になる。 戦後という時代の起点になった、あの戦争をどう見るか。この国の戦争をめぐる歴史認識も、定まるのかとも見えた。しかし、自民党の反発、永野元法相の否定発言、社会党の村山新首相も、他の問題と同様、明快な自分の認識を、語っていない。 侵略、侵略戦争という言葉は、この国にとって、タブーなのだろうか。 「歴史の闇(やみ)にひかれ光を当ててきた」と哲学者の梅原猛さんは話す。「この社会の気になる不思議なことを書いてきた」と作家の丸谷才一さんはいう。 再び時代の分岐点の夏。日本のタブーを追い続けてきた2人に、この国とその歴史認識について、聞いた。インタビュー・構成:佐田智子(編集委員)◆◆近代を否定される不安◆◆ ■戦争の歴史認識をめぐる昨夏からの事態を、どうご覧になっていますか。 梅原 諸行無常の時代であると思うんです。歴史の権力者が一朝にして権力を失う、それがいま世界的に起こっている。大きな時代の過渡期。私は文明の変革期と見るんですが、その中で人間は時代にもてあそばれ文明の将来が見えず、権力を求めて戦い、勝っておごり、敗れて滅びていく。 私の基本的考え方は、戦争が腹の底から嫌いです。戦中派の最後の世代でね、体に染み付いている。 だから憲法9条は、たとえ条文があるいは外国人によってつくられたにしろ、その永世平和の考え方は私には大変よい考え方で、長い目で人類の理想を表現していると思うんです。 あの戦争は、侵略戦争に違いないんです。しかし、近代の歴史は、主として西洋諸国が侵略を繰り返してきた。その中で日本の侵略もあったので、日本は悪いと言うとともに西洋諸国の植民地侵略も悪い。そういう根本的な反省の上に、これからの人類史は考えるべきだと思います。 憲法の中には人類の遠い理想が組まれている。もし本当に、村山さんや河野さんや武村さんらが護憲派であるとすれば、その理想からこれからの国のありかたを考えていくべきです。理想を捨てて現実の対応を考えることには、私には大変に抵抗があります。 ■侵略戦争と言うことに、なぜ反発が繰り返されるのでしょう。 梅原 日本だけが非難されている、という感じを受けるんでしょう。ややもすれば日本だけが悪いように言う人たちもあるから。 私の基本的な態度は、中曽根内閣の靖国問題懇話会で、はっきり言っているんですね。私は中曽根さんと親しかったので、頼まれて委員になった。ところが、私の出した結論は、やっぱり公式参拝はよくない、大変疑問である、でした。 一つは、古事記、日本書紀以来の神道の精神と相反する。日本の神道では、味方と敵が戦う時、より鎮魂されるべきなのは敵なんです。伊勢神宮より、敵を祭った出雲大社の方が大きい。靖国参拝、靖国神社は、味方だけを鎮魂して、敵の鎮魂を行いません。 第二は、日中、日韓関係を損なう。かさぶたがやっとできた傷のような関係です。それを、侵略者の東条首相らも祭られている神社を公式参拝するのは、戦争に対する反省が欠けていることを世界に示し、アジアとの関係を壊す、と。 私の主張に賛成する人はかなり多かったんですが、答申では私の意見を一行か二行書いて、全員一致で参拝賛成みたいになった。 首相の公式参拝が発表されると、案の定、中国や韓国から抗議がきて、結局中止された。後で中曽根さんにそれをいうと、「でも、自民党がもたないからね」と。永野元法相の発言もそういう空気の一端です。 ■侵略という言葉は、明治以降の日本の近代化にとって触れられたくない部分を象徴するんでしょうか。 梅原 アメリカがインディアンをあんな風にいじめて、それを言われたら、自分の過去は根本的に否定されるような不安感、認めたくない感情があると思う。それと似とるでしょうね、いまの日本も。しかしそこまで、人類の歴史を反省しなければ、いけない。 アメリカの開発がインディアンの虐殺の上にあったように、日本の近代はそういうことにあった。日露戦争の後でしょうかね。そのころまではまだ、ヨーロヅパの侵略を防ぐ意味合いをもっていたが。 二面を持っているんですよね。侵略主義を防ぐのと自分もヨーロッパ並みの植民地支配をしたいのと。その二面は離れがたく結びついているんじゃないか。 ■その二面性が、屈折した、整理しにくい問題を、日本の戦後に残した。 梅原 そうでしょう。 ■近代文明にとって、侵略という言葉はタブーなんでしょうか。 梅原 そう。それは日本だけじゃなく、世界の近代という時代を考える時の、共通の問題じゃないかな。 国家主義の論理と民主主義の論理が、はほ同時代にできている。それが近代というものの大きな矛盾ではないか。そろいう論理をどうやって人類が克服できるか。大変難しい課題だ。 ■この国の戦争の認識は、定まっていますか。 梅原 まだでしょうね。ただ、過去というものはすぐに決まってしまうのではなく、何年かたってから過去の意味が発見されてくるものじゃないでしょうか。 戦争を起こしたころの人は近代の運命に気がつかなんだですわな。近代はすべていいものだ、ということでやってきた。ところが、近代は戦争を起こした。 また、近代は民主主義と国家主義の両面をもつが、国家主義を抑えれば近代は結構だ、というのが戦後の日本人の立場でしょう。が、近代は、自然破壊という新たな問題を提出した。 現代の三つの災い、核、自然破壊、人間の内面破壊。そういう問題と組み合わせてあの戦争を議論し認識し直すことは、大変創造的だと思う。近代の歴史への厳しい反省が、近代文明を越えて、どういう新しい世界をつくるか、ということにつながって行く。※ 【梅原 猛】敗戦の日、熊本の野砲連隊。酷暑の体当たり演習で倒れ、砲の掃除をしていた。「思いがけず命が永らえた、と」。聖徳太子、柿本人麻呂、神話など「日本歴史のタブー」を解く著作多数。69歳。1994年8月12日 朝日新聞朝刊 12版 4ページ 「『侵略戦争』という言葉 なぜタブー」から一部を引用 この記事は捨てないでおいて良かったと思います。25年前の哲学者の発言とは言え、そこに述べられた課題を、私たちはまだ乗り越えられずにいるのですから、梅原氏の主張をよくよく吟味してこれからの日本の進路を考えたいと思います。
2019年05月07日
戦後の自民党政治がだんだん右傾化して遂に安倍晋三という極右政治家を首班とする政権が成立するに及んで、明仁天皇(現在は上皇)のリベラルな言動が際立ち、まるで民主主義の旗手であるかのような印象をもった人は多かったのではないかと思います。が、琉球大学名誉教授の高嶋伸欣氏は月刊「歴史地理教育」3月号で、沖縄と天皇の関係について次のように述べている; 明仁天皇と聞くと、沖縄の多くの年配者は、皇太子時代(1975年)にひめゆりの塔で火炎瓶を投げられながら、冷静に対応した件を思い起こす。6月23日を、一家で忘れてはならない「4つの日」に含め、沖縄戦の犠牲者に思いを馳(は)せていることも知られている。また琉歌などにも通じていることで、概して沖縄では明仁天皇への厳しい声は少ない。さらに、明仁天皇の生前退位が確定して以後、マスコミは競って同天皇が根っからの平和主義者であるかのように報道し続けている。確かに同天皇はことあるごとに平和の大切さを強調し、改憲による戦前回帰の動きに嫌悪感を示している。だが、それをそのまま純粋な反戦平和主義の発露とはみなせない。 最大の理由は、天皇制こそ差別の元凶(げんきょう)の1つとして、1945年の敗戦まで厳然として機能し、日本国憲法下の今もその弊害が払拭(ふっしょく)されていないことにある。その天皇制を維持し存続させるのが歴代天皇の最優先かつ最大の使命であるとされ、明仁天皇も例外ではない。我々は海外侵略がさまざまな差別や矛盾の深刻化の下で画策され、強行されてきた事実を学び継承してきた。特に沖縄には北海道とともに国内植民地として差別され、同化政策の罠(わな)と化した皇民化教育で「動物的忠誠心」を植え付けられた痛恨の歴史がある。皮相的なマスコミや無責任なネットの情報に踊らされてはいられない。 天皇制は、終戦後のスムーズな占領支配の遂行に天皇の権威を利用するとしたGHQ政策のおかげで存続を認められ、昭和天皇も戦犯にされずにすんだ。だが米国以外の連合国民が納得していたわけではない。そのことを、当時皇太子だった明仁天皇に実感させたのが、英国エリザベス女王戴冠式(1953年)出席を名目とする世界一周旅行だった。欧州諸国では剌すような視線にさらされ、針の筵(むしろ)に座らされ続けたことが、当時の新聞記事の行間からも読める。皇太子教育掛の立場から海外派遣を推進した小泉信三氏の思惑(おもわく)は的中し、以後の明仁皇太子は昭和天皇とは真逆に近い「象徴」天皇像形成に邁進(まいしん)する。 やがて明仁皇太子は昭和天皇への批判を明確に口にする。「古い時代には、人々は天皇について様々な見方を持っていました。しかし、1930年代から終戦まで、国民は天皇についてただ一つの見方を持っていました」が、現在の「憲法に規定された天皇の地位は、日本の伝統に合っていると思われます」と(1987年9月28日、病気の天皇に替わり訪米することになった際の駐日米国記者団への会見回答文)。 この一文は「皇太子が昭和天皇を公然と批判した」として昭和天皇崇敬者たちに強い衝撃を与え、反発を招いた。それでも皇太子は揺るがず、会見から15か月後、「日本国憲法を守る」と宣明した最初の天皇となった。この宣明が「押し付け憲法」「占領軍憲法」としてきた改憲論の右翼団体などには打撃となり、しばらくの間街宣車の動きが止まった。現在もこの点での彼らの動きは鈍い。 同時に沖縄では、この宣明から昭和天皇の違憲行為が思い起こされていた。1952年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約第3条で、沖縄は米軍による「異民族支配」継続下に切り捨てられた。どこの憲法、憲章も適用されない無権利状態に県民を放置する第3条の構想を米国に提案したのが、昭和天皇による「天皇メッセージ」(1947年9月20日)だった。そのことは、同天皇死去4日後の1989年1月11日の『朝日新聞』報道で確認されている。 一方、同紙は今年元旦の朝刊第1面と社会面に、昭和天皇による多数の和歌(御製 ぎょせい)の「直筆原稿みつかる]との特ダネ記事を掲載した。同紙面では、昭和天皇が死去の数か月前まで、「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」という、終戦時の「御製」にこだわり、推敲を続けていた事実を明らかにしている。 この歌を「昭和天皇の御生涯を凝縮するといっていい御製」と、『世界日報』2019年1月9日号は位置づけた。また「新しい歴史教科書をつくる会」の中学歴史教科書では、2002年度用の初版以来現行版まで、特設コラム「国民とともに歩まれた昭和天皇」に麗々(れいれい)しく引用し続けている。 他方、高校『日本史A・現代からの歴史』(東京書籍、1995年度用)では、1945年2月14日に近衛文麿が「休戦」(事実上の降伏)を勧める「上奏文」を天皇に提出した件を詳しく記載している。天皇は「敗戦は必至」と同意するが、”国体護持の一条件容認の確約を得るまでは待て”とし、上奏は却下された。半年後、この一条件容認の回答が連合国から得られ、天皇は安心して「聖断」を下す。その間、「民」の生命財産は失われるに任された。前出「御製」は、昭和天皇が日本近現代史上最大級の歴史修正主義者である証拠だ。 明仁天皇家の「4つの日」(沖縄・広島・長崎と終戦の日)の由来は、すべて上奏却下後のできごとだ。降伏が早ければ、各地空襲の大半、それに朝鮮半島分断や北方領土問題も起きてない。明仁天皇の「戦没者追悼」などの行動は、父親昭和天皇の不実を繕(つくろ)い、糊塗する意味合いを色濃く持っている。 多数の賞を受けた『遅すぎた聖断』(1988年、琉球放送制作ドキュメント番組)を、いまだに全国に放映できていない「本土」社会。その代替わり翼賛の状況は、新たな歴史修正と沖縄差別再構築に通じる。(たかしまのぶよし・東京歴教協)月刊「歴史地理教育」2019年3月号 「天皇と沖縄-危惧される沖縄差別の再構築」から引用 私はこの記事が「以後の明仁皇太子は昭和天皇とは真逆に近い『象徴』天皇像形成に邁進(まいしん)する。」と指摘しているところに大変興味を感じます。思えば昭和天皇は取り巻きの側近から「大元帥」などとおだてられて帝国陸海軍のトップであるかのように言われながら、その実本人が戦争不拡大を意図しても取り巻きは誰もそんな意向に取り合わず、無視して勝手に戦線を拡大し、挙げ句の果ては物量でかなう相手ではないアメリカに宣戦布告するなどという無謀な行動を許して破滅を招くという失態を演じてしまいます。そもそも明治維新の原動力となった長州藩の下級武士は、立ち上がったときから、口では「尊皇攘夷」を唱えながら実際には天皇を敬う気持ちなどはつゆほども無く、内輪の作戦会議では天皇を「玉」と呼んで、自分たちが有利になるには如何に天皇を利用するか、そればかり考えていたものと思われます。そのような悪しき慣行が帝国陸海軍に継承されて、利用された昭和天皇は国を滅ぼす羽目になった、そういう事例に学んだ明仁天皇の平成の30年間の言動に好感をもった国民は多かったと思います。しかし、戦後の私たちは昭和天皇も加担した「沖縄差別」の問題を克服できておらず、今後の課題です。また、戦争が終わって首尾良く戦争責任も問われることがなくなった昭和天皇が「身はいかになるともいくさとどめけり・・・」などという歌をつくったというのも、後世の国民に対し史実を糊塗して隠蔽するもので、そんなものをまことしやかに紹介する歴史教科書が検定を通って授業に使われているというのも、安倍極右政権が世の中を危機に導いている証左であると思います。
2019年05月06日
最近の新聞を読んだ感想について、武蔵野大学教授の永田浩三氏は4月14日の東京新聞に、次のように書いている; 新元号「令和」が発表された4月1日、安倍晋三首相はテレビに出ずっぱり。しかし、その説明は次第に「一億総活躍」といった政権の宣伝に転じていった。 これって何か変? 翌2日朝刊はその違和感を丁寧に拾い上げていた。24、25面の「こちら特報部」。安倍氏と40年来の付き合いという政治評論家の有馬晴海氏は残念がる。「だんだん話が手前みそになっていった。お祝い事の場で言う必要のない言葉が並んだ」。同志社大の岡野八代(やよ)教授も厳しい。「みなさん新しい時代をことほいで、都合の悪いことを忘れてください、というメッセージを聞かされ・・・」。沖縄、福島原発事故、セクハラ、女性差別、移民政策などを思うにつけ、とてもことほぐ気分になれない。デスクメモには「嫌な感じの首相会見」。うなずく人も多いのではないか。 1日と3日の朝刊1面は、宮古島に新設された陸上自衛隊の駐屯地に新設された保管庫は実は弾薬庫であり、発覚したことで、一時的に島外に搬出するものの、その後再び島内の新設庫で保管することを明らかにした。貴重なスクープ。弱い地域が狙い撃ちされる。元号でリセットするなど、あってはならない。政権の隠蔽体質は脈々と継承されている。 6日朝刊2面の「核心」には、「忖度(そんたく)」発言による塚田一郎国土交通副大臣の更迭の検証が載った。紙面で森友・加計問題も含めた図表を使い、忖度という名の利益誘導や私物化に共通性はないかと問うた。 5日朝刊4面、「視点・沖縄から」は、神奈川大の後田多敦(しいただあつし)さんの寄稿。140年前、明治政府が琉球国の王権を簒奪(さんだつ)した琉球「処分」の際、清国に亡命して抵抗を続けた人がいたことを紹介している。これは東アジアにおける「抗日」運動の先駆け。全貌は明らかになっていないが、遠い記憶ではない。いまも沖縄と本土との関係は変わらない。 4日朝刊25面の「編集局南端日誌」は、100年前の日本統治下の朝鮮半島で起きた「3・1独立運動」の取材で、朝鮮生まれの杉山とみさん(97)を紹介している。杉山さんは朝鮮人の子どもが通う国民学校の教師だった。新入生の胸には日本名の名札が縫い付けられていた。敗戦後、杉山さんは初めて気づく。ここは朝鮮の人々の国。自分も無自覚のまま、統治者として君臨した一人だったと。杉山さんは語る。「日本はどれだけ加害責任に向き合つてきたでしょう。今こそ歴史と向き合う時ではないですか」 100歳になろうとする杉山さんの遺言のような言葉。リセットするのではなく、歴史の宿題に向き合う。それこそが時代の節目に立つわれわれがなすべきことではないか。(武蔵大学社会学部教授)2019年4月14日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「新聞を読んで-リセットさせない」から引用 元号が新しくなると人々が喜ぶのは、人々が普段から元号の存在に抑圧のようなストレスを感じている証拠で、そのストレスの源が「新しくなる」と聞いて「それじゃあ、世の中ちょっとはマシになるかな」という期待感が、深層心理に出てきているということではないかと私は思います。しかし、「元号が変われば世の中も変わる」などというのはまったく根拠のない空想であって、安倍政権が誤魔化しきって逃げ切ろうとしている数々の「疑惑」も、また、明治以来150年間に日本が行なった東アジアへの暴虐も、厳然として人々の記憶に残っており、未解決の歴史の「宿題」であることを、私たちは自覚するべきと思います。
2019年05月05日
植民地支配下の朝鮮に生まれて当地で国民学校の教員になり、朝鮮人の児童生徒に日本式の名前をつけて日本語の授業をした経験を持つ人物について、4月4日の東京新聞は次のように書いている; 毎年巡ってくる春も、杉山とみさん(97)には胸の痛む季節だったのではないか。朝鮮の子らに日本名の名札をつけていた、あのころの自分を思い出して-。100年前、日本の統治下の朝鮮半島で起きた「3・1独立運動」を取材するために2月、富山に住む杉山さんの元を再び訪ねた。14年ぶりの再会だった。 朝鮮で生まれた杉山さんは朝鮮人の子どもたちが通う国民学校の教師だった。入学式の朝、朝鮮語を禁じられた校内で幼い新入生の胸に日本名の名札を縫い付けた。たとえば「金(キム)」なら「金村」というように。勉強でも就職でも困らない「立派な日本人」に育てたい。そんな使命感に燃えた日々も1945年8月の日本の敗戦で終わる。 自宅のラジオで玉音放送を聞いた杉山さんが表通りに出ると、人々が「マンセーマンセー(万歳)」と祖国解放に歓喜の声をあげていた。街は一瞬にして変わっていた。 突然、見知らぬ男性に朝鮮語で怒鳴られた。意味が分からず立ちすくんでいると、教え子の少年がやってきて、言いにくそうに教えてくれた。 「先生。日本語をしゃべるな、朝鮮語で話せって・・・」 杉山さんは初めて気づく。ここは朝鮮の人々の国。自分も無自覚のまま、統治者として君臨した一人だったと。 植民地での皇民化教育を最前線で担っていたという思いは、戦後長い間、杉山さんを苦しめた。教え子たちの尊厳を傷つける教育をしたことには悔恨の念しかなかった。 教え子の一人は女子挺身(ていしん)隊として徴用され、富山の軍需工場でつらい労働に就いた。徴用工の問題は今、日韓関係を悪化させる紛争の種になっているが、杉山さんは「償いを求める韓国の人の気持ちが分かる」という。日韓条約に基づく巨額の経済協力はしても、個人への賠償はなされなかったからだ。 「日本はどれだけ加害責任に向き合ってきたでしょう。感情的になって韓国と対立するのでなく、今こそ歴史と向き合う時ではないですか」。100歳になろうとする杉山さんが語る。遺言のようだ。 取材の後にいただいた、丁寧な文字で書かれた手紙にはこうあった。「終戦、それに続く独立など、何もかも日本にとって初めてのこと・・・、天皇の人間宣言もありましたが、私も自分の過ち、韓国の子どもたちにどう謝罪すべきか悩みました。何のけじめもつけられぬまま-」(特報部デスク・佐藤直子)2019年4月4日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「編集局南端日誌-入学式に重なる悔恨」から引用 この記事からも分かるように、戦前の日本では「我々日本人は民族として優秀だから、未開の朝鮮人を救済するのだ」というような洗脳教育を受けていたので、朝鮮人の児童生徒に日本語で授業をすることに疑問を持たず、それどころか「日本語に習熟することがこの子のため」と、何の疑問も感じずに信じていたものと思われます。教育に国家権力が介入すると、そのような恐ろしい結果をもたらす好例と言えるのではないでしょうか。この記事に登場する杉山とみ氏については、東京新聞は3月にも取り上げており当ブログも3月20日頃のページに書いたと思います。3月に「3・1運動」がテレビの番組でも取り上げられたとき、若いタレントが番組の中で「植民地下の朝鮮半島で独立運動があった」と聞いて「日本は何も悪いことしてないよね」と無知な発言をしてヒンシュクを買ったことがありましたが、これはわが国の歴史教育の貧困を示す大変残念な現象だと思います。また、「植民地支配下の学校では日本語の使用が強制され、朝鮮語の使用は禁止された」などと書くと、どこかからまことしやか情報を探り出してきて「朝鮮語禁止はウソだ。このようにハングルの使用が認められていた例もある」などと鬼の首でもとったかのように書き込んでくれる人もいますが、そのような少数の例外を指摘することに何の意味があるのかと思います。そのような例外を針小棒大に表現したところで、植民地支配の犯罪性が軽減されるわけではありません。
2019年05月04日
明治12年に日本政府が行なった「琉球処分」とは、どのようなものであったか、4月5日の東京新聞に神奈川大准教授・後田多敦(しいただ あつし)氏が、次のように書いている; 「亡命」という単語から、どんな人物や出来事を思い浮かべるだろうか。そして、それは身近な問題だろうか。近代沖縄からは、100人を優に超える亡命者が出ている。一般的に、亡命は政治的な事情などにより政治家や学者などが他国に逃れることとされる。 近代沖縄では1879(明治12)年の「琉球処分」が契機で、主な亡命先は清国だった。今年はそれから140年である。 現在の沖縄県域はかつて琉球国だった。明治日本は琉球国の王権を簒奪(さんだつ)して編入、沖縄県を設置した。明治政府は、その事業を琉球処分と名づけている。この「処分」に抗(あらが)う琉球人の活動が、国内外で展開された。 処分された琉球を脱出した人々は、清国の福州や天津、北京などで、日本の暴虐を訴え琉球復興への支援を求めた。琉球史ではそれを「琉球救国運動」と呼ぶ。東アジアにおける「抗日」運動の先駆けである。 なぜ抵抗運動の一つの形が亡命だったのか。簡単にいえば、東アジアの伝統的国際秩序だった冊封(さくほう)関係における琉球国の歴史的蓄積だ。中国との公的関係は、明を建国した朱元璋(しゅげんしょう)の求めで1372年に始まり、およそ500年間に及んだ。冊封関係は、琉球国にとって国際主体としての証しの一つだった。そして、その中で琉球人の拠点やネットワークが蓄積されていた。 琉球処分の際、旧琉球国中枢からも多数の亡命者が出た。その一人が旧三司官(さんしかん)の富川盛奎(とみかわせいけい・中国名・毛鳳来・もうほうらい)である。三司官は琉球国の国政を担う官員の最高職位(三人)で、富川は最後の一員だった。処分後、富川は一時県庁顧問を務めるが、1882年に仲間を伴って亡命。現地の琉球人と合流し、救国運動に取り組み90年に清国で没している。 この時期、朝鮮半島では壬午(じんご)軍乱(1882年7月)が起きて、日本公使館が襲撃されたこともあり、富川の亡命は明治政府に衝撃を与えたようだ。在京の新聞でも話題になっていた。沖縄からの亡命者はその後も続き、その全貌はいまだ明確ではない。 昨年は処分した側の明治維新150年の節目で、政府主導も含め各種の催しがあった。批判の声も挙がり低調にも見えたが、それでも祝賀ムードも漂った。しかし、沖縄での琉球処分140年は祝賀にはならない。なぜなら、沖縄は処分され、滅亡し亡命者をも出さざるをえなかった側だからだ。 沖縄人が縁故を遡(さかのぼ)ると、その多くは処分や抗いの記憶にたどりつく。亡命者資料を繰ると、私自身も生まれ育った沖縄の地域名やゆかりの人名に出合うことも少なくない。 沖縄そのものが処分された結果であり、遠い記憶ではないのだ。そして、140年を経た今でも、処分される側とする側の構図は、それほど変わってはいない。2019年4月5日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「視点-『遠い記憶』ではない」から引用 私は「琉球処分は明治12年」ということを歴史の授業で学習した記憶はありますが、ただその通りに暗記しただけで、琉球処分とはどのようなものだったかという具体的な出来事は何も知らず、まして清国に亡命して救国運動に取り組む人々がいたなどということは全く知りませんでした。明治150年を祝賀ムードにしようとする試みに批判の声が挙がったのは、日本人社会として正しい反応だったと思います。※このページは操作ミスにより、2日のページにダブって表示されましたので、一度削除して正しいページに再掲載しました。その際、コメントも一緒に削除となりましたので、御了承願います。
2019年05月03日

塚田議員の「忖度発言」は事実ではないことにして本人を辞職させたやり方は、佐川宣寿国税庁長官を引責辞任させたケースに似ていると、4月6日の東京新聞が報道している; 安倍晋三首相と麻生太郎副総理兼財務相の地元を結ぶ道路整備を巡り、「私が忖度(そんたく)した」と発言した塚田一郎国土交通副大臣が事実上更迭された5日、政権側は、塚田氏の発言内容は事実ではないと繰り返した。忖度や利益誘導に当たるのではないかという本質的な疑問に答えることなく、本人の妄言だったと矮小(わいしょう)化して幕引きを図る姿勢に対し、批判の声が上かっている。(清水俊介)=1面参照◆勘違い 「私が事実と異なる発言をしたことで、大きな迷惑をかけた」 塚田氏は5日、辞表提出後、記者団にこう説明した。1日に北九州市の集会でした自らの「忖度」発言は、根も葉もない勘違いだったという意味だ。その発言は、首相と麻生氏に喜んでもらうために国の2019年度予算に道路調査費を計上したように受け取られた。 麻生氏も同日、記者会見で「本人(塚田氏)がその場の雰囲気で、そういうことを言っちゃったことが問題」と強調。菅義偉(すがよしひで)官房長官は会見で「事実と異なる発言をしたことは問題」、首相側近の甘利明・自民党選対委員長も記者団に「いかに笑いを誘っても、事実をはみ出るような発言は絶対にしてはいけない」とそれぞれ話した。◆既視感 政権側か躍起になって塚田氏の発言内容を否定するのは、発言内容が事実なら、公共事業を管轄する立場にある国交省の副大臣が、税金を使って恣意的に特定の事業を優遇していることになり、公正であるべき行政の信頼が根幹から揺らぐためだ。 しかも、塚田氏が忖度した相手は政権中枢にいる首相と麻生氏。安倍政権で過去、問題になってきた官僚による忖度は、森友学園が開設しようとした小学校の名誉校長を一時務めた首相の妻昭恵氏や、首相の長年の友人である加計(かけ)学園の加計孝太郎理事長に向けたもので、政権中枢に直接、便宜を図るものではなかった。 幕引きのやり方は、既視感がある。 森友学園への国有地売却に関する決裁文書改ざんを巡り、財務省の調査は、辞職した佐川宣寿(のぶひさ)氏が同省理財局長時代に改ざんを主導したと結論づける一方、首相夫妻への忖度の有無に踏み込まなかった。塚田氏を事実上更迭する一方、忖度や利益誘導を全面的に否定する今回の政府の対応と重なる。◆旧来型 塚田氏を更迭するだけでは問題解決にならないとの声は強まっている。 立憲民主党の枝野幸男代表は5日、記者団に「(塚田氏は)本当のことを語っている疑いが強い」として、引き続き忖度や利益誘導の有無を追及する考えを示した。国民民主党の玉木雄一郎代表は「税金の私物化」と問題視する。 神奈川大の大川千寿准教授(政治過程論)は、忖度について「安倍一強の下、官僚や政治家が過度に萎縮して起こる。忖度への批判が政権の体力を奪ってきたので、(政府は)きっぱり否定する対応をとらざるを得ないのだろう」と分析する。 その上で「政権交代の緊張感がない今、自民党の政治家に、旧来型の利益誘導の意識が残っていることは否定できない」と指摘した。2019年4月6日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「利益誘導有無 説明せず」から引用 佐川国税庁長官が辞任したのは理財局長だったときに公文書の改ざんを部下に指示した責任をとったというのもであったが、佐川氏に如何なる動機(または、メリット)があってそのような不正な指示を出したのかという点は、いまだに謎になっており、麻生財務大臣などは記者団に尋ねられて「それが分かれば苦労はしない」などと人を食ったような発言をしたのであった。今回の塚田議員の「忖度発言」も、彼は今年度予算に道路調査費を計上するしないを決める立場にあって、これを計上すれば総理も副総理も自分を評価するだろうと考えて決裁した可能性は大変大きいのであって、そうでない要因があって決まった予算だったというのであれば、周りが黙っていても安倍・麻生両氏はその「本当の要因はこれだったんだから」と説明ができるはずです。それが出来ていないのですから、塚田氏が忖度してつけた予算だったというのは、もはや疑う余地がないということです。
2019年05月02日
自分が忖度して「安倍麻生橋」建設を前に進めたと公の場で堂々と発言した塚田副大臣(当時)が引責辞任したことについて、ルポライターの鎌田慧氏は4月9日の東京新聞に、次のように書いている; 「私は麻生太郎命、一筋でやってきた。筋金入りの麻生派です・・・麻生派は渡世の義理だけで動いています」 日の丸のハチ巻き。暴力団の舎弟のような口調で選挙集会を盛り上げた、塚田一郎国土交通副大臣は辞任した。安倍首相と麻生副首相の地元を結ぶ関門海峡に架ける、海中道路事業計画は巨額なため凍結されていた。 が、2019年度予算で副大臣の「忖度」によって直轄の調査計画に引き上げられたとの自慢。塚田氏が応援にいった福岡県知事候補が、世論の反発から麻生派の敗北に終わったのは当然だとしても、これから森友学園、加計学園につぐ、利益誘導の「安倍麻生橋」建設が挫折し、悪夢の安倍政権の終わりとなるかどうか。 わたしは37年前に取材した、新潟県元知事・塚田十一郎氏を思い出した。その五男が政治家になって、親とおなじようにスキャンダルに塗(まみ)れるとは思わなかった。 十一郎氏は郵政大臣、自民党政調会長などを歴任、8期連続当選、県知事に転出した。ところが知事2期目に選挙違反容疑で辞任。再婚問題、参院選立候補で莫大な借金を抱えての金策など、週刊誌の話題になった。 前夫人との息子も元衆院議員、そして五男の一郎氏も衆院議員。核武装。原発推進。憲法改悪。阿諛追従(あゆついしょう)、無定見でも自民党なら当選できる。これが利益誘導政治の根源である。(ルポライター)2019年4月9日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-政治家業の退廃」から引用 しっかりした政策方針があるわけでもなく、上にゴマするだけで副大臣にまでなれる組織というのは改善の余地があります。いくら自民党でも、有権者がそれぞれの候補者を見極めて、信頼できる人物を議会に送るべきです。自民党から立候補した人なら間違いないだろうという判断が「間違い」であることを知るべきであり、例え親が立派な政治家であったとしてもその子が優秀かどうかは、よく話を聞いて判断するべきです。それにしても、塚田福大臣は辞任しても、彼が勝手に忖度して予算をつけた「安倍麻生橋」建設は、そのまま予算執行というのでは問題が解決したということにはなりません。過去に一度凍結された経緯を検証し、凍結解除が妥当であるかどうか、今年の国会で再度審議するべきです。
2019年05月01日
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