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今期のドラマは大概、第1話を見た。その中で一番気になったのが、一番最後に始まった「遅咲きのヒマワリ」(フジ系、火曜午後9時)だ。高知県四万十市(旧中村市)を舞台に、都会から田舎に移り住んだ青年の話だ。近年田舎暮らしがブームになっているし、自分も興味があることなので、この旬の材料をどう料理するか、ドラマのスタッフの演出に期待したい。とにかく、四万十川を中心とした自然に圧倒される。山も川もきれいで、きっと食事もおいしいだろう。四万十市自体が現在、移住を推進しているので、ドラマはいいアピールになるだろう。ただ、現実はそんなに簡単ななものじゃない。このドラマでも、厳しい現実を次々と突きつけられる。田舎の濃厚な人間関係は都会の人間には息苦しいし、高齢者ばかりで町はシャッター通りだし、医者は人手不足で満足な治療も受けられないしで、決していいことばかりじゃない。自分も田舎の出身であるが、この高知県の農村に比べたらはるかに都会だ。定年後にこんなところに住むのも悪くはないと思うが、実際にやっていけるかどうかは不安だ。このドラマの青年と同じ視点で、田舎の実情を見ていきたい。
2012年10月25日
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最後に、今回の岩手旅行で食べた駅弁に触れておきます。ただし、買ったのはいずれも東京駅です。岩手のものではありませんが、東北のものを選びました。 「伊達のきらきら漁師めし」(仙台) ホタテごはん、銀鮭粕漬け、タコ桜焼き、サンマ、厚焼き卵、イカ、ホタテ塩麹焼き、ウニ、イクラ。海の幸がふんだんに入っていて、美味でした。津波で甚大な被害を受けた三陸で、以前のように漁ができる日が早く来るのを願っています。 「秋田肉三昧」(秋田) 比内地鶏、秋田錦牛、十和田湖高原ポークの3種類の肉が楽しめる弁当。ごはんの量も多かったです。とってもうまかった。銀河高原ビール(岩手県の地ビール)で1杯やって寝ました。
2012年10月24日
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宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩碑がある羅須地人協会の跡地&下ノ畑から、移設・復元された羅須地人協会=賢治の家に行ってみようと思います。ここから北に8kmほど、花巻空港の北、花巻農業高校(当時の花巻農学校)の敷地内にあります。時間は12時半。お昼にしようとファミレスに寄ったら大混雑。隣接のマクドナルドも混んでいたので、ドライブスルーで買って運転しながら食べました。レンタカーを返却する時間が迫っていて気になりますが、ここは以前にも来たことがあり、勝手が分かっているのでスムーズに見学できました。玄関にある「下ノ畑ニ居リマス 賢治」は賢治の直筆ではなく、弟の清六のもの。チョークが薄くなると、花巻農の生徒がなぞって残しているそうです。 賢治の家の中。羅須地人協会を訪れた弟子たちに、この教室で講義をしたのでしょう。もともとは賢治の祖父の隠居所として建てられたもので、賢治没後人手に渡り、ここに移されたそうです。休みのせいか、部活動の生徒も少なめ。花巻農高の敷地内には、賢治の銅像もありました。 ガソリンスタンドで給油して、新花巻駅のレンタカーに、無事時間内に返せました。走行距離250km。今回の旅は、賢治に始まり、賢治に終わった旅でした。新花巻駅前の土産物屋では、東北限定リンゴのハイチュウや、車内で食べる用に「かもめの玉子」、甘栗などを買いました。帰りの新幹線・やまびこ60号(14時22分発)は、仙台から先指定券が満席なので、後から来るはやて28号(仙台発15時26分)に乗り換えて、東京へ。ダイヤが乱れていて15分ぐらい遅れました。東日本大震災以降、初の東北への旅行。訪れたのは内陸ばかりで被害は少ない地域だったこともあり、観光客も減った感じはしなかったです。訪問してお金を使うのが一番の支援と思います。皆さん、ぜひ東北へ。終わり
2012年10月23日
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旅行最終日(10月8日)、レンタカーを返すまで(午後2時)あと2時間。北上市のみちのく民俗村から花巻市内に戻ります。北上に行く途中見かけた「宮沢賢治詩碑」の看板が気になったので行ってみることにします。賢治詩碑のバス停に隣接して駐車場があります。ここに車を止めて歩いていくことにします。駐車場の前にあるのが同心屋敷。江戸時代、奥州街道沿いに30軒建てられた同心屋敷のうち、現存していた2軒を市が昭和54年、現在地に移築・復元したもの。入り口に向かって右側がコの字形の旧今川家、左がL字形の曲がり家の旧平野家です。写真は今川家です。さっき古い家は散々見たので、次に行きます。ここから遊歩道「宮沢賢治文学散歩の道」が300mほど林の中に伸びています。途中のベンチには、賢治の童話に登場するフクロウや山猫、クマの石像、セロとメトロノームのオブジェや賢治の詩もありました。遊歩道の終点の左にあるのが「桜地人館」。賢治の病気の治療をした佐藤医師が建てた資料館です。賢治の手紙や、賢治の弟・清六と交流があり花巻に疎開・移り住んだ高村光太郎の書、地元の画家・萬鉄五郎の絵や、舟越保武の彫刻が見られました。350円はちょっと高いかな。その右の林に、高村光太郎が揮毫した「雨ニモマケズ」の詩碑があります。かつての羅須地人協会の跡地です。羅須地人協会は、大正15年に賢治が作った私塾です。花巻農学校を辞め、農民たちに農業指導したり、セロの練習をしたり、エスペラント語を教えたりしていました。詩碑は、昭和11年建造ということで、雨に負けたのか字の判読は難しくなっています。写真に撮るのは辞めました。この小高い地から見下ろしたところにあるのが、かの「下ノ畑ニ居リマス 賢治」の下の畑です。↓位置的には中央奥、北上川の川岸に並ぶ木々の手前あたりです。 説明板にもそう書いてあります。黒板の実物は、ここにはなく、花巻農業高校内に復元された賢治の家の前にあります。残り時間も少ないけれど、行ってみます。続く。
2012年10月22日
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花巻電鉄の保存車両を見た後、10数km南下し、北上市の「みちのく民俗村」に向かいます。ここは7万平方mの山あり谷ありの丘陵地に、移設された岩手県内の古民家・武家屋敷・校舎などが20数棟建っています。いわば古い家のテーマパーク。入り口の古い商家が受付になっています。500円払って入り、併設の北上市博物館から見学します。北上、かつての黒沢尻は北上川の水運で栄えた町。丸木舟の展示、さらには極楽寺という大伽藍から出土した仏像があったり、北上川周辺に棲む動物、鳥、魚のはく製、化石、岩石・鉱物などが見られました。博物館を出て、坂を上り、最初にある古民家が旧菅野家住宅。国指定の重要文化財です。門が風情があっていいと思います。18世紀に北上市内に建てられた家を移築したものです。中は暗かったです。囲炉裏が大きかった。旧岩手県立黒沢尻高等女学校校舎の洋風のしゃれた建物が、民俗資料館になってます。ここには、酒造りの樽やでっかい鍋、昔の農工具、農耕馬のはく製などもありました。併設されているのが、「消防資料館」。古い消防車が、手でポンプを運んだ時代のものから、比較的新しいものまでずらり。↓ 岩手県と一言で言っても、南の伊達領(仙台藩→一関藩)と北の南部領(盛岡藩)では風土も違い、建物の特色が違うようです(専門家でないので説明できませんが)。積雪量も関係しています。どの家も柱にボタンがあり、南部弁の解説を聞くことができます。写真は旧菅原家住宅。土間が広い家、家の中で馬を飼っている家、いろいろあります。写真は旧北川家住宅。遠野市から移設された典型的な南部曲がり家です。L字形のつくりが珍しいです。遠野も20年以上前に行ったきりです。懐かしいなあ。 写真は旧星川家住宅。同じような曲がり家ですが、遠野市ではなく、矢巾町(盛岡市の南)からの移設です。小豆の殻をむいて干していました。建物の中で今もヤギを飼っていることにびっくり。室町時代や平安時代の竪穴式住居もありました。敷地の外には水車小屋も。1時間半たっぷり楽しめました。思いのほか良かった。旅行最終日ですが午前中。まだ観光を続けます。続く。
2012年10月21日
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花巻電鉄には今回たどった花巻-花巻温泉の鉄道線のほか、花巻-西鉛温泉の軌道線(昭和44年廃止)もありました。(正確に言うと花巻付近のターミナルは中央花巻、西花巻があって位置が変わったりしていますが、ここでは割愛)JR花巻駅のやや南、遊歩道になった廃線跡が鉛温泉方面に続いています。突如現れる材木町公園に奇妙な形の車両が保存されています。花巻電鉄軌道線を走ったデハ3形、通称「馬面(うまづら)電車」です。花巻電鉄は鉄道線・軌道線とも線路幅762mmのいわゆるナローゲージ。その上、花巻温泉行きと違い、軌道線は、道路との併用軌道がほとんどで、車体を細くする必要がありました。横幅は1.6mしかありません。15年ほど前にもここに来ましたが、その時は、塗装が色落ちしていて、車体にも傷、へこみがあったりひどい状態で、静態保存とは言えない代物でした。屋根があるとはいえ、いつ朽ちてもおかしくないと思ったものです。 それが、ペンキを塗り直されて、随分立派に変わりました。側面に、近代文化遺産のプレートが付けられています。本格的に保存する気になったのかな?いいことです。説明板も以前はなかったものです。 反対側から。軌道線跡は15年前にも訪れたので今回は行きません。材木町公園の先、遊歩道はしばらく続き跨線橋などもありますが、すぐ道路に吸収されて、痕跡はほとんど残っていません。バス停の位置から停車場(駅ではない)の位置が推測できます。大沢温泉、渡り温泉、志戸平温泉、鉛温泉、新鉛温泉など温泉を経由して、終点まで1時間半もかかったそうです。続く。
2012年10月20日
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今回の花巻旅行で、僕にとってのメーンイベントの1つが、昭和47年2月に廃止された花巻電鉄の鉄道線の廃線跡をたどることです。以前、花巻に来た時にも、また今回の旅行の1日目にも、道路沿いに自転車道があるのは分かっていましたが、今回はもっとじっくり見てみたいと思っています。花巻温泉のバスターミナルの広場が、電車のホームがあった場所です。それっぽい雰囲気。写真のコンクリート台の上に駅舎があって、花巻温泉の入り口と向かい合っていました。残った階段は、駅舎からホームに降りるものです。往時がしのばれます。温泉駅を出ると、花巻に向かって左側に自転車専用道が現れます。松山寺前、北金矢のバス停の前には花壇があり、ここが駅跡だと察せられます。その先、瀬川駅跡付近で、自転車道は車道から離れて森の中へ。しばらくして瀬川を渡り、車道とアンダークロスします=写真は車道から花巻温泉方面を見下ろしたもの。写真中央に瀬川に架かる橋が見える。(残念ながら電車が通っていた当時の橋ではありません) ほぼ同じ車道の上から、花巻方面を見たもの。車道の下をくぐった線路跡が右にカーブを描いて小川を渡り、築堤の上を行くものです。ここから先は、車道の右側に自転車道がぴったり寄り添います。花巻グランド(現在の運動公園。花巻球場や市民体育館がある)に廃線跡は吸い込まれていきます。花巻東高校の前あたりから再び、遊歩道が姿を現し、JR花巻駅に向かって市街地の中を進んでいきました。続く。
2012年10月19日
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3日目(10月8日)は台温泉をチェックアウトして、まずは花巻温泉の中にある「花巻バラ園」へ。面積は5000坪もあり、ゆるい上り坂に張り付くように、450種6000株のバラが植えられています。秋バラの季節、咲いているバラも結構多かったです。ここには、1日目に行ったポラン公園にもあった、宮沢賢治設計の日時計があります。花巻おとめ80=写真=や、ホット花巻など、花巻オリジナル品種のバラもあります。 台温泉からの引湯によって花巻温泉が開湯したのは大正12年、花巻農学校で教べんを執っていた賢治は当時27歳でした。2年後には花巻-花巻温泉の花巻電鉄線が開通し、温泉地は花巻の奥座敷として脚光を集めていました。 花巻温泉の新興リゾート地を花で飾り、健康と喜びに満ちた町にしようと考えた賢治は、昭和2年、「台公園」の東側に日時計を備えた「南斜花壇」を作り、最も愛したバラ「グルス・アン・テブリッツ(日光)」を植えました。これがこのバラ園の始まりでした。噴水もバラ園に合っています。当方、京成バラ園の近所に住んでいたからバラは見慣れていますが、やはり旬のバラは素晴らしい。続く。
2012年10月18日
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中尊寺から、柳之御所駐車場に戻って3時。帰る観光客も増えて町全体が空きだしたので、車で毛越寺(もうつうじ)まで行きました。空き始めていました(ただし有料)。毛越寺にも24年前に来てますが、宿坊&ユースホステルが07年になくなったり、だいぶ様変わりしたようです。500円で入場。藤原基衡・秀衡親子の庇護を受け発展した大寺院でしたが、戦国時代にほとんど焼けてしまい、ほとんどの建物が土台だけになっています。ここはなんといっても庭園が魅力。大泉が池を中心とする浄土庭園が素晴らしい。 荒磯出島は、水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には約2mの石が据えられています。池の中から伸びる石の傾き具合が絶妙です。↑お土産に境内で売っている延年茶を買いました。はと麦、柿の葉、熊笹、ほうじ茶などをブレンドしたお茶で、長生きすると言われています。家に帰ってから沸かしてみたら香ばしいお茶でした。時間は午後4時過ぎ。毛越寺を後に、寄りたかった「達谷窟(たっこくのいわや)」=坂上田村麻呂が岩穴を利用して崖に張り付くように建てた毘沙門堂=、「厳美渓(げんびけい)」=奇岩が続く一関市の渓谷=は車から見るだけにとどめ、花巻・台温泉の宿に戻りました。2日目終了。続く。
2012年10月17日
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中尊寺の麓に着きました。弁慶の墓がここにあるのは知らなかった。ここから本堂まで560m、金色堂まで800mの月見坂が続きます。決して急勾配ではありませんが、随分長く感じます。駐車場がどこもかしこもいっぱいなだけに、さすがに人が多いです。世界遺産効果でしょう。樹齢300~400年の杉の古木が両脇に続きます。弁慶堂などの子院は後で見ることにして、まっすぐ本堂、さらに金色堂へ。拝観券(800円)を求める人たちで長蛇の列が続いています。どれだけ混んでいるのかと思ったけど、それほど待たずにチケットが買えて讃衡蔵(宝物館)に入れました。続いていよいよ金色堂へ。24年前に来たときは、「え、こんなに小さいの?こんなものか」と思ったけれど、今回は想像以上に大きくて圧倒されました。人間の記憶はあいまいなもの。小さいという印象だけが独り歩きして、実際より小さく記憶していたようです。平泉に来る前に、えさし藤原の郷で金色堂のレプリカを見ていたせいもあるかもしれません。以前、NHKスペシャルでサイバースコープで内部をくまなく調査していたのを思い出します。先ほど、えさし藤原の郷で見た金色堂の模型よりも大きかったし、土台の柱までキンキラキンで、奥州藤原氏の栄華を実感しました。経蔵、旧覆堂、さらには月見坂を下って、仁王立ちの弁慶像のある弁慶堂などを見て回りました。町内の観光地を回る「るんるんバス」が、あと2分で来て柳之御所に帰れることが分かったので並びます。歩いたら20分が、140円であっという間に駐車場に戻りました。続く。
2012年10月16日
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えさし藤原の郷を後に、東北道で平泉町に向かいます。88年3月以来、実に24年半ぶりの平泉&中尊寺です。指示看板に従い、中尊寺第2駐車場に向かうと満車。北上川沿いの柳之御所駐車場に行くように指示されました。途中、いくつか駐車場の前を通りましたがどこも満車。素直に柳之御所に行きました。やはり、世界遺産になったことに加え、3連休の中日で混んでいるようです。柳之御所跡は、バイパス道を造るときに遺構が発見され、池などが復元され、無料の資料館も造られました。発掘された土器などが展示してありました。道路は迂回して造られました。何もない広い芝生の公園です。こちらの駐車場に止めなければ、資料館も御所跡もおそらく寄ることはなかった。ある意味ラッキーかも。柳之御所から歩いて10分も行かないところに、源義経終焉の地といわれる「高館義経堂」があります。小高い丘の上にあるので、距離は大したことなくても登るのが大変。24年前にも来ていますが、その時はまだ10代。上り坂も平気でした。200円払って中に。階段を上りきったところで、北上川が見えました。 絶景。言葉になりません。衣川は草陰に隠れて見えないけれど、山々と川が美しい。松尾芭蕉も丘に登り、「夏草や 兵どもが 夢の跡」の句をこの地で詠んだということですが、この景色なら、一句ひねりたくもなるでしょう。お堂の中には義経の像、その脇には石の供養塔がありました。もともと義経が居住していた衣川館跡に、仙台藩主4代目の伊達綱村が1683年に建てたお堂です。芭蕉が訪れたのはその6年後です。続く。
2012年10月15日
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山を下って、城柵ゾーンへ。伊治城などを見ながら一番奥の「中村の郷」へ。古いかやぶき屋根の建物は、96年の大河「秀吉」で秀吉の生家として使われました。それだけでなく、10年の大河「龍馬伝」でも使われたとか。確かに幕末の土佐の村にも見える。セットもいろんな使い方があるようです。 その先は厨川柵の奥にストーンヘンジのようなアラハバキの神を祭った場所。安倍氏が信仰していた神様だそうです。さらには中尊寺金色堂に、西行の庵などを経て、再び園の中心部に戻ってきました。金色堂はこの後行くので比べてみようと思います。「大路」はいろんなシーンの撮影で使われるスポット。現在放送中の「平清盛」でも、海賊たちの凱旋シーンなどで使われたということです。また、フジテレビのスペシャルバラエティー「逃走中」でも使われ、ここで誰々がハンターに捕まったと書いてありました。偶然ですがこの日の夜(7日)、「逃走中」の放送があったので見ちゃいました。結構面白かった。(この回のロケ地は「千葉房総のむら」と思われます)藤原三代で最も栄華を極めた三代・秀衡の屋敷が「伽羅御所」です。鯉がうじゃうじゃいる池の先に4分の1サイズの無量光院が見えます。ここの鯉は飢えているのか地上に飛び出さんばかりに寄ってきました。中では平安体験ができる時代衣装着付コーナーがあります。妻と子は打ち掛けを羽織ってみました。 連休中だということで郷土芸能の鹿踊なども舞台でやっていました。僕らが行ったのは終わりのほうでした。釜石をはじめ三陸の各地に伝わる「虎舞」です。 先着500人にさんまが無料でもらえるということで、行列ができていました。欲しかったけど、並ぶ時間がもったいなかったのでパス。ロケ資料館へ。「炎立つ」を筆頭に、大河ドラマは「花の乱」(94年)、「秀吉」(96年)、「毛利元就」(97年)、「北条時宗」(01年)、「利家とまつ」(02年)、「義経」(05年)、「風林火山」(07年)、「天地人」(09年)、「龍馬伝」(10年)、「平清盛」(12年)。映画は「五条霊戦記」(00年)、「陰陽師」(01、03年)、「GOEMON」(09年)、「禅ZEN」(09年)、「TAJOMARU」(09年)など。テレビドラマでも「里見八犬伝」(06年)など多数使われているようです。ポスターやシナリオ、出演者のサイン色紙や手形が多数ありました。人気者ぞろいの「利家とまつ」の時の沸騰ぶりや、福山雅治人気でファンが殺到した「龍馬伝」のことなど、撮影エピソードが書いてありました。最後に、牛車に乗って平安貴族気分を味わって訪問を終えました。お土産には、会社用にシフォンケーキと、家で食べる用に「岩谷堂ようかん」を買いました。ようかんは試食がかなりおいしかった。1本は大きくて高いので、ミニサイズの3本セットにしました。これなら味を食べ比べられます。時間は12時前。いざ平泉へ。続く。
2012年10月14日
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2日目(10月7日)は朝風呂、朝食の後、東北道を南下し、奥州市江刺区の「えさし藤原の郷」へ。約15年ぶり2回目です。93年の大河ドラマ「炎立つ」に合わせて、陸奥国府や奥州藤原氏の屋敷などを再現した一大テーマパーク。江戸期のセットは各地にありますが、平安朝の建物はなかなかないので、ロケ地として重宝しています。15年の間に撮影で使われる機会も増えたようで、以前はなかった建物や展示物がかなり増えました。入り口でもらったパンフレットにさえ載っていない新しい建造物もあります。脇道にある義経館・弁慶館なども新しいスポット。清盛、義経、常盤、静、弁慶などが見られました。町の真ん中にある政庁に入ります。妻は鎧の写真などを撮っていました。↓ 源頼義が陸奥守として着任する場面。人形の顔が、「炎立つ」で頼義を演じた故佐藤慶さんに似ているように思います。この撮り方だとちょっと分かりづらいけど。段ボールでできた鎧兜を着られるコーナーがあったので着けてみました。3種類あったけど、位が高そうに見えるものを選びました。源平期の鎧は、形が戦国のものとは違いますね。 山道を登り、藤原初代の清衡の館やその父・経清の館があります。馬の等身大模型が印象的でした。寄り道スポットの一つ、「義経持仏堂」も以前はなかったように思います。平泉にある義経終焉の地といわれる「高館義経堂」に似せて造られています。この後行く予定があるので、本物と比べてみようと思います。「安宅関」も新しいスポット。心なしか、弁慶の顔が、大河「義経」(05年)で弁慶を演じた松平健さんに見えます。 義経も何カ所か人形がありますが、タッキー(「義経」で主演)より野村宏伸(「炎立つ」などで義経役)に近いものが多いように思いました。続く。
2012年10月13日
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花巻には温泉が多数あります。代表するのは市内の北にある花巻温泉。また花巻南温泉郷には鉛温泉、大沢温泉、志戸平温泉、渡り温泉など8つの温泉が連なっています。以前、日帰りでいくつか立ち寄ったことがあります。今回の宿泊は、台温泉。花巻温泉からさらに山奥に入った温泉です。1200年前に、坂上田村麻呂が発見したという伝説があるほどの古い温泉で、狭い谷沿いに古い旅館が10数軒ほどひしめいています。そもそも花巻温泉の湯は台温泉から引いていました。現在は別の源泉を掘り当てたので、両温泉の泉質は違います。 迂回路から台温泉に入るけれど、トンネルを抜けると道路が急に狭くなります。車がすれ違うのが難しいほど。目指す旅館は100mほど先でした。駐車場が、玄関から土間を横切った中庭にあったのにびっくり。隣の台神社や温泉街を散策し、お風呂に。含硫黄・ナトリウム・硫酸塩・塩化物泉。お湯は透明で匂いはしませんでした。源泉は75.5度でお湯はちょっと熱め。かけ流し。古い宿ですが、食事は美味しかった。1泊目の夕飯はごはん、マイタケと三つ葉のお吸い物、漬物、刺し身、豚肉の奉書焼き、イカの塩辛、ブドウ、酢の物(オクラ、モズク、わさび)、小鉢(フキ、タケノコ、シラス)、高野豆腐湯葉包み、鶏肉、エビ、ナスの煮物、貝のサラダ(恐らくホヤ)、鍋(豚肉、ホタテ、エビ、エリンギ、野菜)2日目は山菜ごはん、鮭のホイール焼き、酢豚、小鉢(フカヒレ、エビ)、イカのサラダ、鍋(ホタテ、サケ、タラ、豚、エビ、野菜)。あとは同じ。といったメニューでした。2日目に続く。
2012年10月12日
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我が家の最長老ハムスターのコウジが10日、死去。2009年12月10日生まれで2歳10カ月。人間でいえば102歳という高齢でした。先月末から元気がなく、9日は目も半分閉じて何とか心臓が動いているという状態。それでも10日朝までは息がありました。 ハムスターを飼って8年になりますが、まだ3歳を超えた子はいません。コウジは過去最年長だった父・ケンシを超え、8月1日に亡くなった兄弟・コウヘイをさらに2カ月上回りました。元近鉄投手で甲子園のヒーロー、太田幸司さんの名前をもらったのが良かったかもしれない。長い間ありがとう。
2012年10月11日
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宮沢賢治童話村を後に、目と鼻の先の「宮沢賢治記念館」に向かいます。山の上にあるので、車で一気に登ります。記念館には、写真や手紙、賢治直筆の原稿、愛用のセロなどがありました。大銀河ドームという上に星座を付けたプラネタリウムみたいなものもありました。山の上なので、北上川を見下ろす景色が良かった。ただ、子供は書画などちっとも楽しくなさそうでした。当たり前か。記念館と駐車場を挟んで向かい合っているのが、「注文の多い料理店 山猫軒」です。宮沢賢治の童話・注文の多い料理店に出てくる店にちなんでいます。中はレストランと土産物屋でした。「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。」「ことに太ったお方や若いお方は大歓迎いたします。」などと、看板が出ています。 記念館の後は、山の下にあるイーハトーブ館(賢治と、若くして死んだ友人との交友の特別展示をやっていました、無料)をのぞき、ポランの広場と呼ばれる賢治設計の日時計や花壇、童話モチーフのモザイク画が埋め込まれた坂を散策しました。時間は4時近く。今夜の宿に向かいます。続く。
2012年10月10日
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10月6~8日の3連休で岩手県を旅行しました。東京発10時40分のやまびこ57号で新花巻下車(13時40分到着)。トレン太くんで予約してあったレンタカーを借ります。スズキのワゴンRでした。ハンドブレーキが足元にあるタイプは初めてで戸惑ったけれど、3日間運転している間に慣れました。新花巻駅の南2kmほどのところに博物館や観光施設が集まっています。まず向かったのは「宮沢賢治童話村」。仙台に住んでいたことがあるので、花巻観光には15年ほど前にも来たことがあります。駐車場で目に付くのが銀河鉄道=写真。以前は園内を走っていたそうです。その横には「白鳥の停車場」の駅名標があり、貨車を改造した土産物屋がありました。「銀河ステーション」の門をくぐって園内に入ります。芝生の広場の先に見える有料施設が「賢治の学校」=写真。この後、宮沢賢治記念館にも行く予定なので、セット券(550円)を買います。 中には、賢治の童話をイメージした部屋が続きます。星空が見える宇宙の部屋、足元がガラス張りの天空の部屋、でっかいカマキリやカタツムリがいる大地の部屋などがありますが、これははっきり言ってたいしたことありません。その先にある「セロ弾きのゴーシュ」と「注文の多い料理店」の話を追ったミニチュアが細かくて良かった。ボタンを押したら小さな人形が動きます。以前来た時にはなかったログハウス風の建物がいくつかあります。「賢治の教室」と呼ばれる7つの建物は、石、鳥、動物、星、植物に分かれ、珍しい鉱物や鳥や動物のはく製などが見られました。芝生の広場の中に、「セロ弾きのゴーシュ」のオブジェが。小川を渡って妖精の小径と呼ばれる山道を散策します。賢治を先頭にした銀河鉄道の石のオブジェに、キツネやカエルなどが乗っています。 「月夜のでんしんばしら」の顔の付いた電柱などもありました。続く。
2012年10月09日
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オリックスは8日、森脇浩司監督代行(52)の新監督就任を発表した。森脇監督は兵庫・社高から78年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団。81年にプロ初出場を果たし、近鉄では83年までの3年間で135試合に出場した。84年にトレードで広島、87年に南海に移籍し96年限りで現役を引退した。97年からダイエー・ソフトバンクでコーチを務め06年には王監督の胃がん手術で不在時、監督代行を務めた。11年は巨人、12年はオリックスのコーチを務め、岡田監督の解任に伴い残り9試合で監督代行を務めた。7勝2敗と好成績を収めたことで、来季の監督就任が決まった。「森脇、森脇、男前」と応援コールされるほどイケメンで人気があった森脇さん。低迷するオリックスの起爆剤になれるか。
2012年10月08日
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楽天は7日、山村宏樹投手(36)の引退を発表した。山村は94年ドラフト1位で甲府工から阪神入団。99年は自律神経失調症で戦力外通告を受けたが、以前ウエスタン・リーグの登板を見た、2軍監督時代の近鉄・梨田監督の目に留まり、00年近鉄に拾われた。00年には先発ローテーション入りして6勝、01年には7勝を挙げ、近鉄のパ・リーグ優勝に貢献した。移籍先の楽天でも先発、中継ぎ、抑えと活躍したが、今季は1軍登板はなかった。通算成績は225試合31勝44敗2セーブ、防御率5.01。某先輩の暴力にもめげず、長く活躍してもらってありがとうと言いたい。お疲れさまでした。
2012年10月07日
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また、オリックスは3日、選手会長の鈴木郁洋捕手(37)に戦力外通告を行った。鈴木は東北福祉大から97年ドラフト4位で中日に入団。捕手としてはきゃしゃで非力ながら、俊足を生かし代走や外野守備でも活躍した。00年にはシドニー五輪にも出場。甘いマスクで女性に人気があった。03年には近鉄に移籍し、05年からはオリックス。通算成績は501試合、打率.185、本塁打3、打点56、盗塁19。来季のバッテリーコーチ就任を打診されたが、態度を保留している。正直言ってよくここまで現役が続いたな、という印象。僕にとっては、アマチュア時代を知る数少ない選手、十分やったと思うが、本人はまだやりたいだろうな。
2012年10月05日
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♪奇跡を呼び込む男、笑顔で決めろ、快音響かせ、白球飛ばせ高く~オリックスは10月2日、北川博敏内野手(40)に戦力外通告を行い、北川は3日、引退を発表した。「この世界で長くやれたことが一番」と18年間を振り返った。北川は94年ドラフト2位で阪神入団、00年オフにトレードで近鉄に移籍した。01年9月26日のオリックス戦(大阪ドーム)で、3点リードされた9回無死満塁で代打に登場、史上初となる「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打」(お釣りなし)を放ち、12年ぶりのパ・リーグ制覇に大きく貢献した。勝負強いバッティングで「奇跡を呼び込む男」「ミラクル男」と呼ばれた。04年には、吉岡雄二の故障で一塁のレギュラーに定着、シーズン最終戦のオリックス戦ではク・デソンから本塁打。これは近鉄球団として最後の本塁打、最後の打点である。分配ドラフトで移籍したオリックスでも07年に全試合出場したり、選手会長を務めるなどレギュラーとして活躍したが、昨年6月26日のロッテ戦で走塁の際、左アキレス腱断裂の重傷を負い全治6カ月と診断された。今季もその影響から出場は58試合にとどまっていた。通算成績は1263試合、打率.276、102本塁打、535打点、盗塁29。7日の西武戦(京セラドーム)後に引退セレモニーを行う。球団は打撃コーチ就任を要請している。本当に、お疲れさまでした。そしてありがとう。
2012年10月04日
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楽天は2日、有銘兼久投手(34)に戦力外通告を行った。沖縄県出身の有銘は、九州三菱自動車から01年ドラフト3巡目で近鉄入団。主に左の中継ぎ、ワンポイントとして活躍、時に先発をすることもあった。スタミナには定評があり、08年にはパ・リーグ最多の66試合に登板。09年には監督推薦で球宴出場も果たした。07~09年は50試合以上登板したが、10年以降は故障もあり登板機会が減少。今季はわずか1試合の登板(6月5日阪神戦、平野に押し出し四球で1死も取れず)に終わっていた。通算成績は303試合9勝34敗6セーブ、防御率4.53。彼には藤井寺球場でサインをもらったことがあります。楽天に移った選手で数少ない応援していた選手でしたが。残念。
2012年10月03日
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巨人は2日、朝井秀樹投手(28)に来季の契約を結ばないことを通告した、と発表した。朝井は01年ドラフト1巡目でPL学園から近鉄バファローズに入団。近鉄では3年間で5試合登板で未勝利だったが、楽天では野村監督の下、先発ローテーションに定着。07年に8勝、08年に9勝するなど活躍した。10年途中に巨人に移籍するとその年4勝したが、昨年、今年と1軍登板はなかった。通算成績は113試合25勝33敗、防御率4.09。まだ若いので復活してほしいですね。
2012年10月02日
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季節は10月。今年も、引退・戦力外など、シーズンオフの人事が早くも始まりました。西武球団は1日、阿部真宏内野手(34)と来季の契約を結ばないことを発表した。阿部は00年のドラフト4位で法大から近鉄バファローズ入り。入団1年目にはリーグ優勝に貢献し、2年目の02年にはレギュラーを獲得。しかし、手首の故障などもあってオリックス移籍後の06年ごろから出場機会が減少。10年にはトレードで西武に移籍した。今季は14試合出場も無安打。6月14日の阪神戦を最後に1軍での出番はなかった。通算成績は877試合打率.248、本塁打26、打点250、盗塁23。まだ若いのに。再チャレンジ期待。
2012年10月01日
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