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妹 へ の 手 紙 この間は、手紙ありがとう。 桜も散り早や五月。 鯉のぼりが泳ぐ季節ですね。 高校生活はいかがですか。 手紙では、相当悲しいこともあるようだね。 集団生活のむづかしさ、人間関係の むづかしさに直面しているのでは ないかと思っています。 人間は、どうして清清しい気持ちで 春風のような心で生きていけないのでしょう。 寮生活も集団であるから自由もある程度 そくばくされ、自分のしたいことも 出来ないかも知れません。 しかしそういう中で自分を磨き 精神をきたえて下さいね。 一つ一つ一日一日のことが自分の 血となり、肉となり、心を磨いて いるのだと思って下さい。 友達も出来たことでしょう。 人の心は変わります。 人には、その人その人の個性があります。 その人を見るだけで楽しくなり、目はすんで やさしさが自然と伝わってくるような さわやかな人がいるでしょう。 お互いにそのような人に なれるように努力しょうね。 いつも微笑みのあるやわらかい顔を するよう心がけたら何と美しいだろう。 電車の中で席を奪いあっている 人の顔はどうでしょう。 いつも、怒っているようで怖いでしょう。 表情に明るさがないのです。 相手の人の気持ちになって考えること 相手の立場に自分がなった時のことを 考えることです。 これが大切です。 期待がうらぎられることもあるかも 知れないけれど、それでも いいじゃないですか。 春風のように人に接して下さい。 追 記 これは、文楽が妹に送った手紙です。 こんな手紙を文楽が書いたなんて 信じられません 妹が高校生活をはじめた頃ですから 文楽が27・8歳の頃でしょうか。 記録にとどめておきたい手紙です。
2005年10月31日
★ 文 楽 俳 句 日 記 ★ #18 ♪ 秋晴れや 野山ゆすれば 万の実ぞ ♪ 今日は、朝からよい天気だった。 昼からは少し雲もあったが・・・ 秋といえば、きのこ狩り・ 紅葉狩りでしょう。 そして木の実拾いかなぁ。 栗やどんぐり・椎の実も・・・ 野山をゆすれば万という 木の実が落ちることだろう。
2005年10月30日
人 間 の 欲 求 人間には、さまざまな欲求がある。 最も基本的なのは、生きたい、 食べたい、眠りたいという 生理的欲求だろう。 次に自分を守りたいという 安全に対する欲求だ。 さらに人と付き合いを 楽しみたいという 社会的欲求がある。 名誉欲というのもあるだろう。 金銭欲というのもあるだろう。 そして最高のレベルまでいくと 「精神と肉体の結合」という 究極の欲求があるのである
2005年10月30日
完 全 無 欠 な 人 は い な い この世の中に完全無欠な人はいない。 この世に生まれ病気もせず年もとらず 精神的にも肉体的にも完全無欠な人はない。 丸い爪を求めることが出来ないように・・・ 人間も完全無欠な人はいない。 どんなに出来た人間でも欠点のない人はいない。 上から下を見ても下から上を見ても 完全な人などいるはずがないのである。
2005年10月30日
風鈴文楽短歌集明るさを君に捧げて喜べし眼光(まなこ)厳しく心やさしき
2005年10月30日
平 和 な 心 わが心平和なり 平和な心でいれるのは 悩めしことなく日々充実し 大局見地で考えることなり 朝な夕な考えれば考えるほどに ありがたきもの健康と平和な心なり 心の平和 健康を生み 国の平和 日本を生む 時代の流れに生き 時代の流れに尽くす 我はそのようなものなるかな
2005年10月30日
風鈴文楽短歌集つらくとも我は男ぞ力あり峠を越えていざゆかん
2005年10月29日
書 け な い 男 書けない 書けない 何も書けない 頭の中に何も浮かばない 空気をすっている 肩が痛い ペンをもつ手から つたわる軽い痛みだ ベッドのなかでノートに 向かうが何の書き言葉も 何の物語も綴れない 生きている 息をしている 鼻から空気をすっている 午前0時を過ぎた 時は動いている まぶたが重くなる ペンを握っても何も書けない 頭の中は、空っぽだ 頭のなかには何もない 健康だが何も書けない これが幸せなのかも知れない 何も書くことのないことが 幸せなのかも知れない ノートとにらめっこしていても 何も書けない いつまでたっても何も書けない 母は寝ただろうか 妹は寝ただろうか 弟は寝ただろうか 静かに瞼をとじる まぶたの奥には何も写らない
2005年10月29日
♪ 時 雨 ♪ 今日28日は、時雨(しぐれ)が 降る頃だそうです。 明日の土曜日も午前中は 雨のようです。 気象予報士が言っていた。 土曜日は、雨が降ると。・。・。・ 草枕 犬も時雨(しぐ)るるか 夜の声 (芭蕉)
2005年10月28日
風鈴文楽短歌集 残業の顔を鏡に写しみる疲れはないか我に問いたり
2005年10月28日
健 康 な ら ば 我 う れ し の 男 健康ならば我うれし 心晴れやかに人生の谷間に ながれ落つる瀧のなかに この肉体をさらけだそう そのしぶきのなかで我を磨かん
2005年10月27日
♪ 長 い 石 段 ♪ 光男は、よく近くの川で江美と遊んだ。 同級生は、山本江美たったひとりだった。 学校は4Kも離れた小さな分校で 生徒は総勢38人だった。 教師は、3名で賑やかな都会の生活から かけはなれた自然のふところに抱かれた 静かな学校だった。 光男と江美は学校の帰りはいつも一緒だった。 ひとりだと山道を帰るのが危険であり、日暮れ ということで自然と帰りは一緒になった。 一緒に帰るといってもふたりの間には、 何の感情もない光生と江美である。 愛や恋を知るには、まだまだ先の ただ単なる少年少女であった。 ところが江美の両親は、一緒に 帰るのをすごく嫌がった。 学校の帰り二人が一緒に歩いて いるのをみつけると江美の母は、 江美の手をとってさっさと急ぎ足で 連れて帰ってしまうのだった。 そんな時、光男の心のなかには 悔しさと憎悪があふれた。 何もしゃべらず無言で一瞥する ようにして江美から光男を 遠ざけようとする江美の母親は 大嫌いだった。 母親は、光男が江美から離れて 歩くことをのぞんでいる。 そのわけは、光男も理解している。 子供心にもわかるのだった。 光男が江美にとって危険人物だから というわけではない。 それは、光男と江美の家柄があまりにも 不釣り合いであったからにほかならない。 田舎の山奥にある小さな村では、誰もが 協力しあって暖かく寄り添いながら 生きているのだったが・・・
2005年10月26日
♪ 少 年 ケ ン 君 ♪ ある日ある時と書いてはだめだろう。 秋の日の午後と書いてもだめだろう。 秋の日差しが、白いビルの壁でさえぎられ その通りだけ日陰になったひっそりとした アスハルトの道であった。 こう書けばいいだろうか・・・ 僕(秋田一男・35歳)が、うどん屋で 昼ごはんを食べ終えて仕事場にもどる途中、 右前方にいた少年にいきなり 「 おっちゃん! 」と声をかけられた。 不意に呼び止められびっくりしていると 少年が少し緊張した面持ちで近づいてきた。 「 これ” おっちゃんが落とした”” 」 といって右手をつきだして指をひろげた。 僕は、一瞬言葉がでなかった。 少年がひろげた手には、1枚の 1円玉があった。 「 あっ”” えっそれ僕が落としたのぅ? 」 「 うん! 落としたよ”” 」 少年はうなずくようにしてつぶやいた。 昼の食事に行く途中、ポケットから 落ちたのだろうか。 この少年は、僕が昼ごはんを食べて もどってくるのを約30分間も この場所で待っていてくれたのだ。 つぶらな目をして僕を見つめているから 「 どうもありがとう!! すみません!! 」 そういうと少年は、どういたしまして”” そう言ってペコリと頭をさげた。 どういたしましてといったんだよ。 僕は、この少年の純真な汚れていない 心に胸がときめいた。 こんな性格なんて今の僕には 持ち合わせていないからよけい この少年が可愛くなった。 なんともいじらしくなってその少年を 僕は、抱きしめたくなった。 頭をなでなでするだけではものたりない この少年を思い切り僕の両手で ぎゅつと抱きしめたい。 そんな気持ちになったのだ。 こんな真昼間に抱きしめたいと 思うなんて・・・ それも少年を抱きたい”” ああ僕は、異状性格者なのか。 いやそうじゃないよ”” そんなことを思いながらはっとして 僕は、「 何年生? 」と聞いていた。 少年は、また右手をだして人差し指で 1年生であることを表現した。 「 ああ一年生かぁ・・・ 名前は? 」 「 ケン”” なかにし・けん!! 」 「 ケン君か” すまなんだねぇ・・ じゃぁ~おいちゃんが帰るまで 待っていてくれたんだね。 」 「 う ん”” 」 そういうと少年はすぐに背中をみせて すたすたと曲がり角を右に曲がって 歩いていった。 「 ケェーン!! ありがとうー 」 僕は、角を曲がって歩いていく ケン君に声をはりあげた。 ケンはこちらを向いて僕に手をふった。 バ~イバイといいながら半身から 背中をみせるとまた歩きはじめた。 「 ケェーン”” またなぁーバ~イ”” 」 僕は、手を振りながら小さくなっていく ケン君の姿を最後までみつめた。
2005年10月25日
お 茶 を 飲 む 男 一服の茶の苦味よ 私の肉体への限りない愛にお茶を飲む 茶の道を知れし人となりたい私の願望 限りなき求道のためにお茶を飲むのだ 一服の茶の旨味よ 私の精神への限りなき愛にお茶を飲む 自己の緊張したる血の流れにみる美と和 限りなき求道のためにお茶を飲むのだ
2005年10月24日
♪ 初 霜 ♪ 昨日、料理同好会に参加してマツタケを 食いすぎたのか目がさえて眠れない。 まだ舌のなかにマッタケや栗ご飯の おいしい味が残っているみたいです。(笑) キャベツの甘酢和えも最高の味でした。 あのうまさが忘れられず眠れないのか!! あはははっ それはないでしょう。・。(●^o^●) 昨日は、霜降(そうこう)でした。 朝霜を見始める頃。 秋気が去って冬の兆しが 生まれる頃でした。 そして今日24日は、初霜が 降りる頃だそうです。 これからの寒さや冷え込みによって 紅葉も一段と色合いをますことでしょう。 京都の紅葉・清水寺や三千院の 見ごろはいつだろう。 11月中旬頃でしょうか?
2005年10月24日
♪ マ ッ タ ケ 料 理 ♪ 今日はJR京橋の近くで行われた 料理同好会に参加した。 文楽は、はじめての参加でした。 12時30分にJR京橋駅南口に 集合すると久しぶりにお会いする方が 何名も集合されていて本当に懐かしかったです。 2年も3年も4年も? お会いしていなかった方もいて・・・ みなさんお元気そうでした。 それから少し歩いていくとクレオ大阪東という ビルに着き2Fの調理実習室にはいりました。 白い長机と黒い椅子・調理器具・ガスコンロなど すべて揃っている広い部屋(74m2)でした。 前掛けを首からひっかけて準備しました。 クレオ(CREO)というのは、ラテン語で “創造”という意味だそうです。 正式名称は、「大阪市立男女共同 参画センター東部館」です。 今日は、男女20名くらいが参加して、 マッタケご飯・焼きマッタケ・栗ご飯・ 土瓶蒸し・おでんなどを作りました。 講師は、料理の鉄人といわれ和洋中の 料理に精通したミスターSさんでした。 マツタケは、中国産・韓国産・ 北朝鮮産・カナダ産のものでした。 1K8000円だったとか・・・ 日本産は、1K1万円をこえる 値段だそうです。最近では、トルコ産 のマツタケもあるそうです。 カナダ産のマツタケはクリーム色でした。 4~5名のグループごとわかれて調理 しました。 そのグループごとに料理の鉄人 Sさんがていねいにユーモアを まじえながら指導してまわりました。 やはり鉄人Sさんのアドバイスは 適切でわかりやすく文楽も感心しきり。・。・。 すごい人だなぁと思いました。 文楽も、調理師免許をもっていますが ペーパードライバーみたいなもので・・(●^o^●) 本当に調理人のすごさを感じるばかり でした。 文楽は、何もできず・何も知らずみんなの 「おじゃま虫」のひとりでしたぁ~(笑) 包丁の握り方やキャベツの刻み方などを 鉄人Sさんに教わりました。 そしておいしいご飯の炊き方について 質問しました。 鉄人Sさんは、どんな質問にも 明確に答えてくれました。 料理の奥深さとともに料理の 楽しさもしっかりと感じました。 細部の調理法などは、省略しますが・・・(*_*; とにかくおいしい味覚の王様マツタケご飯 をお茶碗に3杯・栗ご飯1杯・焼きマツタケ を丼1杯・おでん・土瓶蒸し・キャベツの 甘酢和えなどをたらふく食べました。(^o^)/ 焼きマッタケをこんなに食べたのは はじめてでおいしかったです。 今日の料理のお値段は、部屋の使用料を いれて3500円でした。 料理屋で食べたら1万円はするでしょう。 そしてみんなお腹がふくらみ 楽しい同好会も終わりました。 それから近くの喫茶店に立ち寄り アイスコーヒーを飲みながら 雑談をして帰りました。 参加されたみなさん!! 今日は、本当にありがとうございました。 そしてミスター料理の鉄人Sさん”” 今日は本当にお疲れさまでした。 どうもありがとうございました。 追記 文楽の実施したこと。 1: マツタケを水で洗いタオルでふいて それをマツタケご飯用にカットした。 2: 同じく焼きマツタケ用にカットした。 3: キャベツをきざんだ。 4: 皿洗い・後かたづけ
2005年10月23日
魂 の 輝 く 男 私には男としての魂がある 今の私にはいかなる困難が 襲ってきてもそれに 立ち向かう魂がある すべてそれは私の表情に あらわれているのだ どんなに苦しくっても人は 私を暖かく見守ってくれている それは何故だろう それは私の魂が輝いているからだろう 輝く魂が私の全身をつらぬく 私の声色が私の笑顔が輝く魂のあかしだ 誰にも遅れない常に前向きにして はつらつとした魂が私の心の奥で 輝いている 食事をする時もコーヒーを飲む時も また女性と話をするときもわが魂は輝く 曇りなきわが魂を抱き私は人生という ドラマチックな旅を続ける 旅のなかでわが魂は光輝いて 美しい人生が必ず訪れることだろう ああ~わが魂が輝くかぎり私は幸せだ 今私は幸せに酔いしれている 喜びあふれた心の奥で わが魂は永遠に輝く わが魂は永遠に輝く
2005年10月23日
♪ 宮 本 輝 ♪ まず小説を書くということ。 特に仕事っていうのは何でも、 我慢強くないとできないんですけど、 小説っていうのはやっぱり 一字一字書くしかないわけで。 パソコンで打つ人だって、一字一字 打っていかなきゃしょうがないわけでね。 だからどんなに焦ったって、800枚の 長編も、最初の原稿用紙1枚に、 一字一字埋めていくしかないやろと。 で、400字書いたら1枚になんねん。 800枚の小説をこれから書かねばならない という人間にとって、1枚の原稿用紙の 薄さっていうのは、そら絶望的な薄さやで。 そやけどそれが3枚になり、10枚になり、 20枚になり、40枚くらいになる。 するとひとつの厚さになってくんねん。 雪が積もっていくようなもんや。 その時には我慢強くならざるを得ない。 まあ途中で投げ出したくなることもあるし、 パタンと書けなくなることもあります。 だけど、諦めない限り必ず出てくる。 自分の中から必ず出てくるものが あるんだっていう、そういう自信が もてるのは、30年間書き続けたことで、 そう、恐らく何千回も、そういう瞬間を 乗り越えてきたからやと思う。 小説家 宮本 輝 談 追記 この文章は、「 宮本 輝 の 本 」(宝島社) から抜粋したものです。
2005年10月22日
峠 の ト ン ネ ル トンネルをめざして坂道をゆく 誰もいない峠の長いトンネル☆ しみたコンクリートのすきまから 落ちるしずくにわが心悲し トンネルが泣いているのだ ずっとむこうの入り口か 出口かわからぬほの暗き灯りが 人生のはるけき旅路のように われをおそうわれをおそう 峠のトンネルよ トンネルの道は長く深い 木々のなかに埋もれている 俺の墓場のように病のように ますます遠く修羅の道に つづくような気がする あの灯りのうす灯りの向こうは 広々とした荒野かも知れぬが トンネルの薄汚れた壁と しずくが淋しい なんでお前は暗いのだ 峠の先が見えるというのに 闇のしずくの音に足元が くずれさらに険しきトンネルよ 遠き向こうのほの暗き 小さき灯りの峠のトンネル 一点の灯りをめざしてわれはゆく ただひたすらにわれはゆく
2005年10月21日
俺 の 部 屋 を 見 よ 三畳一間の小さな部屋 汚れた布団に古びたラジオ しみた畳の上で息を 殺して女々しくなる 鍵をかけた扉のなかで 小さく苦痛に耐えて 世間をのがれて孤独の生活 女々しい女々しい淋しく 暗い生活だ 人の訪ね来たベルに身を隠して わなわなと恐怖におののく わけのわからぬ青春の彷徨 暗い部屋のなかで涙ぬぐいて 母の父のあたたかい故郷を恋す そんな苦痛とむなしさの精神が 俺の部屋には張りつめている 生臭い空気の重さ 顕せない惰性と虚脱の世界に 息たえだえとして生きる 明日のない曇りガラスのような 寒々としたたった三畳の俺の部屋 みんな見よ みんな見よ 俺の部屋をみんな見よ 息をのんでみんな見よ
2005年10月21日
金 木 犀 の 道 朝出勤前に道端をみると 金木犀の花が地面を 橙黄色にそめていた 小さな花が幾重にも重なり合い 金の香りが私の鼻腔をくすぐった その香りと花の可愛さが 出勤前の気持ちをやわらげ 歩く途中も目の前にちらついた
2005年10月21日
♪ 達 人 た ち の 夜 ♪ 今夜はみんな集まってくれるかねぇ。 紋付袴すがたの宗家はそういった。 そうですね””ウエルカムパーティー は7時からですからまだ3時間もあります。 北は北海道から南は沖縄まで 約600名の参加者になります。 海外からも20名参加されます。 カナダから12名・アメリカから 5名・ドイツから3名です。 準備は万端とどこおりなく終わりました。 あとはパーティーの開始を待つばかりです。 それから祝電もすでに300通をこえています。 これもひとえに宗家の居合道発展普及に ご尽力された功績にたいして、また、 そのお人柄・人徳へのお祝辞で あるかと思います。 受付も接待も渉外も案内役もそして 進行役も1時間前になると50名全員 集合しますので宗家から何かお言葉を いただけたらいいのですが。。。。 いや~特別に話すことはない。 それぞれのチームを信頼して いるからね。 あるとすれば国会議員・代議士と 外国からこられた剣士たちの 接遇をきちっとぬかりなく やってほしい!! それだけだよ!! 君にまかせているからよく取り仕切って 是非成功させてほしいものだ。 大変な役をやらせてすまないが しっかりたのむよ。 はい!!宗家大丈夫です・・・ 招待状を出した方で欠席されるのは 5名だけですから今日のパーティーは 盛大になると思います。 そればかりか男性は羽織袴・女性は 着物での参加が条件ですからまさに 今夜は、日本の着物文化のよさを 認識するパーティーになるでしょうね。 スーツすがたの人は10名程度です。 外国からきた剣士たちだけは やむなく武道着のままの参加ですが。。。 それにしても華やかなパーティー になるかと思いますね。 みんな高段者の方ばかりだし 一言でいえば居合道の達人 ばかりの参加ですからね。 みんなどんな根付をつけてどんな 扇子を持ってどんな家紋の羽織袴 すがたで出席するんでしょうか。 それを見るだけでも今夜の パーティーは必見の価値あり だと思います。 宗家””何も心配はいりません!! 今夜は10周年にふさわしいパーティー にするよう私以下全員がんばりますから。 今夜のパーティーの実行役のトップを つとめる大川博は居合道8段で 宗家の愛弟子である。 23歳のとき宗家の門弟として 居合道の道に飛び込んだ男であった。 47歳になるが将来の居合道連盟を 背負ってたつ男である。 居合道の理論的なことはもちろん 技術的な面でも大一人者として 活躍できる逸材であった。 羽織袴での演武はそれはそれは 見事な太刀さばきで見るものを 大いに魅了した。 宗家の大山田要五郎は今年80歳であるが もう誰かに宗家の職をゆずる時期がきたと 思っている。 恰幅のある体格で武道できたえた 威厳ある古武士のような風貌をしている。 羽織袴のすがたは、新日本居合道連盟の そうそうたる剣士たちのなかでも 第一級の日本男児といえるだろう。 このすがたが宗家の宗家たるゆえんだろう。 名人位を拝命して12年・宗家になって 10周年である。 今夜のパーティーは宗家拝命10周年を お祝いするパーティであった。 この道にはいったのは1950年だから 長い期間居合道一筋にやってきて たどりついた武人であるといえる。 米 「新日本居合道連盟は、仮称の連盟です。
2005年10月20日
風鈴文楽短歌集みゆき歌地上の星にわれなれず健やかなればそれが星かと
2005年10月20日
♪ 今 日 も 疲 れ が ・・・ ♪ 今朝はリンゴとキャベツを 食べてから出勤した。 文楽は、どんな朝メシを くっとるんじゃあ~~(笑) 雑食家じゃぁーー!! ほっといてくでぇええええーーー アッハー””(*_*; 起床後も眠くてボーとしていた。 出勤後1時間過ぎた頃ようやく 本調子になった。 一日にインスタントコーヒーを 数杯のんだ。 砂糖は少なめにしている。 本調子だと思っていたが今日も 肩がこってまだ疲れが残っている みたいだ”” こんなんは「ネット病」といえるかも・・ こんな人たくさんいるのかもしれないなぁ?
2005年10月19日
♪ 体 調 不 良 ♪ 今朝6時に目がさめたが 眠くて体が動かない 休もうか起きようか ベッドのなかで逡巡した。 またまたひと眠りしてしまい、つぎに 目が覚めたときは6時半頃だった。 牛乳にレモン汁をミックスした ヨーグルトを飲んで自宅をでた。 仕事は肩がこり頭痛がしたので はかどらずイライラして勤務中だったが 喫茶店に行きミルクを飲む。 仕事中にさぼったぁーーーーー(●^o^●) なぜ頭痛に襲われたのか オイラにはわからない。 ただ一言いえばネットの やりすぎだぁああ~ーーー(*_*; ネット中毒かぁ~ それしか考えられん (>_<) ほどほどにして今日は はよう寝んといかんわ”” 体を壊してまで日記書くこと ないっちゅうの。ーーー (ーー;)
2005年10月18日
風鈴文楽短歌集世間にはいろんな道のありにけり回り道でも楽しきがよし
2005年10月18日
風鈴文楽短歌集無為なとき過して今日も元気なり明日に向かってただ就床す
2005年10月17日
★ 文 楽 俳 句 日 記 ★ #17 ♪ 寝坊せし 秋の夜長を 楽しんで ♪ 昨日は日記を16日付け4本17日付け 1本を書いて寝たのは朝方4時前だった。 6時半に目覚ましをかけたつもりが 目覚ましがならなったんです。 ONにしていなかったわけ (*_*; ありゃ~(T_T) ああああ~目が覚めたら8時で。・。・ しまったああああ~ てなわけで寝過ごしてしまった。 こんな日もあるんですね。 昨日は、真夜中のコーヒーを 飲みながら深夜に日記を書いたり ブログ仲間の日記を拝見したり うろうろとして楽しくすごした。 秋の夜長って夏至の日から 比較すると2時間も夜が 長いそうです。 それにしても早く寝ないと ホントいけないわ!! 今日はしんどかった。・。・
2005年10月17日
♪ 父 よ ♪ バスからおりて歩いていくと 川向こうにあるわが家のカワラ 屋根が見えてきた。 彼岸花が9月の景色のなかに 咲いているのが遠くからでも わかった。 秋の草花を見ながら細い道を歩いて いると1年ぶりに父に会えるのが うれしくなり心が躍った。 しかし一末の不安もあった。 松原 明(21歳)は去年9月以来の 帰省であった。2年前に東京のM大学 に入学してから2回目の帰省である。 夏休みはアルバイトに追われて帰省 できないのと彼岸に墓参りをする ことで毎年この時期になっている。 田舎の風景を眺めていると その静かさに愕然とした。 人の姿が見えないからだ。 東京で生活しているとこの静けさ がほしいと思うのだった。 人気ひとつないわが故郷の姿に 少しばかり淋しさを感じた。 「なんという静けさなんだろう””」 歩きながら明はわが故郷の光景を じっくり脳裏に刻んだ。。。 金色の稲穂がゆれるすばらしい田園風景”” 見上げる空は雲ひとつない青空であった。 こういう空を見ると疲れた重い体も 軽くなるような気がした。 だがひとつだけ父が気がかりであった。
2005年10月17日
♪ 井 上 靖 ♪ 自分を表現する以外にはなかった。 小説を書いてそれで食べて行こう などと思ったのではない。 ただ折角この世に生まれてきたので あるから自分がやりたいと思うことを やって虚しく失ってしまった己が 青春の穴うめをしょうと思っただけの ことである。 小説家になれたのは、たまたま そうなれただけのことである。 ( 故 井上 靖 談 )
2005年10月16日
★ 文 楽 俳 句 日 記 ★ #16 ♪ ひとり旅 ほろりほろほろ 秋の風 ♪ ★ 秋風が吹いて頬をなでる季節。 京都の街を歩いていると なぜかむなしくなってきた。 ああ~これが一人旅の寂しさなのか ほろりほろほろ悲しくなった。 知ってか知らずか秋の風が 私の頬をなでてゆく
2005年10月16日
風鈴文楽短歌集夢あれば大なる夢を故郷の父母を慕いてわが道をゆく
2005年10月16日
コ ー ヒ ー 嫌 い の 男 なぜ君はコーヒーを すすめるのですか? 私は大のコーヒー嫌いです あなたはそれを知らないのですか? 何回も言わせないで下さい あの色が嫌いなんですよ コーヒー・コーラーは 嫌いな色と味です チヨコレートだけは 大好きだけどね それよりお茶をいただけません ペットボトルのお茶でいいですよ お茶は何杯も飲めますが コーヒーは飲めません コーヒー店が街中にあふれても 私は店には行きません 美しいウェイトレスや 品のいいウエイターがいても コーヒー店には行きません 自分にはコーヒーを すすめないで下さいね 私はコーヒーが飲めません 私はコーヒーを飲みません 許して下さい 自分にはすすめないで下さい
2005年10月16日
★ 文 楽 俳 句 日 記 ★ #15 ♪ 秋 の 雨 仕 事 帰 り の 喫 茶 店 ♪ 今日は朝から雨だった。 仕事が終わってから コヒーを飲んで帰った。 美味しかった。 ただそれだけのこと・・・
2005年10月15日
♪ 夕 子 そ の 愛 ♪ 陽がかたむいて、山影に 消えようとしていた。 夕日が空一面をそめている。 美しい夕焼け空の下に 一人立つ女の姿があった。 夕日をみつめているともう 一度男の愛がほしくなった。 優しい男の愛につつまれて いつも幸せを感じていたい。 これからの人生を愛する人と 身も心も一つになり支えあって 暮らしていきたい。 夕子は今、真剣に そう思っている。 いい男性にめぐりあいたい どこかに私を愛してくれる すてきな人はいないだろうか・・・ 誠実で温厚で決断力があって タバコの吸わない人で・・・ 甘えたいから年下より 年上の男がいい。 最近になってそんな気持ちが 一段と強くなっていた。 夕子は40歳で、身長160cm・ 趣味は、映画・音楽・旅行・料理・ 朗読・パソコン・ドライブである。 夫と死別し、子供が一人。 35歳の時、夫をなくし 早や5年がすぎた。 一人息子の優樹は来年 高校1年生である。 夫の隆が死んだのもこんな 夕焼けの日であった。 隆は交通事故だった。 夕子が事故の連絡をうけ 病院へ駆けつけるときに タクシーの窓から眺めたのも 今日みたいな夕焼け空だった。 夕焼けの色が隆の体からあふれでた 血の色に見えてきて心臓がふるえ、 胸が痛くなったのを夕子は 今でもはっきりと覚えている。
2005年10月14日
★ 文 楽 俳 句 日 記 ★ #14 ♪ 風もなき 昼の陽射しや 秋の蝶 ♪ 今日は暖かかった。 風もない燦燦とした陽射しのなかで 名も知らぬ秋の蝶が舞っていた。 きらきらと輝いて美しかった。
2005年10月14日
♪ 生 者 に 幸 あ れ ♪ みんな死んでいくのか。 私の生きてきた人生において 祖父も祖母もそして父も死んだ。 いずれ母も死をむかえる ことだろう。 人間という長い道程のなかで 苦楽を味わいながら夢と希望を 追いかけても掴めなかった過去の 人生が幻のように思いだされる。 これから先、私の人生にどんな 幸せが待っているだろう。 いや幸せなど私にはありゃしない 絶対に幸せというものはやって 来ることはない。 誰も知らないことだが 私はガン患者なんです。!! もう一度いう私はガン患者だ もっとはっきりいおう。 私は胃ガンだ!! ガンにやられた廃人だ!! 人生の生き方は個人の自由だから 人に迷惑をかけなければどんな 生き方でもいいんだろうが・・・ しかし健康を害して生きることは 最低の生き方ではないだろうか。 祖父は、風呂場で倒れて死んだ。 祖母は、入院中に病院で死んだ。 父は山林の仕事中に事故で死んだ。 そして母は、どんな姿で 死を迎えるのだろうか。 私は母より早く死ぬことになるのか。 私は小高い丘に建つ白い家の二階で わが家系の生死について思いふけった。 私という男は、すでにいない祖父母や 父・生きているが年老いた母、 こういう人達の血脈を受け継ぎ この世に存在している。 そしてまた私は一つの血脈を残して死す。 私の死はいつ訪れることだろう。 残された一人の子供はどうなるの だろうか・・・ 2階の窓から遠くに海が見える。 雲ゆきは悪くなっているのか なまり色の空が重くたちこめて 眼下の街並もくすんでいる。 こりゃ雨になるな”” 強志は、そう思った。
2005年10月13日
★ 文 楽 俳 句 日 記 ★ #13 ♪ 秋夜長 ミッドナイトの シャワーかな ♪ 深夜に歯を磨いた。 口をあけてミッドナイトの シャワーをあびた。 ミッドナイトシャワーも なかなかいいものです。 0時を過ぎて起きている人は どれほどいるのでしょうか。 ベランダから深夜の街を ながめるといくつもの 家の灯りがついていた。
2005年10月13日
★ 文 楽 俳 句 日 記 ★ ♪ 晴れ晴れと 金木犀の かほりかな ♪#12 今日は朝から天気もよかった。 晴れ晴れとして爽やかな一日である 金木犀の小さな甘いかほりが ほのかにただよっている。
2005年10月12日
♪ 頑 固 な 奴 ♪ 怒りぽっくて頑固で薄情な どうしょうもない男であった。 人の話を聞き入れない男だとは 転勤前の友人からの連絡で知っていた。 「 今度そちらに行く片山という男は とんでもない堅物だからな!! 」 そういった連絡だった。 M大学卒業の38歳の片山鉄治は その名のとおり融通のきかない 頑固一徹な奴であった。 高校を出た温厚な43歳の 吉川良夫とは、対照的な性格である。 鉄治は一度いいだしたら人の意見を 聞きいれない男であった。 大ベテランで上司や同僚からも信頼 されている班員の良夫が親切に・・・ 「 班長こうやった方がいいいですよ!! 」 と切り出しても絶対「はいわかりました」 とは言わないない男であった。 こんな班長とは、いい上下関係を築くことは できないと良夫も半分しらけた気分である。 「今まで長いこと班長と付き合ってきたが こんな不出来の班長は見たことがない!!」 と日頃あまりボヤクことのない良夫でも ボヤクことがあった。 なんであんな性格が生まれたのだろう?? 赤ん坊として生まれた時からあんな 性格ではなかったはずだ。。。 こんな班長の下で働くのは嫌だ・・・ 前の班長は、よかったなぁ~ 部下はみんなそんな思いである。 部屋のムードが鉄治がきてから 暗くなったみたいだ。 情愛もなく人との付き合いも淡白で 中身の濃い男同士の交流もできない 超自己中心主義の性格だった。 班員が残業し、業務に苦しんでいても われ知らず、時間がくればサッサと 帰り支度をして「 帰るぞうー”” 」 といって先に帰るような男であった。 鉄治は,男同士のケンカは今まで いくつもやってきたと自ら吹聴した。 この職場に7名の部下をもつ班長として 着任した2日目に早くも班員と 口ゲンカをしたのである。 「まったくやりにくい班長が来たもんだなぁ~」 部下はそう言ってため息をついた。 髪の毛の短いふっくらした 丸い顔に太い眉毛がのっている。 小さなサバの腐ったような瞳と タラコのような口元。 顔の一つ一つのパーツは 誰が見ても冴えない見苦しい 男であるのだが・・・ 一見すればダルマさんみたいな 顔立ちをしているものだから 早くも部下から「”ダルマの鉄”」 というあだ名をつけられた。 はいストップ!! 「ダルマの鉄”」というあだ名の 片山鉄治は、頑固一徹の男である。 新しい職場での仕事ぶりは はたしてうまくいくのでしょうか? さあ~ここからは、あなたに おまかせしたいと思います。 よろしくお願いします。 m(__)m * この小説に登場する 人物の名前は仮名です。
2005年10月12日
★ 文 楽 俳 句 日 記 ★ #11 ♪ 明日あれど 人の恋しき 秋の暮れ ♪ 雨がふって気分は あまり冴えなかった。 秋がくると何故こうも 人恋しくなるのだろうか。 日が暮れなずむとよけいに 人恋しくなるものだ 明日があるというのに 何故恋しいのだろうか。
2005年10月11日
♪ 白 と 黒 の 男 ♪ あの日あの時にバス停であった男は 異様としかいいようがなかった。 今想いだしても不思議な男だった。 不思議というより変な男といって いいだろう。 はじめて会ったのは今年1月の雪の 降る朝、バス停で待っているとビルの 影からフラッ現れたのであった。 色が白くてひ弱そうな歳は20代後半 から30代前半ぐらいの男であった。 黒いブレザー・白いセーター・黒いズボン・ 黒いベルト・黒い革靴・黒い靴下・ 黒いメガネ・肩掛けの黒いカバンなどで 身をまとい8時発のバスに乗ったのであった。 黒いつやのある髪は首までのびている。 なぜこの男に異様で変にかんじたのか。。。 無表情でその男が近くにくると冷たい 空気が周りにただよったからだ。 オーラとかそんないいもんではない。 それはこの男から発光される得体の 知れない怪しげな男の匂いだった。 男も女もその人がかもしだす 温かい人間としての雰囲気が どこかにあるもんだが・・・ この男にはそれがなかった。 清はこの男に興味をもった。 この男にあってから9か月が経過した。 清とこの男は8時発のバスに同乗し ある地点までは一緒だった。 清は、5っ目のバス停で降りるので この男がどこへ行くのかわからなかった。 今年1月はじめてバス停であって以来 9か月の間、この男を見てきたが この男に人間的な温かさとか生活感を 感じることは一度もなかった。 10分前になるとビルの影からフラッと バス停にあらわれ、瞬きひとつせず じっと立ってバスを待つ姿はまるで マネキンかロボットのようだった。 無機質で淡白な性格のロウ人形 みたいな男であった。 それよりもっとも奇妙なことは、 ずっーと白か黒か二つの色の 服装であったことだ。
2005年10月11日
♪ ノ ッ ポ 少 年 の 夢 ♪ 中学2年生だというのに 185cmもある。 どこまで身長がのびるのか 孝夫にはわからない。 もうのびてほしくないと 心から思っている。 けれど自分で止めることが できないこともわかっている。 のびすぎて背の低い仲間たちを 上から見おろすのが嫌だった。 孝夫は、150名いる2年生のなかで 2番目に高い身長だった。 1番高いのは188cmのK君で バスケットの選手をしている。 中学2年だからまだまだのびるだろう。。。 へたすると190cmを超えるかも知れない。 そんなにのびてお前はいったいどうするのだと いつも心のなかで自分を責めている。 身長というのは知らぬ間に あっというほどのびるものである。 中学生になってから20cm 近くものびてしまった。 父も母もたしかに大きい方かも知れない。 48歳の父高井伸夫は、175cm・ 41歳の信子は、167cmである。 孝夫はどちらかといえば母の容貌と 父の体形をそなえた素直な少年だ。 1日に何cmのびるのだろうか? 思春期というものは、肉体的にも 精神的にも急激に成長するものである。 しかしあまり身長が高すぎるのも 良し悪しで孝夫も両親もそれが 心配であった。 2mを超える大男になったらどうしょう。 スポーツも苦手だしこれといった 特技や才能も孝夫には見あたらない。。。 背の低いのも困るが反面185cm にもなるとこれ以上のびないで ほしいと願うのであった。 いつも友達や先生からも「孝くんは 背が高いんやからなんかスポーツを やればいいのに・・」といわれていた。 でも何をやろうかと考えても思いつかない。 「僕のできるようなスポーツはないから」 といって適当に返事をしていた。 ところがひょんなことから自分の やりたいことが見つかるのであった。 叔父貴(母の弟)の家を訪ねたとき 部屋の片隅に置いていた二つの青い ダンベルをみつけたのだった。 そのとき孝夫は、「 これ頂戴!! 」 と叔父貴にいったのである。 「ああ~持っていけよっ!! これで鍛えれば孝くんの体は 逆三角形になるよ””」 「大胸筋をきたえればなぁ・・・」 と叔父貴はそういいながら孝夫の 胸を右手で軽く小突いたのだった。 叔父貴はダンベル体操を やっていたのである。 2kgのそんなに大きくない ダンベルだったから孝夫には 丁度いい重さであった。 その時、よし””叔父貴に負けないように 僕も体を鍛えようと決心するのだった。 僕は、もっとたくましくなってやる!! 孝夫はやっと自分のやりたいスポーツが わかったのだった。 自分のやりたいスポーツが何であるか 今まではわからなかったのに・・・ 自分の体を徹底していじめぬけば、 肉体的に身長にみあう体格に なるだろうと思った。 14歳にして自己の肉体改造 に目覚めた日であった。 叔父貴から「おまえの身長とスタイルと 容貌があれば、将来は男性モデルか 俳優としてやっていけるかも知れないねぇ~」 「顔も小顔で男らしいし、これから もっと身心を磨けば日本いやっ世界で 活躍できる男になるかもなぁ!! 孝くんは、背が高いという いいもんを生かすんだね!!」 叔父貴は、孝夫に優しく そういったのであった。 孝夫は叔父貴の言葉にうなずいて、 「おじいちゃん!! 僕は、いまやっと 自分のやりたいことがみつかったわ!!」 「もっと体を鍛えて逆三角形の体になって・・・ モデルか俳優をめざして頑張るわ!!」 孝夫はそういったのである。 はいストップ!! 孝夫の将来は、モデルか俳優か? 身心を磨くことによってどんどん 成長していくことでしょう。 ここからは、あなたにおまかせ したいと思います。 よろしくお願いします。
2005年10月10日
♪ シネマ 「 蝉 し ぐ れ 」 ♪ きのう梅田ナビオ8階で 「蝉しぐれ」を鑑賞した。 作家藤沢周平原作の映画化である。 日本の映画界も新人の監督や俳優が 育っているようですね。 見たかったのは染五郎と佳乃の演技力 であったが二人ともよかったです。 とくに染五郎は言葉少なめの演技のなかに 目に力がありよかったです。(^o^)/ やはり歌舞伎役者の演技力でしょう? あの目の力は男の色気といっても いいかも知れないと思う。 ほろっとウルウルしたのは1回ですぅ。(T_T) 見終わったあとに藤沢周平の 本が読みたくなりました。
2005年10月10日
♪ 夏 の 青 年 ♪ カラン~♪ カラン~♪ カラン~♪ と下駄をはいた友の声が聞こえる。 「正志!! 焼肉でも食べにいかんか?」 夏男からのそんな電話だった。 夏男(27歳)と正志(26歳)は 気心のあうよき友達であり 二人とも独身である。 「ああ~いいよ!! 今からいくわ!!」 そういって受話器をおいた。 八月になって各町では盆踊りが真っ盛り♪ 「夢咲公園」の広場では今夜から5日間 地区の盆踊り大会が開かれるようだ。 その公園をみながらバスで30分かけて 夏男にあうために正志はやってきた。 19時頃、夏男の家を訪ねると 「やあ~元気か”久しぶりやなぁ~ 少し待っていてくれよ!! まあ・・そこの椅子に座っていてくれ。」 細面で筋肉質の夏男はそういった。 玄関の椅子に座ってしばらく待っていると 夏男は浴衣姿であらわれた。 「おおっ これは・・浴衣姿でいいねぇ。 焼肉を食べに行くんじゃなかったの?」 そういうと夏男は、聞いたことにはこたえず 「どうだい似合うかなぁ」といってクルリと モデルのように一回転して男の雄姿を 見せたのだった。 「いや~よく似合うよ””いいよ本当に・・・」 そういうと夏男はうれしそうに微笑んだ。 夏男は黒い鼻緒の桐の下駄をはいて 金魚絵柄のうちわを腰帯にさした。 正志は白いTシャツにクリーム色の 半ズボンそしてゴム草履だった。 「久しぶりに会ったけど今から 夢咲公園での盆踊りを楽しもうや!! 焼肉と冷えたビールはそのあとでなぁ。。。」 夏男はそういうと カラン~♪ コロン~♪ と下駄をならした。 「 焼肉を食べるより盆踊りが先か。 約束がちがうぞぅ””まあいいかぁ~ 」 そういって正志が笑うと夏男は、 申し訳なさそうな顔をして 「ゴメンな!!」と小さな声でいった。 しかたなく夏男のいうとおり盆踊りに ついて行くことにした。 夏の夜空には星がいっぱい輝いている。 「盆踊りなんて忘れていたよ!! 何年ぶりだろう””」 そういうと夏男は「ジャパニーズダンス を今夜はおまえも楽しめよ!!」 と自信ありげな顔をみせた。 夢咲公園にいくと「夢咲町盆踊り大会」 の看板があってにぎやかに盆踊りが 行われていた。 白いテントのなかには長机が並べられ 無料で冷たいお茶がふるまわれていた。 提灯のあかりのなかで浴衣姿の 男女が盆踊りを楽しんでいる。 屋台からは、いい匂いがプーンと 漂って夜の風とまざりあっていた。 紅白幕で囲まれたやぐらの上でドンドンと 太鼓の音がしてマイクをもった音頭とりが 歌をうたいそれにあわせて大勢の人が グルリとやぐらを取り巻くように 踊っている。 人の輪がくずれ一つの踊りが終わった。 しばらくすると「 さあ皆さん~♪ 次は河内音頭で~す~♪ みんな踊りましょう~!!!♪」 マイク放送があるとやぐらの前に また大きな人の輪ができた。 河内音頭が公園広場に響きわると さっそく夏男は踊りの輪のなかに 勇んではいっていった。 男も女も大人も子供もみんな踊りを 楽しんでいる。 やぐらの下の薄明かりのなかで 踊り狂っている夏男の姿があった。 「アイツうまいなぁ~♪」 正志はそう思った。 夏男の踊り上手は町内でも かなり有名らしい。 とにかくリズム感がよくて運動神経が いいから自分独特の踊りを身につけている。 グランドせましと飛び跳ねるような 自分であみだした踊りというべきか。 踊り手のなかでも踊る姿の風変わりさ については町内の語りぐさになっている。 その風変わりな踊りというかダンスには、 見るものをひきつける何かがあった。 河内音頭の音楽がとぎれると夏男は 輪の中をはなれ正志のもとにきた。 「どうだい俺の盆ダンスは?♪」 「いや~すごいよ!! はじめて見せてもらったけど独特の踊りで 最高だったよ!!うまいのでビックリした!!」 正志がいうと「おまえは踊らんのかぁ~??」 そういった。 でも正志は、踊らなかった。 「盆踊りにつきあわせて悪かったなぁ~ さあ~これから焼肉でも食べに行こうか。 今何時だろ? 9時になるんか! 少し歩いてもらわんといかんが今日は おいしい焼肉を食べさせてあげるからなっ」 そういって夏男は正志の肩をたたいた。 「いつも夏がくると盆踊りが 好きでこの公園で踊るんだ!! 浴衣を着て下駄をはいて 歩くのも大好きだし。。。 日本男児ここにありって そんな感じがするんだ!! とても気分がいいんだよ。」 夏男はそういいながら・・・ カラン~♪ カラン~♪ カラン~♪ と下駄を踏み鳴らした。 夜空には満天の星が輝いていた。 はいストップ!! ふたりの青年・夏男と高志の ひと夏の出会いは盆踊り♪ そして焼肉をたべながら ビールで乾杯~♪ この続き「夏の青年」はどんな 展開になるのでしょうか。 さあ~ここからはあなたが 書いてください。 よろしくお願いしますね。 追伸♪ 季節はずれの小説断片で ごめんなさい。 m(__)m
2005年10月09日
★ 文 楽 俳 句 日 記 ★ #10 ♪ 新米の 白き命の 光かな ♪ スーパーで新米を買ってきた。 さらさらとライスボックスに 流しこむと新米の一粒一粒が 宝物のようなきがした。 おいしいお米をたべることで私たちは 元気な命をいただいているんですね。 新米の一粒一粒に感謝の言葉 「ありがとう」をいってあげよう。
2005年10月09日
★ 文 楽 俳 句 日 記 ★ #9 ♪ 秋雨や 枝に空蝉 ながらえて ♪ 秋雨の午後、アンズの木の枝に 二つの空蝉をみつけた。 もう10月だというのに 枝から落ちないでいる。 雨や風にも負けないで・・・ じっとみつめているとひとつの 空しさとともに今にも動きだすような 気がしてなんとなく不思議な感覚に とらわれた。
2005年10月08日
★ 文 楽 俳 句 日 記 ★ ♪ 柿の実の 熟れるに早き 雨にぬれ ♪ #8 暑さ寒さも彼岸まで。 この日をさかいにして柿の実も 一段と色づいていくようようだ。 まるで柿の紅葉でも見るがごとく・・・ 柿の実がそぼふる雨にぬれている。 実が柿色にそまるのはいつごろだろうか? 熟れるにはまだまだ早いようだ。
2005年10月07日
♪ 浪 曲 子 守 唄 ♪ 原田浪平は高校3年生である。 来年の春には大学に行くのか それとも就職をするのか・・・ 自分の意思を決めかねていた。 ただひとつだけ進路について考えるとき 大学に行くより一芸で身を立てたいと 思っている。 アルバイトの金で友達を誘い心斎橋の 元ソニータワー近くにあるカラオケ BOXに行った。 部屋番は777であった。 うわ~部屋番がスリーセブンだよん”” なんかいいことおこりそう~ね。 ラッキーついてるぅ~~ いい番号の部屋に案内されたからみんな びっくりするやら喜ぶやら心がウキウキした。 男4名・女2名のクラスメイトと3時間 おおいに歌って食べておしゃべりをして ひとときの青春を精いっぱい楽しんだ。 それから浪平は友達と別れてひとりで 梅田に出て阪急デパートの横にある ケーキ屋に行った。 大阪で一番うまいと評判のドーナツを 父と母への土産に10個買った。 仲間からここで売ってるドーナツは 最高においしいと聞いたからだ。 1個84円でひとつひとつセロハンに くるまれているドーナツだ。 きれいな紙の箱にいれ青い包装紙で 包み十文字にひもをかけてくれた。 そしてお持ち帰り用の紙袋にいれ 店員がありがとうございましたぁ~ と頭をさげて浪平にお礼をいった。 「ただいまぁ~」 「夕食は、友達の家で食べた からいらないわ!! はいこれドーナツ””」 台所にいた母にそういって居間に 行くと父がTVを見ていた。 父の顔を見たときあのことについて 言っておかねばならないと急に 思いついた。 あのこととは浪平の心の中にある 浪曲への思いであった。 いつかは自分の心のうちを話さなければ いけないと思いつつ今まで言えなかった。 今夜はとうちゃんに言わないと。。。 父ちゃん!! ちょっと進路のことで話がしたいんや・・・ あぁ~なんだい浪平、浪平の声で 和室で横になっていた浪太郎(50歳)は ゆっくりと身を起こし、TVを消した。 父ちゃん!! 大学受験の件なんやけど 大学にはいかないから・・・ 僕ぅ浪曲師になりたいんや!! なんやてぇ急にそんなこと言い出して・・・ 父ちゃんも母ちゃんもおまえだけは 大学を卒業して将来は大企業にでも 就職し、いい暮らしをしてもらいたい。 そう思っているんだよ”” 一人息子のお前だけは大卒の 学歴で社会にでてほしいんや”” 大学に行くにはお金がいるが そんなことは心配せんでええょ。 貧乏したって、ドロボウしてでも 父ちゃんはおまえを大学にいかすからなっ。 そう思っているんやから 何をいまさらそんなことをいうんだ”” 何があったんや浪平!! 父ちゃんも母ちゃんもおまえが 大学にすすんでくれるのが 一番嬉しんやから・・・ なぁー考えなおしてくれんか”” 今日カラオケに行って決めたんや。 僕は芸人として生きていきたい!! そりゃ~父ちゃんのいうとおり大学に 行くのが一番いいと思うけれど・・・ 僕の気持ちはかわらへんわ!! カラオケに行って自分の進路決めたって?? どういうことなんやいってみい浪平”” あのなぁ~父ちゃん!! 知らないと思うけどねっ 今高校生の間で人気のある曲? カラオケの選曲で一番人気のある 曲なんやけども・・・ 「浪曲子守唄」という歌なんや!! 父ちゃんやったら歌ったことあるやろ??? カラオケで「浪曲子守唄」をみんなで 一緒に大声でハモルんや” そのあと「高校三年生」を歌って 最後は「松の木小唄」で終わるのが僕ら 高校生の定番カラオケコースなんやで・・・ 「浪曲子守唄」の一節太郎をまねて 声をしぼっってみんなでうなるんや・・・ ♪ 逃げた~女房にゃ~未練はないが~~♪ ♪ お乳ぃ~~ほしがるぅ~~~ この子がかわいぃぃ~~♪ 歌いおわるとみんなハイテンションに なって興奮してしもうて拍手喝さいなんや!! 浪曲は日本のオペラやゆうて大人気だよ。・ だから僕も浪曲をやりたいんや。 へぇ~浪曲子守唄が一番人気とはなぁ 父ちゃんは信じられへんよ”” いまごろの高校生は、みんなそんな歌を カラオケでうたうんかぁ ~ 浪平はそれで浪曲が好きになったんか??? 「浪曲子守唄」も「高校3年生」も 「松ノ木小唄」も古い歌やでなあ~ もっといい歌がいっぱいあるやろう浪平”” あゆとかサザンとかそんな歌はうたわんのか。 うん””あゆの歌は誰もうたわへん!! サザンも「いとしのエリー」ぐらいやし”” M君なんか鳥羽一郎がもち歌なんだよ”” そうかぁ~でも浪平よく聞けよ”” 浪曲の世界は衰退するばかりでなぁ~ 全国で20代の浪曲師なんて2人か 3人いるかいないかじゃないかなぁ? 古めかしくて浪曲なんて忘れられた 存在の芸能だからねぇー 発展することはこれからもないと思うよ。 そればかりじゃないぞぅ浪平”” 血を吐くような苦労がいるんだ。 それに一流の浪曲師なっても収入が いいかどうかは疑問だしなぁ~ 仮に浪曲師になってもまともに メシがくえるかどうかわからんぞ。。。 くえるよ。 父ちゃん!! メシは箸でくえばいいじゃん~”” なんやとぅ浪平!! 箸でくえばいいじゃん~”” だとぅ!! じゃん~なんて親に向かって いう言葉じゃないやろがぁ。・。 えっ もう1回いってみろー おまえは親父をコバカに しやがってぇー。・。・ 違うよぅ父ちゃん!! 何よう騒々しいわねぇ~もう。 二人ともどうしたのよぅ 浪平もあんたも興奮して?? 台所で片付けをしていた母の良子(45歳) が浪平が買ってきたドーナツをもって 和室にはいってきた。 さあ~お茶でも飲んでよ”” あなたこれ浪平が買ってきたお土産で 大阪で一番おいしいドーナツなんだそうよ。。。 おおぅ~浪平が買ってきてくれたのか。 ありがとう浪平!! うっ おみやげを買ってきてくれた 浪平の気持ちが嬉しくて浪太郎は めがしらが熱くなった。 そっと指でめがしらをぬぐった。 浪平どこえいくのう? もう寝るよ母ちゃん!! 今日は疲れたから”” 寝る前に父ちゃんと母ちゃんに いっとくけどやっぱり僕の気持ちは かわらへんわ・・・ 浪曲師になって舞台に立ちたいんや”” 日本のオペラをものにしてみたい。・。・ それが僕の夢やからね。 浪曲の世界にも僕みたいな 若い力が絶対に必要やと思う。 日本の伝統文化が衰退しないよう 僕が立派な浪曲師になってささえたるわ”” じゃぁ~おやすみ”” 父ちゃん母ちゃん先に寝るよ”” 浪平の進路は、浪曲師として舞台に立ち 自分の浪曲をおもいきりうなること。・。・ 浪平はどんな浪曲師に育っていくのでしょうか。 このつづきは、あなたにおまかせします。 浪平をよろしくお願いしますね。
2005年10月07日
★ 文 楽 俳 句 日 記 ★ #7 ♪ 天高し バスは峠を 越えゆかむ ♪ 今日はほんといい天気だなぁ~ 天は高く澄みきった空です。 遠くの山腹をバスが峠にむかって トロトロと登っていくのが見える。 あの峠を越えてバスはいったい どこの町や村に行くのだろうか。
2005年10月06日
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