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主導権-梨園の妻小林麻央-海老蔵の父親団十郎は松竹に借金があるという。20億で、10億返したがまだ10億あるという。団十郎が義父の保証人になっての借財という。親の借金は子の借金ではないが、子の海老蔵が成田屋として梨園で暮らすためには親の借金でも返さなければならないのだろう。さてこの借金、小林麻央との関係はどうなるのであろう。ひとつにはTV結婚披露宴のギャラが考えられるが、そのギャラの海老蔵と麻央ちゃんとのそれぞれの取り分はどうなるのであろう。借金返しだからといって100%海老蔵で、のっけから内助の功を求める訳にも行かないだろう。海老蔵に都合があれば、麻央ちゃんにも事務所があるだろう。結婚後もキャスターを続けるとも伝えられる麻央ちゃん、求められる内助の功を勤めるつもりなのであろうか。梨園の成田屋がそれほどのブランドなのか、はたまたセレブを続けるためには庶民並みに共稼ぎが求められるのか。梨園が「離縁」の種をのっけから持っている火の車、稼ぎが当てにされるなら梨園の妻とかしこまる必要もないだろう。「これで大きな顔が出来る筈」とは、ご都合通信 の小林麻央ファン 米好 陸男の一言でした。ご都合通信社 編集局 東 京子
2009.11.27
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小林麻央-梨園の妻-人気キャスターの小林麻央(27)さんと歌舞伎俳優 市川海老蔵(31)さんとの婚約が伝えられる。『恋のから騒ぎ』『お天気おねえさん』『女優』とシンデレラストーリーの最終章の小林麻央さんと男女のことにはやけにハードルの低い歌舞伎界(梨園)の遊び人 市川海老蔵さんの組み合わせだが、麻央さん前途を危ぶむ声がある。梨園の妻が尋常でない働きを求められるというのである。『普通でないしきたり』『スポンサー対応』『ファン・タニマチ管理』など内助の功が求められ、それに耐えられないのではというのである。「歌舞伎は『河原乞食』、何を偉そうに。」と思うのはその世界を知らない素人がと一笑されそうだが、「女に頼って」成り立つ梨園なるものも如何なものであろうか。ご都合通信社 編集局 東 京子
2009.11.24
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官房機密費(内閣官房報償費)自民党政権が退陣決定の時期に官房機密費を通常の2.5倍の2億5千万円を引き出していたことが話題になっている。そもそも毎月決まって1億円支出されていたことがおかしい。国家とそれを運営する内閣に機密費はあっても良いが、与党の月々のこずかいのように使われたのでは、本来の目的に使われたものとは到底思えない。民主党は、自民党のこの泥棒行為を自民党自らが説明すべきこととするようだが、他人の行ったことだから調査のしようもないのだろう。民主党政権としては、今後、官房機密費の使途を公開する方向にあるという。当然のことである。公開の時期については、本来の使途目的から年度単位での公開は国の利益に合致しないケースもあるだろう。5年10年後の公開を余儀なくされるケースもありえることと思われる。ただ、10年後であろうが責任を追求できるシステムを考えるべきであろう。ILJ名誉総裁 大田 悟ILJ は、I LOVE JAPAN の略称です。
2009.11.23
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デズニーランド症候群-長男教-ウェブサイトでの人生相談の定番のひとつがデズニーランドを巡る『弟宅を安宿として利用する』話題である。関西では『USJ症候群』と言い換えることが出来よう。タイプ(典型)としては、弟の新築の戸建・マンションに姉一家が宿泊を強制し、事件は起こる。色々なバージョンがあり、受け入れ側の戸建・マンションの主婦から見て義父母+義姉一家・義母+義姉一家+独身義姉妹であったりする。この義姉一家の夫婦+餓鬼供が一番の問題のようである。『餓鬼供』と書いたが、躾のなっていない腕白と言い換えても良い。受け入れ側の戸建・マンションは、夫婦の思い入れ、特に主婦の思い入れが入った新築家屋であることで、例外がないと言って良い。また受け入れ側は、子なしか居ても一人で幼少なケースのようだ。申し出は母や姉から一方的にある。息子・弟である夫は、問題意識なく即座に快諾するか、問題になりそうだと感じながらも母・姉に押し切られてしまう。悲惨と思えるケースは、息子の妻が出産の為の入院中に無断で寝泊りしようとするケースであった。母・姉に共通する認識は、『息子・弟の家』であり、その妻の了解は必要ないとするものだ。嫁・義妹が専業主婦であれば、嫁実家の援助など関係なしに『息子・弟の家』となり、家を買うに当たっての主婦の貢献度など見向きもされない。『息子・弟の家』、実は世相を反映して、共稼ぎで得られているケースの方が多いのかも知れない。このケースでは、嫁=息子の妻の存在は、単に無視されるようである。どうあっても『息子・弟の家』以外の何ものでもないのだ。母・姉の暴走をその夫たちが止めるものだと常識人は考えそうだが、非常識人の夫たちは皆寡黙な人たちである。存在しないのではと思われるほどに意見も主張もない人たちである。宿泊を了解した悪事が露見した時、嫁であり義妹である主婦の説得は、マザコン・シスコンの哀れな息子・弟の役目となる。断りの理由として挙げられるのが、部屋がない・布団がないであるが、『雑魚寝で結構』が、母・姉の主張である。戸建の客間のほとんどは6畳間であろう、広くても8畳間であろう。収容人数は2名程度と考えて良い。事実、義父母ふたりの訪問であれ、デズニーランド目的もほとんどあり得ないのだが、息子の妻(嫁)も受け入れるようである。義姉夫婦+餓鬼供はあり得ないのである。『雑魚寝で結構』は、『お互い様』との二段構えの攻撃手段とされるが、少なくも息子・弟妻は雑魚ねまでして義実家には行きたくないし、義姉の家など訪問する気はないので、『お互い様』は成立しないのである。しかし、何はともあれ強行されるケースが多いようだ。離婚にまで発展するケースは、確かに稀であろうが、息子・弟が実家優先ということで妻の信頼を失うことは間違いがないし、義実家と疎遠になることは少なくないようだ。息子・弟の妻のその後が、より他人行儀になったところで、感性の乏しい母・姉は気付かないケースが大半なのかも知れないが、息子・弟妻の立場の意見としては、疎遠は間違いがないようだ。長期的な損得など眼中にないその日暮らし的な、母・姉が帰宅後の息子・弟家庭の修羅場など関心のないのが実態のようだ。息子・弟の執るべき模範的な解答は、父母のみならば妻も都合を考慮したうえで招いて良いが、姉一家の要望には応えないこと拒否することである。義両親の宿泊は、デズニーランド目的ではなく、新居訪問であろうから主題とは別問題である。姉一家は、『お互い様』にはならないのだから、拒絶して良いのだ。姉の弟宅宿泊の意図は、デズニーランド見学のための安宿でしかないからだ。スマートなやり方としては、こちらにもこどもがいたらデズニーランドでの現地集合・現地解散か夕食のみの自宅への招待であろうか、共稼ぎであれば外での一緒の食事でも良いのだ。基本的には、デズニーランドは家族単位の行楽で、兄弟といえど一緒する必要はないのである。それで親子関係や姉弟関係をおかしくするのは、利口な行いではない。行楽にはそれなりの金が掛かるのはいたし方ないのである。じじばば一緒であっても、姉夫婦の掛かりでデズニーの宿に泊まり楽しむものなのだ。八つ当たり的で申し訳ないが、『頑張れ、姉夫さん!』ご都合通信社 次席編集長 赤岩 太郎
2009.11.22
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冬支度-アーリー・リタイアメント-女房殿の珍しいリクエストで、アッシー君。デパートで予ねて目星の防寒着を求め、デパ地下の弁当を道の駅で食べ、直売所で大根を20本買い求めた。女房殿の防寒着は、来月上旬の彼女の京都旅行の為。旅行を理由の買い物である。買い物嫌いの女房殿に、京都に実姉を訪ねるのだから、新しい物のひとつもなければ亭主の甲斐性がないことの現われと口説いて求めさせた。デパ地下の弁当は、郊外のイタリアンと競合したが、デパートを出るのが1時を過ぎていたからの方便。これこそが本日の話題、冬支度。沢庵用の大根、農協直売所で20本のお買い上げ、これで冬支度が出来ました。ご都合通信社 次席編集長 赤岩 太郎
2009.11.20
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容疑者に自死の自由はあるか-千葉死体遺棄事件- 2007年発生の英語講師が遺棄死体で発見された事件で、死体遺棄容疑で逮捕・送検された市橋達也(30歳)が食事を絶っている。頑なな沈黙・黙秘は市橋容疑者が市橋家で学んだ唯一の抵抗手段ではないのか、沈黙(黙秘)・断食を何時まで続けるか注目される。そう評した前発信からさらに日にちが経過している。警察・検察は市橋容疑者に対し医師に診断させ、点滴を検討しているとも伝えられる。市橋容疑者に断食により自ら死を選ぶことは許されるのであろうか。留置所などでは自殺を防ぐ措置が採られるのが一般的であるから、逮捕・拘留された者には自死の自由はないようだ。しかし、法理論的に自死の自由はないものだろうか。絶食の容疑者に強制して点滴を施すことは許されるのであろうか。自供のない現在、市橋達也は殺人罪では逮捕されていない。今後も自供しない場合、検察は彼を殺人罪で起訴することが可能なのであろうか。状況および心象から、市橋達也の殺人・死体遺棄は当然のように推認される。一方、彼が英語個人講師リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)の死に係わっていたとしても、事故であったこともあり得ることである。偶発的事故による死であっても、彼は殺人を犯したものと思い込み逃亡したことかも知れない。必ずしもあり得ないことではない。断食による自死が許されれば、彼の行為が殺人か事故か解明されないままになる。それこそが市橋達也の最後の抵抗、彼の家族から自分を守る最後の尊厳でもあり得るかも知れない。科学・文化部 上下毛 濃厚
2009.11.15
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男親・女親-長男教-息子は金が掛かり、娘は安くつくのか。結婚前後で考えてみる。投資面で見ると、男の子が高学歴であれば教育費は確かに男親の負担が大きいだろう。還暦を迎えた筆者だが、男は大学、女は高校で良しとされた時代があった。その昔流に云えば、女の子には習い事をさせて、それで平等にしたと云うことなのであろうか。最近の世相で考えると、女の子も同等の教育を受けているから、そこに差はない。結婚の支度は、圧倒的に女の子が多いと感じる。もっとも、住まいを男の子の側が用意すれば、逆転するかも知れない。結納は、昔や民族によって支度代であったり労働力の対価であったりするが、結納は一時的な支出でもあり、いずれも女の側が高価であろう。男・女の双方を持つ女房殿だが、娘の親の掛かりの方が多いと云う。息子と娘、具体的な掛かりをカウントさせると、丼勘定では大差がない。そう言うと、目に見えぬ掛かりがあると言う。教育費が一緒であっても、娘を着飾らせばその費用は確かに高かろう。とにかく、息子・娘を掛かりも平等に育てようと心掛けてきた。しかし、望んで大学院に進んだ息子と、勧めても進まなかった娘。その2年間の差額は、娘の留保された権利なのか、放棄されたものなのか、判断に悩む。筆者の考えは、娘の留保された権利である。ご都合通信社 次席編集長 赤岩 太郎
2009.11.13
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市橋達也とその家族の法廷闘争2007年発生の英語講師殺人事件で、死体遺棄容疑で捜索中の市橋達也(30歳)が逮捕・送検された。英語の個人講師であった英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)が遺体で見つかった。市橋容疑者の自宅ベランデの浴槽内であった。市橋容疑者は、死体遺棄容疑で指名手配されたのだが、状況としては殺人・死体遺棄の容疑である。逃亡・顔面整形と注目を集める事件・逮捕劇である。市橋容疑者の両親は、逮捕当日記者会見を行った。雨の中、自宅前での会見は親としての心情を語ったもので、親の思いとして、その心情を察するものを感じた市民も少なくないものであったかも知れない。事件であったのか、事故であったのか真相が分からない段階での親の思いには市井の同情がなくもない。続く12日、二回目の会見を行ったが、息子をやさしい子と言ったり、飼い犬を引き合いに出してのエピソードはいただけない。両親の会見は、広義には、息子の法廷闘争の援護とも取れるが、作戦失敗と言わざるを得ない。第一は、親の育て方に関心が寄せられるのに対し、息子の経歴については家庭でさえ語られなかったとして、会見でも口を閉ざした。親の教育こそが事件の素因であるとの感触は市民の多数が思うところであろう。やさしい人は人殺しなどしない、それが市民の認識である。両親には2年7ヶ月の猶予があった。息子が自殺した場合、逮捕された場合、時効を迎えた場合とそのそれぞれに対しての会見を準備できていた時間がある。第一回の自宅前の会見は、失敗ではなかった。むしろ成功かも知れなかった。しかし、その中で予定していた息子の優しさアピールが足りなかったと感じたのであろうか。第二回はその失点稼ぎの付け焼刃な会見になってしまった。作戦失敗といわざるを得ない。逮捕後は黙秘していると伝えられる。市橋容疑者は、医師・歯科医師一家に生まれ、進路について葛藤していたものと思われる。親の期待に沿えないことについて、頑なに沈黙することが唯一の手段であったとすれば、反抗についても頑なに供述を拒否しようとするであろう。沈黙(黙秘)・断食を何時まで続けるか注目される。科学・文化部 上下毛 濃厚
2009.11.12
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森繁久彌の老衰死俳優・コメディアンの森繁久彌(久弥)氏が11月10日老衰で死去した。享年96歳であった。様々な人達の死去が伝えられるなかで、死因を『老衰』とするのは近頃珍しい。『大往生』と云えるのであろう。氏の喜劇映画での軽妙な姿が偲ばれる。また、ラジオドラマでの声優、あるいは耳障りの良いナレーションを思い起こさせる。一方、現在的にはセクハラで訴えられそうな『エロ爺』でもあったようだ。その時代のスキンシップだったのかも知れない。近年では、車椅子で他人の葬儀に駆けつける老いた姿ばかりを思い出す。男優であっても老いさらばえての姿は悲しい。老醜をさらけ出した一人ではある。ご都合通信社 次席編集長 赤岩 太郎
2009.11.12
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娘を持たぬ母親たち 補足-長男教-「娘を持たぬ母親たち-長男教-」、シリーズとして書いてきたが、その母たちの年齢について若干の補足をしたい。80歳90歳であれば、個人差があるとは云え、「家事からも炊事からも解放されて然るべき」は考慮される必要があろう。しかし、嫁姑問題は息子たちの新婚当時からの問題であって、母親たちは50代であったのだ。今も元気でいるほどであるから、当時の母親たちは口ばかりか体も達者であった筈である。当時から口は達者だが、体を使うことを嫌い、使うと云えば嫁を使うことをもっぱらにしていたから、老いても同情されないのである。ケース2のプー太郎の母の、息子が家を買い換える時のエピソードには驚かされたので、あえて補足しよう。資金繰りで心ならずも数百万を借りることになった嫁に対し、家を出る時から「銀行に着いた」「今、金を下ろした」と実況中継をして見せたと云う。その厭らしさは聞いていて俄かには信じ難い。さらに、姑は入院していた時に、入れ歯を嫁に洗わせたほどなのだそうだが、同室の者たちに嫁の悪口を口を極めて言い募っていたと云う。同居のおねだりは、息子が席を外れた時に、嫁にするのは教科書とおりのことである。すべからく若かりし頃からの可愛げない振る舞いが問題なのである。筆者の『長男教』非難は、旧習の摘み食いによる老人のご都合主義を、自らもすぐにも老人になるという前提で、己を律するために記述している。ご都合通信社 次席編集長 赤岩 太郎
2009.11.10
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娘を持たぬ母親たち 総括-長男教-「娘を持たぬ母親たち」の女性達に共通するのは、『家事・炊事不得手』である。亭主はまだしも、息子たちは部屋の隅のほこりを気にしたりはしない。自分達の部屋を母親が掃除するのも嫌うのが一般的であろう。ケース3の息子は例外的であろう。食べ物は、質よりは量である。『食べさせておけば文句は言わない』がほとんどであろう。母親にとって息子は『永遠の恋人』とも云う。子離れが出来ないケースが多い。母親がうるさく言っても無視する術を知っている。ヒステリーを起こさぬ母親は良い母親なのである。亭主は寡黙。とにかく男は、静かにしているか、お先に逝っている。老婆暴走の素地が出来上がっている。女性の生き方は、審判のいないゲームである。暴言を吐いたところで、笛を吹く審判がいないのである。ルールがあっても、マイ・ルールである。プレーヤーは母独り、観客である亭主・息子は変幻自在のルールを推測して暮らすのである。ゲームを楽しむ以外がない。悲劇は、女性のマイ・ルール、女性の支配する家族のローカル・ルールを知らない息子たちの妻たちに降り注ぐのである。自らは体験していない同居を息子に求め、弱者を装い、嫁(息子妻)に世話と介護を求める理不尽に恥じることがない。ケース1の校長夫人は、老後に備えることも出来ない、経済的破綻者である。年齢は90歳程度であるから、家事からも炊事からも解放されて然るべきだが、お袋の味が『キャベツの千切り』とはいただけない。それでいて、新婚の長男嫁(妻)に料理本を贈ったエピソードがある。自らは教えることが出来ないから正解かも知れない。また、毎月の施設の掛かりが年金を超えてはいけない。ケース2のプー太郎の母は、長男の教育を誤った。この女性も経済的破綻者であるが、さらに長男の行く末を次男一家に背負わせようとしている。『長男の代理』に一時はやる気を見せた次男だが、家庭を、妻を選んだ。他所様のお嬢さんに対しての意地悪、『世話にはならない』の強弁が自らの首を絞めることになった。しかし、この一家の将来は未だ確定していない。まだ物語りは続くかも知れない。ケース3の息子にいびられる母は、兄弟は平等に育てるの公平性に欠けていた。頼りにしていた長男の、外国人妻は、文化の違いを錦の御旗にして、嫁として振る舞うことがない。しかし、老婆としてはまだ初心者である。暴走しなければ、息子たちとも程好い付き合いが可能であろう。ご都合通信社 次席編集長 赤岩 太郎
2009.11.09
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娘を持たぬ母親たち 3-長男教-ケース3サラリーマン一家で、母親は還暦前後の年齢。息子がふたりで、長男はサラリーマンで外国人と結婚して別居、こどもがいる。次男もサラリーマンだが、親元に住んでいる。ご亭主は銀行員だが、随分と以前から出向サラリーマンの様子。ペットに小型犬がいる。初代は死んだが、同じような小型犬を買いつないでいる。長男は、こどもの頃から口うるさいこどもであったが、別居で適度な付き合いをしている様子。次男は、母親曰く、そもそも優しい子で母親のお気に入りの男の子であったが、長男別居後喧しくなったと云う。窓のさんに人差し指を当て掃除の行き届かないところを指摘するなど、いじわる姑並みに母親をいびると云う。しかし、それは長男のそれまでの行動の再現と云う。印象として母親なる人物は、家事不得手でもないようだが、得意でもないようだ。息子さんの指摘が当を得ているか否かは分からない。ただ、そうした指摘をする息子は一般的ではないだろう。ご亭主は静かそうで、至らぬ妻であっても見て見ぬ振りをしているのだろうが、許さない息子がいると云うことだろう。ご都合通信社 次席編集長 赤岩 太郎
2009.11.06
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娘を持たぬ母親たち 2-長男教-長男はプー太郎老婦人は80代半ばであろうか。長男は60歳前後、次男は60歳未満である。次男妻が筆者の女房殿のママ友の一人である。長男は、かつて結婚していたが、早々に離婚している。こどもはいない。姑に当たる老婦人が追い出したようだ。次男妻から観て、普通のご婦人であったという。離婚後は仕事を転々とし普段は連絡も取れない状況だが、親元である老婦人に時折金をせびるプー太郎である。次男は、じき定年になるサラリーマンで、アルバイトの奥さんとふたりの息子を持つ。ふたりの息子さん達は、社会人で親元に同居している。老婦人は、見た目には小柄な可愛らしいおばあさんだそうである。道で筆者の女房殿と行き逢った時、嫁の友人と知りながら挨拶もせずそっぽを向いていたという。女房殿を嫁に何かと『悪知恵』をつける存在と観てのことだろう。女房殿のママ友である次男妻には、底意地の悪いことをしてきたようだ。「お母さんとお婆ちゃんとの仲はドロドロだね。」そう息子の一人に言われたことがあるそうだ。母親の味方とはいえ孫の感覚はまた別物のようだ。老婦人はしばしば、息子である次男を呼び、親類を訪問する時の車を出させたりしている。タクシーを呼んでも良い距離にも係わらず呼ぶのは、孝行息子がいると親類への自慢のためのようだ。従う次男は、親孝行を厭わないようだ。むしろ、頼りに出来ない長男に成り代わっての役割を受け入れようとしているようだ。長男が駄目なら次男と云う『長男教のご都合主義』が見られる。老婦人はあらゆる機会に、同居を仄めかし、また寒い・暑いと言っては次男宅に来たがるという。次男は、老婦人の同居の希望を叶えたいと思っていたようであるが、妻の離婚を賭けての反対で断念したがなお希望を持っているようである。80代半ばと云えば、家事も炊事も億劫になる年代ではあろうが、老婦人は昔から家事・炊事は不得手であったと云う。若い頃には、年老いても息子の世話になどならない。あるいは、長男がいるからと言って次男や次男の家族に冷たくしてきた。しかし、老いてからは口を拭っての云いたい放題では嫁の身には許せないことがある。また嫁の側にしてみれば、子育てを終え、じき定年になる亭主との老後の生活がある。静かに暮らし、息子達の結婚やら孫の誕生を楽しみに待つ生活を望んでいる。やっと楽になっての姑の世話・介護は、勘弁願いたいところだ。何よりの気懸かりは、プー太郎に義兄の存在である。息子たちの今後にも影響がないとは言い切れない。ご都合通信社 次席編集長 赤岩 太郎
2009.11.05
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娘を持たぬ母親たち 1-長男教-ケース1校長夫人ご亭主は亡くなられているが、寡黙な方だったようだ。相当の期間一人身で過ごされていたが、婦人は現在老人施設に入られている。ミス○○と思えるほどの長身・美貌の女性でボランティアなどに励まれていたが、家事は不得手の様である。彼女の長男が『お袋の味』と問われて、逡巡の後『キャベツの千切り』と答えたと聞いた。ボランティアも家事から逃れる理由からの様で、校長夫人・地方の名士としてのプライドは高いが、夫君の実家ばかりか姉妹とも不仲であるから家庭人としては足りぬところのある人物の様である。長男は大卒サラリーマンで高卒の妻を得て、ふたりの娘さんがいる。次男は大学中退の自営業者で、資産家の実家を持つ大卒の妻を得、ひとり息子を持つ。共に実家を離れて暮らしている。婦人は以前から長男との同居を希望していた。長男は、嫁姑に確執があることから、定年退職後も帰郷の意思はなかった。長男のつまは、嫁としては随分な目にあったようだ。次男の妻は、夫人から褒められる嫁ではあったが、同居の意思は少しもなかった。次男も押して同居する意思はないようだ。次男は事業が思わしくないこともあって時折帰省して婦人の面倒を看ていたようだ。長男は、次男からの要請もあって交代で帰省していた。ひとり住まいが出来ず、同居もあり得ないことから施設に入居することとなったが、婦人には家とわずかな貯金しかなかった。誰もが不思議に思うほどに蓄えがなかった。どうやら浪費家であったようだ。台所を狭く改造したり、ひとり住まいなのに各部屋にエアコンを付けたり、大画面のTVを買い求めるなど、他人のおだてに乗った様子が窺えるようだ。『リホーム詐欺』に掛かったのではと、親類筋に評されている。また、次男にだけは、旅費などを渡していたことから、事業のための金も渡っているのではと推測もされる。寡黙な亭主と良い息子に囲まれ『お姫様』状態の夫人は、家事不得意も許容されたのであろう。甘やかされた妻・母であったのだろう。ふたりの息子を平等に扱う度量はなかったようだ。出来の悪い次男への肩入れが結果としてあったようだ。感謝の念がない人であったから嫁ばかりか孫に慕われることもなく、また息子たちは母親よりも妻子を選んだようだ。施設に必要な掛かりが年金をオーバーしていることから、わずかな貯金が底をつけば家も手放すことになりそうだという。施設に入った今も校長婦人然として振る舞い、好まぬ人たちも周囲にいるものと推測される。ご都合通信社 次席編集長 赤岩 太郎
2009.11.02
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