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C興銀からやっと融資の許可がおりた。今日は夫が会社を休んで、二人で手続きに行ってきた。まず地元の市役所に行き、転出届をだした。転出の日付は昨日ってことにした。まだ引越してないのに、転出したことにするなんて変だなと思いつつ、、。夫の方は住民票がないので、特になにも手続きなし。次に転出届を持って、船橋市役所に。。。私は転入届を出し、印鑑登録をした。夫は外国人登録証に新しい住所を記載し、「記載事項証明書」を発行してもらい、印鑑登録をした。この時点で私たちは船橋市民になった。実感?住んでないので全くわかない!その後お昼になったのでランチをとり、約束の時間に住民票、印鑑証明書、外国人登録記載証明書をもって銀行へ向かった。銀行では私たちのウワサが広まっていたらしく、すぐに案内された。あらかじめ渡してあった書類の字が外国人とは思えないほど上手だと話題になったらしい。夫の字は決してうまくない。なのに漢字が書けるというだけで、外国人は褒められるからトクだなと思う。契約自体は1時間ほどで終わった。C興銀の通帳を作って、そこからローンが引き落とされることになる。ローンの金利は10月発表のものになる。選挙や経済の状況を見ると、上がる傾向にあるので発表されるまでドキドキものである。銀行を出た後、ヨーカドーでお買い物。夜、夫の同僚が遊びに来るのでクラッカーを買おうとしたら私の地元のok(スーパー)より70円も高かった。泣きたくなる。。。これからokとはさよならしなきゃならない。引っ越したら安売り店を探さなければ、、、。
2005年09月30日
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今日は午後一で英会話のレッスン。クラスメートが一人お休みだったので、二人と先生のレッスン。やっぱり一人欠けると雰囲気違うな~。部屋が異常に暑くなって、喉が渇いた。家に着いたら引越のミイラ社(仮名。英語読みにしてください)から電話があった。私は引越をお願いする旨伝えた。実は前日、トップバッターだったdaku社のヨン様に電話をして競合会社の見積もりを伝えて、同等の引越ができるか聞いてみた。ヨン様は不在で彼の上司が出た。上司「競合会社って、ミイラ社ですか?」夫 「はい、なぜわかるのですか?」上司「ミイラさんにはかなわないんですよ。 あそこは作業員もトラックも豊富にあるようで ウチではとてもかないません!」daku社、まさかの敗北宣言。けっこう大きい会社なのになあ。というわけで、ミイラ社に決定した。こっちは3tトラック2台できてくれるからダンボールもつめ放題。とりあえず30箱持ってきてもらうよう頼んだ。
2005年09月27日
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今日は2番目の引越屋が来た。ここは不動産業者の紹介してくれた会社で、紹介特典として10%OFFになるという。約束の時間より15分早く訪れた営業マン、20代と思われるイケメン君だった。前回のヨン様と違って査定が速い!パッと見ただけで見積もりが終わってしまった。あまりにカンタンなので、ちょっと心配になる。。。後で知ったことだが、このイケメン君は5年間現場でならして来たのでぱっと見ただけで引越のビジョンがうかぶらしい。それを知らない私はああ、この業者は多分お断りだな、、そう感じた。最初に提示された金額は10万5千円。ヨン様のとこより高い。聞けば朝便料金だと言うから、フリー便の最低料金を頼んだ。イケメン君は驚いて「ほんとに午後便でもいいんですか?」と言いながら一気に84000円にまだ下がった。交渉しているうちに、イケメン君はかなり力説を始めだんだんと私に慣れてきたのか、硬さがなくなってきた。そこでハタと気が付いた。この人、昔の彼氏にそっくりだ、、、。顔の感じや話し方、現場上がりの苦労人って所まで似ている。なんだか懐かしさと不思議な感情が沸き起こってきて、私も素になって行った。といっても引越以外の話はしてないが、、。ミイラ社(仮名)条件:距離20キロ以内 朝便 エアコン2機脱着 3tトラック2台,作業員4名8万4000円朝便にしてくれたし、日程も自由に選べるそうだ。トラック2台で作業員が4名。リサイクルでも引き取ってもらえない食器棚を4000円で買い取ってくれる。かなり良い条件なので、心が傾く。(決して昔の彼氏に似ているからではない・笑)
2005年09月26日
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nanny(乳母)なんて言うにはもったいない綺麗なお姉さんなんだけど、いつも私たちが旅行に行くときにポンポンを預かってくれるので、nannyである。彼女が引越し前の最後の訪問をしてくれた。彼女が来るときはいつも昼食を振舞う。最初にカナッペと甘いワインで軽くやってメインへと続く。本日はハンバーグ・パイ。お昼にしてはヘビィな料理だった。そのあとビールを飲みながら延々とおしゃべりしていた。肝心のポンポンは、眠くて眠くて布団の中から出てこず、、、。
2005年09月25日
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先週、突然夫が私の家族に会いたくないと発言して1週間経った。その後私は義母に相談し、自分の親兄弟にも現状を説明した。義母からはからいろいろアドバイスをもらった。夫は、大げさに自分を表現するママにずっと育てられた。でも父親はそうじゃなかったらしい。父はイギリス人。義母が言うに、イギリス人っていうのは日本人と同じで、自分の気持ちを表に出さないそう。夫はイギリス人の血筋をひいたらしく、夫自身も気持ちを中に秘めるタイプ。でも、そうではない母親に育てられたから自分はクールでも周りの環境や母親のようなタイプに慣れてしまったと。だから「こんなややこしい人間に育ててしまってごめんなさい」なんて義母があやまってくれた。彼女のせいじゃないのに。それから義母はいろいろと私の家族と夫を結びつけるアイディアをくれた。私の両親の方が本当に夫を嫌っていないのなら、両親が新しいマンションの壁紙のリフォームを手伝おうかって提案してみるとか、、そんなようなアイディアを沢山もらった。それから私が夫のことを褒めたメールを義母に送ったことがあり、義母はそれを家族皆に公開させてほしいという。たしか、夫が勉強家で2時間掛けて保険屋に質問攻めにして、保険屋を唸らせたことを褒めた。そんなような内容。そして私は彼を誇りに思う、と書いたもの。そういうことを口に出して言うのが絶対必要だってことで、義母がそれをフランスの家族に公開した。そしたらホント!褒められると態度が軟化してきた。夫がみるみる変わった。ほんとにうれしそうにしてるのがありありと感じられる。やっぱり私も言葉が足りなかったんだと反省した。そういうおかげもあって、急遽実家に行くことが決まった。これから引越しなどで、今度いつ実家に行けるかわからないからと、夫もすんなりOKしてくれた。そして土曜日は、道すがら車の中でいろいろと話をした。まだ私の方が一方的で、夫は聞いてるだけだったけど。遺産の話の誤解や、両親が私たちの知らないところでいかに私たちを思っているか、とか、弟がくれた暖かい言葉とか義妹が経験した辛い嫁姑問題のこととか少しずつ、、、。実家に行ったら行ったで、両親や弟家族がぞろぞろ集まってきてくれて私たちに家族であることを感じさせてくれた。マンションのことも話題に出た。私の家族は意識して話題を出して明るく接してくれた。(わざとらしい感もあったけど・笑)夫は自分から多くは語らなかったけど、家族の問いかけには好意的に答えて会話を長続きさせていた。双方とも歩み寄る努力はしている。多分どっちも意識してやってるから、疲れるだろうなとは思いつつ、、。これで少しずつ夫の誤解が解けてきてるといいな、、、。まだまだ大きな溝はあると思うけど、少しずつ埋めていくよう頑張ろうと思う。
2005年09月24日
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9月8日あたりにC銀行にローンの申し込みをして現在はその審査が終わるのを待っている。不動産屋は2週間くらい先になるでしょうと言っていた。返事を待っている間もったいないので、引越しの見積もりをしてもらうことにした。まず引越し屋の比較サイトで大まかな見積もりをとってみる。すぐに沢山の引越し屋から詳しい見積もりのオファーが来た。引越し屋は早さが命らしい。今日はトップバッターの引越し屋が見積もりに来た。玄関開けたらヨン様みたいな髪型の男の人が立ってたので驚いた。そして開口一番「かわい~~!!」。出迎えに出たポンポンを見ての言葉だった。男性がポンポンを見て「かわいー!」なんていうの初めて聞いた。そしていきなり彼のケータイの待ち受け画面を見せられ納得。彼も白猫を飼っていたのだ。ネコ好きはネコ好きを呼ぶんだな~。この引越し屋は前にも一度お世話になったことがあったので好印象だったのだが、猫好きの営業マンのおかげで更に高感度がアップした。駆け引きしないでこの会社に決めたくなった。私は本当にこういうところに弱い。でも今回は夫がいたので、そういうもったいないことにはならなかった。ほかにも何社か見積もりを取るつもりなので、その上で決めさせていただくということで話はついた。後学のために見積もりあらましを残しておく。daku社(仮名)条件:距離20キロ以内 平日フリー便(引越しの時間を指定しない) エアコン2機脱着 3tトラック1台作業員3名9万5000円(ただし、ほかの引越し屋がもっと安い値段を言ったら8万まで下げる用意があるらしい。)さて、次の引越し屋はどう出るだろうか。
2005年09月23日
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少し前まで暑い暑いと言ってたのが、いつのまにか靴下が必要なくらいの気候になってしまった。たしか去年も急に寒くなったような記憶がある。おなかを出して寝ていたポンポンも、丸まるようになった。そして今日、今シーズン初めてポンポンが私のひざの上に乗ってきた。いよいよ季節が変わったことを知った。あったかいにゃん♪
2005年09月22日
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今日は、保険マンが来た。購入した物件にかける火災保険の見積もりをしてもらった。保険マンの第一印象は「真っ黒」。見事な日焼けだ。サーファーだそうだ。言葉遣いもハキハキしていて、好印象だ。夫はその営業マンをつかまえて延々と2時間質問を浴びせかけていた。おかげで少し保険のことがわかってきた。ただその人の売っている商品は少し高めなのが残念。補償の内容も、競合会社よりも幅が狭い。競合会社の保険マンは「態度が大きい」と、評判が悪い。だが値段が安く、保険の幅が広い。今日来てくれた保険マンは、「いざというときに最大限の保険の交渉をする。そこに違いを見出してほしい。」という。まだどちらにするか決めていないが、情に流されやすい私にとっては嫌な選択だ。
2005年09月21日
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先日夫が私の両親に会いたくないということを知らされた。夫はフランス育ちの英国人。私は普通の日本人家庭。表現力豊かな欧米とは全く環境が違う我が実家。父はいつも苦虫を噛みつぶしたような顔をしてるし、母は時々毒のあることを言う。二人とも悪気があるわけじゃない。それが普通なので、私たち家族は慣れてしまったいた。ま、私もよくクールだと言われるけど、それは父の苦虫がうつったからだと思う。美容院で何気に話していたとき、自分が鏡に映った姿を見て驚いた。話している口が曲がっているのだ。ほんとに父の苦虫とそっくり!それ以来私は極力笑顔を心がけ、話すときも口を大きく開けるよう努力している。そんな私によく夫は惚れてくれたものだ。そんなようなことを思っていたとき、弟からメールが来た。ちょうどいいので、保険の受取人のことを聞いて見た。親が海外旅行で死んだときの保険は全額弟行きになるなんて、そんなこと聞いたこともなかったそうだ。それどころか、両親になにかあったら遺産は全て私と弟で半分にするようにと、常日頃言われているらしい。昨日は弟が家でバーベQをやろうと、いきなり思いついたらしい。2世帯住宅なのだが、弟家族だけでバーベQをはじめたそうだ。途中から母が参加したが、父は二日酔いのため不参加。その席で母が私たちのことを何度も話題に出したらしい。私の夫がバーベQをしたがっていたので、今度みんなでやろう。とか私たち夫婦が最近実家にこないので淋しい。とか購入したマンションは意外と実家から近いかも、、。とか。。。そんな話をしてた矢先に、私の夫がいじけているという話を聞かされた弟は、やはり驚いていた。でも家族だと思って遠慮しないでいすぎたからこんな辛い思いをさせてしまったんだねー、と言っていた。彼は育った環境が違うんだから、少しは考えてあげるべきだったと。私は弟の言葉に嬉しくなった。やっぱりみんな夫を嫌いなワケじゃないんだね。みんな家族として認識しているんだね、と確信したのであった。
2005年09月20日
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「今度いつ実家に行く?」何気に聞いた私の答えに夫の返事はない。どうしたの?って聞いたら、実家に行きたくないと言う。普通旦那さんは奥さんの実家に行きたがらないのは知っている。でも今まで必ず一緒に付いてきてたのに、、、。そういえば前回実家に行ったとき、なんでもないような会話をしてたらいきなり夫が怒り出した。怒ったというか、反論をした。いつもは静かな夫にしてはオドロキの反論!家族みんながビックリしたんだった。それが原因ではないらしい。これはあくまでも切っ掛けに過ぎなかったようだ。とにかくしばらく実家に行きたくないという。その理由は○私たちが行っても両親が喜んでくれない。逆に迷惑そうにしている。○両親は買ったマンションが気に入らないので、購入したことに対して「お めでとう」の一言もない。○もし海外旅行で死んだときの保険は、すべて弟に渡るようにしてある。○昼食はいつも父が作るが、そのて手伝いに私をコキ使う。それを聞いて一生懸命誤解であることを説明しようとしたけどダメだった。夫は私がそのことについて、両親の側に立つだろうと予測していたようだ。「全て私がいけないんでしょ!」と言われてしまった。そこで夫が物凄く傷ついていることに気がついた。っていうか、打ちのめされているって感じ。小さい頃からラテンの国で愛情たっぷり、体全体を使って、言葉もあふれ出るほどの愛情表現で育てられた夫だったんだ。心の中に秘める美徳の日本とは違うんだ。言わなくてもわかるだろっていう日本式は通じない。私の両親はもちろん夫を愛してる。心から息子のように思ってる。でもそれが伝わっていなかったのなら、私の両親との時間は本当に辛いだろうと思う。私だって、両親の(特に父親)仏頂面や笑顔のなさにはあきれるほどだ。でも二人とも外面だけはいいのがなんともいえないところである。私の両親も夫も、私にとってはどちらも愛する存在。考えても考えても辛くて仕方がない。どうしたらよいのだろう。
2005年09月19日
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今日はジョイフルホンダという大きなDIYセンターに行ってきた。新居のリフォームの参考のため、いろいろと見てきた。最初にキッチンまわり。やっぱり おニューはいいなあ。機能的でシンプルで使いやすそう。でもこれは予算がないので、パス。次は壁紙コーナー。夫は密かに自分で壁紙を貼ろうと目論んでいるらしい。ヨーロッパでは壁紙を自分たちで張り替えるのは当たり前だから。デザインを選ぶのにも感性の違いが現れる。シンプルで目立たない柄、汚れてもわからないような色が良いという私。個性的で人とは違う柄、寝室はピンク、書斎はブルーがいいなんていう夫。恐ろしくてリビングの色は何がいいのか聞けなかった。冗談で「青い空と白い雲の模様の壁紙はどう?」と聞いたら、「これはパリの家でやったことがあるからもういいや。」と言われた。うーん、本気で個性派路線らしい。しばらくうろついて疲れてきたので、フードコートでお昼を食べた。ここのフードコートは外の大きなウッドデッキで食べられる。吉牛の豚丼を空の下で食べるのも中々良いものだ。(安いしね)その後、スーパー部門で食材を買って帰路に着いた。夜になると、不動産屋の営業マンが書類を取りにきた。ローンの申し込みに必要な書類が足りなかったらしい。連休が入るので、ローンの申請が降りるのは1週間くらい先になりそう。少し時間が稼げてよかった。
2005年09月18日
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めずらしく夫が私のために雑誌を買ってきてくれた。ヴァンテーヌ。ヴァンテーヌったら20代の意味。夫はフランス語がネイティブなのに、20代の女の子の雑誌を買ってくるなんて、私をいくつだと思ってるの?パリの特集とヨガのDVDが付いてたから買ってくれたそうだ。フランス育ちの夫にとって、年齢は20代でも50代でも関係ないのであった。フランスにオバサンと言う言葉はない。はい、反省します。私がDVDを見るより先にポンポンがヨガのレッスンしてました。あ”~~、気持ちええ~にゃん。
2005年09月16日
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マンションを買うと決めてから、何回か選択の場を強いられてきた。最初はどの場所に住むのかの選択実家のある県にするか、今住んでいる県にするか迷った。次は物件自体の選択。私が譲れない部分はペット可かどうか。夫の場合は高い階で、大きなリビング。残念ながら選択できなかったこと、、、。それは営業マン。ネットで物件を調べてたし、ツテもなかったので不動産屋を選べなかった。どの営業マンが良いかどうかも当たりハズレがある。7、8人の営業マンと知り合ったが、その中の一人は本当に私たちと気が合い、何でも話をできる人だった。残念ながらその人と出会う一日前に良い物件を掘り当ててしまったので、その人にお願いできなかったが、本当に誰に紹介しても恥ずかしくない営業マンだと思う。物件を決めた後は、ローンを組む金融機関の選択。これは夫が勉強してたので、まかせっきりだった。そして今 選択をしなければならないのは火災保険である。夫にどれがいいのか調べてと宿題を出され、見積書を沢山送ってもらったが、基本知識がないため頭に入ってこない。今日の午後2時間考えてもさっぱり良い答えが出てこない。仕方なくある保険代理店に電話した。私はいつもセールストークに負けてしまうので、とても苦手なのだ。電話に出た代理店の人は個人でやってるらしい、社長さんだ!資料が手元にないという割には記憶力が良く、簡潔に話をしてくれた。詳細の詰めは来週 家に来て説明をしてくれることになった。これで少し安心した。これからも選択の場は沢山あるだろう。一つ一つ慎重に決めていかねば。。。
2005年09月15日
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ああ、またこの日がやってきてしまった。今日はぷーちんのパパが迎えに来る日だ。ポンポンとぷーちんは二人で密かに愛をはぐくみ、ぷーちんがポンポンを尻にひき始めたところだったのに。。。でもぷーちはやっぱりパパが一番好きみたい。パパが来たら、ワンコのように周りをグルグル回って喜んでた。それを見てたポンは、いじけてフテ寝しちゃったりして。でも最後にぷーちはちょっとだけ「帰りたくない!」ってダダこねしてくれた。ちょっとうれしい♪二人でまったりと夕焼けを楽しんだり、ポンポンは自分のキャリーにぷーちんを招待したり、一緒にご飯をもらうの待ってたり♪♪楽しかったね~、また遊びに来てね~、ぷーちん♪
2005年09月14日
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数ヶ月前にネットサーフィンして見つけた個人のブログ。その人は地震が来る前に体に何かを感じるという。ほんとかどうかチェックしてたら、その人が予告すると3日前後で本当に地震がおきてることがわかった。確率で言うと90%くらい。すごいでしょ。それ以来 信じるようになったんだけどその人は最近ちょっと怖い予報を出している。9月に入ってすぐに予報をだしたけど、未だに小さな地震しかおきてない。でも体感が今までよりも多いし、体感が始まってから地震が来るまでの日数が長いほど地震の規模は大きくなる傾向にあるって。その人の予想では17日あたりまでには来るはずってことだけど、、。今回ばかりは外れて欲しいなあ。でも用心だけはしておかないとね。
2005年09月13日
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朝、ジムに行こうとしていたとき携帯に電話があった。「はろ~!」と父の声。あ~~!忘れてた!今日は両親が帰ってくる日であった。もう一日くらいあると思ってた。もう帰ってきたの?という私の質問に「予定通りだよ!!」と父。声はとっても元気そう。車椅子での行動も、全く問題がなかったようだ。沢山写真とビデオを撮って来たようだから、見せてもらうのが楽しみだ。
2005年09月12日
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風呂に入ってたら義妹から電話がかかってきた。実家には私の弟家族も同居しており、両親が旅行中に家のことを義妹にお願いしてあったらしい。実家にはBebeというクロネコがいる。今年20歳になる御長寿ネコである。今年に入るまで避妊手術以外では病院に行ったことがない。とっても健康なネコちゃんである。私はずっとTomboyというネコと一緒に育ったのでベーちゃんの影はとても薄いんだけど、彼女は着かず離れずでずーっと一緒に暮らしてきた。そんな彼女もこのところ寄る年波には勝てず、耳が遠くなり、老人性の咳を患うようになった。で、義妹の話では、ベーちゃんがご飯を食べるときに咳が出て苦しそうだという。かわいそうだけど、病院に連れてってもらうようお願いした。その後報告があり、べーちゃんは気管支炎だったそうだ。抗生物質を注射してもらい、今は収まっているそうだ。ご飯ももりもり食べているということで安心した。べーちゃんは実家に残る最後のネコちゃん。トムは24歳まで生きた。ジュピターは腎臓病のせいで12歳で虹の橋に行っちゃったけど、ベーちゃんはジュピの分まで長生きしてほしい。
2005年09月11日
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今回の選挙に何故か私はやる気マンマンだった。いつもは見向きもしないのに、、。きっとテレビに踊らされたんだ。だって一度も選挙カーに出会ってないし、ウチの前にも選挙カーが来ない。誰が立候補してるのかもわからなくて、前日にポスターをわざわざ見に行った。ただ小泉首相の言葉に共感しただけ。隣の駅に小泉首相が来ると聞いたときはぜひ行こうと思ってたが、台風雨のため断念した。で、今日。張り切って出かけたが普段行かないから投票場所がわからない。不安だったが心配することはなかった。アリが荷物を運ぶように、きれいな列が投票所までつながっていた。そのあとアリの列は近くのok(スーパー)へ飲み込まれる。ok大好き!すごく安いし、リクエストがきくから。私もアリ。そこで、英会話のクラスメートに会った。彼女も投票所帰りだった。その後は夫と猫たちとまったりして、夜は選挙特番見たりして、、。密かに「この選挙は私のおかげ!」とえばってた1日だった。
2005年09月11日
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売主さんにアポをとって、契約した物件を見に行った。今回の目的は、寸法測りと写真撮影。それからマンション内のことで、住民にしかわからないことを売主さんから聞き込むのが目的だった。売主さんはとても話しやすい人で、なんでも教えてくれた。この部屋は改造されていて、全ての照明はダウンライトになっている。あまり見ない形の電球なので、どこで手に入り、いくらくらいなのかきいた。家電量販店で手に入り、200円くらいだと聞いて安心した。ネット回線についても聞いてみた。光ケーブルはNttはもちろん、ゆーせんも入っているそうだ。うれしい♪今のマンションでゆーせんを申し込んだが、管理会社がどうしても認めてくれなかった。うちの管理会社は横柄で最悪なのだ。私たちは住んでいるのに賃貸組ということで、管理組合の総会に出席できないし、議事録をまわしてもくれない。もう出て行くのでどうでもいいけど、なんとか仕返しをしたいくらい。話はそれるけど、最近管理会社から手紙が来た。住民にむけてのメッセージなのだが、最近マンションの入り口付近で住民にアンケートをとっている人がいるという。これは、この管理会社のライバルであわよくば住民の賛成票をとって管理会社をチェンジさせようとしているらしい。それを知った我がマンションの管理会社がアワをくって住民に向けておべっかの手紙を差し出してきたわけだ。「住民のことを第一に考えて、一生懸命がんばっています。」だって。笑わせてくれる。そういう悪い管理会社を経験しているので、今度の物件の管理会社についてしつこく聞いてみた。売主さんの印象を聞くと、若いがきちんと人の話を聞く担当者がいて、安心できそうだ。このマンションは中古だけれど、昔はかなりステイタスのあった物件で今あちこちで売っている誰でも買えるような値段ではなかった。こういうことで住民を判断するのも悲しいけど、ここの住民はとても礼儀正しく、誰一人として挨拶をしない人はいなかった。共用部分も整理整頓され、駐車場を見たら高級車が並んでいた。駐輪場に子持ちチャリは殆どない。静かに暮らしたい私たちにはピッタリだ。だんだんと移り住むのが楽しみになってきた。
2005年09月10日
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午後3時頃、父親から電話がかかってきた。今、成田空港にいると言う。前日までの台風の影響でフライトが1時間半遅れているそうで、ミールクーポンをもらって喜んでいた。それを使って空港でビールを飲んで、日本そばを食べたと言っていた。成田空港についてすぐに、父は母のために車椅子を借りてくれたので母は上機嫌。車椅子に乗ると、誰もが親切にしてくれると言っていた。歩けるのだから、あんまり調子にのらなければいいのだけれど。。。これから飛行機に乗って、シンガポールにつくのが夜中の12時半。明日からのスケジュールにはちょっときついでしょうけど、まあ、楽しんでくるでしょう。いってらっしゃーい!
2005年09月08日
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売主との契約がまとまって、今度はローンを組む銀行を決めることになった。夫は以前から「フラット35」を検討していた。フラット35とは、金融機関の住宅ローンの債権を住宅金融公庫が買取る形のローンである。フラット35の良いところは金利がずっと固定で、繰り上げ返済の手数料が無料ということ。粗悪な物件には使えないので、そういう意味でも安心できる。フラット35に適用する物件かどうか、先週の土曜日に調査を依頼した。それがクリアになって、今度は銀行を決める番だ。金利を調べたところ、リソな・Tミツビシ・C興銀が比較的安いことがわかった。でもリソなは最初に40万ほど手数料がかかる。最初にそんな大金はちょっと痛い。Tミツビシは過去の金利の変動を調べたら、他行よりも高めだった。これは運が悪ければ高い金利で組まれてしまうかも。。。残るC興銀に電話をかけてみた。フラット35に力を入れているそうで、どこよりも有利な条件でやっている。これは地域密着型の銀行で、あまり遠くの物件にはフラット35を利用するのをお断りしているようだ。幸い我が家は近所。これはいいかも、、。ということで、C興銀にすることに決めた。
2005年09月08日
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ぷーちんのママが無事女の子を出産した。ママは実家の富山で出産したため、パパはぷーちんと留守番だったが今日からママとBABYに会いに行っている。ぷーちんは仕方なく、ポンポンのところでパパの帰りを待つことになった。今日からまた運動会が始まるのね、、、。ポン「う~ん、このキャリー、ぷーちんの匂いがついててたまらないにゃ♪」ぷー「いや~ん、アタシのキャリーに入らないでよ、ぽんぽんんにゃん!」
2005年09月07日
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近所の国道沿いにあるホームセンターが撤退するため全品10%OFFをやっているというウワサを聞き、朝一番で買い物に行ってきた。このマンションを近々引き払うため、少しでも綺麗な状態で返せるよう掃除道具を沢山買った。最近この街で、大きな店の撤退が相次いでいる。ウチは駅から徒歩1分もかからないところにある。駅にはショッピングセンターが隣接していて、買い物にはとても便利だった。3年前にこの地に来たときは、この恵まれた環境がうれしかった。しかし、そのショッピングセンターが今年の6月に撤退してしまい、今では建物内に数件の個人商店テナントが残るのみとなってしまった。未だに、次の買い手が見つからなく、空家状態だ。マックもなくなり、本屋も撤退した。ほか弁も閉めるらしい。来年は、この駅前に新たに2つのマンションが出来る予定だが、駅のショッピングセンターがなくなったのは大きな痛手だと思う。毎日のように、そのマンションからお誘いの電話がかかってくる。よほど売れないのか、売主が変わって新しい会社が引き取ったらしい。多分、私が住んでいるマンションの値段も大幅に下がるだろう。住民にしてみれば、ショッピングセンターの夜通し鳴り響く換気扇の音と惣菜を揚げる為の強烈な脂っこい匂いがしなくなってホッとしてるところなんだけど。。。
2005年09月04日
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北海道のお土産を渡すために、実家に行ってきた。この夏は随分と実家に遊びに行ってる気がする。いつもは3週間に1回なんだけど。。。。私の両親は、北海道のお土産話よりも自分たちの海外旅行のことで頭が一杯だった。二人が海外旅行に行くのは何年ぶりだろう。2年前、母が腕を骨折したのをきっかけに二人の生活が大きく変わった。今まで母がやっていた家事を父が担うようになった。男の家事というのは女から見ると、納得がいかないもの。母はいつも文句を言っていた。それでも父は家事を趣味のごとく楽しんで、今では立派な主夫になっている。母は腕の治りが思わしくなく、長い間家にこもっていた。そのうち、弱っていた腰がもっと弱くなり、歩くのが困難になってしまった。60歳まで仕事をバリバリしてたのが、退職して自由になったと思ったら転んで骨折。それからは坂道を転げ落ちるように、みるみる年を取ってしまった。まだ3年しかたってないのに。。。でも友人たちや家族の説得で、やっと奮起してくれた。このままではいけないと、カイロに通い、毎日外に出てリハビリを続けた。新しい友達もでき、今では毎日が楽しそうだ。趣味だった海外旅行も、今回やっと決心がついて行くことになった。同行する友人たちと父は母のために、専用バスと車椅子を用意したそうだ。なんだか大変そうな旅行だけど、楽しんできてくれればいいと思ってる。
2005年09月03日
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