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斜めからインドネシアを眺めよう 167 明日、あさ、6:30 家をでる。今回の日本はアカデミー賞で華やかだったが、私はそれよりも、やはり、気になったのは景気の具合でした。株はバブル崩壊の時の最安値を下回ったり、トヨタの世界生産台数の来年度生産フォーキャストが200万台減、今年度から、25%減である。多分この数字が日本を含めた世界中の製造業の平均的なものだと感じる。当然、統合や整理閉鎖や倒産はかなりあるだろうと思う。これをチャンスととらえて積極攻勢に出る会社も多いと思う。ここ一年は、ダイナミックな動きがみられるのではないでしょうか。私もその中で、久し振りに実力を発揮できそうです。そのためにインドネシアへ戻ります。話、かわって、インドネシアへの土産で、最近喜ばれるのは座椅子です。インドネシアでは、家で床に座って話をしたり食事をしたりするのは普通のことです。テーブルを使う習慣がなかった。家で勉強をする習慣もないようだ。子供が予習復習を家でどういう場所でどういう姿勢でしているのだろうか想像がつかないし、見たことがない。裕福な家庭なら、応接セットのようなものを整えますが、子供の勉強用机や椅子は見たことがない。新学期前にセールなどという宣伝は全くない。処で座椅子のことですが、床に座る習慣は有っても、座椅子は全くありません。インドネシア人は座って後ろによりかかるという発想がないのでしょう。しかし、ソファーがある家でもソファーに座るということはあまり慣れないようで床に座る人が多い。そして、何かをつまみながらテレビを見る。その時に座椅子がいいのです。大変評判がいい。しかし、インドネシアでは売っていない。座イスは日本独特なものでしょうか、床に座る文化を持つ国々の中で、自分の体重で背もたれが後ろに倒れないようにするという考え方は日本人独特なものかもしれない。 軽いが大きいので、トランクの三分の二が座椅子で占められてしまうのが悩みである。
2009.02.28
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斜めからインドネシアを眺めよう 166 インドネシアで手に入らないことはないが簡単ではない物の中に計器がある。たとえば、ノギス(キャリパー)などです。ダイヤルノギスやその他の類です。そういうものは、日本で買って持って行くのが当たり前のことです。いつもはホームセンター(DIY店)で買いますが、今回は、ちょっと特殊な、ダイヤルゲージですが、外径を測るものではなくて、2~3φの内径で厚さが0.5mm位のチューブの肉厚を測ることができるダイヤルシックネスゲージを求めて、計器専門店Y商会(浅間さん通り)へ行った。 スキマゲージや内径テーパーゲージ等とともに取り寄せの注文をしておいて、二日後に揃ったというので、受け取りに行った。注文に行った日、そこの店にいる80歳位に見える、多分、何十年も前からこの店をご主人と一緒にやってきた方だと思う品のあるおばあさんが掃除をしているのを何気なく眼に入っていた。私の中学校、高校がこの近くだったので、この店のことは知っていた。静岡では計器専門店はそのころもこの店しかなかった。そのころ一度だけ計算尺(化学用、今は使う人はいないと思う)を求め来たことがあっただけだった。 私のように、特殊な計器を色々買い物する人はいないのでしょう。印象が深かったのかも知れません。購入しに行った時、若い女性が私の相手をしていたが、気がつかないうちに横に来て、四葉のクローバーを押し花にしたものを差し出しながら、「もらってください」という。分けが分からなかったが、記憶になると思い、せっかくなので、遠慮なくいただいた。その時、インドネシアへこれらの計器は持って行って、使ってもらうということと、インドネシアにはクローバーは全くないし、勿論、四葉に似たような植物も見たことがないので、インドネシアの人に見せてこの意味を話します。という話をした。思いがけなく気持ちが和んだ。
2009.02.27
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斜めからインドネシアを眺めよう 165 92歳の母親が両膝の上の骨にヒビが入って、静岡市立病院へ入院中。しかし、病気ではないので時間の経過待ちである。リハビリをするために、他の病院を物色中である。お袋がいる階の入院患者はみなさん大変なお年寄りばかり、それも、骨折した人達ばかりだという。だから、暗さはないが、車いすが廊下を走りまくっている。突然、見舞いに行った私を見てびっくりしていた。頭はしっかりしているし、まだ、日記をつけているので、文字もしっかり書くことができる。三月二十日から五月二十日辺りまで、ドイツから孫とひ孫が日本へ滞在する。その話を伝えたら、うれしそうにして、私に「楽しみでしょう」という。自分こそ、楽しみだろうと思うのに。どうしたって、早く死ぬわけにはいかない。死ぬなら、私が、まだ、あと五年くらいはインドネシアにいなければならないから、葬式は日本へ落ち着いてからにしてほしいと、頼んでおいた。日本の病院は、医者が足りないので立ちいかなくなる場合が多いらしいが、インドネシアにはこういう病棟はない。年寄りが骨折などで病院へ入る前に何らかの原因でこの世にはもういない。皆、死んでしまっている。または、死ぬ寸前までひどくなってから入院するので、病院に長くいて治って出ていくことはなく、直ぐ無くなって出て行ってしまう。それに、身内が骨折ぐらいで入院はさせない。保険には入っていないので、入院となれば入院の前に前払いが原則です。私はAIU保険が効かない地元の病院に何度も入院しましたが、一日平均50万ルピア(四千円)(薬、治療費、検査費を含む)入院見込日数の支払いを求められた。大体、退院の時、余分を戻される方が多かった。インドネシア人には高額すぎる。
2009.02.26
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斜めからインドネシアを眺めよう 164 残念ながら、来日二日目にして、見事に、花粉症の症状が発生した。この時期に日本にいるのは15年ぶりです。この間、日本に住んでいた二年の時は日本から脱出していた。今回、初日に歯医者から、「自分は花粉症になって20年以上だ。太田さんは花粉症はどうですか」と聞かれ、「名前がなかった小学生の頃から花粉症だった」、と、話した。「今朝、着いたばかりなので、まだ、症状が出ていない」と話した。二日目、杉の木の林の中でゴルフ。もう、すぐ近くに大量な花粉症の原因があるのですから、アレルギーかどうかのチェックをする場になってしまった。また、S会長も花粉症で、クシュンクシュンしていた。その日の帰りの車の運転をしながら、鼻がむずむずしてきて、ついに、くしゃみがでてしまった。花粉症発生になった瞬間でした。静岡に着いて一日半でした。三日目のN社とO社訪問のときには、もう、チュッシュペーパーを離せなかった。夕方家に戻ったころには、鼻の両側が痛くなってきた。次第しだいに、ひどくなるばかりである。インドネシアには杉の木がないし、ギョウ虫や回虫がいるので、鳥フルやデングフィーバーは有っても、花粉症は無い。私も、インドネシアに居さえすれば花粉症にならないので、この点でも天国である。早く、日本から脱出したい。また、三月末には一時帰国をしなければならない。しかし、それは毎年のことであって、花粉症の心配はない。 パンダンダランの上り下りで相当参った上にパニック障害の薬を持ってくるのを忘れた。ついでに、一週間、薬なしを試してみることにした。まだ、飲んでいた時との違いは出てきていない。このまま、飲まなくて済むようになるでしょうか。今回は、このことで病院へ行く予定はない。
2009.02.25
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斜めからインドネシアを眺めよう 163 J社は二年ほど前から、閉鎖を決定していたという話を聞いて、私がもっと早くその情報を得ていれば、他にやりようがあったと思うが、こればかりは仕方がないことである。ですから、S社がJ社を引き継ぐ話を持って行った時には、私の仲介はJ社にとってありがたい話だったことになる。J社はS社の決定の返事待ちで、今月中に返事は購入とされます。J社関係者が全くいなくなってそこへS社の人間が乗りこむでしょう。 J社は、3月一杯で、閉鎖を決定しているが、従業員の解雇金を支払って、全員を出してしまって、初めて、購入先に引き渡すことができるので、S社が入るのは多分、4月中旬から5月初めの間になることでしょう。既に、J社からは廃棄物が大量に出されているので、従業員の中にそれらを家に持って帰ったり、家の近くの小屋に保管したりし始めている。将来、お金に換えられることを期待している。中には、土曜日など日本人が会社にいない時に、廃棄目的で集められているものをトラックで行って持ってきてしまうものもいる。守衛も見ていない。無くなってしまう物を、投げやりになった日本人は見ていないことも彼らは知っている。三年前ほどに営業しないで、ISOだ5Sだと、むきになっていた経営陣は、一体何だったのでしょうか。滑稽である。私がいたころはISOなど取っていなかったが、客先からは品質、納期、数量で、毎年表彰されていた。閉じてしまう会社は、こんなものかと思う。禿げたかが群がって、実がなくなってしまった骨をつっついて、かすかな肉でも持っていこうとしている。J社の日本人二人は居ても役に立たないので、帰国の準備を始めている。彼らの行動は遅いので、準備を今始めても出国は3月末になるでしょう。その前に、手切れ金で妥協ができるでしょうか。
2009.02.24
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斜めからインドネシアを眺めよう 162 S社のN氏と、インドネシアのプラスチック押出成形の将来について話し合った。それぞれの社内の製品の部品を作っている会社以外の押出成形品については、すべて、やってしまうつもりで、営業と並行して設備を必要に合せて増強する。PT.MAKUTAの営業の手伝いはしないが、其処の仕事は横取りしないこととする。インドネシアへ行ってから、準備を始めます。私の考えでは6月には5ラインをフル運転させるつもりです。私が普通に営業すれば、十分可能です。並行して、インドネシアメイドの装置を入れます。そのころにはB社から、もとJ社の社員は全員私のもとに集合するでしょう。その他の話の結果や内容についてはまだ明らかにできない。私の方は、事務方の作業速度に合わせて、行動を共にする時期がはっきりしてきますが、私の方から催促や問い合わせをしない。私は、客先の期待にこたえるようタンタンとインドネシアで自分がやるべきことをやる。2日から、誰からも咎められることなく、出社して準備をすることができる。堂々と、名刺を持って、客先廻りの説明ができるので、挨拶に出かけることにする。個別にはN社とM社への仕事の振り分け方についてお話しすることになる。日本は本当に暗いですね。今日は雨が降っていることもあって、なお暗く感じる。その点、私は、忙しくなるばかりです。ゼロからプラスにするばかりです。
2009.02.23
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斜めからインドネシアを眺めよう 161 この寒い日本の山の中でゴルフ。鼻水たらしのゴルフでした。インドネシアに戻って、3月14.15とゴルフの予定が入っている、その前の6.7.8日はスンバ島へ行く予定だ。この間にも工場に新設備が納入されるし、試作も始まる。この不景気な時、経営側も2,3割、自ら報酬カットをしている。この時代、本当にもしこういうワンマン経営者がいたらすごいなと思う話。本社の方も監査しないのがすごいなと思う。前妻(正式離婚はしていない)との間に子供の養育費や現在の奥さんとの二重結婚などで、裁判沙汰になっている、もう、二年以上争っている。日本人ということで、けた外れのかなりの金額を前妻やら警察やら裁判所から要求され、全額でないにしても二千万円以上は払っている。養育費は、子供に会わせないからといって、今まで払っていた毎月10万円をうちきってしまって、これも裁判になっている。奥さんや奥さんのお父さんまで訴えられている。以上のことは置いておき、前妻にバックにはマフィアが見え隠れしていることを感じて、奥さんにボディガードを会社で雇って住みこませている。それが、面白い、奥さんの弟がボディガードである。体が小さく、私が体当たりをすれば軽くすっ飛んでしまいそう。とてもボディガードには見えない。イヌを二匹飼っていてその散歩をさせる仕事が日常の仕事になっている。給料も一般従業員の倍だとか、また、奥さんに新車を買い替えた。これも会社の所有と聞いている。ゴルフのプレー費やキャディーへのチップ、奥さんと日本食レストランで良く食事をする、自分はお酒が大好きで量は並ではない。すべて、接待費で会社持ちにする。従業員には車のエンジン回転を3000以上にしてはならないと言明しているが、実際には従業員は無視している。タコグラフでも付けなければチェックしようがない。工場の中は照明を極端に暗くし、仕事をしにくくし、すべて立ち仕事をさせ、装置は博物館入りのようなものをずっと使わせている。奥さんに車を買ってやるなら新しい装置を入れたらどうなのと思うが、ご本人、お金の使い方が変だと思わない。経理の人が良く止める。お金の使い方に疑問を感じるのです。そうして、意見を言うとすぐ辞めさせられる。こういう経営者はいないと思います。
2009.02.22
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斜めからインドネシアを眺めよう 160 20日朝インドネシアからでました。そして、シンガポールで労働ビザを入手した。私のホームページに2007年11月に入手した時の状況を紹介してある。今回は超特急だった。というのもビザを取り消された日からその日と出発日を含めて、14日以内にインドネシアから出なければならないからです。9日に取り消しに必要なパスポートなどを渡し、終わって木曜日12日にパスポートが戻ってきたと同時に私のビザ申請に必要な書類を全部かえしってもらった。その足でエイジェントへ行きビザの申請を頼んだ。PT.MAKUTAからの書類は13日金曜日に全部エイジェントに届けた。15日月曜日に申請して、17日にはイムグレからのOKが出たと知らされた。18日には、シンガポールへ行けば取れることになった。しかし、私は旅先だったので、戻った19日にエイジェントから写真など必要書類を受け取り、シンガポール経由成田行きのチケットをインドネシア戻りも含めて入手した。20日朝3時に家を出て、6:15発で8:3着チャンギ。オーチャードの高島屋前のパークホテルのロビーで待っていたエイジェントにパスポートと写真と委任状を渡して外に出た。7時間の時間つぶし(この内容はせっかくですから旅行記に紹介します)、17:00にパークホテルに戻って、ビザを張ったポスポートを受け取って終わり、成田への出発は23:45なのでまた、7時間つぶしは空港内でコンピューターいじりと食事、居眠りでした。普通なら、一か月かかる手続きをたったの三日でやってしまった。もう、何年もお付き合いしているエイジェントなので、積極的に応援してくれたし、何といっても、辞めた会社の社長さんの意向を聞かないで、自分の判断で辞めた日を三日伸ばして申請し、次の申請に必要な私の書類と写真のネガをそろえて準備しておいてくれた。インドネシア人担当者に感謝です。経営者にお伺いを立てればこうは絶対行かなかったでしょう。今日昼には静岡の家に落ち着いた。
2009.02.21
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斜めからインドネシアを眺めよう 159 これは最近のニュースではなく日常的なニュースである。学校でキツネツキというのでしょうか、私のパニック障害の症状に様な、意識が飛んでしまって、体を押さえられないほど暴れまわる。気絶ではなく、意味のないことを叫んだり、羞恥心もすっ飛んで手足を動かし続ける。そういう生徒がときどき報道される。決まって女の子、それにひとりでなく、数人である。十人以上ということはない。何年も前からそういうことはあった。その後彼女たちがどうして治ったかの報道はない。会社でも、そういうことが起きるらしい。パニックにならないにしても、お化けが出るという話はよく聞く。それが、仕事にまで影響するようになれば問題なので、祈祷師に来てもらって、何やらお祓いをしてもらう。祈祷師と従業員の大部分を集め、一緒に食事をする。奇妙なことに、そうすると、何事もなくなる。二回三回と繰り返す会社は全くない。必ず、一回の祈祷で完全にお化けは消えてしまうらしい。気絶をしやすいというか、癖になっているというか、厄介な女の子がいて、病院へ連れて行ったことがある。検査の結果、異常値はない。私のパニック障害のようなものだ。医者に親や私が呼ばれ話を聞いたところ、どこどこのモスレムにいる何という祈祷師にお祓いをしてもらった方がいいと言っていた。親は信じて、納得していた。次の日に親が退院させて、どこか知らないが、医者から聞いたモスレムにつれていったらしい。しばらく、どうなったか便りがなかった。二週間ほどして、彼女から電話が入った。その祈祷師に汚いカマールマンディ付きの部屋に閉じもめられ、外に出してもらえず、自分で何がいけないのか考えろと言われたそうだ、食事を持ってくる人がカギをかけるのを忘れたときそこから逃げだしてきたと言っていた。親にもその事は話していない。話すと、戻されてしまう。
2009.02.19
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斜めからインドネシアを眺めよう 158HPの電波が届かないところへ行っていた。パンガンダランだったが、泊まったホテルの場所が悪かったようだ。密林の半島の近くのNyiur indahというホテルで昨晩は送信ができなかった。昨日、今日は何の予定もなく、書類や電話待ちなので、旅に出た。一年ぶりのパンガンダランだったが、平日というのは多分初めてだったと思いう。ガラガラだった。広い海岸が一層ひろく感じられた。しかし、初めて泊ってみたこのホテルは欧米人のツアー客が多く、空きが三部屋しか残っていなかった。多分、バリスタイルなので、欧米におおく紹介されているのでしょう。価格の割に泊まり心地はよかった。西海岸のチャガールアラム入口駐車場の近くだった。ところで、07:00に家を出て、13:00にはパンガンダランへ着いたが、タシクのバイパスに入る前にブレーキをかける度にがたがたと車が揺れ、ハンドルがバイブレーターになった、それでも走っていたら、チアミスへ入ってブレーキの効きが悪くなってしまい、サイドブレーキを使わなければ止まらない状態になってしまった。道端で、車の修理屋の場所を聞いて、目的地までの道からそれて、そろそろと走りながらたどりついた。ブレーキオイルが漏れて、空に近くなっていた。直ぐに分解してくれて漏れているゴムパッキンにテフロンテープ巻いてくれて、再セットしてくれた。30分くらいで治った。5万Rpだったが、7万Rp(500円)置いてきた。危なかった。助かった。途中で給油しブレーキオイルを追加し、それでも6時間しかかからなかった。昔、13時間14時間かけていたことを思うとウソのようである。道中でエイジェントから電話が入りシンガポールでVISAを受け取る手続きが完了したことを知らされた。20日シンガポール経由で、21日に日本到着が確定した。
2009.02.18
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斜めからインドネシアを眺めよう 157インドネシアにふさわしい話、最近のニュースです。ジュンバンという東ジャワの田舎町で、多分三四歳だと思うが、男の子が水に瞬間、手を入れると、その水が万病に効く薬になるという評判がたった。信じた人たちが押し掛けた。皆さん、どこで汲んできたのでしょうか、片手で握れるようなビンに、水を入れて行列している。大人に抱かれた男の子が、次々と差し出された瓶に瞬間手を入れているというより、大人がその子の腕を持って、上下させている。 列は、5km以上に及び、病気にかかった子供を連れてきて何時間も待っていてその最中に四人の子供が死んでしまった。三日ほど、その状態が続き、やっと、警察が行列を解散させ、その子供をどこかへ連れて行ってしまった。その後も、何人かの人たちが、遠くからやってきたといって、子供が現れるのを待っている。話によると、雷に打たれたが無事だった、その時、黄色い石を握っていた。その石を握っていた手が薬にするらしい。もうひとつ、ボゴールのある家の話。インドネシアの家の床はほとんど30cm四方のタイルが敷き詰められている、ということはすでに紹介したが、その家のほんの一部30cm×1mくらいの面積がどうも50℃くらいの温度になっているらしい。タイルと関係ないことは斜めになっているので分かる。其処の下に何か熱源があるのですが、その家に人は確認しようとはしない、そして、これもその上に寝たり座ったり、患部をつけたりしておくと、今まで治らなかった症状が消えてしまうといっている。何時間もその場所にいなければならないので、親戚や親しい友人しか家に入れない。様子を知ってか、そこへも、評判を聞いて、何人も来ているが、行列ができてはいない。
2009.02.16
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斜めからインドネシアを眺めよう 156 二日ゴルフを楽しんだ。友、日本より来る。インドネシアで知り合って、仕事を一緒にさせてもらったが、世話好きの人で、バリやジョクジャでのゴルフを楽しむ幹事をやってくれた。また、パンガンダランへは二回一緒に出かけている。今は、日本の会社で取締役をしていて、中国やインドネシアの工場へ出張する機会がおおいとか。受注状況は中国は70%減、インドネシアは30%減だそうで、大変らしい。 すでに5年以上前に、帰国したが、今でも、インドネシアへ出張で来ると、私に声をかけてくれて、一緒に食事をする。今回は私の電話番号が変わっていて、日が浅いので、何度も以前の電話番号に電話したがでなかったので日本へ帰ってしまったのかと、思っていたらしいが、たまたま、出張してきた会社の人たちとゴルフをしているのに出会った。新しい電話番号を教え、その日の夜、食事を一緒にした。技術を持っていれば、あたらしい業種を起こすことは、今が大チャンスである。設備は安くできるし、仕事はゼロからプラス方向だけである。マイナスはない。それに、各社の発注量が少ないので、客先や品種を多く引き受けやすい。景気や良くなれば、仕事の増え具合に合わせて、設備や人を増やしやすい。という話をしたところ、彼も、私に、インドネシアの彼の会社でプラスチックの押出成形をやってほしいと言っていた。 目的は一つだが、優先順位があるので、順位が低いことを話し、ウエーティングリストに入れた。どう転んでも、当分の間、インドネシアのプラスチック押出成形は私一人で支えなければならないことを認識せざるを得ない。
2009.02.15
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斜めからインドネシアを眺めよう 155 バレンタインデー、インドネシアのイスラム教徒も恋人に送りものをします。テレビでも大々的にコマーシャルが入ります。私も義理チョコを二か所でもらいました。話題を変えて、"ヤ"の一言はインドネシアの"はい"です。こちらの人たちは日本人を表現する方法で一番簡単な方法は、うなずきながら、"はい""はい"を連呼します。それが日本人です。テレビコマーシャルでもコメディ番組でも頻繁に使われます。いっしょに同じ番組を見ているとインドネシア人は喜んで、必ず私の方を向きます。態度で表わす時は、これは日本と同じでうなずきます。日本人だけでしょうか、否定文で聞かれたとき、たとえば、有りませんか?と聞かれたとき、ない場合は、ハイ、ありません、と答えますが、インドネシアではイイエ,有りません、お答えます。無いですか?と聞いくと、ない場合は首を振られます。ちょっと、あるのかないのか迷いますが、無いのだなと納得します。行きますか、行きませんかとどちらで聞いても。行かないときにはどちらも否定されます。日本人には分かりにくい。ちなみに、イヤと答えると否定です。ハッキリしないと、ヤかイヤかどっちなの、はききりして、と、言われます。面倒くさいから、日本語で"いやなものはいやだよ"と答えて煙に巻いてやります。 全然、別の話です。ここで、日本の若者に提案です。人材募集です。インドネシアで私の技術を引き継ぎませんか、私がしていることはホームページhttp://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/で紹介していますから確認してください。条件は理工系(機械電気)卒業で、機械いじりが好きな人、何かスポーツで特技がある人、性格は温厚な人。自己中でない人、私の生き方に賛同する人。積極的で杭は出すぎる方がいい。一人だけです。インドネシアにすでにいる人でもいいです。インドネシア語は知らなくていい。興味がある人はメールで問い合わせください。
2009.02.14
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斜めからインドネシアを眺めよう 154 長くなるので、昨日書かなかったが、テレビ、インドビジョンのことで、終わったと思ったらまだあった。パスポートを返してもらいに行った時、経理の責任者が気の毒そうに私に請求書を出してきた。これだけ請求しなさいと言われたのでしょう。本当に申し訳なさそうでした。私が、一年半前に入居した時に気を聞かせていただいて購入してもらった品々、ベッドなどを中古価格でなくて買った時の価格で請求してきたので、かわいそうに思って、そのままのんだ。しかし、それでは終わらなかった。今度は、私が入社する前何年も前に購入して前任者や会社や本人が使っていて、古くなったので私が使うようにと頂いたと思っていた品物、その代わり自分や会社には新しく買った。テレビやソファーなども買った時の価格を、何年も前の伝票をチェックして新品として請求してきた。これには、あきれて、笑ってしまった。それほどお金に困っているのでしょう。一ルピアでも払いたくないのでしょう。結局、たた、会社に一年近く前に必要ないと返却したテーブルと椅子のセットだけは外してもらって、それで、経理も間に入って怒鳴られても気の毒なので、OKした。もう、かわいそうと思うしかない。憐れみを感じる。怒るというより、唯、あきれてしまう。小泉さん発言と同じ感想です。インドネシアに限らず、経営が難しくなっている会社の、雇われ社長さんや公務員の長期滞在者は、そんなに困っているなら、自分の家の調度品は会社や国の所有になっているだろうから、私と同じように、購入した時の価格で買いあげたらいいと思います。また、そんなことはないでしょうが、もし、ゴルフや~さんと一緒に高級料理を食べた費用やカラオケやアルコール類の飲み食いをした費用などを会社や国の経費にしているなら、それを止めたらどうでしょうか。何年か前の分までかえしたらなお世の中のためになると思います。私は40年以上交際費や接待費を会社経費にしたことはありません。絶対に自己負担です。自己中は止めましょう。経費で落とすから、私が払っておくよと、言われても、絶対に断っていました。全然、別の話です。ここで、日本の若者に提案です。人材募集です。インドネシアで私の技術を引き継ぎませんか、私がしていることはホームページhttp://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/で紹介していますから確認してください。条件は理工系(機械電気)卒業で、機械いじりが好きな人、何かスポーツで特技がある人、性格は温厚な人。自己中でない人、私の生き方に賛同する人。積極的で杭は出すぎる方がいい。一人だけです。インドネシアにすでにいる人でもいいです。インドネシア語は知らなくていい。興味がある人はメールで問い合わせください。
2009.02.13
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斜めからインドネシアを眺めよう 153 押出機の輸入がいつになるか目途がたたないので、こちらで手配をしてしまうこととした。巻取り機や水槽、引取機など注文はしてあって、プロセス中ですが、乾燥機と押出機も此方で入手するために前払い金を支払った。来月10日前には届けられる約束だが、そのようになってほしい。原料も手配を始めた。特殊な輸入原料なので、早めに注文しておかなければならない。それに、初取引なので全て、注文と前後して代金を前払いしなければならない。後払いは認められない。振込が当たり前である。パスポートを受け取った。9日にキャンセルの申請だったので、22日までに出国すればいいことになった。若干、費用はかかるが、チケットを捨てることを考えれば安くつく。おかげで、大特急でビザの申請をしてもらって、19日夕方にエアーチケットや写真など必要品を受け取り、20日にシンガポールでビザを受け取ることができるようになった。そのまま、日本へ帰る。このように、今後のスケジュールがはっきりしたので、16~19日の間 どこかへでかける余裕ができた。インドネシアへ再入国するのは27~28日頃にしようかと思う。インドネシアで楽しく暮らすシリーズをまだまだ、続けることができます。
2009.02.12
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斜めからインドネシアを眺めよう 152仕事をしているなら全く出かけることがないブカシの町へ本当に久しぶりに行った。10年以上前にはジャカルタに日本人はほとんど住んでいて、東はブカシまでが殆ど限界だった。現在はチカランまでに伸びている。私はチカランより西なので、まだ、ほとんど日本人はいない。ブカシはブカシバラットに中心的町が多い。日本人が住むホテルやコンドミニアムもバラットにある。夜のジャカルタが好きな人は近いので便利だが、ジャカルタへ通勤する人にとっては往復とも大渋滞になりやすいので不便だと思う。町は混雑度が近隣では最悪です。また、盗難が一番多い場所とも聞いている。地方から職を求めてやってきた若者が多く住んでいる町でもある。仕事に就けない連中があてもなくふらついている町である。活気はあるが臭くて汚れた町でもある。なんのために行ったかというと、テルコムセルフラッシュのパケット(例えば40時間一か月20万ルピアなど、)を申請のためだった。本当はインターネットを通して出来るのだが、電話番号の持ち主名義が私ではないので、できなかった。パケットでなければちょっと割高になるが通信はできる。別にこのことで困ることはない。その他、家の電気、水、インドビジョン(海外放送を受信できるシステム)ホームテレホンの費用は自分で払っていたので、問題ないと思っていたら、どっこい、インドビジョンは会社が保証人になっていて、保証人取り消しの手続きを黙ってしてしまったので、突然、昨日の夜から、テレビを見ることができなくなった。会社に何の害も負担でもないのでそのままにしておけばいいのに、ほとんど嫌がらせである。インドビジョンに電話し、インターネットで登録をし、契約の変更をし、24時間後には受信できるようになった。いやがらせもあまり有効ではない。
2009.02.11
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斜めからインドネシアを眺めよう 151 英文で大学の卒業証明書や履歴書、日本の会社(太田化工)から身分証明書やパスポートのコピーなど、私から必要な書類はすべて渡したので、新しく私を招請する会社関係の書類がエイジェントに今日中にとどけられれば、シンガポール一日往復でVISAは取れる。今日中に間にあわない時には、必要書類を整えて、日本のインドネシア大使館に申請し、二三日後にVISAを受け取れる。日本の場合は東京日帰りというわけにはいかないので、二往復しなければならない。ぜひ、シンガポールで済ませたい。いずれにしても、22日から23日にかけて、今後のインドネシアの押出成形統一について重要な打ち合わせをするために日本へ帰らなければならない。また、ありがたいことに、あるインドネシアにある会社から、もし、日本に帰ってしまうのなら、ぜひ、手伝ってほしいと声をかけられた。大変ありがたいことでした。感激です。21日に幹事になっているゴルフの会を急遽欠席させていただかなければならないので、トロフィーといくらかの補助金を迷惑料として寄付をさせて頂いた。いつでも分からないことがあったら聞きなさいと云ってあったので、辞めたA社の従業員から、早速、技術的な質問の電話が入った。K社もそうだったが、A社も禁止しても、誰も止められないし、多くの従業員から現状の報告が入る。PT.MUからの書類が届けられたそうで、出国期限まえに、シンガポールでビザを収得できることになった。シンガポール経由で帰国、入国することも方法の一つになった。
2009.02.10
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斜めからインドネシアを眺めよう 150 このところの私の行動は、インドネシアで仕事をしている人、これからしようとしている人に大変参考になると思います。住む場所や車は自分のものなので、何も不安は無いし、心配ごともない。これが、一般の日本人が私のように会社をクビになってしまったら、多分、途方に暮れてしまうでしょう。日本でも契約を破棄され住む場所から出ていかなければならない人が多いと聞いている。外国で、どうしたって、どなたかにお手伝いを頼むしかないでしょう。会社から借りているものはすべて返してしまいましたが、ハンドホーンも返しました。携帯電話もその日のうちに新しくハローに申請し、手に入れた。新しい電話番号は、ホームページやメールを通して皆さんにお知らせした。メールアドレスも日本のものがあるので、そのままアクセスしてもらえるし、3Gの携帯(中古で1.2ジュタ、一万円)を買ってTELKOMSEL FLASHにつないだので、インターネットやメールもできる。勿論、ブログやホームページの更新もいつでもできる。困ることは何もない。特にすぐ必要なのは背景が赤の証明用写真である。ネガを預けてあるので、それをはじめ、次のビザ申請に必要な、いくつかの書類をA社から返してもらった。私の方からは、ブクビルや警察に届けてあるカードなどを変換した。三日くらい後に、ビザが取り消されて、何日後までにはインドネシアから出なさいということが書かれたパスートが手元に戻ってくるはずです。木曜日12日と予定している。再収得に必要な書類を渡せば、期間内に出国します。が、その間がもったいないので、インドネシアのどこかを旅行します。
2009.02.09
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斜めからインドネシアを眺めよう 149 現在持っている労働ビザは仕事をする会社からの保障状というか招請状(インビテーションレター)があって、成り立っているので、その招請状を取り消されれば自動的にビザは無効になり、二週間以内に国外に出なければならない。仕事をする会社が変わる場合は変わる会社の招請状に元ついて申請し直しになる。そして、それはインドネシア国外にあるインドネシア大使館に申請し、受け取りに外国に出なければならない。今回、二週間以内に申請が完了するとは思えないので、日本へ帰ることになる。そして、日本で受け取ることになる。そうすることができれば、航空運賃を節約できる。日本へ出る時にいつものように往復で買って、ビザを収得出ればそのまま使えるが、ビザがないと、インドネシアへの片道切符は捨てる。改めて、日本で往復の航空券を買わなければならない上に、ビザをシンガポールで取るためにシンガポールへ出なければならない。そして、日本でかった日本へ帰る片道切符は捨てなければならない。そこを、うまくやれるかやれないかは、インドネシアの友人たちの手腕次第である。手際よくやってくれるかどうかにかかっている。フリーになって日本でやるべきことがもうひとつあるが、それは、一番、安易な方法を選択することになるし、人を頼ることになるので、迷っていることである。
2009.02.08
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斜めからインドネシアを眺めよう 148次の会社の名前と電話番号と携帯電話番号とメールアドレスはホームページhttp://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/の表紙に載せてあります。仕事はできないので会社へ行くことはできません。何かの連絡は携帯にどうぞ。元の会社から、労働許可を取り消すためにパスポートとKITAS(身分証明書のようなもの)を取り上げられました。月曜日に他の手帳や携帯電話のチップなどを変換しにゆきます。給料の生産は私に掛けた費用を相殺されて、後で、私の銀行口座に振り込まれることになるでしょう。一年半前に入った家は空っぽで何もなかったので、会社が気を利かせて買ってくれたと思っていた冷蔵庫や洗濯機、ベッド二台や中古のテレビや応接セットなど、その時も中古だったものが多かったが、新品を買った時の金額で請求しろと言われたと総務の人間が云っていた。合計で当時のレートでは10万円以上になる。私の給料が、14万円(住宅は二年分私自身が前払いしてあった、車も自分で買ったもの、もし会社から借りているものだったら、家から追い出され、車も取り上げられ、電話も取り上げられて、身動きできなくさせられる、そういう人を何人も知っている)位だから、給料の三分の二を超える金額を請求してきたのです。PT,A社は貯えが全くない上に、経済危機で受注が、がた落ち、入金がとどこうると社員の給料を払えない状態、本社も見放している。気の毒なので、それで手を打った。月曜日からフリーですが、装置を設置しようとしている会社で仕事はできません。もし、監視されて、密告されたりすると、イミグレに捕まってしまう。私自身も罰金になるが、新しい会社の責任者も罰せられる。そういう危険を感じるくらいに、今までの会社のトップは小心でプッツンさんだ。工場に監視カメラを30台もつけているので、ヒステリックになっている、それでも無くなる金型があるという、面白くて笑ってしまう。笑うと、また、プッツンして怒る。インドネシア従業員はそれに感化されて、怒りっぽい人ほど、地位が高く優遇されている。トップのお気に入りになろうと部下に対し怒りっぽくなる。
2009.02.07
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斜めからインドネシアを眺めよう 147 私は今日でPT.AFという会社を辞めました。突然ですが、必然でした。全く、経営理念が違っていた上に、従業員を怒鳴り散らす。私自身も身の危険を感じるくらいだった。仕事嫌いの経営者の手伝いは御免こうむる。私の大間違いでした。この会社に成形装置の移転を仲介したことが一番の間違いでした。多くのお客様と従業員に迷惑をかける結果になってしまいました。大変、申し訳ないと思っていますから、それを挽回するために、もう、一働きも、二働きもしなければなりません。月曜日から帰国の手続きをして、3月中旬には一時帰国し、しばらく日本にいて、三月初めにはまた、インドネシアへ戻ります。大変、忙しくなります。秘密を漏らしたという理由で首にしたとのFAXが関係会社に配布されたようですが、問い合わせが殺到しました。何が秘密だったの?PT.A社に秘密などない。ある秘密は経営者個人の秘密だけである。しかし、そのことも、公知で、私が確認されることが多い。"こういう人だってね"と。前の会社の時もそうだった。私のところへ個人の情報が入ってくるのは最後だったし、その時は、太田さん知らなかったの?と、言われた。 会社を辞めてしまって、今度は自分の自由になる会社に手を貸すので、多くのことができると思う。
2009.02.06
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斜めからインドネシアを眺めよう 146 様子がおかしい人のことをギラと云います。口に表さない時は人差し指一本をおでこに斜めに当てます。対象の人に見えないように意志表示します。精神病院(日本では今もこういうのでしょうか)のことをルマー サキット ジワと云います。昨日の高速道路の話から、路肩をこのギラさんが歩いているのをよく見かけます。何処から来て、どこへ行くのでしょうか、ついていったことがないので分かりません。付いていったら、ことらがギラです。日本では全くいませんから、ちょっとびっくりします。真っ裸の女性もいます。信号や渋滞する交差点には今でも、物乞いが車の窓に寄ってきて手を差し出します。歩けない人、目が見えなくて、子供がひっぱっている人、親がいない子ども達、中には何の障害があるか分からない人、お釜さん、ギターを抱えてじゃんじゃんやっている人、シンバルを鳴らしてくる人、自分製の小さいシンバルおもちゃを鳴らす子ども、これらの人たちを、ランプ メラー(交通信号)エンタテーナーと云います。私はこういう人たちにお金は上げないことにしています。政府が保護すべきものでその場その場の気分でやるものではないと思う。首や手を横に振るのではなく、片手で押し返すようにします。それが、断る時のサインです。人から何か差し出された時も、いらないと断る方法も同じです。首や手を横に振るより私は柔らかい断り方でいいと思います。ただし、有り、なし、の問い合わせになしと、否定の場合は首を振ります。
2009.02.05
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斜めからインドネシアを眺めよう 145 高速道路の両脇に壁も無ければ鉄条網もないので、自由に人や動物が侵入出来るし、横断もできる。その代わりといっては何ですが、くぐるトンネルや上を横断する橋も非常に少ない。ほとんどないといってもいい。 ですから、路肩を人が歩いているし、横断しようと構えているし、中央まで来て反対車線の車の間隔が開くのを待っている人もいる。 どこでもバスは止まってくれる。次のインターチェンジまで行く必要はない、家が近いところで頼めば止まってくれる。また、路肩で待っていて、タクシーを止めるように手を挙げれば、何処でも止まって、乗せてくれる。大変便利である。日本ではこんなことは考えられないが、本当です。一般の車もそうします。私も人をとちゅうで下ろす時は路肩や陸橋に下で止めて下ろします。ジャカルタの市内の場合は、出口のそばで止めて下ろします。出てしまう必要はありません。バスもコアシもそうしています。当然、出入り自由ですから、もの売りも出てきます。路肩の故障車避難レーンには時期の野菜や果物を地べたに置いて売っています。渋滞になれば、いずこから出てきたのか、近くに全く言えば見えないのに、水やたばこや果物やタフを売りに現れて、車の間を縫って歩いています。料金支払い所の車列にはそういうもの売りはいつでもいます。時間によって、朝食のお粥やあったかいお茶も売っています。
2009.02.04
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斜めからインドネシアを眺めよう 144 相変わらずの大雨の毎日です。洪水やがけ崩れインドネシア中、どこでも最盛期です。ジョクジャカルタ(中部ジャワ)の付近でも連日起きています。私のウェブサイトにもある、パラントゥリティスという有名な海岸で突風による高波で多くの人が犠牲になっています。こちらの人は泳げないが、海岸での水遊びは大好きです。遊泳する人はいないので遊泳禁止の区域はありません。遊泳禁止の波の条件もありません。この海岸にはライフガードはいません。また、日本人の年配者には有名なジャワ島の大河ブンガワンソロ、日本語の歌詞にはありませんが、インドネシア語の歌詞には雨季には水が溢れだし、見渡す限り水につかる、というのがあります。今はその歌詞の通り、大氾濫になっていて、大きな被害を出しています。日本語の歌詞は全く現地の歌詞と違います。全く関係なく作詞したものだと思います。作詞者は多分現地へ行っていないと思います。歌詞と現状は全く違っています。南国の理想郷として作ったと思いますが、現実は、乾季と雨季、どちらも厄介者、雨季は洪水、乾季は干上がって、農業ができない。流域の人々はこの大河にはやっかいな暴れ娘の神が住んでいて、彼女の気まぐれに悩まされている様子を歌詞にしたように私は思う。 インドネシアではもはやすたれてしまっているように思われるが、日本の民謡に近いと思うクロンチョンという独特の歌い回しで歌われる。ジョクジャ付近をテーマにした歌詞が多いことから、発祥の地だと思う。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/からhttp://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.htmlへ インドネシアの癒しの写真が一杯です。
2009.02.04
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斜めからインドネシアを眺めよう 143 ジャバベカのゴルフ場のレストランで、賑やかにパーティーをやっていた。見ると、金色の椅子に座った老人夫婦が仲良く三角帽をかぶって座っていた。何のパーティーかと聞いたら、結婚50年のお祝いだという。一緒に食事をしていきませんかと言われた。かなり盛大だった。一族郎党孫、ひ孫まで集まって100人くらいいたと思う。とにかく最低でも5人、多ければ十何人も子供がいる世代だし、その子供の世代もそのくらいの子供がいる。子供より孫の方が、年が上ということは珍しくない。女性は15-6歳で結婚し、一年おきに10人子供を産めば、まだ35-6歳である。まだ、子供は産める。だから、40歳ぐらいが最終なら、12人は十分可能である。その最終の前に、孫が何人かできている。 ネズミ算ではないが2人から10人生まれて12人、10人が結婚して20人からそれぞれ10人生まれれば孫までの総人数が122人になる。半分にしてもひ孫まで入れれば、簡単に100人は超える。現代は都会ほど子供が少なく、5人兄弟などはほとんど見なくなっているし、結婚年齢も25歳以上になっているので、今後はこんなことはない。男性の平均寿命が70に達していないインドネシアですから、大変珍しいことで、金婚式は大変おめでたいことのようです。自慢していいことで、身内が盛大なお披露目をする気持ちも分かります。その夫婦、私には100才くらいに見えた。こちらの人は日本人より、はるかに年をとって見える。 パンガンダランのジャングルで、頑張っているおじいさんを見て、何才ですかと、聞いたら、私より10歳も若かった。
2009.02.02
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斜めからインドネシアを眺めよう 142 何かの記念日である。忘れたら怒られる。昨日朝、チビトゥンのPT.Mで新しい設備の導入についてと、新しい仕事の獲得についてのミーティングを行った。工場は狭いが、テンポラリーでも、とにかく行く末を早く確保してやらなければならない。現在、120ルピア、一円 98年当時150ルピア一円に次ぐ円の強さです。其のおかげで、装置類を安く手配できる。起業をするには今が最大のチャンスである。客先は仕事が減っているので、その中で、できるだけ購入費を抑えたい、しかし、現在の購入先には購入量が減っているのに値下げは言いにくい。そこで、今より若干安い売り値を呈示すれば飛びついてくる。起業ですから、もともと何もないわけですから、断られてもともとです。食いついてくれば儲けものです。受注量は半減しているので、生産能力の半分でいい。それだけ、多くの客先を増やすことができる。従業員もできたばかりの会社を自分達で大きくしてやろうとう考えになるし、待遇もできたばかりの会社だから、少しぐらい悪くても納得ずくになりやすい。しかし、起業でなく、まったく業種を変えるということは難しい。今まで、背負ってきたもののしがらみがあるからで、そういう考えの経営者は一度、その会社は潰してしまったほうがいい。その方が新たに起業しやすい。来週中に客先に見積もりを提出しだす。 他で、やることがあって、今週と来週はゴルフ無である。
2009.02.01
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