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斜めからインドネシアを眺めよう 320記念すべき日だった。大盤振る舞いの食事会をしたようです。今日でその会社の実態は無くなった。完全にクローズに向けて手続きが始まる。本当は閉めるという気配を感じた時から準備が始まっていなければならないのだが、気が利かないので、そんなことは思いもよらないことで、これから、本社の指令で、一つ一つ、しがらみを消して行く行程に入ると思う。思うであって、彼らのことだから、いつまでたっても行程に入らないかもしれない。早く閉じれば売り先まで決めることだできたのに、今となっては、すべてを、だいなしにしてしまった。 参考のために書いておきますが、EPTE(外国と同じ扱いで関税に関し特典が与えられる)の会社が撤退する為に、自分でやらなければならないことは、 1 組合と退職金の倍率で交渉、妥結し、期限で全員を解雇すること。これは私が組合にアドバイスしたことが功を奏し、解決した。感謝してください。もともと、従業員は早く、この会社から、おさらばしたいと思っていたのです。早く、次の仕事を探したいと思っていたのです。今日、終わった。2 EPTEの特典を使って輸出している、インドネシア国外やインドネシア内でもEPTEの会社との関係を円満に切ること。3 EPTEの解消、2が終わるのを待ってこれをするのですが、待たずに、取り消し申請をできるかどうかが速度に関係してきます。2の利益は大したことはないのだから、とっくに取り消してしまえばいいのです。自分達の無駄使いの方が大きいことを知らばければならない。4 国内売りの製品の作り先、引き受け先を交渉して紹介する。これが本筋です。商業道徳に則った方法です。ですが、これは、おそらく、できないでしょう。しないでしょう。止めますと、期限を云って、そのまま、客に放り投げるでしょう。押出しのお客さんにそうしたように、です。責任をまっとうする能力がないから、そうして逃げてしまうしかないでしょう。5 これは、逃げられない。ベア ダン チュカイの関係です。過去の分までほじくり返されて、関税と税金に関しては追及されるでしょう。理屈ではなく、誠意と決断の問題です。無知だから、本人は交渉ができないので、過去の人やインドネシア人スタッフの責任にして言い訳をしなければどうにもならないほどの要求をされるでしょう。装置の処分も簡単ではない。6 工業団地オフィスとの契約解消。これなどは一年ほど前から分かっていることなので、秘密裏に段取りを聞いておけばいいものを、まだ、云っていない。7 現地妻や恋人がいるなら、そのしがらみも円満に解消しなければなりません。人によってはこれが一番難しい。裁判沙汰にでもなった国外に出られなくなります。経験者が多いはずです。よく聞いて、解消しなければなりません。結局、これから、一年半以上はかかるでしょう。その間に、最低5000万以上の費用を浪費するでしょう。担当者によってはこれをほとんどゼロに出来たはずです。
2009.07.31
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斜めからインドネシアを眺めよう 319E社のポンプを購入するための準備に入った。インドネシアでは作られていない特殊なポンプなので輸入するしかないが、輸入ライセンスを持っていないので、輸入してもらって、国内売りで買うことになる。6台購入予定である。ジャバベカのオフィスへ行って、5日の行動について説明をした。借りることは借りるのですが、時期が問題です。早く、工事を始めたいので、早くできる方法を模索してほしいと思っている。どんな申請を早くすれば早くなるというポイントを教えてもらった。すべて、380Vを使い日本からの輸入品は使わない、そうすれば、手配を早くできるし、安く済む、手続きに面倒も省ける。やることは、素早く簡素、そのことをモットーに準備や借りる手続きをすすめることで合意した。可能かどうかは、これからの進め具合によるが、私たちの目標は11月初めにはPT.MAKUTAとして生産を開始したい、そして、その時、すでに10ライン以上は稼働しているようにする。あくまでも、私の目標です。また、Q社へ三アイテムの仮見積もりをメールした。ぜひ、この仕事でもお手伝いをしたいと思っている。とにかく、輸出を増やさなければ国内売りを増やすことができない状態の会社だからです。その縛りから抜けるなら、工場を別の場所に移さなければ張らないからです。日本は梅雨が長引いて、東北を中心に冷害の兆候がはっきりしてきたようですが、インドネシアは乾季ですから、当然、干ばつ、水不足になっています。地方の話です。スマトラやスラウェジが比較的深刻になっているようで、ニュースになっています。乾季は水不足と山林火災、雨季は洪水や地滑り、当たり前といえば当たり前に繰り返すことです。誰も、行政を責めることはありません。豚フルについては順調?に、患者が増えている。日本ではニュースになっていないようですが、こちらは、今、ニュースになり始めています。発表は400人を超えたことになっていますが、おそらくその10倍以上はいるでしょう。たいして問題ではありません。
2009.07.30
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斜めからインドネシアを眺めよう 318Q社とB社に見積もりを出した。一社は新規の積極的な見積もり、もう一社は現在生産をしている製品の値下げである。ある会社が、その製品を客先に売りこんだ。今、内が出している価格よりかなり安い。そこで、客先からその価格より安く指値で見積もりを出し直し様に云ってきた。私はすぐ、その指値で出すことを約束した。もともと、そのある会社がとんでもなく高い価格を提示、その時は他に対応できる会社がなかったのでその価格が通った。しかし、品質は今一だし、あまりにも高いので、客先は他のメーカーを探していた。私が名乗りを上げ、そのトンデモナイ価格より安い価格で受注をして、今に至っている。しかし、ある会社は治まりがつかない。今の価格より、かなり安い価格を提示した。そこで、すぐまた、それより安い値段で対応したのです。面白いのは、ある会社の価格は最初とんでもなく高かったので、それより、ちょっと安い価格で内は受注した。今度の価格はとんでもなくはないが、まだ、かなり高い価格を提示したのです。ですから、内はそれより、ちょっと安い価格で提出しただけです。まだ高いのです。どうせ、取り戻せる可能性はほとんどないのですから、ほとんどもうからない、唯、固定費分くらいで出せばいいのに、そうすれば、私の方もどう対応しようか困ってしまいますが、まだ、十分利益が上がる価格で出しているので、簡単に対応できて、まだ、十分な利益が上がる状態を保てます。とのかく、ある会社の最初の価格が高すぎた。だから、下げるに下げられないのでしょうか、それで、取り戻せると思っているのでしょう。いやがらせにしては中途半端すぎるし、世間を分かっていない会社ですね。客先に値下げの材料として利用されるだけで、自分の利益に何もならないことを知らなければならない。感情的に行動していては、同情もされない。多分、最終サインするする人が、その製品のこと、原料価格や加工賃や工程や品質について何も分かっていないので、適正価格というか、良識的価格というか、が、分かっていないと思う。Q社向けの製品用に製作を依頼してあったプレス機械とプレス金型が納入された。繰り返しトライをしてくれたので、こちらでトライすることなく、ただちに。量産に入る。ところがです、問題を見つけてしまった。ずっと使っていた顔料に異物が含まれていて、使えないことが分かった。プラスチックではない溶融しない異物なので、何回かフィルターを通せば消えるものだった。この原因を見過ごし、何年もこの顔料を使い、何回か繰り返して生産し粉砕してまた使えばだんだん異物が消えると判断していた。とんでもない間違いをずっと続けていたのでした。早速、メーカーを呼んで、黒い異物がない顔料を作ってもらうことにした。もう一つ、腑に落ちないことは、何故、今どき、マスターバッチを使わないで、顔料だったのでしょうか。まったく、理解できない。マスターバッチに替えるつもりだ。
2009.07.29
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斜めからインドネシアを眺めよう 317高校時代の卓球部のことを書く。二年の秋からマネージャーになった。いろいろな雑仕事をしなければならない。予算が限られているので、代々、藤枝の何とかいうスポーツ店で用具を買うことになっていた。というのは、領収書の値段から30%引きで売ってくれることになっているからです。裏金作りです。予算を要求する時に前年度の実績や成績に基づいて算定られるので、領収書の金額は多い方がいいし、余剰金を多くした方がいいからです。高校の時から、こういうことを勉強して、国や静岡県や市の要職につく人が多いのですから、そこでやること、考えることは、そんなものです。完全に自主運営でした。講堂?体育館?が使えない時には城北へ電話してのこのこ出かけて行ったものです。先方も喜んだ。野球部、バスケ、硬式テニスは、そのころでも、全国区級でしたから、クラスの先生も他の学校の先生も学生を知っていた。なぜか、一年時彼らと同じクラスになってしまった。一からビリまで、職員室沿いの掲示板に貼り出された実力テスト結果は下の方に集まっていた。運動能力テストは上位にいた。私も、そういう位置にいた。よく、試合で授業を欠席する。しかし、出席扱いになる。どういうわけか私も一年の時から、体育祭などの県大会に出場する為に年に二三日休む。私の場合は職員室へ行って、休む許可をとりに、その授業の先生のところへ行くと、「君は何をやっているんだ?」必ず聞かれた。「卓球です」と答えるが、どうも信じてくれないようで、近くに担任や顧問の先生がいれば、そちらをちらっと見て、応援を頼んだものでした。今はどうなっているか知りませんが当時は、学生が先生の教室に移動し、自分のクラスにいるのは朝と帰る前に集まるだけでした。だから、欠席はそれぞれの専門の先生に届けなければなりませんでした。中途半端な強さの私がどんなスポーツをしているのか知らないのです。普段は全く、練習にも、市内で休日にやる試合にも、見向きもしない、顧問の先生が、平日、静岡市内でなく他の町でやる試合には何故か着いてきていた。学校を休めるのが、楽しみだったようでした。気持は分かった。 当時、中卒の初任給が3千円だった。特別奨学生といって国から毎月3千円を受け取っていた。その内1千円返せばいいという制度だった。だから、勉強でも生活費でもクラブ活動でも既に自立をしていたので、自由な生活が高校時代から出来た。大学も9千円もらって3千円返せばいいという特奨生だったので、アルバイトもやって自立していた。
2009.07.28
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斜めからインドネシアを眺めよう 316 さすが、私の生徒たちである。留守中、Q社向け新種製品は量産になっていて、三ラインフル稼働人なっていた。私の車が使えたので助かったと云っていた。急ぎの納品が多く、毎日、二台がフル回転したそうで、私が、居なくて助かったといわれてしまった。今日も原料を取りに行ったり、納品に行ったりで、使いたいとか。だから、今日は出勤せず、在宅勤務である。車は会社が使っている。 インドネシアに戻って早々、気持ちが落ち込んだ。痛恨の失敗をしてしまった。ゴルフ場の駐車場で、他の車の後ろを擦ってしまった。ながい長い間インドネシアで運転をしているが、他の車や物を傷付けたことがないのが私の自慢だった。しかし、ついにやってしまった。他に広く開いている場所が在ったのに、一番近くで空いていたので、狭かったが、何気なく前進で入ってしまった。その時、左に駐車していた車の右後部に私の車の左全部だ接触した、そのまま、入ってしまったので、後輪タイヤカバーの一部に掛けて擦り傷を付けてしまった。魔が刺したというか、着いていなかったというか、最悪の方法を選んでしまった。ドライバーに名刺を渡し、次の日の朝電話をするといって、ドライバーと約束をした。その次の日というのが今日だった。その車の日本人に連絡し、謝るとともに、後処理について修理費用とその間のレンタル車の費用の請求をお願いした。保険で清算できるとはいえ、気分が落ち込む。最良の方法を取るべきだったと思うが、その時は、何を考えていたのでしょうか、思いだせない。今日は18;00過ぎに、気分が落ち込む話が飛び込んできた。新製品の立上からお手伝いした客先から残念な話があった。
2009.07.27
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斜めからインドネシアを眺めよう 315帰国すれば、必ず、ヤマダ電機へ行く。宣伝するつもりはないが、カードを持っているので、割引が効く。32GBのUSBフラッシュメモリーを二個購入した。合計64GBです。1万5千円でした。DVDは大きすぎるし、メモリーカードは小さすぎるし、最高でも16GBで価格も5千円ほどするのが理由です。32GBなら長時間のムービーも保存できる。勿論、リライタブルだから、どんどん修正できるし、USBハブを使えば、いくつもセットしたままに出来るので、パソコンのキャパシティを増やしたことになる。日進月歩というか、とにかく、変化はめまぐるしい、マイクロとミニとどちらが大きいの?それらよりもっと小さものもある、それは何というのでしょう。メモリーカードのことである、SDカードって何?ハンドホンに入っているメモリーカードの名前は?メモリースティックは?リムーバブルディスクって何?ディスクではないのにディスクだから分かりにくい。 なにかを持ってくるのを忘れる、今回はいつも使い慣れたデジカメを家に置いてきてしまった。無ければ、生活ができない状態になる。どうしたかというと、成田のAKIHABARA免税店で2万3千円のキャノンのイクシを買ってしまった。予備品がなかったので,予備と思えば、損ではない。SDカードやバッテリーは同じ、持っていたので、予備を買う必要はなかった。負け惜しみだが、今までのカメラよりコンパクトで軽い、捜査も単純なので、多分使いやすいでしょう。ヤマダ電機で買えば割引は効いたし、ポイントも増えたのに!! 本当がLEDライトを欲しかったが無かったのでファンを買った。USBハブとファンです。
2009.07.26
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斜めからインドネシアを眺めよう 314日本でNHKを見ていたら、こんな病気のことを特集していた。インドネシアでこういう人に沢山出会った。会いたくて会ったのではなく、一緒に仕事をするように与えられた人達です。私が選んだ人ではないし、私の仕事には向いていないからといって、追い払うこともできない関係の人達でした。私がやっている仕事には、全くふさわしくない人です。一つの仕事をまじめにこつこつやる、という人は駄目です。与えられ仕事から、いつもはみでようとする人でなければなりません。臨機応変でなければなりません。作業標準を疑問に思う人でなければなりません。以下、引用したものです。こういう人同士が同じ職場だと、私のようにどんどん仕事をしてしまう人間は阻害される。こういう病気の人がいるということを理解してほしいと、締めくくっていたが、冷たいようだが、私にしてみれば、本人達が自覚してほしいと思う。また、自覚してもらって、人を使う立場になれないことをはっきりさせなければならないと思う。使う人の立場、使われる人の立場を考えれば、当然だと考える。経験させられた私の切実な思いです。こういう人を、一定の仕事に安く使って、利益を上げようという会社は、使うが、一般的に創意工夫が命の日本企業では、使えない。もし、気がつかずに雇ってしまった会社は使い道に困る。そういう人だけ集めて、単純作業をさせるしかない。大人のはずのあなた、心当たりはありませんか。心当たりがあるなら自覚してください。以下はネットで公開されている説明から抜粋したものです。コミュニケーションの問題アスペルガー症候群の人の話し方はちょっと変わっています。話すことができないわけではありません。おしゃべりなアスペルガー症候群の子どもも沢山います。でも話し方が少し変わっています。一言でいえば会話のやり取りが長続きしないのです。話し方が回りくどい、曖昧が苦手、細かいところにこだわるアスペルガー症候群の子どもは話し方がとても回りくどいことがあります。「今日はどうやってここに来ましたか?」の質問に対して「朝8時3分に家を出ました。それから市営バスの10番に、バス停から乗りました。ちなみにそのバスは低床型の青いバスでした。10番のバスを__駅前でおりて、そこから__線の準急に乗りました。×駅で急行に乗り換えて__駅の3番線の後方のホームでおりて云々」といった具合です。どれが大事な情報でどれが枝葉末節かうまく選べないのが一つの理由と思われます。あまりくどくど言われると、言われる方はからかわれているのかと思いがちですが、そうではなく本人は一生懸命なのです。曖昧な聞き方をされると意味がつかめないようです。久しぶりにあったので「最近どう?」と何気なく聞くと「どうって、何のことですか?元気かという意味ですか?勉強のことですか?友人関係のことですか、それとも家族との関係を聞いているのですか?」などと細かく聞き返されることがあります。その場で何が話題になっているか、言外の意味を汲み取ることが苦手なのでどうとでもとれる曖昧な質問には答えることが難しいのです。問いかけはなるべく具体的にする必要があります。 人びた難しい言葉、場にそぐわないほどの丁寧語を使う子どもなのに「ちなみに」「ところで」「逆にいえば」「おそらくは」などといった大人びた言葉を使うことがあります。今日の昼ごはんは何を食べましたか?と聞かれて「米飯と魚肉それと緑黄色野菜」と答えたり、手伝って欲しいという意味で「援助が必要です」と言う子どももいました。クラスで配布されたプリントを集めるときに「没収します」と言うなど間違った言葉の使い方もみられます。家族や同級生に対しても「ですます調」の丁寧語や文章体で話したり、テレビのアナウンサーのように正確すぎる話し方をすることもあります。丁寧語の中に不自然なほど乱暴な若者言葉が交じりこむ小学生もいました。兄の影響で乱暴な言葉を覚えたのですが、全体は丁寧語でしゃべるので非常な違和感があります。本人はあまり違和感を感じていないのです。基本的にアスペルガー症候群の子どもは友人同士の会話よりも、テレビや本などから会話を学ぶことの方が得意のようです。そのために、こういった現象が生じるのだと考えられます。辞典で覚えた難しい熟語やことわざを不自然なほど頻繁に使うこともあります。「やめて」という意味で「それは言語道断だから断固拒否します」とか「せいてはことを仕損ずると言いますから、そんなことをしたら弱り目にたたり目です」といった具合です。男の子なのに女の子のようなしゃべり方をしてからかわれる子どももいます。先生に指されて答えられず「あら、私こまっちゃったわ」といったようにです。母親と一緒にいることが多いため、母の言い方をそのまま模倣しているのかもしれません。大抵の子どもは男女の言葉の相違を理解してそれぞれの性別にあった言葉使いをするのですが、アスペルガー症候群の子どもはそういった使い分けが苦手です。一方的でわかりにくい話し方アスペルガー症候群の人は自分の関心があることを、相手の興味におかまいなしに一方的に話す傾向があります。自分の関心のあること(機関車やコレクションなどの趣味のこと)で頭が一杯だったり、関心のあることは他の人より知識が豊富なので話しやすい、相手の反応をモニターせず相手が迷惑そうな表情をしていても気がつかないことなどが関係しているのでしょう。話が飛びやすいのもアスペルガー症候群の人の話し方の特徴ですが、これも相手に理解しやすいようにという配慮が苦手なために、自分の関心の赴くままに話題が変わっていくのかもしれません。話し相手の予備知識を考慮していないため唐突な印象を受けがちです。 言外の意味を汲み取ることが苦手言葉の裏の意味を理解することが難しいことが多いです。家に電話がかかってきて「お母さんいますか?」と聞かれ「はい、います」と答えます。そのままだったので相手が「お母さんを電話に出してください」と言うと「お母さんはいますが、今家にはいません」と答えました。最初の質問に対して子どもは母がいるかどうかについて答えたつもりなのです。慣用表現も混乱の一因になります。「先生に叱られてお母さんは耳が痛かった」と言われて、親切にも鎮痛剤を持ってきてくれたりします。「今日のご飯はお鍋にするね」と伝えると、あわてて「スパゲティがいい」と言った子どももいます。その子は実際に料理が出されるとおいしそうに食べて、食後に「これが鍋を食べたっていうことなの?」と確認をしました。皮肉やほのめかしの理解も難しいようです。よく学校の先生が「そんなことしたら幼稚園の子だよ」と注意しますが、本当に幼稚園にいくのだと思って不安になったり、幼稚園にいけるんだと思って喜んでしまったりします。「そんな子はうちの子じゃありません」と叱られて戸籍を調べようとした子どももいます。困った行動をしているときに「それはちょっとね・・・」と言われて、ちょっと、後の言葉を延々と待っていたりしがちです。言葉の間違った使い方アスペルガー症候群の子どもは一見正しく話しているようにみえても、よく聞くと微妙な文法的に間違った話し方をすることがあります。助詞がところどころ抜けたり不正確な使い方だったり、受身文で混乱したり、「そこ、ここ」「もらう、あげる」「いく、くる」など視点の違いで異なった言葉を使う表現を間違えたりしがちです。あるアスペルガー症候群の子どもは良いことを聞いても悪いことを聞いても「なあんだ」とつまらなそうな表情で受け答えをしていました。「なあんだ」という相槌はどのような場合でも使える表現だと覚え間違いしていたようです。 思考を言葉に出す 小さな声でひとり言を言ったり、考えていることを声に出して言うことがあります。また相手の言ったことを小声で繰り返した後に返事をする人もいます。 分かりにくい話し方,訥々とした話し方,駄洒落を好む 会話の内容よりも「音声」の方に関心があって、やたらと語呂合わせの駄洒落をいう人もいます。 しゃべるほどには理解していない アスペルガー症候群の子どもはよくしゃべるし、難しい言葉も知っているので、言葉を理解する能力も高いのだろうと思われがちです。でも、話すことより人の話を理解することの方が苦手な子どもも多いのです。子どもの理解力の範囲内で話しかけるように注意しないと、本当はよくわかっていないのにわかったつもりになってしまう子どもがいます。言葉そのものの理解が乏しいことも多いのですが、相手の話以外のことに気がそれてしまい、話の筋が追えないこともあります。注意が相手の言葉よりも、相手の身に付けているアクセサリーとか相手の髪型などといった、その場では本質的でないことに気がとらわれたりしがちなことも一因です。また、相手の話が「見えなく」なったときに聞きなおしたり、さりげなく確認したりといった「会話の技術」も未熟なことが多いのです。 ジェスチャーや表情、距離のとり方などの言葉以外のコミュニケーションの問題これまで主に言葉を使ったコミュニケーションの特徴について述べました。でもコミュニケーションは言葉だけで行うわけではありません。何気ない仕草やジェスチャー、表情、視線の向け方、相手との距離など言葉以外の要素もコミュニケーションに重要な役割を果たします。このような言語以外のコミュニケーションを非言語性コミュニケーションといいますが、アスペルガー症候群の人は非言語性のコミュニケーションも独特のことが多いのです。 私たちはしゃべりながら自然に体を使ってジェスチャーでも表現しています。幼児期や小学生くらいの子どもで言葉でコミュニケーションできるようになると、言葉だけでコミュニケーションをはかり、自然な体の動きがみられないことがあります。また視線の合い方も独特で、相手の顔をみないで話したり、逆に相手の顔をしげしげと見つめすぎて奇異に思われたりします。思春期以降になるとジェスチャーが大げさすぎて目立ってしまうこともあります。ある若い女性は質問に答えた後で、「ウッフ」とまるで字を読むかのように声を出して笑った後で首を横に傾げます。自然に出ると可愛らしい振る舞いなのですが、あまりに芝居じみてとってつけたようなので不自然に感じてしまいます。またある青年は家で料理を作る時の様子を聞かれて、「パンがこげないようにトースターを見張ってます」と言いながら、強い日差しの中で遠くを見るように、てのひらを目の上にかざしました。思わず笑ってしまったのですが、なにがおかしいのか本人はよくわからない様子でした。 コミュニケーションというキャッチボール 人と人とが会話をする様子は、言葉や仕草、視線などをボールにみたて、ボールを受け取っては投げるキャッチボールの場面にたとえられます。アスペルガー症候群の子どもはコミュニケーションのキャッチボールが苦手です。言葉はあるので投げることも受けることもできなくはないのですが、相手とキャッチボールを楽しむことが苦手なのです。キャッチボールができない時に、周囲が「ふざけている」「やる気がない」とか、「協調性がない」といった視点で判断するのは全く不適切です。相手の意図を推測したり、相手の反応に応じてこちらの動きを調節していくといったコミュニケーション能力の障害なのです。もともとコミュニケーションが苦手なのですから、緊張した情況だとふだんのようにはしゃべれなくなったり、逆に自分の関心のある分野の話題を饒舌に話したりします。このような場合もおおもとにあるのはコミュニケーションの障害なのです。
2009.07.26
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斜めからインドネシアを眺めよう 313出発時間が変わって、14:10逆算して、成田エクスプレス東京発11;03、静岡発新幹線09:00、家から08:30出発でした。ガルーダの時は06:20にタクシーを予約していたので、ずいぶんゆっくりである。到着もバリ経由ではないので、ジャカルタタイム19;50で、ずいぶん早く到着する。の、つもりだったが、ジャカルタからの到着遅れで、13:30に到着した。どういうことだったのでしょうか、07:30には到着するはずが、6時間も遅れたことになる。とんぼ返りでの出発も1時間近く遅れた、さすがJALである。今、インドネシアの自宅に戻る高速道路上にいる。明日から、また、ジャカルタタイム22時、日本時間0時過ぎの投稿になります。豚フルにはかからなかったようです。よかった。出迎えのディッキ君がマスクをしていた。風か、と聞いたら、太田さんが豚フルに書かっで、来るかも知れないから用心した、といっていた。日本の一週間ちょっとは、毎日、雨にみまわれた。太陽を見る機会は全くなかった。梅雨明けはしていたらしいが、梅雨に戻ってしまったようでした。日本自体の雰囲気も何となく、うっとうしく感じた。JALのジャカルタ便の機内の乗客の雰囲気は暗い、それでも、キャビンアテンダントは一昔前に比べると若い子が多くなった。顔は日本人だが、名札を見ると日本人ではない。日本語は日本人のようにうまかった。経費節減の外国採用だと思う。 良く分からないが、搭乗時間は14:30になっていた。多くの乗客は、知っているのでしょうか13:40になっても搭乗口ラウンジに来ていない。知らずに普通に来て、一時間余計に待たされるというのが普通だと思うのだが、きっちり、14:20頃、現れる人が多いのはどういうわけでしょうか。私は、13:00には来ていたので、十分待たされた。ジャカルタを発つ時は、ベバスフィスカルの窓口で、納税番号カードのコピーをあらかじめ準備しておき、それと、ボーディングパスを渡せば、コピーは取り上げられ、ボーディングハパスにスタンプを押してくれる、それを、イミグレの前のチェックカウターで提示すればOK。以前のような1.5ジュタ払いの交渉をしなくて済む。
2009.07.25
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斜めからインドネシアを眺めよう 312とうとう、17日~24日まで、日食の日を含めて一日も太陽を拝んでいない。以前、秘書や通訳が作ったうわさ話に乗せられ、操られている社長を何人も知っていることを書いたが、また、そんな現象に出会った。そして、それらのうわさ話は社長にとって不利な、あるいは、足を引っ張られると思いこんで、うわさ話の主人公を排除しようという姿勢になってしまう。その噂が、ガセネタかどうかをチェックする能力がないし、その噂や其の人をうまく使って、あるいは、柔軟に方向を変えてみようとか、試してみようとかする、容量もない。だから、被害者意識だけにこりかたまってしまい、嫌いな人間を増やしてしまう、不幸になる。気の毒です。操られていることに気がつかない。社内では全員が気に入らない人間にしてしまう。それは、全員から嫌われることである。御本人は、それを、気にしない、そうしないと支配出来ないと思っている。全員から信頼されている日本人も敵と考えて、パワハラの対象とする。そういう、社長が、たいへん多い。秘書、通訳だけを信じるから、秘書、通訳に全員が本心を言わない。インドネシア人の中で孤立状態になるので、なお、いい加減なウワサ話を社長に報告する。 こんな、会社は次第に危ない会社になる。大企業なら、人材も多いので取り換えるが、中途半端な企業は交代人材がいないし、そういう人を、日本へ戻しても、一緒に仕事をする人はいないと考え、そのまま、知らぬ顔を決め込む。日本本社自体が火の車で、インドネシア工場にカマっていられない会社も多い。私自身は秘書や通訳に頼ったことはない、というより、居るとかえって、話が間接的になって邪魔である。通訳が訳したことも、日本語の微妙な表現ができないので、言葉や文章に含まれる感情が伝わらないし、他の人が使っている通訳や秘書が間違えて伝えているのを何度も聞いている。私自身がインドネシア人にインドネシア語で話したことを、日本語に直して社長に伝えているのを聞いて、まったく私が言っていないこと、また、反対のことを言っている時もあった。そういうことを、私から注意すると、通訳にとって、私が邪魔者になる。其の通訳は、私のことで在りもない噂を社長に伝える。だめ同士で意気が合い、それをまともに受けてしまうので、私にパワハラを仕掛ける。インドネシア料理のレストランは静岡には無い。駅ビルパルシェの6階に、無国籍レストランというのがあり、ナシゴレンがメニューにある。私は食べなかったが、ヤント君が注文した。味はインドネシアの味だったと云っていた。
2009.07.24
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斜めからインドネシアを眺めよう 311ヤント君にインドネシアからの食糧品を渡すために、駿府城、外堀と内堀の間にある、もと、青葉小学校、今は、クリエイティブセンターという、得体のしれない施設になってた。立派な施設で予算もかなり使っているようで、大変、うらやましい、いかにも、公務員の施設らしい、NPOも名前はボランティア的だが、何をしているのか、皆さん暇そうでした。民間という感じはしない。彼は、夏休み中で、アルバイトの一つで、外国人の生活相談にのっているとか。その後、後期の授業料を渡す。これが最後です。6年間面倒を見た。来年まで会うことはないので、卒業後の計画について相談にのった。 出身高校の卓球部のブログの存在を知り、せっかくなので、第一号?として、投稿させていただいた。インドネシアでベースにしていた会社に卓球台二セットを寄付して、インドネシア人と一緒に楽しんでいます。高校時代の思い出を一つ書きましょう。二年の時、私の実力はNO3でした。団体戦はダブルスには出ません。2シングル1ダブルス2シングルの対戦でした。私は二番か四番のシングルにでていました。静岡女子商の体育館で夏の中部大会の静商と準決勝戦のこと、私は四番目、その時、すでに1:2で負けていた、私が負けて終わりのはずでした。対戦相手が向こうのエースで、前のダブルスでも負けていた。小、中、高の一年先輩で、後に静岡県庁の重要職に就かれたこちらのエースが最後五番目だった。その人の相手は、目をつむっても勝てるような相手だった。先輩は組み合わせを失敗したと思って、これで負けと思いこみ、帰り仕度をはじめ、学生服に着替え、グランドに出て、自転車に乗って帰るばかりになっていた。私の試合が始まった時、静高の応援はいなくなってしまっていた。皆、諦めたにしても冷たいと思った。私も勝つ気はしていなかった。中学の時、窪川先生率いる安倍川中の時の彼に勝ったことがなかった。ところがです。城北、英和や精華や女子商の私のファン(私の思いこみ)の同級生(中学時代から卓球の仕合会場で顔見知りになっていた人が多かった)が回りに集まって応援してくれていた。急に元気百倍、勢いに乗って首をかしげる相手をストレートであっという間にやっつけてしまった。5番目の先輩を呼び戻しに行ったときはグランドを自転車でぐるぐる回っていて、終わったか、帰ろう、という顔をしていた。あわてて、着替えて試合に戻り、勝って、決勝に進んだ。決勝は島田商業に負けてその大会は準優勝だった。こんな、いい加減な、卓球部でした。その先輩には世話になりましたし、目標でもありました。下駄ばきで自転車、教科書ノートをバンドで十文字に縛って肩に担いで通った高校時代、いい思い出しかありません。
2009.07.23
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斜めからインドネシアを眺めよう 310日本に戻ってから連日、悪石島中心の日食騒ぎの報道でした。天気予報も必ず付け加えられる。それが、沖縄は晴れるが、そこら辺より北は曇りだと云っていた。静岡にいる私はどうだったでしょうか。薬が切れて三日過ぎた。ゴルフと長時間ミーティングをこなしたが、症状らしきものはあらわれなかった。三か月分の薬で四か月過ぎたことになる。予約が今日だったので行ってきた。病院の待合室で世紀の天体ショーが始まった,はずだったが、厚い雲に覆われた空はうす暗いまま、変化なし。11時半ごろになってテレビで皆既日食の画面を見た。悪石島は雷雨に見舞われ、天体ショーどころか単に大雨で真っ暗になったというだけだったらしい、気の毒というしかない。屋久島、奄美も、種子島も、がっかりだったようです。小笠原からの中継は、素晴らしかった。 P社は20年前ほどから海外に工場を進出させている。日本でのスタートと利益牽引が押出成形だったにもかかわらず、海外では押出成形の仕事はすべて失敗している。P社でさえ、成功しないのだから、J社が私なしで成功するはずがない。その私に何もするなといったのだから、すごい会社だったということが分かる。 そこで、P社が海外で成功しなかった原因はやはり、私のような、何でもやってしまう人がいないからだということが、昨日のミーティングではっきりした。だから、若い人の援助に期待することもできないことがはっきりした。すべて、私がインドネシアでやらなければならないことも分かった。簡単に利益を上げて見せることができることも分かった。 初期の一年は、日本人を使ってはならない、日本人を呼んでも仕方がないので、固定費を少なくすることが可能になった。
2009.07.22
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斜めからインドネシアを眺めよう 309 今月一杯で正規従業員を解雇することになったインドネシアのある会社の対象になるインドネシア人から、私に、再就職先の紹介を頼んできています。其の会社では契約社員として、何人かを継続雇用するらしいが、誰もが、他の会社への再就職を望んでいる。 まともな経営者なら、辞めてもらう従業員の再就職先を探してやる相談役をするのでしょうが、この会社の経営者は、そういう考えは一滴も持っていない。単に退職金に関して妥結すれば全てが済んだ、と、しか、思わないでしょう。 早く妥結した方がいい。今の経営者にかかわっていても、何のプラスにならない、早く別の場所を見つけた方がいいとアドバイスした責任もあり、既に、何人かの再就職先を紹介し始めている。勿論、私が手伝っている会社でも何人かどうですかと誘っている。ただし、縛りは全くしません。紹介した会社と本人達しだいです、お任せです。私は一切保証することはありません、と、云ってあります。 障害を消してしまったので、もう、やることは早い。8月初旬には工場、内装工事、会社設立の契約し、公認会計士や弁護士なども決めてしまう。労働基準法や就業規則についても準備を整える。私がやることは多いが、いちいち、悩むことはないし、他人に相談することもない。すべてを知っているので、短時間に順調に進めることができる。一直線です。太田化工へ行って、持ちこむ備品を受け取った。また、今後、輸入ライセンスが下りてから、すぐ受け取れるように押出機、補助押出機や自動カッターなどの準備も頼んだ。また、一点、新生産品の金型の見積と納期について依頼した。しかし、どうも、感触として、乗り気を感じられなかった。飛び付くと思ったが、首をかしげられた。会長の歯がゆさが納得というものでした。現場を見せていただいて、新しい商品を見つけた。硬質PVCの“のノ字”である。太田化工では6ナイロンでやっている。縦割れの状態に違いがある。しかし、太田化工の方法が優れている。まず、どんな樹脂でもできるし、丸さもでる。改善点は切り口である。これは、スパイラルチューブと同じで刃の形状を工夫すればアールにすることが出きる。インドネシアでの自社社製品の大ヒントになった。しめしめ。
2009.07.21
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斜めからインドネシアを眺めよう 308このブログを書く目的は、私の考え方や過去現在未来の足跡や経験、進行中のこと、近未来の予定など、知りえることの情報公開をし、関連するであろう方々に安心をしていただくことです。できるだけ、オンタイムで何が進行しているかをお知らせしています。同時に、私が持っている考え方や技術、行動を載せています。嘘は書いていません。それと、他人からの情報は複数人からのもので、それも、その人たち以外の人にも確認することにしています。また、今まで、間違っていたこともありません。予定については、あくまでも予定で、変更があれば速やかに変更を書いています。ただし、知っていること、確実なこと、予定になっていることでも、関係者や関係会社に迷惑をかけることになるかもしれないということは書きません。インサイダー情報になるようなことも書きません。私が書いていないのに、他から聞いたなどということは、それは誤った情報です。逆にいうと、書いていることは関係者や関係会社にとって、誰にとっても有益になることです。迷惑と考える人は間違っています。参考にして、私が書くように出来れば、あるいは、やれば、尊敬され、信頼されるようになるでしょう。祭日?日本もインドネシアもナショナルホリデーです。が、私は休んでいません。会社インドネシア進出についての最終打ち合わせでした。私とT氏の検討資料を照らし合わせ、進出日程をおおよそ決めた。技術者とも話をした、装置のリストアップと日程を確認する。380Vに変更しなければならないので、たくさん持ちこむつもりはない。とりあえず、スタートから二年ほどは私が現地で全部仕切ることになります。主に、マーケティングとパーチャシィングは私が直接担当します。これで、もう、本社の判断を仰ぐことは当分ないでしょう。報告だけになります。任せられる資金を私の判断で運用します。多分、節約すれば、資本金の半額だけで、全ての準備ができますから、残りの半分は銀行預金となるでしょう。当初、押出成形ライン10ラインと再生ペレットライン3ラインを準備します。工場が決まればオープン前にどんどん放り込む。
2009.07.20
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斜めからインドネシアを眺めよう 307三ヵ月半ぶりの日本です。帰国の次の日にゴルフでちょっと疲れ気味、明日のために今日はゆっくりした。PT.MAKUTAから頼まれた工具などをホームセンターへいって仕入れてきたが、いつもながら、その品ぞろいには敬服をする。世界の一流品がそれとなく揃っているのである。インドネシアではグロドックへ行って見つからなければインドネシアでは手に入らないといわれている。事実その通りだと思う。あれば、インドネシア製、次が中国製、次が台湾製、それらの群を大きく離して日本製。価格もその順である。日本製を勧められる。品質抜群だよと自信有りげにおっしゃる。私は日本人だよと喉まででてくる。確かに、見ただけで、その作りが分かる。メイドインジャパンは信頼の象徴である。ジャパンと書いてあれば、それだけで、誰もが信用し、メイドインジャパンのものを持っている、使っている、それだけで自慢です。いつかも、書きましたが、テレビコマーシャルで、盛んに、日本品質、日本からの技術、日本製を信じましょうと、強調する。相撲力士や芸者やはたまた富士山や茶畑、桜、が出てくる。日本語では、しんずい、とか、さわやか、とか、おいしい、とか、とっても、などが頻繁に出てくる。はじめまして!!も、つい最近出てきた。J社、副社長の示唆によって、方針変更を決めてからの、最近の私の動きは急です。会社設立申請手続き、日程、費用の調査と受取、工場の設備(空気、水、電気、粉砕室、焼き場、トイレ、モシュラ、キャンティン、足洗い場、排水給水、電話、事務設備、タイムレコーダー、ロッカールーム、給湯室、などなど)の配置、見積もり取りと図面の作成、工場の借用手続きと見積もり、契約書内容の確認、これらすべてを日本側に送信、打ち合わせのための資料の送信、など、この二週間で済ませた。それも、一か所や一社だけにお願いしたわけではなく、二社以上、二か所以上に当たり、条件の好い方を提案する。上の方から、私と一緒にやりましょうと云った方々、出きますか?一緒にやるということは、こういうことを速やかにやった後、速やかに、実施し、準備ができた後、すぐに生産を開始するということです。生産する為の客先に対する説明や其のための設備も、勿論、同時にするのですよ。会社が出来た後の客先の増加や生産品目の増加も見込んで、設備の増強も準備します。最初は、インドネシア国内で全てを調達します。会社設立最後の手続き輸入ライセンスを手に入れたら、直ちに、日本製の設備が手に入るように日本で輸出の準備をしてもらうリストや見積もりも出した。目標日も決めた。一緒にやろうといった方どの部分をやっていただけますか?私が全部やってしまったほうが早いし、手抜かりがないと思いますが、いかがでしょうか。あなたは邪魔でしかないと思いますが、どうでしょうか。それでも一緒にやりましょうと云えますか。これから一緒にやりますか。資金はいくらくらい出してくれますか。
2009.07.19
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斜めからインドネシアを眺めよう 306 そして、私は匙を投げた。両本社から仲介を頼まれ、紹介し、クローズ後、買収する計画が進んだが、途中で、私自身が賛同できなくなった。というより、入ることを拒否した。交渉の過程で、どうしても、彼らに任せなければならないことが三点残ってしまう。これを片づけることは彼らには出来ない。終わったと云って引き揚げた後に入った時、必ずまだ済んでいないことが残ってしまっている可能性が高い。そうなると、厄介なことに巻き込まれる心配がある。要するに、彼らを信用できないのです。 一番の理由は、開城がいつになるかはっきりしないことです。もう、何か月も待てない生産量になっていますし、これから、すぐにやらなければばらないことがたいへん多くなっているからです。しかし、今の担当者では目標日の決めることができないし、決めてもらっても信用ができないからです。 そこで、白紙撤回です。そして、他の会社が名乗りを上げれば、どうぞ、ということになった。 この会社、まだまだ、インドネシアに存在するでしょう。日本人が無駄金を使って滞在しているが生産活動はありません。連結では大変儲かっているので、本社も構わないのでしょう。 EPTEはどうするのでしょうか。閉めるに閉められない状態が当分続くでしょう。ベアチュカイのことでも、ローカル取引の解消についても、交渉を始めていないし、方法も知らない。私は、横目で、いつになるか分からない、クローズを見届けることになるでしょう。全く関係ないので、いつまでかかっても構いません、どうぞごゆっくり。もう、J社とB社は、out of thinkingです。Going on my wayです。自社、客先、従業員の利益を考え、過去の会社は捨てました。B社については眼中にありません。 ジャカルタ中心部、私もよく通ったことがあるし、高級ホテル「JWマリオット」では食事をしたことがある。「リッツ・カールトン」バイキングというか一定の価格でいろいろな国の食事ができる。人気のホテルです。車がロビーまで、突っ込めないように、太いコンクリートの柱が林立している特殊なエントランスいなっていた。今回は人による自爆テロのようで、泊まり客だったようなので、防げなかったようです。富士山静岡空港の直ぐそばでの、今日のゴルフは天気が悪くちょっと寒いくらいだった。霧がかかっていた、今日も欠航が多いのでしょう。頭上を飛行機は通過する頻度は少なかった。ゴルフは、でも、楽しかった。インドネシアで仲間たちとやっているのと同じだった。
2009.07.18
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斜めからインドネシアを眺めよう 305丸子の家からです。 この会社が撤退した後に入りたいという会社があって、私が仲介をした。其の会社にアドバイスしたことは、何もしない現地の社長さんがしなければならないことを極力減らすことです。やってもらうことが多いと、開城が、それだけ遅くなるし、いつになるのか目標の日もはっきりできなくなるからです。できるだけなにもしてもらわないで、組合との交渉だけで、後は何もしなくていいという条件を提案したのです。 そのように、期待していますが、彼らにやってもらうことがおおくなればなるほど開城は先延ばしになる、並行して進める能力がない。 結局、この会社の操業前からかかわり、状態について批判し続け、なんとか、インドネシアでやっていけるように願ったが、最初の方針から失敗だった。その方針についても批判したが効果はなかったどころか逆にパワハラにあった。約14年で、撤退することになった。もっと早い撤退を提案していたが、やっとという感じです。本当の撤退はまだ先になりますが。結局、この会社が本社やインドネシアに貢献したのは押出し部門だけでした。最初から最後までかかわった私としては、別の名前の会社としてまだまだ、かかわります。まだ、これからです。これからが面白くなるのです。 組合員のことは今月中旬には、私の組合員に対するアドバイスが功を奏し、解決しました。と、こういうことですが、現実のクローズまだ一年先まで実現しないでしょう。なんだかんだと、新たな障害が出てきます。その障害が閉じる工程で出てくることを、あらかじめ調査していないし、とっくに始めていなければならにインドネシア国内の客先にも、閉めるなどという話はないと云い続けていたし、今も、話をしていない。工業団地の事務所へも話をしていない。なにも知らないので,その都度、そのことで準備し処理しなければならない上に、インドネシアですから、役所の動きも遅いし、アンダーテーブルも生ずる。私にははっきり見えます。組合員は私のアドバイスを素直に聞きますが、経営側は私がアドバイスすると、それ以外の方法とります。だから、面白い。 わざと、遅らせるなら、急がせれば早くなるでしょうが、わざとではなく、彼らなりに気分は努力して、完全、クローズまで、一年以上、方法が見つからないまま、時が過ぎるのです。早くも2010年末でしょう。 静岡駅前に家康の銅像?が立っていたのにはびっくりした。こういうことが好きな人がいるんだな、立てたい人がいるのでしょう。富士山静岡空港のミニ版ですね。無くても何の問題はないと思うのだが。無ければならないと思う人は少ないと思うのですが。
2009.07.17
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斜めからインドネシアを眺めよう 304スカルノハッタ空港からです。22:15発JALです。そんなことで早めの投稿です。前にも書いたが、失敗した原因はQにある。Qが成功を恐れ、成功を妨げたのです。J社の従業員の多くは、QににらまれたらJ社では生きてゆけないと、思わされている。それがもう、20年以上続いているのです。Qと同年代か前後5歳位の人たちはそれぞれに自立し、会社の一部を支える能力を持っているし、何人かの部下に仕事を指導できるが、Qはそれらの人たちを無視し、その人達の部下を懐柔して、その人たちのいうことを聞くな、自分がやれと云ったことだけやれと命令し続けた。命令を効かない人達は止めるように仕向けられて辞めざるを得ないようにした。その人達も孤立し能力を殺され、Qは「彼らはなにも出来ない」「この会社にいらない」と云い回し、部下たちにもその人たちを批判するよう仕向けた。創業時からの侍や、私のように、社長が採用した、外からきた、能力のある人達も、思いもよらない個人攻撃にあって、苦しい立場にさらされて、辞めざるを得ない状態にさせられていった。 私も、インドネシアでいきなり、Qの洗礼を受けたということでした。その様子は一年後くらいに一通りやり方が、明らかになった。Qがインドネシアに来たとき、私は一度も声をかけられなかった。たまたま、会ってしまった時は、一こと二言世間話をするだけでした。他の日本人は食事に誘われるし、インドネシア人の射出成型の人も、昼食会に誘われるが、私は一度も誘われたことがない。私の担当部門の押出しのインドネシア人も誘われなかった。生産開始の前から、ラベルは日本語で印刷せよ、カートンボックスも全て日本語でと指示された。また、メモなどインドネシア語や英語の物を絶対ポリ袋やボックスに入れてはならないと再三指示があった。何のためでしょうか>インドネシア人も差別された。私の生徒たちは、給料も地位も低く設定された。完全無視であった。これほど、きつい、典型的な職場いじめ(パワハラ)はないと思う。自分でおこした会社の社長を二十年以上やってきた私も、立場によって、こういう目にあうのです。こういう世界もあるのだと思わされた。今、インドネシアから出ます。ジャカルタ、スカルノハッタ空港から投稿しました。いつもより早めでした。明日から日本滞在で、自分がインネシアで押出成形を統合する為の準備と足元固めをします。25日まで滞在です。
2009.07.16
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斜めからインドネシアを眺めよう 303私が起こした会社も私自身も高額納税者として何年間も公表され、社会的貢献をしてきた実績があっても、この会社のために尽くそうと望んでいても、社風がインプットされた、全くの素人さんサラリーマン現地社長からパワハラを受けるのです。何もしないでほしいといわれた、机の位置も日本人としては特別待遇の皆さんからぽつんと離れた位置におかれた。すべて、Qの指示だった。Qが来るたびに私の机の位置が部屋の隅に方に移動された。最後には、広い事務所の入口近くのコピーファックス機の横で、皆さんが良く出入りする賑やかな場所だった。他の日本人は奥の窓を背に事務所全体が見渡せる場所で、彼らのコンピューターモニターは他の人が見ることはできない。ゲームをしているのでしょう。右手のマウスだけを激しく動かしていた。インドネシア人が呼びつけられて怒鳴られていた。私も呼ばれて机の前に立たされ、「無責任でしょ」「半年以上も200万円以上の製品在庫をどうするつもりだ」と云っている。私は、何のことか分からない。「何の話ですか」と聞いたら、「分かっていないのか、ムルパティ向けのパイプだよ」私は?マーク、まったく心当たりがない、私の頭にインプットされているのは、前回注文を受けた分の余りで、せいぜい、2万円ほどの在庫しかない。それも、間もなく、引きとってもらうことになっていた。「知らないでどうする、どうするつもりだ」となおいう。私は、丁重に「間違いだと思いますよ、もう一度確認してください」と、お願いした。「私が、間違っているというのか」と言われた。何をいってもしかたがない。頭に血がのぼっているし、思い込みは、その時消すことはできない。「分かりました」といって、その場をはなれた。横にいた他の日本人も、満足げな顔をしていた。ご本人2万円と2万ドルと階一がいしているのでしょう。原料の10倍の価格で出した見積もりが受け入れられ量産になって大儲けと喜んでいたが、私の指摘で、実は見積もりの数字の位置を間違えに気付かず、原料価格で見積もりを出し、一年以上も私が指摘するまで気がつかなかった人です。また、0.15ドルのはずが0.05で出して、それも、私が指摘するまで気がつかなかった。両方とも、私が指摘したことを逆切れで怒っている。面白いでしょ。怖いでしょ。そういう人が強烈なアワハラをするのです。その後、一週間以内に2万円ほどでしたが客先に納品して在庫がなくなった。200万円のことは何も言ってこなかった。それからしばらくして、また、別の話で、呼ばれた。その話も、また、まったく心当たりがないことだった。現在はその会社の外にいるが、私が云った覚えがないことで、私が言ったと云って、被害をうけているかのような報告や話をあちこちでしている。気の毒というしかない。パワハラをした仕返しをされるとう恐怖心が潜在するのでしょう。自分の無能力や無理解力、無行動力を自覚し、それに恐怖を感じた方が周りを安心させると思います。先ほどジャカルタから戻った。三年ぶりのジャカルタ、ブロックMからでした。丸福で元気会。年の一回ほど20人くらいが集まるが、プラスチックの射出成型と金型の関係の人が多い。いつもその中の数人を知っているだけで、大部分の方は、初対面か、以前に名刺交換したことがあるが其れきりで私が覚えていない人である。相手は覚えていてくれますから、話が難しい。他の人がその人の名前を呼ぶときを、待っていて、知ってからは、盛んにその人の名前を云って話をします。夜のブロックMは私にとっては、お金の無駄使いで、お金の使い方が私の考えと全く反対なので、嫌いな場所である。カラオケは好きだから、もし、行くなら、一人で、コーヒーかコーラを飲みながら、一人で歌い続ける。それで満足するが、女性はいらない。一番の新人を呼んで、歌のセッティングをしてもらうだけです。店への支払いは最低にし、お客がまだ、付かない新人女性に10万Rpチップを渡します。でも、それも5年以上前の話です。
2009.07.15
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斜めからインドネシアを眺めよう 302何となく、ある会社で検索してみた。びっくりした。投稿内容を見て鳥肌が立った。なるほどと思った。掲示板を見て、“なにこれ“と思った。この会社の成功は、創業当時の何人かの侍が、社長の先見的商品選定能力と、それを売り込む宣伝方法(プロモーション)の勝利だった。アメリカ製の商品の国産化に関与し、私も社長に惚れて手伝った。その商品(EとGの6ナイロン押出成形品)は独占的に40年間売れ続けている。しかし、その当時の、社風は今や大崩壊し、見る影もない。Qを重用した時から始まった。その後も,ヒットしそうな商品を扱ったので、あたかもそのQの手柄と自分が錯覚した。創業者も錯覚した。追いだされた操業当時の侍は独立開業して立派に自立している人が多い。それから、十数年今の社風になってしまった。社長がゴムタイヤの浮き輪を売っていたころから、40年以上、外から見てきた私にとっては歯がゆい限りです。 インドネシアの工場が象徴的でした。パラハラも完全に本社スタイルが持ちこまれました。社長の目が届かないので、なお、濃縮されて、あからさまだった。私も、インドネシア人も全部が、怒鳴り声に震えあがった。 唯一私を応援してくれた、支えてくれた、副社長がQを排除して、その役割を果たさなければ、とんでもないことになると思う。まずい風評が広がるばかりです。原因ははっきりしています。 投稿は内部告発が明らかに多い、たまりかねて投稿したのでしょうが、なるほどと、納得しました。パワハラはインドネシアだけではなく、本社の方が元祖だったと納得した。Qの行状をたしなめる人がいないどころか、非難すれば、会社にいられなくされてしまう。創業時の精神、社風に戻すには、”泣いて馬謖を斬る”が絶対条件です。
2009.07.14
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斜めからインドネシアを眺めよう 301斜めからインドネシアを眺めよう 269の続きというか、その後です。荒涼として赤い土埃の土地に工場が出現し、そこに装置を入れ、各種準備を手伝った一人として、現在残っている当時を知っている唯一人として、現在、その会社の外観は、見る影もない。寂しい。夕方、6時に前を通ると、バイクが一二台、セキュリティのバイクが、である。車は見当たらない。聞くところによると日本人は遅く入って三時前にはどこかへ出て行ってしまう。植木や花壇は伸び放題、成長が早い南国の木が伸び放題、荒れ放題にしてある。どうもみても、もう、閉じてしまった会社の雰囲気で、ただ、警備員がいるだけに見えます。社長が赴任してきたときには手入れが悪いと前社長を批判して、すぐに、枝を手入れし、花壇を手入れさせた。総務担当のインドネシア人を交代させもしたとか。今はその時以上、はるかに荒れている。現社長が来た、この四年間は衰退の一途を辿った。遅ればせながら,本社社長命令だったのでしょう。Oが来て、大名行列で形だけの、営業をしたが、ポーズだけで、こちらにいる日本人には、方針転換を指令されたのにもかかわらず、昔ながらの下請けをするなと云い残して帰ったとか。仕事をしない日本人には願ってもない命令だった。其のとおり、どんどん仕事が減っていっても何もしようとしないし、自分がこの会社を再興しようなどとは全く思いつかないし、行動はない。本社は匙を投げた。2007年3月のことである。進出してから11年弱である。撤退を決めた。仕事をしない日本人は閉じる仕事もしないだろうから、いつ引き上げるのでしょうか、早ければ早いほど良いことは決まっている。日本人は何もしなくてもいるだけで100万円かかる。まだ、撤退していない。いつ引き上げるか、楽しみである。この文章は、この前、すでに、何もしない社長から組合に対し、クローズの方針を告げたので、書いている。具体的に動き出したことが表面に出てはっきりしたからです。そして、先日、退職金について、妥結し、7月末で、正規社員はいなくなる。
2009.07.13
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斜めからインドネシアを眺めよう 300300回らしい話? 一か月前くらいから、1000Rp札が少なくなってきた。新札にお目にかかることは、全くなくなった。インドネシア人に聞くと、印刷をしていないからだという。そうじゃなくて、何故、供給をしていないのか聞きたいのだ。それを聞くと分からないという。それなら納得です。日本の気象予報士?も似ている。長雨が続いている原因についての説明で、前線が停滞しているからだという。そんなことは、分かっている、なぜ、前線が停滞しているのか、説明してほしい。それは置いておき、1000Rpですが、ないので、お釣りは500Rpアルミコインで来る。高速道路の料金所のお釣りは、本当に500Rpばかりで来る。ジャカルタに入る時5500Rp払う、1万Rp札をだしたら、4500Rpのお釣りが全部500Rp、まだ紙にしっかり包まれた状態で9枚帰ってきた。空港へ向かってまた、ジャカルタに入る時先ほどもらったお釣りそのままに2枚50Rpコインを足して払った。係員がびっくりしていたようだった。なぜ、1000Rp札を印刷していないかというと、1000Rpを印刷していたラインを2000Rp札に変える準備をしているという説が有力のような気がする。今までなかった2000Rp札を、新たに発行するらしい。なぜだ、と聞くと、ジャカルタでも近郊でも車の駐車料金の最初の1時間が2000Rpになってしまったからだという。確かに、数年前から、最低2000Rpになっている、未だに1000Rpという駐車場はない。インドネシアの駐車場はどこも有料である。デパート、ホテル、公園、などなど、無料駐車場はないといっていい。それがすべて2000Rpだからです。納得しました。しかし、まだ、2000Rp札は流通していません。本当に発行されるのでしょうか。ところで、日本の2000円札はいまどうなっているのでしょうか。私は一度も見たことがありません。たまに日本に日本へ帰るだけですから、目にかかる確率は少ないと思いますが、私にとっては幻の2000円札です。
2009.07.12
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斜めからインドネシアを眺めよう 299この一週間、一人暮らしをしている。なにが変わったといえば、正直言って、寂しくなった。冗談を云い合う相手がいなくなった。テレビはNHKを見るようになった。パニック障害者としては、かなりの不安です。来るなら来てみろとも思っているのですが、発症当時の症状は現れない。日本へ帰る目的の一つにパニック障害の薬を買うためでもある。4月の初めに三ヶ月分持ってきたので、毎日飲み続ければ7月の初めに切れているはず。そして、病院予約は22日ですから、20日間くらいは薬を飲まずにいなければなりません。しかし、まだ、7日分残っています。三日四日抜いたり、一日おきにしたり、飲む回数を減らして調整したのです。もう三年前になりますから、そろそろ、薬から脱却しようとしていることも確かですが、恐る恐る、です。今の疲れやすい、なにもしたくない、頭がふらつくなどの現象が、パニック障害の症状なのか、薬が原因なのかわからないまま、ずっときている。どちらなのか、自分で納得したくなっていた。私の行動や仕事ぶりを知っている人は、パニック障害で自分が思うように動けないと云っても、分かってくれない。世間には何も病気がなくても、今の私よりはるかに動かない人が多い分けで、私の病気を納得しない人の気持ちは分かる。ゴルフを月5回も6回のやったり、自分で運転してどこへでも行ってしまう人間がパニック障害のはずがない、という人もいる。本当に自分としては本来の動きの半分までもやっていないと歯がゆく思っている。75歳で頑張っている人を目の当たりにして刺激を受けたばかり、パニック障害を吹っ飛ばそう。などと、また、張り切る過ぎることが、パニック障害の主因であると、医者からは言われたが、もう、自分では十分,休んだと思っている。
2009.07.11
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斜めからインドネシアを眺めよう 298輸入原料の入手に目途がついた。結局、使わない原料を内が注文したのだから、他へ売ってはならぬ、というのは、無理がある。冷静になれば誰でもわかることです。既に買ってしまって、使わなくなった原料やマスターバッチや顔料についても頼まれれば引き取る用意がある。インドネシア製第一号のナイフカッター付き引取機がやっとまともに仕事をするようになった。タイマーが壊れたり、クラッチが勝手に離れたりくっ付いたり、ナイフが止まる一が一定しなかったり、まったく、“泣く子と地頭には勝てない”状態だった。すったもんだの末、やっと、使い物になるようになった。二号機を早速注文する。大統領選挙の決選投票がなくなったので、選挙運動は終わりです。選挙管理員会からの正式発表は25日頃になるらしいが、その必要もなさそうだ、すべての候補者が、結果を認め、今回の選挙が秩序正しく行われたことを、インドネシア民族の勝利だと云っていた。其のとおりだと思う。10年前とは別の成熟国家になっているように感じた。たった半日の投票と半日の開票で決した。たった8時間で全てがかたずいた。すごい。一週間後に日本へ発つ。一週間の滞在中に、日本でのゴルフを楽しんでくる。今の日本はインドネシアより暑いだろうから、つらそうだ。豚フルにかかったらしゃれにならない。日本人学校の生徒が日本から豚フル?を持ってきて、一時学級閉鎖された。今は、平常に戻っている。日本から戻った人は、必ず、周りから、冗談混じりで、大丈夫だったか聞かれる。
2009.07.10
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斜めからインドネシアを眺めよう 297貸工場の契約書が届いた。ブッキング フィーは払ったので、取りあえず、工場は押えた。道は一本に絞ったので、もう他の道は考えない。 インドネシアで一緒にゴルフを楽しんだ方の中で最年長75歳の方と一緒に昨日は回った。MM2100の射出の金型を作る会社の社長さんです。その元気さには舌を巻きます。私よりへたくそな人は、ほとんどいませんが、その人も100は必ず切る。私よりずっと上手です。まだまだ、インドネシアで仕事を続けるそうで80歳までは、引退は考えないと云っていた。この方ならやるでしょう。お孫さんの一人が、インドネシアの日本人学校へ通っているらしい。これも特殊である。通学バス代が年10万円、学費が一人30万円その他費用が最低20万円という。日本人学校はどこの国でもこんなものでしょうか。しかし、これらのだい部分は本社が負担することになっているそうですは、このお孫さんの場合は本社の社長の娘さんなので自己負担の様なものです。 IJPのクローズする予定の会社が組合と退職金で妥結した3.5倍だそうです。ちょっと、組合が弱気だと思うが、大体予想したとおりでした。これから、まだまだ、クローズの為の手続きが沢山あります。本当のクローズまでには一年以上かかるでしょう。一年で終われば早い方でしょう。今の取引先に迷惑がかかるような、放りだして、逃げ帰るようなことだけはしないように出来るでしょうか。お客さんや取引先のことを放りだして逃げかえってしまった企業を過去に何社も見ている。特に納入先が困らないように段取りができるでしょうか。飛ぶ鳥跡を濁さず、ですよ。引き際はさわやかに。
2009.07.09
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斜めからインドネシアを眺めよう 296 どこから情報を掴んでくるのか、バントンに50mmφの押出成形ラインが15もあって、その会社は、全部売ってしまいたいという。装置の写真もメールで送られてきた。大変、魅力はある話で、ぜひ、現地へ行って、様子を確認したい。安いれば一挙に10ラインは手に入れたいと思う。 日本からの輸入だと現物の価格が3倍以上はするし、輸入費はかかるし、何より申請が難しい、それにも費用がかかる。もうひとつ、電力である。220Vに対応する設備をいれるか、モーターやヒーター、その他、計器類を440Vに変えなければならない。私にしてみればかなり無駄な支出になってしまう。現地調達なら、すべてが無か、かなり安く済む。固定費を下げることができるのです。この物件で、もしかしたら、日本からの輸入はしなくて済むかもしれない。今となってはそうなることを願う。日本へ帰る前に全てを確認したいので、その段取りをしている。大統領選挙で休日、ゴルフをして過ごした。三日前で選挙運動は終了、投票日に二日間は、頭を冷やすための日です。選挙中にあちこちに掲げられたキャンペーン用の旗や幟はかたづけられた。10年前、5年前の選挙に比べるとずいぶん秩序が保たれるようにあった。民主的な雰囲気が定着してきたように思う。昔は、選挙運動期間中は出来るだけ外出をしないで大勢の人が集まる所は避けるなどの情報が領事館から出ていたものです。今回はそういう注意は出されていなかったと思う。私が知らないだけかも知れないが。本当かどうか確認してないが8時から13時までの投票だったそうで、即刻、その場で、開票開始だったようです。17:00には、ほぼ100%開票終了、SBY-BOEDIONO(ユドヨノ、ブディオノ)コンビで60%獲得、一発で大統領、副大統領が決定。大差なので、いちゃもんをつけようがない。イランのようなことはない。それにしても早業である。一か所の投票場は200~1000票の投票者で、その場で学級委員長の選挙開票のように一票一票読み上げられて集計するが数が少ないので二三時間で終わり、その場でメール送信された。 日本よりはるかに速かった。先々月の国会議員選の開票が一か月かかっても全部開かなかったのに比べ、大革命である。
2009.07.08
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斜めからインドネシアを眺めよう 295晴天ですが満月でしょうか、まん丸の月が皓皓と輝いていて周りの星お光をかき消してしまっていた。七夕、先ほど、空を見上げたが、天の川を確認することができなかった。インドネシアには七夕の習慣はない。私一人で祈った。新しい会社が順調に船出し、多くの客先から信頼されるようになることを。それぞれの自社で使う製品やシートのようにそれだけしかやらない会社を除いて、色々なお客さんから依頼を受けるインドネシアの押出成形を統合します。先日、日本へ帰ったばかりのある人が、押出の仕事を一緒にやりましょうとか、狭い世界だから同じ様な仕事をする会社は住み分けをしましょう。などと、寝言にしても勘違いも、なはだしいことを言っていた。7~8年前にタイに転勤した人からも同じようなことを言われたことがある。資金はその人が全部出して私が、実質の仕事をするなら、考えてもいいが、二人とも、私以上に資金を持っているとは思えない。一緒にやったら、私一人でやることになるし、資金も私から出すことになる。其のうえ、その人が汚して歩いた後を掃除しなければならい。 住み分け?仕事を分け合うということでしょう。その人に渡した仕事の客先が、今、私に何とかやってほしいと、頼みに来ているのです。住み分けということはレベルがほとんど同じだから、談合しようということでしょう?レベルが雲泥の差の雲の方は談合などしませんよ。そんなことをしたら、客先を不平等な扱いにし、迷惑をかけます。もう少しでいいから、自分の能力と出した結果について、自分で本当にやったものがあるのか、人にやらせただけではないのでしょうか、振り返って考えてください。技術、販売、会社経営などなどについて私と対等に話ができますか?インドネシア人とお互いに仲間意識で会話ができますか?最低、これらができるというなら計画を聞きましょう。一緒とか、住み分けは対等がMIN条件ですよ。分かるかな?選挙で会社が休み、家でゴロゴロしている方はインドネシア旅行をお楽しみください。インドナシアの話です。 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
2009.07.07
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斜めからインドネシアを眺めよう 294輸入ライセンスを取るまでを、急いでやりたい。日本からの装置を手に入れることができない。インドネシアである程度は作ったが、特に、カットものの長さの公差に入れるのが難しい。日本から輸入したいが、ライセンスが無いと輸入できない。会社を立ち上げる時、製造会社を始められる最低の条件は輸入ライセンスです。そこから、新しい展開になります。ライセンスが無ければ何も始まりません。 PT,MAKUTAはライセンスを持っていないので、どうしても、国内で調達するか、装置の輸入業者に頼むしかないのですが、これが、在庫を持って売っているのではないので、まったく、頼りにならない。約束通りに入ってこないというより、注文したもの全部が未だにどこにあるのか業者のいうことが確認できない。単なる箱型乾燥機でもなかなか入ってこない。いずれも前金を半額払って三社に次々と頼んだが、いずれも、納期から一か月過ぎても入ってこなかった。半額の前金は返してもらった。日本人がいる輸入業者に頼むことにした。できるでしょうか。できてほしい。 急ぎのPPのプロファイルの試作が出来上がりまもなくプレスの金型をチェックする。この製品の金型は、他社に存在するが、所有権が絡んで、返してもらえなかった、この製品に必要なプレスの金型も返してもらえなかった。それですったもんだしていても金型を持っている会社は製品を作れないのだから、供給が止まってしまう。客先は新しい金型で供給を受けるしかない。PT.MAKUTAで手配をし、3週間でサンプルを提供した。100%OK品です。これをプラスの金型を作っている会社に提供し、図面通りにプレスができることを確認してから、プレス機と金型を引き取る。壊してしまった金型を返すことができないし、製品も出来ない。それなのに金型を返さない。もう注文を出さないといわれているのに原料商社の倉庫にある原料は自分が注文したものだから、他社に出荷をしてはならない。緊急に一部原料をエアーで入れてもらうことを考えなければならない。
2009.07.06
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斜めからインドネシアを眺めよう 293今日も休日出勤だった。電気、水、事務所関連の工事費の見積もりを現地で説明しながら、お願いした。9日にはその概算見積を戴ける。契約書のメールもお願いた。方向転換すれば動かない人を待つ必要はない。どんどん状態は進行する。私が、会社を首になって、インドネシアで押出成形を出来るようにしたのは二ヶ月しかかからなかった。4ヶ月後には、もう、十分、利益が上がり出した。そして、狭くなってしまったので、生産をしながら、次の手を打つことにしたのです。方法で二週間ほど迷いましたが、決定しました。約、900平方メートルの工場を借りることにした。今まで迷っていたもうひとつの方法は、諦めた。ですから、関係者で私に聞きにきたインドネシア人にはそのことを伝え、もう、誰も待っていいない。急ぐ必要ないどころか、いつまでも、とことん頑張ってほしいと伝えた。5倍などといったことはないが、今の4,5で頑張ってほしい。しかし、これも言ってはいない。また、私はインドネシア人従業員を増やすつもりはないので、だれかに頼ってはいけない、後のことで私に期待しても、約束できることは何もないと伝えた。 現在あるもの、やっていることは事実です。見ていただければ確認していただけますが、これから、やろうとしていることは、計画を実行しようとしていることで、目で見て確認していただくわけにいきません。しかし、計画を現実にするのは早いです。予定では遅くてもレバラン明け(9月20日前後)には工場を移転したいと思っています。新規の話が目白押しです。ジャバラチューブ(灯油の汲み上げポンプのような)や医療用PVCチューブ(クリーンルーム必要)は未だに大量に輸入しています。私にぜひやってほしいと頼まれています。お客さんと従業員の期待にこたえるために私は急ぎます。このように書いて、自分にプレッシャーを掛けます。そして、実現させます。これが私のやり方(cara saya, my way)です。
2009.07.05
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斜めからインドネシアを眺めよう 292休日出勤でした。試作品を月曜日に客先に見せなければならないからです。頼まないのに、夜勤以外の連中は全員、会社に来た。休日出勤手当はないよ。といったが、ニコッと笑って仕事を続けていた。また、私の教え子の最後の一人が、昨日で会社を辞めたので、遊びに来たといって、来ていた。13日から、入社すると云っていた。私がOKといってないが、13日から、いるでしょう。10年前からの仲間である。私はスマトラのトバ湖の真ん中にあるサモシール島の彼の実家を二度訪ねたことがあるほどの仲である。一般の日本人は従業員とこれほど親しくするでしょうか。食事会、バス旅行、ジャカルタへ行って、アイススケートやボーリングを体験させたり、何人かずつ、家に呼んで、車の運転実習をさせたり、である。ですから、私がインドネシアにいる限り、着いてきてしまうでしょう。昨日、マリアさんを故郷のブリタールへ帰した。夫のアリ君はスラバヤの空港近くに住んでいて、宅配便の配達員をしている。コス(kost)という下宿のような所を借りて住んでいる。単身赴任のようなもので、土日だけブリタールのマリアさんの家に泊まりに行く、しかし、普段は、マリアさんは私と住んでいるので、ブリタールへ行くことはない。私が日本へ一時帰国するとき年三回ぐらい10日間前後には帰す。毎日何度も電話をしているだけである。今回、大統領選挙の投票のため、ということがきっかけだが、8月初旬には夫のアリさん側の披露宴をするらしい、8月20日頃からプアサ(断食月)で、9月20日ころレバラン休暇になるので、最短でも9月の末まで、約、3か月ブリタールにいて、こちらには来ない。私は一人きりになって、身の回りの事やいざという時の心配はある。パニック障害がでたらどうしようかと不安である。半分だった運転も昔のように全部しなければならい。他の女性に臨時で一緒に住んでもらうこともできるが、マリアさんにばれると、すぐ飛んで来てしまいそうなのでできない。お手伝いさんに週二階一日二時間、洗濯、掃除にきてもらうことは許可が出た。帰した本当の理由は妊娠してもらうことです。妊娠したら、こちらに来ても良いと云ってある。だから、いつ、戻るか分からない。
2009.07.04
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斜めからインドネシアを眺めよう 291「あなたに全てを任せるから、押出で、売上がそれほどでもなくても、利益が上がることを証明してほしい」と、ある人から言われた。いくらなんでも、いくらもがいても、私は、そろそろ一線から退く年である。しかし、そう言われると、「豚もおだてりゃ木に登る」で、登らないでいられないのが、性というか、性分だから仕方がない。インドネシアへ着任してすぐのこと、13年前、言われたことを瞬時に思いだしていた。「何もしないで、じっとしていてほしい、あなたには何も期待していない、二三年、何もしないで、そのまま帰ってほしい」とはっきり言われた。J社の常務からでした。インドネシアで成功させよう、インドネシア人に技術を伝えようと思い、J社に貢献しようと、張り切って、燃えてきた矢先のことでした。天と地、どころか天と日本海溝の深海号で到達できた最深海ほどの差である。人は人によって、これほど違うことをいうのだなと、ぞくっとした。スタート地点で、後ろ向きにさせられたのと、加速がつくよう押されたとの差である。人を使うとはそういうことで、人を使う、育てるということは、引っ張り上げるか、後ろから押すかをすることです。そして、失敗を恐れない環境を作ってやることです。自分の立場を心配してしまったら、人を使う資格は消失します。「失敗は絶対許されない、」「責任はだれが取るのだ、」などの、プレッシャーを与える人は失格です。納得させることができずに感情的になり、怒鳴る人は、もう、最低です。 EJIPの奥のほうの会社です。興味深い話が伝わってきた。従業員との交渉で、ある会社(社名をはっきり言った)がこの会社を買いたいので早く交渉を済ませてほしいと、云っている、早く終わるためにここまで、譲歩した、従業員もこれで納得してほしいと、いっている。とか。売り先が決まっていると知れば交渉が不利になると怒っていた人が、自分で明らかにしているのです。まだ、仮契約も決まってもいないのに、である。事実、ある会社は方向転換を決めたのに、である。 全く情報を掴んでいないし、相手によって、まったく反対のことを言っているし、だから、ある会社は方向転換したのに。KYの典型ですね。
2009.07.03
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斜めからインドネシアを眺めよう 290いつになるか分からない話を待っていても仕方がないので、自分で貸工場を借りて、ひとまず、移転することに決めた。今の工場を拡張することも考えたが、二年以上借りて、ちょっと長期で待つことを想定しなければならなくなった。現在の仕事の増加速度を考えると、拡張しただけでは一年は持たない。マリアさんをドライバーとして使う最後の日だったので、彼女に頑張ってもらって、各工業団地の貸工場を調査して回った。従業員の利便さを考えるとチビトゥン付近が良いのだが、その辺りには貸工場が少ない、在っても、狭いし、電力の確保が心配である。其処で、ちょっと遠くなるが、ジャバベカを当たることにした。チカランにはイジップにもあるが、はるかに遠くなりし、渋滞にもぶつかりやすく、考えから外した。KIICやスルヤチプタは遠すぎて除外した。あくまでも今の従業員がそのまま移りやすいという条件を付けたい。客先への距離は、遠くなったり近くなったりで、合計距離はどこを選んでも、ほとんど同じである。新築で手ごろな広さ800平方メートルで年350ジュタ(350万円)の工場が見つかった。電力会社はリストリンドで停電もない。電気関係、水関係、事務関係の費用がいくらになるか計算し、至急、しかるべき手続きをするつもりになった。この工場を見たあと、次を見て回っても、これ以上の条件はないと判断し、調査は止めた。タンゲランから、自動カッター付きの引取機が届いた。スピードが早い細いチューブでも短いカットができるようになった。
2009.07.02
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斜めからインドネシアを眺めよう 2907月に入って、新しい展開になりそうだ。本当に気の毒な人がいるものです。パワハラの対象者からの仕返し(客観的に見て、あり得ない)の恐怖におののき、まったく、あり得ないことを、あるように思いこんでいる。PT.MAKUTAは大変忙しい状況になっている。お客さんの都合で、急に仕事が増えたからです。近所からアルバイトの女性(主婦)を臨時に使っている。インドネシア、特に、ジャカルタ周辺の町には、仕事を求めている人が溢れるほどいる。アルバイトを募集すれば、たちどころに集まり、翌日には時間どおりに出勤してくる、歩いて通えることが条件で、通勤費を出す必要はないし、時間給5000Rpくらいで、十分。民家が周りにある、半分森の中の工場なので、こういうことができる。工業団地内の工場ではこうはいかない。話は違うが、インドネシアに、日本の会社へ技術者を斡旋する会社がある。職業訓練所を自前で持っていて、希望者(勿論、入るのにテストはある)日本語、5S、ホウレンソウなど日本働くための心得を教え、希望の会社に派遣する。派遣先の会社からの謝礼金が運資金になる。最大の目的は派遣先の会社で日本の高度な技術、そこまで行かなくても何かの技術を覚えてインドネシアに帰った時、その技術や仕事ぶりを、生かせてほしい、ということです。大変、慈善事業的で、素晴らしいことだと思うが、そのシステムを運営する日本人の不満は、日本企業が迎えた人たちを単なる組立作業など単純作業しか、させないので、お金は稼ぐが技術を全く覚えてこないということでした。日本企業に不満を漏らしていた。
2009.07.01
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