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斜めからインドネシアを眺めよう 197 全く遅い対応に従うしかないことが分かった。仕事は何をしているのでしょうか。大男が二人、今年に入ってなお仕事は無くなっている。自分で必要ないと思わないのでしょうか。何もしないで、今年一杯、居座るつもりでいるのに、本社もなにも手を打たない。呆れるばかりである。 工場をたたむのは、早ければ早い方がいいに決まっているのに、それを、くみ取ることが出来ない、例え、それが分かっても、どうしたらいいか分からない。その前に、仕事をしたくない、根っからの怠け者にもかかわらず、インドネシア人を批判することだけは一人前、自分で全部やってしまえばいいのに、できないから仕方がない。他人も知らないから、彼らの無能力を知ることができない。私から見れば、いない方がいい人たちである。そういう日本人がインドネシアには多い。 今年の末前に撤退できるらしい。今頃そんなことを言っているらしい。まったく、話にならない。しょうがないから、もう、あてにはしない。従業員はほとんど仕事がない状態で、情報が入らないので不安に思っている。そういうことも彼らには関係ないことで、不安は不安のまま、知らん顔をしているだけである。従業員から質問されても、そんなことはないと言っているだけである。誰が見たって、状況的に撤退する前夜の状態なのにである。6月末前に、あと、三ライン設備をすることにした。合計6ラインをフル運転にして、N社を待つことにする。それより早く、会社を設立していただければ、それはそれで良いのだが、N社が張り切っても、実態を知っている私から見れば、K社の現地スタッフをあてにできないので仕方がない。
2009.03.31
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斜めからインドネシアを眺めよう 196 月曜日、インドネシアのことが心配である。今日はHDPEチューブのトライをしているはずだが、彼らにとってそう難しいことではない。それでも、寸法が小さいし、0.3mmと薄いので、ちょっと心配。インドネシアへ設備を希望する装置のリストアップと見積もりの準備をした。新会社に提案をするためです。売上、利益予想と設備計画の日程、100%以上の確率でできるであろう、利益計画スケジュールを準備した。明日のミーティングで議題にします。太田化工でミーティング後、孫を連れて、動物園へ行ってみた。昨晩、一緒にお風呂に入りながら、約束をしたからです。その約束を果たした。平日のもかかわらず、桜の満開の名所ということもあって、けっこう、賑わっていた。今回帰国の最大の目的が、孫達と一緒に過ごすことですから、それを、実行している。インドネシアの自分と、孫と過ごしている自分の、環境の違いはあまりにも大きい。孫を相手にしながら、ふと、思う。 それにしても、踏みつけられたり、突然飛び乗られたり、息抜きができない、くつろげない、油断が出来ない。
2009.03.30
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斜めからインドネシアを眺めよう 195 去年の8月以来の孫たちとのご対面でした。いきなり、二人が飛びかかってきて、大きな荷物もバゲジもそのままに、暴れまくられた。疲れて、ひと眠りしたかったが、それどころの騒ぎではない。どっしんどしん体に乗っかられ、息ができないほどにされてしまい、違った意味でのパニックだ。二歳と四歳このくらいの年の孫の相手が一番、体力が必要かもしれない。 昨日の晩 ジャカルタから出発することに、面白いことがあった。その前にカラワンでゴルフをして終わってからの食事の時、今日、成田へ出発するという話から、空港使用料が10万Rpから15万Rpに上がったよ、と言われた。それから、フィスカルについての話になって、納税番号カードを持っていれば免除になると言っていた、その最後にフィスカルは250万Rpになっているよ、と、言われた。そんなことは初耳で、今年からそうなったという、全く知らなかった。今務めている会社からはまだ、給料を貰ってないし、そんなカードなど見たこともない。そこで、こういうカードだと見せられた。今晩出発なのに手の打ちようがない。もう、250万Rp払うつもりで、現金を用意して空港のカウンターへ行った。そこで、フィスカルをどうしても払わなければならないが、うまい方法はないかとカウンターの男性に聞いた。あるという、150万RpでOKという。今まで、100万Rpだったから、それでもオンの字である。方法はここに書けないが、とのかく、フィスカルのチェックやイムグレでも何の問題もなく、スムーズに通過し、飛行機に乗れた。インドネシア語がスムーズに話せて、即決できることが、そういうことをできる条件になります。とにかく何人かに電話連絡をしていた。インドネシアですから、方法はあるものですね。
2009.03.29
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斜めからインドネシアを眺めよう 194 今晩 日本へ出発です。29日、早朝成田着です。今回の一番の目的はドイツから来ている孫たちと遊ぶことです。何といってもこれが最大です。多くの時間をおじいちゃんとして過ごします。その他として、パニック障害関係の薬を受け取ること、留学生の保証人としての役割を果たすこと、太田化工での打ち合わせ、N社関係でゴルフと仕事の打ち合わせなどです。 インドネシアの仕事をふやすことを急がなければならないので、6日にはインドネシアへ戻る。ほんの束の間に滞在です。今年の暮れから正月にかけて、その時期まで日本でのリラックスはお預けです。 27日の早朝 大惨事がタンゲラン(ジャカルタの南西)で発生した。山岳地方の灌漑や飲料水用の多目的ダム(貯水池)が決壊し、津波が瞬時に襲った様な状態になった。夕方までに60人ぐらいの犠牲者が確認されたが、ホンの一部で、行方不明は何百人になっている。地方から出てきた大学生の下宿屋が多い場所で、死者の大多数は大学生のようですが、中には、地元の人で家族7人が行方不明になってしまったと探しているお父さんもいた。怖い場所にダム湖がある。オランダ時代に作ったダムで、その時は近くに家はなかったと思うが、今は、密集している。いかにも危険な場所にある。29日は、日本の自宅から、夜の投稿になります。
2009.03.27
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斜めからインドネシアを眺めよう 193 インドネシアの日系企業の全てといっていい、今日から四連休です。仕事がないので明日は平日ですが休みにしています。ニュピとは何でしょうか?ヒンドゥーの正月です。バリはほとんどすべてが休みです。ウングラライ、マタラム空港もフェリー港も休みです。どこかに書きましたが、救急車、消防車など緊急事態に備えた場所以外は、閑散としています。イヌも猫も外出禁止です。お客さんもホテル内にカンヅメです。レストランもクローズですから、前の日に食料品は買い込んでおく必要があります。バリにいる他宗教の人たちも協力しなければいけません。ジャワ島の東端のバニュワンギやロンボクもヒンドゥー教徒が多いので、町は閑散とします。ブロモやプランバナン、ラトゥボコもヒングゥーです。 バリ以外ではほんの一部しかヒンドゥーはいませんので単なる四連休日でどこの行楽地も大混雑です。ところで、PT.MAKUTAのチューブ製造の第一号注文が昨日入った。どこの何という会社からとは今のところ明らかにできないが、難しい樹脂で寸法公差も±0.05という厳しいものですが、見積もり依頼を受けて、翌日見積もりを出し、三日後にサンプルを提出し、四日後に注文を戴いた。普通の早技です。台湾系の会社の台湾人の経営者、決断が速い。ミーティングはラップトップをオペレートしながらである。「太田さん、この値段でお願いします」と、計算しながら確認していた。私は、即断で「最初ですから、OKです」「次回の別の見積もりについてはこれを踏襲しないことを記録しておいてください」とお願いした。初取引ですから、安い中でも安値で設定した。今後の商売期待の価格である。
2009.03.26
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斜めからインドネシアを眺めよう 192 技術をもっていない人でも、いい加減なことを云って、お客さんを納得させてしまうことができてしまうことです。私からすると、間違ったことを納得してしまっている人を、それは違うと、言って、納得させることが非常に難しい。たとえば、安い価格を提出すると、何故安くできるのか疑問が生まれる。高く売りたい人は、指定された原料が高いとか、スピードがこれくらいでしかできないとか、原料を使いやすくするのに手間がかかるとか、言って、納得させようとする。知らないお客さんはそれで納得せざるを得ない。それより、安い価格を出すには原料を指定されたものでなく、いい加減な原料を使うしかないといって、安い値段を出す、私を牽制する。お客さんも不審に思う。私が原料は安く入手できる、スピードを上げることができる、原料はそのまま使えるものを要求し入手するから、安くできると、説明しても、なかなか、納得してもらえない。とにかく、私がやることは、一般の人から見るとマジックのようなものですし、いろいろなものを簡単に作ってしまう能力はほとんど一種の超能力に近いと思っている。ですから、一般の人はなかなか私の言うことを理解できないのです。できるはずがない、だから、私が与えた技術を使い、私の掌の上で、私の出した価格には、ごまかしがあると中傷するひとがいる。気の毒に思うがやむ負えない、分かってもらえないのですから。もうひとつ、分かってもらえないことがあります。それは、奉仕の精神です。利益を上げることは重要ではないと考えていることです。私の技術を役立ててもらえばいいと思うことと、仕事があればその技術をインドネシア人に伝えることだできる機会が与えられるということです。これこそ、一般サラリーマン的経営者にはまったく別の世界です。
2009.03.25
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斜めからインドネシアを眺めよう 191 元K社の従業員が来てくれて試作をしてくれている。このまま量産に移行してくれることを願っている。試作第一号は、お客さまに提供した。評価待ちである。価格が安いことと品質が優れていることは、わかりきっていることなので、後は、いつ注文になるか、客先の考え次第である。 もう一社、図面をいただきに会社訪問をした。ここはすぐに注文をもらえそうである。見積もりも明日中には提出するが、HDPEチューブにしては台湾からの輸入品が高すぎるし、二か月以上前に見積もり依頼したにも抱えあらず、A社からは、見積もりが出る気配が感じられないという。相変わらずの会社である。その他の製品でもチャンスは多いと思う。 一か月振りになるでしょうか、SさんとTさんと食事会をした。三人ともアルコールが全然だめで、その点だけの付き合いである。私のコレクションの写真をDVD三枚にして二人にプレゼントした。ついでと言っては何ですが、仕事の話で、架橋剤のマスターバッチが入手可能かどうか確認した。私が、頼んだり、聞いたりすることは、専門家でもなかなか難しいことなので、原料屋に聞いても何のことか知らない人が多い。ですから、押出成形の原料に関しては敬遠される。
2009.03.24
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斜めからインドネシアを眺めよう 190 Sembilan barang pokok (スンビラン バラン ポコッ)"九種類の基礎的品物"の意味です。 ミニヤクウゴレン(揚げ物油、マルガリン)ブラス(お米)グラ(砂糖)ダキン(各種肉 トロール(卵)スス(ミルク)ジャグン(トーモロコシ)ミニヤクウタナー(灯油)ガラム(塩)を略してSembako(スンバコ)という。言葉の印象から"寸箱"と解釈する日本人は多いと思う。実際に箱や袋に入れて、従業員に会社からプレゼントすることや、地方や国の政治家や金持ちが折々にスンバコを配る風景が紹介されている。大統領が配ることもある。現金を配ることもあり、噂を聞きつけた群衆が殺到して、犠牲者がでた例もあるほどだ。イスラムの習慣らしいが、不公平な奇妙な習慣だと思う。結局、世渡りのうまい人が得をするシステムです。一種の金持ち意識を満足させるものだし、もらう方は誇りを傷つけられるとう傾向もある。今回の選挙の場合もこの扱いが選挙違反と絡んで難しいことは書いた。金持ちは、どうせ、巧妙な方法で金集めをしている傾向があるインドネシアです。税金を確実に納入するモラルが定着することが大前提です。 前大統領のメガワティがスンバコを安く安定させる政策を取ると公約している。スンバコの本当の意味が分かって納得したが、日常的によく使われるsembakoは辞書に載っていない。
2009.03.23
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斜めからインドネシアを眺めよう 1894月9日は国会議員の投票日ですが、本命の7月の大統領選挙の前哨戦である。8月の決選投票まで選挙戦は続くでしょう。選挙運動の様子はずいぶん変化した,おとなしくなった。落ち着いてきたといったほうがいいと思う。民主的な雰囲気が定着しつついある。今回の選挙方法は以前の投票用紙に穴をあけるとは異なり、チェックをする方法に変わったので、その方法をテレビのいろいろな番組で説明している。ブカン ウンパッ マタ、empat mataというのは、四つの目ですから、二人きりで向かい合ってさしで話をする、という意味ですがbukanという、否定語が、着いていますから、二人で話すのではなく、大勢の人で話をする。そういうテレビ番組があります。その番組の中では、いろいろな有名なタレントが選挙運動のやり方について、ストレス解消的な大騒ぎをするよりも各政党は自分達は何をするのか、何を約束するのかをはっきりしてほしいと言って、観客も拍手していた。その折り、選挙管理委員会の関係者が出てきて、投票用紙の見本を観客やコメンテーターに渡し、実際にどのように投票するかのシミュレーションをさせながら説明していた。その他の番組でも、似たような説明が繰り返されている。良い傾向である。また、実際に町へ出て、今回の選挙がいつなのか、投票の仕方を知っているのかインタビューしているが、分かっていない人が、まだ、多い。幟や旗の氾濫で、この、景色は絶対になくさなければならないと思うが、実際に、街によっては撤廃を民衆みんなでやっている。その雰囲気もテレビで紹介し、住民の意見も聞いていた。
2009.03.22
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斜めからインドネシアを眺めよう 188 答え方が変なのは、そこまで深く詳しく知る必要を感じない生活をしているからなのでしょう。言葉でも曖昧なものが沢山日常で使われている。インドネシア語講座にも最近付け加えたが、Sakit(サキッ)"痛い""病気"や、Tambah(タンバー)"増やす""追加する""お変わりする"インドネシア人にとって、追加もお変わりも同じ意味なのです。全く区別する必要はないのです。日本人にとっては、状況によって意味が異なるが、微妙なときがある。まだ、コップでも茶碗でも、中身がまだ残っているとき、まったく新しいものに変えてもらいたいのか、追加するだけでいいのか、説明が必要です。ティーパックで紅茶を飲んでいるとき、ティーパックはそのままで、お湯だけ追加してほしい時も、まったく、新しい紅茶をお代わりしたい時も、トロン タンバーと、言います。インドネシア人はどちらか聞き返しません。頼まれた人によって、どちらか判断します。砂糖を追加で必要かどうかも聞いてくれません。こういう時は、自分の希望を全部言う必要があります。ティーパックはそのままで、お湯だけ一杯に追加してください。砂糖は匙の半分ぐらいを追加してください。と。納期について、いつになる?と聞くとミングーデパンと、言われる。月曜日から土曜日まであるのだが、答える方は一向に、気にしない。何曜日か、必ず聞くことになる。そして、午前か午後かくらいは確認する。しかし、彼らにとってこれが約束だとは思わない。其のとおりに納品されることを期待しては、インドネシア人をまだ、わかっていない。
2009.03.21
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斜めからインドネシアを眺めよう 187 日本からのお客様二人をPT.MAKUTAへ案内をした。ジャカルタからチカラン過ぎまでの大渋滞で、チェンカレンからの押出機二台が到着しなくて、お見せすることができなくて残念でした。31日に日本でミーティングがあるので、写真をお見せできる。とにかく安い投資で準備ができることを分かっていただいたと思う。明日は05:00起きで、また、ゴルフ。PT.MAKUTA初製品の試作は予定通り出来上がった。来週前半に他の二種類と共に納品をさせていただく。その製品の生産状況を日本からのお客さまに見学していただいた。この仕事は近い将来、見学のお客さんの会社に、ここから出ていく。こんな時期に、そんな高い買い物をする会社があるはずがないと、サラリーマン的なさみしい考え方しかできない人は、憶測で否定するでしょうし、それを鵜呑みにして、なるほどと思ってしまう人も多いでしょう。それが普通かもしれません。しかし、私もそうですが、この不景気のどん底の時に、安い投資で、将来大きなことができるチャンスを掴むという考え方をする人は少ないがいる。資金的にある程度余裕があることと並外れた技術力と行動力が条件です。私はこの時期がチャンスと見て投資しました。私の先輩も投資をしようとしているのです。ま、一般のサラリーマンには、考えもつかないことですし、実際にそう簡単にできることではありません。この時期、資金にまだ余裕があるが、技術力や行動力がない会社は撤退した方がいいのです。こういう決断をする経営者と前者の経営者が、出会えば自然に話は進みます。 インドネシア語を覚えたい方は、私のインドネシア語講座を開くとパッチリ開眼する。http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0051.html
2009.03.20
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斜めからインドネシアを眺めよう 186 インドネシア人の言葉の使い方は、はっきりしないことが多い。曖昧なことが多い。今日も会社の電話番で事務の女性に社長はどこへ行っているのか聞いたら、アンビル バランと答えた。"物を受け取りに"という意味です。答えになっていない。私が求めているのは、物といったって、いろいろあるし、何か知りたい。どこへ何時頃出発したのか、いつ頃帰ってくるのか、それを知りたかったのですが、一つ一つ、すべて知らない。そこで、社長に電話で聞いた。どこにいるの?と、返事は、ラギ ジャランでした。意味は"まだ、移動中"です。これでは何も分からない、移動中なら、どこへ行くのか、帰り道なのか、どして、今、どの辺りなのか、いつ頃、戻るのか、まったく聞きたい情報がない。改めて、それら一つ一つを聞かなければならない。本人だから、確認は確認できた。これが、間接的に人に聞いてもらうとなると大変。間に入る人が、わたしが必要とする情報を把握できないので、曖昧なこと絵しかできない当事者に、一つ一つ確認できないまま、私に伝えてくる、そうすると、また、尋ねを繰り返す。直接、私がたずねるから、電話番号を教えろと言っても、なかなか、教えない。中間の人は何か直接聞かれてはまずいことがあるのかのようになかなか教えない。約束の時間に現れない本人に電話をして、今どこにいるの?と聞くと、今、どのあたりだから、あと何分ぐらいで着く、という、返事は絶対に帰ってこない。車の中、とか、そっちへ向かっている、とか、バスの中、とか、移動中という返事しかしない。インドネシア人は聞く方もこれで、納得してしまうらしい。だから、私は間接的に聞いてもらうということはできるだけしないようにしている。 明日は日本から重要のお客様を迎える。自分で運転して約束の時間の10分以上前には待合場所でスタンバイする。
2009.03.19
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斜めからインドネシアを眺めよう 185 ジャバベカのある会社に求められて訪問してきた。あるにはあるもので、硬質塩ビのプロファイル(異形品)をとりあえず二種類の見積もり依頼を受けた。現在台湾から輸入しているが、インドネシア国内から調達したいという、いつものパターンである。インドネシアには競合先はない。私の作った装置を使って商売をしている会社もこの製品の生産はできない。全く、別の方法だからです。 ウエートバーの金型を返してもらうようにU社にお願いするつもりだ。この製品も、今持っている会社では意味がないからです。過去の経過からいって、形にも何にもならないからです。また、インドネシアの日系商社にお願いしての輸入原料入手は、大変困難な状態になっている。多分、私が手伝う会社への原料提供は、現金前払いという方法を取っても、締め付けがあって出来ないのでしょう。仕方がありません。そこで、緊急に必要な二種類は、日本にある旧知の商社から直接PT.MAKUTAに送ってもらうことでしのぐことにした。世の中、捨てる神あれば拾う神もあるものです。とにかく、求めていただくお客さまに迷惑をかけないようにするのが大前提ですから。
2009.03.18
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斜めからインドネシアを眺めよう 184 試作を始めるためのセッティングが始まった。装置の点検と試運転も始まった。後は、客先になるだろう会社から金型を支給してもらうことである。客先の持ち物だからである。金型を支給していただければ直ちに試作をする準備ができた。 今週は一社だけ、お邪魔をし、見積もりを提出します。来週から、急いでいるだろうという反応がある会社を訪問します。価格は正当な安い値段を出させていただきますが、品質や値段だけでは無い、などと、判断せれる会社もあるでしょうから、注文を欲しいとしつこく訪問することはありません。 カンパニープロファイルがあるわけではないし、とにかく、バラックの工場に新規の装置を入れて大急ぎで準備をしたので、外観的にはいかにもローカルの貧弱な工場に見える。それだけで評価されてしまえば、仕事を出す気がなくなってしまうでしょう。ですから、私にぜひやってほしいと、本当に求めているお客さんを優先にします。その方が、三ラインしかない製造装置を有効に割り振ることができます。 全ては私が保証するわけですから、私の保証を信じてもらうしかない。今のインドネシアの押出成形の難しい部分はすべて私の技術を使って、私が教えた人たちがやっているのですから、信頼してもらうしかない。 やっと名刺に記入できるメールアドレスなどの項目がそろったので、名刺の注文をした。今週20日に出来上がってくるので、来週の客先訪問には間に合うことになる。
2009.03.17
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斜めからインドネシアを眺めよう 183四月九日の国会議員の選挙がある。二三か月以上前から、賑やかの選挙運動が始まっていると思っていたが、今日から選挙日まではカパニエダマイと云って、平和な選挙運動という日程に入った。公式の選挙運動が始まったのです。大量の運動員を動員し、各都市、街を車やバイクや徒歩で行進する。政党に日時とコースが割り当てられている。公平にするということと、衝突を避けるためである。 当然、インドネシア中の道は彼らがわがもの顔に占拠するし、ストレス解消のような、羽目をはずす行動をするので、どこも、かしこも大渋滞になることは必至である。実際、今日から渋滞がひどくなっている。 こちらの人たちは名前を書くという投票ができない人が大多数なので、40近くある政党の各選挙区の立候補者の名前と顔写真と政党名と政党の番号が一覧表の大きな紙を受け取って、其処のいずれか一か所にレ印チェックをする。その紙の大きさは20cm四方に畳まれているが広げると70cm四方ぐらいになる。印刷した用紙を折りたたむ作業だけでもおおくの人を使う。紙、印刷代も大きいが折りたたむ人の費用も大きい。 それでも、テレビのインタービュー番組では、選挙があるということを知らない人が多いし、日時を知っている人は少ない。選挙方法を知っている人はもっと少ない。 また、選挙違反がどんな行動に当てはまるのか分からない。買収は違反ということは常識的に知っていても、インドネシア、イスラムには、金持ちが貧乏人に施しをつることは当然という考え方、習慣がある。この区別は出来ないと思うのだが、どう判断するのでしょうか。インドネシアだから金額次第でどうにでもなる。 私の電話番号は 628111007012E-Mail address otak-otak@makuta.co.id で、しばらく、落ち着くでしょう。otak-otakには意味がある。私の名前とインドネシア語のotakの意味と掛けていて、なおひねって二つ続けたのにはインドネシア人の笑いを誘いたかったからです。
2009.03.16
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斜めからインドネシアを眺めよう 182 久しぶりのインドネシアでのゴルフ。バリで買ってきたオランマル(恥ずかしがりの人)を三人にプレゼントした。ジャカルタのパサラヤやソゴーやサリナなどの土産物コーナーで買えば30万Rp以上するシロモノ、バリ、クタのマタハリで買えば15万Rpである。私が買った値段は4万Rpでした。最初、8万Rpといわれ、私は3万Rpと云って交渉した結果4万でOKした。その時使ったタクシードライバーが、買わないといって、その場を離れれば、3万Rpまでさがると言っていた。言われた半値以下にすることがこの場所では当たり前のことだと言っていた。買う前に云ってくれよ、と、云ったら、日本人としては安い買い物をしたから、と言われた。雨季も最終になって、日差しが強い。この時期、雲がなくなった空は一年で一番青い。空気が雨で洗われて埃が少ないからである。積乱雲の白さと空の青さが際立つ。一番紫外線が強い時期です。手袋をしている左手の白さが浮き立つ時です。また、機会を失っていた散髪に行ってきた。カットとカラーリングとボディーマッタージ一時間で15万Rp(1200円)、ただし、剃刀で耳の周りの輪郭を整えるが、安全剃刀で何もつけずにごりごりやる。また、最終の仕上げはなにもしない。また、カラーリングは乱暴で、飛沫が飛び散るし、おでこや耳や首の後ろなど、毛以外も染めてくれる。はみ出しがひどい。一週間ほどで消えるので私は気にしない。
2009.03.15
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斜めからインドネシアを眺めよう 181 木を切ってしまった話。以前、男の子が手に入れた小石を水にちょこっと付けると、たちどころにその水が万病に効く薬になる、という話を書きましたが、今回は、薬になる樹液。ジャカルタ北部の旧市街地の一角を流れる川沿いに木が並木のように植えられている。その木のうち、三本からこぼれ出る樹液が万病に効く薬だという評判が立って、その樹液し触りたい人や採取をしたい人が長蛇の列を作り、交通の妨げになり、渋滞にもなっている。前の話もそうだったが、保健所の検査ではどちらも単なる水。その木の水は、すぐ横の川の水位が雨季で上昇する時期、今が量が多く出るらしい。乾季には出なくなる。 その騒ぎをテレビニュースで伝え、インタビューでは、実際にいろいろな病気や痛かったところが治ってしまったという話を流していた。 ジャカルタ市では、その騒ぎを収めるために職員を派遣してその三本の木を切ってしまった。それを、さらに、小さく切ってその川に流してしまった。話も、インドネシアらしいが、処理の仕方もインドネシアらしい。切る時も大勢の人が反対し妨害したがとにかく警察の護衛の下に切ってしまった。その様子は勿論テレビニュースで流した。ウソのような本当の話は、私がまだ知らないだけで、もっともっとたくさんあるらしい。日本では全くいないと、私は思っている、祈祷師、呪術師が田舎のいたるところにいて、この間行ったスンバ島のワイカブという一番大きな人口3万人ていどの町をレストランを探すために19:00ころ歩いていると、ある病院のような店の前で多くの子供や赤ちゃんを連れた人たちが座って、順番待ちをしている。聞いたら、祈祷をしてもらう順番待ちだと言っていた
2009.03.14
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斜めからインドネシアを眺めよう 180 インドネシアには奇妙な病気が多い。例として、お腹から針金が何本もにょきにょき出てくる。毛が生えてくるように、である。カリマンタンの40歳くらいの女性ですが、20年ぐらい前に,祈祷師にブラックマジックをかけられ、そういう状態になった。その祈祷師は死んでしまってマジックを解くことができなくなってしまった。どこの病院でも原因は分からないし、手術はその毛根のようなものを切除するだけだが、根が絶えることがない。今は、自分でペンチを使って切っている。タシクマラヤの体中全体がコブだらけの女性、50歳位でしょうか。日本に昔、コブトリ爺さんの話があるように、私も、子供のころ首の後ろにコブをぶら下げているおじいさんを二人知っていた。そういうコブが体中に出来るのです。顔もぼこぼこになっている。大小様々で水膨れのようにも見えるが、中には肉が詰まっていると思う。生活にあまり支障がないようで、普通の主婦をしている。周りの人たちも、移る病気ではないことを知っているので、普通に付き合っているし、握手をしたり、頬を付けての挨拶もしている。もう一人ジャカルタの男性にいる。この人は、交通整理をして小銭を稼いでいる。二人とも、入院して手術をしたいが、お金が足りなくて手術ができないでいる。義捐金が集まるが、まだ足りないらしい。国や病院は援助をしない。援助をするときりがないし、公平でなくなるという精神からである。
2009.03.13
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斜めからインドネシアを眺めよう 179 インドネシアにいられなくされた私が、これ幸いと、日本へ戻って、新会社について打ち合わせして、そのついでにVISAも手に入れて、悠然とインドネシアに戻り、インドネシア人のためのインドネシア人による会社を立ち上げる準備をし、一か月で、押出しの生産準備が出来上がった。そして、間もなく、何社かのサンプルを作って提出します。価格は日系企業価格ではなく、ローカル企業価格を出させるつもりです。この、速度を感じて、当てが外れて驚く日本人が何人かいることでしょう。自分で仕事をするということはこういうことです。他の人にこんな早技は絶対に出来ない。だから、私を使う立場の人は自分の能力と比較できないので、私を使えないのです。 その人たちが、気が付かない間にマジックのように仕事をしてしまうので、何もしていないように見えるのです。独立した頃、他の会社の経営者(すべてが私より年上)が来て、「太田の仕事は何もしないで儲かる仕事でいいな」と、よく言われたものです。インドネシアらしい話。押出機を乗せたトラックがチェンカレン(ジャカルタ空港の手前)10:00に出発したので、遅くても14:00にはチビトゥンに着く、という知らせが入った。13:00過ぎにまだジャカルタに入ったばかりだから16:00頃には着く、と言われた。外に出ていた私は16:00にPT,MAKUTEに入ったがまだ、着いていなかった。どこにいるか何度聞いてもマシジャラン(運転中という意味)どこにいるのか運転手が分からないらしい。18:00になってポンドックグデといってジャカルから出るゲート辺りにいることが分かった。結局、チブトゥンの会社に着いたのは19:25だった。途中で、パンクをしてタイヤ交換をしたとか渋滞とか、言い訳をしていたがどんなにかかっても3時間の道のりを9時間以上かかったことになる。インドネシアではこれで腹を立てては生きてゆけません。腹お立てる日本人はストレスが増すのです。怒鳴りたくなるのです。
2009.03.12
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斜めからインドネシアを眺めよう 178 現実にまたもどった。久しぶりにPT,MAKUTAとBENGKEL SANJAYAへいった。また、SAKURAによって、KITASを手に入れた。ブクビルも一緒だった。押出機は明日一台、今週13日に二台が納入される。ヘッドの取り付けが問題だが二三日で取り付けられるようにする。もう、確実に20日前には何社かにサンプルを出せることがはっきりした。ほぼ、予定通りだと思う。原料の手配はLDPEとLLDPEとPP炭カル入りを16日までに入手の段取りになっている。前にも書いたが、すべての装置や原料代はキャッシュで前払いである。当然である。インドネシア人スタッフには仕事を始める時はこうでなくてはならない、また、これからも、ずっと、半額以上は前払いで、入手と当時に残りを渡せるように、金銭的余裕をもって、付き合うように指導してある。信用が第一だし、その方がディスカウントのお願いはできやすいので安く入手できる。少量の手配が難しいうえに価格が高い輸入原料は、できるだけインドネシア産を工夫して使う。どうしても成型できない場合はASEAN地区からの輸入品を使うことにする。日本から輸入している製品のインドネシア産化ですから、どうしても、日本の原料が指定になっているが、技術を持ってさえいれば、品質や物性で劣ることはないし、私としては輸入品より高品質で過剰物性の製品を安価で提供する自信がある。
2009.03.11
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斜めからインドネシアを眺めよう 174 03:00に家を出発06:15ジャカルタ発ムルパティヌサンタラでバリ、ウングラライへ、12:25バリ発でスンバ島へ、waingapu 到着は15:00頃だった。時間がかかったものである。今日は何もできない、疲れてホテルで休息しかなかった。バリから、ロンボク、スンバワ ブサール。フローレス、その間にコモド島を左に見ながら東進し、フローレスの途中から南進し、スンバ島へ向かった。空港はフローレスのマウメレと同じくらいの小さな規模だった。申し訳ないが、ここの人たちの人相は怖い、女性の顔も怖い。 こういう会社がある。レポートを大量に出させる。それによって、日本人が品質や人物の評価をする。本人がやったものではなくても、自分が主体になってやったように報告をうまく書ける人の評価が高く、仕事をしているので、報告書を書く時間が少なかったり、面倒なので、大部分を省略してしまったりする人の評価は低くなる。日本人はほとんど会社に来ないし、来ても、其の報告書を眺めるだけで、現場には出ない。これでは、仕事ができる人はこの会社で仕事をしたくなくなるし、報告書に専念して、本来の仕事は置き去りになってしまう。休日出勤や残業手当がつかないように名ばかり管理職にして、強制残業や休日出勤をさせる。応じないと評価を下げる。残業や休日出勤の仕事ぶりを何度も確認しているが、ほとんど仕事はしていない。会社にいるだけである。それでも、報告のうまい人はいかにも多くの結果を出したように書いてある。 3月8日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-175斜めからインドネシアを眺めよう 17507:30 ホテルから出て、スンバ島の西側のWaikabubakの方向に向かうが、途中観光地というか見どころに寄りながら行く。街を通り過ぎてなお、西へ向かい海に面したホテル(コテジ風)Resort Newaに泊まった。全く、携帯電話の電波が届いていない。このホテルの部屋にはテレビもない。何の情報も得られない、外部との接触が閉ざさされた世界に入ってしまった。一日タクシーを使い回して75万Rp約6千円である。Sri Kayaという果物を知っていないでしょう。これと似た果物は日本にはありません。説明が難しい。報告は問題点と失敗についてさせればいいと私は思う。うまくいっているかいないかは自分の目で確認することにしている。しかし、この考えと逆の日本人が大勢いる。うまくいっていることだけ、うまくできている製品の報告だけをさせる。それを見て、満足げにサインをしている。余分な仕事をさせるだけで、なにも参考にならない。自分の目で確かめた方がいいと助言すると、逆切れされるので、そのままにしておく。三交代の長の仕事として、全製品の断面図を投影機で十倍に拡大してなぞらせて書かせる。これも標準書がないので彼らはOK製品を選んで投影図を書く。それに指定された部分の寸法を書く。その寸法が公差に入っていようがいまいが、今までOKだったものはOKにしている。それを日本人が見て、OKのサインをしている。全く、不思議な世界を見ている。全く、意味がない世界を見せられている。これで、クレームがなければすごいが、客先からのクレームは日常的にある。日本人は知らん顔をしている。直接、客先の日本人からその日本人にクレームの話が来ても本人は、その後、どうしたのか、連絡しない。すべてローカルスタッフに対応させる。これで、仕事がつながっているのが不思議である。よほど、日本人同士で分けありなのでしょう。現状はどの会社も苦しいことは承知ですが、それでも、余裕のある会社と今にも倒産しそうな会社とある。もちろんその中間はいっぱいあるのですが、危ない会社はこのような会社です。3月9日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-176斜めからインドネシアを眺めよう 176西の端近くから、東の端に向かってもらうために、07:00にホテルを出た。6~7時間のドライブを予定していたが、昼食一時間をかけて、6時間で着いた。途中Waikabubakを通過したが、そのほかは、町らしい町はなく、景色も単調でほとんど眠っていた。目的地の東の端、PauやRendeの伝統村を見たが、いずれも期待はずれで、伝統家屋は少ない上に、トタン板で修復されていたり、トタン板で作ってあったりでした。行ってみて初めて分かることでしたが、伝統的家屋の集落で一番それらしく印象深かったのは、Waikabubakの町はずれの丘の上にある集落でした。何も、わざわざ遠くへ行く必要はない、一番近くに一番印象的な場所があったのでした。Hotel Ervinに宿泊、三日間とも熱いお湯が出ない。二日は冷たい水で我慢したが、このホテルではバケツ一杯の熱湯をもらって、たらいを借りて、行水をした。三日間落ちなかった垢が、いっぺんに落ちた。インドネシア人は水で体を洗うが、石鹸を使ってごしごし、磨いても、垢が落ちていないことを知っていない。その証拠に、お湯で体を洗わせると、本人がびっくりするほど,ほろほろ垢が落ちる。体が臭く思うのはそのせいでしょう。男も女も体臭を大変気にする。他人が臭いから自分も臭いのではないかという疑心暗鬼である。お湯につかるという習慣がないから仕方がない。今日、記念すべきは、Rendeで、ピナンを出された。歓迎の印である。ジャヤプラ、パプアでは緑色の実と石灰を一緒に噛んでいたが、季節が旬でないからここでは乾燥して輪切りにしたものだった。せっかくなので食べてみた。ほんの少しだけだったが、目が回って、パニック障害の時の症状に似てきたので、あわてて、口にのこっているものを吐き捨てた。それでも、一時間程にわたってもうろうとしていた。酔っ払いのような症状になるがここの人は子供の時から食べているので、程よい気分になるらしい。もうこりごりである。3月10日 インドネシアで 楽しく暮らす 15-177斜めからインドネシアを眺めよう 177 06:30ホテルから出発。08:20テイクオフ09:40バリ着、15:30発まで時間がたっぷりあるので、土産物を買いにタクシーでキンタマニへ行く途中のジャランスカワティの土産物屋街へ行ってオランマルを仕入れた。一コというか、一体が5万Rpだった。もっと粘れば4万くらいになったと思う。四個買った。ゴルフ仲間への土産である。 バリの空港でやっとフラッシュを使えるようになった。そして、待合室に唯一ある電源を使って、久ぶりにメールを眺めることができた。 会社内の情報の収集が全体的に出なく、ほんの一部の気にいった幹部や通訳からしか得られない日本人が多い。自分が集めた情報ではないので、間接的であり、その人たちが扱いにくい、気に入らない、彼らに従わない、彼らに批判的な人達は彼らから批判的な情報しか伝わらない。また、噂を作って、あるいは誇張、歪曲して報告する。それを、信じてしまう。直截自分で確認することはしないし、できない人が多い。そこで、従業員の多くは、通訳など全く、本来の仕事ができない人のご機嫌をうかがうようになる。そういう会社はもう、お仕舞いである。本社はどういうことを早く察知し、交代させる技量がなければならないが、ない会社がおおいので、これも、仕方がない。うまくいっている会社は、日本人と現地人従業員との直接会話がうまくいっている会社です。日本人の皆さん、ぜひ、直接会話をして、皆さんが何を望んでいるのか、何を考えているのか、自然体で把握してください。私は、従業員全体の味方なので、経営者の日本人やその側近や通訳には批判的です。彼らは、日本人経営者に、私は批判していることや、ないうわさを作って報告する。日本人は、バカなことにそれを信じる。そして、私を眼の上のたんこぶにする。自分で自分の首を絞めてしまう。そういう無能な日本人が多い。
2009.03.10
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斜めからインドネシアを眺めよう 173プラバイダーのCBNにPT.MAKUTAをつなげようと思って行動をした。いろいろ検索して探してみたが結局、最後は、PT,Kの者に問い合わせた。誰とは言わないが射出の関係の人だ。会社の秘密を漏らしたとして首にならないことを祈る。K社、A社のトップはピリピリしているのが各会社の従業員から、絶えず、報告がある。CBNの電話番号を教えてもらって、電話した。申請書と必要書類の一覧表が早速、ファックスされてきた。それらを用意し、ジャカルタ、ガトゥットゥスブロトの国会議事堂の向こうの角を左に曲がった大きなビルにあるcbn本社へ行ってきた。書類は全部整えていたので手続きは簡単でした。会社と自分のメールアドレスを申請した。二年分前払いで、57万Rp(四千五百円)でした。一週間後に接続ができるそうです。来週末に新しいメールアドレスを皆様におしらせしますが、それまでは、 kota02@y6.dion.ne.jpを使っていただいています。それは、それで、OKでしたが、問題はジャカルタへ行ってくる時間でした。13:30にチビトゥンのMAKUTAを出て、チカランの家に戻ったのが17:30でした。CBNにいたのは30分以下でした。全行程100kmの間がほとんど渋滞の中でのろのろ運転、あきれてしまう。だから、ジャカルタは好きになれない。 明日出発のスンバ島までのティケッを受け取りにサクラトラベルへ行き、できればキタスも受け取りたかったが、まだでした。ベンケルサンジャヤへ寄って、バアキューム水槽の出来具合をチェックした。OKでした。
2009.03.06
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斜めからインドネシアを眺めよう 172 四日 カラワンのイムグレへ行って、住民票(キタス)の申請に行ってきた。この作業は、一年ごとに必要ですが、勿論、今回は新しい会社に移ったのですから、はじめてということで必要でした。今回は初めての会社なので、手の指10本の指紋を採取される。昨年11月にはまだ、墨を使って、取ったが、今回はマウスのようなものに押しつけるだけだったので指が汚れなくて出来るようになっていた。聞くところによるとイミグレへ行かなくてもインターネットでサインや諮問を登録できて、キタスもプリントすれば出来てしまうらしい。イムグレまで遠い人(地方に住んでいる人)にとっては大変便利になったはずです。少しずつではありますが、いろいろなことが便利になり、時間が短縮できるようになっています。また、今晩から、フラッシュというものを使って、携帯電話とコンピューターを繋げて、電話線がなくても携帯に電波さえあれば何処でもメールを開けたり送ったりすることができるようになった。そして、40時間で20万Rp(1600円)というパケッで契約した。そして、携帯電話番号も変わった。 08111007012 大変覚えやすい。最後の012だけ覚えればいいだけです。海外からは628111007012になりました。
2009.03.05
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斜めからインドネシアを眺めよう 171 問題は単純である。知らない人が知っている人を、できない人ができる人を評価したり、使ったりすることである。おだてて任せれば、何もかもうまくいくのに、任せることができない、そして、自分の思うようにやらない人の評価を下げる。A社もK社も失敗の原因はそこにある。そのうえなお、まずいことに、どちらも評価する人間が切れやすい、ということで、共通でした。日系企業としては失敗する会社の見本の二社です。会社や従業員や客先のことより自分の立場を優先しようとする、心が貧しい人が経営をする会社は上司より仕事ができる人はその会社にいられないように処遇される。悲しいサラリーマンの世界である。それに、彼らが纏まって辞めると決めた時には、勿論、引き金があるわけだが、その前に、何かといろいろあって、ついに耐えきれなくなったとうことを、経営者は知らなければならないが、それらのことは意識にないのが普通で、引き金になったことを聞いて、そのことで、謝ったとしても、意味がないことも意識していないので、謝って解決しようとする。もう、こういう人に効く薬はない。今回のことで、もし、彼らが止めることを撤回しても、多分、3月一杯と持たないでしょう。それほど、社長も社長に慣らされた上位の生え抜きの正社員も、技術が無いのに威張る人間が多いのです。10何年も怒鳴られ続けていれば、その人たちも怒鳴る人間になってしまう。怖いことです。今朝の知らせでは、本人たちからではないが、5人は辞表を出したそうです。二人、首になっているので、7人になる。三交代6人のほかに日勤者も一人辞めたのか?そして、PT.MAKUTAからの誘いを待つことにするらしい。彼らが私にブログを読めるわけではないし、K社のHもA社のNも私がそそのかしたと思うのは大間違いである。自分達がNGであることに気が付かなければならない。話は飛ぶが、昔の日本軍はこういうものだったと想像する。
2009.03.04
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斜めからインドネシアを眺めよう 170 PT.A社に契約社員として雇われたPT.K社からのオペレーター6人が昨日(2日)から、出勤していない(自主的にやめてしまった)という知らせが入った。根耳に水の出来事でびっくりである。早いうちに、PT,Aの仕事がなくなってくるので、それに伴ってPT.MAKUTAの仕事が増える。その程度にそって、順次、引き取るつもりでいた。そのことは彼らに明言していなかった。しかし、私がPT.Aを辞めて、日本へ帰っている間に、彼らと会社とで何があったのでしょうか。穏健な彼らが仕事を投げ出してしまうとは、何か相当に彼らを憤慨せせることがあったに違いない。彼らが、これからどうするのか、PT.MAKUTAはまだ準備ができていないので、押しかけられてもいる場所はないし、仕事もない。二週間ほど、休憩してもらって、3月中旬に彼らを引き取ろうと思うが、それにしても、彼らの決心が早すぎた。私も困惑している。PT.A社の製造に大きな影響を与える。できない製品がでてくるし、できてもロスが多くなるはずである。N社長は何を考えているのでしょうか。体も声も驚くほど大きいが、気は驚くほど小さい彼は、既に、相当、頭の中がパニックになっているはずである。自業自得のようなものでしょう。この出来事を踏まえて、なお、私の方は準備を急がなければならない、また、ディッキ君にしわ寄せがかなり行くと思う。PT.Aに移った日勤者の5人の内1人だけ、二月一杯で辞めているので、残っているのは日勤者4人だけとなる。彼らはどちらかというと製造に向かない人達なので、辞めたオペレーターの代役はできない。
2009.03.03
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斜めからインドネシアを眺めよう 169 非常に忙しい一日でした。装置の出来具合の確認と遅れそうな物の催促、そして、HPの新番号の収得とフラッシュの接続、などなど。また、今週末に行く、スンバ島までのエアーティケッの入手、もっとも重要なのがエイジェントにパスポートを渡して、KITASの手続きをお願いすることだった。これらのことは、早ければ速い方がいいのです。ブカシバラッやリッポチカラン、チビトゥン辺りを走り回った。三月に入って雨季も終了に近付いたのでしょう。今日はカンカン照りの暑さで、インドネシアにまた来てしまったと思わされた。話変わって、SQ エアバス A380-300かなりの大型機である。アッパーデッキの方はこちらから直接と言われて導かれて行った先が747の二階と違って、総二階になっていて、入ったところがビジネスクラス、そこを眺めて、この席?と、首をかしげたところ、席番を聞かれ、指示されたのが、ずっと奥、一番後ろから二番目だった。ビジネスとは大きな違いだがそれでも、広々としていて快適だった。良いことばかりではなかった。ヘッドホーンの差し込みが壊れていて、音が聞こえなかったことと、コンピューターの電源に電気が来ていなかった。それらは隣の席が空いていたので、そちらから引っ張った。座席を変えたくなかった。日本からターミナル3について、ジャカルタ行きはターミナル2に移動しなければならない。余裕は40分である。迷ってしまっては、間に合わない。スカイラインモノレールで大通りの向こう側に移動し、ひたすら走る。歩く。日本からの半分くらいはその大移動に参加している。彼らについていけば間違いないという安心感はあるが、だれも彼もそのような気持だと思う。
2009.03.02
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斜めからインドネシアを眺めよう 168 このまま、出発しないで家にいたらどんなに楽だろうなと思いながら、まだ暗いうちに、今回も出発でした。例によって、朝の6時20分に家を出た。今回はSQですからシンガポール経由、成田は第一ターミナル南でした。オンタイムで運航され、順調にジャカルタへ到着した。チカランの家に着いたばかりです。成田エクスプレス8:30発だったが、ホームで"千葉と成田の間で、信号事故があり、この電車は船橋までで、京成に乗り換えてほしい、9:00発は運休が決まっているので、それを待っている人はこの電車に乗っていたくか、京成を使ってください"というアナウンスがあった。其のとおり、船橋で特急に乗り換えて、成田に着いた。11:30発のところチェクインカウンターに着いたのが10:30だった。行列が長くチェックインは11:00ほとんど小走りでA46ゲートに向かったが、これが、一番端の一番遠いところ、皆さんぎりぎりの人がおおく、搭乗時間11:20にやっと、間に合った。心臓に悪い。間に合ってよかった。この文章の途中までは、SQの機内で書いている。21日の投稿でも書いたが、電源があるのでバッテリー切れの心配がない。PT.MAKUTAの技術顧問とインベスターとしてビザは取ってきているので、今月と来月一杯はPT.MAKUTAとそのお客さんのために全力で走る。すべてを計画通りにこなさなければ、迷惑をかけてしまうとう危機感がある。工場は規模や見かけではないことを証明しなければならない。「この仕事は機械、装置じゃないな、腕だな」と、いうことを取引先の日本人にも勿論だが、インドネシア人にも認めさせなければならない。 問題は、カスタムであった。ガスバーナーやジグやポンチなど怪しいと思えば怪しいものがバゲジに詰め込まれていたからです。今までも白いチョークの目印が沢山つけられていて、それは消すことができないので消してない上に、また、新しいチェックがつけられていた。アラジンの物語のような、ドアに付けられたマークを近所に家々にもつけてしまって、狙いの家を分からなくしてしまう話に似ているような気がする。結局、バゲジを開けてのチェックはされず、通過してしまった。
2009.03.01
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