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斜めからインドネシアを眺めよう 381Kendar07:00出発。既にUターン渋滞は終わっていると思っていたのが、予想外、まだ、かなり、激しい渋滞にそこかしこでハマった。TYegal Cirebon辺りになるとますます、バイクの数が増え全てのガソリンスタンドにはバイクの長蛇の列、そして、ポンパベンシンの敷地へ入れないバイクが前後の路肩に駐車している。若い夫婦と子供一人か二人が大部分である。道が混んでいるのでのろのろの上に、車の隙間を縫うようにすり抜けながら前進しなければならない。相当の疲労ではないかと思う。ぐったりとして、休んでいる。まだ、ジャカルタまで三時間以上はかかる地点だし、満タンでも、もぷ一階は給油しなければならない地点である。 交通事故や故障で道路の一部を塞いでいる車も多い。既に、月曜日から、仕事が始まっているので、大形のトラックの数が日常に戻り、その上、Uターンラッシュのバイクである。状況はMudik渋滞よリ、厳しいかもしれない。とにかく、17:00前にデルタマスの自宅に到着した。一先ず、今回の双六の上がりである。単純にいろいろな事態に遭遇しましたが、とにかく、上がりです。自分の運の良さを再確認しました。 といっても、体のあちこちが痛む。原因はわかっているし、時間が解決をしてくれることも、分かっている。右の上の方のろっ骨にひびが入ったようだ、日増しに痛む。しかし、これも治療のしようがない。自然に、直るのを待つばかりです。一度や二度目の事ではないので、Biasaです。とにかく,十日間、宿賃は平均2千円で、2万円ぐらい。一番の出費はLombok-Bali間のフェリーボートで往復1万2千円でした。Gn,Rnjaniのガイド、ポーター食料、テントや寝袋全部込みで、1万6千円、ガソリンが4400Km440L×45円=2万円、ここまでで、6万8千円、途中や夜の食事代はどう考えても合計1万円以下、車の修理代や部品代とチップは4千円でした。高速代や雑費を計1万円とみて、総支出は九万二千円くらいでした。十万円以下で収まった。これで、十分自己満足です。10月1日から、現実の世界に復帰です。渋滞の様子
2009.09.30
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斜めからインドネシアを眺めよう 380 途中で一泊して、Cikarangへ戻るので、ここまでくれば、二日で余裕である。08:30にホテルを出る。今日からMariaさんが一緒である。というより、Mariaさんが70%以上は運転してくれるでしょう。実際、今日もほとんどマリアさんが運転でした。 昨日の晩、使えなくなっていた、Flashがまた使えるようになった。場所の問題だろうかインドネシアならどこでも、というわけにはいかないようだ。通信ができないときは、ストレスが溜まるし。心配もかける。 順調に道程をこなし、来るとき泊まったKudusを過ぎ、Semarangのバイパス的高速道路を過ぎ、KendalのHotel Anugrahに入った。18:00を回っていた。お湯は出ないが、1100円です。 北道(来た道)を戻っただけなので,道中、印象に残ることはない。半分眠っていた。もう、ほとんど旅は終わっています。緊張感が、もう、無くなっている。 昼食は、途中の海岸沿いの小屋レストランでサテカンビンを頼んで食べた。マリアさんの分は当たり前に辛くていいのだが、私のは、辛いのは食べられないから唐辛子無しにしてほしいと頼んだ。ところが、唐辛子をマリアさんの10分の1くらい入っていて、食べてみたら、辛くて食べられない。唐辛子はなしでと頼んだでしょ、といって、作り直させた。今度は見た目に唐辛子はない。食べてみたら、やはり、辛くて食べられない。付けて焼く時の“垂”が辛いのです。今度は、其のたれを付けないで焼くだけにしてと、頼んだ。やっと、辛さから解放された山羊の焼肉を食べることができた。 インドネシアの人は、フライに上げる油自体が、すでに、辛いことを全く意識していないし、焼く時の垂が辛くなっていることも、意識していない。辛のが苦手なインドネシア人でもその位の辛さなら、文句を言わないで、食べることができるのでしょう。 しかし、私は、辛いものは食べられないので、辛くないものを必ず頼む。”Jangang Pedas”と、必ず言います。二度以上は云い。註文を聞いた人に繰り返してもらいます。それでも、料理人は、垂れや油に浸みこんで、増幅している辛さをまったく気にしてくれない。
2009.09.29
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斜めからインドネシアを眺めよう 378 何が目的のブログ?LombokからBaliへの船の中で、書いている。外の写真はまっ暗い中で到着したので、港あたりの写真がないので、出発時だけにしようと思い、そうした。 一応、毎日書いて、アップしている。日本にもドイツにも、私の安否を気にしてくれている人が何人かいる。だから、送れないことを予想される日には、理由を付けて書くようにしている。インドネシアの中の日本人も楽しみにしていてくださる方が何人かいます。その他にも、どんなことが書かれているか大変興味を持っている方もいます。仕事のこと、会社の状態のこと、予定のことなどです。これからも、一日置きくらいにはチェックしてみてください。 山を下った時は膝が勝手に折れてしまって歩きけなくなったが、平坦と登りは問題なかった。痛みはまったくなった。しかし、体全体の痛みは昨日からで、今日は昨日より増している。一時間,間隔でフェリーは出ていると聞いて、07:30にホテルを出た。30分でLembarに着いたが08:00発の船が出帆するところだった。次は10:00だといわれてがっくり、インドネシアである。 Mataramの南20Kmにある、Lombok唯一の港で貨物船もここにしか接岸できない。入り組んだ湾の奥にあって、港としては条件がいい。 出帆すると、いくなり山間に高い独立峰が遠くに見える。RinjaniではなくAgunである。少しの時間船は最初南西に向かったのでした。直ぐ北西に方向を変えるとRinjaniが目に入った。一時間も過ぎると両方の山が均一にすっきり見えるようになった。飛行機を使ってきたのではこういう景色を堪能することはできない。Baliからちょっと時間はかかるが、お金と時間に余裕のある方は、お勧めです。航行時間は6時間です。 日本人、欧米人は私以外にいない。トラックやバスの運ちゃんは2mmぐらいの太さ乗大物狙いの釣り糸を垂れて、そのままにしてある。20本以上は引いていたと思う。しかし、結局、誰一人として,小物さえ釣れなかった。 Pandang港へ5時間で着いた。15:00でした。そこから、ノンストップでPulah Baliを横断、最初はAAナンバー(ジョクジャカルタナンバー)の観光バスについて行ったら、さすが、観光バス、しっかり、Gilimanukまでの幹線道路を知っていた。私はなにも迷うことなくフェーリー港へ到着、18:00丁度だから3時間でBali島を横断したことになる。ここまでで、2824Kmの表示でした。Lombokのときと大違い、今度は私を待っていたかのように、そのまま、ティケットを買って、船に案内された、私が入ったところで、鉄板の橋が上がって、すぐ、出航した。港までの道、東ジャワから戻ってきた。車やバイクやバスで渋滞していた。それに引き換えバリ側からの渋滞は全くなかった。バリで仕事をしているジャワ住民が多いことが分かる。職がバリの方があるのでしょう。BaliiはGilimanuk港から、18:10出帆でKetapang港に到着。すぐ近くに、ホテルが沢山、あるのを知っていた。Banyuwangiとは反対の方向である。今日で長期休暇は終わりである。だから、今日中のUターン(Alus LebaranあるいはLiputan Lebaran)渋滞が終わっていなければならない。しかし、そういうわけにはいかない。職場復帰も明日からであるが、そうもいかない。私自身。まだ、ジャワ島の端にいる。多分、29日中にデルタマスへ戻ることができるでしょう。30日から、現実に戻ります。Baliが目の前に広がるジャワ島の東端のHotel Baru dua Beachに宿泊した。1600円である。しかし、Flashの電波が届いていなかった。Lombok-Baliのフェリーの壁に残っていた日本語の一例です。インドネシアのフェリーはほとんど日本からの中古です。
2009.09.28
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斜めからインドネシアを眺めよう 377 今回の旅行のPhoto Albumを追加し始めましたがまだまだしばらく追加中の状態になります。旅行記は帰ってからですから、29日過ぎでしょう。今は、先日泊まった、ホテルLOMBOK RAYAにいる。08:00にSembalun LawangのLembah Rinjaniを出発し、北へ向かって山を下り、島の北の海岸についた。そこから、左折し、海岸沿いにGiri三島の船乗り場を通過し,しばらく行くと、Mataram方面とSenggigiに分かれる。マタラム方面は近道ですが山の中、海岸沿いに、Senggigiに向かった。途中、何度も車を止めて写真を撮った。この辺りは三度目である。一回目二回目と今回、私の状態が全く違う。レンタカーではこうはいかない。運転手も一緒にレンタルしなければならないからです。Bナンバーの運転手は私ですから。 14:00にはホテルに着いた。そのまま、フェリーに乗ってBaliへ渡ってしまおうかとも思ったが、体が悲鳴をあげていることが分かるし、この時間にフェリーに乗ったら、Bali到着が20:00を回ってしまう。それから、安宿を探すのは、辛すぎると感じた。今日まで、かなり無理をしてきたのだから休養日とすることにした。 四日ぶりにお湯が出るシャワーを使い、全身を洗った。茶色い排水がしばらく続いた。体中が小さな傷だらけ、用意してあったが、帽子を持っていくのを忘れ、日焼けで、おでこがひりひりする。首のまわりもである。手の甲も真っ赤である。ゴルフ焼でないことは左手を見れば明らかである。両腕の筋肉も痛む、自分の体を起こすためや転ばないために両腕の力で支えなければならなかったからです。年寄りは三日以上後から、痛みを感じるようになるというが、既に相当痛いのだから、明日はどうなってしまうことだろうと思う。 今は、自力で立てるが立てなかったときは一体どうなってしまうかと思った。老人が杖を使わなければ歩けないとはこういうことかと思った。 一人旅は楽しい、と書いたが、今回は一人でよかったと思う、マリアさんでも他の日本人とでも一緒だったら、決行できなかったし、もし決行したら、非常に厳しい状態になっていただろうし恨まれることになったでしょう。誰も誘わなくてよかったと思う。後ろの島はギリ トゥラワンガンです。今回の旅行のスタイルです。日本人とはにわかには思われない。国籍不明人間です。ありがとう、とか、こんにちは、といって何となく言わなくても分かってもらえるようにする。山で、相前後していた欧州人の中には日本語が少しできる人もいて、盛んに日本語で話しかけてくる。地元のマタラム大学の学生たちの五六人のグループとも休憩所一緒に休む時、私に日本の状況を聞いてくる。インドネシアからの留学生の状況を知りたがっていたようです。
2009.09.26
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斜めからインドネシアを眺めよう 376 本当は二時か三時ごろ元気に降りて来て、直接マタラムにホテルへ行くつもりだったが、とんでもないことになってしまった。下山を始めて二時間ほど過ぎたあたりから、膝ががくがくし始めそのまま降りていったら途中から、勝手に膝が曲がってしまい、座り込んでしまうようになった。立ち上がることも、難しくなってしまった。杖を麓のホテルの人が作ってくれて、これを、持って行きなさいと、くれた。その意味が行きには役に立ったが、邪魔だとも思った。しかし、下山には絶対必要だった。転ばぬ先の杖、とは、よく言ったもので、完全に膝が壊れてしまった私には必需品となった。 下り道は一歩も歩けなくなってしまった。平坦と登りは問題なかったのが不思議である。しかし、もう、どうしようもないので、ポーターが気を利かせて、おぶって降りてくれるというので、お言葉に甘えて下りだけは、お世話になった。予定の時間を大幅に超過し、ホテルまで、四キロのところで、ホテルに電話し、バイク(オジェック)を頼んだ。その時がもう、17:00を回っていた。ホテルにたどり着いたのが、18:00ちょっと前で、サンセットの時間だった。暗くなる前ぎりぎりに着いたので、もう、Matawramに行く元気はないし、運転も多分できない状態までダメージが大きかったと思う。 GnRijaniに挑戦して良かった。登りの途中、何回も後悔した。下りの途中では立ち止まるたびに後悔した。66年生きていて、こんな足の状態は経験したことがなかった。どうなっているのか分からないが、一度座ってしまうともう、自力で立ちあがれない。こんな悔しいことはない。挙句に40kgのポーターに70kgの私がおんぶしてもらって、下山など、最後には比較的平坦な4kmをバイクに迎えに来てもらった。屈辱出るが、どうしようもないので、皆さまに手伝ってもらって、もっと迷惑が大きくならないようにするしかなかった。 ところで、活火山のこの山の湖の南側から、様さまなガスを吹き上げていた。夜は赤い噴煙も見えた。今日、聞いた話では、四人の若者とポーターがガスを吸って動けなくなってしまったという、情報がホテルに入ったそうです。私はとてもではないが、そっちの方へ行く元気はなかった。 とにもかくにも、景色は最高、サンセットもサンライズも最高。最低は私の体力でした。こんな筈ではなかった、パニック障害が原因なのか、体力の衰えをつくづく感じた。それでもやり遂げた。 明日の朝起きたら膝関節が治っていることを願う。 サンライズです。東隣の島、Sumbawa島からです。
2009.09.25
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斜めからインドネシアを眺めよう 37507:00前にホテルから出発した。ガイドとポーターの三人ずれである。最初のい時間はほとんど横歩き、目的にやまになかなか近づかない。しかし、いったん山に向けて歩き出すと急激な登りが待っていた。ここから想像以上の難行苦行が始まった。11:00頃昼食を取ったが、ポーターが持ってきてくれた食材で、クンタンゴレンや野菜炒めに温かい紅茶つきである。休憩とその効果があってまた元気を取り戻した。12:00から、登り始め、どんどん急坂になる。胸突き八丁のれんぞくである。日本の山ならジグザグに登るところを一直線にのぼる。一時間も登れば、足も頭も疲れのピークになり、もう歩けない。休憩をする。また、しばらく歩く、また休憩。段々その頻度が多くなり休憩が長くなる。ガイドがこのちょうしでは、今日、目的地に着かないかもしれないと心配していたくらいに私の疲れぐいあいは酷かったのだと思う。それれも、リタイヤをせず、とにかく、ちょっと休んでは歩き続けた。インドネシア人と欧州人だけであるが、レバランの長期休暇中なので、大勢の人が登っていた。皆さんとは冗談を云いながら、途中で休憩するときには皆さんの出身地を聞いたり、そこへ行ったことがあるとか話に花が咲いた。オランダ人がおおかったが英語で冗談を云いながら相前後して登った。疲れは皆さん共通です。ポーターも人がいいとばかりで、気は優しくて力持ち、平均25Kgくらいの荷物を担いで私たちのペースに気を使いながら登っている。火口湖が見下ろせる場所が目的地だった。他の多くの人はそこから後1000m高い頂上を目指して登って行った。湖まで降りてボートで遊ぶという人たちもいた。インドネシアに高いことを楽しむ階級もいることを知った。19:00を回ったところで、真っ暗になって眠るしかなかったが、テントは防寒だし、寝袋まであるので大変あたたかい。大雪山の事故は考えられない、至れり尽くせりの状態でした。ただ、私の足が至っていない。明日の朝回復していることを期待する。HPの電波がなく、no network状態で、今日はブログを発信できなかった。とにかく、知っていれば、こんな困難には挑戦しなかったと思われるほどきつかった。ただし、景色はインドネシアの今までの中ではほとんど一番でした。今度くるなら、SBYが登ると云いだして、エスカレーターでも出来れば来たい。他の日本人にお勧めしませんが、自分に弱さ、根性無しを感じている人は是非挑戦し、完登できれば大きな自信が付くでしょう。ガイド、ポーター付きで1.6ジュタです。
2009.09.25
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斜めからインドネシアを眺めよう 374キジャンオートマ2Lの燃費について。 一人が気楽で楽しい、誰に気を使う必要がない。自分のペースで何でもできる。今回も今までのところ、90点です。10点不足は、連れがいないので、話したいことを話せないからです。しかし、連れがいるとマイナス面が多い、節約旅行やがんがん前進力ができない。ペースが合わないのでこちらがあわせる。どうしても、マイナスが30点ほど着いてしまう。インドネシアには10点を増やして100点にする連れはいない。日本に一人いたが、もう、できないでしょう。 私と一緒に仕事をしましょうと云った方と、もし、一緒に旅行したら、きっと、私が予定を組んで、必要な予約をし、行程の了解を取って、迎え、送りもして何日が一緒に旅をして、お金も私の方が多く使って、帰ってきて、暫くすると、他人から、あの人が、あの旅行はつまらなかったと云っていたよと、聞かされるでしょう。まっぴら御免です。仕事もそういうことになりますから、まっぴら御免です。 ところで、今は、Lombokの東側の山の中1100mのSembalun Lawangという部落に来ています。Lembah Rinjaniというロッジに泊まっています。1700円です。大変寒い、インドネシアとは思えない。なぜでしょう。明日早朝から、登山を始めます。山の名前はRinjaniインドネシア人ならほとんどの人が知っている活火山です。3726mと聞いていますが、現在は頂上までの登山は禁止です。火口湖の外輪山で、頂上の反対側へ登ります。2700mです。富士山と違って、かなり、下から、歩きですから、二泊三日かかります。ですから、ラップトップは持って行きますが、長時間はつかえないので、グログを送れるかどうか分かりません。 カメラがデジカメとHPのカメラですが、これもバッテリーの予備がないので心配です。ガイドとポーターと私の三人で登ります。 パニック障害が落ち着いてすぐ、決行するつもりで、Lombokに来たことがあったのですが、その時は体力的に無理と判断し、ギリアイル、ギリトゥラワンガン辺りで、静養しましただけになった。今回はBekasiから一人で、1500km近く運転してきたのですから、体力的には大丈夫だろうと思い、多分無事に戻ってこられると思い、ちょっとした、思いきった決断です。登山者名簿はしっかり書きました。 明日登る山です。Gn Rinjani(リンジャニ山)
2009.09.23
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斜めからインドネシアを眺めよう 37307:00にホテルからでて、Banyuwangiの北にあるKetapang港から、09:30出帆でBaliiはGilimanukへついた。95000Rp前回は北から回ったが今回は時間を節約するために南から、Denpasar方面に向かい、SanurのPadangbai港から15:30Lombokへ向けフェリーで出港、20:00に到着した。 今日の行程はGilimanuからは全く未経験でした。Baliの道は、大体一周道路と南北のの道路が主要で、後は、あみだくじの横線のような東西の道が南北道路を繋いでいる。一本で、東西を貫いている道路はない。行き先は、分かっていたので、とにかく東の端近くに行かなければならなかった。南東に広い道があるはずだと思って、Denpasarの北を通過して、其の道を目指したのが正解でした。割合、あっさり、Pangangは見つかった。実際、フェリーが出ているのか、出ているとしたら、何時なのか全く知らなかったが、14:00に到着して、聞いたら、フェリーこうだと云ってくれたのでほっとした。料金がキジャンクラスで、なんと、555.000Rp(5千5百円)高い!!しかし、引き返すわけにはいかない。 Lombokの港Rembanに着いたのが19:00(Lombokタイム20:00)を過ぎていた、そこからMataramまで、30分ホテルLOMBOK RAYAに飛び込んだのが現地時間21:00を過ぎていた。三千円です。 Sangat Capek Bangat Gitulo!!!やっと、たどりついたという感じで、頭はパニックではないがぼーっとしているし、目が疲れた。 こんなことは一人でなければできない。連れがいたのでは、一緒に連れ回せないし、食事やホテルのいいところを選ばなければならない。 夕食は先ほど23時まえ、ソプアヤムとナナスサラダ、テーマニスがついて奮発して、450円
2009.09.22
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斜めからインドネシアを眺めよう 372 昨日の走行距離は660km(無駄が250km)ガソリンスタンドとコンビニにちょっと酔っただけでした。メーターは410Kmでした。18:00丁度にSitubondoのSan Sui Hotelに到着した。テレビを点けたら、Laskar Pelangi(日本なら、文科省推薦映画である)をやっていた。Bulitunが舞台になった映画で、行った時にセットの学校跡や海岸の大岩を撮ってきた。私のフォトアルバムで紹介している。 ところで、今日も、Sangat Capekde~~~.07:30ホテル(Notosari Permai)から出発て、間もなく、09:00まえ。東ジャワに入った。まだ、Mudikの車やバイクが下り方面へ向かっているが、もう、邪魔になるほどではない。むしろ、一緒に前後しているので、なんとなく、親しみを感じる。 11:30Surabayaへ入ったが、直接Tanjun Perak方面に向かい、そこから、SURAMADUへ向かった。できて間もない、SurabayaとMadura島を結ぶ橋である。東南アジア一の橋だそうで、どの部分が一なのか聞いていませんが、話の種として、渡ってみた。高速道路の終点から、案内板が出ていて、それを追いながら行った。迷うことなく、着いたが、道はくねくね、方角が全く分からなくなってしまう道順だった。案内板を見失ったら、途中で、何度も、聞かないと分からなくなると感じた。 橋は、なるほど、少なくても私が訪れた東南アジアの国々の橋で、一番,塔の高いつり橋だった。東南アジア一と云っているのが可愛い。日本にはこの程度の橋は山ほどあるからです。 Surabayaは高速道路で脇を通過し、やはり、まだ、高速はSidoarjoまで途切れていた。直ぐ、泥海の土手に着きあたる。四年前より、5m以上は高くなっていた。ここも観光地化しているが、す通りした。しばらく南下Malangへ向かい、左折してProbolinggoに向かった。 Kudusを出てから、すぐに道の両側に広大な塩田が広がり始めた、これは、Surabayaに入る高速道路の両脇まで続いていた。一か所によって、其処の人と話をし、塩を頂いた。ゴルフで迷惑を掛けている方たちへの安い土産とする。 走行メーターは850Kmである。まだ、三回目の15万Rpのガソリンが残っている。ジャワ島の北海道をほぼ走り終わった。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/の"オランウータン”はインドネシアで仕事をする方の人間関係に関し、大変参考になります。
2009.09.21
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斜めからインドネシアを眺めよう 370なにもすることがありません。誰もいません。話し相手もいません。一人きりです。安心の保険として、昨日パニック障害の薬を手に入れたので、不安の度合いが大分少なくなったと思う。日本へ帰ってもすることはないし、お金はかかるし、飛行機を使ってインドネシア内の旅行もお金がかかるし、そこで、今朝、車で旅に出ることに決めた。そして、7時に家を出て、東に向かった。 ところがである。Cikampekまではがらがらで順調だったが、出たところで、いきなり、海岸方面の道は渋滞だから、山の中Subanへまわり道の標識になっていた、そうするしかないので、右折してそちらに行った。これがまたいきなり渋滞、スバンに着くのが12時になりそう、とてもこのままではSemarangに夜中までには着かない。 今日は引き上げることにした。また帰りが、大渋滞というより、Mudikの車やバイクが全車線一杯を占めていて、ジャカルタ方位面の車線が無くなっていて、路肩の舗装されていない部分をやっとすり抜ける程度の隙間しかない、それも、塞がれているときがあり、たびたび立ち往生、交通警官が来て道を開けてくれるがしばらく行くとまた、塞がっているこれのくり返しで、家に戻ったのが13:00を回っていた。 もちろん、Mudikの連中は、もっとひどい中をひたすら、たまに、ちょっとずつ動くだけの車の中で耐えている。おそらく、今晩中、どの幹線道路も大渋滞でしょう。明日の朝には渋滞が解消していることを願う。 結局、予定していた20日の出発になる。目が覚めたら、すぐ、出発しようと思う。迂回したおかげで、広大なゴム園を通過することができた。
2009.09.19
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斜めからインドネシアを眺めよう 3697月のジャカルタ高級ホテル連続自爆テロの首謀者とされるマレーシア生まれの大物テロリスト、ヌルディン、トップ容疑者が中部ジャワ州ソロで16日から17日にかけて起きた対テロ特殊部隊との銃撃戦で死亡した。メトロTVで実況中継がされた。記者会見で正式に明らかになり、全員から大きな拍手と歓声が上がった。これで、市民も警察もほっとしてレバランを過ごせるという声が聞こえてくる。警察長官の顔は喜びで笑いたいのだがこらえるように口をしっかり閉じて、四人の一味の写真を誇らしげに掲げていた。18日日本時間午前8時22分、HTV技術実証機と「マーモニー」間の共通結合機構(CBM)の最後のボルトの結合が完了した。ハッチが開けられるのは明日だそうですが、これも、成功時には歓声が上がった。私は、一人でひそかに喜んだ。ジャカルタのミッドプラザのタケノコ病院へ行ってパニック障害に薬を一か月分買ってきた。20日から27日休みだそうです。Zoloft Sertraline 50mgとZanax Alprazolam 0.5mgの二種類。 パキシルとコンスタンと同じ薬だそうです。一年ほど前に同じ薬を一か月試している。その時には効果があったと思っているので、今回は半分ずつ飲んで二ヶ月持たせようと思っている。18日、夕方から明日の朝までがMudik(帰省)渋滞のピークだと感じる。この機会に日本へMudikした人も多いと思う。故郷へ落ち着いたら、きっと、時間が余ってしまうでしょう。そういう時は、次のWeb siteのOrang Hutan オランウータンが暇つぶしに最適です。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
2009.09.18
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斜めからインドネシアを眺めよう 368また、状況が大幅に変わった。というのも、JABABEKAの貸工場の調印を急遽、キャンセルした。理由は何点かるが、工場にダメージがあった時の保障の問題でした。ぎりぎりまで、説明したが、契約書にそのことに関し、一言も触れていなかったことが署名者には納得がいかなかった。ここへきて、何社かから、購入の打診が入っていることも確かで、条件について話を聞く時間が欲しくなったことも確かです。稼働し始めるのはおそらく、三ヶ月後12月中旬になります。PT.MAKUTAはその時から根拠工場が移動します。自社製品と適正な価格と日本品質以上の品質で、本格的に営業攻勢に入ります。SSOの三人でゴルフをエンジョイした。暑さに慣れていないSSさんにはきつかったと思う。凍らせた飲み物を用意し、渡しておいたのがかなり効果的だったと思う。また、先ほど、自宅へ戻ったばかりだが、スカルノハッタ空港からの帰りである。重要なお客さんなので、気が抜けなかった。事故などに遭遇しないことをいつも以上に願った。無事出発していただいて一安心である。空港から、家に帰る高速道路、スマンギから渋滞になり、ついにデルタマスまでのろのろ運転だった。大形ののろのろトラックはない。MUDIKの車が100%近い。高速道路上が車で隙間なく埋まっていた。大変です。気をつけて、無事故郷へ着いてください。ムディックで大渋滞になる18,19日はゆっくり休養し、20日は故郷でプアサ明けを祝うので、大部分の人は故郷へ到着しているはずです。渋滞がないと思われる20日~27日 車でロンボクまで行ってこようと思っている。17日から休みの会社ほとんどで、28日から仕事はじめということらしい。
2009.09.17
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斜めからインドネシアを眺めよう 367インドネシア中、もう、会社や事務所の機能はしなくなっている。人が少なくなっているから、仕事にならない。納品も受け入れも終わっている。Selamat Mudikである。今月は、ほとんど仕事にならない。午前中はジャバベカの事務所と貸工場へ行った。電気、水、電話の申請のための手続きを開始した。工事の契約を現地工事屋は望んでいたが、今日はできなかった。また、明日に期待してもらう。遅くても、10月1日から工事を始めてもらいたいが、どうなるでしょうか。あい変わらず、連絡が取れないままの会社がある。新しい仕事やクレームの話など、連絡を取ってきてもらいたい時や話を聞きたいとき、大変連絡を取りにくい。何が原因なのか、不思議がられている会社の社長さんがいる。多分、裁判中か警察で取り調べ中なのか、会社の秘書に聞いても居場所が分からないし、連絡をとれないそうです。それでは、客先に話ができないので、行き先を言っておいてくださいと、頼んでも、云ってくれないそうです。仕事を引き上げて、他の会社に移したいが、その仕事をやれる会社がないという。困った会社である。だから、急ぎたいのですが、新商品の金型の設計をした。製品のデザインは半年前には決めていたので、それを作るための二色成型用の金型だ。インドネシア中全土にこの商品が広がり、インドネシアの輸出産業の振興に役立てば、自己満足になる予定です。インドネシアならではの新商品としてもう一点考えている。地方の田舎で効果を発揮すると確信しているものです。 出張者の方に、いつも空港で何か高そうな漬物をお土産に買って持ってきていただくが、高いばかりで私の味覚に合わないものばかりなので、もったいないと思い、今回は一袋100円ほどの振りかけとお茶をリクウェストしておいた。 竹(草冠の)名堂(ちくめいどう)のお茶を買ってきてくれた。早速、先ほど飲んだ。独特の渋みの“わらかけ”で、一瞬、大変、懐かしく思ってしまった。さすが富士山静岡空港発。 鳩山内閣誕生ですね。雇用状況の改善は当分難しいでしょう。私のようなことをする人が増えるでしょうから、日本国内の仕事が増えることはないでしょう。若者は外国へ出ましょう。 P社向けPP炭酸サンカルシウム30%入り樹脂の異型品。現在この製品の倍近い大きさの異型品の生産準備をしている。
2009.09.16
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斜めからインドネシアを眺めよう 366今回から、インドネシアで楽しく暮らすシリーズ二年目に入った。このグログを興味深く待っていている方がいらっしゃる。ご期待にこたえ続けたい。アドバイス的内容も多いと思うので、ぜひ、参考にしていただきたい。どなたかが言ったように、“悪いことはいわないから“偉そうに言ってごめんなさい。インドネシア人男性の髭を好きになれない。インドネシアの男性というより、インドネシアのイスラム教の男性といったほうが正確かも知れません。 特に、若者の有名な歌手やテレビや映画スターの中に、自己主張なのでしょうか、無ければ清潔で紳士的に見えるだろうと思う人が多くいる。一般の若者も、それをまねするのでしょうか、無精ひげとしか思えないのに、得意げに髭を剃らない人がいる。 日系企業の従業員やデパートで接客する人はさすがに髭を蓄えている人は少ない。と、云うことは彼らたちも、番人が気に入ると思っていないようだ、一部に人に対しては不快感を与えることを承知しているようだ。 髭を蓄え、ターバンを平たくしたような帽子をかぶり、白いずんどうの服を着ている人達は、イスラムの過激派と見られている。そして、過激派の多くの人はそういう服装をしていることは確かである。一般のイスラム教の人は、そういう人を指して、彼は過激派だという。中にはテロリストだという人もいる。そう言わなくてもテロリストスタイルだという。多くのインドネシア人は好きになれないようだが、宗教の一っ派である、ジェマイスラミアのバアシルをリーダーとする集団は、皆、そういう服装をしている。 ビンラジンのよう髭を蓄えている人は、過激派集団のリーダー的存在になっている高齢者に多い。それがまた、過激派の若者にとっては、あこがれの髭になっているようです。 だから、ちょっとした髭でも、有名な若者が蓄えていることは、過激派の予備軍のような気がするし、過激派にも認められようと媚しているような気がして、気に入らない。 若者の髭を蓄える習慣がなくなったら、インドネシア人の男性の第一印象はかなり改善されると思う。
2009.09.15
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斜めからインドネシアを眺めよう 365 一日も欠かさず?続けてみました。特に努力したわけではありませんし、頑張ったわけではありません。ただ、続けようと思っただけです。365回ということは一年過ぎたことになります。あっという間の一年でした。激怒と激動の一年でした。また、激動の一年に突入します。この年齢で激動は避けたいのですが、まだ、やらなければならないと思っていることが沢山あります。やってほしいと他の人から思われていることも沢山あります。このエッセイもまだまだ続けようと思っています。お楽しみにしていただいている方は、お楽しみに。小学校の時の同じ組に腕力を武器にいじめを繰り返していた子がいた。何人かの子分を従えていた。と同じような人が大人の社会にもいることを、社長を辞め、インドネシアに来て、初めて体験し、直面し、いじめられる側になったことを自覚した。あること、あることのみを書いています。権力を笠に着ていじめをする人は許せない、情報は自分がかかわったことから、だけです。妬みで情報をゆがめたことはないし、妬みが絡んだ人からの情報はそれを考慮し、逆に注意してあげています。ジャバベカの意味は今日初めて確認したところ、Jawa Barat BeKasiだそうで、Karawangは入っていないそうです。そのオフィスへ行って契約内容の最終確認をした。それに基づいて17日に調印をする。内装工事の確認もした。また、総務人事と会計の従業員の面接もした。私的には進行が遅いという気持ちはあるが、止まらず進んでいることは確かで、見方によっては早いのかもしれない。電気の契約はいつになるか、12月らしい。もうここまでくればじたばたしても仕方がない。今月はもう仕事にならないので、10月から工事が始まるのだから、そのくらいになって当然だろう。
2009.09.14
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斜めからインドネシアを眺めよう 364 はじめて、インドネシアでズボンを買った。色と触感と腰回りで選んだ、値段は600円でした。ズボンの耐用期間は40年以上前に買った物を今でも使っている。旅をするとき、仕事の時、ゴルフをするとき、5本のズボンを順番に使っていた、これからは一本増えることになった。今までのは、現在の私の体形にぴったりのものがない。それでも、使っている。 買ったズボンの丈が長かったので、近所になおし屋へ行って7Cmみじかくしてもらった。70円だった。100円(1万Rp)置いてきた。丁度、ブカプアサの時間で、仕立て直し屋の人たちは店の中で食事をしていた。 14日から18日まで、レバラン休暇の前日までの細かいスケジュール決まった。この四日間で、近未来、約二年間の私がやるべきことが、確定する。少し遅れたが、大体私がやらなければならないと決意していることは、すべて出来るでしょう。 Orang Hutanをご存知ですよね。類人猿の中ではチンパンジーなどとともに道具を使う知恵があることで知られています。カリマンタン(ボルネオ)島が主な自然生息地です。オランは人という意味で、ウータン(フタンとは言いません。インドネシア人もこう発音します)は森という意味で、“森の人”という意味になります。 彼らは森で静かに平和に過ごしています。他に迷惑を掛けていません。しかし、横暴な人間の欲によって生息地は狭めあられ、頭数もどんどん減っているようです。オランウータンは何も悪くないのです。 オラウータンは人間ではありません。ですから、悲しいかな、知恵が足りないのです。融通が利かないのです。同族内で、感情的になりやすいのです。いじめに走りやすいのです。
2009.09.13
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斜めからインドネシアを眺めよう 363硬質PVCパイプの製造100Φで、10m/Minで流していた。バキュームボックスの長さは5mくらいあった。早い!という感じだった。やはり硬質PVCの世界はインドネシアでも既に生き残りをかけた厳しい業界になっていることを直接感じた。バンドゥン工場が立ちいかなかった理由が分かった。二本成形の装置やマーキング装置もあった、当たり前に製造していた。パイプを繋げるために片側の径を大きくする仕事もしていた。但し、パイプの肉厚や外観や真円度は日本規格には遠いが、インドネシアでは問題ないのです。原料もペレットで買うのではなく、粉末で買って、各種添加剤を自分の工場で配合していた。日本では40年以上前からやっていた方法だが、装置も原料についても、もはや、この分野では日系企業は、立ち入るすきがないと、あらためて、知った。だから、今どき自分で配合しないで、ペレットで買って、PVCの成型をしている会社は早晩立ちいかなくなる。 この会社の中国系の経営者は大変親切に、インドネシアの技術現状を話してくれた。私も、大変参考になったが、連れて行った、ディキ君ワルドヨ君にとっては、大変な勉強になったと思う。さっそく、実際の仕事に生かしてもらうことができると思う。 自動カッターは自分達で作ることにした。 屋内アメージング施設がマッカサールでオープンした。インドア、ドゥニヤファンタジーです。トゥランスストゥディという名前です。レバラン前に開業を間に合わせた。ユスフ、カラ副大統領がオープニングセレモニーでテープカットをした。トゥランスTV資本である。 ジャワ島以外にこういう施設がどんどん増える可能性が今後も高い。インドネシアの内需によるGDPの成長の象徴でもあると思う。
2009.09.12
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斜めからインドネシアを眺めよう 362 ミンタ“Minta”の最盛期です。税関職員も警察官も一般従業員も全員がMintaです。インドネシア全土がMintaです。”ちょうだい“である。 道端、交差点、信号付近に子供たちが得体のしれない手作り楽器を持って、車に近づきお金をねだる姿も倍増している。それと、目が不自由な人、イザリ(この言い方は、今はしてはいけないのか?)や赤ん坊を抱えたお母さん、も多くなった。 一日、10万Rpは稼げるという。暑くて大変だろうが、期間中に二万円ほど稼げる、いい、商売である。 今は、それらの偽物も多く稼ぎに出ているという。目くらを装って、子供に手を引かせて共同作業の大人、片足の膝を曲げ縛って、松葉杖を使う人、みすぼらしい恰好をし、赤ん坊を借りて路上に立つ女性。元締めがいて場所を占領し、多くの人を雇って、商売にしているという話である。 日本で調達すれば軽く二千万円以上するする装置が新品で、四百万円以下で手に入ることになった。何の装置かは、今は、内緒。この装置は、以前五年物の中古で450万円の物件を見つけてあり、ラマダン休暇明けに引き取る腹積もりでいたが、そのうちに、もっと大きい口径の新品で安いでものがあるという情報が入り、昨日、タンゲランへチェックしに行ってきた。あるところには有るもので、見て、すぐ、OKした。プラス周辺機器合わせて、600万円の契約をした。これは、新工場で、大きな武器となるでしょう。 日本で調達すれば、二千五百万円+輸送費梱包費申請費になってしまうものである。
2009.09.11
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斜めからインドネシアを眺めよう 361Face bookがインドネシア人の若者の間だけでなく、会社員、公務員のも蔓延している。HPでもできます。HP“hand phone”インドネシア語で”ハーペー“と発音します。携帯電話はインドネシアではこういいます。HPは日本では”Home page”だと思いますが、インドネシアではホームページとは言わないで、”Web site”と云いますから、混乱はしません。 いわゆるメルトモの手段です。夢中になって、仕事時間中でも静かにパソコンにむかっている人は怪しい。日本人のおじさん連中は、出来ない人がほとんどなので、静かにパソコンにむかっている場合はゲームをしている。そして、フェースブックについて知らないので、禁止などの対策もとっていない会社が多い。ところで、静岡高校卓球部OB会のブログの写真、体育館兼講堂ですよね。コウ(漢字変換ができない、仰という文字の人偏がない)高杯の開会式か修了式の時に合宿補助金を渡すところでしょう。入学式はここでした。当時の校長福山富雄先生、間違えていますか?とにかく、おめでたい名前の方でした。挨拶で、この建物は、新築で二年目です。借金コンクリート製です。と、精一杯の冗談を発していたことしか、覚えていません。 ここで、舞台の裏の下が部室になっていて、舞台の左側から体育館へ入って舞台側四分の一に卓球台を三台?置いて練習をしていた。右側四分の一が剣道部、柔道部は舞台の裏側に道場があった。舞台から離れた半分はバスケットボール部だった。彼らは、泣く子も黙る、馬渡先生の指導のもと国体やインターハイで全国制覇の常連だった。殴られ、泣きべそをかきながら、厳しい練習に耐えていた。オリンピック選手になった先輩もいた。 それに比べ卓球部の練習は完全に自主運営で、コーチがいるわけでもなく、私としては中学からやっていたこともあり、一年の最初から、先輩を押しのけて団体戦のメンバーに入っていたので、呑気なものだった。先輩連中も一人は小中学校の一年上だったし、出身中学校は違っても、中学の大会で見知った人たちだったので、緊張感が全くなかった。矢の如く過ぎ去った場所でした。 自由闊達、青春そのもの、世にいう、当時の運動部の上下関係の理不尽など、欠片もなく、先輩の自転車の後ろに乗せてもらって、呉服町の魚与旅館(今は旅館といわないかも)の大先輩の家にお邪魔して,大御馳走していただいたこともあった。ついでに、バスケットの塩津さんの店によって高校の話をして、小饅頭をせしめたこともあった。野球部の石田君の蝶屋にも何回か寄って、豚カツを御馳走になった。ご本人達は知らないと思う。
2009.09.10
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斜めからインドネシアを眺めよう 360 2009 09 09 09時09分09秒にあなたは何をしていましたか、意識をしましたか。私は、開発仕事の金型のことで、製作を依頼する為の打ち合わせをしていました。 中国のように漢民族、共産党支配の国では、一人っ子政策がとれますが、インドネシアでは、子供二人にしましょうという、キャンペーンが、地道にあるようで、待ちのあちこち、田舎へ行っても、家族計画、クルアルガ、ブルンチャナ(KB)の看板があります。しかし、インドネシア人の多くはそれを、私が指摘すると、クルアルガ ブサール“大家族”運動だ、と、笑いながら云います。其のとおりで、インラム教徒も、キリストもヒンドゥーもブッディストも、地方では、産めよ増やせよです。 ティモティム“ティモール、テュムール”東ティモールの独立とインドネシア支配継続の争いが50年以上続いたのも、スハルトの政策でした。もともとキリスト教地域に、イスラム教徒を送りこみ、定住させて、インドネシア帰属意識を宣伝した。軍隊を駐在させて、宗教間の紛争を抑える振りをし、実はキリスト教徒の排除を自ら行った。軍隊は勿論イスラム教徒ですから、イスラム教徒を弾圧するはずがない、見方をするに決まっています。キリスト教徒はゲリラ化し、長期作戦に出るしかなかった。その間、どんどんイスラム勢力は増えていった。オーストラリアや欧米諸国の後押しがあって、紛争が激化し、今は、独立をしたが、イスラム教徒は逆に難民として西ティモールに逃げ出すしかなくなった。さんざん、キリスト教徒を弾圧し、ひどいことをしてきたイスラム教徒はとらえられ裁判にかけられた。その前に逃げ遅れ、リンチにあった人たちもいた。仕返し、のつもりだったのでしょう。 イスラムの人怒らないでください。コモド島のような原始生活に近い島々、海岸に高床式の古代からの住居が並んでいる中に、ひときわ目立つモスジッドが立っている。島の風景にとって、それは台無しである。土地々々の文化や習慣を破壊して根づく感がある。もともと後発の宗教だから、他の宗教圏に侵入、侵略しなければ勢力を広げられない。モハメッドさんは、ジハードのような過激とも思われる考えを埋め込み、イスラム勢力圏が侵されたとき、反撃せよということだと思うのだが、他の宗教の地域に侵入してしまえば、今度は反撃に対して、また反撃せよという、矛盾した解釈になってしまう。そういう点で、コーランは人が都合よく解釈する部分が限りなくある。幅が広すぎる。 USBのLEDランプとファンファンの羽は裸だがやわらかな合成ゴム製なので、危険はない。インドネシアでそれぞれ四百円くらいで売っている、
2009.09.09
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斜めからインドネシアを眺めよう 359それは、当然ながら、原住している人々との争いになります。各地に宗教紛争が生まれます。 パンチャシラを前面に出し、民族、宗教の融和を唱え、イスラム過激派を排除しつつ、イスラム教徒を合法的に全土にばらまいたのです。イスラムにとって大変都合がいい政策だった。お陰で、自然に布教ができたのです。今は、その政策はとられていない。 迷惑は、少数民族で既に根付いた以前からの宗教を信じる人達、いきなり、モスジッドが建てられ、朝から晩まで、スピーカーで彼らにとっては騒音が流されてはたまったものではなかったでしょう。これでは、いきなり、共存ということで納得できないのは当然である。 子供のころから聞き慣れて親しんでいるなら、問題ないし、むしろ、無いと、落ち着かないかもしれないが、物心、着いてからいきなり、やられたら、完全に騒音公害である。わたしは、13年、聞き続けているが、未だに騒音です。 日本では、多分、イスラム教会もこれはさすがにやらないでしょう。お寺のお教でもスピーカーで町中に聞こえるよう流したら、一分も過ぎないうちに、役所に苦情が入るでしょう。日本にいるイスラム教徒もそれは承知しているので、役所に許可をとる申請もしないのでしょう。 それが、インドネシアの孤島のジャングルではOKなのです。困ったものです。 他の宗教が合法的に対抗できるのは、また、拡大できる方法は、産めよ増やせよの子だくさん作戦です。宗教紛争地域は子供がたいへん多い、各宗教が人口を増やしたいからです。
2009.09.08
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斜めからインドネシアを眺めよう 358この文章を書くにはインドネシアではかなり冒険的だと自覚している。プアサも残り十日である。きっと、モハメッドさんが云いだして、賛同者が増えていったんのですから、イスラムにとって良いことが沢山あるのでしょうが、イスラムではない私には、良いところが見えない。なぜ、こういうシステムを唱えて皆にすすめたのか、そして多くの人が賛同したのか分かりません。こんなことを書くとイスラムの人は批判として逆に反発する人もいます。現在のイスラム教徒のほとんどは親がイスラム教徒です。物心がつく前からイスラムに慣れ親しんできて、それ以外の世界は知らないのですから、それ以外の世界があると知った時、他の世界の方が魅力的に感じる人もいるでしょう。モハメッドさんは、それも、予想し、他の世界に移らないようなシステムにしたし、結婚も他宗教の人とは禁止したのです。逆に言うと、それだけ、厳しくしないと、以外の魅力的な世界に離れて行ったしまうことを予想していたのです。かなり、考えたシステムだと思います。戦国時代の国家経営として、敵対心をあおり、国民を支配する方法としては、巧みで有効なシステムを編み出した結果生まれたのだったと思う。優秀な戦国武将であり、大名だったのでしょう。他の主な宗教とは明らかに神との仲介者?のポジションが違う。インドネシアではイスラムとキリスト教徒のもめ事が絶えないひ、火種は全土にくすぶっている。教会を新しく建設する場合、誰でもどこにでも、どの程度の規模のものでも、自由にできるわけではないのです。では、どうなっているのでしょうか。宗教間で協定があるのでしょうか、それぞれの宗教が勝手に作って主張していて、他の宗教がそれに反して建てようとしたらぶち壊しの行動にでるのでしょうか。人口に比例する各宗教の勢力を人工的に変えたのが、スハルト時代のジャワ島の人口密集地から各島々への移民奨励策でした。それは、イスラム教徒を移民させて、その勢力圏を拡大する結果になったのです。彼は、イスラムの政治干渉に反対し、過激派を排除したが、彼自身、イスラムです、巧みな方法で、イスラム支配を全土に広げたのです。
2009.09.07
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斜めからインドネシアを眺めよう 357インドネシア語にも頑張るという言葉も努力するという言葉もあります。やはり、あいまいです。Usahaと Semangatですが、Pengusahaだと、経営者ですし、創業者の意味もあります。Semangatとは応援、声援、呼びかけ、スローガンを叫ぶ時に使います。単純に努力といっても、自分を含めて、評価する人によって程度が違う。私から見て、到底、努力などしていないし、結果もほとんどだしていないし、仕事は、他人の責任するし、単に恐怖をまき散らし、間違った与えられた地位で、ふんぞり返っている。人から、たいへん努力家で、技術も大変優れていると、評価され、他人や客先にも紹介されてた。うれしくもなんともなかった、この人は私を見ていないし、評価するだけの能力を持っていない、ロクに仕事ができないで、ただ怒鳴っている人から、口から出まかせの紹介をされても、苦笑いするしかなかった。ところで、この人が間もなく、私にたいし、強烈な、パワハラを始めたのです。私を追いだすための工作の努力をし始めたのです。何故か、私がその人の“何もし無さ、と、説得力なしの内容でどなる”現状を本社の私の応援者に報告したら、Q常務から、私からの情報で、こんな話が来ていると本人に知らされた。Q常務は私に対し、シカトというパワハラを最初からやっていた人です。本人は、頭に血が昇って、カッカトし、早速、私を追いだし作戦に転じたのです、私に対する、評価はその時から、どこかへ吹っ飛んでしまい、同僚の日本人とともに、あらゆる、いやがらせをし始めたのです。Q常務の狙い通りでした。程度が低いサラリーマンの評価とはこういうものです。他人援助したり、技術を通じてその国の将来に希望が持てるような若者を育てよう、其のためには、私財を注ぎ込んでもいい、と、実行している、私は、彼らの立場を危うくする、邪魔ものであり、目の上のたんこぶなのです。私に立場を奪われてしまうという、恐怖から、もともと、持っている乱暴な手段を使い始めるのです。そして、そういう人が、二人、三人になった時、同じ気持ちで団結し、より、強烈になるのです。インドネシア人は、そういう、雰囲気を敏感に、感じます。私の肩を持ちますが、彼らには何もできません。日本人の間でも、こういう事があるのだ、ということを感じ取っています。昔の軍隊の若い上官とある程度人生経験を積んだ召集二等兵の関係もこんな状況が多かったのではないでしょうか。
2009.09.06
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斜めからインドネシアを眺めよう 356フル カンビンFul kanbing インドネシアでは最近、豚フルに続いて、山羊フルが流行り出していると聞く。本当かなと思うが、どうも、本当らしい。ヤギが風邪がもとで死んでいるという。人間に移るのか移らないのかについては分っていないようだ。インドネシアらしい話です。地震の被害は日を追うごとに大きくはっきりしてきている。空から、被害状況を見ているが、はっきりしない。まだ地上から、調査の手が到達していないところが沢山あるし、援助物資などは、最深部まで届くには10日以上経過してからからになるでしょう。ところが、困らないのはトイレという話がある。もともと、家にトイレがあっても意味がない地域で、外の川を使っている地帯なので、地震があろうが無かろうが、家が無くなろうがトイレについての状態は変わらないのである。 また昨日の続きになるかもしれないが、努力しているとか、頑張っている、という言葉ほど曖昧な表現はないと思う。 例えば、学校では運動部に属し、毎日遅くまで運動し、その成績も対外的にも上位にいつもいる。家に帰っても勉強する時間がないだろうし、疲れていて、勉強いどころではないだろう。学校で勉強している雰囲気もない。従業中もその勉強に集中していないようだし、休み時間は皆と一緒にワイワイ騒いでいる。いわゆる、ガリ勉タイプではない。ところが、試験の結果はいつも上位、ガリ勉で成績が良い友達から、不思議がられている。お前と一緒に、遊んでいたら、だめにされると、真剣に云っていた、ガリ勉人間もいた。誰もが運動では努力しているが勉強では努力しているとは思われていなかった。だから、あいつは、頭が良いから、ちょっと聞いただけでおぼえてしまう、数学の解き方がひらめくと、言われていた。私は、彼に確認した。毎朝、5時には起きて二時間は勉強している、そして、テストの週間は2時ころ起こしてもらって四時間ほど勉強し、テストを受ける時は十分、頭が回転しているようにしている。と、言っていた。なるほど、彼は努力していたのです。成績がいいからそうするのか、そうしたから成績がいいのか、両方だと思う。 自分は努力をしているが他人はそう見てくれないし、結果も出ていない。その正反対に、 自分は努力しているつもりがなく自然にやっているが、他人からは努力をしているとみられ、結果も出ている。もうひとつの評価の仕方で、自分は努力をしていると思っていないし、他人もそう思わないが、結果が出ている人と、出ていない人がいる。自分は努力をしていると思っていて、他人も努力していると思っているが結果が出ている人と、出ていない人がいる。どうですか、努力しなさいと言われたって、頑張りなさいと言われたって、云う人にとっても聞く人にとっても程度の基準がない。こんな曖昧なことを私は使いません。自分がやりたいようにやりなさい、結果もあなたの能力次第ですという。できない人には出来ない、できる人は、黙っていてもできるのです。私の仕事は、そういう仕事だと思っています。だめな人はだめです。向き、不向きがあります。向いていない人。本人が努力しているという意識の元に頑張っても、できないものはできない。違い仕事を探した方がいいと云います。
2009.09.05
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斜めからインドネシアを眺めよう 355一日から風邪を引いたようだ。豚でもない、鳥でもない、人間の風邪だと思う。5日のゴルフは人数も揃わないこともあってキャンセルしてよかったと思う。6日なら、一緒の人に移さないと思う。ジャバベカ工場の秘書や経理として働いてもらう人材の確保の行動をし始めている。日本語は出来る必要は全くなし、英語ができることが条件になります。日本語ができる人は専門の仕事はほとんどできないし、通訳としても不完全で、仕事をする上で、日本語が武器にはならない。それに頼る日本人や、その状態から早期に抜けださない日本人は、本来の仕事もできない人です。これは100%そう言えます。そういう人を大勢知っています。突然、飛びます。これから、書くことは例外や程度の違いがあり、%が高いという話です。人間、努力をした人の方が、努力しない人より、成功したり、金持ちになったり、地位が高くなったりする確率が高いと思う。しかし、それも、努力というのは客観的、主観的評価があり、結果が客観的にみて良いといわれている人の方が、努力をしたからと評価される確率が高い。また、努力の才能の内。運動神経の良し悪し、手先の器用、不器用、覚えが早い遅い、勉強の仕方がうまい下手、などなどと同じように、努力する、しないも、遺伝の影響が大きい確率が高い。お笑いで成功している人は、特にコンビやグループでお笑いをやっている人を見ると、才能の違いを感じやすいと思う。よく、シャベル方が、将来、一人立ちして生き残れる確率が高い。もうひとつ、感じていることを書きます。貧乏から努力して成功した例はあります。ですから、金持ちの子供でなければ、それがいいかどうかは別にして、高学歴になれないとか、出世できないとか、金持ちになれないなどということはないわけです。努力と何かの才能が突然、時代の要請にマッチたり、運が向いて来たりすれば成功する可能性は誰にでもあると思う。これも、%です。これも確立ですが、歴史的に見て、豊臣秀吉の出世物語は、大有名です。子供を教育する為のテーマとして大変便利な人物です。彼を例にして話せば、多くの子供は刺激を受けるでしょう。しかし、不幸にして、子孫は歴史に残ることはありません。彼と同じように子供が有名人になったり、子孫が歴史を彩るようになったりする確率はほとんどゼロに近い。どうでしょうか。努力をしているし、インドネシア人の面倒をよく見ていて、静大の大学院を受験予定のヤント君、北岳(富士山の次、日本で二番目に高い山、南アルプス)山頂からの写真が送られてきました。私が、誇りとしている写真です。日本語検定一級にも合格している。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
2009.09.04
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斜めからインドネシアを眺めよう 354Tasikmarayaの南Garut山岳地帯である。Cianjurも同じで、Ciamisでも死者が10人以上出ている。昨日速報で、Pangandaranは無事、津波なし、と伝えましたが、其のとおりでした。しかし、私のPangandaranへの地図を見ていただけば分かりますが、BandungからPangandaranへ向かう途中の町や県に属する山岳地帯で、何千軒かの家が全壊だそうです。山津波も発生していて、行方不明者が死者の数倍はいるようです。まもなく、プアサが終わってレバランになりますが、被災地帯の人々はそれどころではありません。モスジッドも全壊の映像が映し出されています。多分、ジャカルタからジョクジャ方面へ向かうムディックのコースは使えないでしょうから、北周りSumarang経由の道は例年より渋滞が激しくなるでしょう。テレビの画面で見た速報は震源地がインド洋(海底)陸から、30Kmとして、地図が描かれて赤い丸で震源地が示された。しかし、私の直感ですが、この発表は間違っていたと思う。インド洋側の海岸付近の町とジャカルタ付近の揺れ具合や震度が近く、インド洋側の津波がなかったこと、その間の山岳地帯の被害が大きかったこと、住民の話から、縦揺れだったこと、すべてが震源地はTasikの南部の山岳地帯GarunggungやPapandayan付近に違いないと思う。M7.3というのは、その辺りの地震計から、判断したものだと思う。その辺りは火山地帯で活火山もおおい。地震計もインドネシアにしては集中的に置かれて常時観測をしている。日本人もこの地帯に関心を持っている研究者が多く、、日本の援助で観測網が設置されたと聞いている。ジャバベカのレンタル工場は9月16日に調印します。レバラン明けから、使えるようにする工事が始まります。装置も既に手配済のものは運び込みます。これ以上遅れることはないと確信できるところまできた。二色成型の金型を発注した。発泡で二色成型のプロファイル、自社製品として品揃えをし、売り出すため準備です。カタログ商品、ネット販売の第一弾にするつもりのものです。
2009.09.03
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斜めからインドネシアを眺めよう 353 Lagu Terang bulanと Negarakuフランスから入ったメロディだが、歌詞をそれぞれがつけて、前者がインドネシア“明るい月明かり”後者がマレーシア“私の国家”という歌で、愛唱されているが、そのまま、お互いに、不干渉で歌っていればいいと思うのだが、どちらも、そのメロディは自分の国のものだと主張している。一番尖鋭なのはジョクジャカルタ、ガジャマダ大学である。マレーシア領事館に押し掛けてマレーシア国旗を燃やしていた。Rasa sayangという歌も、同じようなもめ方をしている。私は小学校の時に、ブンバワンソロと共に、“ノナ マニス シアパ ヤン プシヤ”Nona manis siapa yang puniya(かわいいあの子は誰のもの)という歌を覚えて歌っていた。ブンガワンソロは日本語の歌詞で歌ったが、後者はインドネシア語そのままでも歌っていた。50才半ばで赴任した時、みんなの前で、歌ったら、拍手喝さいで、皆さんと、すぐ、打ち解けた。そんなにインドネシアで有名な歌だとは知らなかった。小学校の時、日本の“はないちもんめ”と同じように誰もが自然に覚える歌だったのでした。この二つの歌は、日本が占領時に、日本へ紹介した歌だった。終戦4~5年後の、小学校の音楽の教科書に残されていたのでした。林間学校や臨海学校へ出かけた時の夜のキャンプファイヤーを囲んでよく歌いました。Gempa di Tasik, Terasa Kuat di Jakarta Pangandaran tidak Tunami Aman bagat.14:55中部ジャと西部ジャワが大きく揺れた。ジャタルタ付近の横揺れの大きさは、私が滞在した1996年以来、最大で最長時間だった。大騒ぎで、ビルの外に逃げ出したらしいが、被害はなかったようです。震源はパンガンダランの沖 30kmでした。PANGANDARANに津波なし、壊れた家もなしとTEL連絡が入った。 Konpasから、Gempa cukup kuat terasa di Jakarta. Ribuan karyawan yang berkantor di gedung-gedung tinggi berlarian melalui tangga darurat.Sampai saat ini, ribuan karyawan di gedung Kompas Gramedia, misalnya, masih bertahan di luar gedung.Informasi sementara, pusat gempa sekitar 100 km barat daya Tasikmalaya pada kedalaman 32 km, dan berpotensi menimbulkan tsunami.Gempa menyebabkan kerusakan di sejumlah perkantoran. Kantor Pemkab Tasikmalaya mengalami kerusakan cukup parah, sementara telekomunikasi seluler tak berfungsi.
2009.09.02
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斜めからインドネシアを眺めよう 352 半年過ぎた会社は、勿論、日々変化をしているが,半年間、人を経営能力という視点から眺めてきた。しかし、残念ながら、一人もいない。経営を任せられるという、総合知識と能力を待っている人は一人もいない。犠牲的精神と行動をもって、会社を引っ張ろうとする人は一人いるが、知識や能力が不足している。だから、現場は任せらけるが、経営を任せることはまだできない。吉川英治の“私本太平記”になぜか出てくる架空?の人物、バサラ婆娑羅侍、歴史上の人物の中で、私が子供のころ大尊敬をしていた“足利尊氏”の話といって良いが、いろいろな人物、楠正成や新田義貞、後醍醐天皇などが登場した,南北朝から室町初期の歴史小説である。その中に、居てもいなくても、あまり重要ではないと思う、婆娑羅侍が登場する。印象はほとんど残っていないが、バサラという語感がなんとなく残りついづけていた。バサラとは室町時代に流行ったという、洒落者ということらしい。絵とか着物とか持ち物が派手でよく目立ったらしい。当時の破格の金銭的に恵まれた自由人。吉川英治はその時代の雰囲気を伝えたくてバサラを登場させたのでしょう。侍は質実剛健ばかりではなかった、洒落者もいたよということらしい。 サンスクリットの金剛石(ダイヤモンド)の意味でもある。“BASARA”という名前の日本食レストランがジャカルタ、スディルマンのスミタマス、1,2の間にある。2000年ごろまでは確か竹葉亭(ちくようてい)だったが、名前が変わっていた。経営者が変わって名前も変えたと思うが、バサラという名前にした根拠を聞いてみたいと思った。普通の人にちょっと思いつかないと思う。そこで、間もなくインドネシアから去る?と、本人は云っている方の送別会に参加させてもらった。DVDインドネシアビューをプレゼントした。破格に明るい方で、タイでも勤務が長く、タイの情報をその方から受けて、大変参考にさせてもらっている。私は、まだ、タイに滞在したことがない。バンコクトランジットしかない。23:00過ぎに家に戻った。名前が変わって三か月、やっと、看板が取り換えられた、LIPPO BANKではなくなった。
2009.09.01
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