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斜めからインドネシアを眺める 833前のF社のこと、私の後継者と言うことで、本社の工場で33年の経験者。53才で、私が始めてインドネシアへ来て、何もないところへ装置をしれて、高卒の何人かの新入社員に、言葉が全くできない状態で、手とり足とり、押出の技術を教え込んで、10年以上経過したところへ、その時の私と同じ年、53歳の人がやってきた。何をするのかと思ったら、何もしない。作っている製品を見て、日本ではこんな製品はできないよ、と、つぶやいた。それから、何をしたかと言うと、各機械の稼働率や生産の収率を表に示すように、生産管理の担当に命じた。その結果を眺めて、一喜一憂をしている。収率が悪いからと言って、自分では何もできない。只、なぜ悪いのかと呟いているだけ。ある日、生産管理の人間に原料別の購入先と電話番号、担当者のリストを要求した。リストが出来ていないと思ったのでしょう、明日までに作ってほしいと言っていた。しかし、ある。担当者は私が見ている前で、その人に渡した。それから、一週間後のこと、各部署の日本人8人で毎朝ミーティンングをする。その席で、「太田さん、原料の顔入先のリストをお願いしてあったのに、まだ、貰っていません、いつになりますか?」と発言した。これにはびっくり、先ず、そういう話は、ミーティングの場で言うことではないでしょう。押出の事務所で言えば良いことです。その場違いの発言に、頭が変じゃないのと思った。それから、「一週間前に担当者から受け取ったでしょ、私の目の前で、ですよ」と言ったら、「そんなことはないでしょう、受け取っていません」と発言。2人で言い合う場では無いので、私は、現場事務所で確認しましょう、ということで、終わった。ミーティングが終わって、PPICの担当者のところへ行って、聞いたら、彼も、渡したと言っていた。当り前である。ご本人、首をかしげている。インドネシア人担当者はそれを見て、改めて、プリントアウトして渡した。ご本人、それでも、全然、記憶がよみがえって来ない様子。だから、次の日のミーティングでも、私の勘違いでしたと発言することはなかったし、個人的に私に謝ることもなかった。だから、ミーティングのメンバーの皆さんは、私が忘れてしまって渡していないと思ったままになってしまっていると思う。ひどい人が来てしまったと思った。そういう、若年何とかというか、記憶喪失というか、もともと、全く記憶をしていないというか、ご本人が忘れてしまってインドネシア人が悪者にされる事例が次々と繰り返されている。いまでも、そうだと、聞いている。ご本人、自分で仕分けしてファイルが出来ない人らしい。他人にあれがないのか、これがないのか、と言うばかり、あると、それに、日本語で何のファイルと書いている。日本語のファイルではないのでそれを見ても分からない。ところで、その仕入れ先リスト、どう使ったのでしょうか、電話を掛けて話をしたり、メールで何かを要求したりした形跡が全くない。原料に関して自分で何かする様子は全くない。何が目的で、そのリストを要求したのでしょうか、そういうリスト作っていないだろう、要求したらあわてるかもしれないと思って、要求したと勘繰りたくなる。勿論、無かったとしても、作れというだけで、自分が作ることはできない。 その会社、私が残した仕事以後は新しい仕事は始まっていない、勿論、全部、できないと断ってしまっているからです。インドネシア人はできますが、その人が出来ないから、インドネシア人に任せて、やらせることはできない。インドネシア人が呆れていることを本人はご存じない。勿論、この会社も、ある仕事だけで、新しい仕事は取れない。バリ島で一番よくみられる花、カンボジィアです。髪、耳に飾ります。スパでバスタブに入れます。棺桶に撒きます。白とピンクがある。インドネシアの人たちは花や木の名前を知らない人が大部分ですが、この花の名前は多分30%位の人が知っていると思う。 ひどい だめだ 不毛
2011.02.27
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斜めからインドネシアを眺める 832前の前の会社G社の時の話、客先へ行って図面や製品のサンプルを渡されながら見積もり依頼をされた。渡されたご本人、全くできない。勿論、その場で、出来るから、いつまでに見積もりを出しますという返事はしない、首をかしげながら、また、後ほど連絡を入れます。と言っていた。私は直ぐできるが、私がやるやけではないので、余計なことは言えない。それから、二カ月過ぎて、その客先から、その人でなくて、私に問合せが来た。「あの人、じゃ、だめじゃないの、返事が来ないよ、どうなっているの」という内容です。私から、本人に確認した、「本社でも、出来ないと言っていたから、そのままになっています」でした。とんでもない人だと思った。仕事が全くできない人だと思った。「私がやるから、貰った図面とサンプルを私にください」といったら、「もう、二か月前の話でしょ、図面やサンプルですか、もう、無いと思います」だった、「そんなことじゃ、客先に申し訳ないでしょ、無いなら、あなたから、もう一度頼んで貰ってくださいよ」といったら、「太田さんが必要なら、太田さんから頼んでくださいよ、私にはできません」でした。話にも何もならない。呆れて、しょうがないから、客先に誤って、図面を貰って、試作に掛ることを伝えて、その後、金型の図面を書かせて、金型を注文した。それが、また、問題、その図面のサインはその人がして、注文してしまった。インドネシア人が勘違いしていて、その人が、金型の事は分かっていて、その人にOKを貰えばその人が金型について責任が取れると思ったのだ。注文してしまって、二三日後にその図面を見せてもらったら、間違いだらけ、そんな金型では寸法がまったくでない。インドネシア人の金型デザイナーが私の言ったことを反映していなかったのでした。急遽、加工屋さんへ走って、図面の手直しをしてきた。ご本人、経過を何もご存じない。話しても仕方がないので、話をしない。インドネシア人には、私が責任を取るから、その人のサインはサインとして、私に確認してから、外部に出すように頼んだ。インドネシア人スタッフよる試作が始まっても、まったく見向きもしない。勿論、手も足も出ない。技術的に10年経験者のインドネシア人の方が33年経験者の日本人より遥かに上なのですから。客先には、返事をできずに知らん顔していた製品です。本社に聞いても出来ないと言われた製品です。全く、日本の技術が落ち込んいることを思わされた。これでは、日本が長期低迷するのは当り前である。その会社は間もなく、インドネシアから撤退した。正解だと思う。最近開店したばかりのリッポチカランのショッピングモール、シティヲークの中のファーマーズマーケットで売っていた果物類、ドラゴンフルーツの中身が白と赤と黄色が区別されて売られていた。このスーパーはちょっと上流階級をターゲットにしていると思う。日本のスーパーマーケットに負けず劣らずのサービスを展開していると思う。従来から、人気がある近くのハイパーマートとは違う高級な雰囲気があるが、どうでしょうか、近くの住民に受け入れられるでしょうか、私は、庶民が買い物に来るには場所が余りようないし、他の楽しみがないので、若者もあまり来ないのではないかと余計な心配をします。早々と閉店などという事にならないように。スリカヤ、緑色の表面にぶつぶつ出っ張りがある、中味はそのぶつぶつ通り、小さな種に実が付いている。一つ一つ食べていると面倒、いくつもの身を口に入れて、種から実を離し、黒い種を吹き出して食べる。甘いが独特の甘みです。雨季の終わりごろが旬です。スバン辺りの田舎には道端で売っています。もうちょっと、知っていることを書くと、スリカヤという果物がある。中味は殆どスリカヤと同じだが外観はドリアンのような刺とげがあり、色は深い緑です。私は、インドネシアの果物として、ナンカ、チィムベダックとこのスリカヤを紹介する人は紹介してほしい。
2011.02.27
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斜めからインドネシアを眺める 831 サカザキ菌は粉ミルクに限らず、どこにも、かしこにもいるのですから、特別サカザキということでなく、一般的に大腸菌にたいする対策をこうじる必要があります。特に柯ちゃんがいる家庭では食器や拭く物の殺菌は必要です。乾燥に強いし、高熱に強いので70℃以上に加熱する必要がある。それを、40℃以下まで冷ましてから乳幼児に与えなければならない。と、色々な場所に書いてありました。インドネシアではそれが徹底されないし、環境が圧倒的に不潔なので、サカザキ菌は繁殖しやすい環境にあるので、発症する子供は多い。しかし、騒ぎは間もなく終わります。 というより、デング熱(デングフィーバー)は日常的に子供を中心に多くの人が掛っています。本当に日常的です。ニュースになることはありません。しかし、病院へ行けば、次々とデング熱に掛った患者が入ってきます。医者も特別扱いはしません。一日入院させて熱が下がる傾向にあれば退院です。人から移るという病気ではありませんから、患者との接触で注意することは無いようです。とにかく蚊に刺されないようにすることが、予防です。インドネシア人の一般な子供は、蚊に刺されることに慣れているらしくて、食事で辛さを感じないと同じように痒いという感覚が鈍いのではないかと思う。蚊に刺されることが平気な子供が多い。蚊に刺されて痒くて目が覚めてしまう、眠れないということは無いようです。無意識に追い払うだけのようです。 水捌けが悪いので、雨の後の水たまりがなかなか消えません。また、雑草の育ちが早く、ボーフラが成長する環境は至る所にあります。蚊が、広間、暑いときい涼む雑草の影もあちこちにあります。インドネシア中全体で、彼らに好条件を与えて、蚊を養殖しているのです。あの、南ジャカルタの有名なエリア、スナヤンゴルフ場、ここは蚊にとって都会のオアシスです。ゴルフ場の殆ど流れていないドブ臭い川と川の表面を覆っているゴミ。うっそうとした木立と、深いラフ、いずれも飼いにとって天国です。そこで、プレーする人は、虫除けスプレーで蚊よけ薬を皮膚全部の表面に塗るように言われます。 また、高速道路のスマンギインターチェンジの下。ここもすごい、一般の日本人は入ることは無いので知らないでしょうが、高速道路の下をくぐる道が沢山あるので、近道として利用する。その場所が、日辺りが悪いので、乾燥することは無い。一年中、じめじめした状態を保っていて、ここも蚊の天国である。 国の保健省やジャカルタ特別州の保険課がこの状態を知らないはずがないが、放置している。一般市民も、何とかしろよとは言わない。昨日、今度はRacum Keracuman(毒、中毒、食中毒)で300人以上が病院へ運ばれた。ベッドが足りないので、大部分は通路で点滴を受けていた。結婚披露宴の食事が当たったのでした。結婚披露は近所の老若男女が三々五々訪ねてきて、食事をしてすぐ帰る、私の感じでは平均で朝から晩まで一日で、500人以上くると思う。多ければ1000人以上になると思う。なんどもそういう場所に行っているが、清潔だとお思った食事には一度も当たったことは無い。それでも、私は当たらないので気にしていないが、一般的な日本人にその食事を勧めません。帰国のための準備の一つで、借家へ移った。その部屋の私の事務場所と頭の上の電灯。インドネシア人はちょっとお金があるとこういうシャンデリアを吊るしたくなるらしい。中国系の人は特に金キラ金が好きなので、赤で塗るのが主体だが、金色の張り物や装飾が多い。私はこういうのは嫌いだ、けばけばしくて気になって仕方がない。ぜんぜん気にならない物が良い。侘びさびの世界は日本にしかないと思う。家賃一万五千円くらいである。
2011.02.26
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斜めからインドネシアを眺める 830今、インドネシアでサカザキ、サカザキとニュースで盛んにでてくる。全く知らなかった。バクテリア サカザキと言っているように聞こえる。有名なタレントがインタビューを受けて、生まれたばかりの赤ん坊の事を心配して話している。国会では、女性の健康省の大臣が、色々言っている。サカザキ、サカザキいったいなんでしょうか。ネットで検索した。 なるほど、自分が発見したバクテリアでも、自分の名前は付けたくないと思うのは当り前でしょう。Enterobacter sakazakiiエントロバクターサカザキという細菌だとか。どうして坂崎利一博士の功績に敬意を表して付けたのでしょうか。どこへ名前を届けて、どういう審査で、名前が受理されて、世界に公表されるのでしょうか。命名の理由も申請書には書くと思うですが、命名が自分の名前なら異論は無いでしょうが、他人の名前を使って付けるなら、審査する側は、使われた本人の了解や承認を受けているのかどうか確認すると思う。坂崎博士は、OKしたのでしょうか。私なら、いくら、功績を讃えてなどと言われても、OKしません。 ところで、インドネシアの粉ミルクから、次々とこの菌が検出されているらしい。どこで入ったのか、インドネシアなら、どこでも入るような気がする。もし、粉ミルクに入っていなくても、他の場所にうじゃうじゃいる菌だから、用心しても仕方がないと思う。1数年前ほど、日本でO-157に関係して大騒ぎの時期があった。その時、静岡県の保健所のトップの人が私に言ったことは、「インドネシアで仕事ですか、いいですね、私も行きたいですよ、インドネシアは大腸菌の宝庫ですから、色々な菌について研究できて、運が良ければ、新種を発見できるかもしれない。研究場所としてはうってつけですよ」でした。記憶に残っている。 その通りだと思う。いま、サカザキ、サカザキと言っているが聞き始めて約一週間過ぎた、もう一週間後には、話題にならなくなるでしょう。サカザキ菌が無くなったというわけではない。もともと、何年も前からあって、騒がれていなかったのに、話をマスコミが取り上げただけである。だから、マスコミが騒がなくなれば、元に戻るだけです。また、何年後かに騒ぎにするでしょう。 鳥インフルエンザが典型的な例で、今は全く、話題にならない。だからと言ってなくなったのではない。コンスタントに死者数は増えているし、国が作った汚染地域地図はインドネシア全土が汚染で真っ赤になっている。焼却というニュースも無くなった。多分、一般的に食べられているのだと思う。鳥肉も卵も焼いたり煮たりすれば細菌は死ぬから大丈夫と思っているのではない。鳥フルについて知らない人の方が圧倒的に多いから、問題にしないのです。 それにしても、坂崎博士が細菌をばら撒いているような命名は変だと思う。同情をする。日本人が犯人のような気がして、私としても、聞いて、面白くない。 インドネシアの秋です。というのは冗談です。木が枯れるのではなく、葉が枯れて落ちるのです。
2011.02.25
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斜めからインドネシアを眺める 829押出の金型を注文するのは1996年インドネシアへ来て以降、インドネシア国内の金型屋さんです。日本に頼んだことは一度もない。理由は簡単、インドネシアで出来るし、安いし、早いからです。押出の金型は、こちらが書いた図面通り、指示どおりに作ることが出来ればそれでいいのです。あくまでも、金属の加工が出来ればいいのです。射出のように製品図面を渡して、その製品が出来る金型を注文するのではありません。金型を注文するだけです。最初は日系の射出の金型を作ることが出来る金型屋に頼んだが一年後にはローカルの金型屋というより金属加工屋で出来ることが分かった。それも、一、二だけでなく、何社もあることがわかって、ローカルに切り替えた。日本で作る値段の三分の一で出来るようになった。そして、最近は、ドンドン金属加工屋が増えて、値段も下げることが出来るようになった。ローカルでも、10年前の五分の三くらいで、出来るようになった。頼む会社も変えている。だから、日本で作る価格の四分の一になっている。日本の押出成形屋は金型を海外で作ることをお勧めします。金型の他に、色々な自動機も設計して作る会社が沢山ある。どうしても、日本からや海外から輸入しなければならないという装置は殆ど無くなった。しかし、それを知らないか、使いこなす自信がないなどで、高くてもやはり日本製だという日本人も多い。人それぞれである。インドネシアの金型工業会というのが多分10年ほど前から活発に活動するようになったと思う。ジャカルタ新聞にも登場する機会が多い。私も15年くらい前から、インドネシアで押出の金型には係わってきた。ひにくるわけではないが、金型工業会を引っ張っている人は射出成型の金型の専門家なのでしょうか。どういう関係の仕事の人に声がかかっているのでしょうか、金型と言ったって、範囲は広い。数は、プレスの金型が一番多いのではないでしょうか、ついで、射出の金型でしょうか。間違っているかもしれません。この二つが大部分であることは確かでしょう。材料の色々あって、鋳物や食品サンプルも金型でしょうか、金属ではなければ、金型とは言わないのでしょうか。押出成形に限っただけでも金型は、多様です。シート、プレート、フィルム、コルゲート、網の筒、(ミカン袋のようなもの)パイプ、チューブ、電線などのコーティング、数か少ないが種類が多い。こういう金型に係わっている人に金型工業会は声を掛けているのでしょうか。それとも、全く知らないのでしょうか。それとも、無視しているのでしょうか。私は、別に、金型工業会に係わりたいとは思っていないので、どうでもいいのですが、せっかく、金型工業会と言っているなら、金型に係わっている全ての業界や人に声を掛けて、他業種交流をして、色々な業界の智恵を集めたらいかがな物かと思う。ジャンブーと大きい方がジュルックバリ、どちらも赤と白があるそうです。家で飼い始めたヤギ、いつまで我慢できるでしょうか。
2011.02.24
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斜めからインドネシアを眺める 828 ある会社にコンサルタントとして訪問をしていたが、今日、その診断書のようなものを提出した。その会社は、日本の会社にいる日本人が余っているのか、やたら日本人が多い上に、日本人の出張者も引っ切り無しに来ている。本社の社長に頼まれたのだが、その社長さんが全て決めて、許可して、勧めていることである。こちらにいる日本人が勝手に来ているのではない。多ければ、分担してやればいいのだが、それほど沢山の仕事があるわけではないので、一人なら自分で決めて自分でやれば済むが、二人なら、それぞれの意見が合わなければならないし、二人の得意不得意、能力も違う。部下も二人に気を使わなければならない、客先も、外注先も、二人に聞かなければならない。それが三人ならどうでしょうか、もう、回りは、いい加減にしてよ、という雰囲気になってしまう。 その会社は、そんな雰囲気です。経理が二人、インドネシア人部下の指導の仕方は違うし、能力も経験も違う、部下の評価も分かれる。扱いやすい部下がそれぞれ違うのです。そこに、出張してきた会計監査ガいて、両方から報告を受け、聞き取りをしている。経理のことは分からないが、雰囲気が悪いことは明らかである。製造部門の人も、メンテナンスを含めて多数の人がいる。それぞれが、何を担当しているのか分からないし、ダブってやっている場合もある。社長と副社長がいる。他の会社で社長も副社長もいない(常勤では無い)会社も沢山あるというのに、この人たちは一体何をしているのでしょうか。とにかく、何でもいいから、日本人を半分にすることを提案した。そして、一つの仕事を一人ということより、二つの仕事を一人でやるように勧めた。営業と購買は兼務、製造と開発は兼務、人事と総務は勿論兼務、その一人を補うのはインドネシア人スタッフです。それなら、客先も、サプライヤーも一人に話をすればいいのだから、ほっとさせることが出来る。部下も安心します。誰に話をしていいのか、迷うばかりです。挙句に日本人からの評価を下げられてしまうのでは、泣きっ面に蜂になってしまいます。彼らにドンドン多くを任せるようにすればいいのです。日本人が多い会社ほど利益は上がらないのは当り前の話で、現地人に任せることが出来る会社ほど日本人の能力が高い。任せるということは、自分が先ずやって見せて、手本を示すことが出来ることです。そして、任せた人間が失敗したとき、フォローアップが出来るということです。自分が、最初からやってしまうより難しい。しかし、それが出来る、能力と気持ちに余裕があるということです。あなた、どうですか、フォローアップ、バックアップが出来ますか。 谷崎潤一郎の心境で、ケーキを買ってきてほしいと頼まれたので、近くのベーカリーへ行って買ってきた。風車が屋根にあるホランドベーカリーでパンとケーキを何種類か買っての、写真はその一部で300円くらいだった。様子は日本のパンやと何も変わらない。インドネシアの一般的な、サリ ロティなどのパンは、その半値くらいです。
2011.02.23
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斜めからインドネシアを眺める 827 訪ね人と言おうか、浮気調査と言おうか、とにかく、依頼を受けて人を探し出す番組もいくつかある。これについては以前にも書いているが、一番、変なことは、夜、車の中で訪ね人を待つというか、待ち伏せをするというか、そういう、状況が多い。車の中はこうこうと照明を使っている。逆マジックミラー状態のはず。こちらからは外を見にくい、外からはこちらが丸見えである。どちらが見張っているのか分からない状態である。見つけようとする人が、家から外へ出てくれば、でてきた人は、何事かと直ぐ感じる。それでも、気が付かないようにしていて、こちらからは窓に顔を押しつけるようにその人を見ている。どうみても、やらせとしか思えない。 インドネシア人の間で、これが、クレームの対象にならないどころか、知っている人に、話を持ちかけても、変だと思う人は一人もいなかった。 怪奇というか、お化け番組も多い。何年も前に閉鎖された工場の取材が多いようだが、そこに勤めていた人の案内で、夜、そこへ出かける。誰もいないのに影だけ見得るとか、もともと、真っ暗な中に暗視カメラをもって撮影しているようだが、暗視カメラに何か移っているときに、その取材をしている人にも見得るらしい。普通、真暗なら、カメラに映らないし、その人にも見えないはず、火の玉のような発行体が在るなら話は分かるが、人がいるとか、その影だけが動くというのは、あるにしても、見えないはずである。懐中電灯を持っているなら、歩きやすいが、お化けから、ばれてしまうので、もって入っていない。それでも、扉がどこにあるの、机やソファーがどこにあるのか分かるらしくて、四かるし、見つける。そういう人の方が怪奇だと思う。こういうバカバカしい、番組の人気が在るから、続くのでしょう。 怪奇現象を信じる人が多い。未だに、ブラックマジックも多くの人は信じている。何か不幸なこと、うまくいかないことは、誰かが自分にブラックマジックを使っていると思うし、誰かを陥れようと思うと時、祈祷師に頼むとか、自分でも、念じるらしい。逆に、自分が成功するように念じたり、祈祷師に頼んだり、アラーに祈ったりすればいいのに、そういうことはなく、他の人を破壊する目的でそうする。やはり、宗教の影響が在ると思う。創造より破壊である。 なにか、不思議なことが在るとブラックマジックの所為だという。真剣にそう思う人がおおい。だから、怪奇現象のやらせ番組でも、信じる人が多いので続くのでしょう。こちらのホラー映画は人気あるのは勿論だが、日本のホラー映画も人気がある。 一度、ぜひ、会いたいと思っているが、可能性はないと思う。 多くの田舎の人は、病気を治すのも医者より祈祷師に行く人が多いし、どう見ても、マジックとしか思えない、お腹から、釘や針金を出してみせる治療法、(体に全く開けた跡がない、しかし、釘や手には血が付いている)大いに信じれれている。そして、それで、痛みが治るそうです。X線を信じていない。 多分50%程のインドネシア人は医者へはいかないのではないかとお思うくらいである。ハスの花は日本より遥かに多く見る機会が在る。ビンタローの木は日本にないと思う。実を食べると死ぬという。
2011.02.22
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斜めからインドネシアを眺める 826テレビの番組にAku jika Menjadi(アク ジカ ムンジャディ、もし、私がなったなら)というのがある。長寿番組である。若者が、田舎の貧しい家庭に何日か泊りこんで、その家の仕事を手伝う。若者は都会で育った人たちなので、その仕事の大変さと評価(価格)の低さと、住まいの貧弱さに戸惑って涙を流す。その家の人たちも一緒に泣く。そして、家族で、一日出かけている間に、生活必需品や電化製品や場合によっては牛やうヤギ、バイク、そして、家の建て替えや小さな店の準備などをしておく、夕方帰ってきた家族が感激して泣きだす。そして、アラーに感謝する。 別の番組で、Minta Tolong (ミンタ トロン、お願い助けて)というのが在る。この番組の内容は貧しい家の子供が靴やサッカーボールが使えなくなってしまったので、お金をほしいとか、現物を買ってほしいとか、一見、貧しい人に路上で頼むのです。いかにも貧しそうな、道端で小物を売ったり、何かを修理したり、体の一部が不自由だったりする人に頼むのです。テレビ番組の制作者が子供をそういう人に仕向けるのでしょう。近づいていってしつこく頼むのです。進行上、最初のうちは、冷たく断れる状態を長し、そのうち、何とかしてやろうという人に出会うようになっているのです。 手助けしてくれた人に、番組のスタッフが、何故、自分の暮らしが大変なのに、あの子を助けたのか、という質問をし、そのご、多分、百万ルピアくらいだろうと思うが、さっと出して、その人に握らせ、立ち去るのです。それにびっくりしたと同時に、膝まづいて、お祈りを始めるのです。そこへ、カメラが真近に寄ってきて、再度その人の生活事情を質問し、その人の家庭まで押し掛けて、思いがけないお金が入ったことの家族での喜びを取材し、アラーへの感謝のお祈りを流すのです。 手伝ってもらった子供のことは、全く話題にしません番組のスタートの意味から、その子供がどうなったのか、触れなければならないと思うのですが、無視のまま終わってしまう。 子供が一見、金持ちに頼んでしまって、手伝ってもらったのでは番組にならない。もし、私に頼んできたら、直ぐ、手伝ってしまう。それではだめなのです。もう、一つTokar nasib(トカール ナシブ、運を交換)金持ちの家族と貧しい家族が一日24時間家を交代して住むのです。金持ちの家の子供は不満タラタラ、奥さんも大不満。貧乏人の家族も、その生活に馴染めない。どちらの父親も、その仕事に馴染めない。結局、どちらも、満足できずに元に戻ってほっとする。そして、金持ちの方から貧しい方に何らかのプレゼントをして、めでたし、めでたし、で終わる。これも、番組の進行上、貧しい家の人が金持ちの家の暮らしや仕事に満足してはならないはずである。いずれも、元に戻りたいという気持ちにならなければならないはずです。そのように仕向けるのです。 貧乏人をネタにする番組が宗教の宣伝に使われている印象があるが、インドネシアの大多数の人はこういう番組に心地が良いのだと思う。葉っぱのような花、色違いだが同じ花です。それとも、葉の変色なのでしょうか、小さな花がやはり色違いで見える。宣伝 やらせ 利用
2011.02.21
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斜めからインドネシアを眺める 825変なことがあった、韓国人と結婚して妊娠したばかりという、ジャバベカゴルフの元キャディーが夜9時過ぎに家へ来た。何か月前に一緒に回ったことがあって、キャディーの仲間に私の家が近いことと、電話番号を聞いたのでしょう。その結婚したばかりで妊娠していると聞いたのは、彼女が家に来てからである。名前も顔も覚えていなかった、リニーという名前を聞かされても、覚えがない。遊びに来ていいよということにして、実際、来たが、彼女は私を知っているのだが、私には記憶がなかった。来て、直ぐお腹がすいているから、何か食べさせてくださいという。カレーが余っていたので、食べさせた。リッポチカランの奥の方に住んでいるが、旦那が一カ月間バンコクへ出張で、家にいないので、私を思い出して、来てみたかったという。結局、私がゴルフをするため朝5時に家を出た後、家から出て行くまで、別部屋に寝ていたらしい。ゴルフを終わって、会社へ寄って、金型屋へ寄って家に15;00頃帰ったときには居なかった。あとで、SMSが入って、カラワンの実家へ帰っていることが分かった。彼女、いったい、何を考えていたのでしょうか。また、遊びに行きたいと言っていた。妙なことだった。妙といえば、マリアの子供が12日に生まれたことである。昨年四月には妊娠していなければならない。ブログを読み返せば、彼女がスラバヤは帰っていたかどうか分かるが、私は日本へ帰っていなかった。8月に、妊娠をしやすくするための手術をしたいと言って、スラバヤのご主人の所へ帰って行った。レバラン前に、二回にわたって手術をしたと言っていた。妊娠するまでこちらへ来ないようにと、言い渡してあった。妊娠して移動しても、構わない月数になったら、来てもいい、こちらで子供を産んでもいいよ、と言ってあった。それが、いきなり、子供が生まれたと言ってきた。そして、明日は、子供の頭髪を切る儀式を行うという。その写真を送ると言ってきた。キツネにつままれているようで、何が本当なのか、分からなくなった。ともあれ、本当に自分の子供を授かっているなら、オメデトウである。私も、そのための資金的援助は、惜しまなかったのだから。そして、彼女と再び会うこと事はない。本来、私と一緒にいることは彼女がお金をほしいという気持ちからだけだったので、私は早く旦那のもとへ帰ってほしかった。彼女の代りをほしいなら、いつでも、誰かに頼むことはできる。半年先にはインドネシアにいなくなるのだから、これで良かったと思う。旅に出ていたので三週間ぶりのゴルフでした。山へ登ったり、海で泳いだり、海岸を走ったりしていて、かなり鍛えたので、ゴルフの歩きは足が軽かった。だからといってスコアーが良かったとは言えない。川へ入って足でボールを探している人、見えているのは三人だけだが、この時だけでも他に三人以上いた。ロストボールは大体十個五百円くらいで売っている。ここのゴルフ場のプレー費だが、聞く処によると、ビジターは1,5ジュタらしい。高い!以前からメンバー以外は誘いにくかったが、なお、誘いにくくなってしまった。日本人関係のコンペは殆ど無くなっているが、全然、無くなってしまいそうだ。ジャバベカでやるなら、参加したくない、という人が、なお、多くなってくる。中型トカゲ、ビヤワックの子供の珍しいツーッショット。珍妙 嘘 不可解
2011.02.20
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斜めからインドネシアを眺める 824 インドネシアで今、始めてやろうとしている製品は、日本から輸入しているもののインドネシア内調達の役に立つのは当然だが、日本の会社の自社製品として、売り出すことが出来る。こういう技術を持っているというアピールにもなる。今作っているどこかの会社は仕事が減ることになるが、今、手伝っている会社にとっては一石何鳥にもなる仕事だと思う。 細かい仕事が、多数来ているが、いずれも、難しい仕事では無く、ローカルで出来るものばかり、私は知らん顔をしているが、多分、事情を知らなければ、めちゃくちゃ高い値段で見積もるでしょう。そうした場合お客さんにどう受けと入られるでしょうか、私が心配しても仕方がない。 私なら、ローカルで出来るから、何もこの会社にやってもらう必要はないでしょう。原料の出所や成分についてどんな原料を使われるか分からないので、信用出来る日系企業から購入したいとい事なら、値段は高くなることを承知に上なら、見積もらせてもらう、ということを言います。他の日本人にそういうことが出来るでしょうか。出来ないでしょう。 各種申請についてのアドバイスをしている会社は、そろそろ、私が言っていることが正しいのではないかと感じだしているようですが、今まで二年も過ぎて駄目だったものが、ガラッと方法を変えてゼロからやり直すなどということは、自分たちの失敗を認めることいだし、日本の本社からの評価は地に落ちでしまう。今まで何をしていたんだ、ということになってしまう。 こちらの経営者と、総務的な仕事をしている某大手バイク屋さんのインドネシア工場で購買を長年やっていて、トップの紹介で来て、立ち上げを手伝っているはずの二人が、どちらも、意見が一致していて、このままの方法でじっと待つしかないと本社に報告しているようです。 これでは私としても手伝い様がない、二人は何もしなくていいから、黙って、私に任せる、人間の容量があれば、半年先には全ての認可を受けることが出来るはずですが、だめなものは出目です。というわけで、この会社のボランティア的な手伝いを止めることにした。インドネシアベースの仕事にそろそろ終止符を打とうと思った理由の一つです。人が邪魔で、その場所にとっていない方がよいという例はいくらでもある。もう一つの会社でも、その人がいない方が良いと思うので、本社に進言をするつもりでいる。会社にとってもインドネシア人にとっても、そして、指導の障害はなくしたいので、私にとっても、必要なことです。今日完成するはずの金型が間に合わなかった。明日、ゴルフの後、チェックと受け取りに行かなければならなくなった。バリの土産物の安売りスーパー二軒です。どういうわけか、入る前にステッカーを張られる。どういう意味が在るのか知らない。聞いていない。
2011.02.19
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斜めからインドネシアを眺める 823 二月は洪水の月、過去のジャカルタの大洪水は殆ど二月に起きていた。今年はどうか、やはり、異常だと思う。乾季がなかった去年も異常だったが、雨季に入って、雨は増えて洪水も発生しているが、大洪水になるほど降っていない。洪水対策が整ってきて、洪水になっていないということは全くないので、やはり、雨が少ないからだと思う。また、今季の雨の降り方の特徴は一日の中の降る時間が不規則だということです。西ジャワは昼過ぎから決まって降るのが正常でした。今季は朝から雨にたたられることが多い。 身辺整理を進め始めていたが、そのうちの重要な一人がマリアさんです。昨年のレバラン、ラマダンの前から、スラバヤのご主人のもとへ帰していたが、そのままの状態で彼女とは別れることになる。彼女はどう思っているか知らないが、彼女を救ったのは私だし、パニック障害の時、彼女に救われた。インドネシアの旅でも、彼女がナビゲーターとしても役割をしてくれた。経済的援助は彼女の家族を含めて十分にしたと思うし、ある程度の財産も残してやってある。いつかは分かれるのだし、彼女のことは、今月中にふっきることになる。妊娠が難しいと言われていて、手術をしたり、人工授精をしたりして、そして、子供も生まれた。その資金も全部私から出ている。 日本の学校で勉強した人達の保証人としての義務的な役割は終わっているし、マリアさんと違って、日本での生活や学費の面倒を見た人たちは、現在は、自立をしているので、資金援助は彼らから断ってきている。精神的な支えと、本当に困ったときだけ相談に乗るという話になっている。日本で普通の付き合いになるでしょう。 離す人もいれば、これから、手助けを始めようとする人もいる。日本へ帰ったら、保証人として呼ぶことになる、両親の了解と私に託すお願いを受けて、その準備を約半年前の今から始めさせている。日本にいるインドネシアンの何人かにも、不安をなくすための相談に乗るよう頼んだ。 エアーリングが出来た。今回の試作にどうしても必要なので、グロドックへ部品を買いに行って、その部品を使って近所の鉄工場で作ってもらった。これも、会社へ寄付である。寄付したエアーリングスタンド。会社から借りた車ダイハツセニア、ガソリンの消費が少ないと評判で良く売れている。
2011.02.18
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斜めからインドネシアを眺める 822時間で戸惑う。バリタイムはインドネシアのジャワ島、スマトラ島の標準時間(テレビやラジオの番組はここの時間で編成されている)より一時間早い。国内でも、時計の時間を変更しなければならない。バリでテレビを付けていると番組の時間がずれているので、今何時なのかいちいち意識をしなければならない。日本との時差が一時間になるので、グログの投稿時間をいちいち考えながら変更しなければならない。出発時間もかなり意識しないと間違える。ちょっと厄介。http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page237.htmlhttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/page236.htmlワルンとレストランどちらに入るか、インドネシア人運転手と一緒に食事をする機会が多い。必ず、ワルンにします。ナシゴレンの値段が150円位、飲み物と一緒で180円位、ところがレストランとなると安いところでも500円位になってしまう。バリの観光客が多くいる場所では、飲み物を含めて1000円位になる。ブカシ、ジャカルタの日本食レストランと同じような値段だ。観光客価格は驚くほど高い。そして、その値段ほどのおいしさはない、逆にワルンの方がおいしい。運転手はレスタランで日本人と一緒に食事することを嫌う。当然である。回りが、自分とまったく違う世界の人たちばかりで、緊張するし、彼らにとっては味も合わない。ワルンに限る。行きなれているし、安いし、好きなものを自由に注文できるし、追加も出来る。サンバルなども自由に頼める。私も 洒落た外国人向けのレストランよりインドネシア人向けの一般のワルンの方が性に合っている。辛いものだけ避ければ、大変おいしいし、安い。運転手と二人分で300円くらい、それで、誰もが満足。Baliに限らず、基本的に一人旅が一番、気楽で楽しい。連れがいるとどうしても、自分の思うようにはいかない、気を使ってしまい。その人たちの顔色を見ながら、聞きながらの行動になってしまう。お任せタイプではないし、他人にくっついて行く性質ではないから、欲求不満になる。不満を持ちながら、その人たちの面倒を見なければならない。一番そんな役割をすることになってしまう。小学校の遠足の頃からずっと、そう思っている。チカランから車でロンボック、リンジャニ登山までの一人旅に匹敵するくらい今回の旅は満足でした。どちらも、連れがいたら出来ないことを多く体験することが出来た。一人旅の機会があればまたしたい。ただし、40~50才日本国内の旅やスキーにいった時は一人旅では無かったが、この時は例外的に、一人旅の時と同じように連れに気を使うことが無かった、この時はやはり十分満足できたので、日本を離れる直前まで続いた。思い出す。懐かしい。言葉が出来るということは、本当に、嬉しいと思う。旅先の誰とも、冗談混じりの世間話が出来る。ホテルのフロントと話を始めるとなかなか終わらない。ドンドン話しかけてくるし、質問してくる。たまたま、日本からのツアー客が到着し時などは、手伝うことになる。そして、日本人のお年寄りから若者までが私の話しっぷりに羨ましそうにする。また、感謝される。全くもって自己満足の世界に浸れる。バリの私が泊ったホテルでも私を通訳や運転手として雇いたいと言っていた。できる機会があればやってみたいが、あと半年で日本へ帰って日本をベースに仕事をする決心を固めた。インドネシアベースは5カ月ほどである。そろそろ年貢の納め時です。車を売った。そして、会社からレンタカーを与えられた。家も売った。私は二万円の借家へ引っ越した。帰国の準備です。その前に技術的にやることが在るので、かたづけなければならない。バリ旅はそんな区切りを考えて実行した。バリの特徴的彫刻、YOGI大体二万五千Rpで買えます。一回目の自爆事件の場所の向かい側に付けられた慰霊塔、犠牲者の名前が刻まれている。
2011.02.17
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斜めからインドネシアを眺める 821チカランの家に戻っている。バリ発、バタビア、少し遅れて、17:00ジャカルタ着17:45でした。睡眠不足で、羽伸ばしどころか、試練の旅でした。しかし、今日に限っては08:00過ぎまで寝ていて、朝食がクローズ前に間にあった。今回の旅で、始めてホテルで朝食に有りつけた。クタビーチのマックの右隣のマッサージ屋へ行って全身マッサージをしてもらった。太ももがパンパンで、膝を折り曲げると筋肉が延ばされ、痛くて悲鳴を上げてしまった。クタ付近だけかもしれないが、マッサージのホテルの部屋への出張はしないことになっているらしい。自分からマッサージ屋へ行かなければならないらしい。風俗の問題だと思うが、ホテルやマッサージ屋はそう言っている。しかし、夜、歩いていると、出張マッサージはどうかと、勧誘される。クタ付近しか今回は見ていないが、一回目のボン事件の場所は未だに更地になっている。その前、道をへだてて、犠牲者の名前を刻んだメモリアルモニュメントがある。観光客は立ち止まって、写真を取っている。二回目のボンの場所は、どこか分からないほど、それでもフライトが16:45なので、時間が在り過ぎる。そこで比較的近くの三つの岬へ行ってみることにした。まず、一番南の西の端Pura Luhur Uluwatu(ウルワトゥ寺院)へ行った。ここが素晴らしい、何故、昨日の夕方、来なかったのだろうと思う。天気次第だが、サンセットはタナロットに負けないはずである。それと、その時間に合わせてケッチックが催されるという。それは置いておいて、朝の景色も大変素晴らしい。寺院の左右合わせて500m位から眺めるとなお素晴らしい。そして、登り下りが激しいので、いい運動にもなる。写真はそこで発見した、色も鮮やかな薄紫色のスイスのエーデルワイズにそっくりな花に出会った。これには感激、他の観光客はここまで来ないので、来てよかったと思う。ヌサドゥアの先のブノア半島の先っぽ、ブノア岬(タンジュン ブノア)に行ってみた。この端まで、リゾートが伸びていたが、ローカルの人たちも多く住んでいて、リゾートとは違う雰囲気もある。仏教、ヒンドゥー、モスレムが入り混じっているようです。最期はヌザドゥアへ入ってすぐ右のソゴーが在る裏の海岸、小さな半島が在る場所です。高級ホテルからは相当戻ってこないと見つけられない場所なので、欧米人や日本人はほとんどいない。ローカル家族連れが多く、和やかな雰囲気です。ババナボートやマリンジェットやフライイングボートなどが全くないので、子供も静かな遠浅の湾の中で水浴びが出来る、落ち着いたいい場所です。ちょっとした穴場というところでしょうか。
2011.02.16
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斜めからインドネシアを眺める 820 ということで、今朝02:00にホテルから出発、キンタマニを目指し、バトゥール湖畔に駐車し、ガイドを伴って、バトゥール山頂上付近で日の出を眺めることとした。 今回の目的は順調に達成した。ここのガイドは47人いるそうです。女性のガイドはたった一人、名前は、ワヤンさんです。何故か分からないが、私をガイドしてくれることになった。35歳で三人の子持ち、流石、ガイドである。毎日登っているそうで、疲れる様子を見せないどころは、私と話をしていない時は急な登りも何のその携帯電話を放さない。放している様子に息切れがはい。私は、ハアハアしていて、足を上げるのが大変、話どころではない。ただひたすら登るだけ、昨日の今日なので、足の具合が心配だった。 天気は昨日と打って変って晴れ、満点の星が美しい。最初の30分は割合広いなだらかな登り、次の30分は若干狭くなって、火山岩の細かい砂、サクサクとして歩きにくい。時々岩の急な登りも出てくる。そろそろ、足に来る時です。次の30分~1時間(人によって大きく変わると思う)は急な瓦礫や岩の登り、足一歩を上げるのによいしょ、という感じになる。最期の登り100mくらいは胸突き八丁で手を使うこともある。 私は、約1000m標高から、1700m位の展望台にある、山小屋(といっても、15平方メートル位の小さな休憩所、50歳くらいの女性がここで、ツーリストに熱いコーヒーや紅茶を100円位で出している。皆さん、ほっとするらしくて、飲んでいる。私と前後していたグループ(といっても、ブレの二三人連れ)合計15人位、その他に各グループのガイドがいるので、全部で22~3人でした。アジア人は私だけでした。 とにかく、きついです。富士山は登り口何箇所からか、経験しましたが、もちのジグザグが大きい。こちらは、ジグザグが殆ど無く、直登りに若干のくねりが在る程度、アグン山もそうだったが、リンジャニ(ロンボク)も真っ直ぐに近い上りだった。私が、一番飛びぬけて歳だと思う。最初の平坦の時には何組かに抜かれたが、最期の三十分で全員を追い抜いて、お湯を沸かしてくれている山小屋へ着いたのは私が最初だった。到着して、早速、紅茶をご馳走になった。途中でばてたのは、女性で何箇所も休憩していた。未完成だが、Photo Albumです。 http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page236.html 景色は抜群、サンモリッツを思い出した。スイスなら、当然ゴンドラか登山電車で10分くらいに高さだと思う。キンタマニからの景色は何度も見ているが、ここまで来て、大変な思いをした甲斐が在ったと思う。この場所から山頂までは50m位に見えるが、ガイドによると、急過ぎる上に火山礫なので、ずるずる滑って、一般の人は登らせないようにしているとか。二つのピークの間に深い火口がある。蒸気が登っていたし、熱い空気が吹き出ていた。見えないので知らなければ危険だ。毒ガスは発生していないと言っていた。 日の出の方向に雲が出始めて、太陽を雲の中に見えたのが07:00を回っていた。展望台で一時間以上待った事になる。 下りは、全く心配が吹き飛んで、膝のガクガクの兆しも無かった。走るように下ってきた。振り向きながら、大変だった山頂付近を写した。かなりの余裕でした。 旅行会社のトレッキングパケット募集の年齢制限が15才~60才になっているという。7才もオーバーしているわけで、やはり、他人にはアグンもバトゥールもお勧めできない。相当きついと思います。結局、インドネシアの標高1500M以上の山は、他の日本人にお勧めできないということになります。 ワヤンさんとツーショット、ダナウ バトゥール側からグヌン バトゥール。
2011.02.15
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斜めからインドネシアを眺める 819 今朝、1000地点を02:00に出発し、いきなり急な狭い、片側が崖の草ぼうぼうの道を登り始めた。真暗な中、薄暗い懐中電灯の光が頼りです。今回もリンジャニと同じようにガイドとポーターで三人でした。1300mを通過したころから、雨が降り始め、風も横殴りになってきた。既に1500M位に来ていた。標高は約3000mなので、順調に登って三時間だという。今まで一時間半以上登ってきたが、道は急になるし、つるつる滑るし、何が在るか分からない道の両側にも足を滑らすし、雨具は被っているが、殆ど意味が無いくらい体中が水浸しになってしまった。ガイドも心配して、どうしますか、行きますか、太田さん次第ですという。既に1800M地点だったが、断念することにした。悔しいが、二人に迷惑をかけることになりそうなので止めた。 下りがまた大変、登って来た時より水浸しになっているので、つるつる滑る、何回、尻もちをついたことでしょう。暗くてその時は見えなかったが、体中が泥んこである。靴の中まで泥水が入り込んで靴の中で足の爪先が前に押し付けられて痛み出した。登って来た時は濡れていなかった下の方も雨が降っていて、寒さが身にしみるようになってきた。頭も、足もふらふらの状態で駐車場まで戻った。ところが、登山を終えて戻る時間10:00頃車が迎えに来ることになっていて、車が無い。寒いし、ガイドと一緒にどうしようか、ということになる、この近くに交番があるから、そこで休ませてもらおうという事になった。その間、運転手やホテルに何回も電話して迎えに来るように頼もうとしたが、運転手が電話を切っていたので、ホテルでも手の打ちようが無いという。 交番の警察官曰く、直ぐ近くにプンギナパン、泊る場所が在るから、そっちへ行ったほうが良いと。そこを出て、ホテルを捜している内に、迎えの車が来た。迎えにむかているなら、そう言ってくれればいいのに、こちらは、完全に焦っているのだから。 とにかく、あまり、無事ではないが、ホテルに戻った。05:00だった。バタン休である。目が覚めたのが08:30 そのままでは、気にいらないので、09:00出発で、ヒンドゥー寺院の梯子をすることにした。有名なところでは、グヌン カウィ、タマン アユン、ティルタ エンプルなどですが、殆ど人がいない。チャンディにも数か所寄った。それぞれ特徴があるが、グヌンカウィの下りと上りには、この前のカンプンナガといい勝負の階段だった。いい運動を今日は夜中から何回もした。しかし、その岩に浮彫りにした彫刻は一見の価値が在ると思う。私も、年寄ですが、年寄りには大変です。階段の途中で座り込んで動かないブレが何人もいた。 これは、後でまとめる写真集で確認してください。 クタのホテルへ帰る途中、テガラランという村を通った、車が道沿いに沢山駐車しているので、何が在るのかと聞いたら、棚田が綺麗で、国が資金を補助してこの景観を保護しているのだという。申し訳ないが、これくらいの棚田はジャワ島では普通だし、十倍以上の規模のものも珍しくない。何故、ここが名所になっているのか、宣伝効果でしょね。 ということで、また途中、木の彫刻店によって、私が言っているオランマルを五個仕入れた、一個、二万五千Rp(二百三十円位)でした。安い!!と、運転手がびっくりしていた。クタ辺りの土産物屋で買えば、五百円以上はするし、ジャカルタのパサラヤ辺りで買えば、千円はするシロモノ。ところで、この彫刻の正式な名前はYOGI(ヨギ)といいます。ヨガをしている人という意味だそうです。Orang Maru(恥ずかしがっている人)といって売った方が良いじゃないの、と、言うと、殆どのバリ人はその方が売れるかもしれないと言っていた。 アグン登山途中、真っ暗な中のたった一枚の写真。チャンディ グヌン カウィ。
2011.02.14
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斜めからインドネシアを眺める 818 例の鉄板の最低数量が、2トンでいいことになった。そりゃそうでしょう、5トンでは計画の3年分以上になってしまう。こういうことを、最初感じることが出来ないのです。言われて初めて、考えるから、言われなければ、後で、トンデモナイことになってしまう。若干1M単価は高くなったが、OKし、サンプルを手に入れる故障を頼んだ。今月中に手に入れることが出来ればいいと言っておいた。どうなるでしょうか。トランスジャカルタの関連する死亡事故が頻発している。中央高速道路沿いのガトゥットゥスグロト通りもやっとトランスジャカルタの運航が始まった。ところが、毎日に様に事故死のニュースがある。原因は広い通りを横断しようとして跳ねられているのです。高速道路とバス通りを横断しようとすると50mくらいは車やバスに引かれる可能性が在る。女性に死亡が多い。引かれると、身内や近い人が、バス通りを閉鎖して、葬儀の行列を始める。相当長い時間バス通りが使えなくなるし、周辺の一般道の渋滞が、もっともっとひどくなる。 今朝、08:00過ぎに家を出て、空港に向かい、今は、バリのクタビーチにいる。土壇場でエアーティケットを頼んだので、ライオンエアーしか空いていなかった。帰りはバタビアアだけでした。4連休の始まりの日ですから混みようは仕方が無いし、価格は二倍も時間がかかるバンダアチェより高かった。ウングラライ空港へ着いてインフォメーションでホテルのブッキングをしようとしたら、満員のホテルが多く、三日同じホテルに滞在尾することはできなかった。一日目と二、三日目は別のホテルになった。バタビアエアーのリコンフォームを空港でして、タクシーでホテルに向かった。クタまで5百円でした。ここ二日雨が降っていないそうです。夕方、まっ正面のサンセットを見ながら、海岸を散策した。マニキュアのおばさんとか、足裏マッサージのおばさんや飲み物専門に売っているおばさんと世間話をしながら時間を過ごした。 海岸の様子は先週行っていたパンガンダランと全然違う。サンセットとそれを見ている人々です。ボオディーボードは全然ない。レンタルサーフボードに変わっている。ブレが三分の一くらい、だから、殆どブレしかいないように見える。水着については言うまでもない。それでも、ジルバブの女性がわずかだがいることはいる。 今夜、これから、真夜中、23:00過ぎに出発してアグン山のサンライズを目的に山登りに向かう。
2011.02.13
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斜めからインドネシアを眺める 817 インドネシア人スタッフの平均的な人は、物の重さを計算できない。先ず、立方体の体積の計算が出来ない。比重のことなど全く知らない、分からない。それ何?インドネシア語には比重という単語はない。重さの比較とか重さの種類などと表現するしかない。ですから、英語を使うしかない。だから、比重という概念を持っている人は少ない。水に浮くとか、沈むということを説明するのが大変難しい。 薄い鉄板SPCC0.5mmを幅15mm位にスリットして毎月5000m使いたいからM単価の見積もりを取ってほしいと購買のベテランに頼んだ。 始めの報告が、見積もりが入りました、と、見せられたのが、1Kg当たり幾らというものだった。「M単価を頼んだのにこれでは回答になっていないでしょ」と言ったら、「仕入先に、そう言ったが、この見積もりが入った」という。「このKg単価で、M単価を計算すればいいのか」と聞いたら、確信がなさそうに「そうです」という。「それなら、私が求めた、M単価を、計算して、私の報告するのが本当でしょ」と言ったら、これが、分からない。彼は困ってしまった。彼が言っていることは口から出まかせで、私に質問に、うろたえて答えているだけです。「M単価を、自分で計算すればいいなら、計算できるだろうね、比重は知っているだろうね」と、追いかけて、言ったら、もう、彼の頭は、パニック状態。 どうしようもないので、「もう一度、その幅の物が出来るのか、最低ロットは何Mか、その場合のM単価を取りなさいと」その場は納めた。 次の報告はM単価が出てきた。それは良いとして、最低ロットが5トンだと書いてあった。そこで、「5トンを一回の注文できますか、何Mですか、一月5000mと言ったでしょ、何カ月分になりますか」と聞いた。これが、また、ご本人、全く、意識していない。疑問を感じていない。ただ、出された、見積もりをそのまま、横流ししているだけで、その最低ロットで、買えるかどうかを確認するということの意識が無い。「最低ロットを購入できる数量で、見積もりを取らなければ、意味が無いでしょ、購入できない数量で見積もりを取っても、その見積もりは使えないでしょ。」これが、また、パニック。 彼の頭の中に、鉄板のM重量を知る必要があるという意識が全くないまま、ただ、わたしが言ったことと、仕入先の返事を上の空で、受け取っているだけです。話は変わる ADJIEという一人の国会議員が一週間前に亡くなった。心臓まひです。44才でした。日本の若いころの森田健作に存在が似ているように思う。タレントでスポーツマン、サッカーの振興に尽力を注いだ。レーザーという日本の上田正樹デュエットを組んだ、ヒットをさせたことがある有名な歌手と結婚し二人の子供をもうけたが、若い女性国会議員を好きになってしまい、レーザーとは離婚し、若い女性と結婚した。2人の間に二歳くらいの子供がいる。美男タレント議員として目立つ存在だった。女性に絶大の人気が在った。一週間に渡って、彼の特殊がしつこいほど流され、インドネシア人ですら、もう、良いよという状態になっている。人気者が突然亡くなってしまったという悲しみもそろそろお終、というのにで、ある。静岡県遠州森町(清水次郎長の子分の一人、森の石松の故郷)の親戚の家と回りにそっくりで懐かしかった、インドネシアにある風景です。この子供達は小学校へ上がる前、ザリガニを取っていた頃の私そのものです。
2011.02.12
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斜めからインドネシアを眺める 816 と書いたが、今回のタシクマラヤのキリスト教会襲撃の後始末に数人のイスラム教徒の若者が来ていた、というのがニュースで写されていた。その画面の真ん中の後ろの方で、何十人もの警察官が、長椅子にのけぞる様にして、掃除を眺めていた。警備をしている風に見えないし、掃除や片づけをしようとしない、彼らは、イスラム教徒です。これ唯足るを知る。色々な考えがあっていいと思うから書くが、人間の延命措置と同じで、もう、明らかに意識がなく、駄目なものを、機械を使って心臓を動かし、酸素を送り込んで延命させ、奇跡を期待することが是か非か、医者が呼吸器をはずせば、殺人になりかねない、身内がOKすれば、医者は殺人に問われることは無い。 循環するもの、別の命が、新たに出てくるものについては、新たにでてくる者に対して智恵を使えばいいのです。 日本の農産物に関して、後継者はいない、規模が小さくなるのは当り前で、金をつぎ込んで機械を導入してもその金は回収できない。一度、天災の被害を受ければ,それで、一ころ。例外はあるが、今の畑や田んぼの状態では未来は無い。例外はあくまで例外で、全部を例外と同じにしてしまうとするのは、逆に共倒れを促進する。新しい例外を大規模に作りだせば、別の農業、漁業、林業が生まれる。一次産業から二次産業にしなければ、今のように、輸入規制と税金の配分をもっともっとと言っている、大の大人が悲しい存在に見える。農協などは、農業者を自分の飯の種にしているにすぎない。一緒の権力者、公務員のようなものに過ぎない。これも、例外はある。 革命が必要です。強力な刺激が必要です。その点、自由貿易交渉はドンドン進めるべきである。とっくに農産物の輸入自由化をしていれば、今のように問題をずるずる引きずる必要は無かった。やらなければならなくなるものは早ければ早いほどいい。国鉄の民有化、郵便局の民有化、何十年も、しつこい反対をした後、反対した人々は今の民営化を見てどう思っているのでしょうか、国民の多くは間違った選択とは思っていない。一部の元職員や公務員が辛い目に会っているのかもしれないが、大を生かすためには、犠牲になる必要がある。100%の人が、満足というものはこの世の中に無い。痛みが無い改革、手術は無い。 インドネシアの山岳地帯の伝統的な部落の生活ぶりを見るにつけて、足る、ということは何かを考えさせられる。 私が子供のころ、大二次大戦後、物資が不足していたころ、何も不足していると思っていなかった。子供ながら、おやつに、ジャガイモを自分でゆでたり、田んぼで捕まえたドジョウの泥をはかせておいて、串に刺して焼いて醤油を付けて食べたり、充実していた。勿論、テレビは無いし、おもちゃも無い、おもちゃは自分で作った。私が子供の頃の方が今の日本の子供達より恵まれていたと思うし、勉強やスポーツなどにやりがいがあったと思う。子供も大勢いて、活気が在ったし、今のインドネシアに似ていた。 もっと書けば、江戸時代の日本人の方がもっと恵まれていたと思う。日本人は江戸時代をもっと知ったら、新しい投資の方向が見えてくるのではないでしょか。このままでは、中国に尻尾を振り、いつかインドネシアにも尻尾を振る時代が来るのではないでしょうか。そのころ、私は、この世にはいない。 Mencari pacar mu(恋人探し)で恋人に今回も会えた。数か所ポイントが在って、どこかで会うことが出来るようになっている。私のウェブサイトhttp://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/ の表紙の場所です。少し、下から撮っています。
2011.02.11
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斜めからインドネシアを眺める 815プレス機械の見積もりが届いたので、直ちに製造の依頼をした。本来のルートを通すと、二週間以上注文が遅れることは分かっているので、私が責任を持つことで内示を出してしまう。金型は一週間前に注文したが、見積もりは前金が50%になっているが、会社は前金を払わないと交渉し始める。そうなると、いつまでたっても金型の製作が始まらない。そこで、これについては、半額以上を私が個人的に金型屋へもっていって、それで、仕事に掛ってもらった。いつも、前払い金が必要な場合は、私が出しておく。そうしないと、試作の日程が決まらない、客先への納期の返事も出来ない。先走らないと、仕事にならない。自分で資金を持っていて、あわよくば、前払いした金額が戻って来ないこともあり得るとしても、そうする必要があると思うからするのです。責任とはそういうものだと思っている。其のプレス機を使って作る製品がねらい通りになるかどうかの確約もない。また、プレスの対象となる薄い鉄板の見積もりも取らなければならないが、今は、インドネシア人スタッフに他の日本人に任せているが、進んでいるようには感じない。そうならないことを希望しているが、今月末には私自身がこれについても手配をするつもりでいる。一つの製品については21日からトライをするが、多分、試作用の原料が足りなくなるだろう。これも、他のメーカーからもっと安い原料を私が手配しなければならなくなる。現在、あるもについては、継続なので、すべてを任すことが出来るようにしてあるが、新しいこととなると、結局、すべてを私がやるようになる。インドネシア人日本人どちらも、似たり寄ったりである。最近、また、宗教間の破壊が頻発している。警官は制止しない。イスラム内の宗派争い。キリスト教会を破壊したイスラム教徒の裁判の判決に怒ったイスラム教徒が、キリスト教会を破壊した。イスラム絡みである。穏健派は大多数だが、その大多数が、イスラムにも色々あると言っているだけで、見て見ぬふりをしている。色々あるということが、他宗教から恐れられているし、変な宗教と思われている事を感じていない。暴力で破壊知ることを勧めていると解釈できる経典が変だと思われているのです。私からすれば、解釈できるのでは無く、明らかに、暴力を勧めている内容になっていると思うが、どうでしょか、穏健派が、信頼を勝ち取るために、破壊や暴力は認めていないと、説教をしているにすぎない。穏健派の解釈が間違っていると思う。目には目を、刃には刃をである。モハメッドさんが書いた経典が在る限り、暴力では何も解決しないことを知るまで、イスラムの暴力、破壊、自爆などはなくならないでしょう。イスラムの人がそれ以外の宗教の手伝いをしたという話は聞いたことが無い。イスラム以外の世界の主な宗教の人はイスラムの人に手伝いをしている。イスラムの人はそのことを気にしていないようだ。パンガンダランのある日の私の朝食、ミーアヤムとABCコーヒー、レンタル二人乗り自転車とアンドンと呼ばれる馬車、観光用でパンガンダランの首根っこ部分を循環している。こういう、場所に来ると、宗教争いなどは微塵もない。平和そのものインドネシアです。宗教 攻撃 集団心理
2011.02.10
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斜めからインドネシアを眺める 814部落は車の通りから50m以上下にある。そのため、車の通りの脇にバスや車の駐車場を作り、その周りには地元をはじき出された人の仕事を作るために、駐車場係とか、ガイドとか土産物売りの店やレストランも観光省が与えた。せっかく、インドネシアツアー中の外国人が、知らずのこの場所を訪れて、一悶着起きる、皆さん、せっかく、期待してきたのに、部落へ入れない。外国から大コンプレン、政府も困ってしまった。特例中の特例として、灯油を安く、十分な量を供給するという回答を半年後に獲得した。直ちに解放した。そういう一騒動が在った。部落へ下りる階段は大変急で、帰りが大変だった。一息には登りきれない、途中で休憩が必要だ。部落の面積や家の戸数は増やさない。10年に一度作りかえる、部落民総勢で手伝い一週間で作ってしまう。材料は骨組みが木、壁や扉は竹を色々な幅で手くられていた。屋根は、昔、日本でも箒の材料になっていたので見たことがあるシュロを使って葺く。ところどころに50cm四方のガラスが埋められていて太陽光を部屋の中に入れる工夫をしてある。勿論、電気器具はまったく置いてない、そりゃそうです、電気を使っていません。金持ちも貧乏人もいない。完全共産主義だと思う。当然ながら学校や診療所はない。上の道沿いの学校へ行っている。人員構成は、非常に巧みに調整しているらしい。妊婦も生んだばかりの女性も表に出ている。外で、おっぱいを飲ませていた。老人も大変多い。長生きの部落だという。聞くと、80位に人も多いとか、外へ出て、女性の観光客に話しかけられて、一緒に写真を撮るのが楽しみだという。生活のストレスが少ないと思う。そういう状態に部落じゅうが一致しているのです。結婚式や葬式もお互いの食べ物や衣装を貸しあう、そして、何週間後には、手伝いありがとうパーティーをするとか、とにかく、和やかに、喧嘩は全く無く、全員が家族のように暮らしているという。私には、とても我慢できない世界ですが、なんとなく、ずっと昔の日本の山村の部落に似ているような気がして懐かしい。田んぼのあぜ道も何十年振りかに両手を広げてバランスを取りながら歩いた。 白川郷のミニ版といったところか、こちらの方が大分知恵が遅れていて、何もしない、何も進化を望まないという風である。欧米人にこのまれそうな場所である。 場所的にはパパンダヤンからか知らないが、有史以前に流れた幾筋かの溶岩流が在り、それぞれの尾根に主要道路あり、谷間の底に川が流れ、集落が続いている、その中の一つがカンプンナガである。向こうの尾根とこちらの尾根に挟まれた谷間のそこの川に向かって広大な棚田の景色が素晴らしい。何キロも続く。インドネシアらしい風景である。この棚田で二期作、三期昨をするのですから、日本の棚田の風景などは規模的に100分の1も無い貧弱なもので、市場開放をしないというのは全くナンセンスです。話は別の方向へ行ってしまうが、全く太刀打ちできない物を太刀打ちできるようにと補助をするのはどんなものか、永久に自立が出来ないとわかっていて、金を注ぎこむのは如何なものか。 パンガンダランの海岸風景、遠浅ということが見とれる。半島方向と反対側、数え切れない人人、海で泳いでいる人は一人もいない。バリや日本の海水浴場とは雰囲気が全然違う。水着を着ている人は一人もいない。万が一、水着の人にあったらそれはインドネシア人ではありません。ビキニはジャカルタ辺りで売っていることは売っていますが、来ている人を見たことが無い。 ドイツから娘と孫たちが日本に来ている二か月半ほど静岡にいるらしいが、早く日本へ帰りたい。三月中旬過ぎには帰れそうだ。二週間ほど、一緒にいることが出来る。
2011.02.09
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斜めからインドネシアを眺める 813 パンガンダランから10;00過ぎに出発、このまま帰るには早すぎるし、途中どこかに寄りたいと思いながら、タシクだがガルットの近くに非常に伝統的で閉鎖的な生活を未だに守っているカンプン ナガという集落があることを思い出してタシクの町中で道を聞いたら、警官も含めて数人が集まってきて、皆でわいわい言いながら、地図を書いて道を教えてくれた。そこから、ガルットの東南方面で、40Km以上あると聞かされた。寄り道は最初から決めていたことなので、行くことにした。道は単純で殆ど一本道に近かった。途中、ウェブサイトでも紹介済みのガルングンは右折という看板をいくつも見ながら、真っ直ぐのガルットを目指した。そにて、到着した。 外国人はガイドを使わなければ部落へ入れないことになっているらしい。駐車場着いたら、係りの人が、直ぐに、何語のガイドが希望か聞きに来た。日本語、といったら、いないと言われた。それでは、何語でもいいよ、と言ったら、インドネシア語しかできないガイドを連れてきた。出身がこのカンプンナガで、家を継ぐ人は長男と決まっているし、男がいない家は部落の中の長男以外から婿をとる。それ以外の人は部落から出なければならない。そういう人に一人で、今ガイドをしている、と、言っていた。電気もガスも来ていないし、引いてもいけない、ガスボンベを使ってはいけない。燃料は木や草、竹を乾燥したものか家畜の糞を乾燥して使う。灯りは灯油。テレビアンテナが見えたので、どうしているのか聞いたら、バッテリーだという。チャージは部落の上の家のコンセントを借りてする。三日間チャージするとフルになる。フルの状態なら、昼間付けっぱなしにしても一週間もつそうだ。切れたら、三日間見ないのか、と聞いたら、そうだという。予備は持っていないのかと聞いたら、そんな金は無いし、どうしても、どうしても見たければ、二軒でもっているので、見ることが出来る家に行ってみればいいらしい。回りに棚田があって、米の収穫は自給するのに十分らしい、収入は竹で編んだ、色々な道具類、ザル、箕、笠、色々な容器をスーパーへ卸すし、部落の中でも観光客に売っている。2009年、8月だったと思う。政府からインドネシア全体の方針として、灯油の使用自粛と二倍に値上げの方針が示されて、LPGに切り替えるように勧められた。前にも書いたが黄緑色の小型携帯ボンベを大量に生産し、最初は電気が無く灯油ランプを使っている田舎の家にはそのボンベが只で配られた。その時、この部落はそれを拒否した。どうしても灯油しか使わないといって、政府に特例を要求したが、受け入れられなかった。そこで、部落で相談した結果。ピケを張って、観光客の受け入れを拒否した。困ったのは観光省でした。上の道から部落を見下ろす。
2011.02.08
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斜めからインドネシアを眺める 812流石に雨季の真っただ中、予想していた通り、日が指すことは殆ど無く、曇天続き、暑くてどうしようもないということは無かったが、逆に南国特有の爽快な青空もまったく無かった。サンライズもサンセットもその気配さえ無く、小雨模様の寂しい、寒々しい海岸風景だった。パンガンダランは4月から9月の間が最適な期間かもしれない。ラフレシアは雨に弱くて、開いて一週間ももたないが、雨が降ってしまえばその時点で黒く腐り始めてしまうし、今回の写真にもあるが、雨季に咲いた花は、ビヤワックという全長1m位のトカゲに開けば直ぐにかじられて、食べられてしまう。完全な形でラフレシアを見ることは難しい。開花したばかりの花に一つだけで会うことが出来た。運が良かったと思う。ちょっと普通の人にはハード過ぎる行動でしたが、できるので、じっとしていられないのが性分で、休養にも何にもなっていないが、すべてが順調に推移した、恵まれていた。それでも、ここへ来るたびに、欧米人のように、ロッキングイチェアーでのんびり読書にふける姿や、レンタル自転車で街を巡りながら、休みたいところで寝ころんで空を見上げているうちに眠り込んでしまうなど、そういう、過ごし方をしたいと思うのだが、いつか、きっと、やってみたいと思う。一か月くらい。費用は宿泊、ポンドックダウン、一泊四十万Rpで三泊、1,2ジュタ。ガソリン代が往復四十万Rp、ヌサカンバンガンへの船が燃料代込みで、八十万Rp、ガイドはいつもお世話になっている家族の中の二人が付きっきりで案内してくれたので三日間で2ジュタ母親のウミさんに払った。一般的には一人のガイドに一日手伝ってもらって、三十万Rpくらいで十分です。食事や飲み物代は五十万Rp位でした。今朝の西海岸の人出は軽き一万人は超えているでしょう。本当にすごい人数です。これだけの人たちが、私が来た時と同じくねくねした山道を使ってきているのですから、道の混みようもすごいと思う。たまたま、明日から、インターナショナルの鳩を飛ばす競技があるらしくて、それの準備にも大勢の人たちや大テント、おびただしい数の椅子などで必要らしく、そのための人や車も多い。貸しバギー、二人、三人、四人乗りの貸し自転車、貸しベチャまであり、子供が楽しむミニ貸しベチャまである。昔、タイヤの浮輪、今は、ボディーボードである。時間では無く、嫌になるまで一万Rpという料金である。この人数でも沖へ泳いで出てゆく人は一人もいない。海岸の足が立つところで来た波に飛び上る、ボディーボードで岸辺に向かってくる、皆さん、それだけである。ビーチバレーやビーチサッカー、綱引きもやっている。ライフガードは一人もいないにもかかわらず、沖へ泳いで出てはいけないとスピーカーで盛んに言っている。人が多くて、沖から戻ってきた小舟が、接岸する場所をなかなか見つけられない、ホイッスルを吹きながら、半ば、強引に岸に近付こうとして、其処ら辺に坐りこんでいる人たちにあわやぶつかりそうになっている。パンガンダランはすごい。チュルッグ ジャンビとパンガンダランのハリネズミ、
2011.02.07
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斜めからインドネシアを眺める 811これも、本当に久しぶりにヌサカンバンガン島へ行ってきた。この島へ行くときは、出来るだけ早朝に西海岸から出発するのが波と風の状態が最適です。今日は日の出の時間6時に出発した。雨季なのでサンライズを見ることはできなかったが、半島の先端までは、波に逆らうように進むので、ある程度の上下は覚悟しなければならないが、そこを過ぎれば、波の方向と一緒になるので、波乗り状態で滑るように進む、ヌサカンバンガンの手前後500m位のところからはインド洋とは思えない凪の状態になる。島に寄せる波の高さは、50cmほどで、初心者のサーフィン練習には最適だと思う。一時間半ほどでヌサカンバンガンの西の端の海岸に着く。もっていった米を炊いて、魚を焼いて、島に漁師から買ったロブスターも丸焼きにして、朝食。船を操縦した船の持ち主が、枯れ木を集めて火をおこし、ヤシの葉の皿と頼めば、適当な枝で箸も作ってくれる。私は、その間に海岸の散策やちょっと沖まで行って空を見上げてプカプカしていればいい。準備が出来れば呼んでくれて、いちばん最初賞味をして、おいしい、といえば良い。十年以上前に比べれば、若干海岸が狭くなったような気がする。満ち引きにも寄るが、それでも、遠浅の幅が狭くなっているのは確実だと思う。今回が本当に最期になると思う。雨には降られなかったが、曇天で、そこが残念でした。帰りは09:30頃出発だったが、この時間は、東海岸のチャガールアラムへ戻るなら、全く波に逆らいことはない、若干横からうねりが来るだけなので、出発した西海岸へ帰るより遥かに静かいに進むし、時間も一時間ちょっとで上陸できる。チャガールアラムから出てしまう前に、ついでに、ハリネズミがいるほら穴を通ってみた。どういう家族構成になっているのでしょうか、子供が2匹いて、こんな状態に会ったのは初めてで、入って見てラッキーでした。昼前に車まで戻ったので、時間つぶしにどうしようかと考え、これも、久しぶりにチュルッグ ジャンビへ行ってみることにした。パンガンダランの地図で紹介していますが、半島の真北に当たる山の方にある。殆ど一直線の滝です。以前行った時には道が良かったが、今回は凸凹の上にぬかるんでいて、キジャンではちょっと難しい道になっていて、かなり厳しかった。なんとか、駐車できるところまで到着、そこから40分くらいの歩きだが、この道も以前に比べると石灰岩を凸凹に敷いてあるだけなので、滑りやすくなっていて、危ない道になっていた。到着すれば滝の姿は全く変わっていなかった。懐かしく、眺めながら、昔来た時の事を思い返していた。パンガンダランの地図です。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage008.htmlそんなことで、今日も休養にはならなかったが、いい運動になった。昨日の幻の滝とその対岸にある幻でも何でもない滝。
2011.02.06
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斜めからインドネシアを眺める 81008:00から行動して、半島の中、チャガールアラムへ行ってきた。先端のチュルッグ、パナンジュンという滝の滝つぼまで降りてきた。ま、行けばいつも殆ど同じコースです。ご存知ラフレシアに会うためである。とにかく、会うことはできました。大満足です。12:00前に出てきた。 そこまでは、心地良い疲れで、申し分は無かったが、その後が、休養どころか、とことん疲れさせられた。グリンキャニオン方面の途中にチトマンという場所がある。そっち行けば、高さが低い滝に会える。そこへは以前行ったことがあるので、今回は、ガイドの勧めによって、グヌンチィガという滝まで行くことにした。車で直ぐ近くまで行けるので駐車してから、ちょっと下るだけだと聞かされていたが、行ってみたら。とんでもない。殆ど道が無いような雑草で覆われた、また、その山は全体が石灰岩でできているので、急激な下りの三つはごつごつとしている上に滑りやすい。滝つぼまで降りることが出来るというので、信じて、帰りの登りのことは考えずに、恐る恐る降りて行った。急に小さい面積の田んぼが出てきた。その向こうだというので、その狭い畦道を、バランスを取りながら、なお降りる道を捜した。私の勧めたガイドが迷っているので、以前、いつ来たのかと聞いたら、4年前だという。四年前にここにあったはずの道が無くなっている、といいながら、あきらめたようだ。滝は直ぐ横に見え隠れしているが、全体は見えない。滝つぼへも道が無いので降りられない。どうするのか、と聞いたら、来た道を登って帰ろう、という。あればけ、しんどい思いをして、すぐ近くまで来ているのにこっちはあきらめきれない。ガイドが、帰ろうとしているが、私は、滝の下にでる道が無いなら、滝の上に出る道があるはずだと思い、横から見え隠れしていた滝の上の項の回ってみた。すると、道がある、滝に上に出てその向こう側に道があり、向こう側から滝壺へ下りることが出来たのです。しかし、その道も、殆ど見えない道で、相当長い間、人が通っていないと思う。ガイドを呼んだら、思い出したという。遅いよ。帰るところだったじゃないか。その滝は、今まで、見た滝の中では一番姿が良かった。大変な思いをして見つけた滝なので、ひとしおでした。帰りはまた、ずっと登り。足がつってしまって、何回、途中で、休憩したでしょうか。上の道に出た時は足がもうふらふらだったし、息も絶え絶えだった。チュルッグ(滝)グヌン ティガという名前でした。達成感はひとしおです。この滝は、聞いたところに依ると地元の人も行ったことが無いらしい。それほど、近づくのも大変な場所のようです。パンガンダランは万人にお勧めしますが、この滝は決してお勧めしません。美しいが大変すぎます。ナンカの実とブレのベチャ乗り。普通の人は二人掛けだが、彼らは、大きいので一人一人でした。
2011.02.05
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斜めからインドネシアを眺める 829春節、チャイニーズ ニュー イヤーである。GONG XI FA CHAIというし、イムレックともいう。ハリラヤ(ナショナルホリデー)である。どいうわけか、一年半ぶりのパンガンダランである。雨季の真っ最中なので、晴天は期待できないが、取りあえず、海岸でのんびり休養が目的です。昔に比べると、半分の時間で着いてしまうので、運転もずいぶん楽です。チカランから6時間で着いてしまう。バンジャールからパンガンダランへ来る途中広大な水田が広がっているが、今回はその水田が水没してしまっていて、広大な湖と化していた。田んぼ仕事の休憩に使う屋根だけの小さな小屋がその水のあちこちに浮かんでいるように点在している。かなりの被害だと思う。当分水は引きそうにないように見えた。パンガンダランの東海岸には竹で組んだ桟橋のようなものが三か所出来ていて、それは、バナナボートの乗り場になっていた。何箇所かに防波用にテトラポットのように大きな岩が積まれてもいた。津波依頼、パンガンダランの首に当たる東海岸の砂浜は消滅していたが、少しだけ再生している。もともと、肩の部分は広い海岸が残っていて、こちらは、観光客の海岸では無く、地元の漁師の海岸で、漁船がぎっしりと並べられている。毎朝、そこから日の出とともに一斉に沖合へ出漁するのです。それは、壮観です。また、東海岸道路の海岸と反対側沿いには、軒並み、ホテルが並ぶようになった。以前はパンタイインダーなど数か所で、パサールイカンまで空き地が多かったが、今は、びっしりとホテルが並んでいて、道から空き地を見ることは無くなってしまった。中央通りにも新築のホテルがいくつかオープンしていて、首根っこ子部分はびっしりとホテルやロスメンで埋め尽くされているようだ、車が入れない小道があみだくじの横線のようにあるが、それらの小道沿いもロスメンだらけである。これだけ、パンガンダランへ来る人が増えているということでしょう。大型バスの駐車場と同じ場所の強制的に移動させられていた土産物屋も、許可されていなかった西海岸にドンドン復活していて、西海岸通り沿いに線であったものが、今はその後ろの海岸に広がっていて面になっている。ますます、来訪者が増えているようです。日本人には全く会わないし、来たという話も非常に少ない、だから、日本人が来た時には何人かの名前を覚えていて、私に、誰々という人が来たと教えてくれるが、私が知るわけが無い。ブレとインドネシア人が言っている欧米系の訪問者は多い。私が来たときに必ず二十人や三十人には会う。サーファーが多いが、リタイヤ者の団体旅行も多い。今日も多くのブレに会っている。長年、私を手伝ってくれていたラシッド君がオーストラリアへ去年の6月から留学しているので、その弟のアウェン君にガイドを頼んだ。彼らは、国立の自然保護地区になっている半島のジャングル内のガイド資格を持っている。私の孫もインドネシア人に見せるとブレと言われる。 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.htmlhttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage229.html旅行記とフォトアルバムのパンガンダランの項を参考にしてください。
2011.02.04
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斜めからインドネシアを眺める 828どうしてもグロドック出なければ手に入らないもので、どうしても近日中に使わなければ新製品の成形が出来ない部品があって、それを、求めに北回りでグロドックへ行ってきた。目的は達成した。10:00前にMM2100から出発したが、例によってジャカルタへ入る前から渋滞にはまって、チャワンからアンチョールへ向かった。プロガドン出口、スンタール出口アンチョール出口、どこまで行っても渋滞、のろのろ運転、反対車線はどうか、こちらより、もっとひどい渋滞のようだった。12:30にやっと到着した。帰りは、きた時の帰りの道の渋滞ぶりを見てしまったので、ジャカルタの中心を通ることにした。ガジャマダ、タムリン、スディルマン、とにかく、ずっと渋滞、ひどいものである。特に、イスタナプレジデントの手前付近から、インドネシア銀行辺りまでは、車線が広い割に渋滞がきつい。マンダリンオリエンタルホテルを過ぎてから、6車線から3車線に変わるので、ここもすごい競り合いである。スディルマンさんが指をさして北の空を見ているが、排気ガスで気の毒である。 スマンギからガトゥットゥスブロトへ左折して、ジャラントールへ入るのだが、ここもいつもの通り大混雑、右から来て左に入りスディルマン通りに降りようとする車と、私のようにスディルマンから上がってきた車と交錯する。クラクションが鳴りやまない。それでも、強引に使っていないはずの中央のバスレーンへ入って高速の入口に近づいたらクローズされていて、次の入口から入れという指示だった。そのまま、バスレーンを走って行ったら、トランスジャカルタのバス停から大勢の人が覗いて外を見ていた。そこで、始めて、今、バスレーンは使われているのだと、知った。それでも、直ぐ出てしまうわけにはいかないので、そのまま走って高速道路に入ってしまった。いつからでしょうか、今年初めからでしょうか、完成して二年以上使われなくて、かなり、壊れていた構造物がいつの間にか直されて、使われているのでした。そこで、渋滞が以前にもましてひどくなったのでしょう。高速へ入ってもずっと渋滞で、やっと,解消したのが、ポンドックグデティムールでティケットを受け取ってからでした。そこから順調でMM2100へ着いたのが16:00を回っていた。逆にジャカルタ方面への道はブカシバラット付近の事故で、殆ど動いていなかった。いつもの通り、ジャカルタへ住んでいる日本人は忍耐です。もっとも自分が運転するわけではないから、寝ていればいいのだが。ということで、ますます、限りなく渋滞がひどくなっているジャカルタでした。ホテルケンピンスキーとジャカルタショッピングセンター、いずれも、私には縁が無い建物です。渋滞 大都会 厄介
2011.02.03
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斜めからインドネシアを眺める 827今日という日を忘れては、昨日の写真の人にしかられる。もう何年になるでしょうか。結婚記念日です。この一番寒い時を選んだのは、妻の学校の勤務の関係でした。横浜市の学校から静岡県の学校に移動するのに一番都合がよい時期でした。バリからブロモやボロブドゥール、サンギラン(ジャワ原人が発見された場所)へオプショナルツアーを計画している人は、現地の情報をバリでチェックしてください。チャンディプランバナン、ブンガワンソロ、ラトゥボコ、チャンディスクーは泥流の心配はありませんが、ムラピ山噴火の様子に依ってはジョクジャカルタ空港自体が閉鎖されることも考えられます。こちらは、万が一です。仕事の事を書いておきます。ボランティアの会社立ち上げのアドバイスだけでは、客先に申し訳ないし、新任営業担当の手伝いもそろそろ始めないと、彼のストレスが溜まってしまう。そこで、以前から、私個人的に約束をしていた仕事の立ち上げを、その営業の人を連れて行って、再度公約をしてきた。 早速、二種類の製品の金型の図面を清書してもらい、今日、金型の製作を依頼してきた。二月の15日頃には出来上がってくる予定だ。ついでに、なにもかも一遍にと思い、インサートする鉄板の穴開け加工についても、装置と材料の手配をした。客先はPT.Tさんである。硬質塩ビのプロファイルを先ず二月末までにOK品を作ることにする。もう一つの、軟質ポリエチで鉄板をコーティングする製品は平行して試作をし、三月中旬以前にサンプルをだす。いずれも、インドネシアでは私にしかできない仕事で、それも私の個人的都合で三月二十日前から日本に最低の二週間は滞在しなければならないので、その前に客先のOKを貰わなければならない。二種類が完成すれば、その他にも類似や関連のプロファイル品が次々と追加になるはずである。現在日本や中国で作っている物をインドネシア製にしてこちらから逆に日本や中国へ輸出するシナリオも現実味を帯びてくるでしょう。継続は宝なり、一つの仕事を継続する、三日坊主ではく、始めたことを続ける、これは個人に取って善だし宝です。しかし、支配に限っては、継続は悪になる、必ず、悪になる。その点、日本の足利政権や徳川政権は特殊だが、これは、世界に例が無いほど長期だった。外部からの情報やちょっかいが無かったことと、抑圧的では無かったことが長期に続いた要因である。長期独裁、独占は必ず破綻する、それも長ければ長いほど、破綻した時の独裁者はみじめな終わり方をする。永遠に現状にまま、はない。エジプト、ムバラクでさえ、こういうことになってしまって、世界中が戸惑っている。いずれも独裁政権の中国や北朝鮮は、このことから何を学ぶでしょうか。独占を止める方向には行かないでしょう、今も自由度が少ないがもっと自由度を少なくする方向で引き締めを図るでしょう。しかし、あと、20年は持たない様な気がする。必ず、両方とも政治がひっくり返る事態になるはずである。インドネシアでは非常に珍しいカーブミラー。取りつけられて半月ほど経過、いつまで割られないでいるか楽しみです。アクリルの四角棒、こんな物でも、インドネシアでは対応できる会社が無い。
2011.02.02
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斜めからインドネシアを眺める 826宮崎県は確か高天原に瑞穂の国を作った神々が降臨した地。そこに今、何が降臨したのか、日本全体に暗雲をあまねく広める何かが降臨したのかもしれない。初代の国を作った神々にお祓いをしてもらった方が良いのじゃないかと思う。宮崎は付いていない。東国原前知事だけが付いていた。気の毒で同情するが、すべてが文字通り天から降ってわいたような災難だから、対策を打ちようが無いし、辛抱するしかない。 インドネシアはといえば、鳥フルは相変わらず全国で発生し続けているが、ほとんど、処分をしたというニュースはない。牛の口蹄疫も治まっていないが、話題にならない。唯一話題になっているのは、目に見えるし、実際、大被害に会っている火山の噴火とそれによる火山灰や噴煙、そして、泥流である。ブロモの噴火はいったん収まったがまた噴煙が高くなっているらしい。ジャカルタ方面からバリへ行く便はブロモの周辺を飛ぶのが最短になるが、風向きによっては引きかしたり、スラバヤ辺りで降りてしまうこともあるし、バリ、ジャカルタ便の欠航も出ている。 また、ムラピの噴火は収まっているが、火砕流が途中で止まっている個所が多数あり、雨が降るたびにその泥がダムになって水がたまり、一定以上になるとダムが決壊したようにどっと大泥流が起きている。このことは去年ジョクジャへ行ったときに書いたが、現在はその時に比べると三倍ほどひどい状態になっていてジョクジャカルタ特別州とボロブドゥールがあるマグラン県の間の三つの主な川の流域が泥流が駆け下るメーン被害地になっていて橋も流されている個所が多く、近くにう回路が無い状態になっていて、行き来できなくなっている。ボロブドゥール観光は、ムラピの東側を迂回するしかない。 漁業や農業に大きな被害が生じているが、インドネシアの観光産業も大きな痛手を被っている。 人気ブループピーターパンのボーカリストのアリエルの判決が3年半の禁固と決まった。罪はポルノグラフィーをフェースブックで公開したということだが、本人と恋人の写真らしいが私は見ていない。それがイスラムの裁判で今日裁きが確定した。とにかく大人気グループなので、同情するファンも半端な数では無い。連日多くのファンが面会に訪れる、それに反して、イスラム急進派の男たちも連日その判決を厳しくするようデモをしていた。今日も、裁判所の付近の警戒ぶりはテロリスト集団の判決の時のようだった。 刑期が過ぎたら、再活動をするでしょう。ブループメンバーも待っているといっているし。ファンも待ち焦がれるでしょう。孫とばあさん(私の妻)
2011.02.01
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