全31件 (31件中 1-31件目)
1
斜めからインドネシアを見る 926友が日本からやってきたので、ジャカルタの観光ツアーガイドとドライバーを務めた。北のスンダクラパから南のブロックMまで、途中はバタビアホテル付近、グロドック付近にも寄り、モナスや国立博物館へも寄ってみた。私としては10年以上ぶりの訪問ばかりでした。全然変わっていない。しかし、初めて連れて云った人達は、スンダクラパなどは感激をしていた。木造大型貨物船専用の港で、今のコンテナ港タンジュンプリオクへ移る前はここがジャカルタの主要港だった。今は、粉類、セメント類、木材類食料品、衣類、などを、インドネシア国内の他の島の主要都市に運んでいる。国内、輸出入の為の港です。トラックに満載された荷物を人夫が担いで木の橋を渡って船に一袋ずつ積みこんでいる。クレーンもあるが、小型で少ないので、人間が担いでいる姿が多い。皆さん上半身裸である。こういう、様子を見ることが出来るのはここだけで、貴重な体験が出来ると思う。欧米系の観光客もちらほらガイドに連れられて来ていた。何十槽の貨物船が並んでいる姿は壮観である。アンチョールへ行っても、このスンダクラパへ行ってみる日本人は少ないと思う。インドネシアの姿がここにあると思うので、一度、行ってみたらいいと思う。夜は一年ぶりのブロックM、レストランは名前を忘れたが、昔、ZENというカラオケがあってその向かいに新しくできたばかりのひらがなの名前の店でした。座席はざっと見て、50席以上あるのに、客は私たち三人だけでした。頼んだ、レンコンの煮物や焼き鳥は普通においしかったし、店の女の子の対応も丁寧だった。メインの天麩羅うどんもおいしかったと思う。再び行くことはないと思うが、値段も手ごろなので、以前からあるレストランに行きなれている人も、ちょっと試したらいかがでしょうか。と思う。カラオケは、その筋むかいの6階まである内の5階に行ってみた。21:00過ぎだった。女性が通路にずらっと並んで立っている、ざっと見て30人以上、部屋へ案内される前に、女性を選んでほしいと云われて、皆さんの前を二往復して選んだ、私の基準は、この勤めを始めて間もなくに見える人。選んだ人は、本当かどうかは別として二か月前に入ったと言っていた。12:00まで居たが、三人で1,5ジュタ(約一万五千円)一人5千円、まあ、普通の値段でしょう。アワーチャージは3時間でした。飲み物はビールとコーラとコーヒーだけでした。雰囲気として、月曜日だったからかもしれないが、車の数が少なかった。賑わいが感じられなかった。自粛ムードでしょうか。
2011.05.31
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 925ポリシティドゥールPolisi Tidurをしっていますか。インドネシアにはこれが至る所にある。日本には全くない。“寝ている警察官“道路を横切って盛り上がりを作って、車の速度を落とさせる仕掛けです。とにかくインドネシアのどこに多いとは言えない。至る所にある。田舎の、殆ど近くに家が無いところにも突然ある場合もある。種類も豊富で、幅も高さも色々、色を付けたり、縞模様に書いてあったりする。材料も、板きれだったり、コンクリートだったり、鉄板だったりする。多くはコンクリートかアスファルトを盛り上げてある。幅は、10cmくらい、高さは5cmくらい、一個の場合も、1m間隔に二個、三個の場合もある。夜暗い時にはあることに気がつかずにどんとぶつかって飛び上がることがある。後部のチイヤの方が飛び上がりがきつい。この形は、殆どかまぼこ型になっている。両側にRを付けることを知らない、富士山の裾野、正規分布図のグラフの様になめらからRがあって盛り上げてあるならいいが、それが無い、どんと、ぶつかって、ドンと落ち散る、前輪後輪ともそうなる。座席が飛び上がる、品物も飛び上がる。ゆっくり、速度を落としても、それだから、気がつかないで40kmくらいの速度で走行していれば、そのショックはまともでは無い。工業団地内にも幅が50cm以上、盛り上がりが10cmくらいのものが交差点の付近にある。一般道路でもそうだが、大型車、コンテナ車が頻繁に通過する、そのたびに、ドカン、ドカンと飛び上がる音がする。そのうち、その前後が低くなって、ポリシチドゥールの高さが増す。橋は道より高く作ってある。だから、その橋の手前は登りになっている。橋との繋ぎ目は、鋭角になっている場合が多い。そして、手前が、スキーのジャンプ台の飛びだし部の様になっている。ギャクRになっているのです。助走をつけて車がジャンプするのです。そして橋を渡って降りるときに、また、ジャンプをするのです。知っていれば、徐行をするが、知らなければ、相当、高いジャンプをしてしまいます。ここにもRが無いからです。こんな状態で、工事終了の検査に合格してしまうのがインドネシアです。道に穴が空くわけです。穴の修理にモルタルを流し込んで平らにするのですが、その回りのアスファルトと明らかに、熔着していない。異質のものだから当り前、一週間もしないうちに繋ぎ目のコンクリートが粉になってくるそのうちぼろぼろ禿げてくる、一か月もしなう位置に、明らかに穴が復活する。ソノコンクリートカスと云うか、かけらが、また、他の穴を作る原因になっている。 インドネシアで初めて会った朝顔、浜昼顔は広く分布している。
2011.05.30
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 924 スカルノハッタ空港へ友を迎えに行って戻ってきたばかり、トラックが規制になってからはじめてジャカルタの高速道路を使った。土曜日と云うこともあるのでしょうか、往復ともチビトゥンから、まで、一時間半かからなかった。 とわ云え、各出口付近では、本線上に出たい車が並んでいるので若干速度を落とさなければならなかった。ガトゥットゥスブロトは相変わらず大渋滞の様だ。 出迎えに行ったのだが、出迎えのシステムが変わってしまっていて、建物の中で出てくる人と会うことが出来なくなった。税関を通ってでてきた人は右か左に出て、そのまま建物の外へ向かって歩くようになった。迎えの人は、その通路の外側で本人を待つ、見つけたら、声を掛けておいて、別の出入り口から外へ出て、本人と接触することになる。今までは、出口の方向を間違えても、割合近くから向こう側へ出てしまったことが分かったが、今は、全く見えないから分からない。もし、反対側へ出てしまったら、電話連絡が出来なければ、会うのにかなり苦労するでしょう。出迎えの人は本人を探すために、一旦外へ出て、100m近く歩いて反対側の出口まで行って探さなければならない。困ったシステムにしてしまったなと思う。多分、長くない将来にこのシステムは変わると思う。 道の話だが、高速道路でも油断がならないのに、一般道路は油断も何もない。凸凹が当り前だから、前をしっかり見ていなければならない。前の車に接近し過ぎると道路の様子が分からないので、そういう意味で車間を十分取らなければならない。また、バイクの後ろに接近しないようにしている。いつ、穴に入ってこけるか分からない。一旦こらえても、次の穴でこけることもある。水たまりになっているときには穴の本当の深さがわからないので、特に注意が必要です。 カリマラン通りはもうどうしようもない。穴の中に穴が開いている。避けようがない。よけても、避けても無駄である。原因は、昔は大型は侵入できなかったが、侵入して良いことにしてしまった。今は、また、侵入禁止になっているが、もう、凸凹を直そうとしない。日増しに大きく深くなっている。インドネシアの道路はおおむねこんな調子です。どこへ行っても、舗装したての道は半年ほどそのまま持てばいい、その後は凸凹道に一直線、メンテナンスをしないし、しても、穴にセメントをいれるだけ、雨季にはまた、そのセメントは無くなってしまい、その時以上の大きな穴になる。 台湾製の大福餅、大げさに日本語で書いてあるが裏側の説明の日本語は無い。美味しくなかった。買って損した。このように、日本語が書かれた日本製ではない、日本風のお菓子や食べ物を時々見ることがある。大体、日本人の口には合わない。
2011.05.29
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 923 今朝もバンドンから北ジャカルタのコンテナ港に向かっていたコンテナ貨物列車がプロワカルタ(ジャティルフールの付近)で脱線した。夜になっても排除できず、今日もたぶん明日も一日中、通り抜けはできないでしょう。ということは、ジャカルタ発のジョクジャカルタ行きとか南回りのスラバヤ行きは全面ストップです。もっとも、一日十往復も無い。ジャワ島をドライブしていて、列車に出会うことは殆ど無い。南東ジャワでは線路沿いに何十キロも走るが、列車を見たことが無い。 車が走る道路はどうか、これが、また、どうしようもなくひどい。とにかく車やバイクの増加に道の面積が追いつけない。ドンドン、道路の隙間が無くなっている。トラックを高速道路から追い出して快適に走っても出口の前で渋滞になり、出る車が本線を塞いでしまう。高速道路から出た処で、渋滞にはまってしまうのです。その確率が今までより高くなった。 道路の穴ぼこが半端じゃない。一晩で新しい大きな穴ができあがっている。昼間、小さかった穴が、真っ暗な夜のうちにドンドンとタイヤが入って、大きくするのです。朝、大きくなっているのを発見する。新しくできた、チカランウタマというゲートが出来て、今までんポンドックグデ ティムールのゲートの役割をするようになった。それはいいのだが、新しく舗装した道と従来からの道のつなぎ目に溝が出来てしまっている。その溝が長い。部分的に思い車が通過するのでしょう。その部分だけが穴になってしまう。そこを埋めても、他の場所に穴が出来る、そのうち、埋めたはずの場所がもっと大きな穴になっている。それが、原因で、パンクをする車は多いと思うが、あまり、文句が出ないようだ。こういうことには寛容と云うか、当り前と思っているのでしょう。技術が低いのでしょうね。 日本で排気ガス規制によって使えなくなったトラックやバスを大量にインドネシアへ輸出して、日本は大気汚染を輸出している、だから、無責任である、という説がある。私は、その批判は日本に気の毒だと思う。それ以前のインドネシアのバスやトラックは日本では使えなくなった車の10倍以上の汚染ではなかったかと思うほど、黒煙をもうもうと吐きだして走っていた。そういう車が無くなった今は、それに比べればかなりの改善になっているはずである。その上、故障者が道を塞ぎ渋滞の原因になる状態も減った。殆ど、只に近い金額で売っていたはずなので、インドネシアの運送会社にとっては、大きなメリットになっているはずです。日本の会社の名が書いてあるトラックには両側が羽のように開くウイングというのでしょうか、そういうものや保冷車、冷凍車、と云うのでしょうか、それまで、全く見ることが出来なかったトラックがドンドン多くなっている。日本の排気ガス規制さまざまではないでしょうか。運転席に屋根の上に省エネ用に、斜めの羽が着いているのも、この時期からです。 私が泳いだ潮の流れが速い場所。寛容 凸凹 舗装
2011.05.28
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 922 まったく、詳しくない。と云うのも、乗って見る気が無いからである。見る機会はあるし、ジャカルタのガンビールやコタ駅へ人を見送りに行ったことは何回かある。其のたびに、よくこんな列車を使って旅をするなと感心するより、その状態に呆れてしまう。車体はぼこぼこ、落書きは一杯、窓は閉まらないか、開かない、ドアも閉まらないのか、閉めないのか、座席はぼろぼろ、車内は臭いし、ゴミだらけ、これが、長距離列車なのです。鉄道を使って旅をしようと思ったことは一度も無い。車窓からの景色は知らないが、車内でゆったり、気分よく過ごせるなどと云うことはまったく無理な話だと思うからです。本数が極端に少ないので、線路は物売りが品物を並べて売っているし、周辺の人は洗濯物を干している。勿論、普通の道代わりに行き来している。また、客車の屋根の上に乗り人は普通に居る。通勤列車が主だが、インドネシア人は乗り物の屋根に乗るのが好きらしい。きっと、自己主張の一つなのでしょう。バスの屋根にも乗りたがる。トラックの荷台には普通に満杯に乗っている。列車もおなじで屋根にのる。そして、閉まらないドアの外に体を出して手すりにつかまっているのも好きらしい。バスもそういう姿がある。度胸を示す手段として得意がっているように見える。列車の屋根に乗るのは罰金百万円10年の懲役となっているらしいが、後を絶たない。一斉、取り締まりをしても、その時だけ、放水システムを作り、駅の傍に設置し、屋根スレスレに水平に色つきの水を放水するのです。その日一日だけ、屋根に乗る人は居なかった。その日の夜のうちに、その設備は何者かが侵入して壊してしまった。その翌日直したが、もう、その水を掛けられても平気、そんなことで、止めてしまっては、彼らのプライドが許さないらしい。落ちたり、感電したりして、死ぬ人も後を絶たない。それでも、屋根乗りは止められないらしい。彼らはどう見ても通勤客ではない。仕事へ向かっているのではない。無職の人です。どこから乗ってくるのか、執着までのって、どこかへ消えていて、夕方になると、また、屋根にのってどこかへ帰って行くのです。服装はお粗末、履物はビーチサンダル。使われている列車は東京で走っていた通勤列車です。ドアが閉まらなくなっている。鉄道網は、よく、こんな状態で運航しているなと感心するほど、なにもかもが超お粗末。線路はジャワ島に割合多くあるように見える、その他、メダンやパダン、その他、主要都市に少しはあるが、ほとんど、有効では無い。通勤列車と云うたぐいのものはジャカルタ、ボゴール方面にしかない。それも、本数は少ない。列車と云えばジャカルタから出る長距離列車の何とか号と云うものが主で、スラバヤ行きが最長距離だと思う。その他はバンドンとかスマラン行き、一日10往復ぐらいでしょうか。 とにかく、利用者のモラルが低いので、汚されるし、壊されるし、落書きは絶えなし、車体を綺麗にしても仕方が無い。だからそのままです。新しい列車を購入する気になれない。その上、車との踏切事故が多い。投石などで車体が傷つけられる。直すのも、運航に差し支えない動力部だけである。その他の部分は直さない。 地下鉄やモノレールは作っても直ぐに落書や傷だらけになってしまうでしょう。ドアが閉まらなくなっても、直さないでしょう。とてもじゃないが、そんなものを作っても、すぐ意味場無くなってしまうでしょう。それが、分かっているから、モノレールは作ろうとしたが、止めてしまった、柱だけ遺跡の様に残っている。地下鉄は計画に留まっている。コモド付近の今と昔
2011.05.27
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 92015年前と比較すれば、明らかに経済状態は良くなっている。履物や服装、化粧や消臭、どちらかというと、日本より、品数は多いし、持っている、使っている人も多い。エンゲル係数は明らかに下がっている。日本からの輸入車は100%関税が掛る。日本で500万円なら、インドネシアでは一千万円である。それでも、ジャカルタ近郊では、どこでも会う。平均年収は確かに上がっている。ジャボタベック(Jakarta, Bogor, Tangeran, Bekasi, Karawan)の様子だけを見ていれば、表面的、外見上には日本の大都市や工業都市に引けを取らない。あくまでも、50m100m以上離れた場所から見ればの話です。ジャカルタの中心地も同じこと、メイン道路の両側を見ないで、500mくらい先を見れば、また、メイン道路から脇道に入らなければ、美しい近代都市に見える。スカルノハッタは夜着いて、ジャカルタ市外へ入る高速道路の高架橋から見えるジャカルタの夜景は、東京より美しく、近代的な大都市に見える。その印象は、今までインドネシアに持っていた印象が間違いだったと思わされるほどである。ジャカルタ市街へ入る高速道路の高架橋から見えるジャカルタの夜景は、東京より美しく、近代的な大都市に見える。インドネシアへ初めて訪れる人の印象は、今までインドネシアに持っていた印象が間違いだったと思わされるほどである。グロゴール、スマンギ辺りを通過しながら、なお、そう思うでしょう。インドネシア人の建築デザイナーのデザインは斬新で芸術的である。日本の建築物より奇抜に富んでいて、同じ形を無いのが特徴です。簡単に言えば、貧富の格差が限りなく広がっているのです。どこまで広がるのでしょうか。 こんな中で、悪化しているのが交通事情、車の数は増える一方だが、道が増えない。先日から、ジャカルタの中心を貫く高速道路へトラックが進入禁止(05:00~22:00)になって、その部分は渋滞が緩和されたが、その他の道はそのとばっちりを受けているので、全体としては、返って、渋滞が増していると思う。インドネシアはこういうやり方です。 バスウェーも同じこと、一か所を良くしても多くの場所がそのあおりを受けている。道路の幅も、数も、距離も増えていないのに、その運用だけで、何を解決しようとしているのでしょうか、無駄な経費を掛けて、渋滞を右から左へ、あるいは、そこから、前方へ、移動しているにすぎないことに、あまり、気にしないらしい。 バスウェーでの死亡事故が絶えない。主な原因はバイクがバスウェーに入ってしまうからです。入ることが出来るようになっているので、ついつい、入ってしまうのでしょう。 コモド島のダイビングスポットになっているパンタイ パシル メラー(赤い砂の海岸)潮の流れが非常に速いが所ですが、錨を降ろせないので、一定の場所に船を留まらせるのに、どういう具合に決めているのか知らないが、沢山ある中の一掃が、エンジンを吹かして定位置を保っている。その他の船は、ロープでその船に繋げてある。後から着いた船は繋がれた船にまた、繋いでいる。 遠くから見るとどう見てもパシルプティ(白い砂)である、近くに寄っても、まだ、パシルプティです。日光を避けて手のひらに置いてみると確かに沢山の赤い粒が混じっている。赤サンゴの粉でした。浜の名前を納得した。
2011.05.26
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 919もう、そろそろ自分の死に場所や状態のことを考えなければならない歳になってきた。その前に、他人の介護を受ける状態になったときのことも考えなければならない。といっても、今の状態では、深刻に考えようとは思っていないので、誰かが、そんな話題を出したときに乗る程度である。係わりあいや、しがらみを捨てて、風テンの旅に出るということは、当然、死に場所や介護を受ける状態をどうでもいいと思えるから出来るのでしょう。旅の地で、パスポートの内容しか分からない人達の厄介になるのです。持ち金を使っていいから、適当に処理してくれ、などと、書いたものを持ち歩いているのでしょうか、身内があれば、今、全く関わっていないその身内の電話番号でも、持ち歩いているのでしょうか。やはり、考え方ですね。私は、誰かの為になることを目的の一つといて海外に来ているが、風テン生活が自分本位で誰の為にもなっていない、かと云うと、そうではない。旅先では多くの人々と関りあいを持っているはずです。彼が使うお金は、受け取った人の為になっています。代償をお金で受け取ってその人の生活の一助になっているのです。生きている間は、振り込まれてくるお金を行く先々で使って貢献し続けることが出来るのです。こういうことなら、私が保証人になって留学生に資金援助を居ているのと、形は、違うが、同じギブアンドテークで、同じような事をしているのかもしれない。他人に迷惑を掛けていないし、自己満足に浸れます。大きな違いは身内との付き合いをほとんど持たないこと、日本での過去の人や事柄は、本当に過去のことで、今に、引きずっていない。将来も係わる可能性は殆ど無いと考える。もう一つは、現在係わっている人達は将来に継続することはない。また、邪魔者にされる可能性は全くないほど、表面的なものであり、行動を束縛されることはないし、神経を使うことはない。外国にいても、児玉清や長門裕之が亡くなったということは伝わってくる。日本に居る時より、そういう話は気になる。だからというわけではないが、自由に好きなことだけをして居たいがそれはできない。できる間は、できることだけしかできないが、損得関係にも係わる世界で過ごすことになる。 ある人は、インドネシアへ住みついてしまうなら、傍に居てくれることを条件にして養子にして、一緒に暮らしたい。自分に万が一のことがあれば、その人が、インドネシアの財産を受け取ることにしておきたい。死んでしまえば、結果がどうなったかは確認できないが。と云う事でしたが、皆さんからの賛同は得られなかった。 私は、どこかに定住でなくても、一人で風テンをするなら、その土地で付き添い看護用に四人女性を雇い、四組三交代のようにいつでも一人自分の傍にいてもらえるようにしたらいい。と云ったら、かの風テンの人は、十年先に考えようかな、でした。 そんなことはあり得ないと思うが、もし、天涯孤独になってしまうなら、私はそうする。日本では人件費が高すぎて出来ないが、インドネシアの田舎ならできる。難し話だが、たまには、こういうことも考える。インドネシアで初めて会った山ユリの花、野に咲く花は実にいい
2011.05.25
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 918自由を求めて、自分の生き方を実行しようと、50才で会社を他人に譲って、海外へ出ると決めたのが、40の頃でした。理由は静岡の片隅をベースに一生過ごすことは相当、井の中の蛙の狭い人生になってしまうかもしれない、それは、自分向きではないと思っていた。もう一いつは、私が持っている技術はかなり特殊で、その技術と仕事への取り組み方を、父親や祖父の世代に迷惑を掛けた東南アジアの国々の若者に伝えて、少しでも、われらの生活水準が技術水準の向上に力を貸したいと思っていた。私が従業員に譲ったのは沼津と静岡の二か所です。それぞれ、客先もそのままくっつけて残し、無借金の上に相当な内部留保も残した。自社で約束手形を切ることは全くしなかった。裏版を押して、回し手形で済ました。そんな、至れり尽くせりの状態で、株も半分以上は譲渡した、そんな状況でも、私個人の蓄えは十分であったはずである。そして、縁あって、インドネシアへ来ることになった。そして、それから15年過ぎる。多くのインドネシア人に技術を伝授した。一社だけでは無く、三社に及んだ。風テンになれないのは技術を教えるために、日系の会社の中に入って、インドネシア従業員に教えるという方法を取った。それが、また、その会社での日本人との目的や損得や知識や能力の違いで多くの反発を買う世界に飛び込んでしまったことにもなった。風テンやヒッピーなら、そういうしがらみや軋轢、損得から避けながら渡り歩くことが出来るし、そういうことに係わりたくないから風テンだと思う。目的の為に、目的を果たしにくい立場に身を置きつづけなければならなかった。他に方法はあったと思うが、それぞれの会社の経営者とのしがらみも長期に渡るのでその縁も見放すことが出来なかった。今も、その状態は同じです。面白いことに、そんな面倒なしがらみなら捨てて、さっさと、自分ひとりでやってしまえば良いのにと思うし、できるし、インドネシア人からもそういわれる。それが、そうもいかないのが、しがらみなのです。義理人情なのです、捨てきれない。ベースを日本に置くのもその世界から抜けられないからです。そして、インドネシアの仕事に関しては、間もなく日本へ行ってしまう私が今手掛けても中途半端になってしまうし、私が云ったからやったと言われ、うまくいかなかったと云われても、どうしようも無いので、そういう心配のあることも云わないようにする。私がこうすればできる、ということは、私の頭と腕で出来ると言っているので、他の人では、できないことがおおいので、なおさらである。もう、実労日で15日程しか居ないインドネシアで、余計な手出しはしない。現在、私が、やってしまえと、引受けた仕事が五つある。その手始め(導入部)は私も係わったが、今は、全く知らん顔をしている。OKに殆ど近いが、今一歩で、まだ、OKでは無い。現在かかわっている人達は、それらの製品の係わりに反対した人達です。というより、客先に返事もせず無視した人達です。その仕事を私が引受けてきたしまった。そして、最初だけ私がやった。それ以後は、私は逃げてしまった。その後のお手並み拝見である。日本人は35年のベテラン一人、インドネシア人も15年の経験者3人、何とかしてOK品を作ってほしい。私の作った金型に文句があるなら、それでもいい。今出来ないのは私の所為だと言ってもいい。しかし、そういっているだけでは何も進まない。自分なりに修正するなり、作りなおすなりして、自分がやったから出来た、と言えるようになってほしい。そのチャンスを与えているのです。私が引受けてこなければ、永久にそういうチャンスは生まれない。私が最初から最後までやってしまっては、私、本来の目的を果たせない。その人たちが今どう思うと、将来は自己満足になるように完成させてほしい。今もその目的は持ち続けている。今度は、彼らがインドネシア人のように素直に私の技術ややり方を参考にするかどうかが問題で、インドネシアで係わった日本人のように、自分の立場を脅かされるという恐怖から複数人間からパワハラ受ける可能性がある、そういう場所に身を置くことになる。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/花は良い
2011.05.24
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 917今どき海外で仕事をしている人は特別ではないし、これからも、どんどん増えるでしょう。しかし、自分から望んで、となると、ちょっと特殊になる。おそらく、海外で仕事をしている日本人の大部分は辞令によって日本から出た人たちでしょう。私のように望んで、海外で仕事をしているのは、特殊な日本人の一人に入るかもしれない。ただし、こういう人もそう珍しくない。その私が、考えさせられた人がいた。その風テンの寅さん、といっても、映画の寅さんとは全く様子が違う。かなり紳士に見えるし、どうみても、どこかの会社のトップに近く見える。その人と、最期のゴルフを一緒にさせてもらった。間もなくタイへ行ってしまう。バンコクかチェンマイに三カ月ほど滞在して、その後のことはまだ、決めていない。滞在ビザの期間のことで分からないところがあるので、どのくらいの期間滞在するかは、入国してみないと分からないらしい。彼は、早稲田の理工を出身、団塊の世代の真っただ中の人、その時代にこの学歴は相当の秀才である。国立では東大の理一、私立では早稲田の理工と云われていた時代です。学園紛争のピーク時でもあった。卒業後大手ゼネコンに入社、海外の建設現場の監督を長期でやっていた。日本の援助資金で学校や病院の建設に係わることが多かったという。それが、50才を過ぎたころ、15年ほど前から、退社して、しがらみから離れて、海外のあちこちに移動しはじめた。日本へ寄ることはないそうです。海外から海外へといどうしている。資金は、海外勤務の時の給料と今は年金も追加されているので、悠々たるものらしい。シティーバンクに預金をしてあるので、世界中どこでも自由に引き出せる状態になっている。航空券も賢く格安を手に入れることが出来るし、宿も安宿で十分、順応できるので、困ることは何もないそうで、ネットも今は日本より遥かにWiFi、ワイヤレスランが発達しているので、どこでも只でアクセスできるという。各地の情報を収集したり、何かを予約したりするのももっぱらネットで済ましてしまうそうです。この順応性というか、融通性というか、余裕たっぷりである。インドネシアの旅をしていて旅先でこういう日本人に会ったことはないし、こういう日本人がいたという話も聞いたことが無い。しかし、いることはいる、と、分かった。こういうことが出来るということがすごいと思う。色々な原因、理由があって、私には同じ様にはできない。出来てもしない。そして、こうしたいとも思わないし、羨ましいとも思わない。人それぞれに生き方の状態に思いがある。生き方の問題です。だから、「できる」と「する」は次元が違う。アラックを作る原料になる椰子の木のような実、と、椰子の木の二種類
2011.05.23
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 916だからと云って、全く日本人が行っていないかと云うとそうでもない。アジアの他の国に比べれば、アジア人では日本人が一番多いそうです。私が会うことはないが、現地のガイドに聞くと、いついつ、何人来た、と教えてくれるが、それほど少ないのです。そして、必ず、何を云っているのか分からなくて困ったというはなしになる。それでも、日本人が来て云うということが、やはり、日本人だなと思う。http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage124.html 久しぶりのゴルフで、酒好きに二人にフローレスで買った地酒ならぬ、地アラックをプレゼントした。私はアラックバリに味を知らないし、その他のアルコール類の味を知らない。今回渡した、アラックを早速、皆さん飲んでみた。辛いという、これは、ちょっと、ドンドンとは飲めないよ、少しずつ、何かで割って飲むしかないという評価だった。45%という強さだが、それ以上にアルコールが多いのではないかと居ていた。私も、試飲をした時、学生時代に、エチルアルコールを水で薄めて飲んだ時のことを思い出したくらいだから、彼らもエチルアルコールを飲んだという感覚だったと思う。ま、アラックブラスを一本ずつ渡したので、対円満足そうだった。 ところで、アラックバリも手に入りにくくなっているらしい。いつも頼むスンチンさんの話で、値段も二か月前の二倍以上になっているという。バリの空港の価格がめちゃくちゃ高いと思っていたが、町中で買うのとあまり変わらないらしい。 もう一つ、今回、バリ、ウングラライ空港で云われたことは、国内便でもアルコールお持ち込みは一人1リットルと制限されているのだそうで、チェックインの時に預ける荷物の中を正直に云わない方が良いと分かった。機内持ち込みの荷物はX線チェックでやはり、ボトル類は取り上げられるかもしれない。一本だけならいいと思う。私は一本リックサックに入れたが、何の声も掛けられなかった。その後、待合の売店で、アラックブラスやバリワインを5本仕入れた。 日本酒や焼酎の入手が難しくなって既に3年目に入ります。日本食スーパーや日本食レストラン、工業団地のサービスアパートの売店などで、お酒の品切れ状態が続いているようです。これからも、ますます、難しくなるでしょう。よく知りませんが、ワインやウイスキーはインドネシアの一般的なスーパーで大量に売っている。これ等は問題なく手に入るのですから、ワインに変えたら良いじゃないの?と思うのですが、私には分かりません。生活にお酒が必要な人にとってはますます、難しい状況になってきたようです。同情しますが、私に取っては他人事です。でも、日本から来る時は土産として持ってくることになるでしょう。ラブハンバジョ、コモド空港のレストランで食べたカップ麺とバリのクタ通りで食べたチャーカンクンとソプブントゥトゥです。約、70円と350円でした。メニューにカップ麺があるのは普通です。
2011.05.22
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 915 インドネシアの中で、私が旅をしている場所に日本人は全くいないと言っていい。例外がある、バリ辺り、ジョクジャ辺りです。ただしジョクジャ辺りは日本から来たというよりバリからオプションできた人がほとんどです。要するに日本人は老いも若きもバリなのです。ジョクジャ以外にはロンボクも少人数います。ハワイやガムへ行ったことはありませんが、多分、同じでしょうね。とにかくバリは日本語だけで、何の抵抗も無く、躊躇も無く、通せます。黙っていても、ただ、歩いているだけでも現地の人は日本人と分かります。日本語で話しかけてきます。 昨日も約8時間バリに居ましたが、そのうち5時間ほど、車の外で、インドネシア人の中にいました。多くのインドネシア人から、「何探してるの?」「どこ行くの?」「何かうの?」などと声を掛けられた。いちいち、相手をしていられないので無視をする、話しかけた方も、返事を期待していないことも分かっている。ただ、日本語しかできない人にとっては、安心する材料になると思う。だから、日本人に人気があるのでしょう。ところが、一歩、バリから出たら、日本語は通じません。ジョウジャもロンボクも日本語ガイドはいますが、町を歩いていて、日本語で話しかけられることはありません。http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage126.htmlhttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage125.htmlhttp://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0313.htmlhttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/page236.htmlhttp://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0302.htmlそれら以外の場所は日本語のガイドもいません。英語を話せなければ身動きができません。団体さんのツアーも、旅行会社では企画をしません。しても、成立する可能性がすくないからです。今回のフローレスの旅で一人の日本人にも会っていません。インドネシア国内で仕事をしている人でごく少数の物好きな人がいて、あちこち出かけて見たいという人は、旅する会と云うのがあって、世話好きの方が、企画し、ジャカルタ新聞などで参加者を募集して、各地へ出駆けているようですが、そのくらいのものです。個人で、出駆ける人はほとんどいません。車で出駆けるにしても、運転手が必要ですから、なかなか、実現できないようです。ですから、ゴルフしかない人が絶対多数になってしまう。 ダイビングの会は今でもあるのでしょうか、知る限りでは、数年前までは、インドネシア各地の海へ潜りに行っていたようです。一回、数日が平均だったようです。釣りの会はあるようですが、遠くへは行かないようです。プラウスリブ辺りが主体で、たまにスマトラ海峡の方へも行くようですが、朝から夕方までの行動ですから、船で遠くへ行くことも無いし、飛行機でどこかへ飛んで、そこから船でという行動もしないようです。 その点、欧米人(オーストラリアも含む)はどこへ行っても会う。それも、個人もいれば、二人もいる、数人もいるし、団体さんもいる。とにかく、どこへ行っても、です。ということは、私がまだ行っていない場所にも彼らは現れているはずです。自転車やバイクで旅をしている人もよく見かける。 長期滞在も当り前の様で、ロングステイという安宿の看板がどこの田舎町へ行ってもあります。一体彼らはそこで何をしているのでしょうか、疑問ですが、とにかく、そういう商売が成り立っているのです。英語が出来るから、日本人と違う発想ができるのでしょうね。 タナロット向こうにニルアナゴルフが見える。
2011.05.21
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 914 仕事をしている方々には大変申し訳ないと思いますが、後、一か月でインドネシアからしばらく居なくなるので、ちょっと、長期に出かけていました。 今は自宅に戻っていますが、11:30頃でした。朝、06:50にラブハンバジョのホテルから出発。08:15のライオンエアーでフローレスを離れた。バリ、ウングラライ到着は10:00過ぎ出発は20:00過ぎにして、バリの観光をした。全て二度以上行った処ばかりだが、私に取っては印象深い思い出が多いところでした。タナロットは14:00ころ行ったが、その時間に居たのは初めてで、太陽の位置が以前と違っているので、明るい、タナロットを見ることが出来たと思う。それと、ニルワナのゴルフ場も近くに見えて、思い出深かった。 その後、ウルワトゥ寺院の付近からの夕日を眺めてからウングラライ空港へ戻った。ここからの夕日とケチャックを楽しみの大勢の観光客がおしかけていた。夕日の観覧席があるのはここだけか、日の出を見る観覧席はブロモにあった。期待したほどのサンセットは見ることが出来なかったが、一応、バリの寄った効果は少しあった。 フローレスの海岸地帯のちょっとした町はイスラム二人が多く、ラブハンバジョも島の外からの移民が多く、イスラムが大半を占めていて、ムスレムからの大声がうるさい。その点、海岸から離れた間の中の町は元住民で占められ、顔もパプア(イリアンジャヤ)人と殆ど見分けがつかない。島全体では、80%以上がカトリックでイスラムは少数派、そこで、イスラムの人達は、遠慮せざるをえなく、宗教同士で上手くいっていると強調する。イスラムの人たちが総数なら、それほどの問題が無いことを証明している。これが、イスラムが40%位を超えてくると、イスラムの方から、仕掛ける問題が多くなることはマルク、アンボン、ティモールなどで証明されている。島に人々は、だれもが友達の様。すれ違う相手に親しく話しかける。友達かと聞くと、始めてあった人だという。実際、一回あって、話をすれば、顔を覚えてしまって、完全に昔からの知り合いのようになるらしい。 大きな町へ入っても、運転手やガイドは、挨拶に忙しいし、様子を聞いたり、場所を聞いたりしている、相手も、丁寧に教え得いて、仕事医の様子や家族の様子まで聞き会っている。こっちはそんなことはどうでもいから前に進もうよと思うのだが。 欧米系のツーリストが多く、アジア系はまったく居ない、彼らは、大きなリックサックを背負って、ミニバスやオジェックや自転車で移動している。街へ入るとリタイヤした欧米人の団体さんも多くみられる。長期でインドネシア中を訪ねて回っている。見ていて、ほほえましい。日本人がスイスやバリへ団体さんで行くように、欧米に年寄りは、日本人の年寄りが二の足を踏むようなところへ団体さんですが、旅を楽しんでいる。 ちなみに日本人のバリ観光客は震災後15%減っているそうです。はやく、回復することを願います。 インドネシア内の旅は暫くお預けです。しかし、終わることはないでしょう。 このフローレスを始め、多くの島々は私にとって天国のような場所が多い。何の不自由もなく、のんびりと暮せる場所だと思う。人々は皆さん、親切である。昔から何かの縁があるような気にさせられる。子供達も多く、山の中の部落には健康な年寄りも多く、世代間の交流やお互いに気を使うという昔ながらの人間関係が出来ているように思う。現代の都会にはまったく無くなった環境や関係です。それが、あるのがすごいと思う。http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage126.htmlhttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage125.htmlhttp://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0313.htmlhttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/page236.htmlフローレス島から登るサンサイズははポンポン船から、コモド島に沈むサンセットはラブハンバジョの高台から。
2011.05.20
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 913 まともに7時とか8時に出発することは殆ど無いのが私の旅です。今日も朝14:30に起きて、05:00出発でコモド島へ向かった。まだ、真っ暗である。途中振り向けばフローレスの山の方からの日の出を見ることが出来た。 08:00前にコモド島へ到着、多分、7~8年ぶりだと思う。当然、事務所も新しくなっていて、以前の事務所はレストランとか売店になっていた。上陸の申請とトレッキングの申し込みをする。ジャワ島の最南西端のウジュンクロンと同じ手続きです。20万Rpほど支払った。 早速、ガイドと共にトレッキングを始めた。これも、同じで、物干し竿を持ち上げて高い位置に竿を掛ける先端が二股に別れた木の枝を持ってガイドが先頭を進む。コースは以前と、全く変わっていない。短、中、長の三コースがあって、私は長の二時間コースで行くことにした。レンジャーが住んでいる近くに何頭かいるのは知っているが、私は、その寝そべって怠け者のコモドではなく、完全に自立して野生になって野豚や野ネズミ、場合によっては鹿などを襲って生活しているコモドに会いたくて長いコースを選んだ。殆ど平らな道の両側や頭上に注意を払いながら進む、途中野鳥や野豚に会うが肝心なコモドの姿が見えない。ガイドは、必ず会えると自信がありげだった。平坦からごつごつした岩山に登り始めて直ぐにガイドが三頭見つけた。木陰でくつろいでいるが、回りに油断をしていないぞという感じで頭を持ち上げていた。いたいた、その自立しているコモドに会うことが出来た。パンガンダランで、ラフレシアに会うことと同じ快感を得られる。野鳥の宝庫でもあるから、その方に興味がある人も十分満足することが出来るコースだと思う、ちなみに中は一時間コースで平坦な道をぐるっと回ってきて最期の出発地点のすぐ手前で寝そべったコモドを数頭眺め、土産物売り場を通って桟橋へ戻る。どうも、このコースが一般的のようです。 コモド島は、プラブハンバジョに属する最大の島で、コモドが棲息している辺りの他に部落を訪ねたり、シュノーケリングやダイビングを楽しんだりすることが出来る。私は、日帰りなので、水泳をすることにした。ダイビングスポットに何艘も宿泊できる船が着ていて、そこから、欧米人がつぎつぎと海は入ってシュノーケリングをしている。パシルメラという海岸の200mほど沖にアンカーを降ろさないで、船を留まらせておいて、海岸までの間で海の中を眺める。上陸するにはその200m程を泳がなければならない。水泳には自信があるので、道具は一切使わず、ちょっと水をかぶって飛び込んだ。以前もここで泳いだので知ってはいたが、流れの速さにびっくり、秒速1m以上はあると感じた。平泳ぎではまったく海流の速度にかなわない。クロールでやっと後ずさりしない程度だった。 若いころ、数キロ流されてやっと浜に這い上がったという経験が蘇って、びっくりして、船に戻って、再び飛び込み今度は海岸へ直角ではなく、海流に逆らって45度の方向へ向けて泳ぎ出した。これでやっと浜に上陸できたが、泳いだ距離は300m以上だった。この回りの海は船から見ると湖のように穏やかだが流れは急です。船に戻る時は逆に船の斜め45度くらいの海流の上流から泳ぎ出した。67の爺さんがやることでは無いなと思ったが、やはりせっかく来たのだから、海の中を見たいのは当然だと思う。船の上から眺めているのでは、そこにいる意味が無い。 13:00過ぎにコモドを後にした。と云うのも、午後になると潮の流れが変わって、大波になるのだ(^_-)-☆潮流の恐怖斜めからインドネシアを見る 913 まともに7時とか8時に出発することは殆ど無いのが私の旅です。今日も朝14:30に起きて、05:00出発でコモド島へ向かった。まだ、真っ暗である。途中振り向けばフローレスの山の方からの日の出を見ることが出来た。 08:00前にコモド島へ到着、多分、7~8年ぶりだと思う。当然、事務所も新しくなっていて、以前の事務所はレストランとか売店になっていた。上陸の申請とトレッキングの申し込みをする。ジャワ島の最南西端のウジュンクロンと同じ手続きです。20万Rpほど支払った。 早速、ガイドと共にトレッキングを始めた。これも、同じで、物干し竿を持ち上げて高い位置に竿を掛ける先端が二股に別れた木の枝を持ってガイドが先頭を進む。コースは以前と、全く変わっていない。短、中、長の三コースがあって、私は長の二時間コースで行くことにした。レンジャーが住んでいる近くに何頭かいるのは知っているが、私は、その寝そべって怠け者のコモドではなく、完全に自立して野生になって野豚や野ネズミ、場合によっては鹿などを襲って生活しているコモドに会いたくて長いコースを選んだ。殆ど平らな道の両側や頭上に注意を払いながら進む、途中野鳥や野豚に会うが肝心なコモドの姿が見えない。ガイドは、必ず会えると自信がありげだった。平坦からごつごつした岩山に登り始めて直ぐにガイドが三頭見つけた。木陰でくつろいでいるが、回りに油断をしていないぞという感じで頭を持ち上げていた。いたいた、その自立しているコモドに会うことが出来た。パンガンダランで、ラフレシアに会うことと同じ快感を得られる。野鳥の宝庫でもあるから、その方に興味がある人も十分満足することが出来るコースだと思う、ちなみに中は一時間コースで平坦な道をぐるっと回ってきて最期の出発地点のすぐ手前で寝そべったコモドを数頭眺め、土産物売り場を通って桟橋へ戻る。どうも、このコースが一般的のようです。 コモド島は、プラブハンバジョに属する最大の島で、コモドが棲息している辺りの他に部落を訪ねたり、シュノーケリングやダイビングを楽しんだりすることが出来る。私は、日帰りなので、水泳をすることにした。ダイビングスポットに何艘も宿泊できる船が着ていて、そこから、欧米人がつぎつぎと海は入ってシュノーケリングをしている。パシルメラという海岸の200mほど沖にアンカーを降ろさないで、船を留まらせておいて、海岸までの間で海の中を眺める。上陸するにはその200m程を泳がなければならない。水泳には自信があるので、道具は一切使わず、ちょっと水をかぶって飛び込んだ。以前もここで泳いだので知ってはいたが、流れの速さにびっくり、秒速1m以上はあると感じた。平泳ぎではまったく海流の速度にかなわない。クロールでやっと後ずさりしない程度だった。 若いころ、数キロ流されてやっと浜に這い上がったという経験が蘇って、びっくりして、船に戻って、再び飛び込み今度は海岸へ直角ではなく、海流に逆らって45度の方向へ向けて泳ぎ出した。これでやっと浜に上陸できたが、泳いだ距離は300m以上だった。この回りの海は船から見ると湖のように穏やかだが流れは急です。船に戻る時は逆に船の斜め45度くらいの海流の上流から泳ぎ出した。67の爺さんがやることでは無いなと思ったが、やはりせっかく来たのだから、海の中を見たいのは当然だと思う。船の上から眺めているのでは、そこにいる意味が無い。 13:00過ぎにコモドを後にした。と云うのも、午後になると潮の流れが変わって、大波になるのだそうで、行きより三角波が多くなっていた。だから、日帰りの場合は早朝出発して16:00頃にはプラブハンバジョへ戻るのが常識だそうだ。 パンガンダランからヌサカンバンガンへ行くときも同じである。どこの海でもそういう常識みたいなものがあるのが普通ですね。 サンセットを眺めに町の丘の上までバイクタクシー(オジェック)で行った。感激とまではいかないが、まあまあだった。コモド 海流 過信そうで、行きより三角波が多くなっていた。だから、日帰りの場合は早朝出発して16:00頃にはプラブハンバジョへ戻るのが常識だそうだ。 パンガンダランからヌサカンバンガンへ行くときも同じである。どこの海でもそういう常識みたいなものがあるのが普通ですね。 サンセットを眺めに町の丘の上までバイクタクシー(オジェック)で行った。感激とまではいかないが、まあまあだった。
2011.05.18
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 912 HPの電波が弱い場所にいるので、テルコムセルしか使えず、メールは読めるが送信できない状態になっている。ルーテンを通過してプラブハンバジョへ戻った。08:00出発、途中バジャワを出た処で、道の両側にガソリンを売っている風景が見えてきた。ガソリンにしては黄色みが薄い。運転手に聞いたらアラックだという。地酒のことだ。醸造をここかしこでしていて道端で売っているのだという。「それじゃ、寄ってみようよ、友達への土産にするから」といって、お勧めのところで止めてもらった。原料はロンタルと云って椰子のような木になる茶褐色の果物で、椰子の実の一種と云ってもいいかもしれません。熟れると甘い臭いがします。その実は黒砂糖を原料ですが、花(独特な形をしている、後に写真を紹介する)を搾って白い汁を溜め、三日過ぎると発酵をし始めるらしい。それを蒸留すれば出来上がり、名前はArac Aimereという。45%アルコールです。 写真は火をつけて燃やしているところと、蒸留装置の一部、上にその原料になる薄緑色の二股に分かれた花(のように見えないが)です。 他人に土産に買って行くのに、私が飲んでないと云ってはまずいので、まったくアルコールを受けつかない私ですが、覚悟を決めて,一舐めしてみた。確かに強烈なアルコールを何十年かぶりに感じた。臭いをもう一度嗅いで、舐めただけでは、危険かどうか分からないので、アクアのボトルのキャップ一杯ついでもらって、半分ほどをストレートで飲んでしまった。暫くして、死ぬようなことはないなと思って、土産にとアクアボトルの普通を4本と倍以上のボトルを一本買った。合計普通が6本と云うことにして30万Rp払った。 その直後いから、頭ががんがんし出して、体中が熱くなってきた。飲んでから5分後くらいだったと思う。立っていられなくなった。そこの人も運転手もびっくりして、気絶かと思ったのでしょう。私を抱え込んで地べたに寝かせようとした。私はこらえて、椅子に座らせてもらった。まったくアルコールの消化能力が無く、直ぐに全量が血液中に流れ込んでしまうのです。それは昔から分かっていて、勿論、飲めないし、皆さんに迷惑をかける場合を心配して飲まないのです。 今回は、仕方なく飲んで、ほんの少量だったので、その後、10分ほどして、頭の痛みが和らいで、皆さんに心配かけたことをあやまってその場を離れた。運転手は、大丈夫かと、何回も繰り返して聞いてきた。その後、1時間後にはほてりも無くなって、普通に戻った。皆さん、飲んでくれるでしょうか、私が決死の覚悟で少しだけでも飲んだのですから、アルコールなら何でもいいという皆さんです。飲んでくれるでしょう、最初は黙って出そうと思う。 行きの時と同じ山また山の曲がりくねった道だったが、車酔いはまったくなし、酒酔いだけだった。 途中に何箇所も同じような地酒を売っている場所があった。広大な田園風景も広がっていたが、今は、収穫の季節なのでしょうか、収穫が終わった場所が多く、実った稲を殆ど見ることが出来なかった。 ルーテンは通過するだけだった。18:00前にはプラブハンバジョへ到着したが雲の状態が悪くてサンセットには恵まれなかった。中途半端なサンセットしか撮れなかった。
2011.05.18
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 911 04:00起き04:30出発でクリムトゥの日の出を見に行く。駐車場から30分ほどで展望台に付く05:45ころサンサイズ、水色の水がある火口のちょっと左から登る。二回目の経験である。欧米人がほとんど、インドネシア人がちらほら、日本人は私一人でした。やはり息苦しい、前回もそうだったが、毒ガスとは思えないが、上昇してくるガスによって酸素の%が少なくなっているのだろうと思う。今回も、インドネシア人が最近四人亡くなったという話を聞かされた。それでも、入山を禁止しないのがインドネシアです。 サンライズは前回同様、天気に恵まれてすばらしかった。日の出に手を合せて拝むのは万国共通の様で、カソリックもイスラムもブッディストも太陽に向かって手を合わせていた。ブロモの時も同じです。結局、一時間待ったが、奥の黒の火口に霧が晴れず、見ることなく下山をした。途中、これも前回と同じで、コカコーラ色の火口を覗いた。これがコカコーラ色ではなく、水色に変わっていた。流石、色が変わる火口湖だと納得した。 08:00にはモニのバンガローへ戻って軽い朝食、08:30チェックアウト、エンデに戻り、海岸沿いを西に戻った。昨日と逆である。昨日と打って変って、体調は回復、車酔いなど誰のこと?状態の快適さでした。 また、ひたすら車を走らせ、バジャワに入るちょっと手前を左に曲がって伝統的な生活をしているカンプンアダット(昔ながらの部落)ウバーとベナを訪ねた。その前に展望台から見下ろすと数か所以上のそういう部落を見おろすことが出来た。うちの二か所に行ってみた。ここも大変よい天気に恵まれた。これがもし、天気が悪かったり、霧に閉ざされていたりしたら、どこへ何を見に来たのか分からなくなるでしょう。ガルットのカンプンナガより遥かに田舎の町からは遠い山の中に住んでいるが、電気は使えるようになっている。燃料は枯れ木でLPGは使っていなかった。インドネシアにはこういう場所が、数え切れないほどある。現代文化と云うか弁明と云うか、そういうものを拒否して、ひたすら昔のままの生活をしているのには十分な理由があってのことだと思うが、彼らの生活を見ていると、子供達が可哀そうな気がする。バジャワのホテルにいる。今日もつかれた。部落 隔離 火口湖
2011.05.17
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 91007:00ホテルから出発、東へ向かった。直線距離は350kmくらいだが、曲がりくねった山道がほとんどで、多分550kmくらい走った。エンデへ着いたのが、20:00夕食を取ってクリムトゥのベースになるモニの安宿に就いたのが21:00を回っていた。それだけでも、相当疲れる行程だったが、それはそれでいいのだが、今回はそれ以外に、車酔いがきつかった。いつも自分で運転している私が、こんなに長い時間他人の運転だけで旅をしたことが無かったことに加え、今朝の食事がいけなかった。ご飯を一杯食べた上に、美味しそうだったので、パンケーキを頬張ってしまった。一時間ほど走った頃から、例の甘いもの食べてしまった時の胆汁が上がってきて吐き気がひどくなってしまい、それを暫くこらえていたら、頭がくらくらしてきて、吐き気がどんどんひどくなってきた。運転を止めてもらっていつものように水をがぶがぶ飲んで吐き出す物を全てはいてしまった。いつもならこれですっきりするのだが今日は違った。聞いてはいたが、道の状態のヒドイことこの上なし、大型同士がすれ違うのはどけで出来るのだろうかと思うくらいの道の狭さ、曲がりくねりも相当なもの前が見えない状態でくねくね曲がっている。登り下りも激しい、登りの先の道の状態がみえない坂道の連続、ヘアーピンカーブはいろは坂の100倍以上である。完全に車酔いの状態になってしまった。67年生きていて始めて経験することだった。辛い辛い、とにかく目的地まで速くいかなければならないが、何度も、車から降ろしてもらって吐く物が無いにも関わらず水を飲んで吐いた。私は食事をまったくとらなかったが、二人の運転手には途中、ワルンによって簡単な食事を取ってもらった。私も車から降りで二人が食べている間、テーブルに臥して寝ていた。支払いは私。景色どころでは無かったし、写真どころでは無かった。ただひたすら車酔いの中にどっぷりつかっていた。只、一か所、ちょっとした丘の上から見下ろした田圃の風景が素晴らしかった。インドネシアでは当り前の広大な棚田のことではなく、放射状に田んぼのあぜ道を作ってあって底の人は蜘蛛の巣田圃と云っていた。なぜ、そうしたのかを聞き忘れた。でも、この状態の田圃は世界でここだけでしょうと、自慢げに土地の人が云っていた。ここ、モニは二回目である。6年ほど前に来ている。真っ暗で何も見えない。明日にならないと、部落の様子は分からない。
2011.05.16
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 909お話は、別の世界に変わります。また、旅に出ました。どこへかというと、フローレス島の西の端、プラブハンバジョという町にいる。何故ここかと云うと、すでに行ったことがあるフローレスのクリムトゥとコモド島の両方に行ってみたかったし、その間のフローレス島の雰囲気もこの目で確かめたかったからです。 あさ、05:00に家を出てスカルノハッタへ、08:30発ウングラライ(バリ)行きのライオンエラーでジャカルタヲでた。ボーイング737、満席で400人以上は乗っていたと思う。バリから13:00発の、機体を見てびょっとした。例のムルパティがパプアに南の海についらくして25人全員亡くなったという事故があったばかり、同じ機種Xian MA-60だった。新しい、多分2008年ごろのものだと推測する。ブラックボックスが回収されたのは知っているが、大統領が事故の原因究明を急ぐようにと云ったばかり、まだ、原因がわかっていなし、事故がインドネシアだけではなく、他の国でも起きているから、この機種では無いことを願っていた、ライオンよ、お前もこの機種を買っていたのかと思った。 数え切れない回数、飛行機に乗っているが、落ちるのを心配たことはなかったが、今回は、落ちないことを願った。そして、今日ほど真剣にキャビンアテンダントの説明を真剣に聞いたことはなかった。そして、直ぐそばの非常飛びだし口の扉の開け方を読んだ。もっとも、今日のアテンダントの女性は秀逸だった。2番に座った私のすぐ前いて、私と目が合うことが多かった。飛んでいる最中は危険な飛行機ということを忘れてしまっていた。それほどが高くない飛行なので、下の景色も良く見えた。スンバワから東は多くの島が点在していて、これも、危険を忘れる条件の一つだった。 無事に着陸してほっとしたプラブハンバジョ空港の名前はコモド空港でした。丘の上にあるが、本当に島の西の端から二三百Mにあった。街は車で10分ほど丘から下りて海沿いの港町。本当に田舎の町である。それでも、コモド島への出発港なので、欧米人の姿が目に付く、また、観光ガイドの店も多かったし、ダイビングの店も多かった。 町はずれのジャヤカルタというホテルに今いる。今日一日はただホテルに到着しただけで、ほかのどこにも行っていない。テレビではムルパティ墜落機の残骸を何度も写しだしているし、パイロットの葬式の様子も流していた。帰りに、また、同じ機種に乗ることになると思うと、気が重くなる。 流石にホテルからのサンセットは美しかった。沖の三角おにぎりの島々も一興だ。 天国 憩い 気楽
2011.05.15
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 908 貧困や搾取から逃れようと人は祈る。だから、それを叶えてくれるであろう、祈る対象が必要になる。人間が地球上に出現して頭脳が発達し、いろいろ考えるようになり、記憶するようになり、欲望が生まれ、神のも仲介者にも欲がある、やはり人間と同じです。だから、人間でしょう。神は人間が考え出したものです。人間がいなければ、神の概念はなし。神が云うことは、「自分の欲を捨てて、私の云うことに従いなさい」と欲張ります。見事に欲を丸出しです。「そうすれば、あなたの望みはかなえられます」「天国へ行けます」といい、人間の欲望を認め、欲がかないます、と、云っているのです。矛盾ですよね。意味が分からな~~~い。私の頭は変でしょうか。人の大部分は神に祈っているのです。だから、殆どの人間の中に神はいるのです。分からな^^い。私は何か目に見えないものや偶像などに、私の願いを叶えてくださいとお願したことはない。初詣などで、皆さんがやるように、賽銭を投げて手を合わせたことはあるが、レクレーションの世界です。賽銭は伝統的建築物保存のための寄付金です。お墓参りは先祖に対するお礼です。もう駄目だ、死ぬ~~と思ったことが何度かあります。そういうときも、何かに祈ったことはない。変でしょうか。学生時代に、私が先行した化学とは直接関係なかったが、数学は大好きだったので、品質管理の手法や数理統計学、推理統計学を自主的に学んだ。そのころはアメリカのデミングという品質管理の権威の影響が非常に大きかった。第二次世界大戦の時、米軍の武器生産や補給、兵站に手法は使われて、品質を上げたという話は良くきいた。日本の企業はこぞって、その手法を学び取り入れて、全産業においてアメリカの品質に追いつけお追い抜けと躍起になっていた。現場の隅々まで、上から下までQC,QCと染み込んでいった。QCサークルと云って、小グループに分かれて、品質向上、合理化に競争しあった。発表会も花盛りだった。私も、大学時代に学んだことが大いに役立ったと思った。新技術の開発にその手法も使った。会社の先輩、上司連中にとっては、新たに学ばなければ、ついてこれない世界だったようで、真面目な人にはかなり負担だったと思う。大企業ではデミング賞を受賞することが目標であり、ステータスだった。受賞すれば、主要新聞の経済面に大々的に紹介され、会社の信用を一躍高めることになった。これが、私が入ってしまった新興宗教でした。猫も杓子もQC,QCと唱えていた。私は、その宗教を広めようとは思わなかったが、知っていたし、役立ちもしたので、信者の一人になっていた。作業標準やなになにスタンダードやないなに基準書を先頭に立って書いていた。当時、これも一種の宗教で民青という共産党の下部組織で若者の共産主義者を育てる組織だった。彼らは生産の合理化や生産性向上などと云う経営者の為だけにしかならないと思っているので、利益の配分や労働時間の短縮などを訴えるだけで、経営者と一緒になって、その、原資を増やそうという考えは全くなかった。そこで、私は労働組合の委員長に立候補し、民青メンバーと争って、私が委員長になった。23才~25才まで務めた。時代の後押しもあって、急激な利益向上と大幅なベースアップと年休の大幅増などを達成した。その当時、一種の宗教にはまり込んでいたと思う。祈ったことはないが、こうすれば、皆さんをいい方向に導けると信じた時代でした。 ちょっと前に書きましたが、現在はISOが新興宗教になっています。教祖様は膨大な利益を得ているし、伝道者も大きな恩恵を受けている。いつまで、続くのでしょうか。インドネシアでは大統領と副大統領の写真額の直ぐそばにISO認定の額が掲げられているのが普通になっている。ドイツとインドネシアの可愛いhttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage229.html
2011.05.14
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 907 インドネシアでイスラムについて書いたり話をしたりすることは大変勇気がいることです。どうしても疑問が付きまとうので、それについて書かざるを得ないからです。日本語だから、まだ、書けますが、インドネシアに住んでいては、インドネシア語で同じ文章を書く勇気はない。インドネシアの若者に技術を伝えるということは、イスラム教徒に技術を伝えると同義語です。覚えたいという意欲がある人で、ある程度の基礎的学力、雑知識が平均以上だと思う人が対象です。ある程度、やるなと、認めた人たちです。そういう人は遺伝的に何かの能力が平均以上の人達だと思っている。その人たちが、学校で、工作や数学や理科などの勉強をほかの人と比べて多くの時間を割いたとは思えないし、家でも、長時間勉強したとも思えない。宗教的に束縛される時間が多いし、中断する時間も多い。そういう人に仕事へ取る組む姿勢とか技術を教えるには障害が多い。彼らは、その点で大きなハンデキャップを負っている。お祈りを一日5回しなければならない。何故、五回なのか、一回の所要時間はどれほどなのか、分からないが、とにかく6回ではなく七回でもなく、三回でもなく五回なのです。その時、今やっていることを何分間か中断します。重要な試作をしている時、技術を覚えるのにそれが肝心と云う時に、その人は、どこかへ行ってしまいます。だめならだめのまま、仕事を放り投げて脱出してしまいます。それがけでも大きな損失なのに、その時間の何分か前から、お祈りにいつ行くかを考え出しているので、既に、仕事や覚えることに集中していない。昼間の勤務なら、休憩時間を覗いても30分ほどは、損失だし、これが、一年に何時間になるのか、二十人を合計すれば、当然、その集団として、その部門として、時間的に大きな損をしている。それを承知で教えるのだから進歩が遅いことを承知しなければならない。国家として、大きな損失をしているとは思わないのでしょうか。何故、神様は一回でも良いよとか、お祈りを省略してもいい状態を示して、例えば、将来、社会のため、家族のためになるだろうから、今やっていることは重要だと自分で思えば、お祈りを省略していいと、云っていないのでしょうか。何でもかんでも、5回お祈りをしなさいと言っているなら、その理由を知りたいが、どうでしょうか。とにかく、しなければ駄目、いては駄目という、だめ、駄目が多いらしい。そして、それぞれの長さや量などの基準がはっきりしないのも、変だと思う。だから、明らかに宗教を利用して逃げているな、と思うこともある。全員そうだと云わないが、祈ったって解決するわけがないと思うことをお祈りののがれてしまう人は多い。祈っている場合じゃないだろうと私は思う。祈りの内容が、また、納得できない。神は、何故、そんな内容の祈りをしなさいと言ったのか、分からない。その他にもなぜ?そうしなければならない、と云ったことが、納得できないことだらけである。とにかく、束縛が多すぎる。そんなに、民衆を束縛しなければ安心できなかったのでしょうか。とにかく、四六時中、私のことを思い、私の方を向いていなければあなたはどうなると言っているのでしょうか。とにかく、仕事を教えるのに、技術を向上してもらうのに、プラスになっていない。マイナスが大きい。日本人のほとんどがお祈りをしないで仕事や研究や勉強をしているのです。一億人×50年×180時間(一日の差を0.5時間として)=9000億時間、国力の差は明らかです。最期に付け加えますが、幸か不幸かは、全く次元の違う話だし、個人の話でしょう。
2011.05.13
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 906 Xian MA-60という中国製の50人乗りくらいのプロペラ機が問題になっている。数年前から、地方地方の運航に使われ始めている。とにかく、安いらしい。欧米の半額くらいだそうだ。ただし、安全基準は中国基準で、欧米基準(世界基準)を満たしていないことは、購入前から、承知の事でした。フィリピンやその他何カ国で2008年ごろから、墜落事故が数回起きている。それでも、使い続けている。今回の事故は、ムルパティ航空運航でパプアの南のワメナにむかう途中の海中に突っ込んだらしい。 原因の追及に中国人が現地に来たというニュースはない。 インドネシアへ来て15年以上になるが、私に接するイスラムのインドナシア人で、なぜ、ブタを食べてはいけないのか、正確な回答を自信をもってする人はいない。多くの人は、腐ったものでも何でも食べて、不潔だからと答えるが、自信がなさそう。多分、このことについてだけでなく、食べてはいけない物について物心が着くころには、インプットゥされていたのだと思う。親もその前の世代も皆、そうだから、何故だと疑問に思ってはいけないことになっているし、身の回りには居ないので、だいたい、どんな動物かも知らないで育っているでしょう。それとは逆に田舎へ行けば、イスラムの部落は森の中に点在している。それぞれに、モスジッドもある。そして、鶏や牛やアヒルと同じように豚も飼っている。豚にハラルの焼印はない。こうなると、もう、どうでもよくなる。カニを食べない、あるいは嫌いないインドネシア人に会ったことがない。 聖職者も、このことを聞かれて困るので、ブタだけでなく、犬など他の動物を食べてはいけないことを知った子供が、なぜか聞くと、そんなことは聞くものではない、ただ,神がいていることは信じれば、天国へ行ける、とでも云って、たしなめるのでしょう。以前、テレビのイスラム教宣伝番組(大変多い)の一つで、ある大学生が、断食の月で南極や北極にいるイスラム教徒はどうするのですか、と質問したことがある。聖職者は、そういうことを疑問に思ったことが無かっただろうし、そういう質問をされたここも無い、しかも、テレビと云う公開の場で、です。冷静さを欠いて、「そんなことを疑問に思ってはいけない。そんなことを質問してはいけない。何か神に疑いを持っているのですかあなたは、自分で、決めればいい」と、云っていた。 イスラムの統一見解はどうなっているのでしょうか。多分、統一見解はないと思う。 ということもあって、色々、食べてはいけない、飲んではいけない。触ってもいけない、というものが、至るとこるにある。陳列に仕切りがないし、分けてもいない。混じって置かれている。今どき、ビールやワインやウイスキーを奥のめにつかない場所に遠慮がちに並べているなどという店はない。タバコなどは日本と同じようにレジに脇の棚に並べてあるし、道端で売っているし、渋滞中の車に飲み物や果物などと一緒にタバコも売る。子供にも売る。一本ずづでも売る。コマーシャルはタバコが一番多い。タバコ会社の社長さんが高額納税者のトップだし、政治献金のトップもタバコ会社です。 流石に田舎へ行くと、ビールはどこの店にも置いてない、レストラン、食堂でもビールはメニューにない。売れないからである。どうしても、飲みたい人が、地方の何千人かの人口の町では、探せばどこかにある、食品卸問屋がどこにあるか聞ければ何とか手に入れることが出来る。パンガンダランは私が問屋を知っているので、買ってきてやることはできるが、冷蔵庫に入れて保管してあるわけではないので、直ぐに冷たいビールとはいかない。冷たいのはあるかと聞けば、氷があるよ、と云われる。 人口、3万人くらい以上の町なら、アルコール類は簡単に買うことが出来る。日本酒、焼酎は輸入が難しく、手に入れにくいと聞いているが、禁止とか禁止では無いという問題ではなく、輸入手続きが難しくなっているからだと聞いている。要するに、税関で多額のアンダーテーブルを欲しがっているのです。アンダーテーブル、これは、イスラムではハラム(禁し事項)では無いらしい。 ジャバベカにスプレーポンプのメーカーがあった。イタリア系の会社、チューブはイタリアから輸入している。
2011.05.12
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 905 相変わらず 強烈な雨が降り続いている。アセアンサミットの期間中ジャカルタの高速道路のグロゴール線にはトラックが入れなくなっているので、中心の高速道路の渋滞が緩和されているようです。その代わり、トラックは大変です。アンチョールの方に遠回りをしなければならない。それも大渋滞の中である。 イスラムの人が豚肉を食べない、犬が苦手、などは知られています。ニンジンが嫌いだから、ニンジンを避けて食べるというのと事情が違っていて、その汁やエキスが着いた物も全部だめですから、その料理全部を食べてはいけません。豚肉料理に使った調理器具も使ったら、食べてもいいものでも食べられなくなります。アラーの神が云うには、彼が良いというものはハラルとします。だめだと云うものをハラルと云うことにしたようです。駄目と云った中に豚、食肉動物、昆虫、爬虫類、両棲類のカエルや亀などがある。 アルコール類も駄目、タバコも駄目、アルコールが含まれている醤油や味噌もダメ。ご存知の通りインドネシアは世界最大のイスラム国家です。ハラルの認定は、宗教学者協会と食品の専門家で構成されるハラル委員会で審査して決められます。国の食品医薬局でハラルの認定をします。ハラルマークを付けられるのです。駄目だからと云って。マラムマークを付けて売っている品物はありません。認定されない物、もともと、認定を受けても仕方がないものは何のマークも付いていません。 もうだいぶ前になるが、味の素に豚のうま味成分が微量入っていると云われ、ハラルを取り消され、全商品を回収したという例があった。もっとも、回収した後イスラム国以外の国へ売ってしまったので、捨てるということは無かった。もともと、マサコやサジクなどという日本で云う、出汁の様なものは人気があるので、売り上げの落ち方も一時的だったし、現在では、新工場を作って製造能力を1.5倍にすることになっているらしい。 輸入食料はハラルの認定を受けなければならないことも無い。代表的なものに日本から送られてくると豚骨インスタントラーメンがある。イスラム人口は90%以上と云われているインドネシアでは大多数のイスラム教徒は豚肉を食べません。それだけです。日本へ来ているインドネシア人のイスラム教徒を100人以上知っていますが、彼らはハラルのマークがある物しか食べないということは100%ありません。どうしたって、マークがある食品を探すことはできません。そのうちに、豚骨ラーメン大好きなどと云い始めます。美味しいものは美味しいし、安い物は安い。ワニの養殖もしています。ビヤワックと云って50~80Cm位のトカゲも食べます。カニ類は大好き、カエルも大好きです。彼らの体にハラルのマークは付いていません。昆虫類もその幼虫類も食べます。私は気持ち悪くて食べない物まで、おいしいと言って食べます。 アルコールもまったくハラルのマークはありません、タバコもありません。しかし、イスラム教徒の方々のほとんどが大好きです。機会があれば、飲みますし、吸います。それに、両方とも、子供のころから大っぴらにやっています。 スーパーで区別している?そんなスーパーやコンビニを見たことがない。ただ、豚肉のコーナーが小さいだけくらいです。これは差別ではなく、売れないから少ないだけです。私は買います。しかし、店員が触るのを嫌がったり、レジで、嫌がられることもありません。普通の買い物と同じです。大雨模様
2011.05.11
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 904 恐竜のような形をしたスラウェジ島の北部、日本人のダイバーにとってはあこがれのマナドやブナケンはもっと東の端になる。Gorontalo Sulawesi Utaraゴロンタロという町出身のチャイヤチャイヤで突然町の英雄になってしまった警察官のノルマン、二週間ほど、田舎へ帰っていたが、先週末にジャカルタに戻ったらしい。当分、彼の周囲からのゴシップは絶えないでしょう。イスラムの暦は陰暦(月暦)を使っているので、一年がほぼ355日ですから、全ての行事を太陽暦にはめ込むと、一年に約10日前倒しになる。もともとイスラム教が生まれた土地は赤道の近くだし、砂漠地帯なので、四季や雨季乾季という季節感がない、いつでも同じ気候なので、太陰暦でもまったく違和感がない。生活に季節の要素がまったくない。ただ、キリスト教が太陽暦を使っていることを知っていて、対抗的に太陰暦を採用したのでしょう。 赤道から遠ざかる地方にもイスラム宗教が普及してきて、もともと、仏教やヒンドゥー、クリスチャンが使っていた太陽暦にイスラムの行事も書きこむようになったので、10日ずつ移動することになってしまった。 日本のイスラム聖職者は、ハジの月やその他の行事は太陰暦に当てはめると、一定の季節に回ってくるのではない。と、云っているが、そうではなくて、太陽暦に当てはめなくても、季節は一定にならないのです。地球の動きがあって季節がある、これが先です。そして、人が、季節に合わせて太陽暦を考え出したのです。そして、そのずれを調整するために四年ごとに一日追加し、一年が365.25日ならそれで済みますが、そうではなく、それより若干長いので、1000年毎にその追加の一日をしないのです。季節を調整するためです。たまに、現在は閏秒というのがあるのを知っていますか。 昔の日本や中国もなぜか太陰暦を使っていました。民の生活感覚や行事、例えば季節から来る田植の日が毎年、ずれてしまっては都合が悪い。そこで、閏年どころか閏月を入れて調製したのです。 イスラムの断食の時間を日の出から日没にしたのも、イスラム発祥地辺りでは問題がないが、赤道から離れるに従って、どうするの?という疑問が出てくる。そのことについて、もともと、解説がないので、どうしているのでしょうか。 人間の生活ばかりでなく、動物や植物など、生きとし生けるものは季節の動きに連動して営みが行われているので、太陰暦はその営みにはなじまない。残念ながら、地球全体のことの知識が無かったのです。犠牲者をささげることなど神が要求しないで何か食べ物を要求していたら収穫祭が行われていて、それは季節と大いに関係があるから、太陽暦にしたか、太陰暦でも閏月を入れていたかもしれない。犠牲祭などという、季節に関係ないことを欲望したのでいつでも良くなってしまった。 インドネシアに住んでいれば、一年中同じ花は咲いているし、気温も殆ど変化がないので服装が変わることも無い。田植えもいつという縛りはない、植えたい時に植えればいいのです。最近は異常気象が続いて、乾季雨季の季節感も無くなってきた。果物の旬の時期が多少、季節を感じる程度です。だから、イスラムの行事の日が太陽暦で移動しても、何の違和感もない。疑問に思う必要もない。 日本企業の現地生産品、薬や化粧品、生理用品、洗剤、健康食品 男性化粧品、生活に必要なものから嗜好品まで、全てを日系企業の製品で整えることが出来る。テレビコマーシャルも日本企業製品で50%以上の時間を占有している。 インスタント飲み物の主流は小袋入りが主流です。コーヒーや紅茶、各種ジュースなど一袋10円~20円、大きめのガラスコップにお湯や水、氷も入れてもらえます。家庭でも広口瓶入りよりもパックを使います。
2011.05.10
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 903 朝、激しい雨が降っていて、ゴルフが出来るかどうか危ぶまれたが、途中若干降られただけで、中断する様なことはなく順調に終わった。 しかし、今日のゴルフの結果は良くなかった。もともと、下手クソな私は、数はこなしているが一向に上達しない。その理由は分かっているが、直し様がないのであきらめている。 それとは別に今日は精神的に我慢が出来ずに自滅した。原因は私たちの前でプレーしていたインドネシア人4人である。私に負けず劣らず下手クソ。私と違うところは、全ての行動が遅い、その上、皆さん遅いのが、一人が動いている時、他の三人は動いていない。纏まって一人を見ている。その一人が打ち終わると、次の一人が自分のボールの場所へ行く、二回三回素振りをした後、ボールの後ろへ移動してクラブをグリーンに向けて方向を決める、そして打つ位置へ移動し、また、二三回素振りをしてから打つ。結果は良くない。次の他の人も似たような行動をゆっくりする。瞬く間に彼らの前は空いてしまう。それでも、ショートではコールオンをする。それには、お断りをした。さっさと前進してほしいからです。その意思が最期まで伝わらなかった。昨日より一時間半長く掛った。どこかの誰かさんなら、前の組を怒鳴りつけているでしょう。話はまったく、違う世界へ飛んで。 オムラ(小巡礼)に向かった私が信頼する女性がいる。15年前からの知り合いで現在38才、二児の母、インテリである。会社の総務関係のトップである。10日ほどの休暇を取って出かけて行ったが、帰国の日には帰国してきたようだが、会社へは来なかった。結局一週間家で休息し、体調が回復したところで出社してきた。相当、体力的に大変だったらしい。手抜きの方法はいくらでも有るだろうに、真面目にやることすべてを自分なりに成し遂げたのでしょう。 メッカへお参りをしなければ、いけないらしいが、お参りしない人、お参りした人に差別があるのでしょうね、きっと。また、松竹梅とコースがあるようで、ツアー会社に支払う金額も違うのだし、多分、ご利益の大きさも違うのでしょうね。欲望を捨てて神の為に何かをすれば欲望がかなえられる、というのは、理屈として、変ですよね。 神の為に祈る内容は何でしょうか、神が長生きするように、しょうか。神が金持ちになるように、でしょうか。神の信者が増えますように、でしょうか。それで、神は幸せになるのでしょうか。神の為に、祈るのではなく、自分の為に祈るのでしょうか、それなら、理屈は通るが、欲望を丸出しにしなければ、神は云うことを聞いてくれないのでしょうか。 どうも、私には分からない。オムラ(小巡礼) 略式エコノミークラス巡礼とでも言いましょうか、時期も期間も自由で、勿論、ツアー費用もハジの三分の一くらいが相場らしい。ハジはオムラの他に二つの谷行きと犠牲祭も行います。ですから、犠牲祭の日の一か月ほど前に行っていなければなりません。どういうわけか、一生に一度は巡礼に行かなければならない(代理でもいいらしい)ことになっているので、皆さん、メッカへ行くのが夢になっている。色々な組み合わせの巡礼の仕方があるようですが、行って帰ってくれば、何か称号が付いて、一目おかれる存在になると聞いている。これも、欲望の一つをかなえたことになります。彼女は若いのに女性としては尊敬されるイスラム教徒を目指したのです。それはそれで、イスラム教を信じる者としては良いのではないでしょうか。イスラム教徒以外の人には理解をするには難しいところですが。チカランの花。
2011.05.09
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 902 日ごろはインドネシアで付き合っている方々だけですが、私が付き合させていただいている私以上の年齢の人は全員、現役で仕事をしている方々です。濃い薄いを合わせて、20人ほどいますが、最高年齢は73才です。全員が、生活費を稼がなければならないから、仕事をしているのではありません。全員がじっとしていられない人で、なお且つ、他の人が出来ないことが出来るか、他の人がやるより任せて安心という人です。祐ちゃんではないが、どなたも、何かを持っているのです。そして、元気です。仕事以外に何か他の趣味を持っています。それも、アクティブなものが多い。ゴルフは当り前にやるが、ダイビングだったり山登りだったり旅行だったりする。 全員、経済的には、不安はないし、財産を残さなければならない理由もない。年金も貰いながらの人もいるが、貰ってない人もいる。しかし、貰うようになれば、平均以上の金額を受け取ることは確かな人々です。 人生、残りがそう長くないことも、意識をしながら、自分が思うようにやりたいと思っている。それが出来ている人々です。 もう一つ、他人の世話をすることを苦にしないというか、幹事のようなことを頼まれれば、快く引き受けてくれて、気が効いた準備をすることが出来る。そういう人ばかりですから、誰かが都合が悪ければ、誰かが交代する。世話役をするのは一か所だけでは無いので、全員がどこか他の集まりの世話役を引き受けている。そういうことが苦にならないのです。任せて安心という人ばかりです。 67の私にとって、私を見習ってくれる、また、参考にしてくれる人も大勢いますが、私自身は、勿論、自分やり方でしかできませんが、年上の方々の生き方を見ていると大変参考になるし、勇気がわいてきます。負けてはいられないと。50,60は鼻たれ小僧という言葉が当てはまるような気がします。 ところで、一週間前ほどから、ある日本人の団塊の世代真っただなかだった人が、私の近くにいるようになった。多分、一ヶ月後にはいなくなるでしょう。10年ほど前に一切の仕事から離れて、世界中を旅しているという。南アメリカは殆ど回って、現在は東南アジアを回っている。マレーシアに3カ月ほどいて、インドネシアへ移ってきた、ここからタイへ行き、三年ほど、タイで暮らしたいらしい。熟年ヒッピーでしょう。英吾は堪能で、インドネシア語もかなりできる。ラテン語もかなりできるとか、早稲田の理工出身の秀才だ。出来ればの話だが、羨ましい。人間、しあわせは人それぞれだと思う。 物おじしない、度胸満点、どこへでも、行ってしまう。この人を見ていると スダナゴルフ場に隣接しているプリ、KIICサービスアパート。カラワンやスダナのレストランの味の評判がよくない様で、ここへ食事に来る人も多いそうです。
2011.05.08
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 901 何年も出来るだけ毎日文章を書いていれば、同じことを繰り返す場合もある。このことは、以前、書いたことがあるなと思いながら書いていることもある。同じことがらでも、以前書いた時と状況が変わっているので、書くこともあるし、できるだけ、何回も書いて、新しく、読んでいただく方に、知っていただきたいと繰り返して書くこともある。前にも、同じことを読んだことがある。以前書いたことを忘れてしまってまた書いているよ。ボケているんじゃないの。と、思う方もあるかもしれませんが、若いころに比べれば、ボケているかもしれませんが、決して、以前書いたことを忘れてしまっているわけではありません。まだ、大丈夫だと思っています。まだまだ続きますよ。 サウジアラビヤから、TKIと云って、お手伝いさんやベビーシッターとして、中東諸国やマレーシアなどイスラム諸国に出稼ぎに行っている女性は多い。インドネシアが国として推奨している。アラビア語の勉強は英語より熱心で、学校でも教えているし、モスジッドでも宗教教育と共に必須的にアラビア語を教えている。国は失業者対策、家庭の収入援助の目的で、集団で派遣するシステムに補助金を出し、出発する前に日常会話が出来るという目的でアラビア語の教育もしている。多くの女性は家計を助けるために、希望に燃えて出発してゆく。それはそれで大変結構なこと、重要と供給の関係で成立しているのです。男は運転手や建設労働者として派遣される。 問題は、女性の方で、状態がぴんからキリまであるようです。受け入れ側のモラルや経済力の関係でしょうか、双方ともありがたみを感じて、同じ人が良いと、再び呼ばれて喜んで出かけてゆくひとも多いと聞いている。 しかし、比率か決して多くないが、目立つのが、子供が直ぐできてしまって、帰国するときには、二三歳になって一緒に戻ってきたり、中には臨月の状態で担架に乗せられ降りてくる女性も一人や二人では無い。帰ってくるならまだいい。勤め先で自殺をしてしまう人も多いとか、熱湯を掛けられたり、タバコの火を押しつけられたり、折檻をされたりすれ例は少なくない。なんとか、大使館などに逃げ込んで保護を求めて戻ってきても、提訴してもまったく慰謝料は払えという判決はくだらないそうで、泣き寝入りをするしかないそうです。そういうリスクがあっても、インドネシアとしては、その制度を止めてしまうマイナスが多いから、続けるしかない。 日本はごく少数の人を介護師として教育し、日本で働いてもらうという制度を具体的に生かそうとしているが、実習の後のテストが難しくて、本採用になる人は一年に数人しかいないのではないでしょうか、これでは、意味がないと思うのですが、厳しさをもう少し、軽くすることを考えているでしょうか。年間、何人くらいを目標にしているのでしょうか、今一、積極的ではないことを感じる。 私は現実問題として考えていないが、もし、将来、介護が必要な体になってしまったら、インドネシアで若い女性を四人雇って、四人三交代、年中無休の24時間勤務で介護をしてもらおうと思う。どうでしょうか。妻や娘に負担を掛けないで、インドネシア人の雇用も増やせる。そして、私は快適。良いことづくめでしょ。 近所のスーパーに売っている食品の一例です。日本食輸入品コーナーもありませ我すが、これらは、一般のとーふやヤサイコーナーに並べられています。
2011.05.07
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 900 インドネシアで、経営者としてではなく、技術指導者、各種のアドバイザーとして、15年間も色々な会社の手伝いをしていたので、色々な日本人を見ている。勘違いで一番多いことは、新しく赴任してきた人が、インドネシア人の能力を見くびっていることです。多分、自分がチェックをすれば、あれも無い、これも無い、あれが出来ない、これができない、ということが沢山あるだろうと思ってくる。その部分は、自分が出来るから、やらせよう、指導しようと、意気込むのです。上から見下ろそうとするのです。まったく勘違い、認識不足だという意識は微塵もない。意気込んでやってくる。会社が、インドネシアへ進出してきた当時の担当者と違って、新しくやってくるのだから、前任者がいたわけで、歴史がある会社は、何代目かになる。だから、既にインドネシア人スタッフだけでなにもかも整えられているのです。その人がやることは殆ど無いのです。あれがあるか、これがあるか、最初は自分が知っている書類関係、記録所や標準書が整っているか必ず確認しようとする。一つでも、無ければ、鬼の首を取った様に、無ければならないと言って大騒ぎをする。それも、たまたま、無いだけのことで、作れば直ぐ終わってしまう。そして、何もすることがない、何もできない、ということに気が付く、そして、その人が、インドネシア人の専門担当者がやっていること以上のことが出来るかと云うとそうでもない。彼らがやっていること以上のことを指導できないどころか、インドネシアのやり方を本人が、インドネシア人に直に教えてもらって、インドネシアのやり方を勉強しなければならなくなる。現場の人は、現在、インドネシア人が普通に作っている仕事が、その日本人が出来ないので、できるようにインドネシア人に教えてもらわなければならない。そうして、皆さんの中に入って言って、技術や習慣に対応しながら馴染んでいき、そこから、始めて、日本人として皆さんの実質上司になるのです。それを、しない、出来ない日本人は、いるだけ、負担になるのです。通訳を使おうが、日本語が出来るインドネシア人を直接の部下にしようが、順調に推移しているその部門の邪魔をするだけです。派遣される日本人は望んでいないのに、命令で派遣された人が多い。しかし、だからと云って、腰かけ程度に大過なく任務の時が過ぎればいいだけと思っていると、思わぬ事態に遭遇してしまってあわててしまうこともある。今回の日本の大震災の余波を受けて、生産調整をしなければならいといった事態があるかおもしれない。たかをくくっていないで、陣地の人々に認められるような存在になってほしいとお思う。 残業手当が無いポジションの人が評価を上げるために、できるだけ時間通りに出てきて、時間どおりに終わる。送迎バスで他の人に迷惑を掛けないように最善を尽くすことが求められる。試用期間の人がその期間中に心掛けることも同じです。仕事の時間を守れば、仕事内容はどうでもいいのです。ちょっとの体の不具合でも休まないこと、とにかく会社にいて、機械の回りにいたり、コンピュターを眺めながら、ぶらぶらしていればいい。家族が病気でも、インドネシアの病院は24時間やっているから、勤務時間外に連れて行く。会社に対するコンピレーンは自分から発信しないこと、条件には満足しているの、回りには云うこと。これだけで、データ的に最高評価を受けます。評価する日本人もインドネシア人も同類が多いから自分と一致している人の評価が高いのです。間接的に評価する直接では無いもっと上の人の評価が良くなるからです。仕事の評価は直接の上司がするが、それ以上の人の評価は仕事を評価できないので、文句を云わないで毎日勤勉に出社している。最高評価を得ます。大学卒業後のサラリーマン時代、私の印象では、仕事が出来る人、研究熱心な人は勤務時間に無頓着、私のもそうだが、勤務時間中は他の大勢の人がいるので、自分がやりたいことが出来ない。云われたことをやっていないと上司の目が煩い。だから、上司の目が比較的少ない三交代勤務を希望したし、休日出勤、時間外の仕事を桁外れにして、技術を体得した。そのことは、まったく良い評価にならず、昼間、うとうと、としていたし、他の人の仕事を邪魔しないように、人が不足している倉庫や検査室の仕事を手伝っていて押出にはいないことが多かった。これでは、上司の評価が低いことは当り前だが、そういう評価をする上司は間違えていると思っていた。自分の考えを変えてまで、高評価を得ようと思わなかった。 インドネシア人も日本人も私のような人の評価は低い。家族に病人が出れば、勤務時間中でも直ぐ、病院へ行き、会社から抜けた時間以上に遅くまで仕事をやる。これのデータは、本人の評価が低くなる。私は、そういう人の評価を高くする。私以外の日本人は私と逆が全部なので、会社としての評価は、私が幾ら間違いだと主張しても、低くなる。インドネシア人は私からの評価を上げたいとは思わない。多くの他の日本人から評価を上げようとする。彼らは日本人の多くが、どんな大きな問題があっても、残業や休日出勤をしたがらない。仕事に直接手を出さないで、稼働率や収率をチェックし、売り上げ計画や利益計画を気にしている。社内では机に向かっている時間がほとんどで、現場のチュックは遠くから眺めるだけ、そういう日本人からの評価を上げる方法を知っている。事実、その通りになっているから、皆さん、仕事が出来ない、技術的に低い日本人の思い通りに行動することに熱心なのです。 ご自分に原因があって、あまく見られたり、舐められたりして、適当にあしらわれていることに気が付かない。、普通のインドネシア人が食事をするワルンの調理場風景。
2011.05.06
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 899 日本語が出来ることは就職の為の大きな武器になっていることは明らかで、日本人も、彼らを必要とし、頼りにしている。それは、それで、日本語を一生懸命勉強して出来ようになったので評価したい。しかし、日本人が、その人一を必要とするということを私はまったく評価しない。日本人の能力の足りなさと手抜きを補う手段としているにすぎないからだ。本来は、日本語を使わないで、インドネシア語で何でもするべきことである。日本語でやろうとすることが間違いだし、逃げ出し、怠慢だと思う。 日本語ができるインドネシア人は、学校の成績は平均より高いことはわかる。しかし、日本語が完璧というわけではないので、ミスコミも多い。その上、悪いことに、インドネシア語でいうソンボン(Sombon)"威張り屋"の比率が高い。日本人のソンボンも多いが、それに、すり寄るインドネシア人のソンボンも多い。比率です、全員がそうだとは言いません。 私の場合や、仕事が出来るインドネシア人の場合、他のインドネシア人から、上司や日本人に、頼んでほしい、と頼まれることも多い。だから、他の日本人を批判したり、他のインドネシ人にもっと仕事をしてほしいと頼むことが多いし、労働条件などで、会社の皆の意見を持って行くことを頼まれたりもする。そういう、私や従業員が頼りにしているインドネシア人は日本語が出来るインドネシア人やインドネシア語が出来ない日本人にとっては、目の上のタンコブだ。だから、自己防衛の為に排除しようと行動や発言をする。自分の欠陥だとか落ち度だとか、説明不足だとか、間違いだとか、自分を振り返ってみるとか、相手の云うことを相手の立場に立って聞いてみようとか、そういう風には思わない。余裕がない、能力がない人とはそういうものです。どちらも、日本語が出来るだけのことで、仕事はできない人です。日本人の中には、俺は日本語が出来る、だから、お前たちのと違うぞ、と、誇らしげに日本語で他の日本人と話して、どうだ、お前たちには分からないだろう。だから、5Sもホウレンソウも出来ない。俺はできるぞ、と云う態度の人もいる。私から見ると、そういう人は、他の日本人と日本語で会話しているが、どうも、TPOをわきまえていなし、云っていることが、今一、壺をえていない。日本語の使いかたが変など、いろいろ問題がある。こりゃだめだと思う。 付け加えておくことがある。インドネシア語の進歩が遅い人、覚えが悪い人、使おうとしない人は経営者としても現場指導者としても、能力が低い人です。これは、逆もまた真です。仕事が出来る人は、現地語の進歩が速い。これは、逆もまた真なりとは言えない。インドネシア語が出来るインドネシア人が仕事も出来るとは言えないように、現地語が出来る日本人が仕事も出来るとは言えない。 カラワンのPVCコンパウンドを作っている会社とその前の通りのワルン(食堂)の親子三代。
2011.05.05
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 898 日本語が出来るインドネシア人従業員を増やし、各部署のトップに据えて、自分の意志が全体に渡るし、下からの意見も吸い上げやすくなる。と、思っている日系企業の経営者は非常に多い。自分では直接全体に意思を伝えられないし、下からの意見を聞くことが出来ないから、中間に伝達役が必要なのです。それはそれでいいのですが、経営者は、日本画が出来るインドネシア人のその部門での仕事も出来ると大きな誤解をしやすい。日本語が出来るインドネシア人はそれだけの人が大分で、それ以外の何かの仕事をさせた時に、平均より能力が低い場合が多いのです。どの仕事とは言いませんが、例として、営業のトップにしたとします。日本語が出来るから、日系企業の購買の日本人と話が出来るから、営業も出来るだろうと思う人が多いと思うが、それが、誤解。外交的では無い、商品知識を勉強しようとしない、アポの取り方を知らない。上司の日本人からの要望に答えられない。部下に指導が出来ない。日本人が頼んだことへの対応が出来ないばかりか、その対応が出来ない経過をつたえない。聞かなければ、今どうなっているかを話さない。コミニケーション能力が低い。結局、日本語が、他のインドネシア人より、ちょっと、通じやすいというだけで、その日本語も、間違いが多いのに気が付かず、高い地位に置いてしまう。営業が出来る、外交的、商品知識もうえ、原料知識の上の彼の部下が彼から冷遇されて、逆に、日本人への報告は、部下に誰が、私が頼んだことを出来ないとか、やらないということになる。仕事が出来ないガ日本語が出来るインドネシア人上司に好かれないと、評価が悪くなるという悪しき雰囲気になってしまう。その人雰囲気を批判する優秀な従業員は冷遇される。悪循環の原因は、日本人が、日本語を話せるインドネシア人を優遇したからです。真に仕事の能力で人を評価しなかったし、ポストを与えなかったからです。 大分前に書きましたが、PT.Kの最期のH,PDです。仕事をほとんどしない日本人がインドネシア語もまったく話そうとしないし、覚えようともしない、その人は、怠け者なのです。営業専門だったが、新しい仕事は射出ではゼロ、押出では飛び込みを断れずに引受けたが、製造費用の三分の一の価格でOKして、その仕事が増えれば増えるほど赤字が増えているにもかかわらず、儲かっていると思っていた人です。その仕事を増やしたと、触れまわっていた人です。中途半端な日本語が出来るインドネシア人女性を通訳兼秘書にした。最悪の上に超最悪が乗っかった。この通訳、秘書の仕事が出来ないので、総務に全ての仕事を振っていた。日本語通訳も間違いが目に余る。掲示物の日本語は彼女が添削しているが間違いだらけ、それを批判したり、彼女に仕事ぶりに不満を漏らしたりしたインドネシア人は彼女のでっち上げの行状を報告され、パワハラのターゲットにされる。私もその一人でした。止めた人間がいると、私が唆したと報告した。一人だけでは無い。寝耳に水の話で、呼びつけられ文句を云われた。仕事が出来ない、怠け者から、根も葉もない話で、怒鳴られるのは、非常につらい。インドネシア人は何人も犠牲になっていた。 日本語が出来るインドネシア人は特権階級意識が強いが、日本語以外の能力は平均以下の場合が多い。感情で、情報は歪める伝えることが出来る存在であることを忘れてはならない。受け取る日本人の能力が低い場合は何をか云わんや、である。そのインドネシア人も日本人も思いちがいをしやすい。
2011.05.04
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 897インドネシアのニュース番組からです。既に、日本の大災害と原発事故についてのニュースは大分前から無くなっています。アメリカ人にとっては待ちに待ったニュースだと思う。国際テロ組織アルカイダの指導者ビンラデン容疑者を急襲した際、同容疑者以外に男性3人と女性1人を殺害したことを明らかにした。死者には、同容疑者の息子とみられる人物も含まれているという。ニューヨークの世界貿易センタービルの攻撃やその他数々の世界中のイスラム過激派によるテロを指導し、精神的支えになってきた人物がいなくなって、世界中のクリスチャンを中心に歓喜していると思う。しかし、いかに、テロリストの大親分としてもイスラムの人々にとっては大喜びと云うわけにはいかないのが、宗教の厄介なところです。インドネシア人の過激派も彼から影響の多くを受けているし、実際にパキスタンやアフガニスタンへ行って彼の指導を受けて、自信を付けてこちらの指導者になる人は多かったし、団体としても、アルカイダと連携できることがステータスになっていた。バリやジャカルタの爆発事件の彼の影響を受けた人間がやっとことでした。これからも、世界のイスラム過激派による破壊活動が治まるとか思えない。Cuci Otak(洗脳)された人間が世界中のどこにも、かしこにも目立たず潜んでいるはずですから。 ソマリア沖で海賊に乗っ取られたSinar Kudusという貨物船が解放された、20人の人質も無事解放されたという。支払った金額は公表で約四億円、安いと思うが、日本の船や人ならこういうわけ人はいかないでしょう。とにかく良かったと思う。 プレマックス ガスリンスタンド(ポンパベンシン)で売られているハイオクガソリンです。こちらの価格は市場価格に連動させているために、一年前に比べると倍近くに9050Rpになっている。普通ガソリンをプレミュームと云います。この価格は政府の補助で4500Rpに固定してある。インドネシアの最近のポンパベンシン、国営のプルタミナという会社が経営しているほとんどのガソリンスタンドでは、バイク用のポンプが車用のポンプとは別に奥の方に設置されていて、バイクはそちらの列に並ぶことになっている。バイクの数が爆発的に増えているので、分けているのです。そのバイクもマニアが多いので、プレマックスを使う人が多くなっている。 プレミュームについては車以外の交通輸送機関が貧弱なインドネシアとしては、値上げすると、大暴動になってしまう可能性さえあるので、限界にきているが、今のままの価格を維持している。話としては、5000Rpにするとか6500Rpにするとか、プレミュームを無くしてプレマックスだけにしてしもうか、という意見も政府の高官から流れてくる。1%にも達していないが、シャルやユーノスなど外資系のガソリンスタンドもある。これ等の価格は殆どが9000Rp前後になっていて、プルタミナのプレマックスと同じくらいの価格になっていて、やはり原油価格に連動している。MM2100のLGで近隣の資源回収業者(くずや)からの抗議を受けていて、もとPT、KITAGAWAの前の正門は閉じられて会社のセキュリィテとブカシの警察官30人くらいが警備している。来客は社内へ車を入れないで路上に駐車して歩いて中へ入っていく。東側の製品入出口の方はかなりの人、ざっと見て500人くらいが集まって入出荷が出来ないようにピケを張っている。誰もが強硬廃除を望んでいないようで、島巻きに見ている状態でした。その前の道は通り抜けできない。はっきりした原因を確認しているわけではないが、この種のピケやデモはよくある。不良品や梱包資材の余ったものを特定の業者に委託して持っていってもらうか、安い価格で買ってもらうのが慣例になっていて、その仕切り役が地元のヤクザ(マフィア)がやっている。其の流れを会社が一方的に変えてしまうと、こういう問題になる。マフィアから屑を購入し、仕分けをしたり、再生したりしている家内工業が工業団地の回りに沢山ある。その会社へ屑が回ってこなくなれば回りの部落の人々の仕事が無くなってしまい、収入源が断たれることになる。死活問題にさらされる住民は黙っていない。勿論マフィアが交渉や圧力の前面にでる。LGの正門の様子と東側の近づけない入出荷ゲート。
2011.05.03
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 896 メーデー、ジャカルタでは恒例のデモがあったが、現在は荒れることはない。家族ずれの参加が多い。先ほど、日曜日の夜、買い物にリッポチカランンのモールのハイパーマートへ行ってみた。7:30を回っていた。この時間なら空いているだろうと思って、この時間にした。しかし、駐車場は一杯で、マート側へは入れと貰えず、表側の駐車場に入った。それでも、空きがなく、暫く、グルグル回って、やっと駐車した。モール全体がまだ、大賑わい。マートへ行ったら、会計のカウンターが10以上前回だが、カート7~8台はどの列も並んでいた。多分、後ろへ着いて、支払いまで30分くらい待ちそうな雰囲気、買い物を止めた。 10分くらい駐車して2000Rp払った。 そのまま、帰宅するのもシャクなので、オープンして間もないファーマーズマーケットで買い物をすることにした。インドネシアにしては、高品質食品が売りの様子で、果物、野菜類、各種肉類の陳列の仕方や売り方が洗練されていて、なんとなく、高級スーパーマーケットの雰囲気で、落ち着いて買い物がゆっくりできる。こちらは、そんなことで、カウンターが長い列と云うことはない。列の後ろに付くことなく、支払いが出来る。豆腐、ごぼう、チンゲン采、大根、ジャガイモなどを買った。ナシ、リンゴ、ドリアンなどの果物も仕入れた。バソ、豚肉、牛肉、サーモンなども買った。ソフトドゥリンク、コーラやカルピコソーダ、トイレットペーパーシャンプーなども含めて約四千円の買い物でした。印象は安い、です。ここの駐車場は無料、インドネシアでは一般的にショッピングモールの駐車場は有料です。一時間2000Rp、一時間ごとに2000Rpプラスが普通です。しかし、ここは無料、多分、いつかからか有料になると思う。この辺りで、無料を売り物にしているのは、カルフールくらいなものでしょう。駐車は無料(グラティス)と大きく書いてある。 インドネシアが次第に経済的に発展してきてる証拠です。日曜日の夜でも、買い物客でごった返している。私が始めてインドネシアへ来た頃生まれたばかりか小学生の子供達が、今、この賑わいの中の半数以上を占めているでしょうか、彼らの服装も日本のAKBや韓国のグループ歌手に似ている。変われば、変わったものだと思う。ゴルフ場の脇のパサールミングーも大賑わい、おばさん連中が大きな声で、歓声を上げながら、エクササイズをしている。殆ど全員がずんぐりむっくりスタイルをしている。そんな集団体操をやってもダイエットにも何にもなっていないと思うが、皆で集まってワイワイやるのが楽しいのでしょう。若者はチュチマタが目的。あわよくば、異性に声を掛けて見ようとする場にもなっている。バドミントンやサッカーを道端でやるのも若者のポーズ、他の人の目を引きたいのです。インドネシア全体は総じて平和です。中国ほどではないが、着実の経済成長をしている。平和 成長 賑わい
2011.05.02
コメント(0)
斜めからインドネシアを見る 895インドネシア人が親や学校から教えられていないこと。親が知らない、学校の先生も知らない、からです。其の中で、最近気になること。料理で肉の扱い、テフロンコーティング 蝶結び、です。肉を煮る焼く油で揚げるなどの料理法があることは知っている。その前の肉の扱いが大問題。パックでかっても計り売りで買っても、その入れ物から出して、することは、水で十分に洗うことです。肉汁がなくなるまで洗います。洗った水は真っ赤になります。それを捨てて、また、あらたな水で洗います。水が変色しなくなるまで洗います。その水は飲めない水道水を使います。それから料理をするのです。肉は色が抜けて白っぽさが目立ちます。そして、筋張っています。ちなみにインドネシアでは脂肪の筋が入っている肉は売っていません。しゃぶしゃぶ用と書いてあって、薄く切った肉は売っていますが、赤い肉だけです。白い部分はありません。流石に、“はなまさ“シャブシャブ日本食風レストランチェーンでは、肉を洗ってある形跡はありません。洗って筋ばかり残った肉の料理は味も何もない、硬い筋だらけのゴムを口に入れた感じ。そういう感じが多いので、台所を覗いて分かった事でした。洗ってきたないものを流してから料理をするという考えでした。彼女達は、柔らかい肉を知らないので、肉はなんでも硬いものと思っているから、当り前のことです。肉汁が滴るような肉は逆に気味が悪いのです。味は辛くするだけでいいのですから、肉本来の味を知らないし、それはどうでもいいのです。 ニンジンは必ず輪切りにしかしないし、トウモロコシは実だけを取ることはしないで芯ごと輪切りにして90℃に四つにきる、だから大部分が芯である。それを丸ごと食べるのです。これも、辛いだけでいいのです。 焦げ付き防止のテフロンコーティングを単なる焦げ付きと思っている。暫く使っていると、気になるらしくて、金属のたわしを買ってきて、がりがりと、磨き始める。すこし、剥げてくるとうれしくなるらしくて、なお、一生懸命,はぎとろうとする。完全に鍋の上の方までは剥ぎ取ることはできないが底に殆どコーティングが無くなると満足するらしい。 焦げ付かないように高温に強いプラスチックを塗り付けてあるのだから、取ってはいけないし、金属にたわしで擦ってはいけないと、言ってやっても、無駄である。彼女達は私が云うことを信じない。 殆ど100%のインドネシア人は紐の蝶結び(ikat kupu-kupu)できない。何千人とインドネシア人の靴ひもの結びを見ているが、一人にもできる人に会ったことがない。私の靴の紐の結び方を見せて、こういう具合に結ぶことが出来るかと、きくと、殆ど全員が出来るという。そして自分の靴の結びを見せる。ほら、同じでしょ、という。全員が、結び方がどういうものか、自分の結び方と違うと思わない。何結びと云う概念がないのです。結んであれば、何でも、同じだと思うのです。教えてという人はほとんどいない。結び方など結んであればどうでもいいのです。親も学校の先生も蝶結びはしないし、教えもしないし、必要とも思わない。 花、Bunga kartas(ブーゲンビリア)とKecubung、この花の後になる実は薬の一種で、普通の人が直接食べると脳が狂うそうです。Gilaになるそうです。
2011.05.01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1


![]()