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森田理論では「不安や恐怖」の感情はそれだけを見て問題視してはならないといいます。不安や恐怖は、欲望との相互関係の中でしか解決はできない。また不安はそもそもそういう相互関係の中でしか存在しえないものである。だから不安や恐怖だけをことさら取り上げて、意のままにコントロールしたいというのは自然の法則に反する行為です。不可能を可能にしようと無駄なエネルギーを使い続けると、最後には、ヘトヘトに疲れて、惨めな結果になってしまいます。この考え方は、森田理論では精神拮抗作用といいます。森田理論の要となる考え方です。森田先生は、精神現象は常にある意向が起これば、必ずこれに対抗する反対の観念が起こって、我々の意志の行動が抑制されている。プラスがあれば必ずマイナスがある。これがコインの裏と表の関係にある。宇宙の営みも同様の原理で動いております。太陽を中心として、その周りを地球や火星等の惑星がものすごいスピードでまわっています。この流動変化の中で、太陽の強大な引力と惑星が動き回っている遠心力がバランスよく釣り合っています。その調和は見事というしかありません。その結果多くの惑星が存在すること自体を許されているのです。その太陽は一カ所にじっとしているわけではありません。太陽系は天の川銀河の輪の中心から3分の2ぐらいのところにあり、3億年かけて猛スピードで銀河系を回り続けているのです。その天の川銀河は、隣にあるアンドロメダ銀河と猛スピードで接近しており、遠い将来この2つの銀河は合体する運命にあるそうです。このことは、すべての物質はそれ自体が単独では存在しきれない。持ちつ持たれつ、他のものとの相互関係の中でこそ、はじめて自分の存在が許されている。その関係性を無視して、自分の意のままにコントロールしようとすることは人間の思い上がりだと思います。人間がその方向に向かえば必ず大きな惨禍に見舞われる。そういう自分と他者の関係性が分かれば、そのなかでどううまくバランスをとって生活していくのかが問われてきます。調和、バランスを崩さないように、絶えず注意を払いながら、注意深く前進していくことです。これ以外に別の生き方はないものと思います。ここでは不安を取り去るために、ことさら不安だけを取り上げて対処しようとすることは片手落ちではないのか。不安を止揚するためには、生の欲望とのバランスの調整の中にこそ宿っているのだということを分かっていただきたいと思います。ここでもう一つ重要な点があります。宇宙の現象と一緒で「不安や恐怖」の感情は一カ所にとどまっているものではないということです。諸行無常で常に流動変化しているものであるということです。どんなに大きな「不安や恐怖」の感情であっても、時間の経過とともにどんどんと変化していくものであるということも大切な視点だと思います。
2016.10.31
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犬が腹をみせて寝転がることがあります。骨格で覆われていない腹部やのどは動物にとっての弱点です。それなのに他の犬の前や飼い主の前で腹を上に向けて寝っ転がるというのはどういう意味があるのでしょうか。ネットで調べたところ、いろんなケースがあるようです。1、「背中がかゆい」、「暑い! 」、「リラックスしている」、「眠い」などという時に腹を見せることがあります。これらは他の犬や人間に対して何かメッセージを伝えようとしているわけではありません。リラックスした結果として自然と仰向けになっているようです。この場合、あまり意味はありません。2、「服従の腹見せ」とは、劣位にある犬が優位にある犬に対して「降参です!」という意思を伝え、怒りの矛先を納めてもらうときに見せる行動です。儀礼的な行動が発達しているオオカミにおいて特に顕著で、典型的な体勢は仰向けに横たわり、耳を平らにし、背中を丸め、尻尾を後ろ足の間に巻き込み、動きを止め、視線を避けるというものです。この場合は命の危険を回避するために、無条件降伏を選んでいるのです。これも生き延びていくための一つの道です。3、「防御的腹見せ」とは相手の攻撃をかわすために取る防御姿勢のことです。相手を油断させて、要領よく逃げようとしているのです。4、「攻撃的腹見せ」とは噛み付く直前に取る攻撃態勢のことです。相手を油断させて、隙を見て攻撃を仕掛けようとしているのです。5、「遊びの腹見せ」とは、遊びに興じている犬たちの間で観察されるそうです。リラックスして無心になって遊んでいる状態です。6、「誘発的腹見せ」とは「もっと遊ぼうよ!」と相手を誘うときに見せる行動のことです。7、「おねだりの腹見せ」とは人間との共同生活の中で学習した結果としての行動です。例えば、仰向けで眠っている時に飼い主がやってきておなかをなでてくれたとします。そのときの気持ち良い感覚と「腹見せ」という行動を結びつけて覚えた犬は、なでて欲しくなった時、自発的にお腹を見せるようになります。(ブログ「子犬の部屋」より引用)普通は犬が弱点をあからさまにするのは、服従の姿勢を相手に示して攻撃を受けないようにしているのだと言われています。ところが実際にはそうではない場合も多々あるようです。判断を誤ると、対処を間違えるというケースが出てくると思います。たとえば、服従の態度を示しているのに、近づけて無理矢理一緒に遊ばせようとすると、相手の犬に攻撃を仕掛けられて思わぬケガを負わせてしまうということにもなりかねません。ひとつに決めつけるのではなく、今現在の状況や犬の特徴を見て正しく判断することが大切になります。森田では決めつけるのはやめて、もっとよく観察をしなさいと言われます。事実を無視して先入観で決めつけてしまうということは、特に注意したいものです。
2016.10.30
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神経症から解放されようと思うならば、「物事を事実に即して具体的に話す」という態度が欠かせない。もし仮に「事実取り扱い主任者」という資格があるとすると、これは初級資格ともいえるものである。事実本位の生活はここから始まる。まずはここのところを物にして次に進みたいものである。三重野悌次郎さんは、1995年2月号の発見誌に次のように書かれている。これは簡単なようで結構難しい。われわれは自分の見聞きしたことを、あるがままに見て、あるがままに話していると信じている。だが事実は決してそうではない。たとえば「私はいつも失敗する」という人に、「では最近の失敗がいつ、どのようなことであったか」と聞くと、たいていすぐに思い出せない。事実は、何日か何ヶ月か前に一度仕事上の失敗があった。その前にもいつか失敗をしている。ということであって、その後は仕事の失敗も家庭の失敗もない。その日も車を運転して途中事故もなく、集談会に出席している。でも本人は「私はいつも失敗をする」と信じ込んでいて、そういうのである。これは、一例であるが、このようなことはよくある。一般に「いつも」とか、「みんな」とか、「絶対に」とか言う時は、ちょっと立ち止まって「果たしてそうか」と自問する必要がある。私の妻はこの「みんな」の名人であった。「みんなそう言っている」と言うのが口癖であった。そこでだれが言ったのかと聞くと、親戚の女の人が一人言っただけで、それに自分も賛成だと、それが「みんな言っている」ことになるのである。このようにわれわれは、自分では事実を話しているつもりでも結果的には、嘘を言っていることが多い。森田先生は、具体的に話すことをおりにふれ話している。たとえば電車道を横断する子どもに「注意せよ」とか、「気をつけよ」とか言わずに、「静かに歩み、決して走ってはならない」と具体的に指示した。子どもは「注意せよ」「気をつけよ」と言われても、なにを注意し気をつけたらよいかわからない。具体的に話すことは、われわれが常に心がけるべきことである。神経質者は一般に内省的、理知的なため抽象的な言葉を使いがちである。また自己防衛が強いために、赤裸々な自分を見られることを嫌がり、抽象的な言い方をする傾向がある。森田先生は、自分の「症状」を具体的に話せるようになれば、神経症はよくなると言っておられる。そのためには、まずは事実をよく観察する習慣をつけることが大切である。マル、ながくろ、バック、クロ、くい、リキ、ちょこ、タロ、うろ、チビ、つる、いろ。これは小学校4年生の横山あやちゃんという子供が、自宅で飼っていた12匹の蚕につけた名前だそうです。一匹ずつ、わずかに違う顔の特徴をつかんでスケッチしているそうです。事実の観察の見本のような話ですね。我々大人には同じようにみえる蚕でも、よく観察していると違いが見えてくるということです。その特徴を話していけば、自然に具体的で生々しいものとして相手に伝わります。
2016.10.29
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私が現役のころ「勝ち組」「負け組」ということがよく言われた。私の勤めていた会社は、バブルのころは株価が1500円以上になり、とても居心地のよい会社であった。1990年代に入りしだいに業績が悪化して、給料のカット、賞与も実質なし、人員整理が始まった。ノルマがきつくなり、人間関係もぎすぎすしていた。株価は100円を切るようになり、いつ倒産してもおかしくない状況となった。つまり世間からはどうしようもない「負け組企業」とみなされていた。株式市場から退室を要請されていたのである。取引銀行からも半ば匙を投げられていた。そんな中で、同業他社で一躍急成長して「勝ち組企業」として脚光を浴びる会社があった。最初は年商がせいぜい30億程度の小さな会社だった。しかしその後、2、3社生き残った同業企業の中心的な会社に成長した。今でも東証1部上場で株価は2000円を超えている。その当時は誰もこんな事態を予想できなかった。あっという間にデーィプインパクトなみの脚力で同業他社を抜き去り、一人勝ちを収めたのだ。年商は1000億をはるかに超えているという。負け組企業は指をくわえて見ているしかなかった。どこが違ったのか。私が思うには、変化を読んで、変化に対応して、自分の会社を変えていったかどうかであると思う。私の会社は、創業は江戸時代、宮内庁御用達という自負心が強く、変革していこうという気持ちはなかった。旧態依然として、過去の栄光に胡坐をかいていた。片や独り勝ち企業は、商材はそれほどでもなかったが、フットワークが良かった。お客様の要望をくみ取り、地道に改善を繰返していったのだ。特にデリバリーは画期的だった。同業他社が全く考えもしなかったことを実施した。日本全国に物流拠点を作り、そこから日本全国1日2回配送を実施した。午前中の注文はその日の5時までに配送をする。午後からの注文はその日の夜のうちに配送場所に持っていく。それも自社便である。包装もあまり丁寧にしなくてもよい。物流経費も少なくて済む。これに対して、私の会社はその日の3時ぐらいまでの注文は、翌日運送会社に委託しての配達である。3時以降は出荷準備の関係でよく翌日以降の配達となる。運送会社の配達は朝一番の仕事に間に合わないことが多かった。まだ商品がつかないというクレームの電話が多かった。サービスの質としては雲泥の差である。また私の会社は商材が多く、在庫切れが日常茶飯事だった。お得意様が見本帳を持って行ってお客様から注文をもらい、いざうちの会社に注文をする。「すみません。現在その商品は在庫切れとなっております。色違いならありますが如何でしょう」等と言われていたのである。このような欠品は日常茶飯事であった。でもだれもそんなことを問題視する人はいなかった。在庫切れは仕方のないことだと思っていたのである。つまり殿様商売をしていたのである。そんな会社を信頼して、注文を出す会社はよほどの変わりものである。ところがその会社はまず在庫切れがない。商材は少なくても見本帳に載せた商品は責任を持って物流拠点に用意していたのである。この戦略は得意先に絶大なる支持を得た。それは結果として誰の目にも明らかになるのに時間はかからなくなった。5年ぐらいで同業他社と肩を並べ、そのまま抜き去って行った。この会社の勝因は、最初は自分の会社は泡沫企業の一つだったが、あきらめや自己否定に目が向くのではなく、未来志向に目が向いていた。お客様の目線でお客様の利益になることを見つけて、計画を立てて実際に動いてきた。つまり変化を先取りしてきたことが生き残るどころか、業界NO1の企業へと押し上げていった。この事例から神経症の私たちが学ぶことがある。自分の症状をやりくりしていても、症状はとれないので、自分自身を窮地に追い込んでいく。そして自己嫌悪で自分自身が嫌になってくる。これはやり方が違うのだと思う。視線を内向きではなく、外向きに変えていく。仕事や家事等の生活面においていく。その時に周囲をよく観察して、その変化に自分を合わせていく。さらに変化を先取りして、仮説を立てて行動してみる。うまくゆかなければ、修正を加えて、また挑戦してみる。そういう生き方を続けてゆけば自他ともに大きく花開くのだということを教えてくれている。
2016.10.28
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2016年10月21日14時7分に鳥取地震があった。その時スマホから、「チャンチャン チャンチャン 緊急地震速報です。強い地震に警戒してください」とアナウンスがあった。ちなみに警報は過去に5回程度経験しており、いずれもパニックに陥った。すると10秒もしないうちに、建物がぐらぐらと揺れ出した。マンションは熊本の震度7で1階がつぶれたところがあった。今回はエレベータが止まった。パニックになって茫然としていた。とりあえず椅子の下にもぐりこんだ。しばらくしてすぐにバイクのヘルメットをかぶった。テレビをつけると震源は鳥取中部だそうだ。最大震度6弱とのことだった。広島では震度4だった。それでも恐怖のどん底に突き落とされた感じだ。「チャンチャン チャンチャン」という警報音はすぐに変えてもらいたい。心臓に悪い。それから脅すのではなく、もっと情報を流してほしい。「地震です。震源は鳥取西部。震度6弱」と言ってもらいたい。テレビですぐに表示できるのだからなんとかならないのだろうか。すると今までの経験から、だいたいの被害の予測が立つ。対応の心構えが全然違ってくる。事実がわからずに疑心暗鬼になるからパニックになるのだと思う。さて、気象庁の震度階級は「震度0」「震度1」「震度2」「震度3」「震度4」「震度5弱」「震度5強」「震度6弱」「震度6強」「震度7」の10階級となっているという。震度4はほとんどの人が驚く。歩いている人のほとんどが、揺れを感じる。眠っている人のほとんどが、目を覚ます。エレベータは停止する。震度5弱は大半の人が、恐怖を覚え、物につかまりたいと感じる。電灯などのつり下げ物は激しく揺れ、棚にある食器類、書棚の本が落ちることがある。座りの悪い置物の大半が倒れる。固定していない家具が移動することがあり、不安定なものは倒れることがある。震度5強は大半の人が、物につかまらないと歩くことが難しいなど、行動に支障を感じる。震度6弱は立っていることが困難になる。固定していない家具の大半が移動し、倒れるものもある。ドアが開かなくなることがある。こうなると生きた心地がしなくなる。震度6強は立っていることができず、はわないと動くことができない。揺れにほんろうされ、動くこともできず、飛ばされることもある。固定していない家具のほとんどが移動し、倒れるものが多くなる。地震の規模を表わすマグニチュードは、小数点以下が少し異なっただけでも発生するエネルギーは何十倍も異なる。実際マグニチュードが1上がると、エネルギーは31.62倍にもなる。このことを理解していないと、地震に対して誤った認識をしてしまうおそれがある。震度は地表への影響度によってきまるので、単純にマグニチュードと比較はできないがある程度の目安にはなる。震度4を基準にすると、震度5はその31.62倍、震度6は1000倍、震度7は3万2000倍のエネルギーということになる。想像を絶するエネルギーの放出となる。東日本大震災は阪神・淡路大震災や熊本地震よりも350倍も強力な地震だった。M9.0というのはそれだけ化け物じみた威力であるということだ。だから震度1の違いを甘く見てはならない。1度違うと30倍の大きなエネルギーがかかることはよく認識しておいた方がよい。だから表示も誰もが分かるような大きさを示す数字に変えないと、経験したことのない人は甘く見てしまうと思う。それにしても建物の耐震補強、家具の固定はできうる限り対策を立てておきたいものだ。命にかかわる大切なことである。
2016.10.27
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おしどり夫婦と言われる人がいる。相思相愛でどこに行くのも、何をするのも常に一緒という夫婦である。たとえば、定年退職して買い物に行く奥さんを車に乗せて、ドライブがてら遠くの大型スーパーまで付いていく。旅行に行くのも、趣味も、映画を見に行くのもいつも一緒。けんか別れするような対立はない。いつも相手の気持ちを第一優先にしている。相手のことを思いやり、基本的には相手に合わせる。自己主張を繰り返すと、わがままなような気がするので、自分のやりたいことでも抑えている。はたから見ていると、一心同体で二人で一つといった状態である。自由が効かないが、相手に寄り添っていればとりあえず生きてゆくことができる。ではそのお手本にされている「おしどり」という鳥を見て見よう。本当に相思相愛なのか。おしどりという鳥は、番いになっている時は、いつも一緒に泳いでいて仲がいいように見える。オスがメスに優しく寄り添い、「末永く一緒に暮らそう!」と、いわんばかりの光景をみかける。だけど、これに惑わされてはいけない。実はこれは他の雄にちょっかいをだされないようにするために、雄が雌から離れずにガードしているというのだ。つまり相手の自由を奪い、常に監視して相手を束縛しているのだ。さらに意外な実態が明らかになっている。オシドリのカップルがラブラブなことだけは確かだが、それは卵が産まれるまでの間だけのことだ。育雛も夫婦で協力することはない。オシドリは一夫一妻制であるが、夫婦である期間は非常に短い。冬ごとに毎年必ずパートナーを変える。メスの子育て中にオスは他のメスを追いかけることもある。ヒナが育って、守る期間が過ぎると、さっさとどこかに行ってしまう次の繁殖期には、別の相手とつがい(結婚)となります。つまり、1年ごとにパートナーを取っ替え、引っ替えしているのである。つまり人間の間で言われているような、本当の意味での相思相愛の関係を築いているの訳ではない。オスは自分の子孫をできるだけ多く残したいという強い本能がある。その目的に促されてメスとひっついたり、離れたりしていたのである。私の知り合いにもそんな感じの人がいる。もう結婚離婚、同棲分かれを4回も繰り返している。子供も母親が違う子供が3人もいる。最初はあんなにもててうらやましいなと思っていた。ところが最近はとうとう一人になり、生活保護を受けて細々と生活している。五木ひろしに「おしどり」という歌がある。夢でかくした 心の寒さ春の日差しを 待ってるお前右手の細さは 苦労癖これからは これからはおしどりのようにお前一人の幸せに生きていく3番に至ってはこれからは これからはおしどりのようにお前一人を抱きしめて生きていくこうなると、生きる目的というものが、配偶者に尽くすということ一点に絞られてしまう。生きがいは相手の気に入られるように、自分を抑えて生活することになる。その先に待っているのは共依存の世界である。共依存は相思相愛のように見える。しかし実態は相手の自立心を奪い取り、相手を自分の思い通りに支配しようとする態度につながる。この方向はしだいに二人を追い詰めていく。本来はそれぞれにやりたいことを見つけてその道に邁進する。それぞれの気持ち、夢や希望の追求が先にこないとダメなのだと思う。それがなくて、ただ相手に尽くすことが唯一最大の目的となってはまずいい。お互いに相手独自の生き方を認め合うことが肝心である。片や子育て、生活面では助けたり、助けられたりして協力し合う。今や経済的にも2人で支え合わないと家計が回ってゆかない時代である。1人では生きてゆけないが、2人で協力していけばなんとか生きて行ける。そんな中で、楽しみを見つけて、人生を満喫することのできる時代である。そういう視点で、「おしどり夫婦」という人達を観察してみようではありませんか。
2016.10.26
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先日テレビを見ていた。アフリカの草原でカバの群れを映し出していた。そこにはボスがいた。ある日そのボスの座を奪い取ろうとNO.2のカバが戦いを挑んでいた。ところが力及ばず負けて逃げ出してしまった。それでもなんとか群れの中に戻り平穏な日々を取り戻していったかに見えた。実際はそうではない。次の日無残にも水辺に腹を上にして死んでいた。ボスがその後自分で殺したか、仲間に殺させたのだろう。その肉をワニが群がって食いちぎっていた。対人恐怖の私にとっては人ごととは思えなかった。カバはボスに逆らうとすぐに殺されてしまう。対人恐怖の私も他人の思惑に気を配り、自分を殺して生きていかないと、カバと同じような目に会うはずだと思っているのである。私が仕事でマンション内を循環していた時のこと。向こうの川土手を小学生の子どもたちが先生に引率されてぞろぞろ歩いていた。みんな黄色い帽子をかぶっている。先生はみんなエンジのトレーナーを着ていた。総勢300人以上はいるように見えた。その時私の小学生のころの嫌な思い出が横切った。私にとって同級生は和気あいあいと楽しく遊ぶ仲間とは思っていなかった。自分に暴力をふるったり、暴言を吐いて苦しめる恐ろしい存在だったのだ。私は友だちに怯えまくっていたのだ。みんなで遠足をするというのは、集団行動を求められ、道中たわいもない話をしなければならない。それは針のむしろに長時間座らされているのと同じことなのだ。あらゆる場面で対人折衝を避けていたので、ネクラと思われていた。それは学校だけに限らず、家庭の中、会社員になってからも同じ状況だった。いつも人と接触することを避け続けてきた。それでも学校時代は人を避けてなんとか切り抜けることができた。でも社会人となり、会社に勤めるようになってからはそうはゆかない。必ず対人的な付き合いは発生する。対人的な社会体験が不足しているので、会社の中でうまく立ち回れない。イヤな場面に直接遭遇するのでなすすべがなかった。仕事ができない。毎日毎日他人の思惑に振り回されて、この世の地獄を見ているようなものだった。本当は周囲の人と和気あいあいと言いたいことを言い合い、一緒に楽しく過ごしたいのだ。でも人が怖いというのが障害なり、それに振り回されてどうにもならないのだ。どこでボタンの掛け違いがあったのだろう。一番は親との関わり合いに問題があったように思う。愛着障害を抱えてしまっているのがその後の人生に尾を引いているように思えてならない。だから私のような対人恐怖者やアダルトチルドレンを出さないためには、幼児、小学生までの親との関係がまともであるということがとても大切だと思う。だから親になったら親業の学習は必須であると思う。でも今の私にはすでに時遅しである。私は外向的な人のように、他人にどんなにひどいことを言われても「蛙の面にしょんべん」とい気持ちにはどうしてもなれない。一生人の思惑が気なるという資質は変えることができない。変えなくてもなんとか生き延びていけばよいのではないかと思うようになった。そんな中で森田理論学習を続けてきた。人間関係についても多くのことを学んだ。まずは100人の人すべてに好かれることはできないということだった。どうしてもうまが合わない人はいる。そういう人は最低限の付き合いだけでよい。そんな人にまで好かれる必要はない。必要なければ離れていればよいと思うようになった。また、人間関係は必要に応じて付き合ったり離れたりしている。時と場合に応じてひっついたり離れたりしている。つまり私たちが望んでいるべったりした人間関係を作りたいというのは幻想なのだ。実際にはごく薄い人間関係が多い。その人間関係も時が経てば、つぎつぎに移り変わっていく。死ぬまで続くべったりの人間関係というのはあまりない。少々イヤな人間関係であってもいずれは関わりがなくなっていくことがほとんどなのだ。そのことを忘れてはならない。次に愛着障害を変えている私にとっては心の安全基地作りは必要なことだった。私は集談会の中にそういう人を持てた。自分ことを温かいまなざしで見守ってくださる人である。何かあったときにはあの人に相談すればなんとか切り抜けられるという後ろ盾を持っていることは心強い。なかなかそういう人はいないが、そういう気持ちで探すことは必要であると思う。今では集談会のなかでも何人もそういう人を見つけた。普段は付き合いがなくても、何かあった時は安心して相談できると思える人である。集談会以外でもそういう人を持っていると十分生きていける。そう言えば、集談会以外でもそういう人がいる。何でも思ったことを言い合い、たまには言い合いになるが、雨降って地が固まるような関係である。今度はそういう安全基地の役割を私が果たしてあげなければと思っている。あとは、神経質性格は細かいことによく気がつくという特徴を活かして、小さな人の役に立つことを実践することだ。塵と積もれば自然に人間関係はよくなってくると思う。もう一つ、高良武久先生からは、人間関係をよくしようと思ったら、その道のエキスパートになりなさいというのも参考になった。10年も同じことに真摯に取り組んでいると、自信がついてきて、人の思惑を気にする度合いはきわめて小さくなる。
2016.10.25
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神山五郎さんという医師はどもりで苦しまれました。まず買い物に不自由されました。郵便局で「はがき3枚」とすらすら言えないのです。窓口で黙ったまま立っていることはできません。とっさに「切手3枚」などと心にもないことをしゃべってしまうのです。駅の出札窓口では、目的地の地名が言えず、別の駅までの切符を買ったことが何度もありました。ごく簡単なこともしゃべれない自分自身にひどく嫌悪感を抱きました。一番困ったのは自分の名前が言えないことです。これがどれだけ苦しいことか。どもりは命にかかわらない障害ですが、本人にとっては重大な悩みです。命にかかわらないから、周囲の理解も得られず、一人で悩むしかなく、深く心を病んでしまうのです。不思議なことにどもりは、歌を歌ったり雑談をしたり、気楽な場面では現れないそうです。ところが、改まった場面で、重要なことを言おうとする時に限って現れるのです。子どもの頃何か質問したいことがあっても、質問できませんでした。どもってはいけないと思うから、質問できないのです。先生にあてられた時は、答えが分かっていても「わかりません」とだけ言いました。どもりながら正答を言って恥ずかしい思いをするよりも、バカだと思われた方がまだましだったのです。でも答えが分かっているのにそのように対応するということは、自分に嘘をついていることになります。すると「自分はうそをついた。自分は不正直な人間だ」と自分のふがいなさ、悔しさを責めてしまうのです。多感な少年時代の経験は、その後の人格形成に大きな影を落としました。多くの吃音恐怖の人はなんという苦しみの中で生きてこられたことでしょうか。またそれを治すためにあらゆる努力をされている方が多いようにも思います。ところがそういう努力をする人は、よくなるどころかかえって、そのことにとらわれて蟻地獄に落ちしまう。不安や恐怖に振り回されて、神経症に陥って行った対人恐怖症の私たちと一緒です。私の知っている人で、どもりながらも逃げずに、必要なことを人前で一生懸命に話す人がいます。人に笑われても、軽蔑されても決して逃げない人なのです。仕事で自分と家族の生活を守ろうとする真摯な姿に誠実さを見るのです。その姿を見ていると心を打たれるものがあります。その方に限らず、どもりがありながらも優秀な営業マンとして働いている人もいると聞いております。その人たちは、表面的にはぎこちない会話ですが、その人の人生に対する姿勢というものがにじみ出ているのではないでしようか。つまりドモリを治すのではなく、それを抱えたままでその人の人格を一段と高めている。ドモリは自分の特徴、個性であるかのように捉えておられる。人間として魅力にあふれている。ことさら意識はされていないかもしれませんが、対応した人はそのことをひしひしと感じる。逆に対応した人が励まされている。大切な人生の教訓を教えられたような気持になる。最後にはこの人をなんとか応援してあげたいと思うようになる。その結果、一見すると不利に思えるドモリが自分の営業のかけがえのない武器になっている。その結果スムーズに言葉巧みに話す営業マンを差し置いて高い営業成績を叩き出しておられる。我々神経症で悩む人もそういう風な乗り越え方もあることを学んでほしいと思います。森田では、症状と共存したままで、生の欲望に力を入れることが大切であると言われます。言葉では森田理論学習をした人は誰でも知っています。これは頭で理解しただけでは、絵に描いた餅を食べようとするようなものです。自分に落とし込んで、実行する力に変えていくことが大切です。その方法は森田理論が教えてくれています。
2016.10.24
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今日は映画の話をしてみよう。実はこの映画は私は全く知らなかったのだが、集談会の仲間に教えてもらった。こういう貴重な情報は集談会の仲間からよく寄せられる。それによって影響を受けて、自分の生活の幅が広がってくる。こういうことは今まで数限りなくあった。自分の生活を豊かにするには集談会の仲間との交流は欠かせないのだ。広島県の呉市美術館でこの映画の紹介を行っていた。無料招待券をもらったので早速行ってみた。それは今年の11月12日(土)に全国で公開になる「この世界の片隅に」というアニメ映画である。時は太平洋戦争のころの話である。主人公のすずさんという女性が18歳で、広島市から軍港の町、呉に嫁いでくる。嫁いできた1944年(昭和19年)2月は、敗戦の1年半前である。その当時の呉市は海軍工廠がおかれ、全国から優秀な技術者が集まって活気のある町であった。その人たちが技術の粋を集めて戦艦大和を作ったのだ。その模様は大和ミュージアムで展示されている。また今でも海上自衛隊の巡視船、潜水艦が何隻も係留されている街である。さて、すずさんの新しい家族は、夫周作、そして周作の両親や義理の姉の径子、姪の晴美であった。すずさんがお嫁に来た時は想像するに余りあるものがある。戦況はますます悪化して、本土空襲が始まっていたのである。配給物資はだんだん減っていった。そんな中でも、すずさんは懸命に生き抜いていた。工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、懸命に毎日の暮らしを積み重ねていく。日常生活に丁寧に取り組んでいる姿はとても共感が持てる。森田に通じるところがあるからだ。しかし1945年3月、呉市はアメリカ軍の徹底的な空襲を受けた。それは軍港で戦艦を作っていたからだ。街はこれでもかというぐらいに焼夷弾を落された。街は焼けつくされ、多くの人が命を失った。その時姪の晴美さんは死亡。すずさんも右手を失った。それでも希望を捨てずに懸命に生きていく主人公のすずさん。続いて、8月6日広島に原爆が落とされ、今度はすずさんの広島の家族が大変な目にあった。そのキノコ雲は呉市からもはっきりと見えたそうだ。そして8月15日玉音放送があった。終戦を迎えたのである。この映画の紹介にこのようなことが書いてあった。この映画は、見る人がまるで本当にそこで暮らしていると感じられるように、人々や街の様子を描きだしています。大変な毎日でも工夫を凝らして生きていく、すずさんの姿は、すべての世代に、静かで確かな勇気を与えることになるでしょう。その内容はインターネットで検索すればいくらでも出てきた。関心のある方はぜひ見てください。私も是非とも見に行こうと思っている。
2016.10.23
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五木寛之氏は社会的にみると約25年単位で躁の時代と鬱の時代が繰返されているという。つまり50年の中で鬱の時代が約25年、躁の時代が約25年あると言われる。これによると日本は太平洋戦争に負けるまではいけ行けドンドンの躁の時代だった。それまでは国威発揚の躁の時代だった。国民全体が浮足立っていた。ところが1945年日本は太平洋戦争に負けました。突然躁の時代が終わりを告げた。途端に国民総うつ状態になった。食うや食わずの生活に耐えて将来に希望を持って生きていくしかなかった。努力のかいがあって、1970年ごろから目覚ましい経済発展を遂げて躁の時代に転換した。毎年ベースアップはあるし、賞与もこんなにもらっていいのだろうかというぐらい出ていた。経済発展に酔いしれて、また国民総躁状態になった。その後バブルがはじけたのが1990年。またしても日本社会は鬱の時代に転換した。マンションを買ってもどんどん値下がりする。株式投資をすれば大損をする。この時代は失われた10年とも、20年とも言われる時代である。山一証券や北海道拓殖銀行も破綻していった。就職口がない。正規社員が減り、契約社員が増えて食いつないでいくのがやっとという時代になった。精神科は予約が取れないほど繁盛していた。資産デフレの時代はやることなすことが裏目に出る。その間約25年と仮定すると2015年が鬱の時代の底ということになる。これから2040年にかけては、右肩上がりの躁の時代に転換してくると言われる。はたしてどうなるか。ところで鬱の時代は重苦しい。すべての面で沈滞ムードになるが、そういう大きな時代の波の中に、日本人のすべての人が放りこまれているのである。一人だけ抜け出すということはほぼ不可能だ。その中でも、ネガティブで悲観的な考え方をとりやすい神経質性格を持っている人は、益々鬱病を発症しやすいということになる。こういう鬱の時代を我々はどういう心構えで生きていけばよいのだろうか。五木氏は「鬱の時代には、鬱で生きる」という主張をされている。つまり鬱の時代は苦しいからと言って逆らわない。鬱の波に乗って生きてゆけばよいと言われている。どっぷりと鬱の中に入り込んで、鬱を味わって生きていくということだ。そもそも鬱という字は、第一義には、「草木の茂るさま。物事の盛んなさま」を言うらしい。ただ、エネルギーと生命力に溢れているにもかかわらず、時代閉塞の中でそのエネルギーと生命力が発揮できない状態にあるのだ。普通なんとなくモヤモヤしてくる、「気のふさぐこと」ことを鬱と言うがこれは第二義的な意味なんです。だから鬱になる人というのは、無気力な人はならない。鬱は森田でいう生の欲望の強い人がかかりやすいのだと言われている。特に完全主義、完璧主義、目標達成主義、コントロール欲求の強い人、「かくあるべし」の強い人は鬱にかかりやすい。森田理論では、そういう生き方は現実と理想のギャップに苦しみ神経症を発症する原因になると言っている。だから鬱の時代は、好むと好まざるにかかわらず、憂うつな気持ちを抱えたままに生活をするということが基本になる。それを払拭してスッキリしようと悪あがきをしてはならない。そういう時代を受け入れて、不安な時代を味わい、噛みしめながら生きていくということになる。日常の平凡な生活の中に小さな楽しみや喜びを見つけ出していくような生活が時代にマッチしているような気がする。そして肝心なことは、森田理論でいうところの事実本位・物事本位の生活を心がけることが鬱の時代の生き方になると思う。(鬱の力 五木寛之 香山リカ 幻冬舎新書 28ページ引用)
2016.10.22
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集談会に参加して他の人の症状を聞いていたら、自分にもその症状がでてきたといって苦情を言う方がいます。私もそういう経験があります。どもりの人の話を聞いていたら、会社で電話を取ることができなくなったのです。会社名を言う時にどもり出したのです。みんなに電話をとれといわれる前にとらないといけないという思いが強いのですが、どもるために電話がとれないのです。これはつらいことです。そこで行きたくもないのにトイレに駆け込んだりしていました。上司の叱責を恐れてのことです。こうなれば仕事に集中することなんてできません。電話の音にびくびくしているのですから。集談会で相談しました。こんなアドバイスをもらいました。カラオケで歌を歌う時にどもる人はいない。確かにそうです。それはリズムにのっているからだといわれるのです。ですから会社名を言わないといけないということにとりつかれてリズムを失っているのではないか。会社名の前に「おはようございます」とか、「お待たせしました」「お電話ありがとうございます」という言葉をつけたらどうかといわれました。さっそく会社で実行しました。少しうまくゆきだしました。さてここで問題にしたいのは症状が移るということです。これは今まで無意識の領域にあって、ことさら意識していなかったことが、人の話を聞いたことによって、無意識から意識状態にスイッチがオンになったということです。この状態は我々神経質者が常に抱えている問題です。たまたま他人の話がきっかけになっていますが、自分自身で何かのきっかけで意識化してくるということはよくあることです。ですから、他人から移されたといって逆恨みをするのは筋違いというものです。もともと私たちには、心配症でとらわれやすいという特徴があるのです。どんなにか小さなことでもすぐとらわれて不快感、違和感をもちやすいタイプであるという自覚を持つことが大切です。私はこういう性格傾向は決してマイナスばかりではないと思います。心配性という性格は一面であって、その裏にはプラス面がある。人の気がつかないことに敏感に反応する。感性がとても豊かである。つまり創作活動にあたっては欠かせないものを備えているということです。神経質の性格は高性能のレーダーを標準装備しているようなものです。だから見えなくてもいいものが見えてしまう。それを嘆くのはほどほどにして、その鋭い感性を強みとして認識して、いかに活用していくかという方面に力を入れるようにするとよいと思います。
2016.10.21
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一昨日来、「不安」は「生の欲望」とのバランスをとることによって解消されるものであると投稿しました。では自分を苦しめて生活に支障を与えていた「不安」はどのように変化していくものなのかを見ておきたいと思います。不安には手をつけないで、生の欲望の発揮に力を入れて行動・実践していると、それに伴って新しい感情が発生してきます。自然の流れとして、新しい感情の方に意識や注意が向いていくようになります。すると今まで自分を苦しめていた不安や恐怖にばかり関わってはおられない状況が生まれてくるのです。つまり以前の不安や恐怖と関わる時間がしだいに少なくなっていくということになります。言いかえれば、目の前のイヤイヤ仕方なくの行動・実践が、以前の不安や恐怖の感情を押し流してくれているのです。感情の法則にも時間が経過すれば、以前の感情は薄められる。流れていくものだといわれています。行動・実践はそれを強力に後押ししてくれるものなのです。このことは少し考えてみれば誰でも経験されていることだろうと思います。このように生の欲望の発揮に邁進することによって不安そのものがよい意味で変化流動していくということなのです。そうはいっても、神経質性格を持っている人は、不安に圧倒されてしまい容易に手や足が出ないということを聞きます。頭の中で100%納得できないと行動に移すことができないということも聞きます。そういう人は神経質性格そのものを活かして行動することをお勧めします。神経質な人は心配性の人です。裏を返せば他人の気がつかないことも、どんどんと気がつくという優れた性質を持っているということです。人の気がつかない小さな気づきをメモするなどしてキャッチするようにするのです。確実に捕まえておかないと、その気づきはすぐに忘却の彼方へと飛び去ってしまいます。そしてその小さな気づきを活かして、少しずつ行動・実践に移していくということです。たとえば、毎月の集談会にはできるだけ参加する。会員になって経済面で発見会を支える。集談会では苦しんでいる人の話をよく聞いてあげる。自己紹介の内容、体験交流で話す内容を用意してみる。会場作りを手伝ってあげる。お茶を入れてあげる。お菓子を配ってあげる。お茶碗を洗ってあげる。世話係を一つでも引き受けてあげる。これらに一生懸命に取り組むことが生の欲望の発揮につながるものだと思います。これは自分の不安の解消に役立つばかりではなく、人の役に立つ行動でもあります。こういう行動が積み重なっていくと信頼を獲得して、人間関係がよくなっていくと思います。つぎに生の欲望の発揮に邁進していると、不安は次から次へと発生してくるものだという認識も持ってほしいと思います。対人恐怖症の人は、今まで予期不安がある場面はさけてばかりいたのですが、症状が軽くなるとイヤイヤながら人前に出る機会が増えてくるようになります。当然不安の種は増えてくることになります。ところが不安と生の欲望のバランス感覚が身についてくると、不安に対する対応方法が全く違ってきます。以前は不安にとりつかれて、格闘、逃げ回っているうちに精神交互作用で、不安はどんどん膨らんで最後には神経症として固着していました。バランス感覚が体得できると、不安に押しつぶされそうになった時に、生の欲望の発揮に立ち戻ることができるようになるのです。不安の種があると、注射針を刺された時のように一瞬の痛み、恐ろしさはありますが、いつまでも苦しむことはなくなります。つまり不安が坂道を転がる雪だるまのように大きくはならない。また苦しむ時間は格段に短くなってくるのです。これは実は神経症に陥らない普通の人の生き方です。森田療法の不安と欲望のバランス療法は、真の意味で不安との付き合い方を教えてくれているものだと思います。
2016.10.20
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最近は固い話がつづいたので、今日は思い切って視点を変えて見よう。私は生きがい療法の生みの親である倉敷のすばるクリニックの伊丹先生にユーモア小話の作り方について学んだ。話のタネは日ごろからいつも集めている。またネタは忘れないようにすぐにメモしておく。原石のようなものだから大事なのだ。これを組み合わせると、みんなを笑いの輪に包み込むユーモア小話ができるのだ。これはお金がかからない。手軽に楽しめるので最高だ。また意識や注意が内向しないで、外向きになるので神経症の予防効果が高い。最近のネタを紹介しよう。・懇親会の場所を決定するのにホットペッパーをみる。飲み放題3000円の中華料理屋があった。迷わず予約を入れた。中華は自由に注文して食べられる。良心的な価格だ。ビールを浴びるほど飲むぞと思った矢先のこと。よく見ると、ビールを除くとある。そんなのありか。そんなことなら、飲み放題、お冷お代わり自由の方がよほど親切というものだ。・マンションの管理人をしている。小学1年生の男の子が、お母さんが帰ってくるまで管理人室で宿題をしててもよいかという。「うんいいよ。分からなかったら何でも教えてあげるよ」かき取りの宿題をやっていた。突然、おじさん「ふた」という漢字がわからないという。おいおい、「ふた」という漢字はおじさんもすぐには分からないよ。スマホですぐ調べた。「蓋」得意になって教えてあげた。でもこんな字を小学1年生で学ぶのか。ちょっと問題を見せて。「(○○)つのコップ」よかった恥をかかなくて。正解は「二つのコップ」しかし、この子は「二」という漢字がわからなかったのだろうか。気になった。・久しぶりに友だちとスナックへ行った。50歳がらみのホステスさんだった。若手はいないのと聞いてみた。するとそのホステスさん曰く。「25歳のホステスが2人来たと思ってくださいよ」2人も来て接客してくれるのがうれしいが、そういう問題ではないと思った。・よいことをした人は死んだあと「天国」へ行くという。悪いことをした人は「地獄」へいく。では、よいことをしたり悪いことをした人はどこに行くのか。その答えは「中国」に行くです。でも今は「中国」だけは旅行したくないな。・明け方、腹がきりきりと痛む。たまらず救急車を呼んでもらった。ストレッチャに載せられて部屋からエントランスに着いてみると、10人くらいの人が心配そうに見ている。その中に数珠を持って「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ」と手を合わせている人がいる。もう生きてこのマンションには帰ってこられないと思っているのだろうか。腹は痛いし、腹は立つし散々な目に合った。腹痛は尿道結石だった。・友だちから聞いた話。道に迷ってどうしょうかと思っていた時のこと、ちょうどタクシーが来た。タクシーを止めて道を聞いてみた。するとたちまち運転手さんはとても不機嫌になった。つづいて待ち合せ時間に遅れそうだったので、「今何時ですか」と聞いたのが悪かった。「商売の邪魔をするのもいい加減にしろ」と怒鳴られてしまった。納得、納得。・あるお医者さんの話。精神科が神経科と言っていたころの話。神経痛で膝が痛くなったおばあちゃんが我慢できなくなってやってきた。ここはそういう病院ではないといくら説明しても分かってもらえない。バスを乗り継いでやっとたどり着いたのに追い返すのかという。仕方がないので家にあった湿布薬を貼ってあげた。痛くなったらまた来ますと言って帰って行った。
2016.10.19
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昔もらった資料の中に「森田の6原則」という毛筆の書があった。1、 健康な生活をする2、 他のために尽くす3、 事実唯真の立場4、 実践の立場5、 運動観6、 両面観これに当てはめて現在の私の取り組みを振り返ってみた。1、 規則正しい生活をすること。日常茶飯事を丁寧にこなしていくこと。マンションの管理人の仕事をしているので、毎日の生活は規則正しくなっている。土日、祝日以外は同じ時間に同じことをしている。そんな生活の中でささやかな楽しみを見つけられている。日常生活の雑事、雑仕事をこなしていくことに人生の価値を見出している。2、 生活の発見会でできる範囲で世話活動を行っている。このブログで森田の魅力を発信し続けている。また老人ホームの慰問活動を年間30回程度はこなしている。それは今ややりがいになっている。3、 私の心がけているのは、事実をよく観察すること。観察だけにとどめて、いい悪いと価値判断をしないこと。事実は具体的に包み隠さずに話すこと。先入観や決めつけをしないこと。「純な心」や「私メッセージ」の発信を心がける。ここは奥が深いが、ものにすれば「人生の達人」になれると思って取り組んでいる。4、 実践や実行によって、不安や恐怖等の感情は速やかに変化して流れていく体験を積み重ねてきた。対人緊張する場面は数多くあるが、逃げる回数が少なくなり、臨機応変に最低限の人付き合いはできるようになってきた。また馬の合わない人は必ずいる。すべての人に好かれようとは思わなくなった。時と場合に応じて、さまざまな人と付き合ったり離れたりしているのが普通の人間関係だと思うようになった。だから2、3人の親友よりも、薄い人間関係を数多く作ることに力を入れている。5、 以前は変化しないで、同じところにとどまって固まっているのが安定していることだと思っていた。今は周囲の状況や環境に合わせて変化していかないと取り残されてしまうと思うようになった。自分の存在自体が危うくなってしまう。だから将来の変化を予測して、仮に実行してみる。ダメだったら修正して新たな仮説を立てて実行してみる。変化を先取りすることで、自分自身が活性化するし、存在することが許されるのだなと感じるようになってきた。またその変化には波があるということも学んだ。私はいつもその波に逆らわないで、素直に波に身を任せて生きていくことを生活信条にしている。6、 森田はバランス、調和を重んじている。神経症は不安と生の欲望のバランスを回復させることで真の意味で乗り越えることができるのだと思っている。神経症で悩んでいたころは、あまりにもバランスが悪かった。目の前にはヤジロベイをおいている。サーカスの綱渡りを常にイメージしている。
2016.10.18
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森田先生は「人のために尽くせ」とは言われていないように思う。ただ、自分の症状に神経を集中させるのではなく、人の役に立つ人間になりなさいということは言われている。人の役に立つ人間とはどういう人間になることなのかを考えて見た。高級商材を扱う専門店等でお客様に背信行為をすることは会社の存続にかかわる。たとえば、・欠陥商品を売りつけて、人命にかかわる事故を起こす。・価格に比べて品質がよくない。・在庫切れで欲しい商品がない。・電話をかけるとたらい回しされる。または長い時間待たされる。・納得のできる、きちんとした商品説明をしてくれない。・従業員の接客態度がよくない。・店内がきちんと掃除されていなくて汚い。整理整頓がされていない。・駐車場ない。不足している。交通アクセスが不便である。これらはお客様の役に立つどころか嫌悪感をもたらす。あるいはお客様の気持ちを逆なでにして足を引っ張っている。お客様は逃げていくばかりだ。お店としてはお客様の期待以下、期待外のことしか提供できないので、自分で自分の首を絞めているのだ。これらを改善すると、お客様の期待にある程度は応えることができる。・安心、安全で、価格以上のお値打ち商品を提供する。・補償期間が長く、故障などの修理が発生したときに丁寧に対応してくれる。・品薄商品はすぐに補充できる体制を整えている。・従業員が豊富な商品知識を持っており、困ったときは丁寧に対応してくれる。・店内がきれいに清掃されている。整理整頓されている。・駐車場が十分に確保されている。ここまできちんとしたサービスができればお店が繁盛していくように思える。はたしてその通りなのか。お客様は必ずしもそうではない。それらのサービスは当然行わなければならない最低限のサービスだと思っているのである。そういうサービスはどこの店でも力を入れており、差別化はできない。お客さんは鵜の目鷹の目で店同士を比較しているのである。それではお店はどうすればよいのか。他店と差別化できるものを作り実行することだ。お客さんが期待している以上のものを打ち出していく。価格、品ぞろえ、品質、接客、サービス、清掃、駐車場など何でもよい。自分の店の独自性、オリジナリティを打ち出していくことだ。これに成功すれば、お客さんがお店を評価してくれるようになる。自分のファンになってくれるのである。当然リピート率が上がってくる。ここまでいけば末長く生き残っていくことに期待が持てる。しかし人の役に立つという視点に立つとまだ上の段階がある。それはお客様が思ってもみなかったような期待を大きく上回るサービスの提供である。お客様に大きな感動を与えるようなサービスである。うれしくて涙が止まらなくなるようなサービスである。お客様が何かお礼をしたくなるようなサービスである。たとえば命にかかわるような病気やけがを名医が手術して治してしまうようなことがある。患者さんにとっては神様のような人である。感謝してもしきれない。誰でも一生涯感謝し続ける。こうしてみると、人の役に立つということは奥が深い。ポイントはあたりまえのサービスを深耕させることにつきる。私たち神経質者はそういうことを思いつく鋭い感性を持っている。それを活かさない手はないと思うのである。そういう方向でエネルギーを発揮してゆけば、人に感謝される人間になれる。その材料は日茶飯事の中ではいくらでもころがっている。たとえば、会社で急な接待業務が入り、家に帰るのが遅くなることになった。すぐに家に連絡を入れる。連絡を入れないと夕御飯の段取りがくるってしまう。最悪作ったものが無駄になってしまう。さらに家族は帰宅が遅くなって心配する。反対に帰りにケーキやお寿司などお土産を買って帰れば、家族に喜ばれる。集談会では相手の話をよく聞かないで、アドバイスばかりをする人は、あまり好感は持たれない。どちらかというと嫌悪感をもたらし、足を引っ張る段階である。期待以下、あるいは期待外の行動となる。相手の話を親身になって聞いてあげるのは最低限の当たり前の行動である。その先は傾聴、共感、受容の態度を身につけて相手に寄り添ってあげる。こうなれば、期待以上の評価をうけて、ファンになる人が出てくる可能性がある。希望があれば日記指導などをしてあげる。現在生活の発見会の会員になるということは、会を支えという意味でとても人の役に立つ行為である。期待以上の行動となっている。また集談会で自分のできる範囲で世話活動をすることになれば、多くの人に感動のおすそ分けをすることになる。要するに、自分の生活の中で、相手の期待通りのことだけをするのではなく、プラスアルファを付け加えることを意識して実行してみることが肝心なのである。森田では「ものそのものになりきる」という状態になって初めて実現可能となる。
2016.10.17
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有名な心理学の実験に「吊り橋の出会い」というのがあります。ゆらゆらと揺れる危なっかしい吊り橋があって、そこを渡ってきた男性に待ち構えていた女性が話しかけ、自分の連絡先を教えます。今度はがっちりとした丈夫な橋があって、そこを渡ってきた男性に同じ女性が話しかけ、自分の連絡先を教えます。あとでこの女性に何度も連絡してきたのは、みんな吊り橋を渡ってきた男性でした。ドキドキ、ハラハラしているときほど、人は恋に陥りやすいというのが実験の結果、導かれた答えです。(感情革命 和田秀樹 講談社 97ページより引用)この話は、森田理論の精神の緊張と弛緩という学習に通じるところがあります。森田先生は、走っている時は手の動きも前や後ろにいきおいよく振っている。精神状態もこれと同じで、昆虫の触角がピリピリと動くように絶えず四方八方に気を配っている時は、精神が緊張状態にあり、いろんなことによく気が付く。いろんな発見があり、アイデアが湧いてくる。また、試験勉強の時、静かな人里離れた処へ行って勉強すれば随分はかどるだろうと考える。ところが、精神状態は緊張感がなくなり、全くの弛緩状態になる。すると勉強しようという意欲がなくなり、ぼっとして過ごすということにもなりかねない。反対に交通の激しいところや近所で人の話し声が聞こえてくるというような所では、頭で考えると騒音で勉強に集中できないように考えられる。ところが、そういう場所では、精神が緊張モードに入っており、却って勉強がはかどるのである。観念で想像するのとは、全くあべこべになってしまう。神経症で悩んでいる時は、行動や実践は控えて、観念の世界にどっぷりとつかっていることの方が多い。すると外部からの刺激が少なくなり、精神は弛緩状態に陥りやすい。そういう状態では、気づき、発見、アイデアを思いつくということは少なくなる。また、夜も弛緩状態、昼間も弛緩状態では全く生活のリズムというものが作れない。この状態を続けていると気分変調性障害(抑うつ神経症)に陥りやすい。森田理論では昼間は無所住心を勧めている。つまり行動・実践によって、四方八方に精神が躍動している状態である。こうなると、精神の緊張感を高めて、気づき、発見、アイデアなどがたくさんでてくる。しだいにやる気や意欲、モチュベーションが高まってくる。昼間活動的になると、夜は疲れて、早めに心身を休めるようになる。精神の緊張と弛緩のリズムが生まれてきて、好循環が始まるのである。生活のリズム、そしてバランスや調和という森田の考え方は是非とも身につけたいものです。
2016.10.16
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現在マンションの管理人をしている。ある男性の居住者が管理人室に来られて次のように言われた。自分の家の隣の人の集合ポストがいつもパンパンになっている。あれでは郵便屋さんが配達に来ても入らないはずだ。管理人なら中を開けて不要なチラシなどを処分してくれ。こんなことは苦情を言われる前にあなたが当然やるべき仕事ではないのか。管理人業務をきちんとこなしていないのはけしからんと言われた。その人はパンパンになったそのポストを見ていつもイライラしていたと言われる。一方的に、命令口調で指示をされたが、「はい分かりました。すぐに片づけます」とは言えない。個人情報保護に違反するからだ。そうかといって、その人にたいしてそれを盾に自己主張をすると、けんかになる可能性がある。どうしたものかと思案していると、「すぐにやっとけよ」とたたみかけられた。私は無性に腹が立った。というのは、マンションの管理人には守秘義務がある。会社からも集合ポストは管理人が勝手に開けてはならないと言われている。封書が紛失したというような問題が発生すると大変なことになる。すぐに始末書を書かされる。さらに1年に2回そういうことがあると、解雇されるのだ。これは何もマンションの管理人に限らないと思う。どこの会社で最近は守秘義務の順守はとてもうるさく言われているはずだ。外部の人や他の居住者に、ある特定の居住者の名前や勤め先、家族構成、噂話などは軽々しくしゃべってはならないのだ。知っていても知らないことにしておかないといけないのだ。この人は守秘義務については、どう考えているのだろうか。社会的にも世間によく知られた大会社に勤めておられ、さらに役職者でもある。常識的に考えて、守秘義務の順守はよく知っておられるはずだ。知った上でそのようなことを言われるということは、管理者として失格ではないのか。会社でも部下に対して、叱責、指示、強制、批判、脅迫の態度で接しておられるのではないかと思った。こういう場合はどう対応したら良いのか管理会社の担当者に聞いてみた。やはり居住者にそう言われたからと言って、「はいすぐやります」と言ってはいけないと言われた。その上で、そのポストを開けていない人はどういう人なのかと聞かれた。その人は、今は一人身の人で、仕事で家を空けていることが多い人である。それなら、その人の玄関口にメモを入れてくれと言われた。「集合ポストが郵便物やチラシなどでいっぱいになっています。郵便屋さんや宅配業者の人が入らないと言っておられますのでときどき開けて見ていただけませんでしょうか」それで少し様子をみましょう。それでも放置したままだと、今度はその方から許可をもらって会社の方で処理する方向で考えてみましょう。こういうのは守秘義務の例外です。その時は、必ず管理人と会社の人が立ちあいで集合ポストを開けて、必要な封書と広告などのチラシを区分けしてゆきましょう。決して一人で行ってはいけません。誤解を生む元です。なるほど。このようにどうしたらよいのか分からないときは、自分が訳も分からず独断で判断して対応してはならないのだ。しかるべき人に相談して将来に禍根を残さない対応をしなければならないと感じた。苦情を言ってきた人には、次のように言っておればよかった。「確かにパンパンですね。これならイライラされるのも無理はありません。でも私には守秘義務が課せられており、今ただちに集合ポストを勝手には開けられないんです。すぐに管理会社に相談して指示を仰ぎ、どうするかは1両日中に必ずお知らせします。ご心配とご迷惑をおかけいたしますが、しばらくお時間をいただけませんでしょうか」まず事実を認める。そして守秘義務について話す。どうしてよいか分からないので、管理会社と協議する。その結果を早急に連絡する。一人でその苦情を言ってきた居住者に腹を立てて悩むことはなかったのであった。でもとっさの場合は、そのような対応は難しいなとしみじみと感じました。
2016.10.15
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人間の感情にはいろんなものがある。少し整理してみよう。まずはネガティブな感情。不安、心配、恐れ、怯え、イライラ、怒り、罪悪感、嫉妬心、悲しい、憂うつ、不快など。次にポジティブな感情。楽しい、嬉しい、愉快、気持ちがよい、欲しい、食べたい、夢や希望、体を動かしたい、創作活動をしたい、人と分かり合いたい。その他いろんな欲望等など。石原加受子さんの自分中心の生き方というのは、ポジティブな感情が湧き起った時、その気持ちを素直に受け入れて、自分の感情中心に行動することの大切さを言われている。ところが普通はその気持ちを思考や言葉で押さえつけている。たとえば有給休暇を取って旅行に行って、温泉に入り美味しいものを食べたいという欲望が起きたとします。でも会社ではノルマが果たせないで、毎月未達になっている。ましてや同僚の中に葬儀以外で有給休暇を取る人はいない。自分の娯楽で休暇申請するのはわがままではないのか。罪悪感を感じて有給休暇の申請を取りやめてしまう。これは他人の思惑を気にして、他者中心の生き方になっている。そこでは自分の気持ちや感情を抑圧しているので、何かもやもやとして、心に葛藤が起きてくる。そして苦しくなる。思うようにならずに、投げやりになって、すべてを放りだしてしまったりする。対人関係で苦しい人は、そのように自分を押さえつけてしまうことに問題があるといわれている。これは森田理論でいうと、自分を「かくあるべし」で縛り上げていることだと思う。「かくあるべし」というのは、今まで受けてきた教育、規範、観念、常識、ルール等という物差しで現実、現状、事実を否定していく。事実を観念の世界に引き上げようと、悪あがきを仕掛けているのである。でもなかなか、現実を理想の状態に引き上げられない。そのジレンマに四苦八苦して、精神的にも肉体的にも苦しんでいるのである。石原さんの自分中心の生き方と森田理論の「事実本位・物事本位」の考え方は同じことだと思う。森田理論には、それ以外に不安、恐怖、不快感、違和感に対しての取り扱い方法を説明している。石原さんの自分中心の生き方には、そういう説明に重点は置かれていない。自分の気持ちや欲望に対して、素直な生き方に絞って説明されているように感じる。つまり他人中心の生き方を止めて、自分中心に生きていくことを提唱されているのである。しかしながら、神経症に陥っている人は、不安、恐怖、不快感、違和感と常に格闘している。それらを取り除こうと自分のエネルギーの大半をそこに集中さている。その時自分の気持ちや欲望は蚊帳の外に放置されている。だから森田理論では、自分中心の生き方を目指していく前になすべきことが他にある。不安、恐怖、不快感、違和感に対しての考え方や行動には問題がないのかどうか。さらに不安の特徴や役割。精神交互作用と症状の固定の関係。欲望と不安の関係。生の欲望と不安のバランスのとれた生活とは何か。それらをまず森田理論学習で深めていく。それらがよくわかった時点で、石原さんの言われる、自分中心の生き方への学習へと駒を進めるのが順序ではないのかと考える。つまり森田理論学習でいうと、思想の矛盾(理想と現実の解離による精神的な葛藤)の打破に取り組んでいくのである。そうでないと精神交互作用は解消できないのではないかと考える。
2016.10.14
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諸富祥彦氏は「人生を半分あきらめて生きる」(幻冬舎新書)という本の中で、「脱同一化」について説明されている。これは一言でいえば、自分を否定する気持ちをただそのまま、認めて、眺めるということだそうだ。この方法は、元々、仏教の瞑想法、特にベトナム禅のマインドフルネス瞑想から生まれたものだといわれている。自分の中から生まれてくるすべての想念に対して、それがどんなものであれ、すべて「ただ、そのまま、認めて、眺める」姿勢を持ち続けることで、どんなにつらく激しい気持ちであれ、それは自分とイコールではなく、自分の一部でしかないことを自覚的に体得していく方法です。たとえば、「こんな私じゃ、だめ」「こんな私は、嫌い」という思いが湧いてきたら、「そうなんだね。わかったよ」とただそのまま、認めて、眺める。そう言われて、「こんな嫌な自分のことを認めるなんて、できない」という気持ちが湧いてきたら、その気持ちも、「そうなんだね。わかったよ」と、ただそのまま認めて眺める。こうやって、どんな自分が出てきても、「ただそのまま、認めて、眺める」のをたびたびひたすら繰返していると、このような落ち込む気持ちと、それを眺めている自分とは別であること(脱同一化)、それを眺めている自分こそ自分であり、落ち込んだ気持ちはどれほど強烈であれ、それは自分のごく一部にすぎないことがジワーッと自覚されてきます。すると、自分の気持ちと自分自身の間に自ずと「距離」(空間・スペース)が生まれてくるのです。これは腹立ち、イライラ、不安、恐怖、違和感、不快感などの感情の対応法の一つとして考えられたものだと思う。そういうイヤな感情を客観的に見て、距離を置いて眺めるということでしょうか。森田理論ではそれらは自然現象である。自然現象は人間の意思の自由は効かない。自然現象はそのままに受け入れる。好むと好まざるにかかわらずそれしか対応方法はないといいます。そんなことをしたら、押しつぶされることになるのではないかという強烈な不安が襲ってきます。それに対しては、すべての自然現象には必ず流れと動きがある。じっと留まっていればそれらに押しつぶされてしまうでしょう。でも動きと流れがあれば、次第に薄まってゆき、無意識の領域に押しやられてしまう。そのことは、たとえば方丈記で鴨長明が見事に説明している。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」客観視するというのは観念では理解できますが、実行は難しいのではないでしょうか。不安や不快感などに対しては、やりくりだけはしないという強い意志を持って、時間が経過するのを待つ。というのがよいのかなと思います。その間やるべきことはいくらでもあるわけですから、不安や不快感を抱えたまま、それらに取り組んでいく。という森田理論はスッキリと納得ができるように思います。
2016.10.13
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私は集談会のプログラムに「生活森田・応用森田」のコーナーを設けてはどうかと思っている。森田理論学習では「不安には手をつけないで、尻軽く行動するように」といわれます。この言葉は耳にたこができるくらい聞いておられることと思います。ところが、実際に行動、実践、実行の具体的な話を詳しく聞くことは少ない。また、目の当たりにすることはほとんどありません。これは下手をすると、観念上の理論の空回りになる可能性があります。絵にかいた餅を食べようとする行為に似ています。神経質性格を持っている人は、生の欲望が強く、好奇心が旺盛です。人のやっていることを実際に見ているうちに刺激を受けて、自分も同じことをやり始めという経験がある人もおられると思います。私は現在アルトサックスで老人ホームの慰問活動をしています。それを見て生活の発見会で2人、友だちの中でも新たにサックスやクラリネットを始める人が出てきました。そのうち一人はソプラノサックスです。第2のケニーGを目指しています。その人に移調の仕方を教えたところ、自由自在に編曲ができるようになった人もいます。実際にその人たちの生活の幅が大きく広がってきたのです。また、私自身も慰問活動の中で様々な芸を身につけている人と知り合いになりました。手品師、落語家、三味線、ウクレレ漫談、腹話術、南京玉すだれ、フラダンス、傘踊り、ささら踊り、どじょうすくい、奉納獅子舞、高知のしばてん踊り、日本舞踊、浪曲奇術等です。私はその人たちに教えを請い、楽器演奏のほか、浪曲奇術、獅子舞、どじょうすくいを自分の持ち芸として老人ホームで披露できるようになりました。そうした活動の副産物として、貴重な人間関係を作りあげることができました。それではどのように集談会のプログラムに取り入れたらよいのでしょうか。集談会で、15分程度の時間をとって行う。それ以上は他のプログラムに支障がでるかもしれない。また毎月することが望ましいが、2か月に1回とか、年に4回とかでもかまわない。持ち回りで多くの人に発表の機会を与えることが大切です。発表者は具体的にみんなに分かるように紹介する。そのためには、実物を持ってきて説明する。特に陶芸や写真、絵画などは現物を持参してみてもらう。楽器や歌などは実際に実演を行う。無理ならテープなどに吹き込んだものを聞いてもらう。コツはもうちょっと詳しく聞きたいなというあたりでとどめておく。次にテーマは下記を参考にして自由に選ぶ。1、自分の趣味や習い事の紹介。スポーツ、楽器演奏や踊りの披露や紹介。特技、旅行の話。お得なイベント、コンサート、買い物情報の紹介。2、森田理論を応用した生活実践の話。普段の日常生活の楽しみ方。趣味の棚卸の話。健康面で特に気をつけていること。毎日実践している事。得意な料理や食事で気をつけていること。家庭菜園や庭の手入れ、犬や猫などのぺットとの付き合い方。家族や友人、隣人たちとの付き合い方。ソバ打ち体験、燻製作り、ワイン作り、木工等の日曜大工。3、普段あまり体験する機会のないことを実際に体験してみる。たとえばみんなで絵を描く体験。折り紙体験。似顔絵を描く。イラストを描く。川柳、ユーモア小話作り体験と発表。ちょっとしたスマホやパソコンの使い方。デジカメ画像の整理の仕方。4、 事実を具体的に詳しく話す体験。たとえばテレビドラマ、気に入った映画、役に立った本をみんなに分かりやすく説明してみる。森田関連の自分の気に入った本の内容の紹介を具体的にする。5、自分の心がけている、物の性を尽くす実践例。自分、他人、持ち物、お金、時間など最大限に活かす工夫例の発表。管理職にある人の部下の能力の引き出し方、自家用車などの点検や整備の仕方。家計簿の付け方。1日の時間の使い方。こま切れ時間の活用方法。7、自分の夢や目標。課題等将来挑戦してみたいと思っていることを発表する。私の参加している集談会で23年12月から26年4月まで続けたことがある。内容は次のようなものだった。・朗読ボランティアの紹介・フルートの説明と演奏・サックスという楽器の説明と実演・キーボードの演奏・しばてん踊りの披露・カラオケとの付き合い方・川柳の発表会・私メッセージの体験学習・陶芸の楽しみ方・犬との付き合い方・私の一番大切にしているもの・ストレスと病気の関係 自律神経と病気の関係・チンドン屋としての慰問活動・お勧めのテレビ番組情報・ウォーキングと体操・アナウンサーのボイストレーニング・折り紙体験 鶴を折る・水彩画体験・本の紹介 岩田真理 「流れと動きの森田療法」・ユーモア小話の作り方・私の得意としている事・最近とてもうれしかったこと・集談会独自のテキストの利用の仕方・金魚の飼い方
2016.10.12
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2016年10月号の生活の発見誌の学習会シリーズ「行動の原則」もよい記事だった。心というものは、目の前のちょっとした状況の変化に伴い、変わるものだ、単に、変わるだけでなく、新しい状況によく溶け込むものだ。行動は、単にその行動の目的を達成させるだけではなく、間接的に、感情や心を動かす手段にもなる。その例として「幼児の公園でのエピソード」(今泣いたカラスが、もう笑った)を紹介されている。幼児と母親が、砂場で遊んでいた。幼児は砂場が大好きで、満面の笑みで、はしゃぎまわっていた。突然、転んで、顔面砂だらけになった。そして大声で、泣き出した。それに母親が気付き、子どもに駆け寄り抱き上げ、怪我の様子を確認したところ、幸い傷もなく大丈夫のようだったので、子どもを抱きあげ「大丈夫だからもう泣かないで」とあやしたが、子どもは泣き止まなかった。母親が途方に暮れている時、急に子どもがご機嫌な声で「わんわんだ」と叫んだ。母親が子供の指さす方を見ると、近所の人が犬の散歩で通りかかっていた。それを見つけて、犬が大好きな子供は大はしゃぎをしたのである。今まで大泣きをしていたのに一瞬にして満面の笑みに変わったのである。これが本来の心の変化なのです。神経症で苦しんでいる人は、不安、恐怖、不快感、違和感は永遠に続いていくと思っている。そういう状態は無視できない。手をこまねいて放置できない。だからなんとしても取り除こうとする。でもうまくゆかない。どんどん状況は悪化していく。対応が間違っているから改善できないのだ。楽になるためには、対症療法よりも、急がば回れの道を選ぶことだ。エピソードのように実践や行動によってイヤな感情を速やかに変化させ、希薄化させてしまう方法をとるべきなのだ。基本的には不安等に対してはこれが唯一正しい対処法となる。イソップ物語に北風と太陽の話がある。冬の寒い日に旅人がしっかりとコートを着ている。北風は自分のありったけの力でコートを脱がそうとするが、旅人はいつまでも抵抗していくだけで失敗に終わる。次に太陽が出てきて燦々と温かい光を注いだ。すると今まで頑強だった旅人はいとも簡単にコートを脱いだ。森田理論学習では最初にこのことを学習するのだが、いつまでも不安に振り回されているというのは、体得されているわけではないのだと思う。
2016.10.11
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現在100歳を超えている人は6万人を超えているそうだ。100歳以上の人達だけで一つの市ができる。100歳以上の老人は今後まだまだ増えていくだろう。近い将来30万人から50万人までは達するという人もいる。老人ホームの慰問活動をしていて感じることは、80代から100歳にかけて老人ホームにいる人は圧倒的に女性が多い。その比率は8割を超えている。どこの老人ホームもそうだ。それを裏付けるかのように、現在日本の女性の平均寿命は86.8歳。男性は80.5歳と6歳も水をあけられている。特に100歳以上に女性の占める割合は9割以上にも及ぶ。その原因は何か。その差は、若いころから古い血液を捨てて、新しい血液に切り替えてきたからだいう人がいる。常に血液が若々しくなっているのだ。なるほど。説得力がある。でもそれだけではなさそうだ。ある女性長寿者は、その秘訣は「しっかり食べて、最低8時間は寝ること。それから、ゆっくり暮らすこと」と語っている。食べるのは、偏食しないで、いろんなものを腹8分目がよいそうだ。そして身の回りのことを自分できちんとこなし、楽しみながら生活しているという。また100歳以上の高齢者は、人生を通じて良い精神状態にあったことがわかっている。心理的対応力が優れているといえる。研究から、好奇心旺盛で、強い意志の持ち主は平均より長生きすることがわかっている。このことは今月号の生活の発見誌にも書いてある。長寿の女性に共通している性格は活動的で社交性があり、依存心が少ない。また置かれた環境を素直に受け入れることも大切で、厳しい状況にも適応できる柔軟さがある。男性は好奇心が旺盛な人が多い。107歳でテレビゲームに夢中になっている人もいる。また、人生の目標に向かって進んでいる人も長寿につながっている。このことをサムエル・ウルマンは「青春の詩」で次のように述べています。年を重ねるだけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが,情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑や,不安,恐怖,失望,こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ,精気ある魂をも 芥に帰せしめてしまう。目的、目標、夢、課題等を持って生活することが、前頭葉を若々しく保ち、生命力を活性化させて、長生きにつながっているかということだ。神経質者は好奇心が旺盛であるのでこの点多いに希望が持てる。認知症などにもかからないのではなかろうか。中学生や高校生の頃、1学年でも違うと異次元の人のように感じていた。ところが今は、40代から80代ぐらいまではあまり差はないように思うようになった。精神年齢が若々しい人もいれば、実際の歳よりも老けて見える人がいる。それは夢や希望、課題や目標の有無によるものかもしれない。
2016.10.10
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怒りの感情を爆発させずに押さえつけた。我慢した、耐えた。その結果相手と気まずい関係にならずに済んだ。でもこれが生活習慣となってしまうと、よかった、よかったと喜んではおられません。なぜなら、しだいに怒りの感情は沸き起こらなくなるのです。つまり感性が退化してくるのです。感性は、怒りのようなマイナス感情だけではありません。楽しさ、嬉しさ、喜び、感動を味わうといったプラスの感情もあります。それらが全体的に同時に退化してくるのです。これらの感情中枢は扁桃体にあるといわれています。しだいに扁桃体が機能不全に陥ってしまうのです。脳細胞が機能しなくなると再生することはありません。廃用性萎縮現象が引き起こされるのです。特に10歳から12歳の頃の第2回目のシナプスの刈り込みが行われた後は大変なことが起きます。無気力、無感動、無関心な人間が出来上がってしまうのです。あとからこれはまずいと気が付いて修復できるものではないのです。だから感情は基本的には適度に吐き出してやることが必要です。ため込む、蓄積していくことは避けなければいけません。それが感情に対する正しい対応方法です。怒りを吐き出すことなくため込んでいると、その正体が分からなくなり、漠然とした不快感として体内に蓄積されてしまいます。イライラしてきて、自分が何に対して怒っているのか訳が分からなくなってくるのです。嫉妬、羨望、軽蔑、偏見、被害妄想、劣等感、恐怖心、怯えなどと結びついて体の中を駆け巡っているような状態となります。ですから怒り、腹立たしさの感情は自分の体から外に出してやることが大切です。一番いいのは口に出して吐き出す。次には紙に書いて吐き出す。これをまず心しておくことです。吐き出し方は注意が必要です。これも森田理論が教えてくれています。(怒る技術 中島義道 PHP参照)
2016.10.09
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私は対人恐怖症です。DSM(アメリカ精神医学会)の回避性人格障害がぴったりと当てはまります。症状の発生と克服については、私の場合、愛着障害の分析が一つの鍵を握っていることが分かりました。愛着障害診断テストを行ったところ、強い不安型愛着障害、恐れ・回避型愛着障害に該当していることが分かりました。人間関係の持ち方に、強烈な恐れや怯えがつきまとうのは、強い愛着障害があるということがわかったのです。これは森田理論学習を進めるうえで一つの転機をもたらしました。愛着の形成は、簡単に言うと、生後6カ月からから1歳6カ月までの間に、特に母親との接触によって形作られる。この間に愛着形成が行われないと、その人はその後の人生において、極度の人間不信等に陥り、他人の思惑ばかりを気にして生活するようになる。私が小学生の時から人の思惑が気になり、神経が休まることがなかったのは、まさに愛着形成の不完全が原因だったと思うのです。小さいころから対人恐怖が強いために、人を避けることが多かったと思います。一人で過ごすことが多かった。友だちの遊びの輪の中に入り、もまれながら育ったという経験が極端に少ない。経験不足、社会体験不足で成長していったのです。対人関係で失敗することは少なかったのですが、大人になって対人関係の距離感が全く取れない。人の思惑を気にして、右往左往していました。とくに社会人になってからは、頭の中は対人関係のことばかりで、まともに仕事ができない。嫌な場面はぎりぎりまで我慢しているが、いったん我慢の限界を超えると破れかぶれな行動をとってしまう。対人不安で押しつぶされそうになりながら、苦しくて憂うつな毎日を送っていたのです。不安に翻弄されて、森田でいう「生の欲望の発揮」に活路を見出す等ということは、当時は全く考えられなかったのです。行動上の悪循環が精神の緊張を強めて、精神交互作用で神経症まっしぐらだったと思います。そして観念上の悪循環がそれに輪をかけて不安を増悪させていたと思います。「かくあるべし」の肥大化、完全主義、過度なコントロール欲求、認識の誤りなどが追い打ちをかけて自分を苦しめていたのです。こうなると糸がぐちゃぐちゃに絡まったような状態になって、もはや自分一人ではどうすることもできなかったのです。このような状態で精神科にかかりながら、藁をもすがる思いで集談会に参加し始めました。最初の頃は1ヶ月に1回の集談会では、とてもまともに生活してゆけませんでした。入院森田が適切だったのかもしれませんが、家族の生活がかかっており、入院森田は考えもしませんでした。その当時ある会員の方が土曜日に読書会をされていました。森田の勉強をしたり、個人相談にのったりされていました。最初の1年ぐらいは毎週顔を出していました。森田理論学習はしていましたがよく覚えていません。そのかわり、自分の症状や愚痴をよく聞いてもらいました。これが大変有効だったのです。たまには大型スピーカーからクラッシック音楽を聞かせてもらいました。アドバイスはあまりありませんでしたが、しゃべることで心の苦しみが軽くなったのを覚えています。自分の苦しみを批判もしないでじっと聞いてくれる人がいる。感謝してもしきれません。この方は私の心の安全基地の役割を果たしてくださっていたのだと思います。今考えると、私の苦しみの原因である愛着障害は、このような形でしか癒すことはできなかったのではないかと思います。心の安全基地作りが森田理論学習に優先して必要なことだった。私にとって人とタイミングに恵まれていたのです。その後、少しずつ森田理論学習を進めていくという段階を踏んでいたことがよかったと思うのです。玉ねぎの薄皮を剥ぐように徐々によくなっていった。振り返って今思うことは、愛着障害の人は最初のうちは森田理論学習なんてどうでもよいことなのではないか。人間が恐ろしくて、怯えまくっているのですから、そちらの手当てをすることの方がまずは必要なのではないか。集談会のなかに心の安全基地を作ってあげることが何よりも優先されなくてはならないと思う。今の集談会には、はたしてそういう認識があるのだろうか。少なくとも愛着障害がネックになって、対人恐怖症を発症しておられる人もいるという共通認識は必要だと思う。そうしないと最初から間違った対応になる可能性があるのである。最初から森田、森田と言っていると、自己満足に終わり、会員は増えないのではないか。集談会の中に心の安全基地を作るという目標があってもいいのではないか。私も力不足ながらそういう役割を担っていこうと思っている。苦しい人は、1週間に1回ぐらい話を聞いてもらいたいという人もおられるだろう。こうなると現状集談会では対応できないかもしれない。これはカウンセラーの役割になるかもしれない。ただ週1回1名ぐらい、15分から30分以内の電話対応ぐらいだったらできるかもしれないと個人的には思っている。無理のない範囲でないと長続きしない。その他、今はメールで日記指導はできる。数名ぐらいなら、1週間ぐらいの日記をメールで送ってもらい、コメントをつけて返してあげることは可能だ。ここでは森田理論学習そのものよりも、傾聴、共感、受容が重要になる。いずれにしろ、愛着障害を抱えた人に対して集談会として、どう対応するのかという議論は必要不可欠ではないだろうか。対応方法、仕組み作りを早急に整備したいものだ。森田理論学習は心の安全基地を作りあげたうえで、焦らずにゆっくりと始めればよいことなのだと思う。
2016.10.08
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森田先生はことさら「純な心」の重要性を説かれています。「純な心」は森田先生の造語で大変難解な言葉です。「形外先生言行録」の片岡武雄さんの話から考えてみましょう。田代さんがウサギの世話をしておられた。ウサギに餌をやりに小屋に入ったとき、突然猛犬が飛び込み、一頭のウサギをくわえて逃げ出し、噛み殺してしまった事件があった。田代さんは、「これはまずい。先生にひどく叱られる。なんとか叱られないようにしたい」と思われた。とっさに「これは入口の作り方が悪いからこんなことになってしまった」と弁解された。森田先生は途端にそこに居合わせた私たちもびっくりするほどのお叱りになった。森田先生は謝りに来た田代さんに次のように説明されている。「君はウサギが噛み殺された瞬間、何を感じたのかね。一瞬、身震いするような、目を覆いたくなるような、そして可哀想なことをしてしまった、という気持ちになったのではないかね。それが「純な心」なんだよ」森田先生は、最初に瞬間的に起こった、「可哀想なことをした」という感情を重視しておられるのです。この感情は最初に起こった感情、直感、初一念とも言います。初一念には、イライラする、腹が立つ、絶望的な気持ちになる、悲しい、つらい、苦しい、怒り、恨み、憎しみ、不安、心配する、落ち込み、欲望、うれしい、楽しい、幸せ、気持ちいい、楽な気分、すがすがしい、さわやか、安心する、ほっとするなど様々あります。森田先生はここから出発して行動しないと、思想の矛盾で苦しむようになるといわれているのです。心地よい行動は積極的に表に出して相手に伝える。特に問題にはならない。ネガティブなマイナス感情は、しばらく持ちこたえて、目の前のことに取り組んでいると速やかに流れていく。安易に口に出さない。行動しない方がよい。さらに肝心なことは、初一念に続いて湧き起ってくる、初二念、初三念に基づいての行動は決してしてはならないということだ。基本的には無視することである。森田先生はここを強調したいのだ。初二念、初三念は心ここにあらずという状態を招く。ウサギの話では噛み殺されたウサギの気持ちを思いやる等という考えは頭から消えてしまっている。その時の意識や注意は自己弁護、自己保身、他者攻撃、他者への責任転嫁に向いている。ここから出発すると、意識や注意が目の前に起こった出来事から離れて、自分の頭の中でいかようにもやりくりするようになる。その結果次から次へと問題が出てきます。初二念、初三念というのは動物にはあり得ません。人間だけに発生するものです。動物は目の前の出来ごとだけに対処して、どうにもならなければ素直に事実を受け入れています。だから心の葛藤はありません。人間は言葉を使って思索します。これが人間の人間たるゆえんです。ところがそちらを優先して、事実、現実、現状を自分の都合のよいようにねじ曲げようとすると、なかなか思うようにはまいりません。大変なことになります。つまり思想の矛盾で苦しむようになります。人間は生まれてこの方、教育、知識、智恵、常識、経験、体験、道徳、規範、「かくあるべし」などが大量に蓄積されています。これらはある程度は役に立っています。しかし、それらを過信して、モノサシとして利用して、現状を否定しているとたちまち神経症の苦しみが出てきます。森田先生はそれらを抑えて、基本的には事実に素直に従っていくのが、本来の人間の生き方ですよと教えてくれているのではないでしょうか。森田理論学習では、あなたは「かくあるべし」に力を入れて現実を変革する道を選んでいくのですか。それとも基本の生活スタイルとして、事実を受け入れて、事実に素直に従う道に転換していく道に踏み出してゆきますか。人生へ立ち向かう態度として、この2つの道の選択を迫られているような気がします。
2016.10.07
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生活の発見誌2016年10月号の「傾聴を集談会に応用」という記事はとても参考になった。特に、共感したところは次のところです。「初心者に対して最初から言っていることを批判したり、指導したりすることは避け、信頼関係を得ることに主眼をおいた対応が必要となります。その上で、現在行われている集談会は、森田先生のような信頼関係が築けていない段階で指導やアドバイスのみを取り上げて再教育を実施している集談会が多いように思われます」全くその通りだと思います。いきなり森田理論学習を始める前に、ラポート(信頼関係)の形成が不可欠であるということは当然のことです。特にボウルビィのいう愛着障害を抱えている人にとっては、批判、指導、アドバイスが先行するようでは、決してその先に進むことはできない。森田理論学習適応者が集談会に寄りつかなくなるのである。心の安全基地づくりが優先されなければ、森田理論を悩める相手に届けることはできない。つまり生活の発見会という自助組織には、「受容、共感、傾聴」という土台となるベースがきちんと共通認識として整備されていないとダメだということだ。そうでないと砂の上に強固な建物を建てようとするようなものになる。いくら森田理論が優れているといっても、多くの人が評価してくれて、集まってくれないと意味がない。この提言ではロジャーズの来談者中心療法の手法がいろいろと述べられていた。いろいろと網羅的に述べられていたが、私としては、焦点をいくつかに絞って検討していくことをお勧めしたい。その他は無視してよいと言っているのではない。いろいろと手がけるよりも集中した方が、効果があると言っているのである。私はこの中で特に重要なのは、「言い変え」、つまり繰り返し話法であると思う。相手の話を自分なりの言葉に変えて相手に投げ返す技法である。これを心がけると、相手のことを批判したり、指導したり、アドバイスするということは少なくなると思う。なぜならこの技法は、相手に寄り添って傾聴していくことを目的としているからである。ちなみに繰り返し話法には、感情に焦点を当てた繰り返し話法と事柄に焦点をあてた繰り返し話法の2つがある。本文で、「言い変え」「感情への応答」「事柄への応答」として説明されているところである。この部分をよく読んでほしい。66ページから68ページの部分だ。次に来談者中心療法には、感情の反射、明確化、要約、支持などへの取り組みがあるが、まずはこの繰り返し話法が初心者に対してきちんと行われているのかどうかがとても重要であると考えています。注意点としては、そのことの重大性に気のついた人だけが、そういう意識を持って取り組んでいても効果はない。集談会には、幹事や世話人、中間層、ベテランと言われる先輩会員等がおられます。その人たちがベクトルを合わせて、同じ方向で初心者対応ができているかどうかが問題である。そのためにはそういう人たちに対する繰り返し話法の学習が不可欠である。またこれは全国の集談会がその方向でまとまっていることが会の存続上大切である。この対応は特に体験交流の場で問題となりやすい。だから体験交流が、繰り返し話法に沿った会話がなされているかどうかをチェックしていく必要がある。体験交流は4名とか5名の小グループでなされていることが多いと思う。全部のグループがその方向性を共有化しているかどうか。多くの集談会では幹事会なるものが行われていると思う。その時に前月の集談会の体験交流で、初心者のことを批判したり、質問されてもいないのに、指導したり、アドバイスをしてはいなかったかどうか。そして繰り返し話法を使った会話がなされていたかどうか検証してみることである。建物でいえば基礎がきちんと固められたうえで、森田理論学習が行われているということが何よりも大切であると考える。
2016.10.06
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行動できない人の特徴を考えてみました。不安を抱えたまま行動すると、そちらに引っ張られて間違いだらけになるのではないか。失敗が重なるとショックが大きく立ちあがれなくなるではないかという人もいます。そんな時どう責任をとってくれるのかという。だれも責任をとってくれないのなら何もしないで傍観していていたほうが気分的に楽だという。本当に何もしないことで気が楽になるでしょうか。仕事から逃げて喫茶店、図書館、公園等でさぼってばかりではたして気が休まるのでしょうか。営業成績が上がらず上司や同僚からは軽蔑され、さぼっていても時間をどうつぶそうかと考えている限り精神的にはとても不安定です。そういう考えだと、生きていくこと自体が苦痛になってしまうと思います。そして人生に絶望してしまうことになりかねません。もったいない生き方です。このように、私たちは、最初からうまくいくかどうかわからないようなものには手を出さないほうが無難であると考えているのです。不快な気分を味わいたくないからである。頭の中で確実に出来るはずだという確信を得たいのだと思う。でもこの世の中で100%将来を予想することができるだろうか。こういう考え方だと、行動していてあらかじめ立てた予測と違うとすぐに挫折して、もう二度と挑戦しないということにもなりかねない。「ダメでもともと、うまくいけば儲けもの」という気持ちで尻軽く行動してみるということが必要なのではなかろうか。行動するということは、結果がプラスになるということばかりではない。プラスと同じくらいマイナス面もある。メリットもあればデメリットもあるように思う。成功するのも半分、失敗する確率も半分と心得る必要がある。何が何でも行動するからには100%達成というのは自分を苦しめるもとである。オリンピックでもどこかの国のようにメダルなしで国に帰ることができないというプレッシャーがあると、金縛りにあったようになり普段の力が発揮できない。練習は120%の状態に持ってゆき、本番では神さまがどう微笑むか見届けてやろうという心境で取り組むと肩の力が抜けるのではないかと思う。つぎに動かない人はどうせ動くならすべてを完璧にしなければならないと考えている。野球でいえば10回打席に立てば10回ともヒットを打たなければ承知しないという考え方をしている。野球は10回のうち3回ヒットを打てれば一流打者といわれている。つまり7回は凡打を打って失敗をしているのです。私たちは極端にミスや失敗を恐れている。完全欲が強すぎて手も足も出ないのです。一つも行動しないで頭の中でああでもない、こうでもないと堂々巡りを繰り返しているのです。日本一の車のセールスマンの本を読むと、一番多くのきつい断りの言葉を浴び続けている。自尊心を傷つけられるような冷淡な断り文句を浴び続けても、仕事に立ち向かっていく人たちが最後にはトップセールスマンになれるという。飛び込み営業で、新規開拓をすると平均100件当たり1件ぐらいの見込み客しか獲得できないという。99人にはすべて断られる。その屈辱に耐えて訪問件数をあげていく人がトップセールスマンとして会社から表彰されるそうだ。振り返ってみると、私たちはただの1回のミスや失敗も許せないのだ。あまりにも完全主義、完璧主義に偏っている。失敗を恐れて行動しないのだから、失敗から学ぶという体験ができない。数多くの失敗の経験は大変貴重な財産だと思う。それらの支えがあって最終的に一つの成功へとつながっているのではなかろうか。動かない人は、常に観念上の正しい答え求めてさまよっているのである。行動しながら、間違いを軌道修正して目標を達成するという考え方に乏しい。軌道修正して考え方や行動を見直すことができないので、ちょっとしたつまずきで、簡単に挫折して立ちあがれないほどの痛手を受けてしまうのだと思う。人生3000回の失敗を積み重ねて普通の大人になるのだと聞いたことがある。我々は1回の失敗も許容できないのだから、大人になって躓くのは目に見えている。
2016.10.05
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末期がんの全人的な治療に取り組むホリスティック医療の大家、帯津良一先生は、「死ぬときに安らかに死んでいける人」の特徴を次のように語られている。「それは、自分の人生で、し残したことがないかどうかです。やるべきこと、やりたいと思うことをやりきったと思える人は、とても安らかに死を迎えるように思えます」目標や課題のない人生、やりたいという意欲の持てない人生は多くの先人たちの言っているように、残念な一生というほかありません。ではとりあえずどうしたらよいのでしょう。マヒナスターズの「お座敷小唄」の替歌で、「ボケます音頭」「ボケない音頭」というのがあります。この歌をYou Tubeの伴奏に合わせて高らかに歌ってみるというのはどうでしょうか。またカラオケで歌詞を配布して、数名で一緒に歌えば盛り上がります。この歌はお年寄りの応援歌のような気がしております。「ボケます音頭」何もしないで ぼんやりとテレビばかりを見ていると呑気なようでも歳をとりいつか知らずに ボケますよ仲間がいないで 一人だけいつもすることない人は夢も希望も逃げていく年もとらずに ボケますよお酒も旅行も 嫌いです歌も踊りも大嫌いお金とストレス貯める人人の二倍も ボケますよ「ボケない音頭」風邪もひかずに 転ばずに笑い忘れず聞く話す頭と足腰使う人元気ある人 ボケませんスポーツ カラオケ 囲碁 俳句趣味のある人 味もある異性に関心 持ちながら色気ある人 ボケません歳をとっても 白髪でもシワが増えても 気が若い演歌歌って アンコール生きがいある人 ボケません
2016.10.04
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イチロー選手はオリックス時代振り子打法だった。バットを長く持った姿勢で悠然と構え、ボール球であろうと、打てるエリアは打ちにいこうとするスタイルです。イチローは打てるゾーンが格段に広い。アウトローに落ちるボール球でもきっちりとレフトに打てるし、極端にいえば、ワンバウンド投球でもミートできる。だから彼はそういうリズムを崩したくなかった。ところが当時の土井正三監督や山内一弘コーチには受け入れなれなかった。土井監督は巨人のV9時代のレギュラー選手でした。山内コーチは打撃の職人といわれていた。それだけに、自分の成功したイメージを強く持っており、そのスタイルを選手に教え込めば選手の能力は大きく花開くと自信を持っておられました。そこでイチロー選手にはバットを短く持って、ボールをよく見て、コンパクトに当てることを要求しました。しかしイチロー選手はそれを拒みました。そのために二軍暮らしを余儀なくされました。たまに1軍に呼ばれても、何か少しでもミスをすると、決して悪い成績ではないにもかかわらず、下に落とされていた。そのイチロー選手は仰木監督に変わってすぐに大きく花開きました。仰木監督はイチローの振り子打法を否定せず、イチローの野球センスそのものを評価して1軍で使い続けた。「黒い猫も白い猫もネズミを獲る猫がよい猫だ」という考え方です。結果は210本ものヒットを打ったのである。(コーチ論 織田淳太郎 光文社新書参照)イチローはしっかりした自分のスタイルを持っており、意思が強かったので自分を押し通すことができたのだと思う。普通監督は現役時代の華々しい経歴を引っ提げて「自分の言うようにするとプロで飯が食えるようになる。自分の指導に従えば試合で使ってあげる」等と指導する。そう言われれば誰でもホイホイと付いていく。その結果戦力外選手になると分かっていても反対はできないだろう。これは集談会でも同じことが言える。集談会で症状を克服した人ほど、苦しんでいる人を見るとなんとか神経症の苦しみを取り除いてあげたいと思う。最初は善意から出発しているのである。ところがそのうち弾みがついてしまう。私はこのようにして神経症を克服したのだから、私と同じようにするとあなたもきっと神経症を克服できるはずだ。いい訳をしないで素直に先輩の言うことを聞いて実行しなさい。実際森田先生も入院生にそういうふうに指導されて神経症の治療をされていたのだ。だから間違いない方法なのだ。勢い自分の成功体験をもとにしてアドバイスをおこなうようになる。この関係は対等の立場ではない。先生と生徒の関係になっている。先生は生徒のことをよく知らないし、知ろうともしていない。自分の森田理論の理解がしっかりしていれば、鬼に金棒だと思っているのである。相手のことがわからなくても神経症を克服させることができると思っているのである。でも実際には反発を招いて、森田から離れていくばかりなのに反省することはなく、いつまでも自分の成功体験を押しつけようとする。成功体験を吹聴して、自己満足感を得たいのである。この関係は、関係を持てば持つほど双方ともに不幸に邁進しているようなものである。ではどうすればよいのか。イチローの例を持ち出すまでもなく、その選手の考え方ややり方、現状をこれでもかと知ろうとする態度を持ち続けることである。悩める人のよき理解者となることを目指すのである。この場合アドバイスは必ずしも必要ではない。相手が聞いてきたときは教えてあげてもよいが、それ以外はしてはならない。相手が気づいたり発見したりする楽しみを奪ってはならないのだ。ではどうするのか。カウンセリングの対話話法を学習して受容と共感の気持ちで傾聴してあげればよいのです。特に再陳述(繰り返し話法)がポイントです。これには事実の繰り返しと感情の繰り返しがあります。たとえば、「あなたは○○さんに挨拶をしようと思ったが、気後れして声をかけなかった」「その時あなたは気まずい気持ちになったんですね」などなど。これらを心がけて相手に接するだけで、少なくとも何を話してよいのか頭が真っ白になることはなくなります。相手の話したことを自分なりに言い変えるだけですので、気が楽になります。相手にとっては、この人は批判しないで自分の話をよく聞いてくれる。親身になって相談にのってくれる人だと思います。さらに相手の発言を「私はこう理解しましたよ」と繰り返してあげる。こういう態度が第一に集談会で求められている。これを無視して自分の成功体験を押し付けるということは百害あって一利なしだと思う。
2016.10.03
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慈恵医大森田療法センター編の「新時代の森田療法」(白揚社)のQ&Aよりの引用です。Q35 「やりたくない」と感じる作業にはどのように取り組むべきでしょうか。A 得意なものと苦手なもの、あるいは好きなものと嫌いなものは誰にもあるものです。しかし同時に、好き嫌いに関係なくやらなければならない仕事もあるのが現実です。「やりたくない」と思うこと自体はいっこうにかまいません。ただし、その気分によって行動しないことが肝心です。すなわち、やりたくないから関わらない、投げやりに取り組むといった行動は、気分に振り回された行動です。「やりたくないなあ」と思いつつ、投げ出さずにとりあえず丁寧に取り組んでみる。そしてその作業の目的を考え、少しでも効率のよい方法は何だろうかなど工夫をしながら関わっていけばよいのです。神経質な人は、完全主義的な傾向があるため、作業には「納得して」「やる気をもって」取り組まなければいけないと考えがちです。それゆえ、「嫌な気分ではいけない」と自分を責めてしまったり、嫌な気分を排除するために「やりたくない」と感じる作業そのものを避けようとしてしまうのです。感情は自分の思い通りにはなりません。しかし、そこでどのような行動をとるかは、自分の責任で選ぶことができるようになるのです。やりたくないという嫌な気分を抱えながら、作業にはしっかり関わってみる。それだけでよいのです。私は昼ご飯を食べた後うつ伏せになって30分ぐらい仮眠を取ります。タイマーが鳴ると仕方なく起きるのですが、いつももう少し寝ていたいと思います。でも仕事がありますから、5分ぐらいうつらうつらして立ち上がります。すると5分もすると意識も体もシャキとなって普段の仕事に入っていけます。これを気分本位になって、そのまま寝ていてはその時はよいのですが、仕事をさぼっいるので最悪解雇されてしまいます。また私は家の近くの山に登山に行くことがあります。戻ってくるのに1時間30分ぐらいかかります。その山は、急な坂道や岩場もあってとてもきつい山です。行く前は行こうか行くまいか迷うことがよくあります。思い切って出かけてみると、山の頂上から市内一望が見渡せ、山を征服したした満足感で爽快な気分になります。いつも来てよかったな、また来ようと思うのはそんな時です。気分本位になって行かない方を選ぶこともできますが、そんな時は暇を持て余し、嫌な気持ちを持っていても切り替えることができません。嫌な気分はそのままにして、思い切って飛び込んでみることによって、生活も活性化していくし、感情も切り替わっていくのだと思います。
2016.10.02
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以前大菊の福助づくりに挑戦したことがある。残念ながら今は中断している。それは菊花展に出かけたのがきっかけだった。秋になると各地で菊の展示会がある。大菊3本仕立て、千輪仕立て、懸崖仕立て、小菊盆栽仕立て、ポットマイム作りなどどれも見事である。菊は清楚で気品があると思う。色とりどりで華やかでもある。その時白い福助を一鉢買った。1000円だった。販売している人が、菊友会があり自分で作りたければ教えてあげるという。すぐ会員になった。毎月講習があった。冬のうちは腐葉土の作り方だった。私の参加していた菊友会には100名以上の会員がおり、講習には常時50名程度が参加されていた。基礎から懇切丁寧に作り方を教えてもらった。会員には安価な菊の苗も分けてもらえた。ベテラン会員宅では実地講習あった。菊作りが始まると新人会員宅をベテラン会員が訪問して直接指導も行われた。実地講習会では腐葉土の作り方が参考になった。冬のうちに材料となる落ち葉をとってくる。春先になるとその落ち葉を発酵させるのである。その時に黒砂糖をといて混ぜていくというのが参考になった。それがバクテリアの餌になるのだそうだ。やがて善玉のバクテリアがいっぱいの腐葉土が完熟して菊作りに使われるのである。8月9日ベテラン会員から待ちに待った格安でいろんなタイプの苗が15本ほどきた。私は福助なので5号鉢に定植した。8月16日ビーナイン300倍散布。その後9月2日と24日の計3回行った。ビーナインは徒長を防ぎ、葉と茎を太くする。その他は菊友会で指導された通りの管理をした。肥料、水やり、増土など細かく決められている。肥料も乾燥肥料、育成有機肥料、花有機肥料などに分かれている。増土は菊の根は上に伸びるので上から腐葉土を増土するのである。夏暑い盛りなので苗が萎れぎみであったのでとても不安だった。寒冷紗をかけてHB―101という植物活力剤を使ったところ元気になった。細かい作業を毎日丁寧に続けていくと10月5日ごろからつぼみがたくさんついた。その中から一番大きくて元気のいいつぼみを2つ残して、あとは摘み取った。最終的にどちらか1つだけを残した。10月29日支柱に輪台をとりつけた。それからは5分咲き、7分咲き、満開とあっという間だった。苗の時は分からなかったが、咲いてみると色も形も様々な福助だった。大きさ的にもう少し大きくなるかと思ったが、多少小さめだった。でも手間暇をかけた分とてもかけがえのない花となった。何枚も写真をとった。会社の玄関に飾ったり、親戚や友人たちにあげたりした。12月中旬ぐらいまで楽しめた。その苗で来年以降は自分で挿し芽をしてやるつもりでいた。ところが冬の管理が杜撰だったので全部の菊が枯れてしまった。冬期菊は冬眠するので水はやってはいけないと本に書いてあったのをうのみにしたからだ。何事もほどほどという考えなく、決めつけてしまっていたのだ。反対に親戚にあげた分は上手に管理をされて、今やその人が私の先生のようになってしまった。たかが福助作りではあるが、手がけてみればとても面白い。ベテランの人を見ていると総理大臣賞、県知事賞等の常連の人たちがいる。そういう人たちの話を聞いていると、菊作りこそわが人生という感じがひしひしと伝わる。その他菊友会を通じていろんな人のつながりができた。菊をやっていると、バラやダリヤなどにも関心が出てきた。我が家のベランダは今やランなどの花でいっぱいである。今年は日々草をたくさん買ってきた。ある人に聞いたからである。意外に長持ちして秋になっても色とりどりの花が咲いていた。ただ水やりを怠るとすぐに萎れる花だった。手間暇をかけるといつもそれに答えてくれた。それがうれしい。
2016.10.01
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