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先日テレビを見ていたらキューバで生まれ日本で育った女性の人が登場していた。その人が言われるには、キューバから日本に来た人は定住することなくすぐにキューバに帰ってしまう。キューバという国は、インフラの整備も遅れ、停電も度々ある。国民所得も少ない。でも日本のように自殺者はほとんどいない。「豊かな日本人はなぜ自殺する」と不思議がるそうだ。OECD 幸福度ランキング 2013年版によると、日本の幸福度は36カ国中21位。調査対象の36カ国は、OECD加盟国34カ国および、ロシアとブラジル。ちなみに調査項目は次のようなものです。Housing(住居)・・・住居費、1人あたりの部屋などIncome(家計所得)・・・所得、資産などJobs(仕事)・・・就職率、失業率、個人所得などCommunity(コミュニティ)・・・支援ネットワークの質Education(教育)・・・教育の達成、学生の能力などEnvironment(環境)・・・大気汚染、水質Civic engagement(市民参加)・・・投票率などHealth(健康)・・・平均寿命などLife Satisfaction(生活満足度)・・・生活の満足度Safe(安全)・・・暴行率、殺人率Work-Life Balance(ワークライフバランス)・・・長時間労働、余暇・ケアに充てた時間この手の調査はいろいろと行われているが、日本はほとんど中位から下位に低迷している。例えばイギリスの環境保護団体による143カ国を対象にした幸福度指数2009年版の幸福指数では日本75位、キューバは7位である。こうした調査には問題がある。インフラの整備、物質的な豊かさに重点を置いているのか。あるいは生きがい、人間関係、精神的安定度を重点に置いているのか。結果は自ずから変わってくる。つまり幸福度というのは比較する尺度によっていかようにも変わってくる。私が考える幸福度という尺度は次のようなものである。1、 必要最低限の住居と食料と水がある。2、 最低限の医療や治安が確保されている。3、 ある程度のインフラが整備されている。4、 ある程度物質的に豊かな生活が享受できている。5、 日常生活の中に楽しみがたくさん存在している。6、 生きがいが存在する。7、 人間関係が友好的である。8、 うつなどの精神障害、人格障害、ひきこもり、不登校などが少ない。9、 働き場所が確保されている。10、 長時間労働、ノルマに追われるような仕事ではなく、ゆとりがある働き方ができている。これを見ると日本人の場合は1から4まではかなりいい線をいっている。ところが5から10までは低レベルの状態と言わざるを得ない。キューバはその逆である。幸福という場合は1から10までの項目がバランスがとれていて、しかも一定レベルを超えていることが必要である。日本の場合はインフラが整備され、国民所得も比較的高い人が多いいが、物質的に豊かな生活を維持のために、それ以外のところに大きなしわ寄せがきているのではなかろうか。大きくバランスが崩れている状態である。日本人は今後もさらなる物質的に豊かになる欲望に向かって突き進んでいる。これでは精神を病み、生きがいを喪失して、悶々とした一生を送ることを義務付けられているようなものである。そうなれば生きることは苦痛以外の何物でもない。自殺者が多いというのはこのことと関係があるのではないか。横浜ベイスターズに2年前にキューバ人のグリエルというプロ野球選手がいた。ところが次年度は交渉が難航して再来日はなかった。年俸5億円という破格の条件でも日本にやってこなかった。彼はその後無職のような状態であると聞く。私が勝手に想像するには、大リーグでプレーしたいというのが一番の理由だと思うが、先にのべたように、日本人の人生に対する考え方、生活スタイルが全くグリエル選手に合っていなかったと言えるのではないか。日本で生活すること自体金縛りにあったような息苦しさを感じていたのではないか。
2016.06.30
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河原宗次郎さんが森田先生の所へ入院されていた時の思い出話です。初夏の夕方のことである。「河原君、その植木鉢をのけなさい」と指図された。「ハイ」と、すぐ大きなしゅろ竹の植木鉢を抱えて、少し離れた処へ置きかえた。ところがまた、「河原君そこはいけない」といわれたから、再び「ハイ」といって、重いその植木鉢を、反対の側に置きかえた。私は力を入れつづけたので、汗ばんで来た。呼吸もはげしくなってきた。それでよいかといわれるかと思ったら、叱るようにそこはダメだと指摘されてしまった。また「ハイ」といって、植木鉢を抱きかかえたもののどこに置いてよいかわからず、そのまま立ち往生し、頭の中が混乱してしまった。しばらくの間は、恐ろしい先生の前に、棒の如く立ったまま、のぼせてしまったのである。今にして思えば、しゅろ竹は日陰につよく青々とした葉を観賞するものであるから、玄関先とか、事務所とか、喫茶室の片隅などに置くのにふさわしい。それを、日本式の庭園のまん中であっちこっち移動してみても、森田先生の気に入るはずもなかった。先生は、そのまま奥へ行ってしまわれた。私にはこのときは、何にも分からなかった。どうしたらよいのか、、私のやったことのどこが悪いのかもわからなかった。はっきり言って下さらない先生を、うらめしくさえ思ったものである。しかし今日になって、先生の尊いお教えに深く感謝している。経験の乏しい私には、植木鉢の知識などはないわけであるから、先生から見て一番よいと思われる場所を考えて、そこへ持ってゆき、一応先生に「いかがでしょう」とお伺いすればよかったのである。先生のお指図に忠実に従うだけのことが、私にはできなかったのである。(形外先生言行録 52ページより引用)森田先生がここに置きなさいと言えば簡単に済んだ話である。でもそれでは河原さんには考えるチャンスは与えられない。高い入院料を支払って入院している意味がなくなる。入院森田では、自分で考えて気づいたり発見したりして、やる気や意欲を高める気合を養成しているのだと思う。森田先生もそのためにじっと指示したいのを我慢しておられるのだと思う。作曲家の故遠藤実氏がこんなことを言っています。人を育てたいと思うなら、完成品を相手に与へたり、教えるべきことをすべて伝えるのは本人にとって、マイナスにしかならない。100パーセントの回答を手にしたとき、人は一から考えようとは思わない。そこには創意工夫の余地は残されていない。こういうのを過保護という。無気力、無関心、無感動な人間を作り出す温床となる。力を発揮させようと思うなら、入口と出口だけ与えてあとは本人に考えさせる事だ。汗をかきながら、懸命に出口を探しているといつしか本物の力がついてくる。集談会のアドバイスでも、基本的には相手が森田のポイントを自ら発見する喜びを取り上げてはならない。森田にしがみついていればいずれ分かるようになるものなのだ。相手に刺激を与え続けることに専念した方がよい。そして気が熟するのをじっと待つ。一方的なアドバイスは参加者の成長を止める。また初心者は講師のよい話を聞くためにだけ参加していては森田が身につかないと思う。よい話のあとは必ず自分にあてはめてどうなのかを考えることが大切である。
2016.06.29
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大野裕氏は「不安症を治す」という本の中で、対人緊張の強い人は次の3つの思いこみが強いといわれている。1、 パフォーマンスに対する思い込み・・・「人の興味を引くようなことをいつもいわないといけない」「知的で魅力的に見えるように行動しなくてはならない」「なんでも完璧にこなさなくてはいけない」というように、自分のパフォーマンスに対する期待値を非常に高く設定する。2、 自分の行動の帰結に対する思い込み・・・「相手に同意しないとイヤな人間だと思われる」「スムーズに言葉が出てこないとダメな人間だと見られてしまう」「黙っていると、つまらない人間だと思われるだろう」「私のことがわかってくれば、その人は私のことをきっと嫌いになる」などと、自分の行動がよくない結果を引き起こすと思いこむ。3、 自分に対する思い込み・・・なんの根拠もないのに「私はダメな人間だ」「つまらない人間だ」「誰にも受け入れられないんだ」自分自身の人間性を否定する。この3つは対人恐怖症の間違った思い込みそのものです。森田理論学習でいえば、1は「かくあるべし」で自分や他人を縛っていることだ。2は人の思惑に翻弄されて実に味気ない、砂をかむような人生を送っている対人恐怖症で苦しむ人の姿だ。3は自己嫌悪、自己否定していて、自分という一人の人間の中に相対立する二人の人間を抱えて葛藤を繰り返し、自信が持てない対人恐怖者の姿である。大野氏は、こういう思い込みを持っている人は、「自分がきちんと行動できているかどうか」ということだけが気になって、周囲に目が向かなくなっています。エネルギーの大部分が「自分」に向かってしまうのです。周りのことを気にしているのに、実際には自分のことだけを考えるようになるわけですから、ある種矛盾した状態ともいえます。またこのようなときには、自分にとって「よくないこと」ばかりに目が向くようになります。一般的に、危険を回避するためには、危険を芽のうちに摘まなくてはならないと考えるものですが、不安が強くなるとちょっとした危険も見逃さないようにしようとするからです。森田理論では不安は欲望があるからこそ発生するものだといいます。生き方としては、欲望の発揮を前面に押し出して、不安で制御しながら慎重に前進していく姿勢が理にかなっているわけです。不安を解消するためにエネルギーの大半をつぎ込むことになると、神経症になります。欲望の説明は範囲が広く難しいものですが、とりあえず、自分の意欲ややる気が出てきて、モチュベーションの高まるものとしましょうか。対人恐怖症で苦しみ、回避性人格障害を抱えている人は、そちらの方面にほとんど手がつけられていません。それでは生きていくのが苦しいので、一時的な刹那的な快楽主義に陥ったり、対人的に破れかぶれな行動をとって危機を回避しようとしているのです。すべて自分を守るための行動です。観念的に否定的で投げやりになり、それとともに行動面でもどんどん悪循環のスパイラルに落ち込んでいます。こういう人にとって森田理論学習は福音です。欲望と不安の関係の学習。生の欲望の発揮の学習。私たちが陥りやすい認識の誤りの学習。とくに「かくあるべし」の弊害。事実に服従する態度の養成。等の学習をして理解を深め、日常生活の中で行動・実践することで解消の糸口はつかめます。是非とも対人恐怖症の人は森田理論学習によって自由で楽になる生き方を身につけてほしいものです。(不安を治す 大野裕 幻冬舎新書 76ページより一部引用)
2016.06.28
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鈴木知準先生は大正12年、14歳(静岡県立掛川中学2年)の2学期の頃から、不眠症と胃部不快感、頭内朦朧感にとらわれるようになった。N大学病院の精神科、胃腸科にかかっていたが一向によくならなかった。自宅では土蔵の2階に居室を作って起居することとなった。土蔵に入ったら外の物音は聞こえなくなったが、持っていた懐中時計の音が耳について苦しくてどうにもならず、その時計を夜半火鉢にぶっつけて壊してしまったこともあった。この頃から毎夜のように遺精するようになって、頭内朦朧感はさらに強くなった。それでも朝は早く起きて、机にしがみついて勉強しようとすると、肩がはり、首がこり、腰がいたくなって、すぐにひっくりかえって寝たくなり、頭はますますぼんやりして勉強はできなかった。しかし何回となく勉強しようと机にしがみついて努力していた。不眠恐怖はますますひどくなり、大正14年秋頃は夕方になると落ち着かなくなって来て、布団を見るのも恐ろしくなった。昭和2年3月13日、17歳の時、森田先生の診察を受け、登校拒否の意志薄弱性精神病質と診断されいったんは入院拒否された。そこをぜひにと野村章恒先生に依頼し、森田先生はしぶしぶ入院を許したという。早速臥褥に入った。これが大きな転機になったといわれている。過去3年余の不眠恐怖、胃部不快感、頭内朦朧感はどうでもよいという気になった。自由な心の態度に飛躍していたのだ。それは神経症になる前に、勉強仲間だった2人の友人が、4年卒業で旧制高校に進学していった衝撃も関係していた。臥褥後庭での落ち葉拾い、枯枝とり等の軽い作業を始めた。森田先生からは疲れたら縁側で横向きに転がることと言われた。背中をつけると気がゆるむのでしてはいけないと言われた。家族との遮断の環境で、目の前の必要事にすっと入っていく、動きの徹底的生活で私は修練された。土釜で紙屑でのご飯炊き、森田先生にうちこまれ通しの、先生のつや布巾かけ等思い出に残る。先生にうちこまれるので、嫌なことにすっと入り切ることが容易にできる。これが、神経質の不安症状になり切る態度の基礎経験である。この嫌なことに入り切ることで、不安は不安だけでそれだけの自由な心になっていく。森田先生の所でこのように、目前の作業の中に入り込み、自分の部屋で一服することもなく動き回っていた。退院したら、今度は入試試験準備のために、夢中になって勉強に入っていった。その後1日12、3時間の勉強を続け、昭和3年には旧制浦和高校、その後東大医学部に合格した。森田先生の入院治療を終えた後のことを振り返って次のような心の変化を述べておられる。私は5月7日に退院し親戚の家に1泊した。ちょうど近くの欅の新緑の若葉がでかけていた。私は寝ながらそれを見て、なんと美しいことかと全く感嘆したのである。黒い枝と新緑の若葉が、ぴたりと目に焼きついたのである。その翌日東海道を8時間の列車の旅をした。保土ヶ谷、戸塚、大船付近の景色、箱根付近の山北、御殿場の山間の景色、緑の若葉、紅の蓮華草、麦の穂、その景にぴたっと焦点があって、私には全く見たこともない美しさであった。私は全くの驚きの心で自分の変化を感じたのであった。60日の入院生活の前と後ろが、全く異なった明暗の世界であることが、ありありと思い起こされるのである。心の転機によってかくも変化するものかを私は知ったのである。不安を相手に格闘するのではなく、目の前のなすべきことにすっと入りこみ、ものそのものになり切っていく癖を身につけることが森田先生の入院療法の眼目だったのである。(神経症はこんな風に全治する 鈴木知準 誠信書房 37ページより引用)
2016.06.27
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私たちの頭の中の容量を仮に100%としよう。神経症に陥って葛藤や苦悩で苦しんでいる時は80%から90%は症状と格闘している状態である。つまり注意や意識は自己内省的に片寄っている。本来こなさなければならない仕事、勉強、家事、育児は放棄されている。観念上の悪循環が行動上の悪循環を呼びこんでいる状態である。これは雪道でタイヤがスリップして空回りしている状態に似ている。アクセルを吹かして前進しようとすればするほど、空回りして、車体は勝手に左右に振られる。これが仮に坂道で起きたとすれば、生きた心地はしない。事実事故につながる可能性が高い。動揺してやることなすことがすべて裏目に出てくる。神経症から回復するということは、その比率を下げてくるということが必要になる。70%、60%、50%と下げていくのである。50%ぐらいに下がってくると、不安を抱えたまま、仕事、勉強、家事、育児などがこなせるようになる。20%ぐらいに下がって、考えることなすことが外向きになり、物事本位の生活ができるようになる。その時点では神経症的な悩みは霧散霧消している。問題はどうしたら比率を下げることができるかということである。入院森田療法を行っておられた鈴木知準先生は次のように説明されている。森田療法では、相当期間その不安、苦しみを持ったままの絶対臥褥と、その遮断の環境で、同じ症状を持った人たちと、目の前の必要なことに、すっと入る動きを通して、その態度の基礎を打ち出そうとする。普通一般にいわれているような「あるがまま」という概念を、知的に解釈させるだけでは、安定した、自由な心の態度を展開させることはほとんど不可能である。この点が森田療法の実際において、最も大切な重点と思われる。この点が十分でないので、神経症の治療がうまくいかないのである。我々は外来で2、3年にわたって、2週間に1回ぐらい、30分ぐらい面接し、言葉による治療をする。患者は言葉を皆おぼえてしまう。特に「あるがまま」などの言葉を口癖のようにいう患者は多いけれど、心の自由になる展開はきわめて少ない。このことは注目しなければならない事実である。しかし外来面接の医師の努力は相当なものである。しかし、そのような患者でも3ヵ月くらいの遮断の環境の治療をすると、その全治の基礎の出来ていくことがきわめて多い。このようなことを多数我々は経験している。同じ不安と症状をもった人達との、遮断の環境での、臥褥療法と作業期の動きの入院生活では、現在になりきる心の態度が、展開しやすいことは確かである。このことは神経質の人達にはっきりしている。この遮断環境での治療は、森田先生の傑作と思われる。我々は過去30年のあまりの神経質の人たちの治療の経験から、誤りないものと考えている。ちなみに鈴木先生の病院では、追体験の入院を勧めておられた。これは50日以上入院した人達に1カ月に一回、土、日曜日に入院させて、以前の入院で体験した生活態度を崩さないようにするためのものだった。このようにして治療を進めると、1年目の全治者は20%未満であるが、4年目ぐらいから平均すると50%から70%に跳ね上がる。5年目以降の全治者の割合はとても高くなる。この事実をどうとらえるのか。現在は原法にのっとった入院森田療法は皆無のような状態である。一方森田理論は当時とは考えられないぐらいに理論化されてきた。しかし、それを学んで観念的に理解しただけでは不十分であるということだ。森田療法は自分の身体で体得していくことが不可欠ということだ。不安を抱えたまま行動していく態度を身につけること。事実に服従して生の欲望に邁進していく態度を養成していくこと。これなくして森田理論学習を続けることは猫に小判、豚に真珠を与えるようなものである。神経症回復の理論化だけではなく、体得のための理論化も進めていく必要がある。(神経症はこんな風に全治する 鈴木知準 誠信書房参照)
2016.06.26
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水谷先生は、我々神経質者は風雲に乗じて成功を遂げるタイプではないといわれている。野球でいえばホームランバッターでないということだ。ヒットを積み重ねて評価されるようなタイプの人間であるということだ。仕事でいえば億単位の商談をまとめて会社に貢献するようなタイプの花形の営業マンではない。ごくわずかな日々の売り上げを積み重ねて与えられた営業ノルマをこなしているような人間である。この考え方は理にかなっていると思う。我々の神経質性格は心配性という面がある。心配性の人は、外向的でおおらかな人たちが気のつかないちょっとしたことにも敏感に感性が働く。そういう鋭いレーダーやソナー(魚群探知機)を標準装備しているようなものである。その心配性が内向きになれば自分を責めたり、自分を否定して葛藤や苦悩のもとになる。ところが反対に、その鋭い感性を利用して、小さな気づきや発見をすぐにメモして日常生活や仕事に活かして、行動・実践すれば心配性が活きてくる。我々の活路はそこに見出される。いわゆる日常茶飯事、雑事、雑仕事といわれるものに注目して、心血を注いで生活してゆくとうまくいくようになる。「凡事徹底」というのはこのことである。平凡というのは誰でも出来る簡単なことばかりである。しかし、それを継続して丁寧に取り扱うということはごく限られた人しかできない。そういう地道な行動・実践を継続すると、水谷先生が言われるように、「平凡に徹する人はたぐいまれな非凡な人になれる」のである。私は以前メーカーからの仕入れ商品の支払い業務の仕事をしていたとき、このことを強く感じた。これはメーカーからから仕入れた商品代金を1カ月ごとに集計して支払いに回す仕事であった。メーカーからの請求書と私の会社の仕入元帳が一致していればそのまま支払いに回せばよい。これほど楽な仕事はない。ところが多くの場合金額が合わないのである。すると個々に照合して、一致していない部分を探し出して違算明細書を作らなければならない。根気のいる仕事である。どうして違算が発生するかというと2つある。不良品、不具合品が発生する場合である。その場合は返品、再発注が絡む。ややこしくなる。また普通の正規の値段でなく、営業が交渉して割引価格で購入するケースがある。まとめ買い、得意先からの値引き要請があるとメーカーに値引き要請をするのである。だからたえず違算が発生する。メーカーの請求書通り支払う事はまずない。請求額から違算を差し引いたものが当社の支払金額となる。そういうイレギラーなケースが数多くあるのである。一つ一つはとても小さい問題である。しかしそれを放置していると、魚釣りの糸が絡まったような状態になる。これの対応としては、違算発生の次の一ケ月の内に確実に処理しておくことである。ここが最大にして唯一のポイントとなる。返品は確実にメーカーに返して取り消し伝票を入れてもらう。値引き要請に対して確実に赤黒伝票を発行してもらい違算を解消しておく。すると原則として次月で違算がすべて片付くことになる。次の月は当月の違算だけになる。簡単なことである。すると仕事はかなり楽になる。また新たな気持ちで仕事に向かうことができるのである。これを忙しいことを言い訳にして放置していると、自分で自分を窮地に追い込んで苦しめることになる。小さい仕事をいい加減扱わないで、丁寧にお金を取り扱うように対応していけば、仕事が面白くなる。そういう仕事を丁寧に継続できるのは何人もはいない。だから心配性という神経質性格が活きてくるのだ。自分も自信が持てるし、仕事が面白くなり、上司や同僚から評価を得ることにつながるのである。神経質者にとっては雑事、雑仕事を放置していては、自分の存在価値を示すことは難しいと思う。
2016.06.25
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形外先生言行録の御津磯夫さんのお話です。鐘が鳴るかや 撞木(しゅもく)が鳴るか 鐘と撞木の間が鳴る51年前の慈恵医大で私の精神科講義の森田教授の第一声がこれであった。あざやかに今日も私はその日の光景が目の前に彷彿としてくる。私は一瞬面喰って一瞬茫然としたが、この最初の一言が私の一生を支配したようで、なんとも忘れられず、意味もよくわからないまま、私の内的生活を育んできたごとくである。(形外先生言行録 御津磯夫 62ページより引用)これは古歌で、森田先生は「鐘が鳴るかや 撞木がなるか 撞木が当れば鐘が鳴る」と作り変えておられる。また森田先生は、ある時の懇話会で、座って話を始める前に、いきなりポン・ポンと拍手を打たれて、「いま鳴らした拍手の音は右か左かどちらの手からでたのか。「鐘が鳴るかや 撞木が鳴るか 鐘と撞木の間が鳴る」という文句があるが、いってみればそれは不即不離なのだ。思想的にいえば中庸ということであろう。鐘と撞木が単独で存在している限りでは音は鳴らない。音が鳴るということは双方がぶつかり合って鳴っている。相互に影響を与えて「ゴーン」という音が鳴る。今までそこにはなかった新しいものが生まれてきたのだ。強くたたけば大きな音がする。小さくたたけば小さな音しかしない。人間の行動や精神活動も同じである。自分と他者との相互関係の中で、自分も相手も相互に影響を受けて変化していく。生まれた赤ちゃんは母親がかいがいしく世話をしてくれるおかげで、愛着の形成ができ、言葉を覚えて、しだいに成長していく。インドで狼に育てられた女の子がいたが、その子は性格も行動やしぐさも狼そのものであったという。ここでの要点は、人間の行動様式や思想傾向は単独で生まれるものではなく、自然や他者との相互関係の中で育まれるものであるということである。そして次にその相互関係はどうあるべきなのか。森田先生は不即不離、中庸を目指すべきだといわれているのではなかろうか。これに関しては森田全集第7巻437ページを引用しておこう。宇宙の現象は、すべて唯、発動力と制止力とが、常に平行状態にある時にのみ、調和が保たれている。天体にも、物質にも、引力と斥力とがあって、その構造が保たれ、心臓や消化器にも、興奮神経と制止神経とが、相対峙し、筋肉には、拮抗筋の相対力が作用して、はじめてそこに、適切な行動が行われている。吾人の精神現象も、決してこの法則から離れることはできない。余は特にこれを精神拮抗作用と名づけてある。欲望の衝動に対しては、常にこれに対する恐戒・悪怖という抑制作用が相対している。欲望の衝動ばかりが強くて、抑制の力が乏しければ、無恥・悪徳者・ならず者となり、欲望が乏しくて、抑制ばかりが強ければ、無為無能・酔生夢死の人間として終わる。この衝動と抑制とが、よく調和を保つ時に、はじめてその人は、善良な人格者であり、その衝動が強烈で、その抑制の剛健な人が、益々大なる人格者である。
2016.06.24
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サボテンというのは、熱い砂漠のような、水分の非常に少ないところに生えています。ですから、極力外に水分を発散しないようになっています。サボテンの原木というものには、やはり葉やトゲが生えていますが、それがだんだん進化して、砂漠のような所に適応するようになっています。つまり、表面積をできるだけ少なくして水分の発散を防ぐために、あのような球体、あるいは棒状のようなものになったのです。そういう水をたくさん貯えている体は外敵にやられやすいから、そのためにトゲをたくさん生やしているのです。自分では意識しないけれども、適者生存でそういうふうに進化してしまったのでしょう。ラクダは砂漠で生活するためにコブがあります。そのコブの中には脂肪がたくさん入っており、エネルギー源ともなるし、分解して水分にもなります。また砂嵐のとき、鼻に砂が入らないように皮や肉が垂れ下がっていて、足は広がって砂にうずまらないようになっています。本来の人間というものも、自然の変化に従って、おのれ自身を変化させて適応していくのがよいのです。そこのところを間違う人間をよく見かけます。高良興生院には植木鉢がたくさんあります。患者がそれに水をやりますが、雨上がりの充分に水を含んでいる鉢に、ジョロでざあざあと水をやっている患者がいます。「雨上がりに水をやるのはどういうわけだ」と聞くと、「いや、先生、私は、毎月一回水をやるように決めておりますから」という答えが返ってきました。自分の主義で外界を律しようとする。そういう弾力のない、いわゆる教条主義といいますか、頑固に自分の主義を守って、少しも変化することができない人が神経質にとらわれている人に多いのです。外界の変化に応じて、我々がどんどん変化しなければ、順応していくことはできないのです。神経質の陶冶というものは、自分が「こうあるべきだ」ということではなく、自然は「こうである」という現実に従って、自分が変化して順応していくものです。もちろん、自分の「こうでありたい」という理想というものは、あってもさし支えないが、誤った理想主義、いわゆる完全主義、あるいは「こうであるべきだ」ということにいつもとらわれて、「こうである」現実に順応できないという態度では、神経質の陶冶はできないわけです。私たちはカメレオンのように周囲の状況に合わせて、素早く変身できるように心掛けるべきなのです。(どう生きるか 高良武久 白揚社 139、185ページより引用)
2016.06.23
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改めて形外先生言行録を読み返してみた。この本は森田先生の伝記を読んでいるような気持ちになる。その内容は多くの人たちの森田先生との実際のやり取りから書かれている。だから全体を読むと森田先生の人間像がありありと再現されるのである。森田先生の外観は、蒼白で小柄で猫背で、田舎のどこでもいるおじいさんという感じだったようである。喘息を患い、よく咳をされていた。健康には恵まれていなかった。自宅を開放して神経症の回復のために全生涯をかけられた。昭和4年からは毎月形外会という座談会も始められている。亡くなられる前年の昭和12年まで続いている。この内容が森田正馬全集第5巻におさめられているのである。森田先生の考え方は晩年に近づくに従って鋭さを増している。森田一家にはプライバシィは全くなかった。常に患者と一体の共同生活をされていた。また多額の寄付をよくされているのが印象的であった。森田先生は気のついたことはなんでも口にされていたようだ。人の気持ちを思いやるよりも、認識の誤りを早く自覚させてあげたいという気持ちの方が勝っていたように思う。例えば熱海に行った時、原夫人が森田先生にご飯のおかわりをどうぞと勧められると、そんな親切心は自分の親切を押し売りしているようなものだと叱られている。またよそに家に行って、そこの奥さんが水蜜桃の皮を包丁でむいていると、主人のいる前で、皮は手でむくものだと叱られている。こんな調子で入院生にとっては叱られることは日常茶飯事であった。恐ろしくて森田先生は近寄りがたいという人もたくさんおられた。それに加えて森田先生の片腕として世話をしておられた、奥さんも大変厳しい人であったようだ。それだけ人間教育の真剣さを感じるのである。でも舘野という学生さんが試験勉強をしなければならないときに、庭で声楽の練習していた時は、「僕も試験勉強中に三味線を習っていたことがあります」「何にでも手を出しなさい。僕の療法もあらゆる療法に手を出して、自然にできたものだ」と言われたそうです。また森田先生は自分の洗腸の様子を弟子に見せて参考に供しようとされたり、自分の死体は慈恵医大に献体されたりしている。便所のくみ取りも、ニワトリにやるくず野菜拾いも先生が自ら先頭に立たれている。森田理論のポイントを外した言動は一切ないと言えるのである。私はこの形外先生言行録は優れた森田療法の実践の指南書であると思う。こういう本が絶版なっていることはとても残念なことである。森田正馬先生の周りには多くの人たちが集まった。もと入院患者、大学の先生、医者、慈恵医大の学生、その他学生、会社の経営者、軍人、会社員、農業、主婦まで幅が広かった。だいたい神経症を克服した人が、その治してくれた医者を自分が亡くなるまで慕い続けるということが果たしてあるのだろうかと思う。森田先生は医者というよりも求道者のような雰囲気がある。それも一撤頑固な求道者である。常に好奇心に導かれて横道に脱線することは日常茶飯事であったけれども、森田理論という人生観から外れたことは一度もない。首尾一貫決して変わることはなかった。私のまとめた森田理論の全体像も、森田先生の奇人変人と言われたていたエピソードで再度検証して補足して理論として強固なものに仕上げてゆかなければならないと考えています。後世に残された私たちは、森田理論をさらに進化させなければ森田先生も浮かばれないのではないかと思うのである。森田先生が今生きておられたら、どんなことを考え、どのように森田理論を進化させてゆかれただろうと考えることは楽しいものである。
2016.06.22
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伊勢神宮参拝、二見浦の公演からやっと帰ってきた。行きは18日朝5時30分に車で広島を出発して内宮に12時過ぎに着いた。帰りは19日14時30分に二見浦を出て23時50分に帰ってきた。休憩は福山、吉備、三木、大津、安濃SAと5カ所で15分程度の休憩をとった。90キロから100キロで走行した。帰りの途中雨が降った。夜間の雨を予想していたが大津SAからは雨は降らなかった。この点は助かった。一番のアクシデントは1日目伊勢西インターで出口を間違えそうになった。同乗者の指示で、あわてて修正したが、後ろからダンプがクラクションを鳴らして後ろにぴったりつけて威嚇してきた。生きた心地がしなかった。4名同乗していたので、みんなに恐ろしい思いをさせてしまった。県外ナンバーの車は多少ゆとりを持って譲ってあげないと、事故につながるのではなかろうか。広島でも3車線が2車線に減少になる時、県外ナンバーの人が車線変更する時に、前の車にぴったりとつけて割り込みさせない人がいる。自分は交通規則に従って運転している。横の空いている車線から前の方に来て割りこませてくれという虫のいいことは決して許さないという心理が働くからだろう。でも県外の人は事情が分からず、急に車線が減少になって困っているのである。せめて一台ぐらいは入れてあげたいものだ。私のトラブルの原因を考えてみた。ここは初めての人にとっては、高速道路出口が分かりにくかった。それでもナビを信じて運転すればよかったのだが、助手席の人が別に指示をするものだから、どっちつかずになった。間違ってもまた修正可能という考えがなく、急に方向を変更したのがまずかった。とっさの判断を要求されるときに、どちらにしようかと迷っていると時間もかかり、右往左往するので、他の人に取り返しのつかない迷惑をかけてしまう。私が悪かったのでどうしようもない。でも事故にならなかったのは神様が助けてくれたとしか言いようがない。高速道路の場合は流れに乗るということが大切である。事前に準備できればネットの地図を拡大して付近をよく確かめておく。そしてシュミレーション通りに流れに乗って走行するしかない。最悪間違えても必ず修正できるのだ。命までとられることはないと割り切ることだ。森田に「迷いのうちの是非は是非ともに非なり」という言葉がある。森田先生は間違った断定から出発した推理・判断は、それがいかに適切であり、道理にかなっていても、結局は間違いであるといわれている。目指している方向が間違っているので徒労に終わってしまう。神経を使い、お金を使いいいことは何もない。不安や恐怖などは、そもそも取り除いて気分をすっきりさせようとすることは間違いだ。少なくとも8割がたはそうである。それを楽になりたいために、いろいろとやりくりを始める。どうにもならない予期不安があるとすぐに回避してしまう。それらはほとんど間違った行動である。なぜかと言えば、最初の出発点が間違っているからである。最初に神経症の不安、恐怖は受け入れるしかないと思っていればよいのだ。それなのに何を勘違いしているのか、なんとしても不安や恐怖を取り除こうとしているのだ。はからいを始めるときりがない。どんどんエスカレートしてくる。勝てるわけもないないのに戦いを挑んでいるのだから、体力やエネルギーを消耗して最後には力尽きてしまう。この場合は森田理論学習で不安の特徴、役割、対処方法をしっかりと学習することが大切になる。それらがしっかりと理解できれば、少なくとも出発点を間違えて自分を苦しめることはなくなる。そのエネルギーを建設的に使うことができて一石二鳥である。チンドン公演はほぼうまく行きました。合計2時間ぐらいでした。見物客も多かった。
2016.06.21
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吉野源三郎氏は「君たちはどう生きるか」の中で、中学2年生のコペル君に向かって、おじさんの口を通じて、次のように語りかけている。「まず肝心のことは、いつでも自分が本当に感じことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えていくことだと思う。君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化したりしてはいけない。・・・もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられたとおりに生きていこうとするならば-コペル君、いいか、-それじゃ、君はいつまでたっても、一人前の人間にはなれないんだ。・・・世間には、他人の眼に立派に見えるように、見えるようにと振舞っている人が、ずいぶんある。そういう人は、自分が人の目にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、つい、お留守にしてしまうものだ。僕は、君にそんな人になってもらいたくないと思う」これは森田理論でいう「生の欲望の発揮」のことを言われている。この本は言論統制の激しかった1937年(昭和12年)に出版されている。出版禁止になった。ちなみに森田先生も1934年(昭和9年)に発行された「生の欲望」という本は、厳しい検閲にあい、抗議の意味で、検閲で認められなかった個所は白紙のまま出版されている。(森田正馬癒しの人生 岸見勇美 春萌社 155ページ)その時代とは違い現代は、何をしようが、何を考えようが自由である。ところが自分が何をしたいのか分からない。どう生きていったらよいのか分からない。何を感じているのかわからないという人が多いという。あまりにも自由で選択肢が多いと、自由を持て余すのだろうか。私は社会の間違った価値観にどっぷりと漬かり、自分たちの本来の生き方を考えもしなくなった状態の中に問題があると思う。私たちは小さいころから会社に役に立つ人材に育てられ、競争に勝つことを求められた。サービス残業、休日出勤はあたりまえ。法律で決められている有給休暇も容易に取得することができない。子どもなど家族との触れ合いなどは後回しにしてきた。成果主義が徹底されて、能力がないといつリストラされるかもわからない不安定な生活をしてきた。体調を崩しうつ病などを発症する人も増えてきた。毎日、生活費を稼ぐために、新幹線や高速道路で移動しているかのようなあわただしい生活である。そういう生活が当たり前になり、生きる意味などは考えもしなくなった。便利で、快適で、物質的な豊かさの追求のみが人間の幸せだと言わんばかりの風潮である。社会に押し付けられた「かくあるべし」に従って、社会から見捨てられないように耐えて我慢することしか考えなくなってきた。これでは生きていて心の底から喜びは湧いてこない。こんな人生で一生を終っていいのだろうか。人間は苦しむために生れてくるのだろうか。人間は楽しむために生れて来たのだという人がいるが、そんな状態には程遠い。なんともやりきれない時代である。
2016.06.20
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平成28年6月7日東京新聞社説より引用です。政府の自殺対策白書によると、2015年の自殺者数は24000人余と6年連続で減少した。とはいえ、自殺死亡率は欧米主要国と比べ、依然として高い水準だ。これは、交通事故死者数の約6倍、一日平均66人が自殺で亡くなっている計算だ。白書が特に「深刻な状況」と指摘するのは、若い世代の自殺だ。人口10万人当たりの自殺者数である自殺死亡率は、40歳代以上では低下傾向にあるが、若い世代ではおおむね横ばいとなっている。19~39歳の各年代の死因は「自殺」がトップ。同年代で死因のトップが自殺なのは、先進7カ国の中で日本だけで、残り6カ国の1位はすべて「事故」だ。自殺者の年齢構成比でみると、19歳以下の割合は2・3%と、この8年間で0・7ポイント増加している。19歳以下の自殺率は、他の年代と比べれば低いものの、1980年代や90年代に比べ、若干上がっている。若い世代への自殺対策は喫緊の課題だ。昨年、子どもの自殺が最も多い「9月1日」を前に、「学校がつらいなら、図書館においで」と呼び掛ける神奈川県の図書館司書のツイートが、多くの共感を呼んだのは記憶に新しい。子どもの電話相談は、文部科学省の「24時間子供SOSダイヤル」やNPO法人「チャイルドライン支援センター」などが受け付けている。多くの児童、生徒に知ってもらいたい。私は、4月に施行された改正自殺対策基本法には、学校に自殺予防教育に取り組む努力義務を課したというが、はたしてそんなことで自殺が減少するとは思えない。また、子どもには、強いストレスに直面した場合の対処法を知ってもらいたい。困った時に相談できる大人のいることも。それはそうだが、自殺に追い込まれている子どもたちにそんなことを教えたところで効果があるのだろうか。それよりも、私は早急に実施してもらいたいことがある。たとえば、子どもを育てる責任を持った親に対しては、子育ての基本を押さえた「親としての役割」を学習することを義務化するのはどうだろうか。これまで述べてきたように、親には子どもに対して愛着の形成の役割。自発性の発達、思いやりのある子どもに育てる役割がある。関心のある方は、5/27、28、29、30、31、6/4、6/5、6/6の投稿をご覧ください。そのために、1カ月に1回は子どもを育てている親は地域ごとに集まり、情報交換したり、子育ての基本を押さえたテキストで学習会を開催するのだ。それぞれの親に教育を任せるのではなく、みんなで協力しながら子育てをするのである。現在は、核家族で、地域の絆も薄れて子育てはとても難しい。だからこそ、子育ての基本方針を学ぶ必要がある。それらの学習なしに子育てをすることは、羅針盤のない船に乗って大海を航行するようなものだと思う。
2016.06.17
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このブログは5年間という期間限定で始めた。あと1年と6カ月である。そのあとの展開をそろそろ考える時期に入った。このブログは5年でおそらく50万アクセスぐらいになるだろうと思う。その後100万アクセスを目指す道もある。対人恐怖や社会不安障害、強迫神経症の人の個別カウンセリングの道もある。今はネットやスカイプなどがあるので可能性はあるかもしれない。心理学の学習は続けているが、実際開業のノウハウは全く暗中模索である。それともう一つは、ネットを使った学習会の実施である。生活の発見会で「オンライン学習会」に4回インストラクターとして参加してきた。ある程度雰囲気はつかめている。最近は無料の掲示板があるので、経費をかけずにこの掲示版を利用する手がある。レクチャーはメールで送る。それを読んで、課題について投稿してもらう。インストラクターはその投稿に対して感想やアドバイスを行う。受講者も他の人の投稿を見て自分の考えを書き込んで議論を深めていく。私の目指している学習は、純粋に森田理論を系統立てて学習し、今後森田理論学習の道筋をつけてもらうことにある。最初は3名から5名ぐらいで始めてみるのはどうかと思っている。対象者は、森田理論学習の学習経験者、当面の神経症の泥沼から這い出てきた人、森田理論をさらに深めてみたい人、森田理論を生活の中に活かしてみたいと思っている人など。期間は10週連続、約3カ月を想定している。進め方の注意点として、症状は一旦横に置いておくこと。ひとつの単元は木曜日に始まり水曜日に終わる。水曜日に次の週のテーマのレクチャをメール送信する。レクチャごとに課題を設定する。受講生は課題に対して自分の体験を織り込んで書き込みを入れるその他疑問点、意見等の書き込みもしてもらう。他の書き込みに対して最低2人に返事を出すこと。傾聴、受容、共感の基本姿勢のもとで、森田理論学習の深耕に力を入れる。目標としては森田理論学習を深め、確固たるものにする。自分のこれからの実践目標の方向性を見つけ出すこと。カリキュラムについては次のように考えている。ここでは学習経験者を対象としているので、森田理論基礎編は割愛している。基礎編の学習と仲間作りの目標のためには、生活の発見会が年2回行っている「オンライン学習会」に譲りたい。ここはどちらかといえば「ステップアップ・オンライン学習会」である。1、 ガイダンス、自己紹介2、 森田理論全体像の学習 略図の概要説明3、 生の欲望の発揮生の欲望の発揮とは生の欲望の発揮と不安、恐怖との関係精神交互作用を断ち切る4、 生の欲望と不安の関係5、 認識の誤りと「かくあるべし」の発生と苦悩の発生認識の誤り、認知の誤りの学習かくあるべしとは「かくあるべし」の発生のメカニズムかくあるべし人間の特徴かくあるべしと苦悩の始まり6、 事実本位、物事本位について事実本位、物事本位とは事実を観察する事実をありのままに認識する事実を受け入れる4つの事実と対応について7、 森田理論のキーワード感じを高める、無所住心、純な心、あるがまま、事実唯真、精神拮抗作用、不即不離物の性を尽くす、唯我独尊、努力即幸福など8、 森田理論を生活に取り入れるための手順9、 森田理論を使って自分の課題や悩みを考える10、 各自「まとめ」を行う以上の3つを平行的に行うことも考えられる。この方向が現実的かと思う。多くの人に相談しながら、森田理論学習のの普及をライフワークとして取り組んでゆきたい。
2016.06.17
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5月9日に投稿した、「メンタルケア心理専門士」の認定試験の結果が届いた。学科試験、課題レポートとも合格判定だった。ダメだと思っていたので、思いがけない結果にうれしかった。来月7月10日に大阪で最終面接試験がある。これに合格すれば、カウンセリングの開業支援が受けられる。今度は口頭試験なので、一問一答問題をぬかりなくこなして、一発合格をねらいたい。ところで明日からは総勢8名で1泊2日で伊勢志摩に行くことになっている。ホテルからチンドン屋のイベント要請があったのである。商店街の練り歩きとホテルの宴会場で2回の公演がある。練習は100%こなしたが、本番では80%の出来で良しと思っている。楽しんでこようと思っている。
2016.06.17
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私は生活の発見会の「森田理論学習の要点」を参考にしながら、「私流森田理論学習のポイント集」という冊子を作りたいと考えている。要点では実際に学習テキストと使うにはあまりにも簡潔すぎるので、もう少し説明を加えたいと考えている。内容は基礎編と応用編に分かれる。基礎編1、 神経症とは何か、神経症の成り立ちについて2、 森田理論学習が役立つ人、神経症の診断項目3、 今現在苦しみのどん底にある人への提言4、 基礎的学習「神経質の性格特徴」5、 基礎的学習「感情の法則」6、 基礎的学習「認識の誤り」応用編7、 森田理論の全体像の概要説明8、 生の欲望の発揮9、 欲望と不安の関係10、 「かくあるべし」の発生と苦悩の始まり11、 事実本位・物事本位の生活態度の養成12、 治るとはどういうことか13、 「まとめ」の仕方(付録)森田理論学習でよく使われる言葉の解説基礎編はまず1年目に重点的に学習してもらいたい内容である。まずは神経症一般について理解してもらう。神経症の診断を行ってもらう。そして当面生活と観念の悪循環に陥っている人への提言を行う。要点と比べると、「神経症の成り立ち」は加筆修正を行う。「神経質の性格特徴」、「感情の法則」は今のところ特に変更点はなし。認識の誤りは、新しい単元である。高良先生がまとめられたものと、認知療法で説明されている認知の誤りについて学ぶ。応用編は2年目に入って学習してもらいたい項目である。ここからが森田理論学習の本丸である。要点の内容とはかなり違ってくる。内容的には似たような話が出てくるが、ここでは理論化して相互の関係性を重視した。まず「森田理論全体像」を頭の中に叩き込んでもらう。ここが大変重要である。次に森田理論の大きな4つの柱について本格的に学習をしてもらう。「生の欲望の発揮」「欲望と不安の関係」「「かくあるべし」の発生と苦悩の始まり」「事実本位・物事本位の生活態度の養成」である。4本柱は相互に密接な関係があるので、相互関係の学習は必須である。そして「治るとはどういうことか」「まとめの仕方」も学んでもらう。森田理論学習で使われる特殊用語の解説を最後につける。以上が私の「森田理論学習のポイント集」の内容です。これはすでに多くの人に配布した「新版 これで納得!実践的森田理論学習」のテキストの内容そのものであります。そして3年目に入ると、森田理論を実際に自分の生活にどう活用していくのか、どのように応用しているのかに取り組んでいく。このステップを踏みながら繰り返し学習することによって、短期に森田理論は生きる指針に出来ると思う。
2016.06.17
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森田理論学習をしている人は半年に1回か、1年に一回かは「まとめ」をしてほしい。森田理論を自分の場合に引き寄せて考えてみることである。そうすると現在の状況がよく見えてくるし、将来の学習の方向性も見えてくる。「まとめ」をおこなったらそれを集談会の場で発表したり、生活の発見誌の体験談に投稿してみるとよい。最初は今から述べる「まとめ」の全部を発表しなくても一部分でもOKです。いわゆる「ミニ体験発表」のようなもので十分です。すると、他の人の感想が寄せられる。それが励ましとなり生きる勇気をもらうことができる。次にアドバイスが受けられる。つまり自分を客観的に見れるようになるのである。軌道修正に役立つのである。特に認識の誤りなどは自分では気づきにくいので大変役に立ちます。最近は学習会でも体験発表が少なくなっているのはとても残念だ。それでは「まとめ」どのように行ってゆけばよいのでしょうか。早速見てゆきましょう。1、 まず自分のとらわれていること、症状について書いてみます。現在だけではなくその成り立ちについても振り返ってみましょう。2、 その結果、自分の生活にどのように支障をきたしていたのか。あるいは生きづらさはどんな状態であったのか。3、 次に視点を変えて、自分が望んでいる「生の欲望」はなんであるのかを考えてみましょう。4、 欲望があれば不安が発生します。生き方としては「生の欲望の発揮」を前面に押し出して、それが暴走しないように不安で制御することが重要です。そのバランス、調和がとれているかどうか考えてみる。特に「生の欲望の発揮」が蚊帳の外になり、バランスが崩れていないかどうかをしっかりと認識してください。5、 神経症に陥っている人は不安、恐怖、違和感を目の敵にして、取り除こうと格闘しています。あるいは気分本位になって逃避しています。精神交互作用を繰り返して、蟻地獄の底に落ちているか、落ちようとしています。その誤った努力方法をまとめてみましょう。6、 次に精神交互作用を断ちきるために、森田理論学習で学んだこと、自分が個別に取り組んでみたこと。その結果どのように変化してきたのかまとめてみてください。7、 さらに認識の誤りについて、自分の陥りやすい認知の誤りについてまとめてみてください。項目はキーワード検索で調べてもらえればすぐ分かります。8、 その中でも最大の認識の誤りは、「かくあるべし」です。自分の「かくあるべし」はどんなものがあるか。「かくあるべし」が神経症の苦悩の発生と生き方にどんな影響を与えているのか。森田理論学習の中で分かったことなどをまとめてみてください。9、 「かくあるべし」から脱却するのは、事実に反抗しないで、事実を受け入れることだといわれています。森田理論学習で気のついたこと、発見したことをまとめてみてください。そして現在事実本位・物事本位の生活実践がどの程度できているのかもまとめてみてください。10、 最後に、神経症が治るとは4つの段階があると紹介しています。自分の神経症の回復はその4つの視点に照らしてどのような段階にあるのかをまとめてみましょう。以上の点を参考にしてまとめを行ってみてください。何度も言いますが、最初から全部行う必要はありません。完全を目指さないでください。少しずつ、定期的に継続して行うことが大切です。それがあなたを成長させることになるのです。
2016.06.16
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神経症に苦しんでいる人たちの行動のレベルは、人によって違いがあると思う。重いうつ病などを併発した神経症の場合は、絶対安静が基本であるとされている。むしろ行動は控えたほうがよいといわれている。神経症の場合は、次のようなレベルが考えられる。レベル1 ほとんど行動が後退している人がいる。その場合は気が進まなくてもイヤイヤ、仕方なく手足を動かしていく。森田では月給鳥という鳥になったつもりで会社に出かけるとよいという。家族の生活費を稼いでくるという目標を明確にして、タイムカードを押しに会社に行くことです。家事では超低空飛行を心がけるとよいといいます。墜落しない程度にぼちぼちと行動することです。完全に休んでしまうと、飛び立つのにかなりのエネルギーを必要とします。レベル2 実践課題を作って取り組んでみる。それを1カ月に1回の集談会の前に振り返ってまとめてみる。布団あげ、部屋の掃除、靴磨き、風呂の掃除、トイレの掃除、車の洗車、ペットの世話、花等の手入れ、家庭菜園、地域の活動、趣味、運動等課題を作って取り組んでみる。レベル3 それが軌道に乗ってくるとステップアップしていく。気づいたことや発見したことを逃さないようにメモして課題のストックをためていく。簡単なものやりやすいものから手をつけていく。納期を意識して優先順位をつけて取り組む。できないことはしなくてもよい。雑仕事、雑事を大切にする。コツはものそのものになりきって行うということです。注意点は、今できることは一つしかない。完全にこなそうと思わず、6割できればよしとする。変化に臨機応変に対応していく。これは、森田では無所住心の考え方です。レベル4 規則正しい生活を心がける。夜寝る時間。朝起きる時間。食事の時間を一定にする。日常茶飯事、雑事に丁寧に取り組む。自分の不安や心配事よりも仕事、勉強、家事、育児に力を入れていく。レベル5 物、自分、他人、お金、時間をできるだけ有効に活かして使う。森田では「物の性を尽くす」といいます。レベル6 人の役に立つことを見つけて行動する。レベル7 好奇心を活かして、やってみたい趣味等に取り組んでみる。仲間との交流の体験を持つ。一人一芸を身につける。レベル8 大きな目標、課題を設定する。コツコツと地道な努力を重ねていく。目標達成に向けてチャレンジしてみる。このように、「行動の原則」を学習する場合は、まず行動にはいろんな段階があるということを認識する必要がある。次に自分の行動のレベルはどの段階に該当するのかをはっきりさせることが重要である。レベル1からだんだんとステップアップさせることが大切です。いきなりレベル8に取り組むのは考えものです。それぞれの段階にそって当面の学習する重点項目は限られてくる。重点項目が決まれば、それぞれの項目はもっと深耕して学習するとよい。ちなみに私の大まかな分類を乗せておくので参考にしてください。細かい内容はこのブログでも説明しているので、関心のある方はキーワード検索で見てみてください。レベル1の時に学習する項目 「見つめ、感じる」「まず手を出し動く」「感情と行動は別物」「取り越し苦労には時間切れを宣言する」「迷った時はイエスと答える」レベル2 「行動にははずみがあり、リズムがある」「外相ととのえば内相自ずから熟す」レベル3 「はじめての行動には不安はつきもの」「100%完全な行動はない」「今できることはひとつしかない」「無所住心」レベル4 レベル5「物そのものになりきる」「物の性を尽くす」「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にあり」レベル6 「人のために尽くす」「世話役を引き受ける」レベル7 「生の欲望の発揮」「一人一芸」レベル8「理想は高く、実行はこきざみに、小さな成功体験を積み重ねること」自分の行動レベルをしっかりと認識して、学習・実践に取り組んでもらいたい。そして達成されれば次の項目にチャレンジして学習と実践を積み重ねていってもらいたいものである。行動段階を無視してやみくもに学習・実践しても成果は上がりにくいと思う。おおむね「行動の原則」の学習は以上のように進めてゆかないと、学習のための学習に終わってしまうと思う。ちなみにこれは、私のいう「森田理論全体像」の中の、「生の欲望の発揮」に該当するところです。
2016.06.15
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森田理論学習では不安はそのままにして、行動をすることが必要であるという。そのためには補足版も含めて、新版森田理論学習の要点の「行動の原則」14項目の指針を参考にして実践することが大切であるといわれている。項目の内容は確かに森田先生のおっしゃられた事が多くそれなりに的を得ている。でもこれを読み合せして、自分の行動にどう結びつけたらよいのかとなると皆目見当がつかないという人もいる。全部ではなく、これはと思うものを選んで1つでも2つでも実行してみたらという人もいる。これに対して私は次のように思う。これらを手当たり次第取り入れることは、難しいと思う。効率が悪いし、どこを重点にしていくのか皆目見当がつかなくなる。すると学習のための学習で終わってしまい、体得には結びつかないのではないか。神経症で苦しんでいる時は、行動できていない。でも森田を学習して実行すると、少しずつ行動ができるようになる。そのうち弾みがついて軌道に乗ってくる人が出てくる。日常生活に丁寧に取り組み、規則正しい生活を心がけるようになる。そして大きな目標や課題に挑戦して人生を謳歌している人もいる。つまり行動に関しては人それぞれに行動のレベルが違うのだと思う。だから「行動の原則」の学習にあたっては、まず自分の行動のレベルを正しく認識する。次にこの14項目の原則は、行動レベルに応じて、重点的に学習する項目別に分類する。その項目をそれぞれに深耕して身につけていく。このように学習して実践し、レベルアップを図っていくことが大切なのではなかろうか。これらを私が実際に神経症克服にどう活用してきたのかをまとめてみた。1、 私は神経症で苦しんでいたころ、集談会に参加して言われたのは実践課題を立てて毎日の生活に取り組むことだった。神経症の苦しみはそのままにして、実践課題の達成を優先させること。ここは要点の、「見つめ・感じる」、「まず手を出し動く」「取り越し苦労には時間切れを宣言する」「はじめての行動には不安はつきもの」「感情と行動は別物」「外相ととのえば内相自ずから熟す」にあたる。これらの実践と学習が必須である。2、 そしてそれが軌道に乗ってきた時、仕事や日常生活の中で気づいたことや発見したことをすぐにメモしてストックを貯めていくことだった。それを一つ一つ丁寧に処理していくことだった。その時、「今できることは一つしかない」「100%完全な行動はあり得ない」「行動にははずみがあり、リズムがある」等を指針としていくこと。3、 その後日常茶飯事、雑事への丁寧な取り組み。規則正しい生活ができるようなると森田的生活ができるようになってくる。この段階では「無所住心」「変化へのすばやい対応」ができるようになる。その時に役立つのは、「物の性を尽くす」それから神経質者は一つのことにのめり込むことがあるので、「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にあり」を思い出して行動すること。行動は、症状を治すためにしていると失敗をする。「物そのものになりきる」をこころがけることも大切になる。4、 それから自分の好奇心に沿って、さまざまな興味あることに手を出していく。森田先生の言われているように、「境遇に柔順になり、運命を切り開いていく」私はここで、「一人一芸の習得」盛んに勧めている。ここでは「理想は高く、実行はこきざみに、小さな成功を積み重ねること」が役立つ。明日は行動レベルに応じた「行動の原則」の活かし方をさらに深めてみたい。
2016.06.14
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最近気づいたことが3つある。太陽の出る位置。正月から比べるとかなり北から昇ってくる。正月の初日の出の写真を撮ってこのブログに載せた。その時は家の前のマンションの屋根の上から昇っていた。それが今日見ると、そこからその写真の左端のさらに2倍も北から昇っていた。調べてみると私の住んでいるところでは、1月1日の日の出は7時16分、日の入りは17時10分。6月12日は日の出4時57分、日の入りは19時23分となっていた。日の出の差は2時間19分である。日の出に合わせて目が覚めるので得した気分になります。時が経つのは早いとしみじみ感じます。私は朝日をいっぱい浴びて体操をしています。東向きというのはいいですね。次に以前よりトイレの流し水を貯めているタンクの中が汚れるのが気になっていた。ヘドロのようなアクがたくさんできている。またタンク内が真っ黒になって汚れている。定期的に柄のついたタワシでこすっていた。ひよっとするとマンション内に供給されている水が汚れているのかと大変気になっていた。詳しい人に聞いてみた。すると、その原因はカビの発生にあるということだった。トイレを使った後タンクに流れ込む水で手を洗ったりすると、手についていた汚れや皮脂などがタンク内に流れ込む。カビはちょっとした栄養物があればすぐに繁殖するということだった。対策として手は洗面所で洗う。タンク内に防かび剤を入れておくことだそうだ。あとはエアコンのフィルターと同じように、定期的に掃除を怠らないことだ。ちなみにマンションは地下受水槽から屋上の高架水槽にポンプアップされている。そこから各戸に給水されている場合が多い。その過程でカルキが抜けて雑菌が入ったり、赤さびが入り込んだりするケースがあるということだった。飲み水の蛇口には洗浄機があった方がよいということでした。次に私の入っているブロバイタ―からこんな案内が来た。NHKで放送されたドラマから、ドキュメンタリーや情報バラエティまで、様々な番組が楽しめるサービスです。見逃してしまった番組やニュース番組、そしてもう一度見たい過去に放送した番組を、いつでも好きな時間に視聴することができます。NHK見逃し見放題パックは月額900円(税抜き)だそうだ。NHK総合、Eテレ、BS1、BSプレミアムで放送している番組から、 最近放送した大河ドラマや連続テレビ小説など、月々500~600本が見放題。放送当日または翌日から約14日間(一部の番組を除く)、ニュース番組が1週間視聴できます。これならこまめに録画を心がけていればなんとかいけそうだ。あまりメリットは感じない。次にNHK特選見放題パックも月額900円(税抜き)過去に放送され、保存されているNHKアーカイブスから、厳選した大河ドラマや連続テレビ小説、貴重なドキュメンタリー番組など、約5,000本が見放題。 配信期間中、何度でも視聴できます。単品購入1番組100円(税抜き)より見逃した番組を単品購入できます。これは番組内容が分かればきっと視聴したい番組があるような気がする。私は以前から、過去のすぐれた番組は、安価で見れるサービスがあればよいのにと心待ちにしていた。特に宇宙の成り立ち、人体の不思議、人間の進化、人間の歴史、資本主義の歴史、人間の欲望、戦争の原因、環境破壊、人生の達人、NHKスペシャルなどの番組である。今はまだ加入する予定はないが、成行きを注視してゆきたいと思っている。
2016.06.13
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森田先生は、「努力即幸福」ということを言われている。「相撲取りはその体力、学者はその智力、詩人芸術家はその感情、宗教家はその意思、みなそれぞれの個性のままに、その機能を発揮してゆくことが幸福である。欲の袋に底がないように、死ぬ間際までも、飽くことを知らない向上的努力、その努力なく幸福はない。」これは経済的に恵まれているとか、身体的、精神的な悩みや痛みがないとか、生まれてきた環境や境遇がよいとかいうこととは関係ありません。人間はすべての人が問題や課題を抱えている。その問題解決や改善のために、目標や課題を持って向上発展を目指している状態が幸福であるといわれている。だから幸福な状態というのは、すべての人に目の前に平等に開かれているのである。また幸福な状態とは、結果論ではなく、現在進行形の状態をいう。つまりプロセスを重視する考え方なのである。努力する過程そのものに生きがいはある。結果論というのは、他人と自分、過去と現在、「かくあるべし」という観念と事実を比較して是非善悪の価値判断を下していることである。他人のよいところと自分の悪いところを比較して自分を否定する。決してタイムスリップすることのできない栄光の昔話をして懐かしむ。事実や現状を無視して、自分勝手で普遍性のない理想状態に引き上げようとする。いずれも現実、現状、事実を否定しているので、不幸の道をひた走っているようなものだ。幸福は、将来に明るい展望のあるもの、本当の意味で人の役に立つことには積極的に行動をとる。それ以外のどうにもならないものは現実、現状、事実を受け入れることである。対人関係でも結果重視ではなく、プロセス重視の姿勢、会話を心がけることが大切である。例1 仕事でミスをした。結果重視する人 多くの人から叱られた。いたたまれない。ミスは元通りにはならない。いまさら事後処理をしても名誉回復できるわけではない。自分は仕事をする能力がない。もう会社を辞めるしかない。等と投げやりに考える。プロセス重視の人 とりあえず、迷惑をかけた人に事情を話して謝る。事後処理について検討する。第3者に相談して最善の手を早急に打つ。その後、どうしてミスが発生したのかを客観的に分析する。今後ミスを防ぐための対策を立てる。改めて関係各所にお詫びと説明に回る。自分を責めるのではなく、今後ミスの発生を防ぐことに力を入れる。例2 子どものテストの成績が悪かった結果重視の人 成績が悪ければ何をやってもダメだ。勉強している意味がないよ。ゲームをして遊んでばかりいるからこんなことになるのよ。だいたいあんたは勉強しようという意欲が欠ける人間なのよ。プロセス重視の人 残念だったね。この問題があなたに合ってなかっただけなのよ。あなたには問題はなかった。だってあんなに頑張って勉強していたんだもの。この次はきっとうまくいくよ。大丈夫よ。例3 友達とけんかをして泣いて帰ってきた。結果重視の人 どうしてめそめそ泣いているのよ。弱い人間ね、あの子に負けてはダメじゃないの。けんかは勝たなければ意味ないよ。もう一回行って仕返しをしてきなさい。プロセス重視の人 負けて悔しいんだね。負けて悲しいよね。でもこの悔しい経験は大きくなっていつか役に立つんだよ。悲しい貴重な経験はたくさんあった方がいいのよ。例4 イソップ物語の狐とブドウの話 狐が木に生っているブドウをとって食べようとしたが、何回挑戦しても手が届かない。結果重視 自分は運動能力の劣るダメな狐だ。何をしてもうまくできない。劣等感に陥り、こんな自分に育てた親が悪いと親を恨んだ。さらにあのブドウはきっと酸っぱくておいしいブドウではない。だから手が届かなくてもいいのだと思おうとした。プロセス重視 どうしてもブドウが食べたい。でも今の自分の能力では手が届かない。その気持ちは変わらない。どうしたらよいか考えてみよう。親の智恵を借りてみようか。そうだ、脚立のような台があったら届くかもしれない。探してみよう。結果を重視して、それを批判することと、プロセスを重視して次につなげることは最初はたいした違いはないように思えますが、そのうち雲泥の差となって表面化してきます。
2016.06.12
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高良武久先生のお話です。対人恐怖の人は、絶対に人から変に思われてはいけない、というふうな心の態度があるわけで、そういう心理は裏返してみれば傲慢な心理といってもいいでしょう。これは自分は完全な人間として見られるべきだということです。本当はもっと謙虚であっていいわけで、自分は欠点、弱点の多い人間だから、好ましいことではないけれど、時として人からいやに思われたり、軽蔑されたりすることもやむをえない。ただ、自分は自分のやれるだけのことをやればいいんだ、という態度が望ましい。実際、人間はみな不完全だから、人から変に思われることもあります。そしてもう一つの欠点は、自分がそうであるという実態よりも、人からどう思われるかという見せかけの自分に重きを置くということです。内面はどうであっても、ともかく人からよく見られればいいということにも通じ、極端にいえば、自分はバカであってもいいから、人からバカと見られることはよくないということです。対人恐怖の私には、この心理はとてもよく理解できる。私は、身体的、性格、能力、境遇などすべての面にわたって人と比べて、劣っていたり負けているということが我慢ができなかった。せめて人並みに引き上げあげないと、受け入れてもらえなくなる。すぐれたところは見向きもしないで、そういうところばかりに注意を向けてきた。またミスや失敗などは他人からつけ入れられる一番の原因となるので、いつもびくびくして、恐る恐る手をつけていた。特に仕事は楽しめないのだ。苦痛で仕方なかった。そのうち精神的に苦しくなって仕事などへの意欲が無くなっていった。自分のやるべきことややりたいことに目がゆかなくなり、不都合な事実を隠す、ごまかす、逃避する、否定することばかりしてきた。つまり自己防衛ばかりしてきたのである。将棋でいえば、攻撃面は全く頭にはなく、王将を隅の方に移動させて、周りを多くの駒で防衛させるようなものだ。これでは絶対に勝利することはできない。そのうち徐々に攻め込まれて、最後には丸裸にされて敗北してしまう。対人恐怖の私は、人から評価されたい。重要視されたい。一目おかれるような人間になりたい。等の欲望がとても強い。反面、批判される、無視される、否定されるなどということは耐えられない苦しみなのだ。そんなことで飯が食えるわけでもないのだし、どうでもいいことだと言われて納得したこともあった。でもあきらめきれない。身に沁み込んだ欲望であっていかんともしがたい。森田理論によると、不安はそのままに「生の欲望」に沿って、努力を継続していくことといわれる。私は大学卒業後訪問営業の仕事をしていた。訪問営業は8割方断られる。それも罵詈雑言を浴びせられ、自尊心が粉々に打ち砕かれることが多かった。そんな中でいつもよい成績をあげている人がいた。その人に聞くと、成績をあげる人はとくかく見込み客にたくさん会うことだという。数打てば確率的に必ず営業成績は上がってくる。断られたら「蛙の面に小便」のような気持ちでいるという。その人にいつまでも関わり合っているよりも、次の見込客に会うことだという。それはセールステクニック以前の問題であるという。優秀な営業マンというのは、一番多くの屈辱の断りを受け続けてきた人だという。それをたえず心に言い聞かせているという。それといつも自分の営業成績よりも少し上の人を目標にして、ライバルに追いつこう、勝ちたいという明確な目標を持っている人だった。森田でいう、不安や恐怖心がありながらも、目線は「生の欲望の発揮」に向いていたのである。私は、不安や恐怖にとりつかれて、なにかにつけてさぼってばかりだった。営業成績が上がらず、同僚たちから軽蔑され、そのうち退職に追い込まれた。それが時が経つうちに雲泥の差となって、その人は管理職になり雲の上の人になっていった。(どう生きるか 高良武久 白揚社82ページより引用)
2016.06.11
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高良武久先生は、入院森田療法を単に、説得療法、作業療法、日記療法などと呼称することは誤解を招く恐れがあると言われております。入院森田療法というのは、環境の変化、絶対臥褥、作業・遊戯、集団生活、日記指導、対話などの種々の方法の組み合わせになっています。森田療法による神経症の治療は、総合的に行ってきたし、単発で取り上げたのでは治療にならないといわれているのである。現在は森田療法による神経症は外来森田療法が中心である。その点どうなっているのか見てみましょう。環境の変化というのは、それまでのわがままのきく惰性的状況から隔離するものだが、外来森田療法にはない。退屈感の増大と活動意欲の蓄積をもたらすといわれる絶対臥褥もない。集団生活、作業・遊戯をすることもない。そして外来森田療法での中心は薬物療法である。そして若干森田的アドバイスを行う。その他、場合によっては日記指導を行う。これを精神科医が行う場合はよほど森田療法に理解のある医師である。カウンセラーによる対話が行われることもある。精神療法を行う場合もあるが、森田療法の格付けは下位である。精神療法の主力は認知行動療法である。集団療法が有効だと思われる場合は、生活の発見会の集談会を紹介されることもある。自助組織の意義を見出している医師の場合である。次に我々が行っている集談会での森田理論学習はどうだろうか。神経症で苦しんでいる人たちが集まるので対話はある。傾聴、共感、受容という基本姿勢は堅持して体験交流を行っている。仲間がいるということで精神的に大きな支えとなっていることは間違いない。だが高良先生が言われている入院森田の様々な方法の組み合わせというのは全くない。環境の変化、絶対臥褥、作業・遊戯、集団生活、日記指導などは、施設もない。指導者もいない。方法も分からない。時間もない。あるのは森田理論のエッセンスの学習である。それも理路整然と理論化されているとは言い難い。都合のよいところをつまみ食いしているようなものだ。実に残念である。ともあれ、こうしてみると、森田先生が編み出された入院森田療法による神経症治療方法はほぼ壊滅している。こうした状況の中で神経症治療における森田療法の役割は終わったのであろうか。あるいはいろんな療法が出てきたおかげで、森田療法の果たすべき役割が相対的に低下してきたと見るべきなのだろうか。私の見解は、厳しいことを言うようですが、神経症治療における森田療法の役割は低下してきたとみている。もうほとんど果たすべき役割を持っていない。だから森田、森田という前に別のことをした方がよいと思う。それは、神経症の治療にあたっては薬物療法をはじめ、カウンセリング、30種類以上もあるといわれている精神療法がある。それらを整理して、神経症でもがいている人に分かりやすく解説することである。その一環として森田療法があるにすぎないのである。だから最初から森田療法を金科玉条のごとく神経症治療の中心に据えるのはやめた方がよい。神経症治療に森田療法を選ぶ人はかなりの変わりものになっている。時代の流れに逆らうのは無駄であると思う。その中からその人にあったやり方を選び、組み合わせて紹介するというのが重要である。そういう交通整理をすることは是非とも必要であると思う。その過程では森田療法が選択されれば、出来る限り協力はしたいと思う。それなら森田理論は過去の遺物なのかという意見もあろうが、私はそうは思わない。この点は声を大にして訴えたいのである。神経症治療は、すべて当面の最悪の、生活や精神の悪循環を脱出するだけのものだからである。その証拠に神経症が治った後、末長くフォローするような療法は、森田以外にはない。つまり数多くの治療法は対症療法であるということだ。神経症に陥る人は認識の誤りが強く、生きづらさを抱えている人である。そのままの状態で人生を全うすることは大変につらい。途中で挫折する可能性が大である。そういう人は、遅まきながらも、神経質性格者としての自分の人生観を確立する必要がある。船でいえばGPSや羅針盤を取り付けて安全航行を図るようなものである。大海を航行する上での必需品ともいえる。森田的生き方を学習して、身につけると生きることが楽しくなる。人間に生れてきたことを心の底から感謝できるようになる。森田療法は単に神経症を治すためだけの理論ではない。あなたはこの先どう生きていくのですか。その基本姿勢を教えてくれている理論なのである。ここが他の療法と全く格が違うところである。それをどう間違えたのか、森田理論を神経症治療の最右翼のように持ちあげている人がいる。見ているととても無理矢理こじつけているように見えてしまう。目的を見失っているのである。目標や目的地を誤っては、人生そのものを見失ってしまうことに通じると思う。(どう生きるか 高良武久 白揚社180ページより一部引用)
2016.06.10
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2016.06.09
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森田先生のエピソードはユニークなものが多い。奇人変人と言われるようなものである。1903年(明治36年)、森田先生は29歳の時医師免許を手にされた。その年の8月、郷里に「犬神憑き」の調査を兼ねて帰省している。その当時新進気鋭の東京帝国大学出身の医師の帰還は、高知では一大ニュースであったという。高知病院を訪問した際にも大歓迎を受けた。入れ替わり立ち替わりもてなされて4次会まで参加された。記憶がなくなるまで飲んでおられる。次の日二日酔いになり、寝ていたところ、ある女学校から始業式に講演を依頼された。森田先生はふらふらにもかかわらず、さらに迎え酒で景気をつけて、600人の女学生を前に「迷信とはなにか」と題し1時間の講話をされた。その後前日のお礼にあちこち訪ね歩いては、さらに宴会を重ねている。調査旅行の最終日には、高知医学会で講演を行った。演題は「犬神の迷信とその症例、祈祷と催眠術、神経症および精神病の治療に関する注意」で3時間にも及んだという。ここでも面白い逸話が残っている。「演説中に、小松先生は、私のために、コップに水の代わりに酒を入れてくれたが、私は演説しながらコップ3杯余りをかたむけつくした。これが精神科医として学会演説の初陣であった」その時の服装は学生用の黒い木綿の袴をはいていた。女学校の講演もこの格好でやったようである。着やすく、実用的であるというのがその理由である。そのため高知病院の院長は、当初帝大出身の医学士、森田正馬先生とは気がつかなかったという。この手の話はいろいろある。形外先生言行録で河原宗次郎氏が書いておられる。「診察料10円をお支払いして診察を受けました。倉田百三先生の本を見てきたので、よほど偉い先生だと思っていた。私は偉い先生にお目にかかるのだからと思って、略礼装の黒上着に折り目正しい細縞のズボンをはいていた。案内されて、粗末な机の前に座っていると、まもなく、和服を無造作に着た、痩せて小さな猫背の老人が現れた。それが森田先生だった。この人が私のむずかしい病気を治せるのかと、少したよりなく思ったことであった」河原さんは、立派な体格で、威厳があり、近寄りがたいイメージで神妙に構えておられたので、かなり面喰ったようである。しかし話し込んでみるとすぐにその認識は変化したようである。恩師の呉秀三教授は立派な体格で、いかにも大学教授という風采であった。ところが森田先生は、小柄で黒い詰襟の洋服を着て、ポケットから下足札をのぞかして話すような人であった。あまりにも風采が上がらず新入生からは小使いさんと間違われていた。往診に行けば、あまりの風采の悪さに弟子を生生と見間違えられて、森田先生は診療を断られて追い返されたこともあった。神経症で苦しんでいる人は、自分の欠点は隠したり、ごまかして、見た目に気を配り、実態以上によく見せようとするものである。しかし、その思いとは裏腹に、他人にとっては、その人は油断も隙もできない付き合いづらい人とうってしまう。森田先生のように、最初から自分の欠点や弱みをあけすけに見せつけられると、かしこまって防御態勢を敷いていたのが、急に緩んで、親しみを持って見ることができるようになるのだろうと思う。
2016.06.09
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森田先生は1924年(大正13年)4月21日の日記にこう書いている。「女子体操音楽学校に15年勤続記念として(藤村トヨ校長より)100円を贈られる。余は明治41年3月以来無報酬にて講義し、盆暮れに5円の礼金ありたるのみ」森田先生はそれらのお金は全く手をつけないで郵便貯金されていた。学校が経営難に陥った時役立ててもらおうと思っておられたのである。藤村校長は昭和4年ドイツに体操教育の視察に行くことになりました。森田先生はそれまで貯めておいた2000円余りのお金を「これを持ってゆきなさい」と言って手渡されました。藤村校長は、「1年2年ならともかくも、10余年間、先生は私と私の学校の為に貯金しておいてくださったのです。私の生涯で、この時ほど感動したことはありません」と言われている。その他にも、森田先生は気前よく多額の寄付をしている。郷里の冨家村(高知県香南市野市町)の小学校には4000円を寄付して森田館という講堂を立てた。また小学校にブランコや滑り台、図書、講堂の時計なども寄付していた。また慈恵医大にも2万円という驚くほど多額の奨学資金を提供している。一方では、自分はせんべい布団に寝て、大学の医学部の先生とは思えない服装で通された事はよく知られている。贅沢とは無縁の人だった。熱海の森田旅館の開館も経営難に陥った人を救済することから始められたことである。けっして副業でひと儲けしようなどという浅はかな考えではなかった。利益を出さなくてもトントンの収支でよいと始められたのである。形外先生言行録の中に田原あやさんの原稿があります。(ちなみに、田原あやさんという名前がよく出てくるが、森田先生と田原あやさんは親せき筋にあたる。森田先生の異父姉弟に道さんという人がいた。その方が田原家に嫁いだのである。その兄妹の子供が田原あやさんだった。あやさんは東京にでて森田先生の世話をされていた。)森田先生から物の性を尽くし、100円のものは1000円に、1000円のものは1万円に、というふうに、その物よりもっと高く活かして使いなさい、とよく言われました。「綾子たちは、1000円のものは100円に、100円のものは10円にしてしまう。もったいなくてやる気にもならない。」といわれました。森田先生はお金もそのものの価値以上に活かして使うように工夫しなさいといわれているのです。時間も「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」と言われて、有効に活用することを自ら実践されていた。洗面器1杯の水の使い方、自分の活かし方、入院生等の活かし方もすべての面で潜在能力を見つけ出して最高の形で活かしきるということを実践されていたのである。森田を実践していくとなんでもとことん活かしてゆけるようになる。
2016.06.08
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森田先生と久亥夫人はよく夫婦げんかをしたようである。入院生がいる前でも平気で夫婦喧嘩をしていた。そして後でどちらに理があるか聞いていたようである。けんかの原因は、どうもたわいのないことが多かったようだ。たとえば、森田先生は豆腐が大好物だったが、奥さんは好きではなかった。森田先生が「この頃ちっとも食べさせない」という。それに対して、奥さんは「あれほどたびたびこしらえているのに」と反撃する。奥さんが温泉行きを前にけんかになり、すねた奥さんが旅行を取りやめたこともあった。また森田先生が根岸病院に行く前に、えんえんと4時間もけんかをして大幅に遅刻したこともあった。つまり二人とも、自分の意志が強く、簡単に引き下がるということはしなかったようである。普段からお互いに言いたいことを言い合って、大きなストレスをため込まないようにされていたのではなかろうか。二人のけんかを見ていると雨が降って地が固まるようなけんかであったようだ。お互いに相手を毛嫌いして、まったく寄りつかなくなり、無視しづけるというのとは異なる。協力しあったり、ともに楽しんだり自由自在であった。当時大学教授というのは、社会的には権威があり、とても尊敬される立場の人であった。普通なら雲の上のような立場を利用して、一方的に奥さんを抑圧して思うがままにコントロールすることだってあり得たと思う。しかし森田先生に限ってそんなことは全くしなかった。奥さんを一人の人間として、対等で平等な人格の持ち主として処遇していた。その証拠に森田先生は、奥さんに対して毎月の家事労働に対して給料を払い、盆暮れには賞与も出していた。給料は最初は20円。それがやがて30円。50円になっていった。その頃の1円は少なく見て5000円から1万円の価値があった。また森田先生は、金がなくなると奥さんに借金をして、年1割の利子をつけて返済していたという。今どき生活費の他に家事労働に対して給料を支払うという人がいるだろうか。ましてや夫婦間で借金をして利子を払うというのは聞いたことがない。森田先生は奥さんを対等で平等な人間と見ていたということでなかろうか。森田理論に「物の性を尽くす」というのがある。これは物だけではなく、自分も、他人も、時間も、お金についても言えることである。それもただもったいないからというのではない。そのものの持っている潜在能力や価値を見つけ出して、とことん活かし尽くすという考え方なのである。すべての物や人間に対する愛や信頼感がベースにあるのである。それが人間本来の生き方ではないのかと言われているのである。その一環として、奥さんの存在そのもの、潜在能力を高く評価されていたのだと思う。
2016.06.07
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次に高良武久先生が人間関係で楽になる道は、その道のエキスパートになることだと言われている。一つのことを10年も続けていると、その道ではある程度専門家になれる。この道では誰にも負けないという自負があると、少々人から間抜けだ、馬鹿だと言われても立ちあがれないほどの心の痛手は受けないものである。ぜひそういうものを持ちたいものである。コツコツと努力していくのが得意な神経質者は取り組みやすいのではないかと思う。次に自己中心的な人は、内観療法をお勧めしたい。7日間の集中内観を受けると自然と身の周りの人に感謝できるようになる。しかしこれはそのままにしておくと元の木阿弥になってしまう。家に帰ってからも日常内観を継続しておくことが大切である。次に私たちは自己主張が下手なのだから、少しは自己主張の方法を学んでいくことだ。いつも相手のいいなりになったり、我慢して耐えたりしていてはストレスがたまる。小分けにして自分の気持ちを表現していく方法を学んでいくことだ。これはテクニックの問題だ。その方法としてはアサーショントレーニングがある。自分の気持ちを正直に伝え、かつ相手にも配慮した主張的な言い方を会得していくのだ。そのポイントをあげておく。何かの本で見つけたのだが、忘れたので資料名を示せないのでご了解いただきたい。1、自分の気持ちを考える我慢したり押し殺したり、感情任せになるのではなく、自分の正直な気持ちはどういうものなのかをしっかりと考える。2、つぎに相手の気持ちを考える。自分の気持ちを一方的に伝えるのではなく、それを言われた相手がどのように感じるのかということを考える。3、自分を主語にして発信する。「私は・・・」という表現を用いることで,自分の気持ちを伝えやすくなる。攻撃的表現になりがちな人は「あなたは・・・」と相手を主語にしていることが多い。相手を主語にすると,どうしても否定的になりやすいし,相手を責めた口調になるので気をつける。これは「あなたメッセージ」から「私メッセージ」への発信の転換である。4、前向き,肯定的な言葉を用いる「できない」などの否定表現や自分の立場だけを考えた言葉は使用しない。「~したらできる」など,肯定的でポジティブな言葉を使用したほうが相手も受け取りやすい。5、気持ちを伝える自分の感情・気持ちを表す言葉を用いることで正直な気持ちを伝えやすくなる。「~していただけると嬉しい」,「~だと助かります」,「~で困っています」など。6、お願いの表現を用いる「こうすべきだ」,「こうしなさい」などと支配的,一方的に言うのではなく、「~してほしい」という表現のほうが受け取りやすいし、お互いに意見が違っていても協力的に進めやすい。たとえば・・・Aさんは顧客のトラブル対応のため、明日までに宿題を仕上げなくてはなりません。残業は確定です。下手をすると徹夜になるかもと覚悟したその時、上司のBさんがやってきてこう言います。「さっきMailしておいた報告書の件だけど、明日までに仕上げてね。よろしく。」この場合、Aさんは上司Bさんにどのように返答すればより良い結果が生まれるでしょうか?一例を挙げると・・・「実はお客様から宿題を頂きました。明日までに仕上げなくてはならないので、申し訳ないですが報告書の作成は今は出来ません。」と、ていねいに、しかし、はっきりと伝えます。その上でスケジュールを確認し、「明日のXX時以降でしたら報告書作成に取り掛かれそうなのですが、いかがでしょうか?」と前向きな対案・提案を行うことができればとても良いでしょう。自分の意見も相手の意見も大切にしており、意見の食い違いがあっても歩み寄ろうとする姿勢が見られます。たとえ自分の意見が通らなくても、相手に自分の気持ちを率直に伝え、対等にコミュニケーションができたことで、お互いにストレスを感じることもなく、さわやかな印象が残るだろうと思います。最後に、ユーモアあふれる生活を送る。これについては、6月1日にその一端をご紹介しているのでご覧ください。我々は楽しむために生れてきたのだから、大いに人生を楽しみましょう。そしてそのおすそ分けを周りの人にしましょう。これらを実践して、生活という車輪が少しずつ前に向かって進み出すとしめたものだ。そのうち弾みがついて、新しい気づきや発見が増えてくることだろう。その時は対人的な悩みは、あることはあるが気にならない程度にしぼまっていることだろう。初めから目一杯のところを目指さないで、1年経って少しは違う自分がいるというぐらいがちょうどよい。
2016.06.06
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次に子どもは、いたずら、冒険、反抗、けんか、ふざけ・おどけ等の体験を通して自主性、自発性が強まる。意欲ややる気に満ちてくる。人間にとって自主性、自発性の獲得はとても重要で欠かすことはできない。ところが私たちは親によって過保護、過干渉、放任で見放されて育てられた。その結果として、神経症やアダルトチルドレンになり苦しい人生を余儀なくされているのだ。そして私たちは五無主義に陥った。無気力、無関心、無責任、無感動、無作法である。また覇気がなく、毎日が退屈で、生きているのがつらい。生まれてこなければよかった。対人折衝能力がなく、欲望が暴走しやすい。こんな状態になったのは私に問題があったわけではない。責任をとる必要はない。罪悪感で苦しむ必要もない。でもこのままでは苦しい。だから未来志向で少しでも改善して楽な生き方を身につけたらよい。遅ればせながら、自主性、自発性を回復させていこうではありませんか。そのために森田理論学習をお勧めしたい。森田理論学習は希望の光となると思う。まずは要点に沿った基礎的学習をする。さらに私の提唱している森田理論の全体像の学習をして森田の4本柱を学ぶ。生の欲望の発揮、不安と欲望の関係、認識の誤り、とりわけ「かくあるべし」の発生と苦悩の始まり、事実に素直になる態度の養成などは力を入れて学習してもらいたい。これらを学習して、自分の生活に取り入れることによって、人間に生れてよかったという気持ちに変化する可能性が高くなる。具体的には森田はどんなことを言っているのか。まずは日常生活の立て直しである。毎日規則正しく、雑事に丁寧に取り組んでいく。昼夜逆転の生活を改めていくことだ。つまり自分の心の中はいかに苦しかろうとも、そんなことはどうでもよい。その前に形を整えよう。最低限の生活を維持していこうということです。心を自分の方に注意を向けずに、外に向ける。生活の方に向けていくということです。凡事徹底ということです。簡単なことのようだが、継続することは難しい。凡事徹底できる人はたぐいまれな非凡な人になれるということを覚えていてほしい。それができるようになったら、自分の関心のあるものに少しずつ手を出していくことだ。すると弾みがついて少しずつ拡がっていくものだ。興味があるものは、なるべく手を出していく。お金をかけないで、身近な楽しみをどんどん見つけて生活を楽しむようになることだ。私は一人一芸を盛んに勧めている。私のアルトサックスを見て3人の人が新たに始めた。その他どじょうすくいの踊りや獅子舞も舞う。その他今までにチヌ釣り、スキー、テニス、トライアスロン、資格試験の挑戦などにも取り組んできた。いずれも楽しいものばかりだった。人から強制されたものではない。自分がやりたいから手を出してきたものだった。そういうものに取り組むことで、対人恐怖症がありながらも、なんとか仕事を続けることができた。自主性、自発性の回復にはまだまだ重要な点がある。明日も引き続いて、自主性、自発性の回復にむけて投稿してゆきたい。
2016.06.05
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子どもにとっていじめられてクラスで孤立することは、薄氷の上を歩いているようなものだ。生きた心地はしないと思う。大人でも会社で上司、同僚、女子社員等から無視されて孤立無援になると大変なストレスになる。私が苦しかった時はそんな状態だった。私はそんな人に言いたい。決してあきらめることはない。改善する方法がある。森田理論学習に希望がある。こういう方は森田理論学習をして、森田を生活指針として生きていく術を身につけてもらいたい。そうすれば私みたいになんとか生きていける。孤立している時は、蟻地獄の底に落ちてもがけばもがくほど底にずり落ちてしまう状況です。そういう人は対人関係の持ち方や在り方が分からないし、自分が信じられないのだと思う。まずどうしてそうなったかという現状をしっかりと把握していくことが大切だ。これは親の育て方に問題があったのである。自分に責任があったのではない。だから自己嫌悪したり自己否定する必要は全くない。また罪悪感で苦しまなくてもよいのだ。まずは愛着障害。そして過保護、過干渉、放任等の育て方をされてきたのだ。自分の意思が尊重されず、抑圧されて親にいいなりになってきた。だから、もっとやる気を出せとか、言いたいことがあったら言えばいいじゃないかと言われても、いまさらおいおいと出せる状況にはないのだ。また自己中心的で、他人を思いやる気持ちも育たなかった。でも赤ちゃんからもう一度やり直すことはできない。また親を恨んだところで自分がみじめになるだけだ。親も自分の親からそのように育てられたので、自分の子どもをどう教育していいのか分からないままに育ててきたのだ。そういう意味では親もまた被害者なのである。子育てを学ぶ機会がなく、自己流の方法をとってきたというのが問題だったのである。さて森田理論で状況が好転すると言っても、ケガが跡形もなく完治するようなわけにはいかない。そこは誤解しないでほしい。今の対人的な苦しみが10%か20%でも少なくなればよしという人にとっては福音となりうる。まず愛着障害の改善です。愛着の修復は、何かにつけて自分に寄り添ってくれる人を作るということです。そういう人が一人もいないと生きていくことは茨の道となる。いつもは自分のすることを温かく見守っていて、励ましたり、ほめてくれたりする人です。いざ窮地になった時は助けに入ってくれる人です。そういう人を見つけましよう。本来は親がその役割を果たすべきです。ところがいじめにあっている人は、親にそれを期待することはできません。しかし、親に変わってそういう人を見つけておくことは必要です。私は集談会にそういう人がいました。30年以上集談会に参加してきました。その人は1回も私のことを非難したり説教された事はありません。いつも温かく見守って、いつも気にかけてくださっていました。そういう後ろ盾を得て、集談会の中では自由に役割を果たすことができるようになったのだと思います。そして、その後ろ盾を頼りにして会社勤めがなんとかできたのである。私の場合は運が良かったのかもしれません。そういう人はなかなかいないかもしれません。私はせめて集談会の場は、傾聴、受容、共感の場になるようにお互いに配慮したいものだと思います。他人を非難したり、強引なアドバイスをしたりすると傷つきやすいガラスコップのような私たちの心はすぐに割れてしまいます。集談会の場では、気にくわないことがあっても、なるべく口にしないようにしましょう。それと、いじめにあっている人というのは人間関係の幅がとても狭い。これはまずいいことだと思います。コップいっぱいの人間関係を2、3個しか持っていないというのはとても危ない。その人たちが自分に危害を加えるようなことをしたらいっぺんに人間関係が壊れて、孤立してしまう。コップに少しだけ水が入っているような人間関係をたくさん作っていくのが森田流です。だから人間関係の幅を広げていく努力をする必要がある。配偶者、家族、親戚、同級生、集談会、勉強会、趣味の会、飲み友達、ボランティア関係、仕事関係、隣人、親子会など身の回りの人間関係は幅広いのである。深入りは必要ない。時と場合に応じて必要な人間関係を、必要なだけ薄く幅広く作ることを心がけていくべきだと思う。そうすると学校や仕事での人間関係が壊れても、別の人間関係が救いになる。そういう時こそ助けてもらえることがある。さらに幅広い人間関係の中に自分と相性が合う人は自然に見つかるものであると思う。それと学校や職場でいったん孤立してしまうとこの状態が永遠に続いてしまうような錯覚に陥る。しかし現実は違う。学校は卒業してしまえばいったんは解散になる。職場でも、上司は常に変わるし、同僚も入退社を繰り返している。特に女子社員などは頻繁に入れ替わっている会社が多い。どこの会社に行ってもうまの合わない人間は必ずいる。でもその人たちと一生にわたって付き合うわけではないということもしっかりと認識しておきたい。愛着障害を抱えた人は、後ろ盾がないので、人間関係作りはとても困難ではあるのは確かだ。無理のない範囲で愛着の回復を遅まきながら進めていくことが大切だと思う。次に無気力、無関心、依存的、刹那的快楽主義の自分をどうしていくのかですが、明日投稿します。
2016.06.04
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もうすぐ菖蒲が見れますね。可憐で清楚な花だと思います。
2016.06.03
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森田先生と親交の深かった藤村トヨさんはどんな人物だったのだろうか。藤村トヨさんは国立市の東京女子体育大学、武蔵野市の藤村女子中学校・高等学校の創立者とされている。その前身は私立東京女子体操音楽学校で、所在地は日暮里であった。森田先生の家から15分程度だった。学校とは名ばかりで掘立小屋のようであったという。藤村トヨさんは、当初は創立者の高橋忠次郎氏に請われての一教師であった。高橋忠次郎が野望を持ってアメリカにわたり、その後を託されたのが藤村トヨさんであった。しかし、学生は集まらず最少は1学年6名のこともあったという。学校経営は火の車で、役所から廃校の勧告がなされたこともあった。いばらの道であったことは容易に想像がつく。藤村トヨさんは生活のため私立東京日本女学校で体育教師をしていた。森田先生との親交はここから始まった。森田先生もここで生理学、心理学を教えていた。1908年(明治41年)3月、森田先生34歳の時、藤村トヨさんの依頼で、無償でこの学校の講師を引き受けている。この学校は当初講師料を支払うゆとりはなかったのである。藤村トヨさん31歳の時のことである。以来森田先生は亡くなるまで援助を惜しまなかった。何か普通の女性にはない芯の強さのようなものを感じたという。藤村トヨさんは1876年(明治9年)香川県坂出に生れている。大変な才女であったが、離婚した母のもとで、なんとしても学問で身を立てて家族を養わなければならないということにとらわれ出してから心身ともに変調をきたしてきた。勉強恐怖症になり、不眠、食欲不振、胃腸不良、自律神経失調症などに悩まされた。それでも1899年(明治32年)23歳の時、東京女子高等師範学校(今のお茶の水女子大学)に官費給付生として合格し上京している。ところが2年時から体調がすぐれず、寮の規律は守れず、授業は欠席が多かった。そのうち精神衰弱および脚気として診断されてやむなく退学処分となり、失意のうちに坂出に帰って行った。この病名は森田先生の場合と同じである。森田先生は神経衰弱、脚気、不安発作などで悩まされていたが、藤村トヨさんも同じような症状で生死の境をさまよった経験をお持ちだったのである。いつも死が身近なところに迫っていたのである。そんな折、1902年(明治35年)に高松市で関西教育者大会の運動会があった。その時、東京女子師範で習ってきた体操やダンスを生徒に教えてほしいとの依頼があった。その時は、もう死を覚悟しているような状態で、憔悴していたが、死ぬ前の最後のご奉公のつもりで引き受けた。しかしこれが転機となったのである。昼は生徒と一緒になって走り、跳ね、踊り、夜はたくさん食べ、よく眠った。2月から練習をはじめ5月の本番前の3ヶ月間ですっかり健康を取り戻した。トヨさんは、神経衰弱、脚気、勉強神経症、健康不安等のとらわれを脱して心身ともに健康体となったのであった。ここが森田理論の神経症回復に通じるところである。その後10月からは私立丸亀女学校の体育教師となった。そして翌年1903年、東京女子師範の恩師高橋忠太郎に見出されて再び上京を果たしたのであった。私立東京女子体操音楽学校の教師となったのである。その後はめざましい快進撃で女性の体育教師の育成に一生をささげたのであった。その妥協を許さない厳しい指導方法は森田先生とよく似ている。でも卒業生はトヨ先生を大変に慕っていた。立派な体育教師を一人でも世の中に送り出そうと燃えるような情熱にあふれていたのだ。その二人が運命の糸で手繰り寄せられ、それぞれの分野で多くの人材を育成されて、多大な社会貢献をされた事はとても興味深いことである。(気骨の女 寺田和子 白揚社参照)
2016.06.03
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つもり違い12箇条というのがあるそうです。1、 有るつもりで無いのは記憶2、 無いつもりで有るのは思い込み3、 高いつもりで低いのは教養4、 低いつもりで高いのは気位5、 深いつもりで浅いのは知識6、 浅いつもりで深いのは欲7、 厚いつもりで薄いのは人情8、 薄いつもりで厚いのは面の皮9、 強いつもりで弱いのは根性10、 弱いつもりで強いのは我11、 多いつもりで少ないのは分別12、 少ないつもりで多いのは無駄これを壁に掲げて毎朝声を出して読んでいる人がいるそうです。一つ一つはとても含蓄のある言葉ですね。こういう謙虚な気持ちで生きていければ素敵ですね。ハワイには「ホ・オポノポノ」という考え方があります。森田理論でいう「かくあるべし」で人間は苦しんでいるのだという考え方が根底にあるのだと思います。実際には毎日、「ごめんなさい」「許してください」「ありがとうございます」「愛しています」をいつも口ずさむのだそうです。それではたして「かくあるべし」が少なくなるのかどうかは疑問ですが、気持ち的には分かるような気がします。我が家の亡くなった母は良寛さんの「丁度よい」という文章を掲げていました。お前はお前でちょうどよい。顔も体も名前も姓も、お前はそれは丁度よい。貧も富も親も子も息子の嫁もその孫も、それはお前に丁度よい。幸も不幸も喜びも、悲しみさえも丁度よい。歩いたお前の人生は悪くもなければ良くもない、お前にとって丁度よい。地獄へいこうと極楽へいこうといったところが丁度よい。うぬぼれる要もなく卑下する要もなく上もなければ下もない死ぬ日月さえも丁度よい。お前はそれは丁度よい。母は無い物ねだりをしないで、与えられたものを大切にして、精一杯生きていこうとしていた人でした。
2016.06.02
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先日2016年度のサラリーマン川柳が発表されました。気に入った作品は、退職金 もらった瞬間 妻ドローン娘来て 「誰もいないの?」 オレいるよ以前面白いと思ったのは続柄 あわてて「妻」を 「毒」と書き土地もある 家もあるのに 居場所なし逆らわず いつも笑顔で 従わず仕事する ふりをするのに 一仕事ハイハイと 軽い返事に 重い腰手術後に メスはあるかと 聞く患者丸投げは どんな技かと 子に聞かれさて、私はよく「なぞなぞ問答」を作って遊んでいます。巨大地震とかけて何と解く子どもの反抗期と解くその心は将来高い確率で必ずやってくる舛添都知事とかけて何と解く子どもを虐待して逮捕された親と解くその心は言い訳ばかりで、多くの人に迷惑をかけたという認識がほとんどない「森田の達人」とかけて何と解くロウソクと解くその心は我が身を削って人を照らす神経症の陶冶とかけて何と解くかさぶたと解くその心はいじくっているとどんどん悪化します私はそれ以外にも、川柳作りと収集、都々逸の収集、ユーモア小話作りや収集、替歌作りなどにも凝っています。これらが現在A4版のレポート用紙で100枚以上たまっている。イヤなことがあった時はこれを取り出して見ていると、いつの間にか笑いが出てきて、自然に心が和んでくる。安定剤や睡眠薬よりも効果があると確信している。神経症の人でユーモア精神満載という人はほとんどいない。いつも難しそうな顔をして、グチ、不平不満、人の悪口を言っているようなイメージである。本人は注意が自己内省的で、自己否定している状態だから苦しいのである。そんな人にぜひ川柳作りと収集、都々逸の収集、ユーモア小話作りや収集、替歌作りをお勧めしたい。それ以外にもカラオケ、コーラス、ダンス、楽器の演奏等もいいと思う。川柳は生活の発見誌の1月号に披露されている。それを目指して1年間作ってストックしておけば気に入ったものができるかもしれない。その他新聞などにも投稿してもよい。都々逸は、「信州信濃の 新そばよりも わたしゃあなたの そばがいい」というようなものだ。7、7、7、5でできている。男女の機微を歌ったものが多い。これを三味線に合わせて料亭などで楽しんだものであろう。ユーモア小話は、最初は収集から始めるとよい。苦しい時はそれを眺めてみることです。効果がありますよ。そのうち自分でも作ってみる。ユーモア小話はネタ集めが重要だ。珍しい話、失敗した話、カン違いのネタ、ヒョウタンから駒の話、子どもネタ、食べ物ネタなどその気になればいくらでも転がっている。それをメモしてストックしておくことだ。これは磨けば光る原石のようなものだ。それをいくつか組み合わせて面白小話として2、3分にまとめることだ。そして集談会等の場で披露して見ることがさらに上達できる。以前の発見誌にのったものを紹介します。ある人の日記。昨日服用した「ハッキリA」はいまいち効果がなかった。今日は新しく「スッキリS錠」を試してみた。・・・が、「パッチリM」に比べて、パンチが弱いので、「シャッキリ」と混ぜて飲んだら少し効いた気がした。まあ、口当たりからすると、「シッチャカ」と「メッチャカ」あたりが好みだ。噛みしめたときにほのかな甘みが口の中に拡がるのは「プッツンAM錠」だった。ミイの悩みわたし、ネコとして失格なんでしょうか。ネズミ一匹捕まえられないなんてクヤシイ!今まであの憎きチュー吉を捕まえようとして障子紙は破るわ、パパさんの大事な盆栽の鉢植えを落して割るわ、ヘマばっかり。「お隣のタマは1日に3匹も捕まえるんですって、感心ね」なんてママさんはイヤミを言うし、私のプライドはズタズタ。こんな自分自身が情けないやら腹が立つやら、落ち込んでいます。集談会でこんな楽しい話がどんどん出てくるようになると、参加者が集まるようになるでしょうね。ついでにこんなところに注意が向いている人は、神経症に振り回されなくなっているのです。
2016.06.01
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