全2件 (2件中 1-2件目)
1
ふとしたきっかけで呼び覚まされる記憶がある。去年、来日していた フラメンコの踊り手である「バルージョ」フラメンコ関係の方はご存知かとは思いますが、かの 伝説の踊り手 「ファルーコ」の孫であり「ピラール」の息子、そして 「ファルキート」と「ファルー」(※現在はファルーコの名を継承)の従妹にあたります。幸運にも、彼が座長として来日したステージを見ることが出来たわけなのですが、すぐに、ブログで文章化しなかったのは、その時の味わった感動みたいものを、「言葉にすることで逃がしてしまう・・」と考えていたのかもしれませんね、セビージャ在住時に、当時、10代前半だったと思われる彼と出会ったのはある 古ぼけた倉庫の一部屋で行われていた、フラメンコの踊りのクラスでギター伴奏をさせてもらっていた時のことだ、何げなく 遊びに来た彼は人懐っこい笑顔で僕のところに寄ってきて「ギターを買ったんだ!あっちで 一緒に遊ばないか?」と言ったよく判らないままついていくと、「ブレリアを弾いてみろ」と言う何とも、この街は 突然の恐ろしい試練を僕に与える・・また子供とはいえ、生粋のヒターノ(ロマ)でありそれが かの「ファミリア・ファルーコ」の一族の一人の前となるとどうしたものか・・と ついつい考え込んでしまう「ナランハ(オレンジ)の実でもぶつけられたらどうしよう・・」と思いつつも、彼は、僕が思う以上に、僕の弾くギターを真剣に聞いてくれていた。その時の、ファルセータ(ギターのフレーズ)に興味があったのか、純粋に好奇心だったのか、僕にそれを判断することは出来ないのだけど、(そもそも その当時の僕を思うと、その瞬間を生きること、またフラメンコへの敬意や、アフィシオンについて感じるだけのセンサーが 圧倒的に欠如していた)そして その後に、「次は僕が弾くよ」と言って彼がリズムを弾き始め、僕は、その音を聞いて絶句したギターを始めたばかりの彼には、まだ技術はなかった、ただ そこから紡ぎ出された音は、正真正銘の「フラメンコの音」であるとしか言いようがなかった。そう 「己の中にフラメンコがある」というのはどういうことなのかそれが 踊れであれ、ギターであれそのまま純粋に映し出されるというのは どういう事なのか、そのうえで 僕はどうするべきなのか・・・・決して忘れることのできない瞬間である当時は、「ネグロ」と呼ばれ、いつもファルーの後ろについて歩いていた彼「ファミリア・ファルーコ」の舞台では、最後のブレリアにだけ踊っていたのだが、そんな彼が、時を経て いまや自身のグループの座長となっての来日。彼が紡ぎ出すフラメンコ彼が生まれながらにして背負ってきたものと、そしてそれをどう培ってきたのかそれらが、限定された時間、場所の中で、実に風通し良く そして色濃く 昇華された瞬間に立ち会えたことに心から感謝したい。人懐っこい笑顔はそのままに、気品すら漂う彼の背中に、亡き祖父「ファルーコ」の面影を一瞬感じたのは僕の勝手な先入観によるものなのだろうか・・ついつい長文になってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました
2019.06.19
コメント(0)

先日、初のレコーディングスタジオ立ち合いの機会に恵まれました。(あくまで立ち合いです・・・)異なる環境で聴く音弾く音仕上げる音目的に向かって、どこまでを人間が担いまた機械が関与してくるのか・・様々な手法、方法があるのかもしれませんが少なくとも今までにはなかった視点が脳刺激として入力されたようです惜しみなく自らの手法を教示しまた解説下さったエンジニアさんと、そして今回収録された クラシックギタリストのお二人には心から感謝ですちなみに、ご厚意により僕も、即興的に一曲だけ収録させていただきこれもまた 勉強になりました!少々、専門的な話にはなりますがレコーディングで使用される「クリック音」とフラメンコのリズムの関係性について、そして、ヘッドフォンの使用について(音の伝導、入力とでも言えばよいのでしょうか?)少々、再考の必要性を感じましたが、書き出すとややこしくなりそうですのでまたの機会に書きますね!
2019.06.05
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1

![]()
