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今から約15年前のある夏、スペイン・コルドバのギターフェスティバルに参加していた時のことだ、フェスティバルのクルソ(マスタークラスやワークショップ)の参加者は、期間中の催し、コンサートのほとんどが無料で入場できることもあり、せっかくの機会なので、ある著名なクラシックギタリストのコンサートを聞きに行くことにした。その演奏家の恐ろしいぐらいの集中力から紡ぎ出される音に、聴衆もまた 「その音楽の一音も逃さない・・・」という濃密な集中が静寂となってホールに充満する。そう、プログラムなどの紙が「カサっ・・」とこすれる音や聴衆の、ちょっとした呼吸音が気になるぐらいの空気感とでも言えばいいのでしょうか?圧倒的なコンサートを終えホールの外に出て空を見上げてみると不思議なぐらい 月が美しく輝いていた・・・話は、現在の日本に戻り先日、近所のホールで(何と自転車で5分ぐらい!)クラシックギターのコンクールがあるということで少しだけ覗いてきました!音量という意味で考えるとギターという楽器の音はとても小さいですし、その減衰していく音の行方は儚いでも だからこそ、人はその繊細さと静寂を伴う音により耳を澄ましたくなるのでしょうか審査結果を待たずして音の余韻を残したままホールの外に出て空を見上げると夏の夜が静かに輝いていた・・・ギターの音色(または音楽)にはそんな、例えば空を見上げたくなるようなちょっとした効能みたいものがあるのかもしれませんねついつい忘れては、ゴリゴリ弾いてしまいがちですが・・・
2019.08.26
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恐らくは人が生きていく中で、大きな分岐点と呼んでも過言ではない時期というのがある。今から約30年前北海道から上京したての僕の住処は会社の寮、職場は、ある国際空港での変則24時間勤務のシフト。それなりのタフさと忍耐、精神性を要求されるなかなかの激務であったのだけど、それ以上に、生きていく上での貴重な学びと経験を与えて頂きましたそんな中 寮でも職場で寝食を共にし同じ釜の飯を食べていると、不思議と人間関係も濃密になるのでしょうか?「人との適切な距離感とか」「公私の生活の区別とか」そんなことは全く考えることもなく自然に過ごしていたのかもしれませんね。そんな貴重な時期を共にした仲間たちと久々に再会してきました!そこに留まった者もいれば、そこを去った者もいる「組織」という場を変更した者もいれば、「組織」を自ら作り上げたも者もいるし、そして「組織そのもの」から距離を置く者もいる、それぞれの選択、決断、岐路の話は大いに考えさせられる示唆に富んでいます「優劣や、損得、勝ち負け」というような 安易な表層的なレベルではない、互いの異なる世界観や思考に触れていると、無意識に浸食してくる「驕り」みたいものを浄化してくれるようですまだまだ「途上なり」次の再会を願って!
2019.08.21
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ある限定された期間に、ある限定された場所で出会った友人達、ある一定の過去を共有したであろう記憶はそれそれの中で、あるものは留まり、あるものは沈殿しそして、あるものは突然目を覚ます。北海道の小学生時代の同級生と、その約35年後に、東京の真夏の夕刻にビールを片手に語らうことになるとは、全く想定していなかった!過去はもちろんのこと現在、そして近い未来をバランスよく語る彼らは、実に柔らかい頭脳の持ち主であり、それぞれの置かれている立場や仕事が異なる中でもニュートラルな視点から意見を述べてくるので、(むしろ異なる分だけ、大胆でかつ偏見がない!)懐かしい友人と共有した時を慈しむ・・というよりはむしろ 新しく出逢った仲間のような気になってくる「再会は新たな出逢いになりえる・・」そんな事を、思わせてくれる友人達に感謝をしつつふと、考えた「時間の流れ」は、時に味方にもなってくれるのだな・・と。
2019.08.19
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人の記憶は、極めて曖昧でそして都合のいものなのだろう自分の中に、保存してある記憶と他者の中に保存してある記憶をつなぎ合わせることで見えてくることがある先日、以前スペインはセビージャ在住時に親交があったご家族との再会してきました!当時、スマホなどはもちろんなく、今の時代ほど、写真を撮ることも保存することも容易ではなかっただからこそ 何かしらの意志や動機、直観力が宿るその写真達に再会することは、様々な記憶の泉を揺さぶってくるようです(時に それは恐ろしいことでもあるのですが・・・)当時、ほんとうに幼かった子供たち(語学的には、当時の僕にちょうど良かったのだけど・・)彼らも、今や立派な大人男性となりその一人は この夏 「野球」ではなく「ベースボール」求めてアメリカへ旅立つという面白いものだ・・・その父もまた、ある出逢いによって生きる意義をフラメンコギターに見出し社会的地位や名誉を惜しげもなく放り出し突然セビージャに向かい、ひたすらギター修行でいていたのですから・・・時間軸にも様々あるのかもしれませんが子供の成長は、間違いなく時間そのものを示唆してくれます時間とは戦うものではなく、「時間を味方にする生き方」について僕自身 もっと成熟させていきたいものですね・・・手土産に頂いた「カリブのラム酒と葉巻 そして写真の記憶」その甘さとほろ苦さが同居する味と香りを楽しめる程度には僕も年齢を重ねたのでしょうか・・・次の再会と、そして活躍を心から願って!
2019.08.15
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何かを、より深く学びたいと欲した時に先人達の「技」、「知恵」、そして「心根」それらに着眼し、気づきを求めることを欲するのは何もフラメンコの話だけではないであろうその昔、日本からスペインへ向かうことが今より容易ではなかった時代圧倒的に情報も少なく、交通経路も外貨の獲得もままならなかったであろう苦境に屈することなく、片道切符でスペインへ渡り、そして、その時代のフラメンコを生活を通じ、生きた経験として日本に持ち帰り、今もそれを長い年月をかけて大事に育て続けている 先人達。先日、(かなり時間が経過してしまいましたが・・)そんな大先輩にあたるギタリストの方のライブを聴く機会に恵まれました!生音で飛び込んでくるその音にすぐに耳を奪われた。そこには「古典」とか「現代」等の時代性や、「演奏スタイル」というような表層的なものを超えたところで紡がれる「カンテ(フラメンコの歌の意)」をフラメンコの源泉として湧き出し、そして立ち上がってくるギターの音があった。これだけの音にたどり着くには、どれぐらいの膨大な時間を積み重ねてきたのか、どれだけの 積み上げと破壊と再構築があったのか、そして どこまで「フラメンコに己を捧げることができるのか?」そんな考えが頭によぎったときにふとステージに目をやると、心からフラメンコを愛し、またその瞬間を純粋に楽しみながら(恐らくは今も昔も変わらないのであろう・・)演奏している氏の姿があった終演後、いつもの癖で氏にいくつか話を伺いたい衝動に駆られたが、すぐに打ち消した。それらが、何の覚悟もない問いであると共に、安易に他者に問うものでもなければ、時に言葉は、容易な地点に人を着地させる危険性があるからだ「本当に大事な答えは己自身で見出すべきだし、己の中にしかない」そんな事を想起させてくれる音を聴けたことに心から感謝したい。
2019.08.05
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