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♪ 頑迷の爺(じじい)がまたも始めおる独り相撲の背中の黒子今朝の富士山「緑地帯とちびっこ広場」が市の職員の駐車場になるという件で、市会議員にメールを打ってあった。2度送ったのに読んでくれていないようなので、直接電話をしたら、「いろいろなメールが来るので迷惑メールに入っているのかもしれない」と、読んでいないことを告げられた。今やメールは役に立たないものと知る。 私が誰だかすぐには分からず、去年、家に来ていただいたことを言ってもピンとこない。いろいろ説明してようやく思い出してくれた。あれこれやり取りして、市役所に確認してみますということになった。 しばらくしてTELがあり、すでに周知の事実として動いているという。詳しいことが知りたければ「朝倉駅推進室」へ行って自分で確かめ、意見が有ったらそちらに言ってくださいとのこと。「請願」という手つづきには議員の紹介が必要だが、「私は遠慮させてほしい」という。理由を聞くと「脊柱管狭窄症」で入院・手術するので、6月14日からの定例本会議は欠席することになっているとか。痛み止めでなんとか持っている状況らしく、恐縮してしまった。 しょうがないので、今年度の区長(駐在員)に「相談があるのだけれど」電話してみた。すると、この件は平成30年に済んでいる話で「今更知らないといわれてもどうしようもない」というようなことが返って来た。本人も駐在員になった段階で説明を受けているらしい。 それはそれとして、個人的にはどう思うかを聞いても何も意見など持っておらず、関心はなさそう。右へ倣えのスタンスで、自分から何かしようという意識はないようだ。「市の土地なのでどうぞ自由にやってください」というのが、これまでの大方の意見のようだった。 結局、「意見や要望があるなら自分で直接『朝倉駅推進室』に行って、話をすればいいじゃないですか」ということで電話は切れた。 そもそも駐在員って何なんだ? *駐在員 第2条 駐在員は、次の事務を行うものとする。 (1) 当該区域住民と市との連絡に関すること。 (2) 市の事務の協力に関すること。 (3) 当該区域における防災活動に関すること。 (4) 当該区域におけるコミュニティ活動の支援に関すること。 市と住民の仲立ちをする立場にあるわけで、この1、に該当するものには「市民の意見を市に伝える」という重要な役目があるはず。単に上意下達をしていればいいといものではないと思うも、聞く耳を持たないのでは・・。★ 2018年(平成30年)3月に「朝倉駅周辺整備基本構想」が発表されている。「緑地帯は遊休化している」との査定がされている。 当初から職員の駐車場を想定していたのじゃないかと思えてくる。駅前に新庁舎を持ってくるという段階で、他に場所がないのは想定していたはずだ。 コロナ禍で計画が遅れ、ロシア・ウクライナ戦争で予算の見直しを迫られ、2024年(令和6年)2月にようやく「知多市新庁舎整備基本計画」を策定。2024年(令和6年)9月を目途に実施設計を完了し、2025年(令和7年)4月の建設工事着手に向け、事業を進めているところ。来客用の駐車場は、庁舎正面と立体駐車場で十分に確保できている。 この段階で議会で質疑・応答があり、職員の駐車場確保が問題になっている。去年3月に確認してもらったところ、「緑地帯を職員の駐車場にする計画はない」という返事で喜んでいた。しかし、それは決定していないという意味であって、年度が変わって直ぐに決定したのだろう。 そして、駐在員に正式に「知多市新庁舎整備基本計画」が伝えられたのだろ。担当者から住民への説明会が必要ですかと聞かれ、「それは必要ないです」と断ったことが分かっている。この事を問題にしているのは、対象エリア周辺の住人だけで、それ以外の人たちはまったく関知していないということらしい。 確かに緑地帯といっても170mほどしかなく、ちびっこ広場と旧ゲートボール場を合わせても230mほどのもの。誰かに影響が及ぶわけでもなく、ましてや公共の埋め立て地であって直接的な関係性は薄い。 この際、職員は出来る限り公共交通機関を利用することとして、駐車場スペースを減らしてもらい、木をたくさん植えてもらうという希望を出すくらいしかないようだ。具体的にはどうするか。個人の意見など通るはずもなく、かといって署名運動も関心のない人ばかりでは無理だろう。 とりあえず「朝倉駅推進室」へ行って、内容を詳しく聞いてこようと思う。
2024.05.29
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♪ パブリックコメントというものあらば思いのたけを新市庁舎に 知多市新庁舎の計画案が公示されている。 やはり機能性重視のもので、温かみとか親近感とか情緒的なものへの配慮は多いとは思われない。権威とか合理性とか、現代人が頑なに守り続けてきたものがベースになっている。新しい時代への配慮、少子高齢化社会と第一次産業の重要性が叫ばれるなかで、20年30年後を見据えての理念や展望を感じさせるものは、この計画案からはうかがわれない。 スペースが一杯一杯なので、周囲の景観にも余裕がなく、植栽も極めて貧弱だ。駅前ロータリーの殺伐さに合わせたような味気無さで、市民目線からは大きくかけ離れている。拡大します 下図の外観パースには植栽が誇張されて書かれている。北側の植栽は実際には存在しないものだし、駐車場の後ろは公用車の駐車スペースと立体駐車場の出入り口があって植栽出来るスペースは限られている。 要するに、こうなっているのが理想というのを描いているわけで、理想とは大きくかけ離れている。 これらの案をもとに、「パブリックコメント」を募集している。是非、意見を提出したいと思う。*追記 この段階で募集が終わっていた。令和6年が来年だと勘違いしていたんです。西暦に統一してほしいといつも思っています。 埋め立て地は「県の所有地」のため、自由に飲食店などを出店することができない。駅前には喫茶店さえない(近くに1つだけ小さな喫茶店があるにはある)ので、せめて庁舎内にサロン風の飲食のできる店が欲しい(瀬戸市の庁舎内にはある)。 そのために、市役所に用事がない一般の人が入りやすい雰囲気にする必要がある。 市民が誇りに思えるような、市民が自慢できるような市役所であってほしい。あちこちで宅地造成工事を行い、人口増加に勤めている知多市。田園都市とベッドタウンのみのイメージを払拭するような、独自の魅力的な市を作り上げていかないと。 既成概念を打ち破っていくだけの意気込みと人材が必要だが、市長にその気がなければ話にならない。 一体どれだけの人が「パブリックコメント」募集の存在を知っているか。やった振りをするようなものではなく、広く一般市民が意見が言えるように「字(あざ)」単位で回覧版を回して個々に意見を聞くとか、図書館に投稿ポストを設置するとか、とにかくオープンにしてその意気込みと姿勢を見せるべきだろう。 子どもたちがずっとこの街に住みたいと思わせるには、その意見を聞いて反映させる必要があるし、大きな意義がある。 それにつれて市政の中身も反映するようになれば、東海市と常滑市に挟まれている市が存続していくための良い方向が見いだせるかもしれない。募集期間 令和5年12月20日(水)から令和6年1月24日(水)まで ※郵送の場合は、令和6年1月24日(水)必着クリックで周辺図へ
2024.02.17
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♪ いい話は浜の真砂に埋まりおり光を当てるアプリが欲しい 今朝は朝焼けが美しかった。孫の運動会がある。ちょっと曇りがちで、暑くも寒くもないベストの日になりそうだ。「ちょっといい話」って、けっこう身近に転がっているものですが、その当人だけで完結していることが多いと思う。下の記事のように第三者が読めるというのはとてもいいことだと思う。朝日新聞「ひととき」より「情けは人の為ならず」本来の意味から外れて使っている人も多いようですが、自分のためにするというのもあながち間違いじゃないと思う。実際、イイ事をすれば自分にとっても楽しいことだ。される方は勿論のこと、しあわせホルモンが分泌されるんですからね。 こういう「いい話の専用ページを作ったらどうか」と、中日新聞の営業マンに言ったら「いいですね~!」と賛同してくれた。中日新聞はエリア新聞で、愛知、岐阜、三重の東海3県を中心に7県で約202万部を発行している。 県別部数は、 愛知 1,213,966部(188,888部) ※()内は夕刊。 岐阜 291,199部(17,457部) 三重 232,363部(14,057部) 静岡 110,606部(16,309部) 滋賀 45,934部 長野 28,670部 福井 3,832部 ※福井県では中日新聞と日刊県民福井を、静岡県では中日新聞と東京新聞を発行。出典│日本ABC協会「新聞発行社レポート 2021年1月~6月」※県別部数は各月15日付部数の6か月平均のため、合計部数が一致しない。 「いいニュースを、みなさんに伝えたい」と思っている人はたくさんいるはずです。その気になれば、支局の取材や読者の投稿から “いい話” が集って来そうなもの。また、一般からその情報をいかにして吸い上げるか。SNSなどの情報発信に長けているこの時代、いくらでも方法はあるんだろうと思う。 ワークマンではファンが商品企画して、実際に商品化されて効果を上げているし、ウェザーニュースでは、各エリアに特派員的なメンバーがいて定期的に空の写真をアップする仕組みがある。そういうシステムを導入して上手くやれないだろうか。 ☆ そのためのソフトを開発できないものか? 80歳で「hinadan」のアプリを作った若宮正子さんのように、(いろんな人の助言けを受けながら)チャレンジできたら楽しいだろうと思う。しかし、さすがにこのソフトは無理でしょう。「高齢者に欠けているのは、テクノロジーも含めた切れば血の出るような現代社会の知識じゃないかと思うんです」昨年、87歳。 アップルのCEOや台湾のIT担当閣僚がこぞって「会いたい」と呼びかけたという。どうも、“高齢者という新しい顧客層を発見した” ということらしい。そういう意味で世界から注目されている「世界最高齢のアプリ開発者」。 パソコンは58歳からというから、50の手習いでパソコンを始めた私とほぼ同じ。自分で設定し半年後に、HTML言語を独習して “手書き”のホームページをアップした私ですが、プログラミングはさすがに敷居が高い。もう10歳若ければなぁと思う。
2023.10.14
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♪ 筋トレにバイアスのありスポーツに縁なき人の寄り付かぬ部屋 トレーニングセンターの夜の部(17時半から)に初めて行ったら1番乗りだった。さすがに空いていて、1時間の間に数人。トレーナーに聞くと、いつでも空いているとのこと。金曜日だけは、例外で混むらしい。 昼食後直ぐに行くのは避けて、2時過ぎに行くとその後の時間が中途半端になる。それで夜の部へ行ってみたわけだが、晩飯の時間の都合もあって1時間で切り上げてくる。これもまた具合が悪い。ストレッチルームがようやく解放になった 金曜日に、朝の部(9:00~0:30)に行ってみると、12人ほどでで空いている。朝は混むと聞いていたので意外。聞くと「木・金は空いてるんですよ」と女性トレーナー。「日・水・土は講習会があるので混むんです」 日曜日・・・・・・午前9時から午前9時15分まで(午前9時30分から約45分間) 水曜日・土曜日・・午前9時から午前9時15分まで(午前9時30分から約45分間) 午後6時から午後6時15分まで(午後6時30分から約45分間) 日曜日はいつもの様に午後に行ったが、やっぱり空いている。曜日も時間も関係なく、いつでも空いている。勿体ないことだ。健康志向の今、市民も行政も健康意識が高まっているはずなのに。 トレーニングルームを市民が大いに活用して、健康の維持管理するのが当たり前になるようにもっていかないと。 “トレーニングルームはスポーツのためにある” との考えに固執しているのか、PR不足なのか。普通のおばさんやオッサンが抵抗なく行けるものに出来ないものか。その為の努力がなされているとは思えない。 設備を備えて外部委託するだけでは、なかなか難しいだろう。有料なのだし、もっと活用されれば収益も上がるというもの。予約しなければ出来ないくらいに・・・。 市の玄関・朝倉駅周辺整備事業で、駅前にロータリーを作ったのは良いが、無駄と思えるスペースが広く取ってありる。植栽も緑が溢れるというには程遠く、何が知多市の玄関だ。まったく情緒も文化的理念など皆無。寒々しい限り。 屋根を付けたからいいというものじゃない。真夏のカンカン照りには、下からの照り返しもあって地獄と化する。冬は冬で北西の風が吹きっさらしだ。こんなところでバスを待っていられるか? 机上で建てた計画・設計で現場を無視し、人に対する優しさとか心配りがない。市長の理念の低さに心さみしくなるばかりだ。とてもじゃないが自慢できる街からは程遠い。 もっとコンパクトに出来るはずなのに、箱モノや施設の実績をいかに大きく見せるかに心を配っているようにしか見えない。ロクな議員もいないようで、出された議案を精査もせずただただ賛成している。それで仕事をしているつもりの軟な輩ばかり。 市民目線のビジョンを示せる人材がいない。議会や行政が、ただ言われたことだけをやっているようでは、先が危ない。他に先駆けてとまでは無理だとしても、お手本となるものはいくらでもあるだろうに。 人口減が分かっているのに、目先のことしか考えられていない。ビジョン無き市政・・。嗚呼 市民が声を大きくして、もっとアピールせねば。
2023.05.13
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♪ きっぱと車の流れせき止めて血を巡らせるむくろを通す 図書館へはいつも歩いて行く。片道3.2㎞ほどなのでウォーキングには物足りないが、アップダウンの多いコース。最近の定番、坂を駆け上がることにしているコースの少し先にある。鶯が鳴いていた。初ウグイスの春の声だ。 館の真ん前に横断歩道があり、その歩道を渡る。しかし、端に立っているのに車が停まってくれない。それどころか、手を上げたのを無視してスルーしていく。頭にきて指差しして不満を訴えてやった。この日は臨時休館になっていて、返却だけして直ぐに引き返す。再び横断歩道へ。右側の歩道は狭いし、いつも草ぼーぼーで通りにくい。 やはり車は停まらない。向こう側に私服の女子中学生らしいのが自転車を降りて待っている。それが目に入らぬはずがないのに、何台もが通り抜けていく。両側に歩行者がいることに気づいた女性ドライバーが、ようやく停まってくれた。 渡りながらすれ違いざまに、女子中学生に「ここは、なかなか止まってくれないねぇ」と声を掛けると、シンパシーの「そうなんですッ!」。年長者の責任と正義感からい「警察に言ってやらんいといけないね~!」と走りながら。 以前、すぐそばにある「永井池」の脇に停まっていたパトカーに、「横断歩道で車が停まらない」と訴えたことがある。「それはいけないですね」と同感してくれたが、何も変わることなく、相変わらず歩行者優先が無視されている。 それで帰り道。この際、住民からの意思表示をするべく家から700m足らずの知多警察署へ。玄関の両脇にあるアメリカデイゴの木は大きくなり、今は大胆に切り詰められている。 1階入り口の受付で「交通課にお願いが」と、訪問の理由を伝える。女子職員が対応するその後ろに突っ立っている警察官が、胡散臭そうな顔で目的は何ですか?「横断歩道で車が停まらないので・・」「取り締まりの依頼ですね」と、簡潔に結論を出す。 事務員が「この用紙に名前を書いてください」と言われ、名前と電話番号を記入。「担当のものが来ますのでそこの椅子でお待ちください」 やって来たのが私服の警官。状況を説明するも、肝心の図書館の場所を知らない。新任で知多市には来たばかりらしい。地図を開いて場所を確認。 詳しく説明し、「是非、取り締まってください」「分かりました、毎日というわけにはいきませんが」と、あっさり要望に応える姿勢。 明日にでも見に行ってみますと、話が早い。「車は止められますかね~」「ここに路地があるのでパトカーはここへ停めて、駐輪場のところで監視すれば・・」 改めて住所と歳を聞かれた。「幾つに見えます?」と親しみを込めて軽口を飛ばすと、「そうですね、45歳ぐらいですか」「最近のおまわりさんはそういう冗談も言うんですね」笑。「私は、還暦になったばかりです」〇〇と言います。責任者ですと名前を聞いたが忘れてしまった。「話は違いますが、来る途中、二人の女学生が自転車の右側通行してきたので『ひだりーッ!』と指さして叱ってやりましたよ」「バイクで走っている時なんか、正面に自転車が来るとほんとうに危ないですね」「右側を通ってくると交差点でも、右からのバイクや自転車が見えず、出会いがしらということもあるしねぇ」プロに向かって、偉そうに説明して・・。「今は、赤切符を切ります。自転車でも」「そうですねぇ、検挙しないとダメですよね」「分かっててやってるわけですから」 春休みに入るし、小・中学生もやって来る。図書館という公共のそれも知的文化の象徴的な場所でもある。知識文化的な意識を持っている市であることを示す意味でも、図書館の周辺はそんな気風が感じられるところであってほしい。そんなことを思いながら帰って来た。 住所氏名、電話番号、年齢まで記録されたのだから、担当者の名刺ぐらいもらっておけばよかった。*自転車の赤切符(車の青切符に当たる)とは 切符は刑事罰の対象となる切符であり、信号無視や遮断踏切立入り、指定場所一時不停止など悪質な違反と認められた場合に交付される可能性がある。赤切符を切られると、警察施設への出頭を求められる。 出頭後は警察官と検察官から交通違反の事実についてそれぞれ取り調べを受け、起訴されれば裁判で罰金などの処分を受けることがある。 たとえば、信号無視をした場合の罰則は3か月以下の懲役または5万円以下の罰金と決められていて、その範囲内で刑罰を受ける可能性がある。
2023.03.09
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♪ 道草を食ってるうちに日が暮れる一匹羊の晩年やよし ウォーキングをしていてつくづく思うことがある。ウォーキングの前はジョギングをやっていた。それまでは車で移動するのが当たり前で、そんなまだるっこいことをする気にもならなかった。でも、やるようになって価値観が一変した。 車から解放されて心身が自由になり、それまでなかった発見や気づきがあって面白く、ウォーキングが主な移動手段となってしまった。ランニングからウォーキングにシフトダウンした時、その遅さに最初は戸惑ったものの慣れると、その良さが分かってきた。それまで以上に余裕が生まれ、細部に目が行くようにもなった。 哲学者や研究者でもないので思索しながら歩くことはしなく、まったく何も考えずに歩いている。心身ともに楽になれば余裕が生まれ、思いがけない閃きに喜ぶこともある。 無の状態で歩いていると、昨日のブログの様に目に入って来るものが新鮮で、スーッと興味に引き寄せられていく。 車では行けないところへも行くし、近くを見つめ遠くを眺めし、車で移動している時にはありえない突発行動が、その楽しさを倍加させる。 コロンブスの卵的な発見は、心に余裕がなければ生まれない。“遊び” の無いハンドルは運転しにくいし、階段に “踊り場” が無ければ疲れてしまう。 効率優先は一部の価値観には有効かもしれないが、逆に何かを失っていく気がしてならない。 経済が減速し、価値観が変わりつつある。高速で移動することの必要性は薄れてきているのではないか。人口は減りAIが仕事をし、リモートワークも進むだろう。メタバースが世の中を変える可能性もある。人間自身が高速で移動する必要性はどんどん減って、“時間を金で買う” 時代は去りつつあるのではないだろうか。 もはやリニア新幹線は無用の長物で、無理して作ったところで “コンコルドの二の舞になるのがオチ” のような気がしてならない。「コンコルド効果」なる言葉まで生まれているこの前例を知りながら、まだ開発を続けるのだろうか?★コンコルド効果 投資継続で損失が出ると分かっていながら、投資分を惜しみ、つい継続してしまう心理的傾向のこと。 ギャンブルでも同じで、返ってくる見込みが低いにもかかわらず、「これまで使った分を取り返そう」と躍起になってサンクコスト(何をしても回収することのできない費用)を生み出してしまう。 課金要素のあるゲームも「恋愛」や「事業」も同様に当てはまるというもの。 * ウクライナ応援の思いを込めて、背景を国旗の色にしています。
2022.10.17
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♪ 国葬は国の品格加担せし怨嗟非業の死にあるまじき 昨日に続き今朝も一応晴れ模様。二日続きの否雨天。しびれ切らした蝉たちが嘔吐のごとく声を出す。午後には下る予報あり、未だに梅雨の明けきれず。中二日、上手い具合に雨が止む。歩くルーチン出てみれば、パークロードに人おらず。後に待つ、猛暑日思いつつ歩く。 連日の最多更新オミクロン。BA.5の響き良く、危機感あまり湧かざりき。ジャズ好きが昔馴染んだラジオ番、MG5ソウルセッション。 国葬に批判数多のわが周囲。知らぬ存ぜぬ幹事長。聞く耳持った総理にも、聞こえぬ不思議。ワンダーランドの不条理劇、見ている側はシラケ鳥。実績、人格及ばざる人の国葬トンデモナイ。国費使わず寄付金を集めてやれば済むこと。 おぞましきカルト教団、議員らの票を操る。ずぶずぶにカネの湯舟に浸かりおる、政治醜態露わなり。自業自得の声ありて、国の品格問われおり。 現在の憲法では、国による宗教行為を認めていない。今は、国が関わる国民葬は政教分離との関わりにより難しいと考えられている。戦後に唯一、大統領だった吉田茂の国葬が行われ、佐藤栄作の国民葬が行われているが、その後は国葬も国民葬も行われていない。 吉田茂の国葬は、国葬法が廃止されている時代だったが、当時の内閣総理大臣・佐藤栄作が強く国葬を熱望したため、特殊な葬儀を行うことになった。 国葬は全額を国費が負担していますが、国民葬では一部を負担するという違いがある。 岸田総理は、国葬にする理由を「憲政史上最長の政権だったことや、国内外の評価が高いことなどを挙げている」。しかし、「それは表向きの理由で、もう一つ総理として言えないことは、保守層に配慮したということなんです。安倍さんは自民党の中で保守派の代表格だったわけです。安倍さんがいなくなったことによって、岸田さんが保守層対策に乗り出さなければならなくなった。保守層を取り込むということなんです」田崎史郎。 奈良市の現場近くに設けられていた献花台が撤去されたが、10万人以上が訪れたという。 一体ここを訪れた人たちはどういう根拠があって行動しているのか。 この人達は自分で物事を考えているのだろうか。偏ったマスコミ報道に操られ、周りの空気に流され、シャボン玉のように風に吹かれて吸い寄せられているだけじゃないのか。 こういう無批判の無神経な行動が、過去、戦争を擁護するような風潮を蔓延させることに、無意識で加担したことになった事実を自覚するべきだ。保守という、一見正義のような顔をした黒カビが、自民党を付け上がらせ、回り回って自分の首を絞めることになる。 * ウクライナ応援の思いを込めて、背景を国旗の色にしています。
2022.07.21
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♪ 木々たちが作りし酸素吸いながら胸いっぱいの九千五百歩 寒い日が続いたので体が順応して、最低気温がプラスだとかなり暖かい感じがする。その割に寝坊して早朝とはいかず、朝食をとってからウォーキングに出た。 パークロードに出てちょっとばかり驚いた。いつもより強剪定がしてあり、見るも無残な姿になっている。 人通りが多いということで、こんな風にに剪定するのがベストと思っているのか、こっちも慣らされてしまっているのが情けない。それにしても、何と無粋なことか。管理が優先して、景観や脱CO2、緑園都市の冠にも反している。植物を一体何だと思っているのか。 これはもう欅とは呼べない。 その特徴の空に向かって命を謳歌しているような、端正で美しい姿を根底から奪い去って生殺しにしている。個性の芽をことごとく摘んでしまっている日本の学校教育を見るようだ。大きくなるに決まっている木なのだから、最初からその選定方法を考えておくべきだろう。それが無理なら最初から植えるべきじゃないし植えてほしくない。 桜並木はかなり大きくなっても枝を払うこともないし、それが常識と思って疑わない。欅だって樟だって植物としての価値は同じはずだ。言っていることが大袈裟と思うかもしれないが、この無神経さが地球をダメにしているのです。 このメタセコイアだけは大きくなることを想定して、小さい時期に幹の先端をカットしてある。若木は生長点が幾つもあって、先端を切っても脇から元気な芽が幾つも出てくるので、こういう形になって伸びるので、やたらに背が高くなることを調整できる。 アマゾンの木が違法伐採されているのが問題視されているが、こんなことをしている人間にそれを言う資格はない。動物と植物はバランスが照れていればこそ共存共栄できるということを忘れてしまっている。管理の効率と人間の勝手な都合だけで植物をないがしろにして、動物がまともに生きていけると思っているのだろうか。 苦悶しているゴジラのようにも見えてきて、なんとも悲しい地球です。
2022.01.25
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♪ カメムシのガラスに止りおる真昼内側にいて声の上がりぬ 昨日の朝のウォーキングで気になることがあった。すれ違う人には挨拶をすることにしていて、この日は10人(組)以上と挨拶を交わしました。ほとんどの皆さんが挨拶を返してくれるのですが、ちょうど小学生の近くを通る時が登校時間になったのですが、こちらから挨拶しても返事がない。みんな下を向いてしまい、一部は首を下げてその仕草をするだけで声を出さない。非常に不自然な感じを持った。 学校では「知らない人と話しをしてはいけない」と指導していることは知っているが、朝の挨拶がなぜいけないのかがわからない。「朝のあいさつ運動」とかいうのが昔あったけれど、「今はだれとも口をきくな」という風になっているのだろうか? いくら防犯のためだといっても行き過ぎた指導だろうと思う。 近隣の小学校の通学エリアでは、ウォーキングで通ると夕方でも大きな声できちんと挨拶してくれる。それも向こうから先にしてくれるのでとても気分がいい。挨拶することは防犯にも効果があることは以前から言われていることです。ましてや、朝、挨拶をする人に悪い人なんかいない。そんな人は朝からウォーキングなんかしていないし、自分から決して挨拶もしない。 朝、大きな声であいさつすることは、一日のスタートとしてとても有意義なことだと思っている。中高年の男性に挨拶ができない人が多かったが、最近ではそれも少なくなってきている。声は小さいが一応は挨拶を返してくれるようになっているのは、ウォーキング慣れしてきたということか。でも、やっぱり向こうから先に挨拶されることはまだまだ少ないのが現状です。 しかし、小学生なら向こうから挨拶してしかるべきだろう。たまに中学生や高校生が朝、向こうから挨拶をしてくれることがあるが、とてもすがすがしい気持ちになる。挨拶をすると脳の何とかホルモンんが分泌されて、「さあ今日も一日がんばるぞー」という風に作用するんじゃなかと思ったりもする。 学校は子供に朝のあいさつを進んでするように是非、指導してほしいものです。
2021.10.20
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♪ 偏屈が見上げる空に鈍色の下弦の月が輝いており‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ こういう記事を読むと嬉しくなるね。この運転手の機知にとんだ振る舞いと自信に裏打ちされた行動力。その仕事に含まれているすべての要素を理解していて、自負心を持っての判断と公共性を考えた上でのサービス精神。 今に日本の政治に欠けているすべてのものが含まれている。 私が子供のころにも、バス停ではない場所で手を上げると乗せてくれることがありました。タクシー代わりというようなものではなく、バス停に着く前にバスが来てしまったというような時にやむを得ず、「お願い、停めて!」と祈る様な気持での事だったように思います。だからどんな場所でも止まってくれるというわけでもなかったのでしょう。 困っているのを見て素直に手を差し伸べるぐらいのことは、出来てしかるべきですが、今はもうそんな事が通用しない社会になってしまった。ギスギスと軋むばかりで、心がささくれ立っている。規律とモラルに厳格なのはいいけれども、融通が全く利かないのは困りもの。臨機応変に対応できる余裕と柔軟性が欲しいものです。 こんな言葉が紹介されていました。行動には感情が付き物で、二つを切り離すことなど出来ません。 中断していた「折々のことば」が復活 自己を抑制して周りに合わせることを良しとしている日本人は、感情を出さない癖が染み付いていて、ここで言う「能力」を必要としなくなっている気がします。事なかれ主義の中では、「何度も経験され、教育され、訓練される」機会が生まれようがありません。 表面的で動物的な感情が独り歩きし、SNSでその醜態が晒されているのを見るにつけ、どうにも悲しい気持ちになります。
2021.07.21
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♪ けだしくも嫌なアリバイ工作と知りつつちょいとつき合ってみる‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 二日間雨で中断し日曜日を挟んで、また工事が再開したようです。僕ら猫にとってもノンビリできる三日間でしたが、二日間は雨だったしいつもと変わらない昼寝三昧の日々でした。 アランが意外なところに寝ていて爺さまが驚いていた。最近の新しい寝場所にしているらしい。高いところが好きなのは分かるけど、ピピには無理だなあ、あんなところ。 あんなところへ、どこからどういう風に上ってったの?爺さまに聞いても分かるわけないか。 あいつは毎日、キャットピラーを駆け上ってるので脚力は鍛えられてるからなぁ。身体は小さいままだし、身が軽いのも確かだから、そんなのへちゃらなんだろうなぁ。 工事の様子をチェックするような変化もないし、喧しい音に慣れて来たところなのでちょっと寂しい感じがしないでもない。爺さまも同じらしくて、静かなのに落ち着かない様子。慣れって怖いね、調子が狂っちまう。 昨日はここまでやってサッサと帰っちゃった。中途半端なところで終わって雨が降っても困るってことなのかな。今日は、この三か所のブロック積みに一日掛かりか二日掛かるのか分かんないけど、その後もブロック積みがあるので、当分は割と静かに過ごせそう。 月曜日は孫ちゃんが来る日だけど、小学生になって雰囲気も変わってきたし、ぼくらも大分慣れてきた。昨日もその前も、図書館で借りたDVDなんか観ていたのでわりと静かなんだ。宿題も今のところ簡単だし拍子抜けしている感じかな。★ 爺さま、越境している庇の件が納得できないらしく、金曜日に市の土木課に詳しい説明が欲しいってメールを送ったらしい。返事なんか直ぐに来るわけないと思っていたら、昨日の夕方遅くにさっそく返事があったって。「市としましては、庇を切るという方法を指定しておらず、○○様が納得されない方法での解消は本意ではありません。 この度、○○様からご納得いただいていないとのご連絡をいただきましたので、開発事業者へその旨を伝えさせていただき、再度、越境物の解消方法を検討するよう依頼させていただきます。」だって。 これって、“市民の声を聞いている風を装う” アリバイ工作じゃないの? 爺さまは、他に方法がないと分かっていてこんな事を言ってる、ってちょっと疑うような・・・ 人間の思ってる事には裏がある。猫にはそんなの微塵もないから想像すらできない。 一応、このメールを業者に送って、読んでもらた上での結果待ちってことになってるようです。「このブログは2020年8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。日によって文体が違ったりしますが、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。」
2021.07.06
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♪ 土建屋が屋根が短くなるという話を持ちてうなだれており‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 数センチ越境している庇を引っ込めなければならない。知多市の土木課が許さなかったらしい。この件のことは、6月17日のブログにも書いていて、その結論が出たようだ。この日に来ることになっていて、私が出ていくとうなだれたまま小さな声で、この結果報告となった。 市の土木課は一体何を考えてるのか。真下は側溝が通っているので何の支障もない。5mの道路を作り、それを市は寄付してもらうという立場なのに、些細なことでイチャモンを付けて来る。 開発業者は使われていない土地や、解体して更地になった土地を有効利用して、土地の価値をあげ、家を建てることで人口増加に寄与し、ひいては増税にも貢献するという立場でもある。 市にとって願ったりかなったりの事なのに、今回の市の判断は如何にもお役所仕事的で、融通の利かない非民主的なものだと思う。誰も得をしないどころか、業者泣かせ住民泣かせの、民意を汲まない一方的なごり押しでしかない。最低の対応としか思えない。 元々が短い庇なのにその瓦3列分をめくって、1列分をカットするという。まったく庇の役割を果たさなくなる。南側は5mの道路が出来て、その角にゴミ収集場所が作られる。分譲地が隣接する部分は数m分フラットになるらしく、とにかく南の風当たりが今までとは比べ物にならないものになる。台風でも来れば、その暴風雨をまともに受けることになる。 壁に当たった風が舞い上がり、下から庇を持ち上げ吸い上げる。短くなる分その影響は少なくなるだろうが、きちんとした工事で今まで以上にしっかりしてものに作り変えてくれればいいが、手抜きでもされたらたまらない。 毎日、工事を見ていて様子をチェックすることは出来る。その眼があればいい加減なことは出来ないだろうし、こちらが気付けば文句も言える。工事費は開発業者が負担することになっているので、こちらの腹は痛まない。 足場を組んで、大工が入り、屋根の業者が仕上げるまで、およそ1週間はかかるだろうという。 造成工事は順調にいけば7月末には完了できるらしい(梅雨の末期には大雨が降ることも多く、ずれ込む可能性もあるが)。 窓を「腰窓」に変える工事も控えているし、庭に車を入れるための工事も息子がやってくれることになっている。屋根が終わってからやる方が良いように思うし、窓の付け替えする大工は息子の同級生だし、同じ時期にやれれば材料の融通とか、お互いに手伝えるのでそれなりに都合もいいだろう。夏真っ盛りの一番暑い時にやることになりそうだ。 昨日の造成工事は中途半端に終え、座って雑談しながら時間をつぶしをしていた。奥の側溝が変な感じで中断しているし、中の境界線にブロックを積む工事も途中で終わっている。翌日の天気予報をチェックし雨と出て、その翌日は本格的に降るらしいと知っての事らしい。変に作業を残すと水が溜まったり崩れたりするので、手控えたようだ。 案の定、今朝は誰も来ない。昨夜の雨で途中までやったブロック工事の溝にかなりの水が溜まっている。きょうの雨と明日のもっと強い雨を見越して、止めておいたのは正解だったようだ。予想降水量(24時間)お陰で今日・明日は静かな一日を過ごすことができる。 今まで一番低い我が家の前に溜まっていた水は、集水桝が設置され雨水管が通っているので、U字溝に集まってそのままま流れていくだろう。もうどれだけ降っても大丈夫だ。
2021.07.01
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♪ はやばやとサンパが町にやって来た尽具留尽俱僂ろっ骨が鳴る‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 世界にはケッタイナ自然と面白い建造物とがコラボしていたり、独創的なビックリするような建築物に溢れている。人間は想像したり空想することができることで、繋がり合ったり協調・強力し合うことができる。そのサピエンスの世界を広げてきた。 神を引き合いに出し、夢を語り可能性を信じながら想念をもとにして創造という果てしない架空の世界を泳ぎ回っている。その想念が利己という穴に落ち、弱肉強食という空想を持たない生物たちのヒエラルキーに巻き込まれていくとどうしようもなくなってしまう。 GAFAのような企業が理念を一致させ協力し合って、完全に独立した組織を立ち上げることは出来ないのだろうか。まともな想像力を持っていれば何をすべきかは分かっているはずだし、それが出来ないのは想像力と理念が無いと言われても仕方がない。 コロナ禍で反作用のように金が転がり込んでいる今、第三波がやって来ているこの時こそ、得たものを社会に還元する時じゃないだろうか。スペースシャトルが地球を飛び立つところをとらえたもの 宇宙から地球を写真撮影中ISSから見た地球と太陽ハリケーン・イザベル(2003年)ギターの内部CTスキャンの内部ピサの斜塔の内部 マクデブルク・ウォーター・ブリッジ(ドイツ・マクデブルク)小さな村カツヒにある約40mの石灰岩「カツヒ・ピラー」グルジア。頂上に教会があるロータス・テンプル(インド・ニューデリー) Glass Dome of the Reichstag Building, Berlin, GermanyThe National Theatre of Beijing.The Egg, Beijing, ChinaSelfridges Department Store in Birmingham, England, 2003Oslo Opera House 外観と内部 人は制約の中で、ものを発想しデザインすることに大きな力を発揮する。課題を与えられ、ある制約の中でそれを成し遂げるために異様なごどの情熱を傾けることができる。その制約は明確な形をもってるほど対処がしやすいわけで、抽象的なものでは形にすることも出来ない。 日本学術会議の在り方が問われているわけですが、明確な課題を与えて議論だけではなく形あるものを作って行くというような方向に舵を切ったらどうかと思う。そのためにはどの分野のどういう知恵が必要かは自ずと明確になるし、明確な目標があれば自ずと方向性は決まって行くでしょう。 問題は、その明確な課題を出すことができる人材やブレーンが存在するかどうかでしょうが、何も分からない権力者が口出しして、とやかく言う今の体勢にも問題がある。アールヌーボー時代の車
2020.11.15
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♪ 雑巾を掛ければ雲の晴れゆきて清しき風の吹く心地する‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨日は孫ちゃんの振替え運動会の日だったけど、あいにくの雨で中止になってしまったんだろうね。一生懸命練習したのに残念だった。練習したことは無駄にはならないんだから、ガッカリしないでねって。 今朝は良く晴れて秋晴れの空。 しかし、上空には湿った空気が流れ込んでいるのか、上空は新たな雲が西から流れ込んできている。明日には弱い雨のふる時間帯もありそうで、大気は不安定のままのようだ。数10分後には別タイプの雲が 爺さまは、空、特に雲を見るのが好きで、毎朝、このPCの椅子から見える東の空と西南の空の “雲模様” を眺めている。 毎日、刻々と変化する地球を包んでいる空は、地球の体調と気分を表している。気圧の変化がそのまま表情に現れ、明るくも暗くもなる。人の心と同じように。その変化に一喜一憂している人間とは、何とデリケートな生き物か。家を持たない野生の生きものはそんな事に頓着していては実が持たないんだよ。 まあそんなご主人に寄生しているわれわれ猫は、そんな人間のお陰で良い思いをしているんだからあんまり言いたくはないんだけどね。 オーっと、今日はクリーンキャンペーンの日だった。 すっかり忘れていた。普段、通路の掃除なんかしない人が裏の路地を掃いているのを見て、すんでのところで思い出した。 で、慌てて出て行くとお隣さんが「もう終わったよ」と。「そう言えば市の防災無線の放送が無かったねぇ」なってことを言いながら、そそくさと残っている空き家の前の掃除を始めた。ここはだれもやらないので、爺さまが自発的にやっているようだ。もうすっかり雲の覆われている。 表の道に回ってみると、空き家と言っても入院か施設に入っていてずっと留守になっている家の前と、その隣の本当の空き家の前は、見事に汚いままに残されている。まあ、いつものことなんだけど。 隣保班という大切なグループのエリアなんですから、汚くしたままにしておくのは忍びないじゃないですか。自分の家の前だけきれいにして、その隣が汚くても平気という神経が爺さまには理解できないらしい。「関係ない」と思ってしまえることが空恐ろしいって。本当に、隣保班としての機能をいざという時に発揮してくれるのでしょうかと心配している。 ただ回覧板を回しているだけの関係だったら、都会のマンションとちっとも変わらないじゃない。親戚縁者とは密につき合うというのに、他所から来た人とは距離を置いてしまう。自律的排他でもなく無関心的排他というようなものが暗黙のうちに出来上がっている。触らぬ神にたたりなし的な事なかれ主義の成れの果てか・・。 よそ者はまるで異邦人。外国のチャイナタウンとか日本人街とかいうものを縮小したようなもので、民族は同じなのに阻害されている異宗教の民みたいなものだ。なんて言ってるよそ者の爺さまは、被害妄想の気があるらしい。 このブログは8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。 日によって文体が違ったりしますが、そのうち一つの形に収斂していくと思いますのでそれまでは、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。
2020.10.18
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