全12件 (12件中 1-12件目)
1

初夏のような陽気が一週間続いて、田舎の家に行ってみたら、OH!! 出てる出てる! 野菜の芽が、並んでいました(^_^)v。 左から絹さや(3月豆)、菜心、ニンジン(わずかでうっすらで自信はないんです。もしかしたら雑草かも(^_^;)です。 夏大根は音沙汰無し。新しい種ではなかったので、無理かもしれません。 そして、ジャガイモ。畑に小さく切れ目が?なんだろうと近寄ると、たくましいジャガイモの芽が、土を持ち上げていたんです。たくましい姿にちょっと感動です。 こうして元気に野菜の芽が顔を出すと言うことは、歓迎されない雑草群団も元気に登場ということで、日曜日は早くも一日草むしりでした。特に今はスギナです。「スギナの根は地獄まで」と言われるとおり、根まで取ろうとすれば、大きくなりかかったタマネギやニンニクの根まで切ってしまいます。 春はそれでもやわな草ばかりですが、だんだん気温が上がるにつれ、凶悪な面々が登場してきます。それも「せいの~ 」で一斉に容赦なく。ま、畑は雑草と虫とバトルだと学びました。 畝の間にマリーゴールドを蒔きました。コンパニオンプランツとして優れたお嬢さんだそうです。トマトやナスの本番に活躍してもらう予定です。 カレー畑、おいしく育てってよー!の日曜日でした(^^)。
2008年03月31日
コメント(0)
中学2年、終わってしまいました・・・とうとう。中学なんて、学校の仕組みも行事の流れも分からないうちに終わってしまうんだ、と実感です。もう部活も7月いっぱいでお終い。早すぎるー! そんな感傷はともかく、ぶうの「勉強エリア」はどうよ。 うちは、2階屋なのにぶうが2階に上れなくなって、1階のリビングにぶうの生活すべてが置いてあるんです。そしてこの始末。ピアノまで使って物置にしています。ピアノは今でも習っているので、弾くときはふたの上に乗った物をよいこらどかします。終わったらまた置きます。 4月になったら、容赦なく新しい教科書やワークがやって来ます。どこに置くのだ。 毎度果てしなく裾野を広げたぶうの学校物一年分の片付けが、春休み一日かけての行事です。 教科書、資料集、ワーク、ノート、プリントたくさん、テスト類などなど・・・。 片付けの理由はもう一つ、やっぱり中3だなあー、というので塾の「春期講座」なるものに行くことにしたんです。そしたら宿題が出るんです。そしたら、宿題するスペースが無いんです。 宿題する前にまず場所確保。対策に追われるぶうでした。 その間、おかあは冬から夏への衣替え第一弾、ぶうの厚いズボンやフリースをしまい、クリーニング屋さんが「冬物ジャケット、オーバー3割引」につき、5着ほどかき集めて持って行きました。 それにしても、この季節の急ぎようはどうでしょう。「今年の冬は寒かった」から、暑い春到来で、一ヶ月の間にダウンジャケットから半袖の替わりようです。衣替えも間に合わないこの変化。5月ぐらいから30度超えるかも、いよいよ。 新学期の4月は初夏かなー。
2008年03月27日
コメント(0)
ここのところ、頭痛を訴える日が多く、心配。 二分脊椎で水頭症を合併した子の定番の心配…シャント不具合…かも? ぶうの場合、シャントに頼って頭の中の水を出してるので、シャントに何かあったらかなり激しい症状がでると思われると、ドクターからは言われてました。 今回、激しくはないのですが、朝「頭がちょっと痛い」と少し遅れて登校したり、「頭が痛くて気持ちも悪い~」と部活をせずに帰ってきたり。朝の頭痛はあまりよくない、とも聞いたことがあります。横になって寝てる間に水がたまるから?起きてしばらくすると、下に水がおりて頭痛も治る、とか。 「今年、一度も休んでないんだからもったいない」とはげましはげまし、なんとか休まず通わせました。幸い「休みたい」とは言わなかったので。 ただ、頭痛を訴えるのは金曜日だったり、朝練だったりしたときなので、体力かなあーとも思ったり。 とにかく心配。春休み2週目に入れていた脳神経外科の予約を無理して1週早めてもらって診てもらう事にしました。 春休みで何もかも大混雑の中、ドクターに「多分大丈夫じゃないかなーと思うのですが、心配もー」などとあいまいな態度に、「わかりますよ。心配ですよ。すぐCTとりましょう」と言って下さって、ありがたや~。いつかのドクターとはえらい違い。 CTも予約でいっぱいのところに押し込んでもらって。 結果は、「大丈夫!変化ないですよ。良かったねー!」 「良かったです!もう安心しました…。ありがとうございます」 本当に、よかった!! もしや、とも思ってたので、ほーっです。 春休みになって、すぐ診てもらって「なんでもない」と太鼓判を押されたせいか、よく寝てるせいか、ぷっつり頭痛の訴えはなくなりました。ストレスなのかもしれません。近所の立ち話でぶうがすぐ頭痛になると言ったら、「うちの兄ちゃんも中・高の時はしょっちゅう頭痛を訴えてたよ。成長痛もあったの。ほら、成長する時、骨と筋肉では速度が違うからそのアンバランスであちこち痛いっていうじゃない。頭痛もそうじゃないか、と思ったよ」と話してくれた人がいて、「!そうかも」と思いました。 ストレスかもしれない、体力ないせいかもしれない、成長過程なのかもしれない。とにかくシャントトラブルではなかった! それでもういいです。 ちょっと心配した春休み初日でした。
2008年03月26日
コメント(0)
いよいよ、思春期、反抗期でしょうか。 写真は、カメラを向けたら「そういうのやめてくれよ!」と怒りながら登校するぶうです。 暖かくなって、そろそろフリースからいつもの綿100のトレーナーに衣替えと思ったら、ぶうが 「あのねー、いつまでも小学生みたいなカッコしたくないんだよ」 えー、小学生みたいなカッコだと? 「だって、お前の物を買いにユニクロ行ったってジャスコ行ったって『別にどうでもー』って言うじゃん」。 「いつまでもさー、こういうの(大きくイラストが前についてるトレーナーのことかしら?)やめて欲しいんだよ。鎖が付いてるのとか、シャツを羽織るようにするとかそういうの、着たい」 く、鎖だと?どこに付いてるの?と聞いたらズボンだって。 今まで、すべておかあが選んでたぶうの洋服・・・。だって、まったく興味を示さないから。おかあが選べばまじめな「昭和の中学生」になるのは必至。 ぶうも「おしゃれ」に興味を持つようになったんだなぁー。 そういえば、朝も洗面所から出てこない。早くするように言うと 「寝癖がさー、とれないんだよね」 「あのね、五分刈りに寝癖はつかないよ」 「ここの耳の脇んとこから首の後ろんとこ、髪立っててすごく目立つ」 「はあ~? そんな微妙なこと、誰も分からん」 それでもぐずぐず言うから、タオルをお湯で絞って頭にぐるぐる巻いてやりました(-_-)。 先日近所を車で走ってたら、若い女の子がお目々の周り黒くして超ミニスカにブーツ、キャスケット、ショッキングピンクのTシャツで胸がぐるりと開いて、きらきら光る大きなロゴが付いてるの着て歩いるの見て「まあ、あんなカッコして、この界隈にいけない兄ちゃん達もいるのに大丈夫かしらー・・・、あっ!!! あれ、ぶうの同級生のAちゃん?」 「そうだよ」「えーー、おかあはショックだわ。ぶうと小学校から一緒のAちゃんがあんな大人のカッコして」「Aなんかまだましだよ。もっとすごいのもいる。おかあはさあ、いつまでもぶうもみんなのことも小学生だと思ってんじゃないのー?」ということもありました。 もうすぐ中3。ぶうもその同級生たちも、厳しい受験の荒波に心乱れる思春期、むらむらわき起こる反抗の気持ち等々いろんなものが押し寄せる、人生初めての試練の時に突入するんですねー。 とりあえず、世の青年達が着るであろうものを探しにこの春は行ってみるつもりです。
2008年03月21日
コメント(0)

これは、ニンジンの種ですよー。 蒔きまーす。去年は筋蒔きしましたが、「間引き」が思いっきり出来ず、いつもばらばらな成長だったので、今年は一所に3,4粒入れて、そのなかから代表選手を選ぶことにしました。間引いたものも、サラダや炒め物につかえるので、ニンジンは春の畑のスーパースターです。 ぶうも、不思議とニンジンの葉が大好き。天ぷらやチヂミ風に焼いた物に塩をぱらぱらかけるのが一番と言います。あの苦みが分かるとは、将来恐い、と人は言います。(大酒飲みになるって?) 去年、忙しくて春の種まきができなかったので、今年はおとう、がんばる。ミニ耕耘機だけでは、十分でないと自ら鍬で掘り返し、畝を立てました。 一方ぶうは、次の日学力テストがあるので、一応勉強です。あーーー、頭痛い、それを考えると。ぶうは3年生になるー!しかもこの座り方!だめだよ、きちんと座らねば。 ま、でもとにかく作業作業。 絹さや、夏大根(これは数年前のあまりの種、6粒なので出ないかも)、菜心という中国菜も蒔いて、田舎の家の庭先は、ジャガイモ、ニンジン、絹さやあ、夏大根、菜心、そして秋に埋め込んだタマネギにニンニク・・・これで春畑の完成です。今年はカレーも自家製野菜で食べられます(^_^)v。 お彼岸も近く、日が長くなりました。障子に映える夕日も丸く暖かです。
2008年03月17日
コメント(0)

ポットに種まきしたソラマメがそのまま大きくなって、花を付けています。 いつもは、畑に直まきかポット植えしてある程度大きくなったら畑に持って行くのですが、今年は寒かった!芽が出てから大切に、ビニール袋をかぶせた簡単手抜き温室で育てたので、「吹きさらしの畑は稲藁かぶせたとしても寒かろー」とついつい手放せず。 12月「風が冷たい。畑作業はいやだ。いつものように1月は暖かいに違いない」 1月めずらしく、霜柱が畑に立つは雪は降るは。「氷の土を掘り返すのはいやだ~」と見送り。 2月「ちっとも暖かくならなん!」 3月、どんどん花をつけてる!そして現在に至る。 ポットも半分は大きい(といっても15cmくらい)に移植したものの、あとは10cm足らずのポットのまま。 おとうは、「畑に持って行くと、アブラムシに襲われるのは必定。このポットで十分。ソラマメは感謝している」と言うのですが・・・。 こんな狭い環境で、うまくマメがつくのかなー?
2008年03月14日
コメント(0)
田舎の家の梅の木が、去年よりだいぶ遅れて満開になりました。 歩き始めたお嬢ちゃんが、「春がきたよ」と赤い鼻緒のじょじょ履いて、おんもで最初にかぐのはこの梅の花の匂いでしょう、たぶん。 この甘苦い匂いは、子供の時にはなんの意識もなく通りすぎていたのに、大人になって、「春だ!」と思わせることどもの一つになりました。 中年のおばさんになってもこの梅の花の匂いをかぐと、ふぁ~っと赤い鼻緒のじょじょ履いた幼女にトランスしてしまうんです。まだ春浅い、冷たい風にかすかに香る花の匂いは、もうすぐ寒さから解放されるしるしだ!と、わくわくした記憶に戻っていくんです。 これは、やっぱり自分が育った昔の家の庭に梅の木があって、そこにトランスするんだと思います。 ぶうは、田舎の家の砂地の庭は、車いすでは自由に動けず、せっかくの梅の木までは行けません。でも、同じ記憶を持ってもらいたくて、おかあは梅の木を一本失敬、ポキッ。 ぶうの鼻に梅の花を押しつけて「ほらほら、ね、春の匂い、するでしょ!梅の花だよ。かいで、かいで、ほれほれ」ゴリゴリ。 「痛ぇーよ、わかったよぉ、やめてよぉー!」とぶう。 もしかしたらぶうは大人になって梅の花の匂いをかぐと、むりやり花を押しつけられた苦い記憶にトランスしちゃうかしら・・・。
2008年03月12日
コメント(2)
今年は寒さが厳しくて、珍しく霜柱に覆われてた畑もやっとゆるっとして春。 さて、何を植えようか・・・。 とりあえずはお決まりのジャガイモ。「男爵」と「インカのめざめ」から行きますよ。去年、「インカのめざめ」が人気ですぐ売り切れていたので、今年は見たときすぐゲット。これであの黄色で甘みの強いホクホクジャガがいただける、予定です。 草木灰にまぶして穴にIN。去年まで軽く幅広畝をたててたのですが、近所のプロの農家は、真っ平らの畑にポコッ、ポコッと小さな穴開けて仕込んでいたので、うちもそうしました。 成長を見て土寄せすればいいのかなーっと。 写真は2日目ですが、ジャガイモ植えたところに水を掛けているのは、ジャガ君のためではなく、風で畑の土が飛ぶからです。 砂地なので、強乾燥気味。風が吹くとサラサラと砂が移動して、シルクロード状態になるんです。でもかえってジャガイモにはいいようで、毎年けっこう良いものができます。 どうか、今年もいいジャガイモができますよーに!
2008年03月11日
コメント(0)
日曜日は、名古屋女子マラソンを前から楽しみにしてました。高橋尚子さんをめちゃめちゃ応援してたから。彼女に詳しい友達の受け売りだけど、小出監督から独立したQちゃんは、質素な普通の住宅に彼女を支えるスタッフと住み、畑や田んぼの中を走ってるんですって。もちろん、アメリカや中国で高地トレーニングは積んでるけど、日本での生活は本当につつましいものらしいです。 そして、周りはけっして彼女に優しくはないでしょ。もう年だとか監督もいなくて独りよがりだとか。それはまんざらうそではないわけで、それだけに本人にはきつい状況だと思うのに、ひたすら「オリンピックに出たいんです」と言って走り続けて準備した。そうしてむかえた絶対絶命、この日一回しかチャンスがない大会。もうどきどきして正視できないほどでした。そして9キロ、あっという間に彼女からオリンピックへの切符はすり抜けていってしまったんです。このどきどきは、やっぱりこういうわけだったのか、とあらかじめ悲劇を予想していたかも、と思うほど、あっけなく勝利の女神は彼女を置いて行ってしまいました。死ぬほど努力したのにね。たくさんの人が彼女の勝利のために力を尽くしたのにね。 最後まで走ったのはえらかったけど、でも彼女はこういうゴールのために何年も努力したんじゃないもの。 同じ日、ぶうの幼馴染で赤ちゃんのときから知っている子の受験結果を聞きました。 第一志望の公立高校は、だめでした。特技の推薦枠を狙って、部活の毎日、それはそれは厳しい運動部の練習に耐えて県大会で準優勝。勉強も遠くの塾まで通って努力したのに。学校も塾も「絶対大丈夫だ」と言ってたそうです。ショックで寝込んでしまったとか。 Qちゃんとは次元は違うけど、やっぱり望んで望んで死に物狂いの努力をしてもその「望み」がかなうという形では報われない時もあるんだよなーと、たまたま重なった結果を聞いて思いました。 身を削って回りも巻き込んで実現に向けてやりこんだ努力が、はっきり形が見えたはずのものが一瞬のうちに消えてしまったとき、この身はいったいどうしたらいいんだ・・・と一時は思うんでしょうね。 地面に泣き伏したという少年も、気丈にインタビュウに答えていたアスリートも厳しい現実と向き合わなければならない。 「いいんだよ、いいんだよ」としか言えない。そういうことはあるんだよ・・・。「あーあ、やっちまった」とまた歩いていくしかない・・・。でも、ずっと見てるよ、見方だよ。
2008年03月10日
コメント(0)
厳しい寒さが去ったら、みんな行動を開始、かな。 「障害児も共に地域で暮らそう」という活動をしている知り合いから、「市の障害福祉課との勉強会があるからおいで」と連絡があったので、「んーー、これはどうしようか、むずかしいかな」とは思ったけど、障害福祉課には幾度となく足を運ぶんだから、と参加しました。 障害者福祉は障害の種別でサービスをしていたけれど、平成15年「支援費制度」になり共通ルールを作るも3年で財政破綻、それで「自立支援法」になったんですね。 ぶうは、まだ親の元にいる年齢なので、なんといっても医療費や補装具・車いす・紙おむつへの助成が一番かかわることですが、ころころ制度が変わってとても心細い限りです。ただものすごく助成してくれてた自治体に住んでる友達は、ものすごく減ったと感じてますが、もともとぎりぎりしか助成がなかったので、一割負担のほうがいいかもしれません。 参加していた人たちの関心は、地域生活支援で子供たちが使える「行動援助」や「デイサービス」でした。 「行動援助」はなぜ学校の送り迎え、学校の行事には使えないか。 基本的に「学校」の管轄は文科省・教育委員会なのと、そこまでやると、財政的に無理だから、だそうです。自治体によっては実費でやっているところもあるとか。 また、放課後の「学童」と障害児放課後対策(施設で預かる)で、障害児がどの学校に通ってるかで区別するのはおかしい、と抗議が。 なるほど、パンフレットに「学童」は地域の学校に通ってる子、障害児放課後対策は、特別支援学級か特別支援学校に通ってる子と書いてあるのです。障害児は「特別支援」にしかいないだろう、と考えたんですね。それに「特別支援」に通う子は「学童」に行かないだろうと。なんという認識。いろんな子がいるし、便利なところを利用したいのは、健常な子と同じなんです! そういうところを声を挙げて行くのが「地域で生きてく」ことなんだなあ、と思いました。 市側は「そういう視点が抜けていたと思います。これはすでに指摘を受けていて、今協議中です。たぶんどちらも使えるようになると思います」とのことでした。 以前、市報に載ってた児童向けの「水泳教室」に、ぶうも参加できるか問い合わせたら「はあ? 何言ってるの。普通の子でさえこれは参加するのに倍率高いんだから。おたくのようなお子さんにまで、枠は広げられない」と言われたことも、どこに言っていいのかわからなかったので聞いてみました。 みんな、「なんでも募集や催しがあったら同じように参加したいよね。ましてや市報に載せるなら参加できると思うよ」「障害を持ってる人も子供も参加したいと思ってるという基本的な意識がない」など口々に言ってくれて、市の人も「失礼な言い方をした者がいたようでもうしわけない。こちらも改善していきたいので、どんどん意見を言ってほしい」とのことでした。 でも、障害児のスポーツの機会をつくるのは難しい、って(-_-)。 「勉強会」と言いながらも、参加した人たちはずいぶん意見を市の担当者に言ってました。こういう会を主催する行動力には本当に感心してしまいます。 母子通園施設に通っていたとき、その訓練の内容や設定される回数にとても不満で、お母さんたち同士で随分怒ったものです。でも、施設内で話し合っても「これは市で決まってることだ」と言われればそれまでだったんです。こうやって、もっと上まで(さらに市の上、県とか議員さんとか)話を持っていく勇気があれば、もう少し改善されたのかもしれません。 でも、一歩踏み出す勇気、うわっ、それは難しいんだ、私には!!
2008年03月08日
コメント(0)
先日、車いすの母友とランチした時、彼女が嘆いたこと。 車いすのMちゃんは地域の中学に通っているんだけど、お友達が「親切」という題で「同じクラスの障害のある子にどんなに親切にしてるか」、「どんなに気配りをしているか」を作文に書いて、激賞されて校長先生が学校中に紹介して、お母さんもとっても喜んで電話してきた、とのこと。 もちろん、ひたすら「いつもありがとうございます。感謝してます」って言ったよ。 でもさ、でもさ・・・「こんなに親切にしてるのよ」ってさ。 「親切」って・・・。 「Mは、そのこの子とを『親友だ』って思ってるんだよ。Mは単純だから何でも話せる友達だって。でもさ、友達は手助けすることを『親切にした』って言うかな。なんかお礼は言ったけど、むこうはMを友達とは思ってない、ボランティアかって思っちゃって。心は晴れない感じ」 私も、一緒に心曇天。「親切してるのよ、私」って、なんか変。 もちろんその子に悪気はないのはよーーく分かるよ。でも引っかかる。 昨日、ラジオ聴いてて、ある言葉を聞いて「そうか」と思った。 「親切」って「上から目線」だよね、難しいけど。 外で見ず知らずの人に助けてもらうことは多いし、「助けてください」とお願いすることもある。それは本当に「ありがとうございます!!」の感謝の気持ちでいっぱい、「ありがたい!!」って思う。 でもね、友達って思ってた人が、自分への手助けを「私はこんなに考えて親切にしてます」って発表したら悲しいな。自分だったら「ごめんね、手かかって」って言ってその人から離れるな。 ぶうや、Mちゃんはよく言えば「人が良い」、裏を返せば単純で幼い。疑うことを知らない。相手が自分をどう見てるかなんて、よっぽど攻撃してくるほどでなければ考えない。 友達は、相手が好きだと思って時間を共有したいって思うでしょ、そのために手助けして「親切」? 難しいなーーー、友達ねー。 まあ、ぶうやMちゃんに限ったことではないけどね。うまく言えないな。 ただ、「私はあなたに親切にしてるわ」と言う人と、友達にはなれないね、なんか心にひっかかっちゃって。
2008年03月07日
コメント(0)
今日は、「3年生を送る会」でした。ぶうの吹奏楽部も出番があるというので、花粉と黄砂で鼻水どろどろの状態ですが、見学してきました。父兄は「見たい方は見てもいい」という消極的なお便りで、私語もちろん厳禁、写真・ビデオも撮影禁止です。小さくなって、見学しました。だって、ぶうたち2年生は、これで一般の人向けに演奏するのは最後なんです。後は、1年生新人勧誘向けにちょっとやって、もう曲も決まった夏の大会向けてひたすら練習・・・そして部活卒業です。なんということでしょう!!もう、中学の終わりが見えてしまうなんて。中学、そして高校って話には聞いていましたが、本当にあっという間なんですね、実感です。曲は「カリブの海賊」でした。ぶうは、かっこよかったです。本当はビデオに撮りたかったなー。なかなかリズム感がいいんです。「送る会」は、先生の物まねや入学式から修学旅行までのなつかしビデオや先生の寸劇などで、最後は3年生からすすり泣きが聞こえて、こちらもつられて花粉・黄砂・感動入り交じった涙と鼻水流しました。本当に本当にもうこれでぶうたちが最後の学年になってしまうんです。その重大さに、もう胸が苦しい~。
2008年03月05日
コメント(0)
全12件 (12件中 1-12件目)
1

![]()
![]()