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ぶうのおじいちゃんとおばあちゃんの七回忌、無事終わりました・・・。先におばあちゃんが亡くなり、本当に後を追うようにおじいちゃんが1年後の同じ月に亡くなりました。ぎりぎりまでおばあちゃんを自宅で看病して、亡くなってからはちょっと自暴自棄気味だったおじいちゃんでした。ものすごくおばあちゃんを怒ったりしたらしいけど、おばあちゃんなしには生きてる甲斐もないおじいちゃんだったのかな。そんなことを思い出しながら、ごく内輪、兄弟だけで手を合わせました。姪や甥は仕事や部活で集まりません。エネルギーのある者は離れ、坂道を下りつつあり「死」を送る立場にある者が残る、とすればおとうもおかあも残り組。それにしても、とにかく雨。ここのところ、なにやるにしても雨です。雨の音とご住職の「南無妙法蓮華経」のコラボでした。「なむみょう~ほうれーんげーいきよーぉ・・・・」(ものすごくバリトンのご住職)合掌。
2008年05月31日
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今、修学旅行に向けて子供達は、計画の真っ最中で、それにむけて学校側と話し合いを持ちました。 厳しい!!車いすと「豊かな自然」や「歴史」は、もともと折り合いが悪いんです。「修学旅行」って日常とは違う体験をしに行く行事ですから、豊かな自然を満喫し歴史に思いをはせることこそが、正しい「修学旅行」でしょう、それは。 よって、障害持ってて車いすで区域の学校に通ってる生徒と親に「修学旅行」は、あれも出来ないだろう、これも無理だろうと見せつけられる過酷な行事だったりするんですにゃ~。(かなりへこんでます(-_-)。。) もう当然のように、「付き添い」を求められました。こちらとしても、お風呂やトイレはやっぱり心配で、「付いて行きます」と返事をしました。今回の負担額は5万円くらいになりそうどぇーす(-_-)。 ぶうたちは、修学旅行専用の列車で移動します。車いす用トイレはないです。仕方ないのでペットボトルで一番後ろの職員座席の隅ですることに。こういう時、カテは便利だったりして・・・。 行き先では、まず渓谷を歩くので、ぶうは当然無理。おとうと二人分のお弁当渡されて、バスターミナルで2時間半自由時間です。 グループ別自由行動では、歴史的な街を歩くグループ、工房でいろんな制作体験するグループいろいろで、ぶうのグループは、「サイクリング」だそうです。チャリです、チャリ! 「サイクリング!? はぁ?」と思わず言ってしまいましたが、ぶうが「それでは一緒に行動できない」と抗議したけど、「ぶう君はお父さんとバスで、ガラス工房体験とランチに参加すればいい」、先生も「いいんじゃない?」と言うので、あっさり決定したらしいんです。 「なんだってぇ!」と息巻くおかあなのですが、あんまり言うとぶうのプライドが傷つくし、一緒には無理なんだから、受け入るべし、がおとうの意見です。 そうです、小学校の修学旅行の時は一緒に行ってくれようとしないクラスメイトに怒って、おかあが先生に抗議したけど、もうぶうは中学生です。彼なりに周りを見てその中でやっていこうとしてる結果、別行動でいいや、と受け入れたんでしょう。 去年、林間学校で、グループ別の自由時間に「周囲の散策路探検」派と「室内トランプ」派に主張が別れて、リーダーだった子は「ぶう君のことを考えろ!室内だ!」と押し切って、そのことで後ですごく孤立感を味わってしまったらしく、 そう言うのを聞くと「ぶうができない、ってことを考えて欲しい」とは強く言えなかったりもします。 学校は、よく気を遣ってくれてると思います。宿泊も車いす用のトイレのあるところ、アプローチのよい部屋、食事は座敷でなくテーブルとイスで等々。これ以上何を望むのか、それはわがままだろう、ってか。 だけどね、交通費も食費も宿泊も全部自費だよ。おとうは一緒に修学旅行列車に乗るのに団体割引には入れてくれないんだよ。すごく高額になるから、せめてもとぶうは団体割引から抜けて、おとうと二人、身障・介助割引切符を当日買うことにしましたよ。 ぶうも、親に付いてきて欲しいと言う子なんです。「親が行くなら自分はもう参加しない」と主張した車いすの子も知ってますが、ぶうは違う・・・。いらいらしてるのは、おかあの一人相撲にすぎない・・・、自分の思うようにぶうが動かないことを受け入れてないのかもしれないっす。もともとひがみっぽい気質だし、おかあって。 こうして「どうしても一緒は無理だ」という場面に直面するであろうことも、地域の学校に入る際には覚悟したはずなのに、いざとなるとバタバタ、ざわざわと心が乱れるのは、何の疑問もなく「健常児」側で育ってきたおかあだからかもしれません。 「お弁当をみんなと食べられないなんて!」と叫んじゃうけど、ぶうはもっといろんなこと、学校生活の中で体験してるから今さらそんなことにはこだわらないのかもしれません。 だけどーー、(小さな声で)周りの子はどうなのさ。置いていかれる車いすの子の気持ちとか考えたことあるかなー、障害があるから別で良いんだ、って思ってない? なんてぼやくと障害児ママ仲間から「ないない、障害持ってる子のことなんて考えないよ、そんなこと。ああ楽しかった、それだけだよ」とか「少しでも考えてもらえるかなーなんて思うのは、あんたの妄想よ」「通過点、通過点。まだまだやっかいなハードルどんどん来るんだから」と言われちゃうのだー。
2008年05月30日
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春の運動会は今がシーズンのようです。 近所でも毎週どこかの学校で運動会があります。明日は、ぶうの通った小学校で予定されてますが、どうでしょう・・・。雨が心配。 小学校の運動会は思い出がいっぱいです。あの無邪気な子供達の歓声、笑顔、かわいい拍手、もう過去のものです(-_-)。今はニキビ面の中学生のだみ声…、ヤジ、罵声…。 ぶうが通う予定の小学校の皆様の前にデビューしたのが、運動会・来年就学予定児童の徒競走でした。学校とコンタクトを取る前に「こんな子がいるんですよー」とちょっとアピールしておきたかったんです。(学校や教育委員会とは「障害児も地域で学ぼう」運動をしてる方から事前に連絡を取る必要は無いと聞いていたので、就学のお知らせが来るまでどこにも連絡しませんでした) 「来年小学生になるお友達は、ゲートのところに集合して下さ~い♪」というので、おとうが、ぶうの車いすを押して集合。別になんということもなく参加。直前に学校の先生が「押しましょうか?」と言って下さったので、ありがたくお願いして、他のお友達と先生がぶうの車いすを押して走って、ノートもらって「やったー!」と喜んで帰ってきました。 誰からも何も聞かれず、視線も感じず…あっさり、でした。 でも、後で聞いたら小学生達は運動会が終わった後の学校で「車いすの子がいた、車いすに乗ってる子がいた」「来年あの子は入ってくるの?」とちょっとした騒ぎだったそうです。あはは、ちょっと愉快でした(^_^;)。「車いすを使ってる子供」を本当に見たこと無いんだなーと感じましたね。 近所の子は「あの子のことは知ってるんだ。ぶう君て言うんだ」と鼻高々だったとか。 子供達に、車いすを使ってるぶうという子がいるんだ、とアピール出来たのは、とても良かったと思います。入学してからも「あ、あのときの子だ」とすんなり上級生に受け入れられたのも、ひとつはこの時の激走が効いたから、かも? でも、押してもらって爆走はこの時だけ。小学校に入ってからは運動会の「競走競技」の 時は、50メートルだろうが「障害物」だろうが「借り物」だろうが、ぶうが一人でえっちらおっちら、グラウンドのコースを一人で走りました。ものすごーーーく時間がかかったけど、みんな辛抱強く待ってくれました。6年間、一人で注目浴びることをいやがりもせず、よいしょよいしょと走りきりました。 ぶうの根性と言うより、遅くなって一人で走ってもいいじゃない、という学校側の雰囲気が良かったんだと思います。大声で「がんばれ!!」と応援するわけでもなく、この子はこういう風に参加する、それだけのことでした。親も気が楽でしたよー。 一事が万事、ちょっと人と違う時間を、気にせず見守ってくれた、本当に素敵な小学校でした。 ああ、なつかしいよ~。ちょっとだけ帰りたいかなー。いかん、いかん、過去を美化して懐かしんではいかん、今に生きるんだよー!!(これは自分に励まし)
2008年05月23日
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家の中は暗く、「どうせだめだ」とか「今日もどうせ・・・」と「どうせ」が幅をきかせています。 なんなの、あのマリンズの大敗ぶりは!5点6点は当たり前。10点で終わってくれよ、と祈る日々。20点とか、交流戦いっちゃうかも。 ボビーは「モウヤッテラレナ~イ、カエリマス」とか言い出さないか心配。 18歳の唐川に頼らざるおえないなんて、情けないよ。唐川君はこれから育てる子なんだよ、一人出たアイドル・スターにたかる弱小芸能プロみたいじゃあにゃいかぁー。 「今期はもうだめだ」と言うと、ぶうは「そんな風に思っちゃだめだよ。あきらめちゃだめなんだ、これからがんばるんだよ」なんて、自分が試験後によく言われることそのまま、野球放送のラジオに向かって檄を飛ばしてるのが、あわれだわぁー。そう言われても変われない自分を思えよ。そう簡単にはいかんだろ。 それにしても、大連敗、なつかしいといえばなつかしい。 12,13と連敗記録を伸ばしてるとき、ぶうも実はスタジアムに行ってたんですよー。ジョニー黒木も打たれ込んで、新記録となったとき、ファンが「俺たちがついている♪」と歌って、選手を泣かせた時の歌声を聞いてるんだなー。 「ロッテのファンは負け慣れてるだけあって、どんなときも平常心なんだなー」と思ったものです。 でもここんとこ強かったから、今年も夢をついつい見ちゃったのねー。 防波堤の崩壊は痛かったー。すぐには再建できないんだねー。 里崎もいないし。 今年は見事は負けっぷりを楽しむとするかねー。
2008年05月21日
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関東平野縁の山の中に行ってる間に、海辺のもう一つのボロ屋の庭はもうもうもう、草!草!草! まだ5月、雑草シーズン前半なのにすでに一面の草緑・・・やばいっす。だって今月末には「法事」があるんです、ここで。あまりの草ぼうぼうの中で故人を忍ぶのでは、あまりに寂しい。 おとう、草刈りマシンガンで出来るところはバリバリとなぎ倒し、生け垣の周りは、引き抜いては投げ投げては引き抜いて、一輪カートでぐるぐる回収しまくり、一日格闘しました。雨上がりなので、土は重い。草も重い…。でも一週間に一度に付き、そんなことは言ってられないんです。とにかく草、刈るべし、刈るべし、刈るべし! (でも一週間でもとにもどるださー) 畑の方は、ジャガイモが順調です。 ニンジンは…にっくきスギナにやられてます(-_-)。スギナはすごい。「スギナの根は地獄まで続いている」と言われるとおり、地下に帝国があります。そして上に出ている作物の栄養を奪ってしまいます。 すでに大きくなっている作物ならともかく、芽を出したばかりのニンジン姫には過酷な環境です。いったんニンジン姫もまるごと掘って、悪者スギナを掘り起こす作業をしました。でもニンジンの出はいまひとつ。ニンジンの葉をぶうが楽しみにしてるのになあ。さらに、種蒔き追加です。 アスパラガスはそろそろ終わりです。ひらひらとしたきれいな葉が出てくると、初夏かなー。 そして、期待のルーキーだった「心菜」ですがー。よく分からないものになってしまいました(-_-)。これなに?確かにアブラナ科の特色は示してますが、雑誌や種の袋にあった写真とは全然違う・・・ひょろ~っとしすぎ。袋には「茎ごととって炒めたらおいしい」とあったので、茎ごととって炒めましたよ。それは、まったくの「棒」でした・・・。かすか遠くでナバナの香りはしましたが。失敗ってことかしら? 一部花を摘んで炒め料理に加えまして、まあしばし様子見です。 急いで適期を逃してはならずと、トマトとナス、夏野菜の定番苗を植え込みました。厳重にスギナを根ごとほりおこしましたよ。上はそよそよした風体なのに、地下は人の指ほどある根を1mほども伸ばして続々と上に親族を送り込み、繁栄を極めてる奴らです。。。 あー、もうぎりぎりで、家の中の畑で手一杯。そとにある畑は手つかずで、ハマスゲ暴力団にやられ放題です。(ハマスゲに比べたら、スギナはそれでもちんぴらです)この辺の農家定番、落花生とサツマイモ、今年は無理かも・・・。 自給率が低いったって、こんなに農地はあいてる。でもやる人いない。「今規模拡大して、輸入が増えたからやっぱりいらないとなったら、倒産ですよ」とかいう本格経営農家のことじゃなくて、ちょっと自分のうちの分の野菜くらい作ろうかという人が増えたっていいのにー。と言ってもここは人もまばらな、交通手段も車のみのところ。みんなが半農の地区じゃ今さら・・・ですけどねー。ガソリンも高いし。 あー、こうやって放置農地が増えていく・・・だぁ。
2008年05月12日
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プランターで育てているソラマメ、なんとかできましたよ。 1m以上伸びて、物干しの下に置いておいたら洗濯物が干せなくなってしまいました。大きさはやっぱりお店に出てるものにはかないません(写真は、一目瞭然、左がうちの子、右がお店の子)。それでも大きくなってきたらその重みで茎が一本折れてしまいました。あわてて、収穫して即口の中へ。 おいしい!!やっぱりねー。みずみずしくてプリッという食感。 でもね、やっぱりね、アブラムシがすごい。。。どうするかというと毎日軍手でひねりつぶしですよ。「アブラムシ」って名前どおり油っぽい、つぶすと。そんなことも学びました、今回。最初「ひえ~」だったけど、もう平気。「えいえいえいえーい!!」と一本一本チェックしてひねひねです。これでも葉には穴があきますー。けれど、第一弾収穫に続いて、お豆を大きくしなきゃ。 しばしアブラムシと闘い、洗濯物を寄せて干してソラマメ君を守る日が続きます(^^;)。
2008年05月10日
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借りる人もいなくなってもてあましてる山の中の古民家に、少しでも維持の手伝いをと知り合いたちが年に何回か来てくれるようになって3年目だけれど、山里の村の状況はどんどん厳しくなっています。 じじがこだわる百年以上たつ農家の建物は、7人兄弟だったじじさえ育っていないんです。すでに曾じいちゃんがこの山里に住むことを良しとせず、教職を得て出て行って、兄弟すべて都会で教育を受けさせたんですね。戦争のひどい時、一族身を寄せたけど、平和になったらやっぱり外に出て行っちゃった・・・そんな土地なんです。 今年、地区の中学校が閉鎖されました。診療所は建物だけで医者はいません。うちのむこう3軒空き家です。谷をはさんだ向こうも空いてます。それぞれ農家でしたから農地もありました。 なんとかうちのまわりの農地を「貸す」なんて言えない、頼んでお願いして耕してもらっていたけれどとうとう、そのお宅もやりきれない、とギブアップされてしまいました…。 一反歩だそうです。私も具体的に何平方メートルとかアールとかわからないのですが、中に立つと果てしないグラウンドのように感じられる広さです。素人では無理な広さ、というのけはわかります。 山間の集落で、耕地は広くないとはいえ、住む人もない継ぐ人もない家、畑がどんどん増えて、残った家がそれを請け負うのももう限界なのは良くわかります。だってその家だって老人ばかりなんです。若手がいても、もちろん仕事は村の外です。 一時人が集まった声は、山間の隅々まで届いたようで、あとからじじは「にぎやかっだね」とあちこちで言われたそうです。 食料を外国頼みにしてるのは良くない、農薬が心配、国際情勢が不穏、オーストラリアは大干ばつ、穀物が燃料に流れちゃう、大豆がなかったら豆腐も納豆も消えちゃうぞ等など言われてるけど、目の前にはやり手のいない農地があっちにもこっちにも放置されてて、ものすごい矛盾・・・。 そんな矛盾の実は真っ只中にいるのかも?でもやぱりできない!ここには住めないよぉ。おとうの田舎にも住めないよぉ。 「これにておしまい!!」。全国あちこちで宣言されてる一族の終了宣言。うちもやっぱり幕引きをするのみ・・・です。
2008年05月08日
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連休後半は、恒例になってしまった「古民家プロジェクト 」でした。(プロジェクトの意味はよく分かりませんが) 去年は力自慢がたくさん参加しての「激闘、畑掘り起こし作戦」でしたが、今年はガテン系が仕事が忙しかったり体調不良だったりで戦力ダウン。その代わり、お子さん連れやお嬢さんが参加してくれて、ぐっと和やかな「古民家・日帰り体験コース」となりました。 畑のネギを収穫、畝立てしてマルチをする、かまどでご飯を炊く・・・といったところです。 なんだかじいちゃんやおとうは、すっかり「農家自然体験」の指導者気取りです。しかも今年はばあちゃんが、少し調子が良いので「プロジェクト」初参加。何も出来ない人だけど、座っているだけで古民家それらしい「婆様」風で雰囲気盛り上げました。ジジババには、刺激になって良いことです。 日帰りなので、料理は山菜の天ぷらがメイン、お釜で炊いたタケノコご飯、山椒味噌田楽、お漬物くらいで料理も簡単。食器はみんなで切り出した竹です。 でも、裏方は何もないところで食事を出すのですべて持ち込み。まあすごい散らかりようです。 やって来たお子達は、東京育ちだそうで、何にでも興味を示し、カエル、空の蜂の巣、カブトムシの幼虫・・・大喜びでした。ぶうは、後ろから「危ないよ、やめた方がいいよ!」の連呼。教えたわけでも行動を止めたことがあるわけでもないのに、この怖がりよう。おかあにそっくり。遺伝子に組み込まれてるのかしら、チキンハートが。
2008年05月07日
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いよいよゴールデン・ウィーク、始まりました・・・。今年は一応ぶうが受験生だし、あまりあちこち出回るのはよそう、と思いつつ、6月は修学旅行に定期テストに模試に・・・と考えるだけでくらくらくるラインアップなので、いまのうちかも、とやっぱり誘われるまま出かけています。 まずは、ずっとぶうに体験させたかったハンドサイクル、やっと出会えました。 前回、ハンドサイクルが置いてある公園は桜満開で、駐車場に近づくことも出来ませんでしたが、今回は八重桜の季節、すいてましたー。すごくきれいだったけど、八重はソメイヨシノほどは人気ないんですね。 無料で自分の車いすに付けてもらえます。ただ、大人用なので、ぶうでぎりぎり付けられましたが、ぶうにはハンドルの位置が高いそうで、こぐのに「ものすごく重い~!」と悲鳴を上げていました。(ハンドルの軽さの調節もしたのですが一番軽いメモリでもだめでした) でも、「力を付けるのにちょうど良い」とおとうに励まされて、雪のように散る八重桜の花を蹴散らしながら、というより踏みしめながら2時間ほどチャレンジしました。 ハンドル重いせいか、ちょっとの坂道も「えーーーーいぃーーっ!!!」と声を出さなきゃ上がれなかったのは意外。すごくぶうの興味を引くだろう、もしかしたら無理してでも手に入れたくなるかな、と思ったのは大はずれ。残念のようなうれしいような・・・。 感想は「たまにならいいけど・・・ずっとはいやだ」でした。 これで日本一周する二分脊椎の青年もいるのになあ・・・。 ぶう体験第二弾は、「障害者テニス交流会」です。 ぶうはテニスは、ほんの少し触ったことがある程度。 友達に教えてもらったイベントですが、いろんな人がいました。視覚・聴覚・車いす・片麻痺・軟骨形成不全等々。 まったくの初級クラスにぶうは参加しましたが、車いすの子、二脊仲間でゆっくりの歩行の子、知的の子などなどにぎやかでした。 教えてくださったのは、皆さん障害者テニスコーチのベテランだそうで、それはそれは辛抱強くやさしく、あきらめず子供達と付き合って、何度も何度も何度もボールを出してラケットにあてる楽しさを教えるんです。その姿には本当にもう参りました! 感激です。 手の力が弱いしうまくラケットを扱えない子も、軽いラケットをボランティアさんが一緒に持って、かまえてるだけでラケットの面にボールを優しく当ててくれるそのトスのテク!当たったポーンという感覚がまたたまらなくうれしくて「やるやる」と夢中になっているんです。 ぶうもまったく運動のセンスなし(おかあに似て)と思われたのに、終了する頃には、ときどきラケットにボールが当たるようになったんですからびっくりです。 テニスはこれからも「やってもいいかも」という感想でした。 テニス用の車いすでなくてもとりあえず楽しめたし、定期的に練習するグループも紹介してもらって、これは充実の体験でした。 ただし、次の日利き手の右腕が今までぶうが経験したこと無いほどの筋肉痛に・・・。背中もかけないと部活を休んで早く学校から帰って寝込んでしまいました。(筋肉痛だからといって、寝るのは関係ないと思いますが)
2008年05月02日
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