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6月22日~23日の週末を利用して初夏の鎌倉市、三浦半島西海岸、日野市と廻ってきた。(その4)三浦半島から一気に都内へ戻り、友人と一献してこの日は市ヶ谷へ泊まった。朝起きてホテル客室の窓から外濠を見下ろす。桜の時期も綺麗だろうが、緑と水面が美しい。緑色の屋根が特徴の防衛庁庁舎も見える。戦前、同地(市ヶ谷台)には陸軍士官学校があった。世間から隔絶した江田島(広島県)で士官養成を行っていた海軍とは対照的に陸軍は大都会東京で士官の養成をしていた。ホテルをチェックアウトして京王線で高幡不動駅へ行く。高幡不動尊金剛寺で「あじさいまつり」が行われており、それを観覧する。都会にありながら広大な面積を誇る高幡不動。重文の山門をはじめ多くの伽藍を有する。「約3300株の自生の山あじさいを皮切りに全国から寄せられた約250種、700株にも及ぶ形も色もさまざまな山あじさいに西洋アジサイ、合わせて約7500株が咲き乱れます」との事(日野市観光協会サイトより)。自然豊かな裏山(城山)に多くのアジサイが咲いており、綺麗な眺めであった。アジサイの眺めを堪能し、門前で饅頭を買って、中央道日野BSより信州まで戻った。(鎌倉・三浦半島西海岸・日野散策の巻 おわり)
2013年06月30日

6月22日~23日の週末を利用して初夏の鎌倉市、三浦半島西海岸、日野市と廻ってきた。(その3)森戸海岸の見学が終わったので、再び京急バスに乗り、終点の葉山御用邸前で降りて、更に先へ行くバスに乗り継ぐ。長井、ソレイユ方面へ行くつもりが何処で乗り間違えたのか、三浦海岸駅行のバスであった。途中、帝國海軍武山海兵団跡(現、陸自武山駐屯地および海自横須賀教育隊)の前を通過する。時代は変わっても、かつて帝國海軍水兵に基礎教育を施した海兵団跡地に、現在も新兵さんの教育訓練機関がある。バスにもあどけない顔をし、真新しい純白の制服に身を包んだ若者が多く乗っている。帽子のペンネントには「横須賀海兵團」ではなく「横須賀教育隊」と書かれていた。たぶん四月に入団したばかりで海軍精神を鍛錬中の四等水兵さん(カラス)と思われる。猛訓練を経て数年もすれば、潮焼けした逞しい帝國海軍軍人になるのだろう。バスに乗り間違えてしまったので、三浦海岸駅から三崎口駅まで京浜電車で移動する。三崎口駅から荒崎行きのバスに乗って終点で下車する。荒々しい岩場となっており、荒崎の名に相応しい景色である。一般に三浦半島の海岸線は岩場や断崖が意外に多い。露頭(地層)がよく見えてジオパークになっても良いなかなあと思った。崖上に少しだけ見えている建物は高級旅館「荒崎海音 さがみや」。1泊2食で2万円~程度する宿だが、海の眺望も良いし、いつか泊まってみたいなあと思った。アジサイも見頃となり綺麗な花を咲かせていた。 (次回に続きます)
2013年06月29日

6月22日~23日の週末を利用して初夏の鎌倉市、三浦半島西海岸、日野市と廻ってきた。(その2)鶴岡八幡宮の散策を終え、横須賀線で1駅逗子まで移動する。逗子駅からは京浜急行バス(逗12系統)で三浦半島の西海岸を行く。前回(一昨年)来たときに見られなかった森戸神社と森戸海岸で下車し、付近を散策する。風光明媚、セレブな雰囲気が漂う葉山町にある森戸神社。創建は平安時代との事。鶴岡八幡宮に引き続き家内安全を祈願し参拝する。森戸神社拝殿近くに砲弾の碑があった。台座に「奉納」と書かれているだかで、説明が書かれておらず詳細不明である。帰ってからネットで調べると二十八糎砲彈との事。旅順攻略戰で名を馳せた二十八糎榴彈砲の砲彈かも知れない。海軍砲の十一吋(二百七十九粍)かとも思ったが、日本では十一吋はあまり使われて居なかった筈である。ノギスが無いので本当に二十八糎なのか、海軍砲としてよく用いられた十二吋(三百五粍)なのかは判然としなかった。神社拝殿の裏手は海岸となっており、岩場も砂浜もあって海水浴場となっていた。砂浜は森戸海水浴場であり、既に水浴を楽しむ人も居た。海の家も開業準備工事の真っ最中であった。沖には神社の鳥居と燈台が設置されていた。江の島が遠くに見え、湘南海岸らしいヨット(ウインドサーフィン)が海に浮かんでおり、なかなか美しい眺めであった。神社裏の海を望む岸辺には石碑が建立されており「今上践祚五十年」と記されていた。葉山御用邸で崩御あらせられた大正天皇のあとを継いで、皇太子裕仁親王が葉山の地で践祚なされた。(次回に続きます)
2013年06月28日

6月22日~23日の週末を利用して初夏の鎌倉市、三浦半島西海岸、日野市と廻ってきた。(その1)22日朝、松本を発って新宿経由鎌倉市へ向かう。電車を北鎌倉で降りて、散策しようと思ったが、かなりの人が下車するし、車窓からも観光客が多く見えたので面倒になりあっさり諦めてしまった。二十数年振りに鶴岡八幡宮を目指す。その前に昼時なので参道で昼食を摂る。食事はしらす丼が一番人気であったが、今回は鎌倉丼にしてみた。卵とじの海老天丼を鎌倉丼と称する。熱々のを美味しく戴く。腹が朽ちたので宮へ向けて参道を進む。道路を渡って鳥居をくぐる。露天も出て人もそれなりに多い。舞殿(下拝殿)。若宮[下宮](重要文化財)。実朝が暗殺された場所とされる石段を登る。若宮と同じく重要文化財指定の本宮(上宮)。賽銭を投じて家内安全を祈願する。石段を降りてくると舞殿で結婚式が行われていた。そのあと源平池を散策する。亀もしくはスッポンが多量に棲息しており、餌(有料・100円)を与える事も出来る。源平池は蓮があり、もう少しすれば花が綺麗だろう。これで鶴岡八幡宮の参拝が終わり、逗子経由三浦半島の西岸に向かう。前回(2011年7月)に行ったとき、廻りきれなかった森戸海岸と荒磯崎へ行く事にした。(次回に続きます)
2013年06月24日

6月15日(土)神奈川県伊勢原市にある丹沢山系の大山へ散策に行って来た。(その3)昼食を終えて、バスの終点付近から下に広がる大山の集落を散策する。大山を源流とする大山川。かなりの急流で深い渓谷を刻んでいる。このような小さな滝が随所にある。大山の名水No.3給水所。pH8.3のアルカリ性である。旅館の風呂もこのアルカリ水を使用しいるらしい。一般に中性はpH7と教わるが、大気中のCO2の溶解による要因を加味するとpH5.6程度が自然環境中にある水の中性なので、8.3とは結構なアルカリであると言える。風呂に用いれば所謂美肌の湯なのだろう。沿道にあった大山名物の豆腐店。このお店のほかにも何軒か豆腐店がある。とても美味しそうで買って行きたいが、信州まで持ち帰るのは大変なので諦める。愛宕滝付近の大山川。この川は急流なのでどこにいても水のせせらぎが聞こえマイナスイオンがいっぱいといった趣である。川に架かる橋は阿夫利神社に因んでか朱色に塗られている。この愛宕橋を渡ると対岸に滝がある。小振りながら趣がある愛宕滝。緒方竹虎の別邸「松鈴庵」。懐石料理の割烹店となっている。見頃を迎えた紫陽花も綺麗であった。またお越し下さいと書かれたゲートをくぐって大山散策が終了した。(おわり)
2013年06月23日

6月15日(土)神奈川県伊勢原市にある丹沢山系の大山へ散策に行って来た。(その2)大山ケーブルカーを下車して、駅付近から下界を俯瞰する。手前の山が邪魔になているが、関東平野の一部を見おろす事が出来る。駅から徒歩数分のところに阿夫利神社の下社がある。急な階段を登って行く。阿夫利神社下社の拝殿。早速参拝する。大山は山岳信仰の山で江戸時代には既に参拝客が多く訪れていたらしい。落語の「大山詣り」でも知られている。日本三大獅子山「大山獅子」なるモニュメント。阿夫利神社付近からの下界の眺め。晴れていればもっと澄んで見えただろう。見晴台へ向かう登山道。大山山頂(1252m)へ向かう登山道もあり、阿夫利神社の本社がある。ここから先は本格的な登山となるので、ケーブルカーで来た道を引き返した。麓の豆腐料理店で豆腐定食を戴く。冷奴、湯葉包揚出豆腐、豆腐田楽、梅豆腐などがセットになっていた。冷えたビールとともに美味しく食した。大山の豆腐は、江戸時代には既に名物になっていた模様である。(次回に続きます)
2013年06月22日

6月15日(土)神奈川県伊勢原市にある丹沢山系の大山へ散策に行って来た。(その1)14日(金)、夕方上京して友人と焼鳥屋で一献する。炭火焼の焼き鳥は旨かったが1本あたり200円強と値段も割合高かった。明けて15日、新宿駅から小田原急行線で伊勢原市を目指す。急行で約1時間、都心へも充分通勤圏内の都市である。伊勢原駅にて下車すると、駅の通路には大山、丹沢の観光ポスターが貼られていた。東京近郊のベットタウン的なイメージしかなかった同市だが、観光需要もそれなりにあるらしい。駅の切符売り場でバスとケーブルカーのセット割引券(1410円)が売られていたので迷わず買う。伊勢原駅前-大山間のバス往復と、索道の往復がセットになった切符である。駅前は比較的こじんまりとしている。阿夫利神社の鳥居が建っていた。駅前のバス停から大山ケーブル行きのバスに乗る。大山行きのバスは地方都市の路線としては高頻度な1時間3本の運行である。しかし、客は数名程度、ほとんどが途中で下車してしまって、終点まで乗っていたのは自分ともう一人女性観光客の2名であった。 バスは市内中心部を抜けて山辺へ向かう。道幅も狭くなり、勾配も徐々に急になってきた。歓迎のアーチを越えると旅館・豆腐店などが建ち並ぶ大山の集落があった。 バスの終点付近から大山の集落を見下ろす。急峻な渓谷と河川(大山川)に沿った集落であり、大山詣での旅館(宿坊)が多い。これから目指す大山。あいにくの悪天候で頂上は雲の中であった。しかし、下界では何もしなくても汗が滲んで来る蒸し暑さであったものが、バスで僅か30分程度乗っただけで、なんとなく涼しさを感じられる。と、サイレンを鳴らして消防車が走ってきた。レスキュー隊のようである。山で何かあったらしい。バスの終点からケーブルカーの山麓駅まで徒歩15分ほど、結構急な階段を登って行く。四国琴平さん(金刀比羅宮)の参道と似た雰囲気で、沿道には土産物屋と食堂、宿坊が立ち並んでいる。山登りのウォ-ミングアップなのだろうが、結構急な坂を汗だくになって登り、やっとケーブル山麓駅へたどり着く。消防のレスキュー隊も一緒に登ってきて、先行している仲間を駅で待ち受ける。TANZAWAと書かれた深紅のケーブルカーに乗り込む。山麓駅の標高は400m。距離800m、標高差278mを6分で上がる。登山道もあるが徒歩だと1時間以上を要する。途中の大山寺駅(海抜512m)で下り車輌と交換する。下りの車輌内には中高年の女性らしき遭難した人がレスキュー隊に囲まれて担架に乗せられていた。滑落などの事故なのか、急病なのか安否が気遣われる。山に詳しい人に聞いたら丹沢山系は沢登りの山として有名で、それに伴う滑落事故も多いとの事。嫌なものを見てしまった。ケーブルカーはあっと言う間に標高678mの山頂駅へ到着した。先程居た山麓駅より明らかに気温が低く少しひんやりして気持ちがよい。(次回に続きます)
2013年06月16日

9日(日)、夕焼けが綺麗であったので拙宅の窓から撮影した。北アルプスがシルエットになってなかなか綺麗であった。
2013年06月12日

5月25日~26日の週末を利用して神奈川県の横浜市と横須賀市を訪ねてきた。(その3)朝、食事前に散歩した走水海岸の風景。春は潮干狩り、夏は海水浴が楽しめる海岸となっている。旅館で朝食を済ませ、宿の前のバス停から京急バス須24系統に乗る。バスは、走水地区の住宅街を通り、防衛大の端艇撓漕施設の前を通過する。京急ホテル/美術館前で降りる。最初に三軒家砲台跡を見ながら燈台へ向けて山道を進む。白亞の観音崎燈台。明治二年初点燈、関東大震災で被災して、現在の塔は大正十四年竣工の三代目である。上部まで登楼が可能で景色を眺められる。明るさ七万七千燭光。燈台からの眺望。猿島、第一海堡、第二海保、房総側の陸地が一望出来る。また東京湾を行き交う船舶も丸見えである。観音崎公園の観光を終えてバスで横須賀中央駅へ戻る。丁度昼時になったので、横須賀名物の海軍カレーの昼食を摂る。数年前にドブ板通りに近い場所にある魚藍亭は行った事があったので、今回は中央駅からすぐの横須賀海軍カレー本舗へ行ってみた。走水水源の水を使った地ビールと共に美味しく戴く。なお、「よこすか海軍カレー」の定義は『カレー粉と小麦粉を炒って作ること、具材には牛肉か鶏肉、ジャガイモ、たまねぎ、にんじんを必ず入れること、牛乳をサラダを添えて薬味にチャツネを付けること』との事であって、昔の洋食屋さんのカレーに似た味わいである。最後にバスでJR横須賀駅まで移動する。横須賀市内はちょうどお祭りをやっていて、神輿が出たり、歩行者天国になっていたりで、道路が渋滞していた。横須賀駅前のヴェルニー公園から軍港に舫う軍艦が一望出来るので眺めておく。ニュージランド海軍らしき国旗を掲げた艦艇も入港していた。と、目の前を軍艦旗を掲げた艦載艇(内火ランチ)が通過していった。艇首に「はるさめ01」と書いてあった。乙巡春雨の艦載艇であろう。艇上で背筋を伸ばして立っている人がたぶんチャージ(艇指揮)なのだろう。(横浜・横須賀紀行の巻 <完> )
2013年06月02日

5月25日~26日の週末を利用して神奈川県の横浜市と横須賀市を訪ねてきた。(その3)引き続き猿島観光である。猿島観光の白眉とも言える切り通しの軍道。石積みの擁壁が見事であり、猿島を紹介するサイトには必ず載っている場所である。煉瓦を巻いた何かの穴もあった。揚彈井の跡なのか判然としない。猿島砲台は掩蔽部は非常に良く保全されているが、砲座の跡が植物に埋もれてしまっているのが残念である。1~2箇所程度見られるようになれば、どのように砲が設置されて射角はどうであったかなどイメージしやすい。猿島の砲は全て加農砲で榴彈砲は設置されていない。砲台の標高も比較的低く、直射が一般的な加農砲なので、侵入した敵艦に対する砲戰砲台としての役割を与えられていたのであろう。これで猿島の観光が終わり、船で三笠公園へ戻る。しかし、夏を思わせる好天で暑く、島はBBQや水遊びを楽しむお客で一杯であって、帰りの船は積み残しとなってしまった。三十分近く待ってやっと帰りの船に乗る事が出来た。冬場は釣り客と廃墟・軍事マニアくらいしか行かない島なのだが、夏場は結構な人気のようである。おかげで閉艦時間まで三十分しかないが、三笠記念艦を駆け足で見る。自分は過去三回見ているので割愛してもよかったのだが、連れが行った事が無いから是非見てみたいとの事で付き合う。艦内を効率よく案内して廻り、ポイントのみ急ぎ観覧した。そう言えば二十七日は海軍記念日であった。時間が無くなったので三笠公園からタクシーで予約しておいた走水の旅館へ行く。夕食は海鮮料理で地物の刺身など出て新鮮で美味しかった。夕食後、宿から見た東京湾の夜景。対岸、千葉県側の工業地帯の灯りが夜は近くに感じた。第二海堡にある燈台の灯りも見えた。一夜明けて翌朝、旅館近くにある走水水源地を瞥見する。明治9年、横須賀造船所(後の横須賀海軍工廠)のためにフランス人技術者ヴェルニーが築造した水源地との事で現在も横須賀市の水瓶となっている。走水の水は蛇口が設置されており、呑んだり汲んだり出来る。またこの水を使った地ビールも旅館でいただいた。(次回に続きます)
2013年06月01日
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