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少し前の記事に書いたように、相棒のパソコンディスプレイが、ある日突然黄色く表示されてしまいました。その後再起動したら元に戻ったのですが、9年以上使っているディスプレイなので、そろそろ寿命が近いようです。というわけで、私のディスプレイを相棒に譲り、私は新しいディスプレイを買うことにしました。購入したのは23インチのディスプレイ、LGのFLATRON IPS236V-PNという機種です。23インチはでかい、それなのに軽い。バックライトがLEDに変わったからです。秋葉原の某パソコンショップで、価格は2万円しませんでした。当初の予定ではこの機種を買うつもりではなく、もう少し安いTNパネルの機種を考えていました。ところが、店頭で画面を見ていたら、TNパネルよりIPSパネルの方がきれいなのです。で、半ば衝動的に、これを買ってきました。去年の11月に発売された機種なので、もはや新製品とは呼べないでしょうね。アームに取り付けて、電源を入れていない状態です。画面が何となく膨らんで見えるのは、撮影したカメラが安物で、レンズがよくないからです。(以下の写真もすべて同じ)背面です。背面には段差があるので、アームの取り付けには付属のスペーサーを使います。しかし、黒い光沢の筐体は、埃が目立ちますね。購入から1日経っただけで、こんな状態ですからね。(我が家の埃は多すぎるのかな)コネクタは後ろに突き出ています。個人的には、コネクタは下向きの方が場所を取らないので好きなのですが、まあ仕方がありません。。画面をつけました。初期設定だと最高輝度になっています。明るい、明るすぎてまぶしい。なので輝度を0に落としました。画面モードはいくつかあるうちのsRBGモードというのを選びました。どういうわけか、同じ輝度設定でも、このモードの時が一番画面が明るいように感じるからです。輝度0でも、私の感覚では充分に明るい。慣れの問題もあるでしょうし、昨日今日と天気が悪くて、室内が暗いせいもあるかも知れません。ちなみに、相棒に譲り渡したディスプレイもLG製でした。19インチのL1953Tという機種です。2年前に、アウトレットで1万円くらいで購入したものです。同じ写真を表示しました(すみません、子どもの顔は隠しました)。これまで使っていたディスプレイ(TNパネル)は、左右の視野角は充分なのですが、上下の視野角は非常に狭くて、視点の高さがちょっと変わると画面下端の色合いが変わってしまいました。それに比べると、視点の高さがどう変わっても色合いが変わらない、というのは、なかなか感動的です。ただし、画面中央部だけで比較すれば、新旧どちらの機種も、そう大きな差はないかも知れません。真っ黒な画面を表示してみました。感覚的には画面のどこを見ても同じ色合いであるように感じるのですが、写真に撮ってみると、上端と下端では多少色合いの差があるようです。左側が画面の左上端、右側は右下端の拡大です。ただ、窓から入ってくる光の加減によるのかも知れません。今度は白一色を表示してみました。これも画面の左上端と右下端です。写真で見ると、やはり色合いと明るさに差があります。それに、ずいぶん薄暗く、また灰色っぽいような、あるいは青みがかっているような感じに写っています。実際に使っている自分の目では、もっと遙かに明るく、真っ白の画面であるように見え、上下の色合いの差も全然感じないんですけどね。当ブログを表示してみました。事前に予想していたことですが、ワイド画面の左右がスカスカで、かなりもったいない。そこで、画面を縦に回転させてみました。ネットを中心に使うなら、この方が遙かに便利だと思いませんか?まあ、写真を沢山使ったり、コメントが山のように付いた場合は、これでも収まりきらないですけれど。このディスプレイを取り付けたアーム、この縦回転をやりたいために、つい1ヶ月ほど前に購入したきたばかりなんです。お値段は3980円でした。ところで、IPSパネルは、画面がきれいで視野角が広い代わりに、高価である、応答速度が遅い(動画に残像が出やすい)、消費電力が多いというデメリットがあります。高価と言っても、同じLG製23インチ同士で比べると、1万5千円対2万円くらいなので、とてつもなく高価というわけではありません。応答速度による残像は、外付けチューナーでテレビを視聴した限りは、全然気になりませんでした。ただ、インターネットで、サイドバーを引っ張って画面スクロールをすると、残像があるのが分かります。では、消費電力は。購入時の状態(最大輝度)だと、消費電力は36W(ワットチェッカーによる数値)でした。カタログデータの消費電力と同じ。しかし、最低輝度に落としている現在の状態だと、18Wとなっています。相棒に譲り渡した19インチの液晶(LEDではない)は、カタログデータの消費電力は43Wですが、やはり輝度を落としているので、実際の消費電力はやっぱり18Wくらい。ただし、輝度を下げている同士でも、画面を見比べると新しいディスプレイの方がちょっと明るいように感じます。だから、同じ明るさ同士で比較したら、多分新しいディスプレイの方が消費電力は少ないのだろうと思います。こちらはお役ご免となった17インチ液晶ディスプレイです。子どもがあちこちにいたずら書きをしています。写真では分かりませんけど、画面上にもいたずら書きがありました。それは拭き消したのですが、鉛筆やボールペンで付いた傷だけはどうしようもない。だから、画面のあちこちが傷だらけです。9年前に購入したイイヤマ製AS4315UTという機種。当時お値段は7万数千円。最大消費電力は60W。ただし、標準設定状態ではだいたい30W弱くらいでした。私が7年使って、相棒が2年使いました。長らくお世話になりました。
2011.07.31
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昨日に引き続き、尾瀬の写真です。至仏山の山頂から、尾瀬ヶ原と燧ヶ岳を撮った写真です。尾瀬ヶ原の向こう側の縁(森林との境目)に、この日宿泊した第二長蔵小屋(ほか六軒の山小屋)があります。その向こう側の山が、燧ヶ岳です。一応、東北地方の最高峰ということになっています。ただ、東北地方といっても、福島県の県境からわずかに2~3km入っただけのところなのですが。2日目の朝です。朝もやの中の尾瀬ヶ原。このもやは、朝6時半頃になるときれいになくなってしまいました。尾瀬ヶ原から標高差で200mほど登って、尾瀬沼に着いたときには、この通りの天気です。尾瀬沼から見た燧ヶ岳実は、歩き出したときには、燧ケ岳に登るかどうか、ちょっと迷ったのです。疲労度と天気、所要時間などを考えて、燧ケ岳は今回は断念しました。以前に登ったことのある山ですしね(そのときは天気は悪かったけど)。ただ、燧ケ岳への道と尾瀬沼への道の分岐を尾瀬沼側に入って、10分も歩いたら天気がパーっと晴れた。そのときはちょっとしまったと思いました。分岐の手前で晴れていたら、私はどうしただろうか。もっとも、尾瀬沼についてみると、やっぱりこの景色はすばらしいなと、こっちの道を選んで正解だったなと思いましたけどね。尾瀬ヶ原の標高は1400m、尾瀬沼は1600mです。この200mの違いで、植生が変わります。尾瀬ヶ原の周囲は冷温帯落葉広葉樹林(ブナやミズナラなど)ですが、尾瀬沼の周囲は亜高山帯針葉樹林(オオシラビソ・コメツガ・トウヒ、広葉樹ではダケカンバ)です。もちろん、両者の境界線付近なので、広葉樹と針葉樹が混ざっているところもあります。ワタスゲ尾瀬沼にもニッコウキスゲの大群落がありました。沼の北東側の岸辺の大江湿原のあたりです。ニッコウキスゲと燧ヶ岳ニッコウキスゲと尾瀬沼この写真を撮った大江湿原からは、沼山峠に抜けることができます。沼山峠というと、そこから撮った尾瀬沼の写真というのが、非常に印象に残っています。多分中学生か高校生のころに見たのではないかと思うのですが、きっと誰かプロの山岳写真家(白旗史朗かなあ)の撮った写真集か何かに入っていたのでしょう。それはどんな写真家というと・・・・・・、検索したら、沼山峠から20年以上前に撮影された写真を発見しました。引用元はこちらのブログです。1980年代初めに撮影されたもののようです。これですよ、これ。この風景を写真に収めたくて、沼山峠に向かったのです。尾瀬沼からもそんなに遠くないですしね。このあたりのことは、尾瀬から帰ってきた日の記事にも書きましたが、沼山峠についてみたら、そこから見える尾瀬沼の景色が、かつて見た写真のイメージとぜんぜん違うので、「ここはまだ沼山峠ではないな」と思ってしまったのです。それでさらに先に進むと、道は下り坂に。あれ??と未知行く人に聞いたら、「あとはずっと下り坂で、もうじき駐車場ですよ」と。あららららら。で、沼山峠に引き返して、撮った写真がこちらです。尾瀬沼が・・・・・・ほとんど見えません。二十数年のうちに、オオシラビソが順調に育って、視界をさえぎってしまったようです。沼山峠から沼山口の駐車場までは、コースタイムでたった20分ですから、もうこのまま沼山峠から東京に帰ろうかと思いましたよ。だけど、まだ時間は朝の9時半。まだ尾瀬とお別れするには早すぎる。それに、沼山口から下山すると、東京まで、バス→野岩鉄道→東武日光線と、かなり時間がかかります。そこで、尾瀬沼に引き返して、予定どおり大清水から下山することにしました。ミズチドリ尾瀬沼と燧ケ岳おそらく、この写真の位置が燧ケ岳のもっとも有名な写真ではないでしょうか。位置的には、三平峠への道のすぐ近くからの撮影です。つまり、この写真を撮ったところで、尾瀬とはお別れ、というわけです。尾瀬沼から三平峠は目の前、標高差でたった100mです。そこから先はひたすら下る下る下る。20年前に来たときは、大清水から尾瀬沼に入ったのですが、大清水から尾瀬沼までの景色の記憶はまったくありません。こんなところだったのか、と思いながら下りました。大清水に着いたのがちょうどお昼、12時少し過ぎころでした。
2011.07.30
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先週の尾瀬の写真が、やっとできました。まずは至仏山から鳩待峠に朝5時頃に到着。その時点では、空模様は曇りでした。朝食を食べて、5時半頃至仏山に向けて歩き始めました。ワタスゲの咲く地塘を超えて。この辺りは問題なかったのですが、森林限界を超えたあたりから、蛇紋岩の岩場を超える登山道が、滑ること滑ること。小至仏山から至仏山を撮影。山頂から下界を望む。登山道は尾瀬ヶ原に続いているのですが、至仏山-尾瀬ヶ原間の登山道は登り専用で、下りは禁止です。同じく山頂から下界を望む。下界は見事に雲海です。写真だと上空もあまり天気が良くないように見えますが、実際は晴れたり曇ったり、私が山頂にいる間は、おおむね日差しがありました。だから、実際はこの写真ほど暗くはありませんでした。至仏山といえば、代表的な高山植物がこれ。ホソバヒナウスユキソウ。日本に分布する数種のウスユキソウの仲間の中でも、ヨーロッパのエーデルワイスに比較的外見が似ていると言われます。これもホソバヒナウスユキソウ。登山道沿いに、あちこちに咲いていました。これは、ただのウスユキソウ(あるいは、変種のミネウスユキソウかも知れません)。日本全国の高山、あるいはそれほど高くない山まで広く分布しています。同じウスユキソウ属でも、花の形はホソバヒナウスユキソウとは相当違います。このウスユキソウは、ヨーロッパのエーデルワイスに似ている、とはちょっと言えません。ハクサンシャクナゲです。より高い高度に分布するシャクナゲにキバナシャクナゲがありますが、至仏山では見あたりませんでした。見落としただけかも知れませんが。至仏山は、登山者はそれほど多くありませんでした。小至仏山まではある程度登山者がいましたが、そこで引き返した人が少なくなかったのではないかと思います。やっぱり、あの滑る蛇紋岩に行く手を阻まれた人が多かったのかなあ。至仏山に登って、鳩待峠に戻ってきたのは午前11時頃です。そのまま、すぐに尾瀬ヶ原に向かいました。尾瀬ヶ原に下りたところで昼食。アルファ米+レトルトカレーですが、食べ終わったところで、目の前に山小屋でソフトクリームを売っているのが目に入ってしまい、ついつい食べてしまいました。尾瀬ヶ原は、さすがに至仏山より圧倒的に人が多かったです。なんと言っても、山の装備ではない人が少なくなかった。ま、天気が良かったから、山の装備でなくても問題はなかったのでしょう。7月中旬の尾瀬といえば、ニッコウキスゲの時期です。20年前に尾瀬に行ったときは、8月上旬で、ニッコウキスゲはもうすっかり終わっていました。だから、尾瀬でニッコウキスゲを見るのは今回が初めてです。でも、実は尾瀬ヶ原の途中まではニッコウキスゲはわずかしか咲いていなかったのです。残念、もうニッコウキスゲの時期は終わってしまったのか、と思っていたら、尾瀬ヶ原の中心部付近にさしかかったとき・・・・・・ニッコウキスゲの黄色いじゅうたん。さすがに圧倒されました。で、続きは明日あたり公開します。ところで、昨日尾瀬についてこんな記事を見かけました。-----寂しい尾瀬、遠い客 風評被害と東電の土地保有影落とす福島、群馬両県などにまたがる尾瀬国立公園を訪れる観光客数が伸び悩んでいる。原発事故で宿泊のキャンセルが相次いだためだ。尾瀬の4割を所有する東京電力の経営問題も影を落としている。■相次ぐキャンセル群生するニッコウキスゲの花が見頃を迎えた7月中旬、福島県側からの入り口となる檜枝岐(ひのえまた)村の尾瀬沼周辺は閑散としていた。愛知県豊橋市から来た山岳ガイドの木戸誠さん(47)は「人が少なくて驚いた。例年は平日でも団体客で混み合うのに」と話した。尾瀬はミズバショウが咲く5月下旬からニッコウキスゲの7月を中心に、年間30万~40万人が訪れる。だが、環境省によると今年は例年の3~4割減という。村営の山小屋、尾瀬沼ヒュッテの平野正毅総支配人(52)は「原発事故以降、関西方面の旅行会社が予定していたバスツアーがほとんどキャンセルになった。宿泊客は例年の5~6割」と言う。福島県の検査では、飲料水から放射性物質は検出されず、大気中の放射線量も0.09マイクロシーベルト(7月26日現在)。村は安全性をPRしているが、観光施設には「放射線は大丈夫か」という電話が今も寄せられる。村の担当者は「原発から約150キロ離れているのに、負のイメージが大きい」と嘆く。群馬県側の片品村も今月1日、村内の放射線量は0.11マイクロシーベルトと公表し、観光客の呼び戻しに懸命だ。■東電の維持費削減もズシリ地元がさらに気をもむのは、国立公園の約4割を所有する東京電力の対応だ。原発事故の賠償を迫られている東電は5月に「保有不動産は事業に必要不可欠なものを除き売却する」との合理化方針を発表した。東電は「尾瀬は貴重な水源地で、現時点では売却は考えていない」としているが、ある山小屋の管理人は「東電が売却しなくても、尾瀬のシンボルでもある木道の維持管理がおろそかになって荒廃しないか」と心配する。湿原の散策コースになっている木道のうち約20キロは東電所有地にある。東電は板の取り換えなどに毎年2億円を投じてきたが、関係者によると今年度は削減しているという。東電から木道管理を請け負う子会社の担当者は「木道は通常8~10年で取り換えているが、更新期を先延ばしして対応するしかない」と話す。-------私は何しろ20年ぶりなので、例年の状況というのは知らないのですが、私の感覚では「福島の事故があっても、やっぱり尾瀬は混み合っているなあ」と思ったんですけどね。小学生の林間学校と思われる団体が結構多かったです。地元の学校かなと最初思ったけど、東京近辺から来ている学校もありました。私は金・土の2日間日程でしたが、翌日土曜の夜は、宿泊した第二長蔵小屋は「お客さんが定員いっぱいで、予約はお断りしています」と言っていました。それでも例年の3~4割減ということは、例年はよほど混んでいたのでしょう。確かに鳩待峠から日帰りと思われるハイキング客が圧倒的に多くて、先に進めば進ほどお客さんが少なくなっていったことは事実ですけどね。でも、逆にあれだけの大事故があった割には3~4割減とは、かなり健闘しているという言い方もできると思うんですけどね。箱根だったか、地震の直後には前年比9割減と言っていた観光地(東京から見て福島の反対側なのに)もあるくらいですからね。
2011.07.29
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先日、日本の新幹線がどれほど安全か、という記事を書きました。誕生間もない中国の高速鉄道より日本の新幹線の方が(ここまでの時点では)システムとして、ずっと完成されているし、遙かに安全であるということは、断言して間違いないだろうと思います。が、実はこの記事を書きながら、ふと思ったのです。中国の高速鉄道の安全軽視ぶりは、果たして他人事なのだろうか、と。我々は、中国の高速鉄道と同じような出来事を、この日本でも経験したばかりではなかったか、と。中国の高速鉄道より日本の新幹線の方が安全であるということは断言できるけど、中国の高速鉄道より日本の原発の方が安全であるとは、とてもいうことはできません。中国が、事故処理に当たって、証拠隠滅と取られるような行動(転落した車両を破壊して埋めようとした)や、事故の原因究明もされないうちにすぐ運行再開したことが批判されています。それらの批判はまったくその通りなのですが、日本の原発(東電の今回の事故に限らず)におけるトラブル隠し、様々な隠蔽工作、安全より経済性を優先したとしか思えない対応のまずさ(廃炉を恐れて海水注入が遅れたことなど)や杜撰な作業(バケツで核燃料の加工をしていた1999年の東海村の臨界事故や、高速増殖炉もんじゅの度重なる事故など)なども、まったく同様ではなかろうか、という気がします。もっとも、高速鉄道が危険と思えば、乗らなければいい。在来線やバス、飛行機などの代替手段はいくらでもあります。しかし、原発の方は、もし事故が起これば否応なく周辺の住民は事故に巻き込まれます。原発が怖いから引っ越し、などというのは、高速鉄道が怖いから飛行機で移動、というほどに簡単なことではありません。そう言う意味では、高速鉄道の危険より原発の危険の方がよほどタチが悪い、とも言えます。
2011.07.26
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ちょうど私が尾瀬に行っている間に、ノルウェーでテロ事件がありました。帰宅してからその詳細を知ったのですが、90人もが殺されたという、なんとも悲惨な出来事です。その犯人が「理想の国」と言うのが、何と日本と韓国なのだそうです。ノルウェーテロ容疑者、「理想の国」日本や韓国アンネシュ・ブレイビック容疑者は、22日の犯行直前にインターネットに投稿した「マニフェスト」の中で、「文化面での保守主義を持つ」理想の国として、日本や韓国を挙げていた。イスラム系移民が少ないため、だという。また、「いま、最も会ってみたい人々」としてローマ法王とロシアのプーチン首相を挙げた。「次に会ってみたい人々」としては日本の麻生太郎・元首相など4人を挙げた。------何というか、こういう人物に絶賛されてしまう日本という国(韓国もですが)というのは、悲しいものがあります。で、「会ってみたい人々」が麻生太郎だと。なるほど、お似合いだ。ところで、報道によると一連のテロの犠牲者は、政府庁舎の爆弾テロで死者7名、ウトヤ島の銃乱射で、死者80人以上だそうです。犯人は、自動小銃を使ったと報じられています。検索したところ、犯人が自分で撮影した、ウェットスーツに自動小銃を構えた写真が出てきました。これを見て驚いたのは、ノルウェーという国は、自動小銃を一般市民が入手可能な国なんだ、ということです。知らなかったので驚きました。どうみても、完全に軍用の突撃銃ですよね。銃剣まで付けている。こんなものでバリバリと撃ちまくられたら、無防備の群集なんてひとたまりもありません。ただ、一部報道によると、乱射事件はもう一人共犯者がいたという目撃証言もあるようです。今のところ続報がないので、この話の真偽のほどは分からないですけれど、もし事実としたら、怖いですね。大量虐殺の殺人鬼がまだ捕まらずにうろついている、ということですから。とにかく、理性を失った狂信者というのは恐ろしいものです。
2011.07.25
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かつて、鉄道という乗り物は危険に満ちたものでした。いや、鉄道に限らず乗り物全般に同様だったでしょうが。旧国鉄で「戦後五大事故」と呼ばれるものがありました。1951年桜木町事故(死者106人) 京浜東北線桜木町駅で、戦時中に粗製濫造されたモハ63型電車が架線のショートで炎上。1954年洞爺丸台風(死者1430人) 台風で青函連絡船が沈没。洞爺丸が有名だが、実は一度に5隻の連絡船が沈没した。1955年紫雲丸事故(死者166人) 宇高連絡船紫雲丸が衝突事故で沈没1962年三河島事故(死者162人) 常磐線三河島駅付近で貨物列車の信号無視を契機にした三重衝突事故1963年鶴見事故(死者161人) 東海道線鶴見駅付近で貨物列車の脱線を契機にした三重衝突事故五大事故のうち2つは、実は鉄道事故ではなく海難事故ですけれど、それを除いても12年間で3回も100人以上の死者を出す大事故を起こしています。当然、死者100人に満たない事故は、これよりずっと多いのです。このほか、1945年(敗戦の9日後)と1947年に、いずれも八高線で衝突事故と脱線事故で各100人以上の死者が出ていますが、何故か戦後五大事故には含まれていません。おそらく敗戦直後の混乱期のため「戦後」扱いされていないのでしょう。これらの惨事を教訓として、様々な対策が講じられ、現在では日本の鉄道は世界でも有数の安全な乗り物となりました。言い換えれば、これらの惨事で失われた命を代償として、安全性を獲得したと言ってもいいかもしれません。中でも、新幹線は開業以来死亡事故をほとんど起こしていません。乗客の死亡事故(飛び込み自殺は除く)は、確か2件だったと記憶しています。他に、開業直後に保線作業員をはねる事故があったそうですが。東海道新幹線の開業は1964年です。前述の国鉄五大事故を見ると、最後の2つは新幹線の開業の前年と2年前です。つまり、鉄道が恒常的に大事故を起こすのが当たり前のような時代に新幹線は開業しているのです。実際、在来線ではこれ以降も大きな事故が何件か起きています。そう考えると、新幹線の安全性というのは、驚異的ですらあります。時代の制約を突き抜けているんだから。可能性から言えば新幹線が大惨事を起こしても不思議はない局面はいくつかありました。一つは阪神淡路大震災。京都-新大阪間で高架線が崩れました。東海道新幹線は上下線合わせて1時間に10本以上の列車が走っていますから、新幹線の営業運転中にあの地震が発生していたら、崩壊地点に突っ込んでいた列車があったと思われます。その場合大量の死者が出ていた可能性が高いでしょう。しかし、現実には運転開始時間前の地震だったから人的被害はありませんでした。もう一つは新潟中越地震。上越新幹線が脱線しました。私の記憶では、新幹線の営業運転中の脱線事故は、このときが初めてだったはずです(回送列車の脱線事故はそれ以前に例がある)。しかし、脱線にもかかわらず、車両が横倒しにならず、線路に対して平行を保ったまま止まったから、死傷者は1人も出なかった。あれはまさしく奇跡でした。今回の東日本大震災でも、新幹線では死傷者は出ていません(在来線でも死者は出なかったように記憶しています)。安全に関して、根拠のない幸運とか奇跡とかをあてにしてはいけないのでしょうが、それでも、新幹線は安全性についての何か特別な幸運の星をもっているんじゃなかろうか、と思えてしまいます。でも、その幸運の星は、何もないところから出てきた偶然ではありません。前述のように、繰り返されてきた過去の大惨事を教訓として努力を積み重ねてきたからからです。安全は、一日にしてならず、なのです。現在、新幹線の最高速度は時速300kmですが、「のぞみ」が登場する以前は最高速度210km/h、東京-新大阪間3時間10分という時代が長らく続きました。でも、実は開業の時点では最高速度は160km/h、東京-新大阪間は4時間かけていたのです。開業後半年くらいかけて安全性を確認してから、当初予定のスピードに引き上げているのです。鉄道は、速いことも重要ですが、安全性はそれより重要です。中国の高速鉄道で衝突事故が起こってしまいました。折しも北京-上海間の高速新線が開業した直後というタイミングです。事故現場は高速新線ではなく、在来線に高速車両が乗り入れている区間のようですが。先行する列車が落雷によるトラブルで停止していたところに、後続列車が追突した、と報じられています。ATCはあったはずですが、何らかのトラブルで機能しなかったのでしょう。中国は高速鉄道の最高速度にこだわったようですが、残念ながら、一番こだわるべき点を間違えていた、と考えざるを得ないでしょう。安全性あっての最高速度ですから。
2011.07.24
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山に登ってきました。今回行ったのは、尾瀬です。実は初めて尾瀬に行ったのはちょうど20年前(1991年8月)、それ以来どういうわけか尾瀬に行ったことがなくて、実に20年ぶりでした。20年前は大清水→尾瀬沼→燧ヶ岳→尾瀬ヶ原(宿泊)→鳩待峠というコースでしたが、今回は鳩待峠→至仏山→鳩待峠→尾瀬ヶ原(宿泊)→尾瀬沼→沼山峠→尾瀬沼→大清水というコースを取りました。例によって、写真はフィルムの一眼レフで撮っているので、アップに時間がかかります。まずは、とりあえず携帯写真を。夜行バスで鳩待峠に朝5時に到着、朝食をとって、5時半頃至仏山にむけて出発しました。途中まではあまり天気が良くない感じでしたが、次第に晴天に。中央やや左が尾瀬ヶ原、その向こうの山が燧ヶ岳です。山頂に着きました。頭上は晴天なのですが、下界はこの通り雲海の下。しかし、至仏山、かなり甘く考えていたのですが、実際登ってみると非常に滑りやすい。晴天で岩は乾燥しているにもかかわらず、ツルツル滑るのです。至仏山は蛇紋岩できた山というのは有名ですが、蛇紋岩がこんなに滑りやすい岩とは知りませんでした。至仏山から小至仏山を撮りました。山頂では、例によってケーナを吹きました。さすがに息が上がっているし、風があって息が流されるので、最初はちょっと音が出しにくかったですが、高音を出したら、意外に音が伸びる。山頂でケーナを吹くと、大抵は音が吸われてしまう(音を反響するものが何もないですから)ものですが、何かが反響板になったのでしょう。下山中。小至仏山から振り返って至仏山を撮りました。11時頃鳩待峠に戻り、今度は尾瀬ヶ原へ。携帯では花の写真は難しく、ほとんどまともには撮れなかったのですが、唯一うまく撮れたのが↓ニッコウキスゲの群生です。尾瀬ヶ原のちょうどど真ん中あたりでしょうか。で、昨日の晩は尾瀬ヶ原の端に位置する第二長蔵小屋に泊まりました。当初予定ではテント泊のつもりだったのですが、台風が来てしまったので、「ひょっとして天気大荒れかも」と思い、山小屋を予約してしまったのです。結果的には台風の影響は全くなかったのですが。最近は冬山を除くとほとんどテントで山に行っているので、夏山で山小屋に泊まるのは久しぶりです。でも、尾瀬の山小屋は風呂があるので快適です。そうそう、20年前に尾瀬に行ったときに泊まったのも、第二長蔵小屋だったように思います。うろ覚えですが。実は、私が生まれて初めて泊まった山小屋が尾瀬だったために、私はその次に泊まった山小屋(北アルプスの蝶ヶ岳山荘)で「風呂はないのかな」とウロウロするという痛い失敗をしたことがあります(さすがに、従業員に聞く前に「風呂はないな」と気づきましたけど)。後で考えれば、風呂のある山小屋なんて、例外中の例外なんですよね。ところで、今回びっくりしたのは、至仏山でケーナを吹いて、尾瀬ヶ原に降りてきたら、ケーナを吹いている人がと会ったんですよ!実は、遠くで音を聞いていたときは、オカリナの音だと思ったのですが、近付いてみたらケーナだったのです。聞くと、オカリナ教室に通っていて、最近ケーナも始めたとか。ケーナ吹きがフルートを吹くとケーナっぽい音色のフルートになることは自分自身の体験で知っていましたが、オカリナ吹きがケーナを吹くと、やっぱりオカリナっぽいケーナになるんですねえ。そのケーナ、少し吹かせていただきました。自家製だそうですが、南米産の肉厚の竹(バンブー材)を使っており、3オクターブまでちゃんと音が出る笛でした。それにしても、山でずいぶんケーナを吹きましたが、自分以外にケーナを吹く人と山で出会ったのは初めてです。びっくりしたなあ。ケーナって、最近演奏人口が増えているのかなあ。それに、この方以外にも、もう1人何かの笛(ケーナかも知れないけど、他の笛かも)を吹いている方の音が聞こえました。さて、今日ですが、実は今日は携帯では1枚も写真を撮っていません。(一眼レフでは撮りましたが)なので、写真は後日のお楽しみに。今日は第二長蔵小屋から尾瀬沼へ。朝の尾瀬沼は、何というか言葉には言い表せない美しさでした。内心、今日は燧ヶ岳に登ろうかどうしようか、ちょっと迷ったのです。登れないことはないけど、ちょっと疲労度が・・・・・・と考えて、今回はやめました。20年前に一度登っていますしね(ただ、そのときは天気が悪くて視界はなかったのですが)そして、大江湿原にさしかかったところで、ふと考えました。昔、沼山峠から尾瀬沼を撮った写真を見たことがあります。その写真が印象に残っていて、「あの場所からの風景が見たい(写真も撮りたい)」と思ったのです。時間はまだ9時。行って帰ってくる時間はある。そこで、沼山峠を目指しました。登山地図によると尾瀬沼から沼山峠までのコースタイムは1時間弱ですが、後で考えると30分ほどで到達したようです。ところが、私はどこが沼山峠か分からなかった。途中でベンチがあって、「あ、ここかな?」と思ったのですが、そこから尾瀬沼を見下ろしても、樹林に阻まれてわずかしか見えません。「ここじゃないな」と思い、更に先を目指したら、登山道は下り坂に。これって、もう峠を越えたってこと???道行く人に聞いたら「この先は駐車場までずっと下りですよ」と。あらららららら。じゃあ、やっぱりさっきのベンチが沼山峠だったんだ。うーん。昔見た写真とかなり違う。このためにここまで登ってきてしまったのか・・・・・・。一瞬、そのまま沼山峠から下山してしまおうかと思いました。でも、まだ時間は朝9時半ぎ。このまま下山したのでは、ちょっともったいない。というわけで、そこから尾瀬沼に引き返しました。大江湿原もニッコウキスゲの大群落が見事でした。そして、尾瀬沼を越えて三平峠から大清水に下山しました。三平峠から先は、樹林帯で視界もないし、もうひたすら猛ダッシュで下山。バスの時間に間に合うようにと思って猛ダッシュしたのですが、バスの時間の40分も前に大清水に着いてしまいました。計算すると、三平峠から大清水までコースタイム2時間のところ、1時間20分で下りてしまったようです。途中からは足の疲労が限界を超えていましたが。ま、ゆっくり昼食を食べる時間ができたのはよかったですけど。結果的に考えると、疲労の何のといっても、今日これだけ飛ばせたんだから、多分燧岳も登れただろうなあ。ま、それは次の機会にとっておきます。20年前に尾瀬に行ったときは、天気があまり良くなかったのです。特に尾瀬ヶ原を歩いているときは土砂降りの雨でした。そのときの記憶があって、それ以来尾瀬には行ったことがなかったのですが、20年ぷりに行ってみて、尾瀬は実に良いところだと気がつきました。来年あたり、また行こうかな。
2011.07.23
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音楽評論家の中村とうようさん死亡、自殺か21日午前10時15分頃、東京都立川市柴崎町2のマンション敷地内で、音楽評論家の中村とうよう(本名・中村東洋)さん(79)が倒れているのを通行人の女性が発見し、119番した。中村さんは病院に搬送されたが頭や胸を強く打っており、間もなく死亡が確認された。警視庁立川署は、中村さんがマンション8階の自宅から飛び降り自殺を図ったとみている。同署によると、中村さんは1人暮らし。自宅からは、遺書のような文書が見つかったという。中村さんは京大卒業後、銀行員を経て音楽評論の道に入り、1969年に音楽専門誌「ニューミュージック・マガジン」(現ミュージック・マガジン)を創刊。ジャズやフォーク、ロックからワールドミュージックまで幅広い評論活動で知られていた。--------中村とうよう氏の著作「ポピュラー音楽の世紀」(岩波新書)には、フォルクローレという音楽について、なかなか刺激的な文章が掲載されていて、私はかつてそれについて批判したことがあります。以前はホームページにその文章をアップしていたのですが、いつの頃にかホームページから削除してしまっていました。故人に対していささか手厳しい内容ですが、せっかくの機会なので、改めてその文章をアップしてみようかと思います。-----1999.10.28 無意味で空虚で安易な音楽中村とうよう氏の「ポピュラー音楽の世紀」(岩波新書)に、なかなか刺激的な文章が載っている。「ユパンキの音楽をフォルクローレという無意味な言葉で囲い込むのには、強く反対する。フォルクローレは民俗音楽だ、という空虚なタテマエ論にも与したくない。日本で現実にフォルクローレと呼ばれているのは、アンデス周辺の伝統楽器、特に竹に似た管で作ったタテ笛ケーナでどんな音楽でも演奏してしまうような安易な音楽だ。一方、ヨーロッパの諸都市には南米からの出稼ぎセミプロ・ミュージシャンたちが「コンドルは飛んでいく」などを街頭で演奏する姿があふれている。これはいわば、伝統的な民俗音楽が外見を保ったままどれだけ通俗化できるかの実験であって、民俗音楽がポピュラー音楽に転換したというのとはまったく違うのではないだろうか。」うーーーーん、その「無意味で空虚で安易な音楽」に命を賭けている私としては、こういう言われ方は、少なくとも気分の良いものではない。フォルクローレを「安易な音楽」と断ずる中村氏のフォルクローレ観の方が、失礼ながらよほど安易であると私は思う。インデックスページでも紹介したことだが、ラテンアメリカと言う広大な土地の様々な人々の民族音楽と、そこから発展した大衆音楽の総称がフォルクローレなのである。中村とうよう氏が何を言おうと、ユパンキやハイメ・グアルディア(長くなるので引用しなかったが、中村氏はハイメ・グアルディアのチャランゴが大好きらしい、そしてこれも「フォルクローレなどという空虚な名前は似合わない」と断じている)の音楽は紛れもなくフォルクローレである。勿論、いわゆるアンデスのフォルクローレとは全く毛色の異なった音楽であることは確かであるけれど、フォルクローレとはそれだけ幅の広い概念なのである。中村氏の言う「安易な音楽」だけがフォルクローレなのではない。それにしても、「アンデス周辺の伝統楽器、特にケーナでどんな曲でも演奏してしまう音楽」というのは、どうにも理解できない表現である。現実的に、ケーナやサンポーニャはほとんどの場合アンデスの音楽を演奏するのに使われていて、どんな音楽でも演奏するという使われ方はされていない。勿論、例外はあって、俳優の田中健氏は、ケーナでフュージョンみたいなことをやっているし、サンポーニャで似たようなことをやっている瀬木さんなどもいる。しかし、普通彼らの音楽はフォルクローレとは呼ばないし、呼ぶとしてもフォルクローレの主流ではない。そもそも、何で「ケーナでどんな音楽でも演奏してしまう」のが「安易」なのだろう?クラシックギターは、クラシックも演奏できるし演歌にも使われる。フォルクローレにもボサノバにも使われる。だからと言ってギター音楽を「クラシックギターで何でも演奏してしまう安易な音楽」などと言うだろうか?バイオリンは?ピアノは?なぜケーナやその他のアンデスの楽器だけが、いろいろな音楽を演奏すると「安易な音楽」呼ばわりされなければならないのだろうか。断っておくけれど、私はケーナでフュージョンをやるような音楽は好きではないし、フォルクローレではないと思っている。しかし、これは純然たる「好き嫌い」の問題、ジャンル分けの便宜上の問題なのであって、どちらが正しいか間違っているか、とか、どちらが高尚か低俗かとかいう違いがあるはずはないのである。そう、私の議論はやっと本題にたどり着いた。そもそも、「安易な音楽」って一体なんだろうか?何が優れた音楽なのだろうか?「多くの人に感動を与えられる音楽か否か」それ以外に音楽の良し悪しを分類する基準などないと私は思う。更に言えば、感動の大きさを客観的に測定する基準などない。したがって、この曲とあの曲とどちらの方が優れているか、などという判定は無意味である。万人が下らない音楽と思っても、自分一人がとてもとてもいい音楽と思えば、それで一向に構わないわけである。どうしてもフォルクローレが安易な音楽と言うならそれでもいい、通俗的と言うならそれでもいい。私は、「安易で何が悪い、通俗的で何が悪い」と申し上げたい。音楽の価値とは、そんなことで決まるのではない。感動を呼ぶか呼ばないか、それこそが音楽の最大にして唯一の価値なのである。私は、「コンドルは飛んでいく」は、あまりに演奏しすぎていささか飽きてしまったけれど、それでもクラシックの名曲に何ら遜色ないすばらしい曲(もちろんどんな演奏かによるが)と思っている。演奏技量という点ではクラシックよりはるかに簡単だし、あの最初から最後まで並行三度だけのケーナ二重奏というのは、見方によっては安易で通俗的の極みかもしれない。でも、だから何だ、というのである。技量というのは、感動を与えるための重要な手段ではあるけれど、それ自体が目的なのではない。通俗的で感動的な音楽は、高尚で難解でよくわからない音楽より優れている、と私は信じている。もちろん通俗的で下らない音楽や、高尚で難解だけど感動的な音楽もたくさんあることは言うまでもないが。中村とうよう氏も少しは良いことも書いていて、ハイメ・グアルディアの音楽について「民俗音楽かポピュラー音楽か、など彼らにはどうでもいい」としている。私も全く同感である。ジャンルとは単なる分類でしかなく、それ以上の意味はない。フォルクローレだからよい、とかフォルクローレだから悪いとか、ジャンル分けの言葉で音楽の良し悪しを語るのは愚の骨頂である。すばらしいフォルクローレもつまらないフォルクローレもある。もちろん、その基準は人によって千差万別だが。-----1991年にボリビアのカルカスが来日公演を行ったとき、NHKのBS放送で、コンサートの中継録画を行ったことがあります。ビデオが、多分我が家のどこかに残っています。その番組の解説者が、なんと中村とうよう氏だったのです。その中村氏が、実は腹の中ではフォルクローレについてこんなことを考えながら解説をしていたのかと思うと、ちょっと興ざめでした。まあ、評論家なんてものはそんなものなのかも知れませんが。
2011.07.21
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チリ・故アジェンデ大統領は「自殺」 クーデターで死亡南米チリで1973年、軍事クーデターの際に死亡した故アジェンデ大統領(当時)は、自殺だったことが19日、確定した。友人で当時キューバ首相だったフィデル・カストロ氏にもらった自動小銃を使ったという。司法当局が今年5月、遺体を発掘し、外国の専門家に法医学的な分析を求めた結果、意見が一致した。地元メディアなどによると、アジェンデ氏の娘のイサベル・アジェンデ上院議員は「辱めを受ける前に、父は自ら命を絶った」と語った。アジェンデ氏は70年、南米で初の選挙を経た社会主義政権を発足させ、鉱山国有化などの政策を進めた。73年9月のクーデター時、大統領府内で自殺したとされていたが、軍に殺された疑惑もあった。-----------アジェンデの死因は、以前より取り沙汰されていました。ただ、実質的には「自殺か他殺か」の違いはあまり大きくないように思います。大統領官邸の周囲を機甲部隊に包囲され、空軍の攻撃機の爆撃に晒されて激しく炎上する最中、反乱軍との激しい撃ち合いの末に、という状況下での出来事です。味方は、大統領官邸に立てこもる民兵十数名のみ。万が一にも生き残る可能性はないし、既に「遺言」とも言うべきラジオ放送を終えていたアジェンデは、明らかにもう自分の命を惜しいとは思っていなかった。アジェンデ最後のラジオ演説(日本語字幕は、拡大表示しないと見えないかも知れません。)最後の瞬間の引き金を、自分自身で引いたにしても、こういう状況でのことですから、実質的には殺されたに等しいのです。それでも、あえて調査を行う。アジェンデのみならず、ノーベル賞詩人でチリ共産党員だったパブロ・ネルーダ(ガンによってクーデターの直後に死去)の死因についても、他殺の可能性ありとして、死因の再調査を行うことが1ヶ月ほど前に報道されました。クーデターの闇を闇のまま葬らないで、徹底的に真相追及するという熱意が伝わってきます。
2011.07.20
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数日前のことですが、相棒がパソコンを起動したら、画面が黄色いのです。何をどう調整しても直らなくて、やむを得ず、使っていない古い液晶ディスプレイを持ち出してきて接続しました。不調になったディスプレイは、もともと私が使っていたのですが、2年前に新しいディスプレイを買ったので、相棒に譲ったのでした。17インチのSXGA(1280*1024ドット)というサイズで、2002年に購入したものです。値段は、何と7万数千円。それでも、当時としてはかなり安い方だったのです。それに、それまで使っていた14インチXGA(1024*768ドット)のディスプレイに比べると、感動的に画面が広かった。特に、縦方向の画面が広いのは、ネットやテキストデータの利用時にはとても便利でした。それ以来9年間も使っているんだから、そりゃ壊れるよね。だいたいね、子どもが鉛筆やボールペンで画面に散々いたずら書きをしたから、画面が傷だらけなのです。いたずら書きそのものは洗剤で消したけど、ついた傷は消せないですから。で、持ち出してきた古い液晶ディスプレイというのが、私が最初に購入したパソコンにセットでついていた14インチのXGAです。ディスプレイ単独の値段は分かりませんけど、本体のセットの価格で20万円以上しました。購入は1999年ですが、今でもちゃんと動きます。本体は既に影も形もありませんが、ディスプレイだけは予備用として保管してあったのです。でも、やっぱり広い画面の方が使いやすいなと思って、試しにもう一度壊れたディスプレイを接続してみたら、あれれ?直っている。というわけで、今はまた元のディスプレイを使っています。ただ、さすがにもう寿命は近いんだと思います。予備の14インチだって、それより古いんだから、永続的に使えるものではない。というわけで、私のディスプレイを相棒に譲って、新しいディスプレイを購入することにしました。私が今現在使っているディスプレイもやはりSXGAですが、サイズは一回り大きい19インチです。実は、2年前に秋葉原のツクモ電機が一時倒産したとき、閉店セールで1万円で売っていたのを衝動的に買ってしまったのでした。17インチのSXGAを7万円台で買ったのと比べて、同じドット数で19インチが1万円というのは感動的な安さ、と感じてしまったのです。安いのもそうですが、画面が感動的なほど明るい。最大輝度ではまぶし過ぎて使えないほど明るい(笑)。だから輝度を少し下げて使っていました。今は、節電で輝度12%、コントラスト40%まで落としていますけど、それでも実用上は問題ありません。その状態で、ディスプレイの消費電力は20W以下です(仕様上の公称消費電力は43W)。一方、相棒が使っている9年前のディスプレイの消費電力は30Wほど(仕様上は60W)でした。輝度を下げると、メーカーの公称値と比べて大幅に消費電力が下がること、新機種ほど消費電力が下がることが分かります。最新のディスプレイはバックライトにLEDを使っているので、消費電力は更に下げられそうです。ただ、最新のディスプレイの主流はFHD(1920*1080ドット)。地デジ対応テレビと同じワイド画面で、やたらと横長なんです。ネットやテキストデータ中心の使い方には、あまり横長のディスプレイは無意味だなと思っていたら、最近は縦に回転できるディスプレイもあるんですね。これは便利かも知れない。このブログも、文章が長いときは縦に延々と続いてしまうので、ディスプレイが縦長にできたら読みやすそうだ。というわけで、23インチくらいのワイド画面のディスプレイを買うことにしました。LEDの威力なのか、そんなでかいディスプレイでも、消費電力は今の19インチより少ないものが多いようです。ま、まだどの機種を買うかは決めていませんけど。今月中か来月には購入します。
2011.07.19
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菅首相、市民の党「機関紙」に30年前から寄稿菅直人首相の資金管理団体が、日本人拉致事件容疑者の長男(28)が所属する政治団体「市民の党」(酒井剛代表)から派生した政治団体に計6250万円の政治献金をした問題をめぐり、菅首相が約30年前から、市民の党の“機関紙”に寄稿したりインタビューに応じたりしていたことが17日、産経新聞の調べで分かった。同紙には長男の父親であるよど号ハイジャック犯の故田宮高麿元リーダーが、北朝鮮から寄せたメッセージも掲載。市民の党側が、菅首相や拉致容疑者側と長年近い関係だったことがうかがえる。(以下略)--------この問題、産経新聞がしつこくしつこく追及していますが、要は拉致実行犯の子どもが属する政治団体に菅直人が献金したことがけしからぬ、ということです。単に親が拉致の実行犯だったというだけで、子ども自身は何の罪を犯したわけでもありません。(罪を犯していたら、当然逮捕されているはずですから)にもかかわらず、産経新聞の非難攻撃ぶりは、常軌を逸しています。どうやら、産経新聞にとっては、親が犯罪を犯すと子どもも自動的に犯罪者一味ということになるようです。まあ、産経新聞という存在そのものが、常軌を逸した新聞(新聞と言うよりも、ネットウヨクの機関紙)なのですから、今更こんな程度のことで驚くには当たらないかも知れません。菅直人は、元々社民連という旧社会党の右派から分裂した小党に所属し、その後さきがけ→民主党と移っています。この間、菅の政治的立ち位置や主張は中道左派的ではあったでしょうが、それを超えて左翼的であったことなどありません。その菅が何故「世界の共産主義勢力と緊密な関係を構築していた」市民団体に献金をしていたのかは知りませんけれど、彼自身が共産主義社会の実現を夢見ていたわけではないのは明らかです(ごく若い頃はどうか知りませんけれど、政治家になって以降はね)。その市民団体自身が何らかの違法行為を行っていたのでない限り、献金したって何の問題もないでしょう。そりゃ、右翼にとっては腹立たしいことなのでしょうけど。
2011.07.18
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自民党に報道チェック部隊、抗議や申し立ても自民党は、報道機関の論調を調べ、内容に問題があれば対抗措置を講じる「メディアチェック」の担当議員を新設した。菅内閣の支持率が著しく低迷しているのにもかかわらず、自民党の支持率が思うように伸びない原因の一つに報道機関の自民批判の影響があると見ているためだが、“八つ当たり”気味の対応には党内から疑問の声も出ている。担当するのは、中谷元情報調査局長、新藤義孝報道局長、菅原一秀副幹事長の3人。主にテレビ報道を点検し、事実誤認や公平性を欠く内容があれば、局側に抗議したり、放送倫理・番組向上機構(BPO)などの第三者機関に申し立てたりする方針だ。メディアチェックの導入は、石原幹事長が主導した。衆院の当選回数別の懇談会で、若手から「なぜ党の支持率が上がらないのか考えるべきだ」との意見が提起された際、石原氏は「自民党を批判するテレビのコメンテーターが悪い」と、テレビ報道に強い不満を示したという。自民党は森内閣末期など、党の支持率が著しく低迷した際、報道に神経をとがらせて対策を取るケースがあった。今回、対策を主導した石原氏は日本テレビ記者の出身。党内では「メディアに責任をなすりつけるようでは支持回復はおぼつかない」(中堅議員)と冷ややかな声もある。----------野党がメディアに対して意見を述べることが悪い、とは思いません。しかしそれにしても、「何故支持率が上がらないか」→「メディアが悪い」とは、安直にして愚劣な結論もいいところです。マスコミの報道姿勢が理由で自民党の支持率が低迷しているのだとしたら、同じ理由で民主党(あるいは菅政権)の支持率が高くなければおかしい。しかし、実際にはもちろんそんなことはなくて、民主党(菅政権)の支持率もきわめて低いことは言うまでもありません。現実に、今現在全マスコミから猛然と叩かれているのは、明らかに菅政権であり、民主党です。それでもまだ「報道機関の自民党批判はけしからぬ」とは、馬鹿じゃねーの、と思います。マスコミが自民党礼賛報道を行えば気が済むわけ?つまり、自民党の支持率が低迷しているのは、マスコミの「自民党に批判的な報道姿勢」が理由などではなく、自民党自身の中にその原因がある、ということです。自民党にとっては今は追い風が吹いているはずなのに、その追い風をまったく生かすことができないのです。それを、マスコミという他人のせいにしている時点で、自民党は終わっています。菅政権が全マスコミから袋だたきに遭っているのは、これは身から出た錆というか、相応の落ち度が確かにあるので仕方がないことです。私自身も、菅政権は色々な意味でダメだと思います。(脱原発の方向性だけは、全面的に賛同しますけれど)ただ、では他の誰かが首相だったら、たとえば自民党政権で谷垣首相だったら、どれだけ違うことが出来たのか。今と違うことは、ほとんど何も出来なかったであろうと私は思います。むしろ、自民党政権だったら浜岡原発の停止も、脱原発方針の表明も出来なかったでしょう。それに、あれだけ日々全マスコミから猛批判を浴びながら、そして参議院は野党に過半数を握られ、身内の民主党からさえも激烈な批判を浴びながら、それでも平然と(内心は、平然としているはずはないと思いますが)政権を握っている。その神経の太さは立派です。立派ですというのは半分は皮肉ですが、でも政治家にとって必要な資質のひとつではあると思います。(あくまでも、必要な資質の「ひとつ」ですけれど)そう言えば、自民党には、参議院の過半数を失って、マスコミから非難されたら、たちどころに病気になって政権を投げ出した首相がいましたね。あの程度の状況であの程度の批判を受けただけで体に変調を来してしまう政治家が、今の状況で首相など務めたら、1週間と保たないでしょう。おそらく多くの国民も私と同様、「自民党だって似たようなもの」と見抜いているのだと思います。だから、民主党の支持が低迷しても、自民党の支持率も上がらないのです。もちろん、(私としては残念なことに)共産党や社民党の支持率が上昇しているわけでもない。現状、自民党を離れた支持層は、国政レベルではおそらくみんなの党に流れているのでしょうし、地方レベルでは大阪の橋下とか、名古屋の河村たかしなどに流れているのでしょう。でも、多くの国民は政治全体に愛想を尽かす方向に流れているのではないでしょうか。最新の世論調査では、支持政党なしが6割以上を占めていました。
2011.07.17
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山野楽器からダイレクトメールが来ていたので、何かなと思ったら、「フルートワールド2011大展示会・即売会」の案内でした。日程的に家族旅行とぶつかるのですが、最終日だけは予定が空いている。無料のミニライブの予定がいくつかあるようです。見に行きたいなあ。でも、今使っているムラマツEXは、まだ4年しか経っていないので、フルート買い換えの予定が皆無なんですけどね。実は、このフルートを買ったときは、「5年使ったら総銀製フルートを」なんて思っていたのですが、最近は「壊れない限りはずっと使おうかな」と思っています。だって、すごく良いフルートだから。誰が言ったか「洋銀製のフルートは消耗品」という話を聞いたことがありますけど、でも20万円もしたんですよ。そう易々と買い換えられる値段でもありません。5万円のギターやチャランゴ、1万円もしないケーナ、みんな15年以上使っているのに、20万円もするフルートを5年で買い換えられるわけがない。もっとも、そんなことを言いながらも、新しいフルートを試奏すると、やっぱり心は動いてしまうんですけどね。最近はあまりフルートの試奏ってやっていませんが、今まで試奏した中で、一番「良い音色だな」と思ったフルートは、ムラマツEX。だから買いました(笑)。それを別にすると、サンキョウの木管フルートが、一番心が動きました。ただ、どんなに心が動いても買えないんですけどね。だって、値段が100万円です。どう考えても無理。そうやって考えると、クラシック系の楽器というのは基本的に高価ですね。フォルクローレ系の楽器は、それに比べるとずいぶん安価です。クラシックギターでも、上を見るとびっくりするくらい高価な楽器があります。でも、フォルクローレで使われるギターは、たいていの場合は数万円から十数万円くらいの楽器です。そういえば、私の相棒は30万円のギターを持っています。値段を聞いたときは仰天しました。しかし、クラシック系の楽器の中では、30万という値段はたいしたものではないようです。フルートは、総銀製は40万円以上するし、ピアノだったら、おそらくアップライトだって買えないでしょう。※そんな高価なギターですが、私には弾けません。何故かというと、女性用に弦高がギリギリまで落としてあるからです。私が弾くと、タッチが強すぎて音がビリついてしまうのです。弦高を上げてしまおうと画策したのですが、それでは相棒が弾きにくくなるので拒否されました。そう言えば、うっかりしてフルートを調整に出すのを忘れていました。例年、山野楽器から無料調整会のお知らせがくると申し込むのですが、今年の春はドタバタしているうちにうっかり忘れました。でも「吹きにくい」と感じることはないから、まだいいのかな。
2011.07.16
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もんじゅ中止検討?高木文科相が否定・釈明高木文部科学相は15日の記者会見で、高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)について、開発中止も含めて検討するとも受け取れる発言を行い、その後、「中止検討」を意図したものではないと釈明した。高木氏は「(東京電力福島第一原子力発電所事故は)重大な事故で改めて(エネルギー政策などについて)議論をするのは当然」と述べた上で、「廃止とか単純に継続とかではなく、もんじゅについては、どうするという結論がおのずと出てくる」と強調した。この発言が「中止も検討」と一部で報道されると、文科省が「開発中止を含めて検討するということではない」と文書で発表。高木氏も同日夕、「意図していない(報道な)ので、びっくりしている。中止なんて言葉を私は一言も言っていない。エネルギー政策全体で議論されるもので、予断を持って検討するものではない」と記者団に説明した。------「もんじゅ開発中止」という報道が出たときは、一瞬喜んだのですが、報道されたとたんに前言を撤回してしまうようでは話になりません。どうして「廃炉」という決断ができないのでしょうか。せっかく決断したように見えても、すぐに逃げを打つのはなぜなのでしょうか。もんじゅの危険性については、以前の記事に書きましたので、ここで多くは書きません。完成以来20年間で、実質稼働時間は7ヶ月、事故2回で、投じた予算は約1兆円という代物です。それでもまだ中止しないというのです。鉄道でも飛行機でもバスでも良いですが、完成後営業運転を初めてすぐに事故で壊れ、15年間お蔵入りしていた乗り物に、「15年ぶりに修理できたから」と言われて、乗る気になるでしょうか。私は乗る気になりません。多くの人が同様でしょう。それにもかかわらず、もんじゅは15年ぶりに稼働を再開して、やはりすぐに事故を起こしてしまった。ところで、もんじゅが最初に起こした事故は、ナトリウム漏れによる火災事故です。その事故の規模は国際原子力事象評価尺度に照らせばレベル1の極めて軽微な被害に相当するそうです。だから、たいした事故ではない、という評価は、しかし間違いです。Wikipediaの記述によると、このときの異常発生は19時47分です。その13分後に原子炉停止を決断。鎮火が何時だったのか正確には分かりませんが、火災の原因となるナトリウムの抜き取りを22時40分に開始して、0時15分に終了だそうです。つまり、鎮火までに実質4時間半くらいかかっています。レベル1のきわめて軽微な事故にもかかわらず、です。何しろナトリウムは空気や水に触れるだけで燃えてしまうのですから、火災だからといって、水をかけることはできません。消火は至難の業です。福島第一原発並みの事態が生じてしまった場合、「もんじゅ」だったら、もう処置なしです。漏れ出すナトリウムの炎上を阻止する手段はなく、ナトリウムが失われれば、炉内の核燃料を冷却する手段もない。どうにもなりません。原子炉が吹っ飛ぶのを、指をくわえて見守る以外、何もできないでしょう。そのような危険な原子炉を、それでもまだ廃炉の決断ができないのは、いったいなぜなのでしょうか。
2011.07.15
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首相、会見で脱原発の方向打ち出す 具体策は示さず菅直人首相は13日、首相官邸で記者会見し、原子力を含むエネルギー政策について「原発に依存しない社会をめざすべきだと考えるに至った。計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現していく」と語り、「脱原発」社会を目指す考えを表明した。実現のための政治プロセスや原発削減の数値目標、電力需給の見通しなどは具体的に示さなかった。首相はエネルギー政策の転換をめざす理由について「原子力事故のリスクの大きさを考えた時、これまで考えていた安全確保の考え方だけでは律することができない技術だと痛感した」と説明。その上で「原発に依存しない社会」を挙げ、「これから我が国がめざすべき方向だ」とした。さらに昨年6月に閣議決定されたエネルギー基本計画を例示し、「2030年に原子力の発電比率を53%に高める内容だが、それを白紙撤回する」と述べた。ただ、原発削減の具体的道筋は「廃炉計画は中長期展望を持って議論し、計画を固めていきたい」と明言せず、「エネルギー政策の転換はかなりの議論を必要とし、国会でも行われている。それを踏まえ、私が(政権に)責任を持っている間は私の段階で議論、計画を立案するが、私の段階ですべてできると思っているわけではない」と語った。---------菅直人は、もともと震災前は原発推進を言っていたわけで、それが急に脱原発を言い出したのは、信念に基づくのではなく、その方が支持されるだろうという政治的打算に過ぎません。脱原発の具体的なスケジュールもまったく明らかでなく、たんにスローガンを言ってみたというだけのことです。が、それでもなお、「それでも原発は推進します」というよりは遙かにマシです。菅政権のこれまでの政策を私はまったく評価も支持もしませんけれど、脱原発という決断だけは、全面的に支持します。もちろん、脱原発にはそれなりの痛みが伴います。痛みとは、電力供給の不安定化と電気料金の上昇です。しかし、事故処理と賠償に要する天文学的な費用、それに原発周辺の広大な土地が数十年にわたって居住不能になる事態と、どちらがより巨大なリスクかと考えたら、比較するのも馬鹿馬鹿しくなります。もともと、選択の余地などないのです。今後、新たな原発の建設など、できるはずがありません。電力会社自身、ひとたび事故を起こせば倒産の瀬戸際に追い込まれる(東電は日本有数の巨大企業ですが、もし事故処理と賠償を政府が助力せず、独力で全部やれということになったら、確実に倒産するでしょう)リスクなど、本音の部分では、もう背負いたくはないだろうと思います。そりゃ、立場上各電力会社は「原発推進」の旗を容易には降ろさないでしょうが、今までとは推進の「本気度」がまったく変わってくるでしょう。つまり、今あるもっとも新しい原発が寿命を迎えるときには、好むと好まざるとに関わらず、原子力発電の歴史も終わるしかないのです。ただし、日本で商業原子炉による発電が始まって約40年で、今回の事故が起こりました。放っておけば40年後にはすべての原発が止まるとしても、それまでの間に次の原発事故が起こってしまうかも知れません。そんな事態を招かないためには、原子力発電の「自然死」を黙って末のではなく、少しでも早く、主体的に原発を止めるべきであると私は思うのですか。もちろん、今年来年にすべてを止めろとまでは言いませんが。私自身の試案としては、以前にも書きましたが今後10年程度ですべての原発を停止する代替手段は、当面はLNGによるコンバインドサイクル発電将来的(30~40年後)には風力発電・太陽光発電・地熱発電を主力として、火力発電をバックアップにする体制にするとすべきではないかと考えています。
2011.07.14
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熱中症にかかりにくくなる「暑熱順化」熱中症対策として、今すぐ始めたいのが暑さに体を慣らす「暑熱順化(しょねつじゅんか)」だ。暑熱順化とは、夏の暑さに耐えられる体になること。「かつては誰でも梅雨の間に暑さにさらされ順化したが、冷房のある環境で過ごす人が増えた今は積極的に順化するための対策が必要」と星教授。梅雨明けまでに順化しておけば、熱中症にかかるリスクをぐんと下げられる。暑熱順化で変わるのはまず汗のかき方だ。「順化すると汗腺の働きが良くなり、汗とともに出るナトリウムの量が減る。その結果、体液バランスが崩れにくくなる」と星教授。実際、星教授らが行った研究で、暑さに慣れていない冬場と、慣れている夏場では、同じ運動をしても汗に含まれるナトリウムの量に差があることが確かめられている。さらに「暑熱順化すると、体温の上昇を察知して汗をかき始めるタイミングが早くなる。体液量が増えて水分喪失に対する予備力が高くなる側面もある」と奈良女子大学生活環境学部の鷹股亮教授は話す。順化した人は発汗後の水分補給で体液量を回復しやすいことも、鷹股教授らの研究で明らかになっている。「半身浴やサウナで汗をかくだけでも効果はある。しかし、じっとしているだけだと順化が完成するまでに時間がかかるので、軽い運動を組み合わせて行うほうがいい」と鷹股教授。鷹股教授によると、運動強度を上げるほど順化速度は早くなる。例えば10分のウオーキングを1日5回、休憩を挟んで行えば、早い人で4~5日、遅くとも1週間程度で暑さに慣れる。運動初日よりもバテ感が減ってきたら順化が進んだサインだ。途中で熱中症にならないよう、休憩と水分補給を十分行いながら進めていこう。せっかく順化しても、運動をやめたり暑さに体をさらさない日が続くと効果は薄れてくる。続けることが何より大切だ。-----------なるほど!そう言えば、日常的に肉体労働をしている人の汗と、そうでない人の汗を比較すると、肉体労働をしている人の汗の方が塩分が少ないという話を聞いたことがあります。体内のミネラルが大量に流出するのを避けようとする機構が働くのでしょう。恒常的に汗をかくような運動をしている人の方が暑さに強い、というのも、体感的に理解できるような気がします。私は夜な夜な(休日は朝に)ランニングをしており、実は今日(日付上は昨日)も、8kmほど走ってきました。そのため、おそらく暑熱順化が出来ているのでしょう。ただ、自分の汗はやっぱりしょっぱいです。それに、「運動初日よりもバテ感が減ってきたら順化が進んだサインだ。」ということですが、私の場合、困ったことに運動をすればするほどバテ感が増大しています。単に走りすぎで疲労が残っているだけかも知れませんけど。私の場合、以前と比べて脚力は明らかに落ちてきており(以前だって、そんなに脚力があったわけではありませんが)、現在は月間走行距離100kmを保つことが出来なくなっています。2009年までは、毎年年間1200km以上(月平均100km以上)を走っていたのですが、昨年は、足首を痛め、腰を痛め、夏は酷暑に気力が萎え、肝心なときに風邪を引き、年末にまたまた足首を痛め、と満身創痍の状態で、年間走行距離1000kmに落ちてしまいました。今年は更にペースが落ちていている。でも先月からやっと月間100kmペースに復帰して、今月も月間100kmは超えるでしょう。体のどこにも故障がなくて、恒常的に走っていれば、月間100kmは簡単なのですが、いちど脚力が落ちてしまうと、月間100kmというのはキツイ数字です。でも、くれぐれも言っておきますが、私は真夏でもランニングをしていますけれど、これはずっとランニングを続けているからです。今まで運動をしていなかった人がこれから運動を始めるという場合は、ランニングをこの時期に始めるのは止めた方が良い。暑い時期にあまり無理をすると、暑熱順化どころか体を壊してしまう危険があるからです。ランニングを始めるなら秋にしてください。今の時期に始める運動としては、記事にあるようにウォーキングあたりが無難でしょう。
2011.07.12
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浜田政務官、就任前の被災地訪問「一度もありません」復興担当の総務政務官に就任し、自民党を除名された浜田和幸参院議員が、11日の衆院東日本大震災復興特別委員会で、就任前の被災地訪問は「一度もありません」と答弁した。その上で「東北地方には数多くの友人、知人がいるし、さまざまな情報を得ていた」と釈明、「国際社会から寄せられているがれき処理の支援などと現地のニーズをマッチングさせるのが私の使命だ」と述べた。質問したみんなの党の柿沢未途氏は、浜田氏が論文などで、人工的に地震や津波など自然災害を引き起こす環境・気象兵器を米国が敵対国に使用した可能性があるとしている点を取り上げ、復興に関する国際協力を得る政府の担当者に不適格だと指摘した。これに対し浜田氏は「地震や津波を人工的に起こすのは技術的に可能で、国際政治、軍事上で常識化されている」と持論を改めて展開。同時に「だからといって米政府などが日本のために援助をしないことはない」とも述べた。-----------当ブログの常連であるBill McCrearyさんが、ご自分のブログで、少し前に浜田政務官についての記事を書いておられます。それを読んで、どうやらこの人は「トンデモ」系の人物であるらしいということを知りました。そうしたら、早速こんな記事が出てきました。「地震や津波を人工的に起こすのは技術的に可能で、国際政治、軍事上で常識化されている」というのが持論だそうです。一言でいって、「壊れている」と思います。就任前に被災地を訪問したことがない、などという話はどうでもよろしい。誰もが被災地を訪問できる、しなくてはならないわけではないのですから。しかし、人工地震だの人工津波だのという話は、まともな人間の口にするような話ではありません。なるほど、人工的に地震を起こすことは可能ではあります。地下で核爆発を起こせばいいのです。実際、過去に、5メガトンクラスの核爆弾の地下実験によって、マグニチュード7の地震が観測されたことがあります。が、しかし大事な前提条件が抜け落ちています。それは、人工的な爆発による揺れと自然の地震による揺れは、地震計によって明瞭に区別できる、ということです。地震波は前兆となるP波(進行方向に対する縦揺れ)と、本震のS波(進行方向に対する横揺れ)に分かれますが、人工的な爆発による揺れは、通常、前兆となるP波しかなく、本震となるS波を欠いています。今回の地震の波形記録があります。P波があって、それからS波があることは明白です。これを核による人工地震だなどと疑う余地は、まったくないでしょう。だいたい、史上最大の人工地震(5Mt)の放出エネルギーでもマグニチュード7相当です。今回の地震(マグニチュード9)を人工的に起こそうとすれば、マグニチュード7の1000倍、つまり5000Mtの爆発力を必要とします。そんな規模の核爆発を、極秘裏に行うって、あり得ない話です。しかも、今回の地震の震央(揺れはじめの場所)は、牡鹿半島の東南東約130km付近の深さ約24kmだそうです。もちろん、それは揺れはじめの場所というだけで、震源域は広範囲に及んでいます。そんなところに5000Mt分もの核兵器を埋め込む能力など、世界のどこの国も持ち合わせてはいません。こんなにトンデモを飛ばしまくっている人物を、自民党が議員に仕立て上げ、それを民主党が引っこ抜いて「政務官」だというのだから、世も末です。私は、みんなの党という政党は嫌いですけれど、柿沢の言うとおり、確かにこんな人物は政府の担当者に不適格だと、私も思います。しかし、この件で改めて検索してみたら、このヨタ話を真に受けて人工地震だと思っている人たちがちらほらと散見されます。どうも民主党議員の中にすら、そんなことを信じているものがいる模様です。あー、なんというか、UFOを信じるのと同レベルですよ。
2011.07.11
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福島第一廃炉まで数十年 東電の中長期工程案東京電力福島第一原子力発電所の事故で、東電と原子炉メーカーが検討している廃炉に向けた中長期的な工程表案が明らかになった。早くて3年後に使用済み燃料プールから燃料の取り出しを始め、10年後をめどに原子炉内の燃料を取り出し始める。原子炉を解体して撤去する廃炉まで、全体で数十年かかるとしている。朝日新聞が入手した資料によると、福島第一原発1~4号機の使用済み燃料プールに保管されている3108体の燃料を、十分に冷やした後、3年後の2014年度初頭をめどに取り出しを始める。取り出した燃料は敷地内の共用プールに移すことを検討する。共用プールの改造のほか、燃料の輸送容器の製造などが必要になる。 -------廃炉まで数十年というと、もの凄く長い期間と思うかも知れませんが、はっきり言ってこの工程案は大甘だと思います。おそらく、数十年は数十年でも、60年70年、いや100年かかるかもしれません。日本で最初に廃炉の作業が行われている原発は東海発電所です。発電能力はたった16万kw、1998年に運転を終了しています。以来13年が経過していますが、廃炉の作業はまだ終了していません。使用済み燃料棒の搬出はすでに終了しているものの、建物の解体は現在進行形で、原子炉の解体はまだ手も付けられていない。予定では2014年以降に原子炉の解体が始まり、廃炉が完了するのは2020年だそうです。つまり、1998年の運転停止から、廃炉完了まで22年かかる計算です。しかも、これはあくまでも事故もなく運転を終了した原子炉の話です。スリーマイル島原発の事故では、燃料棒の取り出し完了までに、事故発生から10年以上かかっており、事故から32年経過した現在でも廃炉の作業は完了していません。福島第一原発より事故の規模が一桁以上小さいスリーマイル島の事故ですら、そうなのです。逆に、福島第一原発より事故の規模が一桁近く大きいと思われるチェルノブイリの事故の場合、原子炉から核燃料を引き出すことができず、原発全体を石棺で囲ってしまうというやり方で事故処理を行いました。その石棺が、事故から25年を経て劣化しつつあることが問題なのですが。福島第一原発の場合は、どちらの処理方法が選ばれるでしょうか。記事によればスリーマイル島のように燃料棒を引き出す方法を前提に考えているようです。もちろん、その方が遙かによいのは明らかです。石棺は、問題を先送りしているだけで、根本的解決とは言えません。だけど、核燃料の引き出しは可能でしょうか。燃料棒は、大半がすでに溶融していると見られています。燃料棒自体もそうですが、制御棒や原子炉容器も高熱によって破損している可能性が高い。ひょっとしたら、核燃料・制御棒・原子炉の一部が高熱によって融解し、ぐちゃぐちゃの状態で冷却されて固着しているかも知れません。もしそうだとしたら、そんな状態の核燃料を、どうやって取り出すのでしょう。しかも、人間が炉内に入って作業なんてことは不可能ですから、全部遠隔操作で行わなければなりません。チェルノブイリの事故の場合は、炉内の放射性物質の大半が、あっという間に外部にまき散らされてしまったから、結果的に炉内に残された放射性物質の量は、そんなに多くありませんでした(もちろん、それは放出された量との比較の問題であって、絶対的に見れば炉内に残った放射性物質も莫大な量ですが)。だから、チェルノブイリでは4月に事故が起こって、早くもその年の6月には石棺の建設が始まった。しかし、福島の場合は炉内の放射性物質の一部しか放出されていません。大半が放出されていたらチェルノブイリを超える大惨事になっていたところですから、不幸中の幸いではあります。しかし逆に言うと、炉内にはまだ多くの核燃料が残されており、今後の対応を誤れば、これまでより遙かに多くの放射能が放出されてしまう危険性が、まだあるということです。それを避けるためには、とにかく冷やして冷やして、冷やし続けるしかない。核燃料が十分に冷え切るまでは石棺を作ることもできないでしょう。別のソースによると、福島第一原発の事故処理には、燃料棒を取り出して処理する場合で6兆円、チェルノブイリ式の石棺では20兆円もかかると見積もられているそうです。内訳は、半径20km以内の土地の買い上げ費用が4兆3千億円、住民への10年間の所得補償が6300億円、廃炉費用が、燃料棒取り出しで7400億円、石棺方式で15兆円です。石棺方式より燃料棒引き出しの方が、費用面で見ても遙かに好ましいようですが、実際にはかなり難しいと思われるのは前述のとおりです。しかも、この計算には、20km圏外の住民に対する賠償が一切含まれていません。だから、実際には事故処理に要する費用はこれより遙かに巨額になるのはほとんど間違いないように思われます。
2011.07.10
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少し前に、福島市の子どもの尿からセシウム134、セシウム137が検出されたという報道がありました。それに対して、その程度の被爆は問題ない、大気圏内核実験が繰り返されていた1950年代から60年代初めにかけては、今回の事故と同程度(あるいはそれ以上)の被爆が日本でもあったのだ、という「反論」を述べる者も出てきました。確かに、この程度の被爆では「直ちに健康への被害はない」(聞き飽きた台詞ですが)ことは事実でしょう。でも、10年後20年後にどうなのでしょう。大人ならまず大丈夫でしょうが、子どもはどうなのでしょうか。私にはよく分かりません。(誰にも分からないかも知れないですが)それにしても、昔は核実験でこのくらいの被曝があったから、今回も大丈夫だという言い方は、どうなのかなあと私は思ってしまうのです。なぜって、大気圏内核実験は部分的核実験禁止条約によって禁止されているからです。禁止の理由は、言うまでもなく放射能汚染が危険だからです。(地下核実験は、その後も長く容認されてきた)1950年代60年代の大気圏内核実験と同程度の被爆だから問題ないのだ、という言い方をするなら、それでは何のために大気圏内核実験は禁止されているのかということになります。ならば核実験は禁止しなくてよいということなのでしょうか。ところで、では50年以上も昔に繰り返されてきた大気圏内核実験というのは、どういうものだったのでしょうか。特に有名なのは、1954年のビキニ環礁での水爆実験です。日本のマグロ延縄漁船第五福竜丸が巻き込まれ、乗組員全員が被曝して、うち一人が亡くなりました。このとき、第五福竜丸は爆心から150kmも離れており、米軍の設定した危険水域の外側にいたのですが、乗組員の被曝量は少ない人で1.7グレイ、最も多い人で6.9グレイに達したとされています(亡くなった乗組員は5グレイあまり)。グレイ=シーベルトと考えると、亡くなった方は5シーベルトの被曝であり、半数致死量を超えていたことになります。第五福竜丸が危険水域の外側にいたにもかかわらず被曝により死者まで出したのは、米軍が核実験の規模の計算を誤っていたからです。予定では6メガトン±2メガトン程度の爆発という計画でしたが、実際には15メガトンの爆発でした。もっとも、予定どおりの6メガトンの爆発だったとしても、第五福竜丸はやはり被曝して、死者が出たかどうかはともかく、かなり深刻な健康被害を生じたことに変わりはなかっただろうと思います。さて、第五福竜丸事件を含む一連の核実験は、「キャッスル作戦」と呼ばれています。実験は1954年3月から5月までの2ヶ月間に計6回行われ、うち1回は実験失敗。残り5回の中で、爆発規模10メガトン以上が3回、あとの2回は6メガトン超と1メガトンでした。さらに、それ以降も1956年レッドウィング作戦、1958年ハードタック作戦、1962年ドミニク作戦と、メガトン級の核実験を何回も繰り返しています。しかし、実は史上最大規模の核実験は米軍によるものではありません。1961年、旧ソ連が行った50メガトン級の核実験(通称ツァーリ・ボンバ)が史上最大です。結局、この間米ソ両国が繰り広げた核実験は、爆発規模の合計で軽く100メガトンを超え、おそらく200メガトンに達すると思われます。現在では、核兵器の小規模化(という言い方は非常に変ですが)が進んでおり、メガトン級の核弾頭は姿を消していると言われます。現在主流は1個の核弾頭が200キロトンから300キロトン程度のもの。つまり、200メガトンという数字は、現在の核弾頭で言えば1000発分にも相当する威力ということになります。爆発が無人地帯で行われたというだけで、爆発の規模で見れば、全面核戦争が行われたのに近いほどの核爆発が繰り返されたわけです。それほどの核実験が繰り返された結果として、莫大な放射能が全世界にまき散らされました。南太平洋や北極海の核実験場からは、日本は何千キロも離れています。それでも日本に放射性物質が降ってきたということは、全世界に降ったということです。おそらく、当時放射性物質が降らなかった場所なんて、この地球上になかったのだろうと(もしあったとすると、南極大陸くらい?)思います。広島の原爆の爆発規模は15キロトン程度と見積もられています。つまり、その後全世界で切り広げられた核実験の爆発力合計は、おそらく広島型原爆の1万数千発分ということになります。ヨーロッパ全体に深刻な核汚染を引き起こしたチェルノブイリの事故で放出された放射性物質は、広島型原爆の数百発分とされます。今回の福島第一原発の事故は、そのチェルノブイリの1/7程度の規模(放出された放射の雨量で)とされています※。つまり、今回の事故は広島型原爆の数十発から100発分程度の放射能量だということになります。もの凄い量です。そして、その福島第一原発から、福島市までは60キロから70キロ離れています。70キロも離れていると見るか、70キロしか離れていないと見るかは、人によって違うでしょうが、第五福竜丸は、爆心から150キロも離れていても、致死量の放射能を浴びました。ま、放射能の総量は、おそらく第五福竜丸事件の水爆実験の1割以下だとは思いますが。※このブログで、以前に「チェルノブイリの2~6%の規模」という記事を書いたことがありますが、その後今回の事故の規模が上方修正されています。追記報道によると、福島の子どもの尿検査は5月上旬と5月下旬の2回行われ、セシウム134/137は2回とも検出されたものの、放射性ヨウ素は1回目しか検出されなかったとか。しかし、逆に考えると、5月上旬というのは原発事故から2ヶ月近く経過した時期であり、その時点でまだ体内から放射性ヨウ素が検出されたということは(放射性ヨウ素の半減期は8日)、当初はいったいどれだけの放射性ヨウ素を内部被曝したのか、という危惧を抱きます。チェルノブイリの例で言うと、子どもの甲状腺ガンが急増したのは事故から5年以上経過した後のことです。福島の場合はどうなるのだろうか・・・・・・。
2011.07.09
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地震と原発で地デジがどうこうなどという話は、私の関心の範囲内から吹っ飛んでいましたが、あと2週間ほどでテレビのアナログ放送が終了してしまいます。いつの間にやら、アナログ放送の画面には放送終了まであと何日というテロップがデカデカと掲示されるようになってしまいました。ちなみに、我が家は機材的にはデジタル対応は完了しています。テレビとハードディスクレコーダーは地デジ対応のものになっています。パソコンはディスプレイがHDCPという著作権保護機能に対応していないため、そのままでは地デジが見られないのですが、若干イレギュラーな方法で見られるようにしてあります。というわけで、機材の面では地デジ対応完了なのですが、肝心の見る人間の頭の中が、まだ地デジ対応になっていない。我が相棒など、未だに番組を予約するときに、アナログ放送を録画しています。何故かというと、番組表から録画番組を探すとき、アナログの番組表とデジタルの番組表を区別していないから、先にアナログの番組表で番組を見つけてしまうと、それを予約してしまうのです。(つまり、アナログ停波を間近に控えた今現在も、アナログ放送の番組表ADAMSはしっかり配信されているわけです)アナログよりデジタルの方が画質はいいと思うのですが、わが相棒は「画質」「音質」というものに、まるっっっっっっっきり興味も関心もないから、「面倒くさい」「どうでもいい」の一言で、未だにアナログ放送を録画しているのです。せっかく買った地デジテレビが泣く、というものです。だって、高かったんですよ。3年前に買ったのですが、26インチで8万円か9万円でした。それでも、ビックカメラでその時点で最安値に近い機種でした。今は、その上のクラスの32インチでも、録画機能のないシンプルなテレビならば5万円もしない。まあ、でもそのときは前のテレビがぶっ壊れてしまったので、否応なく新しいテレビを買うしかなかったのですが。しかし、よく考えてみると、世の多くの人の感性は、我が相棒と似たり寄ったりかも知れません。見比べればアナログとデジタルの画質差は歴然としていますけど、わざわざ見比べなければ、5分で気にならなくなります。私自身だって、人のことは言えません。先日子どもと一緒に昔の某宮崎アニメを、子どもと一緒にDVD-Rで鑑賞したのですが、これは15年も前に購入したVHSをDVDに録画したものだから、画質はかなり酷いのですが、全然気にせず見てました。今はDVD版も発売されていますが、わざわざDVDに買い換えようとは思いません。世の、画質になどあまりこだわりのない多くの人々にとっては、地デジ化というのは、ただ面倒で余計な出費を強いられるだけの存在でしかありません。アナログ放送からデジタル放送へという技術発展による移行そのものは止めようもないものだけれ、こんなに早急にアナログ放送を停波するのはどうなのか、未だに疑問が尽きません。莫大な公費を使い、相当数のまだ使えるテレビが廃棄物となり(あるいは、これからなる)、停波までに地デジ対応が完了せず、テレビが見られなくなる「テレビ難民」もある程度発生するでしょう。とは言え、もはやここまで来てアナログ停波の延期はもう不可能なのでしょうけれど、どうも釈然としない。アナログ停波までのカウントダウン表示には、苦情が殺到していると聞きます。私自身は苦情まで言おうとは思わないけれど、その気持ちは分かりますね。
2011.07.08
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九電:「原発賛成」やらせメール 関連会社に依頼九州電力の眞部利應(まなべとしお)社長は6日夜、同社内で会見し、玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開の是非を問うため経済産業省が6月26日にケーブルテレビで放送した県民向け説明番組に絡み、九電原子力発電本部の課長級社員が子会社に、再開を支持する電子メールを投稿するよう依頼していたと発表した。東京電力福島第1原発事故で原発の安全性に不安が広がる中、電力会社自らが「やらせメール」で番組の公平性を阻害したことで、原発再稼働の是非だけでなく、国の原子力政策への信頼を揺るがしかねない事態となった。眞部社長は企業トップとしての責任を認めたが、進退については「(言及を)控えたい」と明言を避けた。この九電社員は番組放送4日前の6月22日に▽西日本プラント工業▽九電産業▽西日本技術開発▽ニシム電子工業--の4子会社の社員4人にメールを送信。「発電再開容認の一国民の立場から、県民の共感を得るような意見や質問を発信してほしい」と依頼した。九電社内でも▽玄海原発▽川内原発(鹿児島県薩摩川内市)▽川内原子力総合事務所(同)--の3部署の中堅社員3人に同様のメールを送信した。番組にメールする際は九電関係者と分からないよう、自宅などのパソコンからアクセスするよう指示していた。子会社側から番組に何通届き、紹介されたかは把握していないという。子会社の社員は約2300人。番組中にメールが473件、ファクスが116件寄せられ、このうち11通が読み上げられた。再開容認の意見は4通含まれていた。眞部社長は事実関係を認めた上で、自らの関与は否定。「心からおわび申し上げる。責任は最終的に私が取る」と陳謝した。しかし、自らの進退を問われると「進退まで問われる事かどうか。国とも話し合いたい」とかわした。メールを流した社員への聞き取り調査は7日にも実施するという。この問題は、6日の衆議院予算委員会で笠井亮(あきら)衆院議員(共産)が取り上げた。海江田万里経産相が「九電がやっているなら非常にけしからん。しかるべき措置をする」と九電を批判し、同社の処分を検討する考えを示した。--------私が想像するに、これに類することは、これまでにも散々繰り返されてきたのでしょう。考えてみれば、原発問題に限った話ではありません。小泉内閣の時代の「タウンミーティング」でのやらせ質問なんてのは、今回の事例とまったく同じです。それを、国が率先してやったわけですからね。(直接的に手を染めたのは広告代理店でしょうが)政治がらみといえば、チーム世耕なんて噂もありました。あれは、どこまでが真実かははっきりしませんが。日本テレビのプロデューサーが、ビデオリサーチの視聴率調査対象世帯を割り出して、買収工作を行ったという事件も以前にありました。あれも、おそらくは氷山の一角だったのではないかと思います。というのは、同種の噂は、事件発覚の遙か以前から流布されていたからです。九電にしろ、他の電力会社にしろ、今まで同じようなことを散々やってきて、だから今回も同じことをやったのでしょう。何しろ、彼らの世論対策というのはしつこいのです。以前の記事に書いたことがありますが、私は10年以上前に、当時付き合っていた彼女に誘われて、東海第二原発見学ツアーに参加したことがあります。そのとき、無記名のアンケートに、原発に批判的な意見を記入したところ、無記名のアンケートだったにもかかわらず、記入者を特定して私のところに「心配には及びません」という趣旨の文章を送ってよこしてきたことがあります。アンケートには年齢層と性別の記入欄があり、30代男性の参加者は私しかいなかったので、特定は容易だったとは思います。だけど、そうだとしても無記名のアンケートから記入者を特定してこのような行動に出るのは、正直驚きました。それだけ、彼らが世論対策に力を注ぎ、原発に批判的な意見に目を光らせているんだなあと痛感しました。今回の件も、おそらくは今までの世論対策と同じ感覚で同じことをやったのだろうと思います。しかし、肝心世論の側が、今までと同じではなかった。原発に対する余録が決定的に厳しくなったために、今までは見逃されていたこの種の原子力村の世論対策が白日の下に晒される事態になったのでしょう。もっとも、記事には「国の原子力政策への信頼を揺るがしかねない事態となった。」などと書かれていますが、それはどうでしょう。国の原子力政策への信頼などというものは、もともと3月11日以降とうの昔に崩れ去っているとしか私には思えません。
2011.07.06
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ずっと以前に、陸川監督の映画「南京!南京!」の日本公開が決まった、という記事を書いたことがあります。残念ながら、それ以来2年間、実際に日本でこの映画が公開されることはありませんでした。結果として、この記事は誤報になってしまったわけです。経緯は色々ありますが、ここには書きません。さて、そういうわけで、このたび「南京・史実を守る映画祭」実行委員会が、映画「南京!南京!」の上映会を開催することになりました。映画「南京!南京!」日本初公開8月21日(日) 1回目12時35分/シンポジウム15時/2回目16時50分会場 中野ZEROホール 小ホール料金1回目上映+シンポジウム 前売1500円/当日1800円2回目(上映のみ) 前売り1300円/当日1500円チケットの購入についてはこちらを参照してください。主催 南京・史実を守る映画祭実行委員会--------私も南京・史実を守る映画祭実行委員会の一員ではあるのですが、なんとこの日、別件で所用があり、東京にいない予定です。(2回目上映時間までには東京に帰ってきているはずですが、さすがにちょっとね・・・・・・)というわけで、私自身がこの歴史的な上映会(言い過ぎか)に参加できないことは非常に残念なのですが・・・・・・。なお、公開はこの日一日限りです。
2011.07.05
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実は、私自身はもう9年ほど前から出勤時にネクタイは締めていません。当時、異動した部署では、管理職以外誰もネクタイなど締めていなかったので、私も「郷に入れば郷に従え」と、ネクタイをやめてしまったのです。ところが、2年前に現在の部署に異動したら、今度はノーネクタイは圧倒的少数派。「どうしようかな」と一瞬考えたのですが、今度は「郷に入っても自分流」に方針転換して、そのままノーネクタイを続けています。私も40歳を超え、角が立てずに自分流を貫くノウハウが、多少は会得できてきたかな、なんてね。もっとも、そのころから「クールビズ」などと言って、夏場だけみんなノーネクタイに、という指示が出始めていました。私は「俺は1年中クールビズだから」などとうそぶいておりましたが。でも、私の職場はともかく、世の中の多くの企業は、「クールビズ」などというかけ声は、かけ声だけに終わっていたのだろうと思います。なぜって、通勤電車の中で、サラリーマンはみんなネクタイをしめていたからです、去年までは。しかし、最近になって、改めて朝の通勤電車内や乗換駅のホームで乗客を観察してみると、ものの見事に誰もネクタイを締めていないことに気がつきました。満員電車の中で、視界の範囲内では誰もネクタイをしめていないのです。乗換駅でホーム、連絡通路でよく観察すると、ほんの数人、ネクタイ族とすれ違うことがありますが、割合からいうと、あれはおそらく数百人に一人か、もしかすると千人に一人以下かも知れません。ということは、おそらく今回の電力不足を契機にして、大半の企業で夏場のノーネクタイ化が進んだということなのだと思います。いい傾向だと私は思います。考えてみれば、ネクタイなんぞ、夏場は無駄に暑さを増進するだけの存在としか思えません。本当は、Tシャツで勤務できたらもっと快適だと思うのですが、私の勤務先でも、いくらなんでもTシャツで勤務というのはさすがに許されません。ただ、勤務中は駄目ですが、勤務時間外なら話は別です。だから、最近私は退勤時にワイシャツを脱いで、Tシャツで通勤電車に乗ることが多くなりました。満員電車に乗るのに、どう考えたってTシャツの方が快適ですから。本当は、朝もTシャツで出勤したいのですが、「出勤してかばんを開けてみたらワイシャツがクシャクシャ」という事態が怖くて、まだ朝は試していません。しかし、また秋になって涼しくなると、ネクタイがサラリーマンの衣装として復活してしまうのでしょうか。これを機に、ネクタイなんて風習は一年中姿を消してほしいな、なんて思っているんですけどね。
2011.07.04
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原発撤退で電気代2121円増、維持なら372円増東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、原発存続の行方が注目される中、日本学術会議の分科会(委員長=北沢宏一・科学技術振興機構理事長)は、原発の撤退から現状維持・推進まで六つの政策の選択肢ごとに、標準家庭(1か月約6000円)の電気料金が、どれくらい増えるかの試算をまとめた。原発を放棄し、太陽光などの再生可能エネルギーに移行した場合の負担は大きく、逆に維持すると負担は小さくなるが、同分科会は、今後、原発の安全規制が強化され、存続しても負担増になる可能性もあると指摘。秋にも最終報告をまとめる。試算は、エネルギー政策の議論に役立てるのが狙い。政府や大学などが公表する発電コストのほか、温室効果ガス削減の国際的取り組み、15%の節電、人口減少、原発の安全対策などにかかる費用をもとに検討した。選択肢は、大きく分けて原発の「撤退」、全発電量の約30%を原子力が占める「現状の維持」、50%まで拡大する「推進」。撤退は、全原発停止の時期によって4ケースに分けた。現在、稼働中の原発が定期検査を迎える来夏までに全原発が停止した場合は、火力発電に切り替えた後、温室効果ガスを減らす再生可能エネルギーの比率を高めていく。国際的な削減目標を達成するための対策が本格化する2030年には、標準家庭1か月の電気料金の上乗せは、2121円と算出した。--------「原発に頼らないと電気代が高くなりますよ」キャンペーンの一環という気がしてならないのですが、この計算にはおそらく含まれていないであろうと思われるものがあります。それは、事故が起きたときの後始末費用です。後始末というのは、もちろん賠償金も含まれます。今回の時頃賠償額はまだ確定していませんが、10兆円という話も聞こえてきます。単純に計算すると、10兆円を日本全国5000万世帯で割り返すと、1世帯あたり20万円ってことになります。それを10年で割り返すとしたら、1ヶ月あたり1600円ほどになります。記事にある、「維持でも372円」という数字と合わせれば、月2000円くらいになります。東電は賠償を国に公費で肩代わりしてもらおうと画策していますけれど、それは結局、国民負担が電気代に跳ね返るのではなく税金に跳ね返るだけの話ですから、国民の負担が増えるという話に何の違いもありません。もちろん、今回の事故の賠償(その他後始末のための諸々の費用)に関しては、今から脱原発に進んでも、払わなければならないことに違いはありません。しかし問題は「今後再び同規模の事故が起きたら」ということです。「原発は絶対安全である」という原発推進派の言い分が誤りであった以上、今後も原発を維持し続けるなら、再び今回と同様の事故が起こることは覚悟しなくてはなりません。原子力損害賠償法は、原発1カ所につき1200億円までの賠償保険加入を義務づけていますが、今回の事故を見れば、賠償上限1200億なんて額では話になりません。じゃあ、賠償総額10兆などという保険を引き受ける保険会社があるか。まず、ないでしょう。まして、今回の事故の後ではね。従って、もし今回と同規模の事故が再び起こった場合、またまた何兆円か十何兆円かの賠償金が、国民負担に跳ね返ってくることになる。今回の事故の後始末すらまったく目処が立っていないのに、次の事故の賠償の話を書くなんて、情けない限りですけれど、こんな事故が起こってもなお原発を続けるのだというなら、再び同じ事が起こることは必然だと覚悟しなければなりません。そのリスクの巨大さの前では、月々の電気代が2000円の負担増とか、小さい話と言わざるを得ません。
2011.07.03
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昨日アップした内容から追記あり(タイトルも変更しています)先週は、暑かったですね。特に木曜日は東京で最高気温が35.1度を記録しています。実は、この日は我が家の結婚記念日だったのですが(毎年必ず家族で食事に行っています。今年も近所のイタリア料理店に行きました)。が、それでもこの日の東電管内の最大電力は4571万kwに止まっています。ちなみに、昨年東電管内で最大電力を記録したのは7月23日、5999万kwでした。この日の最高気温は35.7度でした。それより0.6度低いだけで、電気使用量は実に1400万kwも減っているのですから、節電がかなり行き届いていることが分かります。東京電力が、過去3年間の1時間単位の電力詳細データの公開を始めています。http://www.tepco.co.jp.cache.yimg.jp/forecast/html/download-j.htmlこれを日別の表にしてみました。してみたのですが、このブログは、表のタグは受け付けないようなのです。つまり表形式ではこのブログにアップできない。やむを得ず、ホームページにhtmlでアップしましたので、リンクを貼ります。東京電力管内夏の日別最大電力推移(2008年~2010年)今夏の最大電力を東電は5500kwと見積もっています。この数字を上回った日数と時間は、2010年26日・165時間、2009年はなし、2008年は10日・56時間。各年の最大値は2010年5999万kw(7/23・最高気温35.7度)2009年5450万kw(7/30・最高気温33.2度)2008年6089万kw(8/8・最高気温35.3度)何かの参考資料にでもなればと思い、アップしました。
2011.07.02
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