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気がつけば大晦日です。この1年は個人的にもそうですが、日本社会いや世界全体が激動の1年間でした。今年最大のニュースは、おそらく誰もが東日本大震災を挙げるでしょう(原発事故もその一環と考えて)。私も同様です。来年以降、今年のような悪い意味での大きなニュースはあってほしくないと願ってやみません。しかし残念ながら、巨大な地震はえてして別の巨大地震や火山噴火に連動する傾向があります。もちろん、今回の地震も必ずそうなると断定できるわけではないのですが、警戒はせざるを得ないでしょう。自然災害の発生は、人間の力で食い止めることはできませんから。ただ、自然災害の発生を食い止めることはできなくても、ある程度対策を立てて、あるいは予知によって、起きたときの被害を最小限にとどめることは、できるかも知れません。現状では、地震予知の技術が確立してはいませんが。以前に、北海道大学理学研究院附属地震火山研究観測センターの森谷武男氏が、VHF電磁波の地震エコー観測から巨大地震再発の可能性があるとの警告をおこなっていることを紹介したことがあります。もちろん、これによって「巨大地震が必ず再発する」と断定できるわけではないことは、言うまでもありません。言えるのは、可能性が決して低くないということだけです。が、それでもこの警告は無意味ではないと私は当時思ったので、紹介しました。ところが、最近になって再度森谷氏のサイトを確認しようと思ったら、すでに問題のサイトは閉鎖されているのです。森谷氏によると地震火山研究観測センターでは,研究段階である地震予報情報は公表しておりません。そのため,センターの方針に準じて,当該ページも閉鎖します。センターの方針については,こちら(リンク:http://www.sci.hokudai.ac.jp/isv/news/post-52.html)をご覧ください。このページは閉鎖されます.現在も東北地方をはじめ日本中が地震活動が大変高い状態ですから強い地震に備えることは大変重要です.とのことです。で、リンク先にある北大地震火山研究観測センターのお知らせによると、最近のインターネット上のニュース・週刊誌等の報道に関して10月下旬に当センターの研究支援推進員が自身のホームページにおいて、M9クラスの地震が12月または1月にかけて東北地方で再び発生する可能性があるとの見解を公表いたしました。その記事を発端として、現在インターネット上のニュース等で「第二次東日本大震災が発生する」というような記事が発信され、当センターにも本件について、様々なお問い合わせをいただいております。そこで、本件に関する当センターの見解につきまして、ホームページ上でお伝えすることにいたしました。当センターでは「地震に関連する電磁気現象の観測研究」として、地震の発生直前から電磁気異常を発生させるメカニズムとその関連性を解明する基礎的研究を実施しています。 将来の地震の直前予測につながる基礎的データを蓄積し研究を進めている段階であり、現在のデータから巨大地震の発生時期やその大きさを科学的に予測できる段階にはありません。個人的見解とはいえ、現時点で科学的な根拠の薄い地震予測情報が公表され、特に東日本大震災の被災者のみなさまには、いたずらに不安を煽ってしまうような状況を生み出したことにつきまして、お詫び申し上げます。今後も当センターはこれらの観測研究を継続し、基礎的研究成果を随時発表していきたいと考えています。今後とも皆様のご支援とご協力をよろしくお願いいたします。・・・・・・何だかなあ、と思います。「現時点で科学的な根拠の薄い地震予測情報」だそうですが、地震と電磁波以上の間には関連性があると(科学的に)判断したからこそ、「地震に関連する電磁気現象の観測研究」をやっているわけでしょう。確かに、現時点では確実性のある話ではないかもしれない。外れるかも知れない(というか外れと欲しいと心底思います)。しかし、だから公表しない、それも大学の教員(研究支援推進員というのは教員なのかどうか知りませんが)が「個人の見解として」公表することすら阻むというのは、どういうことかと思います。外れたっていいじゃないですか。「巨大地震が再発すると予測されたけど、結果的には予測は外れて大丈夫でした」というのは、「巨大地震の再発が予測されたけど、確実じゃないので黙っていたら本当に地震が来てしまいました」というのよりは、よっぽどマシな事態だと私は思うのです。だけど、やっぱりもうこれ以上地震はきて欲しくないですね。それは心から願います。これぞ、人間の努力ではどうすることもできない、神様に祈るしかない願いですが。来年は、どんな年になるのでしょうか。今年とは違って平穏な年であって欲しいです。わたしの家族、知人、友人、いや、この地球に生きるすべての人々にとって、来年が今年より良い年であることを願います。
2011.12.31
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実は、先日公開されたばかりのこの映画を見てしまったのです。見てしまった、という表現が私にとってはぴったりです。はっきりいって、面白くなかった。映画の主張がどうこうとか、時代考証や戦史の描き方がどうこうという以前に、とにかく映画として面白くなかったのです。途中から退屈で、早く終わらないかなと思ったのですが、これがまたやたらと長い映画で、上映時間は多分2時間半くらい。もし無料招待券で見ていたら、確実に途中で席を立ったところですが、何と当日券を買って入ってしまったために、うんざりしながら最後まで見てしまいました。何でこんなに面白くなかったんだろうかと、後で色々考えてみました。致命的なのは、戦闘シーンに迫力がまったくないことです。真珠湾攻撃でもミッドウェー海戦でも、描き方があまりにあっさりしている。まあ、山本五十六自身は真珠湾でもミッドウェーでも戦闘の現場に立ち会ってはいないので、「山本五十六を描いた映画」のなかでは、それらの戦闘シーンは添え物程度でよい、ということなんでしょうかね。じゃあ、肝心の山本五十六という人物の描き方はというと、美化しすぎ。まるで聖人君子のようで、実在感がないのです。道徳の教科書を映像化したような人物像では、おもしろみなんかあるはずもない。山本五十六がギャンブル好きであったことは映画でも一応は触れられていますが、描写としてはさほどギャンブル好きなようには見えません。実際のところはかなり強烈なギャンブル狂だったようです。だから、真珠湾攻撃にしてもミッドウェー海戦にしても、山本の作戦は投機的な性質が強い。家族思いであったという描写もありました。それも事実ではあるでしょうが、一方で愛人を囲っていた(それも1人ならず)事実もあります。しかし、そちらの方は映画には描かれていません。そもそも、長野修身や及川古志郎、南雲忠一その他大勢の高級軍人(主に艦隊派とされる人々や海軍省、軍令部のエリート)は悪玉、新聞は戦争を煽るだけの存在で、一般国民はその煽りに載せられて流されるだけの存在、正しいのは山本と、その同調者である井上成美、米内光政、既に海軍を追われていた堀悌吉らだけ、という描き方もどうかと思います。要するに、使い古された「海軍善玉論」の変形版です。さすがに、海軍全体を善玉扱いするのは、もはや無理だから、海軍内の「良識派」だけを善玉にする作戦ということでしょうか。でも、それもここまで露骨だと、リアリティーが感じられません。もう一つ違和感を感じるのは、この映画は山本と、山本の周囲の海軍しか出てこないのです。山本は駐在武官で米国に滞在した経験があり、そのことから米国をよく知る海軍軍人ということになっています※1。それなのに、この映画には米国人は1人も出てこないのです。戦闘シーンで米軍の兵器は出てくるけど人間は出てこない。米軍どころか、実は陸軍すらもほとんど出てきません。冒頭に、海軍省に銃を向けようとする兵隊が出てくるくらいです。戦争は海軍だけでやったんですか?と言いたくなる。加えて、時代考証や戦史の描き方にも変なところがいっぱいあります。すぐに違和感を感じるのは、「船の上のシーンなのに揺れていない」ことです。艦内シーンも、CGで作られた洋上を進む艦隊も揺れていない。どれだけ凪いだ内海を走っているんだよって感じです。さらに細かいことを言えばきりがないけど、零戦が無線を駆使して戦っている(当時の日本の無線は品質が大変低く、特に零式艦戦の航空無線は、まったく実用にならない代物だった)、ミッドウェー海戦の、もはや破綻した「運命の5分間説」※2にまだ固執している。空母の格納庫内が余裕たっぷり(実際には格納庫内には飛行機をぎっしり押し込まないと、60機70機という艦載機は搭載できない)、一般社会の食糧事情の描き方が変(太平洋戦争開戦の時点で、既に食糧事情は相当悪化していたし、「贅沢は敵だ」というキャンペーンは1939年には既にあった)、などなど、首をかしげるところがいっぱいありました。※1 この映画の原作・監修者である半藤利一は、しかし山本五十六はそんなに米国のことを知らなかったのではないかと言っています。「たとえば、山本五十六はアメリカに留学したからアメリカをよく知っているだろうという人が多いんですが、私は、山本さんはアメリカをあんまり知らなかったと思うんですよ。なぜそう言えるかといえば、簡単なんです。彼にはお友達がいないんですよ、アメリカ人のね。」(「日本海軍はなぜ誤ったか 海軍反省会400時間の証言より」岩波書店P79)※2 運命の5分間説、ミッドウェー海戦で日本側の3隻の空母が、米軍の爆撃で次々と炎上したとき、各空母は攻撃隊を発艦させている最中だった、だから、爆撃があと5分遅ければ攻撃隊は出撃していた(日本が勝てたかもしれない)のに、という説。もともと言い出したのは、草鹿龍之介(第1航空艦隊参謀長)と淵田美津雄(空母赤城飛行長)らしいのですが、これに敢然と異を唱えたのが、ノンフィクション作家の澤地久枝。生存者からの聞き取り調査で、実際には攻撃隊の発艦準備はまだまったく整っていなかったことを明らかにし、現在ではそれが定説になっています。しかし、この映画では未だに「攻撃隊の発艦が始まった直後に爆撃された」という表現になっています。
2011.12.29
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<武器輸出三原則>政府、緩和を決定 国際共同開発参加など政府は27日午前の安全保障会議(議長・野田佳彦首相)で、日本の武器輸出三原則を大幅に緩和する「防衛装備品等の海外移転に関する基準」を決定し、藤村修官房長官が閣議に報告後、記者会見で談話を公表した。包括的な例外措置として、(1)平和貢献・国際協力に伴う装備品の海外移転(他国への供与)(2)日本と安全保障協力がある国との間で、日本の安全保障に資する国際共同開発・生産--を可能とする。武器と関連技術を原則禁輸する三原則をめぐり、政府は過去にも弾道ミサイル防衛技術など個別の「例外」について緩和してきた。だが今回は個別案件を指定せず、政府が三原則を表明した1967年以来、初の抜本的緩和となる。緩和にあたり、相手国による目的外使用や第三国への移転に日本政府の事前同意を義務づけるなど「厳格な管理を前提に行う」と条件をつけた。藤村長官は「相手国との取り決めは口約束ではなく、交換公文などさまざまな外交手法がある」と強調した。談話は、国際紛争を助長しないという「基本理念の堅持」を掲げた上で、国際平和協力やテロ・海賊問題などへの対応▽米国など諸国と国際共同開発による防衛産業基盤の維持・高度化とコスト削減--をそれぞれ緩和の理由に挙げた。装備品供与では、日本政府の事前同意なく目的外使用や第三国移転がないとの担保などを前提とする。国際共同開発・生産は、目的外使用や第三国移転に日本の事前同意を義務づけ、同意には日本の安全保障や国際平和・安定に資する場合などの条件をつけた。----またも、民主党政権の裏切りです。これも、「武器輸出三原則を緩和する」なんて公約はどこにもなかったはずなのに。「国際平和協力」などともっともらしいことを言っているけど、国際平和協力のつもりで武器を輸出してみたら、10年経ったら情勢が変わって侵略への協力になっていた、なんてことは、いくらでも起こりえます。中でも「日本と安全保障協力がある国との間で、日本の安全保障に資する国際共同開発・生産--を可能とする」これはいけません。政府の念頭にあるのは次期主力戦闘機F35だろうと思います。F35は、名目上各国の共同開発ということになっています。共同開発に参加しているのは、米国・イギリス・イタリア・オランダ・カナダ・オーストラリア・デンマーク・トルコ・ノルウェー。防衛省には、この機体の共同開発に最初から参加していれば、という思いがおそらくあるのでしょう。しかし、このF35戦闘機の「共同開発」の中身は、きわめて怪しいものです。実質的には米国以外の共同開発国は「出資金だけ取られて発言権はない」状態です。自衛隊の次期主力戦闘機選定問題で、ライセンス生産が出来るかどうかということが問題になっていますが、そもそも共同開発国のイギリスすら、部品の一部を納入するだけで、自国での機体組み立ては認められていないし、開発の機密情報を教えてもらえない、という状況です。しかも、開発はどんどん遅れ、開発費もどんどん膨らんでいる。米国も含め、各国ともこれ以上開発経費が増えたらどうしよう、これ以上開発が遅れたらどうしようと、頭を抱えているのが現状です。そんな泥船のような戦闘機開発に、日本が参加していなくて本当によかったと思っていたのですが、なんと防衛省はその泥船戦闘機を次期主力に選定してしまった。共同開発国であるイギリスに対してすら認めない機体組み立てを日本に認めるというのは、イギリスという「釣った魚」には餌はやらないが、これから泥船戦闘機に食いつこうという日本には、いっぱい撒き餌をごちそうしてやろう、という意味じゃないのかと、私には思えてしまいます。泥船戦闘機計画に最初から参加して、天井知らずに膨らむ可能性のある上納金を差し出したい、そのためには武器輸出三原則の緩和を・・・・・・、冗談じゃないのです。
2011.12.27
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鳩山内閣は、掲げた理想は(そのすべてではないけれど)支持するに値しました。でも、結局鳩山はそれをほとんど実現せず、特に普天間基地移設問題を放り出して、政権を投げ出してしまいました。菅内閣は、そもそも掲げた理想が何だったのかよく分らなかったので、支持できませんでしたが、少なくとも震災以降の脱原発の方針だけは支持するに値しました。しかし野田内閣は、支持するに値する政策が何かあるでしょうか。私には、いくら探しても一つも見つかりません。「国交相英断」に感謝する自民議員…八ッ場ダム八ッ場ダム(群馬県長野原町)事業の推進を求める自民党の議員連盟は26日、国会内で総会を開き、野田政権の建設継続の決定について意見交換した。会長の佐田玄一郎元行政改革相(衆院比例北関東ブロック)は「前田国土交通相の英断に心から感謝する。マニフェスト(衆院選選挙公約)のために国民の生命、財産を危機に陥れることは許されない」と述べ、小渕優子衆院議員(群馬5区)も「地元も良い気持ちで新年を迎えられる」と述べるなど、政府対応を評価する声が相次いだ。-----私は、民主党の中で前原という政治家は非常に嫌いです。しかし、その嫌いな前原の主張の中でも、数少ない「支持できる政策」が、八ッ場ダム建設中止でした。しかし、そのダム建設中止という方針を、民主党はあっさり撤回してしまった。前原は撤回に反対したようですが、結局は押し切られてしまった。そして、それを「英断」だと喜んでいるのが自民党です。そして、同時に整備新幹線も3区間で着工だそうです。北海道新幹線(函館-札幌)は、採算が取れそうな気がしますが、あとの2区間(北陸新幹線と九州新幹線)は、どう考えても巨大な工事費に見合うとは思えないのです。さらに、以前記事を書いた次期主力戦闘機という無駄な買い物を、よりによって震災後で不況の今決めてしまった。自民党に喜んでもらえる民主党コンクリートから人へ、でもやっぱりコンクリートの方が良い民主党自民党時代と変わらない勢いで財政赤字を増やし続ける民主党・・・・・・何のために政権交代したんでしょうか。自民党から、看板の違う自民党に政権交代しただけじゃないですか。もはや野田内閣(民主党)に何の期待もできないし、何の評価すべき点もありません。もちろん自民党も同様ですが。
2011.12.26
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・・・・・・来年以降もずっと続く話なので、総決算というには早すぎるかも知れませんが、12月分の電気使用料の通知が来ました。今月は161kwh、昨年比で38%減でした。1年間トータルで見ると、昨年が約3460kwh、今年は約2560kwhで、26%減でした。ただし、地震後の4月から12月までに限定すると、35%減になります。冬場の節電は、エアコンを使わないことに尽きます。夏と違って、冬場はガス暖房という別の手段もありますから。もっとも、居間にはエアコンとガス暖房がありますが、寝室にはエアコンしかありません。でも、寝室では、布団をかぶっていればいいので、この冬のエアコンの稼働時間は、まだ30分くらいです。その分、ガスの消費量は増えているかと思いきや、実はそうでもありません。今月のガス使用料は年が明けないと分からないのですが、先月までの11ヶ月間のトータルで見ると、ガスの使用量も昨年の1割減になっています。今月のガス消費量がよほどとんでもない数字でない限り、年間のガス使用量が昨年を超えることはなさそうです。つまり、光熱費全体が昨年比で大幅減になっているわけです。それにしても、節電に関して我が家がやったことと言えば○エアコンを最小限しか使わない○照明は最小限、かつこまめに消灯○家電(主に冷蔵庫とテレビ)やパソコンは省エネモードに設定この3つだけです。省エネモードは、最初に設定するだけで、以降何もする必要がないので、実質的に気を遣ったのは上の2項目だけ。たったこれだけで35%減にもなるとは思いませんでした。何かすごく面倒とか、不便ということはありませんから、来年以降もこのままずっと続けられそうです。その副産物で、我が家の電気代は昨年比1万7千円あまりのマイナスです。節電のための家電製品買い換えは特にしていませんが、夏前に炊飯器がぶっ壊れたので新しい炊飯器に買い換えました。それに、居間の蛍光灯の安定器がへたってしまい、ちらつきが酷くなったきたので、思い切ってインバーター照明に交換しました。※そういえば、秋口に電気ポットも壊れました。新しい電気ポットは買わず、これを機に電気ポットは止めてしまいました。あと、古いノートパソコンを復活させて、一時は頻繁に使っていましたが、やっぱり動作が遅いし、YouTubeですらカクカクになるので、最近は使用頻度が減ってきました。冷蔵庫やエアコンも、きっと最新製品に取り替えれば消費電力も減るのでしょうが、壊れてもいない家電製品を買い換える気にはならないものです。もっとも、冷蔵庫もエアコンも、結婚したときに購入したので、もうじき10年になります。やはり結婚したときにもらった炊飯器がこの夏に壊れましたし、冷蔵庫もエアコンも、あと数年でしょうか。買い換えた暁には、電気の使用量も更に減る、のかな?もっとも、5月末に主要な家電製品の消費電力を調べたところ、冷蔵庫はカタログに唄っている消費電力と実際の消費電力が大違いであることに気がついてしまいました。(→関連記事)9年使っている冷蔵庫なので、コンプレッサーの効率が落ちているのかも知れませんが、カタログデータの過信は禁物です。
2011.12.25
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上高地に行ってきました。当初予定では八ヶ岳に行こうと思っていたのですが、事前情報で雪が全然ないようなので、少しは雪が多そうな北アルプスに目標を変更したのです。西穂高独標でもいいかなと思ったけど、この2月に行ったばかりですしね。もちろん、今の時期は上高地にバスは走っていません。昨日午後東京を出て、昨晩は平湯温泉に1泊、今朝中ノ湯から歩いて上高地を目指しました。釜トンネルの入り口です。今の時期は入り口のゲートが閉鎖されています。(歩行者は通過可能)ただし、実際には工事関係車両が出入りしています。9年前に、職場の同僚と一度上高地から冬に下山したことがあるのです。(西穂山荘から下りてきて、下山のみ)そのときは、まだ旧釜トンネルで、路面はカチカチに凍結していて、結構怖かった記憶があります。でも、付け替えられた現在の釜トンネルは路面に流水の流れ込んでいる場所はなく、凍結もありませんでした。歩きやすかった。おまけに、ヘッドランプを用意していったのに、トンネル内は照明まで点灯しているし(ヘッドランプ、いらないじゃん)。トンネルの距離は1300mくらいのようですね。もっと短いような感覚でしたが。釜トンネル出口です。実は、帰りにこの出口のところでケーナを吹きました。(それについては後述)釜トンネルを出ると、程なく焼岳が見えてきました。このとき、時間は9時半頃だったかな、この時間帯は、雲は多いながらも頭上は晴れ間が広がっていました。このあと、私は道を間違えてしまいまして、本来のバス道ではなく、梓川対岸の工事用道路に入り込んでしまったようです。何だかバスで見覚えのある道じゃないなあ、もう少し広い道じゃなかったかなあ、工事用車両が行ったり来たりしているなあ(と言っても、1時間に3回か4回くらいだけど)、だいたい、いつまで経っても大正池に着かないのは何故?でも、前穂高岳が目の前に見えているので、少なくとも大筋で間違えた方向に行っていないのは間違いなさそうです。というか、と思っていたら、上高地のホテル群が遠くに見えてきました。ああ、どうやら道を間違えたんだなと、今頃になって気がつきました。いや、だって上高地だし、視界も充分だし、ずっと前穂高が見えていたから、どのルートを通ったってどうせ最後は上高地に着くので、あまり真剣に道を確かめていませんでした。でも、今日は土曜日だからよかったけど、平日だったら工事車両も多くて、怒られたかも知れませんね。とはいえ、多少ではあれ工事車両が行き交い、重機が土木作業をしているんですよ。冬の上高地は無人で静寂の地と思ったら、大違いでした。他には風の音しかないから、工事の音は目立つのです。上高地バスターミナル目前です。ここまで来ると工事の音も聞こえません。しかし、釜トンネルを越えた頃は、頭上は晴れていましたが、この時間になるとどんより曇ってきました。天気予報は、強い冬型と報じていましたっけ。天気図を見たら、何だか爆弾低気圧みたいな気配。この先で、田代橋を対岸(バスターミナルのある側)に渡りました。上高地バスターミナルに着きました。ゴールデンウィークや夏休み時期はあんなに混雑するのに、今はまったく無人です。「廃墟ブーム」というのがあるそうですが、これぞまさしく廃墟ですね。ただし、1年のうち5ヶ月間限定の廃墟ですけど。更に進んで、河童橋に着きました。ここも無人・・・・・・ではありませんでした。この写真では人が写っていませんが、実際には10人前後の登山者がいました。冬の上高地には、前述の工事関係者もそうですが、登山者も結構いるのです。更に進んで小梨平のキャンプ地に行くと、テントが10張りくらいありました。私も、テント泊にしようかなと思っていたのですが、諸事情により止めました。昨日、朝早い出発が不可能になってしまったことが最大の原因。中ノ湯を朝9時に出て、河童橋着が11時。これならもう少し行けるかと思って、小梨平を超えて更に進みました。釜トンネルを越えたばかりの時は、雪は数センチという感じでしたが、ここまで来ると20センチ以上はありそうです。できれば明神まで行きたかったのですが、日帰りなので、途中で諦めて引き返しました。河童橋まで引き返したところで12時。昼飯を食べると、ほどなく雪が降り出しました。でも、まだ下山するのはもったいないなあ。河童橋を渡って対岸に出て撮った写真がこれ。で、この場所でケーナを吹きました。しかし、手袋を外して写真を撮ってそのままケーナを吹いたら、途中で指が「冷たい」を通り越して痛くなってきました。1曲が限界。というか、指間違えまくるし、途中で音が出なくなるし。さて、ここから下山にかかります。雪はだんだん激しくなってきました。スタスタと歩いていたら、ちょうどバスターミナルの対岸のホテル群の前で、何故か水たまりがあったんです。湯気が立っている。なんだろう?と思って、「水たまり」に足を踏み入れた瞬間に、スッテンコロリンとやってしまいました。あっちの方はみずたまりだけど、こっちの方はもうカチカチに凍っていたのです。しまった・・・・。左足が右膝に激しく当たり、なんとゴアテックスの雨具(ズボン)が裂けてしまった(T_T)えーーーーーーーん。2万円もしたのに、まだ2年半しか使っていないのに(先代の雨具はほぼ10年使った)。裂けたのは1センチにも満たない幅なので、修理できないかなあ。しかも、強打した右膝が痛いんですけど^^;まあ、当面は先代の雨具のズボンを流用するしかないか・・・・・・。アイゼンすら付けていないツボ足で蹴って、雨具の生地が破れるとは予想していませんでした。膝の痛いのは、しばらく歩いていたら収まったので、忘れることにしました。しばらく行ったところで、田代橋を対岸に渡りました。行きとは逆方向です。いわば8の字状のコースを取ったわけです。下っていくと、往路は通らなかった大正池の前に出ます。雪のせいか、工事が終わったためか、復路は工事の音がまったく聞こえず、静かな山登り(山下り)になりました。かなりの勢いの降雪になってきましたが、ここでまたケーナを吹きました。雪は激しいものの、気のせいか気温はすこし上がったような。1曲吹き終わっても、指は痛くありませんでした。(でも、やっぱり1曲が限界)これも大正池です。先ほどの写真より少し下ったところです。カモが泳いでいます。マガモです。マガモは上高地で繁殖していますが、越冬までしているとは知りませんでした。冬は当然もっと低いところに渡っているのだと思っていましたが。雄が1羽と雌が2羽いました。カモの仲間で、日本で繁殖しているものはきわめてまれです。カルガモ(東京でも繁殖している)を除くと、このマガモとオシドリくらいじゃないかなあ。ここまでは雪の遊歩道を歩きましたが、ここから先は車道です。雪はどんどん激しくなってきました。2時少し前に釜トンネル着。釜トンネルに10メートルくらい入った頃で、またまたケーナを吹きました。トンネルの中は比較的暖かくて(と言っても、氷点下だと思いますが)、3曲くらい吹けました。しかも、とてつもなく音が響く。あんなすごいエコーは初めての経験です。あれは、ひょっとして1300m離れた反対側の出口まで音が行って返ってきたかもしれません。録音すりゃよかったなあ。しかし、トンネルの音響効果があんなにすごいとは。いつか「釜トンネル・フォルクローレライブ」とかやってましたですねえ。さすがに無理か、私以外のメンバーが誰も参加してくれないだろうから。1回の山行で3回も笛を吹いたのは初めての経験かも。降雪でケーナはびょびしょになったけど、木製のケーナ(10月に川俣で購入したばかり)なので、多少濡れても平気です。ちょっと重い笛なので、もっと軽い竹製のケーナを持っていこうかと思ったのですが、これにしてよかった。アイゼンとピッケルを持っていったのに、結局使わずじまいでした。次はアイゼンとピッケルを使う山にしよう。1月後半になれば八ヶ岳も雪がいっぱいになるでしょう。しかし、山を歩いているうちは良かったけど、東京に帰ってきて、階段を上り下りしたら、右膝が痛い。見てみると、派手に青あざになっています。しばらくランニングは難しいかなあ。
2011.12.24
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北朝鮮の看板アナウンサーが、何ヶ月かテレビに姿を現さないといって話題になっていたそうです。久々に画面に登場したのは、金正日死去の特別放送。独特の抑揚と、感情過多な語り口で、涙まで流したそうですが、シンパシーを感じない人間から見ると、なんともしらけた感じになってしまいます。ところで、金正日死去に当たって藤村官房長官が哀悼の意を示したら、さっそくこれを叩く連中が現れて、「一般的常識、日本的文化の範囲で、私が哀悼の意を表したにすぎない」などと釈明に追い込まれることになったとか。「カケラほどでも北朝鮮に融和的な態度はけしからぬ、そんな奴らは『反日』だ」とばかり、まなじりを決して「失言」を嗅ぎ回る人たちに、私は件の北朝鮮の看板アナウンサーと同じ臭いを感じてしまうのです。確かに金正日の業績が評価しうるものとは、私だってまったく思いません。だけど、国と国の付き合いの中で、「敵」の死に哀悼の意を表するくらいのことはあり得ることです。かつて、太平洋戦争の真っ最中に、フランクリン・D・ルーズベルト米大統領が在任中のまま急死したとき、当時に首相鈴木貫太郎は短波放送を通じて「深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送る」との談話を発表しています。交戦中の敵国にもかかわらずね。藤村官房長官の「哀悼の意」がけしからぬと吹き上がっている連中は、このときの鈴木貫太郎の談話も批判するんでしょうか。そしてもう一つ、金正日が死んだのに野田が街頭演説に出発したのがけしからぬ、といってマスコミは野田を一生懸命叩いているようです。確かに野田の政策は最悪だと私も思います。だけど、叩くところが違うのです。なるほど、過去に金日成が死んだとき特別放送が行われた前例があるそうです。しかし、特別放送が行われるときが必ず重要人物が死んだとき、でもなく、それ以外にも様々な特別放送が行われているようです。今回、日本政府は事前に金正日死去という情報をキャッチできなかった。しかし、報道によると韓国政府や米国政府もこの情報を事前に入手することは出来なかったようです。(中国政府は情報を入手していた)韓国と米国が死亡情報を入手できなかったのに、日本だけが入手できる可能性なんて、まずないでしょう。だいたい、一説によると金正日の死亡の状況(17日に列車内で死去)は事実ではないという話もあります。その根拠は、金正日の専用列車は平壌にいて動いていなかったということと、死亡したとされている時間帯の通信量が平常時と変わらなかったことだそうです。それが事実かどうかは知りませんが、この状況で死亡情報を察知できなかったのは仕方がないことです。「特別放送の予告があったんだから金正日死亡を想定しろ」というのは、「ナマズが騒いだのに地震が来ると想定しなかたのがけしからん」というのに近い。まして、野田は急報を受けて数分で官邸に戻っています。いくら何でも死亡の公式発表から数分で何がどうなるわけでもないでしょう。こんなことは、まったく問題ではないと私は思いますね。
2011.12.21
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もともとアメリカ大陸には弦楽器がなく、従って先住民の伝統的な音楽は笛と太鼓だけで演奏されます。初めて弦楽器を見たインカの人々は、仕方がなく太鼓(ケチュア語で「ティンヤ」)と呼んだと言われます。しかし、それから500年経った現在では、ギターはラテンアメリカで最も重要な楽器になりました。ところでギターってのは誰もが知っている楽器ですけれど、いつの時代からある楽器かはご存じでしょうか。ギターの祖先に当たる弦楽器は古い時代からありましたが、現在の形の6コース6弦のギター(クラシックギター)が完成したのは、1800年前後のことでした。ただし当時のギターは、形は現在と同じですが、今より小振りでした。現在のサイズに大型化したのは、19世紀の終わり、つまり実は完成してからまだ100年ちょっとしか経っていない楽器なのです。ということは、スペイン人がアメリカ大陸を征服した当時、今のギターはまだなかったわけです。ではその当時スペイン人がもっていた弦楽器はどのようなものだったか。当時のヨーロッパで盛んだった弦楽器(撥弦楽器)は主に2つあったようです。一つはリュート。そして、もう一つはビウエラ・デ・マノです。このうち、ギターの祖先となったのはビウエラ・デ・マノだったと考えられています。Wikipediaによると、ビウエラ・デ・マノに関する文献や楽譜はたくさんあるものの、肝心の実物が世界に3台しか現存しておらず、それも互いに形やサイズが異なっているそうです。ただ、現存する3台のうち1台はエクアドルで発見されているので、この楽器が南米大陸に渡っていたは確かです。もう一つはっきりしているのは、ビウエラ・デ・マノは6コース複弦楽器だったこと。複弦というのは、1コースに複数の弦が張ってあることです。現在のギターは、1コースに1本の弦が張ってある単弦楽器です。ビウエラ・デ・マノから、19世紀初頭頃に生まれた現在のギターまでの間には、今日では「ルネサンスギター」「バロックギター」と呼ばれる弦楽器が存在しましたが、これらも複弦楽器です。現代に復元されたビウエラ・デ・マノの演奏動画が、YouTubeにアップされています。前半がビウエラ・デ・マノ、後半はバロックギターのようです。ギターと比べて、どうでしょうか。音は華やかですが、低音は乏しい気がします。ギターが複弦から単弦に変化したのは、巻弦が発明され、低音弦に使われるようになったことが大きく影響しているようです。現在のギターの高音弦は、かつてはガット(羊の腸)、現在はナイロンで作られています。一方低音弦は、低音弦は芯線の周りを針金で巻いた巻き弦が使われていますが、これが発明される前は低音弦にもガット弦が使われていたそうです。ナイロン弦は高音の響きが美しいのですが、低音はあまり豊かに響きません。ガット弦も多分ナイロンと同様でしょう。だから、巻き弦がなかった時代には、低音弦の音量と音質を保つために、複弦が必須だったのでしょう。と、ここで気がつくのは、アンデスのフォルクローレに必ず登場するもう一つの弦楽器、チャランゴのことです。チャランゴもまた、ビウエラ・デ・マノから派生した楽器と言われています。しかし、複弦であること、現在のギターより小型であることなどから、むしろチャランゴの方がギターよりビウエラ・デ・マノの特徴をより多く受け継いでいるのかも知れません。奏法はかなり異なりますが。チャランゴ発祥の地と目されるボリビアのポトシ北部地方には、金属弦を用いた独特のチャランゴとその奏法があります。(現在のチャランゴはナイロン弦を使用)コードで擬似的にメロディーを弾く、独特の奏法が使われます。同じくポトシ北部の弦楽器コンコータ見た目はバロックギターに似ているのですが、フレットが5フレットあたりまでしか刻んでありません^^;そして、同じくビウエラ・デ・マノから派生したと思われる、南米特有の弦楽器が他にもあります。まず、エクアドル・コロンビアの金属弦の複弦ギター「ティプレ」(曲がフォルクローレじゃないけど・・・・・・)これは、確か4コース12弦だったと記憶していますが、どうだったかな。(自分じゃ弾いたことがないのです)そして、ベネズエラのクアトロこれは単弦4コースで、ウクレレに酷似しています。(ウクレレより大型ですが)チャランゴのストロークも独特ですが、このクアトロのストロークというのは、それ以上に独特で、複雑怪奇です。ただのストロークなのに、どういうリズムになっいするのか、よく分からなかったりします。ところで、もう一つのヨーロッパの古弦楽器リュートはどうでしょうか。やはり複弦です。そして、実はリュートから派生した楽器の一つがマンドリンといわれているようです。マンドリンは現在でも複弦ですね。ただし、マンドリンはコード(和音)ではなく短音で旋律を弾く楽器なので、リュートとは奏法はかなり違いますが。リュートはスペインにはほとんど入ってこなかったそうです。ということはアメリカ大陸にも入っていないはずですが、マンドリンは現代のラテンアメリカで比較的よく使われる楽器です。普通のマンドリンは丸底で4コース8弦ですが、南米のマンドリンは平底(フラットマンドリン)で、4コース10弦(高音弦は1コース3本ずつ弦が張ってある)、から4コース12弦(全コース3弦ずつ)もありますが、調弦はヨーロッパのマンドリンと全く同じです。(バイオリンとも同じ)それにしても、これだけラテンアメリカ特有の弦楽器があっても、それでももっとも普遍的でもっとも基礎になる弦楽器は、やっぱりギターなのです。まあ、聞き比べれば分かると思いますが、これらのラテンアメリカで土着化した弦楽器とギターを比べると、ギターの方が明らかに低音が響くのです。ギターはある程度エレキベースの代わりになると書きましたが、さすがにチャランゴやクアトロでは、どう弾いたってベースの代わりにはなりません。だから、100年前、現在の形のクラシックギターが完成したとき、あっという間にラテンアメリカ中に広まったのでしょう。しかし、逆に言うと、ギターに基礎を置くラテンアメリカの民謡はすべて、100年前以降に現在の形になったということでもあります。アンデスのフォルクローレはさらに新しい時代(完成が1960年代)の音楽ですが、そのほかの民謡も、実はそれほど古いものではない、ということです。
2011.12.20
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いや、びっくりしました。健康不安という説は耳にしたことがありますが、まだ69歳だからそんなに高齢というほどではないし、最近も動静が盛んに伝えられていましたからね。列車の中で心筋梗塞で死去というのはびっくりですが、心臓と脳血管の疾病で長期の治療を受けていたとも報じられているので、既に重篤な既往があったのですね。彼のやってきたことの是非はともかくとして、ものすごい精神的な重圧があったであろうことは間違いないでしょう。ただ、曲がりなりにも一国の国家元首で独裁者とされる人物、それも心臓と脳血管の疾病を抱えていた人間ですから、用意できる限り最高級の医師団が控えていたはずだと思うのですが、それでも病院にもたどり着かないうちに死亡というのは、それだけ突然の出来事だったのか、それとも北朝鮮の救急医療体制が、どうしようもない状態なのか、果たしてどっちなんでしょうね。北朝鮮が今後どうなっていくのかは私には分かりませんが、そんなに急に体制が崩壊するとか、戦争に走るとか、そういうことは起こらないんじゃないかと想像しています。北朝鮮が無政府状態のようになることを、中国や韓国は絶対望まないし、米国や日本だって本音の部分では同様でしょう。しかし、それにしても、「偉大なる首領」の次は「偉大なる後継者」ですか。たまたま独裁者のの息子に生まれたというだけで、「偉大なる」とはね・・・・・やっぱり権力の世襲というのは悪弊だと考えざるを得ません。
2011.12.19
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昨日に引き続き、フォルクローレの話です。昨日まではもっぱらアンデス、特にボリビアの音楽についての話ばかりをしていました。しかしそれ以外の国にも、もちろんそれぞれのフォルクローレがあります。ボリビアは、ラテンアメリカ諸国の中でももっとも先住民の割合が高い国の一つです。それに対して、先住民の割合が低い国の代表が、ボリビアの南隣の2つの国、アルゼンチンとチリです。これらの国のフォルクローレはどうなっているのか。まず、アルゼンチンのフォルクローレです。作者のアンドレス・サチャレータは、1876年に生まれ1960年に亡くなっていますので、おそらく第二次大戦前の曲でしょう。サンバと呼ばれる舞曲(ブラジルのサンバとはまったく別物です)で、昨日紹介したボリビアの「クエッカ」という舞曲がアルゼンチンまで広がって変化したものといわれます。スペイン起源の音楽で、使われている楽器は、ピアノ、ギター、フルート、バンドネオン、バイオリン、ボンボ(太鼓)。すべてヨーロッパの楽器です※。※ボンボは、アンデスでも使われる太鼓で、毛の生えたままの動物の皮が張ってあるので、野趣的な見た目からアンデスの伝統楽器のように見えますが、実はスペインの軍楽太鼓が起源で、それがアルゼンチン→ボリビアと伝わったものですというわけで、アルゼンチンのフォルクローレはほぼスペイン系の音楽です。ただし、先住民系の要素がまったくないかというと、そうとも言えません。アルゼンチンのフォルクローレは、「田舎の音楽」です。首都ブエノスアイレスでは、外国の音楽やタンゴなどが流行し、かつてはフォルクローレはあまり知られていなかったのです。アルゼンチンは白人国ですが、地方、特にフォルクローレの盛んな北西部・北東部にはある程度先住民の血を引く人たちがいます。しかも、昔は今よりその割合が高かったとも言われます。アルゼンチンのフォルクローレは、そういった地方のメスティソ(白人系と先住民系の混血)の音楽だったのです。数年前、コンサートツアーの移動中に交通事故に遭い、1人を残して全メンバーが亡くなるという悲惨な最期を遂げたグループなのですが、ギター3本と太鼓と歌だけ。このシンプルな編成もよく見かけます。上記に紹介したサンバと並ぶアルゼンチン・フォルクローレの二大舞曲の一つ、チャカレーラそれにしても、ボリビアとアルゼンチンのフォルクローレは、見た感じではずいぶん違うように見えます。でも、ギターの弾き方は、どちらもほとんど同じです。だから私も、ボリビアのフォルクローレとアルゼンチンのフォルクローレを掛け持ちで演奏できるわけで。一方、チリ。この国にも独自のフォルクローレが沢山あります。特に、ボリビアで紹介したクエッカという形式は、チリでも国民的な舞曲として知られています。ただし、現在では隣国ボリビアのフォルクローレがチリにもかなり流入しています。チリにケーナ、サンポーニャ、チャランゴなどボリビアの楽器が持ち込まれたのは1960年代末のことです。1973年ピノチェトのクーデターによって、ボリビア系の音楽は一時弾圧されましたが(チリでボリビア系の音楽を演奏するのは左派系の音楽グループが多かったため)、一度根付いてしまった音楽は、ちょっとやそっとの弾圧では根絶やしになりませんでした。ピノチェト時代も過去となり、今ではボリビア系のフォルクローレはチリで確固たる地位を築いています。チリ音楽史上に残るヒット曲です。40週だったか50週だったか、ヒットチャートの1位を占め続けた曲です。このグループがピノチェト政権時代に国外追放されていて、帰国禁止が解除されたときに作った曲です。この当時から既にエレキベースを入れていますね。ただ、政治的にはボリビアとチリは大変仲が悪かった。何しろ正式の国交を結んでいません。(領事館はあるが大使館はない)そのため、この2つの国の関係はかなり微妙な問題を抱えています。チリで、ボリビア起源のチャランゴが定着したのはいいのですが、ボリビア人の中には「お前らの楽器じゃないだろう」と思っている人たちもいて、そのあたりから思わぬ対立が噴出することもあります。で、チリでボリビア系ではないフォルクローレというと、検索したらこんなものがありました。タイトルによると、1910年代に撮影されたクエッカの踊りと、1930年代の音源を組み合わせたもののようです。やはり、ギターと太鼓と歌ですね。
2011.12.18
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前回記事はこちらですフォルクローレという言葉は、スペイン語で「民謡」を意味します。しかし、当然のことながら、スペイン語圏(ラテンアメリカ)は、猛烈に広い。メキシコからアルゼンチンの南端まで南北1万kmくらいある。当然「フォルクローレ」と言っても地域によってその中身は相当に違います。私自身は、もっぱらボリビアとアルゼンチン(一部チリとペルーも)のフォルクローレばかりを演奏しているので、それ以外のフォルクローレについては、あまり詳しくありません。ごく大雑把に言うと、「フォルクローレ」は2つの民族的要素が入り混じることによって完成した音楽だと言えます。それは先住民の音楽スペイン系の音楽です(一部は黒人音楽の影響もある)。それがどの程度の濃度で入り混じっているかは、国によりけりですが。まず、先住民の音楽は、こんな感じです。本当は、一口にアメリカ大陸の先住民といっても、様々な民族がおり、当然伝承音楽も民族ごとに千差万別のはずです。しかし、それらの様々な音楽は、既に多くが絶えてしまっています。現在まで絶えずに生き残っている、かつ一定の人気を保っている先住民系音楽は、アンデスの音楽だけです。上記の音楽もアンデスのものです。以前にも書いたように、アメリカ大陸には、15世紀にヨーロッパ人が到達するまで弦楽器というものがありませんでした。だから、伝統的な先住民の音楽は笛と太鼓だけで演奏されます。これは、シクリアーダ、つまりシーク(別名サンポーニャ)と呼ばれる笛の合奏です。でも、よく見てください。「伝統的な先住民の音楽」と書きましたが、そこにしっかりと西洋音楽が潜り込んでいることにお気づきでしょうか。そう、シンバルとスネアドラムです。アンデスにもスネアに似た太鼓(裏側に竹ひごを連ねた共鳴線が張ってある※)があるのですが、スネアの方がよく使われるようです。音量がでかいのと、両手でスティックを持てるようになっているからです。※次に紹介するスペイン系の音楽のYouTube動画で、演奏者の後ろに積み上げてある太鼓との一つが、この「アンデス版スネアもどき」です(置いてあるだけ)。1分27秒辺りで一瞬大写しになります。一方、スペイン系の音楽はどうでしょうか。スペイン系の音楽はラテンアメリカのどこにでもありますが、ボリビアの曲を紹介します。スペインに、エストゥディアンティーナ(トゥーナとも)と呼ばれる、学生(スペイン語で「エストゥディアンテ」)が伝統的な衣装をまとってセレナーダを演奏する風習があり、これが南米各国に入ってきたものです。ギター、マンドリン、チャランゴ、コントラバス、それにコンセルティーナ(アコーディオンの親戚)などの楽器が使われています。この曲では出てきませんが、バイオリンもよく使われますし、コンセルティーナではなくアコーディオンが使われることもあります。この曲は、「クエッカ」という舞曲の形式で作られています。要はボリビア版の社交ダンスなのです。でも、よく見ると、この演奏にも先住民系の楽器が入り込んでいます。ケーナです。つまり、先住民系の音楽もスペイン系の音楽も、もはや純粋性を保ってはいないわけです。それにしても、互いに純粋性を保っていないとは言え、先住民系とスペイン系で音楽は相当に違いますね。これは、音楽的な面ばかりではありません。それぞれの演奏者や踊り手の衣装を見れば分かりますが、ラテンアメリカではスペイン系=上流階級、先住民系=一般庶民です。スペイン系の音楽は上流階級の社交ダンスの音楽であり、先住民系の音楽は貧しい農民や鉱夫の音楽だったのです。1950年代にボリビア革命が起こるまでは、先住民の都市への流入はかなり制限されていたそうですから、同じボリビアの「伝統音楽」と言っても、両者は別の世界の音楽同士だったのです。先住民とスペイン系の間の壁を、(音楽的な面で)ぶち壊した背景には、おそらく前述のボリビア革命(1952年)によって、先住民の都市への流入が解禁されたことがあったのだろうと思います。もちろん、先住民が高級住宅地に住めるようになったわけではありませんが、少なくとも距離的には両者の住む世界は接近し、互いの音楽を聴く機会も激増したことは容易に想像できます。その結果、1960年代に先住民系とスペイン系の音楽を混ぜ合わせた、新しい音楽が生まれます。それが現在世界的に知られるようになっている、いわゆる「フォルクローレ」です。(伝統的な音楽との違いを特に強調する場合は「ネオ・フォルクローレ」という言い方をすることもありますが、あまり一般的ではない)冒頭に挙げた先住民系の音楽「シクリアーダ」を弦楽器の伴奏と歌付にした曲です。スネアのリズムがそのままチャランゴに置き換わっています。根の部分はシクリアーダですが、笛と太鼓だけの演奏とはかなり違っていることが分かります。それでも、この演奏は現代のフォルクローレの中ではどちらかというと泥臭い部類に入ります。さらに現代的な演奏になると、こんな感じですこれも現在のフォルクローレです。スペイン系のリズムで作られた曲です(先住民の音楽に6/8拍子はなかった)が、前述のエストゥディアンティーナとは、これもまたずいぶん雰囲気が違います。このような、現代的なフォルクローレが完成した時代は意外に新しく、1960年代頃のことです。せいぜい50年くらいの歴史しかありません。---で、ここまではフォルクローレの話ですが、よく考えてみると日本の「民謡」だって、少なくとも商業的に録音されているものは、フォルクローレと同様に、純然たる伝統音楽ではなく、西洋音楽との混血であることに気がつきます。ただし、日本の場合はボリビアと違って、西洋音楽と邦楽の間に民族や社会階層上の違いがあるわけではありませんが。楽器も和洋折衷ですし、日本の伝統音楽か西洋音楽かといわれたら、どっちでもありどっちでもない、と答えるしかありません。沖縄民謡、でしょうか・・・・・・しかし、曲はボブ・マーリーのものですし、楽器も三線以外は西洋楽器です。つまり、フォルクローレと同じことは世界中の民俗音楽(から発展した商業音楽)に起こっている、ということですね。
2011.12.17
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1942年、太平洋戦争の転機といわれたのがガダルカナル島の戦いです。ソロモン諸島の南端近くに位置する、東西に137キロ、南北に45キロ、面積5300平方キロの、熱帯ジャングルに覆われた島を巡って、同年8月から日本軍が撤退する翌年3月まで日米が激戦を繰り広げました。日本海軍は、米国(ハワイ)とオーストラリアの連絡を遮断するため、フィジー・サモア・ニューカレドニアなどの南太平洋上の島々を占領することを計画し、その前線基地としてガダルカナル島に目を付けました。6月にミッドウェー海戦で日本軍が大敗し、空母4隻を一挙に失ったことから、フィジー・サモア・ニューカレドニア攻略作戦は一時中止となりますが、ガダルカナル島の飛行場建設は続行されました。8月5日に飛行場は完成するのですが、その2日後の8月7日に米軍が海兵隊1個師団を上陸させます。このときガダルカナルにいた日本軍は2800名ほどですが、大半が飛行場建設の労務者で、武装した兵力は550人ほどに過ぎませんでした。対して上陸した米軍は1万人以上ですから、もちろん勝負にもなりません。飛行場はあっという間に占領され、日本軍はジャングルに逃げ込みます。陸軍は、急遽飛行場奪回のための部隊を差し向けました。ミッドウェー島上陸作戦に予定されていた歩兵第28連隊麾下1個大隊を中心とする、兵力2000名です。通称一木支隊と呼ばれます。彼等が乗っていた輸送船はあまりに低速のため、このうちの900人が高速の駆逐艦に移乗して、ガダルカナル島に先行しました。1個師団の米軍に対して圧倒的な小兵力ですが、彼等自身はそう思っていなかったのです。米軍上陸の時点では、日本側は米軍の兵力を比較的正確に把握していたにもかかわらず、その後根拠のない思いこみから敵兵力の見積もりをどんどん減らし、最終的に敵は2000人と見ていたのです。一木支隊長が「ツラギ(ガダルカナルの隣の島で、同時に米軍に占領された)もうちの部隊で取っていいか」と上級部隊の参謀に問い合わせたというエピソードからも、彼等がきわめて気楽に考えていたことは疑いありません。8月18日、一木支隊第一挺団900人がガダルカナル島に上陸しました。20日深夜に一木支隊と米軍が衝突、たった1日の戦闘で一木支隊は壊滅し、支隊長一木大佐は行方不明、生存者百数十名という結果になりました。陸軍は、次いで歩兵第35旅団(川口支隊)を派遣します。兵力は約4000人。今度はジャングルの中に道を切り開いて、ひそかに飛行場に近づき、奇襲攻撃をかけるという作戦を考えます。発想は面白いのですが、肝心なことが忘れられていました。ガダルカナル島の地図がない、土木機械もないということです。地図もなくスコップとツルハシで密林に道を切り開けというのだから、こんなメチャクチャな話はないのです。案の定、攻撃予定日、多くの部隊はジャングルの中で自らの位置すら見失い、米軍と接触することすら出来ませんでした。わずかな部隊が米軍に攻撃をかけ、一時的に飛行場近くまで到達するものの、結局は撃退されて、再び作戦は失敗しました。三度目は歩兵第2師団(丸山師団)が派遣されました。今度は、重砲と戦車も大量に用意し、火力で米軍を正面から打ち破る、という作戦です。しかし、それらの重火器をどうやってガダルカナル島まで運ぶかが問題でした。ガダルカナル島上空の制空権は米軍が握っていたからです。日本海軍は戦艦を送り込んで飛行場を猛砲撃によって破壊し、米軍機が動けない間に輸送船を送り込もうとしました。輸送船は、ガダルカナル島まではたどり着いたのですが、米軍はほんの数機の戦闘機と爆撃機が生き残っており、それらの飛行機の爆撃によって上陸作戦の最中に輸送船の大半が撃沈されました。歩兵は上陸しましたが、重火器や弾薬、食糧は多くが失われました。大砲が揃わないので、丸山師団も結局は先の川口支隊と同じく、ジャングルに道を切り開いて飛行場に奇襲をかける、という作戦に変更し、同じような経過によって失敗しました。日本軍はそれでもまだ懲りず、今度は第38師団を送り込みます。前回成功した戦艦による艦砲射撃を計画しましたが、今度は米軍の艦隊に待ち伏せされて激しい海戦となり、派遣した2隻の戦艦とも撃沈されました。輸送船団は猛爆撃に晒されて、部隊はほとんど水没しました。米軍機の爆撃によってガダルカナル島への輸送は困難を極め、食糧が不足して上陸した日本兵は飢餓地獄に陥りました。ガダルカナルの頭文字をもじって、「餓島」と呼ばれるようになります。恐ろしい、しかしきわめて正確な生命判断が流行るようになったそうです。立つことの出来る人間は、寿命30日間。身体を起して座れる人間は、3週間。寝たきり起きれない人間は、1週間。寝たまま小便をするものは、3日間。もの言わなくなったものは、2日間。またたきしなくなったものは、明日。こと、ここに至って、日本軍もついに作戦の中止を決断しました。1942年12月のことです。実際の撤退は翌年2月。派遣された兵力は約3万人、撤退したのは1万人で、戦死者は2万人ですが、このうち実際の戦闘での死者は5000人程度で、残りの15000人は餓死者といわれます。失った航空機は約900機、航空機搭乗員の戦死は2000人以上、戦艦2隻と軽空母1隻、巡洋艦5隻、そして艦隊の手足となる駆逐艦が15隻も撃沈されたことも致命的でした。日本軍は、ここて一挙に継戦能力をすり潰して、戦争の主導権を失い、そのまま敗北への道を転がり落ち続けたのです。この島から撤退するとき、日本軍はそれを「目的を達したので転進」と発表しました。もちろん、実際には負けて撤退したのですが。終息してもいない原発事故を「冷温停止」などとうそぶいている首相も、やっていることは同じとしか思えないのです。ただ、1942年当時の日本は情報統制していましたから、国民の多くは「本当は負けて撤退した」という事実を知らなかった(さすがに、戦争末期には多くの人が大本営発表のウソに気づいていたでしょうが、緒戦の段階ではそこまで気づく人は少なかった)。しかし、現在ではそうはいかない。いくら首相が「冷温停止」と言ったところで、そんなものを事実だと信じる人はあまりいない。そうやって考えると、ガダルカナルの戦いと原発政策に奇妙な一致点があるように、私には思えます。根拠もなく敵を見くびり、「無敵皇軍」という神話に酔って手痛い失敗を犯したことです。放っておくと、もう一つ一致点が出来てしまうかも知れません。ガダルカナルの日本軍は、一度失敗してもまた新たな部隊を送り込んで、またまた同じ失敗を繰り返しました。こういうやり方を「兵力の逐次投入」と呼び、「やってはいけない軍事の常識」の一つです。それを日本軍はやってしまった。いつまでも勝ち目のない戦いにこだわらずに、もっと早く撤退すべきだったのです。原発も、一度手痛い失敗をしました。この失敗を取り戻すことは出来ませんが、今撤退すれば、更に失敗を繰り返すことは避けられます。しかし、今引き返さなければ・・・・・・。
2011.12.16
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<福島第1原発>廃炉まで最長40年…経産省・東電東京電力福島第1原発1~4号機の廃炉処理について、経済産業省と東電が作成した廃炉工程表の全容が15日分かった。使用済み核燃料プールの燃料や、原子炉内の溶融燃料の回収などを3段階に分けて実施し、廃炉終了まで30~40年間を要するとの計画を盛り込んだ。政府と東電は16日に原子炉の「冷温停止状態」を宣言後、今月下旬に廃炉工程表を発表する。廃炉工程表は、プール内の燃料を回収する第1期(来年~2014年)▽格納容器修復などを実施する第2期(15~21年)▽原子炉内の溶融燃料を取り出す第3期(22年~)--と設定した。第1期では、各号機の燃料を保管する共用プールから燃料を順次取り出し、2年後の14年に4号機のプールから燃料の回収を始める。内閣府原子力委員会の専門部会は、プール燃料の回収時期について「15年以降」と提言していたが、細野豪志・原発事故担当相の指示を受けて、これより1年前倒しした。第2期では、損傷した格納容器を修復したうえで、燃料から出る放射線を遮蔽(しゃへい)するため、格納容器全体を水で満たす冠水(水棺)を実施する。第3期では、遠隔操作クレーンで溶融燃料の取り出しを始め、終了は最短でも30年後(42年)。燃料の回収が難航すれば最長で40年後(52年)になるとした。1~4号機のプール内には3108本、1~3号機の原子炉内には1496本の燃料が残っており、廃炉にはこれらをすべて回収する必要がある。廃炉工程表は1~4号機が対象。5、6号機や第2原発1~4号機も廃炉になればさらに時間を要する恐れもある。----廃炉までの所要時間については以前にも記事を書いたことがあります。そもそも、廃炉の前例自体がない廃炉までの所要期間はっきり言って、30年以上というのも数十年というのも大甘の見通しだと私は思いました。でも、少なくともウソではないのです。だって、50年とか80年だって確かに30年以上だし、数十年とも呼べますから。だけど、今回経産省はた40年「以内」と言ってしまいました。はあ、はっきり言って不可能だろうと思います。以前の記事でも書きましたが、事故ではなく運転終了した通常の原発の廃炉作業でも、二十数年の期間が必要とされています。スリーマイル島原発は、今回の事故より規模の小さな事故でしたが、発生以来32年経過した現在でもまだ廃炉は終わっていません。スリーマイルの場合は、炉心溶融は起こしましたが、原子炉の圧力容器そのものは壊れていませんでした。しかし原子炉内から燃料棒を取り出すのに10年以上かかっています。圧力容器も格納容器もぐちゃぐちゃに壊れて、その下のコンクリートにまで食い込んでいる核燃料をどうやって取り出すのかが大問題です。全部無人で作業できるなら良いのですが、残念ながらそうはいきそうにありません。極めて高い放射線レベルの中での作業ですから、人間にとっては大変な危険が伴うわけで、所要時間も見当が付かないというところではないでしょうか。まあ、一つはっきり言えることは、「40年以内」とブチ上げて、40年後にそれがウソだと分かったときには、その決定に携わった人間はもう現役ではないだろうということです。責任を追及される頃にはその地位にいないんだから、どんな楽観的な見通しでも作れるでしょう。で、別の記事によると野田首相、16日に冷温停止宣言=福島第1原発、「ステップ2」達成野田佳彦首相は16日、首相官邸で記者会見し、東京電力福島第1原発の事故をめぐり、原子炉の冷温停止状態の達成を宣言する。これに先立ち、政府は同日、首相が本部長を務める原子力災害対策本部を開き、原子炉の冷温停止状態が達成できたとして、事故収束に向けた工程表「ステップ2」完了を決定する。政府は冷温停止状態の目標時期について当初は来年1月としていたが、その後、年内に前倒しした。冷温停止状態は、原子炉圧力容器底部の温度が100度以下であることと、放射性物質の放射抑制・管理ができていることが条件。東電は既に「目標を達成している」との見解を示していた。----何だか「宣言先にありき」みたいな印象を受けます。そう思っていたら、これに対する痛烈な批判が、東電OBからなされてたそうです。冷温停止「事故原発には使わない」=元東電社員の蓮池透さん講演―佐賀北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の元副代表で、東京電力に30年余り勤めた蓮池透さん(56)が15日午後、佐賀市内で講演した。東電福島第1原発事故で野田佳彦首相が16日にも示すとされる冷温停止宣言について、蓮池さんは「冷温停止は、正常な原発に使う言葉。事故を起こした原発に冷温停止という概念はない」と断じた。蓮池さんは約400人の聴衆を前に、同宣言は「前のめりのやり方」と批判。「早く原子炉格納容器の中を把握する方法を実施すべきだ。それからでも遅くない」などと訴えた。冒頭では、同原発で保守管理者や原子力燃料サイクル部長を務めた立場から、「ご迷惑を掛けて申し訳ない」と謝罪。大津波が事故の主因とされる点については、「想定していなかった。防波堤を高くするなど防ぎようがあった」と述べた。 ----まったくそのとおりだと私は思います。だいたい、毎時何トンという注水を続けて、やっと100度を切る温度に漕ぎ着けた、という状態を「冷温」とも「停止」とも私には思えないのです。結局、原発事故が収まったかのように、言葉の上だけで取り繕っている、というだけのことでしょう。
2011.12.15
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次期主力戦闘機:F35を選定へ 高いステルス性能政府は13日、航空自衛隊のF4戦闘機の後継となる次期主力戦闘機(FX)について、米国を中心に9カ国が共同開発中の最新鋭ステルス戦闘機F35を選定する方針を固めた。敵のレーダーに探知されにくい高いステルス性を備えているのが特徴で、ステルス機を開発中の中国などに対抗する狙いがある。16日に安全保障会議(議長・野田佳彦首相)を開いて正式決定し、閣議了解する見通し。16年度から導入を開始し、最終的に約40機を取得する計画だ。防衛省は12年度予算案の概算要求で4機分の取得経費551億円を計上している。FXの候補だったのは、F35(米ロッキード・マーチン社)▽米国が開発したFA18(米ボーイング社)▽英独など欧州4カ国が開発したユーロファイター(英BAEシステムズ社など)の3機種。F35とFA18は米政府が、ユーロファイターは英政府などがそれぞれ提案していた。防衛省は9月下旬から3機種の提案書について、ステルス性、電子戦能力、航空阻止能力などの性能▽導入から廃棄までのコスト▽製造・修理への国内企業の参画▽機体整備など納入後の支援態勢--の4分野で採点した。F35は高度のステルス性能を備え、米軍も導入する予定。中国やロシアがステルス機を開発中であることや、日米同盟強化のため米軍との連携のしやすさを重視した結果、他2機種より得点が高かったとみられる。F35は開発が遅れ気味で、防衛省が求める16年度中の納入に間に合わない可能性が指摘されたが、米側は間に合うと主張した。現在、空自が保有する戦闘機はF4、F15、F2の3種類で計361機。配備開始が73年と最も古いF4は現在67機あるが老朽化が進んでおり、政府は11~15年度の中期防衛力整備計画(中期防)に「新戦闘機」12機の調達方針を明記した。----航空自衛隊の次期主力戦闘機については、このブログでも何度か取り上げています。そんなにF22が欲しいのか立ち往生しているのは誰か高価なオモチャなんかやめてしまえF2戦闘機が生産終了だそうですこれら過去の記事の中でも何度も書いてきましたが、私は基本的に次期主力戦闘機なんていらない、と考えています。冒頭の引用記事にもあるように、現在航空自衛隊の保有する戦闘機は、361機もあります※。内訳は、F15が201機、F2が93機、F4が67機です。その全部を「いらない」とまでは私も言いませんが、361機(実質343機)のうちの67機分くらいは、減らしたってどうということはありません。何も震災の復興費用をどうやって捻出しようかと国中が揉めているときに、こんなに高価で、戦争がない限り何の役にも立たないオモチャを買うことなんか決めなくていいのに。※実際には、このうちF2戦闘機18機が今回の震災で津波によって壊れています。うち6機は修復される予定ですが、12機は修復不可能とのこと。もっとも、次期主力戦闘機にF35を選定した時点で、実質的に自衛隊の戦闘機の数が減ることは確定的になりました。何故かというと、F35の開発は遅れに遅れているからです。開発費もうなぎ登りに増大している。ただでさえ遅れているのに、日本がFXの選定結果を発表しようというまさにそのときに、こんな報道がありました。F35 開発2年延長 米国防総省方針 日本2016年導入困難航空自衛隊の次期主力戦闘機(FX)の選定作業が大詰めを迎える中、有力候補であるステルス戦闘機F35に多数の亀裂が見つかったのを受け、米国防総省がF35の開発調達計画を2年間遅らせる見通しとなった。複数の国防総省関係者が明らかにした。同省の諮問機関「国防調達委員会(DAB)」が来年1月の会合で延長を決める方針。方針を受けてF35の運用開始は、当初の2017年から19年以降にずれ込むことが確実となり、日本のFX調達計画も抜本的な見直しが迫られそうだ。(中略)加えて、国防総省内には、当初6500万ドル(約48億円)とみられた調達費が「3倍近くになる」(関係者)との見方がある。同省は増加分の負担をめぐり、製造元のロッキード・マーチン社と協議中だ。国防総省はこれまで、運用試験の開始が「17年春にずれ込む」(ギルモア装備評価担当局長)との見方を示していたが、DABの決定により、19年以降に延期となるのは確実だ。日本政府は16、17年度にそれぞれ4機ずつの導入を予定しているが、「共同開発国でもない日本が16年に導入できる可能性はほとんどゼロ」(米関係者)とみられる。----記事によると、米軍の運用試験の開始が2019年になるというのだから、実戦力となるのは更にその数年後です。日本が導入できるのも、早くて2020年代前半ということになるでしょう。つまり、今から10年後です。もちろん、全機同時に購入できるわけではないので、数が揃うには更に数年かかる。しかも、今後も更にトラブルが発生すれば、開発がもっと遅れる可能性もあるわけです。価格もどこまで上がるのか、想像もつきません。今は円高だから相対的に安く見えますが、15年後の円高かどうかなんて、誰にも分かりませんからね。一方、F35が代替する予定のF4EJ戦闘機は1971年に導入が始まり、1981年まで生産されています。様々な延命措置で退役を先延ばしにしていますが、さすがにあと10年も保つわけがない。つまりF4が退役するまでにF35の配備は間に合わないことが明らかなのです。それどころか、現在主力のF15のうち、初期に導入された機体の退役時期にさしかかる可能性があります。そうなったら、F35はF4の後継ではなくF15の後継になる。F4の後継は?そんなものはいらない、ということです。それにしても、このF35、私は世界に数ある戦闘機の中でも有数の「かっこわるい飛行機」としか思えないんです。私の美的センスが変なのかどうかは分かりませんけどね。私の感覚では、近年の戦闘機の中では2番目にかっこわるい機体です。では一番かっこわるい戦闘機は何かというと、F35と採用を争った、試作戦闘機X32です。↓未だ、こんなにかっこわるい飛行機を他に見たことがありません。まさか、かっこわるいから制式争いで敗退したわけじゃないでしょうが。その他の候補機です。ユーロファイタータイフーンFA18ホーネットそして、現在航空自衛隊主力のF15まあ、ここまでに挙げた飛行機の中では、タイフーンとF15が、一番見た目が美しいかなと思います。欲を言うと、F15はコクピットの後ろ、タイフーンはエアインテークが多少気に入らないですが。ホーネットは、まあF35よりはずっとマシという程度かな。
2011.12.14
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まずは、いきなりですが、YouTubeにアップされているある曲の2つの音源をお聞きください。同じグループの同じ曲です。ボリビアの「カルカス」というグループのTiempo al tiempo(時が経てば)という曲です。1970年代から約40年にわたって活躍するグループですが、この曲は1989年の作品です。上は最初に発表されたときの録音、下は最近(ここ数年)のライブです。聞き比べて、違いにお気づきでしょうか。2つの楽器が、昔の演奏にはなくて、最近の演奏にはあるのです。それは、ドラムセットとエレキベースです。ついでにいえば、ギターも、最近の演奏はピックアップ付のエレアコ(クラシックギターなので、エレガットと言う方が正しいか)を使っているので、サウンドホールにマイクを当てて録音していた時代とは音質が少し違います。で、どちらの演奏の方が良いでしょうか。好みは人それぞれなので一概には言えませんが、昔の録音は低音が欠けるので、音が軽いと感じる人もいるかも知れません。それに比べると、ベースとドラムが入っている現在のスタイルの方が低音は豊かかも知れません。ただし、それは多分に録音技術の問題もあります。何しろ80年代のボリビアの録音スタジオというのは、耳を澄ますと外を走る車の音が聞こえたとか聞こえないとかいう話があるくらいなのです。録音環境はよくない。だから、実際には生で演奏を聴くと、太鼓やギターの音はもう少し低音が響いて聞こえるものです。もともと、フォルクローレという音楽は、ギター(クラシックギター)、チャランゴ、笛(ケーナとサンポーニャ)、太鼓(ボンボ)という楽器を使って演奏される音楽でしたが、いつの頃からか、そこにシンセサイザーが加わったりエレキベースが加わったり、ドラムセットが加わったりするようになってきました。シンセサイザーを多用するグループも増えてきました。フォルクローレのギターは、低音を強調する弾き方をするのが通例ですが、エレキベースが加われば、その必要がないので演奏の自由度が高くなる、ということは言えます。私自身は、正直なところをいえばベースやドラム入りのフォルクローレはあまり好きではありません。ベースはまだ許容範囲ですが、ドラムセットはどうも、というのがあります。だから、上記の「カルカス」も、昔の演奏の方が好きなのです。でも、ドラムやベースの入った演奏が人気を博している、ということも現実です。もちろん、だからといって、どのグループもみんなベースとドラム入りになったわけではありませんけど。まあ、時代とともに変化する、ということなんでしょうね。「フォルクローレ」という言葉自体、もともとは「民俗音楽」あるいは「民謡」という意味ですが、現在では、言葉どおりの「民謡」とは言えず、それをベースにしたポピュラー音楽の一ジャンル(日本でいえば演歌のようなもの)という方が正確ですから。
2011.12.13
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京都議定書を延長 15年の「新体制」採択めざす南アフリカで開かれている気候変動枠組み条約締約国会議(COP17)は11日未明、2012年末で期限切れとなる京都議定書の温室効果ガス削減義務の延長の決定と、すべての国が参加する法的義務のある新体制に向けた行程表を含む「ダーバン合意」を採択し、閉幕した。温室効果ガスを義務的に削減する国際体制を継続、進展させる足がかりになる。日本は議定書延長への参加を拒否し、一時的に削減義務の国際体制から離脱することになる。京都議定書の延長期間は、5年間か8年間とされ、選択の余地を残した。延長は決定文書の中に位置づけられており、正式な改正手続きは来年末のCOP18(カタール)で完了させる。日本はロシア、カナダと同じく削減義務の数値目標の設定を拒否する方針で、先進国に削減義務を課してきた地球温暖化対策の京都体制から離脱することになる。京都議定書の批准国ではあり続ける。一方、COP17では、京都議定書で削減義務を負っていない中国や、同議定書を批准していない米国も義務を負う新体制づくりの行程表でも合意した。新体制は、新議定書も視野に入れた「法的拘束力を持つ枠組み」とし、新しい作業部会を立ち上げて議論を開始する。15年のCOP21で採択し、20年以降の発効を目指すことになった。COP17は、京都議定書の延長期間の長さや、新体制の発効時期などをめぐって各国の意見が対立。最終日の9日を過ぎてもまとまらず、11日未明にようやく合意にこぎつけた。-----今や成長著しい中国やインドにもCO2排出量削減を義務づけるべきである、と先進国側は主張したようです。それ自体はまったく正しい主張です。議定書をから離脱した米国の復帰も求めるべきです。がしかし、それらが認められないからCO2削減の枠組みから離脱する、というのは実に本末転倒な話であると私は思います。結局のところ、地球環境問題がいつの間にか国対国の利害関係にすり替わって、あっちの国が有利なのは許せない、自国に少しでも有利な条件を、などとやり合っているうちに、国境を越えた地球全体の問題がおざなりになってしまっています。以前にも何度となく書いているので、地球温暖化論の真偽を巡る論争について、改めて書くことは避けますが、「地球は温暖化なんてしていない」「CO2は温暖化の主因ではない」と主張する連中が少なからずいます。その中には、残念ながら反原発派の一部(たとえば広瀬隆など)もいる。しかし、これまでのところ私の調べた範囲では、地球は温暖化しているし、その主因が人類の排出したCO2である可能性はかなり高い。環境問題というのは、警告を発する人がいても、それが致命的な事態として現実になるまではなかなか対策が取られない例が多いのが現実です。大気汚染とか公害病とか、最近の例でいえば原発も、その危険性について警告を発する人は少なくなかったけれど、事故という最悪の事態が起こるまでは、「反原発」という動きが具体化することはありませんでした。その中で、CO2削減問題は、問題が致命的な事態として顕在化する以前に世界的規模で対策を取ろうとした、ある種画期的な試みでした。人類の英知が、地球温暖化という事態を未然に食い止めることが出来る・・・・・・かと思ったのですが、残念ながらその試みは破綻に瀕しているようです。結局やっぱり、致命的な事態で痛い目に遭うことでしか学ぶことができないのが、我々人類の宿痾なのかも知れません。現代文明がいつまで続くのか、どういう形で終わりを告げるのかは私には分かりませんが、化石燃料やウランを今のような勢いで使い続けていけば、100年以内には、資源エネルギーの面で立ちゆかなくなることは間違いないと思われます。そのとき、我々の子孫はいったいどうなるんだろうか・・・・・・。
2011.12.12
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今日は皆既月食。先日購入したコンパクトデジカメで撮影を試みたのですが、あまり上手く撮れませんでした。敗因その1 ちゃんとした三脚が行方不明になってしまいました。やむを得ず卓上用の小さな三脚を使ってしまった。敗因その2 一眼レフと違って、コンパクトデジカメはレリースが使えない。ちゃちな三脚にレリースなしでは、どうやったってシャッターを押すときに手ブレが起きてしまいます。何しろシャッター速度は15秒とかですからねえ。残念ながらほとんどの写真が失敗でした。月が欠け始めた頃。この写真は唯一うまく撮れています。まだ月が明るいので、シャッタースピードがそんなに長くなかったから。同じ写真をあまり縮小していないもの皆既月食になった辺り。ぶれて二重写りになっていますが、それでもこれは比較的マトモな写りです。同じ写真をあまり縮小していまいもの。これが比較的マトモなんだから、他は推して知るべし。これは、このくらいに縮小すれば見られる写真です。アップだとピンぼけしてますが。そしてもう一つ、このデジカメはISO3200までの感度がありますが、とりあえずISO1600てせ撮ってみたところ、粒子が粗くてちょっと鑑賞に耐える感じではありません。上記の写真はISO80とISO400で撮ったものです。鑑賞に耐えると言うところではISO400が限界かも。星の写真は初めて撮ったのですが、難しいですねえ。あの三脚があれば・・・・・・、またはレリースが使えるカメラなら。まあ、今更言っても仕方がないですが。ところで、次の皆既月食は2014年10月8日だそうです。日本全国で観測できるそうです。そう考えると、皆既月食は案外そんなに珍しい天体ショーでもないですね。皆既日食の方が珍しいかな。来年5月21日に東京で金環食が見られますが。(晴れれば、ね)
2011.12.11
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本日は、以前の日記で紹介した「さよなら原発集会」に行ってきました。9月に比べるとだいぶ小規模でした。参加者数は、主催者発表で5500人と言っていましたが、私の見るところ、会場内(日比谷野外音楽堂、立席含めて定員3000人)はほぼ満席でしたが、会場外に溢れ出ている参加者はせいぜい数百人くらいなので、実参加者は三千数百人というところではないかと思います。いずれにしても、6万人を集めた9月の集会よりはかなり小規模でした。(あのときの6万人は、主催者発表より実数の方が多かった印象です)実は、私の周囲にも誰も参加する人がいなくて、1人で参加しました。デモ行進自体も、待ち時間はほとんどありませんでした。さて、話は変わりますが・・・・・・---批判職員突き止め「反省の弁」…橋下氏「一件落着!」「僕の民意と違う」-。大阪ダブル選の選挙結果について、テレビインタビューで感想を述べた市職員を問題視していた大阪市の次期市長、橋下徹氏は、市総務局に事実確認を指示。当該の市職員を特定し、部局を通じ「反省の弁」を述べさせていたこと明らかにした。この職員は、投開票日翌日の11月28日、市役所に出勤した際にマスコミのインタビューに応じ「僕の考えている民意とは違う」とコメントしていた。このほか、別の番組で橋下氏が代表を務める大阪維新の会について「向こうの考えている二重行政は分からない」と発言した職員についても、同様の措置を取ったという。総務局長から「職員は真摯(しんし)に受け止め反省している」との報告を受けたという橋下氏。「この2人の職員との問題は一件落着した」と溜飲(りゅういん)を下げた様子。一方で「行政上の主張や反対論はしっかり言ってほしい」とも語った。-----これは市役所前で出勤途中の職員にマスコミがマイクを突きつけてしゃべらせたコメントでしょう。出勤途中ということは、まだ勤務時間外のはずです。勤務時間外に私的に発言した内容について、(法に反するような内容なら話は別ですが)市長が「犯人捜し」をやって、つるし上げて反省文を書かせる、とはどういうことかと思います。もちろん、「僕の民意と違う」という発言内容が正しいかどうかは別にして、ですよ。橋下が選挙で当選した以上、業務上彼には職員に対して指示を下す権限があるし、職員はそれに従う義務があります。しかし、勤務時間外の言動まで統制する、どのような権限が橋下にあるのでしょう。業務上の権限によって、職員の勤務時間外の発言まで監視し威嚇するのは、公私混同であり、行政の私物化であると言われても仕方がないでしょう。まあ、一言でいえば度量が狭いとしか思えないのです。橋下は、自分に多数の支持があるから、何をやってもよいと思っているのかも知れません。かつての懲戒請求煽動事件のように。まあ、今のところは民意を味方に付けて「我が世の春」を謳歌していますが、先々はどうでしょうか。
2011.12.10
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今日は12月85日、真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まってからちょうど70年です。70年・・・・・・・・私が子どもの頃は、太平洋戦争を直接体験した大人が周囲にいくらでもいたけれど、今や学童疎開世代ですらも70歳を遙かに超えています。(一昨年他界した父は、学童疎開の一番下の世代で、生きていれば76歳)母は敗戦時に小学校1年ですから、戦争を直接「体験した」と言えるもっとも若い世代(実際、空襲で逃げ回っている)ですが、73歳。戦争体験が縁遠くもなるわけです。太平洋戦争開戦に至る経緯を追った「御前会議」(文春文庫)の著者五味川純平は、同書の後書きに、こんなことを書いています。そのころ私は巨大な製鉄会社の青年社員であったが、私の周囲では対米強硬外交を期待する声が強かったことを記憶している。当時の製鋼法は屑鉄製鋼法が主であったし、その屑鉄の輸入先はほとんどが米国であったから、米国から鉄屑の輸入規制をやられると、日本の製鋼業が受ける打撃は甚大であった。したがって、日米交渉は妥結してほしいが、そのためには強い態度が望ましい、場合によっては一戦を賭してでも要求を貫徹すべきだというのが一般の空気だったようである。私自身に関していえば、調査関係の職務上、私の机にはほぼ1年遅れで列国の戦略重要物資の生産高に関する数字が集っていた。それによると、本文にも記したように、石油、銑鉄、綱塊、銅、アルミニウム、その他十数品目の日米生産高の比較は、算術平均値をとると、米国の74に対して日本の1であった。比較にならない数字である。戦争など出来る数字ではなかった。だから、私は、一青年社員に過ぎない私にさえ基礎的判断材料があるくらいだから、企画院、陸海両省、商工省などには精密な資料があって、それらは戦争など出来ないことを示しているはずである、したがって、日米交渉で日本がどのように強硬な態度を見せるにしても、最後的には妥協して戦争は回避されるはずである、と考えていた。事実は一青年の予想を完全に覆した。私がファシズムの論理に暗かったのだといえばそれまでのことである。私は、如何に軍国主義と雖も、少なくとも危機に際して下す政治的判断は、もっと客観的であり、冷静であると思っていたから、12月8日朝の開戦のラジオ放送は、私にとって全く驚天動地の衝撃であった。しょせんの華々しい戦火は、軍艦マーチ入りで会社内に報道され、社内は戦勝気分で沸き返っていた。そういう空気のなかで、私は、机を並べる同僚たちに、先の数字を挙げて、戦争の前途の悲観的見透しを話した。戦勝気分に反撥したのである。戦局が非勢に陥れば、私たち青年の運命も谷まることになるからであったかもしれない。私は早速上司に呼ばれて、説諭をくらった。今でもはっきり憶えている。こう言われたのだ。「君は学校出の知識人だろう。戦時下の知識人の任務は徒に悲観的流言を撒いて国民の戦意を喪失させることにあるのではなくて、むしろ楽観的流言を撒いて戦意を高揚させることにあるのではないか。」奇妙な論理ではあったが、それが国民感情に適合する時代であった。私は、いまでも思うのだが、そのとき、もしその上司と私と一対一であったら、私は資料的論拠を持っていたから反駁するのは容易であったろう。数字が示す事理は明白であったのだ。それにもかかわらず私は沈黙した。その部屋には五十人ほど執務していたが、私はそれらの人びとからのとげとげしい白い視線に包囲されて、憎悪と敵意が突き刺さってくるのを意識した。真相を知らない、真相に近づこうともしない「愛国者」たちの無責任な白眼視に、私は意気地なく屈服したのである。後になって回想、たとえば海軍が陸軍に対して開戦反対を貫けなかったのも、心理的には私の経験のような次元の低いことであったのかもしれないとも思う。(以下略)-----非常に示唆に富むエピソードです。多分、私が五味川と同じ立場にいたら、やっぱり黙ってしまったのだろうと思います。集団心理の怖さ、その場でそれに異を唱えることの難しさです。そして、その結果として、五味川はその3年半後、1945年8月に、「満洲」の最前線で地獄を見ることになります。彼の属する中隊は、ソ連軍の戦車群に蹂躙され、150人の中隊で生存者がたった4人。五味川は、幸い生き残った4人の中に入ることが出来ましたが。旧海軍は、対米戦に消極的でした。もちろん、だから海軍が「反戦的」だったわけではありません。中国への侵略戦争には、海軍も何のためらいもなかったのですから。しかし、少なくとも陸軍に比べれば、「対米戦に勝ち目なんかない」という客観的事実に留意できる程度の、ほんのわずかな冷静さは持ち合わせていました。しかし、その、ほんのわずかな冷静さは、陸軍の「積極性」の前に、あっさり消え去ってしてしまったのです。よく言われるように、「莫大な建艦予算をもらいながら、対米戦に勝ち目がないなどとはとても言えない」という、くだらないメンツの故です。その挙げ句に、南部仏印占領によって米国から石油や屑鉄の禁輸措置という制裁を受けると、今度は一転して、「このままではじり貧」と戦争に向けて突き進みました。結局、「イケイケどんどん」の積極論の大風呂敷を派手に広げる方が、冷静な意見、「消極的」な意見と比べると、魅力的に見えてしまうために、その場その場で「イケイケどんどん」が主導権を握り、気がつけば日本という国をとんでもないところに導いてしまったわけです。実に絵に描いたような政策の破綻ですが、案外人間社会の本質なんて、そんなものかもしれません。現在の日本人が、太平洋戦争開戦当時と比べて、どれだけ進歩し、どれだけ冷静になったかというと、たいして変わらないのかも知れません。それでも、同じ場面に遭遇して同じ失敗を繰り返さないためには、過去の失敗を分析・総括すること、そして、間違っていることは「間違っている」と声を上げる勇気を持つこと(それがそう簡単なことではないのですが)に尽きるのでしょう。
2011.12.08
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鳩山氏また「辺野古以外でも」普天間移設巡り講演で主張「辺野古以外があるか。私は決してないとは思っていない」。民主党の鳩山由紀夫元首相は5日、東京都内で講演し、沖縄県の米軍普天間飛行場の移設先について、同県名護市辺野古以外を検討すべきだとの考えを示した。鳩山氏は一昨年の総選挙で「最低でも(沖縄)県外」と強調したが、鳩山政権は昨年5月、辺野古周辺と明記した政府方針を閣議決定している。首相辞任の翌月、オバマ米大統領から「困難の中にもかかわらず、あなたは自身の言葉に忠実だった」との手書きの親書を贈られたことも紹介。その上で「総理をやった責任がある。何らか関わらなきゃいかんと思っている」と、今後も普天間問題に関与する姿勢を強調した。 -----まったくそのとおり、言っていることは正しいです。が、しかし、それならば何故それを首相在任当時貫かなかったのか。今になってそんなことを言うなら、辺野古への移設など断じて認めるべきではなかったのです。結局、鳩山は「評論家」であって首相の器ではなかった、ということに尽きるのでしょう。細川内閣や村山内閣では政権内にいた人だから、元からそんなに無能だったとは思えないんですけど、いつからああなってしまったのでしょう。オバマ米大統領から「困難の中にもかかわらず、あなたは自身の言葉に忠実だった」との手書きの親書を贈られたそうですが、それって文字どおりの「外交辞令」ってものでしょう。そもそも、自民党政権が決めた普天間基地の辺野古移転を白紙に戻す時点で、米国との間に厳しい交渉が必要であることは当然織り込み済みでなければならなかったはずです。米国との関係は損なわず、辺野古への移転は行わず、なんてことはできるわけがないのです。何かを取れば何かを捨てなければならない。それをせず、八方美人でいようとしても、結局誰からも相手にされなくなるだけです。鳩山は、沖縄より米国へのご機嫌伺いの道をとったのです。親書にこんなことしが書いてあった、などとわざわざ言うのも、そういうことでしょう。それでいて、「辺野古以外もある」とは、なんたる矛盾。
2011.12.07
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地球に似た惑星確認=生命存在の可能性―NASA米航空宇宙局(NASA)は5日、生命が存在する可能性がある地球に似た太陽系外惑星をケプラー宇宙望遠鏡で初めて確認したと発表した。この惑星は地球から600光年のケプラー22b。地球の2.4倍の大きさで、表面温度はセ氏22度と生命の存在に適し、液体の水が存在する可能性があるとしている。生命の存在には、太陽に相当する恒星と惑星との距離が、液体の水を維持できるよう適度に離れている「ハビタブルゾーン」にあることが必要とされる。NASAによると、ケプラー22bは理想的な位置にあるという。またNASAは、新たに1094個の惑星候補を発見。ケプラー宇宙望遠鏡でこれまでに発見された惑星候補は2326個となった。-----ロマンのある話です。だけど、その星を直接観測することは、今の科学技術では無理です。今のところ、太陽系外の惑星は直接その姿を観測することは出来ず、その惑星が公転することによって、恒星が振り回される「ふらつき」による光のドップラー効果を観測することで、間接的に惑星の存在を確認できるだけです。将来、超巨大望遠鏡を宇宙空間に浮かべれば、系外惑星を直接観測できるのかなあ。でも、その惑星にもし知的生命体がいたとしても、それを確認することは不可能ですね。600光年先では、「もしもし、地球です」と通信を送っても、「はいはい、ケプラー22bです」と返事が返ってくるには1200年かかります。SFに出てくるワープなどの超高速移動手段があれば良いのですが、残念ながらそのようなものは実現不可能ですからねえ。それにしても、宇宙空間の広さというのは想像を絶するものがあります。たとえば、この宇宙を10兆分の1に縮小したとします。その縮尺では、地球と太陽の間の距離はたった1.5センチになります。親指の先ほどの大きさですね。太陽の大きさは0.13ミリ、地球の大きさは0.0013ミリ(1.3ミクロン)です。太陽系最大の惑星木星は、地球の5倍の距離ですから、太陽から7.5センチの位置になります。今は惑星から準惑星に格下げになった、太陽系の最果ての星冥王星は、それに比べるとずいぶん遠く、60センチの距離です。さて、ではその太陽系に最も近い隣の恒星(ケンタウルス座アルファ星)は、この縮尺ではどのくらい離れているのでしょうか。10メートルくらい?100メートルくらい?とんでもないのです。アルファ星は太陽系から4.3光年離れています。1光年とは、キロメートルで表示すると9.5兆kmですから、4.3光年というのは約40兆km、10兆分の1スケールということは4kmです。東京駅のホーム上に立っている人の親指の先が太陽と地球の距離とすると、その人がほんの2歩くらい歩いたのが冥王星までの距離、そして最も近い隣の恒星は4駅先の田町駅というわけです。どれだけ桁違いの遠さか分かりますね。しかし、それでも隣の恒星なんて、宇宙全体からみたら、ほんのわずかの距離なのです。記事にあるケプラー22bは、600光年ということは、この縮尺では600km、大阪を超えてしまいました。我々の太陽系が属する銀河(天の川銀河)は、直径が約10万光年です。この縮尺だと10万km。地球2周半分、あるいは地球と月の間の距離の1/3です。とうとう宇宙空間にまで飛び出してしまいました。最も近い隣の銀河であるアンドロメダ銀河は我々の天の川銀河から200万光年というので、200万キロです。ちょっと、具体的に「この距離」という比喩の対象が見あたりません。では、宇宙の果てはというと、現在のところ百数十億光年とされています。この縮尺では百数十億キロ、ということですから、なんと太陽と冥王星の距離より遠いのです。1兆分の1縮尺で、太陽と地球の距離を1.5センチにしても、宇宙の果てまでの距離は冥王星より遠いのですから、どれだけ遠いか分かります。(でも、冥王星の遠さというのも今ひとつ実感が湧かないですが)まあしかし、宇宙の広さを考えると、この地球上の人間界のいざこざなんて実に小さい。でも、そうは分かっていても、無限に広がる大宇宙に知的好奇心を揺さぶられつつも、やっぱり小さな俗世間に関心が行くのが人間という生き物です。
2011.12.06
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女性宮家「緊急性の高い課題」 野田首相記者会見 4次補正編成も表明野田佳彦首相は1日、首相官邸で記者会見し、女性宮家の創設の是非に関し、「皇室活動の安定性という意味から大変、緊急性の高い課題と認識している」と述べ、政府内で議論のあり方を検討していることを明らかにした。首相は「これから国民的な議論が必要だ」と指摘。その上で、「いつまでという時期は区切らないが、どういう形で議論していくのか、どういう形で検討を進めていくのか検討している」と述べた。(以下略)---震災あり、原発事故あり、TPPを巡る議論あり、ヨーロッパの経済危機の問題ありという状況の中で、女性宮家の創設なんて、かなりどうでも良い話としか私には思えないのですが、それが「緊急性の高い課題」だと思えるしたら、野田の価値基準はいったいどうなっているの?と思わざるを得ません。私は、天皇家にも天皇制にもとりたてて興味のない人間です。昭和天皇は別(戦争責任の問題がある)ですが、今生きている天皇家の面々に戦争責任があるわけではないですから、特に敵意もないし、かといって特別な親近感もありません。何しろ、会ったこともありませんから。(一度、サントリーホールで行われたあるコンサートで、50メートルくらい離れたところで目撃したことがありますが、周囲をSPがぎっちり固めている物々しい状態で、とても親近感を持てるような雰囲気ではなかった)ただ、何ともつらい立場の人たちだなということは思います。特に皇太子。人は誰でも、生まれたときには将来に無限の可能性がある。もちろん、環境とか才能とか運などによって、選択肢はどんどん狭められていくにしても、まあたいていは複数の選択肢はあります。ところが、この日本で、生まれたときから法律で将来の道を決められている一族がいます。「天皇になる」以外の選択肢がなく、職業選択の自由のないのが皇太子であり、皇室という職業(?)から離れることが許されないのが皇族の男性です。その中でも、「がんじがらめ度」が天皇・皇太子と他の皇族ではかなり違うらしい。もっとも、三笠宮寛仁は、「皇室はストレスのかたまり」と発言しているから、皇太子以外も「世間並み」ではないのでしょうが。私がコンサートで目撃したように、どこに行くにもSPが十数人も張り付いている状態だったら、気が詰まって仕方がないでしょう。SPが張り付くのは首相や閣僚も同様ですが、彼等は自分の意志で選んだ仕事だし、辞任すればSPも付かなくなります。そういえば、ストレスで腹を壊して政権を投げ出した首相もいました。しかし皇族は一生辞められない。確か三笠宮だったと思いましたが、かつて「皇族を辞めたい」と公言して話題になったことがありましたが、もちろん認められることはありませんでした。とは言え、皇族といえども、天皇・皇太子以外は、さすがにあそこまで物々しい警備ではないようですが。皇太子はそのようなある種異常な環境に生まれたときから慣らされてきているんだろうけど、妻の雅子さんは、そんな生活の中で精神的に完全に参ってしまっています。(適応障害と発表されているようですね)。生まれたときから皇族をやっているはずの三笠宮寛仁も、アルコール依存で苦しんでいるようですね。で、冒頭の女性宮家の話、私はかなりどうでも良いこととしか思えないのですが、世の右翼系政治家の間ではかなり話題になっているようです。何人かの政治家がこの問題に言及していることが報じられています。自民・伊吹元幹事長、女性宮家創設と旧皇族との縁組を提案自民党の伊吹文明元幹事長は1日の派閥例会で、皇室典範を改正して女性宮家を創設し、その上で戦後臣籍降下した旧皇族にいる父方の血統に天皇を持つ「男系男子」との縁組を検討することを提案した。125代の現天皇陛下まで例外なく男系によって皇位が継承されてきた皇室の伝統を尊重しつつ、皇統を安定的に守るために女性宮家の創設が必要との見方を示した。伊吹氏は「このままいくと(秋篠宮ご夫妻の長男で皇位継承順位3位の)悠仁さまが天皇になるときは宮家は一つもないということになる。われわれは皇室のいやさかを願わなければならない」と述べた。また、女性宮家創設に向けた検討課題として「皇室が(男系の)万世一系できていることが日本文化の根本だ」と指摘。その観点から「民間の方と結婚された場合には1代限りとし、男系の旧皇族とご結婚になり男子をもうけられた場合には宮家を続けるという選択肢が一番、皇室典範にかなう」と提起した。---女性宮家創設、「性急に考えるべきでない」と自民・安倍氏自民党の安倍晋三元首相は26日、都内で行われた保守系団体の集会で、藤村修官房長官が女性皇族の結婚による皇族の減少を食い止めるため「女性宮家」創設検討の必要性を指摘したことについて「性急に考えるべきではない。民主党政権が取り組んで大丈夫なのかと強く危惧している」と述べ、慎重に議論すべきとの考えを示した。安倍氏は「(女性皇族に)適齢期がくれば、民間に降嫁されて宮家がなくなってしまうという状況にもあり、いくつか選択肢を考えるべきだ」と述べた。同じ集会で、たちあがれ日本の平沼赳夫代表は「125代にわたって、男系で続いてきた世界の宝といわれる皇室を女系に変えることがあってはならない」と指摘。一方、「女性の宮家をつくることはいい」と一定の理解を示したが、その場合でも「(旧宮家などの)男系のいわゆる血を持っている男性と結婚して男系の血を守っていくことが皇室の存続にとって大切だ」と強調した。---まあ、いずれの記事もソースが産経新聞なので、産経新聞がこの「問題」に並々ならぬ関心を持っている、ということは分かります。しかし、内容が酷い。「女性宮家を創設し、その上で戦後臣籍降下した旧皇族にいる父方の血統に天皇を持つ「男系男子」との縁組を検討する」(伊吹文明)「(旧宮家などの)男系のいわゆる血を持っている男性と結婚して男系の血を守っていくことが皇室の存続にとって大切だ」(平沼赳夫)正気ですか?と私は言いたい。これでは、皇族というのは「万世一系」なる神話を守るための道具ではないですか。本人の希望も何もありゃしない。「皇室の存続」のために、お前はこの男と結婚しろ、というのだから恐ろしい話です。でも、はっきり言って、そんなことをやったって無駄です。考えてみれば分かることです。皇太子が雅子さんと結婚する前、「お后候補」と言われた女性は何人もいました。その中には旧華族や旧皇族の子孫もいたけれど、みんな逃げてしまった。みんな、皇室のがんじがらめな生活なんて嫌なのでしょう。結果として、皇太子も秋篠宮も、結婚相手はいわゆる「良家の子女」ではあっても、旧皇族や旧華族ではありませんでした。結婚で皇室を離れた黒田清子さんもそう。もし彼女が結婚後も皇族の身分を離れない、つまり結婚相手が皇室の一員になるとしたら、果たして黒田慶樹さんは彼女と結婚したでしょうかね。つまり、「皇室の女性は旧皇族の男系男子と結婚しろ」なんて強制したら、単に結婚相手がいなくなるだけの話だということです。それ以前に、旧皇族の男系男子に、結婚適齢期の未婚男性がいったいどれだけいるんですか?正確には知りませんが、人数はかなり少ないはずです。その程度のことも想像できず、「皇室の女性を旧皇族の男系男子と結婚させればよい」などと思っている天皇教信者の、なんと浅はかなことかと思います。
2011.12.04
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核燃再処理:経産と東電02年に「六ケ所」から撤退で一致核燃サイクルを巡り、東京電力と経済産業省の双方の首脳が02年、青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理事業からの撤退について極秘で協議していたことが関係者の証言などで分かった。トラブルの続発や2兆円超に建設費が膨らんだことを受け、東電の荒木浩会長、南直哉社長、勝俣恒久副社長と経産省の広瀬勝貞事務次官(いずれも当時)らが撤退の方向で検討することで合意し、再協議することを決めた。しかし3カ月後、東京電力トラブル隠しが発覚し、荒木、南両氏が引責辞任したことから実現しなかったという。◇会長の辞任で白紙に毎日新聞は出席者の氏名や協議の時期、目的などが書かれた経産省関係者のメモを入手し、協議の関係者からの証言も得た。首脳による協議が判明したのは初めて。核燃サイクルを巡っては高速増殖原型炉「もんじゅ」の廃炉を含め継続の可否が検討される見通しでサイクルのもうひとつの柱である再処理事業でも東電、経産省のトップが9年も前から「撤退を検討すべきだ」と認識していたことは、内閣府の原子力委員会が来年夏をめどに進める原子力政策の見直し作業に影響しそうだ。メモや関係者によると、協議は経産省側が「六ケ所村(再処理工場)はいろいろ問題があるようだから首脳で集まろう」と呼びかけて実現し、02年5月ごろ、東京都内のホテルの個室で行われた。首脳らは「撤退の方向で検討に入る」との意見で一致し、具体的な進め方を再協議することを決めた。さらにその後、撤退する際に青森県側への説明役を務める東電担当役員も決定したという。六ケ所村再処理工場の建設費は事業申請時(89年)は7600億円。しかし使用済み核燃料貯蔵用プールからの漏水が相次ぐなどトラブルが続発し、2兆円を超えることが確実になっていた。本格操業すると将来の解体費用などとしてさらに1兆円以上必要になる。東電など複数の電力会社幹部から「こんなの(再処理事業を)やっても大丈夫なのか」と懸念の声が上がっていたため、経産省側が協議の場を設けたという。しかし02年8月、部品のひび割れなどを隠蔽(いんぺい)した東電トラブル隠しが発覚し荒木、南両氏が辞任、再協議は実現しなかった。(以下略)---やっぱりね、あの東京電力といえども、本音の部分では核燃料サイクルの実現可能性に危惧を抱いていた、というわけです。そりゃそうでしょう。当初予定では建設費が7600億円、それが2兆円にも膨らんで、いつ本格稼働できるかも定かではないというのでは、一民間企業に過ぎない東京電力が危惧を抱くのは当たり前です。それにも関わらず、結局は「再処理工場なんて無理だ」という最後の一言が言えなかった。その結果、9年間の時が流れ、各所にトラブルが続き、建設費は見込みどおりに膨れあがり、現在まで本格稼働はできないという事態になっています。しかも、仮に予定どおりに稼働をはじめたとしても、国内で発生する使用済み核燃料を全量再処理できるだけの処理能力はないようです。そもそも、何のために使用済み核燃料の再処理を行うのか。燃え残りのウラン235と、核反応によって新たに生まれたプルトニウムを抽出するためです。しかし、建設費だけで2兆円もかかった施設で抽出されたウラン235のコストって、いったい・・・・・・。計画によると、六ヶ所村再処理工場の処理能力は年間800トンだそうです。新燃料に含まれるウラン235の割合は3~5%、つまり、800トンが新燃料だとすると、含まれるウラン235は24~40トンです。一方、使用済核燃料に含まれる燃え残りのウラン235とプルトニウムはそれぞれ1%ですから、800トンの使用済核燃料に含まれるウラン235とプルトニウムは各8トンずつということになります。新燃料にすると、320~533トン分に相当、ということになります。この量の核燃料を新燃料で購入するとしたら、その値段はいくらくらいでしょうか。いろいろ検索したところ、1本の核燃料の国際相場は約11万円くらいだそうです。1本の核燃料は、重さが190kgほどあります。つまり、320~533トンの新燃料の値段は2~3億円程度という事になります。大雑把な計算なので誤差があると思いますから、数億円という程度に思っておけばいいでしょう。六ヶ所村の再処理工場が本格操業したとしても、そこで再処理によって抽出される核燃料は、たったそれだけなのです。かりに100年操業したとしても(そんなに操業できるわけないけど)数百億円分の核燃料しか抽出できません。そのために建設費が、当初計画でさえも7600億円というのだから、予定の段階で既に収支がまるであっていないのです。しかも、ここではウラン235とプルトニウムを同列に書きましたが、現実にはプルトニウムは使い道がなくて余っている状態です。プルトニウムは高速増殖炉の燃料になりますが、高速増殖炉は実用化の目処が立っていないのはよく知られているとおりです。プルトニウムは核兵器の材料になるから、不必要なプルトニウムは保有しないことが、核拡散防止条約上の国際的な義務になっています。それなのにプルトニウムが余っているので、普通の軽水炉のウラン燃料にプルトニウムを少し混ぜて使う「プルサーマル」がいくつかの原発で行われています。事故を起こした福島第一原発のうち、3号炉でこれが行われていました。ウラン燃料用に設計された原子炉でプルトニウムを混ぜて使うのですから、安全面に無理が生じることは言うまでもありません。使い道がなくて困っているプルトニウムをわざわざ抽出するために、当初予定でも7600億円、現実には2兆円(計画を今後も続ければ、今後更に膨らむでしょう)もの巨費を注ぎ込んで再処理工場を建設するというのは、経済的な側面で考えればまったくの愚行です。ただし、経済的な面とは別の基準で考えれば、話は変わってきます。経済性とは無縁の世界、つまり軍事です。前述のとおり、プルトニウムは核兵器に転用できます。六ヶ所村の再処理工場は、日本が核武装を行うための準備である(少なくとも、その布石の一つである)、と見られても仕方がないでしょう。このような再処理工場など直ちに計画を中止すべきでしょう。もちろん、再処理工場だけを中止すれば充分、というわけでは決してないですけどね。
2011.12.03
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「がんばろう!さようなら原発1000万人署名」12・10集会「がんばろう!さようなら原発1000万人署名」12・10集会 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★「がんばろう!さようなら原発1000万人署名」12・10集会★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★●日時 12月10日(土) 13:15オープニング・コンサート 13:30開会 (40分程度の集会の後に、パレードを行います。)●会場 東京・日比谷野外大音楽堂東京都千代田区日比谷公園1-3サイト http://hibiya-kokaido.com/●交通 東京メトロ「霞ヶ関駅」(丸の内線・千代田線・日比谷線)徒歩5分 都営地下鉄「内幸町駅」(三田線)徒歩5分 JR「有楽町駅」(京浜東北線) 徒歩15分●内容 オープニング・コンサート/PANTA(元・頭脳警察) 内橋克人さん(呼びかけ人) 鎌田 慧さん(呼びかけ人) 大賀あや子さん(福島から) ほか 司会:神田香織さん(講談師)●パレードコース(予定) 日比谷公園→東京電力本社前→銀座→東京駅→常盤橋公園●お願い お手製のプラカード、楽器、着ぐるみなど、パレードを盛り上げるものを持ってきてください。●主催 「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」 電話 03―5289―8224(原水禁) サイト http://sayonara-nukes.org/----私も参加しようと思っています。ところで、12月4日(日)、信濃町駅近くの某ペルー料理店でキラ・ウィルカの練習をする予定です。あくまでも練習なのですが、お店も営業中なので、公開練習だったりして・・・・・・。次回ライブの予定は、だいぶ遅れていますが、来年1月か3月、多分3月かな。決まったら、この場でも告知します。
2011.12.01
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