まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2006.10.01
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【ヒロインについて】

今回の作品で、
宮崎あおいちゃんに要求されたことは、

視聴者の「共感」を呼びよせることではなく、

とにかく、
半年間にわたる長いドラマの、
あれやこれやの様々なエピソードのなかで、
たえまなく強力な「存在感」を放ち続けることだったと思う。

その意味で、宮崎あおいちゃんは完璧でした。


数々のエピソードが散乱する長期ドラマの中で、
ヒロインとして「出来事に遭遇する力」を発揮し続けるってこと。

事実、
このドラマで、
桜子の立ち会わないエピソードは、たぶん一つもない。
ほぼ、すべてのエピソードに、桜子が立ち会ってたと思う。

実際には、このドラマの外には、
もっともっと色々なエピソードがあったはずなんだけど、
桜子のいない場所で起こった出来事は、このドラマには出てきません。

たとえば、
反戦少女だった薫子が、兄を亡くしながら、戦中をどんな思いで過ごしてたのか。

かつての不倫相手と結婚するまでの間に、磯にどんな事があったのか。
そんなふうに、実際にはいろんなドラマが同時にあったはず。

でも、ヒロインのいない場所でドラマが進行すると、
一般の視聴者は、物語がどこにあるのか分からなくて不安になるから、
物語は、つねにヒロインのいる場所で進行する。


各エピソードは脈絡なく散乱してるだけなんだから、
物語がどこに行こうが、べつに構わないんだけど、
でも、むしろ、
各エピソードどうしをつなぐ明確な「軸」が無いからこそ、
ヒロインがつねにそこに存在し続けることは重要です。
ヒロインの存在そのものが、ドラマにとって唯一の「軸」なんだから。

つまり、
このドラマの各エピソードには、
一貫したテーマも何も無いけれど、
強いて言えば、
このドラマのテーマってのは、
「桜子=宮崎あおいちゃん」その人なんだと言っていい。

不規則に羅列されたエピソードをつなぐ軸になるのは、
ただ、あおいちゃんの顔としぐさ。それのみ。

とにかく、彼女さえ画面に出ていれば、
たとえどんなに突飛で唐突なエピソードが描かれようと、
それは間違いなく『純情きらり』の物語なんだと、
そう視聴者に思わせるような強い存在感が、宮崎あおいちゃんに必要だったし、
宮崎あおいちゃんには、それを実現するだけの資質があった。

そもそも、それが無かったら、
「NHK朝ドラ」のような長期のドラマというものは成立しない。
ヒロインは、
長いドラマの沢山のエピソードを繋ぐ、唯一の軸でなきゃならない。

こういう資質というのは、
とりわけ宮崎あおいちゃんだけに具わっている資質ではありません。
すぐれた俳優さんなら、ほとんどの人がもってる能力だと思う。

でも、
「NHK朝ドラ」のように、あえて既存の俳優を使わず、
毎度毎度、ヒロインを新人オーディションで選ぶような慣例の中では、
主役の新人の女の子に、
こういう強い存在感を求めるのは、かなり難しいことだといえる。

それは、はっきりいって賭けに近い。

存在感そのものが軸になりえないような、
心もとないヒロインを中心にして、
沢山のエピソードや、長期にわたる物語を描ききろうというのは、
よくよく考えれば、かなりリスキーなことだと思う。

そういう意味で、
「NHK朝ドラ」は、やっぱり厳しい条件を背負ってる。



ちなみに、
宮崎あおいちゃんは、
その「存在感」という点から言って申し分なかったけど、
演技力という点から見ても、さすがだったと思う。


わがままであることが許された「戦前」ののびやかな時代。
苦悶に満ちた表情を浮かべて、
自分の欲望を押し殺して生きていた「戦中」の時代。
そして、「戦後」に生きる大人として、
自分の分をわきまえながら、与えられた人生を受け入れようとした後半の桜子。

桜子の表情と生き方を通して、
3つの異なる時代を明確に演じ分けていたあおいちゃんはさすがでした。



【福士誠治くんについて】

このドラマで、福士くんが果たした役割は大きい。

浅野妙子は、
視聴者戦術においても、重要なメッセージを伝える場面でも、
かなり意識的に「達彦」の存在を使ってた。

たとえば、通常、
日本の戦争は「被害性」の視点から描かれることが多いけど、
戦争の「加害性」の側面というのを、
達彦の存在を通して描いたことは、重要な意味があった。
(「加害性」といっても、中国人ではなく、日本兵に対する「加害性」でしたが。)

こういう福士くんのような存在は、
今後の「NHK朝ドラ」を考える上でも、重要な参考になるんじゃないかと思う。

つまり、
ヒロインをオーディションで選ぶのではなく、
福士くんのような「王子様役」の男の子をオーディションで選ぶ、
というのは、ひとつの手として有り得ると思う。

ぶっちゃけ、今回のように、
劇団ひとり、達彦、キヨシ、冬吾と、
複数の「王子様候補」が登場するような展開なら、
あらかじめ数人の俳優を抜擢して保険にしておくという展開も可能だし。
視聴者対策としても有効に機能する。

少なくとも、
ヒロインをオーディションで選んでしまうよりも、リスクは少ない。

今後は、新人男優の発掘に力を入れてみてはどうでしょうか。

正直な話、
今までの朝ドラみたいに、
若い女の子が成長してく様子を、
TVの前のじいさんたちに目を細めながら見てもらおう、
みたいな発想の内容は、いいかげん飽きた。

むしろ今は、
テレビに出てくる可愛い男の子の立ち居振る舞いを、
目を細めながら眺めてたい、という女性の側の要望のほうが強いし、
そちらのほうを優先させるべき時勢に来てる。

それに、そのほうが視聴者の需要にも合ってると思う。





【お知らせ】
現在、​ 音楽惑星さん ​にお邪魔して、「斉藤由貴」問題について考えています。






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最終更新日  2020.09.19 12:13:08


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