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大河「光る君へ」第43話。道長とロバート実資の問答は見応えがあったけど、それ以外はいまひとつ見せ場の少ない回でした。◇そして、前回はいろんなことの辻褄が上手く合ってたのに、今回は逆に、いろいろと唐突すぎました。道長は、先週は死にそうなくらい弱ってたのに、いつのまにか宇治から戻ってピンピンしてる!辞表出して左大臣やめたんじゃなかったの?そういえば以前、ロバート実資も死にそうなくらい弱ってたのに、いつのまにか何事もなかったように復帰してたね。たぶん「史実どおり」ってことなんでしょうけど、もうすこしドラマ的な理由づけが欲しい…(^^;ききょうが急に丸くなったのも、いまいち理由がわからない。どんな心境の変化があったのかしら?もう中関白家の権力闘争に期待するのはやめたの?それとも、たんに歳を取って衰えたのかしら?◇そして、倫子さんは、いちばん大事なことをサラッと言っちゃった!ここも、長年の秘めた思いを吐露する場面なのだから、もうすこしドラマティックにやってほしかった…!一方、為時パパは、もう帰ってこないのかと思ってたけど、(紫式部の死後に帰ってきたとの説があるからです)ちゃんと帰ってきましたねwかたや、双寿丸は死亡フラグ立っちゃったの…?(T_T)◇次回の道長は、いよいよ「望月」の歌を詠むみたいですが、それが彼の絶頂期を意味するのかどうか…。すでに絶頂期は過ぎちゃってるようにも見える。つーか、結局、彼の絶頂期っていつだったの??道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのかーー【電子書籍】[ 山本淳子 ] 楽天で購入
2024.11.15
NHK「光る君へ」第42話。三条天皇は、妍子きよこちゃんを中宮にするだけでなく、道長の抵抗を押し切って、娍子すけこさんのことも皇后にすると決定!◇しかし、妍子ちゃんの儀式は盛大に行われたのに、娍子さんの儀式は閑散としたものに終わる…(T_T)道長は力の差を見せつけた形です。ただ、それで彼の権力が頂点をきわめるかと思ったら、比叡山で石を投げられた祟りとかで病におそわれ、あげく退官して宇治での療養生活へ入ることに。かえって大きな躓きになってしまった…。◇ちょうどそのころ、まひろは、光源氏の死を描いた「雲隠」の章を脱稿。(じつは題名だけ書いて中身は書いてないとの説あり)自分自身の人生の終わりをも考えはじめてた。ところが、宇治で再会した道長は、そんな彼女に一言!「俺より先に死んではならぬ」by さだまさし。…左大臣の関白宣言w(つーか、左大臣すら辞めたばかりだよね)◇実際、道長は関白にはならなかったけど、なぜか彼の日記は「御堂関白記」と呼ばれてる。実質的な関白と見なされてたのかも。道長は生前一度も関白とならなかった。「御堂」の名称は、晩年の道長が法成寺無量寿院を建立して「御堂殿」「御堂関白殿」と呼ばれたことによる後世の呼称である。しかし「御堂関白記」の呼称は江戸時代にはすでに通称になっていたようである。https://ja.wikipedia.org/wiki/御堂関白記そして、あらためて道長とともに生きる力を得たまひろは、光源氏亡き後の新章の執筆を宇治で開始。それが「宇治十帖」と呼ばれるのですね。いろいろと辻褄が合ってる!!なかなか上手く出来たストーリーでした。関白宣言 さだまさし作品による 男声合唱曲集 [ 鈴木憲夫 ] 楽天で購入 藤原道長 「御堂関白記」 (上) 全現代語訳 (講談社学術文庫) [ 倉本 一宏 ] 楽天で購入 寛弘9年(1012年)1月に顕信が突然比叡山に登り出家してしまった。道長はかねてより自身の出家を志していたが、その意志を遂げないうちに息子に先を越されてしまったことを酷く嘆いている。5月に延暦寺で顕信の受戒が行われ道長も参列する。ここで道長は騎馬のまま比叡山に登ったため、法師から馬から引きずり下ろせとの放言を受けたり、石を投げつけられたりされてしまい、藤原実資から「相府当時後代の大恥辱也」と批判されている。この仕打ちに対して道長は、老いて徒歩で登るのはつらいから馬で登っただけなのに石を投げつけられるのは心外だ、と自らの正当性を主張している。まもなく道長は重病に伏して、一時は飲食物を受け付けないほど状態が悪化し、致仕の上表を行う。この病気について、比叡山に騎馬で登ったために日吉大社の祟りを受けたためとも噂された。この頃、道長の病気を喜ぶ公卿が5人おり、大納言道綱、実資、中納言隆家、参議懐平、通任である、との風説が流れる。これに対して道長は「私の病気を喜ぶ者が5人いると最近聞いたが、そんなはずはない。中宮大夫(道綱)と右大将(実資)がそうだとは信じられない」と述べたという。娍子の立后の日と妍子の参内の日が同じ日(4月27日)に重なってしまう。当日は妍子の参内の儀を終えた後に娍子の参内(本宮の儀)が開始されるスケジュールが組まれていた。実際に妍子も本宮の儀に参列しており、両方の儀式を掛け持つことは不可能ではなかった。しかし、道長は本宮の儀を欠席、道長の威勢を憚って右大臣・藤原顕光(病気)と内大臣・藤原公季(物忌)も障りがあるとして欠席し、これを見た公卿・殿上人も多くが欠席してしまった。この有様にやむなく、三条天皇は右近衛大将・藤原実資を呼び出して儀式を行わせている。なお、実資の他に参内したのは、中納言・藤原隆家(皇后宮大夫)、参議・藤原懐平(実資の兄)、参議・藤原通任(娍子の兄)といずれも娍子を後見する立場にある3名のみと寂しい儀式となった。一方で、道長は妍子の参内の参加者に対して非常に神経質になっており『御堂関白記』に不参の公卿として、本宮の儀の準備のため天皇に呼ばれた実資に続いて隆家・懐平を記し、年来親しく交際している人々が来ないことを気にしている。https://ja.wikipedia.org/wiki/藤原道長もし仮に、時の帝(権力者)が「この描写はエグすぎて、現に傷ついている読者がたくさんいるのだから公開を差し止めよう」と、公開禁止や焚書を実施したのであれば、その施政はあふれる善意と慈愛によって進められたはずだ。300年後、1000年後、現代の表現にまつわる政策は、どう評価されるんだろう。— たられば (@tarareba722) November 20, 2019
2024.11.04
敦康くん(片岡千之助)は、御簾を超えて彰子ちゃん(見上愛)とご対面。妍子きよこちゃん(倉沢杏菜)も、御簾を超えて敦明くん(阿佐辰美)に「す・き」の告白wあいかわらず継母との禁断愛!若いエネルギーが抑えきれません!!…まひろの娘の賢子ちゃん(南沙良)も、身分を超えて若武者とのお夕食会!そして、食べかけのご飯を手渡しての間接キッスw◇三条天皇(木村達成)は、妍子きよこちゃんだけでなく、娍子すけこさん(朝倉あき)も女御にする!と宣言し、道長はこれに難色を示しました。ここらへんは、ちょっと意味がわかりにくかったけど…つまり、当時の天皇のお妃には、中宮 > 女御 > 更衣みたいなランクづけがあって、道長の娘の妍子きよこちゃんのほうは、身分が高いから、女御どころか中宮にもなれるだろうけど、娍子すけこさんのほうは、(先に嫁いだにもかかわらず!)身分が低いせいで、本来なら女御にすらなれない…ってことらしい。三条天皇の決定は、道長に対する牽制かもしれないけど、見方を変えれば、それだけ娍子すけこさんを大事にしてるからともいえる。先に嫁いだ奥さんを立てるのは、現代人から見るとまともな発想のように思えます。◇先に嫁いだ奥さんを差し置いて、後に嫁いだほうが正妻になってしまう…という図式は、やっぱり「源氏物語」の女三宮と同じなのよね。長年にわたり光源氏の正妻だった紫の上も、光源氏が41才のときに、わずか15才の女三宮と結婚したことによって、正妻の座を奪われてしまいます。敦明くんとの「御簾超え愛」もそうですが、若くして正妻の座を奪ってしまうところも、妍子ちゃんは、やっぱり女三宮っぽいのです。◇ちなみに、道長の強引すぎる人事は、「まひろとの約束を守るため」だそうです。その約束ってのは、「直秀(毎熊克哉)のような人が死ななくて済む社会にするため」…ですよね。もし、万が一、道長が若武者の双寿丸(伊藤健太郎)を殺すようなことになれば、「あなたも同じことをしてるじゃないの!」と、まひろになじられそうです。でも、直秀が盗賊(義賊)だったのに対して、双寿丸のほうは盗賊を退治してるわけだから、立場的には逆なのかな?◇調べてみると、双寿丸の親分の平為賢ためかた(神尾佑)という人は、1019年の「刀伊の入寇」のときに、隆家(竜星涼)とともに外敵を撃退した武士だそうです。双寿丸もそこで活躍して、道長に讃えられるのかしら?でも、賢子ちゃんとの身分違いの恋が実るかは微妙ですね…(^^;双寿丸が仕えていう平為賢は、後に刀伊の入寇で藤原隆家と共に活躍し、現茨城県の常陸国多気城が本拠地で平将門の従兄弟の孫にあたる常陸平氏。巨大な日向寺を作るなど多気氏は平安時代は常陸の権勢をふるうも鎌倉時代に鎌倉殿の13人の一人の八田知家に滅ぼされる。#光る君へ pic.twitter.com/HjKlQZd88a— 一二三 (@nunonofuku123) October 20, 2024
2024.10.28
NHK「光る君へ」第39話。成長著しい敦康くんが、いつまでも彰子ちゃんの手を離さないので、さすがの道長も、2人の関係を「光源氏と藤壺」に重ねてました。[フォトギャラリー] 道長、敦康親王に光源氏を重ねる…「#光る君へ」第39回場面写真https://t.co/ndreVtR3eo— シネマトゥデイ (@cinematoday) October 13, 2024一方、彰子ちゃんの妹の姸子きよこちゃんも、「年寄りの夫なんかに嫁ぎたくない!」とブーたれてから、まひろと姉に諭された後、「わかりました。楽しく生きてみせまする!」と言って嫁いだものの…結婚後の宴では、夫の東宮(=居貞親王)そっちのけで、義理の息子の敦明くんに熱い視線を送り、すっかり宴好きの妻になったらしいwこちらもやはり、「光源氏と藤壺」みたいな義理の母子の禁断愛?【#倉沢杏菜】/ NHK大河ドラマ『#光る君へ』今夜放送です📺\ 第三十九回 とだえぬ絆✅[総合] 夜8時00分✅[BS・BSP4K] 午後6時00分✅[BSP4K] 午後0時15分倉沢演じる #藤原妍子 (きよこ)は物語にどのような影響を与えていくのか…ぜひお楽しみに!🔽あらすじhttps://t.co/490tWxzQa4 pic.twitter.com/uJdT752mpy— レプロARTIST (@lespros_artist) October 13, 2024でも、御簾の裏から覗いていたところは、むしろ「柏木と女三宮」の関係に似てるかも。姸子&敦明親王:女三宮&柏木#光る君へ #倉沢杏菜 #阿佐辰美 pic.twitter.com/6ZflEP2ayf— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 13, 2024◇そんな姸子ちゃんを演じたのは、夜ドラ「VRおじさん」でナオキを演じた倉沢杏菜。#夜ドラ【#VRおじさんの初恋】\第29回は今夜10:45放送!/快晴で小春日和の2月某日☀高台にて #井桁弘恵 さんのお誕生日をお祝いしました🎉青空と海をバックに #倉沢杏菜 さんと記念撮影📸🤗#VRおじさん#野間口徹ドラマ本編は NHKプラスで見逃し配信中📱https://t.co/P8i7zh8O5I pic.twitter.com/ksJkxLKzWn— NHKドラマ (@nhk_dramas) May 20, 2024ちなみに、以前から東宮(=居貞親王)のことが、いまいちよく分からなかったのだけど、調べてみたら道長の甥なのですね。道長の姉の息子。しかし、姉と言っても詮子(吉田羊)じゃなく、超子とおこという一番上の姉だそうです。早世だったこともあり、ドラマには登場してないらしい。
2024.10.15
NHK「光る君へ」第37話。道長とまひろの禁断の関係は、すでに女房たちのあいだでも噂になってて、赤染衛門(凰稀かなめ)も気づいてるけど…倫子さん(黒木華)も気づいてるよね!昔から「誰か女がいる」とは思ってたのだし。でも、彼女は何も言いませんね…。◇まあ、娘の彰子ちゃんも中宮になったのだし、彰子ちゃんには男児も産まれたのだし、倫子さんは自他ともに認める「勝者」であり、まひろも、それに協力してるのだから、この期に及んで、まひろを敵視する必要はない。もともと、妾の明子さん(瀧内公美)もいるし、それ以外の妾や愛人がいたところで、当時の正妻にしてみりゃ驚くことでもないでしょう。◇まひろのほうも、倫子さんに嫉妬などしてないし、倫子さんのほうも、この後に及んで「女の嫉妬」なんぞを発動させて、親しい間柄のまひろを敵視したりはしないと思う。そこは彼女の懐の深さでもある。…とはいえ、道長一筋に生きてきた彼女にとって、夫の「最愛の女性」が自分ではなく、まひろだということに複雑な気持ちはあるかもね。◇ちなみに、まひろと道長の関係に気づいてるのは、宮中の人たちだけじゃありません。為時(岸谷五朗)や、惟規(高杉真宙) をはじめとして、実家の者たちもうすうす気づいてます。…だとすれば、賢子ちゃんも気づいちゃってる?◇賢子ちゃんは、> 母上が嫡妻ではないから、> 私はこんな貧しい家で暮らさなきゃいけないのよ!みたいなことを言いました。それは、もちろん、「宣孝(佐々木蔵之介)の嫡妻ではなかったから」という意味なのだけど、もしかすると、「道長の嫡妻ではなかったから」という意味でもあるかもしれない(←考えすぎ?)。◇実際、賢子ちゃんと彰子ちゃん(見上愛)は、ほんとうは腹違いの姉妹なのに、その身分には雲泥の差がありますよね。片方は中宮で、片方は末端貴族の妾(未亡人)の娘。まひろは、道長の嫡妻になるのは不可能だったにせよ、妾だった可能性はあるわけで、もしもそうだったら、いまごろ賢子ちゃんは、明子(瀧内公美)さんの子供たちと同等の身分でした。◇まひろは、ひさしぶりに実家に戻り、めずらしく気持ちがゆるんだらしく、お酒に酔って余計なことをペラペラ喋り、賢子ちゃんを憤慨させてました。幼いころの賢子ちゃんは、道長に似て勉強嫌いかと思われましたが、いつのまにか母親と同じく、読書好きな女の子になっていたようです。じつは名前どおりの「賢い子」で、いろんなことに気づいてるかもしれません…。【寅子と同じ…】「光る君へ」まひろ(吉高由里子)と賢子(梨里花)のギクシャクで朝ドラ「虎に翼」連想 「寅子と同じ道をたどってる」「スンっが気になる」https://t.co/11pNqVSLzB第30話(8月4日)と同様の反響続出#大河ドラマ #光る君へ #朝ドラ #虎に翼— イザ!編集部 (@iza_edit) September 29, 2024 紫式部の娘 1 賢子がまいる!【電子書籍】[ 篠綾子 ] 楽天で購入
2024.09.30
NHK「光る君へ」第36話。…いろいろと面白かったです。◇彰子ちゃんの出産をめぐって、伊周の呪詛 vs 集団祈祷の大バトル!!SNSでは、「伊周くん呪詛下手すぎw」と酷評されてますが、あれだけの大人数にひとりで立ち向かったのだから、なかなかの奮戦だったのではないかしら?まあ、現代医学的な観点でいったら、本人の出産とは無関係なところで騒いでるわけで、何やってんの?…って話だけど、当時の日記などにもとづいてるらしく、あながちフィクションじゃないことに驚きます。彰子が4月13日、内裏から道長の邸である土御門殿に退出すると、23日には安産を祈願するための法華三十講がはじまった。そこから5月22日までの30日間、朝夕2回の法要が営まれた。その間、5月5日に行われ、女人成仏の功徳が説かれるなどした「五巻日」は特に重要視され、道長の日記『御堂関白記』によれば、多くの公卿が出席したという。また僧侶の数は143人におよんだという。藤原実資の日記『小右記』によれば、8月17日には土御門殿の井戸の上屋が突然倒れ、彰子の御在所内で犬が出産するなどの「怪異」があって、周囲は気が気ではなかったようだ。彰子の陣痛がはじまったときから、道長は物の怪の調伏を本格化させた。ここしばらく法華三十講をはじめ、土御門殿で法要に勤しんできた僧たちのほか、山からはありったけの修験者を集め、加持祈祷の体制を強化するとともに、陰陽師も集められるかぎり集めた。彼らの読経や呪文の声が寝殿を揺るがすほどだったという。道長は徹底した物の怪対策を実施した。専門の僧と、彰子に憑いている物の怪を引きはがして移す「よりまし」と呼ばれる霊媒で物の怪に対処するのだが、通常は1組で済ませるところを、道長は5組用意した。「よりまし」は概ね10代の少女で、僧侶1人、よりまし1人、そして介添え役の女房の3人を1組とし、それを5組もうけ、彰子を取り囲ませたのである。物の怪が乗り移るたびに「よりまし」はトランス状態になって大声を上げたり、駆けまわったりする。その様子は『紫式部日記』にも、修験僧が中宮様に憑いている物の怪を「よりまし」に移し、調伏しようとありったけの大声で祈り立てているなどと活写されている。お腹の子も平静ではいられないのではないかと心配になるほどの大騒ぎのなか、彰子は36時間の陣痛を経て、無事、男児を出産した。https://president.jp/articles/-/86018彰子ちゃんのご懐妊を後押ししたのが、まひろ(紫式部)の書いた物語だと知って、ききょう(清少納言)がメラメラと顔色を変えました。紫式部と清少納言は、犬猿の仲ともいわれるけど、これまでは仲良しだっただけに、どうなっていくんでしょうか??◆◇ #光る君へ 本日放送◇◆第三十六回「待ち望まれた日」[総合] 夜8時00分[BS・BSP4K] 午後6時00分[BSP4K] 午後0時15分第三十五回「中宮の涙」の #NHKプラス 見逃し配信は、本日9月22日(日) 夜8:44 まで! ▼配信ページはこちらhttps://t.co/vpl2YlUrfu pic.twitter.com/nFZbf4uRMj— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) September 22, 2024 まひろは、最愛の道長とも一緒になれず、夫とも死別して未亡人なわけだから、他人を羨んでも仕方のない境遇だけど、ただでさえ女の嫉妬が渦巻く宮中にあって、けっして誰かを恨んだり僻んだりすることなく、自分の能力だけで地位を築いてるのは、とてもカッコいい女性だなあと思う。ただ、道長の度重なる"匂わせ"もあり、まひろのほうが他人から嫉妬されてますね。「まひろさんと道長さまはどういう関係??」みたいな噂が立って、妬まれはじめてる。これって、源氏物語でいえば、ちょうど「桐壺の更衣」みたいな立場です。◇実際、一条天皇を「桐壺帝」と考えれば、定子さんが「桐壺の更衣」になるのだけど、道長を「桐壺帝」と考えれば、まひろが「桐壺の更衣」ってことになり、さしずめ「弘徽殿の女御」は倫子さんってことになる。まひろは、すでに「桐壺の更衣」の部分を書き終えてて、宮中の人たちは、それを読んでるかもしれません。https://www.10000nen.com/media/55819/一方、彰子ちゃん&敦康親王の関係は、さながら「藤壺&光源氏」みたいですが、敦康親王は、彰子ちゃんとの関係が変わることを心配してます。子が産まれたら、私と遊ばなくなるのでしょう?そのようなことはございませぬ!私は中宮さまの子ではありません。まことの子がお産まれになれば、その子のほうが愛おしくなるのは道理です。親王さまがほんの幼子であられた頃から、親王さまと私はここで一緒に生きてまいりました。帝のお渡りもない頃から、親王さまだけが私のそばにいてくださいました。この先も 私のそばにいてくださいませ。子が産まれても、親王さまのお心を裏切るようなことは消してございませぬ。彰子ちゃんは、敦康親王への親愛は揺るがないと誓いますが…彰子ちゃんが男児を産んだことで、彼の皇位継承者としての地位が後退するのは事実。伊周や清少納言は、それを苦々しく思ってる。しかし、裏を返せば…だからこそ、まひろは、そんな境遇の敦康親王をおもんばかって、ライバル側である彼のことを、「臣籍降下した光源氏」に見立てて、彼を主人公に物語を書いたように思えてきます。新編 人生はあはれなり… 紫式部日記 [ 小迎 裕美子 ] 楽天で購入
2024.09.26
大河ドラマに関連して、后妃の不倫とか皇統の信憑性が注目されてます。紫式部の書いた「源氏物語」に、藤壺の不倫が描かれてるからですね。◇戦前に「源氏物語」が不敬文学とされたのも、まさに后妃の不倫が問題だったからですが、平安時代には、その話が内裏でも読まれてたわけだし、ほかならぬ天皇も読んでたのだから、不敬文学であるはずがない。これこそ、れっきとした日本の宮廷文学なのです。そこでは、后妃の不倫のお話も受け入れられていた。◇おりしも、松岡正剛の言葉を借りるなら、もののまぎれこそ「日本という方法」だと言えます。もののまぎれは『源氏物語』に記された3つの事件で起こった事象を言い、中でも藤壺事件に伴う事象を言う。藤壺事件:光源氏が義母である藤壺と密通し、その結果、表向きには桐壺帝の子であるが実は光源氏の子である皇子が生まれ、その皇子が冷泉帝として即位し、冷泉帝が自身の出生の秘密を知ったことにより実父である光源氏に譲位しようとしたが叶わず、その代わりに光源氏を太上天皇に准ずる待遇(准太上天皇)にした。https://ja.wikipedia.org/wiki/もののまぎれもし天皇陵が発掘がされて、遺骨のDNA鑑定がおこなわれれば、もののまぎれの実像も明らかになるはずですが、時代が進むにつれて、なし崩し的に神話の嘘もバレていくのでしょう。◇むしろ神仏習合と同じように、もののまぎれこそが日本の美学なのかもしれません。すでに天皇も、古代王権の出自がどこにあるにせよ、そこに朝鮮半島由来の渡来人が混じると認めてる。それもまた「もののまぎれ」であって、万世一系などという、ユダヤかキリストの一神教みたいな発想のほうが、よっぽど狂信的かつ差別的だというべきです。【新着記事!】一応、女性だけの空間なんですが、貴族が入ることはできたみたい#本郷和人 #光る君へ 定子出家後に義子・元子が入内するも一条天皇は会おうともせず。彼女らが暮らす<後宮>内の男性関係がどうなっていたというと… 本郷和人 https://t.co/TUuuZ5KT0j #婦人公論— 婦人公論 (@fujinkoron) June 11, 2024【9月下旬入荷分】 源氏物語 A・ウェイリー版[本/雑誌] 3 / 紫式部/著 アーサー・ウェイリー/英訳 毬矢まりえ/訳 森山恵/訳 楽天で購入
2024.09.14
NHK「歴史探偵」光る君へ~コラボスペシャル2。今回のドラマによれば、「源氏物語」を書かせた黒幕は藤原道長であり、光源氏のモデルは敦康親王になるのだけど…そのことを史実から裏付けていく内容でした。◇道長の狙いは、娘の彰子に皇太子を産ませること。紫式部の「源氏物語」は、一条天皇を通わせるための釣りですよね。時期的に考えても、紫式部が「源氏物語」を書きはじめたのは、彰子が入内した翌年ごろのようです。しかも、彰子が入内した日に、ライバルの定子は敦康親王を出産してるから、焦った道長には切り札が必要だった。◇紫式部が「源氏物語」を書くために、貴重な紙が推定2000枚以上も必要だったらしい。当時、そんな紙を大量に確保できるのは道長だけ。そして、道長の狙いどおりに、紫式部が藤壺に入ったころから、一条天皇は彰子のもとへ通うようになり、めでたく彰子は皇太子を産むことになる。道長の撒いたエサに釣られた形です。999年11月7日彰子の入内&定子の出産。1001年1月13日 定子が死去。1001~1002年 紫式部が「源氏物語」の執筆を開始。1006年 紫式部が藤壺に入って彰子付きの女房に。1007年 一条天皇が藤壺へ通う。1008年 彰子が出産。◇ドラマを見てると、紫式部は現実の宮中をモデルにして書いてるし、一条天皇も「桐壺帝」は自分のことだと思ってる。自分の周囲の人間関係がモデルになってるから、(佐藤二朗の言葉を借りるなら)彼は「エゴサするような気持ち」で読んでるのね。道長はあえて、そんなあざとい物語を書かせることで、強引に関心を引こうとしたのかもしれません。案外、物語の原案を考えたのも道長だったのでは?…って気がしてきます。◇かりに、「桐壺帝=一条天皇」だとすれば、「桐壺更衣=定子」ってことになり、「光源氏=敦康親王」ってことになる。実際、後見を失って皇太子の地位が危ぶまれる立場は、光源氏も、敦康親王も同じです。桐壺帝が一条天皇右大臣が道長/弘徽殿女御が彰子桐壺更衣が定子/光源氏が敦康親王京都新聞よりそして、その場合、道長は、あえてライバルの敦康親王を主役に立てて、紫式部に物語を書かせたことになりますね。◇なお、光源氏のモデルについては、従来「源融説」「道長説」などが言われてます。敦康親王は執筆当時まだ子供だったこともあり、モデルと考えられることはなかったようです。主人公の光源氏は架空の人物であるが、さまざまな実在の人物をモデルとした説が唱えられている。最も有力候補で生い立ちや境遇から源融とされている。この他には源融の父親にあたる嵯峨天皇。さらには、木梨軽皇子、宇多天皇、醍醐源氏、敦慶親王、具平親王、藤原道長、源高明、藤原伊周、源光、藤原実方などが挙げられる。平安貴族(在原行平、在原業平、菅原道真など)の故事なども用いて脚色されていると考えられている。https://ja.wikipedia.org/wiki/光源氏▶ 敦康親王と彰子は『源氏物語』展開になる?https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/252210/▶ 紙も墨も筆も貴重だった平安時代https://dot.asahi.com/articles/-/215080◆◇ #光る君へ 関連番組◇◆「#歴史探偵」光る君へコラボSP2 源氏物語《出演》#柄本佑 さん(#藤原道長 役)#塩野瑛久 さん(#一条天皇 役)《放送予定》あす8月28日(水)[総合] 夜10時00分~▼番組HPhttps://t.co/xJgfdqUwsU pic.twitter.com/c0lUpc7N8S— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) August 27, 2024
2024.09.04
NHK大河「光る君へ」第31話。ついに源氏物語が爆誕しました!◇個人的に印象に残ったのは、まひろが、道長と2人で、月を眺めて「かぐや姫」の話をするシーン。実際、この世ならぬほど美しい光源氏のイメージは、かぐや姫の《男版》だったのかも…。◇ちなみに、《人やウサギが月面に住んでる》という幻想は、古代の「地球平面説」みたいな観念からは、けっして生まれてこないものですよね。大地がどこまでも平らだと信じてたなら、まさか丸い星のうえに人が住むなどとは、想像すら出来なかったはずだから。つまり、平安時代の日本人は、地球も月も球体だと知ってたわけですよね。◇しかし、Wikipediaには、日本人が「大地が球形であること」を初めて知ったのは、戦国時代にヨーロッパ人宣教師が来日した1543年以降のことである。 宣教師は世界地図や地球儀を日本に持ってきて、仏教の「地平説」よりもキリスト教のほうがずっと優れていることを知らせるために使った。https://ja.wikipedia.org/wiki/地球球体説とあります。月の満ち欠けを眺めてれば、月が球体であるのは分かるはずなのに、月のほうが球体で、大地のほうが平面だと思ってたとしたら、ちょっと辻褄が合いませんけどね…(^^;◇ジェフリー・バートン・ラッセルによれば、> 紀元前3世紀以降の西洋文明の歴史に連なる教養人で> 地球が平面だと信じた者などいなかった…とのこと。中世ヨーロッパでは、「地動説」よりも「天動説」のほうが優勢だったものの、さすがに「地球平面説」までは信じられてなかった。それは、近代以降に、カトリック教会を攻撃するために流布された謬説らしい。https://ja.wikipedia.org/wiki/中世西欧で地球平面説がはびこっていたという謬説ただし、「地球球体説」と「天動説」は矛盾しないので、コペルニクスが登場するまでは、なかなか「地動説」が共有されなかったのですね。すらすら読める源氏物語(上) (講談社文庫) [ 瀬戸内 寂聴 ] 楽天で購入
2024.08.18
NHK「光る君へ」第29話。定子さま(高畑充希)の死がさまざまな波紋を生み、ちょっと状況がドロドロしてきた感じ!!夫の宣孝は、お上の薬を飲んでたら呆気なく死んじゃった!父の為時も、越前守の再任ならず無職に逆戻り!一転して、まひろに経済的な危機が襲う…。◇そして、紫式部と清少納言のバトルがはじまる??まひろが「人間の光と影こそ面白い!」と言うのに対し、ききょうは「定子さまの光の部分だけを書く!」と…。しかも、定子さまの光の部分を強調するために、道長のことを「悪者」に仕立てるつもりらしい!◇詮子(吉田羊)は、定子さまの遺児である敦康親王を、中宮になった彰子ちゃんの養子にしてしまった。そんなことをしたら、亡き定子さまの怨念が、詮子に襲い掛かるのでは?と思いきや…道長チャイルドどうしのダンスバトルにて、《倫子さんの息子の田鶴君 vs 明子さんの息子の巌君》お上が、巌君の師匠だけを褒めましたね。これは彰子ちゃんの母でもある倫子さんへの当てつけ?◇そして、伊周との呪詛バトルによって詮子が死去!伊周が呪詛してたのは道長だけど、諸悪の根源は詮子の悪だくみだから仕方ない。詮子の遺言により伊周は政界へ復帰。そこで伊周がお上へ提出したのは、ききょうが書いた「枕草子」なわけですが、そこで道長が悪者に仕立てられるのかしら?枕草子のたくらみ「春はあけぼの」に秘められた思い(山本淳子)藤原道長を恐れさせ、紫式部を苛立たせた書。それが随筆の傑作「枕草子」だ。権勢をきわめた道長は、なぜ政敵方のこの書を潰さなかったのか。「枕草子」執筆に込められた清少納言の戦略とは?https://publications.asahi.com/product/18976.html新編 本日もいとをかし!! 枕草子 [ 小迎 裕美子 ] 楽天で購入 枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い (選書957) [ 山本淳子 ] 楽天で購入
2024.07.28
NHK「光る君へ」の第27話では、お上(塩野瑛久)が、母の詮子(吉田羊)へ怒りをぶつけました。> 朕も母上の操り人形でした!> 父上から愛でられなかった母上の慰みもので御座いました!お上が、こういう思いを露わにしたのは初めてなので、けっこう驚きです。ネットでは、詮子への同情と、お上への同情が交錯してる。これって、とても現代的な問題だなと思う。息子を思いのままにコントロールしようとした結果、本人の主体性を奪い続けるって話。母親は、息子をペットのように可愛がることで、夫に愛されない性的なフラストレーションを解消してる。その意味では、娘を性的に支配しようとする父親と同じ動機をもってる。父親は娘を肉体的に支配しようとするかもしれませんが、母親は息子を精神的に支配しようとするのでしょう。◇おそらく母親は、それを「愛情」だと言い張るでしょうが、いわば相手の気持ちを考えないストーカーの心理と同じ。息子から見れば、たんなる迷惑でしかない。とはいえ、母親である以上、息子としては、それを無下にも出来ないから、ずるずると足を引っ張られ、大人になってもなお縛られつづけることになる。◇一方の母親は、自分の罪にまったく無自覚なのよね。愛情さえあれば、すべての行為が免罪されて正当化されると思ってる。そういうところもストーカーの心理に似てます。あるいは、自分も親から同じことをされてきたから、自分も子に対して同じことをする権利と資格がある、と考えるのでしょう。その結果、最後には、息子から激しく憎悪される。母親は、それを死ぬ間際になって突きつけられて狼狽し、最愛の息子に憎まれながら死ぬ。◇一般に、「親の心子知らず」とは言うけれど、それはあくまで親の側の言い分であって、実際には親もまた子の心を理解していない。母親は、息子の態度を「甘え」というでしょうが、じつは母親自身も息子に依存して甘えている。息子を思いのままにコントロールすることが、唯一の生き甲斐になってしまう。とくに現代では、核家族化と少子化が進んで、一人の息子や一人の娘に依存する親が多いから、これは、けっして過去の話じゃありません。皇子みこさまのご誕生、まことにおめでとう御座います。ありがとう御座います。皇子さまはいずれ東宮となられる身。お上のように優れた男子に育っていただかねばなりませぬ。朕は、皇子が私のようになることを望みませぬ。朕は、おのれを優れた帝だとも思ってはおりませぬ。なんと…。私が手塩にかけてお育て申し上げたお上です。優れた帝でないはずは御座いませぬ。朕は、中宮ひとり幸せには出来ぬのですよ?それは、そもそも、あちらの家が…。朕は、母上の仰せのまま生きてまいりました。そしていま、公卿たちに後ろ指をさされる帝になっております。ですから、それは伊周らが悪いのです。中宮も、お上のご寵愛をかさに着て、いい気になりすぎたのですよ!けっしてお上のせいでは御座いませぬ。こたびも、母上の仰せのまま左大臣の娘を女御といたしました。されど、朕が女御を愛おしむことはありますまい。いいかげんに中宮に気をお遣いになるのはおよしなさいませ!そういう母上から逃れたくて、朕は、中宮に救いを求め、のめり込んでいったのです。すべてはあなたのせいなのですよ!お待ちください。お上はそのように、この母を見ておられたのですか?私がどれだけ…どれだけ辛い思いで生きてきたか。もうお帰りくださいませ。私は、父の操り人形で、政まつりごとの道具で、それゆえ私は…。朕も、母上の操り人形でした。父上から愛でられなかった母上の慰みもので御座いました!そのような…私は…。女御の顔を見てまいります。母上のお顔を立てねばなりませぬ故。◇詮子は、嫁である中宮・定子に冷淡な態度を取りつづけ、さらには、詐病を使って呪詛を自作自演し、中関白家を排除した。本人はよかれと思ってやったことだろうけど、それが結果的には、息子の人生を破壊してしまったと言っていい。しかし、母親はその罪にまったく無自覚なのです。愛情さえあれば、自分の行為は免罪されて正当化されると思ってる。あるいは、自分も親から同じことをされてきたから、自分も子に対して同じことをしようと考える。そして、最愛の息子に憎まれながら死ぬ。◇◇◇そもそも詮子は、定子の産んだ皇子を東宮にする気があるのでしょうか?いくら気に入らない嫁の子だとはいえ、さすがに自分の孫を呪詛したりはしないだろうけど、でもねえ。甥っ子を追放するくらいだから、なかなか予測できない面もある。なお、道長の娘である彰子を入内させて中宮にし、「一帝二后」にするという策略は、ドラマでは安倍晴明の発案ってことになってますが、史実では詮子の関与もあったっぽい。道長の姉・藤原詮子の生涯|末弟の道長を可愛がり出世に大きく貢献した、一条天皇の母。 https://t.co/tG9s8aTXjV— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 16, 2024 詮子渾身の「母を捨てて后をとるのですか?」で、道長に政権の座が転がり込む。 https://t.co/g2doGfSr1r— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 16, 2024一条天皇 (人物叢書 新装版) [ 倉本一宏 ]価格:2,200円(税込、送料無料) (2024/7/17時点) 楽天で購入
2024.07.17
NHK「光る君へ」第27話。まひろが道長の子を妊娠。宣孝はそれを受け入れる。↓先月の記事に書いたとおりだったwhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202406190000/実際、妾には自由恋愛の権利があって然るべきです。それを受け入れられない男に妾を取る資格はない!◇それにしても…妻の倫子さんですら、道長の不倫に気づいてないのに、宣孝がすぐに察してしまうのはスゴいw1.懐妊の時期がおかしい2.まひろの不倫相手は道長しかいない3.道長の「お計らい」で重いお役目を2つも賜わった…という3点からの推理だよね。逆にいうと、道長の「お計らい」は、宣孝への贖罪の気持ちってこと?それとも、まひろの生活向上のための便宜?はたまた、宣孝を忙しくさせて、さらなる逢瀬の機会を狙ってる?◇そういえば、朝ドラ「らんまん」のまつは、「妾なんてつまらないよ」と言ってたけど、まひろにしてみれば「お妾さん最高」ですよね。しかも、平安時代の通い婚って、父と夫の両方の収入に支えられてる感じ?そのうえ自由恋愛もできるって最強すぎる。パパ活しながらホストに貢いでる令和女がバカみたい。日雇い労働者と企業の正社員ぐらいの雲泥の差がある。避妊具もないかわり、DNA鑑定もない時代だから、誰の子か証明しにくいってのもあるけれど、望まない中絶を強いられることもなく、子供もちゃんと育ててもらえるのね。まつ「妾なんてつまらないよ」まひろ「お妾さん最強」#光る君へ #らんまん #一夫多妻制 pic.twitter.com/mS5MvG40om— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 14, 2024 ◇それに対して、中宮であるにもかかわらず、バカな兄弟の不始末のせいで、最愛のお上と長いあいだ引き離され、内裏に踏み入ることも許されず、懐妊しても、安心して出産することが出来ない定子さん。身分の高さがデメリットでしかない皮肉。●出家したら内裏に入ってはいけない●職御曹司(しきのみぞうし)へ行くには輿に乗らねばならない…という平安時代の謎ルール。それを破ったら天災が起こる謎のシステム。誰得なのかしら?なかなか理解に苦しみます。ちなみに『小右記』には…長徳3年(997)6月22日条◆◇◆◇◆今夜、中宮(藤原定子)は職御曹司に参られた。天下は感心しなかった。「あの宮の人々は、『中宮は出家されていない』と称している」と云(い)うことだ。はなはだ希有の事である。#光る君へ pic.twitter.com/IOJbbni66f— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) June 16, 2024 ◇一方、いつも眠たそうで、やる気のなさそうな彰子ちゃん。見るたびに笑ってしまいます。でも、この人が「天下第一の国母」になるのね。閨房の心得にも興味はあるらしいwどんなふうに豹変するのか楽しみ。いつも眠たそうな彰子ちゃん。ややウナギイヌみあるよね。#光る君へ #藤原彰子 #見上愛 #市川実和子 #松尾スズキ pic.twitter.com/wTJcz7Mvkg— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 14, 2024光る君へ 後編【1000円以上送料無料】価格:1,320円(税込、送料無料) (2024/7/15時点) 楽天で購入
2024.07.15
NHK大河「光る君へ」第25話。まひろは、父の為時を残して越前から帰ってきました。◇越前編で描かれたエピソードの多くは、実際の史料にもとづいて作られたようで、宋人が朝廷にオウムを献上した話なども事実らしい。長徳2年(996)正月、越前守に任じられたのが紫式部の父・藤原為時です。実は淡路守に任命されていたのが、急きょ、越前国への赴任となりました。学識のある為時に唐人との対応を当たらせたいという、一条天皇の意図に道長が応えたといわれています。為時は、朱仁聡しゅじんそうらと共に来日したと思われる羌世昌きょうせいしょうなる人物と漢詩を唱和するなど交流したと伝えられています(福建省の商人・周世昌との説もあり)。このとき紫式部も越前国へ同行。23歳前後のこととされています。~ 春なれど白嶺の深雪いや積もり解くべき程のいつとなきかな ~この詞書に「唐人見にゆかむ」と紫式部への手紙に書いていた人がいることが記されており、それはのちに夫となる藤原宣孝であることが定説です。https://serai.jp/hobby/1178951◇藤原為時の《越前赴任》のエピソードは、その後の日本史的に見ても興味深いところがあって、為時の場合は、朝廷の意を受けて日宋貿易を拒否しましたが、それから120年ほど後…同じく越前守になった平忠盛(清盛の父)によって、本格的な日宋貿易が開始されて、それが平家に栄華をもたらしていくわけよね。もし為時にもそんな大胆な才覚があったら、日本の歴史はちょっと違ってたかもしれません!894年、菅原道真の提案により、約260年間続いていた「遣唐使」を廃止。とは言え、その後も中国船の来航は絶えず、960年に宋が建国されたあとも日中貿易は継続。日本側は、九州の博多に限定して貿易を許可し、「大宰府」が管轄することとなりました。これに不満を抱いた宋の商人は、当時力を付けてきた北九州の商人を相手に私的な貿易を開始。朝廷側は、貴重な舶来産の品物を入手するルートを失いたくなかったため、こうした私的な商取引も暗黙に認めていました。この日宋貿易に着目したのが平忠盛です。1120年に越前守へと転任した忠盛は、宋船が博多だけでなく敦賀(福井県南西部)にまで来航していることを知ります。忠盛は、平氏が力を持つには日宋貿易によって資金力を得ることが重要だと考えました。忠盛は、信任が厚かった「鳥羽上皇」からの命令と称して日宋貿易の権限を大宰府から奪い、博多での利益を独占。平氏繁栄の基盤となる莫大な財力を得るようになります。https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/nissoboeki/◇五箇地区の《越前和紙》の話も出てきました。じつは福井以外にも、日本には「五箇」という地名がたくさんある。そして、その多くには平家の落人伝説があります。合掌造りで有名な富山県の五箇山にも、やはり「五箇山和紙」の伝統があるけれど、それは平家落人が都の文化を伝えたことによる。五箇山は、平家落人の里として古くから都の文化が伝えられていました。五箇山和紙もそのひとつ。http://www.nanto-e.sakura.ne.jp/furusato/data/mu22002/detail-4751.htmlなので、富山の「五箇」に和紙作りが伝わったのは、12世紀末の源平合戦より後ってことになります。しかし、福井の「五箇」に和紙作りが伝わったのは、それより700年ぐらい前の5世紀末のことらしい。越前和紙は、男大迹王おおとのおう(のちの継体天皇)が越前地方を統治していたとされる5世紀末ごろには紙を漉き始めていたと思われ、最初は写経用紙を漉いていたと考えられます。https://washi.jp/history/index.html実際、紫式部もその紙を使ったのだとしたら、源平合戦よりも前からあったってことですもんね。こちらの場合は、平家の落人じゃなく、川上御前なる女性が和紙作りを伝えたことになってる。1,500年の長い歴史を持つといわれる越前和紙。写経・和歌集・公文書など、時代によって求められる用途に合わせ、その技術を発展させてきました。越前市・五箇地区。岡本川の流域を中心とした5つの集落に越前和紙の工房が立ち並んでいます。清らかな水と厳しい冬の気候が良質な紙作りに適しているといわれています。その昔、岡本川の川上から一人の女性が現れ、この地の人々に紙漉きの技術を伝えたと語り継がれています。人々は、その女性を川上御前と呼び、紙の神様として祭りました。https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/blog/bl/ppzGkv7kAZ/bp/pBVq87dMmx/NHKプラスでは、北陸スペシャル「光る君へ~越前紀行」も見れますが、それによると、越前の和紙は滑りがよく、かな文字を書くのに適してたので、それが平安文学の技術的な土台になったようです。【今夜放送】#光る君へ 越前紀行大河ドラマ「光る君へ」で紫式部親子を演じる #吉高由里子 さんと #岸谷五朗 さんが #越前市 を巡る旅へ。平安貴族のグルメや伝統和紙の紙すきを体験します!#北陸スペシャル総合 今夜 7時30分~https://t.co/ZVyt0zGwLG pic.twitter.com/bSQPzXW2LF— NHK福井 (@nhk_fukui) May 31, 2024
2024.06.24
NHK大河「光る君へ」。母の仇だった道兼があっさり死んでしまい、道長もあっさり頂点を極めてしまったので、意外に展開が早いし、今後の見どころはどこにあるのかしら?…と懸念もしてたけど、第21話の「枕草子・爆誕」は、やはり神回のひとつだったと思います。越前へ旅立つ前のまひろ&道長が、10年越しにキスをするピュアラブも素敵だったし、ききょうの中宮定子に対する百合の感情が、推し活の文学作品へ結実する描写も尊かった。◇清少納言の「枕草子」誕生については、史記 → 枕詞 or 四季 → 枕もとの草紙みたいな説だったのかな、と思います。枕草子の跋文には、宮の御前に内の大臣の奉り給へりけるを「これに何を書かまし、主上の御前には『史記』といふ書をなむ書かせ給へる」など宣はせしを「枕にこそは侍らめ」と申ししかば「さば得てよ」とて賜はせたりし…と書かれてるのですね。わたしなりに意訳すれば、中宮定子さまに伊周が献上したものをお見せになって「これに何を書いたらよいかしら?帝は《史記》という本を書いたのだけど…」とおっしゃるので、わたしが「あちらが《史記=敷き》を書いたなら、こちらは《敷き妙への枕》でしょ!」とシャレを申し上げたら、定子さまは「なら、あげる!」と下さった。…みたいな感じ?◇ドラマでは、「あちらが《史記(=敷き)》なら、こちらは枕詞でしょ!」とききょうが言い、「あちらが《史記(=敷き)》なら、こちらは四季でしょ!」とまひろが返したのですね。そして、まひろが示唆したとおり、ききょうは四季にかんする随想をつづり、床に臥せってばかりいる中宮の枕元に、文字どおり「枕」の草子として届けられた。◇ちなみに「枕草子」は、春夏秋冬の話にはじまるわけですが、ファーストサマーウイカという芸名も、本名の「初夏ういか」からつけられたらしい。知らなかった!「ファーストサマーの夜には蛍のおほく飛びちがひたる」ってことよね。(…ちがう??)今回も、まひろとききょうの毛筆草書のシーンがありましたが、習字をやってたのもキャスティングの理由なのかしら?ご視聴ありがとうございました。この撮影の時期は、CMや他の番組で定子さまをお見かけする度、涙するほどでした。枕草子のシーンは紙と細筆に向き合い何時間も稽古しました。写真は空き時間にひたすら書いていた練習のもの。10年習字習ってて良かった😂 #光る君へ #清少納言#枕草子 pic.twitter.com/Tx1OvymUrL— ファーストサマーウイカ (@FirstSummerUika) May 26, 2024 次週からは越前編で、松下洸平が宋人の役で登場するようですが、国際情勢が絡んでくるのも興味深いところです。
2024.06.01
NHK大河「光る君へ」第14話。貧しい女児に文字を教えようとした主人公。しかし、その意義は誰からの理解も得られぬまま、苦い挫折を味わうことになりました…。◇なぜ紫式部は、不倫男の官能小説「源氏物語」を書いたのか?!もしかして日本人の識字率を上げるためだった?!たしかに、どんなに「文字を覚えましょう♪」と呼びかけても、バカな貧乏人にはその意義が伝わりませんよね。貴族の学問など、平民が生きるうえでは何の役にも立たない!!…みたいな先入観もあったでしょうし。◇ならば、エロいポルノ小説を書いて世間にばらまこう!そうすればバカな貧乏人たちも、必死になって文字を学ぼうとするにちがいない!…みたいな発想があったのかしら?たしかに、その意味でなら、ポルノ小説にも社会的な効用はありますよね。いわば文字を学ばせるための「釣り」として。◇まあ、当時は著作権もないし、印税収入もないので、小説家などという職業もまだ存在しませんし、かといって、紫式部もただの余興で書いてたわけじゃなく、平民のためのボランティアで書いてたわけでもない。通説によれば、当時の文学作品は、お妃候補のサロンを盛り立てるための呼び物だったらしい。他の妃よりも、天皇が娘のもとを訪れてくれるよう、そのサロンを楽しく盛り立てる。彰子サロンを盤石にするため、『源氏物語』の作成から製本までがプロジェクトとして組まれたわけです。そのサロンを挙げての物語作りとPRのパトロンが、彰子とその父・道長であり、実質的な最高責任者が紫式部でした。https://diamond.jp/articles/-/336452?page=2◇でも、このドラマのなかでは、藤原道長も、紫式部も、清少納言も、もっと高い「志」をもってそうな感じがしますよね。もしかしたら、道長や倫子さんらがパトロンになって、日本人の教養と識字率を高めるための社会事業として、紫式部に王朝文学の制作を委託した…みたいな話かも。◇実際のところ、紫式部に、平民の識字率を上げようとの構想があったかは不明だし、そもそも書写された「源氏物語」が、ひろく平民にまで読まれたとの記録も存在しないはず。でも、もしかしたら平民だって読んでたかもしれない?!すくなくとも貴族の男女の教養を高めるうえで、紫式部の官能小説には社会的な効用もありましたよね。やっぱり学問って、楽しくなけりゃ広まらない。そういう発想は現代の教育行政にも必要だと思います。◆◇ #光る君へ ギャラリー◇◆【第十四回】星落ちてなお本日4月7日(日)[総合] 夜8時00分[BS・BSP4K] 午後6時00分[BSP4K] 午後0時40分▼あらすじhttps://t.co/4N5Ptdi9CQ▼相関図https://t.co/TynuXZrLUS#吉高由里子 #まひろ #紫式部 pic.twitter.com/pE8YEXfooO— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) April 7, 2024
2024.04.14
NHK大河「光る君へ」。毎週欠かさず見てます!だいたい4分の1が終わった感じ?◇正直、大石静には何の期待もしてなかったのだけど、想像を超える面白さにびっくりしてます。簡単にいったら、オジサンたちが権謀術数に明け暮れるかたわらで、女子たちが「ウフフ、オホホ」とお喋りしたり恋したり、…ってだけの話なんだけどwなんでこんなに面白いんでしょうね。◇柄本佑と吉高由里子は、けっして現代的な「美男美女」ではないけれど、2人とも目が切れ長で和風顔だから、あれこそ平安時代の「美男美女」だと信じたくなるし、いまさらながら絶妙な配役だと感心します。そして音楽の冬野ユミは、黒島結菜の「アシガール」のときにも、甘くてファンタジックな曲をつけてましたが、今回もまた、かなり自由自在に、平安ファンタジーっぽい甘美なテーマ音楽と、ジャズもまじえた現代的な劇伴をつけてるのが良い。◇若手のキャストたちが、毛筆草書を吹き替えなしでやってるのも凄いけど…馬を乗りこなして「打毬」をやってたのも凄かった。あの「打毬」という競技は、ハリポタの「クィディッチ」に似てましたが、紀元前6世紀ごろのペルシャの発祥で、日本の「打毬」のほうが英国の「ポロ」より古いのだと。たぶんハリポタの「クィディッチ」は、英国の「ポロ」をもとにしてるのだと思います。◇さて、前回の大河も「ファンタジーだ!」と叩かれましたが、今回はそれをも凌ぐ超絶ファンタジーwいちおう考証担当者は7人くらいいるらしいけど、資料が少なくて分からないことが多いのか、事実関係を考証してるのは倉本一宏ひとりだけ。紫式部と藤原道長 (講談社現代新書) [ 倉本 一宏 ] 楽天で購入 そのほかの担当者は、建築とか、芸能とか、和歌とか、料理とか、おもに社会風俗の考証をおこなってるようです。まあ、平安時代の社会風俗をドラマで再現するだけでも、歴史研究をうながす意義は十分にあると思う。そのほか、「下っ端の藤原氏より後ろ盾のある源氏のほうが身分が上」みたいな当時の事情を知れるのも面白い。◇ちなみに、ただひとり事実関係の考証を担う倉本一宏でさえ、「紫式部と道長が幼馴染みなんてことはありえない!!」と断言してますwここ最近は毎年3人くらいで分担している時代考証ですが、今年はどうも私1人しかいないらしい。紫式部と道長が幼なじみだという設定から出発しているのですが、実はそもそもこの設定自体が史実に反します。NHKが制作発表の段階で発表してしまったため変えられないので妥協することにしましたが、実際には、2人が幼なじみだったということも恋仲だったということもあり得ません。https://www.todaishimbun.org/drkuramoto_20231228/その前提からしてファンタジーだとしたら、「道長の兄が紫式部の母を道ばたで刺し殺した」なんて事実もありえないわけで…逆にいったら、ほんとうの史実はどこにあるの??って話。◇わたしが思うに、ここまでの4分の1の内容は、おもに《藤原兼家の権力闘争》の史実を中心に、フィクションをまじえて作ったのだと思います。とくに、花山天皇の退位(寛和の変)とか、そのあとの高御座「生首」事件とかは、それなりの資料にもとづいていたはずです。もちろん、当時の資料それ自体が捏造だったら、それすら史実じゃない可能性もありますがw◇前回の大河が「ファンタジーだ!」と叩かれたわりに、今回の大河にその類の批判が少ないのは、もともと大部分の視聴者が、過去の少女漫画や少女文学をとおして、いわゆる「王朝ファンタジー」に慣れてたからでしょう。大和和紀『あさきゆめみし』1979山岸凉子『日出処の天子』1980氷室冴子『ざ・ちぇんじ!』1983氷室冴子『なんて素敵にジャパネスク』1984逆にいうと、そういう「王朝ファンタジー」に慣れてない人たちは、そもそも今回のドラマを観てないよね。なので、視聴率は低いけど、そのぶんバッシングも相対的に少ないってこと。それをもって作品の優劣を論じても意味がありません。◇結局のところ、視聴者の多くは、慣れ親しんだイメージに近ければ納得するし、そうでなければ「史実と違う!」といって騒ぎ出す。たとえば司馬遼太郎を愛読してきた人たちは、それが「史実だ」と思い込んでるし、かたや大和和紀の漫画などを読んできた人は、そこに「歴史の実態がある」と思い込んでいる。そういう素人の視聴者が、ネットなどで繰り広げてる「史実論争」ってのは、ほとんどの場合、クソほどの価値もないバカ論争ではあるのだけど、かりにファンタジーであったとしても、凝り固まった歴史のイメージが変わっていくことは、それなりに意味のあることだと思います。すくなくとも、これまでのような、男性小説的な《戦国武将劇》への偏重から脱して、少女漫画的な《平安貴族劇》が増えることも、中世史への関心を高めるためには必要なことだし、今後は《江戸町人劇》なんかも増えたらいいと思う。◇なお、今作が「平安ファンタジー」であることは、安倍晴明の祈祷から始まったことに象徴されてますが、じつは、このドラマの中で、藤原兼家と道長の2人にかぎっては、陰陽術をぜんぜん信じてないという設定になってます。とくに藤原兼家は、安倍晴明のインチキを見破ったうえで利用してますね。実際、高御座「生首」事件が史実だったとすれば、兼家は《穢れ》に対する迷信をあざ笑いながら、血で汚れた高御座のうえに、平然と自分の孫を座らせたことになります。◇たしかに現代人から見ると、安倍晴明の陰陽術はインチキに見えるけれど、近代医学がまだ存在しなかった時代、つまり細菌やウィルスの知識がなかった時代に、不可解な伝染病で人がバタバタ死んだりすれば、たとえ荒唐無稽な迷信だとしても、《穢れ》や《清め》や《禁忌》などの概念には、たんに宗教的な意味合いだけでなく、おそらく衛生上の合理性があったはずなのよね。現代人でさえ、目に見えないコロナウィルスにおののき、デマを信じたり、差別的になったりするのだから、中世の人々が迷信に頼るのも至極当然の話。そう考えると、迷信を無視することはきわめて困難だったと思う。◇そんな怖れを知らぬ藤原兼家も、そろそろ死期が迫ってるっぽいので…今後の焦点は、やはり主人公の結婚?!(お相手はネタバレになるので触れません)そして、序盤にくらべれば、だいぶ史実に則した内容になるはずですが、倫子さん or 彰子さん付きの女房になるのでしょうね。(誰の女房だったかについて諸説あるようです)たとえ「紫式部と道長が幼馴染み」ってのがファンタジーとしても、その2人が藤原氏だったのは間違いないし、年齢が近かったのも事実だし、(道長が4才上との説や12才上との説あり)倫子さんと親しい間柄ってのも、それなりに根拠はあるようです。平安貴族とは何か 三つの日記で読む実像 (NHK出版新書 707 707) [ 倉本 一宏 ] 楽天で購入
2024.04.07
NHK大河の最終回。濃密で見応えがありました。寺島しのぶのナレによる神君家康の伝説は、天海がでっちあげた勝者の歴史であり、春日局が竹千代/家光に語った話だったのね。ほんとうの家康は、神の君/東照大権現でなく人間だったし、虎でもなく、狸でもなく、かよわい白兎だった。それを最後に示したエピソードが、信長に賜った鯉を家臣が食べてしまうドッキリ。(旭堂南斗「鈴木久三郎~鯉のご意見」の再解釈です)優しすぎる家康は家臣を手討ちにできなかった。◇脚本の古沢良太は、徳川体制が15代もの継承に成功した理由を、家康が「天才じゃなかったから」と考えたようです。信長も秀吉も信玄も義元も天才だったと想定すると、天才の作った天才にしか運営できない仕組みは、ほかの誰も継承できない。それに比べて、家康はふつうの人だったから、ふつうの人が運営できる体制を作り、それを秀忠に継がせ、その後、江戸幕府は260年続けられたのではないかな、と僕なりに解釈しました。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/770995ea51314842c32e5415f4e38a18c8efa0e9つまり、天才による覇道じゃなく、凡人による王道ってこと。そして竹千代は、家康の正体が兎だと見抜いてたのね。後の徳川家光こと竹千代は実際に兎の絵を書いたおり、その「兎図」は2018年公開され、発見はその数年前京都にあったという最新の話。その他家光はユルイ動物の絵が発見されており、#どうする家康 では白兎にかけて歴史ネタを採用してのは凄い。 pic.twitter.com/sjWG7sLyik— 一二三 (@nunonofuku123) December 17, 2023そういえば大河も白兎だった。#どうする家康 pic.twitter.com/Cwqys39KEA— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 27, 2023◇その一方、古沢良太は、家康は平和と引き換えに、大事な個人の幸せを捨て、苦い苦いものを飲み込んで成し遂げたのだということを描きたかった。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/770995ea51314842c32e5415f4e38a18c8efa0e9…とも話してます。ドラマでは、瀬名や信康や旧臣らの幻影があらわれ、家康が「幸せだった」と涙して終わりましたが…天下泰平を成し遂げたとはいえ、家康自身の人生は晩年まで戦いの連続だったわけで、はたして幸せだったのかしら?と思ってしまう。そういうところは、西南戦争の西郷隆盛にも重なってしまうのですが、乱世を終わらせるには、「自分がすべて引き受けて終わらせるしかない」…ってことかもしれません。本日のどうする家康、殿が書かれていた南無阿弥家康。岡崎の大樹寺で見ることができます。レプリカですが…本物は大切に保管されています。#どうする家康#南無阿弥家康#岡崎 #大樹寺 #大河ドラマ館 pic.twitter.com/n0TPpdDX6G— 【公式】岡崎でどうする家康 大河ドラマ館を作りたい人達 (@dousuru_okazaki) December 10, 2023 ◇茶々の捨て台詞もスゴかった…日の本か…つまらぬ国になるであろう!正々堂々と戦うこともせず、万事を長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ妬み嘲る、優しくて卑屈なかよわき者たちの国に!己の夢と野心のために、なりふりかまわず力のみを信じて戦い抜く…。かつて、この国の荒れ野を駆け巡った者たちは、もう現れまい。平和な日本の、一面の真実を言い当ててます。大坂の陣は、いわば「戦うための戦い」であり、およそ合理的な目的のない狂気の戦争でしたが、茶々の動機は、母を救わなかった家康への怨嗟ともいえるし、報われなかった片想いからの逆恨みともいえるし、あるいは、上のセリフにあるような、力だけを信じる乱世的野心だったともいえます。しかし、現実的には、「乱世でしか生きられない牢人は殺し合うしかない」みたいなことだったのかもしれないし、それもまた西南戦争の西郷隆盛に重なる気がする。◇老けメイクも凄かったァ。ただ肌がくすんでるとか、シミがあるとかだけじゃなく、表情を動かしたときに皺が寄ったりする感じも、とても自然でリアルで、本物の老人のようでした。◇今回の大河は、稲本響のテーマ曲も好きだった。歴代テーマ曲のなかでいちばん好きかも。大河ドラマのテーマ曲って、(女性が主人公の場合は別だけど)通常は勇ましい曲調のものが多い。でも、今回の曲は、最初に優美で女性的な曲想にはじまり、いったんは勇ましくなるものの、中盤はリズミカルで楽しい曲調に変わって、最後は、滑稽ともいうべきユーモラスな形に終わる。とてもユニークで、遊び心があって、知的なテーマ曲でした。背景のアニメーション映像も素晴らしかった。※クリックするとYoutubeで3種の背景アニメーションが見れる。稲本響は、阿部海太郎とともにNHKの仕事が多い音楽家ですが、葛飾応為の「眩」のころから気になってたのよね。◇ドラマの放送直後は、Nスペ「家康の世界地図〜知られざる開国の夢」も見ました。江戸幕府の禁教・鎖国令によって、日本の開国は300年近く遅れましたが、じつは家康にも開国の構想があった、という話。ここでも、秀吉の「大陸進出」と西郷の「征韓論」が重なるし、江戸の「禁教・鎖国令」と明治の「攘夷論」が重なります。結果的には、禁教令によって、スペイン国王との通商交渉が破談になりました。番組では触れられてなかったけど、遣欧使節団をスペインに送った伊達政宗は、キリスト教を受け入れて交易するつもりだったのよね。徳川と伊達の主導権争いも絡んでたのかしら?
2023.12.18
NHK大河「どうする家康」第43話。関ケ原の戦が決した後、家康が「何がそなたを変えたのじゃ?」と問うと、三成は「私は変わっておりませぬ」と答えました。このわたくしの内にも、戦乱を求める心があっただけのこと。いちど火がつけば止められぬ恐ろしい火種が。それは誰の心にもある。ご自分にないとお思いか? うぬぼれるな!この悲惨な戦を引き起こしたのは私であり、あなただ。乱世を生き延びるあなたこそ戦乱を求める者。戦なき世など成せぬ。まやかしの夢を語るな!Youtube切り抜き大河。三成の言う「まやかしの夢」とは、天下統一に懸ける家康の夢でもありますが、それは、ほかでもなく、かつて瀬名が希求した「慈愛の国」のことです。わたしは、下の記事にも書いたように、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202306280001/瀬名がたんに人間の慈愛心を信じたとは思わないけれど、たしかに、人間の慈愛心だけで平和を実現することは出来ません。平和を実現するためには、そのための実効的な仕組みと何らかの強制力が必要です。◇家康は、この三成の言葉に触れたことによって、いかにして人間の「戦乱を求める心」を抑え込むか、その実効的な方法を構想していくのだと思います。下の記事よれば、https://kazumie830.blog.fc2.com/blog-entry-7384.html古沢良太は次のように語っているらしい。今の時代にも戦争はあって、誰もが理想を持っているのに、現実の世界に理想はいつも敗北させられている。でも、家康は戦いのない世界を実際に作った。その偉業には説得力がある。おそらく、江戸幕府が「戦乱を求める心」を抑え込むべく作ったのが、参勤交代のような諸制度ですよね。つまり、それは諸藩の軍事力を骨抜きにする仕組みだった。そして近代の廃藩と武装解除によって、日本の内乱は完全に消滅したのだといえます。なお、近代の廃藩置県についてはこちらに書きました。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202110200000/
2023.11.19
NHK大河「どうする家康」第36話。鳥居元忠がなんと千代を妻にしました!しかも、彼女は「馬場信春の娘」であると。…ってことは、伏見城の戦いでは、千代が「松の丸の脆弱性」を予言するのでしょうね。◇しかし、案の定、SNSなどでは自称歴史通の批判が湧いてます。もちろん、仮説にもとづくフィクションなのは明らかですが資料的な反証がなければ、一概に否定はできないはず。瀬名の「慈愛の国構想」のときもそうでしたが、残念ながら、今回も有効な反証は見当たらず、むしろ、お粗末な反論ばかりが目につきます。今朝の新作です❗ご一読くださいませ❗歩き巫女の千代は、本当に鳥居元忠の妻だったのか? 馬場信春との関係は(渡邊大門) https://t.co/X0G43AW1bK #どうする家康— 渡邊大門〔株式会社歴史と文化の研究所代表取締役、博士(文学)、十六世紀史研究学会代表〕 (@info_history1) September 25, 2023 上の記事のなかで、渡邊大門は次のように書いています。千代といえば、かつて武田氏のスパイのような活動をしていた女性である。本当に元忠は大きなリスクを冒してまで、本当に千代を妻として迎えたのだろうか。千代は武田信玄・勝頼父子に仕えていたので、徳川方にとっては厄介な女性だった。仮に事実だったとしても、本当に家康が許してくれるのか疑問である。◇しかし、これは、かなり安っぽい批判だというべきです。もともと家康は、「馬場信春の娘」を自分の側室にするつもりでした。それを鳥居元忠に横取りされてしまったわけです。なぜ家康は彼女を側室にしようとしたか?それは旧武田家との結束を強めるべく姻戚関係を望んだから。すでに武田勢を敵とは見なしていなかった。そして、「馬場信春の娘」を元忠に横取りされた家康は、その代わりとして穴山梅雪の養女・下山殿を側室とします。つまり、徳川と武田勢との結びつきは、馬場信春の娘や穴山の養女を迎えるまでになっていた。かつてスパイ活動をしていたというのなら、千代であれ、穴山梅雪であれ、同じことです。この自称歴史研究家は、その史実すら知らずに記事を書いているのでしょうか?◇さらに、典型的な批判として次のようなものがある。 これぞ古沢マジックですか🤣🤣🤣歩き巫女なんて売春もやるのにねw武田の有力武将の姫様が歩き巫女なんかするわけないw— 南部十四郎 (@Bigbon61) September 24, 2023 しかし、これは、従来の説にも当てはまる反証にすぎません。もともと、千代のモデルの望月千代女は、「滋野氏の末裔/望月盛時の妻」とされてきました。望月盛時は、武田信玄の甥ともいわれる人物。> 馬場信春の娘が歩き巫女のはずがない。> 鳥居元忠の妻が歩き巫女のはずがない。という批判は、> 滋野氏の末裔が歩き巫女のはずがない。> 望月盛時の妻が歩き巫女のはずがない。という従来の批判と何ら変わりありません。しかし、それがありえたかもしれないからこそ、彼女の存在は日本史上の謎になっているわけです。従来説は疑いもなく受け入れるのに、新しい仮説と見るや頭ごなしに難癖をつけるのでは、たんなる権威主義というほかありません。◇実際、稲垣史生などは、"武将の妻が巫女のような低い身分と直接関わるとは考えにくい"として「くノ一説」を唱えました。しかし、学会では、その俗説のほうが批判されています。https://ja.wikipedia.org/wiki/望月千代女そもそも、望月千代女は、「巫女頭」だったとされているのであって、彼女自身が末端の歩き巫女だったわけではありません。それは、ちょうど服部正成が、忍びを指揮・統率した武将であって、彼自身が伊賀者ではなかったのと同じことです。
2023.10.01
NHK大河、どうする家康「本能寺の変」を見ました。ジャニーズが崩壊しようとしている今、信長と家康の《BL的な愛憎関係》に焦点をあて、ある種の「父殺し」みたいな話に仕立てたところは、なにやら予言的な脚本だったといえます…(笑)。松潤の「信長!信長!」という心の叫びを、思わず「喜多川!喜多川!」と空耳しちゃったのは、わたしだけだったでしょうか??きっとデヴィ夫人なら、こうした父殺しを「非礼極まる」と切り捨てるだろうけど、わたしは、父殺しの葛藤のなかで泣き叫ぶ松潤の姿に、痛切な共感を禁じ得なかったのです。◇…てなわけで、いろんな意味で面白い脚本だったのだけど、案の定、ヤフコメなどを見ると批判の嵐!嵐だけに!そして、例によって、資料的な反論がまったく見当たらない。あのさあ…そんなに歴史通ぶって批判をするなら、もうちょっと資料的な反論をしてみたら?と思うのだけど、何故それが出来ないのかしら。なかには「史実とちがう」と叫んでたバカもいますが、じゃあ、お前は史実を知ってるんか!…って話ですよねw◇かたや、≫ 一昨年の 『麒麟がくる』のイメージが台無し!と嘆いていた人たちもいるらしい。しかし、一般の学説にしたがえば、信長が享年49才だったのに対して、光秀は70才前後と比定するのが普通なのだから、長谷川博己みたいに、若くてハンサムな光秀をイメージするほうが、よっぽど通説に反しているのです。「明智光秀=金柑頭」説。寛永年間(1624-1645年)の成立と推測される『当代記』の享年67歳説が、成立時期や史料の性格から最も信が置けるとみられるが、断定はできない。『明智軍記』では没年が天正10年6月14日(1582年7月3日)の享年55。『武家聞伝記』では享年70。一方、橋場日月は『兼見卿記』にある光秀の妹・妻木についての記述から、光秀の生年は大幅に遅い天文9年(1540年)以降と推定している。この場合、天文3年(1534年)生の織田信長より年下となる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%A4%89本能寺の変は、70才前後の光秀の年齢から考えれば、「老人が小賢しい私怨から企てた謀反」と考えるのが自然。さもなくば、光秀はたんに悪役に仕立てられただけで、「他にだれか別の黒幕がいる」と考えるべきでしょう。◇さらにひどいのは、この期に及んで、> 妻と息子を殺したのは家康自身なのだから、> 家康が信長を恨む理由などありません!!と主張しているエセ歴史家が見受けられること。しかし、それは自分の仮説の上にまた自分の仮説を重ねているだけ。たとえ妻と息子を殺したのが誰であろうと、「家康黒幕説」そのものは昔から存在しているし、家康が信長を討とうとした可能性を考えるのは、むしろ普通のことなのです。ちなみに、Wikipediaには、以下の6種類の「家康黒幕説」が紹介されてます。●徳川家康主犯・伊賀忍者実行犯説●光秀・家康共謀説●光秀・秀吉・家康共謀説(土岐明智家滅亡阻止説)●近衛前久・徳川家康黒幕説●堺商人・徳川家康黒幕説●徳川家康・イギリス・オランダ黒幕説https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%A4%89◇もうひとつの学説として見逃せないのは、いわゆる「信長黒幕説」です。本能寺の変が起こったのは6月2日です。この運命の一日、信長による徳川家康暗殺の決行日であったとの説が最近にわかに浮上しています。家康を油断させるために、信長自身も手薄な警護で京都に入り、家康をおびき寄せたところを、丹波にいる光秀の軍勢が家康を仕留める、というものです。ですから、光秀が兵を挙げるのは信長の命令通りであり堂々と京へ進軍できました。ただ、その矛先が家康ではなく信長に方向転換された…というのが、本能寺の変だったというわけです。このように家康暗殺計画により、光秀に謀反のチャンスを与えてしまったことが「予は予自ら死を招いたな」の真意だというものです。https://kyotolove.kyoto/I0000300明智軍に従軍していた本城惣右衛門による『本城惣右衛門覚書』には「(家康が上洛していたので)いゑやすさまとばかり存候」という記述があり、家臣たちは御公儀様(信長)の命令で徳川家康を討ち取ると思っていたとされ、真の目的が知らされていなかったことを示している。ルイス・フロイスの『日本史』にも「或者は是れ或は信長の内命によりて、其の親類たる三河の君主(家康)を掩殺する為めではないかと、疑惑した」という記述があり、有無を言わせず、相手を知らせることなく兵を攻撃に向かわせたと書かれている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%A4%89今回の古沢良太の脚本は、いわば「家康黒幕説」と「信長黒幕説」の応用であり、「信長が家康に自分を討たせようとした」という解釈なのです。そこにBL要素が絡んでくる。そして、光秀の私怨は、「信長と家康の両方に向けられた」ってことですね。それは、いうまでもなく饗応役解任事件がきっかけ。明智光秀が徳川家康の饗応役を命じられながらも、その手際の悪さから突然解任されたとする話が『川角太閤記』にある。織田信長は検分するために光秀邸を訪れたが、一歩門を入ると魚肉の腐った臭いが鼻を付いたので、怒ってそのまま台所に向かって行き、「この様子では家康の御馳走は務まるまい」と言って光秀を解任し、饗応役を堀秀政に替えた。赤恥をかいた光秀は腹立ちまぎれに肴や器を堀に投げ棄て、その悪臭が安土の町にふきちらされたと云う。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%A4%89光秀は、本能寺の変を「家康の謀反」に見せかけるために、信長の首を取りながらも、自分ではそれを晒さなかったのかもしれません。(信長の首については次週の内容を見ないと分かりません)◇信長に "男好み" があったのは間違いないし、家族どうしでさえ殺しあう戦国の世においては、いつとも知れぬ死の恐怖に苛まれるあまり、「せめて愛する人に殺してほしいっっ!!」…みたいな異常心理が生まれることだってあったかも(笑)。このあたりのBL的な解釈や、お市が堺で家康に "兄の恋心" を仄めかすくだりは、さすがにフィクションだと思うけど、そこらへんはドラマの脚色として楽しむ範囲のことでしょう。…おそらく今回のドラマを批判している人たちは、過去の特定作品のシナリオに固執するあまり、それ以外のシナリオを受け入れる柔軟性がないのです。それは、すなわち、いつもどおりの展開を期待する「水戸黄門」の視聴者と同じで、要するに、老人なのでしょう。
2023.07.25
朝ドラも前半が終了しましたが、大河のほうも「築山事件」をもって前半が終了。ふりかえってみれば、前半はそれ自体が壮大な仮説でした。徳川による天下統一が瀬名姫の構想であり、じつは瀬名こそが日本史上最大の偉人だった、とも思わせる仮説!きっと後半になると、これまでヘタレだった家康が、亡き妻の構想を実現するために大きく変貌するのでしょう。はたして「鬼」になるのか、それとも「狸」になるのか…(笑)◇先週の「戦うフリ」ってのは、やや無理があったけれど、それ以外の点は、意外なほど矛盾が少ない気がしています。後世に残る瀬名と信康の「悪女伝説」「悪行伝説」は、徳川と武田の同盟計画を母子の責任として、永久にカムフラージュするためのデマだった…ってこと。今回のドラマを見ると、「せめて江戸幕府を開いた後には名誉回復してあげて!」と願ってしまうわけだけど、なんと、今週の番組最後の大河紀行(どうする家康ツアーズ)によれば、瀬名の「悪女伝説」が作られたのは、むしろ江戸時代になってから…なのだそうです。…なぜ??!かりにドラマの後半で江戸時代までを描くのなら、瀬名の「悪女伝説」を作ることになった経緯も明かされるでしょうか?やっぱり将軍の後継問題とかが絡んでるのかなあ。
2023.07.04
NHK大河どうする家康。第24回「築山へ集え!」。案の定、瀬名のぶちあげた「慈愛の国」構想に対して、自称歴史通の視聴者から嵐のような批判が飛び交っています。↓とくにFLASHの記事には数百件のコメントが。築山事件 “新解釈” 脚本に違和感の嵐「ファンタジーすぎて興醒め」「歴史に敬意がない」…まあ、制作側としては「想定内」の批判でしょうけれど(笑)。◇わたしは、もちろんこれが史実だというつもりはないけれど、かといって、瀬名の構想がちっともファンタジーだとは思わない。資料的な反証ができないのなら、そういう構想が存在した可能性も否定できないと思う。実際、ヤフコメを見ても、なにひとつ「資料的な反証」は見当たりません。前の記事にも書きましたが、「瀬名が悪女で夫婦仲が悪かったから夫を裏切ったのだ」みたいな従来説のほうが、はるかにアホっぽくてナイーブな解釈だと思います。そもそも、残虐な殺戮などを行ったならともかくも、夫や主君に従わなかっただけで「悪女」呼ばわりするのは、悪しき男性主義にもとづく不当な歴史観というべきです。◇ここで、あらためて、瀬名の構想をふりかえってみましょう。瀬名、信康、千代、穴山の4名は、家康にむかって次のように語りました。我らのもとに集う者は、どんどん増えるに違いありません。なぜなら、その大きな国は、武力で制したのではなく「慈愛の心」で結びついた国なのですから。いずれは織田様も我らのもとへ集うことになりましょう。武田、徳川、織田、北条、上杉、伊達らが、あらゆる事柄を話し合いで決めてゆくのです。さすれば、戦のない世が出来まする。日本国がひとつの「慈愛の国」となるのです。…たしかに、ここだけを見ると、まったく現実味のない理想主義的なファンタジーに思えます。しかし!じつはその前に、瀬名と信康はこう述べています。それらの国々が同じ銭を使い、商売を自在にし、人と物の往来を盛んにする。さすれば、この東国に新たなる「巨大な国」が出来あがるも同じ。そのような「巨大な国」に信長様は戦を仕掛けてくるでしょうか?強き獣は弱き獣を襲います。されど、強き獣と強き獣はただにらみ合うのみ。にらみ合っている間にも、我らのもとに集う者はどんどん増えるに違いありません。たとえば徳川が天下を統一したように、あるいは明治新政府が中央集権体制を樹立したように、内戦状態を終結させるためには勝ち切らなければなりません。そして、勝ち切るためには圧倒的に強くなければならない。ここで瀬名が主張しているのは、そのために軍事同盟と経済協定を結び、織田を上回る「巨大な国」を構築しよう、ということ。そうすれば力の均衡が生まれ、さらに圧倒的な力で上回れば、やがては織田も同盟に加わるほかなくなる、という話です。◇一方、穴山は、武田勝頼にこう語っていました。率直に申し上げて、戦い続ければ、先に力尽きるのは我らかと。この策に賭けるほかに我らの生き残る道はありません。つまり、前線に立たされて分裂しかかっていた徳川だけでなく、武田もまた、厳しい苦境に立たされていたわけです。そこで、瀬名は、そんな武田の苦境につけこんで、対等な軍事同盟と経済協定をもちかけたのです。◇苦境を強いられた国どうしが、同盟によって状況を打開し、強大な敵に対抗しようとするのは、きわめて現実的な選択であって、すこしもファンタジーではない。そして、その同盟が巨大になればなるほど、必然的に戦争は躊躇されるようになり、やがて圧倒的な支配による平和状態へ移行するのです。そのために必要なのは、怨恨をのりこえた和合と経済的な安定です。これこそが平和を達成するための現実的な道筋であり、それはすでに世界各地の歴史において証明されていることです。◇◇瀬名と武田方の密約が史実だと仮定した場合、その動機についての合理的な説明は過去になされていません。たんに「悪女で夫婦仲が悪かったから」みたいな理由だけで、命を懸けてまで夫を裏切るとは考えられません。むしろ「武田方との同盟を仲介した」という仮説のほうが、よほど動機としては合理性があるように思えます。この渡邊大門って人、「ありえない」と大見得切ってるわりには反証が乏しすぎる。この種の「自称歴史専門家」はまったく信用に値しない。ちなみに、ヤフコメにも「通説と違う」という以外の論理的な反証はひとつも見当たらない。#どうする家康 #松本潤 #有村架純 #築山事件https://t.co/CYRFEzJ07f— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 27, 2023 ▶ 瀬名発案「慈愛の国」「戦のない国」という戦国ユートピア構想をどう受け止めるべきなのか?(サライ.jp)
2023.06.28
NHK大河どうする家康。第24回「築山へ集え!」を見ました。いや~…予想とは異次元の内容だったのでびっくり!(笑)まさにコンフィデンスマン的な謀りごと?!今作の最大の「仮説」をぶちあげた感じです。◇もちろん古沢良太の創作ですけど、あながちフィクションとは言い切れない部分がある。実際、戦国の世だからこそ、経済による国内平和を構想した人はいるはずだし、誰かがどこかでそういう構想をしなければ、その後の徳川300年の安定はありえなかったと思います。◇とはいえ、さすがに「戦のフリ」をするってのは、すぐにバレるだろうという気がしたし、無駄なコストもかかる気はしたけれど、まあ、実際に戦って消耗するよりはマシですよね。…しかし、結局、築山の構想を踏みにじったのは武田勝頼でした。瀬名も、最初から、織田にバレることを覚悟してただろうし、それどころか、いずれは自分が死ぬことまで想定して、笛のヘタくそな側室(広瀬アリス)を、あらかじめ夫にあてがったように見えます。◇◇◇いつの時代にも、「貧しいなら戦って奪うのが現実的」「相手が攻めてくるから戦うのが現実的」「たがいに怨恨があるなら戦うのが現実的」という主張はありますよね。しかし、ほんとうは、戦いをやめるのが双方にとって合理的です。たがいに消耗し、全体が荒廃するだけなのだから。「戦国だから戦うのが当然」ってのもバカの考え。戦いを続けるほうが、よほど非合理というべきです。実際、徳川300年も、近代の日本も、経済的な平和によってこそ国内が発展したわけです。そのために必要なのは、貧困と怨恨を克服すること。その意味でなら、瀬名の謀り事は、きわめて「現実的」だったと言えます。◇ちなみに、坂元裕二も、有村架純のことを、「とてもミステリアスで何を考えていらっしゃるのか分からない」と評していたことがあります。今回の瀬名役は、そういう彼女のキャラを存分に生かしたものになってますね。
2023.06.26
NHK大河「どうする家康」。もし今夜が築山殿事件だとすれば、最大のクライマックスになるのでは…??◇今年の大河は、戦国時代の話でありながら、かなり女性たちに焦点が当てられていて、物語の半分ぐらいの比重を占めています。それだけでも、かなり異例。有村架純が演じる「瀬名」が事実上のヒロインで、古川琴音が演じる「望月千代」も重要な存在ですが、この二人が、最終的にどうなるのか??いよいよ大きな山場が迫ってきている。長篠の鉄砲戦なんぞよりも、ずっと重みのあるエピソードになりそうな予感。◇ちなみに、古川琴音が演じている「望月千代」は巫女を装った間者(スパイ)なのですが、あながち架空の人物というわけでもなく、ほんとうに実在した可能性があるらしい。Wikipediaよれば、当時、甲斐国の口寄せ巫女が岡崎領に大勢来ており、それにつけ込んで勝頼が巫女を懐柔して築山殿に取り入らせ、徳姫を勝頼の味方にすれば築山殿を勝頼の妻とし信康を勝頼の嫡男にして天下を譲り受けるという託宣を巫女に述べさせた。…とのこと。さらに信濃巫の巫女頭には「望月千代女」という人も実在したようで、彼女のことをテレビ時代劇で取り上げたのは、どうやら今回が初めてみたいです。脚本家の古沢良太は、こうした人物も組み込みながら、大胆に女性たちを交えた物語を仕立てている。◇築山殿事件にかんしては、「築山殿(瀬名)が悪女だったから」とか、「家康との夫婦仲が悪かったから」とか、従来はそんな解釈が多かったと思いますが、これはそんなアホな話ではなく、要するに、当時の徳川勢は、けっして一枚岩ではなかったってことです。内部には織田に対する反感がくすぶっており、武田側からのさまざまな切り崩し工作もあり、そのなかで、必然的に分裂や謀反が多発したということ。その結果、妻と息子までが、夫と対立する立場になってしまった。夫婦仲が良いとか悪いとかの話ではありません。従来の「悪い女で夫婦仲も悪かったから裏切った」みたいな解釈のほうが、よほどナイーブでアホっぽいのです。 ◇今回のドラマのなかでは、戦乱のなかで精神を病む息子・信康に心を痛め、瀬名が武田勢との和睦を模索する流れになってます。つまり、家族や子供たちの安寧を願う妻の考えが、夫の方針とは食い違っていくわけですね。こういうことって現代でもありうる話です。そうした食い違いが、戦国時代の場合には、家族の生き死ににまで発展してしまうってこと。とても怖い話になりそうで、いまから怯えています(笑)。
2023.06.25
今年の大河「どうする家康」は、だいぶアンチが多いらしいのだけど、わたしは、かなり面白いと思って見てる。裏切りや欺きが横行して、敵と味方がはげしく入れ替わる戦国の世を、コンフィデンスマン的な発想でドラマティックに描くところに、古沢良太の真骨頂があるのでしょうね。大胆な虚実をまじえた構想力が前面に出ています。◇なまじ歴史を知っているアンチにとって、自由に構想されたフィクションは目障りかもしれないけど、むしろ大河ドラマにこそ自由なフィクションは必要です。NHK大河の時代考証は、「分かっていることは忠実に」「分からないことは可能なかぎり自由に」というのが原則だと思う。いちばん良くないのは、根拠のない既存の解釈を追認することです。固定観念にもとづくイメージは、誤まった歴史観を助長しかねないし、のみならず、歴史研究の妨げにもなってしまう。それを避けるためにも、史実が完全に明らかでない部分については、過去の解釈を積極的に変えていったほうがいい。凝り固まった歴史イメージを振り落とすために、なるべく自由な解釈に開いておくほうがいい。それこそがNHK大河の役割ともいえます。民放などの時代劇は、既存の安易なイメージに寄りがちだから。◇歴史小説や時代劇を愛好する素人ほど、新しい自由な発想に対しては否定的になるものですね。実際、アンチの多い大河ドラマでは、時代考証への批判が、なぜか一般の視聴者から出てくる。だけど、NHKの考証担当者よりも詳しい一般視聴者なんて、そうそういるわけがないのよね。ほとんどの場合は、たんなる半可通の素人が、過去の時代劇や歴史小説を「史実」と勘違いしてるだけ。そういう馬鹿な批判には取り合う必要がありません。今回の「どうする家康」への批判を見てても、ギャーギャー騒いでるのは半可通の素人ばかり。ほんとうの専門家からの批判はほとんど見られない。◇◇古沢良太は、瀬名の奪還エピソードについても、椿姫=お田鶴のエピソードについても、おそらく虚実をまじえて物語を構成したのでしょうが、それだけに非常にドラマティックだった。お田鶴が夫の裏切りを密告したという部分などは、まったくの想像なのだろうけど、実際の文献でも、夫は家康と内通し、妻は家康と戦ったとされていて、結果として夫婦の立場が違ったのは間違いないし、であれば、妻の「密告」という仮説にも整合性はあります。◇大筋でいうと、序盤では「今川家の敗北」を描いた形ですね。公家の文化にかぶれた今川家は、弱肉強食の戦国の世に適応しきれなかった。Wikipediaによれば、「戦乱を避けた公家(冷泉為和ら)が駿府に下向したこと」が、今川家に円熟した公家風文化をもたらしたらしいのですが、それがかえって裏目になってしまった。野村萬斎が演じる義元は、いかにも雅な公家風だったし、蹴鞠しかできない氏真も、戦国大名としては無能だった。お田鶴も、今川家の雅な文化を愛するあまり、戦国の世に適応していく者たちを恨まずにいられなかった。逆に、瀬名や元康は、苦しみながらも戦国の世にかろうじて適応しえたってこと。そのことに説得性を与える物語として、序盤の人間ドラマが構想されていたと思います。◆ただし、椿姫と氏真の人物像については、古沢脚本の難点も感じました。というのも、いったん悪役的な印象をミスリードしておいて、後になって初出しの回想シーンでそれを修正していたからです。彼らが「椿」や「蹴鞠」を愛する平和主義者だという話は、視聴者にとっては初めて知る情報だったから、これは伏線の回収というよりも、いわば後出しジャンケンですね。コンフィデンスマン的な《どんでん返し》ならともかく、あえて大河でこういう手法をとる意味は乏しいと思う。氏真は無能ではなかった!(クリックすると「YouTube 歴史探偵」が見れます)◇もうひとつ、序盤の内容で興味深かったのは、一向宗の描写です。一般に、戦国仏教は「来世志向」だと思われてるけど、ドラマではむしろ「現世志向」のように描かれてました。いわく「現世の罪は現世かぎり」。この世の罪は来世で帳消しにされる、と。信徒たちは、人生を思いきり楽しんでる感じでした。寺内町には、豊富な生産物の取引や分配があり、自由な恋愛があり、戦はなく、歌や踊りなどのエンタメもある。ぶっちゃけ、とても世俗的なのですね。NHKプラスでは、英雄たちの選択「三河一向一揆の衝撃」が再配信されてましたが、そこでも磯田道史らが、「中世の寺院は大学だった、土倉は銀行だった」「タックスヘイブンだから金持ちが集まった」と話してました。◇ヨーロッパにせよ、日本にせよ、中世は、宗教的蒙昧が支配してしまった時代ですが、日本の場合は、「忠義のために死ね」という武士の信念のほうが、仏教よりも、はるかにカルト宗教的であって、それにくらべれば、むしろ現世主義的な仏教のほうが、世俗的な近代性を先取りしていたかもしれない。そもそも、本来の仏教は、信仰というより哲学に近いもので、その根本にあるのは「空」の世界観だから、キリスト教やイスラム教みたいに、来世なんぞを前提に考えるはずがないのよね。そうした意味でも、戦国仏教が、宗教的な力じゃなく、むしろ世俗的な力によってこそ民衆の支持を集めた、という解釈は、意外なくらい説得的だと思う。◇◇古沢良太が、かなり自由な構想をもって、大胆に物語を作ってるのは間違いないけど、同時に、時代劇の場合は、なかなか史実どおりには出来ない部分もある。その最たるものが、古語です。前作「鎌倉殿の13人」でも、現代語と侍風の言い回しが混在してましたが、現代語が古語でないのはもちろん、じつは侍風の言い回しでさえ、ほんとうの古語ではない。能や歌舞伎でさえ理解できないのだから、当時の話し言葉や書き言葉を正確に再現してしまったら、一般の視聴者には、まったく理解ができません。なので、時代劇で話される言葉は、それっぽく作った「時代劇言葉」でしかなく、ほんとうの古語ではない。それを勘違いして、「大河ドラマでは正確な古語を話すべき」などと思い込む視聴者は後を絶たないのだけど、それもまた、馬鹿な批判の類です。◇これと同じことは、現代劇の方言についても言える。北川悦吏子の「夕暮れに手をつなぐ」では、広瀬すずの九州方言にネットの批判が殺到していたけど、ドラマで使われる方言が正確である必要はないし、もし、青森や沖縄などの方言を正確に再現したら、ほとんどの視聴者には理解できなくなります。そもそも、古語にしても、方言にしても、どこかに「正しい言語」なるものが存在するわけではなく、時代ごとのグラデーションがあり、地域ごとのバリエーションがあるだけなので、せいぜい、それっぽくすることしか出来ない。言語に対して無知な人間ほど、「正しい言語を使え」などと主張するのですが、それこそが馬鹿な批判のたぐいであって、まともに取り合うべきものではありません。所作などの細かい振る舞いについても同じですが、すべてを正確に再現していたら、ドラマとして成立しないし、どこにも「正しい言語」が存在しないのと同様に、確定的に「正しい所作」が存在するわけでもない。言語にせよ、所作にせよ、さまざまな可能性を排除しないことのほうが重要です。◇◇…所作といえば、元康と瀬名のキスシーン(寸止め)には驚きました。日本で「接吻」という翻訳語が生まれたのは明治だし、恋人や夫婦がキスをするようになったのも、おそらくハリウッド映画の影響だろうから、日本人のキスは、わりと最近のことだと思ってました。しかし、じつは日本にも、室町時代から性的な行為としての「口吸い」があり、江戸時代の春画にもキスシーンは描かれてるらしい。いまだに違和感はありますが、今後は時代劇でもキスシーンが普通になるのかも。
2023.03.28
13人とは、合議制のメンバーの数じゃなく、義時が殺した人間の数だったのね。そのなかには頼家も入ってます。…って政子の前で言っちゃった(笑)。そして、義時は、北条政子に殺される。◇毒を盛ったのは妻。毒消しを捨てたのは姉。毒を用意したのは無二の親友。すごいドラマです(笑)。なお、義時が死んだのは、承久の乱から3年後の1224年。翌年夏には大江広元と北条政子が相次いで死去。1239年12月31日に三浦義村が死去し、Wikipediaには、「その翌月、ともに北条泰時を支えた時房も義村の後を追うように死去」…とあります。そして、泰時は1242年に亡くなっています。◇鶴丸は、川では死にませんでした。これはきっと八重の霊力ですね。八重が亡くなったのとは別の川ですけど!北条政子も、「泰時は賢い八重さんの子です」と言って、このドラマのヒロインが八重だったことを公式認定。まあ、たしかに八重さんは、身寄りのない子供たちを育てたりして、政子と同じように優しい女性だったけれど、正直、それほど賢かったというエピソードは思い浮かばない(笑)。むしろ、賢さという意味では、比奈さんのほうが賢かったかな、という印象です。◇運慶はピカソを先取りしていましたね!しかし、鎌倉時代の人々にキュビズムが理解されるはずもなく(笑)。あの仏像は捨てちゃったのかしら?いまなら高値がついたでしょうに!その後、運慶は、縛り上げられてどうなったのでしょう?一説によると、運慶の没年は1223年12月11日。義時が死ぬ半年前です…。殺されたの?千利休みたいに。◇若き家康が「吾妻鏡」を読んでいましたね!毒を盛ったのは妻。毒消しを捨てたのは姉。毒を用意したのは無二の親友。すごいドラマ。 #鎌倉殿の13人— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) December 18, 2022
2022.12.19
NHK大河「鎌倉殿の13人」。ついに北条政子の演説が描かれました。◇なぜ彼女の言葉は、坂東武者たちを奮い立たせたのか。それは、「頼朝さまの御恩」うんぬんの話じゃなくて、結局は、「西のヤツらにまた馬鹿にされてもいいの?」ってことだったようです。その呼びかけへの脊髄反射が、それまでの内部矛盾をすべて帳消しにして、ほとんど勢いだけで朝廷打倒へ向かっていく。現実の歴史なんて、所詮はそんなもんよね。◇鎌倉幕府は、まともな政治体制じゃなかったんだと思います。関東発祥の新選組が、内ゲバだらけのヤンキー集団にすぎなかったように、関東に拠点を置いた鎌倉幕府もまた、内ゲバだらけの広域暴力団にすぎなかった。三谷幸喜は、2つの大河ドラマで、その内実を暴いたといえます。◇頼朝が生きてるあいだは兄弟どうしの殺し合い。頼朝が死んでからは御家人どうしの殺し合い。…そして、義時が執権になったあとも、口先では「頼朝さまの遺志を継ぐ」と言いながら、実際には源氏の血筋を容赦なく根絶やしにしていたし、さらに、口先では「北条のためだ」と言いながら、実際には父を追放し、姉妹の子や孫を殺害し、あげくには妹の実衣まで殺そうとしていました。頼朝の恐怖政治にも、ほとんど大義名分なんてなかったけれど、義時の恐怖政治にも、やはり大義名分なんてなかったと思う。ただ、そのつどそのつど言いがかりをつけては、目についた政敵を次々に粛清しつづけただけで、その矛盾した統治理念はロジックが破綻しつづけていた。いってみれば、それは田舎ヤクザのあてどない内部抗争だった。◇にもかかわらず、なぜ承久の乱において御家人たちは団結できたのか。…これは、あくまで三谷幸喜の解釈だとは思いますが、第一の理由は、妹の実衣を救うために政子が尼将軍になったから。第二の理由は、彼女がある種の「関東ナショナリズム」を焚きつけたから、です。べつに、亡き頼朝さまの御恩が、「山より高かったから」でも「海より深かったから」でもない。源氏の血統と遺志を受け継ぐなんてのは、あくまで後世に語り継ぐためのタテマエにすぎない。むしろ、このときに政子が持ち出したのは、親方の「頼朝さまの遺志」じゃなく、亡き兄「宗時の野望」だったというべきです。その野望を御家人たちにも植えつけたわけですね。坂東武者の世を作る!そのてっぺんに北条が立つ!たしかに、追討の院宣が出た時点で、執権=北条義時の名は、清盛、義経、頼朝に並んで歴史に刻まれるべきだったし、これまで埋もれがちだったことのほうが不思議だと思う。トキューサが、追討令を「記念に欲しい」と言ったのも無理はありません。記念に取っておけば、そのうちプレミアがつくかもしれないような文書だし、追討の院宣って、それぐらい歴史的価値があるといえる。けれど、幕府の歴史を正当化していくためには、やはり北条の名前を目立たせすぎてはいけないし、朝廷を打ち負かす大義名分も、あくまで「頼朝さまの遺志に報いる」って建前でなきゃいけない。そのためにも、政子の演説は、「山より高い」だの「海より深い」だのって話にしとく必要がある。そのシナリオを書いたのは大江広元だったわけですね。大江広元は、義時を生かすためにこそ、最後の最後に義時の意思に背いた形になりましたが、政子は、そのカンペさえも無視して、関東武士の短絡的なヤンキー魂に火をつけたのでした。
2022.12.11
鎌倉殿の13人。今夜は第32話が放送されますね。毎週欠かさず見ていますけど、もうねえ、ひどすぎます…。なんなんでしょうねえ。いや、脚本が悪いとか演出が悪いとかの話ではなく、史実そのものがひどすぎるのよ。◇…今更ではありますが、結局、この話って、最初から最後まで、ずっと内ゲバですよね。平家と戦ったのは義経ただ一人で、あとの連中は、ずっとひたすら内ゲバだけをやっている…。頼朝が生きている間は、兄弟同士の殺し合い。頼朝が死んで以降は、御家人同士の殺し合い。いったい何やってるんでしょうか??…って気持ちになる。この無意味な殺し合いの果てに、現在の鎌倉が存在しているのかと思うと、なにやらモノノアワレを感じずにはいられません。◇今年のはじめにNHKで放送された「鎌倉殿サミット2022」で、京都側の立場で発言していた井上章一が、鎌倉幕府のことを「広域暴力団・関東源組」だと言ってたけれど、その意味がいよいよ分かってきました。まさしく、これはヤクザの話。親分の座を奪い合うだけの内部抗争の歴史。もともとは、上方出身の源氏がもたらした殺し合いの習癖だとは思うけど、それがいつしか義理堅い東国の武士にまで伝播してしまった。こんなこといつまでやってるんでしょうね…。本当にひどすぎます。◇序盤にこのドラマの感想を書いて以来、ずっと取り上げられずにいたのは、自分の気持ちが追いつかないのもあったけど、脚本家・三谷幸喜の意図をつかみ切れずにいたから。もともと史実がそういう話だから仕方ないけれど、なぜ三谷幸喜は、こんなヤクザ連中の話を書こうとしたのか?そして、なぜ頼朝の役は大泉洋だったのか?という点に、わたしの関心がありました。以前から、三谷幸喜は、大泉洋のことを「受けの俳優」だと評していた。すなわち、能動的ではなく、受動的な人物を演じるべき俳優。いつも周囲の状況に振り回されるトホホな役回り。実際、頼朝の残虐性は、はたして、主体的なものだったのか、あるいは、やむをえない状況判断にすぎなかったのか、そこがある種のブラックボックスになっていて、つねに自分の意志とは逆のことをしていたようにも見える。本意ではないのに、上総広常を殺し、本意ではないのに、弟の義仲を殺し、本意ではないのに、甥の義高を殺し、本意ではないのに、弟の義経を殺し、本意ではないのに、弟の範頼を殺していたようにも見える。織田信長のような「能動的な残虐性」とはちょっと違う。かりに、いかにも悪人らしい悪人なら、こうした残虐性も理解できるのだけど、なまじっか親しみやすいキャラの大泉洋だけに、しかも、ちょいちょいコミカルな演出が入るだけに、その見かけに反する残虐性に困惑してしまうのです。それにくらべれば、菅田将暉のクレイジーさのほうが、まだしも理解しやすかった。まあ、鎌倉時代の武人たちのロジックを、現代のわれわれが理解できないのは当たり前なのだけど、その不可解さが、いわく言いがたい気持ち悪さとなっており、その気持ち悪さこそが、安易な共感を寄せつけない歴史のリアリティとなっており、それこそが本作の醍醐味にもなっている。>>鎌倉殿による12人殺し◇思い返せば、自分の孫を殺した伊東祐親も理解しがたかったし、さらには、新垣結衣が演じた八重もまた、孫のことを殺し、自分のことまで殺そうとした父に対して、なぜ最後に温情をかけようとしたのかが不可解で、ドラマのヒロインという体裁ではあったものの、かなり理解しがたいキャラでした。◇とはいえ、頼朝が生きているあいだは、まだしも坂東武者たちへの共感は可能だったのよね。味方同士で殺し合うことへのためらいがあったから。しかし、いまとなっては、もはや共感できる人物はほとんどいません。かろうじて共感できるのは政子ぐらいでしょうか?義時も、完全にダークサイドへ堕ちちゃった。だいいち、頼朝や頼家に毒を飲ませたのも、義時なのかもしれないし…。小栗旬もまた、大泉洋とおなじく、能動的なのか、受動的なのかがよく分かりませんが、それゆえに、大泉洋と同じような気持ち悪さが募っていくはずです。いずれは政子も闇堕ちしていくのでしょうか?…でも、今にして思えば、三谷の最初の大河「新選組」も、関東出身のヤンキーの内ゲバの話だったのよね(笑)。
2022.08.21
鎌倉殿の13人。あいかわらず面白い。戦国時代のドラマだと、用意周到で緻密な合戦に見慣れてしまうけど、平安時代の、しかも東国の田舎の、マヌケでデタラメで行きあたりばったりな合戦に、かえって妙なリアリティを感じてしまいます。源平の合戦というと、ついつい瀬戸内海の舞台を想像するけれど、東国の田舎からそれが始まったというのは意外です。◇ガッキーが弓を引くシーンも、ファンタジックでカッコよかったなァ。(#^^#)女性が弓を引く力で、はたして川向うまで矢を飛ばせるのか分からないけど、東国の武家の娘なら、ああやって弓を引くぐらいのことをしたんでしょうか?そして、北条の後妻に入った宮沢りえ。義理の娘の政子に気後れすることもなく、合戦がはじまるからと怖気づく様子もなく、したたかに飄々と振る舞っているのが魅力的です。女性たちは、みんな肝が据わっていますね。
2022.02.06
北条のお父さん、「命に代えても頼朝を守ってみせるッ!」って…、ついつい口を滑らせてしまうマヌケ展開からのスタート大泉洋と小池栄子の逢引のシーンも、これといってフザケているわけじゃないのだけど、そこはかとない笑いがこみ上げてきます…w源頼朝と北条政子でしょ!日本史を大きく変える超重要な人物が、こんなに面白キャラでいいの??…と思ったら、ラストシーンで頼朝の表情が一変しました その瞬間、頼朝が、ほんとは喰えない奴だと分かってくる。なんとも底の見えない人物だってことが見えてくる。たんなる好色漢に見えていた頼朝は、じつは自分と共闘できる一族を品定めしていて、そのために、その家の娘をたぶらかして、子供を作って結婚しようとしていたわけですね。つまり、東国の田舎女のことなど、自分の野望を果たすための政略結婚の駒としか見ていない。…大泉洋の頼朝が、とたんにリアルに見えてきました。三谷幸喜は、たびたび大泉を自分の作品に起用しているけど、じつは、ただの面白要員ではなくて、けっこう複雑な役で起用しているんですよねえ。今回も、そのパターン。おかげで、スケベ顔の大泉洋が、なにやら底知れぬ存在に見えてきたし、頼朝の肖像画にもそっくりに見えてきました(笑)。そんな頼朝の動向は、神戸の平清盛にも伝えられているけれど、どうやら、清盛はまったく気に留めていない。あの様子だと、平泉の義経のことも気にしちゃいないんだろうな…。
2022.01.19
おくればせながら、新しく始まった大河ドラマを見ました。…革命的に面白い(笑)。失礼な言い方だけど、いまの三谷幸喜に、こんなに面白いものが書けるとは思いませんでした。◇この小劇場風のコミカルな中世日本は、もちろん三谷流の現代的な脚色にちがいないのだけど、案外、教科書に書いてあるような日本史も、ただの田舎侍の親戚どうしの小競り合いにすぎなかった、…ってところには、妙なリアリティを感じます。家の娘と人質の男がデキちゃった…とかいう話も、いかにもマヌケでゆる~い時代の話だし、当時の東国の女にしてみれば、さぞかし都人の男がカッコよかったんでしょうか?そんなふうに、しょーもないイザコザとまぬけなドタバタで、日本の歴史が変わっていく。実際、そんなものなんだろうと思う。その反面、日常の軽いノリで子殺しをしたりするところには、これまた現代とは異なる価値尺度のリアリティを感じます。新垣結衣が演じる八重姫のことはよく知らないけど、好色な人質の男と通じて子をなしたうえに、その子を実父に殺されてしまうという、ドラマのヒロインとしては、かなり過激な経歴の女性。そんなヒロインとの恋愛劇にも興味が湧きます。◇言葉づかいにかんしては、格式ばって喋るときには時代劇風なのに、身内の仲間と喋るときには、まったくの現代語。これも、いままでにない新しいスタイルですね。主演は、いちおう小栗旬ですが、脇役陣のキャラ立ちのほうが強めなので、これはやはり「新選組」と同じような群像劇になるのでしょう。その部分でも楽しみです。かなりの役者が揃っている。ちなみに、わたしは、中世の日本というと、いまだに黒澤明の「羅生門」のイメージなのだけど(笑)、今回の大河は、それを刷新してくれそうな期待をもちました。
2022.01.16
「いだてん」第30話。史上最低視聴率だったそうですが、それほど内容が悪かったわけではありません。視聴率との関連はともかく、やはり前回の内容のほうに問題があったと思います。いちばん大きな問題は、高石勝男(斎藤工)を物語の中心に据えてしまったことですね。これが脚本のせいだったのか、それとも演出のせいだったのかは分かりません。じつはストックホルム編のときにも、三島弥彦(生田斗真)を物語の中心に据えてしまったことが、ドラマの勢いを停滞させた最大の原因だと感じていました。たとえ同じ物語、同じシーンであっても、どの人物の表情を中心に撮っていくかで、まるで見え方が変わってきます。今回のように、オリンピックの選手選考の物語を描く場合でも、それは、あくまで田畑政治の苦悩をとおして描くべきだったと思います。高石勝男の姿でさえ、カメラの据え方やカットの割り方が違えば、それを、あくまで田畑政治の表情をとおして描くことができたはずです。たとえば、過去に、もっとも成功した大河ドラマとして、宮崎あおいちゃんの「篤姫」がありますけれど、あの作品などは、その点において、非常に模範的だったと思う。すべての出来事を、ひたすら主人公(あおいちゃん)の表情をとおして描いていたからです。歴史的な出来事は、さまざまな場所で起こるわけだし、そのつど当事者も異なるわけですが、それでも、最終的には、すべての出来事が、主人公である篤姫(あおいちゃん)の表情によって意味づけられていた。あのドラマは、そういうスタイルを一貫して崩しませんでした。だから、物語の軸がぶれないし、散漫にならないし、視聴者としては、とても感情移入しやすい。それこそが大河ドラマにとっては王道だと思います。もちろん、例外はあります。たとえば、三谷幸喜の「新選組」のように、回ごとに物語の中心人物がどんどん変わっていく群像劇もあります。あの作品の場合は、山本耕史や、堺雅人や、佐藤浩市が、そのつど主役並みにスポットを浴びて活躍していました。けれど、それを成功させるためには、脚本の意図と、演出の手法と、役者の魅力とが、ぴったりと噛み合わなければいけない。それぞれのキャラが主役を凌ぐほど魅力的でなきゃいけないし、視聴者が感情移入できるだけの十分な伏線も必要です。それをやるのは、とてもハードルが高い。あくまで「いだてん」の場合は、金栗四三と田畑政治を中心に物語っていくのが正解なのだと思います。回ごとに中心人物が変わるのは、あまりにリスクが高い。いきなり斎藤工が話の中心になっても、視聴者は戸惑うだけです。ちなみに、古今亭志ん生のサブストーリーが並行するスタイルについて、当初から賛否両論あるようですが、わたしは、それ自体が悪いとは思ってません。むしろ金栗四三と田畑政治の物語がしっかりとした軸になれば、志ん生のサブストーリーも相対的な視点として有効に機能するはずです。◇NHKは、視聴率を回復しようとするあまり、それを安易な対策で改善しようとしてるっぽいのですが、かえって熱心なファンまで失望させかねない悪循環に陥っています。おそらく上層部は数字を見て判断しているでしょうが、数字だけを見ても、なんら本質的なことは見えてきませんし、もちろん視聴率主義のバカな批評家の話を鵜呑みにしても、しょせん彼らはネットの感想を拾って適当な記事に纏めているだけです。ほんとうに質の良い仕事を正当に評価せず、逆に責任だけを押しつけていくような本末転倒をやれば、かえって能力のあるスタッフほど、やる気を失くす結果になるでしょう。まあ、これはNHKにかぎった話ではありませんけど。バカな企業ほど、そういうことをやりがちですよね。
2019.08.14
遅まきながら「いだてん」の第29話。ロサンゼルス編です。演出は、第一部でストックホルム編を担当した西村武五郎。◇今回は、「なぜ田畑政治がメダルの獲得にこだわったか」を、当時の日本の暗い世相に絡めて物語っていくという趣向でした。(すくなくとも、クドカンの意図はそうだったと思う)田畑は、メダル獲得によって当時の日本社会に光をもたらそうとしたわけですね。そのためには、選手を使い捨てることも厭わなかった。その田畑の残酷なまでの意志を、選考から外されていく高石勝男(斎藤工)の物語と対比しながら、描こうとしたようなんだけれど…残念ながら、いまひとつ心に響いてこない。なぜなら、この高石という人物に共感するための準備がないからです。これまで何のストーリーも描かれてこなかった人物に、いきなり共感しろといわれても無理ですよね…。伏線がなさすぎる。この人に共感するための事前の伏線がもっと必要だったはずです。観ている側としては、彼の立ち位置もよく分からないし、なぜ周囲の仲間が彼に同情するのかも分からないし、本人の苦悩を共有することもできません。◇どうも、こういった点で、演出家は、脚本の読み込みが浅い気がします。たんに形だけの演出をしてしまっている。どんなカットが必要で、どんなカットが不必要かを、結果から逆算して考えることができていない。ひとつの印象的なカットを加えるだけで物語が意味を帯びます。その工夫が不十分だと思う。◇噂によると、NHKは、視聴率を回復する目的で脚本を改変したりしてるらしい。そんな浅はかなことをすれば、内容が悪くなるのは当然です。本来の脚本の意図や、全体の有機的な繋がりが失われますから。ストックホルム編もやや失速したけれど、ロサンゼルス編もまた失速してしまいそうです。
2019.08.07
『いだてん』の第26話「明日なき暴走」。お世辞にも、あまり出来がいいとは思えない。演出は大根仁。どうも彼の担当する回が悪目立ちしてる気がして、調べてみると、NHKの外部の演出家でした。ネットで「10年にいちどの神回」と自画自賛したり、取り巻きの支持者がやたらと盛り立ててるようですが、正直いって、彼の担当する回は、むしろ他の回より劣ってる気がします。NHKに外部の演出家を迎えることの善し悪しについては、わたしはよく分かりませんし、彼がテレ東や東宝で撮った作品も見たことがありませんので、どれほどの演出家かまったく無知なのですが、すくなくとも『いだてん』にかんするかぎり、彼の演出が上手くいってるようには思えません。菅原小春の泣きの演技も、必要以上に上滑りした感があり、前々回の抑制された感動には及ぶべくもありませんでした。◇とくに疑問を感じたのは、薬師丸ひろ子が阿部サダヲの掌にナイフを突き刺そうとしたシーンです。クドカンの脚本がどういう内容だったか分かりませんが、おそらくは「コント的なシーン」として書かれていたか、もしくは「精神的に切羽詰まった狂気的なシーン」として書かれていたはずです。しかし、出来上がった映像からは、その意図がまったく理解できず、たんに猟奇的な妙な印象だけが残りました。おそらく演出家自身が、脚本の意味を十分に呑み込めぬまま、ただ形だけの撮影を行った結果ではないかと思います。大根仁がどれほどの演出家なのか、わたしはおおいに疑問を感じます。
2019.07.08
「いだてん」第24話。第一部終了。健康な金栗四三。自堕落な孝蔵。運動と文化。スポーツと笑い。生と死。あらゆるシンメトリックな構造が、見事に結実したような回でした。途中から、わけもわからず泣いてしまった。なぜ泣けたのか、どのシーンが泣けたかすら、よく分からない。◇◇増野シマ(杉咲花)は、前回から行方不明になっていました。シマがいたはずの浅草十二階は、震災で上のほうが崩落してしまった。彼女は、最上階には昇ってなかったけど、階下にいましたから、崩落した瓦礫の下敷きになったかもしれないし、大怪我をして、どこかで治療を受けてるのかもしれない。◇震災後の東京は、不気味な闇に覆われていました。怪しい流言飛語が飛び交い、親を亡くした子供たちがお腹を空かせ、夜になると人々のすすり泣きが聞こえ、死者たちの亡霊が町を彷徨う。ある夜、金栗四三は、シマの亡霊を目撃します。いわゆる人魂ではないけれど、聖火を手にして走るシマの亡霊。これは、もしかしたら震災を経験した人々の共通体験なのかもしれません。◇しかし、やがてスポーツと笑いが、活力を取り戻します。金栗四三は、東京じゅうを走り回って、熊本からの救援物資を届け、孝蔵は、瓦礫のなかの即席の高座で、がむしゃらに人を笑わせる。チンドン屋(大友良英)は音楽を奏でる。嘉納治五郎は、スタジアムを避難生活者に開放し、復興運動会を開催する。そして復興運動会の当日、人見絹枝(菅原小春)が、シマの手紙をもって、シマを探しにやってきます。このとき、まるで、ばらばらだったピースが当てはまるように、「人々が生き残った意味」と「死んでしまった人の想い」が噛み合う。人見絹枝がトラックを走る姿に、否応なくシマの想いが重なります。これに泣けました。生きる力と強さと尊さに泣けた。走って、笑って、寝る。そのことによって、生きる人たちと、死者の魂が救われていく。浄化されていく。これもまた、日本民族の共通体験、共通記憶なのかもしれません。クドカンが描こうとしてきたのは、政治と経済のオリンピックではなく、いわば生と死のオリンピックなのですね。演出の一木正恵は、脚本の深い部分を的確に汲みとっていました。◇このドラマは、わかりやすい戦国時代劇でもなく、わかりやすいオリンピック翼賛ドラマでもない。だから、視聴率も低いのでしょう。しかし、本当に大切なものは何なのかを、もっとずっと深いところから問いかけているドラマです。第一部は、いわば「敗北することの意義」を描いた内容でした。1964年のオリンピックまでの物語が、こんなふうに語られたことは、今までありませんでした。.............................
2019.06.24
おそまきながら「いだてん」の第3話を視聴。お見事な脚本。「子供のときに嘉納治五郎に抱き上げられた」と信じて疑わない田舎の家族たちの期待を背負いつつ、なかなか都会の生活に馴染めずに悶々とする日々。夏休みに再会した幼馴染みのスヤへの恋心と別れ。そして、すべてを呑み込みながら一家を支えてくれる兄への思い。そうしたものが葛藤しつつ、交錯する中で、ついに走ることに実用以外の「意味」を見出す劇的な瞬間までを、生き生きとした人間ドラマとして描いていました。おおらかな笑いとともに、人々への温かいまなざしが向けられ、「不如帰」のモデルにされてしまった三島家の滑稽や、孝蔵(志ん生)が落語に魅入られていく過程にも相俟って、時代がオリンピックに呑み込まれていく熱狂が表現されていた。西村武五郎の演出も素晴らしかったです。できれば、浅草十二階からの、胸のすくような眺望が見たかったですけどね。◇それにしても、「天狗」のことを、ほんとに「TNG」と略していたとは。「天狗倶楽部」の頭文字なら、ふつうは「TC」と書くだろうに…。「AKB」的な発想のルーツは、こんなところにあったのね。(^^;
2019.01.25
オリンピックに向かう時代の混沌を、まさに混沌のままに描いていくクドカンの群像劇。いきなり競技スポーツへの批判が繰り返される。「スポーツより体育が大事だ」という主張はまったく正しいけれど、戦地で暴れるような血の気の多いヤカラーを、競技スポーツへ向かわせる社会的な効用だってあるのかもしれない。当然ながら、明治から昭和へ至るこの物語の中心に位置するのは「戦争」です。◇このドラマが描くのは、たんなるオリンピックの歴史ではないのでしょう。むしろクドカンが重視しているのは文化史(とりわけ芸能史)であるように思う。江戸歌舞伎と浅草演芸に始まり、映画やテレビ、アングラや小劇場を経て、ビートたけしと小泉今日子が事務所を離脱するまでの、近代日本の文化と芸能の歴史。森昌行と周防郁雄は息してますか?近代の国民社会を率いたのは、なによりも文化芸能です。文化と芸能を創り出した無数の人々の営みがなければ、さしものオリンピックも、たんなる政治経済と筋肉競争に堕することになる。オリンピックへいたる時代の狂騒をつうじて、クドカンが近代日本の文化史をどう描き上げるのか。たんに時代設定だけではなく、テーマそのものが、従来の大河のフォーマットとはまるで違っています。そんな新しい構想を打ち立てられるのは、やはりクドカンしかいないのでしょう。
2019.01.08
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