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網棚に置きし卒論冬の朝 網棚に置きし卒論冬の朝 帯留に選ぶ翡翠や返り花 ズレているマークシートや虎落笛 ごみ捨て場両手見つめる冬の朝 裸木や露天にマスクつけ浸かる おでんは玉子逞しき口内炎 雑巾にガラス破片と今朝の冬 初雪やニュースのカフを上げ忘れ11月14日のプレバト俳句。お題は「うっかりミス」。この兼題は難しい…。時間経過や因果関係の説明なしに、ミスをした事実って伝わりにくいから。季語と取り合わせた客観写生だけでは、それがミスなのかどうかが分かりにくい。かといって、季語をなおざりにして、ミスしたことばかりを強調すると、たんなる川柳になりかねません…(^^;◇清水アナ。初雪や ニュースのカフを上げ忘れ初雪のスタジオ 下がったままのカフ(添削後)去年の9月以来の「カフ」の句です。屋内と屋外なので、季語の「初雪」が遠すぎるかな…。実景というよりも、ただのお天気情報に見えてしまう。かたや先生の添削は、客観写生のセオリーには則ってるものの、うっかりミスの場面には見えないのよね。たとえば、初雪で番組が中止になって、放送が出来なくなった場面にも見えます。停電や交通情報のニュースが入ってしまい、なかなか番組が始められないのかな? …とか。やはり、うっかりミスであることを明示するには、(説明的になるのは承知の上で)やはり「忘れ」の一語は省くことができない。描写に徹すれば、うっかりミスかどうかが明示できないし、うっかりミスであることを明示すれば、どうしても説明的になってしまう。ややもすれば川柳じみた滑稽句になりかねない。その意味で、今回のお題は非常に厄介です。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥カッコいい俳句が詠みたい!🤩#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/7oXMJqcWqc— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) November 11, 2024◇矢柴俊博。網棚に置きし卒論 冬の朝これも字面だけでは、うっかりミスの場面かどうか分からない。卒論を書き終えて、それを電車の網棚に置いて、あとは提出するだけ…という安堵感を詠んだようにも見える。まさか、このあと置き忘れて電車を降りるとは思わない。あえて忘れたことを明示すれば、網棚に卒論忘れ冬の雨のような書き方になるかと思います。◇水田信二。ごみ捨て場 両手見つめる冬の朝ゴミ袋手になく冬のゴミ置き場(添削後)これも、原句はうっかりミスの場面に見えません。朝のゴミ出しのときに、手がかじかんで冬を感じてるとも読めるし、あかぎれになってるとも想像できます。あえて忘れたことを明示するなら、ごみ袋忘れて戻る冬の朝のような書き方になるかと思います。◇大友花恋。裸木や 露天にマスクつけ浸かる冬温し マスクのままで露天風呂(添削後a)失恋や マスクのままで露天風呂(添削後b)年の瀬や マスクのままで露天風呂(添削後c)これまた、原句はうっかりミスには見えません。それこそ、「コロナだからマスクをつけてるのかしら?」…と思ってしまう。同じく(添削後a)も、「顔も温まりたくてマスクをつけてるのかしら?」…と思ってしまうし、さらに(添削後b)も、「泣き顔を隠したくてマスクをつけてるのかしら?」…と思ってしまう。かろうじて(添削後c)だけが、「忙しさのあまり取り忘れたのかな?」と思えます。◇IKKO。帯留に選ぶ翡翠や 返り花これもうっかりミスの場面には見えません。返り花が咲くような暖かさだから、あえて夏らしい帯留を選んだように見えます。そういう句としてなら成立してますが。◇川島如恵留。ズレているマークシートや 虎落笛もがりぶえマークシートずれてる 虎落笛の窓(添削後)原句も、添削句も、客観的に「ズレている」と描写してるので、本人のミスというより、印刷のミスに見えてしまう。さらに、添削句の動詞の位置は、終止形か連体形か読み迷います。上8の字余りですが、一行違いのマークシートや 虎落笛とすれば誤読されずに済むと思う。◇森口瑤子。おでんは玉子 逞しき口内炎1ランク昇格でしたが…助詞「は」を使った意図が分かりません。玉子よりも、口内炎のほうを強調すべき内容ですよね。助詞「の」を使って、おでんの玉子 逞しき口内炎とするほうが、《玉子を口に入れた瞬間に口内炎の存在を思い出す》…という感じが強く出ると思います。◇フルポン村上。雑巾にガラス破片と今朝の冬雑巾にガラスの破片 冬来る(添削後)今回、いちばん出来がいいと思ったのは、この先生の添削句です。寒さで手が凍えて、ガラスの器を落としてしまったのかな?…と想像できます。かたや原句のほうは、助詞「と」で並列にした結果、先生は季語が弱まると言ってましたが、むしろ「うっかり感」が弱まるのよね。並べて「ガラス破片」と「今朝の冬」を描写して、その両方に情緒を見出してるので、ガラスの破片の透明な美しさばかりが強調されて、うっかりミスの要素が感じられないのです。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.11.18
良夜なりフロアを包むアルペジオ 万人の歌声ひとつ名残の月 秋風や歓び舞台へ運びゆく ゆれすすきいつかはフェスと夢見る日 ペンライト振れども散らぬ照紅葉 星月夜六万人の大合唱 靴音にライブの余韻月の坂 行く秋や全国大会入賞11月7日のプレバト俳句。お題は「大観衆」。◇フルポン村上。靴音にライブの余韻 月の坂靴音に余韻 ライブの果てて月(添削後)原句のままで十分に素晴らしい出来です。音楽と熱狂に包まれたあとの興奮の余韻。それと同時に…ライブが終わってしまった静けさと寂しさ。そして、秋の夜の肌寒さ。耳には坂道の自分の靴音だけが聞こえてる。ひさびさの村上のヒット作かと思いましたが…なぜか先生は「散文的」との理由でボツ。しかし、これを「散文的」と言ってしまったら、ムダに技巧的な句しか詠めなくなりそうです。添削は二句一章になってますが、前段の「余韻」と後段の「ライブの果てて」に、因果関係があると考えるべきか、それとも、そこに因果関係はなく、靴音そのものが反響して余韻を生んでるのか、読み手は解釈に迷うはずです。◇キスマイ横尾。星月夜 六万人の大合唱横尾にしては珍しい定型句。掲載決定でしたが…村上が「シンプルすぎる」と言ったように、ちょっと素直すぎるんじゃないかしら?季語の取り合わせとして、「6万の大合唱」と「満天の星空」は、印象が近すぎるといえなくもない。まして先生がいうように、「6万のペンライト」と「星月夜」の取り合わせ?…なのだとすれば、それは二物衝撃でなく、二物相似というべきです。平場ならギリギリ「才能アリ」でもいいけれど、永世名人の句としては不足がありすぎる。◇清春。良夜なり フロアを包むアルペジオ奇しくも、先週の相席スタート山﨑と同じく、上五を「良夜なり」で切ってますね。これこそがシンプルイズベスト。先生が言ったように、アルペジオの旋律が月光のイメージにも重なります。強いて難癖をつけるとすれば、「包む」「響く」などの動詞は不要かもしれない。たとえば、大都市の良夜 フロアのアルペジオのようにも出来ます。◇MINMI。万人の歌声ひとつ 名残の月万人の歌は一つに 月のぼる(添削後)原句は、歌と心がひとつになったときに、「この幸福な時間が終わってほしくない」と名残惜しんでるように見えます。添削句のほうは、むしろその高揚感を詠んだ形ですね。◇山口智充。ゆれすすき いつかはフェスと夢見る日いつか我が歌を大観衆へ 秋(添削後)自分の心情を季語に託してますが大きな夢を抱いてるわりに、季語が寒々と枯れてしまってるw添削のほうは、心情句だと割り切ったのか、完全に描写性を喪失してますが…たとえば、麦の秋 フェスを夢見て弾き語りぐらいの描写性は込められるはずです。◇清水アナ。行く秋や 全国大会入賞具体性がなさすぎますね。何の大会だったんでしょうか?もしも金賞を逃したと明記するなら、季語をことさら悲しげにはせず、金賞を逃した涙 稲の波ぐらいの対比にすべきでしょうね。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥とてつもなく普通!🤣#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/gnhX7ZoXFa— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) November 5, 2024◇ゴスペラーズ黒沢。秋風や 歓び舞台へ運びゆく歓びを舞台へ 金風の歌よ(添削後)原句は、秋風が(観客の)歓びを舞台へ運んでいく…という内容であり、上五が主語で下五が述語の一句一章ですが、主語を「や」の詠嘆で切ってます。こういう句は時折見かけるのですが、あまり適切な詠み方とは思いません。形式が二句一章になってしまうからです。一方、添削句は観客視点の句になってますが…原句のままの客観的な視点で、金風が歓喜をはこぶ大舞台のようにシンプルに書けると思います。◇水森かおり。ペンライト 振れども散らぬ照紅葉てりもみじペンライトのごと 夜よを照らさるる紅葉(添削後)原句は、> 夜に揺れる無数のペンライトは> 昼の太陽を浴びた照紅葉のようである。> 昼の紅葉は振れば散ってしまうけど> 夜のペンライトは振っても散ることがない。…というような内容です。季語が比喩になってるので、添削ではその関係を逆転させ、《照紅葉のようなペンライト》ではなく、《ペンライトのような夜紅葉》の内容にし、18音の破調の形に直してます。しかし、この添削句は一読して分かりにくい。第一の理由は、「ペンライトのごと」という比喩が、どの語に掛かるのか分かりにくいから。第二の理由は、(とくに「ペンライトのごと照らさるる」と誤読した場合)照らすものと照らされるものの関係が入り混じって、読み手を混乱させる比喩になるからです。さらに付け加えると、目的語に動詞の受動態をつけて、「紅葉が夜を照らされる」とするような構文は、通常の散文にはありえないので、それもまた混乱の要因になりえる。もっとシンプルに書くならば、灯に揺れる紅葉ペンライトの如しのように出来ます。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.11.11
良夜なりすっぴんママのワイン会 吾子抱えつまむ秋刀魚は骨多し 秋の宵ビブとあなたと白ワイン ランチ寿司ひとりで頬を赤く染め ママ友会エンドレスなる夜もみじ 秋爽の皿やオリーブオイルの黄 二軒目へ行く汝帰る吾薄月夜10月31日のプレバト俳句。お題は「外食」。◇相席スタート・山﨑ケイ。良夜なり すっぴんママのワイン会上五を「なり」で切る手法を、確信犯的にやってるのか知らないけど、ふつうは、なかなか勇気が必要です。内容は下の松丸友紀の句と似てますが、同じ音数なのに、こっちのほうが情報量が多い。◇松丸友紀。ママ友会 エンドレスなる夜もみじ夜よの紅葉 ママ友会はエンドレス(添削後)作者の話によれば、「ほろ酔いの赤ら顔が紅葉のようだ」という比喩として季語を使ったらしい。でも、まあ、そのことを知らずに読めば、最下位にするほど悪い句でもありません。唯一、変なのは、「夜の紅葉がエンドレス」ってところだけなので、その語順を逆にして、夜もみじ エンドレスなるママ友会と直せば、そこまでおかしな句でもない。添削句が正解だとは思うけど、評価としては50点台の凡人くらいが妥当でしょ。◇すみれ。秋の宵 ビブとあなたと白ワインビブの子と夫つまと秋夜の白ワイン(添削後)赤ちゃんを「ビブ(よだれかけ)」に象徴させた、…とのことですが、字面からは、ビブだけが置かれてるように見えるので、「赤ちゃんはどこへ行ったのかしら??」と考えてしまいます。これも添削が正解ですね。◇三倉茉奈。吾子抱えつまむ秋刀魚は骨多し吾子抱きつ食はむや 秋刀魚は小骨ごと(添削後)サンマは、魚のなかでも骨を取るのが容易だと思うし、とくに骨が多いという印象もありません。そこの共感性がかなり弱い。たんに魚を食うのがヘタなのでは??添削句は、二句一章ではなく、《吾子を抱きつつ秋刀魚は小骨ごと食む》の倒置法。あいかわらず「食む」を用いてますね。音数合わせとして、「食べる」の代わりに「食む」を使うのが妥当とは思えないけど、噛んで飲み込む…というニュアンスを強調するためなら、あえて古語の「食む」を使うのもアリかなとは思う。そうでなければ「食う」と「噛む」を使い分ければ済む話です。現代語の「食う」にはやや粗暴なニュアンスがありますが、古語の「食う」にそのようなニュアンスはないのだから。他方、現代語の「食む」は、牛馬に使うことはあっても、人間には使いません。◇菊地亜美。ランチ寿司 ひとりで頬も赤く染め寿司つまむ一人の昼や 一献す(添削後)どう考えても、これが最下位でしょ!!季語は「鮨」で季節外れの夏。助詞の「で」と「も」の使い方も不用意。そして、作者の話によれば、一人ランチが恥ずかしくて赤面してるのでも、恋の喜びにひとりで浸ってるのでもなく、若い母親が、昼間っから寿司屋で日本酒を引っかけてるのだと!!おやじギャルというより、ヤンキーママの句。まあ、それがイマドキの母親ってことでもあるし、正直、わたしもちょっとやってみたいと思うし、その行為を否定する気はまったくないけど、一昔前なら考えられないような光景だし、それを当たり前のように俳句にされても、ふつうの読み手には伝わらないはずです。そのへんの常識感覚が根本的にズレている。ちなみに、蕎麦好きの上白石萌歌は、「昼間に蕎麦屋で一杯呑む」と言ってたけど、彼女の場合はまだ独身貴族だからね。…わたしも蕎麦屋で一杯なら、いちどやってみたい。◇清水アナ。秋の宵 四杯目のドリンクバー先生がいうように、語順を逆にすればリズムは定型になります。でも、助詞の「は」を使う必然性はないので、秋の宵 ドリンクバーの四杯目でも十分に成立するのでは?かりに、季語のほうもひとひねり加えて、嬉しいか悲しいかを描き分けるとすれば、それこそ前回の応用ですが、「星流る」or「降り月」を使う手もあります。まあ、作者の気分としては、嬉しいわけでも悲しいわけでもなく、たんに時間をもてあまして退屈だったんじゃないの?そう考えれば、ジュニアが下の句で使った「薄月夜」でもいいよね。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥俳句難しい…🤔#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/2BUuAAh9iy— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) October 28, 2024◇千原ジュニア。二軒目へ行く汝な帰る吾あ 薄月夜中七の「行く汝帰る吾」が面白い。番組の映像では3人の場面になってましたが、字面だけを読むと2人の場面に見えます。英語の「You」なら複数の可能性があるけど、日本語の「汝」に複数の意味はないからです。しかも、「汝」という字に「女」が含まれるので、「吾」が男性で「汝」が女性に見えるのよね。女性がひとりで二件目に行くの??と思ってしまう。あるいは、飲み会の複数のメンバーのなかに、お目当ての女性がいるってことなのかな?「僕は行かないけど、君は行くんだね…」みたいな感じでしょうか。◇フルポン村上。秋爽の皿や オリーブオイルの黄掲載決定でしたが、ジュニアが「嫌い」と言ってたとおり、好みが分かれるタイプの句かもしれない。一読して内容が無いしね。皿にオリーブオイルがふってあるだけ。それを俳句っぽく詠んでみたにすぎない。そもそも「秋爽の皿」って何?!皿は一年じゅう皿でしょ!…って気もする。まあ、秋らしいデザインの皿のうえに、秋らしい食材を使った新鮮な料理があり、そこにオリーブオイルがふってある、…というところから、黄色以外の食材の彩りも含めて、いろんな想像を膨らませてね、ってことでしょう。村上ならではの作品にはちがいありません。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.11.04
山粧う三面鏡に百の母 数式にエナドリの染み降り 誤字減点泣きべそ帰路に色葉散 焼けた顔赤土で歓喜秋実る まつりの後満点の月懐く風 枝豆を買うダイハード放映日 百点に二重線あり豊の秋 百点を集めたアルバム星月夜10月17日のプレバト俳句。お題は「100点満点」。◇望月理恵。山粧う 三面鏡に百の母星流る 三面鏡に百の母(添削後)星月夜 三面鏡に百の母(添削後)これは稀に見る "結果オーライ" の句!どう考えても「百歳の母」と読めるし、先生もそう解釈したはずですが、作者の話によると、「100点のテストを渡したときの母」だそうですwww実際、作者の年齢から察するに、母親が百歳のはずはないのよね…(^^;作者の意図とはまったく別の句なので、通常なら容赦なく減点されるはずですが、誰ひとりそれをツッコむこともなく、70点の《才能アリ1位》が確定しました。才能アリが誰もいないのは、番組的に体裁が悪いからかもしれません。まあ、結果オーライとはいえ、たしかに「三面鏡に百の母」というフレーズは、なかなか魅力的で捨てがたいものがある。惜しむらくは季語が近いこと。添削句では、夜の季語を取り合わせましたが、「百歳の老婆が夜の鏡に向かう」ってのは、あまり健康的な感じがしませんね。あくまで昼の句にすべきだと思います。たとえば、秋草や 三面鏡に百の母くらいでいいのでは?※ちなみに、添削のような夜の句にした場合は、《百歳の母》という意味ではなく、《夜の仕事に出掛けようとする母が、七変化の化粧と合わせ鏡とが相俟って百面相にも見えてくる》みたいな幻想句と読めるかもしれません。◇ラランド・ニシダ。数式にエナドリの染み 降くだり月数式にエナドリの染み 星流る(添削後)なかなか面白い句です。中七の「エナドリ」は、エナジードリンクの略語だそうです。秋の季語「降り月」は、満月から欠けはじめる月のこと。もちろん作者は、「学生の句」として詠んだわけですが、写真を見ずに字面だけで解釈すれば、「学者の句」として読むこともできる。先生は「季語が近い」との理由で添削しましたが、わたしは、かならずしもそうは思わない。なぜなら「エナドリの染み」は、失敗の跡とも努力の跡とも解釈できるから。かりに「学者の句」として読んだ場合、研究の成果がポジティブなものかネガティブなものか、季語の取り合わせによって意味合いが逆転する。季語を変えた結果、原句と添削句とでまったく印象が変わるし、ある意味では改作になってるともいえます。◇Hey! Say! JUMP薮宏太。誤字減点 泣きべそ帰路に色葉散る誤字減点 泣きべその帰路 鰯雲(添削後)これも「季語が近い」との理由で直してますが、なぜか添削のほうは三段切れになってます。そこは「泣きべそ帰路の鰯雲」と書けば解決する。◇青山祐子。焼けた顔 赤土コートで歓喜 秋実る赤土のコート 歓喜の秋高し(添削後)原句は三段切れで、夏の「日焼け」と「秋」の季重なり。ちなみに「秋実る」なんて季語はありません。「秋が実る」という意味なのか、「秋に実る」という意味なのか知らんけど、なんとなく季語っぽい言葉を発明しちゃったの??これは添削のほうが妥当です。◇笠松将。まつりの後ご 満点の月 懐く風満点の月や 祭の後の風(添削後)原句は三段切れで、夏の「祭り」と秋の「月」の季重なり。ただし、作者の話によれば、ここでいう「まつり」は実際の祭りじゃなく、前回のプレバト収録現場の比喩なのだそうです。そして「満点」も月の比喩的な形容。下五の「懐く」は風の擬人化です。端的にいうなら、三段切れで比喩と擬人化を並べた意味不明な句wかたや先生の添削は、その比喩を真に受けて「祭」の句に直してますが、やはり夏の句なのか秋の句なのか分かりません。ためしに、収録のあとの満月 風なじむとしてみました。◇こがけん。枝豆を買うダイハード放映日先生は、句またがりの二句一章と解釈してましたが…その場合は、「ダイハード放映日なので、枝豆を買う」という因果関係の取り合わせになってしまう。なので、これはあくまで一句一章と解釈すべきでしょう。つまり、動詞「買う」は終止形でなく連体形です。◇梅沢富美男。百点に二重線あり 豊とよの秋豊の秋闌たけ 百点に二重線(添削後)兼題写真をそのまま詠んだような句ですが、懸念すべき点があるとすれば、「訂正・取り消しの二重線」と誤読されかねないこと。そうした誤読を避けるためにこそ、ポジティブな季語を取り合わせる必要がある。…とはいえ、添削句の「豊の秋が闌ける」ってのは、ポジティブ表現があまりに過剰でくどい。ほとんど重複的だというべきです。◇清水アナ。百点を集めたアルバム 星月夜アルバムに写真だけでなく、新聞の切り抜きなどを貼る人はいますが、テストの答案用紙を貼る人もいるんですね(笑)。幼い日の輝かしい記憶を、満天の星月夜に重ねたってことでしょう。それを微笑ましいと感じるのか、一笑に付すのかは読み手しだいですが、形式的にいえば中八なのが欠点です。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥100点コレクター!😅#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/ngO0KAY6A8— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) October 15, 2024▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.10.21
缶酎ハイプシュッ車窓に鰯雲 千筋なる月光伸びて珊瑚礁 単線のカーブに耐える月見酒 郷の駅コーヒー香る星月夜 タラップを降りてバスまで歩く秋 車窓のぬるいお茶行けない二学期 秋雨の車窓の富士に乾杯す10月10日のプレバト俳句。お題は「乗り物のドリンク」。◇ホフディラン小宮山。缶酎ハイプシュッ 車窓に鰯雲初登場ながら、句またがりで1位を取るとはなかなかです。手元の動きから、車窓の空へ視線を移動させて、車内にいながらも屋外の爽快さを想像してる。それが酎ハイの爽快感に重なっていくのでしょうね。◇山崎怜奈。郷さとの駅 コーヒー香る星月夜星月夜 コーヒー香る郷の駅(添削後)俳句の形としては出来てます。ただ、作者の話によれば、コーヒーを手元に持ってる場面らしいので、あまり描写が正確とは言えません。原句は「駅前にコーヒーショップがある」ように見えるし、添削句は「構内にコーヒーショップがある」ように見える。中八にはなるけど、郷の駅 コーヒー片手に星月夜と書くほうが描写としては正確です。◇知花くらら。千筋ちすじなる月光伸びて珊瑚礁千筋なる月光 珊瑚礁しづか(添削後)季語は「月光」で秋。「伸びない筋があったら持ってこい!」ってことで重複表現を添削されました。なお、接続助詞の「て」は、「月光が伸びて珊瑚礁(を照らす)」の省略とも、「月光が伸びて珊瑚礁(になる)」の省略とも解釈できる。後者の場合は幻想句になります。添削については、月光の千筋 静かな珊瑚礁とシンプルに書くほうが明瞭だと思います。※ちなみに、海中動物の「珊瑚」「珊瑚礁」は季語ではありません。一方で、陸上植物の「珊瑚(珊瑚樹)」は秋の季語。「玉珊瑚(冬珊瑚)」や「珊瑚草(厚岸草)」は冬の季語です。◇市川紗椰。単線のカーブに耐える月見酒月の単線 卓に傾くワンカップ(添削後)静岡の岳南鉄道を詠んだとのこと。作者自身がカーブに耐えてる…と解釈するなら、なかなか面白い句だと思います。しかし、本人いわく、「月見酒がカーブに耐えている」という擬人化のつもりだったらしい。そもそも「月見酒」は、酒そのものを指すのではなく、月を見ながら酒を飲む行為を指すわけだから、擬人化できない名詞だと思います。添削句のほうは、擬人化を排して写生句にしてますが、作者によれば「岳南鉄道に卓はない」とのこと(笑)。たとえば、月の単線 零れんばかりカップ酒のようにも書けますし、作者のセリフのなかで擬人化し、月の単線 カーブに耐えよカップ酒と書いてもいいかなと思う。◇フジモン。タラップを降りてバスまで歩く秋読んだだけでは何のタラップか分からず、「バスのタラップを降りて、また次のバスまで歩くの??」…と混乱しました。作者の話によれば、飛行機のタラップを降りてからランプバスに乗るまでの、外気に触れるわずかな時間を切り取ったらしい。でも、わたしにはそういう経験がないし、一般的に考えても共感性の低い句だと思う。もちろん「船のタラップ」「ビルのタラップ」などの誤読もありえる。◇犬山紙子。車窓のぬるいお茶 行けない二学期行けない二学期 車窓のぬるいお茶(添削後)行けない二学期 水筒のぬるいお茶(添削後)これも意味が分かりませんでした。最近の小学生は、遠足のときだけじゃなく、普段から水筒に冷水や冷茶を入れて登校するらしい。そして、都市部の子供は、電車やバス(あるいは自家用車)で通学するわけね。しかし、わたしの地域じゃ徒歩通学が当たり前だし、「車窓を眺めながらぬるいお茶を飲む」ってのが小学生の登校風景には見えません。そのうえ、読んだだけでは、学校に「なぜ行けないのか」も分からない。作者の話によれば、休み明けに行きたくなくなった…という話だけど、たとえば、「家庭の事情や健康上の理由で行けなくなった」とも解釈できるし、「もう転校するから二学期には行けなくなる」という本人の独白とも解釈できます。そういう誤読を避けるなら、「憂鬱な二学期」「二学期の気重」とでも書くしかない。◇清水アナ。秋雨の車窓の富士に乾杯す秋雨や 車窓の富士に乾杯す(添削後)秋雨の車窓や 富士に乾杯す(添削後)まあ、形は出来てると思いますが…以前も書いたとおり、「一礼す」とか「乾杯す」とかいう場面が、どうも芝居じみて嘘っぽく感じるのよね(笑)。ほんとにそんなことするの??そして、「秋晴の富士に乾杯」じゃなく、「秋雨の富士に乾杯」ってところが、独創的といえば独創的だけど、かえって不自然にも感じてしまう。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥さらなる高みを目指して!☝️#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/N21lObN73H— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) October 7, 2024▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.10.14
三日月や真朱の隠岐に藍の波 長き夜や絵本の丸き角を拭く 灯台の周期星月夜の無辺 待宵のジャングル細切れのラジオ 芝居小屋奈落の闇を虫時雨 朝霧や土の匂いの雲場池 師が逝きひぐらし号泣しております 稲穂波合掌屋根を登りけり 銀杏の実剥き終へ自由になる十指 方向音痴ぐるぐるぐるぐる秋思 外苑はさやか孤食のカチョエペペ10月3日のプレバト俳句。金秋戦決勝です。お題は「自分で撮った写真」。◇的場浩司。三日月や 真朱まそほの隠岐おきに藍の波三日月の白色。隠岐島の赤色。海の藍色。作者は波打ち際に立って、三日月を眺めてるように見えますが、なぜ《夜の隠岐島が赤い》のかが分からない。もちろん、その理由は写真を見れば分かります。じつは、まだ夜になっておらず、夕焼け空に三日月が浮かんでるのですね。そして、作者は、じつは波打ち際ではなく、対岸(あるいは船上)から隠岐島を眺めてる。でも、字面だけを見ると、悲劇的な歴史を比喩的に「真朱」と詠んだのかしら?…とも解釈できてしまう。この句が1位だったのは、写真を見た先入観で評価してるからでしょう。そうでなければ夕景の句とは分からないと思う。季語に「三日月」でなく「夕月」を使う手もありますが、誤読を避けるには、月の描写を諦めて、夕焼けて隠岐の真朱や 波蒼しとでも書くしかありません。「島根県・隠岐諸島」◇フルポン村上。長き夜よや 絵本の丸き角を拭くなぜ絵本の角は丸いのか?なぜ絵本の角を拭くのか?ちょっと考えさせる内容ですが、なかなか面白い場面を切り取ってるし、季語との相性もいいと思います。けっして悪い出来じゃないけれど、先生は、「長き夜」と「絵本」の関係に類想感がある、…との理由で減点。やや気の毒な気もします。「ベビーサークル」◇森迫永依。待宵まつよいのジャングル 細切こまぎれのラジオ待宵のジャングル 瀕死なるラジオ(添削後)待宵のジャングル 盗品のラジオ(添削後)彼女らしいエキゾチックな句材ですね。これも良い句だと思うけど、先生は「ジャングルだから電波が弱い」との因果関係を指摘。そういわれれば、そうだけどね…。ちなみに、写真の構図も良いですねェ。船の上からちゃんと水平に撮れてるし。「インドネシア・カリマンタン島」◇キスマイ千賀。灯台の周期 星月夜の無辺むへん灯台の周期 星月夜の深閑(添削後)原句は、前段も後段も、「光」と「空間の広がり」を描写してて、似たものどうしの取り合わせ。ちょっとコントラストに乏しいかも。添削句のほうは、前段が視覚情報(灯光の動き&彼方まで照らされる空間の広がり)後段がおもに聴覚情報(星月夜の静けさ)…という取り合わせになってます。「宮古島の星空」◇梅沢富美男。芝居小屋 奈落の闇を虫時雨芝居果てし奈落の土間や 虫の闇(添削後)この句の「奈落」は、悲劇的状況とか地獄とかではなく、舞台用語としての床下空間のことなので、「闇じゃない奈落があったらもってこい!」…とまでは言えないのだけど、やはり「奈落」と「闇」の重複感は否めない。まして「虫時雨」が聞こえるほどだから、近代的な劇場の床下じゃなく、粗末な芝居小屋の薄暗い奈落だと想像がつきます。かたや添削句のほうは、二句一章にする必然性を感じない。芝居果てし奈落の土間の虫の闇芝居果てし奈落の土間に虫時雨のように書くのが妥当では?「劇場」◇フジモン。銀杏いちょうの実剥き終へ自由になる十指じっし銀杏ぎんなんを剥き終へ自由なる十指(添削後)原句は中8の字余り。そして「…になる」は、現在の描写でなく経緯の説明っぽい。句材はなかなか面白いけどね。これは添削のほうが妥当です。「八百屋さん」◇清水アナ。朝霧や 土の匂いの雲場池くもばいけ土匂う朝や 霧立つ雲場池(添削後)原句も悪くはないけど、季語の「朝霧」がちょっと「雲場池」に負けてる。添削句のように書くほうが、季語の映像が強まって、二物が対等に衝撃し合う。ただし、実際に池から匂いがするのなら、原句のように書くしかない気もするし、添削句は一種の改作ともいえますが…。ちなみに、雲場池は軽井沢にある人造湖。朝霧の湖面が鏡のように反射して、これも幻想的で綺麗な写真ですねえ。「雲場池」/📣10/3(木)🌕夜6️⃣時3️⃣0️⃣分からは #プレバト !!※夜7️⃣時までは一部地域\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥才能アリに限りなく近かった!😭#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/6wff1ylhmr— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) September 30, 2024◇森口瑤子。方向音痴ぐるぐる ぐるぐる秋思行く方を失い ぐるぐるぐる秋思(添削後)彼女の作風といえば作風だけど、あまりにオノマトペで奇をてらいすぎでは?オノマトペだけで8音も費やしてるし、しかも「ぐるぐるぐるぐる」でひとまとまりなのか、方向音痴の「ぐるぐる」と秋思の「ぐるぐる」に分かれるのか、字面だけでは判別がつかない。添削のほうは「ぐるぐるぐる」でひとまとまりですが、やや音数合わせの感もあります。「行き止まり」◇立川志らく。師が逝き ひぐらし号泣しておりますしづかなる号泣 ひぐらしに逝きぬ(添削後)これまた作風といえば作風だけど、やたらと「死」を題材にした句が多すぎる。原句は4・4・10の破調。涙も出ない自分の代わりに、蜩が泣いてるようだった…とのこと。たしかに蜩の鳴き声が、驚くほど大きく響いて聞こえることはあるけど、さすがに「号泣」の擬人化は不相応な感がある。その一方、号泣とは「大声を上げて泣く」という意味なので、添削句の「しづかなる号泣」もあからさまな語義矛盾。ためしに、声のなき悲悼を蜩が覆うとしてみました。「夕焼け」◇千原ジュニア。稲穂波 合掌屋根を登りけり稲穂波 合掌の屋根を登らむ(添削後)一句一章なら、A: 稲穂波(が)合掌屋根を登っている(ようだ)。二句一章なら、B: 稲穂波が見えるよ。私は合掌屋根を登っているよ。という意味になります。作者は「A」のつもりで詠んだらしいけど、字面だけでは、どちらの意味なのか判別できない。比喩(擬人化)としても、ちょっと分かりにくい。また、最後の切れ字も、気づきの「けり」の用法とは、ややズレますね。かたや添削句も、一句一章か二句一章か判別しがたいので、語順を逆にして、合掌の屋根を登らむ稲穂波とするほうが明瞭になるはずです。「稲穂と合掌造り」◇キスマイ横尾。外苑はさやか 孤食のカチョエペペ外苑はさやか 一人のカチョエペペ(添削後)中七の「さやか」は「爽やか」の子季語で秋。下五の「カチョエペペ」は、チーズと胡椒のシンプルなパスタで、その店の味を知る基準のメニューだそうです。作者は「孤食」という語を、ポジティブな意味で使ったらしいけど、その意図はちょっと伝わりにくい。「スカジャン」▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.10.07
清秋や海にマンタといるしじま 月白や温泉にいる吾と腫瘍 山の宿昭和のままの虫の闇 ひとすじの秋水ひとり旅とどめ 退職金一括金秋の四季島 秋麗作家と話す陶器市9月19日のプレバト俳句。先週にひきつづき金秋戦予選。Cブロックのお題は「一人旅」です。◇犬山紙子。月白や 温泉にいる吾と腫瘍月白や 旅の湯に吾あと吾わが腫瘍(添削後)この季語の選択はすごい…。月の出の前に明るく白んだ東の空。一般的には、名月を待ちわびる期待の季語ですが、この句の場合は、快癒への希望と不安がないまぜの心情で、乳房やお湯の白の暗示とも思えます。場面全体が乳白色になるように見える。中七の「いる」は、たしかに意味のない動詞だけど、「いる」の代わりに「入いる」を使って、月白や 温泉に入る吾と腫瘍と書けば、いくぶん映像的かもしれません。なお、「旅の湯」と書けば兼題に近づきますが、「温泉」と書けば湯治のニュアンスが出る。9月9日に手術だったようです。元気で何よりです。プレバト!見てくださった方ありがとうございました。ご心配おかけしてすみません!手術も終わり、もう退院してすっかり元気です💪千賀さんこうなったらCブロック背負って頑張ってください!!!! https://t.co/y5iAURXqVx— 犬山紙子 (@inuningen) September 19, 2024◇キスマイ千賀。清秋や 海にマンタといるしじまこれが1位でしたが…原句は、前段が「海上」で、後段が「海中」の取り合わせに見える。さすがに海中が清秋ってことはないでしょ。たとえば、清秋の海や マンタのいるしじまと書けば、全体が「海上」の場面になりますが、全体を「海中」の場面にしたいのなら、清秋の海にマンタといるしじまと書くのが正解じゃないかしら?ちなみに、「~と~にいる」という構造は、犬山紙子の句と同じですね。作者がそこに「いる」のは当たり前だけど、「~といる」のは特殊なのかもしれません。追記:俳句では通常、一人称の「私」は省略できる主語だし、be動詞の「いる」「ある」は省略できる述語ですが、かりに中七・下五で、「私はしじまの海にいる」とか、「しじまの海にいる私」とか書くとすれば、それは主たる描写対象が私(作者自身)であり、その私が「いる」こと以外に何もしてない場合です。…ただし、その場合でも、「私」と「いる」の両方が必要かどうかは微妙。たとえば千賀の句は、「しじまの海にマンタと吾」と書けば、述語の「いる」は不要になるはずだし、逆に、犬山紙子の句は、「胸の腫瘍といる湯舟」のように書けば、主語の「吾」は不要かもしれません。◇武田鉄矢。山の宿やど 昭和のままの虫の闇山宿やましゅくや 昭和の色の虫の闇(添削後)前回も「昭和の子」だったし、武田鉄矢らしい作風ではあります。原句も悪くないと思いますが、「昭和だなあ」と詠みたい気持ちを、説明でなく映像にするのは難しいよね。◇清水アナ。秋麗あきうらら 作家と話す陶器市季語をふくめて、内容にひねりがない気はするけど、さほど悪い出来じゃないし、平場なら才能アリでもいいのでは?ためしに、歳近き作家 九月の陶器市としてみました。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥普通です!😂#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/vLBfxn4x7j— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) September 16, 2024◇中田喜子。ひとすじの秋水ひとり旅とどめひとすじの秋水 ひとり旅の果て(添削後)原句は一句一章で、《ひとすじの秋水(が)ひとり旅(を)とどめた》という内容なのだけど、最後の「とどめ」の意味が不明瞭。先生は、「風景の美しさ見て、旅を心にとどめた」と解釈したようですが、わたしは、「風景の美しさが自分をその場にとどめた」と解釈しました。…しかし、作者によれば、「不吉な予兆を感じて旅をやめた」という意味らしい。ポジティブな意味の季語を、ネガティブな意味で用いた是非も問われますが、かりに作者の意図に沿うのなら、ひとすじの秋水 旅先の不吉秋水のひとすじ旅を遮れりとでも書くしかありませんね。◇パックン。退職金一括 金秋の四季島退職の旅よ 金秋の四季島(添削後)原句は、前段が手段の説明だし、前後が因果関係になってます。退職金で「金秋」ってのも卑しいので、(金カネの秋みたいに見える!)せめて「錦秋」と書くほうが上品かもしれません。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.09.23
削げし頬月下貪るパンの耳 ソーキ煮のとろ火見ている夜長かな 生きる為に飯を喰う外は蛍 一人めし半値太刀魚喰むいざや 夜半の秋ひとり味わうアルファ米 薄めたシャンプー朝冷のワンルーム 今日よりはひとり分なり秋の風 のろのろと包帯広げ干す秋夜 空の巣症候群のような夜長 母からの手紙無月の段ボール 追い焚きのできない1K夜寒かな9月12日のプレバト俳句。金秋戦予選です。Aブロックのお題は「一人めし」。◇的場浩司。削げし頬 月下貪るパンの耳これが1位でしたが、さほど出来がいいとは思えない。上五で切れるのだとすれば、取り合わせが因果関係に見えてしまうし、上五が切れておらず、「削げし頬(が)月下(で)貪るパンの耳」という助詞の省略だとすれば、やや寸詰まりな感じです。助詞を省かずに、パンの耳かじる月下の削げた頬のような書き方もできるし、月の下 パンの耳食う削げし頬頬こけて月下にパンの耳を喰うのようなパターンもありえます。◇こがけん。ソーキ煮のとろ火見ている夜長かな3位でしたが、この句がいちばん形が整っていて、詩情も十分だったと思います。◇立川志らく。生きる為に飯を喰う 外は蛍生きる為に飯喰う 外は蛍(添削後)季語の「蛍」は、9月の句としてはやや季節外れな感じ。破調についても賛否あるでしょうが、あえて助詞「を」を外す意図は分からない。かえってリズムが悪い気がするのだけど…。◇水野真紀。一人めし 半値太刀魚喰はむいざや半値なる太刀魚ひとりいざ食はまん(添削後)原句の上五は、描写でなく状況説明ですよね。最後を「や」で締める形にも違和感がある。古語には、「いざや見ん」(さあ見よう)のような用法があるらしいのだけど、そこから考えても添削のほうが妥当でしょう。なお、以前の記事にも書きましたが、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202402120000/「食む」という動詞を人間に用いるのは、個人的に違和感をぬぐえません。◇馬場典子。夜半の秋 ひとり味わうアルファ米傷心や ひとり秋夜のアルファ米(添削後)困憊や ひとり秋夜のアルファ米(添削後)お疲れ様アタシ 秋夜のアルファ米(添削後)中七「味わう」の情報が蛇足です。…とはいえ、以前も「失恋や」「空腹や」の例がありましたが、今回の添削も、上五で「傷心や」「困憊や」などと、状況説明を切れ字で詠嘆していて、これにもまた違和感をおぼえます。むしろ、困憊の秋夜 ひとりのアルファ米と書くほうがしっくりきます。Bブロックのお題は「一人暮らし」。◇森迫永依。薄めたシャンプー 朝冷のワンルーム最後の「ワンルーム」で、一人暮らしの秋の朝シャンだと分かる。そこから「シャンプーを薄めた理由」を想像させるし、ひんやりした清潔感も感じさせます。なにげない句またがりだけど、情報の選び方が的確なのですよね。◇柴田理恵。今日よりはひとり分なり 秋の風これも上手い。昨日までは複数人分の家事をしてたわけね。したがって、これはおそらく主婦の句であって、一人暮らしを始めた学生や社会人の句ではない、…ってことが分かります。離婚したとか、夫が単身赴任をはじめたとか、シングルマザーの子供が独り立ちしたとか、そういうことなのでしょう。◇皆藤愛子。のろのろと包帯広げ干す秋夜上五の「のろのろ」は、足を骨折した自分の動作だそうですが、わたしはてっきり、包帯を転がす様子の擬態語かと思いました。そのほうが独創的なオノマトペに見えます。◇森口瑤子。空の巣症候群のような夜長中七「ような」は必要なのかどうか。その是非がちょっと判断しがたい。作者自身が《空の巣症候群》ならば、空の巣の症候群の夜長かなのようにも書けるけど、原句の書き方だと、「夜長が空の巣症候群のようだ」という擬人化になるはずです。◇春風亭昇吉。母からの手紙 無月の段ボール秋の季語「無月」は、新月ではなく、曇天で月が見えないこと。段ボールのなかに手紙があるのなら、カットを分けて二句一章にする必要がない。むしろ、雲り月 母の手紙と段ボールのように書くのが自然じゃないかしら?◇清水アナ。追い焚きのできない1K 夜寒かな最後を「かな」で締める場合は、やはり途中で切らないほうがいいし、へたに途中で切ってしまうと、かえって取り合わせの近さが目立ちます。単純に、1Kの追い焚き出来ぬ夜寒かなと書けば解決するように思う。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥まだまだ勉強中!💪#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/2grIRsvXTz— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) September 10, 2024▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.09.16
風爽か豚骨臭のシーン8 綿あめや葉月のかかと浮かせたる 秋時雨運ぶ弁当台無しに 前のスリム新米小盛り真似てみる 食の秋ケータリングで2キロ増え ゾンビらに取っておく差し入れの桃 ロケ終盤夜食に並ぶ研修医9月6日のプレバト俳句。お題は「ケータリング」。そもそも「ケータリング」って何??番組の説明によれば、撮影現場でおなじみケータリング!温かい麺類や惣菜など、とにかくテンションが上がるスペース!…だそうですが、テレビ界の人間に「撮影現場でおなじみ!」などと言われても、一般の視聴者にはなじみがありませんよね。ケータリングは、英語「cater」(料理を調達する/賄う/提供する)の動名詞。辞書によれば、料理を家庭に配達すること。また、パーティーやイベントなどに出張し、客の要望に応じて料理を提供するほか、会場の設営・演出なども引き受けるサービス。Wikipediaによれば、《仕出し業との違い》自店舗で食事を調理して容器や食器に盛り付けたものだけを提供する弁当や出前に近い「仕出し」に対し、スタッフも含めて顧客の下に出向き、その場で調理・盛り付けをするためレストランに近い提供方法が「ケータリング」である。《オードブルとの違い》紙皿・紙コップなどの使い捨て容器でサービスを提供する「オードブル」に対し、陶器などのお皿で設置・撤収を行ったり、配膳や装飾などスタッフ付きのサービスを行うのが「ケータリング」である。企業サイトによれば、「ケータリング」とは、一般的に指定会場のテーブルセッティングから後片付けまでを担い、サービススタッフが常駐して、一番おいしい状態で料理を提供してくれるサービスのこと。「デリバリー」は、宅配や出前のように、料理のお届けのみを指す場合が多いようです。https://maxpart.net/column/case/…だそうです。◇大友花恋。風爽か 豚骨臭のシーン8はち作者によれば、撮影の休憩中にラーメンを食べたとの話。しかし、字面からは、むしろ「ラーメン屋のシーン」と読めます。そして、季語の「風爽か」と、脂ぎった「豚骨臭」との取り合わせ。滑稽句としてはユニークとも言えるけど、季語が台無しと思えなくもない。語順を入れ替えて、風爽か シーン8エイトの豚骨臭と二句一章の距離感を使う手もあります。◇星野真里。綿あめや 葉月のかかと浮かせたるケータリングの端に綿あめある葉月(添削後)詩情がありますね。中七「葉月のかかと」の表現も面白い。ふつうなら、綿あめに葉月のかかと浮かせたりと書くところですが、季語でない上五を「や」で詠嘆し、下五を連体形で止めたのが、ややイレギュラーな形です。下五の連体形については、名詞を省略する効果があると思うけど、上五で切る必然性はないので、綿あめに葉月のかかと浮かせたると書くのが正解じゃないかしら?◇城田優。秋時雨 運ぶ弁当台無しに弁当を運ぶ自転車 秋時雨(添削後)弁当を落としてしまった場面だそうです。上五で切れるのかが分かりにくく、「秋時雨を運んでくる弁当」とも読めてしまう。下五の「台無しに」も散文的な印象。先生は、「落としたかどうかは読み手に想像させればよい」と言ってしまたが、添削句を読んで、そこまで想像する人はいないと思います…。ためしに、配達が落とした弁当 秋時雨としてみました。◇藤井隆。前のスリム 新米小盛り真似てみる細身なる人真似新米を小盛り(添削後)以前は良い句も詠んでたのに、何故か、だんだん下手になってるよね…(^^;三段切れにも四段切れにも見えるし、内容的にも意味不明。作者の話によれば、> 「前」に並んでいた「スリム」な人が> 「新米」ごはんの「小盛り」を注文していたので「真似た」とのことですが、これを17音に収めるのは無理なのでは?作者が「真似た」という情報も、描写というよりは説明というべきだし、それこそ、「真似たかどうかは読者に想像させればよい」と思います。せいぜい、新米の小盛りを頼む痩せた人と書くのが精一杯じゃないかしら。◇熊谷真実。食の秋 ケータリングで2キロ増え楽屋への差し入れ多し 食の秋(添削後)内容が川柳じみてますが、意味が分かるぶんだけ藤井隆よりマシかな。添削のほうは、描写的に直したのはいいとしても、季語が近すぎるのは改めるべきですね。◇フルポン村上。ゾンビらに取っておく差し入れの桃差し入れの桃 ゾンビらにニ十切れ(添削後)ボツでしたが…けっして悪くない出来だと思う。後半の「差し入れ」で、ゾンビの正体が分かる仕組みですね。映画かもしれないし、お化け屋敷かもしれないし、仮装パレードかもしれませんが。先生は「取っておく」の叙述が雑だと批判。しかし、添削のように桃だけを描写するのでなく、ゾンビを演じてる人たちのために、それを「取っておく」気持ちが大事なので、その行動描写を雑だとは切り捨てられない。強いて欠点があるとすれば、「取る」「置く」「差す」「入れる」と動詞が続くところですが、「取っておく」が複合動詞で、「差し入れ」が名詞なのは明瞭だし、誤読や混乱をまねくほどではありません。◇梅沢富美男。ロケ終盤 夜食に並ぶ研修医ロケの撮影は、フィクションかノンフィクションかを問わないので、フィクションなら「研修医役の俳優」であり、ノンフィクションなら「本物の研修医」ってこと。どちらにも解釈できます。上五が季語ではないので、やや状況説明っぽく見えるのが難点です。◇清水アナ。今朝の秋 リハ後はコーヒー、メロンパン内容はいいと思うけど、形式面で問題になるとすれば、助詞「は」と読点「、」の是非ですね。前日までは冷たい飲み物だったのに、今朝は暖かいコーヒーを飲んだのでしょう。だとすれば、助詞「は」を使う必然性はあります。(わたしなら「の」を使いますが)一方、読点「、」がないと、見るからに三段切れっぽくなるし、「コーヒー味のメロンパン」みたいな誤解もされかねないので、あえて読点を入れた必然性も理解できる。もちろん一般論としては、「目には青葉、山ほととぎす、初鰹」みたいに書いたりする必要はなく、切れでないことが明らかなら、読点は入れなくてよいと思います。中七の「リハ」は、リハーサルのことでしょうが、リハビリと解釈するのも可能です。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ギリギリでも最近好調!!🥳#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/eui1wqfPt9— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) September 2, 2024▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.09.09
休暇果つ焼豚玉子飯甘し 秋郊のビストロ放し飼いの軍鶏 きょうりゅうのしそんのたまごまくわうり 露葎槌の子誘く卵三つ 曾祖父の出征朱夏の卵焼き ゆで玉子ていねいに剥く台風夜 立秋のたまご水平線の色 3秒でねれる星月夜のボタン ほの青き地鶏の卵秋の宿 なぜぼくは食べられないの星祭 黄身ふるる熱きふわとろ今朝の秋8月29日のプレバト俳句。今回は、小中学生との対戦。西村和子&高野ムツオ&井上康明が、審査員として参加してました。お題は「卵」。プレバト勢も、ちびっこ勢も、作者の意図と字面の印象がズレてる句が多かった。結果オーライで評価することも出来るけど、それは「まぐれ当たり」ともいえるわけだし、やはり作者の意図を正確に伝える技術は大事です。◇キスマイ横尾。秋郊しゅうこうのビストロ 放し飼いの軍鶏しゃも作者も、審査員も、兼題に沿って「卵料理」の話ばかりしてましたが、字面から想像されるのは「肉料理」のはずだよね。作者は「卵料理の高級感」を意図したらしいけど、むしろ読み手は「肉料理の野性味」を読み取ります。まあ、結果オーライではあるものの、名人としての表現力には疑問符がつきます。◇かりんちゃん(中3・大阪)。休暇果つ 焼豚玉子飯めし甘し中七の「焼豚玉子飯」は、愛媛県今治市のソウルフードだそうです。大阪の子なのに愛媛の料理も知ってるのね。でも、地元の人でなければ、夏休みの終わりにそれを食べることの詩情は、なかなか共感しにくいかもしれません。◇千原ジュニア。露葎つゆむぐら 槌の子つちのこ誘そびく卵三みつ露葎 槌の子誘おびきだす卵(夏井添削)。子供相手の対戦だってのに、しかも俳句の内容も子供時代の回想だってのに、「むぐら」だの「そびく」だのと、やたらに難しい言葉ばかり並べて、字面と内容が噛み合ってませんね。漢字の「ツチノコ」もはじめて見ましたが、難読な漢字だらけの俳句にしたせいで、子供のファンタジーの面白さを損なってる。また、審査員も言ってたとおり、(たとえそれが実体験だったとしても)卵が「3個」である必然性は薄い。きっとツチノコは1匹で来るのだろうから、卵は3個も要らないよね…っていう。◇内藤剛志。ゆで玉子ていねいに剥く台風夜よゆで玉子ていねいに剥く台風裡り(西村添削)ゆで玉子ていねいに剥く野分の夜(高野添削)台風の夜や ていねいに剥く玉子(夏井添削)添削されましたが、いままでの内藤の句でいちばん良い出来です。屋外の暴風と、屋内の静けさ。家屋に閉じ込められた長い夜の沈黙が伝わってくる。◇ふみかちゃん(小2・埼玉)。きょうりゅうのしそんのたまご まくわうりてっきり、「真桑瓜は恐竜の子孫の卵のようだ」という比喩かと思いきや…作者の話によると、恐竜の子孫にあたる鶏の卵があって、それを真桑瓜に取り合わせた句なのね。審査員も、すこし誤読してた感じです。◇かいと君(小3・兵庫)。立秋のたまご 水平線の色こちらは、ふみかちゃんとは逆で、「卵」と「海」との取り合わせかと思いきや…作者の話によると、海が見えてるわけじゃなく、「卵の色が海のように青い」という比喩らしい。審査員も完全に誤読してましたが…まあ、結果オーライでしょうか。ちなみに、かいと君は、3秒でねれる星月夜のボタンという過去句も紹介されてました。押す「ボタン」ではなく、服の「ボタン」を触りながら寝るのだそうですが、ファンタジックで面白い内容だし、9才にして破調を使ってるところが侮れません。◇梅沢富美男。ほの青き地鶏の卵 秋の宿奇しくも、かいと君と同じで「青い卵」を詠んでる。ネットで知らべたら、青い卵を産むのは南米チリの鶏だけらしい。日本でも普通に流通してるんでしょうか??なお、季語の「秋の宿」は歳時記にも載ってますが、作者の意図した心情を伝えるならば、あえて「宿の秋」と書いてもいいと思います。◇さなちゃん(中1・愛媛)。曾祖父の出征 朱夏しゅかの卵焼き作者によれば、自分が生まれる前の過去に想いを馳せ、「曾祖父は出征の日に卵焼きを食べただろう」と想像したようです。しかし、字面からは、前段が《昔話を聞いた場面》後段が《現在の食卓の場面》という取り合わせとして読めるし、実際、そのように読まなれば、季語の時制が過去になるので鮮度が落ちます。なお、中国の五行思想では、一年の四季や、人生の季節を、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」…のように表現するそうです。作者は、季語の「朱夏」に、《夏の太陽》《戦争の血》《日の丸》などのイメージを重ねたうえで、「shu」「shu」の頭韻も踏んだとのこと。読み手しだいでは、卵の黄身の《赤み》とか、出征の《赤紙》を想像することも出来ます。◇中田喜子。黄身ふるる 熱きふわとろ 今朝の秋三段切れなのだけど、上五・中七の「黄身ふるる/熱きふわとろ」は、(虚子の「何色と問ふ/黄と答ふ」のように)一連の流れを動画的に描写したようにも見えます。しかし、作者の話によれば…生卵の「ふるる」が、炒り卵の「ふわとろ」に変化したのではなく、あんかけ卵の「ふわとろ」の上に、別の生卵の「ふるる」を落としたのだそうです。したがって、内容的にも三段切れ!また、作者は「頭韻を踏んだ」と言ってるけど、擬態語の「ふ」を並べた程度では韻とも呼べない。◇すばる君(小5・岩手)。なぜぼくは食べられないの 星祭字面からは、中七の「食べられない」が、可能態か受動態かを判別できません。かりに可能態だとしても、何を食べられないのかが分からない。作者自身は、「卵アレルギー」のことを詠んだそうですが、審査員の西村和子は、「貧困で飢えた子供」との解釈をしてました。一方、わたしは、可能態ではなく受動態と誤読したのよね。岩手県の子が「星祭」を詠んでるとあって、てっきり宮沢賢治的な意味で、「食べる者」と「食べられる者」の、食物連鎖の悲しみを仏教的に表現したのかと。◇清水アナ。秋風の自転車 卵二個割れた口語の強みがありますね。過去形も句またがりもまかり通るから。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥すごい勢いで成長している…!😳#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/z71tSAkUDo— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) August 26, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.09.02
夕芒祖母の黄ばんだひらがな帳 夏シャツのよごれそれぞれ昭和の子 星明かりほどの重さの子に汗疹 祖父に兄縛られしこの柿の木や 波飛沫母笑みて抱く裸の子 父と子の季節短し晩夏光 クラゲ刺す男言葉の課長の娘 秋彼岸お供え物が気になる子8月22日のプレバト俳句。お題は「幼少期の写真」。◇森迫永依。夕芒ゆうすすき 祖母の黄ばんだひらがな帳いやあ…、素晴らしすぎてちょっと。たしかに戦前生まれだったりすると、読み書きの出来ない老人は結構いるし、仮名を書くのがやっとの人も珍しくない。でも、作者の話によれば、祖母が「中国人だから」という理由らしい。そういえば彼女は日本と中国のハーフだもんね。その話を聞くと、ますます味わいが増します。陳凱歌の映画が「黄色い大地」だったり、中田喜子にも「黄さん」の句があったので、中国を「黄」の字が象徴してるようにも思う。黄という文字は「光」と「田」の含意文字で、光り輝く田圃の色であり、黄色は自然の中で生命の輝きを感じさせる色といえよう。 古代中国で確立されたといわれる五行思想では、黄は「木、火、土、金、水」の真ん中の「土」にたとえられている。国の源を作った三皇五帝伝説において、第一と崇められた黄帝は、人民の文明生活に大いに寄与したといわれ、神話的伝説の王として祭り上げられた。中国では黄色は戦国時代まで皇帝の色であり、最も高貴な色として尊ばれたのである。http://library.city.urayasu.chiba.jp/special/200910/page_6.html描いてるのは、「夕芒」に取り合わせたささやかな一場面だけど、その背景に空間の広がりと歴史の奥行きを感じさせます。わたしにいわせれば、もう現時点で十分すぎるほど「名人級」だと思います。◇武田鉄矢。夏シャツのよごれそれぞれ 昭和の子これも句材は面白い。中七の「それぞれ」には具体性がなく、描写性という点で疑義がつきかねないけど、全体をセリフ形式の句ととらえれば、「れ」「れ」「れ」の脚韻とも相まって、とぼけた味わいを醸してると思います。◇清水アナ。秋彼岸 お供え物が気になる子先生の指摘どおり、「お供え物が気になる子」は説明的ですが、ほぼ同じ内容でも、「お供え物を気にする子」と書けば、いくぶんか描写的になるし、「お供え物を欲しがる子」と書けば、もっと描写的になります。そして、「秋彼岸」と「お供え物」が近いので、季語をすこし離せば改善できる。ためしに、初紅葉 お供え物を欲しがる子としてみました。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥前回に続き今回も...😭#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/UiNMOzjywh— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) August 19, 2024◇フルポン村上。星明かりほどの重さの子に汗疹あせも頼りなげな星明かりのように、まだ覚束ない重さの赤ちゃんなのですね。その「星明り」は秋の季語ですが、この場合は比喩なので、主たる季語は夏の「汗疹」です。…とはいえ、夏と秋のイメージが混在する感は否めない。しかも、秋の季語としての「星明り」は、月にも劣らぬほど明るいわけだから、俳句的にいうところの「星明かりほどの重さ」が、どれほどの重さを意味するのか、やや読み迷わせます。その点が、ちょっと引っかかる。◇千原ジュニア。祖父に兄縛られしこの柿の木や祖父が兄縛りし柿の木の夕焼ゆやけ(添削後a)祖父が兄縛りし柿の木よ秋よ(添削後b)原句はまず、「祖父に兄」という上五の叙述に「?」となります。下五にかんしても、切れ字「や」で締めるイレギュラーな手法が、さほど効果的とは思えないですね。そして、先生の解説によれば、「柿」は秋の季語だけど、「柿の木」は季語にならない、とのことです。…とはいえ、(添削後a)では、夏の「夕焼」を詠んだ句に直してるものの、正直「柿の木の夕焼」って何??って気もするし、(添削後b)では、「秋」を詠んだ句に直してるものの、さすがに「柿の木」と「秋」の重複感が否めない。ためしに、7・5・5の破調ですが、兄を縛りし祖父の木に柿実るとしてみました。◇春風亭昇吉。父と子の季節短し 晩夏光1ランク昇格でしたが…内容が抽象的で描写性に乏しく、言ってることも凡庸の極み。わたしなら1ランク降格です。◇的場浩司。波飛沫なみしぶき 母笑みて抱く裸の子母の抱く裸子はだかごは吾ぞ 波飛沫(添削後)季語は「裸子」で夏。上五の「波飛沫」が季語じゃないので、ややイレギュラーな形式です。わざわざ「母抱く子」と書かずとも、母が抱くのは子であり、子を抱くのは母だろう…と思えるし、中七「笑みて」にも蛇足感があります。一方、添削句のほうは…かりに過去の場面を詠んだ句なら、それにつれて季語の鮮度も落ちますよね。むしろ、《眼前の母子を過去の自分に重ねて幻視した》と解釈すべきかもしれません。◇水野真紀。クラゲ刺す男言葉の課長の娘こ刺されたるクラゲ罵る課長の娘(添削後)上五の「クラゲ刺す」は終止形で切れてるのか、連体形だとしても、どこに掛かるのか分かりにくい。あえて「課長」と書くことの効果もいまいち不明。作者によれば、「父は忙しくて休みがなかなか取れなかった」とのことですが、その話を「課長」の二字から読み取るのは無理です。それどころか、へたに「課長」などと書いてしまったら、部下か上司の視点で詠まれた句のように見える。かたや、先生の添削も変ですよね。クラゲが刺されたことになってますww…以下の情報を、すべて一句のなかに詰め込むのは不可能なので、せめて2つの句に分けるほかありません。A: 父のたまの休みに行く海は季節外れだった。B: クラゲだらけの海で娘が話すのは男言葉だった。A を娘の視点で詠むなら、父と行く海は水母くらげのあまた浮きのように書けるし、B を父の視点で詠むなら、海月くらげの瀬 娘は男言葉なりのように書けます。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.08.26
山積みのプリント救いのかき氷 餅飯殿にも賑はひ戻りかき氷 まどろみの友は臨月夏氷 炎ゆる雲ボール回した帰り道 口元や甘いドラキュラかき氷 高原の氷菓エスプーマの瑞煙 秋淋し宇治金時のほろ苦く 駄菓子屋は今日までだってかき氷8月15日のプレバト俳句。地震の影響で一週ズレましたが、お題は「かき氷」です。◇玉井詩織。山積みのプリント 救いのかき氷山積みのプリント置いてかき氷(添削後)山積みのプリント終えてかき氷(添削後)原句は中八の句またがり。「救いの」が描写ではなく説明なので、これは添削のほうが妥当です。◇辰巳琢郎。餅飯殿もちいどのにも賑はひ戻りかき氷餅飯殿に戻る賑はひ かき氷(添削後)奈良の「餅飯殿」なる地名は初耳でした。まるで平安時代の御馳走邸みたいな名前ですが、もちめしでん…じゃないんですね(笑)。原句は7・7・5の字余り。助詞の「も」で言外のことまで説明するのは、やはり描写の範囲を超えてるので、これも添削のほうが妥当です。◇野村麻純。まどろみの友は臨月 夏氷これも描写的に書くならば、臨月の友のまどろみ 夏氷となるわけですが、原句は、友をいたわる作者の心のセリフと読めるので、これはこれでありかなと思います。ちなみに、作者は短大で俳句や短歌を学んだとのこと。それで大河の「さわさん」役に起用されたのかしら?さわさんのモデルは、行きめぐり逢ふを松浦の鏡には誰をかけつつ祈るとか知ると詠んだ筑紫の君ですよね。◇Aぇ! 佐野晶哉。炎ゆる雲 ボール回した帰り道夕焼ゆやけ雲 ボール回した帰り道(添削後)夕焼や ボール回した帰り道(添削後)37点の才能ナシ。夕焼雲の意味で「炎ゆる雲」と書いたのは、まあ無理もないかなあと思うけど、それより不可解なのは、野球のボールと台所のボールを掛けたって話。帰り道のキャッチボールと、帰宅後に回し食いしたかき氷とを掛けて、「ボール回した帰り道」と書いたらしい。しかし、読み手にはまったく伝わらない。なんか上達を見込むのが難しそうな才能ナシです。かき氷をボールで食べる場面に絞るなら、削氷けずりひをボウルに盛って友と食う野球の要素を取り入れるなら、友と分ける野球のあとのかき氷って感じでしょうか。◇ずん飯尾。口元や 甘いドラキュラ かき氷口元は甘いドラキュラ かき氷(添削後)原句は三段切れです。「甘いドラキュラ」も意味不明。ギリ凡の45点だけど、これも才能ナシでしょ!作者の話によれば、口の周りが苺シロップだらけの子供を詠んだらしい。しかし、字面だけでは隠喩かどうかも分からない。添削句は「口元は甘いドラキュラ」と書いてますが、それでも意味が明確になったとは言えない。苺シロップの味の話ではなく、甘い顔だちのドラキュラとも読めるし、甘い性格のドラキュラとも読めるからです。直喩で書けば、ドラキュラのごと口赤し かき氷削氷や ドラキュラのごと口赤くのようになりますが、隠喩で書くならば、口染めた氷いちごの吸血鬼みたいな書き方もあるかな。◇こがけん。高原の氷菓 エスプーマの瑞煙ずいえんエスプーマの瑞煙 高原の氷菓(添削後)1ランク昇格でしたが、梅沢の意見と同じで、わたしならボツです。読んだだけでは、隠喩かどうかも分からないし、何が何を比喩してるのかも分からない。「瑞煙」とは雲のことで、「エスプーマ」とは泡のことですが、《高原の雲が泡のようだ》と言ってるのか、《氷菓の泡が雲のようだ》と言ってるのか。原句でも分からないし、添削句ではいっそう分からない。…なお、俳句の世界では、「氷菓」と「アイスクリーム」を同一視してますが、一般的には別のものだというべきだし、まして、かき氷とは別のものだと思います。ためしに直喩で、削氷に瑞煙のごとエスプーマとしてみました。◇梅沢富美男。秋淋し 宇治金時のほろ苦く秋淋し 宇治金時のほろ甘く(添削後)これも微妙。作者はかき氷のことを詠んだわけですが…宇治金時というのは、一義的には小豆のことであって、かき氷のことではありません。百歩ゆずって、「夏の宇治金時」と書けば、抹茶シロップのかき氷とも解釈できるけれど、「秋の宇治金時」となると、さすがに小豆という解釈にしかならないと思う。そして「小豆が苦い」となれば、それはもう抹茶の苦さじゃないので、せいぜい心情的な苦さと解釈するほかない。添削のほうは、小豆の句としてなら成立してますが、小豆は秋の季語なので季重なりかもしれません。たとえば夏の句として、日暮れれば氷金時ほろ苦しのように詠む方法もある。それなら「抹茶の苦さ」という解釈も可能です。◇清水アナ。駄菓子屋は今日までだって かき氷かき氷を出す駄菓子屋があるんですねえ。わたしの近所にそんな店はなかったな。地域にもよるんでしょうか?先生は「駄菓子屋」と「かき氷」が近いというけど、わたしはそんな風にも感じなかった。全体が伝聞のセリフ形式で書かれてるので、季語の映像がやや弱いかもしれません。たとえば倒置法の句またがりで、食べ納めたり 駄菓子屋のかき氷のようにも書けます。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥次がんばりましょう!💪#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/l3iK6nrMWW— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) August 5, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.08.19
秘密基地夏夕暮れに母の声 冷蔵庫の奥プリンの秘密基地 風薫る放課後今日も秘密基地へ まるで秘密基地博士の夏舘 ケーナの音麦の風吹く秘密基地 弟に秘密の秘密基地真夏 少年の空蝉残る秘密基地 秘密基地水風船のかけらかな8月1日のプレバト俳句。お題は「秘密基地」。名人&特待生の査定でしたが、そのわりには平凡な発想の句が多く、先生の添削も例によってイマイチでした。◇フジモン。弟に秘密の秘密基地 真夏中七は「内緒の」とも書けますが、あえて「秘密」を重ねて修辞上の面白さを狙った形。それを面白いと思うかどうかは選者しだい。◇水野真紀。秘密基地 夏夕暮れに母の声母の声 夏夕暮れの秘密基地(添削後)さほどオリジナリティはないけど、まあ及第点って感じでしょうか。助詞「に」は時間の説明に見えるので、これは添削案のほうが妥当かな。追記:助詞の「に」は、《3時に会う》のように時間の説明に使われる場合と、《公園にいる》のように空間の描写に使われる場合がある。《夕暮れに》というのは時間の説明とも空間の描写とも解釈できますが、原句の「夕暮れに母の声」は、たとえば《月に雁》のような背景の描写と解釈するのが普通かなと思う。映像を背景にして音声が聞こえてくるってことですね。そう考えると「説明的」との批判は当たらない気もします。◇犬山紙子。冷蔵庫の奥 プリンの秘密基地冷蔵庫の奥にプリンの秘密基地(添削後)これは句材がユニークでした。なお、先生は、兼題の「秘密基地」を、比喩として使ったことを褒めましたが、そもそも「秘密基地」って比喩なのよ…。◇森口瑤子。まるで秘密基地 博士の夏舘なつやかた青蔦あおつたの舘 博士の秘密基地(添削後)これも句材は面白い。原句のままでも悪くはないけど、「秘密基地 + 博士」から連想されるガチャガチャした感じが、季語「夏舘」のイメージに相入れない、…との梅沢や先生の解釈も分からなくはない。実際、作者自身もそういうイメージだったらしい。しかし、「博士の夏舘」がガチャガチャした場所とは限らない。のみならず、子供の秘密基地だって、かならずしもガチャガチャした場所とは限らないのよね。ためしに、秘密基地のごと男爵の夏舘としてみれば、ちょっとイメージが変わるはずです。…それはともかく、先生の添削案はまったくいただけない!二句一章にする意味がなくなってるし、そもそも、「博士の秘密基地」などと書いたら、それはもう子供の遊び場じゃなくて、極秘実験場みたいな意味になるはずです。つまり、先生は、(犬山紙子の解説を聞いても分かるとおり)もともと「秘密基地」が比喩だという事実を、完全に失念してるのですね。◇中田喜子。ケーナの音ね 麦の風吹く秘密基地先生は、「ケーナの音」が「麦の風」に乗ってくるようだと、この取り合わせを肯定的に解釈したうえで、動詞「吹く」の必要性も認めましたが…わたしは、「ケーナの音」と「麦の風」の取り合わせは、ややイメージとして重複してて、いまいち二物衝撃になってないと思う。たとえ二句一章にするとしても、「ケーナ」と「風」はワンカットにまとめて、(季節は変わってしまいますが)南風はえに乗るケーナの音おとや 秘密基地のような形のほうがいいんじゃないかしら?さらに一句一章にまとめるなら、ケーナの音ね秘密基地まで南風に乗りとも出来なくはない。◇梅沢富美男。少年の空蝉残る秘密基地作者も、先生も、「少年が大人になっても空蝉だけが残ってる」みたいな話をしてましたが、そんな長い年月がたっても蝉の殻って残ります?…それはそうと、フジモンも言ってたように、「少年のものじゃない秘密基地の空蝉があったら持ってこい!」と、わたしも思います。たんに、蝉の殻だけが残った秘密基地と書くほうがマシじゃないですか?◇皆藤愛子。風薫る放課後 今日も秘密基地へ風薫る ルミちゃんと行く秘密基地(添削後)風薫る 今日は行けない秘密基地(添削後)原句は、内容が平凡すぎてボツ。その一方、添削案のほうは、季語が映像化されないまま浮いてる。しかも動詞の終止形が連体形に見えるので、せめて「薫風や」にすべきですよね。しかし、それ以前に、この季語自体が8月の句としては時期遅れでもある。それこそ、映像的な夏の季語を取り合わせるなら、空蝉や 今日は行けない秘密基地とでもしたほうがいい。◇清水アナ。秘密基地 水風船のかけらかな内容にはオリジナリティがあるけど、二句一章を「かな」で締める形はぎこちない。たんなる字数合わせにも思えるし、詠嘆というより疑問のようにも見えてしまう。切れ字の「かな」は使わずに、残骸の水風船や 秘密基地とするほうがマシかもしれません。一句一章の内容と考えれば、秘密基地に水風船の残骸と破調の17音にも出来る。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥絶好調!🎊✨ゆっくり成長している🚶♀️#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/pBUyn9vIxd— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) July 30, 2024▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.08.05
前座二年目具のない冷やし中華 空蝉や雷紋消ゆる鉢の底 盆の月ラーメンの香に父偲ぶ らあめん屋外の蝉まで舌鼓 麺の神汗に塗れたかたつむり 味玉の尻に凹みや夏の夕 夜の秋や色紙だらけのラーメン屋 弟のメンマは兄へ盆の月7月25日のプレバト俳句。お題は「ラーメン」。MBS「プレバト!!」#457 後編「スクラッチアートでビックリの才能が出現★俳句は“ラーメン”で一句!」#TVer #プレバト @prbt_officialhttps://t.co/bPwsXX2ynB— TVer【公式】 (@TVer_info) July 25, 2024◇蝶花楼桃花。前座二年目 具のない冷やし中華前座二年目 具のない冷やし中華かな(添削後)添削句は、7・7・5で後段の調子を整えてるけど、二句一章を字余りにしてまで「かな」で締めるよりも、原句のままのほうが形としては整ってます。◇アンミカ。盆の月 ラーメンの香に父偲ぶ盆の月 かのラーメンの香よ父よ(添削後)例によってリフレインを用いた添削。まあ、とくに異論はありません。◇清水アナ。弟のメンマは兄へ 盆の月言葉の経済効率のよさが上手く機能しましたね。お盆に親族が集まって店屋物を取ったのかしら?/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥オッケーです!🥳#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/1AIEN7RHIr— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) July 23, 2024◇岡田紗佳。らあめん屋 外の蝉まで舌鼓店外は蝉 ラーメンに舌鼓(添削後)梅沢が言ったように、> ラーメンだけでなく蝉まで食ってしまったみたいな解釈もありえるけど、ふつうなら、> 私がラーメンに舌鼓を打つように> 蝉も樹液を吸って舌鼓を打ってるといった解釈になるはずです。しかし、作者の説明によると、> 蝉まで「美味しい!」と鳴いてるように聞こえる…という心象を詠んだらしい。安易な擬人化もさることながら、自分が意図したことを描写しきれてない。しっかり聴覚情報に焦点を当てて、擬人化の要素もすこし加えるとすれば、ラーメンをすすれば蝉の囃しけりのように書けます。◇ペナルティ・ヒデ。空蝉や 雷紋消ゆる鉢の底空蝉や 雷紋あせる鉢の底(添削後)まったくもって意味不明な句!なぜこれが才能アリなの?字面からは、> 一方に、蝉の抜け殻があり、> 他方に、底の雷紋が消えた丼がある…という取り合わせに見える。そもそも、作者がどこにいるのか分からない。ドンブリの縁じゃなくて、ドンブリの底に雷紋がある理由も分からない。その雷紋がなぜ消えたのかも分からない。作者の説明によると、> 雷紋の消えたラーメンの丼が屋外に捨てられており、> その底には何故か蝉の抜け殻が入っていたという場面らしいのだけど、そんな状況はまったく見えてきません。形式が内容に一致してないからです。たとえば前回の、ラッシュ降り消残る皺や 麻スーツも、形式と内容が不一致だったのですが、こちらはほとんど誤読の惧れがありません。しかし、本作を二句一章にしたら、ほぼ誤読されるはず。作者のいう場面を描写するなら、空蝉が雷紋のなき鉢底に…のような一句一章にすべきです。無論、そう書いたとしても、「なぜ丼のなかに蝉の抜け殻??」との謎は残るし、それこそ梅沢が言ったように、「蝉まで食ってしまった」ように見えるけど、それが実景だというなら仕方がない。まあ、雷紋の描写さえ諦めれば、捨てられたラーメン鉢に蝉の殻のように書けるし、そのほうが不用意な誤読は避けられます。◇勝俣州和。麺の神 汗に塗まみれたかたつむり麺の神と呼ばれて汗にまみれけり(添削後)字面だけを読むと、> 一方に麺の神がいて、> 他方に汗まみれのカタツムリがいる…ということになる。もっとも、カタツムリは汗をかかないので、人間の汗がカタツムリの上に落ちた…という解釈になるでしょうが。兼題は「ラーメン」だってのに、セミまで食ってしまったとか!カタツムリが這ってたとか!気持ちの悪い句が多すぎますね!!しかし、作者の話によれば、> ラーメンの神様はカタツムリのようにひたむきに前進しつづけたという比喩表現だったらしい。安易な比喩もさることながら、これもやはり、一句一章で書くべきところを、二句一章にした結果の失敗といえる。他方の「神」にかんしては、比喩というよりも尊称だろうから、引用符などで括ればいいかなと思います。ためしに、厨房の汗にまみれる"麺の神"としてみました。◇フルポン村上。味玉の尻に凹みや 夏の夕中七の助詞は、「尻の」とせず「尻に」としています。食べようとして取り上げてみたら、卵の底に凹みを見つけた…というニュアンスかな。タレがしみた茹で卵の色が夕景の色に重なって、全体的にノスタルジックな情景ですね。◇梅沢富美男。夜よの秋や 色紙しきしだらけのラーメン屋暑さの一段落した夏の夜に、多くの人々に愛されてきたラーメン屋へ。全体的に落ち着きを感じさせる情景です。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.07.29
電車降り夜空に息を吐く溽暑 帰省子のデッキに立ったまま眠る 各停の列車冷房逃げていく ラッシュ降り消残る皺や麻スーツ 止まらない揺れる想いと脇汗が メイク落ち極暑の車窓 あんた誰? 飛んできた謎の水滴梅雨であれ 幼子を守る隙間に青田風7月19日のプレバト俳句。お題は「夏の満員電車」。◇清水アナ。各停の列車 冷房逃げていく句材として、> 各駅停車だと冷房が逃げるよねえ。…と詠むだけなら川柳かな。俳句の背景ではあっても主題とは言いがたい。ためしに、冷房の逃げる各停 坊主の子としてみました。/📣木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥オリジナリティ難しい😭#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/790CXvYRyR— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) July 15, 2024◇山田邦子。メイク落ち極暑の車窓 あんた誰?極暑なる車窓 メイクの落ちし吾われ(添削後)これも原句は川柳ですね。かたや添削句のほうは、「極暑なる車窓」って言い方に違和感がある。暑いのは「車内」であって「車窓」ではない。さらに、季語に「暑し」「汗」などを選ぶと、取り合わせが因果関係になってしまうので、すこし離す必要がありますよね。ためしに、梅雨明の車窓にメイク落ちし吾としてみました。◇Hey! Say! JUMP薮宏太。幼子を守る隙間に青田風子が潰れそう 満員の冷房車(添削後)作者いわく、> 幼子のために確保した電車内の僅かなスペースに> 青田風のようなエアコンの冷気が流れ込む…という様子を詠んだらしい。しかし、字面からは、電車内の場面とは分からないし、人の隙間ではなく隙間風のように見える。季語の「青田風」を比喩に用いたのも失敗。かたや添削句のほうは、原句の意図とは異なる改作だし、やはり取り合わせが因果関係になってます。作者の意図を17音で表現するのは困難ですが、ためしに、隙に立つ子は涼しげな満席車としてみました。◇紅しょうが稲田。止まらない 揺れる想いと脇汗が脇汗の滂沱 想いは揺れている(添削後)原句も、添削句も、字面だけでは電車内とは分からない。なお、「冷や汗」は季語じゃないと思うけど、精神的な緊張から来る「脇汗」も、夏の季語になりうるのかどうか微妙です。ためしに、通学の君と相席 止まぬ汗 としてみました。◇KEIKO 。飛んできた謎の水滴 梅雨であれ満員電車 水滴は汗か梅雨か(添削後)これも原句には電車の描写が欠けてる。しかし、それ以前の問題として…梅雨は飛んできたりしないし、電車のなかでは雨も降りません。その意味でいえば添削句も意味不明です。ためしに、満員の電車に汗の雨と降るとしてみました。◇金子恵美。ラッシュ降おり消け残る皺や 麻スーツ麻服にラッシュの皺の残りけり(添削後)原句は、「降り消残る」と動詞が続くのが難点かな。そして、中七で切れてるけど内容は一句一章です。これは倒置法とも解釈できますが、芭蕉の「最上川」と同じように、明治以前のシステムで詠んだとも解釈できる。誤読の惧れはないので、原句のままでもいいとは思うけど、先生はやはり一句一章に直してますね。そのほうが形式と内容が一致する。◇的場浩司。電車降り夜空に息を吐く溽暑電車降り夜よるへ溽暑の息を吐く(添削後)原句も悪くはないけど、これは添削のほうが一枚上手でした。◇梅沢富美男。帰省子のデッキに立ったまま眠る帰省子か デッキに立ちしまま寝るは(添削後)先生は、「見ただけじゃ帰省子とは分からない」と言って倒置法の疑問形に直しましたが、…これは原句のままでもよいのでは??わたしは以前、二月の焼肉屋 涙の受験生という清水アナの句に対して、「見ただけじゃ受験生とは分からない」と書きましたが、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202402120000/それは制服の若者がいたとしても、1年生か2年生か3年生かは分からないから。しかし、夏休みに満員の下り列車に乗ってるのは、ほとんどが帰省客なのだから、そこを疑問形にしたら、かえって不自然です。◇なお、昔から世間では、盆と正月に帰省する人がほとんどだと思うけど、なぜか「帰省」は夏の季語で正月の季語ではなく、他方で「お盆」は秋の季語になっている。つまり、俳句の世界で「帰省」は盆でも正月でもないってこと。その理由は謎ですが、もしや「バカンス」の訳語のつもりだったのでは??…などと考えてしまいます。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.07.22
夏暁の鴻の湯鴻の白冴えて 能登は虹一棟貸しの露天風呂 雪渓のピザ屋品川ナンバー来 向日葵を抜けると海や走り出す 黴臭いホテルだけど海がデカい 油照り影が溶け出す中田島 渡月橋の騒き干からびた蜥蜴 スキットルの固き四角や片陰り 夏を追う叡電の影チャリの影 USJセットファサードの片陰 カタカナの魚ばかりや市薄暑7月11日のプレバト俳句。夏の炎帝戦2024。お題は「好きな観光地」。つづきの「その2」です。◇清水アナ(兵庫・鴻の湯)。夏暁の鴻こうの湯 鴻の白冴えて豊岡市城崎きのさきの「鴻の湯」は、コウノトリ伝説のある温泉だそうです。浜田も清水アナも兵庫出身だから地元ですね。絶滅したコウノトリに想いを馳せたのかしら?固有名詞の「鴻の湯」は、コウノトリ伝説にちなんだ名称だと思うけど、一般名詞の「鴻」というのは、むしろオオハクチョウのことを指すようです。もし「白鳥」なら冬の季語になってしまう。芭蕉の句には、鸛こうの巣に嵐の外の桜かながあるのですが…コウノトリを漢字で書くなら、本来は「鴻」ではなく「鸛」なのですね。ただし、清水アナの句は、あくまで「鴻の湯」の「鴻」なのだから、オオハクチョウではなくコウノトリだ、…という解釈も成り立つかもしれません。とはいえ、そもそも「鴻の湯」の伝説を知らない人が読めば、やはりオオハクチョウの句と誤読する惧れがある。また、下五「冴ゆ」も冬の季語になりえるので、そこでも季重なりと見なされる惧れはあるかも。絶滅したコウノトリを幻視するなら、夏暁の鴻の湯 鸛こうの白き羽のように詠んでもいいと思うけど、あくまで実景を詠むなら、城崎の夏や オブジェの鸛こうのとりみたいな感じでしょうかね。自然の生命についての句と見れば、志賀直哉の小説へのオマージュっぽくもなる? 📢7/11(木)夜6️⃣時3️⃣0️⃣分からは #プレバト !!※夜7️⃣時までは一部地域清水アナが次回のお題に挑戦!🔥悩ましい〜🤔#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/F6KLXM2e5r— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) July 8, 2024◇キスマイ横尾(石川・能登)。能登は虹 一棟貸しの露天風呂通常なら「能登の虹」と書くべきだけど、被災地への希望を込めて、あえて助詞「は」を使ったともいえます。◇キスマイ横尾(長野)。雪渓せっけいのピザ屋 品川ナンバー来く犬山紙子が言ったように、都会から雪山へ行くまでの物語が見える。横尾は山が好きだよね。函嶺のスイッチバック 朝燕という句もありました。雪山にピザ屋はミスマッチな気もするけど、長野にそういう店が実在するのかしら??そういえば村上にも冬のピザ屋の句があったね。◇立川志らく(静岡・中田島砂丘)。油照り 影が溶け出す中田島二句一章ですが、「油照り」と「影が溶ける」は因果関係なので、二物衝撃になっていません。形式的にいえば、炎天に影の溶け出す中田島のような一句一章にするほうが整う。◇立川志らく(京都・渡月橋)。渡月橋の騒ぞめき 干からびた蜥蜴とかげ遠景と近景の対比。季語の蜥蜴は死んでいる。しかし、「生」と「死」の対比というよりは、渡月橋を往来する人々のにぎわいと、蜥蜴も干からびるほどの強い日差しが、むしろ「生」と「生」で協奏してる感じ。面白い二物衝撃だと思います。なお、作者は「騒き」について、「吉原を冷やかして歩く客」と言ったけど、それって島原のことなのかしら?◇森口瑤子(伊豆下田)。向日葵を抜けると海や 走り出す中七で切って下五に動詞を置いてるので、ジュニアの「一礼す」と似た形ですが、口語的な文体に誤魔化されるからか、さほど形式上の違和感はおぼえませんね…。◇森口瑤子(中部地方)。黴かび臭いホテルだけど海がデカいこちらも同じ海でしょうか?さびれた観光地の穴場スポットですね!完全なる口語の散文なので、形式上の型破りもその勢いでかき消される。季語は「黴」で夏です。その子季語に「黴の宿」もあります。◇瀧川鯉斗(沖縄・公設市場)。カタカナの魚ばかりや 市いち薄暑中七を「や」で切って下五に季語を置く形。森口瑤子の句が、下五に動詞を置いてるのはイレギュラーだけど、こちらはお手本みたいにセオリーどおりですね。◇森迫永依(沖縄・西表島)。スキットルの固き四角や 片陰りスキットルの固き四角や 花梯梧はなでいご(添削後)これまた、中七を「や」で切って下五に季語を置く形。カッコいい句ですね!アルコール度数の強い酒と、強い日差しゆえの影の濃さを感じさせる。沖縄というよりも、個人的にはアメリカ南部とか、キューバあたりのカリブ海を思わせます。正直、兼題に寄せた添削句よりも、兼題を意識させない原句のほうがカッコいい。◇安藤和津(京都・叡山電鉄)。夏を追う叡電えいでんの影 チャリの影チャリで電車を追いかける若さ!それは同時に夏をも追ってるのですね。青春を急がなければ、輝かしい夏は過ぎ去ってしまうのだな…。◇河野純喜(大阪・USJ)。USJセットファサードの片陰かたかげ遊園地の華やかな建物も、午後になれば影を作る…という気づき。なかなか素敵な視点だと思います。作者は上五で切ったつもりかもしれないけど、それだと状況説明に見えてしまうので、わたしは上五が切れてないものと判断します。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.07.15
夏暁の納沙布FMのノイズ 釧路駅知らないコンビニの冷房 宮古島ホースに溜まる水は炎ゆ 舳先より泡盛の神酒一礼す 雨後の虹怒髪ゆるんだ東尋坊 船に群れ海猫の腹蒼々と 荒山の岩間匂うや稚児車 始発待つ素足ぶらぶら大三東 高原に横笛ピュルル夏の空 朝九時のビール塩こぶビリケンはん 熱田守護の亀の蛭剝ぐ炎天下 胎児寝る風鈴数多きゃらきゃらと 峰雲のホッピー通りハイボール 三越の獅子は阿の口夏旺ん 竜飛より海峡見ゆる翌は秋7月11日のプレバト俳句。夏の炎帝戦2024。お題は「好きな観光地」。優勝は特待生になったばかりの蓮見翔でした。今回は作品数が多いので、記事は「その1」「その2」に分けます。◇蓮見翔(北海道・納沙布岬)。夏暁なつあけの納沙布のさっぷ FMのノイズ納沙布は日本最東端の岬なので、夏の朝に日本で最初の日の出を見るのでしょう。非常に若さを感じる句です。歳を取ると、わざわざ日の出を見るだけのために、未明から車を走らせて、FMも届かない場所まで行こうと思わない…(^^;蓮見翔(北海道・釧路)。釧路駅 知らないコンビニの冷房釧路と冷房の取り合わせが面白い。さすがの釧路でも夏は冷房かけるよね、…とあらためて思わされます。釧路とコンビニの取り合わせも面白い。五感で受け止める店内の景色は慣れた日常だろうけど、観念的な部分で「釧路にいる」ことの非日常性を感じてる。そういう妙な感覚なのでしょうね。唯一の欠点は、上五の「釧路駅」が、映像でなく状況説明に見えてしまうこと。◇千原ジュニア(沖縄・宮古島)。宮古島 ホースに溜まる水は炎もゆ上五の「宮古島」は、やはり映像でなく状況説明に見えます。助詞の「は」を使う必然性も乏しい。わたしは「水の炎ゆ」で十分だと思うし、連体形止めで「水炎ゆる」とも、完了の助動詞で「水炎えり」ともできる。◇千原ジュニア(沖縄・宮古島)。舳先へさきより泡盛の神酒みき 一礼す中七で切って下五に動詞を置いてますが、2つの場面の取り合わせではないので、手順の説明をしてるように見えます。あえて「神酒」と書かずとも察しはつくし、舳先より泡盛垂らし一礼すのような一句一章にできるのでは?…なお、以前にも、ジュニアや中田喜子が、病室の七夕竹に一礼す盃の富士に一礼 初笑と「一礼」の句を詠んでますが、それ自体が芝居じみてて好きじゃないのよねw映画やテレビドラマを見てても、登場人物が誰もいないところへ向かって、別れや感謝の一礼をするシーンがあるけど、墓前の黙祷や神社の参拝でもなければ、現実にそんなことする人はいないでしょ!…と思ってしまうし、なにやら戦前の軍部の敬礼じみた文化も想起させる。ちなみに、最初にそういうシーンを観たのは、河瀬直美の「萌の朱雀」だったと思う。◇津田寛治(福井・東尋坊)。雨後の虹 怒髪ゆるんだ東尋坊雨後の虹 白波ゆるぶ東尋坊(添削後)雨後じゃない虹があったら持ってこい!中七の「怒髪」が荒波の比喩だとも分からないし、なぜこの句で出場できたのか疑問です。なお、添削句は、作者の意図を汲むなら、「白波」より「荒波」を使うべきでしょう。虹ほのか 荒波ゆるぶ東尋坊でどうでしょうか。◇水野真紀(長野・美ヶ原高原)。高原に横笛ピュルル 夏の空高原は夏空 横笛のピュルル(添削後)原句は、中七で切って下五に季語を置く形。添削句では語順を変え、あえて助詞の「は」を使って、《高原に来たら夏空だった!》…というニュアンスにしてるけど、ふつうに「高原の夏空」「夏空の高原」でも成立します。◇ペナルティ・ヒデ(北海道・大雪山)。荒山の岩間匂ふや 稚児車ちんぐるま青空や 岩間を匂ふ稚児車(添削後)これも中七で切って下五に季語を置く形。原句のままでも、さほど悪くはない。実際に匂ってるのは稚児車でしょうが、それを「岩間が匂ふ」と表現したのも面白い。先生は、「荒山」と「岩間」の情報が重なると言いますが、津田寛治の「雨後」と「虹」の重複よりはマシwなお、添削句では、上五で「青空や」と詠嘆してますが、これは芭蕉の「古池や」と同じ手法。つまり、上五で季語以外のものを詠嘆してる。◇こがけん(三陸海岸)。船に群れ海猫の腹蒼々と舷ふなべりや 腹蒼々と海猫ごめの群むれ(添削後)この添削でも、上五を「舷や」と詠嘆してます。先の「青空や」と同じように、季語でないものを詠嘆してもいいとは思うけど、ここで「舷」を詠嘆する効果は疑問。映像としての意味も乏しいし、まして詠嘆するほどの詩情があるとも思えない。蓮見翔やジュニアの「釧路駅」「宮古島」のように、上五に地名を置く場合もそうだけど、映像としての意味がなければ、たんなる状況説明です。舷なんぞを詠嘆するより、むしろ「なぜ海猫の腹が蒼いか」を書くべきだし、村上も言ってましたが、この句に「船」の情報は不要だろうと思います。ためしに、碧色を腹に映して海猫ごめの群れとしてみました。◇かたせ梨乃(長崎・島原鉄道)。始発待つ素足ぶらぶら 大三東おおみさき大三東は「日本一海に近い駅」だそうです。中七で切って、下五に季語じゃなく地名を置く形。芭蕉の「最上川」や子規の「法隆寺」と同じ手法。上五の場合も、下五の場合も、季語以外のものでワンカットを作る場合は、映像として描写する意味があるのかが重要になる。そうでなければ状況説明に見えてしまう。この句の場合は、「海辺の駅」の映像が見えるならアリですね。◇キスマイ千賀(愛知・熱田神宮)。熱田守護の亀の蛭ひる剝ぐ炎天下熱田守護なる亀の甲羅の蛭を剝ぐ(添削後)熱田神宮は霊亀が背負う蓬莱山の上にある、…という伝承にからめて、亀のことを守護神と見なしてるのですね。原句は、上6の字余りで「蛭」「炎天」の季重なり。さらに添削句のほうは上7の字余りですが…作者の話によれば、あえて「甲羅」に限定する必要はないようだし、そもそも「熱田守護」という言い方も一般的じゃない。わざわざ守護神だと説明する必要も感じません。ふつうに定型で、亀に付く蛭剥がしたり 熱田宮とすればいいんじゃないでしょうか。※甲羅に限定するなら「亀の背の」とも書けます。なお、この場合も、かたせ梨乃の「大三東」と同じように、下五の地名が、映像として意味をもつかどうかが重要になる。◇フジモン(大阪・新世界)。朝九時のビール塩こぶビリケンはん朝九時のビール塩こぶ阪神帽(添削後)最後の「ビリケンはん」は、実景なのか、幻想なのか、比喩なのか、字面だけでは分からない。店内にビリケンさんの置物があった、…という実景なら問題ないと思うけど、作者の話によれば、ビリケンさんも客の姿で一緒に飲んでる気がする、…という幻想だったようです。◇犬山紙子(静岡・西伊豆宇久須神社)。胎児寝る 風鈴数多あまたきゃらきゃらと風鈴のきゃらきゃら 胎児眠らさん(添削後)原句は胎内の感覚を詠んでますが、それは実景というべきか心象というべきか、ちょっと難しいところですよね。あくまで客観じゃなく主観だし。その意味では、添削のように、作者の「眠らさん」という気持ちを詠むほうが自然。とはいえ、たくさんの風鈴が一斉に鳴らなければ、「きゃらきゃら」という音にはならないだろうから、数の描写は必要じゃないかと思います。命令形にして、胎児寝よ あまた風鈴きゃらきゃらととする手もあるかなあ…。◇ニューヨーク嶋佐(東京・浅草)。峰雲のホッピー通り ハイボール欠点とまではいわないけど、ジュニアが指摘したとおり、「なぜホッピー通りでハイボール?」ということの違和感はある。ホッピー以外の酒を飲む人もいますが、それをあえて俳句に詠むのは、滑稽味を狙ってるとも読めるし、一種の自嘲や皮肉とも読めるし、ひねくれ者の反骨気取りとも見える。◇フルポン村上(東京・日本橋)。三越の獅子は阿あの口 夏旺さかん獅子像の口が「阿」だという発見は凡庸です。…しかしながら、季節と無関係なはずの獅子像に対して、「夏旺んだから阿の口なのだ!」という因果関係を主張してるなら、そこに幻想句としての面白さはある。たとえば、三越の獅子も阿となる盛夏かなのような書き方もあると思います。◇梅沢富美男(青森・龍飛崎)。竜飛たっぴより海峡見ゆる翌あすは秋季語は「翌は秋」で晩夏です。とくに添削はありませんでしたが…本来なら、竜飛より海峡の見ゆ 翌は秋と中七を終止形で切るべきでしょ。そこを連体形で繋いでしまったら、海峡が見えるのは現在でなく、翌日の話になってしまうはずです。なお、「海峡を見る」「海峡望む」とすれば能動、「海峡の見ゆ」とすれば受動になりますが、さすがに「見る」は不要な動詞なので、風わたる竜飛海峡 翌は秋のように風を描写する手もあるし、(「津軽海峡」だとどこに立ってるか分からない)あえて受動で「見ゆ」というなら、海峡が見えるのは当たり前だから、竜飛より北州の見ゆ 翌は秋として対岸の北海道を詠む手もある。◇残りの11句は「その2」に書きます。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.07.14
十度目のタクシーアプリ梅雨の雷 夏の雨電車が遅延したことに 眠り明け車窓に浮かぶ梅雨雷か 飛び起きて走るカバンに日傘かな 汗みずく脳裏を過ぎる校門の鬼 埼京線運転再開扇子閉づ 蒸し暑し今を出掛けの尋ね人7月4日のプレバト俳句。お題は「遅刻して走ってるシーン」。◇かたせ梨乃。十度目のタクシーアプリ 梅雨の雷タクシーはつかまらないし、雨だけじゃなく雷まで鳴り出した状況。きっと昭和の俳句なら、十度目のタクシー通過 梅雨の雷…だったでしょうけどね。◇関水渚。夏の雨 電車が遅延したことに面白い趣向の句。実景と内心の取り合わせですが、通勤途中で考えを巡らせる作者の表情が見える。◇竹財輝之助。汗みずく 脳裏を過よぎる校門の鬼校門の鬼へ向かって走る汗(添削後)これも実景と内心の取り合わせだけど、中七が不要な説明になってますね。◇美山加恋。眠り明け 車窓に浮かぶ梅雨雷つゆらいかオーデションへ向かう車窓の梅雨の雷(添削後)作者の話によれば、寝坊して電車に飛び乗り、怒ったマネージャーの顔を思い浮かべた…とのこと。つまり、車内ではなく自宅で眠っていたのであり、季語は実景ではなく怒ったマネージャーの比喩です。添削は改作にならざるをえないけど、オーデションへ急ぐ車窓にはたた神とすれば、もうすこし作者の意図に寄ると思う。なお、「梅雨の雷」は「つゆのらい」と読むけど、「梅雨雷」は「つゆかみなり」と読むべきです。…加恋ちゃんは初出演だったのね!過去に出演済みかと誤解してました。余談だけど、このブログの最初のドラマレビューは、20年前の「僕カノ」ですw朝ドラ「純きら」の子役も加恋ちゃんだった!◇おいでやす小田。飛び起きて走るカバンに日傘かな駅へ走る カバンに日傘入れたまま(添削後)梅沢が言うように、中七の「走る」が連体形なら、走る主体はカバンってことになります。逆に、終止形なら、句またがりを「かな」で締めることになる。どっちにしてもダメですね。そして、作者の話を聞いても、季語「日傘」の役割がいまいち分からなかった。鞄に日傘が入ってたら不都合なのかしら?それとも雨傘と日傘を入れ違えたってこと?◇千原ジュニア。埼京線運転再開 扇子閉づ停止した車内の暑苦しさが想像できます。ちなみに、漢語は撥音や長音(二重母音)が多いので、中八になってもリズム上の違和感は少ない。◇梅沢富美男。蒸し暑し 今を出掛けの尋ね人外出の矢先の客や 蒸暑し(添削後)作者の話によれば、出掛けの途中で道を尋ねられた場面らしい。しかし、字面からは、探し続けた行方不明者が現れた瞬間かと誤読される。先生の添削は改作なので、炎天を急げば道を尋ねられとしてみました。◇清水アナ。夏期講座 遅れて一番前の席二句一章にすると、上五の季語は状況説明に見えてしまう。ためしに、寝坊して最前列の夏期講座としてみました。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥夏井先生うれしそう🤣#清水アナの俳句道場#夏井いつき#夏井いつき先生#プレバト pic.twitter.com/76ZfcoYZZQ— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) July 3, 2024▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.07.08
タクシー待つ単衣鴇色雨曇 夕虹の列前の男の傘当たる 雨寒やこぞって並びしワンタン麵 イヤホンに囁く推しや梅雨じめり 梅雨晴れやぴょんぴょん跳ねる親子傘 五月雨の傘をはみ出るアンナヴァン 遥かなる長持唄の喜雨をゆく 梅雨寒のバス停爪先にじわり6月20日のプレバト俳句。お題は「雨の行列」。◇IKKO。タクシー待つ単衣鴇色ひとえときいろ 雨曇あまぐもりこれが今週の1位。リズム的に、「単衣・鴇色・雨曇」が三段切れっぽくもあるし、明確に状況を伝えるならば、中七は本来「鴇色単衣」と書くべきだし、そのほうが「鴇色雨曇」のような誤読も避けられます。ただ、「鴇色単衣」とすれば衣に焦点が当たり、「単衣鴇色」とすれば色に焦点が当たるので、ピンクとグレーを対比する意味でも、後者のほうが視覚的な印象は強まるのよね。そこらへんの兼ね合いが難しいけれど、ぎりぎりの危ういバランスで上手くいってる。個人的には、蓮見翔よりIKKOを特待生にすべきだと思います。◇水田信二。夕虹の列 前の男の傘当たる7・7・5の字余り。問われるのは句材の是非かなァ。もちろん、不快な状況を詠むのもアリだけど、他人への愚痴をいちいち俳句にするのもねえ…(^^;◇モモコグミカンパニー。イヤホンに囁く推しや 梅雨じめりイヤホンに推しの囁き 梅雨じめり(添削後)中七で切って下五に季語を置く形です。唯一の問題は、「推し」で切るべきか「囁き」で切るべきか。「囁き」は具体的な聴覚だけど、「推し」は観念的なイメージなのよね。実際にそこに存在してるのは、音声としての「囁き」であって「推し」ではない。おそらく作者の気持ちとしては、「推し」に焦点を当てたかったのだろうけど、やはり俳句は五感の具体性に焦点を当てるべき。◇高橋光臣。梅雨晴れや ぴょんぴょん跳ねる親子傘親と子の傘のぴょんぴょん 梅雨の蝶(添削後)作者自身は、《親子が雨上がりに閉じた傘を持って歩いてる》という姿を描いたわけだけど、下五の「親子傘」という書き方だと、やはり大小に開いた傘をイメージさせてしまう。そこがひとつめの失敗ですね。そして、もうひとつの失敗は、跳ねない「ぴょんぴょん」があったら持ってこい!…ってことです。◇小山慶一郎。梅雨寒や こぞって並びしワンタン麵梅雨寒や こぞって並ぶワンタン麵(添削後)第一に、俳句は過去でなく現在を描写するのが原則ですね。第二に、前段と後段の因果関係が近すぎたかもしれません。第三に、中七の「こぞって」は描写でなく説明っぽく感じます。◇フルポン村上。五月雨の傘をはみ出るアンナヴァン五月雨の傘よ 片手のアンナヴァン(添削後)梅雨の傘軽し 片手のアンナヴァン(添削後)アン・ナヴァン(en avant)は両手を「前方に」出すバレエの動作のこと。第一の問題は、「そもそも片手のアンナヴァンはあるのか?」ってことなのだけど、もうひとつ問題だと思うのは、動詞「はみ出る」がネガティブな印象を与えること。傘のなかに収めるべき手がはみ出してしまってる…というマイナスのニュアンスになってしまう。おそらく踊ってる少女は、濡れるのも構わずに手を伸ばしてるのだから、そこは「傘から外へ」「雫の中へ」のような、もっとポジティブな書き方をしたほうがいい。◇梅沢富美男。遥かなる長持唄の喜雨をゆく上五の「遥かなる」は賛否が分かれるかも。実景的な距離の描写なら容認できるのです。でも、比喩的な表現だとすれば疑問符がつく。日本にそれほどの広大な場所があるかしら?たかだか数百メートル先の光景を、わざわざ「遥かなる」と表現するのは、いささか大袈裟じゃないかって気がするのよね。たとえば、中国や南米あたりで、反対側の山の斜面に行列が見えるとか、それくらいの大陸的な光景ならともかく。もし、これが実景でないとすれば、「遥かなる記憶のなかの長持唄」みたいな時間的な比喩の意味にも読めてしまう。◇清水アナ。梅雨寒のバス停 爪先にじわり破調の句またがりです。じわりと来たのは寒さなのか?雨水なのか?それとも何か別のものが足元に迫ってきた?まあ、ふつうに考えたら雨水ですよね。迂闊にも水溜まりを踏んでしまったのかな。寒さのうえに雨水までもが…という不快感。そこを明確にするなら「爪先の湿り」とも書けます。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥最近好調!💪#清水アナの俳句道場#夏井いつき#夏井いつき先生#プレバト pic.twitter.com/QBFnkuI1O7— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) June 17, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.06.24
初デート上出来茄子上手く炊けた 吊橋の下は万緑初デート 初デート彼の団扇を借りたまま6月6日のプレバト俳句。お題は「初デート」。◇梅沢富美男。吊橋の下は万緑 初デート初デートの吊橋万緑に揺れる(添削後)形式面でいうと、中七で切ったら季語は下五に置くほうがいい。この句の下五は、映像というより説明っぽく見えてしまう。一方、フジモンと先生が疑問を呈したのは、「緑が茂ってるのは橋の下じゃなく橋の周囲では?」…ってこと。まあ、吊り橋の位置によっては、眼下に緑が広がる場合もあろうし、客観的事実としては周囲に緑が茂ってても、吊り橋に立ったときの主観的な印象として、眼下の緑に圧倒されることもあるでしょう。ただし、万緑とは「見渡すかぎりの緑」のことだから、下だけに限定するのなら、むしろ「深緑」「青葉」などを使うべきかな、…という考えもありうる。◇フジモン。初デート上出来 茄子上手く炊けたボツかなあ…と思ったけど掲載決定でした。女性の視点で詠んだとのことで、俵万智の短歌みたいな内容。モノローグ的というか、日記っぽい。関西では「煮びたし」を「炊いたん」というのね。二句一章と考えると、前段は結果の説明とも見えるけど、全体をひとつのセリフと考えれば、公開録画当たった 浅蜊開いたと同じような作風だといえます。おうちデートで料理を振る舞い、「上手く炊けただけでも上出来!」と、自分に言い聞かせてる感じ?ただし、作者の説明によると、彼に料理を振る舞ったのではなく、外デートからの帰宅後に自炊した場面らしい。◇清水アナ。初デート 彼の団扇を借りたままこれはフジモンとは逆に、デート中の話ではなく、帰宅後の話のように読めてしまいます。帰宅後も借りたままだったという意味なら、上五は原因の説明になるけど、彼の団扇を持って歩いたという意味なら、初デート 君から借りた白団扇のようにも出来るし、あるいは破調の17音で、初デート 君に借りた団扇の風のようにも出来ます。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥きゅんです!🫰#清水アナの俳句道場#夏井いつき#夏井いつき先生#プレバト pic.twitter.com/AilKA0T6Of— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) June 5, 2024 ナイツ土屋。2位だったけど空気感がオシャレ!広告写真みたいなカッコよさ。 辻本舞は、独特の色彩が絵本みたいでファンタジックね。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.06.10
部屋からは洋画の予告夏の雲 上京し洗うTシャツ独りぶん キャンプの夜乾いたTシャツは煙の香 大中小干したTシャツ4人分 春昼に揺れるコートと短肌着 洗剤の封切る新緑の朝 夜濯ぎや命すくなき星赤く 雷や洗濯物へ走る母5月30日のプレバト俳句。お題は「洗濯」。◇皆藤愛子。洗剤の封切る新緑の朝あしたこれは清々しい佳作。白と緑の色彩を対比する一方で、洗剤の香りと新緑の香りを重ねてる感じ。◇梅沢富美男。夜濯よすすぎや 命すくなき星赤く夜濯よすすぎや 赤く老いたる星ひとつ(添削後)もともと「夜濯ぎ」「夜干し」には、死者のイメージがともないますが、そのことも意識した内容なのでしょうか?中七の「命すくなし」が観念的なのは、個人的にいえば許容範囲なのだけど、むしろ「少ない星が赤い」というように、前後から形容詞で修飾する形がぎこちない。添削には異論ありませんが、固有名詞を用いれば、夜濯や 老いて赤きはアンタレスのようにも出来ます。◇蓮見翔。部屋からは洋画の予告 夏の雲ベランダの夏雲 部屋からはニュース(添削後)ベランダの夏雲 部屋からはサザン(添削後)これが今週の1位で特待生にも昇格。句材は面白いけど、特待生としては不安の残る出来ですね。洋画からテレビを想像させるのは無理があるし、前段は「試写室」などの場面にも見えてしまう。テレビが想像できないとベランダも見えないので、どこで夏雲を見てるのか分からなくなる。素直に書けば、露台にてテレビの洋画予告聞くのようになるかと思います。添削句も場面を明瞭にすべく、季語の「ベランダ」を取り入れて、あえて「夏雲」との季重なりにしてますが、これは「白雲」などに換えても解決するし、もしくは「ベランダの雲や」と詠嘆してから、後段で音数調整しても解決できるはずです。◇川島如恵留。キャンプの夜 乾いたシャツは煙の香Tシャツに昨夜よべのキャンプの煙の香(添削後)季語は「キャンプ」で夏。作者の話によれば、洗濯したのは帰宅後の翌日だそうです。つまり、前段が夜で後段が翌日の昼、…と時制が変わってるわけですが、そう解釈するのは不可能です。字面だけを読めば、キャンプファイヤーの煙が、近くで干していたシャツに染みついた、…という解釈になるはず。これは添削のように書くのが正解。なお、一部の歳時記は、「Tシャツ」を「夏シャツ」の子季語にしてる…という旨の先生の解説もありました。◇大友花恋。上京し洗うTシャツ独りぶん上京や 洗うTシャツ独りぶん(添削後)これは、その「Tシャツ」が季語。原句の「上京し」は描写じゃなくて説明です。それを添削句は切れ字で詠嘆してますが、やっぱり映像にはなっていません。ためしに句またがりで、都会の洗濯 Tシャツ独り分としてみました。…ちなみに、あざ蓉子の句には、上京や 春は傷みしミルク膜というのもありますが、いわば状況説明を詠嘆するような形です。同様のことは「失恋や」「空腹や」にも言えますが、それで上手くいくかどうかはケースバイケース。あるいは選者しだいかなという気がする。ついでに余談ですが、上京や 友禅洗ふ春の水(河東碧梧桐)下京や 雪つむ上の夜の雨(野沢凡兆)の「上京かみぎょう」「下京しもぎょう」は地名です。◇DAIGO。大中小 干したTシャツ4人分大中小小 Tシャツ風かぜに四人分(添削後)これも「Tシャツ」が季語。添削は「Tシャツ風ふうに」と読めるので、語順を逆に「風にTシャツ」と書くべきでしょう。そして「大中小小」とまで書いたなら、下五の「四人分」は蛇足になりますね。たとえば、大中小小 風にTシャツ列をなすのようにも出来ます。◇空気階段かたまり。春昼に揺れるコートと短肌着たんはだぎ春風や 白いスタイと短肌着(添削後)季節の変わり目を描写すべく、あえて「春昼」と冬の「コート」を並べた季重なり。しかし、その試みはあっさり退けられました。実際、冬と春を並べるチャレンジも難しいし、大人の外套と子供の下着を並べるのも不自然ですね。いろんな意味でちぐはぐ感が否めない。その一方、添削句が物干しの場面に見えるかどうかは微妙。たんに「春風の中に赤子がいる」という場面にも見える。むしろ上五を「春風に」としたほうが伝わりやすい。◇清水アナ。雷や 洗濯物へ走る母さすがに句材が凡庸すぎましたね。上五は詠嘆というよりも、関西弁で「雷や!」というセリフに見えるw/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥キングです!👑😂#清水アナの俳句道場#夏井いつき#夏井いつき先生#プレバト pic.twitter.com/7wIf9VeT63— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) May 27, 2024▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.06.03
青天の富士鼻唄は茶摘唄 次郎長も観し富士の山新茶の香 夏場所へ新緑薫富士を背に 立春来る緑鮮やか富士山も 高座より富士より高い新茶かな ツアー初日の楽屋あいさつ新茶の香 新茶汲む所作ぎこちなき左利き 母の日に贈る新茶を母と飲む5月23日のプレバト俳句。お題は「新茶」。◇丘みどり。青天の富士 鼻唄は茶摘唄これは山梨じゃなくて静岡側だよね。茶畑も見えてる気がします。◇坂東彌十郎。次郎長も観し富士の山 新茶の香次郎長も愛でし富士山ふじやま 新茶の香(添削後)梅沢も、先生も、古臭いキャッチコピーのようだ!と酷評。わたしは浪曲のことはよく知りませんが、♪ 旅行けば 駿河の国に 茶の香り…ってのが「清水次郎長伝」の名文句なのね。博徒・次郎長の尽力によって、清水港が輸出拠点となり、富士裾野に茶園が造成され、近代の茶生産の中心が宇治から静岡へ移ったらしい。◇豊ノ島大樹。夏場所へ 新緑薫かおる富士を背に夏場所へ高ぶる心 富士堂々(添削後)これは「夏場所」と「新緑」の季重なり。原句の「薫る」は送り仮名が欠落してますが、おそらく直喩&倒置法で、「(茶畑の)新緑が薫るような富士を後にして夏場所へ」という一句一章なのでしょうね。中七を「茶畑薫る」とすれば、とりあえず季重なりは回避できますが、ちょっと無理のある直喩というべきだし、添削では茶畑の情報をカットしてます。◇清水アナ。母の日に贈る新茶を母と飲む母の日の母への新茶母と飲む(添削後)なにやら添削句は、《人民の人民による人民のための政治》…みたいですね(笑)。これも季重なりですが、「母の日」は映像をもたないので、主たる季語は「新茶」といえるでしょうか。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥惜しい!実力がついてきている!💪#清水アナの俳句道場#夏井いつき#夏井いつき先生#プレバト pic.twitter.com/kEWCkkuscK— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) May 21, 2024◇コウメ太夫。立春来る 緑鮮やか 富士山も立春を眠る茶畑 富士白し(添削後)立春を眠る茶畑 富士青し(添削後)そもそも「立春」とは「春立つ=春来る」ことなので、上五の「立春が来る」は「頭痛が痛い」と同じような重複。(→ 百歩譲って「立春日が来る」という意味なら許容できるのかもしれませんが)作者の話によると、中七・下五は「富士山も緑鮮やか」の倒置じゃなく、(→ ネットで調べると「緑色の富士山」ってのもなくはないようですが)「茶畑も緑鮮やか。富士山も絶景」という意図らしい。なので、三段切れです。新茶を意識して作った春の句だそうですが、そもそも、お題の「新茶」は初夏の季語。新茶の収穫は4~5月なので、現代の感覚でいうなら春ですが、俳句的には「立夏」の前後なので、作者が「立春」の句にしたのは明らかな事実誤認。だとすれば、添削は「立夏」の句に直すべきだと思うけど、先生はあくまで「立春」の句として直したのね(笑)。とはいえ、この添削句では、「富士」が主役で「茶畑」が脇役に見えるし、結果として、季語もいまいち立ってない。せめて語順を逆にして、茶畑の眠る立春 富士青しとしたほうが季語は立つんじゃないかしら?◇蝶花楼桃花。高座より富士より高い新茶かな高座より富士より高値なる新茶(添削後)原句は、比喩を使って物価高を嘆いた時事川柳。落語家がやりがちな失策です。とはいえ、これはあくまで、比高や標高と値段とを掛けた比喩なのだから、添削のように「高値」と明言してしまうのも、それはそれで妙な感じがします。◇アインシュタイン河井。ツアー初日の楽屋あいさつ 新茶の香7・7・5の字余り。梅沢は「詰め込みすぎ」と批判しましたが、先生は逆にそれを「丁寧」と評価しました。わたしは梅沢と同意見ですね。「ツアー」「初日」「楽屋」「挨拶」この4つの要素がすべて必要なのかどうか。とくに「ツアー」「初日」「楽屋」は、いずれも興行にかんする情報なので、やや重なる。たとえば句またがりで、初日の挨拶 新茶の香の楽屋のような17音にすることも可能でしょう。◇梅沢富美男。新茶汲む所作ぎこちなき左利き新茶汲む急須 生憎左利き(添削後)原句は、左利きの人の滑稽味を描いた一物仕立て。季語の「新茶」は、そのダシに使われてる感じ。せめて語順を逆にして、ぎこちなき左利きの手が注ぐつぐ新茶ぎこちなき左利きの注ぐ新茶かなのようにすれば、中八ではあるものの、季語の「新茶」を主役にした一物仕立てになる。添削句のほうも、内容的には一物仕立てなのですが、新茶を汲む優雅さと、左利きのぎこちなさが、まるで二物衝撃のように取り合わされて、いわばオチをつけた滑稽句のようになってます。…余談ですが、「汲む」というのは、ちょっと謎の動詞です。柄杓や器ですくう、というのが第一義ですが、「茶汲み」といえば客などに茶を供することで、「茶を汲む」といえば器に注いで飲むことになる。最後の用法は「酒を酌む」という場合に似てます。つまり、すくったり、淹れて出したり、注いで飲んだりすることまで、すべての動作を全般的に「汲む」と言うのですね。でも、急須から茶碗へ注ぐ動作だけに限定するなら、やはり「茶を注ぐ」と言うほうが明瞭だし、違和感も少ないかなあ…と個人的には思います。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.05.27
雨の森独り空蝉見る少女 春雨や祖父の先ゆくかえる寺 おもい足夕立晴に笑顔かな 夏雨のシーンふと子らの着替え手が伸びる 靡けずも龍成る日を見る鯉のぼれ 断崖は驟雨三分ノーカット 本水の髪ざんばらに夏芝居 額にぽたり緑道の青時雨5月16日のプレバト俳句。お題は「雨降りのシーン」。◇津田寛治。雨の森 独り空蝉見る少女ジブリ的なファンタジーっぽいけど、形式的に瑕疵も過不足もなく整ってます。◇結城モエ。春雨や 祖父の先ゆくかえる寺中七の助詞「の」は、主格とも連体修飾格とも読めるので、「私が祖父の先をゆく」「祖父が私の先をゆく」という真逆の読み方が出来てしまう。そのうえ「先逝く」と誤読したら、どちらかが先に死んで寺に埋葬された、…みたいな意味になってしまいます。たとえば、春雨や 祖父に先立ちかえる寺春雨や 祖父待たずしてかえる寺とすれば主語は明確になるけど、やはり「先に死んだ」という誤読を免れない。子供らしい口語で、春雨や 祖父を追い抜きかえる寺のように書くのがいちばん妥当かもしれません。◇梅沢富美男。本水ほんみずの髪ざんばらに 夏芝居本水の髪ざんばらや 夏芝居(添削後)前段は「本水の髪がざんばらになった」という意味で、文法的に間違ってるわけではありませんが、中七で切れてるのに助詞で繋がるように見えるのです。じつはこれって、前回の夏井添削、教科書を忘れた君と 風薫ると同様の過ちなのよね。◇キスマイ横尾。断崖は驟雨 三分ノーカット定型感のある句またがりですが、切れの位置が分かりにくく「驟雨三分」に見えてしまう。おそらく前段は、「断崖の撮影は予期せぬ驟雨だった」という意味なのだろうけど、それなら雨が止むのを待つはずだし、わざわざ短い驟雨の合間に撮影するわけがない。もしかしたら、「カットできない撮影の途中で雨が降って来た」ということかもしれませんが、その場合は、字余りでも切れ字を加えて、断崖に驟雨や 三分ノーカットとするほうが明快だし、さらに「三分」という情報を除いて、ノーカット撮影 断崖に驟雨とするほうが、かえって描写の正確性は増すと思います。◇笠原将。靡なびけずも龍成る日を見る 鯉のぼれ龍と成る日もあり 雨の鯉幟(添削後)だいぶ観念的な内容。鯉が龍になる「登竜門」の故事にちなんだっぽい。しかしながら、上五は、本来なら「靡けずとも」と書くべきだし、そもそも「靡く」というのは受動的な意味なので、あまりポジティブな印象の言葉ではないと思う。中七の「龍成る」も、「龍が成る」の省略ならともかく、「龍に成る」「龍と成る」の省略ではありえない。添削句にかんしては、龍と成る日を待つ凪の鯉幟としたほうが作者の意図に寄るのでは?しれっと露伴の劇伴ながしたねw #プレバト #笠松将 #岸辺露伴は動かない #菊地成孔 #高橋一生 #飯豊まりえ pic.twitter.com/k5KEN3ULLO— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 16, 2024 ◇高島礼子。おもい足 夕立晴ゆうだちばれに笑顔かな重い足 おもい心へ夕立晴ゆだちばれ(添削後)切れ字の「かな」で締める場合は、途中で切れを入れるべきではないし、夕立晴を描写したら「笑顔」と書く必要はない。なお、添削句の「重い」と「おもい」は、なぜ漢字と平仮名を使い分けたのか不明。◇トレエン斎藤。夏雨かうのシーン ふと子らの着替え 手が伸びる夏雨なつあめのシーン 子役の着替え手に(添削後)破調の三段切れ。とりあえず「子らの着替えに手が伸びる」と書けば、三段切れが解消されて後段のリズムも整う。しかし、そもそも、テレビ画面の季語は鮮度が低いし、テレビで雨のシーンを見たからといって、現実には雨が降ってないのだろうから、子供の着替えを準備する理由が分からない。原句が意味不明なので、添削のほうは必然的に改作となってます。◇清水アナ。額にぽたり 緑道の青時雨季語は「青時雨」で夏。緑の木々から時雨のように頭上に落ちてくる水滴のこと。これは「青時雨」を説明しただけの句ですね。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥肩の力を抜くくらいがちょうどいいのかも!?😳#清水アナの俳句道場#夏井いつき#夏井いつき先生#プレバト pic.twitter.com/LK66wIAqEq— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) May 14, 2024▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.05.20
迎え梅雨紙端に滲む友の文字 虹の下クレヨンの箱踊り出す 天王山黒ずむ袖に薄暑光 薫風や隣の君と教科書を 消しゴムが白き水面にボウフラを 密やかに鉛筆昇てんと虫 初夏の光のインク硝子ペン5月9日のプレバト俳句。お題は「文房具」。◇雲丹うに。天王山 黒ずむ袖に薄暑光鉛筆に黒ずむ袖や 夏休み(添削後a)鉛筆に黒ずむ袖や 晩夏光(添削後b)原句は、受験生の句ではなく、品評会に挑む職人の句にも見えるし、柔道などのスポーツの句にも見えます。先生の(添削後b)は良い出来だと思います。◇山本里菜。迎え梅雨 紙端したんに滲む友の文字迎え梅雨 借りたノートに滲む文字(添削後)作者の説明を聞いても、あえて「紙端」の語を選んだ理由がわからない。紙の端に書き添えられた文字は、友人からの意味ありげなメッセージに見えます。先生の添削に異論はないけど、個人的には「借りたノートの字の滲む」としたい。◇清水アナ。カンペ握りしめる初ロケは立夏初ロケは立夏 カンペを握りしむ(添削後)原句の「握りしめる」は、連体形と読めば一句一章、終止形と読めば対比的な二句一章です。添削句のほうがリズムに定型感があり、意味も明瞭だし、語順的にも正解だと思う。ちなみに助詞「は」を避けるなら、「立夏の初ロケ」とも書けますが、この場合は「初ロケの日は立夏だった」という感動を、強調して書くだけの必然性があるでしょうね。なお、季語の「立夏」には日付の意味と期間の意味があるけど、清水アナの句は「立夏日」という印象を受けます。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ほぼ才能アリだった…!?😭#清水アナの俳句道場#プレバト pic.twitter.com/phTsxuAu8n— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) May 7, 2024◇河野純喜。薫風や 隣の君と教科書を教科書を忘れた君と 風薫る(添削後)これも先生の添削でいいと思うけど…強いて言うなら、中七で切って下五に季語を置く形式なのに、助詞「と」で繋がって見えるのが難点。実際のところ、「君と風」が薫る…という解釈も不可能じゃない。その場合は助詞「と」の意味が変わって、「You & Me」の距離感を描いた句ではなく、「You & Wind」の香りを描いた改作になる。かりに「君と風を嗅ぐ」と他動詞にすれば、中七は切れずに繋がるけど、季語になりません。ちなみに、最近の日本語では、「香ってみますか?」みたいな他動詞的な用法もあるけれど、https://salon.mainichi-kotoba.jp/archives/123130さすがに「風薫る」は他動詞じゃないので、「君とともに風を薫る」という解釈は不可能です。季語を名詞にすれば、教科書を忘れた君と夏の風のような切れのない一句一章にできますが、やっぱり「You & Wind」の意味になってしまう。原句のように「You & Me」の意味にするなら、教科書を忘れた君とゐる五月とでも書くしかないでしょうね。◇内藤剛志。虹の下 クレヨンの箱踊り出す季語は「虹」で夏。だいぶファンタジックな作品で、それを許容できるかが評価の分かれ目になる。…上五「虹の下」の是非。虹と子供がどちらも遠くに見えてるなら、この写生にはリアリティがあるけれど、実際は、子供が近くにいて虹は遠いのだから、子供たちが虹の下にいる…というのは虚構でしょう。もちろん、幻想を書くのが悪いわけじゃないし、端から端まで見える巨大な虹を目の当たりにして、「自分たちが虹の下にいる」みたいな感覚に襲われることもあるだろうから、まったく現実味のない描写とも言いきれない。…下五の擬人化の是非。子供たちが箱をガチャガチャしはじめて、箱の中のクレヨンが動き出したことの比喩でしょうが、「クレヨンが踊り出す」ではなく、「箱が踊り出す」との表現が妥当かどうか。まあ、これも幻想句としてなら許容範囲かな。とはいえ、前回の「本職」の句は合点がいかなかったし、たった2回の査定で特待生との判断は不可解です。◇ゆりやんレトリィバァ。消しゴムが白き水面みなもにボウフラを消しかすはボウフラみたい 子どもの日(添削後)消しかすはボウフラみたい 夏休み (添削後)季語は「孑孑/孑々ぼうふら」で夏。作者によると、「消しゴムがノートに消しカスを(散らした)」という内容を直喩で書いたようです。かりに子供の俳句だったら、「消しカスがボウフラみたい!」という発想や観察眼は褒めたい気もするけど、大人の俳句としては珍奇な詩情としか思えず、関西大文学部卒という学歴を考え合わせても、ウケ狙いなのか本気なのかいまいち判別がつかない。季語が比喩なので、先生の添削では「ボウフラ」の片仮名表記を直さず、もうひとつ別の季語を置いて解決してます。それはそうと…作者が最後に提示した推敲案、消しかすはボウフラみたい 初鰹は、ビート文学みたいで激烈に面白いwマイナス100点満点で一発特待生にしたいです。◇千原ジュニア。密やかに鉛筆登るてんと虫季語は「天道虫」で夏。形容動詞「密やかに」の是非が問われます。掲載決定でしたが、わたしならボツ!天道虫がひそやかに登るのは当たり前!音を立てて昇る天道虫がいるんなら持ってこい!!なお、先生によれば、A: 天道虫が密やかに登るB: わたしが密やかに見るという2つの読みが可能とのこと。たしかに、「密やかに登るてんと虫(を見る)」の省略と読めば、どちらの動詞に掛かるとも解釈できる。でも、実際にそう読ませたいのなら、芭蕉の「閑さや」と同じように、上五を「密やかや」と切るんじゃないかしら?◇梅沢富美男。初夏はつなつの光のインク 硝子ペン初夏のひかりのインク 硝子ペン(添削後)倒置法の比喩で、「硝子ペンのインクは初夏の光のようだ」と読める形なのだけど、作者がそれを明確に意図したかどうか怪しいwおおかた17音に収めてみた結果、たまたまそういう形になっただけじゃなかしら?内容的には、比喩を使って硝子ペンの特徴を説明しただけとも言える。なお、添削句は平仮名で透明感を表現してます。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.05.13
渋滞の柩車に妣と春深し 静寂の官公庁や落椿 二時間を惜しむくちびる桜色 パレードかファンキャップ飛ばす春疾風 青嵐海の上での人違い 色も無き渋滞にふと桜雨 黄金週間の原宿四つ折りの紙幣 潮干狩父の背中が見当たらぬ5月3日のプレバト俳句。お題は「連休の混雑」。◇関水渚。青嵐 海の上での人違い連休の水着とりどり 人違い(添削後)彼女のWikipediaによれば、>「渚」という名前は> 父がウインドサーフィンをしていた逗子の海にちなむとのこと。芸名みたいな本名!苗字もふくめて。そんな地元民らしいユニークな句材ですが、字面からは状況がまったく見えない。船上の人違いの話かと誤読されてしまいます。ちなみに、季語「青嵐」を選んだ理由がすごく謎だけど…そういえば石原良純が、「逗子の風は山から海へ吹き下ろす」みたいに言ってたような気がするし、それを地元で「青嵐」と呼ぶのかしら??もしかして裕次郎は、その意味で「嵐を呼ぶ男」だったとか??※慎太郎は自民党で「青嵐会」を結成してるよね…。知らんけど。…まあ、それはともかくとして、先生の添削は例によってまったくいただけません。海上じゃなく浜辺の場面に見えるので、かえって凡庸な内容の改作になっており、句材のオリジナリティが消失しています。さらに、中七で切って下五をオチする形式は、俳句というよりも、ほとんど川柳に近い。作者の意図に沿うならば、人混みの海 サーフィンの父いずこヨットひしめく海に父を探せりみたいになるのかなと思います。◇キスマイ宮田。パレードか ファンキャップ飛ばす春疾風はるはやてパレードみたい 春風飛ばすファンキャップ(添削後)作者いわく、> ディズニーランドのファンキャップが> いっせいに飛ばされたらパレードみたいだろう…とのことですが、その発想自体が分かりにくく、たくさんの帽子とも明示されてないので、字面だけじゃ何も見えてきません。そもそも比喩で幻想を書くところに無理がある。実景を比喩で書くにとどめれば、ファンキャップのパレード春風に舞うのように書けるし、比喩そのものを諦めるなら、春風に舞うファンキャップの絢爛のように写生できます。◇呂布カルマ。二時間を惜しむくちびる桜色二時間を惜しむくちびる桜時(添削後a)二時間を待ってむくれる子と桜(添削後b)無季の句。これも字面だけじゃ状況が見えない。桜色の唇に《春》を見出したのなら、作者にとってはそれが季語なのでしょうが、桜色をしてるのは我が子の唇だそうで、女性の口紅ではないらしい。なので、作者の意図に近いのは(添削後b)ですが、語順や季語については、花の雨 二時間待ちを愚痴たる子のようなやり方もありえます。なお「愚痴たる」は日本語として間違いかもしれないので、その場合は「不平の子」か「不満の子」に置き換えます…。◇とろサーモン村田。渋滞の柩車きゅうしゃに妣ははと 春深し渋滞や 柩ひつぎの母とゐる深春(添削後)これが今週の1位。原句は中七で意味が切れるけど、助詞で繋がるように見えるのは難点だし、季語に映像がともなわないのも難点です。添削句は、「棺」でなく「柩」と書くことで、渋滞の情報に重ねれば霊柩車を想像できる、…ということなのでしょう。◇長野智子。静寂の官公庁や 落椿祝日の官公庁や 落椿(添削後)シンプルな佳作でしたが、上五の「静寂」は説明くさいわりに情報量が足りない。そこは「祝日」「連休」のように書くのが正解だと思います。◇清水アナ。潮干狩 父の背中が見当たらぬこれもシンプルな出来。小学生みたいな可愛い内容ですが、とくに形式上の瑕疵はないと思います。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥え…本当に!?✨🎊✨#清水アナの俳句道場#プレバト pic.twitter.com/uLKplrRfed— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) April 29, 2024◇立川志らく。色も無き渋滞にふと桜雨桜雨走れり 色の無き渋滞(添削後)原句が動画的なのに対して、添削句のほうは対比的な取り合わせ。そこは好みの問題ともいえますが、個人的には添削句のほうがいいかなと思う。とはいえ、色のなき渋滞にふと桜雨色のなき渋滞に桜雨舞うのように直しても悪くはありません。助詞「も」を使ったのは安易だけれど、副詞「ふと」を使った効果はちゃんとあって、渋滞に苦しんだ時間経過を感じさせます。なので、つねに「ふと」を否定するのが正しいとは言えない。◇フルポン村上。黄金週間の原宿 四つ折りの紙幣黄金週間来く 四つ折りの紙幣(添削後a)春休はるやすみの原宿 四つ折りの紙幣(添削後b)句材は面白いのだけど、さすがに字余りが過ぎるかな。わたしは地名の「原宿」が不可欠だと思うし、上五を「連休の」にすれば17音なのですが、いかんせん季語が「黄金週間」だから替えられない。落としどころは(添削後b)でしょうが、春休を「しゅんきゅう」とは読めないので、これで字余りが解消されるわけではなく、そもそも「黄金週間」を「春休み」にしたら改作ですね。…ってことで、いまいち解決策は見当たりません。なお、個人的な印象ですが、ゴールデンウイークの直訳とはいえ、「黄金週間」って季語自体が大袈裟すぎて好きじゃない。字面がクリスマスっぽく見えるし、五月の季節感に不釣り合いな気がします。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.05.06
生家のこでまり甘やかな退屈 「乗りますか」ふるさと経由春の雲 故郷の苜蓿の香は濃かりけり 祖父の遺影褪せた賞状春夕焼4月25日のプレバト俳句。お題は「ふるさと」。今週は3人の昇格試験のみ。内容も不作でした。◇犬山紙子。生家のこでまり 甘やかな退屈こでまりの生家よ 甘やかな退屈(添削後)悪いとはいわないけど、とりたてて良いとも思えない。とくに「甘やか」という語は、幼少体験の形容として安易に使われがちだと思う。◇フジモン。「乗りますか」ふるさと経由春の雲ふるさとや 乗ってゆくかと春の雲(添削後)原句はあまりにも意味不明。まさか雲がバスの幻想だとは思わないので、たんなる三段切れに見えてしまう。添削句は、觔斗雲キントウンのような雲の擬人化ですが、上五の「ふるさとや」は具体性に乏しいし、切れ字の「や」も意味のある詠嘆とは思えない。◇千原ジュニア。故郷ふるさとの苜蓿もくしゅくの香は濃かりけりわざわざ故郷以外の苜蓿と比べる必要はない。目の前の苜蓿だけを描写すればよいのだから、助詞は「は」を使わずとも「の」で十分だと思う。下五は2音で「濃し」と書けるところを、切れ字を使って「濃かりけり」と書いてるけど、その是非はともかく全体的に内容が薄いと思います。◇清水アナ。祖父の遺影 褪せた賞状 春夕焼句材は悪くないけど、典型的な三段切れで、6・7・5の字余り。とってつけたような季語も弱い。なぜこれが「才能アリ」なのか分からない。どうせなら7・7・5にして、祖父の遺影と褪せた賞状 春夕焼と、せめて三段切れを回避すればかろうじて「才能アリ」でも容認きるかなあ…って感じ。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥お久しぶりです!!🎊🥳#清水アナの俳句道場#プレバト pic.twitter.com/8P6bgz5VCj— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) April 24, 2024犬山紙子の絵は色エンピツの次元を超えていた!お母さんメッチャ美人だった。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.04.29
「いざ月へ」宇宙ごっこの半仙戯 ふわっとふらここ 水平になる手前 廃校のぶらんこは夜よに揺れており 故郷ふるさとと同じ遊具や春の風 初虹や背中を押され漕ぐ子供 小さな手わが背押したる春の暮 ブランコと母待つ夕暮れ花吹雪 子らが去り未だ明るし遅日かな4月18日のプレバト俳句。お題は「ぶらんこ」。◇森口瑤子。ふわっとふらここ水平になる手前8+10 の破調。先生いわく「体感的」な句ですね。動画的でスローモーションっぽい。形式も内容も、なかなか独創的でした。◇梅沢富美男。廃校のぶらんこは夜よに揺れており廃校のぶらんこ夜よるを揺れており(添削後)廃校や 夜がぶらんこ揺すりおり(添削後)夜を「よ」でなく「よる」と読めば、助詞「は」を不用意に使わなくて済むよね。先生の添削は、よりホラーな感じを強めてます。◇清水アナ。「いざ月へ」 宇宙ごっこの半仙戯はんせんぎ春の季語「半仙戯」はブランコの別称。秋の季語「月」との季重なりです。もともと、天にも昇る気分のことを「羽化登仙うかとうせん」と表現するらしい。すなわち、羽が生えて仙人のように天に昇るがごとき心地のこと。そこからブランコ遊びのことも「半仙戯」と呼ぶのですね。すなわち、半ば仙人になるがごとき遊戯ってこと。なので、半仙戯を月に結びつけて、「ブランコを漕いだら月にも行けそう!」みたいな類想はけっこう出てくるし、そういうイマジネーションを詠んだだけなら、わざわざ「宇宙ごっこ」と説明する必要はない。…余談ですが、加古宗也の句に、昼の月蹴り上げて来よ 半仙戯という、やはり季重なりの句があります。↓こちらのサイトを見ると、http://www.haisi.com/saijiki/hirunotuki1.htmじつは「昼月」の句には季重なりが多く、ほとんどの場合、これを秋の季語とは見なしてないっぽい。かたや、芝不器男の俳句には、鞦韆ふらここの月に散じぬ同窓会ってのがある。こちらは夜の月ですね。鞦韆(ブランコ)は季節を問わず存在するし、月も季節を問わず存在するけれど、やっぱり「月」が綺麗に見えるのは秋だから、これは秋の句として読むのが妥当かなと思う。しかし、一般的には春の句と解釈されるようです。ためしに、季重なりを回避すべく、時事ネタを取り入れた改作ですが、月面の邦人 吾子の半仙戯としてみました。これなら春の句として疑義はないと思う。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥立派だから自信は持てる!💪#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/odlDYpOwkr— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) April 13, 2024◇南果歩。ブランコと母待つ夕暮れ 花吹雪ブランコに母待つ夕や 花吹雪(添削後a)ブランコと母待つ夕暮れに一人(添削後b)この2つの添削案はいただけない。一方の(添削後a)は、「ブランコ」と「花吹雪」の季重なりを容認した形。それならそれでいいのだけど、中七が「母が待つ」なのか「母を待つ」なのか、いまいち分かりにくい。助詞を加えれば、母を待つぶらんこの夕 花吹雪のように解決できます。他方の(添削後b)は、「ブランコ」の擬人化を容認した形。しかし、せっかくブランコを擬人化したのに、最後に「一人」と書いちゃったら意味ないでしょwブランコと一緒なら一人じゃないって話なわけで。いずれ凡句にはちがいないけれど、ぶらんこと揺れて母待つ夕間暮れ のように書けば擬人化する意味はあります。◇水田信二。子らが去り未だ明るし 遅日かな公園の子らが去りたる遅日かな(添削後)まずは中七で切れてるのが欠点です。子ら去りて未だ明るき遅日かなと書けば、すくなくとも形式的には整う。しかし、そもそも、「子供が帰るころになっても明るいのが遅日」と考えるべきなのだから、たんに季語を説明しただけの内容でしたね。◇…さて、今回は平場に「才能アリ」が3人いましたが、いずれも評価が甘いと思わずにいられない。蓮見翔。故郷ふるさとと同じ遊具や 春の風まあ、ぎりぎり「才能アリ」ってところでしょうか。句材も悪くないし、形式も出来てるし、とくに瑕疵はないけれど、よくもわるくもシンプルすぎるかなと思う。◇近藤千尋。小さな手わが背押したる春の暮小さき手のわが背を押せる春の暮(添削後)作者いわく、子供の手に「仕事への励まし」を感じた、とのこと。実際のところ、身体的に「背中を押した」のではなく、精神的に「背中を押した」と解釈することもできるし、それならそれで成立します。たとえば親の《転職》や《再就職》の句とも読めるし、あるいは《離婚》や《再婚》の句とも読めます。かたや身体的に「背中を押した」と解釈した場合、《孫が年寄りの背中を押して階段や坂を登らせてる》と読めるから、字面だけでブランコの句とは分からない。◇キスマイ二階堂。初虹や 背中を押され漕ぐ子供形式的には出来てますが、近藤千尋の句と同じように、身体的に「背中を押した」のではなく、精神的に「背中を押した」とも解釈できる。そのうえで、子供が漕いでるのは、《三輪車》なのか《自転車》なのか、《ボート》なのか《ブランコ》なのか、まったく分からないだろうと思います。これを《ブランコ》の句だと断定できるのは、評者自身が兼題写真の先入観に囚われてるからです。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.04.22
春落葉片方だけのスニーカー われ反抗期春夕焼の海岸へ 入社式一人馴染まぬコンバース 厚底や挫く心と青い春 運がつき裏を覗けば散る桜 風光るピボットの軸は逞し 花衣運転席のスニーカー スニーカー踵に昨日の桜かな4月4日のプレバト俳句。お題は「スニーカー」。◇ペナルティ・ヒデ。春落葉 片方だけのスニーカー取り合わせが美しい。何らかの欠落をテーマにしてると思われますが、「なぜ片方しかないのか」という詩的な想像が膨らみます。とはいえ、「子供の靴が片方落ちてた」という作者の説明を聞くと、意外につまらないけどね。◇村山輝星。われ反抗期 春夕焼の海岸へわれ反抗期 春夕焼の砂を行く(添削後)われ反抗期 春夕焼の波見つむ(添削後)前回もマセた俳句だったけど、今回もマセた俳句。いきなり7・7・5の破調にしてくるのも、冒頭から客観写生のルールを破ってくるのも、なかなかにふてぶてしい!上五で「われ反抗期」と説明(宣言?)からはじまる型破りは、とりあえず句の個性として是認しますが、下五の「海岸へ」も、描写というよりは説明っぽいので、そこは添削のように映像化するのが正解でしょうね。◇梅沢富美男。花衣 運転席のスニーカー字面からは、女性を三人称的に描写した句に見えるので、まさかジジイの一人称の句とは驚きです。梅沢がスニーカーで車の運転をしてるのも意外。字面だけを見れば、> 自分で車を運転する女性で、> 最近は着物にスニーカーを合わせる人も多いけど、> この人はちゃんと下駄や草履に履き替えるのねと解釈するはず。まあ、俳句の形としては出来てるし、梅沢にしてはムダのない構成のシンプルな佳作です。◇金子恵美。入社式 一人馴染まぬコンバース入社式 一人は白きコンバース(添削後)中七の「馴染まぬ」が説明くさいので、添削句ではそれを映像化してますが、わたしは上五の「入社式」も、やはり映像ではなく状況説明に見えます。もし「入社式」を映像化するなら、たとえば8+10の句またがりですが、入社式の列 吾あのコンバース白しのように出来ます。◇キスマイ横尾。風光る ピボットの軸は逞し掲載決定だそうですが、わたしならボツです。スラムダンクヲタクの内輪ウケの評価としか思えない。これを解説なしに句集に掲載したら、はじめて読む人には意味不明だと思います。先生は、森迫永依の「旗源平」を前書きにすべきと言ったけど、「旗源平」なら調べれば分かることだし、これといって誤読の余地などもありません。しかし、以前の「1on1」や今回の「ピボット」は、一般に共有されてない単語であるばかりか、調べてみても、その意味が多岐にわたるので、それこそ前書きに「スラムダンク最高!」とでも書かなければ、バスケの句だとは特定できません。また、季語の選択も意外に平凡なのだけど、動詞の季語のあとに名詞が来るので、終止形なのか連体形なのかを読み迷うし、(古語のラ行四段活用は終止形と連体形が同じ)助詞の「は」を使う必然性も乏しい。さらに、この場合の「ピボット」は動作(ステップ)のことなので、「ピボット」と「軸」が重複するとは思いませんが、むしろ体の軸を形容する言葉として、「強し」ではなく「逞し」を選んだことに違和感を覚えます。日本語として「軸が逞しい」という言い方は変です。ためしに、陽春のゴール ピボットの軸強しとしてみました。ちなみに「ゴール」以外にも、「シュート」「コート」「ドリブル」などの語を使えば、前書きがなくともバスケの句だと伝わるはずです。◇石山アンジュ。厚底や 挫く心と青い春我が青き春 厚底に挫く足(添削後)上五の「厚底や」からして、もうギャグとしか思えません(笑)。すなわち「厚底だなあ!」ってことよね。季語をさしおいてギャルの靴を詠嘆しちゃった。ちなみに、厚底ブーツかと思いきや、厚底スニーカーで足を挫いたとのこと。ギャルにとっては切実な問題だったのだろうけど、はたから見るとコメディにしか見えないので、失礼ながら笑いを抑えられません。なお、青春の意味で「青い春」と書いたら、それは季語ではありません。通常なら、これが最下位だろうと思います。◇川﨑麻世。運がつき裏を覗けば散る桜靴底に糞ふんか 桜の散りしきる(添削後)下には下がいましたwふつうなら「運が尽き」と読むはずなので、おおかた賭けマージャンにでも負けて、不良学生が体育館の裏に行ったとか、不良オヤジが裏社会を覗いたとか、…そういう話なのかと思いましたが、靴の裏にウンコと桜の花びらが付いてたって…そこに何の詩情があるんでしょうか??…よく30点ももらえましたね。ウンコを踏んだ自虐川柳とも思えるけれど、わざわざ「運」の字を使ってるところを見ると、ウンコだけでなく桜のオマケもついてて一層ラッキー!…みたいなポジティブシンキングなのかもしれません。◇清水アナ。スニーカー 踵に昨日の桜かな中八を回避するだけなら、「踵」ではなく「底」や「裏」にすれば、とりあえず中七にはなるのだけど、それよりも上五で切れるのがよくないですね。とくに「かな」で締める場合は途中で切らないほうがいい。ためしに、(切れ字の「かな」は使いませんが)靴底に昨日の桜まだ紅しとしてみました。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥どうにかしたい気持ちはあった!🥲#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/MfF1XgKTyC— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) April 3, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.04.08
苗代の桜や鬼の住まいする 刑務所を囲む桜の仄白き 幽谷のロッジの夜明け白き飛花 花月夜冒険譚に挿す栞 束の間を正気の母と花の道 さくらさくらむすめのたましいのいろ 濠の端の羽音走りて初桜 花曇昼夜の区別なき赤子 花月夜学童終わりのチャンバラ戦 我が運命夜櫻に問う生も死も 祖父逝きて今朝の櫻の寒き色 出郷の車窓を叩く飛花落花 青光りせり750ccに花吹雪 風吹かば花の色なる城下町 校庭に響くピアニカ春の雲 祖父逝きて今朝の櫻の寒き色3月28日のプレバト俳句。春光戦のお題は「桜」です。決勝進出したのは梅沢、千賀、ジュニアの3人。優勝は千賀でした。◇森迫永依。花月夜 学童終わりのチャンバラ戦チャンバラの続く公園 花月夜(添削後)チャンバラの続く団地や 花月夜(添削後)十分に佳作です。9位の評価は低すぎる。添削する必要もない。前回の「旗源平」の句も、平家物語のような風情があったけど、今回も歌舞伎に見立てたような面白さがある。なお、先生は、「花月夜」から「学童終わり」への展開を、夜から夕方へ時間が逆行してる…と言いましたが、それは間違った解釈というべきです。中七の「学童」とは、一般的に「学童保育」のことであって、共働き・ひとり親家庭などの子だという示唆です。そうでなければ、わざわざこの単語は使いません。ふつうに「学校帰り」と書けばよいのだから。放課後の学童保育が終わるのは18時以降だし、家に帰っても留守番せざるをえない境遇だからこそ、学童たちは月夜になってもまだ遊んでるのです。作者がそれを説明しないせいもあるけれど、先生をふくめ、誰一人その意図を汲み取れていない。前回の「旗源平」の句もそうでしたが、今回もまた不当な評価に貶められてしまった感じ。ここまでくると、視聴者はMBSへ苦言を呈してもいいのでは??追記:原句の「戦」の要不要について。ここでのチャンバラは、見世物や演目でもないし、無邪気なごっこ遊びというだけのものでもなく、男の子のストレス発散の憂さ晴らし、ちょっと乱暴なゲームとも読めますし、貧困や寂しさにも負けない明るい逞しさとも読める。そうした意味で、この「戦」の字の多義性というのがある。下6の字余りではあるものの、撥音「n」が二箇所入ってリズム上の字余り感は少ない。◇森口瑤子。束の間を正気の母と花の道中七の「正気」でドキッとさせる。下五の「花の道」は、もちろん桜咲く並木道のことですが、比喩的な意味の「花道」とも読めます。◇的場浩司(予選句)。我が運命さだめ 夜櫻に問う生も死も満開の夜櫻に問う生も死も(添削後)満開の夜櫻に我が生を問う(添削後)内容が観念的で、ベートーベン並みに暑苦しいですね。しかも、その発想はわりに凡庸というべき。◇的場浩司(Tver限定)。祖父逝きて今朝の櫻の寒き色こっちを提出してれば決勝進出だった!!…と先生絶賛の句。時間と視覚と肌感覚と心情が、無駄なく描写されていて、たしかに非の打ちどころがありませんね。因果関係のような叙述によって、実景に心情をのせていく形式も的確です。◇千原ジュニア(予選句)。刑務所を囲む桜の仄白き終止形で「仄白し」と書くほうが、客観写生の原則に適ってますが、これを連体形で終わらせた形は、「仄白きこと」という感嘆・詠嘆の省略にも見えるし、たとえば「仄白き悲しさ」「仄白き優しさ」など、作者の印象を言い含めるような効果も与えます。通常なら避けるべき手法ですが、この句にかんしては許容したくなります。◇千原ジュニア(決勝句)。青光りせり 750ccななはんに花吹雪バイクに花吹雪、という句材は凡庸です。かりに評価すべき点があるとすれば、それを「青光り」と描写したことの独自性だけ。なお、連体形で「青光りせる750cc」と書けば、光ってるのはバイクだけですが、いったん終止形で切って倒置法にしたことで、場面全体が光ってるようにも見えるのですね。しかし、表現に多少の工夫を加えたところで、やはり句材そのものが凡庸なのは否めない。◇キスマイ千賀(予選句)。幽谷のロッジの夜明け 白き飛花幽谷のロッジ 夜明けの飛花白し(添削後)そもそも「夜明けの幽谷」に霧のイメージがあるので、下五の「白」の情報は重複にも思えるけど、添削のようなカット割りと語順にすれば、その「白さ」をさらに強調する効果が生まれますね。◇キスマイ千賀(決勝句)。出郷の車窓を叩く飛花落花車窓に桜吹雪という句材は凡庸なのだけど、上五の「出郷」は経済効率の良い言葉だし、中七の「叩く」の表現にも意外性がありました。季語の「飛花落花」も、漢字四字で動画的なイメージを与える熟語だけど、そのわりに音数も少なくて効率的です。車のスピードのせいもあるとはいえ、バタバタするほどの桜吹雪だったのでしょうね。◇梅沢富美男(予選句)。苗代なわしろの桜や 鬼の住まいする下五の「住まいする」は、韻文的な言い回しなのかもしれませんが、悪くいえば、ムダに字数を埋めただけ。かりに、中八・下五で「苗代桜に鬼の棲む」と書けば、(もしくは上五・中七で「鬼の棲む苗代桜」と書けば)残りの5音分でもう一要素を加えられます。これまでも梅沢は、「日焼けを剥く子」「剪定の音」など、わずか7音で書ける内容に17音も費やして、剪定や鋏の音の霏々として一心に日焼けの鱗はぐ子かなみたいにスカスカな句を作ってるけど、今回も12音あれば書ける内容なのです。そもそも、下呂市の「苗代桜」は、苗代に咲いてるからそう呼ばれるのではなく、「苗代へ植える頃に咲く」ということが由来なので、それを「苗代の桜」と書いたら意味が違ってきます。固有名詞の「苗代桜」ではなく、一般名詞の「苗代」に咲く桜としか読めなくなる。まあ、それならそれで、ひとつの幻想句としては成立しますが、それを予選1位と高く評価するのはどうなんでしょうね。◇梅沢富美男(決勝句)。風吹かば花の色なる城下町夕風や 花の色なる城下町(添削後)句材そのものが凡庸なのですが、たんなる取り合わせにするよりも、「風が吹いたので花の色になった」と因果っぽい書き方にするほうが幻想的なので、添削句よりは原句のほうがいいかなと思う。◇キスマイ横尾。花月夜 冒険譚に挿す栞下五の「挿す栞」だけを見ると、挿さない栞があるんなら持ってこい!…ってことになりますが、たんに「冒険譚に栞」と書いただけでは、A そこに読みかけの本があるB いま本を閉じたC これから本を開くなどの解釈が生まれてしまうので、Bであると明示するためには動詞を省けない。そのうえで、先生は、「栞挿す」か「挿す栞」かの選択について、先に「栞」を出したらネタバレになるので、原句のように「挿す栞」と書くのが正解としました。しかし、それは「季語よりも栞が主役」と言ってるのに近いし、いつもの先生の説明とも違ってます。いつもなら、「動詞に軸足を置くか、名詞に軸足を置くか」という観点で判断するのだから。あらためて比べてみます。A: 花月夜 冒険譚に挿す栞B: 花月夜 冒険譚に栞挿すBのほうは動作に軸足があるので、「読書を終えて花月夜へと視線を移す」って感じになるし、そのぶん季語が立ちます。Aのほうは「栞」に軸足が置かれるので、そのぶん季語が脇役に回ってしまいかねない。とはいえ、全体としては「読みかけの冒険譚」の映像が残るので、先生が「ファンタジーっぽい」と言ったように、季語の「花月夜」と「冒険譚」のイメージが、たがいに幻想的に響き合って重なる感じもあるのだけど、その効果はAでもBでも変わりありません。なので、「栞を主役にしすぎずに季語を立てる」のなら、動詞に軸足を置いたBのほうが正解だろうと思います。◇犬山紙子。さくらさくら むすめのたましいのいろさくらさくら 子のたましいのさくら色(添削後)原句は6+4+7=17の破調。すべて平仮名で書いてますが、子供の視点で書いてるわけじゃなく、むしろ親の視点で書かれてるのよね。前段の「さくらさくら」が娘の歌声なら、そこにかんしては平仮名で書く必然性があるけど、後段まで平仮名で書く必然性があるかは疑問。しかしながら、実際に、さくらさくら 娘の魂の色と漢字で書いてみると…なんだか「自分の娘」じゃなく「若い女」の句に見えるし、鬼滅の禰豆子みたいな世界観に見えるかもwかたや添削句のほうは、字余りで6+7+5と調子を整え、子供の「魂」とその「色」を平仮名で表記してます。その意図は理解できるけれど、なんとなく「亡き子の追悼句」のように読めるし、やはり原句とは意味合いが違ってるように感じる。ためしに6+8+5にして、さくらさくら むすめのたましいさくらいろ…としてみたのですが、これまた「うら若き娘」の色香に見えてしまうかもwってことで、いまいち解決策は見つからず、結局、原句が最適解かもしれません。◇フルポン村上。花曇 昼夜ちゅうやの区別なき赤子こども花ぐもり 夜を泣き昼を泣く赤子あかご(添削後)原句の「昼夜の区別なし」は説明的だし、赤子が「泣いてる」のか「遊んでる」のか、それも字面からは判然としないので、その意味では添削句のほうが優れてます。ただし、添削句は、説明が描写へと訂正されたぶん、描いた時間が「夜から昼まで」になり、季語の「花曇」の時制までぼやけてしまう。原句の場合は、「昼夜の区別なし」ってのが描写ではなく、赤子についての抽象的な説明だからこそ、時制はあくまで「花曇」の日中なのですね。…ってことで、これもちょっと直しにくい内容ですが、漢語の「区別」を使わずに説明を短くし、赤子が「泣く」という情報を加えるなら、花曇 昼夜ひるよるなしに泣く赤子と出来ます。◇中田喜子。濠の端の羽音走りて初桜濠の端を羽音走れり 初桜(添削後)NHK俳句の村上鞆彦の言葉を借りると、4つの「ha」の押韻はクドいとも言えるし、とくに「端」と「初桜」の語には、押韻ありきみたいな作為性を感じる。とはいえ、添削句のように、適切な助詞や切れを用いて、意味と構成を明確にすれば、ただ言葉遊びに溺れたかのような作為性は、だいぶ緩和されるかもしれません。◇清水アナ(Twitter)。校庭に響くピアニカ 春の雲よくいえば素朴なのですが、あまりに内容が凡庸すぎました。中七の「響く」も不要だし、季語もだいぶつまらないけど…なんとなく、この季語の選択は、フォスターの「静かにねむれ」っぽいよね。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ちょっと攻めすぎた…😭#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/oDga5MZgMK— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) March 25, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.04.01
終点は天空の城春の雷 別れ雪古城を抱きてそっと消ゆ 長野駅見送る義母の春ショール 旗源平の賽奔放に春満月 旅ひとり「はくたか」を追ふ百千鳥 校印の長閑なかすれ学割証 車窓行く「北陸ロマン」春の雪3月7日のプレバト俳句。お題は「北陸新幹線」。◇森迫永依。旗源平の賽さい奔放に 春満月(加賀・旗源平)春満月よ 賽の目は奔放に(添削後)先生の査定は「現状維持」でしたが…わたしは非常に面白い句だと思いました。季語にも歴史を感じさせる風情がある。これがボツになったのは惜しまれる。地方の風習を取り入れる俳句はべつに珍しくないし、それを前書きにすべきという先生の主張は納得しがたい。実際のところ、7・5・5の破調にした添削句にくらべても、むしろ原句のほうがいいんじゃないかと思います。前書きとして排除したら、サイコロが勢いよく跳ねる様子を、あたかも源平の武者に見立てるような、せっかくの効果もかえって失なわれてしまう。…とはいえ、議論すべき点は他にも3つほどあります。7・7・6の字余りについて6音の「旗源平」「春満月」という、撥音「n」をふくんだ漢字三文字が、シンメトリックに「ha」で頭韻を踏みながら呼応し、まるで平家物語のような独特のリズムと効果を生んでおり、わたしはこの字余りがまったく欠点とは感じません。切れの位置について意味は中七で切れてるはずなのに、形容動詞が連用形「に」で繋がるようにも見えます。しかし、これは、跳ねたサイコロが満月に重なるような効果ともいえるので、あきらかな欠点とまでは言い切れない。形容動詞「奔放なり」の選択についてこの「奔放」という語は、サイコロの予測不能な動きだけでなく、義経の型破りな戦法なども想い起こさせるけど、一方では「不埒」というニュアンスもあるので、伝統行事にふさわしい言葉なのか判断に迷います。たとえば「跳躍す」「乱舞す」など、ほかの動詞に置き換える選択もありえる。どこにも切れを入れず、たとえば「ha・ha・ha」と頭韻を踏んで、旗源平の賽はねあがり春満月とすることも出来ます。◇勝村政信。終点は天空の城 春の雷作者は「越前大野城」のことを詠んだらしいけど、先生はこれを幻想句と解釈したようです。そもそも「天空の城」と呼ばれる場所は、マチュピチュをはじめ世界中にたくさんあるし、前書きに⦅越前の旅⦆とでも書かなければ、具体的な地名を特定できません。しかも、越前大野を「終点」とする電車やバスの路線は、ネットで調べてみても見当たらないし、じつはそれ自体がフィクションなのかもしれない。なので、これは先生が言うように、宮崎駿や宮沢賢治っぽい幻想句として味わうのが妥当でしょう。◇犬山紙子。長野駅 見送る義母の春ショール義母の立つホームや 風の春ショ-ル(添削後)上五「長野駅」は、映像というよりも状況説明に見えます。また、動詞「見送る」の主語も明確とはいえず、「私を見送る義母」とも読める一方で、「私が見送る義母」とも読めてしまう。とりあえず、春ショール巻きたる義母の長野駅のようにすれば駅は映像化できますが、これでは「出迎え」か「見送り」かも明示できない。じつは添削句も、どちらかといえば「出迎え」のように見えるし、のみならず、二句一章に分けた結果、ショールを巻いてるのが義母なのか私なのか、それすらも判然としなくなっている。こうした情報の正確性を優先させて、かりに「長野」という駅名だけを諦めるなら、見送りの義母のショールや 春の駅のような解決策もありえます。◇的場浩司。別れ雪古城を抱きてそっと消ゆ古城抱く雪 あえかなる別れ雪(添削後)もし上五で切れる二句一章なら、A:最後の雪が降っている。私は古城の残像を抱きしめて去る。みたいな意味に解釈できるし、もし切れのない一句一章と見れば、B:最後の雪が古城を抱くように降り積もって消えた。と擬人化をふくんだ時間経過の描写になる。それによって「抱く」「消ゆ」の主語が変わります。作者は「B」の意図で詠んだらしいけど、動詞の主語を読み迷わせるのもあるし、雪が「降り積もってから消えるまで」ってのは、俳句が描写する時間としては長すぎる。そして、動詞の「抱く」もさることながら、下五「そっと」という副詞も安易な擬人化です。かたや添削句のほうは、同じ「雪」を二度描写するリフレイン的な手法。◇中田喜子。旅ひとり 「はくたか」を追ふ百千鳥ももちどり先生の査定は1ランク昇格でしたが…たしかに取り合わせが模範的とは思うものの、内容の面でちょっと疑義がある。春の季語「百千鳥」は、さまざまな種類の小鳥が鳴き交わす様子のことで、いっせいに群れをなして飛ぶ様子ではありません。そもそも、さまざまな種類の小鳥たちが、停まった車両のうえで戯れるならともかく、走る新幹線を群れをなして追うってのは、どれほどリアリティのある光景なのか疑わしい。正直、ちょっと嘘っぽいのです。なお、北陸新幹線「はくたか」の名称は、立山の"白鷹伝説"に由来してるとのことで、その意味でいうと、この句は、春の小鳥たちが冬の鷹を追う比喩とも読める。◇フルポン村上。校印の長閑のどかなかすれ 学割証うーん、ここまでくると好みの問題ともいえますが…いったい、どこの誰が、校印のかすれを見て「春の長閑」を感じるのか?ハンコのかすれに季節感なんかないでしょ。つまり、「ハンコのかすれが長閑である」ってのは、ごく主観的な作者の印象にすぎないわけで、およそ客観写生からは程遠いというべきなのです。こういう主観を押しつけられると、読み手によっては「しゃらくさい」と感じるし、わたし自身もそこに引っかかってしまう。…とはいえ、こうした主観の独白もふくめて、「長閑な春の景色のなかに一人の学生がいる」ってのは、客観的な映像として見えてくるのですよね。それは紛れもない事実。作者の主観そのものに違和感を抱けば、否定的な評価にならざるをえないけれど、その先に見える客観的な景にまで辿りつけば、一転して肯定的な評価にもなりうる。そこらへんが賛否の分かれ目になると思う。いずれにせよ、村上は、「ペンの減り」だの「目の潤み」だの、「窪みの浅さ」だの「ハンコのかすれ」だの、変な作風で味をしめちゃったなあ…と思います。半径30cmの世界に目を向けるのはいいとしても、変なところに詩情や季節感を見出すのは、ほとんど特殊体質のようになっている。◇梅沢富美男。車窓行く「北陸ロマン」春の雪車窓には春雪 「北陸ロマン」流る(添削後)谷村新司の追悼句なのでしょうか?「北陸ロマン」という曲が、新幹線の車内チャイムになってるそうです。おそらく、「発車のメロディと春雪の景色が車窓を流れていく」みたいな一句一章の内容なのでしょうね。しかし、それを構造的に組み立てられず、二句一章とも三段切れとも見える形になってるし、その結果、動詞「行く」の主語が、本来は《北陸ロマン&春の雪》のはずなのに、字面では《車窓 or 北陸ロマン》のように見えてしまう。そもそも、この「行く」という動詞を、景色が「流れ去る」という意図で使ってるのか、雪の北陸へ「向かう」という意図で使ってるのか、作者自身のイメージが曖昧なんじゃないかしら?もともと曲名だけで7音もあるので、あくまでそれを使うとしたら、添削のような字余りに収めるしかありません。◇清水アナ。春眠のA席 金沢切符はらり句またがりの二句一章ですが、2つの場面を取り合わせてるというより、「春眠のせいで切符を落とした」との因果関係です。無理やりな造語の「金沢切符」は、金沢行きの切符という意味なのでしょうが、たとえば「金沢で発行された切符」とか、たとえば「金沢市内を周遊できる切符」とか、そういう誤読も不可能とは言いきれない。そもそも17音に収めるには、「春眠」「金沢行きの列車」「切符を落とす」ってのは、やや材料として多すぎます。まあ、無理をするなら、金沢までの春眠 切符いずこと17音に出来なくもないけれど。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥前半カッコいいのに惜しい…😢#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/Sfykefn7si— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) March 5, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.03.11
春場所前夜鯛の握りを十五皿 赤貝や父のアガリの緑濃し 鯛掲げ春場所終えし夢をみる ナマモノが苦手な僕は浅利汁 桜鯛皿取り思う宇良ピンク 回転寿司小さき手小さき春を取る 海の陽をたたえて碧し海苔の艶 二周目も取られぬ鮪花曇2月29日のプレバト俳句。今回は相撲力士対決。お題は「回転寿司」。◇梅沢富美男。海の陽をたたえて碧し 海苔のりの艶海の陽の香や 軍艦の海苔の艶(添削後)原句を二句一章と見れば、A:海が陽光を湛えて青いなあ。ここには海苔のツヤがあるよ。という意味になるし、かたや倒置法の一句一章と見れば、B:海苔のツヤが海の陽を湛えて青いなあ。という意味になります。それによって「碧し」の主語が変わる。また、もともと「湛える」という動詞は、1.液体を満たす(例:水を湛える)2.表情を浮かべる(例:笑みを湛える)という意味なので、一般には「陽を湛える」という言い方をしません。なので、この動詞は「讃える/称える」の意味にも誤読できる。その場合は、C:海は太陽を讃えて青くなったのだよ。ここには海苔のツヤが見えるよ。D:海苔のツヤは海の太陽を讃えてこそ青いのだよ。みたいな擬人化表現とも解釈できる。おそらく作者は「B」の意図で詠んだのでしょうが、「海の色を湛えて青い」のならともかく、「海の"陽"の色を湛えて青い」というのもちょっと奇妙です。陽の色なら赤やオレンジと考えるのが普通だから。…察するに、一方で、陽の光が海苔の「ツヤ」になり、他方で、海の色が海苔の「青色」になる、…みたいなイメージなのでしょうが、そのロジックが字面のうえで混乱をきたしている。じつは、動詞を漢字で書き、「碧し」を連体形にして「海苔」を修飾させ、海の陽を湛えて碧き海苔の艶と書けば、上記の問題はおおむね解決するし、かりに「湛える」という動詞を避けるなら、海の陽を秘めたる海苔の碧き艶海の陽を浴びしや 海苔の碧き艶のような添削案もありえます。とはいえ、ジュニアが指摘したとおり、寿司屋ではなく海辺の場面に見えてしまうし、先生も「色」の句にするのをやめて、あっさり「香」の句に改作してしまったのですね。あくまでも、作者の意図を汲むのなら、海の陽の記憶 巻き海苔つや碧しあの海の陽よ 巻き海苔の艶碧しのような二句一章にできるかもしれません。◇湘南乃海。春場所前夜 鯛たいの握りを十五皿一山本。ナマモノが苦手な僕は浅利あさり汁ナマモノが苦手 浅利汁は熱々(添削後)前者は70点の才能アリ1位。後者は40点の凡人4位。たしかに、前者のほうが二句一章の俳句らしい体裁に見えるし、後者は「僕」の主語表記がいかにも散文っぽいけど、じつは両方とも、「春場所前夜に鯛の握りを十五皿食べました」「生ものが苦手な僕は浅利汁をいただきます」という散文を俳句にしただけで大差がない。もっといえば、「春場所前夜なので、縁起のよい鯛の握りを十五皿食べました」「生ものが苦手なので、火をとおした浅利汁をいただきます」という因果関係の説明にも見えます。まあ、前者のほうが、「縁起ものの鯛」「一場所15日分」と験ゲンを担いだところに情緒があるとはいえ、それでも「才能アリ」にふさわしいかは疑問。なお、鯛は季語ではありませんが、「桜鯛」「鯛網」なら晩春の季語。「黒鯛」なら夏の季語だそうです。◇御嶽海。赤貝や 父のアガリの緑濃し刺身とお茶を写生することによって、満ち足りた父の様子を描いたのでしょうが、取り合わせと見れば前段と後段が近すぎる。むしろ切れ字で詠嘆せずに、赤貝に父のあがりの緑濃くと一句一章にまとめるべきだと思います。◇島津海。鯛掲げ春場所終えし夢をみる場所終えて掲ぐる鯛や 春の夢(添削後)夢オチの句は客観写生とはいえないし、「~し夢をみる」で締める形を認めたら、いくらでも同じパターンの句が作れてしまいます。かたや、添削によって夢が実景になったかどうかは微妙。◇若元春。桜鯛 皿取り思う宇良ピンク桜鯛 宇良の回しのような色(添削後)これも写生ではなく「思ったこと」を書いている。サッカーに「サムライブルー」があるように、相撲に「宇良ピンク」なる造語があるかは知らんけど、寿司ネタを見て力士のまわしを思い浮かべる、…って発想は、個人的にかなり抵抗を感じます。「食べ物の季語は美味しそうに詠む」という原則に抵触してるのでは??あくまで価値観は人によるだろうけれど。◇清水アナ。二周目も取られぬ鮪まぐろ 花曇これは「鮪」が冬で「花曇」が春の季重なり。兼題写真がなければ、回転寿司の場面だとは分かりません。まぐろ漁船が旋回してるようにも見えるし、まぐろが回遊してるようにも見える。鮪を「トロ」「赤身」などと書くことで、季重なりを回避できるかは賛否が割れるでしょうが、とりあえず回転寿司の場面だと明示するには、二周目の赤身の皿や 花曇中トロの皿は二周目 花曇のように書けばいいわけですね。カピカピの不味そうな食べ物と天気の取り合わせ。季語を不味そうに詠むのでなければ、ひとつの倦怠感の表現として容認できるでしょうか。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ぎりぎり…😭#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/4DB3Z0nIzB— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) February 26, 2024◇千原ジュニア。回転寿司 小さき手小さき春を取るこれは文句ありません。現代の核家族のささやかな幸せを切り取ってる。それが豊かだといえるかは分からないけれど。ジュニアの俳句はかなり良くなってますね。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.03.02
親友のしゃがれたエール忘れ雪 デンモクがふたりを隔てる春休み 春の夜のカラオケ締めは「雪椿」 カラコロンマイクとお酒沁みる春 朧月負けたらあかんで東京に 「なごり雪」君を見ないで歌い出し らうらうと僧侶の美声花まつり カラオケの履歴は桜らんまんと2月22日のプレバト俳句。お題は「カラオケ」。◇GLAY・HISASHI。親友のしゃがれたエール 忘れ雪これが今週の1位。かなり知的に感じられる出来です。的確な写生だけに徹しつつ、ちゃんと心情が伝わってくるし、季語の選択も絶妙だし、中七で切って下五に季語を置く、という二句一章の型もしっかり出来てる。どこにも欠点は見当たりません。◇関口メンディー。デンモクがふたりを隔てる春休みデンモクが隔てるふたり 春休み(添削後)デンモクは第一興商の商品名で、カラオケ操作用リモコン(=電子目次本)だそうです。まず問題のひとつは、中八をどう処理すべきか。助詞「を」を除けば済む話ではあるけど、語順についての先生の解説は正確さに欠ける。「ふたり隔てる」なら動詞に軸足が来て、「隔てるふたり」なら名詞に軸足が来る、…みたいな話じゃないでしょ!これは、あくまでも切れの問題です。つまり、「隔てるふたり」とすれば、中七が名詞止めになって切れるけれど、「ふたり隔てる」とすれば、動詞の連体形が下五に繋がるわけです。先生&梅沢の添削案だと、中七で切れるために、映像のない季語「春休み」だけが浮いてしまう。季語を映像化するには、動詞の連体形で修飾して、デンモクがふたり隔てる春休みと書くほうが正解でしょう。しかし、問題はもうひとつある。そもそも「隔てる」という動詞の選択は、句材の状況を描くのにふさわしいのかどうか。この動詞を使うことで、二人の関係がネガティブな状態に見えて、別れを予感させてる気がしなくもない。作者いわく、二人の関係は、「デンモクを超えてまでは近づけない」ものの、その反面では、デンモクがあってこそ繋がってるわけだから、けっして二人の関係を裂いてるのではありません。いうならば、「繋いでもいるけど隔ててもいる」…みたいな微妙な位置づけのアイテムってこと。それを客観的に写生するなら、デンモクをはさむ二人の春休みとでも書くしかないと思います。◇田中あいみ。カラコロン マイクとお酒沁みる春ドアベルとマイクとお酒沁みる春(添削後)作者いわく、・おなじ擬音でドアベル&グラスの氷を掛け合わせた・楽しむ人もいれば悲しむ人もいるカラオケ店の様子とのことです。ちょっと材料が多すぎますよね。「カラオケ」「ドアベル」「グラスの氷」の3つの要素を描きながら、客の様子まで季語と取り合わせるってのは…。しかも擬音の「カラコロン」は、ドアベルやグラスの氷というよりも、入店客の下駄の音かしら?と誤解してしまう。さらに「沁みる」というのは、作者の主観・心情であって客観写生ではありません。あえて「沁みる」とは書かずして、そこに集う人々の心情を想像させなければならない。かりに「歌と酒が沁みる」と書いていれば、かろうじて聴覚&味覚の描写と言えたのだけど、「マイクが沁みる」という変な表現をしたことで、そうも言えなくなってしまった。そして、添削句のように、「ドアベルとマイクと酒が沁みる」と書いたなら、これはもう聴覚や味覚の描写ではなく、状況に対する心情の表現と解釈する以外にない。かりに「カラオケ」の要素を省くなら、ドア鈴と水割り 泣き笑いの春のように書けます。◇レイザーラモンRG。朧月 負けたらあかんで東京に例によってネタを組み込んだお約束の作風。今回は天童よしみネタを取り入れたわけですが、パクリ審判で「70点」から「3点」への大減点。歌謡曲の七五調を安易に取り入れる失敗は、星の入東風 今夜の恋をくれた人のときに予測したとおりの結果です↓https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202211150000/このときの前科があったわけだから、まして「カラオケ」の兼題で詠ませれば、こういう顛末になるのは想定内だったし、そう考えれば、今回の減点査定は、あらかじめ番組が仕込んだものと思えなくもない。…とはいえ、当初の査定が「70点」だっただけあって、句としてみると、じつによく出来てるのよね(笑)季語の選択もけっこう的確だし、「で」を省けば中七の定型になるものの、あえて中八のダメ押し効果を狙った気もする。たぶん、この人は、俳句の作り方は心得てるんだろうなと思う。◇梅沢富美男。らうらうと僧侶の美声 花まつり締めの一句に認定されましたが…中七の「美声」があれば「らうらう」は不要だし、逆に「らうらう」があれば「美声」は要らないでしょ。ためしに、らうらうと読経の若し 花まつりとしてみました。しかし、もっと根本的なことをいえば、「花まつりで読経する」のは当たり前なのだし、「剪定で鋏の音がする」ってのと同程度に無内容な凡句です。伝統行事にかんする知見をひけらかしただけ。◇小林幸子。春の夜のカラオケ 締めは「雪椿」雪椿咲きカラオケの締めはさて(添削後)曲名をそのまま季語として用いたら、季語の鮮度が落ちてしまうという話です。添削では、あえて曲名とは明示せず、あたかも実景の季語っぽい体際にして、そこから曲を連想させる、という作戦。…それはまあいいとして、添削句の「咲き」と「さて」は、不必要な音数合わせにしか見えません。ためしに、雪椿 カラオケの締め選びけりとしてみました。◇武田鉄矢。「なごり雪」君を見ないで歌い出しなごり雪 君を見ないで歌い出す(添削後)これも実景の季語から曲名を連想させる添削。…それはいいとして、そもそも「君見ず歌う」と書けば7音で済むものを、後段の12音をまるまる使う必要ってあるの?とくに中七の「見ないで」は、あまりにも口語的かつ散文的な言い回しだし、かりに4音分を使うにしても、「見ずして」「見ぬまま」「見れずに」のように書くべきでしょ。下五「出す」の必要性についても疑問なので、なごり雪 君見ぬままに歌う夜とでも直してもらいたい。もしも12音分を7音で済ませるなら、なごり雪 君見ず歌う博多の夜よのようにさえ書けるはずです。◇清水アナ。カラオケの履歴は桜らんまんとこれまた曲名を季語とするのでなく、やはり実景から曲名を想像させるべき内容。単純に添削するのなら、カラオケの履歴 桜のらんまんとでもいいでしょうが、カラオケの履歴や 並び立つ桜と書いたほうが楽曲履歴を連想しやすいかも。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥おしい…!今週の放送回で学びましょう!📚💪#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/3ixZe39wS8— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) February 19, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.02.26
本職に黙礼される今年も春 春の雲血のり右目に染みており 春夕焼台本ト書き「ここで泣く」 初刑事手錠震わす余寒かな 冴えかえる帰宅後妻の取り調べ ロケバスに積む犯人の春日傘 張り込みのあんぱん香る桜漬け 刑事ドラマ沈黙破る鶯よ2月15日のプレバト俳句。お題は「刑事ドラマ」。◇矢柴俊博。春の雲 血のり右目に染みており春の雲 右目に染みてくる血のり(添削後a)撮影のどか 右目に染みてくる血のり(添削後b)紺野まひる。春夕焼 台本ト書き「ここで泣く」春夕焼 ト書き犯人「ここで泣く」(添削後)どちらの句も、上五に季語を置き、撮影の場面と取り合わせた作品。添削は入ったものの2句とも「才能アリ」の査定でした。なお、矢柴俊博の添削は、(b)よりも(a)のほうがいいと思う。状況は下五の「血のり」で想像できるはずだから、わざわざ冒頭から字余りでネタバレしなくともよい。◇内藤剛志。本職に黙礼される 今年も春本職に黙礼さるる春やまた(添削後)上の2句をおさえて、今週の一位だったのがこの作品。しかし、その評価が適切かは疑問です。まず作者が誰かを知らなければ、上五の「本職」の意味が分かりにくい。リズムや形式の面でいうと、下6の字余りもさることながら、中七に切れがあるかどうかも判然とせず、(終止形か連体形かが不明瞭)俳句の形として、いまいちボヤッとしてる。…添削句は、古語を使って動詞が連体形であることを明示し、くわえて下五の字余りも解決してます。ちなみに、ここで注目したいのは、添削句の下五「や」の用法です。以前もこういう添削があった気がするけど、思い出せない。一般に、切れ字「や」は場面を転換するため、リズムだけでなく意味の切れも生むのですが、実際には、場面転換をともなわない「や」もあって、たとえば芭蕉の「古池や」も、じつは場面を転換してないとの解釈がある。また、日本語の間投助詞「や」には、詠嘆のみならず呼びかけの意味もあるので、たとえば「ポチや、お食べ」のようにも使える。そこに場面転換はなく、多くの場合はリズムの切れさえありません。詩歌にも「これやこの」「春や春」などの例がある。それらは切れ字とは異なる「や」の用法です。なお、場面を転換しない「や」の用法については、↓以下の記事でも言及されてます。https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_55.jsp◇トレンディエンジェル斎藤。冴えかえる帰宅後妻の取り調べ冴返る深夜の帰宅 妻や待つ(添削後)下五の「取り調べ」はつまらない比喩。しかも、比喩だと伝わらなければ、妻が容疑者になった場面と誤読されます。かたや添削のほうは、またも下五で切れ字ではない「や」の用法!もしや先生のマイブーム?その是非はともかく、今後、この用法が増える可能性もあります。◇大友花恋。初刑事手錠震わす余寒かな余寒なり 手錠をかける初シーン(添削後)切れのない一句一章を「かな」で締める形。俳句の型はちゃんと出来てますが、主語に助詞がないため、リズムが上五で切れるのはちょっと惜しい。上五の造語「初刑事」は、兼題写真がなければ読み手に伝わらず、「刑事としての初仕事」「生まれて初めて会った刑事業の人」などの誤読を招きます。また、初めての刑事役に挑んだ「緊張」を、季語の「寒さ」と重ね合わせたことで、かえって焦点が散漫になっている。それらの問題は、刑事デカ役の手錠震わす余寒かなのように書けば、いちおう解決します。季語の「余寒」と「震え」が、重複(もしくは因果関係)に当たるとの見方もありますが、「刑事役の手錠の震えない余寒があったら持って来い!」とまでは言えないし、むしろ原句の問題は、「緊張」&「寒さ」の二重の因果が重複する点にあるので、「緊張」の要素を排して「寒さ」だけに特化したほうが、(添削というよりも改作になるけれど)手錠の金属の冷たさも際立ってくるはず。かたや添削句のほうは、「緊張」&「寒さ」を両立させたまま、それらが「震え」に帰結する因果関係を排除した形です。もちろん、それもひとつの選択ではある。ちなみに、添削の上五は「なり」で言い切る珍しい形ですが、その是非はちょっと判断しかねます。◇清水アナ。刑事ドラマ 沈黙破る鶯よここで描かれてる状況は、舞台かドラマかの違いはあれど、森口瑶子の「くつさめ(くっさめ)」の句とほぼ同じ。上7字余りの「刑事ドラマ」はちょっと状況説明的だし、下五の「よ」は詠嘆するだけの必然性に乏しく、取ってつけただけの音数合わせに見える。鶯の鳴き声を《子季語》と見なせば、刑事デカ役の台詞遮るホーホケキョのような定型にも出来ますが、それでもまだ因果関係の説明くささが残る。やはり森口瑶子の「くっさめ」と同じく、刑事デカ役の沈黙 鶯の初音のような対句に直すほうが描写的ですね。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥お題がハード過ぎた…🤷♀️#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/khSOf6tqZI— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) February 12, 2024◇森口瑤子。ロケバスに積む犯人の春日傘犯人が女…ってところにドラマがありますよね。しかも日焼けを嫌う優雅な金持ち女の役どころ。その天気の良さとサスペンスの暗さの対比も面白い。◇梅沢富美男。張り込みのあんぱん 香る桜漬け桜漬けほんのり 張り込みのあんぱん(添削後)原句は、切れがあるのかないのか分かりにくいものの、香るのは「あんぱん」じゃなく「桜漬け」だろうから、構造的には中七で切れる句またがりです。(作者にその自覚があるかは知らんけど)そして、そのことをハッキリさせるためには、張り込みのあんぱん 桜漬け香ると書いて動詞の主語を明確にすればよい。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.02.19
タン塩を頬張る視線春愁の吾子 ハラミ食む君の笑顔や春の恋 目を背く燃えるパプリカ彼我の春 先輩をいや肉待ち侘びる二月の夜 焼肉で筋肉つけて春肥大 スッカラの窪みは浅し春の宵 春愁の一人焼肉持て余す 二月の焼肉屋涙の受験生2月8日のプレバト俳句。お題は「焼肉」。◇清水アナ。二月の焼肉屋 涙の受験生AのB/CのDの対句。季重なりなのもあるけど、下五の「受験生」って主観の説明なのかも。つまり、作者が「受験生だろう」と判断しただけで、厳密な意味の視覚情報ではないのでは?視覚的に描写するなら、学生の涙 二月の焼肉屋焼肉屋の冬 セーラー服の涙みたいな書き方になると思います。まあ、かつて受験生だった自分とか、知り合いの受験生を描写した可能性もあるので、季重なりを回避するだけなら、駒場の焼肉屋 涙の受験生焼肉屋の煙 受験生の涙みたいなやり方もあります。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥初歩的ミス…。😭#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/kQx69Mmwo3— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) February 5, 2024◇渡辺満里奈。タン塩を頬張る視線 春愁の吾子タン塩を頬張る春愁の吾子よ(添削後)下7の字余りですが、「春愁の吾子」と書いたら、わざわざその表情まで書く必要はない。なお、語順を逆にして、春愁の子はタン塩を頬張れりのようにも出来ます。◇梅沢富美男。春愁の一人焼肉持て余す春愁と一人焼肉持て余す(添削後)渡辺満里奈と同じ理屈でいえば、下五の「持て余す」が不要との判断になる。つまり、「持て余さない春愁の一人焼肉があったら持って来い!」ってこと。しかし!先生の添削は予想外の一手。下五を消すのではなく、「春愁」と「一人焼肉」を切り離してしまう作戦。これは添削というより改作だけど、なるほど、その手もあるか!って感じです。◇笠原秀幸。ハラミ食む君の笑顔や 春の恋ハラミ食む君と春待つ恋ひとつ(添削後)中七を「や」で切って下五に季語を置く形。そして「ha」の頭韻も踏んでます。…ってことからいえば、俳句の型はしっかり出来てるのだけど(笑)まず内容がつまらないし、「ハラミ食む君」と書いたら、あとは「笑顔」だの「恋」だの書く必要はない。そして、韻を踏むために使ったのか、文語のつもりで使ったのか、女性を可愛く見せるために使ったのか知りませんが、一般に「食はむ」という動詞は、人間が肉を食べるときには使いません。牛や馬が草を食べるときの動詞です。その意味では添削句も容認しがたいので、春待つや ハラミを食べる君の口としてみました。…そもそも、詩歌の世界で、「肉を食べる女性」というのを、綺麗な恋愛対象として描くのは難しいよね。あえてそれをやったら、滑稽になるか、ちょっと諧謔的になってしまう。◇棚橋弘至。焼肉で筋肉つけて春肥大筋肉の映える春なり 肉を食う(添削後)こちらは「肉を食べる男性」なので、女性にくらべれば句材にしやすいけど、発想があまりに散文的で詩情に欠けました。でも、本人の意図はともかく、下五の「春が肥大する」という表現は、考えようによっては面白いのよねw春の息吹が膨れ上がる…とも読めるし、春の妄想が膨れ上がる…みたいな解釈もできなくはない。まあ、作者自身が意図したところは、肉食えば筋肉輝く俺の春みたいな話なのだけど…(笑)。一方、先生の添削もなかなか面白い。下五は「肉喰らう」のほうがいいかも。◇市川紗椰。目を背く 燃えるパプリカ 彼我ひがの春彼と吾と網にパプリカ焦がす春(添削後)市川紗椰にはちょっと期待したのに!予想以上にダメだったな…(笑)。なにか難しいことをやろうとしたっぽいけど、結果的には意味不明な三段切れでした。本人の話によれば、網の上でパプリカが焼け焦げてるのに、それを見て見ぬふりをする自分の姿を、彼との距離感に重ねた…とのこと。うーん。ちょっと何言ってるかわからない!まず上五で、なにか凄惨な場面から「目を背けてる」と誤解させるので、中七の「燃えるパプリカ」もなにやら大仰な事態に見えます。下五の「彼我」は、相手と自分を対比的にとらえる言葉だから、あながち間違った用法とも言えないけど、男女の描写というよりは、パプリカをめぐる地域紛争とか、パプリカに象徴される国家戦争とか、そういう対立の抽象的表現かと見まがってしまう。たとえば、パプリカの焦げるのも見ず 春の彼我のように書けば大仰さは軽減されるけど、それでも状況はちょっと分かりにくい。かりに男女の描写だとしても、まだ出会ったばかりで距離感が埋まらないのか、もう別れ際で距離が遠ざかったのかも判別できない。ちなみに、以前もパプリカを使った句はありましたが、つい、それが季語なのかと錯覚してしまうし、色彩的なぶんだけ季語の主役感を喰ってしまいます。その意味でちょっと扱いにくいアイテム。なお、パプリカの一般的な収穫時期は7月以降なので、本来なら「春の野菜」とは言いがたいらしい。◇和牛水田。先輩をいや肉待ち侘びる二月の夜焼肉屋の前に先輩待つ余寒(添削後)いわく、「俺が寒さのなかで待ってるのは先輩ではなく肉なのだ」ってことだけど、意味も分かるし、句材も面白いとは思う。ただ、それは写生というより作者の心情なのよね。これを描写的に書き換えるのはなかなか難しい。◇フルポン村上。スッカラの窪みは浅し 春の宵掲載決定だそうですが…わたしなら断じてボツ!!句材は悪くない。描いてる映像は良いと思います。しかし、スプーンや匙のヘラ部分を「窪み」って言いますか??「スプーンの窪み」とか「匙の窪み」とか、そんな日本語の言い方は聞いたことがない。むしろヘラじゃなくて柄の部分に「窪み」があるのかしら?…と誤解してしまいます。わざわざ「窪み」などと書かなくても、「浅いスプーン」「浅い匙」と書けば通じるのだから、この句の場合も「浅いスッカラ」と書けば済むのです。たとえば、汁掬ふ浅きスッカラ 春の宵料理屋のスッカラ浅し 春の宵スッカラの浅きこと知る 春の宵のように書けば事足りる。ところが!!Googleで「スッカラ/浅い/深い」を検索すると、なぜか、この「窪み」という表現がネット上に頻出します。ちなみに、「スプーン/浅い/深い」で検索しても、「匙/浅い/深い」で検索しても、この「窪み」という表現はいっさい出てきません。せいぜい「掬う部分」「皿の部分」などと出てくるだけ。にもかかわらず、なぜか「スッカラ」で検索したときにだけ、この「窪み」という謎の日本語表現が頻出するのです。…どゆこと?あくまで、わたしの想像ですが、きっと日本語を使い慣れない韓国人のだれかが、この「スッカラの窪み」という変な表現を使いはじめて、それが韓国料理業界へと広まったのではないかしら?そして、村上も、これをどこかの韓国料理屋かネットで目にして、俳句にそのまま取り入れたんだと思う。しかし、これは日本語の表現としてかなり違和感があります。日本語の「窪み」は、全体の中でそこだけ凹んでる箇所を指すわけで、皿状・椀状の器具などに使う言葉ではありません。「茶碗の窪みに飯を盛る」「鍋の窪みで汁を煮る」「湯船の窪みにお湯を張る」などとは言いません。またしても、おかしな日本語が、公共の出版物に掲載されることになってしまった。やれやれ。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.02.12
片言の子の猫舌と鱈の鍋 無事願いかかあと待ってる三平汁 牛鍋の〆のおうどん捜索隊 鍋囲う笑顔思いて出汁選び よーいドンおしくらまんじゅう鍋の夜 商談の中華テーブル窓凍てる ちゃぶ台に干支の過ぎたる祝箸 日脚伸ぶポン酢はあるかと問ふ電話2月1日のプレバト俳句。お題は「鍋つゆ売り場」。◇高橋真麻。片言の子の猫舌と鱈の鍋片言の子の猫舌と鱈鍋と(添削後)句材は面白いけどね。下五「鱈鍋」を「鱈の鍋」と書いたところは、いかにも音数合わせだなと感じてしまいます。また、幼い子供の描写として、「片言」で「猫舌」と2つの特徴を並べるのは、やや材料が多すぎる気がしなくもない。あるいは、すこし脚色をして、片言の子は猫舌で鱈鍋を猫舌の子が片言で鱈鍋とのように季語に絡める手もあるかな。◇勝俣州和。無事願いかかあと待ってる三平汁無事帰港願うかかあの三平汁(添削後)字面だけを見ると、「息子の無事を妻と一緒に願う夫」の句に見える。しかし、実際は、「夫の無事を願うその妻と一緒にいる作者」の句らしい。失礼にも、他人の妻を「かかあ」などと呼んでるので誤読を招きます。◇ナダル。鍋囲う笑顔思いて出汁選び鍋の出汁選ぶ売り場や 冬の夕(添削後)鍋の出汁を選んでる…というだけの凡庸な場面。そこに自分の心象を添えてしまう初心者の失策。なお、調理器の「鍋」は季語ではないけれど、「鍋物」「鍋料理」の意味なら季語と見なすべき、との考え方もあるようです。◇加藤ローサ。よーいドンおしくらまんじゅう鍋の夜おしくらまんじゅうみたいに寄せ鍋を囲む(添削後)兄弟家族で鍋を囲んでる…というだけの凡庸な場面。そして季語「押し競饅頭」を比喩にしてしまう初心者の失策。ちなみに、作者は一句一章のつもりで詠んでるのだけれど、字面だけを見ると、「かけっこ」「押し競饅頭」「夜の鍋」という三段切れの三句一章に見えてしまいます。◇キスマイ宮田。牛鍋の〆のおうどん捜索隊牛鍋の〆のうどんをさぐる箸(添削後)ベタな比喩で「捜索隊」と書いてしまう初心者の失策。ぜんぜん初心者じゃないけどねw鍋の底のうどんを探ってる場面だそうですが、台所の奥にしまってある乾麺を探してるのかな?と誤読されます。◇森迫永依。商談の中華テーブル 窓凍てる窓凍つや 商談中の中華卓(添削後)原句にあきらかな欠点があるとは思えない。「窓凍つ/凍てる」を上五に置くか下五に置くかは、もはや好みの問題かなあ…って気がします。たしかに、添削のように上五に置くほうが安定するけれど、逆にいうと、原句のほうは、最後の窓の印象が心もとなげな余韻を残します。しかも「凍てる窓」より「窓凍てる」のほうが、いっそう心もとない余韻を残すので、そこは好みの分かれるところかもしれません。なお、添削句のほうは「商談中」としたことで、当事者視点から第三者視点に変わってる気がする。それから「中」と「中」が重なるのも、押韻という感じではなく、むしろ鬱陶しい印象。原句の当事者視点を維持するなら、凍つる窓 中華テーブルの商談のような破調でもいいかなと思います。ちなみに、「凍つ」と「凍てる」は同義の古語だけど、「凍つ」は文語で「凍てる」は口語です。つい安易に《古語=文語》と同一視しがちですが、正確にいえば、現代語に《書き言葉》と《話し言葉》があるように、古語にも《文語》と《口語》があるわけですね。凍つ:自動詞下二段活用活用{て/て/つ/つる/つれ/てよ}凍てる:自動詞下一段活用活用{て/て/てる/てる/てれ/てよ}◇清水アナ。日脚伸ぶ ポン酢はあるかと問ふ電話先週につづいて動詞の季語。しかも、上五を終止形で切る形ですね。古語なので、連体形で「日脚伸ぶるポン酢」と誤読される惧れはないけど、時効の季語だけが映像化されないまま浮いてる感じがして、いまいち収まりが悪い。内容的にも、ちょっと状況が見えにくいですよね。近所に住む実家の親から、「ポン酢を貸してくれ」と頼まれたのか。遠方に住む実家の親から、「ポン酢がないなら送るよ」と言ってもらったのか。兼題写真を見れば、鍋の季節の状況だと想像できるけど、兼題写真がなければ、「醤油切れ」とか「味噌切れ」みたいな、ごく日常的な調味料切れの場面とも読めます。ちなみに「日脚伸ぶ」は、大寒と同じく1月下旬の時候の季語ですが、春の近さを感じさせる季語でもあります。もう鍋の季節も終わりに近づいて、日常で使うポン酢も切れてしまった状況なら、「日脚伸ぶ」という季語は妥当かもしれないけど、大寒のころで鍋真っ盛りという状況を詠んだなら、この季語はあまりふさわしくありません。そこは解釈の仕方によって判断が分かれる。なお、中八は助詞「は」を省けば解決します。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥まだまだこれからも勉強!!📚💪#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/o7FSbLR8ZH— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) January 29, 2024◇梅沢富美男。ちゃぶ台に干支の過ぎたる祝箸かしましや 干支の過ぎたる祝箸(添削後)中七・下五の、「干支の過ぎたる祝い箸」はとても面白いけど、作者の話をよく聞くと、じつは「年を越した」という意味ではなく、たんに「正月を過ぎた」という意味らしいので、正確性を欠いた記述なのですよね。つまり、作者は、正月を過ぎてしまって、ハレの日に用いられるはずの祝い箸が、日常のちゃぶ台に置かれてしまっている、…という滑稽味を詠んでるわけです。ところが、先生は「年を越した」と誤読してるので、去年の干支違いの祝い箸が使われてることに、面白みと詩情を見出してしまっている。そうすると「ちゃぶ台」との取り合わせは、蛇足かつ不釣り合いにしか見えないのです。これは先生の誤読のせいではなく、作者の不正確な記述のせいとしか言いようがない。まあ、わたしとしては、「去年の祝箸がちゃぶ台に置かれてる」との解釈でも、それはそれで面白いかなって気もしますが。両端を細めてあるのは神様と共用するためだそうです!▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.02.05
待春の病室祖母に巻くロッド ほっとするパーマのヒーター冬の朝 早いかな襟足すっきり春近し 先駆けて切り揃えし春待ちの朝 金に染め宙舞う一月勝ち儀式 就活の黒髪は艶失せて冬 髪の毛の挟まる雑誌四温かな 切りすぎた襟足触り日記買う1月25日のプレバト俳句。お題は「美容院」。◇アインシュタイン河井。待春の病室 祖母に巻くロッド74点の高評価で1位。「春待つ」「待春」は晩冬の季語です。AのB / CにD …の形ですが、4つの要素を過不足なく配置した描写で、季語に詩情や希望を託した句またがり。キスマイ横尾の対句より内容に手応えを感じます。◇君島十和子。先駆けて切り揃えし春待ちの朝あさ髪を切り揃えて春待ちの朝あした(添削後)原句は破調の字余り。まず何を切ったのかが分からないし、「春に先駆けて」も、季語の「春待ち」に重複してる。全体的に映像の具体性も乏しい。◇研ナオコ。早いかな 襟足すっきり 春近し襟足をすっきり 春近き鏡(添削後)中八の三段切れ。上五は描写ではなく作者の心情になってる。本来、切れ字の「かな」は下五に置くべきだけど、この句は詠嘆でなく疑問の終助詞を上五に置いてて、いまいち俳句の体裁になっていない。添削のほうは、句またがりにせずとも、襟足をそろえ鏡に春近しのような定型に収めるのも可能。◇梅沢富美男。髪の毛の挟まる雑誌 四温かな切り髪の挟まる雑誌 四温晴(添削後)まずは型の問題。下五に切れ字の「かな」を置く場合は、途中に切れを入れないのが基本だから、中七に切れを入れた時点で失敗してます。この期に及んで初歩的な理解が欠けている。たとえば、切り髪の雑誌に残る四温かなとすれば、この問題は解決します。内容面でいうと、そもそも美容院の場面と分かるかどうかが疑問。たんに自分の抜け毛を描いた不潔な状況とも見える。たとえ美容院の場面であっても、「知らない誰かの髪の毛が挟まってる」ってのは、個人的にネガティブで汚らしい印象しか受けない。せめて「誰の髪の毛か」が分かってれば、愛おしい気持ちが湧くこともあろうから、だいぶ印象が変わるのかもしれませんけど。たとえば、見開きに吾子の切り髪 四温晴のようにも出来ると思います。◇武尊。金に染め宙舞う一月 勝ち儀式金髪に変え一月のゴング待つ(添削後)原句は、抽象的な表現を駆使した結果、まったく意味不明な句になってしまった。さらに、中七で切った場合は、下五に季語を置くのが基本なので、型の面でも、ちょっと無理がある。◇柏木由紀。ほっとするパーマのヒーター 冬の朝ほのほのとパーマヒーター 冬の朝(添削後)中八ではあるものの、そこで切って下五に季語を置いた基本の型。ヒーターは冬の季語だし、作者も暖を取るためにパーマを当てたらしいけど、まあ、一般的にいえば、パーマヒーターは季語にならないのでしょう。添削では、「ほっとする」という心情表現を「ほのほのと」というヒーターの描写に代えてます。◇森口瑤子。就活の黒髪は艶失せて冬就活の黒髪木枯に束ぬ(添削後)面白い俳句ではあるし、これはこれで成立してると思うけど、助詞「は」を使う必然性は薄いので、ふつうに「の」で十分だろうと思う。そして、下五を「~して夏」とか「~して冬」と締めるのは、言うならば「愛なんていらねえぜ夏」的な感じで、ややキャッチコピー的な安易さを感じないでもなく、このスタイルを容認したら、どの季節の俳句も量産できてしまう懸念がある。かたや添削句のほうは、気持ちを奮い立たせてる感じがあって、原句よりもポジティブに改作された印象ですね。◇清水アナ。切りすぎた襟足触り日記買う季語は「日記買ふ」で年末です。これに対して「日記始」や「初日記」は新年の季語。たとえば、「襟足を気にしながら買う」とか、「襟足を押さえながら買う」とか、「襟足を隠しながら買う」ならまだしも、「襟足を触りながら買う」ってのは、やや違和感がある。つまり、持続的な動作ならともかく、「触る」のような瞬間的な動作は、買う行為とは同時になしえない気がします。…ってことで、切りすぎた襟足隠し日記買ふとしてみました。動詞の季語はなかなか扱いにくいですよね。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ぎり凡族!!😂#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/x677qC9k0X— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) January 22, 2024▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.01.29
どこまでが猫でどこから毛布かな 冬晴のパリの街並み猫二匹 老猫のいびきは父似日向ぼこ 冬日向窓辺に毛布猫の夢 母を待つ今日も感謝の冬薔薇 吾に見えぬもの見えておる炬燵猫 可惜夜の猫の温みの布団かな1月18日のプレバト俳句。お題は「毛布の猫」。◇呂布カルマ。どこまでが猫でどこから毛布かな どこまでが猫でどこからが毛布(添削後)これが今週の1位。切れ字でなく、疑問の終助詞をそのまま使った、まるで小学生の子供みたいな俳句。俳句という文芸は、へたに概念的な大人の発想よりも、むしろ子供みたいな素朴な視点のほうが有利にはたらく、…という典型的な事例。とはいえ、俳句らしからぬ「かな」の用法や、助詞「で」の使用はいただけないので、わたしなら、どこまでが毛布か 猫はどこからかと直します。◇新木優子。冬晴のパリの街並み 猫二匹冬晴のパリの街並み 猫と吾と(添削後)句材はいたって凡庸だし、二句一章の取り合わせも近すぎるけど、俳句の形は出来てるので、平場なら「才能アリ」ってことでしょう。中七で切って、下五に季語以外のものを置いてますが、猫2匹が主役の存在感をもっていて、前段と後段の比重に偏りはないし、主役が冬晴れの風景を引き立ててるので、とくに季語を脇役に貶めてる感じもない。まあ、逆にいえば、それこそが「取り合わせが近い」ってことだけどw◇風間トオル。冬日向 窓辺に毛布 猫の夢日向なる窓辺に毛布 猫の夢(添削後)「冬日向」と「毛布」の季重なり。形式上は三段切れですが、「冬日向の窓辺に毛布があって猫が夢を見ている」という一句一章1カットの内容。句材も凡庸です。◇清水アナ。ガラス戸の喫茶 毛布の看板猫下6の字余り。風間トオルが住居の窓を描いたのに対して、こちらは喫茶店の入り口を描いてますが、おおむね同じような場面です。「ガラス戸の喫茶」とすべきか、「喫茶のガラス戸」とすべきかは迷うところ。また「喫茶」というのは、たしかに《喫茶店》の略としても使うけど、本来の意味は《茶を喫すること》なので、むしろ「カフェ」と書いたほうが正確です。さらに「毛布の猫」は、《毛布のような猫》との誤読もなくはないので、むしろ「毛布に猫」と書いたほうが誤読されない。…以上を踏まえて、カフェの硝子戸 毛布に看板猫とすれば17音に収まります。句材は凡庸なので、やはり平場なら「才能アリ」ってことでしょう。清水アナは過去にもっと良い句があったけどね。わたしと先生の評価はつねにあべこべなのです。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥久しぶりの才能アリ!🎊#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/r0AZbB1JYx— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) January 15, 2024 ◇サルゴリラ児玉。老猫ろうびょうのいびきは父似 日向ぼこ奇しくも先週の水野真紀が、「君は私似 春間近」と詠んだばかり。助詞「は」を使ったところも、下五に季語を置いた形式まで同じですね。二句一章なので、季語「日向ぼこ」の主体は、猫ではなく作者自身ということになる。◇若村麻由美。母を待つ今日も感謝の冬薔薇ふゆそうび通院の母待つ庭の冬薔薇(添削後)通院の母待つ庭や 冬薔薇(添削後)兼題とは無関係な、凡人ワードの「母」を用いて、自分の内面を語ってしまった心情句ですが、その「感謝」の対象も、はたして母なのか、薔薇なのか、または自分の人生のすべてなのか分からない。一般に季語の「冬薔薇」は、寂しさや侘しさの象徴なので、自分の孤独と共鳴する存在にはなっても、あまり感謝の対象にはなりにくいと思う。◇千原ジュニア。吾に見えぬもの見えておる炬燵猫なかなか非凡です!サスペンスホラーでありながら、ちょっと滑稽味もある。そして、これほど模範的な一物仕立てにはそうそう出会えない。◇梅沢富美男。可惜夜あたらよの猫の温みの布団かな可惜夜の布団に猫の寝息かな(添削後)可惜夜。すなわち《惜しむ可べき夜》ですね。ただ飼い猫と眠ってただけの夜を、おおげさに「可惜夜」などと書いたことが、かえって先生の反感を買ってボツ!例によって美辞麗句をひけらかしただけの作。なお、形容詞の「惜あたらし」という古語は、《惜しまれるほど貴重である》《もったいないほど素晴らしい》みたいな意味。なぜか「新し」と同音ですが、後者は「あらた」が「あたら」に音変化したもので、もともと語源も意味も違うようです。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.01.22
一月の笑いの外にひとりいた 残業の鍋焼M-1の出囃子 初笑い追い出す寄席のはね太鼓 爆笑や横隔膜に去年の揺れ 福笑いのような祖父の、死に顔 初旅のB席iPadにドリフ 盃の富士に一礼初笑 「犯人は…」に続く客席のくつさめ 笑ひ声洩るる交番注連飾 妣の忌や遺言だもの牡蠣フライ ばればれの手品の父や冬座敷 ゲラの子はゲラに育つや春隣 元日の大仏の鼻抜く女優 大笑ふ君は私似春間近 墓前にてあなたと笑った冬の空 雪景色転んだあとの顔判子 1月11日のプレバト俳句。冬麗戦です。お題は「大笑い」。上位から順に見ていきます。◇1位は春風亭昇吉。一月の笑いの外にひとりいた笑いの外に誰かを見つけたときのセリフなら、「いた」という過去形にもなるだろうけど、自分自身を描写したのなら、ふつうは「居いる/居をり」と現在形にすべきです。◇2位はキスマイ横尾。残業の鍋焼 M-1の出囃子いつもの対句。正直、このスタイルにも飽きたけど(笑)。問題は季語の「鍋焼」です。本来の「鍋焼」は、肉を野菜と一緒に煮る料理。職場で豪勢に鍋焼を囲んでるのかしら?…とも誤読されるだろうし、かりに「鍋焼うどん」の略だとしても、キッチンのある職場で鍋焼うどんを作ったのかしら?…とも誤読されるはず。しかし、映像を見ると、即席の鍋焼うどんのようです。思うに、「いつものカップラーメンよりは贅沢」みたいなニュアンスかもしれませんが、そこらへんの作者の意図が量りにくい。なお、歳時記にはないものの、「M1」も「紅白」と同様に、実質的に季語としての機能をもってるので、ダメ押しの年末感がありますね。◇3位は梅沢富美男。初笑い追い出す寄席のはね太鼓ハネ太鼓の別称は「追い出し」です。なので、言ってみれば、「観客を追い出すのが寄席のハネ太鼓である」との説明を、季語を使って俳句っぽく書いただけ。いつもならボツになるパターンですが、今回は景気の良さや縁起の良さもあいまって、たまたま上手くいったかな、という感じ。◇4位はフルポン村上。爆笑や 横隔膜に去年こぞの揺れこれは評価するのが難しい…。季語でないものを上五で詠嘆し、形式は二句一章なのに、中身は一物仕立てに見えます。山本健吉の言葉を借りるなら、《主題+細叙的な反復》かもしれないけど、わたしにはたんに、《主題+主題の説明》のようにも思えるし、ある意味では、梅沢と同じく、「笑いとは横隔膜の揺れである」との説明に、季語を加えただけの句とも言える。上五の「爆笑」が、現在の爆笑か去年の爆笑かも分かりませんが、それを切れ字で詠嘆した際の位置づけも、どう解釈すればよいのか、判断しがたい。◇5位は立川志らく。福笑いのような祖父の、死に顔読点込みで17音ってこと?散文でいうなら、さしずめ「…」のような効果を狙ったものですが、なんか小手先の技巧って気もする。◇6位は川島如恵留。初旅のB席 iPadにドリフ9+9=18音の対句。他人のiPadなら、初旅や 隣のiPadにドリフと助詞の「に」を使ってもいいと思いますが、自分のiPadだったら、助詞は「の」を使うほうが妥当じゃないかな。◇7位は中田喜子。盃の富士に一礼 初笑実体験だといわれれば仕方ないけど、富士の絵柄に頭を下げる場面は、なんだかちょっと芝居がかっていて、あまりリアリティを感じないのよね。むしろ大袈裟に「一拝」「叩頭」などと書いて、マンガっぽい滑稽味を強める手もあるかなと思う。◇8位の森口瑤子。「犯人は…」に続く客席のくつさめ「犯人は…」の静黙 客席のくつさめ(添削後)原句は18音、添削句は19音の破調。芝居の重要なシーンの緊張感を、観客のくしゃみで遮られた様子ですが、あえて「くしゃみ」と書かずに、狂言っぽく「くっさめ」と描写した大仰さが、この場面の滑稽味を強めています。たしかに原句の「続く」が説明くさいけど、うまい代替案を出すのもちょっと難しい。ためしに17音で、「犯人は!」…そこで客席のくつさめでどうでしょうか。◇9位は千原ジュニア。笑ひ声洩るる交番 注連飾しめかざり兼題に対して内容が控えめすぎる…との理由で9位に甘んじましたが、俳句自体の出来としては、これがいちばん良いと感じました。◇10位は安藤和津。妣ははの忌や 遺言だもの牡蠣フライ母の忌や 遺言だもの牡蠣フライ(添削後)母の通夜 遺言だもの牡蠣フライ(添削後)梅沢が言うように、「妣」と「忌」の重複は避けるべきなのか、正直なところ、よく分からないけど、まあ、あえて両方を並べずとも、「母の忌」or「妣の日」で十分ってことでしょう。なお、後段のフレーズを面白いと思う人もいるでしょうが、わたしは「相田みつを?」との印象が先立って、どうも安っぽいコピーライトのように感じてしまう。むしろ、母の忌も遺言だから牡蠣フライと書いたほうが滑稽味が増すのでは?◇11位の本上まなみ。ばればれの手品の父や 冬座敷ばればれの手品の父や お正月(添削後)これも兼題に対して内容が控えめすぎる…との理由でランク外。たしかに添削のほうがいいと思うけど、個人的にはジュニアの次に良い出来だと思いました。◇12位はこがけん。ゲラの子はゲラに育つや 春隣大笑げらの子は大笑げらや 春隣のげらげら(添削後)原句は、助詞の「は」を使う必要を感じない。むしろ「の」を使うのが妥当だと思います。添削句のほうは「は」でいいと思いますが、いつもながらリフレインがくどくて好きじゃない。なお、Wikipediaを見ると、「ゲラ」はおもに関西方言とあります。とはいえ、その記述はやや信憑性に乏しい。むしろ起源不詳の現代語じゃないのかな。もちろん俳句に現代語を使っても構わないのだし、「ゲラ=校了紙」と誤読される惧れがなければ、あえて「大笑」にルビをふる必要もない気がする。◇13位はかたせ梨乃。元日の「大仏の鼻」抜く女優大仏の鼻を抜けたり お元日(添削後)これは東大寺の「柱くぐり」の場面。おそらく、「通り抜ける」を古語で「通り抜く」としたのでしょうが、字面からは古語か現代語か判断できないので、まるで鼻を「抜き取った」みたいに誤読されますね。◇14位は水野真紀。大笑ふ君は私似 春間近君は私似 春まぢかなる大笑ひ(添削後)造語「大笑ふ」の是非と、我が子の意味で「君」を使ったことの是非。※俳句では、恋人の意味で使うのが一般的。ふつうに書いたら、笑ふ子の顔は私似 春間近私似の子の笑ひ顔 春間近のようになるんじゃないかしら?◇15位は勝村政信。墓前にてあなたと笑った冬の空冬空に笑う原田芳雄の墓前にて(添削後)原句には2通りの解釈がありうる。A: あなた(墓参りの同伴者)とふたり墓前で笑ったときの冬空を思い出してるよB: 墓前にひとり立って、あなた(死者)と笑ったときのような冬空を見てるよしかし、Aの解釈はありえません。季語をふくめてまるごと過去の話になってしまうし、そもそも「墓前で笑う」という行為が不謹慎です。なので、Bの解釈が正しいのだけど、過去と現在の時制が交錯して分かりにくいし、上五に切れがあると言えなくもない。かたや添削句にも複数の解釈がありえる。A: 冬空に私は笑っている、原田芳雄の墓前で。B: 私は「冬空に笑う原田芳雄」の墓前でたたずむ。Aの解釈は、やはり「墓前で笑う」という不謹慎な話になる。Bの解釈は、季語が過去の話になる。したがって、両方とも許容できない。かろうじて、C: 冬空に「笑う原田芳雄」の墓前で立つ私との解釈をとれば問題を回避できるけど、かなり無理があるし、これなら原句のほうがマシ。ためしに句またがりで、冬空の墓前 あなたと笑った日としてみました。◇16位はえなこ。雪景色 転んだあとの顔判子失恋や 雪にわたしの顔の痕(添削後)下五「顔判子」の比喩の是非。手をつかずに顔面から転ぶ場面が、なにやらマンガっぽくて嘘くさく、比喩そのものもつまらなく思えるけど、あえてマンガっぽさを自嘲して、雪に転べば見事なる顔の型のようにも書けるかもしれない。◇清水アナ。ゴーグルの雪焼け はきと残りけり先生が言うとおり、後段の説明は不要ですね。かりに横尾っぽい対句にすれば、オフィスの休憩 ゴーグルの雪焼けみたいな感じでしょうか。なお、「ゴーグル」には、スキーの雪眼鏡や、水泳の水中眼鏡のほかに、オートバイ用とか、最近はVR用ゴーグルもあるけど、なぜか歳時記によっては冬の季語になってるらしい。一昔前の日本人にとっては、もっぱらスキー用語だったのでしょうねえ…(^^;https://t.co/mGVY7rUA6r— 清水麻椰 (@mayasmz4) January 6, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.01.15
かじかむ手シワの号外握りしめ 新元号重なるシュプール光さす 十の目を集めし鰤は丸一本 号外も炬燵でスマホ此のごろは 冬の虹トラウマ乗り越えアレ掴む 昭和逝く凍星今日もそこにある 極月の号外無傷のチャンピオン スパイクに詰める号外冬の雨12月21日のプレバト俳句。今回は女子アナ対戦。お題は「号外」。◇森香澄。号外も炬燵でスマホ 此のごろは号外をスマホで眺めゐる炬燵(添削後)下五の「此のごろは」の説明で、いっきに俳句でなく川柳になってしまう。まあ、アナウンサーに「号外」という兼題なので、どうしても時事川柳になりがちよね。◇青山祐子。冬の虹 トラウマ乗り越えアレ掴む優勝アレ掴む三十八年目の冬虹(添削後)これも時事川柳。とくに「トラウマ乗り越え」が、俳句の描写でなく川柳の説明になってる。なお、冬の句にしてますが、一般的に日本シリーズ最終戦って秋なのでは?今年は11月5日だったので、ちょっと微妙ではある。◇松田和佳。かじかむ手シワの号外握りしめ悴かじかむや 皺の号外握りしめ(添削後)原句は「悴む手が握りしめる」という一句一章。かたや、添削句は、同じ手の描写をわざわざ2カットに分け、「悴む手」と「握りしめる手」の二句一章にしてますが、そんなことをするなら、せめて別の季語を使って「悴む」は諦めるべきでしょう。そもそも、手の描写がそんなに重要とも思えない。慶応高校の優勝を詠んだらしいので、それを季節どおりに書くなら、甲子園の夏 皺くちゃの号外と出来ます。…内容的にかなり凡句ですが。◇桝田絵理奈。十とおの目を集めし鰤ぶりは丸一本鰤一本家族五人の目を集め(添削後)市場の競りにしちゃ人数が少ないと思ったのよね。やはり、そこは「家族」と書かないと伝わらない。下五の「丸一本」は、「丸一匹」からの造語かと思ったけど、ネットを見たら、そういう言い方もなくはないようです。動詞は過去形でなく現在形にすべきですが、そもそも「目を集める」ってのが説明くさい気もする。端的に、鰤一本家族五人の前にありぐらいでもいいかなあと思います。◇長野智子。新元号 重なるシュプール 光さすシュプールのひかり 新元号発表(添削後)三段切れ。2つの動詞の使い方も不用意です。「シュプールが重なる」なのか、「新元号が(シュプールに)重なる」なのか分からないし、「光さす」は倒置法にも見えるので、「新元号」や「シュプール」に掛かるように読める。句材の良さで評価されたのでしょうが、よくこれで67点ももらえたなって感じです。添削句は18音だけど、長音、撥音、促音が入って字余り感は少ないから、いっそ原句と同じ19音にして、新元号発表 光さすシュプールでもいいかなと思います。なんなら20音まで欲ばって、新元号 光さすシュプールの重なりと書いてもいい気さえする。そもそも日光は「差す」ものだけど、雪原にまぶしく反射する冬の陽光なら、あえて「さす」と書くだけの効果はある。◇的場浩司。昭和逝く 凍星今日もそこにある長野アナの詠んだバブリーな改元とは対照的。実際、昭和天皇を詠むとなれば、「戦争責任」と「戦後復興」の相反する面から、そのイメージが必然的に引き裂かれる。昭和期の「戦争・破滅」と「平和・繁栄」の、両極を負うのが冬の季語《凍星》の輝きですね。なお、字面的に「今日」が昼間っぽいので、字余りでも「今宵」にすべきかな…ってのはあるし、それを17音に収めるなら、昭和逝く 今宵も凍星はそこにと出来ます。◇清水アナ。スパイクに詰める号外 冬の雨どこが悪いのかしら??とても良い句だと思います。形は過不足なく整ってるし、試合に負けた悲しみらしきものも窺わせる。これを「普通に凡人」とは、かなり不可解な査定。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥前に才能アリを獲得しているので自信を持って!💪#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/dw34DhpT1s— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) December 18, 2023◇千原ジュニア。極月の号外 無傷のチャンピオンこれは文句のない出来。どこにもボクシングとは書いてないけど、全体的な字面に凄みがあるので、なんとなくボクシングを想像させるのね。そこが巧いし、句材もジュニアらしい。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12実際の景色より美しい…水彩画というより絵本!
2023.12.25
冬うらら小さな手に砂の地球 冴ゆる夜やコントラバスに小さな手 レノン忌や小さき手にまだ利き手なし 眠る子の小さき手ぴくり冬うらら12月14日のプレバト俳句。名人&特待生の査定。お題は、凡人ワードの「小さい手」。◇犬山紙子。冴ゆる夜や コントラバスに小さな手子の指や 冬のコントラバスぼぼん(添削後)添削が妥当とは思うものの、冴ゆる夜だからこそ、コントラバスの音が温かく美しく響くわけで、原句の季語は捨てがたいなあ…という気持ちも残る。手の描写をせずとも、稚児鳴らすコントラバスや 冴ゆる夜と書くことはできます。コントラバスの撥弦音(ピチカート)◇水野真紀。冬うらら 小さな手に砂の地球泥だんご光れ 地球の冬うらら(添削後)発想も素敵だし、破調も「地球」の比喩も、べつに悪くないと思うけど、強いていえば、「砂のように崩れそうな地球」が、ややネガティブな印象を与えてしまうってことかな。その意味で、添削が妥当かなと思います。◇フルポン村上。レノン忌や 小ちさき手にまだ利き手なしレノン忌や まだ利き手なき小さき手(添削後)太平洋戦争開戦日に重なるレノン忌と、未来の舵取りを担う子供の手の取り合わせ。素晴らしい発想!ただ、否定語の「なし」で終わるよりも、添削のように名詞止めにするほうがポジティブな印象になるし、ポジティブな印象にするほうが、利き手がまだ決まってないことの意味も伝わりやすい。…ってことで、これも添削が妥当。とはいえ、添削句は「ki」の音が5つも重なってて、なんだか早口言葉のようで鬱陶しいです。これは韻というには逆効果ですね。◇清水アナ。眠る子の小ちさき手ぴくり 冬うららどこも悪くないし、むしろ良い句だと思うけど、同じような句はいくらでもあるのだろうし、凡人ワードで普通に作ったら凡句になる、…ってことだよね。でも、平場なら「才能アリ」でもいいと思います。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ポイントは押さえれていても、、、厳し〜😭#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/0umwxVjCDx— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) December 10, 2023 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2023.12.18
席替えは窓側蜜柑お裾分け 弁当の輪ゴムで鉄砲冬の空 顔見せや贔屓出る前幕の内 パプリカを子ども包丁冬の朝 浅漬と三歩先では米硬き 白息や弁当運ぶ吊足場 セット裏鯛焼を選るホシとデカ 放課後のコンビニおでん爪の土12月7日のプレバト俳句。お題は「お弁当」。◇こがけん。白息や 弁当運ぶ吊足場これまでになく模範的な出来。文句のつけどころはないですね。◇村山輝星。席替えは窓側 蜜柑お裾分けこれも文句のつけようがない出来ですが、…小学生らしさという点で疑義がなくはない。子供らしからぬところが彼女の売りとはいえ、13才の子供が、句またがりを用いて、「蜜柑」や「お裾分け」を漢字で書くかしら?ちなみに、わたしなら書けませんw字面だけ見ると、教室での小学生の席替えでなく、職場でのOLの異動の句かと思ってしまう。…まあねえ。小学生でも仲邑菫ちゃんみたいな天才がいるし、ほんとうに輝星ちゃんが自分で作ったのなら、凡庸な大人ごときに文句のつけようもないですが。◇千原ジュニア。セット裏 鯛焼を選よるホシとデカ作者は、「様々な差し入れの中から鯛焼きを選ぶ」という場面を詠んだらしい。かたや先生は、「様々な鯛焼き(カスタードとか餡子とか)からどれかを選ぶ」と解釈したようです。辞書的には「選ぶ」も「選る」も同義なのだけど、「鯛焼きを選ぶ」と書けば前者の意味になって、「鯛焼きを選る」と書けば後者の意味になる気がする。これは現代日本語の感覚かもしれませんが。◇鈴木梨央。弁当の輪ゴムで鉄砲 冬の空弁当の輪ゴム鉄砲 冬うらら(添削後)この添削はやや疑問。たしかに、助詞の「で」は避けたほうがいいし、中八もできれば7音に収めるべきだけど、機械的に「で」を除けばいいってものでもない。弁当に「輪ゴム」は付いてるけど、弁当に「輪ゴム鉄砲」は付いてません。しかし、添削句の「弁当の輪ゴム鉄砲」は、《弁当に付属の輪ゴム鉄砲》とか、《弁当を使った輪ゴム鉄砲》のように読める。以前、梅沢が、「一段飛ばしで来る」と書くべきところを、「一段飛ばし来る」と書いてましたが、助詞を除いて合成語や複合動詞を作れるとしても、それによって意味が変わってしまう惧れがある。※ちなみに梅沢の場合は「一段飛ばしに来」と書くべきでした。この添削も同様の過ちじゃないかと思います。◇尾上右近。顔見せや 贔屓出る前 幕の内顔見世や 贔屓待つ間の幕の内(添削後)季語は「顔見世」で冬。原句は、(内容的には二句一章だろうけど)形のうえで三段切れになってます。なお、下五の「幕ノ内」について、"幕の内側"という場所の意味になるのでは?と疑ったのですが、一般的な意味としては、《幕間》の時間か《幕の内弁当》の略かどちらかなので、誤読の惧れはなさそうです。添削句は、言葉遊び的な「ma」の押韻。◇清水アナ。放課後のコンビニおでん 爪の土基本型に則れば、二句一章を中七で切る場合は、季語を下五に置くのが常道です。そうしないと、取り合わせのバランスが悪い。前段に対して後段が弱くなるから。この句の場合は、下五「爪の土」の印象がわりと強いので、取り合わせのバランスはさほど悪くないけど、主役はあくまで季語の「おでん」なので、無理やり最後に脇役を取って付けた感が否めない。先生が言うように、「放課後」を「部活後」に置き換えて、あえて因果関係をもたせたほうが、その"取って付けた感"が解消できるのかもしれません。 でも、句材は面白くてリアリティがありますね。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥あと少しの工夫だけ!💪#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/ZLE6XCOQwS— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) December 4, 2023◇住田萌乃。パプリカを子ども包丁 冬の朝冬の朝 パプリカを切るおてつだい(添削後)上五の助詞は「を」でなく「に」にすべきですね。「パプリカを包丁で」と書くのは、やや説明的だし、最後の「で」も省略不可です。「パプリカに包丁を」と書くほうが、より描写的だし、最後の「を」を省くこともできる。語順的にいうと、中七で切って季語を下五に置いた二句一章なので、清水アナとはちがって、基本型に則っています。ただ、先生も言ったとおり、「パプリカ」のあとに「冬の朝」が来ると、どことなく季重なりっぽい印象を与えるので、添削の語順にするほうが違和感は少ないのかも。◇小林星蘭。浅漬と三歩先では米硬き浅漬や 弁当の飯ひえびえと(添削後)浅漬や 冷たきものに飯と妻(添削後)季語は「浅漬」で晩秋~初冬。作者の説明によれば、《妻たる浅漬の三歩先を行く夫たる米が冷えて硬い》…みたいな擬人化の句。原句は日本語の体をなしてないので、とりあえず、浅漬と三歩先行く硬き米浅漬の三歩先には硬き米浅漬の三歩先なる米硬しぐらいにしないといけませんが、たとえ日本語らしくしてみても、浅漬と米の擬人化だとは分からないし、そもそも何を言わんとしてるかが謎です。一方、添削句は季重なりの疑いがあるのだけど、一般的な「冷や飯」なら季語にはならないと思う。力づくで作者の意図を推し量り、冷や飯に浅漬添える夫婦めおと椀との写生句に改めてみました。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2023.12.11
便座冷たし世界地図睨む夜 万国旗小春の影を落としけり 冬虹のかけらとなった万国旗 万国旗隠し持つ手の如き鵠11月30日のプレバト俳句。お題は「万国旗」。◇清水アナ。便座冷たし 世界地図睨む夜なかなか面白い句材です。トイレの壁に世界地図が貼ってあるのね。先生は「世界地図」から始める語順にせよ、とのこと。たとえば、a. 世界地図にらむ便座の冷えし夜b. 世界地図にらみ冷たき夜よの便座c. 世界地図にらむ寒夜の便座かななどの案がありえます。動詞「にらむ」は、通常なら連体形になるはずですが、連用形で「にらみ」とすれば、そのあとに「座る」「いきむ」などの省略を仄めかせる。でも、動詞を使わずに句またがりで、世界地図の壁 夜の便座つめたしと写生するほうが面白いんじゃないかな。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥惜しいぃぃぃ!😭#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/sZYfG1cwC3— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) November 28, 2023◇森迫永依。万国旗小春の影を落としけり作者自身は、《万国旗の影が小春の暖かさをもたらす》とポジティブな印象を詠んだらしいけど、先生も言ったように、「影を落とす」という慣用句のニュアンスが、不穏な世界情勢のネガティブな印象を抱かせる。平和への願いを込めてることには違いないけど、作者の意図とは逆の解釈で高評価となりました。追記:たとえば《万国旗小春の影を地に揺らす》のようにすれば、ネガティブな読みは避けられるかもしれません。◇森口瑤子。冬虹のかけらとなった万国旗冬虹に溶けて万国旗の残像(添削後)ある種の幻想句ですが、やや散文的という気がしなくはない。より韻文らしくするために、a. 冬虹の欠片となりて万国旗b. 冬虹の散りたるごとき万国旗c. 冬虹の弧のほどければ万国旗などの案もあるかと思います。なお、原句は、《虹が消えて万国旗になった》という話だけど、なぜか添削句のほうは、《万国旗が消えて虹になった》という話に変わってる。追記:Tverで作者の話を聞き直すと「褪せている万国旗が冬の虹にリンクして…。吸い取られてしまったのかな」と言ってるので、「万国旗」の色彩が「冬虹」に吸い取られたという意味かもしれません。そう考えれば、添削はそれなりに意図を汲んでるし、たとえば《万国旗色あせ冬の虹と化す》のような案もありえます。◇フルポン村上。万国旗隠し持つ手の如き鵠くぐい万国旗抱くか 白鳥の羽撃はたたき(添削後)これも一種の幻想句ですが、白鳥のくちばしをマジシャンの手に見立て、そこからカラフルな万国旗まで想像させるのは、かなり唐突な比喩じゃないかなと思う。しかも、わたし個人の感覚でいえば、万国旗の手品は、手よりも口から繰り出すイメージが強いので、そもそも「万国旗隠し持つ手」の意味が分かりにくい。せめて「万国旗を繰り出す手」のほうが平易かも。17音で表現するには困難な内容の幻想でした。添削句も、完全な改作になってます。追記:Tverで作者の話を聞き直したら、白鳥の「くちばし」ではなく「飛び立つときの華やかさ」をマジシャンの手に見立てたとのこと。だとすれば、先生の添削はその意図を汲んでますね。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2023.12.04
初冬のラグかの愛犬の尨毛あり 手入れして畳むセーター弛む歌 コロコロする寒夜ルンバ充電中 重ね着でコロコロ使う孫の顔 家族集うセーターから取る犬のぬくもり 着膨れた背中猫の毛あちこちに コロコロのミシン目ずれている四温11月23日のプレバト俳句。お題は、掃除具の「コロコロ」。もともとは商品名ですが、いまや一般名詞として使われている単語です。◇竹財輝之助。コロコロする寒夜 ルンバ充電中コロコロする絨毯 ルンバ充電中(添削後)原句は9+9=18音、添削句は10+9=19音の句またがり。今週のお題を選んだ時点で、もし「コロコロ」という単語を使えば、それが《掃除具》なのか《擬態語》なのか区別がつかない、…という問題が生じるのは容易に想像できる。まして、動詞で「コロコロする」と書いたら、ほとんどの読み手は擬態語と誤解するはずです。原句の「コロコロする寒夜」は、《何かを撫で転がしてる》とも読めるし、《寝転んでじゃれている》とも読めるし、《患部が腫れて違和感がある》とも読めるし、《何かが木枯らしに吹かれて鳴っている》とも読める。添削句の「コロコロする絨毯」は、《丸まって転がってしまう》とも読めるし、《毛玉が固まって凹凸が気になる》とも読めます。かろうじて誤読を回避するなら、7+10 の句またがりで、ルンバ充電 絨毯にコロコロをとでもするしかないかと思います。◇辰巳琢郎。重ね着でコロコロ使う孫の顔コロコロを巧みに重ね着の孫よ(添削後)原句も原句ですが、やはり添削句も添削句で、兼題を知らなければ、字面だけで「コロコロを巧みに」は理解しがたいし、語順的にも「巧みに重ね着する」との誤読を誘います。かろうじて誤読を回避するなら、重ね着の孫のお掃除コロコロととでもするしかないと思う。◇清水アナ。ローラーにマフラーのひだ張り付いて擬態語の「コロコロ」に誤読されるのを避けて、あえて「ローラー」という語にしたのでしょうが、これはこれで意味が分かりにくいですね…。上五から中七で、「ローラー=重機 or 工具」「マフラー=自動車の消音器」と解釈したら、まったく意味不明だし、かりに衣類のマフラーと解釈しても、「美顔ローラー or 粘着ローラー」などの読みの迷いが生じなくはない。さらにいうと「マフラーのひだ」も、《フリンジ/房飾り》なのか、《ニット面の繊維のひだ》なのか、《巻いたときのドレープ/たるみ》なのか、ちょっと判断がつきません。…内容的にも、さして詩情のある場面とは思えませんが、接続助詞の「て」で終わらせた後は、何の動詞が省略されてるんでしょうか?マフラーが絡まった滑稽味を詠んだのなら、マフラーの房コロコロに貼りつきぬと終止形にすればよいと思います。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ストレートでシンプルな表現が1番!💪#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/Qm4Wl9onQg— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) November 12, 2023◇アインシュタイン河井。初冬はつふゆのラグ かの愛犬の尨毛むくげあり7・7・5の字余りなので、「かの」or「あり」の省略も検討できるし、さもなくば、ラグに亡き犬の尨毛や 冬支度のような形に直すことも可能ではある。ところで、ラグは年間をとおして使う人もいるので、その場合は「初冬のラグ」でも問題ありませんが、この句では1年前の犬の毛を目にしたのだから、あきらかに冬物としてのラグを扱ってるわけで、単語の記載が歳時記にないとしても、それは冬の季語「カーペット」と同義であり、実質的には季重なりというべきです。そう考えると、たとえば6・7・5で、去年のラグ かの愛犬の尨毛ありのように直すことも出来ます。※ちなみに去年を「こぞ」と読むことも出来ますが、それだと新年の季語になってしまいます。4音の「昨年」などを使って「あり」を省略する手もある。◇YOU。手入れして畳むセーター 弛たゆむ歌手入れしてたたむセーター 弛む歌(添削後)おおむね俳句の形は出来ていて、「te・te・ta・ta・ta・ta・ta」の韻も面白いけど、描いてる場面は、どちらかといえば凡庸です。さらに、上五の「手入れ」が具体性に乏しいし、「~して~する」というのは経緯の説明です。手入れをしたのは、すでに過去であって現在ではない。そこにかんしては、手入れしたセーターたたみ弛む歌と名詞の修飾部にすることで、おおむね解決しますが。◇山之内すず。家族集う セーターから取る犬のぬくもりコロコロで犬の毛を取るお元日(添削後)6・8・7の字余りですが、上六の動詞は連体形か終止形かを読み迷うし、毛を意味する「ぬくもり」の直喩は誤読を招きます。さらに、助詞の「から」があれば動詞の「取る」は不要だし、逆に動詞の「取る」があれば助詞の「から」は不要です。つまり、技術的にムダが多いための字余り。なお、添削では道具の情報を優先してますが、原句に沿って、セーターの犬の毛を取るお元日でもいいんじゃないでしょうか。追記:スミマセン。これだと季重なりでした…◇皆藤愛子。着膨れた背中 猫の毛あちこちに外出時の場面らしいけど、字面からはそのことが読み取れないし、下五の「あちこちに」も蛇足に思えるし、内容的には、切れを入れず一句一章にすべきなので、着膨れて急ぐ少女の背に猫毛としてみました。◇梅沢富美男。コロコロのミシン目ずれている四温。前回の句《鼈甲のフレームにある小春》を見たとき、それが許されるなら、「階段にある小春」でも「鉛筆にある小春」でも、テキトーに言ったもん勝ちじゃないの?と思ったのだけど、今回の句についても、たとえば「埃の舞っている四温」とか、たとえば「ラジオの鳴っている四温」とか、テキトーに言ったもん勝ちって気がしなくはないし、そのまま「小春」に置き換えても成立する句です。…とはいえ、三寒のあとの四温という弛んだ日柄と、室内で掃除具の細部を観察してる気分は、それなりに響き合ってるし、季語の選択に説得力があるぶんだけ、前回よりはマシかなと思います。…それはそうと、前回といい、今回といい、半径30㎝のちまちました世界を詠んでて、いつのまにか作風が村上みたくなってますねw
2023.11.27
木枯の窓際母の老眼鏡 眼鏡落つ押しくら饅頭空を見る 荒星を映すメガネや死体役 ねんねこや視力は似るなと同じ顔 指ワイパー払うメガネの冬景色 家の妻の眼鏡も白くあんこう鍋 年の瀬の終電網棚に眼鏡 鼈甲のフレームにある小春かな11月9日のプレバト俳句。お題は「メガネ」。◇八嶋智人。眼鏡落つ 押しくら饅頭 空を見るあからさまな三段切れ。詩情には優れているものの、1位にふさわしいのかは疑問。連体形で「落つる」とすれば、とりあえず三段切れは解消するけれど、語順として考えれば、「押しくら饅頭に眼鏡落ち…」のようにするほうが自然です。とはいえ、原句が18音ということもあり、語順を変えてこの内容を17音に収めるのは難しい。◇矢柴俊博。荒星を映すメガネや 死体役荒星にメガネ冷えゆく死体役(添削後)地べたに寝そべって空を見上げる発想は、不思議なことに八嶋智人と同じでしたね。これも句材は面白くて詩情があります。たしかに動詞の「映す」が蛇足でしたが、俳句と形としては八嶋よりも上じゃないかな。◇相席スタート山﨑。ねんねこや 視力は似るなと同じ顔視力よき子であれ ねんねこの吾子よ(添削後)親の願いを詠んだ心情句なのに加えて、下五の「同じ顔」という描写も、親目線からとらえた主観的印象なので、全体として写生の要素に乏しいのが欠点。添削でもそれは変わってませんが、こうするより直しようがないでしょうね。冬の季語「ねんねこ」は、子を負う母親が着る綿入れ半纏のことですが、作者はむしろ「寝んねする子」の意味で使ってるっぽいし、切れ字の「や」も呼びかけのように見えます。◇ずん飯尾。指ワイパー払うメガネの冬景色指で拭くメガネきゅきゅっと冬景色(添削後)目的語の「雪」を省略した結果、「メガネを払う」とか「指ワイパーを払う」とか、そういう誤読を生む文の構造になってる。たしかに「雪」と書いたら季重なりになるので、あえて目的語を省略したと思えなくもないけど…。ところが、作者が意図したのは、「雪を払う」じゃなく「曇りを拭く」だったらしい。要するに、動詞の選択そのものが間違ってるってこと。先生が言うとおり「指ワイパー」という比喩も幼稚な印象です。ふつうに書くなら、指先で眼鏡を拭けば冬景色となるんじゃないでしょうか。◇マヂカルラブリー村上。家の妻の眼鏡も白くあんこう鍋鮟鱇鍋 妻の眼鏡も曇りたり(添削後a)鮟鱇鍋 妻の眼鏡もほのぼのと(添削後b)作者の説明から察するに、「家にいるときの妻が自分と同じく眼鏡をかけていた」(外ではコンタクトを付けてるのかも)ということらしいのだけど、字面だけ読んだら、「家以外にも眼鏡の妻が別にいる」と誤解されます。なお(添削後b)の、「眼鏡がほのぼのとしている」という表現は、先月の水野真紀の句の、「渋谷の秋がそぞろである」と似た手法なのだけど、正直、これはちょっと違和感があります。しかも、先生は「ほのぼのと曇る」とまで言ったのですが、そうなるともう日本語の感覚としてかなりおかしい(笑)。たとえば夜が明けるときに、「空がほのぼのと明るくなる」とは言うけれど、「空がほのぼのと曇る」とはけっして言いません。この副詞の一般的な用法とは逆行しています。◇清水アナ。木枯の窓際 母の老眼鏡いままでで一番いいんじゃないでしょうか!なんなら、これを今週の1位にしてほしい(笑)。母の句ではあるけれど、ベタベタした心情を詠むのではなく、さらりとした写生に徹しているのがいい。ちょっと文学的な風情も感じるし、個人的にとても好きな作風です。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥母への想いがこもった才能アリ!!#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/fLB8J7cGwh— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) November 6, 2023◇キスマイ横尾。年の瀬の終電 網棚に眼鏡いつもの句またがり。とくに欠点もなく、掲載決定でしたが、個人的には、さほど面白い句材とも思えず、正直、ボツかと思いました。なお、後段は、「網棚の眼鏡」と書いたほうが客観的なのだけど、あえて助詞の「に」を使うことで、「なぜ網棚に眼鏡があるんだろう?」というニュアンスが出るのかもしれませんね。◇梅沢富美男。鼈甲のフレームにある小春かなフレームの柄に小春っぽさを感じたのか、それともフレームから小春らしい景色が見えたのか、いまいち分からない。先生は、「小春のような鼈甲のフレームである」…という比喩として解釈してましたが、季語を比喩として使うのもセオリーに反するし、もし、こういう手法が許されるなら、「階段にある小春」だの「鉛筆にある小春」だの、テキトーに言ったもん勝ちって気がする。
2023.11.13
吾子眠る秋のドラマをミュートで観る 秋寒し家路につく朝千鳥足 秋のあさゲームしすぎて目が開かない 暗がりで骨の秋刀魚が睨んでる おはようの電話待つロンドンの夜長 夜食喰うもうない王朝を覚え 夜半の秋即席めんを鍋のまま11月2日のプレバト俳句。お題は「夜更かし」。◇和牛水田。暗がりで骨の秋刀魚が睨んでる夜のシンク 骨の秋刀魚の目が白い(添削後)夜の皿や 骨の秋刀魚の目が白い(添削後)先生は、「才能アリor才能ナシの両極的な評価になる」と言いましたが…わたしも一読して面白い句材だと感じたし、直すべきは助詞の「で」くらいだと思います。添削では、擬人化を排して客観写生にしましたが、個人的には擬人化もそのまま容認したい。たとえば文語で、暗がりに骨の秋刀魚の睨みけりとしても十分に面白い句です。いくらなんでも才能ナシの20点は低すぎ。欠点があるとしても60点台が妥当でしょ。◇丸山桂里奈。吾子眠る 秋のドラマをミュートで観る夜泣き果てミュートでドラマ観る秋夜(添削後)むしろ、これを「才能アリ」にした理由が分からない…(笑)通常回なら凡人以下のレベルでしょ。実際、原形をとどめないほど添削されてるわけだし。全体的なレベルが低すぎたので、番組の都合上、無理やり「才能アリ」にしたのでは?…一般に「秋ドラマ」ってのは、テレビ局の編成上の分類であって、そこに季語としての実質があるとは言いがたい。「秋ドラマ」が秋に制作されるとは限らないし、「秋ドラマ」が秋の物語を描くとも限らないからです。上五の「吾子眠る」も、連体形で繋がるのか、終止形の切れなのかを読み迷う。いずれの点でも、添削が妥当だと思います。◇清水アナ。冷すさまじや 二次会終わりの靴擦れ慣れない靴を履いて出掛けたところから察するに、同窓会とか結婚式とかの場面ですよね。先生は凡人との評価でしたが、わたしは才能アリでもいいと思う。まあ、中七については、「二次会終わり」より「二次会帰り」のほうが、描写として正確な気はしますが。追記:そもそも「○○終わり」というのは、近年の口語的な言い回しじゃないかと思います。たとえば「仕事終わり」とも言ったりするのでしょうが、本来なら「仕事上がり」「仕事帰り」「仕事のあと」が正しい。かたや「仕事おさめ」といえば年末の仕事を指すわけで、その対義語の「仕事はじめ」は、仕事のやりはじめの意味ではなく、年始の仕事のことです。そういう日本語の使い分けが崩れてきてるんでしょうね。かりに議論すべき点があるとすれば、後段が8・4の破調になっていることの是非と、季語の「冷まじ」が靴擦れの「凄まじ」にも掛かる、…と読めてしまうことの是非ですね。どちらの点でも、わたしは悪くないと思います。/11月2日、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥凡人〜!😭#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/Slr08yTFHw— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) October 30, 2023 ◇鈴木砂羽。秋寒し 家路につく朝千鳥足秋寒き朝よ 家路へ千鳥足(添削後)季語を映像化するためには、添削のように「秋寒き朝」にするとか、村上が言ったように「朝寒の家路」のようにするとか、そういう選択肢を考えねばなりません。なお、添削の「家路へ」というのは助詞の選択ミス。「家路へ行く」と書いてしまったら、まだ帰路にもついてないことになるわけで、「家へ行く」もしくは「家路を行く」が正解です。したがって後段は、「家路を千鳥足」or「千鳥足の家路」とすべき。◇高橋恭平。秋のあさ ゲームしすぎて目が開かない秋の朝眠し ゲームをしすぎた眼(添削後)よくいえば素直だけど、あまりに散文的でした。初心者にはありがちですが、描くべき対象をいったん自分の外側に置かないと、こういう主観的な独白の句になってしまうよね。◇岩永徹也。おはようの電話待つロンドンの夜長朝を待つ電話よ ロンドンは夜長(添削後)句材は面白いと思いますが、破調のリズムがなんとなく間延びした印象で、いまひとつパッとしない。かといって、先生の添削がいいとも思えない。原句のほうは「時差」を題材にしてるのが分かるけど、添削句は、それがかえって伝わりにくくなっている。◇フルポン村上。夜食喰う もうない王朝を覚えかりに「消えた王朝」と書けば、歴史に関心のある大人の句と読めますが、原句の「もうない」という口語的な書き方は、《いまさらこんな勉強して何になるの??》と、なかば疑問を抱く中高生の姿を想像させます。そこらへんの言葉選びは正しい。議論すべき点があるとすれば2つ。第1に、動詞「喰う」の要不要について。第2に、倒置法と破調の是非について。動詞「喰う」については、先生と梅沢で意見が割れましたが、わたしは梅沢と同じで不要との立場。…というより、こういう季語を上五に使うのは適切でない。丸山桂里奈の句もそうですが、上五を動詞で切ると、終止形なのか連体形なのかを読み迷うからです。したがって「夜食喰う」のような季語は、上五なら連体形で、下五なら終止形で使うのが常道だろうと思う。かりに上五の動詞と倒置法を避けるなら、(別の形の破調になりますが)もうない王朝を覚えつつ夜食のようにも出来ます。◇梅沢富美男。夜半の秋 即席めんを鍋のまま長き夜や 鍋のまま喰う即席麺(添削後)内容が陳腐なので、どう直しても凡句にしかなりませんが、まあ、中七・下五を倒置法にするよりは、添削のように名詞止めにする語順のほうがいい。とはいえ、動詞「喰う」はやはり不要だと思えるし、むしろ「鍋から掬う」とするほうが映像的かな。
2023.11.06
オーディション帰り渋谷の秋 秋の夜ビルの谷間に光る傘 三十年余勤めし渋谷野分晴 天高しビジョンに写る同世代 青年の歩幅につられ秋空へ 秋雨や渋谷の路地に鼠と吾 甘栗の香を行く渋谷交差点10月19日のプレバト俳句。お題は「渋谷スクランブル交差点」。◇水野真紀。オーディション帰り 渋谷の秋そぞろ句またがり。下五の「秋がそぞろである」という言い方が面白い。実景にさりげなく心情をのせて成功してます。◇山下真司。秋の夜 ビルの谷間に光る傘ビル街の谷間 秋夜を光る傘(添削後)句材は良いですよね。でも、季語を映像化するには、添削のように書いたほうがいい。◇武田真一。三十年余みそとせよ勤めし渋谷 野分晴三十余年勤めし渋谷 秋高し(添削後)渋谷時代は「野分」と言うほど過酷だったのか?!…と思わせるところが大袈裟だし、過去への決別みたいな心情を季語にのせすぎた感がある。添削のように、晴れ晴れとした境地だけを描くほうが穏当かな。◇ネルソンズ青山フォール勝ち。天高し ビジョンに写る同世代天高し 街頭ビジョンに同世代(添削後)中七の「ビジョン」は展望を意味する単語でもあるから、添削のように書かなければ伝わりにくいし、下五の「同世代」という言葉は、人だけでなく、物や技術にも用いられるから、《街頭の映像画面に同世代の技術を見てとれる》みたいな解釈ができなくもない。字余りですが、秋空の街頭ビジョンに同期芸人としてみました。◇中田喜子。青年の歩幅につられ秋空へ交差点まではイメージできませんが、空へ舞いあがるような気分は伝わります。ただし、「空へ」という比喩は死をも想起させるので、追悼句のように見えなくもない。比喩を使わずに、青年の歩幅まねれば秋高しと書いても同じ情景は描けると思う。◇千原ジュニア。秋雨や 渋谷の路地に鼠と吾あブルーハーツみたいな内容だよね。助詞は「路地の」より「路地に」のほうが平面的で、地べたに這いつくばってる印象が強まるけれど、まるでホームレスのようにも見えるので、わたしは「路地の」とするほうが穏当かなあと思う。◇梅沢富美男。甘栗の香を行く渋谷交差点渋谷 はや甘栗の香の交差点(添削後)渋谷 かの甘栗の香の交差点(添削後)中七の「香を行く」は面白い言い方だし、原句のままでも悪いとは思わない。かたや添削句は、冒頭3音の「渋谷」で切れる変則的な形。もしかしたら、助詞を省略した主語のつもりかもしれないけど、「渋谷は交差点である」という文は成立しないので、冒頭3音で切れた二句一章としか解釈できません。まあ、たしかに原句の「行く」は蛇足なので、それを省くとしたら、甘栗の香立つ渋谷の交差点甘栗の香が満つ渋谷交差点のようになるでしょうか。◇清水アナ(Twitter)。秋時雨 傘握りしめ交差点中七の「握りしめ」は、次につづく動詞の省略を仄めかす連用形ですが、「立つ」の省略なのか「歩く」の省略なのか不明瞭だし、曖昧な言い方でお茶を濁したようにも見える。たとえば最後に助詞を補って、「握りしめ十字路に」と書けば「立つ」の省略になり、「握りしめ十字路を」と書けば「歩く」の省略になります。…しかし、そもそも、「時雨・傘・交差点」という句材は当たり前にすぎるし、動詞「握りしめる」の一語だけで、詩情や心情を十分に喚起できるとは言いがたい。もうすこし何か具体性が必要なのでしょうね。/10月19日、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥まだまだこれから!#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/ASlluxZFvl— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) October 17, 2023白石聖ちゃんの横浜港シンボルタワー。幻想的!
2023.10.23
朝月のアザーン砂漠の空港へ 月白のワーディー渡るヌーの群 こりりとすっぱそうな三日月のかど 良夜かな香典返しの茶漬け食ふ 名月は東に父島観測所 良夜のノーヒッター肘の手術痕 あんな家二度と帰るか睨む月 桂月やキャラメルの香の満ち満ちて 別れるはずだったのに月が綺麗 細月を探す三箇所残り蚊にプレバト俳句。金秋戦決勝。お題は「月」です。1位から順に見ていきます。◇森迫永依。朝月のアザーン 砂漠の空港へ原点にもどって、実体験のモロッコ句でふたたび優勝。モロッコでも月が美しいのは秋なのかしら?ちなみに先生が言った「有明の月」とは、陰暦16日以後の、夜明け前の月のこと。◇フジモン。月白のワーディー渡るヌーの群こちらは実体験ではなく、エキゾチックな幻想でしょう。なんとなく「月の砂漠」を思い出しました。◇森口瑤子。こりりとすっぱそうな三日月のかど4+6+7の破調。ひらがなが多いところも、触覚と味覚にうったえかけるところも、なんだか谷川俊太郎っぽい。◇フルポン村上。良夜かな 香典返しの茶漬け食ふちょっと変則的な形です。ふつうなら、調べを崩しても、香典返しの茶漬け食ふ良夜かなとしますよね。原句の語順だと、上五がセリフで、中七・下五が描写のように見えます。どちらがいいかは何とも言えない。◇春風亭昇吉。名月は東に 父島観測所満月は東に 父島観測所(添削後)この添削で異論ありません。ただ、念のために補足すると、先生は「名月」と「満月」の違いを、いわば「主観」と「客観」の違いのように説明しましたが、すくなくとも暦の上では、どちらにも客観的な定義があります。名月(中秋の名月)とは旧暦8月15日の月のことで、かならずしも満月ではありません。今年の9月29日は「名月」と「満月」が一致しましたが、次にそうなるのは7年後だそうです。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230929/k10014210701000.html◇キスマイ横尾。良夜のノーヒッター 肘の手術痕10+8の字余り。いつもの句またがりの対句です。しかし、前段と後段に、「手術したからノーヒット」という因果関係が見えてしまい、二物衝撃の取り合わせになってるとは言いがたい。◇千原ジュニア。あんな家二度と帰るか 睨む月あんな家二度と帰るか 月皓皓(添削後a)あんな家二度と帰るか 月明し(添削後b)あんな家二度と帰るか 月睨む(添削後c)あんな家二度と帰るか 月に吼ゆ(添削後d)上五・中七の作者自身のセリフに、下五の描写を取り合わせたのでしょうが、どうしても散文的なのは否めない。むしろ(添削後c/d)のようにしたほうが、セリフ&動作をまるごと第三者の視点で描写できるのかも。ちなみに「月に吠え」は的場浩司の句にもありましたね。◇梅沢富美男。桂月や キャラメルの香の満ち満ちてキャラメルの香か 桂月の甘からん(添削後)実際に甘い香りが漂っていたのなら、写生句と言えなくもありませんが…おそらくは、「月に桂花が生えている」という中国の伝説によった幻想句なのでしょう。幻想句を否定はしませんが、下五に「満ち満ちて」とまで書かれると、かえって大袈裟なホラに思えて白けてしまうし、先生が言うように、ただ知識をひけらかしただけの無内容な句に見えます。接続助詞「て」でお茶を濁すのも梅沢の悪い癖。…なお、Wikipediaには、> 中国でいう「桂」はモクセイ(木犀)のことであって、> 日本と韓国では古くからカツラと混同されているとあります。すなわち、"月に生えている"との伝説があるのは、中国でいうところの「桂花/金桂」(モクセイ)であって、日本でいうところの「桂」(カツラ)ではない。そして、(たとえばキンモクセイの花なども甘い香りはしますが)一般にキャラメルの香りに似ているとされるのは、「桂」(カツラ)の落葉であって「桂花」(モクセイ)ではありません。…ちなみに、桂(カツラ)の花が咲くのは3~5月ですが、桂花(モクセイ)の花が咲くのは9~10月です。にもかかわらず、俳句の世界では、古来からの伝統的な誤解にもとづいて、桂花(モクセイ)を「かつらばな/かつらのはな」と読み、これを「木犀」と同じ秋の季語にしている…(笑)旧暦の八月(現在の9~10月)を「桂月かつらづき」と呼ぶのも、それと同じ誤解に由来しているわけです。追記:桂花(モクセイ)は中国原産であり、このうち基準種の銀桂(ギンモクセイ)が15世紀に、変種の丹桂や金桂(キンモクセイ)が17世紀あるいは明治時代に日本へ伝来したとのこと。その一方、桂(カツラ)は、一説によれば日本の固有種だそうです。双方の植物を知らなかった時代に、中国の「桂花」と日本の「桂」が同一視されたのかもしれません。古今和歌集には「ひさかたの月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ」と詠まれていますが、 本来は《桂花(モクセイ)の花色が月を金色に染める》という中国の伝説だったはずが、日本では《「桂」(カツラ)の黄葉が月を金色に染める》と解釈されたのでしょうね。https://tenki.jp/suppl/kous4/2020/10/09/30020.htmlさらに、明治時代にはフランスからクスノキ科のローリエが移入されましたが、これもまた同じ中国の伝説にちなんで「月桂樹」などと名づけられたので、ますます面倒くさいことになってます(笑)。なお、桂(カツラ)そのものは俳句の季語になってないようですが、キャラメルの香のする「桂黄葉かつらもみじ」なら、秋の季語として使えるはずです。◇犬山紙子。別れるはずだったのに月が綺麗別れるはずだった 月が綺麗だった(添削後)11+6の破調。夏目漱石のエピソードを意識してるらしく、見かけによらず文学的な引用から出来てるらしい。全体がセリフの形式なので、さほど「のに」による逆説が悪いとは感じません。9位でしたが、個人的には3~4位ぐらいでもいいと思う作品。◇皆藤愛子。細月を探す 三箇所残り蚊に月さがす間を残り蚊に刺されけり(添削後)まずは二句一章の是非。かりに二句一章だとすれば、「月を探してたら蚊に刺された」との因果関係に見えてしまう。かりに一句一章だとすれば、動詞「探す」が連体形になってしまい、その結果「三箇所で探した」との誤読を生む。どちらの解釈をしても問題が生じます。そして季重なりの是非。主たる季語が「残り蚊」だとすると、三箇所も刺すとは生命力が強すぎじゃないの?!とも思えるのですが…もしかすると、「秋なのに月のほうが弱々しくて蚊が元気」という逆説を意図したのかしら?◇清水アナ(Twitter)。パイプ椅子片す良夜のグラウンドこれは綺麗に出来てます。熱戦が終わった後の涼しい月夜でしょうか。なお、現在は全国で使われてるかもしれませんが、片づけるを意味する「片す」は東京方言だそうです。/10月12日、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥才能アリ!!!!やった〜😇#プレバト #俳句 #MBS #TBS pic.twitter.com/9ZJV8aau17— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) October 9, 2023
2023.10.16
乳房切除す母よ芒の先に絮 黒ぶどう甘やか母の背にほくろ 発熱の母月光の車椅子 薄月夜母の電卓スタッカート 母の背は硬く娘を待つ秋夜 秋湿り添い寝の母の生返事 手羽を煮る小さき背中や秋彼岸 門付けの母に背負われ蚯蚓鳴くプレバト俳句。お題は「母の背中」。句材はどれも面白かったのだけど、形式的に理解しがたいものが多かった。◇馬場典子。秋湿り 添い寝の母の生返事秋の蚊帳 母の背中の生返事(添削後)個人的には、これがいちばん良かったと思うけど、残念ながら6位の予選落ち。母のけだるい態度を季語に託しましたが、逆に「季語が近すぎる」との理由で減点。添削句のほうは、出来の良し悪し以前に、実体験ではない創作になってるので、添削というよりは改作ですね。◇森迫永依。薄月夜 母の電卓スタッカート星月夜 母の電卓スタッカート(添削後)星流る 母の電卓スタッカート(添削後)ぎりぎりの4位で予選通過。下五「スタッカート」の比喩の是非です。ぼんやりした視界の中に、音響だけを際立たせる意図だったのでしょうが、こちらは「季語と噛み合わない」との理由で減点。たしかに「スタッカート」には明朗な印象があるので、情景も明るいほうが響き合うとはいえる。つまり、馬場典子は季語に寄せすぎて減点。森迫永依は季語との対比を狙って減点。この査定に同意するかは人それぞれでしょう。◇森口瑤子。黒ぶどう甘やか 母の背にほくろ黒葡萄あまやか 母の背にほくろ(添削後)これが2位でしたが…まず疑問なのは、葡萄の季節は秋なのに、なぜ母親が裸なのか?ってこと。なおかつ、作者は「母のほくろが色っぽかった」と言うけど、もしブヨブヨふくれた醜いほくろだと解釈したら、葡萄まで不味くなりそうです。いずれにせよ、字面だけでは、取り合わせの意図が分かりにくい。◇犬山紙子。発熱の母 月光の車椅子これが3位でしたが…中七に意味の切れ目があるとのことなので、一方に「発熱した母」が寝ていて、他方に「冷たい月光に照らされた車椅子」がある、という解釈になるはず。しかし、作者の説明によれば、発熱した母は車椅子に座ってる、とのこと。それなら二句一章に分けるべきではない。調べは崩れますが、その内容に則して書くならば、月夜の車椅子に発熱の母のような一句一章になるはずです。◇キスマイ千賀。手羽を煮る小ちさき背中や 秋彼岸手羽を煮る母よ 厨のちちろ虫(添削後)手羽を煮る母よ 時雨の過よぎる窓(添削後)これは予選落ち。季語「秋彼岸」の是非ですね。ジュニアが言ったように、「亡くなった人の好物が鶏の手羽だった」と解釈すれば納得できるかもしれません。しかし、仏教的な通念からすると、「彼岸」と「肉食」は似つかわしくないし、どうも季語のミスマッチ感が否めない。なお、添削について一言いえば、現代の台所にコオロギなんていないし、もしいたならば、たんなる駆除対象です。◇清水アナ(Twitter)。秋の暮 出発ゲートへ向く母よ秋の暮 出発ゲートへ向かう母(添削後)くるりと背中を向けた瞬間だったのかな。そう考えると、原句の「向く」と添削の「向かう」では、やや映像が異なるのですが、それでも「向く」を使うのはちょっと難しい。助詞も「へ」or「を」で迷うところ。動詞「向く」には「を」を使うのが一般的だけど、母が旅立つのか迎えに来たのかが分かりにくくなりますね。/10月5日、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥惜しい!!!!#プレバト #俳句 #MBS #TBS pic.twitter.com/9630BpN0qZ— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) September 29, 2023◇中田喜子。母の背は硬く 娘を待つ秋夜母の背は硬し 吾を待つ秋夜の背(添削後)5位の予選落ち。第一に、主語の問題があります。形容詞「硬し」と動詞「待つ」の主語が、どちらも「母の背」であるのなら、母の背の硬く娘を待つ秋夜と一句一章になるはずですが、作者の説明によると、形容詞「硬し」の主語は「母の背」で、動詞「待つ」の主語は「母」のようです。つまり、主語が違ってるのに後者を省略している。そのうえ「硬くあり」を省略して、連用形のように「硬く」と切ってるので、同じ主語による「硬く待つ」との誤読につながる。主語が違うのなら、娘待つ母の背硬し 秋の夜と書けば済む話です。…第二に、主観の問題があります。この句は第三者の視点で書かれてますが、作者の説明によれば、母の背が「硬し」というのは客観写生ではなく、娘(=自分)の主観なのだと。第三者の視点で書かれてるのに、なぜ娘の主観が入ってくるのか…って話です。作者としては、「帰りの遅い自分を待つ母の背中は怒っていた」という主旨で詠んだらしいのですが、字面からは、「娘を心配して待ちわびる母の背中は年老いて強張っている」としか読めません。かりに「娘」を一人称にして、連用形と誤読させる「硬く」を終止形にすれば、我を待つ母の背硬し 秋の夜と出来ますが、それでも「硬し」が怒りの描写だとは読めない。なぜなら、俳句は客観写生と解釈するのが基本だからです。なお、添削では、一人称の「吾」に直して余った2音分で、なぜか「背」を2度重ねていますが、ただの音数合わせとしか思えないし、下手すると「もう一人の背中」と誤読されかねません。◇立川志らく。門付かどづけの母に背負われ蚯蚓みみず鳴く門付けの母よ 真昼を鳴く蚯蚓(添削後)最下位の予選落ちです。これまた主語の違う動詞を連用形でつないでいる。たしかに日本語は一人称の主語を省略できるけど、散文で「母に背負われミミズが鳴く」と書いてみれば、まるでミミズが母に背負われているように見えるはず。たとえば、門付けの母が子負えば蚯蚓鳴くのような形なら主語の問題は解消されます。◇春風亭昇吉。乳房切除す 母よ 芒すすきの先に絮わたこれが1位でしたが、なかなかの問題作!上7字余りの三段切れです。ほぼ自由律と言っていい。作者は「ちぶさ」と読ませていますが、医療的な読み方なら「にゅうぼう」なので、その場合は上8の字余りになります。一概に否定はしませんが、あえてこの形にする必然性があるのかどうか。…より具体的にいえば、真ん中に「母よ」の呼びかけを入れる必然性があるのか。その是非が問われるところ。たとえば、乳房切る母と芒の先の絮とすれば定型17音になるし、乳房切りし母 芒の先に絮とすれば句またがり17音になります。また、下五の「先に」が不要だと考えれば、乳房なき母や 芒の絮揺れるのようにも出来ます。なお、俳句の動詞は現在形にするのが基本ですが、この句は手術の現場を描いてるわけではないので、手術前なら「乳房切る」、手術後なら「乳房切りし」「乳房なき」となるはずです。
2023.10.09
秋風の駅や立ち食い鴨南蛮 CMのオファー来老舗の新蕎麦を 望月や蕎麦と肴の箸休め 台本見ながら4人で新蕎麦 七味の蓋差し直し初蕎麦待つ 麦猪口の藍に濃淡水の秋 梁太き山家色濃き走り蕎麦プレバト俳句。お題は「お蕎麦屋さん」。最下位が65点ってことで、先生の評価はかなり高めでしたが…わたしの評価は全体的に低めですw◇ゆうちゃみ。秋風の駅や 立ち食い鴨南蛮これが1位。句材は平凡ですけどね。俳句の形としては出来ている。冬の季語「鴨」と重なってますが、そこは不問にしたようです。追記:渡り鳥の季語って難しいのよね。「鴨」「鴨鍋」が冬の季語。「引鴨」「残る鴨」が春の季語。「夏鴨」「鴨の子」が夏の季語。「初鴨」「鴨渡る」が秋の季語。去年のNHK俳句では、「燕」「燕の巣」が春の季語。「親燕」「燕の子」が夏の季語。「帰燕」が秋の季語。…との解説もありました。https://www.kohaneko.tokyo/2019/10/212.html◇フルポン村上。蕎麦猪口そばちょこの藍に濃淡 水の秋中七の「濃淡」が説明くさいです。濃い部分と淡い部分を見たあとに、はじめて「濃淡」と判断できるのだから、それは描写というよりも、把握された概念だというべき。むしろ、濃い部分と淡い部分を見るときの視線の動きを、そのまま進行形で描写するならば、蕎麦猪口の藍濃し淡し 水の秋のようになると思います。◇梅沢富美男。梁はり太き山家やまが 色濃き走り蕎麦梅沢には珍しい対句です。しかし、「山家の梁が太い」だの、「田舎蕎麦が黒い」だのは、いたって凡庸な発見というべき。それでもなお、あえてその詩情を言いたいのなら、述語を後ろにもってきて、山家の梁太し 走り蕎麦黒しと書くのが妥当でしょうね。…ただ、この蕎麦の色合いは田舎蕎麦の「黒さ」ともいえるし、走り蕎麦の「青さ」ともいえるので、それを考えると「色濃し」と描写するしかないのかな。◇浅野ゆう子。CMのオファー来く 老舗の新蕎麦をCМのオファー 新蕎麦かぐわしき(添削後)前段と後段の取り合わせの是非。「新・新」の取り合わせなのか。「新・旧」の対比なのか。そこがボヤけているので焦点が定まらない。新しさに別の新しさを取り合わせるなら、先生の添削のようにすべきだし、新しさに古さを対比させるなら、CMのオファー 老舗の秋の蕎麦のようになるかと思います。なお、中八にしてまで「来」を入れる必要はないですね。◇酒井美紀。望月や 蕎麦と肴の箸休め新蕎麦や 出でくる月が箸休め(添削後)原句の前段と後段は、主語と述語の関係(=望月が箸休めになる)とも、目的語と述語の関係(=望月を箸休めにする)とも、補語と述語の関係(=望月に箸を休める)ともいえますが、いずれにせよ切れを入れず一句一章にまとめるべき。わたしなら前段を補語にして、望月に肴と蕎麦の箸をとめのようにします。それがいちばん整うと思う。かりに「肴」を省くなら、望月の出で蕎麦の箸休めたりのようにも出来ます。それはそうと、添削はあえて「月」と季重なりにしたのかしら?◇皆藤愛子。七味の蓋差し直し初蕎麦待つ新蕎麦待つ 七味の蓋を差し直し(添削後)中七の「蓋を差す」ってのは耳慣れない言い方。本体より蓋のほうが大きいなら、「蓋を被せる」「蓋を嵌める」「蓋をする」と言うだろうし、逆だとしても「蓋を閉める/締める」と言うはずです。ためしに、初蕎麦を待つ間ま 七味の蓋を締むとしてみました。追記:考えてみたら七味入れって5種類くらいはあって、大きく「栓」タイプと「蓋」タイプがありますね。問題は、動詞「差す」の是非じゃなくて名詞「蓋」の是非だなと思いました。ネットを見ると、木栓のことを「蓋」と呼ぶ例もなくはないけど、やはり「栓」と呼ぶのが一般的です。上の瓢箪型と樽型が「栓」のタイプ。◇清水アナ(Twitter)。満月や 蕎麦屋が父の秘密基地下五の「秘密基地」という比喩の是非。比喩の使用を認めるとしても、この比喩が適切なのかどうか疑問。基本的に「秘密基地」は子供の遊び場の比喩でしょ。大人の隠れ家に用いるべき比喩ではない。そもそも比喩を使わずとも、満月や 父は蕎麦屋に引き籠るとかでいいのでは?/9月21日、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥レベルアップしてきている感じが...!✨😇#プレバト #俳句 #MBS #TBS pic.twitter.com/LkVuBzEXN9— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) September 19, 2023 ◇キスマイ二階堂。台本見ながら4人で新蕎麦台本を見つつ四人で食う新蕎麦(添削後)台本を置いて四人で食う新蕎麦(添削後)なぜ字足らずの破調??8・9の句またがりは諦めたの?助詞の「で」を排除して、台本をめくり新蕎麦喰う四人と定型にすることも出来るし、かりに8・9の句またがりなら、台本四冊 新蕎麦四人前でもいいわけで。句材は悪くないけど、65点の評価は高すぎ。
2023.09.25
NHK俳句。一昨年は阪西敦子の回を欠かさず見てて、去年は井上弘美の回を欠かさず見てたけど、今年は村上鞆彦の回を見るようにしています。(夏井回はまったく見てませんw)9/17の放送では、季重なりと韻についての解説がありました。◇まずは「季重なり」について。野見山朱鳥の句。天高く地に菊咲けり 結婚すこれは「天高し」と「菊」が秋の季語です。この季重なりが許容される理由について、村上鞆彦の解説をわたしなりに意訳すると…> 季語が主題になってる場合は、> 季重なりによって焦点が分散するけれど、> この句は「結婚」が主題なので、> 2つの季語は脇役の位置づけになる。ってことです。◇わたしも、この考えに同意する。下の記事にも書きましたが、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202211110000/芭蕉の「古池」のような俳句において、季語は主役ではなく、むしろ脇役でした。すくなくとも近世の俳句ではそれが普通だった。したがって、俳句において、「季語が主役」ということを絶対規範にすべきではない。季重なりかどうかにかかわらず、「季語が脇役」の場合もありうると考えたほうがいい。◇つぎに「韻」について。視聴者の入選句。転校を告げる つゆくさ摘みながらこれは「つ」「つ」「つ」の頭韻になってます。村上鞆彦の解説によれば、> 韻は3つ重ねるのが絶妙。4つになるとクドイ。> 2つだと、たまたまなのかどうかよく分からない。とのことです。本気で言ってるのか冗談で言ってるのか微妙でしたが、実際、そうかもしれないなと思います。◇◇なお、今月の題は「露草」でした。Wikipediaにはこうあります。朝咲いた花が昼しぼむことが朝露を連想させることから「露草」と名付けられたという説がある。英名の Dayflower も「その日のうちにしぼむ花」という意味を持つ。入選9句を見ても、朝露のような可憐さや儚さを描いた作品が多かったです。転校を告げる つゆくさ摘みながら露草や 現世にまた隠世に露草の抜いてしまひし 瑠璃を恋ふつゆくさや 罪人我に露零す呼びかけるまで露草に屈みをりあらくさの中に露草瞳をひらき老いの鉄棒 露草に見つめられうつむいて露草に鳥潤むかな露草を踏んで行く子の消えにけり
2023.09.24
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