まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2021.01.06
XML
結核。隔離。
あまりにも残酷な結末。

15年前に本放送を見たときは、
遠い過去の話だと思っていたけれど、

コロナ禍のなかで再放送を見ていると、
なにか皮肉な偶然を感じずにはいられない。



通常のドラマなら、
最後に伏線が回収されて、

めでたく夢が叶って終わるところですが、

このドラマは、そのすべてを裏切ります。
朝ドラ史上、稀に見るようなバッドエンド。

桜子の人生は、
なにひとつ実現しないまま、報われずに終わる。
なにも成し遂げることの出来ない人生。


…でも、それが不幸だとは思わない。

そういう感想を、本放送のとき以上に強く持ちました。



夢が叶おうが叶うまいが、
想いが報われようが報われまいが、



生きていること自体に輝きがある。


それが、このドラマのメッセージだと思うし、
実際、桜子の人生はとても輝いていた
と、わたしは思います。


桜子だけではありません。

目の不自由な亨ちゃんにも生きる歓びがあったし、



夢が叶ったり、
想いが報われたりするのは、
せいぜい小説やドラマのなかの架空の話であって、
現実の人生は、そうではありません。


さまざまな行き違いや矛盾に満ちていて、
けっして現実は「まんどろ」というわけにいかない。


これは、
冬吾=太宰治に対するメッセージでもあるのだけれど、
やはり「命を捨てるべきではない」というのが、
作者の最終的な考えなのだろうなと、あらためて思います。



冬吾との関係も、最後まで片付くことはなかった。

本来の冬吾は、
誰に対してもズバっと本音を言い、
魂をぶつけるような絵を描く人でしたが、
結婚後の冬吾は、そうではなくなりました。

不本意な絵しか描くことができなくなっていたし、
死線を彷徨った夢のなかで桜子に救われたときには、
「笛子と加寿子と亨の顔が浮かんできた」
などと嘘をついて取り繕ったりしていました。


夢のなかで桜子の魂と通じ合った記憶は、みずから抑圧したのでしょう。


冬吾にとっての真実は、唯一、桜子でした。

笛子も、うすうすそのことを察知していて、
桜子の姿を描いた冬吾の絵を病室に飾ると、
桜子にむかって「あんたが羨ましかった」と言いました。

そこにも、それぞれの報われない真実がありました。



ものすごく矛盾に満ちた内容だったけれど、
それゆえに強烈な印象を残しました。

わたしは、やはり、
このドラマが面白かったです。





にほんブログ村 テレビブログへ ジャンル関係無しなんでもレビュー 映画ブログ・テーマ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.01.12 04:26:14


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: