まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2022.07.18
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カテゴリ: 政治
かつてドナルド・キーンは、

「それを狂気とみなすのは間違いであり、
 三島の行動は論理的に構成された不可避のものである」
と言いました。

しかし、
わたしは、その意味がいまだに理解できません。

三島由紀夫が熱望したのは天皇を中心とする宗教国家であり、
彼の天皇信仰はきわめて宗教的なもので、あきらかな狂気でした。


三島の立場と敵対するはずの左翼知識人の多くが、
彼のことをけっして否定できないのも、
基本的に「他人の宗教的熱狂を否定することはできない」からです。

もちろん、だからといって、
宗教国家の復活なんぞを容認することは出来ませんが。



山上徹也の場合は、三島由紀夫とは真逆です。

彼は、
宗教国家の復活を望んだのではなく、
むしろ宗教と国家の癒着を嫌悪していました。

すでに、

山上自身の Twitter のアカウントも特定されており、
犯行に至るまでの思考の流れが明らかになっています。

もともと彼は、
安倍政権を支持しており、
その嫌韓的な立場から周囲に「ネトウヨ」と呼ばれていましたが、


安倍晋三と統一教会との癒着に気づきはじめ、

やがて、
「安倍晋三は本来の敵ではない」と認識しながらも、
「現実世界でもっとも影響力のある統一教会のシンパの一人」として、
やむをえず安倍晋三へと標的を移したのでした。



彼は、米本和広へ宛てた手紙のなかで、
「安倍晋三の死がもたらす政治的意味と結果について考える余裕はない」
と書いていますが、

いまにして考えれば、
それは、彼がもっとも期待した「意味と結果」をもたらしているように見える。

かりに統一教会の教祖を暗殺できたとしても、
それは、国際問題に発展しこそすれ、
今回のように国内政治の矛盾を浮かび上がらせることはなかっただろうし、
それどころか、
かえって統一教会の結束を強化させる結果になったかもしれません。

むしろ、
今回の安倍晋三の「代理的な死」のほうが、
はるかに統一教会にとって大きな打撃になっているし、
国内政治の矛盾を暴露することにも帰結している。

その意味で、事態は山上が期待したとおりに推移しています。



わたしから見ると、
三島由紀夫の狂気に比べて、
今回の山上徹也の犯行のほうが、
はるかに「論理的に構成」されているように見えます。

宗教国家の復活を熱望した三島由紀夫の狂気は、
当時の自衛隊にさえ賛同されずに未遂と自決に終わりましたが、

今回の山上徹也の場合は、
暗殺までを単独で完遂させただけでなく、

かりに 「政治と宗教の癒着を断ち切るべきだ」 というのが、
彼のメッセージであったと考えるならば、
そのことに反対できる日本人もほとんどいないのです。


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最終更新日  2022.07.19 05:00:24


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