まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2023.10.16
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朝月のアザーン砂漠の空港へ 月白のワーディー渡るヌーの群 こりりとすっぱそうな三日月のかど 良夜かな香典返しの茶漬け食ふ 名月は東に父島観測所 良夜のノーヒッター肘の手術痕 あんな家二度と帰るか睨む月 桂月やキャラメルの香の満ち満ちて 別れるはずだったのに月が綺麗 細月を探す三箇所残り蚊に
プレバト俳句。金秋戦決勝。
お題は「月」です。


1位から順に見ていきます。



森迫永依。
朝月のアザーン 砂漠の空港へ


原点にもどって、
実体験のモロッコ句でふたたび優勝。

モロッコでも月が美しいのは秋なのかしら?

ちなみに先生が言った「有明の月」とは、




フジモン。
月白のワーディー渡るヌーの群


こちらは実体験ではなく、
エキゾチックな幻想でしょう。
なんとなく「月の砂漠」を思い出しました。



森口瑤子。
こりりとすっぱそうな三日月のかど


4+6+7の破調。

ひらがなが多いところも、
触覚と味覚にうったえかけるところも、
なんだか谷川俊太郎っぽい。



フルポン村上。
良夜かな 香典返しの茶漬け食ふ


ちょっと変則的な形です。

ふつうなら、
調べを崩しても、
香典返しの茶漬け食ふ良夜かな

としますよね。


上五がセリフで、
中七・下五が描写のように見えます。
どちらがいいかは何とも言えない。



春風亭昇吉。
名月は東に 父島観測所
満月は東に 父島観測所
(添削後)

この添削で異論ありません。

ただ、念のために補足すると、
先生は「名月」と「満月」の違いを、
いわば「主観」と「客観」の違いのように説明しましたが、
すくなくとも暦の上では、どちらにも客観的な定義があります。

名月 (中秋の名月) とは旧暦8月15日の月のことで、
かならずしも満月ではありません。
今年の9月29日は「名月」と「満月」が一致しましたが、
次にそうなるのは7年後だそうです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230929/k10014210701000.html



キスマイ横尾。
良夜のノーヒッター 肘の手術痕


10+8の字余り。
いつもの句またがりの対句です。

しかし、前段と後段に、
「手術したからノーヒット」
という因果関係が見えてしまい、
二物衝撃の取り合わせになってるとは言いがたい。



千原ジュニア。
あんな家二度と帰るか 睨む月
あんな家二度と帰るか 月皓皓
(添削後a)
あんな家二度と帰るか 月明し
(添削後b)
あんな家二度と帰るか 月睨む
(添削後c)
あんな家二度と帰るか 月に吼ゆ
(添削後d)

上五・中七の作者自身のセリフに、
下五の描写を取り合わせたのでしょうが、
どうしても散文的なのは否めない。

むしろ(添削後c/d)のようにしたほうが、
セリフ&動作をまるごと第三者の視点で描写できるのかも。

ちなみに「月に吠え」は的場浩司の句にもありましたね。



梅沢富美男。
桂月や キャラメルの香の満ち満ちて
キャラメルの香か 桂月の甘からん
(添削後)

実際に甘い香りが漂っていたのなら、
写生句と言えなくもありませんが…

おそらくは、
「月に桂花が生えている」
という中国の伝説によった幻想句なのでしょう。

幻想句を否定はしませんが、
下五に「満ち満ちて」とまで書かれると、
かえって大袈裟なホラに思えて白けてしまうし、
先生が言うように、
ただ知識をひけらかしただけの無内容な句に見えます。

接続助詞「て」でお茶を濁すのも梅沢の悪い癖。



なお、 Wikipedia には、
> 中国でいう「桂」はモクセイ(木犀)のことであって、
> 日本と韓国では古くからカツラと混同されている

とあります。

すなわち、
"月に生えている"との伝説があるのは、
中国でいうところの「桂花/金桂」 (モクセイ) であって、
日本でいうところの「桂」 (カツラ) ではない。

そして、
(たとえばキンモクセイの花なども甘い香りはしますが)

一般にキャラメルの香りに似ているとされるのは、
「桂」 (カツラ) の落葉であって「桂花」 (モクセイ) ではありません。



ちなみに、
(カツラ) の花が咲くのは3~5月ですが、
桂花 (モクセイ) の花が咲くのは9~10月です。

にもかかわらず、俳句の世界では、
古来からの伝統的な誤解にもとづいて、
桂花 (モクセイ) を「かつらばな/かつらのはな」と読み、
これを「木犀」と同じ秋の季語にしている…(笑)

旧暦の八月 (現在の9~10月) を「桂月 かつらづき 」と呼ぶのも、
それと同じ誤解に由来しているわけです。

追記:
桂花(モクセイ)は中国原産であり、このうち基準種の銀桂(ギンモクセイ)が15世紀に、変種の丹桂や金桂(キンモクセイ)が17世紀あるいは明治時代に日本へ伝来したとのこと。その一方、桂(カツラ)は、一説によれば日本の固有種だそうです。双方の植物を知らなかった時代に、中国の「桂花」と日本の「桂」が同一視されたのかもしれません。古今和歌集には「ひさかたの月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ」と詠まれていますが、 本来は《桂花 (モクセイ) の花色が月を金色に染める》という中国の伝説だったはずが、日本では《「桂」(カツラ)の黄葉が月を金色に染める》と解釈されたのでしょうね。
https://tenki.jp/suppl/kous4/2020/10/09/30020.html
さらに、明治時代にはフランスからクスノキ科のローリエが移入されましたが、これもまた同じ中国の伝説にちなんで「月桂樹」などと名づけられたので、ますます面倒くさいことになってます(笑)。
なお、桂(カツラ)そのものは俳句の季語になってないようですが、キャラメルの香のする「桂黄葉 かつらもみじ 」なら、秋の季語として使えるはずです。




犬山紙子。
別れるはずだったのに月が綺麗
別れるはずだった 月が綺麗だった
(添削後)

11+6の破調。

夏目漱石のエピソードを意識してるらしく、
見かけによらず文学的な引用から出来てるらしい。

全体がセリフの形式なので、
さほど「のに」による逆説が悪いとは感じません。
9位でしたが、
個人的には3~4位ぐらいでもいいと思う作品。



皆藤愛子。
細月を探す 三箇所残り蚊に
月さがす間を残り蚊に刺されけり
(添削後)

まずは二句一章の是非。

かりに二句一章だとすれば、
「月を探してたら蚊に刺された」
との因果関係に見えてしまう。
かりに一句一章だとすれば、
動詞「探す」が連体形になってしまい、
その結果「三箇所で探した」との誤読を生む。
どちらの解釈をしても問題が生じます。

そして季重なりの是非。

主たる季語が「残り蚊」だとすると、
三箇所も刺すとは生命力が強すぎじゃないの?!
とも思えるのですが…

もしかすると、
「秋なのに月のほうが弱々しくて蚊が元気」
という逆説を意図したのかしら?



清水アナ (Twitter)
パイプ椅子片す良夜のグラウンド


これは綺麗に出来てます。
熱戦が終わった後の涼しい月夜でしょうか。

なお、
現在は全国で使われてるかもしれませんが、
片づけるを意味する「片す」は東京方言だそうです。







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最終更新日  2023.10.18 05:54:09


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